超古代の日本人の根底に眠る「MU」音とは「無」の事だった!

この記事は
日本人の潜在能力覚醒の鍵を
握るのは「MU」(ムー)という言葉!

の続編にあたります。

前回の記事
人類最初の聖なる音「MU」音とは?
で、超古代の神聖語「kamu」を
さらに分解したムー(MU)という言葉
が最も重要だという事を説明しました。
また超古代ムー大陸の提唱者
ジェームズ・チャーチワード氏も
ムーの人々が、「ムー」を信奉した
といっているという事からも裏付け
られるという事でした。

神衣氏によると現代日本ではその
ムーを音とする言葉が見あたらないと
されていますが、私はすぐに「無」
という言葉を思い起こすことができ
ました。ここまでは前回も書きました
ね。
このことで、少し感覚のずれを感じ
ながら読み進めていくことなったわけ
ですが、その違いがどこからくるのか
よくわかりました。

現代日本語では、「MU」という音は
「MI」に置き換えられたと言って
おられるのです。
つまり「身や実」につながり神のミの音
にも通じているという事です。

そして古代日本では神は「kamu」
と発音していたという事ですが、
その事をまず引用させていただきま
しょう。

「」内が引用で、~が中略です

「「神」のルーツは超古代音「MU」に
ある

古い文化が残っている
沖縄では神のことを「kamu」といい、
アイヌでは「kamui」と言い、
日本語では「kami」と言うが、
これはまさにこの音韻変化の法則通り
であり、

「kamu」→「kamui」
→「kami」
の変化の過程がそれぞれの段階で定着
したものである。
事実、古代の日本では神を「kamu」
と発音していた。
日本語の古い時代の「kami」の意を
含む複合語を見てみると、

「kamunagara」(かむながら)

「kamugakaru」(かむがかる)

「kamuagaru」(かむあがる)

という形が残っているように「kami」
は古い時代には「kamu」であった
のだ。
アイヌ語の「ka」音は「上」を意味する
語だから、下にくる語彙に接頭語的に敬意
の意を表したものであろう。そして
「i」音は先に述べたように名詞化の意味
でしかない。
とすると、「kamui」のMU音は、
それ自体に「神」の意がなければ
「kamui」は「神」の意味にならない
はずである。
そして実際にその痕跡は、最も古い時代の
日本語に見いだすことができるのだ。」

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
         中央アート出版社 ”

このような言語学的な分析というものを
この本で初めて、見させてもらったような
気がしますが、なんか素晴らしい分析
の仕方ですね。

なるほどこれなら、古代日本のkamu
が、現代日本語のkamiに変わった
という事がわかるし、超古代の神聖語
kamuの中のMU音こそが、神性を
表す音であったとわかりますね。

ただし現代日本語でMU音が消えて
しまったという神衣氏の気付いて
おられない「無」という語は、
現代でもまだ消えずに残っているの
です。
それこそが私が最も神聖な語だと感じる
というのが私の見解ですが、
その事を神衣氏との世界観の違いから
説明していきたいと思います。

神衣氏は、「MI」という音に変わった
のだから、最も神聖な言葉MU音の神性
をあらわすのもこの言葉だといって
おられます。
事実古代日本語でも

「海つみ」
「山つみ」
「月夜み」

というような使われ方をする「mi」は、
「自然の霊力」「神」の意であることが
学術的にも認められているという事を
この本で紹介しておられます。

なるほど「mi」には神の意味が確かに
あるだろうとは思います。
ですが「mi」は同時に「身」や「実」
とも書き、つまりは実体、目に見える
ものだという意味もあるわけです。
神衣氏は「mi」を生命体、母体である
ともいえて、最も神聖な意味になると
説明されています。
これは、確かに正しいと思えたりもし
しますが、
私との世界観の違いはまさにここに
あるというわけです。
神衣氏が気付いておられない、古代の
最も神聖な音「MU」音を引き継いだ
語である「無」にこそ本来の神性の意味
がこめられていると私は解釈するのです。

アイヌや沖縄よりさらに、中心の地で
ある日本は、MUという言葉に「無」
という漢字をわざわざあてています。
アイヌ語のMUは実や身の意味として
残っているのにもかかわらず、あえて
実体の無いという意味での「無」という
言葉を当てたのには、大きな理由がある
と思うのです。
確かに古代のMUという音には神性が
宿っていた、それを日本人のような
繊細な感性を持つ民族が、mi音に
変えただけで、そのMU音を捨てる
事ができたでしょうか?

これこそが神衣氏に投げかけたい
一番の疑問です。
そして捨て去っていない証拠に
ちゃんと「無」という言葉として
残しているという事に神衣氏は気付いて
おられないのだろうという事です。

つまりこういう事です、「無」という
実体のないものこそ神性の本質だと
古代の日本人は見抜いたからこそ、
この言葉を最も大事な神性を表す
MU音をあてたという事なのです。

つまりこれは実や身などの実体を
生命体、母体として最も神性だと
する神衣の世界観と、むしろ実体の
ない「無」こそ最も神性を意味する
のだと考える私の世界観の違いが
あらわれたという事です。

私は、多くの素晴らしい著書に巡り
合ってきたと思います。大いなる
ヒントをくれたこの本もその一つ
だと確信していますが、すべてを
うのみにするのではなく、それまでの
本や情報で得た知識や感性を持って
吟味して咀嚼し、完全に消化できる
ものとして取り入れていこうとする
のが、真実を得るためには大事だと
思っています。

つまり今回のMU音が最も重要な神性
を表すという神衣氏の言葉には完全に
納得しましたが、現代日本ではそれは
「MI」という音でしか残っていない
という同氏の説には従わず、きちんと
残っている「無」という言葉をその
MU音の神性を表す言葉として解釈
したというわけです。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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