臨死体験後も絶対意識とともにあるアニータさんが伝える無限の自己とは?


この記事は
臨死体験で死を超えたアニータさんが
真の「生」に目覚めた!

の続編になります。

やはりアニータさんが他の臨死体験者と
決定的に違うのは、絶対意識レベルと
いう究極の領域にいけただけでなく、
なんとそれとともに、戻ってきたという
事なのです。だから、他の臨死体験者の人
たちと違って、真理について詳しく語る
事ができるというわけなのです。

絶対意識かそれに近い領域に、つかの間
アクセスできた臨死体験者は割合は、
わかりませんが、わりと多くいるよう
です。
そういう人たちの証言は「臨死体験中で
わからない事は何もなかった、それ
どころか、自分が問いを発したら即
答えが返ってくるという感じだった」
というようなものが多く、そして身体に
戻ってくると、それがどんな内容だったか
すっかり忘れてしまったというものが多い
のです。
ですが、アニータさんは絶対意識そのもの
になってそのまま戻ってきたので、癌も
全てその無限の自己である意識によって
完治できるという事を確信していたし、
またその通りの事をしてのけたのです。

これは私たちの感覚でいえば、瞑想など
で、ようやくチャクラが開き高次の世界
の領域に入り込むのとは違い、チャクラが
もう常に開いたままの状態として戻って
きたという事を示しています。
まあなんとも凄い、私たちもそうありたい
ですね。

とにかく絶対意識とともにあるという
アニータさんなら、その言葉は真理、
そして本質を語る事ができるわけで、
まさにそれを、今回取り上げさせて
いただくという事です。

ではアニータさんの著書からありがたく
引用させていただくとしましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「私たちの中に、全宇宙が存在します。
私が求めている答えは、自分の中に存在
し、あなたの求める答えも、あなたの中
に存在します。外部で起こっている
ように見えるらゆることは、私たちの
中にあるスイッチを押して、自分を
拡大し、真の自分を思い出させるために
起こっているのです。

私は“ハイヤーセルフ”“魂”“スピリット”
のかわりに“無限の自己”という言葉を
よく使っています。もう少しはっきり
させるために言えば、それは私が
臨死体験中に、自分が身体だけの存在
ではないと気づき、あらゆる存在と一つ
であると感じたものを指しています。
私は、無限のすばらしい存在として
純粋な意識と一つになり、なぜこの
身体と生命を得たのかはっきり理解
したように感じました。~
~物質的な身体を去れば、私たち全員
の無限の自己はすべてつながっている
と、私は信じています。純粋な意識の
状態では、私たちはみんな一つなの
です。
多くの人が、このような一つである
という感覚を、強烈な神秘体験に
おいて、あるいは自然の中にいる時
に感じています。動物やペットといる
時に感じる事もあります。
あらゆる創造物と一つになった結果
として、シンクロニシティや
超感覚的知覚のような現象を体験
する事もあるでしょう。
けれど一つであることに気づいて
いない人が多いので、このような
体験は頻繁には起こらないのです。
 実のところ、私という存在は、
この身体でも、人種でも宗教でも
どんな信念でもありません。
同じ事が他のすべての人にも
言えます。
無限の自己は、人生の航海に必要な
ものをすべて備えています。
なぜなら、私たちは宇宙エネルギー
と一つだからです。
事実私たちは宇宙エネルギーその
ものなのです。

臨死体験の最中、私は宇宙エネルギー
と一つになっていたので、気づいて
いないものはありませんでした。
まるで自分が全体を包み込んでいるか
のように、すべてがはっきりと
わかったのです。
自分があらゆるものになり、あらゆる
ものの中に存在している感じでした。
 自分のすばらしさを知り、宇宙と自分
が一つで同じものであると理解したこと
が、私の病気を治してくれたのです。
自分から分離した外部の創造物など
存在しないと気づくようになりました。
この気づきのおかげで、今では、強さ
や愛や勇気を持って物質世界と関われて
います。
 このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。
それぞれのラベルには特定の期待が隠れて
いて、その多くは、私たちを二元性の中に
閉じこめてしまいます。それゆえ、この
エネルギーを自分とは別のものだと見て
しまうのです。でも宇宙エネルギーは、
私たちの純粋な意識のように、無限で形
のない状態のままでいなければいけません。
その状態でのみ、宇宙エネルギーは私たち
と一つになり、ヒーリングや魔法や奇跡を
生み出せるのです。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

私たちはこの身体でも名前でも国籍でも
人種でも、宗教の信念でもないという事は
、同じく絶対意識状態に到達したデービッド
アイク氏も言ってます。やはり無限の全て
が自分自身であるという事を、何度も念を
押してくれているわけですが、
「私はデーヴィッド・アイクではない、
デーヴィッドアイクを経験している無限
なる意識である」という、わかりやすい
表現もしているわけです。
当然これは私たち全てにも当てはまる
という事ですね。

アイク氏もアニータさんも、絶対意識である
無限の自己、あるいは無限の意識の状態では
「神」や「仏陀」などの自分と分離した存在
はないとしていますが、ここはとても重要な
ポイントなのです。
今回の引用の後半がとてもわかりやすい説明
になっていますが、私たちは全宇宙の
エネルギーそのものであり、自分の中に全て
が存在するという事を言っているわけです。
その全宇宙のエネルギーとは、我々の観測
できる宇宙のという意味では、なく文字通り
全ての次元にわたったものである事は明らか
ですね。
そのエネルギーは形のないものという事
ですが、私が宇宙エネルギーの本質の一つ
として「真空」をあげていますが、ほぼ
同じ意味となります。形のないもの、
つまり素粒子さえない状態=真空という
事になるわけです。

そしてまたそれはアニータさんのいうように
宇宙エネルギーでもあり、気やレイキでも
あるという事です。そしてまた高次の意味
での意識もそれにあたります。

だからそのエネルギーと意識は同質のもので
あるという事をアイク氏も言っている
わけです。だからアニータさんの無限の自己
の代わりに無限の意識という表現をしている
といわけですね。

そしてまたアニータさんの「神」や
「クリシュナ」「仏陀」という存在は、自分
とは分離したものであるという錯覚を、
もたらす呼称で、二元性の中に自分を
閉じこめてしまう原因になっていると
説明していますが、まさにその通りで、
自分が全てと一体である無限の存在なのに
別に自分より格上の存在をつくって
しまったら、自分自身が無限の存在で
なくなるばかりでなく、単に神の前
では「無力でちっほけな自分」などの
ように、本来の自己像とかけはなれた
イメージを自分に持つようになってしまう
のです。もちろんそのような意識が、
アイク氏やアニータさんの絶対意識に
到達する事は不可能なのです。
神や仏陀を自分とは、別のものとして
捉えた場合、全てはその絶対的なものの
意志に従おうとするので、宗教で神の
代弁者のような神官などが、好きなよう
に「こんな事をしては神がお怒りです」
「そんな事を神は許しません」などと
いえばそれに従う、つまり「神と
神の代弁者」の奴隷になってしまう
という事なのです。無限の自己は誰かに
自分の行動を制限されたり、考え方や
感じ方の指導を受けなければならない
ものではありません。
全ての存在である自分が、全ての意識や
現象、行動の原点にあるという事なので
す。

ただこれはわがままというような
捉え方をすると間違う事になります。
無限の自己とは、無限の愛であると、
アイク氏もアニータさんもいってます。
全ての存在を愛するという意識、無条件の愛
こそが、無限の自己や無限の意識の本質
なので、そこからの意識や行動は愛に満ちた
ものになるという事なのです。

自分とは分離した、絶対的な存在があると
信じるか、それさえも自分自身そのもの
であるか、この違いはとてもなく大きい
のです。
これが最近もう一度投稿させていただいた
エベン・アレグザンダー氏が絶対意識に到達
できなかった、真の理由になっているという
事なのです。
事実、多くの臨死体験者たちは、光の存在
や絶対的な存在が、自分以外にいるという
捉え方をしています。
それはつまり輪廻転生をしていく時間の
マトリックスに囚われた意識と同じ質の
ものだといえます。
通常は、この分離と時間の感覚を持ったまま
の意識状態で、霊や魂として、絶対意識の
次元より低い状態で、何度も人生を経験する
ために肉体に宿る事になるわけです、
そしてまた自分のイメージがどれだけ
ポジティブなものかどうかで、また次の
人生での経験も変わってくるという事なの
です。
そのような輪廻転生のサイクルから脱却する
事を、仏教では解脱ともいいますね。
これは前回も使いましたが、要するに解脱
とは、無限の自己、無限の意識が自分で
あるという認識になる事だったという事
です。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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