臨死体験で死を超えたアニータさんが真の「生」に目覚めた!


今回は、臨死体験中に絶対意識領域に
到達したアニータさんが、末期ガンから
完全回復してのち、自身の臨死体験で
気付いた事を説明しているものを
紹介しようと思います。
特に輪廻転生について、通常思われて
いる認識とは違う視点を紹介されている
ので、とても興味深いと思います。
それに特筆すべきは、他のほとんどの
臨死体験者たちが、せっかくおおいなる
叡知を獲得したように感じたのに、肉体
に戻るとそのほとんどを忘れてしまった
ような証言とは全く違い、アニータ女史
は、その絶対意識の叡知を自分の中に
永続させたまま肉体に戻ってきたと証言
しているのです。
これもやはり経験した認識レベルが群を
抜いて高かった事の裏付けになって
います。

「」内が引用で、~は中略です。

「臨死体験中、私はまるで、全宇宙とその中
に存在するあらゆるものとつながっている
感じがしていました。
宇宙は生きており、ダイナミックで意識を
持っているようでした。私は、身体を
通して表現しているすべての考え、感情、
行動が、宇宙全体に影響を与えるのだと
わかりました。
実際すべてが一つである領域では、全宇宙
が私の延長であるように感じられたのです。
もちろんこの理解によって、ものの見方は
劇的に変わりました。私たちは、自分の
感情や思考や行動によって、この世界や
その中にある私たちの生活を共に創造して
いるのです。~
~わたしは今、自分に必要なものはすべて、
すでに自分の中に存在しており、自分に
とって真実だと感じるものに心を開きさえ
すれば、それがすぐに手に入るとわかって
います。

臨死体験の前、おそらく私が生まれた文化的
背景によるものでしょうが、私の人生の目的
は、至福の境地に到達すること、すなわち
誕生や死という輪廻転生を超えて進化し、
二度と身体に戻ってこないように努力する
ことでした。もし私が欧米のような文化圏で
成長していたら、天国へ行けるように努力
していたでしょう。死後の幸せのために生き
ようとするのは、どんな文化でも一般的な
目的であるはずです。
(引用注:現在の日本人は、西洋科学の
教育での世界観により、肉体が離れた後
については、イメージすら持てない人が
多くなっているので、まさに物質的な
次元でしか自分を捉えられないように
なってきていると思われます。)

けれど、臨死体験のあと、私はまったく違う
ように感じています。今の人生が終わった
あとも生き続けると知っているので、肉体的
な死を恐れておらず、今自分がいる場所以外
のところへ行きたいという願望もなくなり
ました。もっと地に足をつけて、死後のこと
よりも、今この瞬間のすばらしさにすべての
注意を向けようと思っています。
 これは一つの生涯が終わり、次の生涯が
始まるという従来の輪廻転生の概念が、
臨死体験で私の経験したこととは異なって
いたという理由によるものです。私たちが
身体や思考というフィルターを用いない
かぎり、時間は直線的なものではないと
はっきりわかりました。
もはやこの世の感覚に縛られなくなると、
あらゆる瞬間が同時に存在するのです。

(引用注:この無限の時間が同時に存在
するという認識こそ、私が神秘研究をし
始めた頃に、勝手に自分の中に飛び込ん
できた、覚醒体験のような時の認識です。
このブログでもこの概念を説明して
いますが、臨死体験体験者でも最高の
境地に達したアニータ・ムーアジャニ
女史にそれをはっきりと裏付けていただ
けるとは、本当に心強い限りですね)

輪廻転生の概念は一つの解釈に過ぎず、
私たちの知性が、すべては同時に存在
していることを理解するための、一つ
の方法なのです。

(引用注:アニータ女史は輪廻転生で
過去生を見るというのは、単に同時に
存在する別の存在の意識にアクセス
できただけなのではないかと、言って
おられますが、これはアニータさんが、
全ての人が肉体を離れたら、そのまま
絶対意識レベルに到達できるという
前提のもとに説明しておられます。
これは絶対意識に到達したがゆえの
盲点でもあるのです、つまりそれより
下のレベルの意識の状態であれば、
死後もその直線的な時間のまま輪廻
転生を繰り返す意識も多くある事が
たぶん認識できていないからでしょう。
同様にアニータ女史の絶対意識レベル
とは対極にある究極の分離意識で
ある邪悪な意識というものは、全く
認識できないのです。つまり完全
調和の絶対意識には、邪悪なレベル
は存在しないというように認識できて
しまうのです。事実私たち肉体に
囚われた意識が、そのネガティブな
意識の影響を受けるのは、本来
存在しないはずのものを、存在する
ように認識するためにプログラム
されているからなのです。そして
その囚われた意識のまま輪廻転生する
意識も多くあるということなのです。
それが前世での肉体的な傷を受け
継いで生まれて来たり、その体験時
の恐怖や習慣などを身につけたまま
生まれてくるという事の理由です。)

私たちは、時間が過ぎると思って
いますが、臨死体験をしている時には、
時間はただ存在していて、自分が
時間の中を移動しているように感じ
られました。時間のあらゆる点が同時
に存在するだけでなく、向こう側の
世界では、私たちは、速く進んだり、
遅く進んだりすることができ、さらに
、うしろにも、横にも動けるのです。
 しかし物質的次元では感覚器官の
せいで制限が与えられます。私たち
の目は、この瞬間に見えたものだけ
に気づき、耳も同様です。思考は
一つの瞬間にしか存在できないので、
瞬間と瞬間をつなぎ合わせて、
直線的な一連の出来事を形成します。

(引用注:この場合の思考とは、私
たちが日常生活で使っている左脳の
思考で、右脳や松果体などを使っての
思考とは全く次元が違います。この
時点でのアニータさんには、左脳と
右脳の違いなどは頭になかったの
だと思われます。)

でも身体から自由になると、私たち
は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
を通してではなく、自分の気づき
だけで、すべての時間や空間の中を
動けるのです。
私たちは、純粋な意識そのものに
なります。

(引用注:これは身体から離れても
気づきをともなった意識があると
いっておられるわけです。これも
高度な思考の一種なのですが、左脳
のように答えを導き出す思考をする
必要はなく、すぐに答えが返って
くるようなものだという事で、通常の
思考とは違うものです)

臨死体験の中で、私はこのことを
体験しました。
兄が私に会うため飛行機に乗って
いることにも、医師が病室から
ずっと離れた廊下で話しているのにも
気づいていました。自分の将来に
ついてもたくさんのことを理解しま
した。もしこの世に戻らなかったら
どうなるか、戻ったらどうなるか、
すべて明らかでした。
時間も、空間も、物質も私たちが
通常考えているようには存在しないと
わかったのです。
臨死体験の中で、過去でも未来でも
どこにでもいける感じがしました。

(引用注:これは彼女が臨死体験中に
絶対意識に到達したという事を示して
いて、遠く離れた場所を感知できたの
は、全てと一体になっているからで、
当然あらゆる場所も自身の内にある
からです。また時空の全てを感知
できて、意識次第であらゆる時空を
感知できるのも絶対意識の特質です。
まあつまり全知・万能で全存在だと
いう事です)

そういうわけで、人々が゜“過去生”を
ちらりと見たというのは、実は、平行
もしくは同時に存在したものが見えた
ということだと信じるようになりま
した。
なぜなら、すべての時間は同時に存在
しているからです。
私たちはみんなつながっているので、
他人の現実が私たちの現在の瞬間に
少しずつ入り込み、それがまるで
自分の記憶であるかのように広がって
いくことも可能なのです。」

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

最後の輪廻転生の事に対してのアニータ
さんの境地は貴重だと思います。
時間が全て同時に存在しているとしたら
、何度も生まれ変わっているというより、
過去生での経験は、自分が同調したもの
になるという事も理解できますね。
ですが、過去の人物の記憶と、またその
人生での傷やトラウマ、習慣などを
受け継いで生まれてくる場合はどう
でしょう?
アニータさんのいうような、過去生を
チラリと見たのと全く違って、完全に
過去生の記憶を持って生まれて
きた子供たちというのは、数千例にも
及ぶ疑いようのない事例があるので
明らかにそれを前世記憶と捉える
理解の仕方もあると思います。

これについては
前世記憶(転生)について その1
という記事など、いくつもの記事に
わたって
取り上げています。

二千例にも及ぶ過去生の記憶を持つ
子供たちの事例を、本当に正確な
調査方法として、調査してきた
という事を著書にまとめておられ
ますが、彼について、彼の調査ぶりを
一例だけ転載しておきましょう。


前世記憶つまり転生の裏付けとなる
事例に徹底して、厳しい調査を繰り返して
きた科学者で、最も有名で信頼されて
いるのが、イアン・スティーヴンソン教授
という人物です。
この人の凄いところは、徹底した研究の
仕方で、共同研究者たちとともに、その
前世記憶を持った子供(たいていのケース
では7歳頃までになくなるらしいです。
これって月の影響の年齢までという事
ですよね。実はこの事は別の重要な事と
つながります。また別に書かせていただ
きます。)を尋ねて現地までいき、その
証言の裏付けを徹底する事にあります。
なんとそのような事例を2000以上も
集めたというのです。
これは、まさに前世記憶が、れっきと
した真実であるという事を完全に裏付けて
いるではありませんか!
しかし、このイアン・スティーヴンソン氏
の凄いところは、これだけの証拠事例を
集めておきながら、前世記憶が転生を
裏付けるという事を主張してはいない
と明言しているという事です。
なんという謙虚さでしょう。例の
公式のアレとは比べ物になりません。
あちらは、「一見赤方偏移が遠ざかって
いる星の動きに想定できる」という
理由だけで、他の光の屈折などの可能性を
勝手に排除して、そこからの類推で
宇宙の起源とビッグバンをでっちあげて
完全な真実として、喧伝し続けて、
いつのまにか常識にしてしまうような
公式のアレとは比べ物になりません。
とにかくその謙虚で真摯な同氏の著書が
邦訳で出てましてそれが、
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”
です。これが今私の手もとにあるという
わけですね。
このシリーズではその徹底した研究ぶり
のいくつかを紹介させていただこうと
思いますが、最初はやはりこういった事例
に対して、懐疑的や否定的な人たちのために
物理的な証拠も合わせて見られる事例を
取り上げることにします。
例によって「」が引用で~から~までが
中略です。

「コーリス・チョトキン・ジュニアの事例

 アラスカに住むトリンギットの老漁師
ヴィクター・ヴィンセントが姪のコーリス・
チョトキン・シニアに向かって、自分が
死んだらおまえの息子として生まれ変わる
つもりだ、と語ったことが本例の発端に
なっている。

ヴィクター・ヴィンセントは姪に小さな
手術痕を二つ見せた。ひとつは鼻柱の
近くにあり、もうひとつは背中にあった。
その痕を見せながら姪に、このふたつの
痕跡と同じ場所にあざがあるから
(来世では)すぐ見分けがつくはずだ、
と語ったのである。
ヴィクター・ヴィンセントは、一九四六年に
死亡した。
その一年半ほど後
(一九四七年一二月一五日)、
チョトキン夫人は男児を出産した。その子は
、父親の名前を襲名し、コーリス・
チョトキン・ジュニアと名付けられた。
コーリス・チョトキン・ジュニアの体には
母斑がふたつあった。母親のチョトキン夫人
によれば、その母斑は、以前伯父の
ヴィクター・ヴィンセントが見せてくれた
手術痕と全く同じ部位にあったという。
私がこの母斑を見たのが一九六二年で
あったがチョトキン夫人の話では、生まれた
時にあった位置からはふたつとも既に離れて
しまっているとのことであった。
とはいえ、ふたつともまだかなり明瞭
であり、特に背中の母斑は印象的であった。
長さ三センチ、幅五ミリほどの大きさで、
周囲の皮膚に比べて黒ずんでおり、わずか
に盛り上がっていた。手術痕が癒えた時の
状況とよく似ており、大きな母斑の両側
の、手術で切開した皮膚を縫合する糸が
あるはずの位置に、小さな丸いあざが確かに
ついていたため、手術の痕に似ているという
印象をますます深めたのである。
 コーリスが一歳一ヶ月になったばかりの頃
、母親が名前を復唱させようとしたところ、
コーリスは腹立たしげに、「僕が誰だか
知っているよね。カーコディだよ」と
言った。これは、ヴィクター・ヴィンセント
の部族名であった。コーリスが自分のことを
カーコディだと言った話をチョトキン夫人が
ある叔母にしたところ、その叔母は、
コーリスが生まれる直前、ヴィクター・
ヴィンセントがチョトキン一家と暮らす
ようになる夢を見た話をしてくれた。
チョトキン夫人によれば、ヴィクター・
ヴィンセントが自分の息子に生まれ変わると
予言していた話をそれまでその叔母に一度も
したことがなかったのは確かだという。
 コーリスは、二、三歳の時に、ヴィクター
・ヴィンセントの未亡人を筆頭として、
ヴィクターが生前知っていた人物数名を独力
で見分けている。コーリスは、通常の手段
で知ったとは考えにくい、ヴィクター・
ヴィンセントの存命中に起こったふたつの
出来事についても言い当てているという。
また、コーリスはヴィクター・ヴィンセント
とよく似た行動特徴もいくつか示している。
たとえばコーリスは、髪の梳かし方が
ヴィクター・ヴィンセントと瓜ふたつで
あったし、ふたりとも吃音があり、船や海
の上にいることを非常に好み、きわめて
宗教心が強く、しかも左利きだったので
ある。コーリスはまた、小さい頃から発動機
に関心を示し、発動機を操作・修理する技術
も持っていた。母親の話では、コーリスは
船の発動機の操縦法を独学で習得したと
いう。コーリスが父親からこの技術を受け
継いだり学んだりした可能性はない。
父親には発動機に対する関心も発動機を
操作する技術もほとんどなかったから
である。」
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”

まあこれは間違いなく、過去の人生で
老漁師だったヴィクター・ヴィンセント
の霊または意識または魂が、このコーリス
・チョトキン・ジュニアという子に
宿ったといえる事例でしょう。』

私は、これは意識レベルの問題
だとおもうのです。つまり、肉体を離れた
あとも、絶対意識などに到達していない
場合、魂はまだ時間のマトリックスに
囚われたままなので、もう一度肉体に
ある前世での記憶や経験を持ったまま
宿る事になっているのだと思うのです。

ただしそれでもそれが転生である事を
意味している事に充分な条件を持っている
という事ではありません。

なぜなら、ひとたび人が生に意識を
宿らせる時には、当然親から引き継いだ
DNAの電磁気情報、そして宿った時点
での宇宙的環境の電磁気情報(生として
宿る時点での電磁気情報は、時間の
概念が関係がなく、生が宿っている
かどうかの状態だけに与えられる
電磁気情報なので、人生全般に影響を
受ける情報として影響を受け続けると
いうわけです。)そしてその生の宿る
時点に同調した思念・マインドも
ともに自分に備わるという事になる
ので、過去生のマインドが、その人物の
全ての意識として生を受けたというわけ
ではないという事です。

つまり結論をいえば、過去生の記憶は
ある場合があるけれど、それは本人の
意識の一部でしかなく、転生という
表現があてはまらないという事になる
というわけです。

つまり意識には様々な段階があり、
アニータさんのように、時空の全てを
意識できるような絶対意識に到達すれば、
もはや時間に囚われたマインドの輪廻
転生のサイクルの意識からも自由に
なれるという事ではないかという事です。
これは釈迦のいっていた「解脱」という
ものと同じではないでしょうか?

もちろん解脱したからといって、なんらか
の生に再び宿る事は可能です。
むしろあらゆる次元のあらゆる意識の
経験を試す幅が、無限になると捉えても
良いと思います。

では今回はこのへんで(^^)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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