この記事は
超古代世界の共通言語にみられる
kamu(神)という言葉
の続編になります。
前回超古代での最も重要な神を
あらわす言葉が「kamu」で、
これが世界中の言語に用いられている
という事を紹介しましたが、今回は
この「kamu」という言葉を
さらに分解して「KA」と「MU」に
して、解釈したところ、この「MU」音
こそが、超古代の源となる言語の音だと
いう事なのです。
まずは前回「kamu」が世界中に
見られたというところからの引用です。
「」内が全て引用で、~が中略です。
途中大きく私の注釈が入る箇所があり
ますが、(引用注:)としておりますの
で、なんとか読み進めていただきたいと
思います💦
「神がすべての中心であった時代のその
神性を意味した言葉-kamu。
その時代も彼らにとってこの言葉は神
そのものだった。
さて、この、世界の言語が一つであった
証拠を握る「kamu」。
この言葉は、何ゆえにそれほどまでに
神聖視されていたのであろうか?
この言葉には問題の「ムー」と同じ
「MU」の音が含まれている。~
~実は、これから明らかにしいくように
、この語が聖なる言葉であったのは、
この言葉に含まれた「MU」音こそ、
人類最初の聖なる言霊であったから
なのだ。~
この「kamu」なる語の起源の分析
には様々な変韻を経た世界の無数の言語
の中で、最も変化の少ない言語を探さ
なくてはならない。
英語の「heaven」と比較しても
分かるように極東語(日本語・アイヌ語
・韓国語)は、この「kamu」なる語
の変化が最も少ない言語である。中でも
アイヌ語ほど貴重な言語は他にない。
アイヌは、文化的にも世界で最も古い
汎神論的宇宙観を近代まで維持してきた
民族であるが、その言語も、最も古い
希少な性質を維持しているのだ。
その性質とは、多くの単語の意味を
音の単位にまで遡ることができる
という古代を知る上でこの上なく貴重
な性質である。
(引用注:後でも説明させていただき
ますが、この汎神論つまり自然万物に
神が宿るという思想は、近代どころか
現代まで日本には受け継がれている
のです、そしてまた多くの単語の意味
を音の単位まで遡る事ができるという
性質もアイヌ語に劣らないという事を
私はここに提唱しておきます。)
このアイヌ語と同じく古い性質を持つ
古代日本語を相互分析することにより、
この太古の聖なる語の起源を解き明かす
ことができるのだ。
(実は、このアイヌ語と古代日本語から
再生できる「原日本語」は、人類最初
の言葉に限りなく近い言語であるのだが
、その理由については後述する)~
~「MU」は人類最初の聖なる語であった!
言語は本来、一つの音で一つの概念を
表していたものであり、この語も
kaとmuにそれぞれの概念があった
はずである。
「KA」はアイヌ語で「上」を意味し、
古代日本語にも同様の意が認められるが、
「MU」に関してはアイヌ語でも単独の
意味を見いだすのは難しい。
(引用注:ここで著者の神衣様が、
日本語でその単独の意味がある事に
気付いておられないようなのが、
なんとももどかしい限りです。
日本語に単独の意味の言葉がある
ではないですか、つまりそれは
「夢」「無」「武」「霧」「身」
などいくつもの言葉に単独の
意味があるのです。最後の身はやはり
「MU」とも読めるのです。
特に重要なのが「無」という言葉
です。全てが無い状態であり、また
全てを生み出す元の状態でもある
虚無の空間、無の時空を示す事
ができるものなのです。
このように世界の最古の最も聖なる
音「MU」音に単独のしかもとても
重要な意味である無という言葉が
あるのは、つまり世界でただ一つ
日本だけという事になり、神衣氏
には申し訳ないですが、日本語こそ
単独で世界最古の言語であったと
いえると思います。
ただしアイヌ語にもMU音が単独
で使われている意味があるというの
もまた紹介しておられます、結局
どちらなんだという感じですが、
また単独の意味を見つけるというのが
難しいと、いっておられるという事は
とても希少ではあるが、なんとか
見つけられるという事だったわけ
でしょう。
でその単独の意味を持つ「MU」音
のアイヌ語ですが、下にも取り上げ
られている、「身と実」これはアイヌ語
では「MU」と発音するらしいです。
という事は、やはりアイヌ語も重要だ
という事ですね。
しかし、意味が実体をあらわしています。
という事は、時空すべての原初の意味
である「無」を意味する日本語の
方が、より重要だと私は考えると
いうわけです。少なくとも無という貴重
な単独の日本語を外して説明されている
というのが、少し残念なところであった
なと感じるところですね。つまりアイヌ語
には、身や実などの実体を示す以外の言葉
が、ないという事からも日本語の方が
より原初の言葉であると思われます。)
しかし「MU」という音をアイヌ語から
拾いあげてみるとおもしろいことが
わかる。
kamui(神)
ramu(魂・精神・心・命)
ramu(思う・考える)
mu(身・実)
などがこの音を含む語であり、それ以外
の言葉には「MU」の音はあまり出て
こない。
(引用注:なんと「MU」音を含む語
となるとアイヌ語はこれだけだと
いう事ですが、日本語では無を使った
複合語であればいくらでも出て来ます。
「虚無」「無意識」「無為」「無味」
「無垢」「無念」「無神」「無心」
「無私」あと他の言葉でも「夢想」「夢中」
などいくらでもあります。やはり
こういう点からでも日本語の方が古代の
原初の言葉であったと思えます。
ここで神衣氏の思想と、私の見解の相違
について説明しておきますと、神衣氏は
アイヌ語の「MU」音である「身や実」
が、汎神論(アニミズム)のいう自然
万物に神が宿るという事で、アイヌ語を
特に重要視しておられますし、神衣氏は、
汎神論こそが、世界の最古で最も価値の
ある思想のように、説明しておられます
が、私の場合は、神という他者を設定
しない全てと一体という意識の方が、
よりレベルの高い思想だと思っている
ので、自分と分離した存在である実体を
示す「身や実」という言葉より、すべて
のものと一体である自己を意識する
ためには、分離した他者である実体
を示す言葉を使わずに、むしろ他者が
無い状態、また物質という感覚の無い
状態を示す「無」の方がより重要だと
考えるわけです。
古代日本には全てのものと一体であり
また一切のモノの本質は無であるという
意識・思想があったと考えられるの
です。もちろん自己の意識は当然ある
わけですが、それも実体としては無い
という事です。
すいません次の神衣氏の説明は、私
の注釈の直前のアイヌ語の「MU」音
を使った言葉の実例を受けてのものに
なります)
これらの語にはある共通性が見いだせる。
それは、これらの語は、どれも彼らの
アニミズム的宇宙観の中枢にあたる
非常に重要な語(「身」や「実」に重要
な意味があることは後で述べる)
であり、しかも、これらすべての語の語源
は、「kamui」が「kamu」であった
ように、日本語のこれらの語の語源と
まったく同じなのである。
すなわち、これらの語はすべてアイヌ語と
日本語が枝分かれする以前からの語なの
である。
共通起源が見いだせる重要語である
これらに共通し「MU」が含まれている
という事実は、この音こそ、太古の最も
重要な概念を持つ音であろうことを示唆
しているのである。」
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
神衣志奉著
中央アート出版社 ”
今回は私が、申し上げたい事は、引用注で
だいぶ書かせていただきました。
神衣氏は、アイヌ語を最も高く評価して
おられますが、現代日本語にも残る
重要な言葉「無」を見逃している時点で
「日本語」が単独でも、最も太古から
存在する言葉である可能性を、説明できて
おられないと感じます。
まあどちらにしてももともとアイヌ語と
古代日本語は共通の言葉であったと考え
られるとしておられる事から、大した違いは
ないのですが、汎神論こそが最も貴重な太古
の思想であるという事に関しては、やはり
絶対意識につながる全てが一体という思想
の方がより貴重であると思わざるを得ま
せん。太古からの賢人たちが、この世は
全て一体であるという事を言葉にしてきた
という事は、人と神という分け方をしない
という意味で、汎神論より上の思想が
太古からあったという事になります。
もしもともとの人類の方が本質を捉え
られていたとするなら、その最高の
思想の方が最古の思想だったと想定
できるわけです。
事実、数10万年前から左脳の損傷が
始まり、人類の意識は劣化してきた
という研究結果を記事にもしてきま
した。
そしてさらにこのすべてと一体である
思想は、他を示す万物の本質が実体の
ないものであるという意味が含まれて
いるので、「無」という言葉を持っている
日本人こそが、その思想を持っていたと
考えるわけなのです。
つまり現代にも残る日本語こそがその
太古から残る原初の言語だといえると
思います。
もちろんそれはアイヌ語と分かれる
前の原日本語という事になりますが、
アイヌ語に比べて現代の日本語が、
後から出来たものではないという事を
今回付け加えさせていただきたかった
のです。
しかし驚く事にこの「無」という単独
での言葉を「MU」という音を中心に
して説明しながらついにこの貴重な
神衣氏の本の一冊を通してどこにも
見当たらないのです。
これは、言語学者である神衣氏の盲点
だったのかも知れませんね。
文字通り言語は「無」から生まれた
のであり、その無という言葉自体も
日本語の「無」から発しているという
事です。
さらに追記
アイヌ語では「MU」音を、「身」や
「実」という実体であらわして、古代
日本語から現在に伝わる日本語では
「無」という、実体のないもので表現
していると記事に書きましたが、それは
汎神論(アニミズム)としっかり
つなげて考える事ができるという事に
気付いたという事なのです。
そもそも汎神論というのは、万物に神が
宿り、神と自然物は一体だという思想
だったのですが、この場合物に宿る
神の方がより神聖で高次のものである
のは明らかですよね。
つまり宿られるモノの方ではなく、宿る
神が主体で、しかも一つのものである
という事なのです。
つまりアイヌ語のように、神を万物と
捉えるような言葉の表現よりも、万物
に宿る方の神、つまり実体のないものの
方に神聖な意味を持たせたのが、「無」
という言葉で、確かに実体のないものと
して、神聖な言葉として日本では使われて
いたと思うのです。
アイヌ語では、実体のある万物
日本語では、それら万物の背後にある
「無」を意識して使用されていたと
思います。
というわけで、最古の宗教観であると
いわれる、汎神論(アニミズム)
の概念を使えば、意外に簡単に説明できて
しまったという話です。
さて次回からは「MU」音がさらに音
の変化によってあらゆる言葉に広がって
いったという神衣氏の研究成果を、
ご紹介していこうと思います。
ではまた(^^)/
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