今回比較するサビアンシンボルは
蟹座2度
「広く平らな場所の上に
つるされた男性」
です。
私は、サビアンシンボルは、地上に届く
宇宙エネルギーをそのまま読み込んだ
ものだと解釈しているので、当然
ポジティブなものもあれば、ネガティブな
ものもあります、毎日のサビアンシンボル
は、そのサビアンシンボルそのものの
解釈をしているわけで、個人にそのまま
あてはめるのとは意味が違うという事を
ご理解ください。
もしネガティブなシンボルが太陽に
あっても、個人のエネルギーは必ず
それを自分用に編集して取り込む事が
できるのです。だからあなたのサビアン
シンボルという解説では、太陽を持つ
場合などでネガティブな解釈がほとんど
ないという事になるわけです。
また許容範囲の前後1~2度も、当然
自分のシンボルだと考えていいわけで、
(特に直前のシンボルと、進行の1~2
度の影響が強いです)柔軟に捉えるもの
だという事なのです。
さてこの蟹座2度のシンボルの解説を
すでに毎日のサビアンシンボルで紹介
していますので編集して転載します。
蟹座の意識が目覚め始めることによって
双子座まで個人の成長を主体にしてきた、
エネルギーが、集合意識の強制的な影響を
受け始めるといいましたが、これは
蟹座の支配星が月だということも大いに
関係があります。
月についてでも説明させていただきまし
たが、月の影響というのは一般に流布され
ているほど、ポジティブなものではないと
いうのが私の解釈です。
幼少期に無意識のうちに大きな影響を及ぼ
すだけでなく、太陽のような支配的な天体
が蟹座に入るたびに大きな影響を個人に
もたらし、本来の私たちの魂に対して、
「集合意識的な制限」をもたらすのです。
もちろん我々の本来の宇宙全体にわたる
意識は、それをやがて自分の人生のエネル
ギーとして消化し、利用できるようになり
ますので、蟹座の度数が進行していくと
月のエネルギーを自分のものにしていける
ようになりますが、双子座から蟹座に
移行する時には、このように大きく
ネガティブな影響ももたらすのです。
この広場に吊された男は、まるで
タロットカードの「逆さ吊りの男」のよう
ですが、大衆の前で罰されているような
イメージなので、個人が集合意識に
強制的に自由を奪われなおかつ、個人とし
ての尊厳も失われている状態です。
元記事の蟹座2度
では、このネガティブなシンボルの利用
の仕方について、詳しく説明しています
ので、またご覧いただければいいかと
思います。
さてでは松村潔氏の解説をまず引用
させていただきます。
(松村氏や直居氏の場合は個人にあて
はめて解釈しておられますので、幾分
好意的な解釈になっているように
思えます)
「」内が引用で、~が中略です。
「この度数の人は、大きな普遍的な価値観
に従うことで、広い視野を手に入れます。
それは個人の努力では決して得ることのでき
なかったヴィジョンではありますが、しかし
あまりにも広大すぎて、何をしていいのか
判断がつかないかも知れません。~
~大きな非個人的な基準というものは、
たいていは伝統的で、昔からずっと続いて
きたような思想や生き方であることが
多いので、それは深みや広がりをもつことが
多く、それにどっぷり浸かると、初めは
この中での自分がどういう役割をしていい
のかわからなくなり、広大なサバンナに
放置された小石のような感覚になるはず
です。これが「平らな場所につるされた男」
という意味です。しかし、双子座の時の
ように個人でがんばってきた時には見え
なかった重層的な意味や意識の広がりが
あり、空虚な場にいるわけではなく、
むしろ豊かな可能性を感じるのです。
一つのことを考える時にも、細部よりも
全体を見ることができるので、視野の広い
人になるでしょう。」
“出典:「決定版!!サビアン占星術」
松村潔 著
Gakken刊”
確かに、個人の意識が、大きな普遍的な
価値観に従うという意味では、共通して
いる事になります。
ただ松村氏の場合は、個人にあてはめた
解釈という事で、ここで大事な意味を
与えておられるのです。これが広大な
ビジョンつまり広い視野という事です。
確かに逆さまになっているので、それまで
の視野とは全く違ったものを手にする事が
できた意識というわけですね。
ネガティブエネルギーを、逆手に取って
自分のパワーに変える事の典型例でも
ありますし、松村氏はこのシンボル
自身にその力があるという事を示して
おられるという事です。
さて次に直居あきら氏の解釈をみて
いきましょう。
サビアンシンボルは、ルディヤー氏の
解釈によるものです。
「」内が引用で、~が中略です。
「キャンサー 二度
「魔法のカーペットに乗った人が
足下の広大な土地を眺める」
シンボル課題
【急上昇・立場を得る・どことなく
不安な心理】
~このディグリーでは、人は新しい立場
に自分を合わせるのに、ある種の動揺を
感じるだろう。こうなるとは思っても
みなかったからだ。これまで以上に
トータルに俯瞰的に状況を洞察しなけれ
ばならない。慎重な言動、客観的な思考、
プレッシャーに打ち勝つ気力などは
どうしても求められるものである。
このディグリーの人は成功が精神的重荷
になることもあるが、しかし、新しい立場
は、この人の隠れた才能や魅力を引き
出してくれることも確かである。」
“出典:「定本サビアン占星学」
直居あきら著
魔女の家®BOOKS刊”
これは、またディーン・ルディヤー氏の
サビアンシンボル解釈がやたら原典から
飛躍したものになりました。
私は、あくまでもエリス女史の
チャネリングイメージをそのまま受け取る
解釈をしているのですが、占星術家として
の大家であるルディヤー氏は、そこに
独自の解釈を持ち込んでいるようですね。
私の場合は、エリス女史の超常能力を
そのまま受け取り、さらに自分の真理に
ついての研究成果を加えて解釈している
ので、両者とは全く違う解釈の場合も
出てくるわけです。
直居氏の解釈は、この魔法のカーペット
に乗った人というイメージをもとにして
のものなので、当然吊された男性という
もとのエリス女史のイメージとは、全く
違うものになります。
原典では、吊されて身動きができない
状態であるはずなのに、こちらでは
魔法のカーペットに乗って、自由に
大空を飛んでいるわけですから、全く
逆な解釈といってもいいくらいですね。
松村氏の場合は、吊されている事で、
逆に特別な視野を手にしているという
ことでしたが、この直居氏の場合は、
立場がすでに予想以上の飛躍を遂げた
ため、逆にあとから視野を手にしよう
としているという事になっています
ので、こちらも逆の意味となります。
ただ松村氏と同じ様に、動揺しながら
も対処しようとしているので、その点
では共通点があることになりますね。
今回も三者三様の解釈でしたが、個人的
な解釈として捉えていない私一人が
ネガティブなイメージとしてのみ説明
しているようですね。
さてマーク・エドモンド・ジョーンズ氏
の原典でのキーワードは
「熟慮・沈思」
という事です。
なるほど自らを、逆さにするという
見方になれば、ビジョンを手に入れる
ために、修行をしているようにも
思えますので、そんな感覚の解釈なの
でしょう。
つまりこちらは、深い思考という事で、
松村氏の視野の広さを手に入れることと
似たイメージになります。
おそらく吊されて頭が下に向かっている
ので、沈思というイメージになったのだ
と思われます。
またサビアンシンボルを、比較しながら
解釈を深めていきたいと思います。