永遠の命は神から与えられなくても、すでに我々のものだった!


私が、ブログでどうしても伝えたいと
思ってきた事が、私たちが永遠で
無限の意識として一体であり、決して
死なず、消え去る事もない存在だと
いう事です。

私たちの本来の実体というか、
本来の自分という存在は、五感で
捉える事のできない、非物質の
「意識」だという事です。

そして無限の意識でもあり、全ての
存在が実は一つであって、全宇宙、
全次元の時空で、全てを知り、
全てを可能にする事ができる
まるで全知全能の神のようなもの
だという事です。

ただし、それをこの五感の認識に
囚われた肉体の意識、つまり
ボディマインドで実感する事は
ほぼ不可能だという事です。

臨死体験や対外離脱、また深い瞑想、
超常体験や、特別なゾーン状態、
さらには五感の意識を麻痺させて
松果体の感覚を活性化させるような
アヤフアスカのような自然の向精神薬
などによるような、特別な意識状態に
ならない限り、その究極の意識を
感知する事は、とても困難です。

とはいっても、その究極の意識とは
私たちと分離して存在するものでは
なく、到達するという言葉もタイトル
画像にあるように、誤解を生む
表現です。
まさしく究極の意識は、我々の内なる
意識の領域と一体なので、それを
感知するのが困難なくらい、一部の
マトリックスのボディマインドの意識
状態に囚われているという事なのです。

ですが、その究極のワンネスの意識、
私が「絶対意識」と呼ぶような境地
に至った、アイクとアニータ女史
その他多くの覚醒者、古来の賢人
の言葉で、私たちは自分たちの本来
の究極の意識がどういうものである
かを知る事ができるという事なの
です。

私も特に幼少期にそういう感覚を
身に覚えていた実感はあります。
その時に得た、世の中の本質的な
知恵は、いったん物質世界で成長して
いく過程で、忘れかけていたのですが、
20代後半の時に、精神世界の探求と
学びを始めたのも、そういう幼少の時
の感覚があったからだと思います。

そして、古来からの賢人や覚醒
した人たちの言葉を学んでいくに
つれて、
これは幼少の時に自分が感覚で
得ていたものと本質的に同じものだと
わかったので興味を持って、探求を
進めて、
多くの驚くような発見の連続とともに
今にいたるわけです。

さて究極のワンネスである絶対意識
がどんなものか、具体的にわかり
やすく説明してくれたのが、デービッド
アイクとアニータ女史だったというわけ
です。

では今回はアイクの絶対意識状態の説明
を観てみましょう。

南米ブラジルでアヤフアスカを
服用して到達したアイクの究極の
絶対意識の内なる言葉について
ですが、あまりに多くの情報量なので
二回の記事に分けます。
わりと私の注釈が、わかりやすいと
思うので、それに注目していただき
たいです。


「私は、ブラジルの熱帯雨林で開催
されるイベントに講演者として招待
され、アヤフアスカという熱帯雨林
植物から製造した精神活性剤を飲む
ことになった。これは短くとも
数百年間、南米のシャーマンが五感
レベルの現実を超えた意識へと人々を
導くために利用してきたものである。
見えない領域を経験させてくれる
「教師の植物」と言われ、その経験
を通じて自分自身、生命、そして
現実とは何かについて多くを学ぶこと
ができる。

また「神々の植物」とも言われるが、
これは神話の神々が住んでいる次元
を見せてくれるからである。~
~アヤフアスカには、哺乳類や植物の
代謝で自然に分泌されるDMT
(ジメチルトリプタミン)のような
強力な幻覚を誘発する特性が多く
含まれている。DMTのことを
「精神の微粒子」という人もいる。
そのときまで私は精神活性剤を服用
した経験はなく、その後もブラジル
での体験の数週間後に微量の「魔法
のキノコ」を摂取したことがある
だけである。だがこの現実を超えた世界
を見てみたいという欲求のため、私は
どうしてもアヤフアスカを試してみた
かった。 

私は2003年1月にブラジル北部の
マナウスに到着し、熱帯雨林の現地へ
1時間かけて車で向かった。
アヤフアスカは、ブラジル各地で宗教
儀式に使われており、そうした状況で
利用することは極めて合法的である。
もちろん「西洋社会」では所持も服用も
違法である。
通常この薬があれば、五感を超えた現実
へと根源意識を目覚めさせることができる
からだ。

(引用注:これが私がこれまで、説明
してきた、支配層血族の都合という
ものです。彼らは私たちに覚醒して欲しく
ないという事です。そうなれば、都合
よく支配できなくなるからという事
でもあります。)

私は大きな木製の
「丸い家」の床に、暗闇の中、横た
わった。一緒にいたのは主催者の一人
で、あらゆる種類の薬物・配合に経験
豊かなゾーだけだった。

(引用注:つまりアヤフアスカを安全に
服用させるための、案内人のような存在
の事を総称してゾーと呼ぶようです。)

熱帯雨林にあるもので彼が飲んだり
吸ったりしたことのないものは、
ほとんどないはずだ。

植物が、あっちの世界やこっちの世界
に連れていってくれると話している
のを耳にしたが、私はそうは思わない。
私の考えでは、アヤフアスカは
チャンネルを開通させる(あるいは、
そのように思わせる。全ては心の中で
起きていることだから)ことにより、
意識の覚醒をもたらし、もともと我々
がいるところに連れていってくれる
だけである。

私は小さなグラスでアヤフアスカを
一杯飲んでみた。甘草に似た味がして、
すぐに効き目が現れてくるのを感じた。
吐き気がして、落ち着かない感じに
なった。そして長年にわたって鬱積
していた失望と挫折(フラストレー
ション)を吐き出し始めた。本当に
大声で叫び始めたのだ。大勢の人々から
嘲笑された時代にまでさかのぼる欲求
不満が、私自身存在を把握していな
かった感情の抑圧が、一気に暗闇の中
へと放出された。アヤフアスカの
効き目が出てきて変性意識状態になり、
目を閉じると、キラキラした色や形が
飛び交うのが見えた。目を開けると、
いつもとは少し違った感覚ではあるが、
五感の現実に戻った。この体感が強烈に
なるほど私は目を開けておきたいと思わ
なくなり、目を開けても、そのまま目を
開けておきたい気がしなかった。

(引用注:ここは特に重要です、視覚
は私たちが物質の次元にとらわれる
一番の元凶です、アイクが高次の意識
に移行しようとする時に、視覚が邪魔
なため、目を閉じたくなったという事
なのだと思います。瞑想をする時に自然
に目を閉じるのもそのためですね。
そしてまた百聞は一見に如かずなどと
いうことわざも、その視覚にとらわれた
人々によって伝えられてきたもので、
真理をついているどころか、人々が
五感にとらわれた歴史を繰り返してきた
事の証明になっているだけだという事
です、よくことわざだったら良い言葉
だと、短絡的に捉えられる事が多いと
思いますが、本質を考えれば、それほど
良い言葉ばかりではない事に気づくと
思います。

たとえば「長いものには巻かれろ」の
語源は、間違いなく、太古に天子で
あった龍が、ヘビのような長いもの
であったために、上の立場の者には従順
でいた方が無難などという、とても
支配層に都合の良い言葉である事が
わかります。
今従順な方々が、ワクチンを接種して
苦しんでおられるのに、この言葉を
肯定している場合ではないという事
ですね。)

仰向けになって真っ暗闇を見つめていると、
突然、腕が伸び、およそ45度の角度に
両腕が広がった状態になった。ペルーの
丘では、立った姿勢だったが、それと同じ
手の広げ方だった。

(引用注:アイクはこれより何年も前に
ペルーのある丘で、高次元とのアクセスが
できたクンダリーニ体験をしています。
その時の事は最近投稿しました。
DNAと人体の波動は同一だった!遠隔複製
されるDNAと月のマトリックスの関係
とは?

という記事で取り上げています。
その時にも同じ角度で自然と手を
広げたという事ですが、自分の潜在意識
の働きで自然にエネルギーを受ける形
になったのだと思われます)

そして私の口から、「デーヴィッド・
アイク」とはまったく違う声で、この
言葉がゆっくりと力強く出てきた。
「私は愛(ラヴ)である」
それから、こんな言葉を繰り返し発し
始めた。

(引用注:私もだいぶ小さな頃に、寝て
いて急に眼が醒めて(半分寝ている状態
だったようでもあります)、自分の口
からとてつもなく低い声で勝手に話し
はじめる声を聞いたことが何度もあり
ます。
もちろん声変わりもしていない時
だったので、とても変な感じがしま
した。ただ何といっていたのかは全く
わからず、それが良い存在からの
ものなのか、悪い存在からのものか
さえわかりませんが、自分の身体を
通して別の意識の存在の介入という
のは、そこで体験できてたので、今回
の事もわかりますね。そうそう霊媒も
そういう別の意識が入り込んでくる
というのが、基本的な仕組みだと思い
ます)

「私は全てであり、全ては私である。
私は無限の可能性である」

(引用注:究極の絶対意識であると
思われる声が告げたのは、「私は、
愛で全てであり、さらに無限の知性
であり可能性でもある」という事です。
この「可能性」という訳だと、
現実化する能力があるのかどうか
あいまいに思えるでしょうが、
原著のpossibilityという言葉は、
あらゆる全ての力つまり全能、全て
を実現する力とも訳せるので、つまりは、
この声は「全能の全存在そのもの」
だと言っているのだという事です。)

それとともに、私の胸の中央(ハート
のチャクラ)から途方もないエネルギー
が溢れ出し、そのエネルギーが部屋に
満ちているのを感じた。
(引用注:全てのチャクラの中でも
ハートチャクラが中心であるというの
はここからもわかりますね、高度な
意識を理解していたと思われる
ペルシャのスーフィたちも、胸の
ヒンマが、運命の鍵を握っていると
証言していますので、それを裏付け
ますね。
その事は
意識のイメージによる未来実現   
古代から伝わる視覚化という方法

という記事で詳しく説明しています

要するにこの時のアイクは、
ハートチャクラが開いて
究極のワンネスの意識とつながり
全能の声の主とつながれた事を
意味しているのです。
また次の日もアヤフアスカを服用
したアイクは、ワンネスが全知で
あるという事も知らされているので
要するに「全知・全能の全存在」
がワンネスであり、それが
私たちの本来の姿だというわけ
です。)

数分もすると3つの蛍光灯は完全に
点灯した。

(引用注:高次のレベルでのエネルギーは
電磁気エネルギーと密接につながっている
という事が、ここでもまた証明されて
います。
要するに高次の領域が、この五感の
現実世界に影響を及ぼす時は、
まず電磁気エネルギーとして変換
されるというわけです。)

私は周囲を見渡して、どうしてゾーが
照明をつけたのだろうかと訝(いぶか)
しんだが、彼がスイッチを入れたわけでは
なく、照明は全て切ってあった。

(引用注:これもプラズマエネルギーで
蛍光灯が点灯する事をすでに記事で説明
しています。プラズマの驚異の力 その1
です。
またアヤフアスカを服用すると
脳の中央部にある松果体自体が光る事
によって、その内側の光を目が感知して
瞳が光るようになるというのは、
実際にアヤフアスカを服用した
人々の目が光る様子を映した
いくつかの動画で確認しています。

複数の人々が同時にアヤフアスカを
服用して、全員目を光らせていた
動画があったのですが現在見つから
ないので、こちらの動画の35分
あたりで、アヤフアスカを服用して
横たわっている女性の目が光って
いるのは確認できると思います。

私もそれを経験していて、夜中に
目が光っていたのを、まばたきととも
に光の残像が壁で明滅していた事で
体感できていた事が何度かあるので
よくわかります。)

電気もなく自ずと点灯したのである。
少なくとも普通の状態ではなかった。
ハイファイ装置で音楽が流れていたが、
それもスイッチが切れては10秒ぐらい
で元に戻った。奇妙でありえないこと
だが、実際に起きたのだ。部屋に充満
していた電磁エネルギーが、照明と
音楽プレーヤーの電気回路に影響を
与えたのである。

私は、ハートのチャクラを通って溢れ
出すエネルギーが、頭部に向かって
アーク(弧状)を描いているのを
感じた。

(引用注:この心臓から頭部のエネルギー
の流れはそのままハートチャクラから
眉間のチャクラや頭頂のチャクラへの
流れに置き換えられます。つまり高次
の意識へのチャクラのゲートは心臓を
基点として頭部へ向かうという事を
示しています。)

私の口から出た言葉は、このエネルギー
の接続から発生しているようだった。
エネルギーが当たっている頭の部分は、
誰かに強い力で肌をつねられている
ような感覚だった。変性意識状態に
なった私は滑らかに話し始めたが、私
が自分で考えたものを言葉にまとめた
わけではなく、ただ単に私の口から
言葉が出て行くだけであり、初めて
知った言葉だった。そのときに話した
こと、その次の夜にさらに強烈な形で
私を襲ったものについて、これから
要訳する。』


変性意識状態になった私に告げられた
内容とは、存在するもの全ては一つの
無限なる意識であり、それは
「無限なるもの(インフィニット)」
「一つなるもの(ワンネス)」
「一(ワン)」
と表現されていた。
我々は操られた錯覚の現実の中で、
「一つ」であることの認識から切り
離されてしまった。
本当は全てつながっており、全ては
同一の無限なる意識として見るべき
ところを、何もかも分離して二元的に
見るようになった。

(引用注:これはアニータ・ムーアジャニ
女史も全く同じ事をいっていて、神で
さえも分離したものではなく、自分が
そのようなものでもあり一体なのだと
証言しています。太古からの多くの賢人
たちも同様に全てが一体であり一つで
あると口を揃えてます。

そして声の主によると無知な状態に
誘導されている我々は何もかも分離して
二元的に見るようになったとの事です。

実際善悪の二元論についても同様で
悪があるから善があるというのも、
全く一元的なワンネスの視点では
あり得ないレベルです。

全ては無限の調和であり愛である
ワンネスに対して、完全なる悪は
単なる盲点の存在でしかない
という事を、この声の主は、
後で錯覚と表現しています。

古代にキリスト教に弾圧された
歴史上から抹殺されたグノーシス
派も悪は、エラーから生まれたと
記し遺しています。

これは別の記事で詳しく取り
上げようと思います。

私たちも全てと一体で「全知・全能」
であるという事は、アニータさんも
臨死体験で得た答えです。

彼女が得た答えとは、全てはワンネス
であり、自分そのものでもあるので、
神でさえも分離したものではなく、
自分がそのようなものでもあり一体
なのだと証言しています。)

最初のアヤフアスカの体験では、我々が
日常的に経験している五感の「世界」は、
基本的に同じこと(細部に至るまでは
同じではないとしても、質的に同じこと)
を延々と反復するだけの「時間の環
(タイムループ)」であると聞かされた。
我々が未来と呼んでいるものは、結局の
ところ「過去」になり、何度も何度も
「現在」を繰り返すように回転している。
「時間の環」は、永久に回転する渦巻きの
中を回り続けており、その誘惑と錯覚に
捕獲された根源意識にとっては監獄と
なっている。

(引用注:私たちは、五感に囚われた意識
だと、これまでの記事で説明してきたこと
を、裏付けてくれていますが、
これはさらに質的に同じ行為や思考、習慣
などを繰り返しているという「時間の環」
に囚われているという事を言ってますが、
確かに、あらゆるサイクルで私たちは
「繰り返しの中」にいる事に思い当たり
ます。この訳をされている為清氏は、
無限の意識またワンネスの事を
根源意識と呼んでおられますが、
ワンネスの意識は、文字通り全ての
意識を包括しているので、根源だと
無限の意識の源にのみ集約されている
ので、最高の意識ではあるけれど、
全体の一部というイメージになって
しまうので、
私は「絶対意識」と訳しています。)

「時間の環」は、やはり無限なる一つとの
接触を失った「非物質レベル」の構造の
範囲内で稼働している。私に聞こえた「声」
は、この多重構造のことを「マトリックス」
と呼んでいた。

(引用注:このマトリックスというのは、
意識を捉えるための監獄の檻のような
もので、意識を逃さないようにわりと
頑丈にできている意識の壁のような
ものです。五感の認識などもその
マトリックスの一つだといえますね。

そしてまた映画マトリックスもとても良い
たとえになります。あの映画では、主人公
を初めとした人類がコンピューターに
与えられた偽の現実の世界の事を
マトリックスといってましたが、
まさに現在我々が囚われている
マトリックスも私たちに偽の現実感覚を
もたらす、意識の壁だという事ですね。

このマトリックスの輪でもある循環は
時間についてだけでなく、空間についても
言えます。

極大から極小まで、本質的に同じ
エネルギーで、その原初形態がスパイラル
を内包したトーラスです。
これは宇宙または自然界のフラクタル構造と
呼ばれています。

そしてこれは、ロシアの入れ子人形の
マトリョーショカに喩える事もできます。

つまり同じ形の繰り返しのフラクタルも
また、マトリックスの本質の一つだという
事です。

マトリョーショカという語感が、
マトリックスという言葉に似るのは
偶然でしょうか?

またタイムループは、占星術の本質でも
あります。

生まれ落ちた時点で、まわりの宇宙的環境
の一つの時点でのサイクルとして囚われた
という意味が本質で、それが表現されている
ホロスコープは、まさにその囚われた
サイクルの縮図であり、肉体に宿った
個人の性質とライフサイクルを示して
いるという事です。

つまりそれも一種のマトリックスで、
ワンネスや、そこまで解放されて
なくてもボディマインドを超えた
高次の領域の意識でいれば、その
占星術的マトリックスの影響も
受けなくなるという事です。
まあ逆に、その個人の性質を客観視
できるようになれば、それはそれで
楽しく有効にも利用できるという
事です。)

~最初の夜は、私の口から大声で言葉を
発したが、次の夜には、明瞭な女性の声
が聞こえ、さらに詳細な内容を付け加えた。
「彼女」の言葉は、私の心(マインド)
によって解読された思考フィールドで
あったため私には英語で聞こえた。
イタリア人やエジプト人であれば、
それぞれの言語に解読し、それぞれの
話し方に変換したことだろう。

(引用注:これは、次の日も同じように
アヤフアスカを服用したセッションを行い、
今度は別の声が聞こえたという事です。
しかし存在としては、同じ絶対意識の
ものなのだという事です。
また人によって届けられる言葉の内容は同じ
でも、それぞれの国で使用される言語として
解読するというのは、自分の思考フィールド
に届けられる声が思念であって言葉その
ものではないという事です。
それとアイク氏のマインドという言葉を
為清氏は心と翻訳されていますが、アイク氏
は他にもハート(心)という言葉も使用して
いるので、ここはマインドの本来の意味で
ある肉体的思考および感情
(ボディマインド)
という翻訳の方が適切だと思うのですが、
この引用ではそのままマインドを心と表記
する事にします。)

その情報を伝達してきた存在のことを「声」
(ヴォイス)と呼ぶことにする。
私は、その存在を女性と解釈したが、実際
には男女の二元性ではなく、一体性の現れ
だった。
次の夜にはアヤフアスカの分量を増やして
みた。横になって目を閉じると、再び色と
形の乱舞が見えてきた。一時的に、とても
中国風に見えることがあった。それから
非常に明瞭な声が聞こえ始めた。それは、
「私の言った通りでしょう」という
タイプのよそよそしい声ではなく、私が
聞いたこともないような力強い大きな声
だった。尊厳、確信、明晰を備えた声
だった。
「デーヴィッドよ、これからあなたの
出身地に案内しよう。そうすれば自分が
何者か思い出せるはずだ」と語った。
その言葉とともに、私は言葉ではとても
表現できない至福の境地へと連れて
いかれた。「時間」も「場所(空間)」
もなかった。全てはただ存在していた。
私には肉体はなく、ただ根源意識として
存在するのみで、私が全てだった。分離
はなく、対立極もなく、白も黒もなく、
彼我(ひが)の違いもなかった。私は無限
であったが、それと同時に、その全体の
中で、独自の観察視点を備えた「個」
として完全な自己意識もあった。
これこそが我々の本来の姿である。
独自の観察視点で無限なるものを見ている
意識である。

(引用注:ここでアイクが連れて
行かれた場所が、つまりは声のいる場所
そして、私たちの本来の場所であり、
私たち自身でもある絶対意識の領域
なのです。

この「時も空間もなかった」という
のは、それぞれを個として捉える
境界もなく切り取る瞬間もなく
全ての時空の元型として捉えていた
という事になります。

むしろその全ての時空の具現性を
意識する事ができたのが、アニータ
女史のワンネスでの境地でした。

観てみましょう。


その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私は全ての瞬間を同時に感じて
いたのです。
つまり過去、現在、未来の自分が関係する
あらゆることを、同時に認識していました。
さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げ
られているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろう
としていました。
その弟の本質は、(兄の)アヌープだと
わかりました。
ただし、その人生で、彼は私よりも若かった
のです。~
五感の制限により、私たちは時間の一つの
点に集中させられ、これらを一列に
つなげて直線的現実を創り上げている
ように思えました。
さらに、私たちの身体の制限された知覚
が、目で見え、耳で聞こえて、触ること
ができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲に
閉じ込めているのです。
でも身体的制限がなくなった私は、時間や
空間のあらゆる点と同時に関われるように
なりました。』

まさに我々の通常の時間の感覚が、根本的に
間違っていることが、この絶対意識では、
よくわかるということです。
時間は全て同時に存在し、またそれを同時
に体験できて、そしてまたパラレルワールド
も存在しているという事が、実感として
理解できたという事です。
私が、これまでの記事で説明してきた
通り、「無限の時間が同時に存在している
という事、そしてパラレルワールドも
無限に存在しているという事」の裏付けが
彼女の実体験でできた事になるわけです。

自分はこのことは約20年前に気づいて
いました。この時はまだ、いろんな情報に
出会う前だったので、仮説として書いて
おいたことですが、
時間に対しての自分の仮説は、六次元の
世界では、あらゆる無限の時間軸が、
同時に存在しているとはっきり書いて
いたのです。
おそらく自分の内なる声というより、
潜在意識にアクセスして得たものだと
思います。

ただこの時の六次元という捉え方も
今ではそんな数えられる次元の境界線
などどこにもなくただ意識のレベル
が上がればそのような
視点にいきつくという事だと理解
しています。

そしてこの領域では、自分は肉体では
なく意識としてのみ存在し、自分と分離
されたものはなかったという事です。
そして自分は無限の存在ではあるが、
独自の「個」として完全な自己意識も
あったという事なのです。つまり全体
でありながら部分として独立した視点
も持つ個としても存在するというのは、
トランスパーソナル心理学のグロフ氏
も同じ理解に達しておられます。

そのグロフ氏の言葉がこちらです。
それだけが、独立・分離してある
ような物質や物質的自我は意識のつくり
出す幻にすぎないことが自覚され、
時間も空間も絶対的なものではなく、
自己は五感を通さなくても、宇宙の
あらゆる場所に接近できる。
同じ一つの空間を同時に数多くの物が
占めることがありうる。
部分でありながら全体であることができる。
形態と無、存在と非存在は互換可能で
ある。

というものですが、まさにこの時のアイク
の境地と同じものであるといえますね。

またアイクと同様のこの絶対意識領域
に到達した、アニータ・ムーアジャニ女史
も同様に、自分が無限としての全体であり
ながら、同時に個人としての意識もあると
証言しています。
このように複数の人達の証言が、絶対意識
領域の性質を裏付けあっているものだと
思われます。)

人々がこの「一つであること」の至福を
経験することができれば、五感の世界
も変容していく。

(引用注:この後に続けて、アイクは
世界で最も影響力を持つ存在に
ついて語っていますが、それこそが
支配層血族であるという事です。)

だからこそ~恐怖、ストレス、憎悪、洗脳、
知識の抑圧、さらには電磁気的な汚染や
飲食物に化学添加をするなどありとあらゆる
方法で、我々を切り離された状態に留めて
おこうと必死なのである。

(引用注:これでフッ素や水銀などを摂取
させられるようになっていて、松果体が
石灰化してしまう原因になっている事も
納得がいくというものですね、
(もちろんこれだけでは、全くありません)
つまりは私たちに覚醒して欲しくないわけ
です。

支配層の言葉の内部暴露として、
記事に紹介してきた
「イルミナティー秘密の盟約」
にもその意図がはっきりと読み取れ
ます。
再掲しておきますね。


奴等が「何が起きているのか」に
決して気づかぬよう、
我々は持てる科学や技術の知識を
巧妙に使う

軟質金属、老化促進剤や鎮痛剤を
食物や水と空気に入れて利用する

奴等の行くところ すべてが毒に
覆われる

軟質金属はやつらを狂わせる。
我々の多くの前線が治療法を
みつけると
約束するが その実もっと多くの
毒を喰らわせてやるのだ

毒は奴等の皮膚や口から吸収され、
奴等の正気や生殖器官を破壊する

早くから、奴等の知性や精神が
若い頃から始め 奴等の子供が
大好きな
甘いものを使って狙うのだ

奴等の歯が腐ったら 奴等の頭を殺し、
未来を奪う金属を詰めてやろう

奴等の学習能力が侵されたら
それ用の しかし症状を悪化させ、
別の病気を発症する薬を作ってやり
その先にもまた薬を作ってやろう

我々は奴等を従順で脆弱にし
奴等は我々とその力に屈服する

教義や宗教を使って 奴等を
「一体であること」から引き離す

奴等の人生をあらゆる側面から
支配し、
何をどう考えるべきかを教えて
やるのだ

我々が奴等をそっと優しく
導きつつ
「自分自身で選んでいるのだ」
と思わせる』
“「さてはてメモ帳」様のサイト
<イルミナティ――秘密の盟約>
千早様訳
 より” 

このように本来エラーまたは錯覚
でしかない邪悪な意識に囚われた
支配層は、私たちに本来のそして
本物の意識であるワンネスの領域
とつながって欲しくないために、
あらゆる面で細工してきたという
事なのです。

なぜこのようにする必要が邪悪な
意識をベースにした支配層にあるか
というと、アイクやアニータ女史の
ような絶対意識の至福の意識になれば、
彼らの五感の世界をツールとした
人類の支配が、破綻するからという事
なのです。)

こうした物質には、我々を五感の監獄に
閉じこめる意図があり、精神活性剤を
悪魔扱いする主な理由もそこにある。
私が体験した至福の状態においては、
エネルギーは、形態や物体といった領域
において、振動するようには振動して
いなかった。それは静寂、あるいは、
ゆっくりと完璧に調和して動く海の波の
ように感じられた。

(引用注:このことからも、私がこれまで
の記事で説明してきた低振動または振動
ゼロの状態が高次元の意識につながって
いる事がよくわかりますね。ほとんど
振動しない領域が、この絶対意識領域
だという事で、高い波動、つまり振動数
の高い状態ではないという事なのです。)

「これが無限なるものだ、デーヴィッド。
あなたはここからやってきた。再びここに
帰ることになる」と声は告げた。

そして次の言葉が、私の心の中で何度
も流れ始めた。

「無限なる愛だけが、真実である。それ
       以外は、何もかも錯覚だ」

我々が本当に知らなければならないことは、
これに尽きるのだと、声の主は語った。
全てはそこから発していると。
私は、心の中で質問を用意し始めていた。
「本当に何もかもなのか?」と問いかけ
ようとしていた。
 だが、その思考がまとまる前に、
「無限なる愛だけが真実である。それ以外
は何もかも錯覚だ。例外はない。以上」
と声の主に制止された。
 愛という言葉は、しばしば弱々しいもの、
ウブなものという意味を含んで認識されて
いる。「愛だけじゃだめだ」と人々は言う。
愛という言葉の解釈は、人間の定義に
よって歪められてきた。多くの人にとって
愛とは、別の人に強く惹き付けられるら
れることを意味する。だが、ここで述べて
いる愛とは、その意味ではない。人間が
認知している「愛」は電気・科学的な
引力であり、「マインド(肉体的感情)の
愛」と言っても良い。

(引用注:このマインドの部分はアイクの
原著からの引用で訳させていただきました。
このムーンマトリックスの訳者の為清氏は、
マインドの事を心と訳されていますが、
ここで、マインドを心と訳してしまうと、
心の愛が、浅いレベルのものだと錯覚されて
しまいます。マインドとは、肉体的な反応
による感情で、日本人の心とは全く違う
言葉なのです。この場合、心はハート
という言葉が当てはまるし、またこの高次
の存在が語る愛とは、まさにそのハート
つまり心の愛の事だからです。

それとアイク氏の人々の用いる愛という
言葉の概念にしても、西洋の人の捉え方
と、日本人としての捉え方に少しずれ
があるように感じます。日本では愛を
もう少し広い意味で捉えたりもしますが
、このアイクさんのいう人々の捉えて
いる愛というのは、本能的な欲情など
の意味が強いのかも知れません。)

マインド・コントロールを経験した人から
聞いた話では、通常では決して親密になる
はずのない二人であっても、科学的に脳を
操作して刺激すれば、いとも簡単に熱狂的
な愛に落ちていくという。

(引用注:この愛は肉体的感情による
マインドの愛だという事です。)

無限の愛は、物質(肉体)的な引力(魅力)
を超えたものである。本当の意味の愛では、
愛に落ちる(入っていく)のではなく、
自分自身が愛そのものである。無限の
愛は、全てのバランス(調和)である。
無限なる一つのみが真実であり、それ以外
は全て錯覚である。無限の愛は、無限の
知性であり、無限の知識であり、無限の
全てである。あらゆる潜在能力、あらゆる
可能性である。」
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

声の主から伝えられる真実はまだまだ続き
ますが、今回はとても重要な真実を告げ
られました。全ては愛でそれだけが真実
だという事です。ですが、この愛という
言葉は、私たちが照れて面はゆいような感じ
で、使うようなものとは、全く違うよう
です。

声の主がいうように無限の愛とは、次の
ようなものだと言う事です。
もう一度確認しましょう。
「無限の愛は、無限の知性であり、無限の
知識であり、無限の全てである。あらゆる
潜在能力、あらゆる可能性である。」
これが無限の愛というなら、全知万能の
力が無限の愛である事になり、それは
感情的な愛ではもはやなく、私が
これまで絶対意識と呼んでいたものと
同じ意味の言葉だという事なのです。
ただつまり全知万能全存在の意識とは
つまりは絶対意識であり、さらに
いうなら、「絶対愛」だという事なの
だと言う事です。

(この愛が全知万能の力を持った
力強いものであるというのは、私たちが
再三マスコミなどで、刷り込まれてきた
「愛は無力」などという捉え方とは、
真逆であるという事がわかります。
逆の究極の力こそが、愛だと声の主が
告げている事になりますが、これは
宗教のように捉えると間違う事になり
ます。まさに本質を内なる声から聞いて
いると考えられるという事です。
先日音の波動についての記事
を書かせていただきましたが、そこでは
愛情の波動が、実際に内なる潜在能力を
引き出す源であるという物理的な証拠を
ご紹介しました。つまり愛は本質的な
そして究極の「力」であるという事を
示唆しています。)

本当の愛には力があるどころか、
完全無欠で無敵なのが本当の愛だと
いう事なのです。

そしてアイクと同じように絶対意識
に到達したアニータさんも全く同じ
事をいってます。もちろんこの二人は
互いを知らない立場にもかかわらず
という事です。

さてアニータさんの臨死体験での、
証言を引用してみましょう。

「臨死体験をしている時、全宇宙は
無条件の愛からなり、私はその一つの
表現なのだと実感しました。あらゆる
原子、分子、クォーク、テトラクォーク
も愛でできています。私は愛以外の
何ものにもなりえません。なぜなら、
それが私の本質であり、全宇宙の
性質だからです。ネガティブに見える
ものでさえ、無限で、無条件の愛の
スペクトルの一部なのです。宇宙の
生命エネルギーとは愛であり、私は、
宇宙エネルギーからなっているの
です。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

なるほど絶対意識に到達したもの同士、
アイク氏もアニータ氏も宇宙の本質が
絶対愛だという事に気づかされたという
事なのですね。
このアニータさんの説明はさらにわかり
やすいですね、宇宙エネルギーの本質が
愛だという事なのです。自分を愛する
という事が、そのまま宇宙をも愛する
という事につながるという事もこのあと
説明しておられますが、自分が宇宙
の全体と一体であれば、自分を愛する
事は、まわり全ての人や存在も同時に
愛するという事だという事です。
ただその場合、中心である自分を
ほったらかして、他人を愛するという
のは、本質から外れているとも言え
ます。
ただ全ての存在が自分だという本来の
ワンネスの境地であれば、身近で
親しい存在の人や最愛の人や身内なども
また自分自身という事になるわけで、
その場合肉体を持っているという錯覚の
自分ではなく
他者のように見える自分(最愛の人
など)を優先させても、全く絶対愛の
本質からそれているわけではない事も
また確かなのです。

とにかく無条件の愛、絶対的な愛は、
宇宙の根本的な力だという事です。

ここで実際に愛情の力というものが
具体的にどのようなものかを示す
事ができます。

超能力者の脳波は、8Hz(正確には
7.8Hz)である事が知られて
いますが、

温かい愛情を持つ時の脳波も同じく
8Hzで、なんと心臓の拍動率も
8Hzだという事が明らかになって
ます。

つまりあたたかい愛情は、超能力的な
パワーを持つ事ができるという事
でもあるのです。

そして究極の愛情においては、その力
は無限大だという事もできます。

まだまだ声の主からの言葉は続き
ますが、次回の記事にしたいと
思います。

とにかくアイクがアヤフアスカを
服用して、絶対意識であると思しき
声の主から聞いた言葉が、あらゆる
真理につながっているのが、わかって
いただけたでしょうか?
そしてその絶対意識こそ我々の本来
の意識であるという事もです。

次回もまたアイクが声の主から
受けとった叡知について観て
いこうと思います。

ではまた(*^^*)

意識と思考と覚醒編一覧

超意識編 一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ