この記事は
江戸時代に観る本物の医師の姿と
西洋人も恐れた武士道の真髄とは?
の続編にあたります。
今回は特別に大事な、日本人の
一元論的観念について、説明して
いきます。
いつも引用させていただいてる
神衣氏の「最後のムー大陸「日本」」
は、バブル崩壊以降では
あるけれども、リーマンショック、
東日本大震災以前に書かれたもので、
バブル以前の日本の大発展した事を
受けて書かれたものなので、日本が
世界経済大国として、大発展した事の
理由を説明しておられます。
『
『』内が引用で、~が中略です
『世界の文化を吸収し続け、しかもそれらを
独自のものとして究極まで極め続ける、
この、世界に類のない日本人の性質は
どこから来るのだろうか。~
~実は、この世界に類のない日本人の性質は
、間違いなくムー文明の「RA」音と
「MU」音の作用によって形成されたもの
なのである。
これまで述べてきた潜在意識の母性的
局面に関わるM音と父性的局面に関わる
RA音、この音のもつ莫大な言霊力が、
日本人に、この常に発展のみを知る世界
無二の力を与えたのである。~
~かつて中国から漢字を取り入れた私たち
は、それをまったくの日本独自の文字と
して仕上げることに成功した。
平仮名、カタカナをあみだし、さらに
漢字においても現代の私たちは中国人が
読めない漢字さえも意味を読み取る能力
を持っている。欧米のハイテク技術を
究極まで完成させたのもまた日本人
である。
一台何万もの価格で売られた計算機を
超小型化し、わずか数千円の商品に
仕上げたカシオをはじめ、車、ビデオ、
カメラ、オーディオなど、現代の
ハイテク製品は、日本人によって優れた
製品として完成し、その結果、日本製品
は世界で最も普及し、日本は世界の先端
を行く経済大国、最も豊かな国と言わ
れるまでに成長した。
日本人のこの類まれな発展力、それは、
多くの知識人が指摘する通り、日本人
独特の古来の観念的特質にある。
その観念的特質とは、次のような
表裏一体の関係にある二つの特質である。
1.「あれかこれか」という二元対立の
観念ではなく、「あれもこれも」という
すべてを本質的に一つのものとしてとらえる
一元論的な観念
2.自己主張よりも謙虚な受容性を優先
させる母性的性質
一元論的観念と母性性、この二つの古来の
日本人の特質こそ、様々な文化を結びつけ
昇華させたそれである。』
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
神衣志奉著
中央アート出版社 ”
もちろん、戦後日本に対する政治的な干渉
は、オモテ向きの独立以降も米国から
ずっと続いていて、米国のアジア戦略に
ある程度日本が乗せられていたのも事実
です。
3S政策や教育などで、日本人は劣化
させられ続けてきたわけですし、農業は
ずっと衰退するように仕向けられ、
食品は添加物だらけ、農薬や合成化学物質
などは、食品、医薬品、日用品など
ありとあらゆるところに仕込まれて、
日本人をかつてのように聡明で、屈強な
状態から遠ざけられ続けてきた
わけです。
また原発もわざわざ火山帯つまり
地震の起こりやすい場所に建設させる
ように誘導されてきたので、いつでも
時の政治家たちの脅しにも使用される
ものとなっています。
この神衣氏には、そういう観点からでは
なく、戦後日本が経済を大発展させた力
の本質について語っておられるという事
です。
説明にあった一元論的な観念というのは、
私たちが本来、一つの存在であり、
宇宙全体も含んだ絶対意識であるという
真理を、
観念的に理解していたのが日本人だった
という事でもあるので、その大いなる
一つの無限のエネルギーを活用できた
ために、それが経済や文化の発展にも
役立ったという事だと思います。
そして、外国の文化を取り入れていく
柔軟性は、全てが一つであるという
一元論的観念と、謙虚な受容性を持つ
母性性から来ているのだという事です。
ですが、現在その大いなる力を持つ
日本人の多くの力が、一部の特権階級や
外国資本の横暴により、単に利用されて
いくだけに終わっているのは、日本人の
受容性が行き過ぎているからだとも、
思えますので、これまでの特質を活かし
ながらも自己主張もしていく事を、
私たち日本人は取り入れた方がいいとは
思います。
今度は日本人の母性的性質を支える
M音についてです。
『』内が引用で、~が中略です。
『今まで述べてきた潜在意識と直結する
母性音『M』と父性音『R』に注目して
「やまとことば」をみた場合、興味深い
事実が明らかになる。
古来、大自然を母性的存在として
とらえた日本人は、生命を育む大自然の
尊い存在のほとんどを「mizu」
「umi」「mori」「yama」
「mi」「kome」「mame」と、
M音で表現してきた。
言うまでもなく日本語は、このMの
音声を世界で最も多く含む言語である。
とくにその割合は、古代に至るほど
顕著であった。
たとえば、3章で紹介した祝詞と易経
でのM音の数を比較してみよう。
アルファベットで比較してパーセント
にすれば、中国語の易経のM音は
約「0.4%」であるのに対し、
日本語の祝詞は約「10%」であり、
二十五倍も多いことになる。
他の言語と比較しても、たとえば、
古代文献の中でM音の多いインドの
カーリーダーサの宗教詩でも、せいぜい
5~6回ほどである。
この神聖な言葉をM音で表現し、M音
の頻度が高いという日本語のM音に関する
特徴とは対称的な特徴がある。
それは、純粋な日本語(やまとことば)
には、なぜかR音で始まる名詞は一つも
存在しないという事実である。
R音で始まる日本語はすべて外来語
である。~
(引用注:この事は
「アレ」「ナニ」で通じる日本語は、
「和」と「共有」の察する文化だった!
という記事でもご説明しました。)
~父性音が多い文明語の中で例外的に
母性音が極度に多い日本語。これと呼応
するかのように、この男性文明の現代の
中にあって、日本は奇跡的に母性的性質
を維持している唯一の国である。
私たちは今も当たり前のように贈り物
をする時に「つまらないものですが」
という言葉を使う。周知の通りこれは
国際的に通用する言葉ではない。外国人
からは理解し難いこの言葉こそ、日本人
が長い時代を通して大切にしてきた母性
のそれである。~
~これは、欧米人の、自分の贈り物を
こんなにいいものだと主張することで
相手に自分の気持ちを伝えようとする
性質とはまさに対称的である。
「ノーと言えない日本人」などと
欧米人から異端視されがちな日本人
であるが、これさえも、つつましく
相手の気持ちを気遣う繊細な母性的
カラーの表われである。この性質は、
簡単に欠点と決めつけられるべきもので
なく、それどころか、むしろこの性質の
奥に潜むものこそが世界無二の発展力
の正体でさえあるのだ。
世界の多くの民族と接した新聞記者、
本多勝一氏は、世界の中で自分の過失
を直ちに認める習性のある民族は
日本人くらいのものであり、日本人に
確実に近い性質を持つ民族はエスキモー
とニューギニアのモニ族ぐらいのもの
であったと述べている。これも日本人
が太古の母性的文化を奇跡的に維持
しているところからきているに違い
ない。本多氏もそう評しているように、
精神の世界では、まさに日本こそ世界
最後の秘境なのである。』
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
神衣志奉著
中央アート出版社 ”
やはりこれも日本人が世界の中でいかに
特別な言語と、それに基づく精神を
有しているかが、よくわかりますね。
これまで、再三私が強調してきたように
父性音「R音」または「ラ行」よりも
圧倒的に日本語の主体になっている
「M音」「マ行」の方が、重要で
あるという事なのです。
この母性性は、ただちに自分の非を
認めるというような日本人の性質にも
表現されているという事ですが、世界
がこの性質を持つようになるだけで、
戦争や争い事は激減するでしょう。
もちろん全てを受け入れて自分を
出さないでいる日本人は、もう少し
自分を出す必要もあるとは、思い
ますが、この母性的性質はとても
大事だと思います。
また私は
世界の源流の日本語の「MU」音は
母性言語で円をあらわしていた
という記事
でもご説明しましたが、このM音は
完全調和の「円」や「球」を表して
いるのです。
そして本来の宇宙は、一つであり
完全調和であると多くの人が伝えて
くれているように、完全調和である
事を意識できる言葉は、この日本語
が最適なのです。
つまり本来の宇宙を意識するのにこの
日本語が最も重要だという事です。
この円や球の完全調和の一元的感覚
について、深く観ていきましょう。
『』内が引用で、~が中略です。
『欧米の一般的な宗教観では、神が万物を
創ったとされ。「神」と「被造物」とは
相対的な位置関係で認識される。
また、「神」は善なる存在だとされる。
この考え方からは、「完全無欠で善なる
神の被造物である人間が、なぜ悪なる
性質や不完全な要素を持つのか」という
疑問が生ずるが、それに対しても、「神」
と「サタン」というやはり相対的な
二元論的概念で補われることになる。
それに対し、アイヌや古代日本人の宗教
観では、存在は同時に神であり、ミ(神)
は同時にミ(身=形ある存在)であった。
~日本人は欧米人から、何でもかんでも
信仰するとよく批判される。
仏壇と神棚に手を合わせ、クリスマス
も祝ってしまう姿は、欧米人には大変
奇妙で理解し難いものに映るという。
しかし、日本人が、分け隔てなく
どんな神にも手を合わせるのは、神は
すべてに宿り、この世はどこであろうと
神々の住まう世界であるという、長い
歴史を通じての一元的宇宙観が潜在して
いるからである。
この日本人の観念によれば、他民族の
神であっても、当然のこととして
敬うのである。
しかし、対立的に神を認識する欧米の
宗教観からは、正しい神と宗教は一つ
しかない。
この、正しい神は一つとする一神教
的発想が、その当然の帰結として他との
戦いをもたらすことは、歴史が証明する
通りである。
しかし、日本人は、それとはまったく
対照的に、すべての神々を受け入れ、
溶け合わせながらも、その太古からの
本質的宗教性を失わずに保ってきた。
一神教を自負する欧米人が多神教だと
異端視する日本人の信仰は、実は、
彼らの一神教よりもはるかに一元的な
神への認識に基づいているのである。
~なお、東洋の思想を一元論だと思って
いる人は意外に多い。たしかに欧米人の
観念と比べれば、東洋人の観念の方が
一元的ではある。しかしこれはあくまで
相対的に見ての話である。
たとえば、中国思想は、陰陽の哲学で
知られるように、日本人の観念と比べれ
ば極めて二元論的な思想であるし、人
としての中国人の発想も極めて二元論
的である。他の東洋の諸思想も、日本人
の観念と相対させればやはり二元論的
である。』
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
神衣志奉著
中央アート出版社 ”
私が、神秘メッセージの記事で、ずっと
通してきた大切なコンセプトが、この日本人
の一元論的観念と共通しているのが、よく
わかりますよね。
すべての存在が神という思想です。
つまりあなたも私もみんな、神という事
です。
神様という言葉を、どういう感覚で使う
かどうかによって、このコンセプトから
離れるかどうか、よくわかるのが、これ
です。
神様は、絶対的な存在で、自分とは違う
存在だと考えるのが、通常の神様に対する
感覚だと思います。世界中の宗教は、この
世界観がほとんどベースになっています。
これだと私たちは、常に神に導いて
守ってもらわなければならない
か弱い存在であり、神の教えに従わ
なければならないという、従順な
感性が育まれてしまうのです。
現代でいうと神が権力者であっても
アイドルやカリスマ的存在であっても
根底にあるのは、そのような自分を
矮小化させる感覚だという事です。
逆にこの日本人的な宗教観でいくと、神
は他者ではなく、自分やほかの人も
含めたすべての存在であるという事
なのです。
これこそが究極の意識の最高到達点で
ある「絶対意識」の感覚なのです。
その絶対意識に到達したアニータさんの
言葉を再掲しましょう。
彼女が宇宙エネルギーと一体になったときの
感覚です。
『「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」』
また自分と一体である宇宙エネルギーのこと
をこう表現しています。
『このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ”
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。』
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
アニータ・ムーア・ジャニ著
奥野 節子訳
ナチュラルスピリット刊”
つまりまず神は存在を表しているものでは
なくそのありようだといってます。
もしそのありようが神だとすれば、自分は
その存在そのものだ、つまり神そのものだ
という事をいっているわけです。
つまり神は自分と切り離された存在では
なく、、自分はまさに神そのものだという事
をいっていて、まさに、それが日本人の
宗教観と同じく、自分も他人も、全ての
存在も神だという事と、全く同じ観念だと
いう事なのです。
またもう一つの証言では、「神」とか
「クリシュナ」とか「仏陀」という
言い方で、絶対的な存在のエネルギーを
言い表していると、それは無理矢理
形を与えて、人によっていろんな解釈を
与えてしまうため混乱させるだけだと
いう事です。
つまり私たちのいう神とは、形のない
宇宙エネルギーそのもので、それは
日本語の「気」であり、中国の「チー」
であり、インドでいう「プラーナ」と
同じものだといいます。
宇宙のすべての存在のエネルギーが
そういうものであり、私たちの本来の
性質、意識も実体もそれと同じだと
いっているわけです。
このように絶対意識に到達したアニータ
さんの得た真理と観念は、古代日本人が
持つ一元論的観念そのものだったという
事です。
これはもちろん私が、私たちが一体であり
また絶対的な存在でもあるというワンネス
の考えと全く同じものだという事
です。
そしてこの全てが一体であるという考え方
こそ、世の中の全ての争いや、苦悩や
悲劇や貧困や不幸を、終わらせるための
最高の観念であり、考え方であり、さらに
真理でもあるという事です。
だからこそ頂点の支配層血族は、日本人
を劣化させていく必要性を感じて
戦後そのように実行してきたという
わけです。
もしそういう一元論的観念を持った
まま、日本人を抹殺しようとすれば、
霊的次元において、さらにやっかいな
エネルギーを、支配層血族が受ける
事になるからです。
たぶんこの事は、物質的な世界のみを
現実と考えている人たちには、荒唐無稽
な話でしょうが、支配層血族たちは、
その事を充分に理解している事も
また確かなのです。
つまり日本人から一元論的観念が
なくなるまで、私たちは支配層血族
にとって脅威であり続けるという
事です。
そしてそのような観念を失わないために
古代日本語のM音がとても重要な鍵を
握っていて、それをベースに持つ日本語
が、やはり大事だという事なのです。
ではまた(^^)/
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