無知の知の本当の意味を知ろう   間違って解釈してる人がほとんど


無知の知という言葉自体を知って
いる人は多くても、その本当の意味を
知る人は、ほとんどいないでしょう。
プラトンが、ソクラテスの言った言葉
として紹介した「無知の知」というのは、
当時のギリシャでは、多くの者が、自分
こそ知恵者だといってはばからず、
相手の言葉も聞かず、ただ主張を繰り
返しているだけだったのに対して、
ソクラテスは、自分が究極の真理に
ついては何も知らないという事を自覚
していたので、自分は知らないといって
いました。
ですが、自称知恵者以外のまわりの人は
ソクラテスが最も賢人であるといってくる
ので、
ソクラテスが、
「私は、多くの人と同じように究極の事を
知らないので、その事を知っているという
点では、私は他の者より多く知っている
という事になる」
という機知の富んだ言葉を残したという
事です。
つまり人間は何も本当の事を知る事は
できないという無力さを説いたのでは
ないという事です。
そうではなくて、謙虚に学ぶ意識が
なければ、先入観や固定観念が知識の
吸収の妨げになるから、よけいに真理から
自分を遠ざけますよという事を説いて
いるのです。

これが、本当の意味です。常に知った気に
なっている多くの人々全てに通用する言葉
ですが、つまりは、いったんそれまでの知識
をリセットして、固定観念を捨ててからで
ないと貴重な知識を得られませんよという
意味で、「何も知る事ができないのだから
知識を得る事を放棄してよい」という意味
ではありません。
ですが、最近の人々を見ていると、貴重な
知識を求める人がいかに少ない事か。
その人がいいわけにするのが、この
「無知の知」の勘違い解釈なのです。

何が勘違いなのかといいますと、
ソクラテスは「不可知の知」をいって
いるのでは決してないという事です。
人間には本当の真理が得られないという意味
ではなく、真理を得るために常に先入観や
固定観念を取り払って、謙虚に学ぶ姿勢が
大切だという事を言っていたという事が
真実なのです。

このようなケースに限らず、人に無力さの
感覚を広めて、コントロールしやすくする
のは、いつの世も上の者の常套手段です。
みなさんほとんどひっかかってますね。
謙虚であるのと、無力さとして自覚する
のは、大違いなのです。相手に無限の力
があり、自分にもあるという事を認め合う
という事の方が互いに無力だと信じ合う
よりどれだけパワーになり価値がある事
かわかりますよね?
ですが、我々におとなしい子羊でいて
もらいたい上の者たちがそれを望むと
でも思われますか?
自分にもある大いなる力が相手にもある
という事を、互いに認め合う方が、
我々の幸福な未来のために必要な事で、
それこそが謙虚の本当の意味となります。
(自分だけがすごいのではないという
謙虚さです)

またもう一つの勘違い、知識は行動に
役立ててこそ本物になるという考えも
その「無知の知」を勘違いしたところ
から来ているのだと思います。

知っているだけでは何の価値もない
「何も知る事ができないのなら、行動
が全てを教えてくれる」というわけです。
これも大きな勘違いですね。
まず知っている事に価値がないとか、
知識自体には価値がないとかいう人は
この目に見えている物質的世界こそ現実
としか思えない人なんでしょう。
ご安心ください、みんなそう思ってます
から(^^)
ただし、残念ながら真実は違います!
宇宙は全てまさかの真空です
で説明した通りで、物質は五感が創り
上げた幻想的世界で、私たちの肉体が
そう感知するようにできているだけで、
実際の世界がそうなのではないという
事です。
むしろ実体と呼べるものは、意識の
方で、エネルギーでさえ五感の延長で
ある科学的観測による幻影なのです。
もうここまでくるとわからないという
人だらけになるのでしょうか?
これが、固定された考えの壁という
ものです。これまで知ってきた事
、信じてきた事と違う事をいわれると
もう思考が停止するか、頭が自動的に
拒否しようとするからですね。
だから無知の知の本当の意味を知って
いただきたいのです。
とにかく知識の方こそ現実的価値が
あるというくらいに思っておいて
いただいたらいいのでしょうね。

そしてまた行動からしか知る事が
できないという人に申し上げたいのは、
真実は、行動の結果はイメージ通り
になるという事です。イメージが
ポジティブであれば、行動の結果が
それに応じたものとなり、ネガティブな
ものであればそのように展開します。
もちろんそのイメージを信じる能力に
大きく個人差がありますので、鮮明に
思い描いて、確信できるようなイメージ
であれば、実現するという事です。
つまり知識、この場合は想念イメージ
ですが、それが役に立たないどころか
行動に対して支配的に働くという事です。
知識というより、この場合思念や想念
パワーという事になりますが、知識とは
実はこれが本来の姿なのです。
何も言葉で理論的に説明しているもの
だけが知識なのではありません。
というより、知識のより高度な形では、
右脳や潜在意識領域での、イメージ
という形を取ります。究極の知に触れた
と確信できたといって戻ってきた
臨死体験者は、ほとんどの人がそれは
言葉ではなく、イメージで表されるもの
だったといっています。
ただ肉体に戻ると、それにフィルターが
かかったようになり、わからなくなると
いう事をいっているのです。
彼らが虚勢を張っているように思われる
人はどうぞご自由に。
ただ、右脳が、とてつもなく知的な能力
を発揮できる事は、多くの実例が示す
通りで、その事も記事に書いてまいり
ました。
しかし右脳が言葉でなく、イメージで
理解する事も知られています。
特に幾何学的なイメージパターンは、
非常に重要な右脳的知識の一つのようで、
私が宇宙モデルでご紹介しているのも
トーラスやスパイラルの幾何学的
イメージですし、実は本物の異世界から
のメッセージであるミステリーサークル
は宇宙言語のような難解な幾何学的
なイメージをプラズマテクノロジー
を使って描いてくれていると思われる
のです。
もし真理を完全にわかっている人なら、
それらの意味も瞬時にわかるでしょうが、
臨死体験者のいうように、肉体の
フィルターがある状態では、理解
しがたいのも事実です。

ここでまた大事なことがあります。
このような幾何学的イメージをわかる
という事は、どういう事かという事です。
それはそのような幾何学的イメージの
「意味」を理解するという事です。
この「意味」は言葉などによるのが
我々の感覚でいえば一番適切だと
いう事なのです。
だから、知識には言葉による理解も
やはり必要だという事です。
そしてまた画像でないものの「意味」も
私たちは言葉で多くの知るべき真理が
あります。
その上イメージには、感情や音楽などの
場合もあり、私たちの知識は無限の
バリエーションがあるという事です。

とにかく全ての意味を理解するのには、
私たちの肉体はフィルターのようなもの
が邪魔になっているのもまた事実なの
です。
だから不可知なんだという人もいる
でしょうが、逆にだから我々は肉体のある
うちだけの存在ではないという事です。
必ず肉体を離れた時点での知識のレベル
に応じた領域に行き、そこで生前の
問いの答えを得られるでしょう。
また生きている間にも潜在意識や
右脳レベルで理解できるように
なるかも知れません。
そうやって永遠に知識のレベルを
上げていく存在が、本来の我々だと
言う事なのです。
霊界では知識が食べ物の代わりになる
と、臨死体験者や霊媒師がいいます。
つまり知識(もちろん愛や喜びなどの
ポジティブエネルギーも)は我々の
パワーだという事です。
フィルターのかかった肉体での行動だけ
に重きを置くのではなく、知識や愛や
喜びを得るために、または投影するために、
行動もあるという考えが、健全だという
事なのです。

では(^^)

あと「無知の知」についてとてもよく
説明されているサイトもご紹介して
おきますね

TRANS.Biz様
の「ソクラテスの名言
「無知の知」の意味とは?」
という記事です。
とてもわかりやすい解説です。

最後まで読んでいただくとなおよく
わかります(^^)

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ上位継続中です💦

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投稿者:

あんみん댊

滋賀県在住で、 神秘についてや、精神世界について 長年研究を続けています。 携帯アプリなどでサビアン鑑定も 行っております。 神秘的なことなど一緒に探求したい という方、集まってくださいねー。 あとスポーツライターも目指して いることもあり、口数は人の 100倍はあろうかという自己評価 ですが、かなりまわりから、 「盛りすぎ!!」と批判されております。

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