前々回のアニータさんの臨死体験その4
で、説明させていただいたように
エベンさんが最後まで分離の意識を
持っていたのと違い、アニータさんが
完全な一体感を味わっていたという
体験をご紹介しました。同時に
エベンさんが自分をちっぽけな存在
だと思って、究極の絶対意識に到達
できず、下降してしまった事に比べて
アニータさんが、自分を完全なる全体
だと感じる意識になれたという体験が
今回の記事という事になります。
わたしたちが孤独な存在などでは決して
あり得ないという事は、前回のその4の
記事でよくわかっていただいたと
思いますが、今回の記事でもう一つ
大きな私たちの思い違いに気づかさせて
くれます。
それは私たちが
「ちっぽけな、とるに足らない存在
ではない」という感覚です。
確かに、五感で捉える世界では、広大な
宇宙に比べて、私たちの存在は塵にも
例えられないような、超極小の存在の
ようにも見えます。ですが、私の
宇宙の真理編の記事をご覧になって
いただければ、わかっていただけるよう
に、その感覚こそ「錯覚」にしかすぎない
という事なのです。
つまり五感の感覚とは裏腹に、空間とは
極大と極小が中心でつながっていて、
どんな「部分」も「全体」であるという
事を量子物理学の実験や莫大な遠隔の
天体観測結果により、理解されるよう
になってきたのです。
そのことは、ビッグバンに代わる宇宙モデル
という記事で説明させていただいて
ます。
つまり単なる認識論ではなく、「実際」
に私たちは宇宙大だということなのです。
さらに通常の感覚で理解しにくいのは、
全ての「部分」が「全体」であるという
事です。
つまり「私たち全てが宇宙大」だという
事なのです。
またこのことは、私の神秘メッセージの
記事で、何度も実例などを取り上げながら
説明していますので、ご覧ください。
わかりやすく一言で説明させていただく
とすれば、「私たちの五感を主体とした
空間の認識は、思いっきり間違っている」
という事なのです。
私たちの現在の主流の占星術家の方々には
そのような意識は、ほとんど見られない
と思います。私たちの内側にこの天体の
運行があるというのが、物理的にも正しい
という感覚は、なかなか認められないのは
わかりますが、それはわたしたちを「肉体」
そのものだと捉えているからでしょう。
だから、太陽系内の天体の動きというのは、
むしろ宇宙全体である私たちのごく一部
だという視点がなければ、そのサインに
ふりまわされるだけになってしまうという
危険性があるという事なのです。
またこのことは別の記事でご説明させて
いただきます。
さて我々の空間の認識が間違っている
という事は、とにかく神秘メッセージの
ありとあらゆる記事で納得のいく説明を
させていただいているのでご覧いただく
という事で、それより、今回私たちが
「ちっぽけな存在」なのではなく、
自分よりはるかに大きな存在に、言葉を
いただく必要もないという事をとことん
理解するために、今回のアニータさんの
証言は役に立つと思います。
さて誤解されやすいのは、私たちが
「宇宙大」であるなどと言えば、傲慢な
考えをしていると思われる事です。
それこそ大きな視点の転換が必要な事
なのです。
私たちが宇宙大の存在だからといって、
「謙虚」でなくなるという事はないの
です、むしろ全ての存在が同じく
宇宙大であり全体である事を認める事
によって、余計に相手を尊敬できる
という真の意味での謙虚さにつながる
というわけです。
つまりまわりの人もみんな宇宙大だ
という事なのです。
「謙虚」だとみなさんが勘違いしている
ものは、「自分がちっぽけ」である
という認識や感覚だけならまだしも、相手
もまた「ちっぽけな存在」だとして
しまう事につながり、逆に相手に
対して傲慢でネガティブなイメージを
抱いてしまうことにつながるのです。
(私が「気」で特に日頃感じるのは、
「おまえ程度の人間になにがわかるものか」
、という言葉に変換できる「気」
です。たぶんその人たちは、みんな
本当の自分の事も私の事も知らない
のでしょう。本当のたとえば私と
いうのは、笑かす感じの個性や嗜好
を持つ、この身体の事ではありません
よー(^^))
確かに相手を思いやる共感は大切です
が、「相手をあわれで小さな存在」だと
認識する事は、とてつもなく相手に
ネガティブなエネルギーをもたらす
事になってしまい。
愛のある意識につながらなくなって
しまうのです。
相手が、「自分が幸せで強く永遠の存在
である」というイメージを持てるように
助けてあげる事の方が、本当の愛のある
行為だといえるのではないでしょうか?
今回の末期癌のアニータさんの臨死体験は
まさに自分がそのような存在であると
気づいたからこそ、完全な健康体を
取り戻し、それまでとは別人のような意識
を得て、至福感を持って毎日を送れる
までになったというわけなのです。
では私たちが本来どのような存在であるか
を知るのに、とても参考になる元記事を
どうぞ。
では元記事です。
前回の記事で、アニータさんが絶対意識領域
に到達したことで、時空を越えて、さらに
過去・現在・未来を同時に俯瞰できる
時間軸を認識する事ができ、その上その
時間軸が無数に存在するパラレルワールド
まで感知して、しかもその世界を「体感」
することができたという、
あまりにも気の遠くなるような、高いレベル
の意識に到達できたことを紹介させていただ
きました。これがまさに、これ以上の境地が
ない意識レベルだと思われますので、比類
のない、最高のものという意味をこめて
「絶対意識」と名付けさせていただきま
した。
全てが一体のものという意味の「ワンネス」
や「超意識」というような言葉とほぼ同じ
意味になりますし、アイク氏の著書の訳者
為清氏の翻訳だと、「根源意識」と呼ばれて
いるものと同一になります。
ただし私は、根源意識だと、奥の方に眠って
いる、究極のポイントというような意味に
取れてしまうので、全ての意識を含んだ
ものという意味での「絶対意識」とは、違う
ようなものに感じられしまうので、この言葉
は使いません。
絶対意識は、意識の中の一つのポイントでは
なくて、全ての意識を含んでいる総合体
でありながら、その意識のレベルの最高の
境地という意味になります。まあこれは
言葉に対する人それぞれの感性によるの
で、言葉よりもその意味する事が伝われば
いいと思います。
さてその絶対意識に到達したアニータさんの
境地は、無限の種類ある時空を俯瞰できた
だけではありませんでした。
アニータさん編の最後に、その境地をご紹介
させていただきます。
いつものようにアニータさんの著書からの
引用と私の考察という形で進めていきたいと
思います。
「」内が引用部分になります。
~以下引用~
「拡大した領域での気づきは、どんなに
説明しようとしても、言葉では言い表せ
ません。その明快さは驚くばかりでした。
「宇宙は理にかなっていた!」と、私は
理解しました。
さらに、どうして自分が癌になったのか
とうとうわかったのです。私はその瞬間の
すばらしさにあまりにも夢中になり、
しばらく病気の理由について考えられな
かったのですが、やがて、深く探ってみる
ことにしました。
そして、そもそもどうしてこの世に生まれて
来たのかも理解できるように思えました。
自分の真の目的について悟ったのです。
「どうして突然、すべて理解できたんだ
ろうか?」私はそれが知りたいと思いま
した。
「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」
~引用終了~
これは、絶対意識に達した、アニータさん
ならではの特別な境地で、他の臨死体験者の
ほとんどが、神にあってきたとか、絶対的
な存在を感じたなどと、証言してます。
つまり自分はあくまでも神や絶対者とは別
の意識で、やはり自分はそれに比べて小さな
存在だとか、劣った存在だと認識してしまう
のです。
(ただ臨死体験を大規模な調査で統計的に、
研究されたケネス・リング氏などは、やはり
その絶対的存在や、光の存在が臨死体験者
本人の事であると著書に書かれています。)
ですが、アニータさんの場合、自分以外の
他者は存在せず、全て一体で、神やブッダの
ような絶対的存在そのものに自分がなって
いるという境地に達したという事なのです。
実は、真理はこちらの方になります。
神や絶対的な存在がいるという前提に
立つ宗教は、そもそもが当時の支配者が
人類に対して与えた幻想だったのです。
それを何世代にもわたって、我々に刷り
込んできたために、潜在意識の奥深い
ところまで、そのような概念が身について
しまったのです。臨死体験者の多くが、
自分よりはるかに高いレベルの存在を感じた
というのは、その潜在意識に刷り込まれた
概念が、肉体を離れた意識にも投影された
という事なのです。
肉体を離れれば、多くの人が肉体に囚われて
いた時よりもはるかに認識力は増大します
が、意識のレベルは、そのままその領域に
投影されるのです。
つまり死んでも意識は無くならず、自分
と一体であり続けるのです。
多くの人が、生前と同じような感覚を、臨死
体験時に持ち込むのは、そのためなのです。
特に、絶対的な存在に対する、ちっぽけな
自分というのは、何千年もの太古から、人類
に刷り込まれ続けてきたコンセプトなので、
そう簡単には、打ち消すことができないの
です。
この神と一体になった自分を認識できた臨死
体験者も数は少ないですが、おられます。
そして、その絶対意識の境地に到達した人物
の一人が、臨死体験はされていませんが、
著書からたびたび引用させていただいている
デーヴィッド・アイク氏なのです。
この神と一体であるというコンセプトは、
東洋の思想では、むしろ一般的です。
臨死体験者の報告の実例報告が西洋人に
偏っているので、神のような存在に
出会ったという報告が多いのではないかと
思います。
臨死体験者の実例が西洋人に多いのは、
東洋人に臨死体験者が少ないという意味
ではありません。レイモンド・ムーディ氏
が、著書で「臨死体験」という言葉を使って
から、本格的に調査したのが、西洋人たち
で、調査対象も西洋の人々に偏ったから
です。
我々は、全知全能の絶対的存在とつながって
いるばかりでなく、意識レベルが究極に
なれば、その絶対的存在そのものになれる
という事なのです。
まあ信仰の篤い方々には到底受け入れられ
ないでしょうが、これは真理だというしか
ありません。
全てが一体であるというのが真実なので、
それであれば自分と分離した存在という
ものがある時点で、矛盾してしまう事に
なるからなのです。
神などの絶対的存在を、意識するように
なった時点から、自分自身の絶対的な
力を、その存在に譲渡する形になります。
なぜなら、そのような力が「ある」のは
その神などの方で、自分には「ない」
という強力な裏の意識が、自分自身の
ものとして、潜在意識に刻み込まれて
しまうからです。
このアニータさんの究極の境地はまだ
続きます。
~以下引用~
自分のユニークな本質を表現することは、
自分自身への、自分が出会ったあらゆる人
への、そして人生そのものへの義務である
と理解しました。自分以外のものになろう
とすれば、良い状況がもたらされる
どころか、真の自己を否定することになる
のです。他の人たちは真の私を体験する
機会を失い、私自身も人々と真実の
関わりを持てないでしょう。本当の自分
にならないことは、わたしがここにやって
きた目的を宇宙から奪い取ることなのです。
(中略)
この時私には身体がなく、身体的特徴は
ありませんでしたが、私の純粋な本質は
存在し続けており、それは完全な自分と
なんら変わりませんでした。実際それは
身体よりはるかに大きく、強烈で、包括的
でした。それはすばらしい感覚だったの
です。
自分は永遠の存在であるような気がしま
した。まるで、始まりも終わりもなく、
自分は存在していて、これからもずっと
存在し続けるという気がしました。自分
はただすばらしい存在だという気づきで
あふれていたのです。」
~引用終了~
この自分が永遠の存在である事に気づくと
いうのは、臨死体験や覚醒する人には、よく
ある真理ですが、そもそも肉体が自分で
ないと気づいた時点で、肉体の持つ有限性
には囚われなくなるので、これは自然な
感覚です。また肉体が自分自身だと思って
いるような通常の人たちにとっては、自分
が永遠だと知る事は、いろんな恐れや心配
などを吹き飛ばすのに、よい事だと思われ
ます。
そしてまた自分の本質は、宇宙の意志その
ものなので、それを表現する事は、宇宙の
理にかなっているというのは、とても
素晴らしい境地です。
私たちは、あまりにも、他人基準で生き
ようとしすぎて、他人に合わせて言いたい
事もできず、したいことも抑えて生きて
ますが、それは宇宙の意志に反すること
だというのです。我々はありのままで
いる事こそが、宇宙そのものの意志で
あり願いであるので、それをそのまま
人生で表現するだけで、愛される存在
だという事なのです。
(ただし、ありのままといっても、他人
に害を加えるような事とは、全く次元が
違います。
アニータさんは、もうすでに悪意などを
全く感じないような絶対意識にいるため
そのことについては、盲点ですが、
ありのままというのは、本質の自分の
ままに、という事であって、肉体に
囚われての意識に対して欲望のままに
という意味では、全くありません。
もちろん自然な欲求は、肉体にある
うちは良いのですが、それが他人を不幸
にしたり、自分自身の意識をゆがめて
しまうような欲求は、本質から離れる
事になります。たとえば性欲や食欲は
いいけれども、それが他人を不幸にして
もかまわないというような意識や、自分
の健康のリズムをこわしてもいいという
ような意識が、本質から離れていく事に
なるわけです。)
つまり私たちは、自分を抑えず、ありの
ままに生きるというだけで、運も引き
寄せ、健康になり、自分自身そのもの
である宇宙エネルギーを最大に発揮
できるという事をアニータさんはいって
くれているというわけです。
なるほど、そういう事であれば、みなさん
全員が、誇りを持って人生を送る事が
できますね。
しかも一度きりの人生などという虚しい
ものでなく、永遠の存在としての自分の
一つの貴重な体験というように、今
を生きることができるというわけなの
です。
なんだか力が湧いてきましたね。
振り返って、アニータさんの言葉を、
確認していくと、いかに我々にとって
大事な境地に達してくれたかがよくよく
わかります。
最後にアニータさんが教えてくれた私たち
が一体である事がよくわかる証言を取り上げ
たいと思います。
~以下引用~
「私たち全員がつながっている事にも気づき
ました。その織り込まれた統合体は、人間や
生物の範囲を超えて、もっと外へと拡大して
いき、全ての人間、動物、植物、昆虫、山、
海、生命のないもの、そして宇宙全体まで
含んでいるように感じられました。宇宙は
生きていて、意識で満たされており、すべて
の生命や自然を包み込んでいるのだと悟った
のです。
あらゆるものが、無限の全体に属していま
した。
私も、すべての生命と複雑に絡まり合って
いました。
私たちはみんな、その統合体の一つの側面
なのです。すなわち、私たちは一つであり、
一人ひとりが、集合的“全体”に影響を与えて
いるのです。」
“「」内全て出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著
hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
アニータ・ムーア・ジャニ著
奥野 節子訳
ナチュラルスピリット刊”
宇宙は、一体で全て意識で、別個のように
見える我々は全て一体だという事です。
なるほど!という事は、自分に対する愛情と
同様の愛情を他人にも、自然にも、ものに
でさえ向けることができるようになります
ね。全て自分なんだから当然でしょう。
「宇宙に意識があるから自分にも意識が
ある」というのは、前の記事にも書いた
私の20年ほどの前の気づきの言葉です。
当時から意識は、脳から生まれるような
ものではないという事には気付いていた
わけです。
しかしまさか、宇宙全体の意識も自分自身
だとは思いもよりませんでした。
しかし、その事を今回のアニータさんや
アイクさんに具体的に説明してもらって
一気に認識レベルが上がったという事
なのです。
これで、世の中に私たちの生活を脅かす
権力者や邪悪な存在がいても、宇宙
そのものが自分であり、味方という意識が
あればこれほど心強い事はないですよねー
(^^)
最近は、山にも海にもありがたい存在
として、感謝しながら、愛情を感じるよう
になりました。
つまり自分にはこんな広大な自然の味方が
いるんだなという感覚です。さらに超広大な
空間そのものも自分だという事を感じて
みれば、確かに自分は、不死身で永遠だ
という事も理解できるというわけです。
さてこれまでは、アニータさんのエピソード
は、ここまででしたが、続編の記事を書いて
まーす(^^)
近日公開予定なので、
お楽しみにーーー(^^)