今日は、この百人一首の一つを紹介
したいと思いまして、秋になろうとして
いるこの季節に、なぜ春の八重桜を
うたった一首を選んだかといいますと、
この歌しか思い浮かびませんでした。
実は私、たぶん自慢にならないけど、
中学校の校内、かるた大会、つまり
百人一首での大会で校内3位だったの
です。なんだかかっこよくないなー💦
実は、生まれ故郷の京都府舞鶴市で、
親戚が近くに住んでいたので、正月に
なると何故か好例で、源平合戦(百人
一首のチーム戦のようなもの)を毎年
やることになっていて、年下の自分は
実力はもちろんビリだったのでつまん
なかったですが、耳で覚えたおかげで
全く未経験の子が多い中学では、とても
強かったというわけです。
やはりかっこよくないなー。
それはそれとして、この一首なかなか
洒落の効いている粋な逸品だったのです。
それを紹介したいというだけで、一席
ぶつことにしたわけです。(記事を
書くという意味です)
みてください、まず奈良と京都が対比
されて、表現されているのわかります?
奈良はそのままの意味だけれども、
けふは、きょうと読んで、今日とも京
とも読めますよね。だからいにしえ
つまり奈良時代の奈良と、この歌を
宮中で詠んでいるので、現在の都の
京都を対比させているのです。
この場合の現在というのをまた今日
というもう一つの意味にこめている
わけですね。
つまりいにしえの時代の奈良の八重桜
が、今日、現在の都(京都)とうまく
言葉を巧みに使いながら、綺麗に対比
させているわけです。しかも九重に
匂うと詠んでますが、九重はここのへ
と詠みます。つまり奈良からここへ
という意味まで隠しているのだから、
また粋な洒落を効かせてるわけです。
そして匂うというのも、奈良から
ここまで匂いが伝わりますよという
意味まで隠されてます。
つまりいにしえと今日、奈良と京、
奈良とここ、そして八重に対して
九重というとても美しい洒落の効いた
歌になっているではありませんか。
勝手にこの一首を解釈したにしては、
上出来だと思いませんか?
そしてここで本当の知識人の解説を
見てみましょう。
■□■ 現代語訳 ■□■
いにしえの昔の、奈良の都の
八重桜が、今日は九重の宮中で、
ひときわ美しく咲き誇って
おります。
■□■ ことば ■□■
【いにしへの奈良の都】
「いにしへ」は「古き遠い時代」
の意味。この歌が詠まれた時、
すでに奈良の都は元明天皇から
光仁天皇までのほぼ70年間にわた
って都があった古都のイメージ
がありました。
【八重桜】
桜の品種のひとつで、花弁が
たくさん重なり合う大きな花をつ
けます。この歌は当時京都では
珍しかった八重桜が奈良から京都
の宮中へ献上されるときに歌われた
ものです。
【けふ】
「今日」という意味で、「いにしへ」に
照応しています。
【九重に】
「宮中」の意味で、昔中国で王宮を
九重の門で囲ったことからこ
う言われています。「八重桜」
に照応した言葉です。
【にほひぬるかな】
「色美しく咲く」の意味で、
「にほひ」といっても香りではなく
見た目の美しさを表します。
「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連
体形で、「かな」は詠嘆の終助詞。
■□■ 作者 ■□■
伊勢大輔(いせのたいふ。
11世紀前半の人)
正三位神祇伯・大中臣輔親
(おおなかとみのすけちか)の娘。
中宮定子のいとこ・高階成順
(なりのぶ)と結婚し、勅撰歌人の
康資王母(やすすけおうのはは)
などを産みました。上東門院彰
子(もと中宮)に仕え、紫式部や
和泉式部とも親しい間柄でした。
“出典:
京都おかき専門店長岡京
小倉山荘様のサイトで
ちよっと差がつく百人一首講座
という記事の一つを拝借しました。”
なるほど、九重には、宮中の意味が
ありましたか。
それにしてもけふを京と今日という二つ
の意味にこめたというのが抜けてます
よねー。詠んだ人はわかって欲しかった
と思いますよー。
それと宮中に奈良から送られてきたと
いう事実があったにせよ、ここは
春の陽気に奈良から風でここまで
運ばれてきたという意味もこめている
ような気がします。もちろん時代を
越えて運ばれてきたという意味も
含めてね。
まあなんて生意気でしょうね、
あんみんは、印象だけの感覚で解釈
しただけで、ここまで知識人に刃向かう
かー?
とにかく今日はみなさんがたくさん
サイトに来てくれはったので、
そのお礼にと一首プレゼントしようと
思ったわけどす。
え、いらんわーって?
ところでこれは雑記編かな?