この記事は
永遠の命は神から与えられなくても、
すでに我々のものだった!
の続編ではありませんが、深く
つながる事になります。
また
母性的性質のM音をベースにした
日本人の一元論的な観念とは?
ともつながっています。
これまで何度も強調してきました
ように、私たちの実体は、肉体では
なく、永遠に失われない意識だと
いう事です。
そしてまたその意識は究極の存在
でもありワンネスそのものだと
いう事です。
つまりその究極の存在としての自分は、
意識そのものであって、無限の意識
でもあるという事、そしてその意識は
絶対的な愛でもあるという事です。
宗教を信じる人たちが、陥りやすい罠
として、自分は、絶対的に神とは別の
存在で、神は絶対的なものだから、自分
はそれに従わなければならないなどという
考えがありますが、そしてそのように
思う人があまりにも多いのですが、
それこそ幻想で、自分は、まさにその神
とも同様の存在だという事が真実
だという事です。
この理解については、これまでも
スピリチュアルな世界に精通している人たち
(中でもお花畑とも形容されるような人
たちといった方が良いかも知れません。)
と、共感しあえていた部分です。
ただし私のこれまでの記事を理解して
いただくには、その理解だけでは足りない
のです。
いつもその方々に問いたいと思っている
事があるのです。
で
ではなぜ本来の絶対愛の意識の私たちが
一部の意識としての魂を宿した肉体として
存在しているこの世では、残虐な犯罪や、
凄惨な事件、武器などの兵器で儲ける
ためにしかけられた戦争で多くの人たちが
人生を強制的に奪われ、また医療産業の
利権により、医療を頼る人たちの多くが
より健康を悪化させたり、医療行為に
よって、さらなる病気が引き出されたり、
死亡したりしているのか、
はたまた医療産業や軍需産業よりさらに
上に位置する、世界寡頭金融資本たちの
おかげで、私たちは搾取され続け、また
命も自由も奪われていってるのか、
理由はなんであろうかという事に
見事に答えられない人が、
そのスピリチュアルの世界にとても多い
です。
なぜならこの全てのものの本来の姿が、
絶対的な愛であるなら、どうして同じく
絶対的な愛であるはずの人々によって、
こんな愛のないような残虐で悲惨な世界が
展開している事の理由が、彼ら
スピリチュアルな世界の人にはわから
ないからです。
一応の答えはあります。
「人々が覚醒して、本物の愛にも目覚めず
自分が無限の存在と理解していないから
というものです」
この答えは、合っているのです。
しかし、ではなぜ絶対愛と同一でしかも
万能であるはずの人々が、本物の愛にも
目覚めず、自分が無限の存在とも理解
できない人たちが、大多数なのは
なぜでしょうか?
絶対愛であるはずの自分が、わざわざ
こんな人々が悲惨で苦しみに満ちた
世の中を経験したいとは思わない
はずですよね?
全ての存在を愛しいと思うような
万能で全知のはずの自分が、無知な
ために、多くの人が愛のない世界で
苦しんだり、命を落としたりするような
シナリオを現実化しようと思うので
しょうか。
決して今私たちの現在の世の中の状況は、
とてもじゃあないですけど、中心に
絶対的な愛を持って、本来は、無限
の存在であるの意識によって創られた
ものではないはずです。
そして、全ての存在が愛であるとしたら、
絶対的な愛そのものである人類が、自分
たちにとって、悲惨で困難で苦しみと
哀しみに満ちた世界を現実化させよう
とはしないでしょう。
だから邪悪なシナリオを実行させよう
とする存在がなければならない事に
なるのですが、それが私たちの現実
世界には存在するという事です。
そうです、その邪悪なシナリオを実行
させようとする存在こそマトリックス
のプログラムを創り上げたものであり、
その姿は、絶対的な無限の愛の意識からは
、完全に盲点、つまり意識できない存在
なのです。
ただし、絶対意識の意識できない存在
など本来あるはずもないのですが、
それは意識できない事はないのだけれども
そこにフォーカス、つまり焦点を
合わせなければ、認識できないという事
なのです。
そりゃあ絶対愛の意識が、邪悪な意識
などを、自ら好んで意識したりしない
のは当然ですよね。
このあたりが、スピリチュアルな世界
に生きる人たちのつまりは盲点でも
あるという事につながるのです。
(この事を、頂天の支配層の背後に
いる冷酷な超知的生命体もしっかりと
理解しているという証拠が、彼ら
自身の言葉の中にありました。
「これは我々が現世と来世を
生きるうえで従う秘密の盟約だ
この現実が、幾世代もの人生を
超えていくものだから
この盟約は血によって、我々の
血で封印されている
我等、天国から地上に降り来た
者によって
この盟約は、決して 絶対にその
存在を知られてはならぬ。決して
書き留めたり、これについて話を
してはならぬ。そこから生まれる
意識が我々に対する創造主の激しい
怒りを解き放ち、 我等がやって
来たどん底へと落とされ、永遠の
ときの最後まで 閉じ込められる
であろうから 』
“「さてはてメモ帳」様のサイト
<イルミナティ――秘密の盟約>
千早様訳 より”
要するに創造主というのは、
もとのワンネスの意識の分離
意識で子意識にあたります。
ワンネスの意識は激しい怒り
などは持ち合わせていません。
要するに分離意識の分離
意識なので、自らを永遠に存在
させたいために恐怖や苦痛・
悲嘆などのエネルギーを得る
ための仕組みを造り上げた
という事なのです。
閉じ込められるというのは、
そのような邪悪な意識
として存在できなくなる
という事です。)
そしてそのような邪悪な意図を持って
いるものは、無限の自己は現実として
創ろうとしていないものです。
という事は、この邪悪な存在は
幻覚・幻想なのですが、ではなぜ
そのような幻覚でしかない意識が
恒常的に存在できるようになった
かというのが、とても重要な
ポイントになるのです。
これはこれは古代グノーシスの
教えにもあった大切な知識なので、
ここをよく理解していただきたいの
です。
まず、絶対的な意識は無限の自己
なので、自らの意識は無限に
広がっています。そしてどこまでも
自由な意識なので、自分の分身を
創ろうとするのです。
これが私たち個人という存在が
できた最初の意識という事に
なります。
その分身の意識に対しては、当然
絶対的な意識は、存在を充分に認識
できているのです。
ただ愛を持って、全てその分身である
分離意識の自由にさせようとするので
いったん意識の焦点を外します。
これが盲点の第一です。
つまり私たちは、本来は、無限の自己
とつながりながらも分身として存在する
ようになったものが原初の意識で、それが
太古に存在したムーやアトランティスの
時代の人の意識であるという事です。
この原初の意識はまた、仏陀や真の意味
でのキリストと同一でもあると思います。
だから結局いろんな経験を分離した意識
でするので、満足するのですが、
やがては、全ての経験を終えたと感じた
時には、本来の全ての自己に回帰して
いきます。
分離した意識としての経験を全てしたの
ですから満足したので当然ですよね。
ただしそのような分離した意識の中で、
ある者は、さらに自分を分離させて
またその分離した自分を経験したいと思う
ようになったのです。
もちろん万能の自分を意識できている
のだから、当然無限の本来の自己の能力
を使えるわけですね。
ただし、分離した自己から生まれた分離
した意識は、おおもとの絶対的な意識の
事は、意識しにくい状態になります。
ここが大きなポイントなのです。
つまりおおもとの絶対的な意識から、
分離した分身である意識がさらに
自分の分身を創った場合、分身で
ある自分から生み出されたわけです
から、その孫分身ともいうべき存在は
そのもとである最初の分離した意識
に同化しなければ、本当のもとで
ある無限の分離意識には回帰できない
という事になるのです。
そうなるとその孫分身は、自分が
本来は、無限で永遠である事を意識
できないために、自分という存在が
失われる事を怖がるようになるの
です。
つまりもとの絶対意識の子の分離意識
に回帰したくないと、思うようになった
という事です。
これが全ての恐怖の出発点です。
みなさんも実はその孫分身の系譜
(ただし、人によって分身の分身
そしてそのまた分身の場合がある
というようにいくつものレベルが
あって、それが魂として肉体に宿る
時に引き寄せられる人生にも影響
します。)
なので、その恐怖があります。
覚醒していない誰もが死を恐れる
理由はそこにあります。
そうです、その孫分身の中で、
自分という存在がなくなる事を極端に
恐れたために、どうしても自分が
永遠に存在するための方法を
探したのです。
さすがにもともとは、無限の全知・
万能の意識だけに、アイデアを思いつく
のです。
ここからがいちばん大事です。
つまりこの自分が感じている恐怖を
感じ続けていけば、また同様な
ネガティブな意識を持続させ続けて
いれば、自分という存在ならではの
特殊な感情を持つ意識は、消えないで
存在し続ける事ができるという事を
思いついたのです。
しかし、もとは無限の自己につながる
意識から分離した意識からさらに
分離した意識である孫意識は、当然
すぐに完全に同化はできないままで
いるので、おおもとの無限の絶対愛の
感覚からは少し遠いけど、愛の意識を
持っています。その愛の意識は、
あらゆるものと同化したいという
意識でもあるので、やはり孫意識の
もとの子意識に戻ろうとしてしまうの
です。
これが私たちの意識でもある孫意識
です。
その中の孫意識の中で、極端に
自分がなくなる事を恐れた意識が
次のような事を考えたのです。
その存在はもとの子意識に回帰すれば、
かならず自分の中の恐怖が消えて、
自分という個の存在が消えてしまうので、
そういうもとの子意識に回帰するための
同化をしたくないわけです。
だからさらに
愛の意識を感じない自分の分離意識を
生み出そうとするわけです。
こうして全く愛のない孫意識が創った
恐怖があるゆえの分離意識が、
存在するようになったのが、俗に言う
悪魔の正体なのです。
つまりもとは孫意識が自分という個の
存在が消えてしまわないようにしたい
だけで創り上げた意識なので、おおもとの
意識の感知できない意識でしかないので
本来は存在していない、たんなる幻覚
でしかない意識が存在するようになった
という事です。
ですがその幻覚は頑丈です。
なぜなら恐怖を永遠に生み出し、
または吸収して存在し続ける
だけの意識ですから、他の存在と
同化したいという愛の意識を持って
いません。
だから、永遠に邪悪な意識のまんま
です。
もちろん絶対的な意識またはその子意識が
その存在に気づいてしまえば、すぐにでも
そのような愛のない意識は、消滅させ
られるでしょう。
絶対的な無限の、愛そのものである意識
に恐怖などというものは存在しないから
です。
ですから、邪悪な存在は隠れる事にした
のです。
自分と違って、恐怖だけでない孫意識に
憑依してしまえば、わからないように
存在しつづける事ができるように
なると。
そこで彼らが思いついたのは、その
孫意識たとえば我々のような人類に
恐怖心を生み出しやすい、そして
また本来の永遠の意識を認識しにくく
なるようなマトリックスプログラムを
誕生時に施しておけば、人類は
恒常的に恐怖心などのネガティブ
エネルギーを持ち続け、とても狭い
五感というような現実認識の中で、
真実から遠ざけられる事で、彼ら
のような邪悪な意識で成立する存在に
コントロールされ続ける
事になったというわけなのです。
つまり彼ら自身はプログラムによる
意識として私たち自身の中に隠れた
というわけなのです。
(引用注:これもとても重要な理解
のヒントにあたります。
私たちの生体プログラムに彼ら
自身のマインド(恐怖心や苦痛・
悲嘆)を仕込んでおいたという事は
こちらの記事で詳しく説明しています。
隠されていたマトリックス!支配層自身の
性質をプログラムされていた!?
)
それが孫意識である私たちの中に
取り込まれたマトリックスの意識
そのものなのです。
だから私たちは、マトリックスの
プログラムを解除して覚醒すれば、
本来の無限の意識とも、または
分離意識である子意識とも
つながれるし、また一方でマトリックス
のプログラムに従ったままだと
自分が存在しなくなるかも知れない
恐怖や様々なネガティブな意識も
感じてしまう事にもなるのです。
その本来の絶対意識の子の分離意識に
あたるものが、黄金時代の人類で
あったり、仏陀や世界中の覚醒者
という事になります。
ではなぜ私たちの現実世界で、恐怖の
邪悪な意識に憑依されたものが、支配的
な立場にいるのかというと、その支配的な
立場の存在は、自身を永遠に存在させる
ために、その邪悪な意識に完全に憑依
させたのです。
(引用注:その邪悪な意識は、非人類の
超知的生命体に宿った意識の投影
でもあるので、邪悪な意識のさらに
分離意識に憑依させたという意味に
なります。)
それが私たちの現実世界を影から
コントロールしている王族の血族
(ロスチャイルドなどの黒い貴族
も王族と同類です)たちだという事
です。
つまり彼らも、自分たちとは別の存在から
恐怖を吸収し続けないと存在できない
ので、他の存在に恐怖や苦しみなどの
ネガティブエネルギーを生み出させ
続けなければ、消滅してしまうのです。
そのためには、彼らの恐怖のエネルギー
の分離意識を、私たち孫意識に憑依
させなければなりません。
しかしもとはといえば無限の愛で
無限の自己である意識である
私たち孫意識に憑依するのは、
非常に困難です。
だから彼らは、知恵だけは無限の自己
から持ち出しても差し支えなかったので
悪知恵を働かせて、私たち孫意識に
無知になって愛も認識しにくくなる
という意識や認識の制限にもつながる
ようなマトリックスをDNAにプログラム
したのです。
このプログラムは、とても狭い五感の
認識に私たちの意識を閉じこめる
ために多様な細工が施されています。
仕掛けられた五感の認識の制限を
超えるための機能を持つ右脳(松果体)
の働きが活発化する睡眠時には、
現実認識に必要な左脳が、働きを
止めてしまうようにするものです。
だから私たちは、右脳が働きやすい
8Hz以下になると眠くなるのです。
また彼らは、私たちが生まれ持って
ネガティフな意識に囚われる
ような恐怖や苦しみの感情まで
プログラムもしているのです。
それが強く発動する時には、この
邪悪な存在を近づける事になり
極まれば、憑依される事になる
わけです。
それが現在の私たち自身が宿る事に
なった人類の肉体意識だという事
です。
だから私たちは孫意識でもあるので、
覚醒する事ができて、肉体の
マトリックスから脱しさえすれば、
いつでも、おおもとの絶対意識か、
またはそこから分離意識した子意識には
つながれるのですが、マトリックスの
プログラムが、つまり限定された認識の
肉体的意識またはボディマインドを
常に意識するように仕組まれたもの
なので、あらゆる意味で、もとの
絶対的な意識を意識するのがとても
困難な状態にさせられているという事
です。
そのマトリックスを私たちにプログラム
した存在の言葉というのがさきほども
取り上げましたイルミナティ―の
秘密の盟約という、世界の支配層の
最奥にいる者の言葉です。
ただこの場合の彼らは、正確に
いえば、支配的な王族などの血族に
憑依した、人類とは次元を異にする
生命体という事です。
さて今回の事がわかる彼らの言葉を
さきほどの分も含めて振り返って
みましょう。
『』内が引用で、~が中略です。
『教義や宗教を使って 奴等を
「一体であること」から引き離す
奴等の人生をあらゆる側面から
支配し、
何をどう考えるべきかを教えて
やるのだ
我々が奴等をそっと優しく
導きつつ
「自分自身で選んでいるのだ」
と思わせる~
奴等から「我等は皆 ひとつである」という
神聖な真実を常に隠す
奴等は決してこれを知ってはならない!
色は錯覚であることも 奴等は決して
知ってはならないし、奴等は常に
「自分たちは同等の存在ではない」と
思っていなければならない~
しかし、もし奴等が我々と
同等だと知ったら、
そのとき我々は滅びてしまう
だろう
奴等はこれを、決して知って
はならない
もしも奴等が 力を合わせれば
我々に打ち勝つことが出来る
と知ったら 行動を起こすだろう
我々がしてきたことを 奴等は
決して知ってはならぬ。もし
知れば、一旦ベールが剥がれ
落ちれば、我々の正体は明らか
になり、逃げる場所もない。
我等の動きが我々が誰かを暴露し、
奴等は我々を捜し出し、誰も
かくまってはくれまい
これは我々が現世と来世を
生きるうえで従う秘密の盟約だ
この現実が、幾世代もの人生を
超えていくものだから
この盟約は血によって、我々の
血で封印されている
我等、天国から地上に降り来た
者によって
この盟約は、決して 絶対にその
存在を知られてはならぬ。決して
書き留めたり、これについて話を
してはならぬ。そこから生まれる
意識が我々に対する創造主の激しい
怒りを解き放ち、 我等がやって
来たどん底へと落とされ、永遠の
ときの最後まで 閉じ込められる
であろうから 』
“出典:「さてはてメモ帳」様のサイト
<イルミナティ――秘密の盟約>
千早様訳 より”
この彼らによって与えられたプログラム
がどのようにして私たちのDNAに
施されているのかは
DNAと人体の波動は同一だった!遠隔複製
されるDNAと月のマトリックスの関係とは?
や
細胞膜は液晶の半導体で、身体は精緻な
バイオコンピューターだった!
などの一連の記事で詳しく説明
しています。
さて今回私たちが絶対意識から
意図的に分離された仕組みに
ついて、またその仕組みを
仕掛けた邪悪な意識という存在の
成り立ちについて説明しましたが、
このコンセプトは、原初のキリスト
教の教本として、弾圧されるまで
多くの人の支持を得ていた
グノーシス派のナグハマディ文書
に書かれているものと同様のもの
でもあるのです。
それを観てみましょう。
『
1945年にエジプトのナグ・ハマディ
という村で、初期のキリスト教の写本が
みつかり、そこにグノーシス主義の
思想が、多く記されていた事により、
明るみに出る事になったのです。
そもそもローマ皇帝により、キリスト教を
国教とする過程で、それまでの知識を
記した本や文書が大量に破棄され燃やされ
てしまい、さらにキリスト教自体も都合
良く編纂されてしまったのです。
その時にわずかに難を逃れた文書があった
という事です。
つまりこのナグ・ハマディのキリスト教の
写本は、キリスト教が編纂される以前の文書
だという事です。
つまりこの写本から、古代の知識を得る
チャンスが生まれ、多くの研究家によって
知られるところとなったという事です。
そしてそこに書かれていたのが、
グノーシスの教えだったという事なの
です。
さてそのグノーシスの教えとはどんな
ものなのか、説明しておられるサイトから
引用させていただきます。
「」内が引用です。
「グノーシス(gnosis)という言葉は、
もともと古代ギリシア語で「知識」や
「認識」のことを意味する言葉であり、
より具体的には、人間が宇宙全体を
俯瞰してその仕組みを理解すると同時に、
自分自身の心の内を深く内観することに
よって得られる神秘的な知識としての
真理のことを意味する言葉ということ
になります。
グノーシス主義では、ミクロコスモス
(小宇宙)である人間は、根源的には
肉体と精神という二つの側面に分裂した
存在として捉えられ、
肉体がもたらす欲望が人間を悪しき道へ
と引き込む悪しき存在であるのに対して、
精神における知性の働きは人間を正しき道
へと引き戻して真理へと導く善き存在
であると捉えられることになります。
それと同様に、
マクロコスモスである宇宙についても、
それは物質的存在から成る悪しき宇宙と、
神的で精神的な存在から成る善き宇宙
という二つのあり方に根源的に分裂した
存在として捉えられることになります。
そして、グノーシス主義においては、
物質的存在から成る悪しき宇宙とその内
にある悪しき肉体から離れ、自分自身の
心の内にある人間の魂の神的な本性を
自覚することによって魂の救済が
得られると考えられることになるの
ですが、こうした自分自身の魂と宇宙全体
の真理に関する神秘的な認識のあり方こそ
が、グノーシス主義におけるグノーシスと
いう言葉が持つ具体的な意味の内実である
と考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
グノーシス主義におけるグノーシスと
いう言葉は、もともと古代ギリシア語に
おいて「知識」や「認識」のことを意味
する言葉であり、
それはより具体的には、自分自身の魂と
宇宙全体の真理を探究することによって
得られる神秘的な認識のあり方のことを
意味する言葉であると考えられることに
なります。」
“出典:
「TATANの雑学と哲学の小部屋」様”
このことから、私たちの五感で捉える
物質宇宙は悪であり、肉体の欲望が人々を
悪へと導くという事をいっているわけです。
まあ肉体的な欲望全てを悪だというのは、
私の見解とは違います。それは単なる
肉体的プログラムで、それをコントロール
する心さえあれば、人生の経験として
尊重して良いと思います。ただここで
注目していただきたいのは、その肉体的
欲求も物質宇宙も同じく、悪のような存在
ルシファーまたはサタンによってつくられた
という事を、グノーシス派は説いている
という事です。
このことはデービッドアイク氏の著書
「PERCEPTION
DECEPTION」
と「PHANTOM SELF」
に詳しく書かれていましたので、それを
訳した内容をご紹介します。
グノーシスでは、物質宇宙とその外側の
境界には、土星があり、その向こうに
悪の象徴があると説いています。
単に当時土星が最も遠い天体として認知
されていたからというだけにも思われる
かも知れませんが、土星の内側の領域が
コントロールされているという事は
真理をついていると思います。
またこの物質宇宙をつくったのが
アルコン(Arcon)という存在で
我々の支配者だという事なのです。
しかもこのアルコンの綴り「arch」
なのですが、英語の支配者に関する
単語に多く使われているのです!
列記しますと。
monarch 君主
hierarchy 王制
archfiend 大悪魔
archbishop 大司教
archangel 大天使
このように英語の支配者や悪魔などを
示す単語に「arch」の綴りが
使われているのは偶然ではなく、古代
ではこのアルコンというのは、支配者を
示している言葉だという事が広く
知られていたという事なのでしょう。
第一のアルコンは特にデミウルゴスと
呼ばれて、正確にいうとこの存在が
物質宇宙を創ったという事です。
つまりカタリ派のいう「サタン」と同じ
ような存在だという事ですね。
アルコン(デミウルゴス)は、この世界
を一から創ったのではなく、本来の宇宙
をコピーして創った粗悪なコピーだ
という事です。
(ここはとても重要で、私たちが肉体を
離れた臨死体験で、遭遇する天界は、
私たちの世界とよく似ているけど
まるで天国のように祝福された場所
だというように証言されてますが、
まさにこれが本来の宇宙だという事
であれば、つじつまが合うわけですね)
そしてこのアルコンは、人類から恐怖の
エネルギーを吸収するために働く機械的な
存在だという事です。
(つまり彼らが一種のプログラムで、恐怖の
エネルギーを吸収するコンピューター
ウイルスのような存在だという事です)
そして調和のエネルギーは、彼らにとって
マイナスに働きます。
彼らの吸収する恐怖エネルギーというのは、
心配、憂鬱、競争、復讐、ストレス、嫌悪
憤慨、争い、矛盾という派生エネルギーに
分かれてもいます。
また恐怖以外のエネルギーとして、死と苦痛
不幸、また愛情のない性的エネルギーなど
があるという事ですが、要するにあらゆる
ネガティブエネルギーを吸収する事で、存在
できるものだという事ですね。
となるとグノーシス派がいうように物質世界
との境界にある土星が、そのような
エネルギーを生みだすプログラムを発信
しているのであれば、またつじつまが合う
という事ですが、まさに土星の占星術的な
エネルギーは、今いったネガティブ
エネルギーそのものなので、これまた
アルコンにより、土星(リンク)から発信
されるプログラムが作成されたという事を
示唆していることになります。
また太古からの神(偽の神アルコンの事)
へのいけにえは、真の恐怖のエネルギー
の供給として最も適しているという事
ですが、まさに太古の神がアルコンの
ような存在である事を裏付けてくれて
いますよね。
神様がいけにえを欲しがるなんて、どう
考えてもおかしいですからね、まさに
偽の神であるアルコンであれば、納得が
いきます。
バベルの塔以来、言葉は人間を分断させる
ために神がつくったとされていますが、
まさにその神はアルコンの事だといえます。
LIVE(生命・肉体)は逆から綴ると
EVIL(邪悪、不幸)となりますが、
これはアナグラムといって、綴り順を
変えた言葉に、意味を隠すという太古から
支配者が好んで使った技法になります。
(もちろんこれはアルコンが、そう意図
したという事で、生命自体が不幸と
いう意味ではありません。しかし、
真実の月編の
月のエネルギーの真実
その1我々の身体について)という
記事でもご説明したように、私たちの
肉体が、全て理に適っているとするには、
あまりにも不自然であるという事も
明らかです。しかも
DNAと人体の波動は同一だった!
遠隔複製されるDNAと月の
マトリックスの関係とは?
細胞膜は液晶の半導体で、身体は精緻な
バイオコンピューターだった!
という記事でご説明したように、私たちの
肉体が自然にできあがったものではなく、
意図的にプログラムされたという事で
あれば、なおさらこのアルコンとの
つながりを意識せざるを得ないという
事なのです。)
つまり我々生命体も、彼らのプログラムに
よって操作されてできているという事が
考えられるわけです。
ただからくりさえ知れば私たちは、即
自由になれるのです。
デミウルゴスもその下のアルコンも
「ゆがみ」という性質そのものらしくて
「調和」または「愛」が対極にある
という事です。
つまり彼らは「調和」のエネルギーから
離れる事によってのみ存在できるもの
であって、私たちが調和や愛を意識の
中心におけば、彼らは近づく事もできない
という事なのです。
つまりLIVE(生命)を真に自分たちの
ものにできるという事ですね。
ここで対極だからといって、二元論的な
捉え方をするのではないという事に
注意が必要です。
本来の宇宙に存在しないゆがみを
つくり出す事によってはじめて
存在できるアルコン(デミウルゴス)は
ゆがみを維持するための恐怖などの
ネガティブエネルギーを吸収しなければ
存在できなくなる(絶対調和の絶対意識に
回帰して吸収される)という意味で、
絶対調和の意識である本来の宇宙と
一体であるワンネスの盲点としての
意識でしかないという事です。
今回は、物質宇宙のからくりを知るのに、
とても説明になったのではないかと
思います。
人類の古来からの歴史が、なぜ戦争や
虐殺など悲惨な事を繰り返してきたの
かも、これでうなずけますね。
これは、恐怖をはじめとした、ネガティブ
エネルギーを吸収するために、意図的に
誘導されたという事だったわけです。
なぜならそのエネルギーこそが、アルコン
のような邪悪な存在を維持するために
必要なものだからというわけです。』
要するに、現在の支配層の頂点血族に
憑依する邪悪な意識というのが、この
アルコンにあたるという事です。
彼らは、この鏡の宇宙である、この物質
的宇宙を、粗悪なコピーとして作った
ため、私たちの五感では完全に反転
した逆転宇宙が、現在の宇宙だという真実
にもつながるのです。
その事は、
ビッグバンモデルは完全破綻!では真の
宇宙モデルとは一体どのようなものか?
や
仏教は五感が囚われている逆転した
現実世界(宇宙)を見抜いていた
などで、詳しく説明しています。
私たちの物質的宇宙(粗悪なコピーの
鏡の宇宙)の普遍的なエネルギー
であるトーラスは、ちょうど完全調和
として我々がイメージ球を、裏返し
続けているエネルギーであるという
事がイメージできれば、この
鏡の宇宙の仕組みの真髄が伝わる
かなと思います。
また今の記事で、恐怖などのエネルギー
を吸収しなければ存在を維持できない
アルコン(デミウルゴス)のような
邪悪な意識が、絶対調和の意識の
盲点でしかなく、やがてその恐怖の
エネルギーを吸収できなければ、
絶対調和の絶対意識に回帰して同化
してしまうという説明がありました。
邪悪な意識が、絶対調和の意識に
回帰するもので、あくまでも一元的な
ワンネスの絶対意識こそが、本来の
存在であり、善悪の二元論の捉え方は
真実としては間違っているという事が
よくわかる事例があります。
それを観てみましょう。
邪悪な意識が憑依するのは支配層血族
にだけではなく、太古から地上の
様々な生命に憑依しているのです。
それは、いけにえを必要とする
神として崇められてもきたという事が
よくわかる事例を以前から取り上げて
います。
邪悪な意識は、ここでは非人格的霊
として紹介されています。
『
非人格的な霊の憑依という現象について、
コリン・ウィルソン氏の著書から引用
させていただきます。
これはアダムクラブツリー氏の紹介する
事例だという事です。
「」内が引用で、~が中略です。
「●「非人間的霊存在による憑依」
アダムクラブツリーの『多重人格』にも、
奇想天外な非人間的存在らしきものの
「憑依」事例がある。クラブツリーは、
あまりにも突飛なその話の収録を
ためらった。
「しかしながら、それが私の描写どおりに
おこったこともまた事実なのだ。
(むしろ私は、劇的なエピソードの記述
をいくらか控え目にしたほどだ)」。
マリアスは、大学で歴史を教える
かたわら、政府諮問委員会でかなりの地位
を占める人物である。結婚生活も裕福な
ものだったが、ある日突然なんの理由も
なく、妻を殺したいという衝動をおぼえる
ようになった。「血を見たいという何か
執拗な内的衝動」に動かされているよう
なのだ。その衝動があまりにも強烈なため、
マリアスはいつか自分が自制心を失い、
妻を殺してしまうだろうと確信した。
夢が手掛かりを与えてくれた。彼は
夢の中で、毛皮をまとった穴居人とともに
、肉片をぶらさげて乾燥させている粗末な
小屋にうずくまっていた。頑丈な
たくましい原始人が地下室からあがって
くるという夢も見た。この夢を見て
まもなく、コインのコレクションを調べて
いると、ひとつのコインがなくなっていた。
それは棚の上に見つかったが、そんな
ところにコインをおいたおぼえはなかった。
また修繕したはずのブラインドが破れて
いたこともあったが、その理由もわから
なかった。
その後、頭の中で「声」が聞こえる
ようになった。声は告げた。自分は
おまえが夢で見た男だ、永遠におまえの
中に住んでいる。それを証明するために、
二度憑依し、コインを動かし、
ブラインドを破ったのだ。自分は好きな
ときにおまえに憑依できる-。
マリアスは自分が〈熊〉(ベア)と
呼ばれる奇妙な霊存在に「憑依」されて
いると信じ、自分なりの除霊方法を考え
出した。
大きな焚き火の前に横たわり、熱気を
吸収して力をたくわえ、ベアを出現
させるのだ。
実験のため、クラブツリーとマリアス
は郊外の別荘におもむいた。マリアスが
凶暴性を発揮したときにそなえて、
屈強な五人の男も同行した。炉に大きな
火が燃され、マリアスは上半身裸になって
その前に横たわった。半時間後、彼は
うなり声をあげ、床をひっかきはじめた。
緊張が解けて常態にもどってから、彼は
やっと〈ベア〉のことがわかったと告げた。
それは一群の狩人にとらえられ、じわじわ
となぶり殺しにされた巨大な洞窟熊だった。
(明らかになんらかの儀式だろう)。
その霊が狩人の一人にとりつき、子々孫々
マリアスにまで伝えられたのだ。しかし、
いまそれもマリアスから去っていった。
しかしながら、マリアスを暴力に駆り
立てる霊存在は、まだ彼の内に残っていた。
マリアスによると、それは
「宙にあいた丸い穴」で、凶暴性を吸収
するのだという。それは熊が殺されたとき
から存在し、マリアスの夢では、地下室
から出現した巨大な原始人の姿をとって
いた(その象徴的意味は明らかだ)。
翌日、マリアスが完全な弛緩状態に
はいると、その霊存在が彼を通じて
話しはじめた。多くの質問といくつかの
喧嘩越しの口論ののち、それはついに
モーラックと名のり、遠い昔山羊と雄鹿
として崇拝されたものだと語った。
「それは崇拝者たちの生命とエネルギー
を糧とし」、数千年のあいださまざまな
形で崇拝されてきた。
また、「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
の雰囲気の中で成長する」。
それはみずからを、宙の「ゆらめき」の
ようなもの、「『ふち』らしきものを
もった真っ黒な渦巻きのようなもの」
と描写し、クラブツリーやその同僚が
マリアスにむけている好意に嫌悪を
示した。
マリアスが疲労困憊すると(「霊存在」
をあつかうときにはよくあることだ)、
実験は翌日までもちこされた。
マリアスは実験中の出来事をまったく
記憶していなかった。
トロントにもどってからも、この
「霊存在」との奇妙な会話はつづいた。
それはまだ軽蔑をあらわにしながらも、
非協力的な態度をいくぶんあらためた。
「町で多くの実験をおこなったのち、
新しい局面がひらけた。霊存在が自身
の過去を思い出しはじめたのだ。
それは語った。自分は別の場所から
やってきた。思い出すことはできないが、
地上にあらわれるより以前から存在して
いた」。~
~ある日、霊存在は、自分に関する事実
をまたひとつ思い出した。自分はいつも
考えていたような真っ黒な存在ではなく、
「ふち」の部分はいくらか明るいようだ
ー。そこから事態は急展開を示した。
霊存在は、「白い光」を恐れる
必要のないこと、遠い昔は自分も別の
場所で「光」の中に住んでいたことを
思い出した。つづいて、憑依している
宿主からはなれなくてはならないことも
認識した。はじめは餌(注釈:崇拝者
たちの生命とエネルギー)となるものが
なくなれば飢えるのではないかと心配
したが、「光」から栄養を得られる
ことを知ると、彼からはなれていった。
クラブツリーの記録によると、以後
十八ヶ月のあいだ、マリアスは霊の訪問
をうけず、家庭生活も平常にもどった
という。」
“出典:「コリン・ウィルソンの
『来世体験』」
コリン・ウィルソン著
荒俣宏 監修・解説
梶元靖子訳
三笠書房刊 ”
とても長かったので要約しますと、マリアス
という裕福な結婚生活をしている社会的に
安定した地位にある男性が、妻を殺したい
という、理由もわからない衝動をおぼえる
ようになり、夢をきっかけに、その衝動が
「ベア」と呼ばれる霊的な存在による
ものだと気づかされました。
そして除霊の方法を、自分で考え出して
見事に「ベア」を追い出す事に成功しました。
その「ベア」は太古の狩人たちの生け贄に
されるためなのか、なぶり殺しにされた熊
が霊になった姿だという事です。
ベアになった時にその狩人の一人に取り
憑いたのですが、それが、マリウスの先祖
だったという事です。
しかし、素人の除霊だったからなのか、
「ベア」が去ったあとも邪悪な霊的存在
は残ったままになっていて、それは
どう考えてみても悪魔のような存在です。
「崇拝者たちの生命とエネルギーを糧とし」
、数千年の間崇拝されてきた上に、
「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖の雰囲気
の中で成長する」存在という事は、
完全に生け贄の風習によって、あがめられ
てきた、古来から世界中で崇拝されてきた
神の事で、真実としては悪魔の事です。
山羊というのは、悪の化身である山羊の
頭部を持つバフォメットの事だと思われ
ます。雄鹿の方はわかりませんが、片方
だけで充分に悪の象徴だという事が、
わかります。
つまり狩人たちが崇拝していたのが、
この悪魔の事で、生け贄を捧げること
でなんらかの御利益を得たという事
でしよう。
そして、そのとき召喚された悪魔が、
熊の霊と一体となって、マリアスの祖先
の狩人に取り憑いていたということです。
つまり素人の除霊により、熊の霊だけ
去って、悪魔だけ霊として残ったという
事ですね。
みなさん悪魔って召喚されたこやつが
全てだと勘違いされていませんよね。
もちろん召喚されたのは単に悪魔の一部
だという事です。
つまり完全体でないという事なのです。
つまり憑依していた熊の霊がなくなると、
だんだんと自らのエネルギーを変容させて
いくしかないわけです。もちろんマリアス
とまわりの人々が、愛や情で結ばれて
いなくて、マリアスに邪悪な心があれば、
この悪魔は、そのままの邪悪さで、憑依
できたでしょうが、マリアスに対する
まわりのあたたかい感情とマリアス自身
の心の善良さに、だんだんと自分自身も
変容せざるを得なくなってきたという
わけなのです。
そうすると悪魔が、実は過去では悪その
ものでなく、別の場所からやってきたと
語り始めるのです。
さらに、悪魔だけでなく他のすべての
ものと同様自分も光の一部であった事を
思い出し、マリアスの憑依を解いて、
離れていったという事なのです。
光というのは、絶対意識レベルへと
つながる領域で、
全てはそこから生まれるので、悪魔
として分離した意識も、愛情などの
あたたかい心に触れていると、もとの
光である絶対意識(それにつながる
子意識)に回帰する事を思い
出すようになるという事なのです。
これはとても多くの事を学べる事例
だったと思います。
人格的な霊だけでなく、動物の霊や
悪魔の霊などもあって、人間に取り
憑く場合があるという事もわかり
ました。
そして古来からある生け贄の風習と
いうのは、やはり悪魔の食べ物だと
いう事ですね。
おかしいと思いませんでしたか?
物質世界の制約も受けず、万能で
永遠の慈悲深き神が、無垢な少女や
熊などを生け贄にするなんて、絶対
おかしいですよ。むしろそういう
罪のない人や存在を守ろうとするの
が神という定義なら、なぜ古代から
世界中で生け贄の風習があったのか、
おかしいとおもわなかったら、それは
これまで、神という定義について、
あまり考えずに、そう呼ばれてきた
からという事だけでうのみにしてきた
という事です。真理を知ろうとする事が
とても大切だという事の好例です。
今回の悪魔のように生け贄を必要と
するものは、「愛情や慈悲を嫌い、
暴力や恐怖の雰囲気の中で成長する」
のです。これってまさしく正真正銘の
悪魔と気づかなければうそですよね。
今回はその悪魔がベアという熊の霊を
媒介として、マリアスに残虐な行為を
させ妻の生命のエネルギーと暴力や
恐怖のネガティブエネルギーを糧と
しようとしたという事だったのです。
わかっていただけますよね(^^)』
要するにマリアスを取り巻く人々の
愛情や思いやりの意識のエネルギー
で、この邪悪な霊は、変容して
もといた本来の絶対調和の白い光
の世界へと回帰していったという
事です。
つまり二元論的な善悪という
捉え方は、マトリックスの誘導で
本来の完全調和のワンネスの
絶対意識が存在するだけの
一元論的な捉え方が正しいという
事なのです。
ここでタイトルの言葉通りの答えに
行き着きます。
二元論ではなく一元論が真実!究極の
ワンネスの領域では絶対悪は
単なる虚像
これが真理という事です。
今回は、とても長かったですが、凄く
重要な記事になったと思います。
ではまた(*^^*)