前回古代神聖音「MU」音の変韻
である「マ行」の音が、MU音と
同じく母性音であり、共有や和や
円などを意味する言葉として、
日本人が好んでいるという事を
ご紹介しました。また、対立や
争いを示す「ラ行」を避ける理由も
この事から来ているという事です。
今回は言葉の音だけでなく、日本語の
会話や表現自体も、和を尊ぶような
ものであるという事を、丁寧に
説明しておられる本から引用させて
いただきます。
『』内が全て引用で、~が中略です。
『 やまとことばを使う日本語は主語
を省いてもそれほどコミュニケーション
に影響しませんが、欧米言語では意味が
通じなくなります。日本語には複数形と
単数形の区別も基本的にありませんし、
男性名詞、女性名詞もありません。
それは欧米言語のように対立した別々の
人間の会話という前提がなく、一つの
家族としてお互いに一緒という暗黙の
了解があるからです。農耕民族としての
コミュニケーションスタイルかもしれ
ませんが、例えば「どさ?」「ゆさ」
という会話でも、
「どこへ行くんだいこんな寒い中」
「いやちょっと風呂(湯)に行こうと
思ってね」
という会話が成り立っているのです。
どこにも主語がありません。
また例えば新幹線の車内放送でも
「まもなく京都につきます」とアナウンス
されます。
これを英語でいうと
「We will soon make
a brief stop at
Kyoto.」となります。
必ず主語が必要です。日本人は会話を
する時にはお互いが家族のように基本の
社会通念や常識を共有していることを
前提に話します。
ですから説得したりプレゼンする必要が
ないのですが、欧米の会話では“違う”こと
が前提なので主語は必要ですし、違いを
説明する必要があるわけです。~
~また風呂敷文化と言われるように、
日本は色々な対立や違いを丸く包み込む
文化といわれます。二項対立を好まない
ので反対意見や相手を不快にすることを
避けて、察してもらう会話を大切にします。
その意味でも欧米の会話が「説得の
スポーツ」と言われるのに対して、
こちらは「察するコミュニケーション」と
言われます。みなまで言うな、と言われる
ように、察する能力を問われます。
その場の空氣を読めということなのですね。
~こうして考えてきますと、例えば
オリンピックやW杯で日本のお家芸と
言われるスポーツで明らかに不公平な審判
をされても、また露骨な妨害をされても、
また日本人が2、3回続けて優勝したり
したスポーツがなぜか突然ルール改正
されても、一切喧嘩をしたり、試合を
ダメにするような行為をしないのには、
このやまとことばの母性のエネルギーと
農耕民族の“みんな一つの家族”という
「ワンネス」の精神が心の奥底に、また
遺伝子に組み込まれているからだと
思えてなりません。
このような日本人の感性や
コミュニケーションスタイルに感銘して
日本をリスペクトしている外国の方々は
大変多くなっています。それは皆、
人類共通の無意識の領域でそれを
キャッチしているからです。理性や良心
がそれを知っているのです。今世界は
空前の日本ブームです。
これはこの日本人の持つ母性性と
ワンネスのスピリットに世界中の人々が
感動しているからです。』
“出典:「光の食卓」
木村重一
木村紀子著
ヒカルランド刊 ”
これは、とても大事な日本人の感覚を
説明してくれていますね、つまり
私たちが和や共生、共感の意識を
大切にする民族なのは、究極の真理で
ある「ワンネス」を潜在意識のレベル
で理解しているからだという事なの
です。
それが共感や和を意味する「MU音」や
「マ行」の言葉を大事にする理由にも
なっていますし、主語がない会話で互い
の共通の認識や感覚により通じる文化
を歴史的に持つ理由でもあるという事
なのです。
確かに、私たちの会話の多くは、かなり
言葉を省略しても成り立ちます、たと
えば「こないだのアレさー、やっぱまずい
よねー」「」あーーアレねー、まあ
ほっておくかー」
とか
「今回はこの通りナニしときますんで
次回からはよろしく」
とか
「あの夫婦アレがないんですってーー」
「えーやっぱりどことなくよそよそ
しーと思ってたのよー」
などという会話が成立するのも、お互いの
共通する認識をわかっているもの同士
でこそ成り立つわけです。
そういう意味では洞察力やテレパシーに
近い感覚が日本人にあるのだとも思えます
ね、相手の心を察するというのは、共感の
意識なしには無理でしょうから、それは
やはり意識レベルの高い証拠でもあるし、
超常能力の発揮にも通じるものだとも
言えます。
そしてこのような日本人の感覚は、世界の
人々の潜在意識にも通じるものがあるため
今世界では空前の日本ブームであると
ありますが、あまりマスコミなどで大きく
取り上げられる事は少ないので実感が
わきませんね。
しかし日本人の得意なスポーツのジャンル
がよくルール改正されるというのは、
何度もニュースなどで流されるために、
私たちはよく知っていますよね。
これは世界の他の国々には見られない
事のようです。
ではなぜ日本人にとって不利なように
ルール改正されているのでしょうか?
それは、世界の頂点にいるような権力者
が、日本人が世界で優秀な民族だと、
称賛されて、それが広まる事が都合が悪い
と考えているからなのです。
つまり世界が、日本人のいうように共感
や共生の感覚を大切にするようになれば、
自分たちの権力や支配力が、弱体化する
ようになってしまうからです。
このことの理由は、私から具体的に説明
しなくてもわかる方はわかっていただける
のでそれでいいと思います。
とにかく世界の大衆レベルでは、権力者
たちの意図とは裏腹に、日本人の和や
共感を大事にするワンネスの意識が
広まっているという事なのです。
これはとても素晴らしい事ですよね。
さて次回からはまた言語学の観点から、
日本語の起源などの事について紹介
していきます。
ではまた(^^)