シンプルだけど聴かせるD・スカルラッティー   バロック音楽37

Domenico Scarlatti Harpsichord
Sonatas K1 – K19, Scott Ross 01
この方はドメニコ・スカルラッティーさん
で、日本でもクラッシックに詳しい方は
よくご存知だと思いますが、一般には
もちろん全然知られていないでしょーねー
これはハープシコードというなんとなく
チェンバロに似た響きのバロック時代の
主流の楽器の一つです。
シンプルですが、一曲目が聴きやすく
親しみやすい感じだったので貼って
おきました。まあ聴き流して、気分に
浸れるかも。
下の曲もシンプルでハープシコードだけ
の曲で、今度は短く1曲分だけど
聴かせる感じなので入れときましたー。

D.Scarlatti – Fandango
さらにもう一つ今度もハープシコード
だけでたぶんCDまるごと入ってますが
バロック聴ける人なら、味わい深いのが
わかっていただけるはず

Domenico Scarlatti –
Cembalo-Sonaten –
Ursula Deutschler

さて今回の発掘は
ドメニコ・スカルラッティーさんだけ
でしたが、にぎやかなのが好きな人
のために既出のヴィヴァルディ
とアルビノーニ入れときまーす(^^)

Antonio Vivaldi – Concerto for
Violin in D minor, RV 248

Albinoni – Oboe Concerto #2
in D Minor Op. 9

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超古代を極める         ネアンデルタール人は人類だった!?


私たちが教育やマスコミで教えられる
常識というものがいかに真実と真逆の
ものが多いか、これまで私の記事
を読んでいただいている方には、
わかっていたたけると思いますが、少し
チェックするだけで、いくらでもその
証拠を見つける事ができます。
日本はともかく世界中では、すでに
「進化論」は過去のものとして排除
されているという動きにあるという事を
紹介させていただいた
世界の学校教育で「進化論」排除の動き
進化論があり得ない理由を取り上げ
させていただきましたし、また
進化論の破綻と月とのつながり
という記事では地球上の90パーセント
の生物種が10万~20万年前に突如
としてあらわれたという、決定的な証拠
が、科学的な調査で明らかになった
事で、すでに完全に進化論は完全に
破綻しています。

そしてまた今回は別の観点から
進化論が、ビッグバンや太陽の姿と
同じく、反証だらけの机上の空論
である事の証拠となる記事をご紹介
します。

まず今回は人類の祖先についての話です。

この記事では進化論者が唱えてきて、
常識とされていた、人類の祖先が
猿人や原人のような猿のような生物で
あった事を完全否定しておられますが、
確かに20万年前ほどに、一気に
生物種が出現したのなら、それ以前の
猿人や原人は存在しないことになり
ますし、事実科学的にも根拠の
ないものだったようです。
つまり人類は最初から人類だった
という事ですね。

「」内は全て
「オーパーツと天地創造の科学」
      久保有政 著
       学研刊」
からの引用になります。

「」内が引用で、~が中略です。

「人類の祖先はサルのようではなかった

「無生物のなかからいつしか最初の
生命が偶然に誕生し、次第にそれが複雑・
高度な生物に進化・分化し、やがてサルの
類いの動物が進化して人類が誕生した」
 この「進化論」は、19世紀以来、
あたかも科学上の知識であるかのように
語られてきた。
また各国で、小学校から大学に至るまで、
あらゆる学校で教えられてきた。
 しかし「常識」はくつがえされるものだ。
今日では、進化論は科学的根拠をすべて
失っている。かつて進化論の証拠とされた
ものも、厳密な検査の結果、もはや進化論
の証拠とはいえなくなってしまった。
そして、新たに発見される証拠は何もかも、
進化論を否定するものばかりなのである。
これに関し、まず人類の祖先はサルのよう
ではなかったということを見てみよう。
そう人類ははじめから「人類」だった
のだ。~

~アウストラロピテクスは、1924年に
レイモンド・ダートの手によって発掘
されて以来、サルとヒトの中間である
「猿人」だと主張されてきた。
しかし今日では、多くの著名な学者の
手によって、その考えが間違いである
ことが明白になっている。たとえば
米国ラトガース大学の人類学者、
アシュレー・モンテギュー教授はこう
述べている。
「アウストラロピテクス類は・・・
ヒトの直接の祖先にも、ヒトに至る
進化の系列にもなり得ない」
つまりこの動物は人類の祖先などでは
なかったという。ヒトの祖先ではなく、
まつたく異なった他の動物だった。」

この後も著者は、猿人の後に存在した
とされる原人もことごとくでっちあげ
られたものであるという事を証拠つき
で説明しておられます。
そのような事実を知った科学者の言葉の
一つを引用します。

「英国スワンシー大学の生物学者、
デレク・エイガー教授は、
「自分が学生時代に学んだ進化に関する
物語のすべては、実際上、化けの皮が
はがされてしまい、受け入れられない
ものである」と述べている。
つまり進化論は「大人向けのお伽噺」
だと悟ったと彼はいうのである。」

まあとにかく進化論は、完全に破綻して
いるにも関わらず、日本の教育では
あたりまえの真実として教えられている
という事なのです。

そして今回のテーマであるネアンデルタール
人のことですが、実はこの化石は進化の証拠
ではなく、人類そのものだったという事なの
です。
また引用です。

「ネアンデルタール人と呼ばれた人々は
確かに存在した。また、間違いなく
「人類」だった。だが彼らは、決して
進化論者がいってきたような原始的な
「旧人」ではなかった。彼らは、肉体的・
精神的に、われわれ現代人に優るとも
劣らないヒトだったのだ。
かつて進化論者は、ネアンデルタール人を、

「前かがみで、ひざをひきずり、毛深く、
ぶつぶつ声を出し、骨高の額、そして
その下のくぼんだ眼窩から外をのぞき
ながら、何か獲物はないかと歩いている
類人」として、さかんに取り上げた。~

だが、『ブリタニカ大百科事典』には
次のように述べられている。

「一般に普及しているこの人類についての
概念、つまり前かがみの姿勢、足をひきずり
ながらの歩行、そして曲がったひざ、
これらは20世紀初頭に発見された
ネアンデルタール人の1体の人骨のある
特徴を誤って解釈したことの産物である」

20世紀初頭に発見された
ネアンデルタール人は、その骨の状態から
、曲がったひざをもっていて、前かがみ
で歩いていたものなのだと解釈された。
そして進化論者は、この1体の人骨を、
ネアンデルタール人がまだサル的な要素
をもつヒトであったとする証拠として
用いた。ところが実際には、ほかにも
ネアンデルタール人の化石は多く
見つかっており、それらはみな完全な
直立歩行をしていたことを示していた
のだ。それなのに、ただ1体の骨から
得られた結果だけが、そのように使わ
れたのてある。
 しかし、今では、この前かがみの
ネアンデルタール人は、ひざにくる病
や関節炎の病気を持っていたのだと
いうことがわかっている。

(引用注:この1体の骨からの推測
のみで、人類の進化の証拠である原人
だと断定しようとする強引な結論の
出し方は、ビッグバン理論がまだ
望遠鏡の精度が現在よりもずっと
低いレベルのものであった時代に
観測した「赤方偏移」という結果
のみをもって、その解釈がいろいろ
できるにもかかわらず、勝手に、
宇宙が膨張している証拠だとして
ビッグバン理論をでっちあげた
事と全く酷似していますね。
こちらもビッグバン理論を否定する
観測結果が山積しているのにも
かかわらず未だに健在です。)

生物学者デュアン・T・ギッシュ博士は、
こう述べる。
「今では、これらの『原始的特徴』は、
栄養上の欠陥と、病的状態によるもの
であることがわかっており、
ネアンデルタール人は、完全なヒトと
して分類されている。」

そう、ネアンデルタール人は、完全に
「ヒト」だった。
しかもネアンデルタール人の脳の容積は
現代人のものよりも多少大きかったと
さえいわれており、また「肩から首に
かけて盛り上がるようにして走っていた
筋肉も、なかった」のだ。~
~このようにネアンデルタール人は賢い
人々であり、肉体的・精神的にわれわれ
現代人とまったく変わらないヒトだった。
近年の相次ぐ発見は、ネアンデルタール人が
石器たけでなく衣服をつくり、死者を悼む
埋葬、献花の風習まで持っていたことを
示す文化人であったことを明らかにして
もいる。
進化論者が描いたあのサルに似たものは、
まったくの空想の産物にほかならなかった
のである。ネアンデルタール人は、
大昔に生きたヒト・ホモ・サピエンスの
一種族だったのだ。
このように、時代をいくらさかのぼっても
、人間は当初から人間だったのである。
存在したのはサル、またはサルに似た
絶滅動物、あるいはヒトであって、その
中間は存在しなかった。」
“「」内全て出典:
「オーパーツと天地創造の科学」
      久保有政 著
       学研刊」”

だいぶ長い引用になりましたが、つまり
進化論者たちがでっちあげた説が、いまだ
に、教育やマスコミで常識とされていて、
多くの人がまだ勘違いしたままだという
事です。
特に日本人にその傾向が顕著で、世界でも
ダントツに高いのです。

ネアンデルタール人と呼ばれる太古の
人類の脳の容量が大きかったというのは、
右脳の驚異の力その5という記事で
20万年前頃から急に脳の拡大の進化
が止まり退化し始めて現在にいたる
という研究結果をご紹介しましたが、
その裏付けともなっています。

なんとピーク時には1440グラムも
あった脳が現在では1300グラム
ほどになっているという事です。
ということなら、ネアンデルタール人
の方が私たちよりも賢かったという
事になりますね。

事実数万年前のネアンデルタール人が
まだ人類でなく旧人であったのなら、
それより以前の黄金時代にとても
優れた人類がいたという事と矛盾
しますから、その点からいっても
本来私たちが全員豊かであった黄金時代
を打ち消したい者たちの誘導で進化論
がかたくなに維持され続けているのだと
いうのが真相でしょうね。

まだまだ驚愕の真実は明らかにされて
いきますが、今回はこのへんで(^^)/
次回はクロマニョン人についてです。

ではまた(^^)/

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アスペクトで極めるサビアンマンダラ    牡羊座4度


一つのサビアンシンボルが、いくつもの
アスペクトで、他のサビアンシンボルと
つながっている事から、それを一望の
もとに俯瞰して眺めて、徹底的に解釈
していこうというのが、このサビアン
マンダラシリーズです。

さて今回は

牡羊座4度
「隔離された歩道を歩く二人の恋人」
です。

このシンボルのサビアンマンダラが、
上の画像という事になります。

またざっと俯瞰していただくと、今回は
進行方向に関係のあるアスペクトが
集中しているのが、わかりますね。
そしてまた今回もセプタイルの角度が
活躍してくれています。

なぜこのような偏りになっているか
には、ちゃんとした理由があるのです。
それはこのサビアンシンボルの進行の
流れは、そのまま人生の流れを示して
いて、牡羊座4度の仲睦まじい二人の
恋人の人生を暗示しているような配置
になっているという事なのです。
その事を頭に入れていただいて、いつも
のようにつながりのあるアスペクトの
シンボルを、ぞれぞれみていくことに
しましょう。

まずは、神秘的につながり互いを助け合う
関係にあるというセプタイルのアスペクト
は、
牡牛座26度
「恋人にセレナーデを歌うスペイン人」

これほど完璧につながるシンボルどうしも
ないだろうくらいに、共通したテーマで
つながっていますね。
牡羊座4度で隔離された場所で、人に邪魔
されずに愛を育んでいたのが、牡牛座26度
で、今度は堂々と愛し合っている事を、
まわりに見せつけるように、男性が恋人に
セレナーデを歌っているという事です。

90度のスクエアは
蟹座4度
「ネズミと議論する猫」です。ここでは、
二人が議論している様子が暗示されて
います。
これは牡牛座4度の恋人たちが、だんだんと
互いに自分を主張しあえるくらいに慣れて
きて、言い合っているという事で、つまりは
二人のネガティブな仲違いを示している
という事で、スクエアの意味になって
いるという事ですが、これもまた二人の関係
の1ページといえるでしょう。

そしてバイセプタイルのオーブで似た意味
のシンボルが連続していますので二つ
続けて書きますね。

105度バイセプタイル(オーブ2度)
蟹座19度
「結婚の儀式を遂行する司祭」

106度バイセプタイル(オーブ3度)
蟹座20度
「セレナーデを歌うゴンドラ乗り」

これは恋人たちが、いろいろありながらも
蟹座19度で、ついにめでたくゴールイン
して、結婚に至ったという事を暗示して
いて、当然助け合うシンボルである
バイセプタイルである事を受けて、
結婚式をあげるための司祭が用意された
という事です。

そしてまたその二人を祝福するように
二人の結婚旅行先で乗ったゴンドラ
で、そのゴンドラ乗りから祝福の歌を
プレゼントされる暗示になっているのが、
次のシンボルである蟹座20度の
セレナーデを歌うゴンドラ乗りという
事なのです。

今度は神秘的なつながりのバイクイン
タイルにあたるのが

獅子座28度
「大きな木の枝にとまる
たくさんの小鳥たち」
です。

これは生命力の強い、大木のまわりに
その恩恵を受けようと多くの小鳥たちが
集まり、生命を謳歌しているという事を
示していますが、これは繁殖する生命
であるという事も示しているという事で
牡牛座4度の恋人たちが夫婦になり子供
をもうけたという暗示にとれるわけです。

そして対称の意味の180度のオポジション
らにあたるのが、

天秤座4度
「キャンプファイヤーを囲むグループ」
です。

これは、集団での潜在意識での共感を
示していて、この炎は互いの魂や感情
を示しているという事でもあります。
これはつまり、牡牛座4度の恋人たちの
夫婦生活が、さらに友人関係を広げて
いって、仲の良い集まりができたという
事につながります。
たとえばホームパーティーをするように
なっての家族ぐるみでのつきあいを
示しているといえます。
つまり二人だけの共感の牡羊座のシンボル
に対して、集団での共感を示す天秤座の
シンボルが、対称的になっています。

そしてそのまま人生が進行していって
反対側のスクエアにつながります。
それが
山羊座4度
「大きなカヌーに乗り込む一団」
です。

この次のシンボルが山羊座5度
「カヌーを漕ぎ、戦争の踊りを踊って
いるインディアン」なので、なんと
この山羊座4度は、戦場におもむく
ために、集団に従い行動するという
事を暗示していて、これはせっかく
生活も安定していた夫婦の、夫の方が
仕事や社会的立場などで、行動を
制限されてしまうという事を暗示して
いるわけで、もしこれがそのまま戦場
に夫がいくのであれば、まさに
牡羊座4度の二人にとって人生の危機
にあたるわけです。つまり90度の
スクエアの逆の意味として、完璧な
配置になっているという事ですし、
やはりこれも人生の一場面でもある
といえるでしょう。

このように、アスペクトを進行通りに
みていく事で、人生の流れとして捉える
事が、今回できたわけです。

つまの今回の牡羊座4度のマンダラは
二人の恋人にとっての人生を俯瞰した
ものになっているという解釈でした。

牡羊座4度についてはこれまでスクエア
とオボジションでイラストを公開して
いますので、ここに掲載しておきますね。


ではまた(^^)/

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