今回の河合奈保子さんは、振り向く
感じの表情になってます。
わりと何か良いものに対する
反応のような微妙な感情が、伝わり
ますでしょうか?
この河合奈保子さんとなると、私の
イチ推しだけに、いろんな表情で
描かせてもらってますが、似ている
かどうかというより、今回は雰囲気
と表情で、わりと魅力的な感じに
仕上がったのではないかなと思い
ます。
これまでの奈保子さんの鉛筆画を
もう一度ここに並べてみますね。
日: 2019年6月9日
またまた発掘! 無名の作曲家と、とっておきのダッラーバコ バロック36
Concerto for violin,
strings & b c in G minor.
Talbot XVII
この方は、ジュゼッペ・マッテオ・
アルベルティという方だそうです。
わりと聴きやすい良い曲だと思います。
上の曲が良かったという人は、
ジュゼッペのこの曲もどうぞー!
G. M. Alberti: Concerto con
sordini for flute,
strings & b.c. in F major –
Part I / I Solisti Veneti
ここで以前にもご紹介したダッラーバコ
さんを二つ。
最初の曲の出だしはダッラーバコさんの
曲の中でも一番良いと思いますね👍
いや人によっては、二つ目の出だしの方が
良いという人も必ずいますね👍
ダッラーバコさんを後にしたのは、こちらの
方がずっと完成度が高いと思えるから
でした。
F. E. Dall’Abaco: Op. 6 n. 5 /
Concerti a più Istrumenti
in G major (1735) /
Il Tempio Armonico
E. F. Dall’Abaco: Op. 5 n. 3 –
Concerto grosso à più istrumenti
in E minor / Il Tempio Armonico
古代最重要の音「MU」は、現代日本語の「無」!
前回の記事
人類最初の聖なる音「MU」音とは?
で、超古代の神聖語「kamu」を
さらに分解したムー(MU)という言葉
が最も重要で、ムー大陸の提唱者
ジェームズ・チャーチワード氏も
ムーの人々が、「ムー」を信奉した
といっているという事からも裏付け
られるという事でした。
神衣氏によると現代日本ではその
ムーを音とする言葉が見あたらないと
されていますが、私はすぐに「無」
という言葉を思い起こすことができ
ました。ここまでは前回も書きました
ね。
このことで、少し感覚のずれを感じ
ながら読み進めていくことなったわけ
ですが、その違いがどこからくるのか
よくわかりました。
現代日本語では、「MU」という音は
「MI」に置き換えられたと言って
おられるのです。
つまり「身や実」につながり神のミの音
にも通じているという事です。
そして古代日本では神は「kamu」
と発音していたという事ですが、
その事をまず引用させていただきま
しょう。
「」内が引用で、~が中略です
「「神」のルーツは超古代音「MU」に
ある
古い文化が残っている
沖縄では神のことを「kamu」といい、
アイヌでは「kamui」と言い、
日本語では「kami」と言うが、
これはまさにこの音韻変化の法則通り
であり、
「kamu」→「kamui」
→「kami」
の変化の過程がそれぞれの段階で定着
したものである。
事実、古代の日本では神を「kamu」
と発音していた。
日本語の古い時代の「kami」の意を
含む複合語を見てみると、
「kamunagara」(かむながら)
「kamugakaru」(かむがかる)
「kamuagaru」(かむあがる)
という形が残っているように「kami」
は古い時代には「kamu」であった
のだ。
アイヌ語の「ka」音は「上」を意味する
語だから、下にくる語彙に接頭語的に敬意
の意を表したものであろう。そして
「i」音は先に述べたように名詞化の意味
でしかない。
とすると、「kamui」のMU音は、
それ自体に「神」の意がなければ
「kamui」は「神」の意味にならない
はずである。
そして実際にその痕跡は、最も古い時代の
日本語に見いだすことができるのだ。」
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
神衣志奉著
中央アート出版社 ”
このような言語学的な分析というものを
この本で初めて、見させてもらったような
気がしますが、なんか素晴らしい分析
の仕方ですね。
なるほどこれなら、古代日本のkamu
が、現代日本語のkamiに変わった
という事がわかるし、超古代の神聖語
kamuの中のMU音こそが、神性を
表す音であったとわかりますね。
ただし現代日本語でMU音が消えて
しまったという神衣氏の気付いて
おられない「無」という語は、
現代でもまだ消えずに残っているの
です。
それこそが私が最も神聖な語だと感じる
というのが私の見解ですが、
その事を神衣氏との世界観の違いから
説明していきたいと思います。
神衣氏は、「MI」という音に変わった
のだから、最も神聖な言葉MU音の神性
をあらわすのもこの言葉だといって
おられます。
事実古代日本語でも
「海つみ」
「山つみ」
「月夜み」
というような使われ方をする「mi」は、
「自然の霊力」「神」の意であることが
学術的にも認められているという事を
この本で紹介しておられます。
なるほど「mi」には神の意味が確かに
あるだろうとは思います。
ですが「mi」は同時に「身」や「実」
とも書き、つまりは実体、目に見える
ものだという意味もあるわけです。
神衣氏は「mi」を生命体、母体である
ともいえて、最も神聖な意味になると
説明されています。
これは、確かに正しいと思えたりもし
しますが、
私との世界観の違いはまさにここに
あるというわけです。
神衣氏が気付いておられない、古代の
最も神聖な音「MU」音を引き継いだ
語である「無」にこそ本来の神性の意味
がこめられていると私は解釈するのです。
アイヌや沖縄よりさらに、中心の地で
ある日本は、MUという言葉に「無」
という漢字をわざわざあてています。
アイヌ語のMUは実や身の意味として
残っているのにもかかわらず、あえて
実体の無いという意味での「無」という
言葉を当てたのには、大きな理由がある
と思うのです。
確かに古代のMUという音には神性が
宿っていた、それを日本人のような
繊細な感性を持つ民族が、mi音に
変えただけで、そのMU音を捨てる
事ができたでしょうか?
これこそが神衣氏に投げかけたい
一番の疑問です。
そして捨て去っていない証拠に
ちゃんと「無」という言葉として
残しているという事に神衣氏は気付いて
おられないのだろうという事です。
つまりこういう事です、「無」という
実体のないものこそ神性の本質だと
古代の日本人は見抜いたからこそ、
この言葉を最も大事な神性を表す
MU音をあてたという事なのです。
つまりこれは実や身などの実体を
生命体、母体として最も神性だと
する神衣の世界観と、むしろ実体の
ない「無」こそ最も神性を意味する
のだと考える私の世界観の違いが
あらわれたという事です。
私は、多くの素晴らしい著書に巡り
合ってきたと思います。大いなる
ヒントをくれたこの本もその一つ
だと確信していますが、すべてを
うのみにするのではなく、それまでの
本や情報で得た知識や感性を持って
吟味して咀嚼し、完全に消化できる
ものとして取り入れていこうとする
のが、真実を得るためには大事だと
思っています。
つまり今回のMU音が最も重要な神性
を表すという神衣氏の言葉には完全に
納得しましたが、現代日本ではそれは
「MI」という音でしか残っていない
という同氏の説には従わず、きちんと
残っている「無」という言葉をその
MU音の神性を表す言葉として解釈
したというわけです。
では次回さらに古代日本語について深く
研究していきたいと思います。
ではまた(^^)
生命と意識の対称エネルギー 神秘のヘキサグラム的解釈その1
サビアンシンボルのヘキサグラム的解釈
で説明させていただいたように、この
二色の逆向きの三角形は、対称または
逆向きのエネルギーとなるということ
でしたが、これからいくつか、実例を
取り上げながら説明していきたいと
思います。
今回ご紹介するのが、上の画像という事
になります。
図のように
牡羊座1度
「女性が水から上がりアザラシも上がり
彼女を抱く」
を基準にして、
120度のトラインの関係にある二つの
シンボルは
獅子座1度「脳溢血の症状」
射手座1度
「共和主義キャンプファイヤーの
威厳ある軍隊」
でこれが橙色の三角形になります。
この三角形の事はこれから正トライン
と呼ぶことにします。
この正トラインのシンボルに共通する
暗示は、つまり生命エネルギーの上昇
という事です。
牡羊座1度は、生命のもとである魚座の
海から、生命が産声をあげた瞬間で、
生命エネルギーが、海から上昇してきた
というシンボルです。
獅子座1度は、生命エネルギーの中心
である心臓から、生命エネルギーの血液
が、一気に上昇してきたことにより、
脳溢血のように、頭に血が上りすぎて、
血管が耐えられないような事態に
なったことを示しています。
射手座1度は、生命エネルギーを集団
の目的の中で活かそうと、キャンプ
ファイヤーの炎とともに、自分の気持ち
を高めようとしている暗示です。
これも生命エネルギーの上昇ととらえて
もいいでしょう。
そして牡羊座1度とセクスタイルの関係
にある二つのシンボルと、対称の180度
のシンボルで逆向きの紫の三角形ができま
すが、そのシンボルは
60度にあたる二つが
双子座1度
「静かな水に浮くガラス底ボート」
水瓶座1度
「古いレンガ造りの伝道所」
です。
そして対称の180度が
天秤座1度
「突き通す針により完璧にされた蝶」
です。
これら三つが紫色の逆三角形を成して
います。
この逆三角形のことを、これから
逆トラインと呼ぶことにします。
逆トラインのシンボルに共通している
暗示は、生命をコントロールしている
内面または潜在意識へ向かうエネルギー
ということになります。
双子座1度は、水の中をのぞいている
意識というシンボルですが、水という
のは、潜在意識を象徴しています。
つまりこれは、自分自身の潜在意識に
目を向けているという意味と、知的
好奇心を満たそうとしているという
意味の二重の暗示があるということに
なります。
水瓶座1度は、宗教の布教によって、
人々の内面、潜在意識を改革していこう
という意識のあらわれです。
古いということは、その場所で、人々の
心に教えが刻み込まれてきたということ
になり、当然それは潜在意識として、代々
受け継がれてきたということになります。
そして天秤座1度は、針に突き通されて
標本になってしまった蝶はすでに生命体
ではありませんが、意識としても完成
された形となっています。
生命体としてあるうちは、潜在意識だった
ものが、肉体を離れると、それが完全な
意識となります。
もちろんこの逆トラインの潜在意識の
完成形としての意味となっています。
さて正トラインと、逆トラインのそれぞれ
に共通する意味は、生命エネルギーの上昇と
潜在意識へ向かうエネルギーということで
したが、その意味ですでに対称的であること
を証明していますよね。
そして、それが我々のいる物質的世界
または現実世界の完成された形の一つの見方
だということです。
またこの二つの三角のイメージを俯瞰して
みていただければ、生命の躍動するエネルギー
と静かで豊かな潜在意識のエネルギーが
拮抗しているのがわかっていただけると
思います。
ではまた(^^)