前回ホルストの「惑星」が、占星術の天体の
性質をモチーフにつくられたものだという
事をご紹介しました。そしてその「惑星」
を一応アップしておきましたが、聴かれた
人はほとんどいないでしょうねー。
私も今回の記事を書くために、飛ばしながら
一応一通り聴いてみましたが、やはり
というかなんというか、オーケストラは私に
とって退屈なものとして聴こえてしまい
ます。まあ個人の好みなので、いろいろ
感じ方があると思いますが、一曲のそれぞれ
のパートが数分で終わるバロックの聴きやす
さ、飽きのこないメロディー展開に
くらべて、ほとんど楽器の効果音ばっかり
聴いているような気にさせられます。
確かに、さすがは平原綾香さんですね、ほぼ
唯一心に響くようなメロディー展開なのは
「木星」だけでしたから、彼女もそれを
歌として使おうと思ったわけというのが、
よくわかりました。
それぞれの天体の曲についての感想は、
やはり鏡リュウジ氏が、詳しく解説して
おられますので、別の記事でご紹介
したいと思います。
では前回の続きで、ホルストがこの占星術の
知識をどこで得たのかという事について
です。
まずは、鏡リュウジ氏によると、当時の
イギリスでは、「魔女法」が生き
ていて、予言ができると詐称することは、
処罰の対象となったという事なのです。
高名な占星術家だったアラン・レオという
占星術家も、未来を予言すると詐称した
かどで当局に目をつけられていたという事
です。
(詐称というのは、自分が予言ができると
偽ったという意味ですが、当時実際に予言が
できても、キリスト教的世界観で人間には
そのような能力が与えられてはいないという
事だったので、全て偽りだと断定された
という事です。むしろ実際に予言ができる
人間を、片っ端から虐殺していっただけ
という、とてつもなく残虐な歴史がなんと
ヨーロッパ中で数百年間続いていたという
のだから、これが日本より文明が高かった
地域のように思う事自体笑止といわざるを
得ませんね。やはり知識を得ると真実が
どんどん見えてきます。)
だから前回ご紹介した、組曲「惑星」が
占星術の知識をモチーフにし作曲されたなど
という事をホルストが公言するような危険な
事はしなかったので、これまで「惑星」
という曲と占星術が結びつけられる事は、
ほとんどなかったのです。
つまり鏡リュウジ氏が、その事に光を当てて
くださったという事ですね。
ホルスト自身、占星術と自分が結びつけら
れないように注意していたという事なので、
彼がどこから、その知識を得ていたという事
も、長らく明らかにされて来なかったの
ですが、つい最近その事を、突き止めた
という記事を紹介しておられるので、
また鏡リュウジ氏の著書からまた引用させて
いただきます。
“スウェーデン系の移民であったホルストは
イギリスでは孤独な生活を送っており、また
作曲家としてもなかなか成功に恵まれず、
一九一二年前後に占星術にアドバイスを
求めたことがあったのである。
当時、占星術は今のような「ブーム」では
なかった。占星術やホロスコープについての
知識を持つ人間の絶対数は、今よりもずっと
少なかったであろう。
しかし、ホルストは占星術に深い関心を持つ
人たちとの出会いには事欠かなかったので
ある。
たとえばホルストの義理の母にあたる人物は
神智学に傾倒していた。すでに書いたよう
に、近代の占星術は神智学を経由して復興
したのであり、神智学者たちは占星術に
通じていた。
神智学はよく知られているように東洋の
宗教に傾倒し、そこにインドの思想と
新プラトン主義を中心とする西洋の秘教を
折衷した独自の世界観を形成していった。
また西洋のキリスト教以外のスピリチュアル
な伝統ならなんでも取り込む幅広さ(言い方
を変えれば節操のなさ)があり、占星術は、
そのパーツの一つでもあったのだ。
こうして西洋の主流な霊的伝統にあきたり
ない前衛的な人々、あるいは既存の社会の
枠組みに収まりきらない人々の気持ちを
掴んでいったのである。
(中略)
どうやら、ホルストもこの神智学経由で
占星術に接したようである。
(中略)
この環境でホルストは占星術の書物を
研究し始める。有名なラファエルの
占星術教科書、そして何よりも神智学者
であり現代占星術の父と呼ばれるアラン・
レオの書に親しんだのだった”
“出典:「占星術の文化誌」
鏡リュウジ 著
原書房 刊”
この現代占星術の父と呼ばれている
アラン・レオについては、次回の記事
で鏡氏の著書より紹介させていただき
ます。
ホルストは「惑星」のコンセプトをこの
アラン・レオからの知識で得たという事
のようです。
また神智学が東洋の思想も受け入れて
いたという事から、思い出したのが、
私も記事で取り上げた不世出の超大天才
科学者ニコラ・テスラ氏が東洋の思想を
得た事により、インスピレーションが
増大した事と似ているような気がします。
つまりホルストも神智学のベースにある
東洋の思想に影響を受けて、大作曲家に
なる事ができたというわけなのでしょう。
さてこのテーマの次回は、ついにホルスト
の「惑星」のモチーフになった占星術の
知識の源であるアランレオ氏の占星術の
解釈とホルストの惑星との関係について、
ご紹介しながらみていきたいと思います。
一応今回もその「惑星」をアップして
おきます。私は退屈でも、人によって
違うでしょうからねー(^^)