臨死体験者の言葉その2「臨死共有体験」2改

とてつもない量になってしまった
神秘メッセージを振り返りながら
進んでいかないと、みなさんと
感覚のギャップが生じてしまいます
ので、もう一回投稿も合わせて
いきます。
臨死体験シリーズは、とんでもない量
の記事ですが、最近私のブログを
見てくれるようになつた人は、懐疑派の
人も否定派の人もいると思うので、そんな
人たちのために、これは現実の話だという
事のわかってもらえるような記事です。

臨死体験者の言葉シリーズです。
今回は、臨死共有体験について
お話したいと思います。
臨死体験について、懐疑派や否定派
と呼ばれる人々は、とにかく臨死状態
にある人の脳内現象または脳内の幻覚
だと断定してゆずりません。
ところが、近年エヴェン・アレキサン
ダーという科学者が、自分の脳波が完全
に停止していた間に、ずっと臨死体験を
していた事が明らかになって、懐疑派も
ずいぶんとおとなしくなってはいます。
また臨死体験中に肉体を離れていなければ
わからない場所にいた人々の話した事とか、
自分の臨死体験中の病室以外での場所で
起こっていた事の詳細を、臨死体験者が
証言で話したことが、現場にいた人たちの
確認で裏付けられたりもしているので、
どう考えても脳内の幻覚ではない証拠が
たくさんあります。
またさらに懐疑派や否定派にとどめをさす
ような実例があります。
臨死共有体験というもので、それについて
臨死体験の研究者として、世界の第一人者
であるレイモンド・ムーディー氏の言葉を
著書から引用させていただきます。

”「臨死共有体験は、体験自体は臨死体験
に似ていますが、それは死に瀕していない
人々に起こるものです。
たとえば、臨終の床に付き添っている健康
な人々などに起こります。
あるいは、離れたところにいる親しい
人に起こる場合もあります。
また複数の人々に同時に起こることも
あります。
その体験の内容は、死にゆく人の臨死体験
に共通しているものが多くあります。」”
”出典:「生きる/死ぬ その境界は
なかった」レイモンド・ムーディ
ポール・ペリー共著
矢作直樹 堀 天作訳
ヒカルランド刊  以下引用箇所
出典元同じ”
これだと、もはや臨死体験者自身の脳内の
幻覚などと否定することは全く不可能
ですね。これで、実証的なアプローチから
でも、臨死体験が真実の証言であることの
裏付けが取れたことになります。
ただそもそも数千もの証言がほぼ共通した
性質を持つものであるなら、もはやその時点
で疑いようがないと思いますけどね、本当に
頭の固い人たちは、視野が狭いです。
そしてこの臨死共有体験は、臨死状態に
ある患者が肉体を離れる時に、意識の次元の
移行に伴い、我々の通常の意識と全く違う
状態になると思われますが、そのときに、
そのそばにいた人たちや親しい人たちとの
間にあった物質的な意識の壁が取り払われて
瀕死状態の患者の意識と意識を共有する
ことができてしまうことから起こると
思います。この共有を共感や同調という
言葉で置き換えてもいいでしょう。
つまり肉体を離れれば、レベルにもより
ますが、多くの人と意識を共有できる
ということなのです。

ここで著書にある臨死共有体験の
実例を引用させていただきます。

”「数年前私に起こった出来事を、ここに
事実のみ、そのままの形で書き記したい
と思います。
私は17歳になる娘を失いました。娘は
5年にわたって闘病生活を続け、最後の
8ヶ月間は寝たきりの状態でした。
娘は亡くなるまで、つねに非凡な
知性と、意思を持ち続けました。
 娘が亡くなる2週間ほど前の夜の事
でした。
私は、娘の病床の頭部近くに寄り
かかっていました。
娘は何か夢中になっているような表情
をしていたので、私は「何を思って
いるの?」と聞きました。
すると娘は、ペッドを囲むカーテンを
指さして、「ママ、あそこを見て」と
言うのです。
 示されたほうをみると、そこに人の形
のようなものが立っているのが見えま
した。背後のカーテンの暗い色とは違い、
全てが白いもので、際だって見えました。
私は霊のことなど全く思ったことのない
人間でしたので、驚愕のあまり目を閉じ、
それ以上見ないようにしました。
娘は私に言いました。「見えるでしょ?」
私は、ふるえる声で「何も見えないわ」と
言いましたが、娘は私の弱さを見透かす
ように言ったのです。

「ああ、ママ、私はこの三日間というもの、
いつも同じ時間に同じものを見ているのよ。
あれは亡きパパだわ。私を迎えに来てくれ
ているの!」
 娘はこの15日後に亡くなりました。
しかしあの白いものは、再び私には見えま
せんでした。私が見たあの日、その出現の
強さはきっと頂点に達していたのだと思い
ます。    Z.G(サイン) ”

”出典:「生きる/死ぬ その境界は
なかった」レイモンド・ムーディ
ポール・ペリー共著
矢作直樹 堀 天作訳
ヒカルランド刊 ”

これが、臨死共有体験のほんの一例です。
他にも多くの体験報告があり、ムーディ
氏だけでなく、他の研究者の著書にも書か
れています。
ここでとても大事なのポイントは、多くの
臨死共有体験には、共通する特徴がある
ということです。
その共通する特徴こそ、自分が現在宇宙の
真理編で書き進めている超常現象の解明
に役立つものなのです。
次回はその臨死共有体験の共通する
特徴について書かせていただきます。
それもまた長くなりそうなら2つに分け
たりすると思いますのでよろしくお願い
しますね。(^^)

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投稿者:

あんみん댊

滋賀県在住で、 神秘についてや、精神世界について 長年研究を続けています。 携帯アプリなどでサビアン鑑定も 行っております。 神秘的なことなど一緒に探求したい という方、集まってくださいねー。 あとスポーツライターも目指して いることもあり、口数は人の 100倍はあろうかという自己評価 ですが、かなりまわりから、 「盛りすぎ!!」と批判されております。

「臨死体験者の言葉その2「臨死共有体験」2改」への2件のフィードバック

  1. 臨死共有体験というのは決定的な事例ですね(^-^)

    それでも認めない人というのは、今まで自分が信じてきたことを否定することになるので、自分自身が否定されたと感じてしまうというのもあるのでしょう(>_<)

    それを克服できるかが真理到達の鍵ですね

    1. 謙信さんありがとうございます(^^)
      確かにこの記事ちゃんと読んでも、疑う
      人はどうしようもないくらい頭が
      固いというか視野が狭い人たちですよね。
      ですが最近もう一つ気づいたことがあります。
      みんなわりといったん信じるんですよ。
      こういう証拠をつきつけられれば。
      でも日常の生活に感覚が戻っていくと、
      そんな事ほとんど忘れていくのです。
      そうして、五感を使った生活に
      慣れ親しむとそれが現実の世界だと
      感じてしまうので、どうしても
      記憶に残らず、やはりそんな感覚を
      忘れていくのです。
      つまりいったん理解して信じてからが
      大事で、その事を深く追求しようとしたり、
      また毎日肉体のない自分というものを
      意識できたら、もはやそれまで抱いて
      いた、生き残るためとか、現実への不安や
      恐怖、絶望や悲しみ、怒りよりも、
      永遠に自身が存在できる喜び
      と、肉体のあるうちの今生についての
      愛おしさに集中する事ができて、
      本当の幸せとは何かに気づくことが
      できるようになるという事です。
      大切なのは、力を得る事や達成のために
      あろうとするのではなく、
      ただ自分の本来の「あり方」に
      戻る事だと思うのです。
      それだけで、人は永遠の幸福に
      なれると思います(^^)
      なんだか、潜在意識からの声が
      こう書けというから書いたので
      ふだんの自分の言葉でもないよう
      ですね。

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