「そんなの人それぞれよ」
こんな言葉を聞いた事がない人は、
いないでしょう。
一見それぞれの人の考え方や感じ方
または生き方を尊重しているように
思えますが、それも時と場合による
という事です。
人それぞれだからという事で、全ての
人の意見や考え方、意志などを
尊重するのは、もちろん大切です。
それは互いの自由や個性それぞれの
得てきた経験や知識など尊重する事に
なり、わかり合うためにもとても
大事な事でしょう。
ただし、ワクチンについての考え方や
意見が違うのは、今全ての人に
とって致命的な結果をもたらす事を
わかっておられる方は、ワクチンの
危険性について、そして今回のワクチン
のさらなる超危険性についての知識を
お持ちでさらに、現在のコロナ騒動が
そのワクチンを全ての大衆に強制接種
させるために仕掛けられた罠である事
もよくご存知の方々です。
つまりこの場合たとえば、コロナが
恐い?からワクチンを接種を自分から
望むという人と、超危険なワクチン
なんて、無料でも絶対に希望しない
という人の意見を分けるものって
なんだと思います?
答えは簡単です、ワクチンを望んで
いる方は、決定的な知識・情報不足
なのです、もしこの方が、ワクチンを
絶対拒否したいといっている方の
得ている情報を知ったとしたら、
ほぼ間違いなくワクチンを拒否する
ようになるでしょう。
このことをワクチンを望んでいる方
に言ったとしましょう。たぶん
その方からこういう言葉が出て
きそうですね
「そんな陰謀論者の怪しい情報なんて
無駄だし、信じたら逆に危険だわ。
だって陰謀論って詐欺みたいなもの
でしょ?」
まあこれが偏見である事は、明らか
なのですが、今では日本国民の大多数
が、マスコミが伝える公式見解や情報、
さらには報道番組で専門家が語っている
事そして新聞や大手雑誌に載っている事
などと違うような情報なら、
全て「陰謀論」として
片付けてしまうように条件付けされて
います。
だから、真実を発信する方は、気を
つけた方が良いです、決して自分の語る
事は、「陰謀論」などでは決してないと
言い続けておかなければなりません。
自らを皮肉って、自分の語る事は陰謀論
などと、謙虚?に言えば、
この彼らの用意した魔法の言葉の罠に
自らかかりにいくようなものです。
私は、政治の裏側の真実を記事に書く
当初からこの事に気をつけていて、
絶対に自分の語る事は「陰謀論」
などではないと語り続けてきました。
さてたとえば、そんな情報を遮断
する人たちに次のようなツイートの
情報はどうでしょう。
どうみても陰謀論者の語る話では
ない事がわかっていただけると
思います。
「かけがえのない我が子に、水銀毒素やアルミニウムアジュバントが含有されたワクチンを打ってはいけないのです。日本小児科学会や、厚生労働省、WHOが言う事など、他人の言う事を鵜呑みにしてはいけません。」
石川眞樹夫 医師 ブログで警告#ワクチン強制接種反対https://t.co/xZs4CKtClh pic.twitter.com/R5qZRlBUA0
— 續池均(Kin Tsuzuike)@MTR Lab (@Kin_Tsuzuike) July 7, 2020
我家は子どもが4人。長女と次女はワクチン&抗生剤を始めとする投薬多数。長男と次男はノーワクチン&ノー投薬。
第3子の長男誕生直前に医薬利権に気づき主治医を替えてノー医薬に。当時は知識不足で不安はあったが死に直結するような病気はないと考え決断。驚くような結果に。
このドクターは正しい😎 https://t.co/lvrfjUmUUb
— 續池均(Kin Tsuzuike)@MTR Lab (@Kin_Tsuzuike) May 11, 2020
もっとたくさん情報はありますが、
ワクチンの効果を信じる人たちは、
ほとんどの人が一様に西洋医療を
信じ込んでいる人たちでしょうから、
このれっきとした医師が自分の名前を
出して公開しているこの情報を知れば
考え直すでしょう。
つまり、ワクチン拒否をする人たちは
人それぞれなんて言ってる場合
じゃなくて、まずはこういう情報を
知るために、真実を語れる人の話を
聞くか、会話していかないと、とても
危険だという事です。
真実を発信する人たちは、喜んで
話してくれると思いますよ。
なぜなら、真実を語る人たちは、
ニュースとは逆側にある真実の
情報や知識と、ニュースやマスコミ
がみなさんに提供する情報の両方を
常に、比較しているので、とても
柔軟ですからね。
そしてこの比較検討して
吟味する事が、今日本の全ての国民に
必要な事なのです。
何より真実を発信する人たちは、
パンデミック当初、真実に気づいた時
からずっと、それに気づけない人たち
に知らせようとしてきたのに、
マスコミ特にテレビの言う事をうのみに
してきた人たちは、そういう人たちの
言葉を無視し続けてきたのですから、
そのような人たちが特に、人それぞれ
という考え方をする場合が多いのです。
そして、今こそその考えを改める
時だという事なのです。
さて今回はそんな「人それぞれ」という
考え方についての記事になります。
では多くの人が使っている
「そんなの人それぞれよ」
という言葉について考えてみま
しょう。
まずいい意味で使われる場合
「オレなんだか人より特殊な趣味してる
から、変な奴だと思われてるんやろなー」
に対して
「そんなの人それぞれよ、自分の個性なん
だから自信持って堂々としてればいいよ」
とか
「私、こないだ『彼氏に女は普通そんな事
しねーよ、おまえおかしいって』って
いわれたの」
に対して
「そんなの人それぞれよ、女性にも
いろいろタイプがあるというだけよ
気にしないで」
などという使い方はもちろんオッケーです
ね。
しかもこの場合、相手に真意が伝わるように
別の言葉を添えているというアレンジは
右脳の働きですが、とにかくこのように
使えば「人それぞれ」という言葉はとても
良い表現となります。
しかし「人それぞれ」という言葉は、この
ように適切に使われる事よりも、最近
何でもかんでもこの言葉が使われるように
なってきたようなのです。
そして、それが互いに理解しあえない表現
にもなっている事を、よく感じるように
なりました。
ネットでやはり、その事に気付いてくれた
人のサイトから引用させていただきますね。
「」内が引用、~は中略の意味です。
「僕が「人それぞれ」という思考停止した
言葉が大嫌いな理由
まあ、人それぞれだよね
ああ、そうだね。でも、それを承知でこの
話題を議論してたんだよね?
なんでこの局面でその言葉を出した?
あなたはこういうやりとりでイライラ
したことはありませんか?
最初から「こういう話は人それぞれだと
思うんで答えが出ない」って事を言っと
けば、そういう体で話すよね。
「あぁ、これは熱く話してはいけない場
面だな……」と。
人は議論をするにあたって、各々の個性を
知った上で一つの結論を出さなくては
いけません。それが議論の目的であり、
結論を出したいからこそ人は議論をするの
です。議論とは「お互いの意見を出し
合って理解を深め、物事を解決の方向に
導く手段」。
なのに、この「人それぞれ」という言葉は
意見を交わすことを放棄してる。つまり
「人それぞれ」が口癖の人は他人に対して
意見する資格がないということです。」
“出典:にちプチ様”
この後も記事を展開されておられますが、
少し私の見解とずれているところもある
ためここまで引用させていただきます。
つまり話し合いをしてる途中で、
「人それぞれ」という言葉を出して話し
を終わらせるのは、理解し合う事を放棄
しているという事です。
それぞれが勝手に、思い思いの結論を
持っていればいいという事なのですね。
にちプチ様がいわれる通り、では
なぜ議論し始めた?
という事なのです。
お互いに納得できる結論に至りたかった
から、また物事を理解し合いたかった
からという事です。
ですが、最後に「まあ人それぞれだから」
と互いの意見を、そのままバラバラに
してしまえば、同じ結論を共有する事
も、お互いにわかり合う事も、理解を深め
合う事もみんな放棄してしまえるのです。
つまりみんながつながっているという
共感ではなく、個性の尊重または、個人の
自由を優先させているわけですが、これは
しかし、いつまでもみんながわかり合えない
「分離」の感覚をもたらすものなのです。
そしてまだあります、相手に対して、
とても納得のできる説明で、何か大事な
知識や情報や考え方を説明したとしても
「それについてはいろんな情報があるし
人それぞれだから」
というような答えが、返ってくる事も多い
ですよね。
結局その人には、説明は意味がなく、話を
聞いていなくても、その話題がくれば、
全てその言葉で片付ける事ができてしまい
ます。
つまり「話し合おう、理解し合おうという
意志そのものがないのです」
つまりみんなばらばらの情報を信じて、
バラバラの考え方をしていて良いという事
ですね。
もちろんそれが個性を尊重するためなら
いいですが、ここで聞きたいのは、全ての
意見や考え方は、それで全て同じ様なレベル
なのでしょうか?という事なのです。
やはりそれぞれの人の感性や経験、思考
能力や知識などによって、様々な意見や
考え方があり、それぞれは尊重される
べきではあると思いますが、それが
本人にとって本当に良いものかどうかは
それぞれによって違うはずですよね?
それこそ人と話し合って、お互い意見を
出し合わないと、本人が気付かない良い
視点や情報や知識、考え方などから、
もっと本人にとって良い結論が出る
可能性があるわけです。
つまり話し合いや議論などで、理解を
高め合う、わかり合うという事は、
互いの理解のためにも当然良いし、また
高め合って得られた結論を共有できる
可能性があるのです。
もちろん話し合ってわかり合えない事も
あるかも知れません。
ですが、別の事がわかり合えるかもしれ
ませんし、逆に互いを認め合えるかも
しれないのです。
わかり合えないから、もう会わないなど
とならないようなバランス感覚は当然
必要だとは思いますが、人とつながり
合うために、話し合うというのはとても
大事だと思うのです。
そしてまた話し合う事は、とても
思考能力も鍛えてくれるのです。
しかし学校では、ディベートの時間は
ありません、つまり話し合う事を学ばない
のです。
以前は、海外では盛んに行われていて、
日本では、みられないなどと言われる
事もありましたが、どうやら海外でも同じ
のようなのです。
何故でしょうか?
それは、大衆を従わせるために、大衆の
意見がまとまってしまう事を恐れている
からなのです。
それについては書き始めると長いので
やめておきますね。
このサイトではそのような事について
追求していくのが目的ではないので💦
ですが、みんな結構同じ様な考え方で、
また同じ様な意見をいいます。それは
何故か?実はそれってマスコミや教育で
インプットされた情報や知識を共有して
いるからなんですねー。
ですが、それはつまりインプットされた
ものをそのまま忠実に受け容れている
だけなので、思考能力はほとんど使用
されていません。
だから、ものを考えるくせがついていない
のです。
そしてやはりその教育やマスコミで、私
たちに共有して欲しい知識や情報を
インプットさせれば、大衆の知識や情報
は、その意図を持つ者に従ったものに
になるという事なのです。
そのような思考を働かせて、自分たちだけ
で、話し合い理解しあうためには、実は
とても右脳の働きが大事だという事なの
です。
(もし全ての人が思考を働かせず、マスコミ
にインプットされた情報をうのみにする
だけだったら、最初から思考を働かせない
で、そのインプットさされた情報を、確認
し合うだけの話合いしかできないでしょう)
そうです本当の意味での思考は、実は
右脳の働きなのです。
とにかく私たちに必要なのは、この本物の
思考を取り戻す事だという事です。
ただもう一つ大事な事があります、私たちは
今とことん話し合いをする事により、互い
を理解し合い、つながる事が本当に
今求められているのです。
そして何より、真実発信者の方達の情報を
国民全員で共有するべきでもあります。
それは多くの愛する子供たち次世代の方々
さらには、今いる全てのかけがえのない
人々のためにも、みんなつながる事が
最も大事だという事です。
また意図的にコロナの恐怖を煽り、国民を
ワクチン接種に向かわせてきたマスコミの
上にいる支配層の意図は、とにかくこの事
を恐れているのです。
だから三密を避けろ、距離を取れ、
集まるな、声を出すなと我々に
政府やマスコミを使って、押しつけ
続けているのです。
私たちが、危険なワクチンを接種させ
られないようにするためには、彼らの
意図を逆手に取って、みんな近づき
集まり、そして声を出して、とことん
わかり合うようにする事が、最も
効果的だという事なのです。
ではまた貴重な情報を記事にして
いきます!
それから、現在ツイッターから
アクセスしていただいてる方が
多いと思うのですが、ツイッター社
が存続の危機というような話も
持ち上がってきたようなので、
念のため今回のような記事を一覧で
掲載してるページをブックマーク
していただくとありがたいです。
わりとひんぱんに更新している
カテゴリーです。
それともう一つの重要な意識の話の
一覧のページも、よろしければ
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