この記事は
必要なのは競争社会ではなく共生社会
左脳教育より右脳教育が大切です!
という記事の続編です。
前回の記事で、私たちの教育の
結果、私たちの思考力や想像力や
表現力が著しく低下する一方であったた
事を、統計的にまとめたキム教授を
ご紹介しましたが、
ここでもう一度その事をおさらいして
おきましょう。
ウィリアム・アンド・メアリー大学
(バージニア州ウィリアムズバーグ)の
キュン・ヒー・キム教育心理学准教授は、
トーランス・テスト・オブ・クリエイ
ティブ・シンキングと呼ばれる標準的な
創造的思考テストの結果から、驚くべき
結論を導きだしたのです。
なんと学校での教育を受けた期間が長い
子供ほど、「感情表現が乏しくなり、
元気がなくなり、語彙力も乏しくなり、
話をしたがらなくなり、ユーモアが
なくなり、想像力が貧困になり、
型にはまった思考や言動、行動になり、
情熱的でもなくなり、いきいきしなく
なり、洞察力がなくなり、目的に無関係
のものには関心がなくなり、同調性が
なくなり、また別の角度、あらゆる角度
から見ようとしなくなる」
つまりこれはアメリカの教育の実態を
まとめたものですが、要するに自らの
独自の思考力や、想像力、表現力が
乏しくなり。またユーモアや情熱も
失われて、協調精神も失われ、洞察力
もなくなるという事で、ありとあらゆる
私たちの個性や才能、感情などを
奪うような仕組みになっているという
事を暴露されたのです。
そしてアメリカの教育に倣った、日本の
教育システムは、さらにそれ以上に
ひどいものであるという事がよく
わかります。
それは戦後の日本の教育制度が、占領国
のアメリカの意向のもとに構築されたわけ
ですが、正確にいうと欧米列強に従って
開国させられた、明治以降にその雛形が
あったわけです。
それ以前の江戸時代の教育、寺子屋制度
では、まさにその真逆の教育が行われて
いたのです。
それについては
現代の教育のお手本にもなる
江戸時代の寺子屋とは?
という記事をご覧になってみて
ください。
さて日本にもたらされたアメリカ式
の教育の創設者というのが、ことも
あろうに、あの440Hzを音楽業界
もたらして、私たちから感動できる
音楽の波動を奪ったロックフェラー
でした。
ロックフェラーといえば、アメリカの
石油王で、しかも世界で圧倒的的な
シェアを誇る、超巨大銀行や超巨大
製薬企業を所有する財閥で、当然
支配層の血族とつながる人物ですが、
私たちの目に止まりやすい、フロント・
マンとしての実行役のような存在です。
つまりその頂点の血族の中では、少し
下の格ですが、アメリカ大統領や
ビルゲイツなどよりは確実に上という
存在です。
つまりオモテ舞台に何度もその名前を
さらしているので、私の記事でも気兼ね
なく、その名前を出す事のできる人物でも
あるわけです。
ただし、この財閥にも資産公開の義務
はありません。国家の法律より上に立つ
権力者だからです。
そして・D・ロックフェラーが、
20世紀初頭にアメリカ一般教育委員会を
創設したのです。もちろん大統領よりも
圧倒的な権力を誇る財閥の意向を伝える
ために創設されたものです。
彼は、設立当初このように語っていました。
「私は思想家の国を望まない、労働者の
国を望んでいる」と。
この言葉についてアイク氏がとてもわかり
やすく解説してくれています。
『これは、わたしの国(すべての国)が、
私の機械の中で働く、ものを考えない歯車
の国になることを望んでいる、だから
熱意と可能性を秘めた子供たちを、私の
意のままに動くロボットに変えたいという
意味だ。』
“出典:
「今知っておくべき重大なはかりごと➁」
デービッド・アイク著
本多繁邦 訳
ヒカルランド刊”
要するに現代の教育は、支配層の意のままに
働くロボットを製造するためのものである
という意図に従ったシステムだという事
なのです。
これが、今週の土曜日の驚愕の真実の
投稿につながりますが、この記事では
そこまで、取り上げません。
その教育だけでなく、彼ら支配層が手中に
収めている、主要科学、政治、経済、
ビジネス、医学そして医療体制、メディア
も同じで、全て支配層の意のままになる
ロボットで配置されているというわけです。
なぜそのような体制が構築可能だったかと
いうと、やはり現代の教育が、そういう
ロボットを育てるのに最適だからなのです。
さてその仕組みをアイク氏の著書から
引用させていただきます。
プログラムとあるのは、彼らが我々大衆を
自分たちに都合のよい人間にするための
教育方針とその内容の事を示してます。
つまりそれは彼らの意図そのものでもある
という事です。
またシステムとあるのは、彼らがあらゆる
先進諸国の政治・経済・軍事・司法・警察
などを、実質所有し、支配的に指示ができる
仕組みの事を言います。
『』内が引用で、~が中略です。
『 〈プログラム〉はターゲットとする
人々が、どんなレベルにせよ〈システム〉を
暴露できるほどの知性と魅力で書いたり
話したりすることを望んでいない。また、
創造性を司る右脳の影響を強く受ける詩人、
芸術家、画家、音楽家その他の創造的な
人々も求めてはいない~
(引用注:うん私は全く望まれない存在
ですね。知性と魅力はともかく、丁寧に
そのシステムを説明できる人間として)
学校では、音楽、美術、演劇を軽視して
、左脳を使う科目(上記以外の全部)に
ばかり金と「時間」をかけている。~
「教育プログラミングのおかげで左脳の
知覚は、主要科学、政治、経済、ビジネス
、医学、メディアという〈主流派
エブリシング〉だ。
(引用注:この主流派エブリシングと
いうのは、支配層が所有する、世界中
の、政治・経済・ビジネス・マスコミ・
教育、主要科学、医学・軍事・司法
官僚などすべての機関とその公式
の見解という事です。以下は左脳の
知覚についてです。)
~自由な精神がないから自由な世界は
見ることはできない。~左脳の特徴は
どれも自己欺瞞的なもので、
たとえば「正確」
(〈システム〉の言葉で)、
「管理している」
(と思っている)、
「現実的」
(〈プログラム〉の観点から)
「論理的」(同)~
といったものが並んでいる。
左脳の知覚的特徴は、土星の
知覚的、占星術的影響が具現化した
ものでもある。
右脳は~(引用注:アイク氏の支配層の
形容が、まだなじみのない方も多いと
思うので、単に彼ら
と~を読んでみてください)
が望まないものすべてで、創造的で自由な
精神と無限の想像力を発揮し、
〈プログラム〉を超えて感じ、触れる
潜在能力がある。わたしたちは考えること
ではなく感じ、触れ、直感的に知ることに
よって〈プログラム〉を突破する。
精神分析医でライターのイアン・
マクギルクリストによる素晴らしい
ビデオプレゼンテーションは、分割された
人間の脳について語っている。右脳と
左脳は本来、ひとつのユニットとして働き
、首尾一貫した多角的な全体像を創造
するはずなので、分割は大問題だ。
マクギルクリストは、左脳が細部
(傾注ポイント)に焦点を絞っている
のに対して、右脳はパノラマとしての
全体像を把握すると説明している。、
右脳の働きを失った人には狭い
「注意の窓」しかない。
ここで重要な言葉は文脈だ。
(引用注:文脈とは、文章全体の意味また
意図の事です。)
左脳は細部を見るが、右脳はその細部を
取り巻く文脈を見る。点をつないで森を見る
ということだ。文脈がすべてであって、個々
のピースだけ見ていては全体の絵は見えて
こない。~
文脈のない現実は、途方もない量の、一見
すると何のつながりもない出来事の集まり
でしかない。マクギルクリストは、左脳は
細部の知識であり、右脳は全体についての
叡知だと言っている。これは右脳と左脳の
違いについての完璧な説明だ。~
次の引用はたしかアインシュタインだったと
思うが、出所がはっきりしない。
ともかく、こんな言葉だ。
「直感は神からの賜物であり、理性は忠実な
召使である。私たちは召使に栄誉を与える
社会を作り、神からの賜物を忘れて
しまった」
(引用注:召使は、召使いのことです。)
カナダ出身の精神分析医エリック・バーン
が両者の違いを見事に説明している。
「小さな男の子がカケスとスズメの違いに
関心を持った瞬間、もう鳥を見ることも
その歌を聴くこともできなくなる」
(引用注:カケスとは、スズメ目
カラス科の鳥で、スズメとは違います。)
アルコーン(引用注:支配層の事)の
操作者は右脳の潜在能力を恐れているが、
それ以上に恐れているものがある。
それは全体のバランスだ。左脳に支配
された人は、構造、ヒエラルキー、知能、
それに制約と分離の感覚で頭がいっぱい
になる。右脳が支配的になると想像力が
活発になって極度に創造的になるが、
あまりに「並外れて」しまうので、
そういう人は「並み」の人と協調して
影響を及ぼすのに苦労する。
左脳と右脳が合わさって互いに影響を
与え合い、支え合って一体になると
〈システム〉にとっては、破壊的なもの
となる。なぜなら両者は「並外れて」
いると同時に「並み」でもあるからだ。
左右が一体化した脳はこの「世界」に
ありつつ、主要な観察ポイントという点
では、世界の一部ではない。~
これが右脳を絶え間なく攻撃して脳全体
がひとつになるのを阻止しようとする
根本の理由だ。
その結果、最も非凡なものを秘めている
人々が、今の「教育」システムでは
落伍者とされる。~
こんなくだらないものに自分を定義
させてはならない。向こうの思うつぼだ。
アメリカの教育史家で、政策アナリスト
、著述家のダイアン・ラヴィッチも
言っている。
「最も優秀で知性溢れる精神が画一的な
テストで実力を発揮しないことはある。
それは彼らが画一的な精神を持ってない
からだ」
(引用注:この場合の画一的というのは
「型にはめられたような」という意味
です。)
主流の「教育」の目的は、子どもたちを
確実に画一化すること、そうでない者は
行き場をなくすように仕向けることに
尽きる。知覚への累積的影響は、
バージニア州ウィリアム・アンド・
メアリー大学のキム・キョンヒ教育学
教授による研究で立証されている。
幼稚園から高校3年生までの極めて多数
の児童、生徒を対象にした研究から、
教授は次のような発見をした。
(引用注:これは以前にも記事で
取り上げた通りのものなので、
転載しておきます。
学校での教育を受けた期間が長い
子供ほど、「感情表現が乏しくなり、
元気がなくなり、語彙力も乏しくなり、
話をしたがらなくなり、ユーモアが
なくなり、想像力が貧困になり、
型にはまった思考や言動、行動になり、
情熱的でもなくなり、いきいきしなく
なり、洞察力がなくなり、目的に無関係
のものには関心がなくなり、同調性が
なくなり、また別の角度、あらゆる角度
から見ようとしなくなる」という事なの
です。要するに右脳が
働かなくなるように教育された結果が
これだという事です。)
行動と知覚のこのような変容は、賞罰
というアメとムチのテクニックを通し、
また単純な繰り返しを毎週、毎月、毎年
行うことを通して、右脳を屈服させる
ことで達成させる。~
アメとムチと繰り返しは〈システム〉が
一番よくわかっている、〈システム〉は
常に正しい、規則に従うことの方が
疑問を持つよりずっと楽だという信念
を植え付けていく。
これは、一生にわたって〈システム〉が
正しいと信じ、〈システム〉が押しつけて
くる規則に従わせるための心理的な準備
だ。~
教師は授業では国家の代理かもしれないが、
彼ら自身も囚われの身であり、彼らの
規則に従わなければならない
(さもなければ職を失う)。
これは各レベルが上のレベルの規則と要求
に従うという点で、~人類のヒエラルキー
全体を象徴している。そのことは、休暇を
前にした子どもたちが学校から出るときに
感じる喜びを見るだけでわかる。
「学校は1週間お休みだ-やった~っ!」
~これは、刑期が終了して刑務所から
出るときの囚人の反応だ。学校は
プログラミングのための刑務所であり、
生活に組み込まれた奴隷制度だ。
違うだろうか。では、子どもは好きな
ときにやめて家に帰ったり、学校に
まったく行かなかったりすることが
できるのだろうか。多くの国ではどちらも
無理だが、子どもはどこでも、それが
実現するのを望んでいる。
(引用注:なんとどちらも自由だった
学校制度があったのです。それが
江戸時代の「寺子屋」制度でした。
好きな時に通って、好きな時に
行かなくなることもできて、学校を
選択する事まで自由だったのです。)
子どもは話したいときに話すことも、
空腹なときに食べることも、それ
どころか、覚えて試験で書き写すように
言われたことに質問することさえできず、
いくつもの左脳の授業を黙々と、何時間
も続けさせられる。
プログラミングしてはテスト、
プログラミングしてはテストを毎週、毎週
、毎月、毎月、毎年、毎年、繰り返すのだ。
個人の発達や人格全体の成長はどうなって
いるのだろう。子ども時代はどこへ行った
のだろう。」
“出典:
「今知っておくべき重大なはかりごと➁」
デービッド・アイク著
本多繁邦 訳
ヒカルランド刊”
確かに、こうしてみると、学校は刑務所
だといってさしつかえありませんね。
何の役にも立たない数式や、間違った歴史
、根本から間違っている物理学、完全に
破綻して、矛盾だらけという事が判明
しているビッグバン理論、進化論を
正しいと教え込まれ、また経済や政治などに
関しても、ありとあらゆる間違いや嘘、
真逆の世界観を植え付けられているのが、
現代の教育システムです。
それに、右脳は全く鍛えられず、思考力や
感性もほったらかしにして、ただひたすら
暗記や繰り返しの演算をたたき込まれる
わけです。
これはまさに偽の知識を植え付けられて、
さらにあらゆる個人的な能力を抑圧する
ためのプログラミングを施される
刑務所を意味しています。
そしてシステムつまり彼らの支配体制に
従順に従うだけのロボットが製造されて
いくというわけなのです。
まず、私たちがそのような教育の悪影響
から解放されるためには、彼らが
押しつけてきたものの逆をしていく
のが一番です。
つまり右脳の能力を回復させて、また
左脳と右脳の協力関係を取り戻す事が
一番です。
そのためには、まずは自由な発想、
自由な時間、自由な表現力、自由な
感情表現、自由な観察力を取り戻す
ことです。
それが、洞察力や多角的な面からの視点
や、音楽や絵画などの芸術的才能や、
言葉による表現力、他人の言葉の理解力
、独創的な感性、自発的な思考力、
ユーモアや明るさ、活発さ、元気を
取り戻す事につながるという事です。
それと今回、右脳と左脳の違いについて
の説明もありましたが、左脳は、まさに
細部を詳細に見るために働き、右脳は
全体を見るのに適しているという事
でした。
だから、これだけ多くの専門分野があり、
学問の種類も無数といっていいほど
あるわけです。
つまりそれぞれの専門分野では詳しく
なれても、それが他の分野とどうつながる
のか、全体としてどういうものなのかを
知るための学問は皆無なのです。
それは、全体を見る視野や、物事や知識
をつなげて考えられては、彼ら支配層が
どのような存在で、どのように、人類を
操作して、どのように自由や権利や富を
奪っているかを知られてしまうからなの
です。
私が、今回のコロナウィルスの感染拡大
をむしろ助けているような政府の対応を
原発事故後に政府が、放射能汚染を
逆に広げるようにした対応と同じだと
ツイートしたら因果関係がわからない
という人がいた。
ただしだから検査が必要だというのとは
違います、その事は土曜日投稿の究極
の真実についての記事でよくわかり
ます。
これが、細部しか見えない左脳の反応
です。
物事をつなげて見る事ができて、全体を
見る右脳の助けを借りれば、こんな事の
答えは簡単です。どちらの時の政府の
バックにも、彼ら支配層がいて、その
ように国民の命と健康を奪い、おびやかす
ように指示しているからという事です。
つまり彼ら支配層は、自分たちが管理
しやすく支配しやすいように、人口を
減らしたいと考えているから、先進諸国の
中でも極めて突出して従順な日本の
政治家に日本人の命を奪い、健康を
脅かすように行動しろと指示するので、
政治家が言われる通りにしただけだ
というのが真実です。
特に日本人は現在でこそ、かなり劣化
させられてはいますが、世界でも類を
見ないほど、彼らの力に対抗する力を
見せつけてきたのです。
つまり彼らは日本人の潜在力をいまだに
恐れているわけです。
だから、世界中があきれるような対応
で、コロナウィルスをむしろ蔓延
させるような対応を政府がさせれられて
きたというわけなのです。
このような例一つとっても私たちが、
右脳の能力を取り戻して、さらに、
左脳と統合させて、本来の能力を
取り戻して真実を知る事が重要だ
という事です。
そして、そのためにも、全国の親が、
子どもたちを自由にするように
努力して、自発的な才能を発揮させる
ように努力していかなければならない
という事でもあります。
もし子どもたちが、右脳の力を発揮
して、左脳と右脳を連結させた能力を
発揮するなら、すでに左脳に偏った
思考や感性に陥っている大人たちの
感性と思考能力を取り戻すのに、大きな
助けになる事は間違いないでしょう。
くれぐれも、学校の教育などに従順な
子どもたちにしない事が重要だと
いう事です。
ただし、教師等の風あたりも強くなって
きてると思うので、少なくとも考え方
や感じ方が、従順でないようにした方
が良いのだと思います。
ではまた(^^)/