冬といえばこの曲でしょう!ヴィヴァルディからバッハへ  中期も発掘です!


あまりにも普及してるからと
あえて四季を避けてきましたが、
冬には、やはりヴィヴァルディの
四季の中でも、特に良いと思える
「冬」を第2楽章⇒第1楽章の順番で
お聴きください。

Antonio Vivaldi – Largo (Winter)

A.Vivaldi – Four Seasons
(Winter mvt 1 Allegro non molto)
四季と同じ作品8に収められてるのに
素晴らしい曲はいくつもあるので、
そのうちの1曲もついでに入れとき
ましょう。

Vivaldi Op. 8, Conc. 7
‘Per Pisendel’ RV 242

後期から、ドメニコ・ツィポーリ。
これは本当にじっくり聴いて
いただきたい曲です。心が洗われる
私のような者もいます(^▽^;)

Zipoli Aria in Fa
(Jean-François Paillard)

バッハは、歴史的な作曲家ですが、
曲自体または、フレーズ自体を
過去の巨匠から、いただいて、
アレンジしているものも多いのです。
これはヴィヴァルディの曲をまるまる
いただいて、アレンジしたバッハの
曲ですが、肖像画が入れ替わる
ところが、なんとなく笑えます。

J-S BACH – Concertos pour 4
clavecins BWV 1065 –
Jean-François PAILLARD
ちなみにもとのヴィヴァルディの曲が
これです。

Vivaldi – Concerto Op 3 No 10
(Allegro – Largo – Allegro)
もう一度ドメニコ・ツィポーリに
戻って、これは、ラルゴ・アレグロ・
ラルゴ・アレグロの編成で、やはり
聴きやすい曲です。

SONATA EN LA MAYOR – Domenico
Zipoli (1688 – 1726)

さて中期バロックドイツ編発掘に
まいりますねー。

今回は
クリストフ・デマンティウス
という方です。
ヴィヴァルディの時にも感じたけど
このバロックという時代は、日本の
わびさびのわかる時代だったような
気がします。

Demantius: German and Polish
Dance No. 4
またこの方は歌曲が中心のようで、
この頃の純正律という和音を聴いて
いるだけで癒されますね。

Demantius : Profezia delle
sofferenze e della morte
di Gesù Cristo

ではまたいろいろ探してきまーす(*’▽’)

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インドの聖者も思いのままの現実を体験していた!


これは
本物の現実は、あまりにも自在だった!?
という記事の続編です。

前回は、ツイッターのフォロワーで
仲よくしていただいてるレイキぶどう
さんが、覚醒夢で思い通りに現実が
創造されていくという体験をご紹介
しました。

この覚醒夢という夢を体験だと表現する
のが、意外に思われる方は、是非前回の
記事をご覧くださいね。

要するに我々は肉体などではなく、意識
そのものなので、意識での経験こそが
本当の体験という事だから、夢もれっき
とした体験だし、覚醒夢ならなおさら
鮮明な現実の体験だという事です。

前回のレイキぶどうさんのように、
思いのままになる現実体験は、
一般の多くの人達にとってめったにない
事ですが、実は臨死体験者や、
アヤフアスカを服用した人、賢人や
マスターと呼ばれる人たちの多くが
体験している事でもあるのです。

そこで今回、前回のレイキぶどうさんの
覚醒夢のような、思い通り、望み通りの
現実を体験したというインドの聖者の話を
マイケル・タルボットさんの著書から
引用させていただきたいと思います。

『』内が引用で、~が中略です。

『意識を変えるだけで、現実のより精妙な
レベルにアクセスできるという考えは、
ヨガの教えの主要な前提の一つである。
ヨガの修行の多くは、いかにしてこの
旅をするかを教えるためのものである。
そしてここでも、この冒険に成功した者
たちは、いまではもうすっかりおなじみと
なった風景を語るのだ。そのような
人間のひとりが、その名こそほとんど
知られていないものの、広く尊敬を
集めた人物で、一九三六年にインドの
プーリーで没したヒンドゥーの聖者
シュリ・ユクテシュワル・ギリである。
一九二〇年代にシュリ・ユクテシュワルに
会ったエヴァンス=ヴェンツは、この聖者
のことを「感じの良い雰囲気と高貴な人格」
をもち、まちがいなく「まわりの信奉者
たちがもつ敬愛に価する」と述べている。
 シュリ・ユクテシュワルツは、この
世界と次の世界との間を行ったり来たり
することにとりわけ才能があったようで、
死後の世界は「光と色の非常にかすかな
振動」でできており、「物質宇宙よりも
何百倍も大きい」と描写した。
また、それは私たちの存在している領域
よりもかぎりなく美しく、「紺碧の湖、
明るい海と虹の川」であふれていると
いっている。地上界よりもはるかに強い
「神の創造の力で息づいている」ために、
天気はいつも快晴で、表面に現れる
天候の徴候といえば、「白く光り輝く雪
と、色とりどりの雨」がたまに振る
だけなのだという。
 この素晴らしい世界の住人たちは、
望み通りの身体を物質化させることが
できるし、身体のお望みの部分を
使って「見る」こともできる。また、
これも望み通りの果物やどんな食べ物
でも物質化させることができるが、
「食べることの必要性からはほとんど
解放されている」し、「永遠に新しい
知識という甘美な食べ物だけで宴を
囲む」のである。
彼らはテレパシーを通してやりとりする
一連の「光の絵」を使って互いに意思を
伝え合い、「友情の不滅」を祝い、
「愛はけっして破壊されることはない」
のを悟り、「もしも自分の行いや、真実
を見ることに過ちがあれば」鋭い痛みを
感じ、そして「地球上でのさまざまな
転生を通じて得た膨大な人数の親戚、
父親、母親、妻、夫、そして友人たちと
直面するとき」、特定の誰を愛すれば
よいのかまったくわからなくなり、
そこから「すべての人に対し、神の愛、
平等な愛」を与えることを学ぶので
ある。
 この光輝く地に住むようになると、
私たちの現実の純粋な本質はいったい
どんなものになるのだろう。この質問
に対し、シュリ・ユクテシュワルツは、
単純であると同時にホログラフィックな
答えを出している。食べることも、呼吸
することすらも必要ないこの世界、
たったひとつの想いによって
「かぐわしき花のあふれる庭」を物質化
させることが可能で、身体の傷は、
すべて「ただ願うだけで癒やされる」
この世界では、私たちは、ひとことで
いうと、「知性と調和あふれる光の像」
なのである。
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
       川瀬勝訳 春秋社刊”

思いのままに現実になる世界、望み通り
の物質も現実化できる世界という事で、
前回のレイキぶどうさんと共通している
のがよくわかりますね。
「この素晴らしい世界の住人たちは、
望み通りの身体を物質化させることが
できるし、身体のお望みの部分を
使って「見る」こともできる。また、
これも望み通りの果物やどんな食べ物
でも物質化させることができるが、
「食べることの必要性からはほとんど
解放されている」し、「永遠に新しい
知識という甘美な食べ物だけで宴を
囲む」のである。」
とか
たったひとつの想いによって
「かぐわしき花のあふれる庭」を物質化
させることが可能で、身体の傷は、
すべて「ただ願うだけで癒やされる」
という部分です。

確かにレイキぶどうさんの時と同じ様に
想うだけ、望むだけで物質化して
いますよね。
身体の望みの部分を使って見るという
のは、奇妙にも聞こえるかも
しれませんが、同時に望み通りの
身体になることもできると言ってる
ので、要するに360度あらゆる
角度から見ることができるという
事で、臨死体験者の証言と同じ感覚
でもあるという事ですね。
手を使って見たりすると、なんだか
手に目がついていて、ホラーの
ように思えるかも知れないですが、
目を使わずに見ることができる
ということです。
しかも、実際に私たちの現実でも
お腹で本を読んだりできた人も
いたのです。それはまた記事に
します。

ただこのインドの聖者は、天界のような場所
に移行してますので、レイキぶどうさんの
ような、「現実とまったく変わらない場所」
で望み通りのものを物質化させたりできた
というのとは、少し違います。
ただ、意識のレベルではほぼ同じことで
まだレイキぶどうさんの現実世界の
イメージが天界にいくより強いのだと
思います。

またテレパシーで、話し合い、「光の絵」
使ってやりとりするということですが、
つまりは言葉を使わないという事です。

これは臨死体験者たちも言ってる事ですが、
あらゆる知識にアクセスできたけど、言葉
で表現するのは、難しいといっていた
ことの裏付けでもあるという事の理由が
これになると思います。

今度記事にしますが、私たちが囚われて
いる現実の世界では、言葉で理解される
ようになっています。それはなぜかと
いうと、言葉自体がプログラムされたもの
で、それを使って思考するように制限
させられているからなのです。

まさかと思われるかも知れませんが、
私たちの DNAにその鍵があった
のです。つまりプログラムは私たちの
DNAに書き込まれていて、肉体の
形質や本能、生命サイクル以外にも
言語パターンの元型や、感情の
パターンの元型まで収められている
からなのです。

これはDNAの驚異の力 その1
という記事でも説明しましたが、
ロシアのガジャジャエフ博士と
同僚たちによって発見された事が
以下です。

「このジャンクDNAのコードは、人類
が普遍的に使用している言語のパターンに
酷似しているということも発見されました。
つまり我々が言葉を使って、会話ができる
のも、互いの生体内に組み込まれた言語
パターンを使用しているからという事なの
です。」

逆に言えば、言葉はあらかじめDNA内に
書き込まれていたという事でもある
わけです。
つまり私たちの「意識」が肉体にある場合
そのDNAの言語パターンに従って
思考したり、コミュニケーションを
取ったりしますが、臨死体験者や、
インドの聖者などは、肉体に囚われない
意識に移行できたので、言葉を使わない
理解の領域にいったという事なのです。

まあ私たちも光の絵ではなくても、
イメージを音楽や絵、画像などを通して
理解し合いますよね、あれのとても高度
な形だと思ってもいいと思います。

そしてまた、このインドの聖者の体験
したような世界や、臨死体験者たちが
語る天界のような場所が、本来の私たち
の存在する世界で、本物の世界だと
いうことなのです。

最後にこのインドの聖者が端的に
この本物の世界を描写しています。

「シュリ・ユクテシュワルツは、
単純であると同時にホログラフィックな
答えを出している。食べることも、呼吸
することすらも必要ないこの世界、
たったひとつの想いによって
「かぐわしき花のあふれる庭」を物質化
させることが可能で、身体の傷は、
すべて「ただ願うだけで癒やされる」
この世界では、私たちは、ひとことで
いうと、「知性と調和あふれる光の像」
なのである。」

つまり私たちの現実世界の認識も実は
光の波動の干渉であるホログラムの
世界なのですが、まさにそれと同じく
光の像、つまりホログラフィックな世界
だと言っているわけなのです。

ただし、ここが重要でもありますが、
決してその光は、私たちが感知できる
ような視覚範囲の光と同じものではなく
むしろかけ離れた領域のものである
のは間違いないという事なのです。

臨死体験者が、必ず体験する光は、
とても光輝いているのに、まったく
まぶしくない光だったと証言して
います。つまりはそのような光の像
でできた世界が、インドの聖者のいった
世界であり、本来の私たちが存在して
いる本物の世界というわけなのです。

これに関連した記事をまた投稿して
いこうと思います。

ではまた(^^)/

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インド占星術惑星の性質と働き  ケートゥについて


インド占星術の惑星の性質と働きに
ついてご紹介してきましたが、惑星
としては、今回最後になりました
「ケートゥ」をご紹介します。

前回のラーフと同様、実体のない惑星
という事で、西洋占星術に慣れ親しんだ
人にとっては、なじみのない惑星です。

ただ前回のラーフが、ドラゴンヘッドに
あたり、今回のケートゥが、ドラゴン
テールにあたるもので、西洋占星術との
解釈の比較も楽しみですが、それに
ついては別の記事に書かせていただこう
と思います。

さてケートゥがじんな惑星なのか、いつも
のように引用させていただきましょう。

『』内が引用です。

『 ケートゥ(ドラゴンテール)
ラーフとケートゥは月の軌道と太陽の軌道の
2つの交点を指します。このうち降交点が
ケートゥです。実際に存在する星ではなく、
実体の無い影の惑星と呼ばれます。
この星の象意としては、ラーフの逆で、
禁欲主義、純粋さ、内向的。ラーフが
物質的・快楽主義であるなら、ケートゥは
精神性を高める方向に進む傾向。まるで
お坊さんのような星です。ケートゥは、
神の神秘をもっとも微細に体現している
という意味で、解脱をもたらすものと
呼ばれています。 象意としては、
外国人、外国。医療従事者、哲学。
テクノロジー関係の仕事。オカルト主義。
超能力。識別力。解脱、悟り、真我。
精神性の高さ。突発性。信じられない
出来事。偏屈。他には風邪、潰瘍、陰謀、
毒のある言葉など。
また、ケートゥは、医者や病気を
治癒する人を育てるのに重要な働きを
します。ケートゥが10室に絡むと、
医療従事者につく人が多い。また、他の惑星
との絡みで、発明家になったり、微細な自然
の神秘をあつかう人を意味したりもします。
12室に在住するケートゥは吉とされ、
この配置の人は、鋭い直感や霊感を持つ人が
多い。また月がケートゥとコンジャクト
しても、この傾向が発現します。
ケートゥは基本的に凶星の扱いですが、
その吉凶はその在住する室やアスペクトする
星に大きく依存します。
「Brihat Parashara Hora Shastra」の
36章では「ラーフやケートゥがケンドラか
トリコーナに在住するか、あるいは、ケンドラ
かトリコーナの支配星とコンジャンクト、
あるいはアスペクトされるなら、
ラージャ・ヨーガ・カラカ(ラージャヨガを
形成する表示体・吉星)になる」と書かれて
います。また、ディスポジター
(在住する室の支配星)の状態によっても、
吉凶が大きく依存すると言われます。
また、ダシャーでのケートゥ期は、内向的に
自分を見つめる時期になりやすい
(世俗的なイベントは起きにくい)。

一般象意
アウトカースト、最下層民、外国人、
医療従事者、真我、禁欲主義、解脱、超能力、
識別力、幽霊、毒のある言葉、陰謀、
オカルト主義、哲学

関連職業
テクノロジー関係の仕事、言語学者、
コンピューター・プログラマー、医療関係

病気
粘液、悪性腫瘍、皮膚病、むくみ

人間関係  母方の祖父 父方の祖母

宝石    キャッツアイ

“出典:インド占星術.com
「惑星」より”

前回のラーフが、煩悩、欲望、快楽主義
だったのに対して、まさしく真逆の象意
のようです。
つまり禁欲主義、解脱、真我という事
で、むしろこれはとても意識レベルの
高い惑星となっているようです。
しかも霊感や超能力とも関係がある
という事で、しかも解脱を象意としても
いるという事で、私がテーマにしてきた
事そのものだとも言えます。

ケートゥは基本的に凶星扱いですが、
「ケンドラかトリコーナに在住するか、
あるいは、ケンドラかトリコーナの
支配星とコンジャンクト、あるいは
アスペクトされるなら、
ラージャ・ヨーガ・カラカ
(ラージャヨガを形成する表示体・吉星)
になる」となるという事です。

つまりケートゥが、
第1、4、5、7、9、10
ハウスにあれば吉星扱いですし、
またケートゥと同じハウスに惑星が
あるか、またはケートゥとアスペクト
(アスペクトするというのは、基本的
に対抗の位置のハウスに在住する
惑星どうしという事になります。)
するハウスに惑星があれば、それらの
惑星が、ケンドラかトリコーナの
支配星であれば、吉星となり、
ラージャ・ヨーガ・カラカとなる
という事です。

そしてまたケートゥが10室に絡むと
医療従事者となったりするという事
いですが、ここでの医療というのは、
インドにおいて太古からある本当の意味
での、患者を治癒させる医療だという
事です。間違っても現代西洋医療では
全くないでしょう。
またケートゥは他の惑星との絡みで
発明家になったり、微細な自然の神秘を
あつかう人を意味したりもするという
事ですが、私はこの微細な自然を探求
してもあるので、なんらかの関係が
あって欲しいとは思います。
ただ機能的吉凶をみる限り手放し
で喜ぶわけにもいかないようですが。

またケートゥが12室に在住したり
月と同室になったりすると、霊感や
直感の鋭い人になるという事です。

こういうのがある人は、とても良い
武器をお持ちだという事で、喜んで
くださいね。

さて居心地は下の画像になりますが、
ラーフと同様関係のある場所が
とても少なく、これも諸説あるという
事でご参考までに。

射手座がムーラトリコーナという
のは、射手座の支配星が木星で
精神性の大吉星という事で、精神
を司るケートゥにとって居心地が
良いのはうなずけます。
そして蠍座が定座・高揚という事
ですが、蠍座は精神的、超自然的、
神秘的なことに興味があるという事
なので、これも居心地の良いのが
わかります。ただ蠍座の支配星
火星というのは、欲望や暴力などを
意味していたりして、およそ、
ケートゥとは相性の良くないものに
思えます。これはインド占星術では
なく、西洋占星術での冥王星が蠍座
の支配星であると捉えると良く
理解できるのです。

西洋占星術といっても、私のサビアン
占星術的、冥王星解釈の方で、よく
理解できるという事なのですが、
私は冥王星を意識の核、隠された
自己の核心と捉えているので、
このケートゥの居心地の良さと
いう意味で見事にリンクする事
になるという事なのです。

蠍座の支配星は、つまりは、太古に
冥王星が観測されていれば、
インド占星術でも冥王星
という事になっていたかも
知れません。

この居心地や、ケートゥ自身の性質から
私のケートゥを私のラーシ・チャート
で見てみましょう。

前回のラーフにおいては、
ラージャ・ヨーガ・カラカ
つまり吉星となってくれていた
のですが、今回のケートゥは、
11ハウスで、ケンドラハウス
でもトリコーナハウスでもなく、
また同室する惑星もなく、対抗
にあってアスペクトしているのが、
支配星を持たないラーフなので、
どっからどうみても、吉星という
扱いにはならないようです。

これは号泣ですね、なぜなら、
神秘を追求し、精神性も高めたい
私なら、ケートゥが吉星であった
欲しかったわけですから、しかし
この11ハウスというのは、困難
を意味しますが、努力すれば改善
するともいわれてます。
おーわずかに光が・・
それとよくよく見たら、
「ディスポジター(在住する室の支配星)
の状態によっても、吉凶が大きく依存する
と言われます。」と書かれています。
つまり私のケートゥが在住する天秤座の
支配星は、大吉の星金星で、しかも
金星はトリコーナハウスという吉意を
活かすハウスではありませんか、これは
ありがたい。これで、大きくケートゥを
活かせる可能性が出て来たという事
ですね。
金星ありがとう。それに私はこの金星が
実はインド占星術でも、特に精神性の
高さを象徴していると、読み取れて
いるので、ケートゥの居心地も当然
良くなっているはずだと見てとって
ます。これは私の金星の解釈を
ご覧になっていただれば、そう解釈
しているのがわかっていただける
と思います。
とにかく大事にしたい惑星なので
活かしていかなきゃ。

このように超ポジティブに捉えても
良いと思います。

さて次回からは、惑星と同じくらい重要な
室(ハウス)について見ていきたいと
思います。

ではまた(^^)/

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