意識と魂と思考その4で、意外に簡単な
未来実現の方法として、イメージング
をご紹介しましたが、今度は超意識も
意外に単純な方法で覚醒するという、
コリンウィルソン氏の開発した方法を
ご紹介します。
超意識のレベルには個人差が出るで
しょうが、これも確かに効果的だと
思えます。
ウィルソン氏は、これを基本的方法
だといっておられますが、これまで
ご紹介してきたように、超意識に到達
する方法は、いろんな種類があります
ので、これはそのうちの一つだという
事です。というか紹介されているのは、
二つですね。
「」内はすべて引用で、~が中略です。
「私は、「超越意識」に到達する基本的方法
-すなわち、それを意のままに喚起する方法
を独自に開発してきた。説明しよう。~
~一九七九年の元日、私は学外公開講座の
講義をしにデヴォン州まで出かけたのだが、
豪雪のためにシープウォッシュという村の
近くの辺鄙な農家に閉じ込められて
しまった。二四時間後、われわれは自力脱出
を試みることに決めた。
その農家は窪みにあり、登っていこうにも、
うずたかく積もった雪はタイヤを虚しく空転
させるだけだった。何とか雪を掴むことが
できたのがたまたま私の車だけだったので、
五、六人の人たちに押してもらって、
ようやく平坦な道に出た。一マイル
(約1.6キロ)はありそうな銀世界が
広がっている。
狭い田舎道の積雪はすでにクルマに踏み荒ら
されていたが、それでもなお大変滑りやすく
なっている。それに手つかずの雪が残って
いるところでは、道路の端と側溝の境目を
見極めるのは困難を極めた。私は全意識を
集中し、何かに取り憑かれたように慎重に
運転せざるを得なかった。
二〇分もしないうちに、面白い現象に
気づいた。強烈な精神集中が私の頭蓋骨
の内側に白熱を引き起こしたのだ。しかも
その熱は意のままに増減できるのである。
その結果、私は全く疲れるということが
なかった。というのも、注意力が弱って
くるたびに意識を集中させ、白熱を回復
させたからである。
ようやくエクセター主要道路までたどり
着いて一息ついた。気がつくと、目に入る
もののすべてが奇妙なほどリアルかつ
興味深く感じられるようになっていた
のである。二時間ほど注意を集中させた
結果、私の意識は認識の高い次元に到達
していたのだ。大いに楽観的な気分が私を
満たした。人間の抱える問題なんてほとんど
は曖昧さや気の弛み、あるいは不注意から
くるものなのであって、確固たる努力さえ
惜しみさえしなければ容易に克服しうる
ものであるということが確信できた。
この状態はそれから家にたどり着くまで
続いた。」
これが一つめの覚醒方法です。クルマが
脱輪してしまうかも知れない非常事態に
臨んで、全身の神経を運転に集中した
結果覚醒意識に到達したというものです。
これは、自分も特に経験が多く、仕事で
通常の感覚では無理というような
スケジュールで、多くの商品の納期を
間に合わせるために、秒単位のような集中
で仕事をしていると、通常で考えられない
ようなスピードで仕事が、トントン拍子に
片付く事がありました。何かその進行に
邪魔なものが入っても、あらゆるイメージ
が湧き出て、それを克服していく道筋が
見つかっていくという感覚。そしてその
ような感覚で仕事を、全く集中を切らさずに
こなしていく間、自分は仕事をしている
というより、ゲームのスリルを味わっている
というような快感に満たされて、いつもより
感性がはるかに鋭敏になっていくように
感じられたのです。つまりゾーンに入った
感覚ですね。たぶん仕事やスポーツで自分
の限界に挑戦するような経験をされている
方には、多くみられる覚醒意識だと思います。
次はレベルの高い意識に集中する事を習慣
づけるという、私たちに馴染みの深い方法
です。
「ある日、私は答えを得た。その答えは、
「バガヴァッド・ギータ」という小さな本
にあった。
T・Sエリオットのエッセイを見てその本
の存在を知ったのである。
その基本的な主張は、個人の魂すなわち
我(アートマン)は、究極のリアリティで
ある梵(ブラフマン)と同じものだという
のである。
私はただ毎朝寝室の床に座り、このことに
ついて瞑想し、
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」
の原理について意識を集中させるだけで
よかったのだ。~
~気分は奇妙なほど朗らかで楽観的に
なっていた。父が育ったスラム街を歩いて
いても、割れた窓台やボロボロの玄関
などに魅了され、立ち止まって眺めて
しまう。職場では、退屈になると隅っこに
行って座り、梵我一如に精神を集中させる
のである。するとしばらくするうちに、
何やら自分で自分の人生を支配している
という驚くべき感覚が湧いてくるのだ。
この基本的な洞察を忘れぬ限り、方向性と
目的の感覚を更新する不滅の技を私は
手にしているのだ、と感じられた。」
“「」内すべて
出典:「超越意識の探求」
コリン・ウィルソン著
松田和也 訳
Gakken刊”
これは私たちが、超意識を手に入れようと
する時に行う、わりと一般的な方法です。
梵我一如というのはまた別の記事で説明
させていだこうと思いますが、私が
これまでの記事で紹介しているように
宇宙の無限のエネルギーは、自分の中に
内在しているという感覚です。その感覚を
身につけるために、ウィルソン氏は毎朝
の寝覚めの状態の時に、瞑想を行った
という事ですが、これは就寝前でも同じ
事で、眠る寸前または、寝起きのシータ波
やスローアルファ波の脳波の状態で、自分
の内なる無限のエネルギーを感じるように
努めるという事なのです。
そしていったんそれが身についたら、仕事
の合間に瞑想するだけでも超感覚を得られる
ようになったという事ですね。
この脳波の低い状態で習慣づける瞑想は特に
効果的ですが、ここでとても重要なのが、
自分自身の無限の宇宙エネルギーが内在
しているという意識なのです。このことが
完全に理解されていないと、この方法でも
覚醒する事は難しいでしょう。
要するに、そういう理解をするために、真理
について多くを知っておく必要があるという
事なのです。
今回ご紹介させていただいた覚醒方法は、
共通点があって、大体30分程度の意識の
集中で、その超感覚に入ることができる
という事です。
瞑想による私たちに馴染みの深い方法で、
超感覚が手に入るのは、よく知られた事
ですが、危機感による集中でもそれが
手に入るという事を私たちは経験していて
もすぐに忘れてしまうので、それが超感覚
を手に入れる方法だとは、あまり意識して
いません。コリンウィルソン氏によって
このように説明されると、なるほど確かに
これも超感覚を覚醒させる一つの方法だと
理解できるのです。
ただこの方法は、常に緊迫した状況に直面
しない限り、使えないという事も確かで、
その事について、コリンウィルソン氏が
方法を模索していたら、ある時その集中を
どこか新しい土地にでかけた時のドライブ中
など新鮮な感覚の時に試してみたら、やはり
30分ほどで超感覚を手にすることができる
ようになったという事なのです。
つまり新しい土地にいったり、新しい事を
体験しようとしている時に感じるワクワク感
というものが、そのような意識を喚起する
のに有効だという事を突き止めたという事
です。
このような神経や意識の集中による覚醒の
方法は、私たちでも簡単に経験できる事
なので、一度緊迫した状況や、ワクワクした
気分の時に試してみるといいと思います。
ではまた(^_^)
成る程、神経と意識の集中ですね(^-^)
何かに完全に集中して、周囲の雑音が全く気にならない状態。これですね❓
謙信さんありがとうございます(^^)
集中、没我没頭、恍惚感などが、
きっかけになるというのは確か
だと思います。
最初の例の場合は、緊急事態で、感覚を
研ぎ澄ます必要からの集中や没頭だった
ので、人にもよりますが何かとても
強い集中を必要とする場面でも、
超感覚や超意識が得られるという事
ですね(^^)
音は非常に重要で、よく風鈴や鳥の鳴き声、
川のせせらぎなど、音のおかげで、
没頭、集中できるような状態になること
もあります。
第2弾となります。
梵我一如とは、いつも仰ってる全ては一つ、般若心経の色即是空空即是色と同じ意味ですね❓
謙信さん二通もありがとうございます(^^)
そうですね。良く似通った意味のように
思えますが、少しだけ言葉の意味が違います。
もちろん、二つの言葉は、それぞれ応用し合うような
相性の良い真理の言葉どうしですが。
つまり梵我一如とは、宇宙全体そのものが、自分自身と
同一、つまり自分が宇宙そして世界の全てである
という意味になり、
色即是空空即是色の方は、物質のように見える世界は
真空のことであり、また真空は同時に物質でもあり
いつでも真空から物質が生まれる事が可能である
という量子力学の出した結論と、ほぼ同じ意味に
なります。
なのでこちらの言葉は、我々のいる現実世界とは
どんなものかを表現していて、
梵我一如の方は、私たち一人一人が、宇宙全体という
存在であるという事をいっているわけです。
もちろん色即是空空即是色を全ては一つという意味で
捉えれば、梵我一如と同じ意味になりますが、
色即是空空即是色から、全ては一つという意味を
感じ取ろうとするより、我々が捉える現実世界
の仕組みを捉えている言葉とした方が、言葉の真意
が伝わると思います。