超常現象とホログラムその6    時空を越えたホログラムその4

前回まで、奇跡の臨死体験者アニータ・
ムーアジャニ女史の言葉から、時間の
概念について、説明させていただき
ました。
この本は、最初英語版のペーパーバック
しか発売されておらず、いつものように
辞書を片手に、なんとか読破しましたが、
それまでの自分の研究成果からの結論と
大事な部分では、ほぼ一致していたので、
とてもうれしくて、また感動したのを
覚えています。
大事な部分というのは、時間に対する世界観
と、また自分が宇宙と一体であるということ
です。
どちらについても、あんみんの研究成果と
ともにまた別の角度からも記事を書いて
いきますが、今回は時間と宇宙についてもう
一度、アニータさんがよくまとめておられ
るところから引用させていただくのと、
また宇宙と自分が一体であることを説明され
ている部分を引用させていただきます。
まずは時間についてのこれまでのまとめとも
いえる部分からです。

“私たちは、“時間が過ぎる”と思っていま
すが、臨死体験をしている時には、時間は
ただ存在していて、自分が時間の中を移動
しているように感じられました。時間の
あらゆる点が同時に存在しているだけで
なく、向こう側の世界では、私たちは、
速く進んだり、遅く進んだりすることが
でき、さらに後ろにも、横にも動けるの
です。
しかし、物質次元では、感覚器官のせいで
制限が与えられます。私たちの目は、この
瞬間に見えたものだけに気づき、耳も同様
です。
思考は、一つの瞬間にしか存在できないので、
瞬間と瞬間をつなぎ合わせて、直線的な
一連の出来事を形成します。でも身体から
自由になると、私たちは、視覚、聴覚、触覚
味覚、嗅覚を通してではなく、自分の気づき
だけで、全ての時間や空間の中を動けるの
です。
私たちは、純粋な意識そのものになります。
    (中略)
時間も空間も、物質も、私たちが通常考えて
いるようには存在しないのだとわかったの
です。臨死体験の中で、過去でも未来でも
意識を集中すればどこにでも行ける感じ
がしました。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”
これまでの記事で取り上げたアニータさん
(この人は親しみを込めてそう呼んだ方が
しっくりきますね)の時間と宇宙について
のまとめのような部分ですね。
実際あんみんも、この通りだと思います。
時間の中を後ろにも横にも動けるという
のは、パラレルワールドの世界を的確に
表現していますし、意識はそこで自由に
動けることを示しています。
この意識というのは、肉体を離れた本来の
意識ですが、ふだんの我々の潜在意識と
つながっているものです。
アニータさんは純粋な意識そのものになる
といっておられますが、まさにその通り
ですね。我々にとっての本当の実体とは
その「意識」なのです。
次はその純粋な意識が宇宙と一体である
ことを、またアニータさんが説明しておら
れるので引用します。
“実のところ、私という存在は、この身体
でも、人種でも、宗教でも、どんな信念
でもありません。同じことが他の全ての
人にも言えます。本当の自分とは、無限
で、はるかに強力であり、壊れたり
傷ついたりすることのない完全な存在
です。無限の自己は、人生の航海に必要
なものをすべて備えています。なぜなら、
私たちは、宇宙エネルギーと一つだから
です。事実、私たちは宇宙エネルギー
そのものなのです。
 臨死体験の最中、私は宇宙エネルギーと
一つになっていたので気づいていないもの
は何もありませんでした。まるで自分が
全体を包み込んでいるかのように、すべて
がはっきりとわかったのです。自分があら
ゆるものになり、あらゆるものの中に存在
している感じでした。
自分のすばらしさを知り、宇宙と自分が
一つで同じものであると理解したことが、
私の病気を治してくれたのです。自分
から分離した外部の創造物など存在しない
と気づくようになりました。
この気づきのおかげで、今では、強さや
愛や勇気を持って物質世界と関われてい
ます。このことを別の見方から説明しま
しょう。私は“宇宙エネルギー”という
言葉を使っていますが、それは“チー”
“プラーナ”“気”と同じ物です。これらの
言葉は、それぞれ中国語、ヒンドゥー語、
日本語で、生命エネルギーという同じ意味
です。
 (中略)
ひとことでいえば、それは生命の源で、
あらゆる生き物の中を流れています。
全宇宙を満たしているので、宇宙と切り
離せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも
同じように流れています。“源”“神”
“クリシュナ(ヒンドゥー教の神)”
“仏陀”のような難しい言葉でこのエネル
ギーを表せば、名前に気をとられて
しまい、理解が難しくなるでしょう。
   (中略)
それぞれのラベルには、特定の期待が
隠れていて、その多くは、私たちを
二元性の中に閉じ込めてしまいます。
それゆえ、このエネルギーを自分とは
別のものだと見てしまうのです。でも
宇宙エネルギーは、私たちの純粋な意識
のように、無限で形のない状態のままで
いなければいけません。その状態でのみ、
宇宙エネルギーは私たちと一つになり、
ヒーリングや魔法や奇跡を生み出せるの
です。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”

まさに宇宙と自分は一体であることを実感
したアニータさんならではの言葉で、これが
真実であると理解できますね。
アニータさんは、宇宙エネルギーが純粋な
意識であるといっておられますが、あんみん
は、宇宙エネルギーという言葉を使わずに
「絶対意識」と呼んでいます。
どちらも同じ意味ですが、宇宙エネルギーと
いうと我々の宇宙で観測できてしまう波動
エネルギー(ただしこの波動エネルギーは
最も意識に近いものです)と混同してしまう
から、本質である意識という言葉を使うの
です。
またアニータさんは、神や仏陀という言葉は
自分とは別の存在であることを意識させる
ため、自分と宇宙エネルギーを分離させて
しまうといってます。これは宗教を信じて
おられる方には、申し訳ありませんが、
真実です。彼女はヒンドゥー教のインド人
の両親からシンガポールで生まれ、国際色
豊かな香港で育ちましたが、キリスト教の
学校に入り、またヒンドゥー教の
ヴェーダンタ哲学も学びながら神様は
どれが本当なのと迷いながら育ちました。
そのおかげで、臨死状態にある時に問いかけ
を行い正確にその答えを得ることができた
のです。臨死状態で、究極の一体感を
得ると、問いかければその答えは瞬時に
得られるからです。
臨死状態の意識は、我々の経験する普段の
意識と別のものになるという意味では、
ありません、潜在意識の形でちゃんと
つながっているのです。
ただ臨死体験をしている人の多くが、自分
とは別の偉大なる存在を感じたといって
戻ってきます。これは、アニータさんの
ように全てが一体となった意識状態のレベル
に達していなかったことを意味しているの
です。肉体を離れたからといっても意識は
あらゆるレベルで存在していて、アニータ
さんのように、全てと一体になる
「絶対意識」までいく人は、それほど
多くはありません。つまりレベルが
そこまで達していない人は、輪廻転生や
さまよう霊となったりもします。
また通常の人であれば大丈夫ですが肉体
のあるうちの執着により地獄のような意識
状態になる人もいるのです。
ただし、いってみればそれらは自分その
ものではなく意識の一部でしかないので、
それに気づいた時点から解放されますが。
また地獄の様子を臨死体験で経験した人
の話は別の記事で取り上げます。
とにかく、アニータさんのいうように、
我々は宇宙と一体で、全知であり万能だと
いうことです。究極でいえば、それだけ
知っておけば、自分が永遠に存在する至福
の意識状態として救われるということです。
そしてまたアニータさんもこの本で書かれ
ている大事なことは、宇宙エネルギーの
本質は「愛」であるということです。
あんみんは、これを書くときまだ少し恥ず
かしいような感覚がありますが、それは
私が未熟者だからですね。
またアニータさんの言葉を引用すること
もあるかも知れませんが、三つの記事に
わたっての引用はこれで終わります。
今度は、別の超常現象や超常体験からも
時間や存在についての示唆になることを
取り上げていきたいと思います。
また研究成果についても記事を書いて
いきたいと思います。ではまた(^_^)

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ついに新キャラ登場!!






いつもあんみんひとりのキャラだけでは
役不足ではないかと思ってました。
わりとくどいあんみんの神秘メッセージ
をわかりやすく会話形式で、描いて
みたいと思って、新しいキャラを考案
しました。
といってもCLIP STUDIOというソフト
からのいただきものに名前をつけただけ
ですが
その名も「なおみん」です!!どうか
あんみんともどもよろしくです(^_^)

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超常現象とホログラムその5   時空を越えたホログラムその3

前回、末期癌から奇跡的復活を遂げ、
自身の臨死体験中に、宇宙の真理を
深く理解したアニータ・ムーアジャニ
女史の著書から、時間は過去、現在、
未来が同時に存在していて、またあらゆる
種類のパラレルワールドも同時に存在して
いるという説明を引用させていただきま
したが、その無数にある未来の中から、
自分に関係のある未来を選択したときの
様子を、また引用させていただきます。
これにより、パラレルワールドが、存在
していることをよく理解していただける
と思います。

“第一に、私が意識を向けたものは何でも、
自分の目の前に現れるような気がしま
した。第二に、時間はまったく問題となり
ませんでした。
時間はまるで存在していないかのようで、
それについて考慮する必要さえなかった
のです。
 このことが起こる前に、医師は私の臓器
の機能を検査して、すでに報告書を書いて
いました。でも向こう側の世界では、その
検査結果と報告書の内容は、これから私が
しなければならない決断、つまり生きるか
、このまま死へ向かうかという決断次第
だったのです。
私が死を選択すれば、検査結果には臓器
機能不全と書かれ、もし身体に戻る選択
をすれば、臓器が再び機能し始めたと記さ
れるでしょう。
 その瞬間私は、「もう戻りたくない」
と決意しました。そして、自分の身体が
死んでいくのを感じ、臓器不全による死
だと医師が家族に説明している場面を
目にしました。
   (中略)
死の方へ歩き続けると決心した瞬間、
私は新しいレベルの真実に気がつきま
した。
自分が本当は誰かに気づき、本当の自分
のすばらしさを理解したので、もし身体
に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒
するだろうとわかったのです。それも
何週間や何ヶ月かけてとかではなく、
わずか二、三日のうちにです。
もし身体に戻ったら、医師は癌の痕跡
すら見つけられないでしょう。
 「一体どうやって?」この意外な
新事実に驚き、その理由を知りたいと
思いました。
 その時、身体は、自分内側の状態を
反映したものにすぎないと悟りました。
もし内なる自己が、その偉大さと大い
なるものとのつながりに気づけば、
私の身体はすぐにそのことを反映し、
病気は急速に治るでしょう。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”
実際にこのあと、彼女の選択により、自ら
の意識を反映させて、彼女の癌は跡形も
なく消失してしまったのです。
臨死体験や体外離脱をしても、このような
アニータさんのような意識レベルに達する
人はまれですが、やはり存在します。
このような意識のレベルを私あんみんは、
「絶対意識」と呼んでいます。
無限の時間が、無限の種類の宇宙とともに
同時に存在し、それらと自分は一体であり
不可能なことが存在しなくなるというの
がその意識ですが、まあそこまでいく
人はなかなかいません。もちろん死後で
あれば別ですが。
ただたとえば、ハワイのカフナのように、
意識ひとつで患者の病気を治したり、
人の未来を思い通りに変えていけたり
するような人々は、アニータさんの
ような意識レベルに達していると考えて
よいと思います。
とにかく、今回はパラレルワールドが、
より具体的な形で現れて、アニータ女史
が、その一つを選択して、癌をなくす
までに至ったことを紹介しましたが、
医者の検査結果や報告書まで、その
ビジョンの中に出てきたというのは、
パラレルワールドの具体的な形として
印象深い経験になっていると思います。
彼女が前回の引用で説明しているように
我々は、五感を通して見る世界に縛ら
れていて、本来の同時に存在する
無限種類の宇宙の姿を感じることも
できない状態にあるのだと思います。
また他にもアニータさんが、時間の概念
について丁寧に説明してくれている箇所が、
あります。同時に存在する無限のパラレル
ワールドについての説明として、とても
参考になるので次回はそれについて
みていきたいと思います。

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超常現象とホログラムその4    時空を越えたホログラムその2

前回臨死体験者の証言で、臨死状態の時に
みる人生回顧のホログラムには、未来が
どのようになるかという内容まで含まれて
いることの実例を紹介しました。
今回は、さらにくわしくそのホログラムの
実体について、説明してくれている臨死体験
者の言葉を取り上げます。
今回取り上げるのは、
「アニータ・ムーアジャニ」さんという
シンガポール生まれで、インド人の両親に
生まれた女性です。彼女は末期がんにかかり
家族の必死の看病にも関わらず、瀕死の状態
からついに昏睡状態に入りました。医者や
看護師たちは、もはやほぼ確実に彼女は
死ぬだろうと確信していたのですが、彼女は
なんと昏睡状態の時に臨死体験者たちのなか
でも珍しいほどの高い意識状態になって、
宇宙の仕組みなど全て理解し、そこで得た
意識状態を使って生き返り、またその医療が
完全にお手上げだったような、瀕死の状態
からも立ち直り、完全に健康を回復し、
癌も全て消失するまでに至ったのです。
彼女は医療によってではなく、完全にレベル
の高くなった意識だけで、それをやってのけ
たのです。
彼女は、その時のことを本にまとめて出版
するとたちまちのうちにミリオンセラーと
なりました。
その「DYING TO BE ME」邦題「喜び
から人生を生きる」という本から、時間に
ついて彼女が、何を理解したかという事
についてを引用させていただきます。

“私は身体の五感ではなく、まるで新しい
感覚を手に入れたように、限界のない知覚を
使っていました。それは、通常の能力よりも
はるかに鋭く、三百六十度が見渡せて、自分
の周囲を完全に認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に
感じられたのです。もはや身体の中にいる
ことの方が、制限された特殊な状態である
ように感じました。
 その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私はすべての瞬間を、同時に感じて
いたのです。つまり過去、現在、未来の自分
が関係するあらゆることを同時に認識して
いました。さらに、いくつかの人生が同時に
繰り広げられているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろう
としていました。その弟の本質は、アヌープ
(アニータの兄)だとわかりました。
ただし、その人生で、彼は私より若かった
のです。
時代や場所ははっきりしませんでしたが、
田舎暮らしのようでした。家具などは
ほとんどないあばら屋に住み、私はアヌープ
の面倒を見て、両親は畑で働いていました。
姉として弟の世話をし、家族の食べ物を確保
して、外部の敵から身を守っている自分を
ありありと体感しているその間、その生活が
過去世のものだという感じはまったく
しませんでした。
確かに風景はかなり昔に見えましたが、
まるで今ここで起こっているようだったの
です。
 言い換えれば、時間は、この世で体験する
ような直線的な流れではありませんでした。
私たちの理性が、周囲で起こっていることを
連続したものに並べているような気がしま
した。身体を持っていなければ、実際の
ところ、過去も現在も未来も全て同時に
起こっているのです。
  (中略)
 五感の制限により、私たちは時間の一つ
の点に集中させられ、これらを一列につな
げて直線的現実を創り上げているように
思えました。さらに、私たちの身体の制限
された知覚が、目で見え、耳で聞こえて、
触ることができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲
に閉じ込めているのです。
でも身体的制限がなくなった私は、時間や
空間のあらゆる点と同時に関われるように
なりました。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”
このように彼女は、時間というものは、
直線的なものではなく、現在・過去・
未来が同時に存在し、あらゆるパラレル
ワールドもまた同時に存在していると
説明してくれましたが、私もそう確信して
います。これは、この事を裏付ける研究
成果がいくつもあるからでもありますが、
あらゆる超常現象も、それで説明がつく
のも大きいです。
超常現象と電磁界異常で紹介したように、
江戸時代にタイムスリップしたよう
だけど、かなり違う世界だった
というのも、パラレルワールドが存在して
いる証拠の一つですね。
我々が物質次元に囚われているとか、五感の
制限により、不自由な感覚になっている
ことなどを、これまでも繰り返して
きましたが、これからも多くの証拠と
ともに、それを裏付けていきたいと思って
います。
またアニータさんの、パラレルワールド
の説明として、さらに理解が深まるのが、
臨死状態の中で自分の未来の選択を
したときのことです。
それについては、また次の記事で書かせて
いただきます。

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超常現象とホログラム その3    時空を越えたホログラムその1

前回我々のオーラ場に刻み込まれて、
保存されているホログラムの立体動画
には、未来も含まれていると書きまし
たが、それは、これから二つの記事で
紹介する臨死体験者の方達の言葉で理解
が深まると思います。
これは超意識編の臨死体験者の言葉
シリーズにしても良かったのですが、真理
を理解するのに、とてもよいテーマ
なので、こちらの真理編にしました。
まずは、ムーディ氏の後に続いて臨死体験
の研究をしている人は何人もおられますが、
ケネス・リングという医学博士もまた、
その研究の科学的調査の中心的存在として
知られています。
そのケネス・リング氏の著書からの引用
です。

“次の例は、自動車事故でニア・デス経験を
して何年も経ってから、忘れてしまった夢の
断片を思い出すように、少しずつ思い出した
といっている点で珍しい男性の話である。
〈回答者〉
まるで映画のように、わたしは、私の生涯を
見たみたいでした。それで偶然起こったり
予定した通りに起こったことをいろいろ見た
んです。私は、自分の人生がどういうもの
だったか、さらに-私には果たしてそうか
どうかわからないけど-その未来の運命が
どうなるかってことまで見たんじゃないかと
おもうんです。
そういうことは簡単にいえるとは思わないん
ですけど、私は、ときどき、そのとき知った
ことが起こるのがわかって、“うわーっ”て
思うんです・・・ですから、とにかく私は
、私の人生の全貌がどうなるかっていう
ことを基本的に見たんです。
そうしていろいろなことを見せられた後-
それがどういうものだったか言葉でいうのは
どうにも難しいんですが・・・基本的に
映画を見ているようなものだったんです。
でもこの映画は、スピードアップされて
いて-一秒ぐらいな間に、おそらく一生の
できごとを全部やってしまうようなもので
-それが全部終わった後声が聞こえてき
たんです。実に慈愛のこもった声だった
んです。
  (中略)
とにかく私にはそれが誰だったかわかり
ません。ただ私が知っている声みたいで
もありました。
そしてそれが私にいったんです。
“フランク、今度は本当に全部だいなし
にしてしまったな”って。
  (中略)
この後、この回答者は、自分がした選択の
意識とそのときの気持ちについて話した。
〈回答者〉
・・・ベッドの端から(自分の身体を)
見ると、死んでいるみたいでした。
まさにその、私が私を見ることになった
瞬間が、選択のときだったんです。-
それでいいのか、つまり、お前はお前の
身体へ戻りたいか、それとも戻らなくても
いいのかという選択のときだったんです。
〈質問者〉
誰かがあなたに選択しろといったんですか?
それとも、あなたが自分で選択しなければ
ならないと感じたんですか?
誰が選択させたことになるんです?
〈回答者〉
例の声は“お前は全部だいなしにしてし
まった”といったわけですね。さっきいった
ように、私はその前に、基本的な私の人生、
どういうことが起こってきたか、これから
どういうことが起こるかということを示す
映画を見ているわけです。だから、いう
ならば、一種の使命みたいなものを持って
いる感じになっているわけです。
それで、私は基本的に、私の物理的な身体
と一緒にやっていくか、新しい世界に出発
するかを選択したんです。”
“出典:「いまわのきわに見る死の世界」
ケネス・リング著 中村 定訳
             講談社刊”
これは人生回顧の時に見るホログラム
画像が、未来のことまで投影している
ということを示唆する内容になっています。
その上で未来にはいくかのコースがあり、
それも選択可能だということです。
この時の場合、未来の種類がいくつかあり、
生きる事を選択した未来と、死ぬ事を選択
した未来と同時に存在するということなの
です。
決めるのは一人で、選択が一つなの
だから、結果的に未来は一つなんじゃ
ないかと思われるかもしれませんが、
この時空を越えた、ホログラムの世界
では、未来は無数にあるという方が正し
いのです。
未来予知で息子が事故死してしまう未来
を夢に見た母親が、その事故を未然に
防いでみせたというような場合、夢に
見た、事故はやはり起こっていて、
そこに母親の助けの手が伸びるかどうか
が違っていたのです。
つまり、確かに母親は未来も映像でみた
のですが、その結果の部分だけ変えられた
ということです。
しかし、では母親が見た息子が死んでし
まう未来、つまりそのホログラム的
現実は消えたかというと、そのまま
残っているというわけです。
このことは、ホログラム的な我々の現実
世界には、無数の選択可能な未来が、
パラレルワールドのように同時に存在
しているということを示しているの
ですが、このことについて次回の記事
で理解を深められる、絶好の臨死体験者
の言葉がありますので、それをご覧
くださいね。

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超常現象とホログラム その2     サイコメトリー

前回の超常現象とホログラムその1
我々が、現実として日々経験している
立体世界は、光の干渉によるホログラム
であると説明しましたが、これは立体
動画なので、ホロムーブメントという
言葉の方がふさわしいと、量子物理学者
の第一人者デイビッド・ボーム氏はいい
ます。そしてこの立体動画は、記憶として
存在するわけですが、なんと臨死体験に
共通の要素としてある人生回顧が、まさに
その立体動画の一生分を見ているという
ことに気づいたのです。
その人生回顧の実例は、
臨死体験者の言葉その7と、
臨死体験者の言葉その8でとり
あげましたのでご覧になれば、我々が記憶し
ている
立体動画が、ふだん経験している現実より
鮮明な形で残っていることを納得して
いただけると思います。
この人生回顧については、また記事を書く
予定です。
光の干渉でこのホログラムの動画版が、
できるのですが、光も電磁波の一種なので
やはりプラズマエネルギーによるもの
だと考えてもいいです。
要するに我々が感知できる現実と、感知
観測できないものの境界には、常に
電磁波のもとであるプラズマがある
ということですね。
まあ実際我々が現実を解読する脳が、
電磁気の信号を読み取るものですから、
当然といえば当然です。
ここで大事なことは、これまで荒唐無稽
なものとか奇跡で片付けられてきた、
超常現象や超常能力が、科学的に
説明可能であるという事がわかって
きたということです。

さて臨死体験者の人生回顧で、我々の
記憶がホログラムの動画のような形
で残っていることは、先の記事で説明
しましたが、他にもホログラムが
超常現象や超常能力に関係している
のです。
その一つがサイコメトリーという能力で、
これはアメリカの心霊研究家、J・R
ブキャナンによって提唱された言葉で、
特定の人物の所有物に触れるだけで、
所有者に関する情報を読み取る超常能力
のことをいいます。また遺跡の発掘物など
からその時代の情報を読み取る能力のこと
なども同じくサイコメトリーと呼びます。
この超常能力を発揮するような人を
「サイコメトラー」、「サイコメトリスト」
と呼んだりもします。
そして、20世紀最高のサイコメトラーと
して知られる、ステファン・オソヴィエ
ツキーという人物について、またマイケル
・タルボット氏の著書から引用させて
いただきます。

“その男が目の前の空間をぼんやり見つめる
と、部屋はボーッとかすんで透明となり、
そこに遠い過去の一場面が現れてきた。
突然、彼は宮殿の中庭におり、目の前には
オリーブ色の肌をした若い美女がいた。
首のまわりや手首、足首を飾る黄金の
アクセサリー、白い半透明の服、編まれた
黒髪が四角い形の高い冠の下に気高く束ね
られているのが見える。そのうち、彼女に
ついての情報が頭の中にあふれてきた。
エジプト人であること、父親は王子では
あるがファラオ(王)ではないことが
わかった。また彼女は結婚もしていた。
夫は痩せており、細かく編んだ髪を顔の
両側にたらしている。
その男は場面を早送りすることもできた。
まるで映画のように、この女性の人生に
起きる出来事の数々を早いスピードで
見ることができたのである。
(筆者注:これは古代エジプト人の女性
の化石の一片を手に取った時、それだけ
で彼女の人生回顧をみることができた
ということです。)
彼女が出産の時になくなったことも
見えた。長い時間をかけ、込み入った
手順で取り行われる遺体のミイラ化の
作業、葬列、そして納棺の儀式を
じっくりとながめ、それが終わると
イメージは徐々に消えて、再び部屋が視界
に戻ってきた。
男の名は、ステファン・オソヴィエツキー。
ロシア生まれのポーランド人で、今世紀最大
の透視能力者のひとりであり、時は
一九三五年二月十四日のことであった。
この過去の場面は、彼が石質化した人間の
足の一片を手に取ったときに呼び起こされた
ものである。
発掘品の過去を見透すオソヴィエツキーの
すばらしい才能は、やがてワルシャワ大学
教授で、当時のポーランドでは最も有名
であったスタニスラフ・ポニアトフスキー
の知るところとなった。
ポニアトフスキーは、世界中の遺跡から
集めたさまざまな火打ち石や石器などを
使って、オソヴィエツキーをテストして
みた。「石製遺物(リシック)」とよば
れるこれらの発掘品のほとんどは、見かけ
からはその正体すらわからず、それが人
の手によって造られたものであること
など、予備知識のある者にしかわからない。
またこれらの品は、ポニアトフスキーの
ために、その年代や歴史的背景などが
専門家の手によって事前に調べられて確認
されており、この情報がオソヴィエツキー
の目に触れることがないようポニアトフ
スキーも細心の注意を払っていた。
だがそれも関係なかった。オソヴィエ
ツキーは、見る物を次から次へと正しく
言い当て、その年代、それを生み出した
文化、そしてそれが発見された場所を
正確に描写してみせたのである。
オソヴィエツキーが述べた場所がポニアト
フスキーのノートにある情報と食い違う
ことも何度かあったが、まちがっていた
のは、いつも彼のノートのほうで、
オソヴィエツキーの情報ではないこと
がのちに判明した。
 オソヴィエツキーのやり方はいつも
同じだった。彼はその物を手にとると、
意識を集中し、自分のいる部屋はおろか
自分の身体さえもその影が薄れて、ほとんど
その存在が感じられなくなるまでこれを
続ける。こうした意識の移行が起きると、
彼の目には過去の一場面の三次元映像が
見えはじめるのだ。そうなれば場面の中で
好きなところにいくこともできたし、
見たいものを見ることもできた。過去を
透視している間、オソヴィエツキーは
まるで自分が描写しているものが目の前で
物理的に存在しているかのように目を
あちこち動かすことさえあった。
付近に生えている植物から、人々の姿、
そし住んでいる住居までも彼には見る
ことができた。”
“出典:「投影された宇宙」
(ホログラフィックユニバースへの招待)
マイケル・タルボット著 川瀬勝訳
 春秋社刊”

この最後のオソヴィエツキーのいつもの
やり方というのは、人生回顧と同じく
3D動画を眺めている状態だということ
です。
要するに物や遺品、または化石の骨など
でも、それらが「経験」してきた現実が
ホログラムの動画の状態で、時空を越え
た次元に保存されているということです。
それらをオソヴィエツキーは、臨死体験
者たちのように通常の能力を越えた力を
使って、まるで映画を見るようなやり方で
読み取ることができたということなの
です。というより、映画のような状態で
太古からの異次元に当時の現実が保存
されているということです。
それを彼が、先天的に読み取る能力に
恵まれたということですね。
過去はつまり消えてはいない。我々の
感知する次元を越えたところに存在し
続けるのだといことです。だから人生
回顧の場面も正確にその現実を追体験
できるのです。ただし、当人は第三者の
視点からですが。
これで超常現象とホログラムには大きな
つながりがあることがわかっていただけ
たと思いますが、あの過去にタイムス
リップした東日本大震災や、チェルノブ
イリ原発事故も、同じく過去が現在にも
消えずに残っていて、電磁界異常により
時空を越えてそこにいってしまったと
いうことです。またその過去もパラレル
ワールドのように無数の種類があり、
よく似た過去まで同様に存在している
ということです。
ここまでは、過去に保存されている現実
が、ホログラムの立体映画のような形で
消えずに残っているということでしたが、
実は、未来の立体動画も無数に存在して
いて、その部分に予知能力者などが、
アクセスできるというのです。
それについては、また別の記事で書か
せていただきます。

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臨死体験者の言葉その8     人生回顧とホログラムその1

こちらは、臨死共有体験の共通要素の
人生回顧についての、前回の続きです。
我々が現実をホログラムという形で
読み取り、記憶そしてオーラ場に刻み込
んでいる証拠として、臨死体験および
臨死共有体験での人生回顧を、前回の
記事でとりあげました。
しかし、私が説明した人生回顧で相手の
気持ちまでわかるとか、360度の視点
があるというような証言は取り上げて
いなかったので、いまいち説明不足
だったような気がしたので、他の臨死
体験者の人生回顧についての言葉を
とりあげながら、そのオーラ場の
ホログラムというものがどんなものなの
かということを説明していきたいと思い
ます。これも一つの記事では終わらない
ので、シリーズ化します。

まずはレイモンドムーディー氏の著書から
の引用で、大学院卒業直後、23歳の誕生日
に臨死体験をした女性が、やはり高次の存在
(文中ではあの方と呼んでおられます)に
出会い、人生回顧をしたあとの言葉です。

“自分の行動の責任は、全て自分にある
というのが、この体験から私が学んだ
いちばん大事なことでした。
あの方と一緒に自分の一生を振り返って
いたとき、言い訳することも、はぐらかす
こともできませんでした。
   (中略)
こうして一生を振り返って見た中で、覚えて
いる出来事がひとつあります。
子供のころ、妹から復活祭のバスケットを
ひったくったんですね。私の欲しいおもちゃ
が入っていたからなんですけど。
でもその場面を見たとき、あの子が大事な
ものを取られたときの感じや、がっかり
している感じや、のけ者にされたような
感じがよくわかりました。
意地悪をするときには、人に大変なことを
してるんですね。でも、いつか必ずそれに
気がつくようになっているのは素晴らしい
ことです。
    (中略)

今までしてきたことが全部、その(一生を
振り返ってみる)中に出てきて、善悪を
判断しなきゃいけないんですよね。”
“出典:「光の彼方に」
レイモンド・ムーディ・Jr著
笠原敏夫/河口慶子訳 
TBSブリタニカ刊”

これで我々のオーラ場に保存されている
ホログラムには、その当時には感じられな
かった相手の感覚まで、刻み込まれて
いるという事がわかっていただけたと
思います。我々は毎日潜在意識で鮮明に
場面を感知していて、そこには、人の
気持ちや感覚まで含まれているという
ことなのです。
表面にあらわれる意識では、むしろ頭
や五感のフィルターを通してしまうため
不鮮明になっているということなのです。
しかも大事なことは、そのホログラムに
刻みこまれた映像は時間が経っても消えて
いないということなのです。
臨死体験者が、口をそろえていうように、
本物の現実と変わらないように見えた
ということですが、我々の現実は時間が
経っても残っているということなのです。
これは実は、肉体がなくなっても、本人
特有のオーラ場がなくなっても、同様に
消えないのです。
そのホログラムは当然我々の五感や科学
で感知、観測できるものではありませんが、
このように確かに存在しているのです。
この人生回顧についてのホログラムだけ
ではなく、サイコメトリーという超常能力
などにも、このホログラムが使われ、
また予知能力なども、このホログラムの
状態であらわれたりするのです。
また他にもあらゆる場面でこのホログ
ラムがでてくることになりますが、
それはまた別の記事で取り上げていき
ます。
人生回顧とホログラムについても、
シリーズでまた取り上げていきます。

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臨死体験者の言葉その7     臨死共有体験の共通要素その5

今回も臨死共有体験の共通要素です。
この記事のためにも
超常現象とホログラム 
視覚領域の光の波動以上の世界

という記事を書きました。
その記事には、我々は現実をホログラムの
ような形で感知して、さらに記憶として
保存しているというようなことが、説明
されてます。
よければ、そちらの記事もご覧ください。

今日ご紹介するのは、人生回顧を共にする
というものです。臨死体験では、多くの人
が、この人生回顧をしています。つまり
臨死状態にある時、これまでの人生を
もう1度追体験しているかのような映像を
みせられるというものです。
その時に出会った、高次の存在にそれを
見せられるという場合、この人生で良かった
かどうか聞かれることもあります。
その場合に、まだ子供がいるとか、やり残
した事があるなどと伝えれば(テレパシー
のようなものでという事です)もう1度
生き返らせてくれるというようなケースも
少なからずあります。
また映像は立体映画のようで、360度の
視点があり、時間を早送りしたり戻したり
を自由にできるとか、気になるところを
もう一度みられるなどということもできる
みたいです。
そしてまた、その当時にわかるはずも
なかった、相手の気持ちがわかったりとか、
自分の気持ちがどうだったかまで、理解
できるようになることもあるようです。
それはつまり我々の脳にではなく、我々
のオーラ場と呼べるようなところに、
ホログラム映像が消えずに残って
いて、それを生きている間は、不便な脳の
フィルターを通してみるため、とても不鮮明
であったり、取り出しにくくなっていたり
するのですが、肉体を離れれば直接オーラに
刻まれた時の映像が完全な形で残っていて
それを脳ではなく、次元の高くなった意識で
自由に見られるようになったという
ことなのです。
つまり保存されていた、オーラ場の映像には
相手の気持ちなども含まれているのですが、
それは我々が普段頭を通して、逆にわから
なくなっていたという事も意味します。
オーラ場は潜在意識の場でもありますが、
潜在意識では、我々は人の気持ちだけでなく、
あらゆる事を当時から感知することができ
ていて、それをオーラ場に保存していた
という事になります。
臨死共有体験は、臨終の人の意識に共鳴する
ことによって、やはり五感を越えた意識に
なることができるため、そのオーラ場に
刻み込まれた、亡くなろうとしている人の
人生全体のホログラム映像を五感や頭を
通してではなく、読み取れるようになった
ということなのです。
ピンと来ない人は先ほどの記事
a href=”https://anmin579.com/2020/04/23/%e8%b6%85%e5%b8%b8%e7%8f%be%e8%b1%a1%e3%81%a8%e3%83%9b%e3%83%ad%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%80%e8%a6%96%e8%a6%9a%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%81%ae%e5%85%89%e3%81%ae%e6%b3%a2%e5%8b%95%e4%bb%a5%e4%b8%8a/”>超常現象とホログラム 
視覚領域の光の波動以上の世界
をお読みくださいね。
さてその臨死共有体験の実例を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“また臨死共有体験には、死んだ人と
「人生回顧を共にする」「人生回顧を
共有する」という、目を見張る体験が
含まれることが多い。地上で歩んできた
全人生を、パノラマを見るように、共に
概観したり、とくに重要な場面を回顧
させられたりする。
 近年の臨死体験研究協会の調査に
よれば、通常の臨死体験者たちの約23%
が人生回顧の場面を経験したとしている。
以下はみな、そうした人生回顧の典型的な
例である。
 
「私が病室で体外離脱すると、やがて私の
目の前に、自分の人生の回顧が始まりま
した。私は教育にたずさわり、多くの人を
教えるようになると告げられました。
そして今まさに私はその仕事をしてい
ます。」(スティーブ、62歳、
心筋梗塞患者)

 「私はそのとき、自分の人生の良かった
点だけでなく、失敗や間違っていた点なども
見せられました。」(ジェンナ、56歳、
自動車事故)

「私は自分の人生のすべての重要な場面を
見せられました。私の誕生から、初めての
キスまで。両親との確執の場面もです。私は
自分がどんなに利己的だったのかがわかりま
した。
そしてどのようにすれば本当の自分を取り
戻し、変えられるかも知りました。」
(ドナ、19歳、自殺未遂)

 これらは、通常の臨死体験中の人生回顧
だが、そうしたものと、臨死体験中の人生
回顧は異なる面を持っている。というのは、
、死にゆく人に付き添うなどしている
ときに人生回顧をした人々自身は、臨死
状態にないということである。
にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の
場面を共有する。
 そうした臨死共有体験中の人生回顧を
言葉で言い表すならこんな感じになる。
「私は、亡くなったばかりの夫とともに、
大きなスクリーンのようなものの前に
立っていました。すると夫の過去の人生
がそこに映し出されたのです。幾つかの
場面は、私がそれまで全く知らないもの
でした。」
 たとえば、かつてサン・ディエゴの
ある女性が、10代の息子の病床で
起こったことを私に話してくれたことが
ある。
息子は、糖尿病の合併症のために死に
かかっていた。息子が死んだとき、彼女
は、その病床の周囲に展開された息子の
人生の各場面を見た。
 彼女によれば、映画のように展開さ
れるその各場面のただ中には、自分も
立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。
 (中略)
「私の15歳になる息子が亡くなったとき、
私は病室で息子と共にいました。息子は
小さいときから糖尿病をわずらい、その
重荷を背負ってきました。その世話も
あって、私はいつも息子とともに生きて
きました。
 息子が息を引き取ったとき、私はその手
をにぎっていました。そのとき命が息子
から出るのが感じられました。電気の
流れのようにと言ったらいいでしょうか、
あるいは脈打つ感じで出た、といった方
がいいかもしれません。
 部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて
見えました。また一転してその病室に
強い光が満ちました。その光は、自分で
見たことのない人には到底想像もつかない
ような明るい光でした。
 病床の周辺に、息子がその短い人生で
なした様々な事柄が、映像のようになって
現れました。息子はそれらの映像を見て
いました。喜びの表情を浮かべながら。
  (中略)
光の中で、息子と私は人生回顧の映像に
接しました。細かな事柄に至るまでです。
わたしが長く忘れていたような場面や、
私が全く知らなかった場面も多くありま
した。
たとえば、息子が自分の部屋でひとり
『アパッチ砦ゲーム』を使って遊んで
いた姿や、息子が友人たちと電話で話し
ていたときのことなどです。
  (中略)
 その人生回顧は、閃光のように、ある
いは放電のような感じで次々に展開して
いきました。
それは言葉ではうまく表現できない、
言語に絶するものでした。
 そのとき私は40歳でした。今は62
歳です。しかしあの体験以来、あたかも
すでに100年は生きたような感覚です。
それを悲しく思っているのではなく、知恵
の面で100年分は成長した感じなの
です。
    (中略)
 私が死ぬとき、また息子に再会するとき
には、きっともっと多くのことを知るように
なると思います。
それまでは、たとえわからないことが
あってもこの地上にいて、他者を愛し
仕えつつ、人生を歩むのが私の勤めで
あると思っています。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

これがホログラム映像として、オーラ場に
刻み込まれた、人生回顧の共有体験です。
彼女は息子の意識に同調することによって、
その息子の一生分のホログラム映像を見る
ことがてきるようになったのです。
彼女がいうようにこういう事を知ることが
人生にとってとても重要で、100年も
200年も生きたような充実感も味わう
ことができるのです。
臨死体験者が、あの世に持って行けるもの
は愛と知識だけだと証言していますが、
その知識とは、このようなレベルの知識
のことです。まちがっても、芸能人の
不倫記事や、全国の駅名、うまいラーメン
店の名前などの知識ではありません。
また放電のようなという表現がありま
したが、この体験においてもプラズマ
エネルギーが働いていることの証明にも
なっています。

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臨死体験者の言葉その6     臨死共有体験の共通要素その4

今回の臨死共有体験の共通要素は、
「音楽が聞こえる」というものです。
これは多くの臨死体験者にも共通する
事で、これも肉体から異次元に意識が
移行する時の特徴の一つだということ
です。
音楽というのは、五感で感じるものの
なかでは、最も高次元にあたるもので、
我々の多くは視覚に囚われがちですが、
それはむしろ、物質次元に囚われやすい
感覚なのです。
この点については、またじっくり説明
させていただきたいと思いますが、聴覚の
方が、高次元を察知しやすい感覚なのです。
ピタゴラスの紹介のところでも説明
させていただきましたが、彼は断食と呼吸法
の40日間の実践を経て、高次元の意識に
達し、ついにエジプトの学校に入ることを
許されました。そののち高次元の意識を
得ていたピタゴラスが、音階を発見し、
宇宙からの音楽である、「天球の音楽」を
聴いたというのだから、いかに高い意識が
音楽と密接に関係しているかわかって
いただけるかと思います。

では臨死共有体験の音楽が聞こえると
いうエピソードを、またムーディ氏の
著書から引用させていただきます。

“臨死共有体験にはまた、音楽を聞いた
という証言がよく聞かれる。死につつある
者も、またそばで付き添う者も、同時に
その音色を聞くことがある。
多くの人が音楽を聞いたという場合もある。
 死の際に音楽が聞こえたというこの現象
には、幾つかの型がある。一つの型は、
かつて私がメリーランド州でインタビュー
した、ある女性の証言に見られるような
ものである。彼女は夫の臨終の場で音楽を
聞いたという。以下は彼女の言葉である。

 「夫は昏睡状態で、人工呼吸器に
つながれていました。しかし私は、臨終の
時がそんなにも早く来るとは思っていま
せんでした。夫とともに私は病室で夜を
あかしたのですが、翌朝、私が目覚めた
5時30分に、夫は息を引き取りました。
それは夫の両親が病院に到着した直後
でした。
 夫が息を引き取る少し前、私は病室の
隅で、いすに腰かけていました。疲れ
果てていました。すると突然、ベッドの
周囲にたくさんの人がいることに気づいた
のです。まるで部屋が大きなステージで
あるかのようでした。人々がたくさん
集まっています。
 夫はベッドにいましたが、突然病室の
天井のあたりから、きらきらした光が
降りてきました。その時です、音楽が
聞こえたのは。
 私は『静かにして!』といって、耳を
澄ませました。音量が大きくなるにつれ、
その光も大きくなり、夫の上のあたりに
来ました。その音楽は私がそれまでに
聴いたことのない、非常に美しい、
巧みなものでした。
 またきらきらした光と連動していて、
私は音楽をあたかも目でみているよう
でした。音色の一つ一つが見えるかの
ようで、教会のハンドベル演奏を聴いた
ときのような感情を持ちました。
この上なく美しく、すばらしい音色でした。
 そんなとき、看護師が部屋に入って来て、
私の腕にふれて言ったのです。
『ご主人は亡くなられました』と。
夫はあのきらきらした光に触れられたとき、
息を引き取ったのです。」

つぎに19世紀の研究家ガーニー・
マイヤーズ、およびポッドモアが書いている
実例をみてみよう。彼らは、リリーという
少女の家族にインタビューした。家族は
みな、リリーの死の数日前から、その死後
にわたり音楽を耳にしたという。
リリーの父は、部屋に満ちたその音楽は、
「イオルス琴(風で鳴る琴)のやわらかい、
また野性的な調べのようだった。」と
述べている。また母はこう述べた。
 「年配の看護婦と私のおばが、様子を
見に部屋に入って来ました。夫も一緒で、
みなリリーと部屋にいたのです。
私は台所に行っていました。・・・・・
そのとき同じイオルス琴のようなあの音楽
が聞こえました。部屋にいた3人全員が
聞き、また私も台所で聞いたのです。」”

“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

このような音楽体験はこの本にもある
ように、臨死共有体験だけでなく、臨死
体験にも多くみられるものです。
また取り上げますが、エヴェン・アレク
サンダー氏は、著書の中で、臨死体験中
になんども音楽を聴き、またそれは目で
見えるものでもあったといいます。
ここでの見える音楽というのは、視覚が
優れているという意味ではなく、高次の
意識では目の視覚は働いていません、
もちろん肉体の機能が停止している
アレクサンダー氏についても同様です、
それではなぜ音楽が見えていると証言
しているのかというと、高次の意識の
世界では、五感は全て一体のものに
なっているということなのです。
ただ、五感の中でも物質的感覚のより
強い嗅覚や味覚はほとんど働きません。
とにかく、今回は音楽が異次元世界へ
の移行の時に経験する重要な特徴である
ことを紹介しました。

また高次元の意識に近づくためには、
あんみんの紹介するバロック音楽
聴くのもお薦めですよ。
癒やしを感じたら、高次元に入り込ん
でいるということです。

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超常現象と電磁界異常その6      北極圏と南極圏その2

前回米軍のバード少将が、北極圏と南極圏で
光る白い霧に包まれ、異世界の大陸に遭遇
したという話を紹介させていただき
ましたが、今回は北極圏にまつわる伝説と、
異世界に迷い込んだという証言が、
別の事例として残っているので、それを
また抜粋しながら引用させていただくこと
にします。

“では、両極には未知なる世界の入り口が
あるのだろうか。もちろん科学的に確かめ
られたわけではないが、気になることが
ひとつある。それは北極圏を生活の場と
するエスキモー(イヌイット)たちの
伝説である。
 彼らは、いう。北の果てには近づいて
はならない。北の果てには、恐ろしい
力を持った魔神が住んでいる。魔神は、
あの世界の入り口の番人で人間が侵入する
ことを許さない。不用意に、近づけば、
必ずや命を取られる、と。
エスキモーは今もこの伝説を信じている。
  (中略)
エスキモーと同様、北欧の人々の間にも、
北極にまつわる不思議な話がある。
伝説によると、北の果てには氷原が
まったくない世界、すなわち気候が温暖
で、青々とした草木が茂る楽園がる。
その名を「ウルティマ・トゥーレ」。
北欧の人たちにとって、そこは民族の
故郷であるという。
   (中略)
誰も見たものがいない。ならば1度、北極
へいって確かめてこよう。あるとき、
そう思い立った男がいた。彼の名は
「オラフ・ヤンセン」。ノルウェーの
漁師である。ヤンセンとその父親は
1829年4月3日、冬の寒さが緩み始め
た頃を見計らい、小さな漁船に乗って遠い
旅に出た。

  (中略)
船出して間もなく、ヤンセン親子は暴風雨に
巻き込まれてしまう。強烈な風と高鳴る
波しぶきに彼らはなす術がない。流される
まま、数日間、北極の海を漂った。
 やがて風雨がやんで、一息ついたとき、
彼らは異変に気づく、水面が曲がっている。
目をこすってよくみると、海面は上下左右
に彎曲し、そのまま伸びている。あたかも、
船は水のトンネルを航行しているのである。
目の錯覚ではない証拠に、その状況は
数日間、続いた。寝ても覚めても、そこに
あるのは水の壁である。
 疲労が頂点に達したころ、水のトンネル
を抜けたらしく、突然、遠くまで見渡せる
水平線が現れた。元の世界に戻ったのかと
思いきや、何かが違う。天空に輝く太陽が
やけに鈍い色をしているのだ。いったい、
ここはどこなのか。ひょっとして、伝説の
ウルティマ・トゥーレなのか。まるで
不思議な夢でも見ているかのような気分
である。ヤンセン親子は疲れた体を休め、
数日間、波間を漂った。
 しかし、やがて太平の眠りを覚ます
事件が起こる。突如巨大な船が現れ、
ヤンセン親子の乗る船に近づいてきた
のだ。見れば、そこに巨大な人影が立って
いる。身長は、およそ4メートルはある
だろうか。前代未聞の巨人たちが船に
乗っていたのだ。知らない世界で出
会った巨大な人間に、ヤンセン親子は
恐怖に包まれた。
 だが、彼らの予想に反して、巨人たち
の性格は温和で、非常に親切であった。
ヤンセン親子を遭難者として丁重に扱い、
自分たちの国に案内してくれたのだ。
巨人たちの言葉はよくわからなかったが
、どうも古代のサンスクリット語に似て
いるように思われた。身振り手振りで
コミュニケーションを図ったところ、
どうやら巨人たちの住む町は「イェフ」
というらしく、そこへヤンセン親子は
案内された。
 彼らはイェフで、約1年間過ごすこと
になるのだが、その間に少しずつ巨人
たちの言葉が理解できるようになって
きた。なんでも、巨人たちは特殊な信仰
を持っており、霞がかった太陽を神
として崇拝しているという。
 巨人たちは驚くほど進んだ科学技術を
有しており、見たことのない機械類を
巧みに操り、非常に高度な文明を築いて
いる。建物は黄金に輝き、見事な装飾が
施されていた。農作物も豊かで、
リンゴは人間の頭ほどの大きさも
あった。 巨人たちの性格は、みな
陽気そのもの。そのせいか、巨人たちの
寿命は長く、みな800歳前後まで
生きる。戦いはなく、平和な理想社会
を実現していたという。
 よほどヤンセン親子は巨人たちに気に
入られたらしい。あるとき、彼らは
「エデン」という町に案内された、
そこで巨人たちの王であり、大祭司である
男に謁見を許された。大王はひときわ
大きな体をもち、神々しいばかりの威厳
に満ちていた。大王はヤンセン親子に、
それまでの経緯を聞くと、好きなだけ
滞在してもよいと許可。これを受けて、
彼らは約1年間、合計2年間とどまった。
 巨人の世界を満喫したヤンセン親子
だったが、いつまでも、ここにいるわけ
にはいかない。意を決して元の世界に
戻ることにした。それを知った巨人たち
は別れを惜しみ、ヤンセン親子に多くの
金塊と異世界の地図を贈った。
巨人たちに別れを告げると、宝物を
積んだ船に乗ったヤンセン親子は水平線
を目指した。
すると、しばらくして以前にも見た水の
トンネルが現れた。そこを数日かけて
航行した結果、彼らは無事、再び元の
世界へと帰ることができた。
 が、しかし。元の世界ではあるが、
様子が少し変だった。なんとしたことか、
そこは同じ極地方ではあつても、北極
ではなく、南極だったのだ。
彼らは北極かに入り、そのまま南極から
出てきてしまったのである。
途方にくれるヤンセン親子だったが、
致し方ない。故郷のノルウェーを目指し、
北へ向かって船を漕ぎ始めた。すると
不運なことに、激しい嵐が襲来。巨大な
波に打ち付けられた漁船は大きく傾き、
そのまま沈没。巨人から贈られた宝物は

おろか、ヤンセンの父親までが海の
藻屑と消え去った。幸いにして、ひとり
助かった息子は氷山に乗って漂流して
いるところをたまたま通りかかった
捕鯨船に救助された。
 九死に一生を得たオラフ・ヤンセン
だったが、彼が体験した話は捕鯨船の
乗組員はおろか、だれも信用しない。
あまりにも本当だと主張するため、
ついには精神に異常があると判断され、
病院に強制収容。その後、24年間も
監禁されてしまう。やっと退院したとき、
オラフ・ヤンセンは異世界の話をだれにも
話そうとはしなかった。 
 彼は、それから24年ほど漁夫として
生活した後、渡米。自らの死を前にした
90歳のとき、ひょんなことで知り合った
小説家ウイリス・ジョージ・エマーソンに
、若い頃に体験した巨人の国の話をした。
すると彼は興味を示し、オラフ・ヤンセン
の話を書き留め、一冊の本を書き上げて
しまった。これが1908年に出版された
『スモーキー・ゴッド(煙の神)』で
ある。小説でもファンタジーでもない
この作品は当時の人々を魅了し、大きな
話題となったという”
“出典:「亜空間の謎と地球空洞論」
飛鳥昭雄・三神たける 著 学研刊”

これだけの伝説と証言があり、前回の
バード少将の話も合わせて考えると
もはや北極圏と南極圏には、異世界への
ゲートがあるのは間違いない事実だと
思われます。しかも入った世界もまた
体験により違うということのようです。
興味深いのは、ヤンセン親子の遭遇した
巨人の化石は、近年発見されており、
800年も生きるという証言も、太古の
人類は1000年近く生きたという言い
伝えが残されていることから、充分に
あり得る話だといえます。
また引用させていただいた同書には、
ヤンセン親子とほぼ同様の体験をした
アルド・ステンセンと友人のイバン・
バイゼの話が紹介されていて、地球の
内部が空洞で、地球の内側の内壁に
陸地がへばりついているような世界に
1年間ほど滞在したということです。
これではまるでガンダムに出てくる
スペースコロニーの世界のようです
ね。しかしこちらは円筒形のコロニー
ではなく、全周が球の状態のようですが、
このことからも地球の内部が空間に
なっていて、空洞であるという地球空洞論
が、多くの人々の間で語られるように
なっています。
地球も太陽と同じくトーラス体
あることを考えれば充分にあり得る
話だと思いますが、この話は別の記事
で書きたいと思います。
今回は、地球の最大のエネルギー
グリッドである北極圏と南極圏に時空
のゲートがあり、異世界に侵入したと
いうエピソードがいくつもある事を
紹介させていただきました。

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