日本語の持つ潜在能力は世界を救う!?真実を探求しながら米国を駆け巡るヨガ先生でもあるおバガさんの到達した日本語の特殊性の解釈による叡智的視点とは?


日本語についてはたくさん記事を投稿して
きましたが、世界においてその特殊性と
精神性の高さは、言葉を使用する人に
大きなポジティブな影響を与えるもの
でした。
日本語とヘブライ語が類似している事から
古代日本に古代ユダヤ人が移住してきて
言葉を伝えたという説が広まって
いますが、世界最古の土器やペトログリフ
が日本で見つかっている事や、アメリカ
インディアンの言語にも日本語が多用されて
いる事から、むしろ日本語が世界の言語の
源流であったという解釈の方が妥当に
思います。
その事を取り上げた記事がこちらです。

記事より

日本で近年
発見されたペトログリフ(古代文字の
刻まれた岩石や壁画)は1200個
(1994年当時で)を越えていて、古代
シュメール文字も刻まれていたというので、
ますます、元がヘブライ民族だと解釈する
人も多いですが、なんと最古のペトログリフ
は日本にあるのです。
そしてまた最古の土器も縄文式土器だった
のです。
これでもまだ、ヘブライ民族、または
シュメールの地が元であったといえる
でしようか?
日本の太古の言葉が、シュメール文字の
元型になっていたとしたら、最古の
ペトログリフが日本にあっても不自然で
なくなりますよね。
またなんと、竹内文書をヒントにして、
世界中を旅してまわった高坂和導氏は、
アメリカインディアンの言葉もまた
日本語であった事を発見します。
またラテン語にも日本語との共通語を
見つけておられ、驚く事に高坂氏の著書が
スペイン語版で、メキシコで刊行されたり
しているので、世界で高坂氏の発見が
認めらるようにもなっていたという事
です。

つまり、日本を中心として、世界中に
日本語が広まっていったという見方の
方が、どうみても自然に思えてくるの
です。

世界最古の土器やペトログラフが日本に
あって、日本語が世界中ら見られるという
事であれば、日本語が世界に広まって
いったという方が、自然な解釈という事
です。

そんな日本語の持つ特殊性について、米国
在住の日本人であり、広い米国を旅して
まわって日々見聞を広めておられる
ヨガの先生でもあるおバガさんという方は
いつも、納得させられる考察をツイッター上に
コメントしておられます。

今回は、日本語の持つ特殊性と高い精神性
について、鋭く深い解説をしておられたので
ご紹介します。

最初のツイートに続きでツイートを
されていますが、ツイートとしては最初
の分だけ掲載させていただいて、あとは
貴重な続きのコメントをひとつながりで
引用させていただきます。
重要だと思われるポイントでは
引用注:~で私のコメントをつけさせて
いだたきます。


『』内がおバガさんのコメント

『@hipurin
アメリカで英語人を対象に英語で
ヨーガを教えていて、言葉と脳の
使い方について観察していく中で、
様々な仮説や考えが、雲のように
黙々と浮かんできます。

まず、英語は、討論や批判をするのに、
とっても便利な言葉。アメリカでは
勝ち組と認識されている
(私はそうは思わない)弁護士に
必要な素質とは
より多くの難しい言葉を知っていること。
様々な言葉を使うことで、あたかも
詳細に物事を語っているように思わせる。
多いことは良いこと、みたいな。

言葉によるマジック。Magic spell

(引用注:言葉を多く知っている
だけで、本質的な事を知っていたり
理解している事の証明にはならない
という事ですね。

科学者が難しい専門用語を
並べて説明しても、実は本質的な事
を彼ら自身が理解していない事は、
これまで多くの記事で説明してきまし
よね。ニュートンやアインシュタインも
本質的な間違いをしていたというのは
以下の記事なども参考になります。

)

それが普段の行いにも反映されていて、
沢山のものを所有したがる。
ベースボールカードから、ヘンテコな
ぬいぐるみシリーズ、クラッシックカー
などなど、庶民から高級取りまでが
楽しめる収集商品であふれている。

様々な問題も、買って解決、という
行動パターンが多く見える。

情報についても同じ。

ヨーガ哲学の話をしていて、例えば、
アストラルボデイーについて
説明しようとすると、既にその言葉は、
昨今のスピリチャルブームですでに
世の中に出回っていて、
スピリチャリズム収集家の人たちは、
「すでに知っている」と、彼らの
認識範囲でしか、その言葉の意味を
探索できない。思考がそれから先に
進まなくなる。

(引用注:これも支配層の洗脳手段の
一つで、目に見えない霊的領域など
に対する人々の観念を、ゲームや
動画などで、安易なものに固定させて
しまっておくというものです。
そもそもスピリチュアルな世界で
みなさん思考力を奪われてしまって
いるわかりやすい例が、「五次元世界
への移行」というものですが、たぶん
ほとんどの人は、五次元という言葉に
対してあいまいなイメージしか持てて
なくて、
「なんだか理想の世界のようだわ」
くらいのイメージしかないと思います。
たぶん五次元世界というものが
四次元世界や三次元世界とどのように
違うかについて詳細に説明できる
スピリチュアリストも、その信奉者も
いないのではないでしょうか。
私のブログでは、霊的な領域の事を
五次元世界と称した事は一度もなく
高次元とだけ表記しているのもその
ためです。)

これまでの娘の学校の教育を見ていても、
文章の書き方など、形式が用意されていて、
それに従って、より多くの、難しい言葉が
使われていることが、高く評価されて
きた。
言葉が持つ意味の単純化は、思考の
単純化にもつながる。

一方、日本語には、短い言葉が幾重もの意味
を有して、臨機応変に意味を変える、
まるで虹のような特徴がある。

言語の発祥を追っていくと、英語は、
ゲルマン語から、ロマンテック語は、インド
(サンスクリット)語から派生した、
というような大きな流れが見受けられるけど、
日本語は、どこからきたのか
わからないという、報告がされている。
(引用注:まさに日本語は日本から来た
からという上の記事を裏付ける報告
ですね。言語学の観点からも世界言語の
原点という観方もされています。)

普段、日本語でものを考え、それを英語に
変換して、英語で伝える仕事をしている
私の意見ですが、英語に変換する行為には、
非常にエネルギーを消費する。

例えばその場を丸く収めたい時
「まあまあまあ」で収められるのを、
英語では、『なんて言おう?』から
始まる。主語は?述語は? ときて、
どっちに非がある、というところまで
考慮して、文を組み立てていかなければ
いけない。主語を立てるということは、
常に、ジャッジメントが伴う。常に、
私、あなた、私ら、彼らと隔たりを作る。
(引用注:ここが着眼点としてさすがと
思わされた部分ですね、個人というのは
支配層が人類に仕掛けた五感の
マトリックスでしかなく、真実は
ワンネスの意識としての全てこそが
本来の自己という事を意識して
会話に活かしているのが日本語だと
いう事です。それに対して自分と他人を
はっきり区別する会話のスタイルは
まさに支配層の仕掛けたマトリックス
支配にとって都合が良いものだと
いう事です。
これに関しては以下の記事が参考に
なります。

)

昔日本語を勉強し始めた主人の友達が
よくぼやいていた。

なぜ、日本語は、主語を省くのか? 
それでは、一体何のことかわからない。 

17歳で日本に留学して、生活の中で
日本語を身につけた主人は、
当時流行っていた、「ファジー」という
言葉で、
黒でもなく白でもなくグレーを好む人たち
なんだよ、と説明していた。

日本から外に出て、改めて日本語を意識
すると、ものすごいポテンシャルを秘めた
言葉だと感じる。
話しているだけで臨場感を伴うことが多い。
相手の気持ちも短い言葉から汲み取れる。
だから平和の民。と呼ばれてきたの
でしょう。

(引用注:ここに日本語、また日本語を
使う日本人の特異性があるのです。
もちろん明治以降とくに昭和の
戦後以降には失われつつあるものですが
おバガさんの言われる
「相手の気持ちも短い言葉から汲み取れる」
というのは、言外の意味は、いわば
テレパシーのような感覚で通じ合う事が
できているからなのです。
空気感や相手の表情から相手の感情や心情を、
読み取り、さらに
言葉のトーン、抑揚、音感などから
さらに微妙な意味を読み取っていくのを
昔の日本人は自然にできていたという事
なのです。
それがあるからこそ相手との心情的な距離
が近く感じられ、おバガさんの言われる
ような
「話しているだけで臨場感を伴うことが多い」
という事につながるというわけです。)

そして、英語だけを話してきた人たちには、
全く見えない世界であることも、なんとなく
理解できる。

おそらく日本語のような言葉は、ポリネシアの
言葉、アフリカ民族の言葉、南北ネイテイブ
アメリカンの言葉にも共通するものだと思う。

(引用注:上で取り上げた記事にも通じますね
日本から日本語が世界に広まったという
証拠が数多く見つかっているわけです。)

西の植民地支配は、主に言葉を弾圧する事で、
民族独自の思考が奪われたのでは? 
多くのアイランドランゲッジには、
書き言葉が
存在しなかった=口伝でしか残せない
と言われている。 アメリカにおける
ネイテイブ民族支配は、女子供の
大量虐殺、また近い歴史では、再教育と
謳って、子供に無理やり英語を
教えるため、親から引き離して
寄宿校へ送った記録がある。

2年程前には、カナダのネイテイブ
アメリカンの再教育目的でカトリックの
学校に身を置いていた子供達
が大量に虐殺されていた証拠が見つかり、
教皇が謝罪したニュースがあった。
(謝罪だけで済ませていいのか疑問が残る)
(引用注:おバガさんのやさしい表現
ですが、大量虐殺しといて、ごめんで
済むはずはありませんよね。)

言葉の弾圧は、民族の浄化につながっていく
、、、、英語を話していると、思考が
浅くなる。解決を外に(消費)に求める。 
消費とはお金を有する。

(引用注:支配層は、意識レベルが低く
野蛮な白人に力を持たせて、征服した
土地に、思考力を劣化させる英語を
強要し、征服された民族の粛清や
その民族の結束を弱めるため、異民族
特に白人との交配を進めて、民族浄化
というより、民族劣化に力を注いで
きたのです。

なぜなら人類が劣化していけばいくほど
支配が容易になるからで、岸田自民に
大量の移民を受け入れさせているのも、
その流れです。
人類を劣化させて支配するという
計画については、この後説明します。
クルド人が犯罪し放題でし、しかも
無罪放免となるのも、すべて支配層の
目論み通りというわけですね。)

消費は、地球の資源を使い続ける必要が
ある、現在のお金の制度は、アンフェアーな
ルールのゲームでしかない。
(引用注:支配層が中世に完成させた
銀行システムについては
こちらの記事で詳しく説明しています。

)
このカラクリを知れば、日本語を、
かろうじて書き言葉、話し言葉として
使えている私たちが、次世代に何を
伝えるべきかが、わかってくる。

ここまで読んで下さって、
有り難うございました』

素晴らしいおバガさんの考察でした
日本語の素晴らしい感覚を持ちながら
日々それを英語に変換して、会話
しておられる経験から紡ぎだされる
素晴らしい考察でした。

日本語はつまり、テレパシーの原型の
ような会話だという事も、伝わって
きました。

支配層はなぜ、そのような日本語の
感覚から遠い英語を広めていったのか
非常に簡単な理由があります。
テレパシーにつながるような日本語
の感覚が世界に広まれば、世界の人々の
心がつながって、そこにあたたかい感情の
結びつきが生まれるわけです。
そうなると支配層の悪意も瞬時に世界に
看破されて、彼らは世界から追放される
でしょう。
だから彼らは人類を劣化させる必要が
あり、分断を容易にするための英語を
使用させているというわけなのです。

人類を劣化させるために支配層自身の
精神を、人々に持たせるようにして
きたわけですが、その事は以下の記事で
説明しています。

記事より
文中のプログラムとは、支配層が
人類に仕掛けてきた洗脳手法という
事です。

ここまでおおざっぱにプログラムを
分類してきたが、このプログラムは
多次元である。
やはり補足が必要である。彼等は我々人類を
支配しようとしているが、そのために
彼等自身の意識を人類に植えつける
プログラムが必要なのである。
我々が彼らのような性質になれば、
意識レベルは究極にまで低められ、彼ら
の完全支配を受け入れるようになり、
無尽蔵のネガティブエネルギーを生み
出し続けるようになってしまうが、この
エネルギーそのものが彼らの存続を維持
しつづけるための糧なのである。

彼らの性質とは残虐であり、非道であり、
他を攻撃しその犠牲の上に生き延びよう
とする。
情や暖かい感情は皆無であり、冷淡で
むしろ無感情である。貪欲でありさらに
執着心が強く、猜疑心も強く、憎悪や
恨みなどの悪感情に満ちており、そのうえ
生き残りへの不安や恐怖に
常に怯えている。常に日のあたるところを
避け、隠れていたがるが、権力欲や支配欲
は、とてつもなく巨大である。自分より
強いものや権力者には絶対服従するが、
自分より弱く立場も低いものに対しては、
残虐非道である。

(注:つまりこのマトリックスの究極の
頂天である、邪悪な意識そのものが、
このように投影されるという事なのです。)

このような彼らの性質を我々に
植え付ければ、人類を支配するのは
非常にたやすい。
我々は自分をコントロールすることは
簡単であるが、それと同じことである。
彼らと我々が同じ性質を持てば、彼らは
自分をコントロールするように人類を
コントロールできるようになるのである。  

(注:実は太古の昔に、私たちのDNA
にプログラムされた時点で、すでに
彼ら自身の性質を投影させるような
仕掛けが施されていたのです。
その代表的なものが、爬虫類脳と
と呼ばれるもので、英語名は
(R-コンプレックス)というもの
なのです。
この脳は、私たちの本能のかなりの部分
を司っていて、性欲や食欲、睡眠欲
などに深く関わる他、群れの意識や
強者従順な意識もそこから生まれます。
そうそうこの爬虫類脳と同じプログラム
は、月到着以降に突如として出現した
弱肉強食のシステムを反映させている
全ての生命種に施されているものなの
です。
この突如として出現した生命種について
は、
進化論の破綻と月とのつながり
という記事で詳しく説明しています。
つまり月に存在するテクノロジーに
よって、弱肉強食のプログラムが
施された、生命種が地球上に突如として
出現したという事です。

支配層が三次元的に投影される時の姿
として知られている、爬虫類人型
ヒューマノイドは、支配層の究極の
姿などではなくて、それもまた
邪悪な意識の投影でしかないという事
なのです。
爬虫類だなんて、やっぱりトンデモ
などと思う人は
太古の龍は架空の存在だと断言する人たちへ
という記事をご覧いただければ、爬虫類も
あり得ると理解される方も増えると思い
ます。
さて次は、支配層の配下として
ふさわしい社会システムを構築させる
ための、「成功者」のイメージの
プログラムです。)

テレビや新聞や教育や科学で我々に
刷り込んでいるプログラムは、
「我々とは、弱く権威に服従して、
生きるためには弱肉強食の世界で
生きなければならない存在である」
というものである。
これは彼らの性質でもある。

自然界が弱肉強食の食物連鎖に
なっているのも、彼らが
地上の自然をそのようにプログラム
したからである。月到着以前の地上は
共生の楽園であった。

(注:この事については、先程説明
させていただきました。)

あと彼らの性質に、より近い小数の人間
を代理人としての頂点に据えて、それを
ピラミッドの頂点として、
政治、経済、司法、メディア、金融、
教育、医療、軍隊のトップにも彼らの性質
の強いものをたてていく、もちろん彼らの
性質に近い民族またDNAを持つもの
という点も重要である。

そしてピラミッドの下層の大多数の人類は、
もちろん意識レベルの高い人間または
民族ということになる。これが現在の
人類の社会の構造であり、全て彼らの
支配のために都合がいい形になっていると
いうわけだ。彼らの意志を反映させて、
それを人類に浸透させるためにこの逆
であっては決してならないのはわかって
いただけるだろう。

意識レベルの高いものが頂点に立てば、
彼らの支配は完全に不可能となり、
人類の幸福の楽園が築かれていくのは
間違いなくなるからである。

そのために彼らはつまり意識レベルの
低い民族や人間を社会において、
あらゆる面で支援するのだ。もちろん彼らが
優秀であるようにみせかけるためにメディア
や教育などでも支援する。

さて支配層の狙いがわかれば、我々は
日本語の特性を再認識して、本来の
意識レベルを取り戻す必要があるという
わけです。

そのためにはこちらの記事の一元論的
観念を、理解するのが良いと思います。

記事より

世界でも珍しい、完全調和の観念を
持つ日本人の母性的性質は、日本語の
M音から来ているという事を前回の
日本語に特有のM音は、
日本人の母性的性質のベース

という記事でご紹介しましたが、
今回は、その母性的性質の完全調和の
観念を支える、一元論的観念が
日本固有のもので、これが日本人の
宗教観につながっています。

その事を説明されている神衣氏の著書
からまた引用させていただきます。

『』内が引用で、~が中略です。

『欧米の一般的な宗教観では、神が万物を
創ったとされ。「神」と「被造物」とは
相対的な位置関係で認識される。
また、「神」は善なる存在だとされる。
 この考え方からは、「完全無欠で善なる
神の被造物である人間が、なぜ悪なる
性質や不完全な要素を持つのか」という
疑問が生ずるが、それに対しても、「神」
と「サタン」というやはり相対的な
二元論的概念で補われることになる。
 それに対し、アイヌや古代日本人の宗教
観では、存在は同時に神であり、ミ(神)
は同時にミ(身=形ある存在)であった。
~日本人は欧米人から、何でもかんでも
信仰するとよく批判される。
 仏壇と神棚に手を合わせ、クリスマス
も祝ってしまう姿は、欧米人には大変
奇妙で理解し難いものに映るという。
 しかし、日本人が、分け隔てなく
どんな神にも手を合わせるのは、神は
すべてに宿り、この世はどこであろうと
神々の住まう世界であるという、長い
歴史を通じての一元的宇宙観が潜在して
いるからである。
この日本人の観念によれば、他民族の
神であっても、当然のこととして
敬うのである。
 しかし、対立的に神を認識する欧米の
宗教観からは、正しい神と宗教は一つ
しかない。
 この、正しい神は一つとする一神教
的発想が、その当然の帰結として他との
戦いをもたらすことは、歴史が証明する
通りである。
 しかし、日本人は、それとはまったく
対照的に、すべての神々を受け入れ、
溶け合わせながらも、その太古からの
本質的宗教性を失わずに保ってきた。
一神教を自負する欧米人が多神教だと
異端視する日本人の信仰は、実は、
彼らの一神教よりもはるかに一元的な
神への認識に基づいているのである。
~なお、東洋の思想を一元論だと思って
いる人は意外に多い。たしかに欧米人の
観念と比べれば、東洋人の観念の方が
一元的ではある。しかしこれはあくまで
相対的に見ての話である。
 たとえば、中国思想は、陰陽の哲学で
知られるように、日本人の観念と比べれ
ば極めて二元論的な思想であるし、人
としての中国人の発想も極めて二元論
的である。他の東洋の諸思想も、日本人
の観念と相対させればやはり二元論的
である。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

私が、神秘メッセージの記事で、ずっと
通してきた大切なコンセプトが、この日本人
の一元論的観念と共通しているのが、よく
わかりますよね。
すべての存在が神という思想です。
つまりあなたも私もみんな、神という事
です。
神様という言葉を、どういう感覚で使う
かどうかによって、このコンセプトから
離れるかどうか、よくわかるのが、これ
です。
神様は、絶対的な存在で、自分とは違う
存在だと考えるのが、通常の神様に対する
感覚だと思います。世界中の宗教は、この
世界観がほとんどベースになっています。
逆にこの日本人的な宗教観でいくと、神
は他者ではなく、自分やほかの人も
含めたすべての存在であるという事
なのです。
これこそが究極の意識の最高到達点で
ある「絶対意識」の感覚なのです。

その絶対意識に到達したアニータさんの
言葉を再掲しましょう。
彼女が宇宙エネルギーと一体になったときの
感覚です。

『「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」』

また自分と一体である宇宙エネルギーのこと
をこう表現しています。

『このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。』

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

つまりまず神は存在を表しているものでは
なくそのありようだといってます。
もしそのありようが神だとすれば、自分は
その存在そのものだ、つまり神そのものだ
という事をいっているわけです。

つまり神は自分と切り離された存在では
なく、、自分はまさに神そのものだという事
をいっていて、まさに、それが日本人の
宗教観と同じく、自分も他人も、全ての
存在も神だという事と、全く同じ観念だと
いう事なのです。

またもう一つの証言では、「神」とか
「クリシュナ」とか「仏陀」という
言い方で、絶対的な存在のエネルギーを
言い表していると、それは無理矢理
形を与えて、人によっていろんな解釈を
与えてしまうため混乱させるだけだと
いう事です。

つまり私たちのいう神とは、形のない
宇宙エネルギーそのもので、それは
日本語の「気」であり、中国の「チー」
であり、インドでいう「プラーナ」と
同じものだといいます。
宇宙のすべての存在のエネルギーが
そういうものであり、私たちの本来の
性質、意識も実体もそれと同じだと
いっているわけです。

このように絶対意識に到達したアニータ
さんの得た真理と観念は、古代日本人が
持つ一元論的観念そのものだったという
事です。

これはもちろん私が、私たちが一体であり
また絶対的な存在でもあるというワンネス
という考えと全く同じものだという事
です。

そしてこの全てが一体であるという考え方
こそ、世の中の全ての争いや、苦悩や
悲劇や貧困や不幸を、終わらせるための
最高の観念であり、考え方であり、さらに
真理でもあるという事です。

全てが一体であるというのは物理的にも
真実という事は、もう何度も取り上げて
いますが、この記事をご覧ください。

もちろん英語にも、素晴しい特性はあり
たとえば真実を解読したり彼ら支配層を
論破したり、相手を納得させたりする
のには、とても明快で的確な表現を
しやすいものです。
それに英語を使う人の意識レベルが
高く、心豊かであれば、それはまた
世界を一つにするエネルギーに
つながる事でしょう。

ただ日本語を使う私たちは、特に
日本語の持つ素晴らしい特性を
活かして、つながっていく事が
大切だと思います。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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