これは
本物の現実は、あまりにも自在だった!?
という記事の続編です。
前回は、ツイッターのフォロワーで
仲よくしていただいてるレイキぶどう
さんが、覚醒夢で思い通りに現実が
創造されていくという体験をご紹介
しました。
この覚醒夢という夢を体験だと表現する
のが、意外に思われる方は、是非前回の
記事をご覧くださいね。
要するに我々は肉体などではなく、意識
そのものなので、意識での経験こそが
本当の体験という事だから、夢もれっき
とした体験だし、覚醒夢ならなおさら
鮮明な現実の体験だという事です。
前回のレイキぶどうさんのように、
思いのままになる現実体験は、
一般の多くの人達にとってめったにない
事ですが、実は臨死体験者や、
アヤフアスカを服用した人、賢人や
マスターと呼ばれる人たちの多くが
体験している事でもあるのです。
そこで今回、前回のレイキぶどうさんの
覚醒夢のような、思い通り、望み通りの
現実を体験したというインドの聖者の話を
マイケル・タルボットさんの著書から
引用させていただきたいと思います。
『』内が引用で、~が中略です。
『意識を変えるだけで、現実のより精妙な
レベルにアクセスできるという考えは、
ヨガの教えの主要な前提の一つである。
ヨガの修行の多くは、いかにしてこの
旅をするかを教えるためのものである。
そしてここでも、この冒険に成功した者
たちは、いまではもうすっかりおなじみと
なった風景を語るのだ。そのような
人間のひとりが、その名こそほとんど
知られていないものの、広く尊敬を
集めた人物で、一九三六年にインドの
プーリーで没したヒンドゥーの聖者
シュリ・ユクテシュワル・ギリである。
一九二〇年代にシュリ・ユクテシュワルに
会ったエヴァンス=ヴェンツは、この聖者
のことを「感じの良い雰囲気と高貴な人格」
をもち、まちがいなく「まわりの信奉者
たちがもつ敬愛に価する」と述べている。
シュリ・ユクテシュワルツは、この
世界と次の世界との間を行ったり来たり
することにとりわけ才能があったようで、
死後の世界は「光と色の非常にかすかな
振動」でできており、「物質宇宙よりも
何百倍も大きい」と描写した。
また、それは私たちの存在している領域
よりもかぎりなく美しく、「紺碧の湖、
明るい海と虹の川」であふれていると
いっている。地上界よりもはるかに強い
「神の創造の力で息づいている」ために、
天気はいつも快晴で、表面に現れる
天候の徴候といえば、「白く光り輝く雪
と、色とりどりの雨」がたまに振る
だけなのだという。
この素晴らしい世界の住人たちは、
望み通りの身体を物質化させることが
できるし、身体のお望みの部分を
使って「見る」こともできる。また、
これも望み通りの果物やどんな食べ物
でも物質化させることができるが、
「食べることの必要性からはほとんど
解放されている」し、「永遠に新しい
知識という甘美な食べ物だけで宴を
囲む」のである。
彼らはテレパシーを通してやりとりする
一連の「光の絵」を使って互いに意思を
伝え合い、「友情の不滅」を祝い、
「愛はけっして破壊されることはない」
のを悟り、「もしも自分の行いや、真実
を見ることに過ちがあれば」鋭い痛みを
感じ、そして「地球上でのさまざまな
転生を通じて得た膨大な人数の親戚、
父親、母親、妻、夫、そして友人たちと
直面するとき」、特定の誰を愛すれば
よいのかまったくわからなくなり、
そこから「すべての人に対し、神の愛、
平等な愛」を与えることを学ぶので
ある。
この光輝く地に住むようになると、
私たちの現実の純粋な本質はいったい
どんなものになるのだろう。この質問
に対し、シュリ・ユクテシュワルツは、
単純であると同時にホログラフィックな
答えを出している。食べることも、呼吸
することすらも必要ないこの世界、
たったひとつの想いによって
「かぐわしき花のあふれる庭」を物質化
させることが可能で、身体の傷は、
すべて「ただ願うだけで癒やされる」
この世界では、私たちは、ひとことで
いうと、「知性と調和あふれる光の像」
なのである。
“出典:「投影された宇宙」
マイケル・タルボット著
川瀬勝訳 春秋社刊”
思いのままに現実になる世界、望み通り
の物質も現実化できる世界という事で、
前回のレイキぶどうさんと共通している
のがよくわかりますね。
「この素晴らしい世界の住人たちは、
望み通りの身体を物質化させることが
できるし、身体のお望みの部分を
使って「見る」こともできる。また、
これも望み通りの果物やどんな食べ物
でも物質化させることができるが、
「食べることの必要性からはほとんど
解放されている」し、「永遠に新しい
知識という甘美な食べ物だけで宴を
囲む」のである。」
とか
たったひとつの想いによって
「かぐわしき花のあふれる庭」を物質化
させることが可能で、身体の傷は、
すべて「ただ願うだけで癒やされる」
という部分です。
確かにレイキぶどうさんの時と同じ様に
想うだけ、望むだけで物質化して
いますよね。
身体の望みの部分を使って見るという
のは、奇妙にも聞こえるかも
しれませんが、同時に望み通りの
身体になることもできると言ってる
ので、要するに360度あらゆる
角度から見ることができるという
事で、臨死体験者の証言と同じ感覚
でもあるという事ですね。
手を使って見たりすると、なんだか
手に目がついていて、ホラーの
ように思えるかも知れないですが、
目を使わずに見ることができる
ということです。
しかも、実際に私たちの現実でも
お腹で本を読んだりできた人も
いたのです。それはまた記事に
します。
ただこのインドの聖者は、天界のような場所
に移行してますので、レイキぶどうさんの
ような、「現実とまったく変わらない場所」
で望み通りのものを物質化させたりできた
というのとは、少し違います。
ただ、意識のレベルではほぼ同じことで
まだレイキぶどうさんの現実世界の
イメージが天界にいくより強いのだと
思います。
またテレパシーで、話し合い、「光の絵」
使ってやりとりするということですが、
つまりは言葉を使わないという事です。
これは臨死体験者たちも言ってる事ですが、
あらゆる知識にアクセスできたけど、言葉
で表現するのは、難しいといっていた
ことの裏付けでもあるという事の理由が
これになると思います。
今度記事にしますが、私たちが囚われて
いる現実の世界では、言葉で理解される
ようになっています。それはなぜかと
いうと、言葉自体がプログラムされたもの
で、それを使って思考するように制限
させられているからなのです。
まさかと思われるかも知れませんが、
私たちの DNAにその鍵があった
のです。つまりプログラムは私たちの
DNAに書き込まれていて、肉体の
形質や本能、生命サイクル以外にも
言語パターンの元型や、感情の
パターンの元型まで収められている
からなのです。
これはDNAの驚異の力 その1
という記事でも説明しましたが、
ロシアのガジャジャエフ博士と
同僚たちによって発見された事が
以下です。
「このジャンクDNAのコードは、人類
が普遍的に使用している言語のパターンに
酷似しているということも発見されました。
つまり我々が言葉を使って、会話ができる
のも、互いの生体内に組み込まれた言語
パターンを使用しているからという事なの
です。」
逆に言えば、言葉はあらかじめDNA内に
書き込まれていたという事でもある
わけです。
つまり私たちの「意識」が肉体にある場合
そのDNAの言語パターンに従って
思考したり、コミュニケーションを
取ったりしますが、臨死体験者や、
インドの聖者などは、肉体に囚われない
意識に移行できたので、言葉を使わない
理解の領域にいったという事なのです。
まあ私たちも光の絵ではなくても、
イメージを音楽や絵、画像などを通して
理解し合いますよね、あれのとても高度
な形だと思ってもいいと思います。
そしてまた、このインドの聖者の体験
したような世界や、臨死体験者たちが
語る天界のような場所が、本来の私たち
の存在する世界で、本物の世界だと
いうことなのです。
最後にこのインドの聖者が端的に
この本物の世界を描写しています。
「シュリ・ユクテシュワルツは、
単純であると同時にホログラフィックな
答えを出している。食べることも、呼吸
することすらも必要ないこの世界、
たったひとつの想いによって
「かぐわしき花のあふれる庭」を物質化
させることが可能で、身体の傷は、
すべて「ただ願うだけで癒やされる」
この世界では、私たちは、ひとことで
いうと、「知性と調和あふれる光の像」
なのである。」
つまり私たちの現実世界の認識も実は
光の波動の干渉であるホログラムの
世界なのですが、まさにそれと同じく
光の像、つまりホログラフィックな世界
だと言っているわけなのです。
ただし、ここが重要でもありますが、
決してその光は、私たちが感知できる
ような視覚範囲の光と同じものではなく
むしろかけ離れた領域のものである
のは間違いないという事なのです。
臨死体験者が、必ず体験する光は、
とても光輝いているのに、まったく
まぶしくない光だったと証言して
います。つまりはそのような光の像
でできた世界が、インドの聖者のいった
世界であり、本来の私たちが存在して
いる本物の世界というわけなのです。
これに関連した記事をまた投稿して
いこうと思います。
ではまた(^^)/
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