私たちが永遠で一体である事の証明その2       アニータさんの証言その2改


前回のアニータさんの証言その1で、
アニータ・ムーアジャニさんが、臨死体験
でもまれな、絶対意識領域に入る事が
できたという事で、その体験を自身が
語った著書から引用しながら、考察を
加えて紹介していこうとシリーズ化
しました。
今回はその第二弾という事になります。

以下はアニータさんの著書からの引用
抜粋とそれについての私の考察という形
で進めていきます。

 ~以下引用~

人々がやってくるたびに、それが誰で、何を
しているのかわかりました。目を閉じていた
のですが、自分の周囲で起こっていること
だけでなく、それ以外のことも詳細にわかる
気がしました。
私の知覚は、今までよりもはるかに鋭く
なっていました。
あらゆることがわかり、理解できるよう
でした。
それも実際に起こっている出来事だけでなく
みんなが感じとっていることについても
です。
まるで、一人ひとりの中を見通して、
感じられるようでした。
そして、私の現状に対する彼らの恐れや絶望
やあきらめがひしひしと伝わってきたの
です。
 
   ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

さて拡大された意識になると自分の肉体に
収まらない意識は、まわりの人々の意識
とも一体になるのです。
つまり自分がまわりの人々の意識も自分
のものとして体験できるという事です。
ここで重要なのが、彼女はすべてのもの
になっているということです。
全てのものであれば、これまでとは違って
ありとあらゆる外界だと思っていたもの、
そのものになりその意識も感覚も感情も
自分自身のものになるという事なのです。
だから一人一人の中の意識を、自分自身の
感覚として感じ取れるようになったという
ことです。
ここで、私たちが、日常の状態から、
高次の意識を体得しようと思えば、
共感や共鳴などの意識が重要になって
くるのです。
つまりアニータさんが体験したような
意識状態を、意図的につくり出せる
という事です。
共感も共鳴も、同調も同情も人々と意識
を共有している状態なので、一体感を
味わえる高次の意識の状態に近づくの
です。
そうです、よくコンサートなんかで、
会場中の人々が一体感を味わったり
しますが、それはその高揚感が高次元
の意識につながり、至福の状態になれる
という事を意味します。つまりは、
その一体感が、人々をコンサート会場に
足を運ばせる大きな理由の一つになって
いるのだと思います。
私たちはこのようによく一体感という
言葉を使いますが、それがあたたかい
感情をともなった共感や共鳴として
働くと、レベルの高い意識状態に近づ
きます。
なぜなら、多くの臨死体験者がいうよう
に、愛と知識が私たちの本来の実体に
とって重要だからです。
そこから派生する感覚として、相手の
立場で、感じ行動する事も大事な事に
なります。
これらは、高次の意識レベルに到達する
ために、非常に大きなきっかけに
なります。
逆に、疎外感や孤独感、分離意識、利己的
な意識や感覚、排他的な感情や意識、敵対的
な感情や嫌悪感などは、その逆に
高次元の意識から離れる事につながる
というわけなのです。

また長くなりすぎないうちに次回に
まわす事にします。
では(^_^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

私たちが永遠で一体である事の証明その1       アニータさんの証言その1改


私が神秘メッセージで、お伝えしようと
してきた事は、大きく分ければいくつかの
ポイントに集約できます。
中でも一番お伝えしたいのがタイトルの
「私たちが肉体だけの存在ではなく、
永遠に存在する意識で、全てと一体
である、愛を中心とした、全知万能
の存在である」
という事です。
最後のは、なんだか偉そうに聞こえる
かもしれませんが、これは全員が
そうだという事なのです。
というより、あなたは全ての人の意識
と一体であり、また全ての人そのもの
でもあるという事なのです。
それは、もちろん肉体での感覚に
囚われていれば、すぐには納得
できないでしょう。だから、肉体に
囚われない意識になった賢人や
超常能力者、臨死体験者などから学ぶ
必要があるという事なのです。
ただ肉体から離れた臨死体験者たちは
まだ、その肉体に意識があった頃の
感覚をひきずったまま、その霊的な
次元に以降する人も多くて、その場合
輪廻転生を、受け身的に繰り返したり、
執着がすぎて、意識レベルが低かったり
したら、それなりの次元に、囚われたり
もします。
それでも多くの臨死体験者が証言した
ように、普通に愛情を持って暮らした人
であれば、肉体を離れれば、世界との
「一体感」を味わえるようになるのです。
そこで自分が、永遠の存在である事を
ほとんどの人が知る事になりますが、
稀に意識レベルが、その究極の到達点
である、全知万能の全てとの一体と
なる領域まで以降する人達がいます。
だから2019年の最初に、その
到達点の意識つまり「絶対意識」に
到達した臨死体験者
アニータ・ムーアジャニさんの証言を
シリーズで再投稿していきます(^^)
つまりだれでも最終的には、この
「絶対意識」と一体である自分に回帰
する事になるのですが、ほとんどの人
は魂の学びや、意識の経験のために、
長く旅を続ける事になります。
もちろん今生で、高い意識レベルへ到達
すれば、ネガティブなまわり道をしなく
てもよくなります。
もちろんこの旅は肉体を離れても、
なお続く旅だという事です。
何度も繰り返しで恐縮しますが、肉体は
あなたの全てではなく、あなたは意識
そのもので永遠であるという事です。
では元記事をどうぞー(^^)

今回ご紹介するのは、自身の臨死体験を著書
にまとめ、発表してミリオンセラーを記録
した“「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”
です。
最初購入した時は、邦訳は出ていなくて、
また電子辞書を片手に四苦八苦しながら、
数週間かけて、読破しました。
ただそれまで、研究で臨死体験については
テーマにしていなかったので、新鮮な
驚きと、それまでの自身が得ていた結論
「全ては本来一体のもの」と一致していた
という事で、とても喜び、楽しみながら、
驚きなから、読んでいったのを覚えて
います。
日本語と違って、英語は不慣れなので、
暗号を解読して謎解きをするような
スリルのある感覚が醍醐味です。

さてこれまで、臨死体験という言葉の
生みの親である、レイモンドムーディ氏
や、その後本格的な調査に発展させた
ケネスリング氏の著書から何人かの
臨死体験者の証言を紹介させて
いただきましたが、今回のアニータ
さんは、自分の臨死体験を一冊に
まとめてくれています。

臨死体験者には、真理を理解するための
ヒントになる多くの共通点がある事も
説明してきたと思いますが、その具体的な
内容は、一人一人違うという事です。
そしてまた、多くの人が高い意識の
レベルつまり「覚醒状態」を体験して
いますが、その高い意識にもレベルが
あったのです。
実は、本当に大きく分けて二つのレベルが
あるのです。

一つは多くの臨死体験者が、臨死体験中に
高い次元の存在、光の存在、神のような存在
に出会ったといってますが、これは、自分が
肉体に囚われていた時と同じ、宇宙や世界
の中で分離された小さな存在であるという
意識レベルのままだということです。
これを私は単に「高次元の意識」といいます。
(ケネス・リング氏は著書で、この光の存在
は高次の自分自身だといっておられます。
私もそう思います。この意識レベルの場合
光の存在を見ている状態が分離意識だという
ことです)

もう一つは、現代の量子物理学や太古からの
賢人たち、またはハワイのカフナや、
チベット密教の超常能力を得た人々が示唆
してきたような、自分自身が世界や宇宙と
一体であり、自分がまさにその宇宙自身
世界自体だという意識になる事です。
これは、本当に臨死体験者の中でもごく
少数の経験者の報告しかありません。
私は、この意志レベルの事を比類なき
完全な物である絶対という言葉を使って
「絶対意識」と呼んでいます。

アニータさんは、そのまれな臨死体験の
レベル「絶対意識領域」に到達した人
だったのです。

あまりに詳細なので何回かにわけて、
シリーズ化していこうと思います。
で、今日はその1です。
 
以下はアニータさんの著書からの引用
抜粋とそれについての私の考察という形
で進めていきます。引用はもちろん
アニータさんの臨死体験時について
書かれた部分です。

   ~引用抜粋~
私は、臨死状態になり、これまでよりも
はるかに鋭敏に、自分の周囲で起こって
いることに気がついていました。身体の
五感は働いていませんでしたが、それとは
比べものにならないくらい、あらゆるものを
感じ取ることができたのです。
まるで完全に異なる知覚が目覚めたよう
でした。
それは単なる知覚以上のもので、起こって
いること全てを包み込み、まるで自分が
ゆっくりとその全てと一つになっていく
ように感じられました。
   ~引用終了~

まずはここでよくわかるのが、肉体から自分
の意識が解放された後に、とてつもなく
鋭敏で拡大された新しい意識がとびこんで
きたということです。
それまでの肉体にとらわれた感覚や認識が
なくなると、より確かな現実感を伴った、
拡大された鋭敏な知覚を得るということ
ですね。
ここで゜私たちの思い込みによる間違った
言葉の使い方を、ご紹介しますね。
それは、気絶したり、昏睡状態になったり
もちろん人が亡くなる時にも、
「意識を失った」と表現しますよね。
ですが、昏睡状態の彼女や、多くの臨死
体験者の多くは、仮死状態または昏睡状態
であるのにもかかわらず、鮮明な知覚を得た
とか、覚醒したと報告しているのです。
確かに、まわりの五感にとらわれた人から
みると、身体または頭の機能が、一時休止
または停止状態になれば、肉体自体は意識
的な反応を見せなくなるので、そのような
意識を失うという言葉になるのもわかり
ますが、多くの臨死体験者やアニータさん
のように、肉体が機能を停止している時が
覚醒状態の時より鮮明な意識状態になる
という事なので、むしろ「意識が開かれた」
わけです。
そしてその意識状態が本来の意識だと
いう真理の観点からだと、「意識が回復
した」「本来の意識に回帰した」という
表現が正しくなるということです。
つまりふだんの我々は、「本来の意識は
失われている」という事でもあります。

私のブログは、占星術と真理解明を二つの
柱として進めていますが、これも実は
一体のもので、この真理についての深い
知識が背景になっているのが、わたくし
のサビアン占星術です。
だから、占星術の記述にも、あちこち
その知識がちりばめられているのですが、
みなさん別々の層に分かれているので
なんとかしたいとは思っています。

えーとつまり太陽と月が我々の意識に
大きな影響を与える2大天体といっても、
いいですが、太陽はその本来の意識で、
普段なじみのある五感にとらわれた
肉体の意識が月だということなのです。

話を戻しますね💦
アニータさんは、肉体の機能がほぼ
停止状態にあることで、本来の意識に
「目覚め」とてつもなく拡大された
鋭敏な知覚や認識を得ることができたの
です。
我々が、瞑想をして高い意識レベルに
到達しようとすることの意味はここに
あります。
つまり生命活動をほぼ休止に近い状態に
持っていき、五感の機能を休止させ、本来
の意識を覚醒しようというのが瞑想の
コンセプトなのです。

さてアニータさんの証言の次回その2
では、より詳細な臨死体験中の描写
について取り上げていきたいと
思います。
ではまた(^_^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

現実自体を変えられる超常能力        奇跡の少女の事例


これまで、ホログラフィックな現実の
仕組みや、古来から多くの賢人や術者に
よって未来を創造する「視覚化」という
能力に関する事など、貴重なヒントを
数多く与えてくれているマイケル・
タルボット氏がまた、驚くべき超常能力を
発揮できた少女の実例を、著書に書いて
おられるので、引用させていただきたい
と思います。
まずは、現実全体を変える超常能力と
いうものについてのタルボット氏の
鋭い見解からです。

「」内がすべて引用で、~は中略です

「 現実全体を根こそぎ変えてしまう

ある意味で、物質化現象は、現実に関して
私たちがもっている常識的な見方を最も
激しくゆさぶるものだと言える。という
のも、念力のような現象までなら現在の
私たちの世界観の中になんとか取り込め
ないことはないものの、何もない空間から
物体を創造するとなると、世界観の基盤
そのものをゆるがすことになるからだ。
ところが、精神ができることは、それだけ
にとどまらないのである。これまで見て
きたものは、奇跡といっても現実の
「一部分」に関わっているにすぎない。
たとえば、念力を使って物をあちこち移動
させる(物理的法則)、火に対する耐性を
もつ、物質化させる(血液、石、宝石、
灰、栄養素、涙)などである。
しかし現実が切れ目ない全体性である
とするなら、なぜ奇跡は現実の一部分に
しか関わっていないように見えるの
だろうか?
 奇跡が精神のもつ潜在能力を示す例で
あるなら、この問に対する答は、当然
つぎのようなものになる。
すなわち、私たちは世界を部分に分けて
見るように深いレベルでプログラム
されているから、ということだ。
これはつまり、もしそのような
プログラムがそれほど強くなく、世界を
ちがった見方で見ることが可能ならば、
奇跡もまたちがったものになるという
ことを意味している。そうなると、
現実の一部分が変容するような奇跡の
例よりも、現実全体が変容する例を
もっと多く目にすることになるはず
なのだ。
実はそういった例もいくつか存在して
はいるが、それはまれであると同時に、
現実に対する私たちの常識的な見方に、
物質化現象よりもさらに深刻に挑戦
してくるものなのである。」

さすがに本人も、少年時代にポルター
ガイストなどさまざまな超常能力を
発現させたマイケル・タルボット氏は
、視点が非凡なのがわかりますね。
超常能力の発揮だけでも、私たちには
充分な奇跡に思えるものですが、
さらに高いレベルの見方を提示して
くれているという事です。
確かに、我々がよく目にし耳にする
超常能力のほとんどが、現実の一部分
にしか、関わらないものが多いです
よね、そこに目をつけたのが、
タルボット氏の見解というわけですが、
その理由が、とても納得のいくもの
でした。

私たちの意識は、確かに物事を部分
的に分割して見るように、習性づけ
られているといえます。そのため、
超常現象も部分的な影響力しか
持てないという事です。これは真理
だと思います。なぜなら私たちは、
まさに全意識が本来の姿なので、
可能性を限定させる力は自分の中に
こそあると理解できるからです。
そして五感の感覚は、物事を分割して
見る事にこそ適しているものです。
特に視覚が。
五感にもレベルがあります その2
視覚の死角について
という記事を
ご覧になれば、理解の助けになると
思います。
ここでサビアンシンボルの魚座26度
の「影響を分割する月」が想起されて
きました。生命プログラムとしての
月の影響を示すこのシンボルは、生命
の誕生の牡羊座の直前にあたるので、
とても興味深いものとなっています。

このように私たちは、生まれる時点で
物事を分割的にみるような意識に
制限されますが、その制限から解放され、
現実を全体として意識するようになれば
制限された能力も解放され、超常能力も
発揮できるようになるという事なの
です。
そして我々が現実を全体として見る
意識が、さらに高いレベルになれば、
現実そのものを変える超常能力も発揮
できるという事なのです。
そういう例を、タルボット氏が取り
上げてくれているという事なので、
見ていきましょう。

「ワトソンがそのような例を示して
いる。インドネシア滞在中に、彼は、
この種の力をもつもうひとりの若い
女性に出会っている。その女性の
名前はティアといったが、前述の
アリン(無意識のうちにポルター
ガイスト現象を引き起こした少女)
とは異なり、彼女の力は無意識
レベルのサイキックな才能の表れでは
ないようであった。それは意識的に
コントロールされており、ほとんどの
人の内部に眠っている「力」に、
ティアが生まれつきのつながりを
持っていたことから発しているもの
だった。
ティアはひとことでいうなら、
完成途上のシャーマンだったのだ。
ワトソンは彼女のこの特異な能力を
何回か目のあたりにした。奇跡的
治癒を行うのも目撃もしたし、一度は
~彼女が自分の精神の力を使って
モスクの尖塔を発火させるところさえ
目にしている。
 しかし、ティアの最も凄まじい
力を見せつけられたのは、ケナリの
林の木陰で、彼女がひとりの少女に
話しかけているところに偶然出くわ
したときのことだった。遠くから見て
いても、ティアのしぐさから、彼女が
なにか大事なことをこの子供に伝え
ようとしていることがワトソンにも
わかった。ふたりの会話は聞こえな
かったが、ティアがいらついている
様子だったことから、これがうまく
伝わっていないことが見てとれた。
やっと何か思いついたらしく彼女は
不気味な踊りを始めたる
 ワトソンは、彼女が木に向かって
手をさしのべるのを我を忘れてじっと
見つめていた。ほとんど動きらしい
動きをしていないように見えたが、
その微妙なしぐさにはなにか催眠的
なものがあった。それから彼女は、
ワトソンに強烈な衝撃を与え、狼狽
させることをしたのである。
彼女は、その林を一瞬のうちに全部
消滅させてしまったのだ。
(引用注:ここびっくりするとこ)
ワトソンが述べているように、
「ある瞬間ティアはケナリの林の木陰
で踊っていたのに、つぎの瞬間、彼女は
目を刺すような明るい陽射しの中に
ひとり立っていたのである」。
 数秒ののち、彼女はふたたび林を出現
させた。少女が跳びあがって木々に手を
触れながら走りまわっていた様子から、
ワトソンはこの子も同じ体験をしていた
ことはまちがいないと思った。だがティア
の魔術はまだ終わったわけではなかった。
こんどは、この林を数回にわたり消したり
出現させたりしてしまったのである。
ティアは少女とふたりでくすくす笑い
ながら、手に手をとって小躍りしてこの
神秘を楽しんでいた。
ワトソンはただその場を静かに去って
いったが、頭の中はぐるぐると回って
いた。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

これは、まさかの超常能力ですね、
一体どのような力が働いたのか、
簡単に仕組みは説明しにくいで
しょうが、ティアという少女が、
現実全体を確かに根こそぎ変えた事
は事実でしょう。誰かに催眠効果を
もたらした結果などというケチな
ものではなく、遠くで覗いていた
だけのワトソン氏まで、はっきりと
林が消えたのが見てとれたのです
から、本物でしょう。しかも、林を
消したり出現させたりを数回に
わたり実現させてみせたのだから、
完全にお手上げですよね。
つまり、彼女には、全体として
一つである本来の世界と意識的に
つながることが先天的にできていた
ということなのでしょう。
もちろん我々も意識のレベルさえ
上がれば、同様の事ができるという
事でもありますが、まさか実例として
これだけ鮮明な現実の変え方があった
というのは、本当に驚くべきことです
よね。

そうだこれでも、ティアという少女が
かなり範囲の広い催眠効果をもたらした
のではないかという、懐疑的また否定的な
人がおられるかも知れませんね。
その方々のために、つけ加えておきま
しょう。
私たちの現実感覚こそ、五感に囚われた
集合意識による限定された「想像上
または脳内現象的な」ものだという事
なのです。それは確かな現実だとも
いえますが、無限にある現実の中の
とてつもなく範囲の狭い、特殊な一部
だという事です。だからそれを基準に
しなければ、ティアの出現させた現実も
また確かな現実のうちの一つだという事
なのです。これは神秘メッセージの一連
の記事をご覧になっていただければ、
よく理解できると思います。

さて、類は友を呼ぶのか、マイケル・
タルボット氏本人も似た体験をして
いるとの事です。それは次回に紹介
させていただく事にしましょう。
ではまた(^^)

超意識編 一覧

宇宙の真理編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

臨死体験と過去世体験がつながる!  その1


今回は、臨死体験者の証言と、退行催眠
による過去世体験の共通点を実例を
取り上げて、ひとつにまとめて説明
していこうというシリーズ第一弾
です。
まずは昨日の過去世の特徴の記事の
「第三者視点の獲得」というもの
を、そのまま転載して、そのあと
臨死体験者の証言を紹介していこう
と思います。
(なんせ月の記事に隠れて、昨日
この特徴の記事それほど、読まれて
なかったはずなのでちょうどいいです
昨日の記事の特徴のうちのひとつ
を今回取り上げました。)
全てつなげて理解していく方が、わかり
やすいはずですよね。

退行催眠という方法で、過去世を
体験するという実例を紹介する
シリーズです。
前世記憶や臨死体験との共通点が
多いので、真理を探究するのに非常に
役に立つ事例だといえます。

今回も前回のその6に引き続き、
レイモンド・ムーディー氏が
過去世体験を研究した成果として、
その特徴や要素をまとめておられ
ますので、著書からの引用でご紹介
していきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「特徴6
 過去世の光景は自分の両目からのもの
と、第三者的視点の両方になる。

 過去世へ退行中の者は、自分の両目から
見た光景、および第三者的視点からの
光景の両方を経験している。
第三者的視点からの場合、被験者は、
あたかも肉体から離脱した魂がその場面を
見るときのように、自分のいる光景を
別の視点から見ることになる。
 たとえば、ある女子学生が語ってくれた
退行経験によれば、彼女はかつて19世紀
初頭のヨーロッパにおいて男性であり、
馬車の御者をしていた。その過去世へ
退行中、彼女は自分の肉体の目に見える
光景、すなわち御者席に座る自分から
見える馬車の進む道や、馬車の前部などを
見ていた。彼女は馬のおしりや足を見、
また前から来る風などを感じていた。
 しかしそのとき事故があり、馬車は転倒
してしまった。そのとき突然彼女は、光景
を上からながめている自分に気がついたの
である。彼女の下には、めちゃくちゃに
なった馬車馬と、大ケガを負って動かない
自分の体が見えた。
 また別の被験者は、退行経験をこう
語っている。

 「ルネッサンス時代のような服装をした
男が、道にそって歩いている光景が私に
見えました。そのとき気づいたのは、
その光景を自分の視点から見るだけでなく
、上からながめたり、あるいはその男の
視点から見ることさえできたことです。
私は、自分の視点を切り替えることがで
きました。ちょうどテレビ番組を見ている
とき、カメラが切り替えられて視点が
変わるときのようでした。」 」
“以上「」内全て
出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

この第三者的視点は、ムーディー氏の
退行催眠の時にも度々体験されている
ので、過去世体験において一般的な
能力だと思われます。が、これは
臨死体験者にも共通している能力で
やはり肉体を離れた状態でも視覚は
存在するという事も証明しています。
そもそも過去世の自分の目といっても、
現在の催眠を受けている本人の目は
閉じているのだから、自分の肉体の
目を使ってみているのではありません。
あくまでも過去世の自分の意識としての
視覚だという事です。
後の人は、視点を自由に切り替える事
ができたという事ですが、これも一部の
臨死体験者に見られる能力です。
臨死体験者の場合は、まわりの人の心
とも一体になって、その思考や感情も
読み取る事ができたというケースもあり
ます。
全ては、意識レベルの問題だという事
です。
意識レベルが高ければ、より自在な能力
を発揮できるという事なのです。

さてでは、臨死体験者の「第三者的視点」
の実例です。
レイモンドムーディー氏の著書からの
引用です。

「」内が引用で~が中略です。
「」のセリフが変わるたびに別の人の証言
になります。

「すると急に、わたしは、自分の体や仲間
たちから切り離されて、たったひとりで虚空
の中にいるような感じに襲われました。
そして、その場所でじっとしていたのに、
約三、四フィートの水中で自分の肉体が
浮いたり沈んだりしているのが見えたのです。
わたしは自分の体を、斜め右後方から見た
のです。自分の肉体の外にいた間も、わたし
には完全な体が備わっているようでした。
~軽快な気分でした。まるで羽毛になった
みたいでした。」

「~わたしは昇りながら、看護婦たちが大勢
、病室に駆け込んでくるのを見ていました
~わたしは担当医が病室に入ってくるのも
見ました。「先生はここで何をしているの
かしら」と思いました。わたしは、電灯の
上まで昇っていました-電灯を横から
はっきりと見たのです。-やがて昇るのを
やめて、天井すれすれのところを漂い
ながら、病室を見降ろしていました。
まるで天井まで吹き上げられた紙っきれに
なったような感じがしました。
 先生たちがわたしを蘇生させようとして
いるのを。わたしは上から見ていたのり
です。
手足を伸ばしたわたしの体がベッドの上に
横たわっているのがよく見えましたし、
みんながベッドのまわりに立っているのも
はっきり見えました。
あね看護婦が、どうしましょう!この人
死んでしまったわ!」と言うのが聞こえ
ました。その間に、わかの看護婦が、
わたしを蘇生させるために口うつしの
人工呼吸をしていました。わたしは
その看護婦の後頭部を見つめていました。
彼女のヘアスタイルを忘れることは絶対
ないでしょう。一種のショートヘア
だったのです。」
(引用注:文中看護婦という言葉が再三
出てくるのは、引用する文章を変えて
はいけないので、現在では看護師と訳す
ところをそのまま掲載しています。)

「わたしたちに向かって突進してくる
車の、目もくらむようなヘッドライトの
光がとびこんできました。恐ろしい音
がしました-わたしの車の片側が、
めちゃめちゃになる音です-そして一瞬
のうちに、暗い四方をおおわれた空間
を通り抜けているような感じがしました。
-そして一瞬のうちに、暗い四方を
おおわれた空間を通り抜けているような
感じがしました。~
~それからわたしは、道路から五フィート
ぐらいの高さで、わたしの車からは
五ヤードほど離れた場所をなんというか、
とにかく漂っていたのです。
衝突の時のガシャーンという音が、
こだまになって消えていくのが聞こえ
ました。いろんな人がかけよって、車
をとりかこむのを私は見ていました。~
~わたしには、人垣の中のつぶれた車の
中ある自分の体が見えたし、みんなが
その体を引っぱりだそうとしているのも
見えました。車の中のわたしの両足は
ねじれていて
、あたり一面、血の海でした。」

”出典:「かいまみた死後の世界」
レイモンド・ムーディー・Jr著 
中山善之 訳”

最後の方の証言なんかは、ムーディー氏
が、過去世体験をしてライオンに食べられて
いる体を見つめていたシーンを、彷彿と
させますよね。また最初の二人の方の
証言のように自分が体から離れて、羽
のように軽々と漂っていたというのは、
肉体に宿っていた、プラズマ体または
アストラル体または魂としての自分
だという事です。
つまり肉体そのものが自分でない事も
この証言からは、よくわかります
よね。

次は過去世体験者の証言で、人の心まで
わかるというのも臨死体験者の言葉によく
見られます。
次は、臨死体験者アニータ・ムーアジャニ
さんの証言です。

「人々がやってくるたびに、それが誰で、何を
しているのかわかりました。目を閉じていた
のですが、自分の周囲で起こっていること
だけでなく、それ以外のことも詳細にわかる
気がしました。
私の知覚は、今までよりもはるかに鋭く
なっていました。
あらゆることがわかり、理解できるよう
でした。
それも実際に起こっている出来事だけでなく
みんなが感じとっていることについても
です。
まるで、一人ひとりの中を見通して、
感じられるようでした。
そして、私の現状に対する彼らの恐れや絶望
やあきらめがひしひしと伝わってきたの
です。」
 
   ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

このように、臨死体験者や過去世体験者の
意識のレベルにより、人の心まで読み取れる
ようになる事があるということです。
ただ完全に肉体を抜け出た状態の臨死体験者
の方が、体に意識が半分残ったままの
退行催眠中の過去世体験者よりも、意識の
自由度が高いという事はいえると思います。
意識が潜在意識領域に入り込んだ状態では、
あらゆる超常体験に共通項が出てきますので
これからも取り上げて説明させていただき
たいと思います。
では(^^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

過去世の記憶 退行催眠 その7       過去世体験の特徴のまとめその3


退行催眠という方法で、過去世を
体験するという実例を紹介する
シリーズです。
前世記憶や臨死体験との共通点が
多いので、真理を探究するのに非常に
役に立つ事例だといえます。

今回も前回のその6に引き続き、
レイモンド・ムーディー氏が
過去世体験を研究した成果として、
その特徴や要素をまとめておられ
ますので、著書からの引用でご紹介
していきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「特徴6
 過去世の光景は自分の両目からのもの
と、第三者的視点の両方になる。

 過去世へ退行中の者は、自分の両目から
見た光景、および第三者的視点からの
光景の両方を経験している。
第三者的視点からの場合、被験者は、
あたかも肉体から離脱した魂がその場面を
見るときのように、自分のいる光景を
別の視点から見ることになる。
 たとえば、ある女子学生が語ってくれた
退行経験によれば、彼女はかつて19世紀
初頭のヨーロッパにおいて男性であり、
馬車の御者をしていた。その過去世へ
退行中、彼女は自分の肉体の目に見える
光景、すなわち御者席に座る自分から
見える馬車の進む道や、馬車の前部などを
見ていた。彼女は馬のおしりや足を見、
また前から来る風などを感じていた。
 しかしそのとき事故があり、馬車は転倒
してしまった。そのとき突然彼女は、光景
を上からながめている自分に気がついたの
である。彼女の下には、めちゃくちゃに
なった馬車馬と、大ケガを負って動かない
自分の体が見えた。
 また別の被験者は、退行経験をこう
語っている。

 「ルネッサンス時代のような服装をした
男が、道にそって歩いている光景が私に
見えました。そのとき気づいたのは、
その光景を自分の視点から見るだけでなく
、上からながめたり、あるいはその男の
視点から見ることさえできたことです。
私は、自分の視点を切り替えることがで
きました。ちょうどテレビ番組を見ている
とき、カメラが切り替えられて視点が
変わるときのようでした。」 」

この第三者的視点は、ムーディー氏の
退行催眠の時にも度々体験されている
ので、過去世体験において一般的な
能力だと思われます。が、これは
臨死体験者にも共通している能力で
やはり肉体を離れた状態でも視覚は
存在するという事も証明しています。
そもそも過去世の自分の目といっても、
現在の催眠を受けている本人の目は
閉じているのだから、自分の肉体の
目を使ってみているのではありません。
あくまでも過去世の自分の意識としての
視覚だという事です。
後の人は、視点を自由に切り替える事
ができたという事ですが、これも一部の
臨死体験者に見られる能力です。
臨死体験者の場合は、まわりの人の心
とも一体になって、その思考や感情も
読み取る事ができたというケースもあり
ます。
全ては、意識レベルの問題だという事
です。
意識レベルが高ければ、より自在な能力
を発揮できるという事なのです。

「特徴7
退行経験はときに現世の問題を反映する

私が扱った退行実験において、そこに現れた
過去世の出来事や状況は、ほとんどの場合、
被験者の現世におけるジレンマや苦悩に
かかわるようなものだった。
それは通常明らかに見てとれた。
 たとえば被験者のある男性は、現世に
おいて年上のガールフレンドがいたが、
威圧的・支配的態度により、いつもストレス
をかかえていた。彼はどうしようもない状況
だと悩んでいた。催眠の中で彼は、古代中東
のある街で自分が女性だった時代に退行
した。

「私はとても美しい王宮の、ある建物の中に
いました。奴隷たちが出入りし、着飾った
女性たちの世話をしていました。
私は着飾った女性たちの一人でした。
私たちは妾として養われ、誰かに仕えるため
にそこにいたのです。たぶんスルタン
(イスラムの権力者)のためでしょう。
その身分にあることで、きわめて快適な
生活が保証されていました。物質的に
は何不自由ない生活です。しかしその一方、
自由は全くなく、その面では地獄のような
生活でもありました」

 彼のこの退行経験は私の胸を打った。
彼はその過去世で、隷属的な一女性だった
という。私は疑問に思ったが、その後も
彼に退行催眠をかけていくと、理由が
わかった。彼の思いの中では、すべての
女性は隷属的立場にあるのである。だから
現在のガールフレンドが彼に威圧的態度を
とったとき、彼は自分を女性のように
感じたのだ。
 このように、過去世での経験が現世
の状況にかかわっていることは、
きわめて明らかだった。しかしこの
かかわりは、はたで見ている療法士
にはたとえ明らかであっても、当人に
とっては必ずしもそうではない。
これは意外ではない。私たち人間は
往々にして、現在の悩みを無意識の
領域に追いやり、考えないようにする
からだ。
 被験者によっては、現在の状況と
過去世の間に、一見して類似点が見られ
ない場合もある。しかしそれでも、
催眠状態から覚めると彼らは、退行中に
経験した過去世が現世での精神的問題に
非常に関係しているという観念を表明
する。
~このことから、現在の人生の問題は、
過去世で未解決だった心の問題に起因
するのではないか、という考えを持つ
人もいるだろう。退行経験の中に、
現世の問題が色濃く反映される。
それゆえ、退行経験によって現世の
心の問題の解決が可能であるという
のが、過去世療法(前世療法)の
考え方である。療法士は、退行経験を
見極めて問題を探り、解決の道を探る。」
“以上「」内全て
出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

レイモンド・ムーディー氏は、医学・
哲学博士であり、精神科医でもある
ので、患者の心の病の解決になるこの
前世療法というのは、とても有効に
活用されるようになったようです。
そのおかげで、多くの患者の生の声を
聞き、過去世体験というものが、
どんなものかを我々に伝えてくれて
いるというわけですね。
魂が、時間の流れに従って存在して
いる側面もあることから、解決され
ない精神的な問題を抱えたまま、人生
を繰り返す場合があるという事も
わかってきました。そしてこの過去世
療法などは、それらの輪廻転生に
付随の問題そのものを解決してくれる
事が多いという事ですね。
これだったら、誰しも気づいている
かいないかに関わらず誰にでもあて
はまる問題なのではないかとも思い
ます。しかし残念ながら、日本では
メジャーな精神的治療法ではないよう
ですね。もちろん情報の制限による
事が明らかですし、危険な精神病
関連の薬物治療が、精神科の医者に義務
づけられているからでもあるでしょう。
これは、調べればすぐにわかってくる
ことですが、精神病治療薬というのは、
多くの場合、余計に精神を破壊したり、
脳の機能を破壊したり、半身不随など
の絶望的な結末につながる事が、
よくあるので気をつけられた方がいいと
思いますね。
精神病は、むしろストレスの多い状況
から離れるようにするなどの自然療法
やまわりの家人や友人などの愛情や
思いやりが何よりのクスリになるという
事です。それとやはり、このような
過去世治療ができれば、それに越した
ことはないというわけです。
また、右脳開発や、瞑想やヨガなどの
潜在意識の能力開発も当然有効になって
くるということですね。
また過去世の精神的問題が、現在の
人生のそれと共通しているという事は
別の見方もできます。時間の流れに従う
だけの意識という側面だけではない、
無限の我々の意識は、現世での精神的
問題が、退行催眠中に、「同時に存在
している過去世の誰かの人生に転移
される」という事です。つまり過去の
時間はまだ、現在も存在していると
いうのが、パラレルワールドの真実
の世界でもあるので、自分の問題が、過去
の別の人生と同調する場合もあるという事
なのです。
実際パラレルワールドの無限の平行に
存在するタイムラインを、感知できた、
絶対意識レベルでのアニータ・ムーアジャニ
さんは、その考え方を支持しているの
です。
ただ、私はどちらの見方も正しいと思い
ます。私たちは、時間に対しての一方通行
的な流れという感覚の呪縛を抱いたまま、
何度も人生を転生しているというのも
また事実だと思えるからです。
つまり退行催眠で、どういった意識レベル
になったかで、経験のレベルにも差が
できるという事ですね。

ではこのシリーズは次回もまた退行催眠の
特徴について取り上げます。
では(^^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

過去世の記憶 退行催眠 その6       過去世体験の特徴のまとめその2


退行催眠という方法で、過去世を
体験するという実例を紹介する
シリーズです。
前世記憶や臨死体験との共通点が
多いので、真理を探究するのに非常に
役に立つ事例だといえます。
退行催眠についは、その1から
その4までご覧いただければ、どんな
ものかわかっていただけるように
なっています。

今回も前回のその5に引き続き、
レイモンド・ムーディー氏が
過去世体験を研究した成果として、
その特徴や要素をまとめておられ
ますので、著書からの引用でご紹介
していきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「特徴4 どの人が自分かわかる

過去世へ退行中の自分は、現世とは顔形
も声も異なり、ときには性別も入れ替わり、
また肉体的特徴もまるで違う。しかし
いかに違ったとしても、過去世において
どの人が自分かということは即座に理解
している。生活環境や職業、時代や国など、
すべてが違うような状況であっても、
誰が自分なのかわかるのである。
 たとえば私の大学のある学生は、何百年
も前の過去世へ退行したとき、自分は
そこでトルコに住む商人だったと、非常な
真面目さと確信をもって述べた。
(引用注:この学生はアメリカ人である
と思われます)
また南部の若い主婦は、自分ははるか前、
原始時代にアフリカで戦士だったと言い、
こう叙述している。

「私は突然、黒人の戦士である自分を見い
だしました。木の葉を編んで作ったものを
腰に巻いて局部を隠している以外は、
まったくの裸でした!体中の黒い肌に、
戦闘に備えて極彩色のジグザグ模様などが
描かれ、非常に恐ろしい容貌をしていま
した。
 なぜそのような極彩色模様を描くのか、
今の私にはわかります。現代ではそのよう
にする必要はないでしょうが、過去世の
退行中の私の目の前に、別の黒人戦士が
現れたのです。彼もジグザグ模様などを
体に描いていました。その姿が目の前に
現れると、それはショッキングなほど
恐ろしいものでした。
その模様は接近戦においては、敵に
心理的動揺を与える効果があるのです。」

こうした自己感は、退行催眠から覚めた
あとも残る場合がある。被験者は、自分
は過去世で確かにあの男性、あるいはあの
女性だったという感覚を持ち続ける。
そして事実そうだったのかも知れないの
である。」

ムーディ氏は科学者でもあるので、とても
ショッキングな過去世の体験や前世体験の
エピソードを紹介していても、断定口調を
徹底的に避けておられます。
これは科学者としての立場なら正しい
でしょうが、なんかせっかくのエピソード
に、説得力が与えられないという印象を
持つときもあります。私は科学者でもない
単なる研究家なので、確信を持てる事に
対しては、力強く断定していきます。
つまり、体裁やしがらみを気にする必要が
ないという事ですね。
つまり上の例は、魂としての自分の過去世
の実際の記憶なので、自分がどんな姿や声
性別になっても即座にわかるという事
なのです。
また一つのタイムラインの過去という
事ですが、極彩色をする理由などは、
勉強にもなる一面を過去世の体験が、
もたらしてくれるという事を証明もして
くれています。
余談ですが、だいぶ以前に女子高生の間で
流行っていた「ガングロ」という、顔を
真っ黒にしてケバい化粧をしていた姿は
確かに心理的動揺を与えるのに充分でした
ね(^^)💧あやつらは戦士だったのか?

「特徴5 過去世の感情の中に置かれる

退行催眠を受けた被験者は通常、自分は
過去世での実際の感情の中に置かれたと
述べている。
私自身の退行経験においても、たとえば自分
が過去世で味わった非常な恐怖をその場で
心底感じた。必ずしも恐怖の過去世ばかり
ではなかったことが救いだが、かつて
自分がローマのコロッセウム(円形競技場)
でライオンに飛びかかられ食い殺された
ときの恐怖などは、実際に私を気絶させた。
 こうしたことは、はたで被験者の様子を
見ている催眠療法士にも明らかである。
過去世へ退行中の被験者は、療法士の
目の前で自分の顔に恐怖や怒りをあらわに
したり、悲しみや感動の涙をボロボロと
流したりする。優しい感情から激怒に至る
まで、人間の持つあらゆる感情が、退行中
の被験者の表情に現れる。
こうした感情の現れは、被験者が実際に
大昔の過去世へ退行してその場面を生きて
いるのだという確信を、見ている療法士
にも抱かせる。療法士はそれによって
催眠療法が機能していることを知るの
である。」
“以上「」内全て
出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

この過去世体験での、リアルな感情も、
過去世が自分の魂の実際の経験だと
すれば、とても自然に理解できること
ですね。いったいここまでの状況から、
実際の過去世である事実を認めない
現代の主流の科学の姿勢というものは、
いかに狭くて意固地な感覚なのかを
物語っています。
ここは、重要な視点だと思いますが、
証拠というのは、人間のとてつもなく
狭い五感の領域で確認できるという
だけの事で、それしか信じられないと
いうのでは、まさしく世界のほとんど
を事実として認めていないのに等しい
のです。
なぜなら、世界のほとんどは、人間の
とてつもなく狭い「五感の領域の外」に
存在するからです。
もし本当の世界を知ろうとするのなら、
そのとてつもなく狭い五感の領域以外を
探究するしかないという、単純明快な
真理をわかっていないのが、人類の
ほとんどだという事ですね。

とにかく、魂が過去世で体験した事を
催眠中に実際感情を伴って再体験
しているというのは、時空を越えた
領域にまだその過去世が、現実として
存在したままだという事も示して
いるのです。過去は過ぎ去っていない
、まだ現在の我々とともに、存在
している事も証明している事になります。
これは超常現象とホログラム編の一連の
記事を読んでいただれば、より理解が
深まると思います。

退行催眠による過去世体験の特徴は
まだまだ続きます。続きは次回と
いう事で(^^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

過去世の記憶 退行催眠 その5       過去世体験の特徴のまとめその1


退行催眠という方法で、過去世を
体験するという実例を紹介する
シリーズです。
前世記憶や臨死体験との共通点が
多いので、真理を探究するのに非常に
役に立つ事例だといえます。
退行催眠については、その1から
その4までご覧いただければ、どんな
ものかわかっていただけるように
なっています。

今回は、レイモンド・ムーディー氏が
過去世体験を研究した成果として、
その特徴や要素をまとめてくれて
いますので、それをムーディー氏
の著書から引用してご紹介したいと
思います。
その特徴がまた多いので、何回かに
分けてご紹介しますね。

「」内が全て引用で、~は中略の意味
です。

「特徴1 過去世経験の多くは視覚的である

私の被験者らが語ったところによれば、
彼らの過去世経験は視覚的なものが
大部分を占める。ときには臭覚的なもの
や、聴覚的なものもある。視覚的に見えた
光景は、通常の白日夢よりも鮮明でリアル
だという。夢の中に見える光景だと、
ぼんやりしたものが多いが、過去世経験
の場合はそうではない。
また過去世で見える光景は通常、白黒で
なくカラーである。
 以下はそのような一例だ。ある女性が
語ったものだが、彼女は1800年代
末期に男性の農民だったという。

「私は18歳の少年で、荷馬車の後方で
足を投げ出して座っていました。私は
そこにいて、自分の足がぶらぶらして
いる光景を見ました。ほんの5分前の
出来事であるかのように、はっきりと
それを見たのです。
 その生において、私が柵のところで
仕事をしていると、蛇が私の足の近くに
見えました。ぼんやりとではなく、今
この目の前にいるようにはっきり
見えたのです。とっさに私は逃げましたが、
ころんで額を岩にぶつけてしまいました。
痛くて痛くて、催眠から覚めたあとも頭痛
が続いていたほどです。
 また額から流れ落ちる血の感覚があり、
催眠から覚めたあとも、顔に血が流れて
いるように思えたほどです。」

 これは、過去世への退行催眠において、
肉体的感覚が伴うことを示す一例である。
まれに、過去世経験が心象風景のみの形
で起きるときもあるが、感覚を伴わない
光景だからといって、その価値が減じ
られるわけでもない。
心象風景だけであっても、感覚を伴う
鮮烈な光景と同様、感動的で忘れ得ぬ
場合がある。」

まずは特徴の一つ目ですが、とても鮮明な
画像と感覚で体験しているという事ですね。
みなさんに思い出していただきたいのが、
これは臨死体験者の人生回顧と共通して
いるという事なのです。
つまりホログラム的現実は、時間が進んで
いっても、そのまま鮮明な形で残っている
という証拠でもあります。
確かに臨死体験者にとっての人生回顧
とは、自分の人生の「過去画像」に
あたるので、この過去世での画像と同じ
種類のものであることがわかりますよね。
また肉体的感覚を伴うのも特徴的ですが、
これまた臨死体験にも見られるもの
です。アニータムーアジャニさんが、
臨死体験で、別のタイムラインでの
現実を経験した時にも肉体的感触が
あったという事も以前ご紹介しました
よね。
さて次の特徴です。

「特徴2 出来事を受け身的に経験する

 退行催眠における場面や出来事は、人の
願望や思いが現れて映像化されたという
より、過去世自体が持つと思われる。
白日夢だと、自分の願望や思いが夢と
なって現れることが多いが、退行催眠
では、人はむしろその過去世で起きている
出来事を、受け身的に体験する。
 退行経験をしている人は、ふつう出来事
の目撃者であって、出来事の制作者とは
ならない。彼らはよく、自分はあたかも少し
馴染みのある映画を観させられているかの
ような感じだった、と表現する。その良い
例は、私自身の退行経験だろう。
私が中国人画家であった自分の過去に退行
したとき、私はそこで、次の瞬間どんな
出来事を起こそうかと考えていたわけでは
ない。単に映画を観ているときのように、
目の前で起こる出来事を受け身的に眺めて
いたに過ぎない。
出来事が終わると、次の出来事が起こった。
私にとってそれは、巨大なスクリーンに
映し出される立体画像を魅せられているかの
ようだった。すべてが色つきで、細かい
ところまで見えた。私のすることといえば
ただそこにいることだけだった。」

これは、どうしても過去世体験を信じない
人たちのために取り上げた特徴でしょう。
疑う人は、過去世体験が自分の想像による
ものだと信じきっていますからね。
間違いなく過去世経験は、自分の想像や
願望のあらわれではないでしょう。
その2からその4でご紹介したムーディー氏
の過去世体験は、まず想像もできないもので、
しかも悲劇ばかりで、とてもじゃないですが
あれを願望の産物とするのは無理があり
すぎるでしょうからね。

臨死体験者の経験がこれと少し違うのは、
臨死体験者は、人生回顧以外にも、かなり
自由な意識の経験をすることが多く。現在
の自分の世界であらゆる人の心を望みの
ままに経験したり、肉体を離れた状態で
あちこち飛び回ったり、いくつかの次元を
自由に行き来したりしていたと多くの証言
にあります。

一方で過去世体験は、ただ過去世を
受け身的に体験するだけのようですね。
今回は最後にもう一つ特徴をご紹介しま
すね。

「  特徴3 光景になつかしさを覚える
退行して過去世にいったとき、人が往々にして
感じるのは、なつかしさや郷愁である。
 被験者がよく口にする感情は、いわゆる
デジャブ(フランス語で既視感)、つまり
「どこかで見たことがあるな」「どこかで
したことがあるな」という感覚によく似て
いる。この感覚は、なんとなくなつかしい
という漠然とした感覚の場合もあれば、
長く忘れていた出来事を突然思い起こして
ハッとする、という場合もある。
 その一例として、私がニールと呼ぶ
患者の退行経験がある。彼はジョージア
州出身で、サザンバプテスト派キリスト
教徒だが、思いもよらずアイルランドの
修道士の過去世へと退行した。彼は
そこでなつかしさを覚える多くの経験を
している。
なかでも特筆すべきは、もう一人の修道士
と丘の上に一緒にいたとき、老齢の農民と
その妻が強盗たちに殺される場面を遠くに
目撃したことだった。

「恐ろしい光景でした。しかし、それは
私が初めて見る光景ではないように思え
ました。
私たちはそのとき、丘に上って農場を
見おろしていました。すると男たちが
馬に乗って農場へやって来るのに気づ
いたのです。農民の老人と妻が、一体誰が
やって来たのだろうと外に出てきました。
男たちは剣と棍棒で彼らを打ち、襲い
かかりました。そののち男たちは馬から
降り、家を略奪し始めました。
 この光景をトランス状態(催眠中などに
みられる、通常とは異なる意識の状態)で
見たとき、私は驚きませんでした。
むしろ『これはどこかで見たことがある』
という感覚だったのです。恐ろしい光景
ではありましたが、自分が昔見た光景に
思えました」
“以上「」内全て
出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

このようななつかしい感覚、過去世体験が
魂の実際の記憶だというのであれば当然
のことになります。

なかなか今回も真理につながるようないい
ヒントが得られたような良い実例でした
ね。
また次回も特徴をご紹介していこうと
思います。

ではまた(^^)/

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

 

非人格的霊というもの         悪霊の一つの形


最近霊の存在についての事例を、
取り上げ始めましたが、霊には
当然様々な種類があり、また我々
の肉体が完全体でないように、霊も
また不完全で、さらに変化もし、
人格的なものから、単に意識の一部
のようなものまでさまざまです。
今回は、非人格的な霊の憑依という
現象について、コリン・ウィルソン氏の
著書から引用させていただきます。
これはアダムクラブツリー氏の紹介する
事例だという事です。

「」内が引用で、~が中略です。

「●「非人間的霊存在による憑依」

アダムクラブツリーの『多重人格』にも、
奇想天外な非人間的存在らしきものの
「憑依」事例がある。クラブツリーは、
あまりにも突飛なその話の収録を
ためらった。
「しかしながら、それが私の描写どおりに
おこったこともまた事実なのだ。
(むしろ私は、劇的なエピソードの記述
をいくらか控え目にしたほどだ)」。
 マリアスは、大学で歴史を教える
かたわら、政府諮問委員会でかなりの地位
を占める人物である。結婚生活も裕福な
ものだったが、ある日突然なんの理由も
なく、妻を殺したいという衝動をおぼえる
ようになった。「血を見たいという何か
執拗な内的衝動」に動かされているよう
なのだ。その衝動があまりにも強烈なため、
マリアスはいつか自分が自制心を失い、
妻を殺してしまうだろうと確信した。
 夢が手掛かりを与えてくれた。彼は
夢の中で、毛皮をまとった穴居人とともに
、肉片をぶらさげて乾燥させている粗末な
小屋にうずくまっていた。頑丈な
たくましい原始人が地下室からあがって
くるという夢も見た。この夢を見て
まもなく、コインのコレクションを調べて
いると、ひとつのコインがなくなっていた。
それは棚の上に見つかったが、そんな
ところにコインをおいたおぼえはなかった。
また修繕したはずのブラインドが破れて
いたこともあったが、その理由もわから
なかった。
 その後、頭の中で「声」が聞こえる
ようになった。声は告げた。自分は
おまえが夢で見た男だ、永遠におまえの
中に住んでいる。それを証明するために、
二度憑依し、コインを動かし、
ブラインドを破ったのだ。自分は好きな
ときにおまえに憑依できる-。
 マリアスは自分が〈熊〉(ベア)と
呼ばれる奇妙な霊存在に「憑依」されて
いると信じ、自分なりの除霊方法を考え
出した。
大きな焚き火の前に横たわり、熱気を
吸収して力をたくわえ、ベアを出現
させるのだ。
 実験のため、クラブツリーとマリアス
は郊外の別荘におもむいた。マリアスが
凶暴性を発揮したときにそなえて、
屈強な五人の男も同行した。炉に大きな
火が燃され、マリアスは上半身裸になって
その前に横たわった。半時間後、彼は
うなり声をあげ、床をひっかきはじめた。
 緊張が解けて常態にもどってから、彼は
やっと〈ベア〉のことがわかったと告げた。
それは一群の狩人にとらえられ、じわじわ
となぶり殺しにされた巨大な洞窟熊だった。
(明らかになんらかの儀式だろう)。
その霊が狩人の一人にとりつき、子々孫々
マリアスにまで伝えられたのだ。しかし、
いまそれもマリアスから去っていった。
 しかしながら、マリアスを暴力に駆り
立てる霊存在は、まだ彼の内に残っていた。
マリアスによると、それは
「宙にあいた丸い穴」で、凶暴性を吸収
するのだという。それは熊が殺されたとき
から存在し、マリアスの夢では、地下室
から出現した巨大な原始人の姿をとって
いた(その象徴的意味は明らかだ)。
 翌日、マリアスが完全な弛緩状態に
はいると、その霊存在が彼を通じて
話しはじめた。多くの質問といくつかの
喧嘩越しの口論ののち、それはついに
モーラックと名のり、遠い昔山羊と雄鹿
として崇拝されたものだと語った。
 「それは崇拝者たちの生命とエネルギー
を糧とし」、数千年のあいださまざまな
形で崇拝されてきた。
また、「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
の雰囲気の中で成長する」。
それはみずからを、宙の「ゆらめき」の
ようなもの、「『ふち』らしきものを
もった真っ黒な渦巻きのようなもの」
と描写し、クラブツリーやその同僚が
マリアスにむけている好意に嫌悪を
示した。
 マリアスが疲労困憊すると(「霊存在」
をあつかうときにはよあることだ)、
実験は翌日までもちこされた。
マリアスは実験中の出来事をまったく
記憶していなかった。
 トロントにもどってからも、この
「霊存在」との奇妙な会話はつづいた。
それはまだ軽蔑をあらわにしながらも、
非協力的な態度をいくぶんあらためた。
「町で多くの実験をおこなったのち、
新しい局面がひらけた。霊存在が自身
の過去を思い出しはじめたのだ。
それは語った。自分は別の場所から
やってきた。思い出すことはできないが、
地上にあらわれるより以前から存在して
いた」。~
 
~ある日、霊存在は、自分に関する事実
をまたひとつ思い出した。自分はいつも
考えていたような真っ黒な存在ではなく、
「ふち」の部分はいくらか明るいようだ
ー。そこから事態は急展開を示した。
 霊存在は、「白い光」を恐れる
必要のないこと、遠い昔は自分も別の
場所で「光」の中に住んでいたことを
思い出した。つづいて、憑依している
宿主からはなれなくてはならないことも
認識した。はじめは餌(注釈:崇拝者
たちの生命とエネルギー)となるものが
なくなれば飢えるのではないかと心配
したが、「光」から栄養を得られる
ことを知ると、彼からはなれていった。

クラブツリーの記録によると、以後
十八ヶ月のあいだ、マリアスは霊の訪問
をうけず、家庭生活も平常にもどった
という。」
“出典:「コリン・ウィルソンの
      『来世体験』」
       コリン・ウィルソン著
      荒俣宏 監修・解説
       梶元靖子訳
       三笠書房刊 ”

とても長かったので要約しますと、マリアス
という裕福な結婚生活をしている社会的に
安定した地位にある男性が、妻を殺したい
という、理由もわからない衝動をおぼえる
ようになり、夢をきっかけに、その衝動が
「ベア」と呼ばれる霊的な存在による
ものだと気づかされました。
そして除霊の方法を、自分で考え出して
見事に「ベア」を追い出す事に成功しました。
その「ベア」は太古の狩人たちの生け贄に
されるためなのか、なぶり殺しにされた熊
が霊になった姿だという事です。
ベアになった時にその狩人の一人に取り
憑いたのですが、それが、マリウスの先祖
だったという事です。
しかし、素人の除霊だったからなのか、
「ベア」が去ったあとも邪悪な霊的存在
は残ったままになっていて、それは
どう考えてみても悪魔のような存在です。
「崇拝者たちの生命とエネルギーを糧とし」
、数千年の間崇拝されてきた上に、
「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖の雰囲気
の中で成長する」存在という事は、
完全に生け贄の風習によって、あがめられ
てきた、古来から世界中で崇拝されてきた
神の事で、真実としては悪魔の事です。
山羊というのは、悪の化身である山羊の
頭部を持つバフォメットの事だと思われ
ます。雄鹿の方はわかりませんが、片方
だけで充分に悪の象徴だという事が、
わかります。
つまり狩人たちが崇拝していたのが、
この悪魔の事で、生け贄を捧げること
でなんらかの御利益を得たという事
でしよう。
そして、そのとき召喚された悪魔が、
熊の霊と一体となって、マリアスの祖先
の狩人に取り憑いていたということです。
つまり素人の除霊により、熊の霊だけ
去って、悪魔だけ霊として残ったという
事ですね。
みなさん悪魔って召喚されたこやつが
全てだと勘違いされていませんよね。
もちろん召喚されたのは単に悪魔の一部
だという事です。
つまり完全体でないという事なのです。
つまり憑依していた熊の霊がなくなると、
だんだんと自らのエネルギーを変容させて
いくしかないわけです。もちろんマリアス
とまわりの人々が、愛や情で結ばれて
いなくて、マリアスに邪悪な心があれば、
この悪魔は、そのままの邪悪さで、憑依
できたでしょうが、マリアスに対する
まわりのあたたかい感情とマリアス自身
の心の善良さに、だんだんと自分自身も
変容せざるを得なくなってきたという
わけなのです。
そうすると悪魔が、実は過去では悪その
ものでなく、別の場所からやってきたと
語り始めるのです。
さらに、悪魔だけでなく他のすべての
ものと同様自分も光の一部であった事を
思い出し、マリアスの憑依を解いて、
離れていったという事なのです。
光というのは、絶対意識レベルの領域で
全てはそこから生まれるので、悪魔
として分離した意識も、愛情などの
あたたかい心に触れていると、もとの
光である絶対意識に回帰する事を思い
出すようになるという事なのです。

これはとても多くの事を学べる事例
だったと思います。
人格的な霊だけでなく、動物の霊や
悪魔の霊などもあって、人間に取り
憑く場合があるという事なのです。
そして古来からある生け贄の風習と
いうのは、やはり悪魔の食べ物だと
いう事ですね。
おかしいと思いませんでしたか?
物質世界の制約も受けず、万能で
永遠の慈悲深き神が、無垢な少女や
熊などを生け贄にするなんて、絶対
おかしいですよ。むしろそういう
罪のない人や存在を守ろうとするの
が神という定義なら、なぜ古代から
世界中で生け贄の風習があったのか、
おかしいとおもわなかったら、それは
これまで、神という定義について、
あまり考えずに、そう呼ばれてきた
からという事だけでうのみにしてきた
という事です。真理を知ろうとする事が
とても大切だという事の好例です。

今回の悪魔のように生け贄を必要と
するものは、「愛情や慈悲を嫌い、
暴力や恐怖の雰囲気の中で成長する」
のです。これってまさしく正真正銘の
悪魔と気づかなければうそですよね。

今回はその悪魔がベアという熊の霊を
媒介として、マリアスに残虐な行為を
させ妻の生命のエネルギーと暴力や
恐怖のネガティブエネルギーを糧と
しようとしたという事だったのです。
わかっていただけますよね(^^)

霊の憑依についての記事はまだあります
ので、また取り上げていきたいと思い
ます(^^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

 

過去世の記憶 退行催眠 その3


幼少の頃に、前世の記憶が
残っている事例と違って、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例をこの
シリーズではご紹介しています。
よくわからないという方はその1
ご覧になってくださいね。

この記事は、レイモンド・ムーディー氏
自身が、退行催眠をかけられる事により
過去世とおぼしき人生を9つも、一時間
ほどの間に「体験」したというエピソード
を紹介しているその2の記事の続編に
なります。
今回もレイモンドムーディー氏の「体験」
した9つの人生から、抜粋してご紹介
します。
「」内が引用で、~が中略の意味です。

「    マンモスハンター
私は突然、毛むくじゃらのマンモスを
狩ろうと走り回る人間たちの中に放り出
された。想像できると思うが、そのような
ことは私の流儀ではない。
しかし、退行催眠の中、人々と同様に
私も腹ペコになつたと感じ、食物を求めて
必死だった。
私たちは皆動物の皮衣で上半身をおおって
いたが、それでも極寒の気候のために
温かくはなかった。足は肌が露出して
いたし、陰部も充分におおわれていな
かった。服装がそんな原始的なもので
あるうえ、武器も石と木の枝くらい
だった。
 私たちはマンモスを溝に追い落とし、
必死に叩いて落とそうとした。しかし
マンモスも簡単には死んでくれない。
私たち部族の一人を突き飛ばしたかと
思うと、その頭を一撃で叩き割って
しまった。仲間を失った悲しみと恐怖が
私たちの間に広がった。
 戦いが続くさなか、私は自分が肉体から
離れたと感じ、その現場の上空を漂って
いた。そののち、私は次の生へ移った。」

まずは今回の一つ目の人生ですが、なんと
とてもおだやかな草食系の人物の見本の
ようなレイモンド・ムーディー氏が、狩り
をしているというようなシーンに投げ
込まれます。原始的な身なりで、自分の
空腹のために必死で、仲間とともに
マンモスを狩ろうとしていますが、仲間
が、一撃で殺されて、悲しみと恐怖に
打ちひしがれるというシーンです。
この時極寒で毛皮に身をつつんでもとても
寒かったという記憶についてですが、
なんと今回、甲状腺異常の病気に悩まされ
ているムーディー氏は、夏でも厚着をして
過ごすという極度の寒がりなのですが、
おそらくこの時の生での魂の記憶が、深く
関係しているのではないかと思われます。
このことは、ムーディー氏も自覚して
おられないようで、ここには書かれて
おりませんが。
また結局マンモスに、仲間と同様に殺された
ムーディー氏が、再び過去世での臨死体験
で、自分の死後に上空を漂っていたという
事なのです。
その2でご紹介したこの前の人生のときと
同様、臨死体験まで「体験」できてしまう
過去世の記憶は、かなり深いレベルの
潜在意識にアクセスしているようですね。
結局自身の過去世の記憶が、今生で臨死体験
を研究する事につながっているという事も、
間違いないでしょう。ただ過去世の記憶では
臨死体験ではなく、そのまま死んで肉体を
離れたという事になりますが。
また別の見方でいえば、臨死体験がこの世に
戻ってきた人が抱く幻想でしかないという
否定派に対して、これはそのまま死んだ人も
同じ様な体験をしている事を鮮明に示して
いる例ともとれますね。
さてもう一つ、ムーディー氏の過去世を
みてみましょう。

「  ライオンのえさ
私はやがて次の生へ移っていた。
気がつくと、古代ローマのどこかにいた。
私はそこでも、皇帝や貴族ではなかった。
私はライオンのえさだった。深い穴の中に
入れられていた私は、大衆娯楽の一つとして
ライオンに食い殺されようとしていた。
 私には長い赤毛の髪と口ひげがあった。
私は今日ドイツと呼ばれる地域から来た者
だった。
そこをローマ人に占領され、捕虜となって
ここへ連れて来られたのである。
 私は戦利品を運ぶために使われ、そして
ローマで、人々の娯楽の一つとして殺され
ようとしていた。目の前では檻の中で腹を
すかせたライオンが吠えたけり、檻から
出されるときを今か今かと待ちかまえて
いた。私はあわれみのかけらも見ることが
できず、絶望で胃が痛くなった。
 客席の中に、長い茶色の髪が頭の中央で
逆毛になっている男がいた。何かの感染症
だろうが、彼の左目はピンク色で、無表情の
顔が不吉だった。彼は私を見やると、
スナック菓子をほおばり、むしゃむしゃ
食べていた。私の死は明らかに、彼にとって
はただの娯楽に過ぎなかった。
 ライオンを檻から出そうとするとき、号令
が響き渡り、会場は沸き立った。ライオンは
私に襲いかかり、打ち倒した。私が覚えて
いる最後のことは、私の体が地面の上で
ライオンのなすがままになっていること
だった。」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

今回もムーディー氏の過去世はろくなもの
ではなかったようですね。
基本的に転生を繰り返すというのは、肉体に
囚われた意識レベルなので、やはり自分の
意識を向上させるために生まれ変わったと
いう、世界の古代からの伝承や、多くの
神秘研究家の見解を裏づけているようにも
思えてきます。つまり彼の中で何かを克服
しなければならないものがあるのかも知れ
ません。ただ間違えないでいただきたいの
ですが、意識は無限の階層があるので、
これはレイモンドムーディー氏の、やはり
一部の意識レベルでしかないという事
です。
もちろん生まれて来る人たちの中には、今生
での使命感や、意識にある冒険心や好奇心
から生まれてくる事もあるとは思いますが、
ムーディー氏の場合は、魂の意識の向上の
ためにこの人生に戻ってきたような感じ
ですね。
このライオンの餌になるシーンは、その
人生よりも過去世である今日の一つ目の
本来の性質とは裏腹に狩りをする人生の
投影だったのが、逆にこの人生では
猛獣の餌にされてしまうシーンになって
いて、結局獣に殺されてしまう人生を、
繰り返しているように思われます。
つまり意識の向上のために転生をしたよう
にもとれるという事です。
それにしても猛獣に食べられるような人を
見てなんのあわれみも持たないローマ人
というのは、どうやら日本人の意識とは
違うものだったようですね。
少なくとも犠牲者に対しての悼みという
ものは日本人に特に強くみられる心情の
ようです。
またこの時の人生でも臨死体験をして、
ライオンに食べられる体を外から苦痛も
感じずに見ているというのは、まさに
臨死体験も過去世の記憶も真実だと
思わせるものでした。
さてさて興味深いムーディー氏の過去世
のエピソードはまた次回でもご紹介したい
と思います。
ではまた(^^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ

過去世の記憶 退行催眠 その2


前回その1でご説明
したように、幼少の頃に、前世の記憶が
残っている事例と違って、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例をこの
シリーズではご紹介しています。
「前世記憶」というのは、幼少時に直前の
人生の記憶が残っているケースの事を
いうのであって、「過去世」という
言い方は、退行催眠で想起される人生が、
はるか以前のものであったり、複数回の
ものであったりするためなのです。

さて前回、臨死体験研究の第一人者である
レイモンド・ムーディー氏が、心理学者の
ダイアナ・デンホルム女史に、退行催眠を
かけられる事により、なんと九つの過去世
を、実際の時間では1時間の間に体験した
という事をご紹介しました。
その興味深い、過去世の体験のうち
いくつかを、またムーディー氏の著書から
引用してご紹介したいと思います。
これも、長いので、何回かに分けようと
思います。

「」内が引用で、~は中略の意味です。
またそれ以外は私の言葉です。

「  原人の頃

先史時代における私の過去世は、話す能力の
ない原人の時代のものだった。私は他の者
たちと共に、樹上に網のようなもので家を
つくって生活していた。
互いに助け合ってそれらの家をつくったの
である。
人々は集団で生活していた。そのほうが
安全だからだ。私たちはまた美を理解する
者で、美しい花を咲かせる樹木をとくに住居
として選んでいた。
私たちは人間のようではあったが、直立では
なく、身をかがめて歩いていた。果物を
採って食べていた。赤く、種の多い果物を
食べていたのを覚えている。ザクロのような
実だ。食べた感触は非常にリアルで、果汁が
私の頬をつたって落ちるのが感じられた。
嚙んだ種のはじける音も聞こえたほどで
ある。
 私たちは樹上高く住んでいたが、地上に
対し生命的な飢え渇きを持っていた。
樹の下に動物が現れると、皆衝動を感じて
そこに飛び降り、動物を捕獲した。私たちは
話すことができないので、感情表現を通して
のみ互いの思いを知った。
 退行催眠の中では、過去世にとどまるのも
移行するのも、自分では制御できない。
私は樹上生活を去り、やがて、別の過去世へ
と向かった。」

まずこれは過去世といっても、直前の人生
どころか、はるか太古の昔のようですね。
しかも現在の人類種とも違うような・・。
輪廻転生の思想は、古来から世界中に見られ
ますが、インドだったか動物に生まれ
変わるという説もあり、ピタゴラスも
動物への輪廻転生を唱えたりします。
もちろん人として生まれ変わる輪廻転生を
私たちはいくつも知っていてさらに別の
レベルの存在にもなる事から、動物のみに
生まれ変わるわけではないと思いますが。
それと、過去世を体験するといっても我々
は無限のタイムラインにあるので、ただ
一つの過去があるわけでもないので、
歴史的に正しいかどうかという言葉も
無効にあります。つまり「こんな過去も
ある」という事ですね。
太古の昔人類は、果物だけを食べていた
という説もいくつもあり、おそらく月の
到着までの時代は、そうであったのでは
ないかと思いますが、この時の原人で
あるムーディー氏は、動物も捕獲して
食べていたようですね。
感情表現で互いの思いを知ったという
のは、テレパシーに近いですが、原始的
な存在の方が、超能力に近いものを持って
いたのではないかと思います。
でも日本人は以心伝心が意外に得意な
民族として知られます。意識レベルが高い
といわれるのもそのためでしょう。
それと、この時果物を食べている時の
食感まで感じられたというのは、どれだけ
現実的な体験だったかを物語っています
ね。
さて次です。

「   おぼれ死ぬ

~私は老齢のたくましい男性となり、長い
銀髪と青い目を持っていた。
 私は大きな部屋で舟を造っていた。部屋
は長く、一方で川に面していた。
部屋の真ん中には、完成間近の舟が
あった。~
~私の3歳になる孫娘も一緒にいた。私が
舟の器具をいろいろ動かして見せてあげる
と、彼女はおどおどしながら見ていた。
 私は完成した舟を川に浮かべ、孫娘を
抱きかかえて、処女航行に出た。私たちは
楽しんでいた。
ところが、突然大波がやって来て舟を飲み
込み、転覆させたので、楽しさは恐怖に
変わった。私は舟の片側に振り落とされ、
彼女は反対側に振り落とされた。
 私は必死に彼女のほうへ泳ごうとしたが、
彼女は波にさらわれ、またたく間に遠くへ
追いやられてしまった。
彼女の姿が波間に消えた。私は水の中に
もぐり、必死に探そうとしたが、自分も
波に勝つことができず、あきらめざるを
得なかった。私は目の前で孫娘を助け
られなかった罪責に打ちのめされた。
 退行催眠中、私の恐怖は鮮烈なもの
だった。私の心拍は速まり、血圧も
上がった。自分を取り巻く水の音も聞こえ
水圧も感じた。初めての船出で可愛い
孫娘と、これからという彼女の人生を
失ったことを思い、私の悔やみは頂点に
達した。
 しかし、私自身も死が近くなり、臨死
状態に入ると、明るい光が私を包んだ。
その無上の生命的喜びが悔やみを一掃し、
私を圧倒した。すべてが彼女にとっても私
にとっても正しいことのように感じられた。
 そののち私は次の人生へ移った。」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

この過去世も興味深いものでしたね。
まず舟を見ただけで、おびえる孫娘は、
その舟がもたらす未来について、感じら
れていたとい事でしょう。ただ、それを
ムーディー氏であるおじいちゃんに
感情でしか伝えることができなかった
ということでしょう。
いつの時代でも子供、特に少女には、
超能力が備わっている事が多いという
事ですね。
そして彼女が感じていた恐怖の通りに
舟が転覆します。孫娘を助けられな
かった罪悪感に打ちのめされる姿と
いうのは、まさにムーディー氏の個性
だという事がわかります。彼の写真は
本などに掲載されていますが、とても
おだやかで、人の良さそうな性質が、
にじみ出ています。
そしてまた、退行催眠がいかに「現実
体験」であったかを物語るように、
おぼれそうな時の恐怖は、心拍数が
速まり、血圧も上がったことが感じ
られ、取り巻く水の音が聞こえ、水圧
も感じられたというように、本当に
まざまざと「体感」としていたのが
わかります。
 興味深いのは、おぼれた後ですね。
なんと退行催眠中のひとつの人生で
臨死体験をしたわけです。
明るい光が包み込み、無上の生命的
喜びが悔やみを一掃してくれたのです。
これは、まさしくおなじみの臨死体験の
一例です。どれだけ、本物の人生として
体験したか、これでわかろうというもの
ですよね。そしてまたここで重要な点が
あります、孫娘を思いやる気持ちが頂点
に達したというところですね。
確かに自分のあやまちで死なせて
しまったところは、大変孫娘に悪い事を
してしまったのですが、それが完全な
過失で、自分が予想もしていなかった事
であり、根底にあった気持ちは、孫娘にも
船遊びを体験させてやりたいという良い
感情から来ていました。そして孫娘を
死なせてしまった事を悔やみ、将来まで
奪ってしまった事で自責の念にかられて
いるわけですから、愛情のレベルとして
は、当然高いわけです。それが、やはり
過去世においても、臨死体験を呼び込み
、全てが肯定される至福の次元にいけた
という事につながったのだと思われます。
私が他の記事でも説明させていただいて
いる通り、愛情レベルが高い、つまり
意識レベルが高い人しか、高次の次元に
いく事はないという事をここでも裏付けて
くれたという事ですね。

さて今回二つほど、ムーディー氏の
退行催眠中の過去世についてご紹介
しましたが、それぞれやはり貴重な知識
につながります。
このシリーズの次回も、ムーディ氏の
「過去世」の例をご紹介したいと思い
ます。
では(^^)

超意識編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュー

トップページ