非人格的霊というもの 悪霊の一つの形 微加筆


昨日おとといと、善悪についての
記事を投稿させていただきましたが、
今回は、ネガティブエネルギーの
究極の存在の性質がわかる霊の実例を
取り上げています。

ここで、一つポジティブエネルギーと
ネガティブエネルギーのそれぞれの
共通する性質を説明しておきますね。
それぞれのエネルギーは同質のものを
引き寄せます。ポジティブなエネルギー
は、ポジティブなエネルギーを引き
寄せるという事は、最近の多く
広まっているスピリチュアルメッセージ
で、理解されている人も多いと思います。
そしてやはり引き寄せられたその
ポジティブなエネルギーはパワーアップ
していく事になるのは、わかりますよね。
で、それに対してネガティブエネルギー
の性質は、逆にネガティブエネルギーを
引き寄せて、パワーアップしていく事に
なるのです。
そうですね、あらゆるレベルにみられ
ますが、とても身近な例を一つ取り
上げておきましょう。
たとえば怒りという行為ですね。
誰しもきっかけはささいな事から、相手
と口論になる事は、ご経験あるでしょう。
そして単純に理解できないものへの少し
の苛立ちなどが沸き起こりますよね。
しかし、実はこの感情のエネルギーは、
そのエネルギーに任せていくと、どんどん
勝手に膨らんでいくわけです、つまり非人格的霊というもの 悪霊の一つの形
怒りが勝手な収まらなくなってきます。
これが、怒りが暴走して、犯罪などを
引き起こす原因になったりもするの
ですが、これがネガティブエネルギーが
自身で、同質のエネルギーを取り込んで
パワーアップしていく事の、仕組みです。
その同質のエネルギーとは、もちろん
自分自身の中にあるネガティブな性質
のものと、もう一つは、相手の怒りや
悲しみや恐れなどのネガティブ
エネルギーという事になります。
これが相手がとにかく恐れているだけ
なのに、それに対しても怒りを大きく
させる例のからくりでもあるわけです。
恐れであっても、悲しみであっても
それが、怒っている本人にとっての
ネガティブなエネルギーと同質のもので
あれば、やはりパワーアップさせる
事になるわけです。
もちろん意識に自在性があるような
レベルの通常の人であれば、暴走して
いる感情に気付いて、相手への気持ちを
取り戻し、怒りを収めて、相手と調和
しようとするでしょう。
またもう一方の方も、怒っている相手へ
の愛情と一体感を持って応じれば、
だんだんと相手の怒りを変質させていく
事ができるのです。
ここでそういう感情のエネルギーより
も、レベルの高い意識という存在が
あるというのがわかるわけです。
ただ、ふだんから、そういう意識を
自覚して高めていない人は、感情と一体
になってしまい、その暴走に身をまかせて
しまうという事なのです。
それゆえに意識とその理解を常に高めて
おくようにしていく事が大切なわけです。
ここで問いたいです、そのような大事な
事は、学校で学べましたか?という事
です。なぜ教えられないかの理由に
ついて探究していけば、私たち全員の
集合意識が、どのように誘導されている
のかの、理解が深まるというわけです。

そして今回は、そのような理解のために
ネガティブエネルギーの究極の存在の
性質を持つ霊について取り上げている
記事を再投稿します。

以下いです。

以前霊の存在についての事例を、
取り上げていましたが、霊には
当然様々な種類があり、また我々
の肉体が完全体でないように、
個人的な存在に近い霊もまた不完全で、
さらに変化もし、人格的なものから、
単に意識の一部のようなものまで
さまざまです。

そして当然霊には、全てと一体である
究極の絶対意識に近い、集合的な
ものもあり、また亡くなった人の魂や
霊を導くための光の存在のような高度な
霊もあるわけです。

今回は、その中の一つの霊の働きとして、
非人格的な霊の憑依という現象について、
コリン・ウィルソン氏の著書から引用
させていただきます。
これはアダムクラブツリー氏の紹介する
事例だという事です。

「」内が引用で、~が中略です。

「●「非人間的霊存在による憑依」

アダムクラブツリーの『多重人格』にも、
奇想天外な非人間的存在らしきものの
「憑依」事例がある。クラブツリーは、
あまりにも突飛なその話の収録を
ためらった。
「しかしながら、それが私の描写どおりに
おこったこともまた事実なのだ。
(むしろ私は、劇的なエピソードの記述
をいくらか控え目にしたほどだ)」。
 マリアスは、大学で歴史を教える
かたわら、政府諮問委員会でかなりの地位
を占める人物である。結婚生活も裕福な
ものだったが、ある日突然なんの理由も
なく、妻を殺したいという衝動をおぼえる
ようになった。「血を見たいという何か
執拗な内的衝動」に動かされているよう
なのだ。その衝動があまりにも強烈なため、
マリアスはいつか自分が自制心を失い、
妻を殺してしまうだろうと確信した。
 夢が手掛かりを与えてくれた。彼は
夢の中で、毛皮をまとった穴居人とともに
、肉片をぶらさげて乾燥させている粗末な
小屋にうずくまっていた。頑丈な
たくましい原始人が地下室からあがって
くるという夢も見た。この夢を見て
まもなく、コインのコレクションを調べて
いると、ひとつのコインがなくなっていた。
それは棚の上に見つかったが、そんな
ところにコインをおいたおぼえはなかった。
また修繕したはずのブラインドが破れて
いたこともあったが、その理由もわから
なかった。
 その後、頭の中で「声」が聞こえる
ようになった。声は告げた。自分は
おまえが夢で見た男だ、永遠におまえの
中に住んでいる。それを証明するために、
二度憑依し、コインを動かし、
ブラインドを破ったのだ。自分は好きな
ときにおまえに憑依できる-。
 マリアスは自分が〈熊〉(ベア)と
呼ばれる奇妙な霊存在に「憑依」されて
いると信じ、自分なりの除霊方法を考え
出した。
大きな焚き火の前に横たわり、熱気を
吸収して力をたくわえ、ベアを出現
させるのだ。
 実験のため、クラブツリーとマリアス
は郊外の別荘におもむいた。マリアスが
凶暴性を発揮したときにそなえて、
屈強な五人の男も同行した。炉に大きな
火が燃され、マリアスは上半身裸になって
その前に横たわった。半時間後、彼は
うなり声をあげ、床をひっかきはじめた。
 緊張が解けて常態にもどってから、彼は
やっと〈ベア〉のことがわかったと告げた。
それは一群の狩人にとらえられ、じわじわ
となぶり殺しにされた巨大な洞窟熊だった。
(明らかになんらかの儀式だろう)。
その霊が狩人の一人にとりつき、子々孫々
マリアスにまで伝えられたのだ。しかし、
いまそれもマリアスから去っていった。
 しかしながら、マリアスを暴力に駆り
立てる霊存在は、まだ彼の内に残っていた。
マリアスによると、それは
「宙にあいた丸い穴」で、凶暴性を吸収
するのだという。それは熊が殺されたとき
から存在し、マリアスの夢では、地下室
から出現した巨大な原始人の姿をとって
いた(その象徴的意味は明らかだ)。
 翌日、マリアスが完全な弛緩状態に
はいると、その霊存在が彼を通じて
話しはじめた。多くの質問といくつかの
喧嘩越しの口論ののち、それはついに
モーラックと名のり、遠い昔山羊と雄鹿
として崇拝されたものだと語った。
 「それは崇拝者たちの生命とエネルギー
を糧とし」、数千年のあいださまざまな
形で崇拝されてきた。
また、「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
の雰囲気の中で成長する」。
それはみずからを、宙の「ゆらめき」の
ようなもの、「『ふち』らしきものを
もった真っ黒な渦巻きのようなもの」
と描写し、クラブツリーやその同僚が
マリアスにむけている好意に嫌悪を
示した。
 マリアスが疲労困憊すると(「霊存在」
をあつかうときにはよあることだ)、
実験は翌日までもちこされた。
マリアスは実験中の出来事をまったく
記憶していなかった。
 トロントにもどってからも、この
「霊存在」との奇妙な会話はつづいた。
それはまだ軽蔑をあらわにしながらも、
非協力的な態度をいくぶんあらためた。
「町で多くの実験をおこなったのち、
新しい局面がひらけた。霊存在が自身
の過去を思い出しはじめたのだ。
それは語った。自分は別の場所から
やってきた。思い出すことはできないが、
地上にあらわれるより以前から存在して
いた」。~
 
~ある日、霊存在は、自分に関する事実
をまたひとつ思い出した。自分はいつも
考えていたような真っ黒な存在ではなく、
「ふち」の部分はいくらか明るいようだ
ー。そこから事態は急展開を示した。
 霊存在は、「白い光」を恐れる
必要のないこと、遠い昔は自分も別の
場所で「光」の中に住んでいたことを
思い出した。つづいて、憑依している
宿主からはなれなくてはならないことも
認識した。はじめは餌(注釈:崇拝者
たちの生命とエネルギー)となるものが
なくなれば飢えるのではないかと心配
したが、「光」から栄養を得られる
ことを知ると、彼からはなれていった。

クラブツリーの記録によると、以後
十八ヶ月のあいだ、マリアスは霊の訪問
をうけず、家庭生活も平常にもどった
という。」
“出典:「コリン・ウィルソンの
      『来世体験』」
       コリン・ウィルソン著
      荒俣宏 監修・解説
       梶元靖子訳
       三笠書房刊 ”

とても長かったので要約しますと、マリアス
という裕福な結婚生活をしている社会的に
安定した地位にある男性が、妻を殺したい
という、理由もわからない衝動をおぼえる
ようになり、夢をきっかけに、その衝動が
「ベア」と呼ばれる霊的な存在による
ものだと気づかされました。
そして除霊の方法を、自分で考え出して
見事に「ベア」を追い出す事に成功しました。
その「ベア」は太古の狩人たちの生け贄に
されるためなのか、なぶり殺しにされた熊
が霊になった姿だという事です。
ベアになった時にその狩人の一人に取り
憑いたのですが、それが、マリウスの先祖
だったという事です。
しかし、素人の除霊だったからなのか、
「ベア」が去ったあとも邪悪な霊的存在
は残ったままになっていて、それは
どう考えてみても悪魔のような存在です。
「崇拝者たちの生命とエネルギーを糧とし」
、数千年の間崇拝されてきた上に、
「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖の雰囲気
の中で成長する」存在という事は、
完全に生け贄の風習によって、あがめられ
てきた、古来から世界中で崇拝されてきた
神の事で、真実としては悪魔の事です。
山羊というのは、悪の化身である山羊の
頭部を持つバフォメットの事だと思われ
ます。雄鹿の方はわかりませんが、片方
だけで充分に悪の象徴だという事が、
わかります。
つまり狩人たちが崇拝していたのが、
この悪魔の事で、生け贄を捧げること
でなんらかの御利益を得たという事
でしよう。
そして、そのとき召喚された悪魔が、
熊の霊と一体となって、マリアスの祖先
の狩人に取り憑いていたということです。
つまり素人の除霊により、熊の霊だけ
去って、悪魔だけ霊として残ったという
事ですね。
みなさん悪魔って召喚されたこやつが
全てだと勘違いされていませんよね。
もちろん召喚されたのは単に悪魔の一部
だという事です。
つまり完全体でないという事なのです。
つまり憑依していた熊の霊がなくなると、
だんだんと自らのエネルギーを変容させて
いくしかないわけです。もちろんマリアス
とまわりの人々が、愛や情で結ばれて
いなくて、マリアスに邪悪な心があれば、
この悪魔は、そのままの邪悪さで、憑依
できたでしょうが、マリアスに対する
まわりのあたたかい感情とマリアス自身
の心の善良さに、だんだんと自分自身も
変容せざるを得なくなってきたという
わけなのです。
そうすると悪魔が、実は過去では悪その
ものでなく、別の場所からやってきたと
語り始めるのです。
さらに、悪魔だけでなく他のすべての
ものと同様自分も光の一部であった事を
思い出し、マリアスの憑依を解いて、
離れていったという事なのです。
光というのは、絶対意識レベルの領域で
全てはそこから生まれるので、悪魔
として分離した意識も、愛情などの
あたたかい心に触れていると、もとの
光である絶対意識に回帰する事を思い
出すようになるという事なのです。

これはとても多くの事を学べる事例
だったと思います。
人格的な霊だけでなく、動物の霊や
悪魔の霊などもあって、人間に取り
憑く場合があるという事なのです。
そして古来からある生け贄の風習と
いうのは、やはり悪魔の食べ物だと
いう事ですね。
おかしいと思いませんでしたか?
物質世界の制約も受けず、万能で
永遠の慈悲深き神が、無垢な少女や
熊などを生け贄にするなんて、絶対
おかしいですよ。むしろそういう
罪のない人や存在を守ろうとするの
が神という定義なら、なぜ古代から
世界中で生け贄の風習があったのか、
おかしいとおもわなかったら、それは
これまで、神という定義について、
あまり考えずに、そう呼ばれてきた
からという事だけでうのみにしてきた
という事です。真理を知ろうとする事が
とても大切だという事の好例です。

今回の悪魔のように生け贄を必要と
するものは、「愛情や慈悲を嫌い、
暴力や恐怖の雰囲気の中で成長する」
のです。これってまさしく正真正銘の
悪魔と気づかなければうそですよね。

今回はその悪魔がベアという熊の霊を
媒介として、マリアスに残虐な行為を
させ妻の生命のエネルギーと暴力や
恐怖のネガティブエネルギーを糧と
しようとしたという事だったのです。
わかっていただけますよね(^^)

霊の憑依についての記事はまだあります
ので、また取り上げていきたいと思い
ます(^^)

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天国もあれば当然!?       臨死体験者の言葉その11重要加筆分


昨日人は亡くなれば天界のような
ところへいけるという記事を
投稿しましたが、ではこの世で
どれだけ、邪悪な事をしでかして、
善意の人々の命や自由や生活を
奪ってきたような人、また人に
対しての邪心に満ちて、陥れたり
辱めたりしてきたような人もそこへ
ストレートにいけるかというと
そんな事は全然ありません。
高次のレベルでは、自分の
潜在意識がそのまま投影される領域
なので、警戒を何度も経験した偉人
スゥーデンボルグがいうように、
邪心を持つものは、今度はそれを自ら
のために投影し、その世界に入る
事になるという事なのです。
まあ当たり前です、この世で邪心に
まみれた人がそのまま天界に入って
きたら、天界が悲惨な事になります
から、それに邪心などの意識は、肉体
を離れればすっかり改心できるよう
な便利なものでもないからなのです。
まあ上手くできているといえば、
上手くできています。
もし、邪心にまみれて、人をどんどん
不幸に陥れているものが、そんな
事をしても死んだら全て許されると
知ったら、どうなります?
彼らはまた喜んで、善意のある人達を
不幸にする事をためらわなくなります。
そんな悪人にとって都合のいい話ではない
という事が今回の記事で、わかって
いただけると思います。

以下が元記事です。

昨日、亡くなった人は天界にいけると
ご紹介しましたが、それは通常の人で
あれば、という事です。
邪心にまみれて、多くの人を陥れたり、
不幸にした人や、残虐な行為を他人に
した人。陰湿ないじめを繰り返して、
人を自殺に追いやったり、ノイローゼ
にした人たちは、もれなく次のような
場所に「晴れて入場する」ことができ
ます。臨死体験者の証言では、とても
まれなケースですが、臨死体験をして
戻ってこれる人は、邪悪な心に染まって
ない人ばかりだからです。
そりゃそうですね。なんでも知って
いるような天界の光の存在が、そんな
人をこの世に戻したいと思うわけが
ありませんから。ちなみにその光の
存在も究極でいえば、アニータさんの
ように、自分と一体の存在で、自分自身
という事なのです。
また臨死体験者の中で戻って来なかった
通常の人は、そのまま天界にいくことを
選択している場合がほとんどです。
もちろん身体がもとに戻れない状態に
なっている場合もあります。
実際アニータさんも戻らない選択を、
いったんしてましたよね。
さてその天界の逆の領域について、偶然
そこを垣間見てきた臨死体験者の証言を
またレイモンド・ムーディー氏の著書
から引用します。ただし、実際にその例
を紹介しているのは、ムーディー氏と
同じように、臨死体験を研究している
エバグリーン州立大学の研究者です。

“エバグリーンの研究者が調査した中に、
“地獄”の臨死体験をした者がひとりだけ
いた。これは極度の恐怖やパニック、
怒りを生ずるうえ、悪魔の幻も登場する
臨死体験だという。その体験者は、三回
臨死体験をしているが、二回目のときに
まちがって地獄へ連れていかれたという。
その体験談は啓発的で興味深い。

回答者
二回目の体験は違ってました。下の方へ
行ったんです。下は暗くて、みんな
わめいてました。火(が燃えていました)。
誰だったかわかりませんが、私を脇へ押し
やって、「こんなところへ来るんじゃない。
上へ戻れ」と言ったんです。

面接者
その人は本当にそんなふうに言ったん
ですか。

回答者
ええ、「上に戻れ。おまえはそれほど悪い
やつじゃないから、こなところにいて
もらっては困る」ってですね。

面接者
最初暗闇を通りましたよね。それから・・・

回答者
真っ暗ですよ。まず私たちは降りていって
・・・全くの暗闇でした。

面接者
トンネルを降りたんですか。

回答者
トンネルじゃない、トンネル以上ですよ、
ものすごく大きいやつ。フワフワと
ゆっくり降りたんです。・・・そこには
待っている人がいて、その人が、
「こいつじゃない」って言うんです。

面接者
わめいている人たちが見えましたか。

回答者
下にたくさんの人がいて、うなったり
わめいたりしてるのが見えました・・・。

面接者
その人たちは服を着てましたか。

回答者
いえ、いえ、服なんて全然。

面接者
裸だったんですか。

回答者
はい。

面接者
それで、どのくらいの人がいたと
思いますか。

回答者
とてもとても。そんなの数えきれませんよ。

面接者
何千人の単位でが。

回答者
そうですね。何百万人もいるみたいな感じ
でしたね。

面接者
はあ、ほんとうですか。それで、みんな
本当にひどい状態だったんでしょう。

回答者
みんなひどい状態で、へどが出そうな感じ
でしたよ。みんな私に、水をくれ、水を
くれって言うんです。そこには水がない
んですよ。

面接者
それで、その人たちの見張りはいたん
ですか。

回答者
ええ、いましたよ。頭に短い角が生えて
ました。

面接者
角が生えていたんですか。そ・・・それは
何者だと思いますか・・・。それが何者か
わかりますか。

回答者
ええ、あれならどこにいてもわかりますよ。

面接者
何者ですか。

回答者
悪魔ですよ。 ”

“出典:「光の彼方に」
レイモンド・A・ムーディー・Jr著
       笠原敏雄/河口慶子訳
        TBSブリタニカ刊”

この地獄のように思える領域は、当然
一つではなく、無数にあるものと思われ
ますが、邪悪でない通常の人は問題ない
のでご安心くださいね。
少しの邪心や出来心、また家族のため
やむを得ず罪を犯したとか、かっとなって
人に暴力をふるってしまったとか、それで
そのあと反省するような人は、もちろん
大丈夫です。ただまっすぐに天界と
いうより、いろいろとまわり道をしな
ければならない人もいるようです。
また嘘をついたといっても、相手を
傷つけないためとか、自分をかっこよく
見せるためとか、そんなレベルのものは、
天界にいくエネルギーを妨げるような
ものではありません。
宗教にあるような、正直に生きなさい
というのは、真実の面からいえば、
あまり関係がないといってもいいで
しょう。
問題は邪悪な心、邪心がどれだけの
レベルかどうかにかかってきます。
また少々、性欲や食欲、物やプライド
に執着があるくらいでも、程度に違い
はありますが、地獄に墜ちるほどでは
ありません。自分を愛するというのは、
スピリチュアルの世界でもいわれて
いるように、魂を輝かせるもので、
地獄へのエネルギーになるものでは
ないからです。
ただし肉体に関する欲が強すぎて、
執着しすぎると、地獄には行きませんが
天界にまっすぐにもいけません。
少し学びが必要だと判断されて、しかる
べき領域にいくようです。
自分でなく他者に対しての邪心が最も
重たいものだと理解していただければ
いいと思います。
まあ、ふつうに暮らしている人なら安心
して天界にいけると思って大丈夫です。
地獄にいった人も、自分だけでなく他の
人も救いたいとか、これまでの事を反省
し始めたような場合であれば、地獄から
離脱できます。ただ邪心にまみれた人は
自分のみ助かりと思う人たちばかり
なので、永遠に思えるほど長くそこに
留まることも多いと思います。
これらのコンセプトは長年の研究の成果
と霊界に何度もいけた、その研究の第一
人者スウェーデンボルグ氏をはじめと
した、多くの霊体験者の得た概念など
を総合したものです。
ではまた(^_^)

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死んだら天国へ行くは真実だった!? 臨死体験者の言葉その10


今回で臨死共有体験の共通要素については
最後となりますが、これで7つ目という
ことになります。
最後にご紹介するのは、臨終のそばにいる
人がしばしば、天界のような領域に入る
ということです。
よく我々が死んだら天国にいくんだよと
小さい頃に聞いたりする事もありますが、
大きくなるにつれて、それはおとぎ話の
ようなものだと思うようになります。
事実日本人の多くの人も死んだら、
おしまい、自分という存在は跡形もなく
消えてしまうと思っているのではない
でしょうか?
これまで私が神秘メッセージで明らかに
してきたように、それは全くの間違いで、
みなさんの思っている現実とはあらゆる
面で真逆が真実だったのです。
死についても同じことで、我々は死ん
でも消えてなくなったりはしません。
それまで使ってきた自分のこの世での
乗り物である肉体を乗り捨てるだけの
事だったのです。でも生きている間は
あたかも自分が肉体そのものであるか
のように錯覚しているだけだったと
いうわけですね。
前回の体外離脱体験についての記事は、
その事を具体的にイメージしやすい
内容になっています。
しかもみなさんは、死ぬ事をとても
恐れていますが、死後の自分のいく領域
がそれまでおとぎ話のように思っていた
天国のような場所だとわかっていたら
どうです?それが現実の事だと知って
いたらという事です。
もう恐れることはありませんよね?
臨死共有体験者が、それまでの臨死
体験者達の証言通り、その天国を経験
したのだから、これはその事が事実を
裏づける確かな証拠の一つの要素だ
といえますよね。
では、その臨死共有体験の天界を経験する
事について詳しく書いておられる
レイモンド・ムーディ氏の著書から
いつものように引用させていただきます。

“通常の臨死体験においても、天的な領域に
入ったということが、よく証言の中で聞か
れる。
近年の研究によれば、臨死体験者のうち約
50%の人々は、天的な世界に入った、
あるいは地上界とは異なる領域に入ったと
証言している。彼らが見たその世界を、
言葉で証言してくださいと頼むと、彼らの
答えは驚くほど似通っている。その
幾つかをここに紹介するが、それらは
臨死体験中に見えた世界と、臨死共有体験
中に見えた世界を比較する上で、役に立つ
と思う。

「私は、非常に明るいトンネルの中を
歩いていました。光しか見えません
でしたし、足がどこに着地しているの
かもわかりませんでしたが、確かな
足どりで歩いていました。
やがて光のトンネルを抜けて見えた世界は、
この上なく美しい丘のような場所でした。
 やわらかに波打つ山々も見えました。
空は透き通るように青く、緑の丘と、遠く
の大きな木々も見えました。そのような
世界を見るのは全く初めてでした。」
(ニューヨーク市を歩行中に心臓発作を
起こして倒れた男性)

「完璧なまでの草花と色彩がありました。
それをこの世の言葉で表現するのは困難
です。それは、私たちがこの世界で見て
きたすべての色-緑、赤、青、その他が
みな色あせて見えるほど、完璧なもの
でした。
景色の背後から音楽が聞こえました。
今まで聞いたことのないような音楽です。
それは澄んでいて、深く、私の耳からと
いうよりは、別の仕方で私の内に入って
来ました。」
(交通事故で死にかけた女性)
    (中略)
 臨死体験者たちがこうした天的領域に
ついて話すとき、彼らはよく「パラダイス」
「清い」「澄み渡った」「天国の」
といった表現を用いる。実は臨死体験を周囲
で共にした臨死共有体験者らも同様なので
ある。
その一例として、メイン州のある医師が
語ってくれたものをご紹介しよう。
医師は、二人の友人マーサとキャサリンに
起こった出来事を、私に語ってくれた。
マーサは、心不全のために入院していて、
その心臓は肥大化し、死の危険の中に
あった。
   (中略)
マーサの友人キャサリンは、病院に来て
マーサの病室で付き添った。マーサの臨終
の時が近くなるとき、キャサリンはマーサ
のベッドに入り込み、マーサを抱きながら
添い寝した。ほどなくして、マーサの心臓
は止まった。
キャサリンはマーサの死の瞬間に、大きな
エネルギーの動きを感じたという。
キャサリンは反射的に、マーサの胸を
抱きしめた。すると心臓が再び動き出した
のだ。キャサリンの努力が実り、マーサは
生き返ったが、そのときマーサはキャサリン
に対して怒った。
「行くつもりだったのに!あなたはベッド
から出て、私をそのままにして!」
 キャサリンはベッドから出て、ベッド
わきの椅子に腰かけた。彼女は、つぎに
マーサの心臓が止まったときには、もう
そのままにすると約束した。
1時間も経たないうちに、マーサの息が
不安定になった。注意深く息を聞いて
いると、マーサの呼吸はほとんど止まった
ようだった。キャサリンはさらに近づいて、
聞き耳を立てた。
 すると自分の耳の中で、何かのざわめき
が聞こえ始めた。それは次第に大きく
なっていき、気がついたときには、
キャサリンは体外離脱していた。

「私は突然、マーサとともに、丘の上を
歩いていました。私たちの周囲は光に
包まれていました。普通の光ではありま
せん。周囲の草花、大地、空など、すべて
のものがその光で輝いていました。信じら
れないほど美しい光景でした。
 これは天国、またはそれに近い所だと確信
しました。あまりにすばらしいところだった
からです。
私は自分が50歳くらい若返ったのかと思い
ました。
 私はそこで、マーサの亡き夫や、すでに
亡くなった他の親戚らも見ました。みなが
丘を下って、マーサに会いに来ました。
丘の地形も草花もすばらしかったです。
緑も衝撃的なほど輝いていて、目を奪い
ました。
 マーサは生き生きと丘の上を動き
まわっていましたが、やがて私の腕を
押して、『これ以上は来ないでね』という
仕草をしました。
 いつもマーサのいうことは、その通りに
してきた私は、言われる通りにしました。
すると私は、自分の肉体に引き戻されて
いました。耳の中のざわめきも聞こえなく
なり、私は病室にいたのです。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”
ムーディー氏は、これに続けて、この天的な
領域は、生きている人と死に行く人を分ける
境界のように説明しておられますが、すでに
なくなったマーサの夫や他の親戚の人たちも
そこにいたという事は、境界でもあり死んだ
後にいきつく先であることも示している
のです。
つまり、我々は死んだら天国にいくという
のは、おとぎ話ではなく現実の事だったと
いうわけです。
証言にあるように絵に書いたように美しい
風景の中に我々はいけるという事ですね。
もう死を恐れる必要はありませんが、臨死
体験者たちが口を揃えていうように、
だからこそ生きている間を恐れずに貴重な
体験として大切に生きていこうと気持ちが
沸き起こるものなのです。
今回これで臨死共有体験の共通要素を
すべて取り上げましたので、このシリーズは
これまでですが、臨死体験者の言葉は、まだ
まだ続きますのでお楽しみに(^_^)

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臨死共有体験の要素のまとめ 大幅加筆分  臨死体験者の言葉その9     


今回も臨死共有体験の再投稿ですが、
ホログラム的現実世界についての
記事をご紹介した後で、ご覧になると
また、読んでいたたいている方の感性を
さらに刺激して、ご理解を深めて
いただけるのではないかと思います。
最初にこれまでの臨死共有体験の共通の
要素をまとめて取り上げてみますが、
今回その事について、少しだけ補足説明
を加えておきますね。

臨死共有体験者の共通要素についての
6つめとなります。
これまで、臨終の人のそばにいた人
などが、超常体験をする時の共通要素
として取り上げたのが、

・白い霧が亡くなる人の体から立ち上る

・空間が変容するのを目撃する

・神秘的な光を体験した

・音楽が聞こえてくる

・亡くなる人の人生回顧を、共に見る

とこのようにほぼ臨死体験者がこれまで
証言していた内容とほぼ変わらないもの
ばかりです。このことから、決して
臨死体験者が、自分の思い込みによる
幻想の事を話していたのではないという
ことが、第三者の体験で証明されたこと
になったのです。

そして今回、これらの要素について、補足
説明を加えておきます。

最初の白い霧が立ち上るというのは、霧や
雲、光る雲など、これまで超常現象の
ゲートとしても、あらゆる実例をご紹介
してきました。つまりプラズマ現象の事
です。つまりこれは亡くなる人の肉体から
霊体であるプラズマが、分離して上昇して
いるという事ですね。
これをアストラルボディ、または魂という
人もいます。

二つ目の空間が変容するのを目撃する
という要素ですが、もし臨死体験者と
共有する意識レベルが、本来の私たち
の意識だとするとゆがんだ空間認識の
方が正しいという事になります。
そして臨死体験者や共有体験者が、
多く口にする、「覚醒した明晰な意識、
大きく拡大された認識力、360度の
視野、人の気持ちまで読み取れる感性、
至福の感覚」それら全てが、臨死状態また
は、共有体験者の認識状態であると
すれば、正しい空間認識は、むしろ私
たちの認識からみればゆがんだものに
なり、そしてそれが今度は全てを
俯瞰できる空間認識に変わるという事
なのです。
つまり私たちの生きている間の空間認識
そのものが歪められていたという事の
証拠がここにあるという事です。

三つ目の神秘的な光というのは、私たちの
目を通して得られる視覚的な光ではなく、
とつもなく輝いているのにまぶしくない
もので、通常の光ではないという事ですね。
これは、意識の変容を果たした人の松果体の
光のおかげで目も光り、その光を感じる事が
ありますが、その時の光と同じものだといえ
ます。つまり高い次元のエネルギーを
示しているのだと思われます。

四つめの音楽は、当然私たちの高度な
意識レベルに通じる感覚として、非常に
重要で、それがやはり臨死共有体験にも
あらわれたという事です。ギリシャ時代
でも音楽は芸術と呼ばれるものの中で
最も価値が高いものだという認識でした。
プラトンの言葉だったのかも知れません。
しかも音はとても重要で、騒音などを
出そうものなら、厳しく罰せられたと
いいます。今は真逆ですよね。

五つめの、人生回顧をともにみるという
のは、先日からの記事でもご紹介して
いるホログラム的現実の世界を認識
できる領域に、共有体験者も移行した
という事を示しています。

さてそして以下が元記事です。

また今回ご紹介するものも、臨死体験者の
ほとんどが経験している事で、体外離脱
をするという事です。
これについて書かれている事を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“体外離脱は、臨死体験を経験した人が
よく口にすることである。
体験者は、自分が肉体から離れたという
そのとき、自分が上下に移動し、自分の
体と周囲にあるすべてのものをよく観察
できる位置に移された、という強い感覚を
抱く。
 臨死共有体験者は、多くの場合、不思議な
エネルギーのうねりを感じたり、轟音を聞い
たりすることに始まる。体験者はその直後に
、自分が上空の別の位置から自分の体とその
周辺を見おろしていることに気づくので
ある。
 多くの場合、天井の近くから、あるいは
上空何メートルかの位置から見おろすこと
になる。そしてその位置から、死につつ
ある人と、自分との関わりなどをながめる
ことができる。
 その典型的な実例を、私は、ジョージア
州キャロルトンに住む44歳の女性から
聞いた。
彼女は、その腕の中で父が死んだとき、
なにかのエネルギーのうねりを感じた
という。彼女はまたある種の轟音を
聞いたが、それはしだいにジェット
エンジンの回転が速くなるときのように
速く、強くなっていった。彼女は言う。
「そのとき私は自分の体から抜け出た
のです。すると、父におおいかぶさり
ながら、呆然とその死を見ている自分の
姿が見えました。
 またそうした光景に混ざって、私の
小さい頃のイメージが浮かび上がり
ました。
あたかも解説つきの家族ドキュメンタリー
を見ているように、映像が目の前に展開
したのです。
 光は非常に明るくなっていき、そののち
消えました。すると私は肉体に戻っていた
のです。私は父の手をにぎっていました。」
 このように付き添っている人までが体外
離脱することがある。そして体外離脱した
人は、そこで一人でないこともある。
死んだばかりの人と一緒に空中で浮遊する
のだ。その空中で会う死者は、多くの場合、
若い姿に見える。さらに、より幸福な表情
をしている。
 付き添いながら共有体験した人は、死者
のその姿を見て、「いまやこの人は肉体を
離れ、苦痛から解放されて喜んでいる。
また存在の次の段階への期待で喜んで
いるのだ。」という感覚を抱く。”
“出典:「臨死共有体験」レイモンド
・ムーディ/ポールペリー共著
堀天作訳 ヒカルランド刊”

このように多くの臨死体験者が経験した
と証言していた体外離脱体験を、そばの人
も同じく経験したことで、臨死体験者の
証言が事実であったことが、第三者の目が
で証明されたことになります。
このような体験は、無数に体外離脱体験を
しているウィリアム・ブールマンという人
が体外離脱体験をする時の描写と合わ
せる事で、これらが事実である事を実感
できると思われます。
以下は彼の著書からの引用です。

“強烈な轟音と感覚で目が覚める。肉体
とマインドが振動によって引き離される
ように感じる。初めは振動の強さに
驚いたが、徐々に心を落ち着け、肉体
から分離し、浮かび上がることに全神経
を集中させる。数秒後、肉体から浮かび
上がり、数フィート上で停止していた。
体外離脱が完了すれば、轟音と振動が
素早く収まるのだということに気づく。
音と振動に代わって、安らかな静寂が
訪れる。”
“出典:「肉体を超えた冒険」
ウィリアム・ブールマン 著
       二宮千恵 訳
    ナチュラルスピリット刊”

ブールマン氏は、この著書で何度も
体外離脱した時の様子を書いておられ
ますが、ほとんどの場合にこの轟音と
振動を経験しているということです。
この事と、今回の臨死共有体験者の
経験したジェット機の轟音を聞いた
あとに体外離脱したという事は、一致
していますよね。
この肉体離脱時に轟音を聞くという
のは、臨死体験者の証言にも、多く
みられますが、その音を聞かずに、
気がつけば空中に浮かんでいたとか、
単に暗いトンネルを抜けていっただけ
というような証言も多くいます。
これは、まだ死ぬ準備ができて
いない健常な人の身体にある意識は、
臨死体験者よりも生体エネルギーが
強く、従ってそのエネルギーの壁も
強固で、強烈な轟音と振動の壁に覆われ
ているということなのです。この壁が、
我々を肉体に閉じ込めている壁だという
ことです。
そして死ぬ準備ができた人、また瞬間的
に臨死状態になった人は、その生体
エネルギーの壁がとても弱くなっている
ので、比較的スムーズに体外離脱や高次元
の世界に移行できるというわけです。
逆にいえば、生命を維持するためには、
意識はその轟音と振動の壁に覆われて
いなければならないということでもあり
ます。

また体外離脱をするという事は、高次元
に意識が入り込んでいるという事を意味
していますが、高次元の世界ではまわり
の空間と一体である本来の意識になって
いるということでもあります。我々が、
肉体を離れるということは、もともとの
意識の状態に戻るということなので、
特にこわがる必要もないことなのです。
ただ健常な人の身体は、とても体外離脱
した意識と共鳴しやすいので、身体に戻る
のはたやすいですが、病気や老衰で亡く
なる人の身体は、その共鳴力がほとんど
なくなっているので、そのまま身体に戻る
ことが、少なくなるのです。もちろん
戻れた人が臨死体験者というわけですね。

この共有体験者の共通要素シリーズは
次回で最後です。ではまた(^_^)

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人生回顧とホログラム      臨死体験者の言葉その8加筆分


臨死体験や臨死共有体験に見られる
人生回顧が、詳細な立体映像であり、
亡くなる人か臨死体験中の人の人生を
もう一度詳細に見ることができる
という事から、私たちの通常の現実
認識を大きく変えなければならない
という事です。
単にほへー(゚ω゚)ありゃまー💦などと
驚いて、不思議やったねー!・・
で、日常に戻っていいのではありません。
せっかく凄いヒントをいただいたの
なら、それを活かさないと!(^_-)-☆
つまり私たちの過去はまず消え去って
いないという事です。しっかりと詳細な
立体映像として残っているという事は、
時間は流れて過去は消え去って全く
なくなるものではないという事なのです。
ここで、疑い深い人は、こういうでしょう。
「だけど、その立体映像は個人の意識の中
にだけあるものでしょう?だったら
死んで魂がなくなれば、その立体映像も
消え去るんじゃないのー?」
なるほどもっともなご意見でしょうね。
ただし間違いだといえます。
まず魂というより、魂の本体である意識
はずっと存在し続けるという事と、当人が
死んでもその映像は消えません。それは
サイコメトリーで、太古の昔に亡くなった
人の遺品からも、全く詳細な立体映像を
読み取る事ができた実例があります。
これは超常現象とホログラム その2
という記事で取り上げているものです。
という事で、過去は消え去っていない
という事がわかっていただけるかと思い
ます。
そしてまた私たちの現実とは、本来
このようにあらゆる時空が一体に
なった状態であるという事も同時に
理解できるという事です。
ただ私たちの日常の意識が、とても限定
された時間の一定方向の流れしか、認識
できないようになっているという事
ですね。
そしてまた本来の現実がこのような詳細
な立体映像つまりホログラムの世界で
あるというだけではなく、私たちの心
まで、詳細に記録されているものだと
いう事を示している例が、以下の
臨死体験者の証言で明らかになっている
という事なのです。
過去記事ですが再掲載しておきます。

以下が元記事です。

こちらは、臨死共有体験の共通要素の
人生回顧についての、前回の続きです。
我々が現実をホログラムという形で
読み取り、記憶そしてオーラ場に刻み込
んでいる証拠として、臨死体験および
臨死共有体験での人生回顧を、前回の
記事でとりあげました。
しかし、私が説明した人生回顧で相手の
気持ちまでわかるとか、360度の視点
があるというような証言は取り上げて
いなかったので、いまいち説明不足
だったような気がしたので、他の臨死
体験者の人生回顧についての言葉を
とりあげながら、そのオーラ場の
ホログラムというものがどんなものなの
かということを説明していきたいと思い
ます。これも一つの記事では終わらない
ので、シリーズ化します。

まずはレイモンドムーディー氏の著書から
の引用で、大学院卒業直後、23歳の誕生日
に臨死体験をした女性が、やはり高次の存在
(文中ではあの方と呼んでおられます)に
出会い、人生回顧をしたあとの言葉です。

“自分の行動の責任は、全て自分にある
というのが、この体験から私が学んだ
いちばん大事なことでした。
あの方と一緒に自分の一生を振り返って
いたとき、言い訳することも、はぐらかす
こともできませんでした。
   (中略)
こうして一生を振り返って見た中で、覚えて
いる出来事がひとつあります。
子供のころ、妹から復活祭のバスケットを
ひったくったんですね。私の欲しいおもちゃ
が入っていたからなんですけど。
でもその場面を見たとき、あの子が大事な
ものを取られたときの感じや、がっかり
している感じや、のけ者にされたような
感じがよくわかりました。
意地悪をするときには、人に大変なことを
してるんですね。でも、いつか必ずそれに
気がつくようになっているのは素晴らしい
ことです。
    (中略)

今までしてきたことが全部、その(一生を
振り返ってみる)中に出てきて、善悪を
判断しなきゃいけないんですよね。”
“出典:「光の彼方に」
レイモンド・ムーディ・Jr著
笠原敏夫/河口慶子訳 
TBSブリタニカ刊”

これで我々のオーラ場に保存されている
ホログラムには、その当時には感じられな
かった相手の感覚まで、刻み込まれて
いるという事がわかっていただけたと
思います。我々は毎日潜在意識で鮮明に
場面を感知していて、そこには、人の
気持ちや感覚まで含まれているという
ことなのです。
表面にあらわれる意識では、むしろ頭
や五感のフィルターを通してしまうため
不鮮明になっているということなのです。
しかも大事なことは、そのホログラムに
刻みこまれた映像は時間が経っても消えて
いないということなのです。
臨死体験者が、口をそろえていうように、
本物の現実と変わらないように見えた
ということですが、我々の現実は時間が
経っても残っているということなのです。
これは実は、肉体がなくなっても、本人
特有のオーラ場がなくなっても、同様に
消えないのです。
そのホログラムは当然我々の五感や科学
で感知、観測できるものではありませんが、
このように確かに存在しているのです。
この人生回顧についてのホログラムだけ
ではなく、サイコメトリーという超常能力
などにも、このホログラムが使われ、
また予知能力なども、このホログラムの
状態であらわれたりするのです。
また他にもあらゆる場面でこのホログ
ラムがでてくることになりますが、
それはまた別の記事で取り上げていき
ます。

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臨死体験者の言葉その7改     永遠の時に生きる永遠の私たち!


今日再投稿した記事を、よくみたら
ついこないだも再投稿してるのに
気付いて、あわててもうひとつ記事を
追加しておくことにしました(^^)/

これも再投稿ですが、私たちの現実が
光の波動の干渉であるという事、
つまり実体があるように見えるけれど
も、実際にはホログラムの高度な形
であるという事を裏付けるかのような
事例です。
当事者でない人が、それを体験できる
というのが、何よりも確かな証明に
なっていると思います。

そもそも私たちは、年齢とともに
忘れっぽくなったとよくいいますが、
実際には、霊的な次元に、詳細に
記録されていて、しかも永遠に
それが残っているというのが真実
のようです。
つまり時は流れていくまのでも、
消え去るのでもなく、永遠に残る
なんて、なんて至福な真実なの
でしょうか。
彼と別れても、その彼との「時」は永遠
に残る。死に別れた家族との「時」も
「心」も「情景」も全て残っている
のですよー(^^)/
なんて素晴らしい人生なのでしょう(^^)

では元記事です。

今回も臨死共有体験の共通要素です。
この記事のためにも超常現象とホログラム
という記事を書きました。
その記事には、我々は現実をホログラムの
ような形で感知して、さらに記憶として
保存しているというようなことが、説明
されてます。
よければ、そちらの記事もご覧ください。

今日ご紹介するのは、人生回顧を共にする
というものです。臨死体験では、多くの人
が、この人生回顧をしています。つまり
臨死状態にある時、これまでの人生を
もう1度追体験しているかのような映像を
みせられるというものです。
その時に出会った、高次の存在にそれを
見せられるという場合、この人生で良かった
かどうか聞かれることもあります。
その場合に、まだ子供がいるとか、やり残
した事があるなどと伝えれば(テレパシー
のようなものでという事です)もう1度
生き返らせてくれるというようなケースも
少なからずあります。
また映像は立体映画のようで、360度の
視点があり、時間を早送りしたり戻したり
を自由にできるとか、気になるところを
もう一度みられるなどということもできる
みたいです。
そしてまた、その当時にわかるはずも
なかった、相手の気持ちがわかったりとか、
自分の気持ちがどうだったかまで、理解
できるようになることもあるようです。
それはつまり我々の脳にではなく、我々
のオーラ場と呼べるようなところに、
ホログラム映像が消えずに残って
いて、それを生きている間は、不便な脳の
フィルターを通してみるため、とても不鮮明
であったり、取り出しにくくなっていたり
するのですが、肉体を離れれば直接オーラに
刻まれた時の映像が完全な形で残っていて
それを脳ではなく、次元の高くなった意識で
自由に見られるようになったという
ことなのです。
つまり保存されていた、オーラ場の映像には
相手の気持ちなども含まれているのですが、
それは我々が普段頭を通して、逆にわから
なくなっていたという事も意味します。
オーラ場は潜在意識の場でもありますが、
潜在意識では、我々は人の気持ちだけでなく、
あらゆる事を当時から感知することができ
ていて、それをオーラ場に保存していた
という事になります。
臨死共有体験は、臨終の人の意識に共鳴する
ことによって、やはり五感を越えた意識に
なることができるため、そのオーラ場に
刻み込まれた、亡くなろうとしている人の
人生全体のホログラム映像を五感や頭を
通してではなく、読み取れるようになった
ということなのです。
ピンと来ない人は先ほどの記事
超常現象とホログラムその1
お読みくださいね。
さてその臨死共有体験の実例を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“また臨死共有体験には、死んだ人と
「人生回顧を共にする」「人生回顧を
共有する」という、目を見張る体験が
含まれることが多い。地上で歩んできた
全人生を、パノラマを見るように、共に
概観したり、とくに重要な場面を回顧
させられたりする。
 近年の臨死体験研究協会の調査に
よれば、通常の臨死体験者たちの約23%
が人生回顧の場面を経験したとしている。
以下はみな、そうした人生回顧の典型的な
例である。
 
「私が病室で体外離脱すると、やがて私の
目の前に、自分の人生の回顧が始まりま
した。私は教育にたずさわり、多くの人を
教えるようになると告げられました。
そして今まさに私はその仕事をしてい
ます。」(スティーブ、62歳、
心筋梗塞患者)

 「私はそのとき、自分の人生の良かった
点だけでなく、失敗や間違っていた点なども
見せられました。」(ジェンナ、56歳、
自動車事故)

「私は自分の人生のすべての重要な場面を
見せられました。私の誕生から、初めての
キスまで。両親との確執の場面もです。私は
自分がどんなに利己的だったのかがわかりま
した。
そしてどのようにすれば本当の自分を取り
戻し、変えられるかも知りました。」
(ドナ、19歳、自殺未遂)

 これらは、通常の臨死体験中の人生回顧
だが、そうしたものと、臨死体験中の人生
回顧は異なる面を持っている。というのは、
、死にゆく人に付き添うなどしている
ときに人生回顧をした人々自身は、臨死
状態にないということである。
にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の
場面を共有する。
 そうした臨死共有体験中の人生回顧を
言葉で言い表すならこんな感じになる。
「私は、亡くなったばかりの夫とともに、
大きなスクリーンのようなものの前に
立っていました。すると夫の過去の人生
がそこに映し出されたのです。幾つかの
場面は、私がそれまで全く知らないもの
でした。」
 たとえば、かつてサン・ディエゴの
ある女性が、10代の息子の病床で
起こったことを私に話してくれたことが
ある。
息子は、糖尿病の合併症のために死に
かかっていた。息子が死んだとき、彼女
は、その病床の周囲に展開された息子の
人生の各場面を見た。
 彼女によれば、映画のように展開さ
れるその各場面のただ中には、自分も
立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。
 (中略)
「私の15歳になる息子が亡くなったとき、
私は病室で息子と共にいました。息子は
小さいときから糖尿病をわずらい、その
重荷を背負ってきました。その世話も
あって、私はいつも息子とともに生きて
きました。
 息子が息を引き取ったとき、私はその手
をにぎっていました。そのとき命が息子
から出るのが感じられました。電気の
流れのようにと言ったらいいでしょうか、
あるいは脈打つ感じで出た、といった方
がいいかもしれません。
 部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて
見えました。また一転してその病室に
強い光が満ちました。その光は、自分で
見たことのない人には到底想像もつかない
ような明るい光でした。
 病床の周辺に、息子がその短い人生で
なした様々な事柄が、映像のようになって
現れました。息子はそれらの映像を見て
いました。喜びの表情を浮かべながら。
  (中略)
光の中で、息子と私は人生回顧の映像に
接しました。細かな事柄に至るまでです。
わたしが長く忘れていたような場面や、
私が全く知らなかった場面も多くありま
した。
たとえば、息子が自分の部屋でひとり
『アパッチ砦ゲーム』を使って遊んで
いた姿や、息子が友人たちと電話で話し
ていたときのことなどです。
  (中略)
 その人生回顧は、閃光のように、ある
いは放電のような感じで次々に展開して
いきました。
それは言葉ではうまく表現できない、
言語に絶するものでした。
 そのとき私は40歳でした。今は62
歳です。しかしあの体験以来、あたかも
すでに100年は生きたような感覚です。
それを悲しく思っているのではなく、知恵
の面で100年分は成長した感じなの
です。
    (中略)
 私が死ぬとき、また息子に再会するとき
には、きっともっと多くのことを知るように
なると思います。
それまでは、たとえわからないことが
あってもこの地上にいて、他者を愛し
仕えつつ、人生を歩むのが私の勤めで
あると思っています。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

これがホログラム映像として、オーラ場に
刻み込まれた、人生回顧の共有体験です。
彼女は息子の意識に同調することによって、
その息子の一生分のホログラム映像を見る
ことがてきるようになったのです。
彼女がいうようにこういう事を知ることが
人生にとってとても重要で、100年も
200年も生きたような充実感も味わう
ことができるのです。
臨死体験者が、あの世に持って行けるもの
は愛と知識だけだと証言していますが、
その知識とは、このようなレベルの知識
のことです。まちがっても、芸能人の
不倫記事や、全国の駅名、うまいラーメン
店の名前などの知識ではありません。
また放電のようなという表現がありま
したが、この体験においてもプラズマ
エネルギーが働いていることの証明にも
なっています。

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臨死体験者の言葉その6改     臨死共有体験の共通要素その4  やはり音楽!

これも再投稿記事ですが、健常な人も
巻き込んでの臨死共有体験で、音楽
を聴くというのは、
音の波動と高次の意識のつながり     
意外なキーワードとは?


五感にもレベルがあります その3改 
聴覚がレベルが高い事について
微加筆
などの記事で説明して
いるように、やはり高次の意識に移行
するのに音楽が有効であるという事を
証明している事にもつながります。

また元記事の説明の中に、目に見える
音楽という部分がありますが、これは
臨死体験だけでなく、アヤフアスカを
服用して高次の意識に移行した人も
同様に、音楽が見えてつかめるようだと
証言している事からもわかるように、
高次元の意識では五感は一体であると
いう事を裏付けているものだといえます。

さらにここで、何故私たちが、聴覚や
視覚などで、捉える振動数領域が
違うという疑問が当然起こります。
全てが一体の方がより高度な意識と
いうのなら、肉体もそうであってしかる
べきですよね。
それが私が再三申し上げているように
私たちの身体を完全な状態から遠ざける
干渉プログラムの証拠のひとつだという
事です。

以下が元記事です

今回の臨死共有体験の共通要素は、
「音楽が聞こえる」というものです。
これは多くの臨死体験者にも共通する
事で、これも肉体から異次元に意識が
移行する時の特徴の一つだということ
です。
音楽というのは、五感で感じるものの
なかでは、最も高次元にあたるもので、
我々の多くは視覚に囚われがちですが、
それはむしろ、物質次元に囚われやすい
感覚なのです。
この点については、またじっくり説明
させていただきたいと思いますが、聴覚の
方が、高次元を察知しやすい感覚なのです。
ピタゴラスの紹介のところでも説明
させていただきましたが、彼は断食と呼吸法
の40日間の実践を経て、高次元の意識に
達し、ついにエジプトの学校に入ることを
許されました。そののち高次元の意識を
得ていたピタゴラスが、音階を発見し、
宇宙からの音楽である、「天球の音楽」を
聴いたというのだから、いかに高い意識が
音楽と密接に関係しているかわかって
いただけるかと思います。

では臨死共有体験の音楽が聞こえると
いうエピソードを、またムーディ氏の
著書から引用させていただきます。

“臨死共有体験にはまた、音楽を聞いた
という証言がよく聞かれる。死につつある
者も、またそばで付き添う者も、同時に
その音色を聞くことがある。
多くの人が音楽を聞いたという場合もある。
 死の際に音楽が聞こえたというこの現象
には、幾つかの型がある。一つの型は、
かつて私がメリーランド州でインタビュー
した、ある女性の証言に見られるような
ものである。彼女は夫の臨終の場で音楽を
聞いたという。以下は彼女の言葉である。

 「夫は昏睡状態で、人工呼吸器に
つながれていました。しかし私は、臨終の
時がそんなにも早く来るとは思っていま
せんでした。夫とともに私は病室で夜を
あかしたのですが、翌朝、私が目覚めた
5時30分に、夫は息を引き取りました。
それは夫の両親が病院に到着した直後
でした。
 夫が息を引き取る少し前、私は病室の
隅で、いすに腰かけていました。疲れ
果てていました。すると突然、ベッドの
周囲にたくさんの人がいることに気づいた
のです。まるで部屋が大きなステージで
あるかのようでした。人々がたくさん
集まっています。
 夫はベッドにいましたが、突然病室の
天井のあたりから、きらきらした光が
降りてきました。その時です、音楽が
聞こえたのは。
 私は『静かにして!』といって、耳を
澄ませました。音量が大きくなるにつれ、
その光も大きくなり、夫の上のあたりに
来ました。その音楽は私がそれまでに
聴いたことのない、非常に美しい、
巧みなものでした。
 またきらきらした光と連動していて、
私は音楽をあたかも目でみているよう
でした。音色の一つ一つが見えるかの
ようで、教会のハンドベル演奏を聴いた
ときのような感情を持ちました。
この上なく美しく、すばらしい音色でした。
 そんなとき、看護師が部屋に入って来て、
私の腕にふれて言ったのです。
『ご主人は亡くなられました』と。
夫はあのきらきらした光に触れられたとき、
息を引き取ったのです。」

つぎに19世紀の研究家ガーニー・
マイヤーズ、およびポッドモアが書いている
実例をみてみよう。彼らは、リリーという
少女の家族にインタビューした。家族は
みな、リリーの死の数日前から、その死後
にわたり音楽を耳にしたという。
リリーの父は、部屋に満ちたその音楽は、
「イオルス琴(風で鳴る琴)のやわらかい、
また野性的な調べのようだった。」と
述べている。また母はこう述べた。
 「年配の看護婦と私のおばが、様子を
見に部屋に入って来ました。夫も一緒で、
みなリリーと部屋にいたのです。
私は台所に行っていました。・・・・・
そのとき同じイオルス琴のようなあの音楽
が聞こえました。部屋にいた3人全員が
聞き、また私も台所で聞いたのです。」”

“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

このような音楽体験はこの本にもある
ように、臨死共有体験だけでなく、臨死
体験にも多くみられるものです。
また取り上げますが、エヴェン・アレク
サンダー氏は、著書の中で、臨死体験中
になんども音楽を聴き、またそれは目で
見えるものでもあったといいます。
ここでの見える音楽というのは、視覚が
優れているという意味ではなく、高次の
意識では目の視覚は働いていません、
もちろん肉体の機能が停止している
アレクサンダー氏についても同様です、
それではなぜ音楽が見えていると証言
しているのかというと、高次の意識の
世界では、五感は全て一体のものに
なっているということなのです。
ただ、五感の中でも物質的感覚のより
強い嗅覚や味覚はほとんど働きません。
とにかく、今回は音楽が異次元世界へ
の移行の時に経験する重要な特徴である
ことを紹介しました。

また高次元の意識に近づくためには、
あんみんの紹介するバロック音楽
聴くのもお薦めですよ。
癒やしを感じたら、高次元に入り込ん
でいるということです。

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臨死体験者の言葉その5改     臨死共有体験の共通要素その3


とびとびになっていますが、今日は
臨死共有体験の記事の再投稿です。
(試験的に前回と同じタイトルでアップ
してみます。ただし、動画などを加えて
加筆しての投稿です。で、前回の
記事を削除しておきます。)

臨死体験が個人的な経験というだけ
ではなく、その場に居合わせた人も
巻き込む臨死共有体験という事例が
数多くあり、まさに客観的な事実だと
いう事が真実である事を裏付けて
います。

今回の記事は前回と違い、アヤフアスカ
を服用した時に両目が光るという動画は
いくつもアップされていますが、その中
の二つを一番下に貼り付けておきました。
長いので、その両目が光っている部分は
35分くらいからなので、一気にそこから
見ていただいたらいいかなと思います。

要するに臨死体験者や共有体験者の見た
光というのは、松果体が内側から光って
目が光っているので、本人に見える光
とほぼ同じものだという事になります。

では以下が元記事です。

今回は臨死共有体験の共通要素である
「神秘的な光」についての紹介です。

神秘的な光というのは、臨死体験者本人
の証言として、数多くの証言者がいて、
自分自身をあたたかく迎えてくれる
高度な存在のように思える光とか、
守護霊や天使のような存在の光とか、
惹きつけられるようなあたたかさと
愛情に満ちた意識を持った神々しい
光とか、目もくらむような輝きを
放っているのにも関わらずまぶしく
ない光などと表現されているものです。
肉体を離れた生命や意識に対して、
懐疑派や否定派と呼ばれる人たちは、
それを、頭の中の幻影だといって譲ら
なかったが、それが臨死共有体験の証言
によってもろくも崩れ去ったということ
になるのです。

つまり脳内の現象ではなく、客観的な
現実である事が、動かしがたい事実で
あることが証明されたということに
なるのです。
科学者はそれでも実験室で、繰り返し
証明されなげれば事実として認められない
などという人も多いですが、それならば、
ビッグバンなどのように、机上の仮説で
しかも反証が多く観測されているのにも
関わらず、いまだに公式見解と教育に
おいて真実だとされているような事が、
矛盾していることになります(^_^)
さてそんな臨死共有体験者の証言の
事例を集めておられるレイモンド・
ムーディー氏の著書「臨死共有体験」から
引用させていただきます。

“その光は「水晶のような光」と呼ばれたり
、「清さと愛と平安を発する光」と表現
されることもある。ある人々はまた、
この光はそうした清さや愛や平安を脈々と
伝えるとともに、それに深さと真剣さが
感じられたという。
 これは、通常の物理的な光ではない。
それは人の知恵と霊的成長を促す光であり、
神秘的な光である。ある女性はこの光を
こう表現している。
 「母が亡くなったとき、そこにいた誰もが
、部屋が『天使的な光』に満ちているのを
見ました」
別の女性は、10代の息子の死を腕の中で
看取ったとき、こう述べている。
「光を目撃したことは、あたかも雲の中へ
自分が引き上げられたかのような感覚
でした」
また妻の死を看取ったある男性はこう述べて
いる。
 「部屋の中がまばゆいほど光輝きました。
自分のまぶたを閉じても、光を妨げないほど
まばゆかったのです。しかしその光は快い光
でもありました。
光の中に私は妻を感じることができたから
です。彼女は肉体的に死んでしまったとは
いえ、霊において彼女は私と共にいたの
です。」
 この男性は光について、
「強烈で明るく輝いていました。しかし、
肉眼で見る光とは異なるものでした。」
と語っている。
 一方、ときには死にゆく者の両目が光って
見えることもある。これは半透明で見える
光り輝きと表現されているものだ。”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディ/ポールペリー共著
堀 天作訳  ヒカルランド刊”

この本では、このあと実例のエビソードを
いくつか紹介していて、まさに神秘的な光を
見ることは、客観的な視点によっても現実的
な現象である事を強固に裏付けてくれて
います。
まずこの光は肉眼で見える光ではないという
証言がありましたが、しかし確かに光って
見えたというのは、単なる心理的な効果で
はありません。やはりこれも霧や雲と同じく
プラズマ現象の一種だと思われます。
プラズマは自ら光りますし、エネルギーの
原初形態なので、やはりこのような超常
現象には、高次元のレベルにあるものを、
現実的なものとして捉える時に感知
される状態なのです。
しかし雲の状態よりも、エネルギーレベル
が高いもので、より愛や平安、そして清さ
が感じられる、高次元の意識の存在である
と考えられます。
それは亡くなった肉親の霊などといわれ
たり、天使のような存在といわれたりし
ますが、臨死体験者が光と一体になった
という証言も複数あることから、この光
は、高次の霊的なレベルの意識である
ばかりか、究極の高次の自分自身だという
見方もできると思います。
つまり究極でいえば、全てが一体の意識
だということです。
また死にゆく人の両目が光るというのは、
松果体が、その光を感知した場合、脳内の
中心にある松果体そのものが光るため、
両目が光って見えるのです。
これは、アヤフアスカと呼ばれる異次元を
感知するための飲み物を飲んだ人の両目が
みんな一様に光っていることをみても
わかります。
高次元に意識が上昇すれば、松果体が反応し
両目がその内側からの光を反映して光った
ように見えるのです。
私あんみんも、体外離脱を経験した時、身体
が黄金色に光り輝くのを実感しましたが、
それは確かに自分自身の身体がそのように
光り輝いていたと、今でも確信しています。
とにかく、臨死状態にいる人の意識が、
肉体を離れるにあたって、高次元のレベル
に上昇する時、光の存在にあったり、
両目が光ったりするのを、そぱにいた人
が目撃できたのは、まさにそれが現実的な
現象であることを証明していることに
なります。
そのような証言をしても何も特にならない
ばかりか、証言者はそれを主張したいわけ
でもないことが、証言の内容からも明らか
な上に、お互いが示し合わせたわけでも
ないのに、ほぼ同じ現象を報告している
ことからも、間違いのない現実である
ことを裏付けていると思います。
臨死共有体験の共通要素についてはまだ
続きます。

でアヤフアスカを服用して高次の意識を体験
している時に両目が光っている様子が、よく
わかる動画の二つが以下です、
一つ目の動画は、35分くらいから数分の
女性の目を見ていただければ一目瞭然
ですね。

Ayahuasca – Vine of the soul
(Documentary)

それか、この動画の11分前後か
普段から物質的次元に意識が囚われている
人ほど苦しむ傾向にあるようです💦

12 – Ayahuasca Experience – Shamanism –
Other Worlds – Ayahuasca Documentary Bonus

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超意識覚醒を何度も経験しているすごい人の話


ツィッターで最近、覚醒した意識の人と
つながる事が多くなってきました。
まあ私の記事がそういう話題なので、
集まってきてくれるのか、自分によく似た
感覚だから引き寄せるのかはわかり
ませんが、とにかく自分より格段に覚醒
レベルの高い人たちが、集まってきて
くれてます。
すぐに思い浮かぶのが、
みちすけさん、ゆきんこさん、そして今回
ご紹介するレイキぶどうさんです。
(すいません他にもたくさんおられます💦)
ただこのレイキぶどうさんは、ちょっと
規格外というか、ブログで自身の体験談など
を紹介しておられるのですが、超常体験や
超常現象そして超常能力が日常ともいうべき
状態で体験されている方です。

今回はそのほんの一例ですが、私たちの本来
の潜在能力の凄さのいったんを見せてくれる
体験についてのお話です。

数10年前から救急隊員を仕事にして
おられた時代の話ですが、いきなり1年目で、
超常体験をされることになります。
即死ですでに死亡状態の男性の現場に
立ち合った事で、その恐怖心から、男性の
残存思念の霊のようなものを自宅につれて帰り
、眠っている途中で金縛りに遭い、自分の
みぞおちに出現したその霊と、実際に格闘して、
最後に「出てけ!」と男性を強く押して
なんとか、追い出す事に成功したものの、
その男性に足首を捕まられて、数10センチ
もひっぱられたあげく、その男性の爪痕まで
足首に残されたという凄まじい体験をして
おられます。
つまりその時にすでに、霊が実体的な力を
持っている事、また自分の意識とのつながり
ができれば、実体化させる事ができると
いう事まで、実体験で理解されたという
事になります。
救急隊員どうしでは、わりと起こることでも
あるらしいですが、看護師が患者の死に立ち
会う事が多いため、霊体験や臨死体験の
事例を多く経験するのに非常によく似ている
ともいえますね。
ただ恐怖心などのネガティブエネルギーは、
やはり似たような意識レベルの霊や思念を
引き寄せてしまう事の好例でもあります。

そしてまた救急隊員二年目に、今度は
レイキぶどうさんは意識の覚醒体験をする
事になります。

そして救急隊員二年目での、超常体験を
レイキぶどうさんのブログから引用させて
いただく事にします。
現場にかけつける救急車の運転をされて
いた時の話です。

「」内が引用で が中略です。

「物質の形を変えた話

ある程度救急隊員生活にも慣れてきた
2年目のとある日の夜、
またまたCPA事案の出動指令が入った。

現場は小高い丘の住宅地の中。
救急車1台ギリギリ通れるか通れないか
そんなところだ。

1隊3人体制で、1事案ごとに
救急車運転→助手席アナウンス→患者さん
対応を回していたのだが、
私はその時たまたま運転手だった。

救急隊員はアドレナリンジャンキーだ。
ほぼ間違いない。

CPA事案ということで、
いつも以上に氣合が入り、
すぐに私の脳内には
アドレナリンが駆け巡り、
普段はない能力が発揮される。

視界は狭まるが、よりクリアに見え、
暗い道もはっきりと見えるようになる。
時間はスローに感じる。
そのため、結構なスピードを出して
狭い道を走っていても、
ぶつからないのである。

というよりも、何故かいつもより
道幅が広いような氣がしていた。

助手席に乗っていた小隊長の話によれば
私が運転していた道路は
サイドミラー横に
それぞれ5センチの隙間しかなかった
らしい。

普段心配性の小隊長も
私の運転に氣を揉むことなく、
現場に早く到着することに集中していた。

そして、現場到着。
患者さんは心停止すぐで蘇生の可能性が
あった。
AEDを装着すると、ショックが必要な波形で
私たち隊員のテンションは更に上がる。

その患者さんは、意識は戻らないものの、
幸いにもショック1回で心臓が再び動き
始めた。

こうなれば、いち早く
救命センターに搬送しなければならない。

私たちは患者さんを救急車に乗せ、
普段は狭すぎてあまり通らない道を通って
救命センターへ向かった。

ところがここでも不思議なことが起こる。
なんだか道幅が本当に広いのである。
もしくは救急車の幅が狭まったのである。
ハリーポッターに出てくる3階建てバスの
ように。

そして、普段は曲がれないと思っていた
狭い曲がり角を左に悠々と曲がって
救命センターへと続く大通りに出ていった。

患者さんは無事救命センターで蘇生し、
その後見事社会復帰を果たした。

さて、ここで不思議に思った
私と小隊長。
私は一体どうやって車体に傷一つつけずに
あの角を曲がったのだろうか。

後日、そのことを確認するために、
その曲がり角を救急車で訪れた。

いわゆる実地調査である。
なかなか曲がれないのであれば、
今後はその道は使わない。

私が、まずその角を曲がってみる。
5回くらい切り返してやっと曲がれた。
あの夜、1回で曲がれたのは奇跡だ。

次に運転の腕に自信のある小隊長が
今度は自分がやってみると言い出した。
すると、小隊長でも3回切り返してやっと
曲がれた。
切り返しなしで曲がるのは無理だという。

しかも、前回よりも道幅が狭く感じる。
私たちは再度チャレンジしてみたが、
やはり1回で曲がることはできなかった。

不思議である。

そのため車載のゼンリン地図に、
要・切り返し
と赤ペンで書き込む羽目になった。

小隊長とその後も話していたのが、
たまに、
こういうことが起こるというのだ。
道が広くなっているのか、
救急車の幅が狭まっているのかはわから
ない。

でも、トトロの猫バスが走るときのように、
周りの木々がささーっと避けてくれる
ような、そんな感覚を味わったことは
出動中、特に心肺停止事案であるらしい。
しかも、その患者さんが
助かりそうなとき。

その時は、不思議なこともあるもんだ
くらいにしか思ってなかったけど、

今考えると、からくりがわかるのが
面白い。
人生の謎解きが始まったみたいだ。

私たちの脳の力、意識の力、
潜在意識の力、
患者さんが生かされようとする
宇宙からのサポートの力、
全てが揃った時に、奇跡は起こる。

そして、私たちの意識は
物質の形も変えることができるという
ことだ。」

“出典:「Reikibudo’s blog」様
意識と霊と物質の形を変えた話より”

おもいっきりそのまま引用させて
いただきましたが、とにかく緊急事態
で、患者さんの命を救いたいという一心
が生んだ、超常体験というか、超意識覚醒
体験について、とてもわかりやすく紹介
しておられます。
レイキぶどうさんは、先天的にこういう
高次元の意識につながりやすい体質という
か特質の持ち主のようで、このような
事をいくらでも経験されているようです。
ここで、超意識を覚醒させるための
きっかけとなったのが、患者さんを救い
たいという愛が根底にある意識、そして
一刻を争う緊急事態であるという事での
集中力と没我没頭の状態。これが超意識を
覚醒させるひきがねになったと見てほぼ
間違いないと思います。
そして、まったく余裕のない道幅を切り
替え無しで、走行してしまうというふだん
ではありえない能力につながるのですが、
これをレイキぶどうさんは、物質の形を
変えたと表現しておられます。
これは私たちが物質の世界にいるという
日常の感覚での表現なのですが、実際に
我々がいるのは、思念のみの意識の世界
なので、つまり物質の影響を受けない
レベルに車ごと移行させる事ができた
という事でもあるのです。
もちろん車内にいた他の救急隊員の方も
ひきつれてという事で、まったく個人的
な体験ではないという事でもあります。
要するにレイキぶどうさんの意識一つ
で、巨大な救急車を物質の影響を受け
ない、高次の領域に移行させる事が
でき、道幅の影響を全く受けないと
いう超常能力を実現させたという事なの
です。
私の解釈としては、このようになり
ますが、事実物質が変形したというよう
に捉えても、間違ってはいないと思い
ます。
現実の全てがそうであるように、どちらも
意識の投影の仕方を解釈しているだけ
なので、どちらでもかまわないのです。
ただそういう意識レベルに移行できた
という実体験を紹介できるレイキぶどう
さんの意識レベルはとてつもなく高かった
という事だけは確かだという事です。

今回の事例を取り上げたのは、私の
これまで投稿した記事に酷似した内容が
ある事に思い当たったためです。

それは
意外に簡単「超意識」の覚醒!
という記事ですが、あらゆる超常体験
事例などを著書で紹介しておられる
コリン・ウィルソン氏が、自身の超意識
覚醒体験について語ったというものを紹介
しています。
コリン・ウィルソン氏が、大雪に見舞われ
て、道路の端が全く見分けられないような
状態で運転して、いつでも脱輪や横転事故
を起こしそうなところを超覚醒意識に
なった事で、乗り切れたという話です。
難易度はレイキぶどうさんの話の方
がすごいと思うのですが、この時に
著者のコリン・ウィルソン氏は、
頭蓋骨の中に白熱を感じ、その白熱
をコントロールする事もできて、
とてつもない集中力を発揮する源に
なったといっておられるのです。
つまり超意識の自覚症状というもの
ですね。まさに緊急事態が引き起こ
した、集中力がきっかけとなった
ようです。

そういう状態の時に普段よりも高い
能力が引き出されるという点では
レイキぶどうさんの話と共通する
ものがあるし、
緊急事態に臨んでの集中力という
点では、また同じです。
このことは逆にレイキぶどうさん
の意識が超意識として覚醒したという
事も証明しているのだと思います。

要するに超意識を覚醒させるためには、
没我没頭にいたるような集中力と、
強く望みなどを現実化するための
イメージ力どが必要だという事ですね。

まだまだいくらでもこのような超常
体験や、超常能力の話をレイキぶどう
さんは、紹介してくれているので、
研究家の私にとっても本当にありがたい
存在です。
大感謝ーーー!
というわけでレイキぶどうさんから
クレームがなければ、また彼女の
エピソード紹介させていただきたい
と思いまーす(^^)/

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あんみんは何故人を褒めまくるのか?  それは全てと一体だと理解してるから


去年の9月からあんみんという
ハンドルネームはそのままに、
ツィッターに参加させていただいて
ますが、私が人を手放しで褒め
まくっているのを知っておられ方も
多いかと思います。

人よっては「媚びているだけ」とか
「ウソくさい、信用できない」とか、
「ブライドなさそう、自分に自信が
ないから人を褒めるしかない」
などと思う人もいるでしょう。
ですが、これ全部当てはまりません!
そもそも私の記事をご覧になった方
は、ご存知の方も多いとは思いますが、
たいてい、世の中の多くの人の常識
やら考え方に対して、逆と思えるよう
な事をどんどん書いて、提唱しています。
つまり媚びてはいません。まわりに
合わせて自分の主張を変えるようだと、
神秘メッセージなんかは、一つも
書けないでしょう。
つまり反感をもたれたり、反発を食らう
事を覚悟の上で書いているので、決して
媚びて迎合しようとしているわけでは
ないのです。
ただし、相手の考え方や感性をとても
尊重したいという気持ちも働くので、
柔軟な対応はします。

そして、相手の長所や言葉を称賛する
のが、何故媚びる事になるのか、その
ひねくれた感覚そのものが私にはわかり
ません。
自分に対して敵意や邪心などがない限りは、
基本的に自分と関わりのある人に対して
全員親近感を持つタイプなので、それを
表現するという事は、相手の良いところを
見つけて、褒めるという事につながるわけ
です。つまりは親近感という名の愛情行為
というわけですね。
だから「媚びている」わけではありません。

そしてまた「ウソくさい」というような
言葉もまた全くあてはまりません。
自分を、全ての人と一体であると自覚して
いる私は、全ての人は、つまりは自分でも
あると思っていますので、要するにその
人とつながっている自分もまた誇りに
思えるから、心の底から、相手を褒める
事ができるのです。

要するに多くの人は、個人は、孤独で
分離しているものだと、思っているため
自分とは違う存在である他人に対して、
相手が喜ぶような事をいうのは、本心
から出ているのではないと思いがちなん
でしょうねー(^^)💦
でもたとえ、分離していると考えても
相手への愛情や友情、また親近感が
あれば、本心から人を褒める事は自然の
はず、つまり「ウソくさい」などという
人は、人への情が欠落しているのだと
思いますが、現代の日本人にもそういう人
が多くなってきているようにも思えます。
そうそうサイコパスというようなタイプ
の人ですね。

さらに「自信がなさそう」というのもまた
完全に誤解していますね。
要するに本来の意識が「全てと一体が自分」
と認識しているというのは、つまりは全て
である自分以上のものは存在しないわけで、
当然とても大きな不動の自信を持っていると
言う事なのです。
しかも神秘メッセージの一連の記事でも
説明しているように、全知で万能の意識と
一体なのが自分という事になれば、これ
以上の自信があるでしょうか?
ただしそれは、本来の自分という意味で
あって、つまりは全てと一体になって
いる自分の本体である「意識」の
レベルではという事です。

もちろん、それは全ての人が、自分と
同じく、全てと一体で、全知万能の存在だ
という事も同時に認識しているので、傲慢
にもならずに、謙虚でい続ける事ができる
という事なのです。

ただし肉体として、人からみられる
個人としての自分にそんな自信が
あるわけではありません。ていうか、
それは、架空のまたは囚われた感覚の
仮の自分なので、今度はプライドなど
持つ必要がないのです。
もちろん、全てと一体であるという事も
事実なので、そういう意味では自信を
持ちますが、分離された個人という意味
で、自信を持つ必要はないという事です。

要するに相手を褒めまくる事ができる
のも、相手の本質が万能で全知の意識で
全てと一体である事を確信している
ので、それとつながっている存在に
対してなので、いくらでも褒める
事ができるし、本質の意識として相手
と一体だと知っているので、当然
親近感を持つ事ができて、愛情表現
として、心の底からの言葉として
相手に伝えようとするわけです。

もちろん相手の個性や特質も全てと一体
である意識の表現のあらわれとしてみる
ので、とても貴重なものでもあるという
事も同時に意識しています。
(この場合も私もですね)

また相手が、自信を失っているような
時には、相手の本体が、全知万能の
全ての意識と一体だという事を理解して
いるので、その人の考え方や意識に合う
ような言葉で、相手に自信を取り戻して
もらうようにするわけなのです。

しかし、さらにしたたかに私は、これが
最高の自己暗示方法だという事も知って
いるのです。
というよりわりとスピリチュアルに詳しい
人なら誰でも知っているいることですが💦
相手を褒めるという事は、自分を褒める
という事と同じ効果を生むのです。いや
さらに効果大かもしれません。
というのも、潜在意識のレベルでは、褒める
という事に対して、自分と他人の区別なく
一体という認識で受け止める事に、なるから
なのです。
つまり、相手を褒めると自分も褒められて
いると潜在意識が錯覚してくれるという
わけなのです。
そしてまた相手への親近感や共感、情などが
やはりポジティブなエネルギーとして加わり
ますので、自分を褒める時よりも効果的な
自己暗示になるという事なのです。

なんだか、かなりいい奴だったのに最後の
最後に自分かー!とかいう人、自分を
愛する事が一番なのです。自分を愛せない
人は他人を愛する事はできません。
なぜなら、自分と他人は本来一体のもの
なのですから(^^)/

というわけで一体感をより味わうためにも、
こちらをよろしくお願いします(^^)/

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