どこまでも自由で解放された感覚!    私たちが永遠で一体である事の証明その3 


エベンさんとの比較でアニータさんの
臨死体験を振り返ってみますが、
今回はその第3弾という事です。
今回はアニータさんが、肉体から解放
されて、どこまでも自由になれた
という感覚を得ますが、エベンさんの
臨死体験は、アニータさんのように
まず自由ではありませんでした。
最初泥の世界で完全に不自由な状態で
まわりの状況に恐怖や不安なども
感じていたようですが、なんとか
音楽をたよりに天界へ上昇して
いけましたが、しかしそれでも
天使のような存在に導かれるまま
に従ってさらに高い領域にいったり
また天使のいった通り、もとに勝手に
帰されてしまったり、勝手に落ちたり
します。音楽だけを頼りにまた上昇も
できますが、また勝手に落ちたりして
どうにも不自由な状態であったのです。
それに対してアニータさんは、絶対意識
領域にいけるレベルであったことから、
どこまでも自由だったという感覚を
得たのでした。
またこのアニータさんの至福や開放感
といったものは、テイラー博士が、
味わった右脳の感覚とまた同じだった
という事を今回紹介しています。

ではアニータさんの証言です。

「」内が引用で、~が中略になります。

「私は、周囲で起こっていることに十分気が
ついてました。
あらゆることが同時に起こっているよう
でしたが、自分が何かに注意を向けると、
それが瞬時にクリアに感じ取れました。
 (中略)
私は、病院のベッドに死んだように
横たわっている自分の身体に対して何の
愛着も感じてはいませんでした。それは
自分のもののようには、思えませんでした。
今、私が体験していることに比べれば、
あまりにも小さく、つまらないものに
見えたのです。
私は、自由で解放されたとても素晴らしい
気分でした。苦しみや痛みや悲しみも、全て
消えていました。
もう何も私を妨げるものはなく、こんな
ふうに感じたことは、人生で一度もありま
せんでした。
癌にかかってからの四年間は、まるで自分の
身体の囚人のようでした。けれどやっと
それから解放されたのです。
私は初めて自由を味わっていました。無重力
みたいに、自分がどこでも行けることに
気づき、それが普通のことのように感じられ
ました。まるでこれが物事を認識する本当の
やり方にも思えました。」
  
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

さて今回のこのアニータさんの体験は、
以前右脳の驚異の力編
取り上げた記事にも似たものがありました。
そうです左脳の機能が停止して、右脳だけの
機能しか働かなくなったジル・ボルト・
テイラー博士の体験と酷似しているのです。
彼女は左脳から解放されることにより、
肉体に囚人としてとらわれていた感覚から
解放されたアニータさんと同じような
体験をしていたのです。
テイラー博士の体験をもう一度引用させて
いただきますね。

“そこは本当に素晴らしい世界なのです。
外の世界と自分をつなぐ一切のしがらみ
から完全に切り離されているのです。
想像してみてください、仕事のストレスが
すべて消え、体が軽くなることを。
外の世界とのすべての関係、ストレスの原因
がなくなるのです。平和に満ちあふれた世界
です。
37年間ものさまざまな感情の重荷から解放
されるのです、どんなにそれは素晴らしい
ものでしょう、ああ!”
“出典:「logme ログミー
世界をログする書き起こしメディア」様”

このようにこの解放された感覚は全く同じ
ですね。
もちろん絶対意識領域に入ったアニータさん
は、さらに高い意識レベルに到達して
いますが、左脳から解放されただけで、
テイラー博士は、ニルヴァーナ(涅槃の世界)
にいるようだといっているのです。
つまり私たちは、左脳的な感覚を意識的に
抑えることができれば、右脳が経験する
解放された意識状態になれるという事を
意味しています。

またアニータ女史がいうように、自分自身は
肉体から離れても存在し、またより覚醒
した状態の意識になることを証言してくれて
いるのです。もちろんテイラー博士も
肉体を外から眺める巨大なクジラのような
意識として自分が存在していて、自分が
あまりに小さな肉体に再び戻る事は不可能
だと思ったと語ったおられます。
つまり我々は永遠の存在で、さらに肉体は
自分のとらわれた意識が入っている入れ物
にすぎず、本来の実体である意識は、
とてつもなく巨大だということが、この
タイプの違う体験をしている二人の証言から
読み取れるのです。

私たちは肉体そのものを自分自身だと
思うように常識として、教育やマスコミに
思い込まされてきました。しかし、それは
真実ではなかったという事なのです。
日本人でも昔の人であればあるほど、その
真実を理解していた人の割合が多くなり
ます。
それは明治に入って、西洋の唯物論的教育
(つまり大間違いの教育)が普及したこと
により、だんだんと失われていったという
ことなのです。
また公式の科学的見解も唯物論的解釈を
ベースにしていますので、マスコミは
それに従うことを基本にしています。
しかし、量子物理学が発展してきた事に
より、世界の科学的認識は、公式見解とは
裏腹に大きく転換しかけています。
日本人には、なかなかそれが浸透しない
ようにマスコミや教育で方向づけられて
いるので、そのような概念はほとんど
広まっていません。

我々は、肉体という物質的存在ではなく
意識そのものという存在だったのです。
これを理解するだけでも、私はずいぶんと
解放されました。
みなさんも永遠の意識という存在である
事を知って、人生を貴重な体験として、
逆に味わい深いものとして受け止める
事の方が、豊かに生きられると思います
よ。少なくとも生き延びるために悲壮感
を持って生活をするのでもなく、死の
恐怖におびえるでもなく、老いて全て
が終わるような虚しさからも解放される
というわけなのです。
このような知識がいかに、私たちにとって
貴重かわかっていただけましたで
しょうか?
次回のこのシリーズでは、アニータさん
のさらなる高い意識レベルの体験を
ご紹介します。(^_^)v

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
おかげ様で上位継続中です💦

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私たちが永遠で一体である事の証明その2 アニータさんとエベンさんとの比較


今回またエベンさんの臨死体験との
比較という事で、アニータさんの臨死体験
の記事を振り返っていますので、エベン
さんとの比較をやはり付け加えていった
方がわかりやすいと思うのです。
臨死体験にレベルもへったくれもあるかい
とあまり普段から考えないように方向
づけられている人には、思うでしょうが、
大きく違いがあって、それは意識の
レベルによって様々な程度に分けられる
ものなんです。
それはクラシックや演歌を知らない人が
みんなおんなじに聴けてしまうといって
いるのと同じです。右脳で音楽と捉えず
メロディーを単なる音として解読するなら
確かに同じようにしか聞こえません。
つまりそういう人と、臨死体験の話を
右脳が感応できない人は同じだという事
なのです。

さてそういう意味でアニータさんが
絶対意識領域にいけたという臨死体験と
そこまで到達できずに、天界と泥のような
世界をいったりきたりしたエベンさんの
臨死体験とは明らかに、大きな違いがある
という事なのです。
そして今回取り上げているアニータさんの
臨死体験の特徴は一体感ですが、身体を
離れて拡大意識に入ったアニータさんは、
肉体にある時とは比べ物にならないくらい
明晰な感覚になり、普段感じないまわり
のあらゆる事が、とてつもなく大きな視点
で観察できるようになったという事です。
しかも、まわりの人の気持ちも手に取る
ように、むしろ自分の気持ちであるかの
ように感じられ、一体感を味わえたと
いう事ですが、エベンさんの場合は、
明晰な感覚どころか、泥の世界で単細胞
生物になっかのように、自分が何者で
どこにいるのかもわからず、それさえも
どうでもいいような、無気力な状態に
いたという事で、当然明晰な感覚で
まわりのすべてとの一体感も味わえて
いたアニータさんとは、比べようも
ないくらいの不明瞭な意識のどんより
した感覚だったという事なのです。
という違いかあるという事を頭に入れて
おいていただいて、以下が元の記事に
なります。

前回のアニータさんの証言その1で、
アニータ・ムーアジャニさんが、臨死体験
でもまれな、絶対意識領域に入る事が
できたという事で、その体験を自身が
語った著書から引用しながら、考察を
加えて紹介していこうとシリーズ化
しました。
今回はその第二弾という事になります。

以下はアニータさんの著書からの引用
抜粋とそれについての私の考察という形
で進めていきます。

 ~以下引用~

人々がやってくるたびに、それが誰で、何を
しているのかわかりました。目を閉じていた
のですが、自分の周囲で起こっていること
だけでなく、それ以外のことも詳細にわかる
気がしました。
私の知覚は、今までよりもはるかに鋭く
なっていました。
あらゆることがわかり、理解できるよう
でした。
それも実際に起こっている出来事だけでなく
みんなが感じとっていることについても
です。
まるで、一人ひとりの中を見通して、
感じられるようでした。
そして、私の現状に対する彼らの恐れや絶望
やあきらめがひしひしと伝わってきたの
です。
 
   ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

さて拡大された意識になると自分の肉体に
収まらない意識は、まわりの人々の意識
とも一体になるのです。
つまり自分がまわりの人々の意識も自分
のものとして体験できるという事です。
ここで重要なのが、彼女はすべてのもの
になっているということです。
全てのものであれば、これまでとは違って
ありとあらゆる外界だと思っていたもの、
そのものになりその意識も感覚も感情も
自分自身のものになるという事なのです。
だから一人一人の中の意識を、自分自身の
感覚として感じ取れるようになったという
ことです。
ここで、私たちが、日常の状態から、
高次の意識を体得しようと思えば、
共感や共鳴などの意識が重要になって
くるのです。
つまりアニータさんが体験したような
意識状態を、意図的につくり出せる
という事です。
共感も共鳴も、同調も同情も人々と意識
を共有している状態なので、一体感を
味わえる高次の意識の状態に近づくの
です。
そうです、よくコンサートなんかで、
会場中の人々が一体感を味わったり
しますが、それはその高揚感が高次元
の意識につながり、至福の状態になれる
という事を意味します。つまりは、
その一体感が、人々をコンサート会場に
足を運ばせる大きな理由の一つになって
いるのだと思います。
私たちはこのようによく一体感という
言葉を使いますが、それがあたたかい
感情をともなった共感や共鳴として
働くと、レベルの高い意識状態に近づ
きます。
なぜなら、多くの臨死体験者がいうよう
に、愛と知識が私たちの本来の実体に
とって重要だからです。
そこから派生する感覚として、相手の
立場で、感じ行動する事も大事な事に
なります。
これらは、高次の意識レベルに到達する
ために、非常に大きなきっかけに
なります。
逆に、疎外感や孤独感、分離意識、利己的
な意識や感覚、排他的な感情や意識、敵対的
な感情や嫌悪感などは、その逆に
高次元の意識から離れる事につながる
というわけなのです。

また長くなりすぎないうちに次回に
まわす事にします。
では(^_^)

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ワンネスを何度も体験するシャムルワさん!


さて前回のシャムルワさんの歓喜に
あふれたワンネス体験の続きです。

また本山よろず屋本舗様から転載
させていただきますね。

シャムルワ氏の体験の続きです。
ワンネス体験の核心に迫っていきます。

「」内が引用で、~は省略部分です

「 ・・・<『ワンネスの扉』、
p96~p102から抜粋開始>・・・

 ワンネスの体験

 当初、こうした体験をどう解釈して
いいかわからず、勝手な呼び名をつけて
いた。それは「宇宙の躍動を感じる体験」
から、「現実を一瞬かいま見る体験」に
まで発展していった。長いネーミング
だが、その体験に名前をつけるとしたら、
ほかに呼びようがなかった。
「現実を一瞬かいま見る体験」は「生」
「生きることの美しさ」から始まる。
その美しさは、大きな悲しみと大きな
喜びが一つになったような不思議な
美しさだ。悲しみと喜びが一つに統合
され、日常生活ではとうてい感じられ
ないほどの圧倒的な力強さで心に押し
寄せてくる。胸がとても苦しくなる。
苦しいのに、生きるとはなんと尊い
体験なのかと、あふれる思いに
感極まって涙がとまらなくなる。
そして「時間」と「私」が同時に
消滅し、目の前に広がる現実が心の
目で見えてくる。
 「私」がなくなった心でまわりを
見渡すと、そこには「愛」「美しさ」
「悲しみ」しか見えなかった。テーマは
「生」への愛。この愛は、「私」が
「生」を愛するのではない。
「愛=宇宙=わたし」だった。目の前を
歩く人たち、犬や猫、目に映る生きとし
生けるもののすべてが自分と別の「個」
ではなくなり、パリ、フランス、地球
など、ありとあらゆるものが自分の
ハートとなり、やがて宇宙と一体に
なっていく。喜びや楽しさばかり
ではなく、悲しみや痛みも同時に
感じる。でも、感じているハート
そのものが美しいのだ。

 この体験は繰り返し起こった。
週に一回が二回になり、毎日になって、
ついには一日に数回と、どんどん頻繁に
なっていった。場所や時間にかかわらず、
それは唐突に始まる。スーパーで買い物中
だったり、横断歩道を渡っている途中
だったり、家でレポートを書いていたり、
道を歩いたり地下鉄に乗っているとき、
突然なんの前触れもなく起こった。
 はじめの頃はそれほど心配しなかったが、
そのうち日に何度も起こりはじめると
日常生活に支障をきたすようになった。
いくら宇宙との一体感が素晴らしいとは
いえ、スーパーで買い物をしているときに
この感覚に圧倒され、涙が出てきてしまう
のには困った。まわりの人の目が気に
なった。
 いったいこれは何なのかと何度も
インターネットで調べてみたが、適切な
検索ワードすら見つからない。
「非常な喜び」とか「素晴らしい感覚」
などと入力してみても、この現象に
結びつくような記述はどこにも見当たら
なかった。僕が体験しているこの現象は
きっとほかにも誰か体験しているはずと
思っていたところへ、日本の友達から
メールが届いた。日本で
エドガー・ケイシーのリーディングを
広める会社を経営し、スピリチュアルな
生き方や健康に関するメルマガの配信も
している菜央子さんという女性から
だった。彼女とはある友人を介してその
年の9月にパリで知り合ったばかりで、
街を案内したりベジタリアンの
レストランを一緒に探したりしたが、
僕の体験についてはまだそれほど詳しく
話していなかった。
 ところがこのとき菜央子さんから
届いたメールには、彼女が書いた
メルマガと、おもにアメリカ人が体験
したスピリチュアルな現象の証言集が
添えられていた。読みはじめて驚いた。
それはまさしく、僕が体験している現象
と同じだった。

・地球の愛を感じる
・地球上のすべての人たちと一つに
なっている感覚
・「私」がなくなる感覚
(自己の消失)
・宇宙と一つになった感覚

 僕が体験したすべてがリストに
あった。とうとう同じ体験者の声が
開けた。安心感があふれてきた。
やはり僕は気がふれたわけじゃない、
よかった!
 なにより、この現象には名前があった。
「ワンネス」。ほかにも「宇宙との一体感」

「至高体験」、「覚醒体験」、
「自己超越体験」など、さまざまな
呼び名があることを知ったが、僕には
「ワンネス」が一番しっくりきた。
体験から見た場合、「宇宙との一体感」
には位置を優先するようなニュアンスが
ある。スピリチュアルな意味合いを含む
「ワンネス」のほうが体験から学べる
内容をはっきり表わしているので、
僕はこの呼び方が好きだ。
 菜央子さんからのメールを読んで、
僕はユーレカを感じた。ユーレカとは
エウレカともいい、アルキメデスが
「発見の喜びの瞬間」に叫んだとされる
言葉だ。きっそくそう返信したところ、
彼女によるとワンネスはふつう人生で
何度も起きない体験だそうだ。僕はほぼ
毎日二、三回か、週に数回という体験が
続いていたので、変だなと思った。
それを彼女に伝えると、こう聞かれた。
「ほんとう? ワンネス体験がもう何度も
起こったの?」と。「宇宙との一体感」
または「自己の消失」を体験しているのは
確かだと思うが……。でも、体験は何回
どころではなく頻繁にずっと起きている、
というのはなんだか気恥ずかしくて言い
出せなかった。

 ワンネス。僕が体験している現象に
やっと名前がついた。
 僕の「現実を一瞬かいま見る体験」
は「ワンネス体験」になった。
 ワンネス(One-ness)--すべて
と一体となっている状態。確かにこの
英語の名称はふさわしい。自分の
母国語、フランス語ではなんと
言えばよいのだろう。すべてが
一つになるという意味の
「unicie(ユニシテ)」だろうか。

 ワンネスは脳では体験できない。
ハートで感じる。ワンネスは「愛」に
満ちあふれている。無条件で無境界の愛
だ。愛を感じる相手は、家族や友達なのか
見ず知らずの他人なのか、性別や年齢、
文化や人種にはまったく無関係で、さらに
は人か動物か、昆虫か植物か、生物か
無生物かも関係ない。地球で生きている
もの、存在しているもの、そのすべてに
愛を感じる。そこに恐れや疑いは一切ない。
 やがてその愛は地球を超え、宇宙にまで
広がり、宇宙と一体となる。
「宇宙=愛=わたし」となり、自分と
他を分けているものが無くなる。一つ
ひとつを区別できなくなる。

 ワンネス体験のはじまりは、愛だ。
愛は感動を生みだす。胸がいっぱいで
涙を抑えられない。その愛はハートを
つらぬく。アンプを調節すると音楽の
周波数が飽和するみたいに、
人間である自分がこの愛で飽和状態に
なる。ハートが愛で満ちあふれる。
この愛が、人間である僕の殻を破り、
それを超える次元の体験をさせる。
 この愛から学んだ一番大切なことは、
「私はあなた、あなたは私」。他者との
区別はない。それは頭で理解する
コンセプトではなく、身体で感じる
体験だ。「私はあなた、あなたは私」
という感覚が身体に浸透すると、
見ず知らずの他人を見ても自分が見える。
人が体験している人生に深い感謝が湧いて
くる。皆が一つの生命体のように、互いの
体験を重ね合わせているのがわかる。
 相手はただ違う自分であり、相手が
言うことなすことは、自分が言い、
なすことだ。
 これはワンネス体験がもたらす境地
のひとつだ。相手の目の中に自分が見え、
相手の声の中に自分の思いが聞こえる。
それは一対一の関係だけでなく、
自分対何万人という単位でも起こる。
脳で考えることではなく魂で感じること
なので、数はまったく関係ない。何万人が
体験して感じていることを自分の感覚
として感じたとき、それはバラバラな
はずなのに一つのハーモニーとなり、
ただただ美しかった。

 ・・・<抜粋終了>・・・」

“出典:「本山よろず屋本舗」様
       よろず屋寸話
     『ワンネスの扉』より”

最初は、背景となる知識がなくて、
自分の体験に驚いているだけだった
シャムルワさんが、なんと日本人の
女性である菜央子さんと出会って、
それが、他にも体験されているもの
だと知って安心します。
やはりいろいろな呼び名があるという
事は私たちも知っている通りですね。
至高体験や、自己超越体験、覚醒体験
ともいえますが、それらに対する
意識レベルの範囲は非常に広く
例えば、覚醒体験でもピンからキリ
まであるといった具合ですが、私の
いう絶対意識体験は、このシャムルワ
さんのいうワンネスとほぼ同じレベル
だといっていいと思います。

前回にもちらっといいましたが、
ワンネスでは、自分が宇宙の愛そのもの
であり、無条件の無限の愛であると
いう事です。
これはアイクさんやアニータさんも
いっている事と全く同じですね。

シャムルワさんは、宇宙との一体感と
ワンネスは違い、ワンネスはハートや
魂とも一体になっているという事
ですが、私が宇宙との一体感という
時もそのように、スビリチュアルなもの
として捉えていてシャムルワさんの
いうような位置の感覚はなく、時空を
超えて一体という解釈なので、一体感
という言葉をよく使います。
つまりワンネスという意味に対して
意図する事は同じだという事ですね。
これは言葉の文化の違いからきて
いるのかも知れませんね。
私が使う宇宙というのは、物理的な
時空の宇宙だけに限定されず、精神的
意識的な次元も含めての事だという
事です。

しかし、絶対意識をあまりに頻繁に
体験できる、シャムルワさんの意識
レベルはとてつもなく高い状態を維持
できているのだと思います。
しかし、常に湧き上がる歓喜に満た
されるレベルなら私たちも是非そう
ありたいと思いますね。

そうそうアニータさんも絶対意識と
ともに臨死状態から復活して、今
でもその意識とともにあるというから、
少し似ているところがあるのかも
知れません。

さて今回のエピソードで私たちの本来
の意識というものがどういうものか、
どれだけふだん真理から遠ざかって
いるかをわかっていただければいい
と思います。
シャムルワさんの今回の言葉は、その
まま私がこのブログで伝えたい事の
大きなテーマの一つでもあります。

そうそう、シャムルワさんも、こういう事に
精通している菜央子さんもベジタリアンと
いう事が、上の事からもわかりますよねー。
つまりワンネスを体験するのには、おそらく
肉食は邪魔だという事です。
もちろん個人差があるとは思いますが💦
そうそうこれは、食事が食べ物の波動を
受け取り、特に家畜の屠殺される波動も
摂取するため、犠牲的な波動、弱肉強食の
波動、分離意識の波動も得てしまうという
事は、また別の記事に書かせていただき
ます。

ではまた(^^)/

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です。💦

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健常な身体でワンネスを体験した人物  シャムルワさんの真実とは?


今回ご紹介するのは、ワンネス体験の
エピソードです。

今回は、あらゆる貴重な記事を長年
投稿し続けて、なんとすでに500
万アクセスを軽々と超えているという
マンモスサイトである
「本山よろず屋本舗」様からの転載
になります。

ワンネス体験をしたフラン人男性
ジュリアン・シャムルワ氏の著書
『ワンネスの扉』
(ジュリアン・シャムルワ著、
ナチュラルスピリット)
を読まれた事で、それをありがたい
事に、サイトで紹介しておられた
のを、また私めが転載するという、
転載の転載です。
すいませんややこしくて、いやせっかく
素晴らしいワンネス体験を臨死体験も
アワヤスカ服用もなしに、できた人の
話は必見だと思い、こちらのサイト
でも紹介させていただこうという
図々しい記事です。一応ちゃんと私の
見解も合わせておきましたので、是非
お読みくださいね。

さて長いのでかなり省略しながらの
引用転載になると思いますが、とにかく
是非健全な肉体を持った人のワンネス
体験をご覧ください。

この引用の前の部分で本山さまの、
ハートチャクラが開いた体験を語られて
から後の部分になります。

「」内が引用で、~は省略部分です

「これから紹介するジュリアン・シャムルワ
氏の体験は、私のような身体の一部分と
いったものではなく、魂の体験といった
全体的なものです。
 シャムルワ氏はそれを克明に記していて、
ワンネス体験がどのようなものか垣間見る
ことができるようで、とても興味深いです。

 ・・・<『ワンネスの扉』、
p90~p96から抜粋開始>・・・

 かいま見た地球

 夏休みも終わりに近づいた9月、
僕はパリ市内にアパートを借りた。
 大学の授業が始まるのは10月だったの
で、それまで当分のあいだ平日は兄の家に
泊まってバイトを続け、週末だけパリの
アパートに帰ることにした。
 ”訪れ”は相変わらず続いていた。

 ある日、バイトの最中になんとも不思議な
体験をした。
 それは墓園の雑草を刈っていたときの
こと。
 コンクリートの台に足を乗せたとたん、
立っている足もとの地面から一瞬、地球
そのものを感じたのだ。足の下にその
コンクリート台だけではなく、墓園、
パリの街、フランス全体、地球が、
次々と感じられた。地球の重量さえ
わかった気がした。それはとても繊細で
美しい感覚だった。
 仕事中だったので、「今のは何?」と
一瞬立ち止まっただけだった。
 夜になって兄に話してみると、なんと
兄もその日、同じ体験をしたという。
 なんだろう。僕たちの感覚の範囲が拡大
しているのだろうか?
 毎日勉強や仕事に追われて忙しく過ごし
ていた僕らは、突然の奇妙な体験に少なから
ず驚いた。波動の影響で次のステップに
進んだのかとも思ったが、いずれにせよ、
何が起こったのか理解できなかった。

 その頃は毎日の体験が激しく変化して
いた。二人とも二日に一度くらいの頻度で、
わけもなくいきなり感動があふれて胸が
いっぱいになってしまう。たとえば車で
帰宅する途中、ぼんやり景色を眺めている
と、ふいに「人生って素晴らしい!」
という歓喜がこみ上げ、心に広がってくる。
それは得難い体験で、魂が震えるような
素晴らしい感覚だったが、兄も僕もなぜ
突然そんな気持ちになるのかわからなかった
。ただそう感じられた
ことに感謝するばかりだった。

躍動する宇宙

9月が終わり、僕はパリ市内に引っ越した。
パリのアパートで一人暮らしを始めてから
も、ときどき心が打ち震えるような感動が
わき上がることが続いた。ある日、地下鉄
から家に帰る途中、それまでのレベルを
はるかに超える体験をした。
 通りを歩いているとき、ふと頭の中で
誰かと会話していたことに気づいた。
いま誰と何を話していたんだろう? 
考えても思い当たらない。ただの気のせい
だと思った数分後、また頭の中の会話に
気づいた。今度は内容が聞こえてきた。
話しているのは僕で、誰だかわからない
相手に説明されたことを、僕が繰り返して
いた。

 そうなんだ! 過去と未来はただ僕たち
の頭がつくり出したもので、本当は存在
しない。存在しているのは今だけ、この
「現在」だけだ。つまり、躍動する
宇宙なんだ! 
(la dynamique de I’Univers!)

 そう言い終わった瞬間、僕の感覚と視覚が
別のものに変わった。いつもの街並みと同時
にもう三のフォーカスが現れ、銀河の螺旋が
渦巻いているダイナミックな宇宙の動きが
見えた。目に映る空の色が青から緑に
変わり、宇宙と自分が一体となった感覚に
呆然とした。空には無数の光る糸が、
まるで宇宙の毛細血管のように走っている
のが見えた。と同時に、僕の目線が身長より
高く上昇しはじめた。どうやって目線の
位置が上がったのかわからない。ちょうど
横断歩道を渡っている最中で、向こうから
一人の女性がこちらに歩いてくる。あ、
自分の身体が伸びはじめた、と本気で
思った。歩いている女性にそれを見られる、
と恐れたとたん体験が終わった。目線の
高さが通常に戻り、身体が伸びたわけでも
なかった。よかった。ホッとした。
 家に帰って、この体験を整理してみた。
 過去と未来は僕たちがつくり出したもの
にすぎず、本当は「今」という躍動する
宇宙しか存在していない。過去から未来へ
と流れる一直線の時間というものはなく、
あるのは「今」だけ。それが現実なんだ。
それを身体で感じた。壮大で、荘厳で、
どう言葉を費やしても足りないほど美しい
体験だった。宇宙は螺旋を描きながら
動いていた。その宇宙の躍動を感じる
ことができたなんて!
 でも、じつは知らないうちに自分が
正気を失ってきたのではないかという
心配も残った。いくら考えても頭では
この体験を理解できなかった。記憶を
呼び戻そうとしても、ぼんやりとしたもの
しか出てこない。一番鮮明な記憶は、
頭ではなく心の中に見つかった。その
「心」は波動を感じるのと同じ「心」だと
気づいた。身体を超えた次元のハートだ。
 そのとき、日々の現象を記録していた
日記帳がわりのノートに、僕はこう
書いた。

 *2004年10月6日
 今日、時間そのものは存在しないと
気づいた。「動的」な力があるのみ。
 このコンセプトに気づいたのは、
まず心で、そのあと頭で理解した。
これを知ることができてとても嬉しい。

 次の日にはこんな感想を書いている。

 *2004年10月7日
 そこにあるのはたった一つの力の
動き。躍動する宇宙。そう考えると
「私」「家族」「国」などという頭で
つくられたコンセプトの虚しさが明らか
になる。私たちは個々の存在ではなく、
目に見える次元でも見えない次元でも、
みなこの宇宙の力に統合されている。

その後、「躍動する宇宙」と名づけた
この現象を頻繁に体験するように
なった。この体験はさらに深い体験へ
と発展した。ノートにはこう記した。

 *2004年10月13日
 ときどき、「生」そのものである
躍動を感じる。この動き、この循環。
世界と、世界が全体となって動くとき
の活発な力。それは信じられないほど
美しく、精密に動くので、これを前に
すると、たちどころに涙がこみ上げる。
 そして完全に圧倒される。そのとき、
「私」はなくなり、この動きと一体化
する。その美しさに涙が出る。生きる
ことがこれほど美しいとは。

 ・・・<抜粋終了>・・・」

“出典:「本山よろず屋本舗」様
       よろず屋寸話
     『ワンネスの扉』より”

今回は、これだけでも、もう一杯
でしょう。
続きは次回にまた引用させていただき
ますが、この宇宙との一体感は、
まさにワンネス体験だといっていい
と思われます。
臨死体験もアヤフアスカの服用もなし
に、肉体を超えた次元、しかも
「ワンネス」の領域に、完全に意識が
同化した様子が、かなり具体的に
表現されています。
すでに絶対意識でのアニータさんや
アイクさんの体験を記事にしている
ので、それとの共通点が、ところ
どころに見受けられます。

簡単にいえばこの絶対意識レベルでは、
まず自分以外の存在がなくなり、全て
と一体である事。つまり
ワンネスを体感している状態であり、
宇宙そのもののエネルギーを、そのまま
自分のエネルギーとして感じられると
いう事です。
そしてまた時間の感覚がなくなり、全て
は躍動する「今」しかないというのも
アニータさんやアイクさんいってた
事と全く同じですね。
直線的な時間というものは、頭でつく
られた幻想でしかないという事です。
まさにこれは真理だと思います。
そしてさらに次回の引用部分からに
なりますが、宇宙は愛であり、また
愛は自分自身であり、宇宙と愛と
自分が一体であるといってます。
つまり自分は宇宙の愛そのものだと
いう事です。
そしてこれは、特にアニータさんの
絶対意識体験の時の言葉と全く同じだ
という事になります。

つまりこれらの共通事項と一致すれば
それは絶対意識レベルに到達したという
事ですね。

さて今回のジュリアン・シャムルワさん
(以降シャムルワさん)の体験について
少し見ていく事にしましょう。得意なのか
どうかはともかく、とにかく詳細に見た
がるのがクセでして💦

まず最初に地球を感じたのがコンクリート
の台にのつた時だというのだから非凡な
感じがします。地球とグラウンディング
またはアースという、エネルギーリンク
は、土などの自然物を介してというのが
通常なのですが、この方は人工物を通して
地球そのものを感じたという事です。
この時にもう一体になるための意識の
準備が始まっていたという事ですね。
次にやはり感情の豊かさというかあふれ
でる感情・感動を度々経験し、「人生は
素晴らしい」という歓喜がこみ上げて
くるといった経験をなんと兄とともに
するという事があったようです。
これは以前にも、記事で書かせて
いただいたと思うのですが、無感情と
いうのが左脳のみの世界、もっとも
意識レベルの低い状態で、意識レベル
が高くなるほど、感情が豊かになって
いくという事でしたが、このシャムルワ
さんは、めいっぱいの豊かな感情を
溢れさせてしまう事がたびたびであった
という事ですね。
つまりこのことからも、意識レベルが
相当高い領域にアクセス可能なレベルに
すでになっていたという事だと思い
ます。

そのあと引っ越して、一人暮らしをする
ようになってからのちにとうとう、
ワンネス体験をする事になります。

まず時間の感覚がなくなり、「過去も
未来もない現在だけしかない」という
事に気付いて、あるのは躍動する宇宙
のみという事に気付きます。
この躍動する宇宙というのは、高次元
の意識での宇宙そのものだと思います
ので、私たちのいう物理的な感覚と少し
ズレがあるようにも思います。
その証拠に五感で捉えられない、レベルの
領域も見えるようになっていて、空に
毛細血管のように光る無数の糸が見えた
という事ですが、これはプラズマ
エネルギーの事でもあると思います。
これはちょうど、
電磁界のゲートでもあるチャクラという
記事で参考になる画像があります。

とにかく頭でなく心で感じたという事
なので、五感で捉えられるようなもの
でもないという事のようです。

彼が日記に書いているように「時間
そのものは存在しなくてあるのは
動的な宇宙の力があるのみ」という
事ですが、その力の正体こそ究極の
絶対意識そのものだという事を私は
これまでの記事で説明してきたわけ
です。
つまり意識の力が宇宙そのもの全体
を動かしているものだという事ですね。
まあシャムルワはさんは、まだ意識が
宇宙を動かしているとは感じておられ
ないようですが、自分が宇宙その
ものであれば、当然それが可能なのは
わかっていただけるかとは思います。

では次回に続きます。
ではまた(^^)/

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
まだまだ上位継続中です💦

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私たちが永遠で一体である事の証明その1 アニータさんの証言その1


このアニータさんの臨死体験を、
これまで投稿したエベンさんの臨死体験と
比較しながら、是非見ていって
いただきたいのです。
あくまでもその時点で、という事なの
ですが、臨死体験は、人それぞれの
意識のレベルや、そのタイミングなど
によって大きく違うという事です。
そしてこのアニータさんの臨死体験は
おそらくほぼ最も高いレベルの臨死体験
をされたという事です。

私が神秘メッセージで、お伝えしようと
してきた事は、大きく分ければいくつかの
ポイントに集約できます。
中でも一番お伝えしたいのがタイトルの
「私たちが肉体だけの存在ではなく、
永遠に存在する意識で、全てと一体
である、愛を中心とした、全知万能
の存在である」
という事です。
最後のは、なんだか偉そうに聞こえる
かもしれませんが、これは全員が
そうだという事なのです。
というより、あなたは全ての人の意識
と一体であり、また全ての人そのもの
でもあるという事なのです。
それは、もちろん肉体での感覚に
囚われていれば、すぐには納得
できないでしょう。だから、肉体に
囚われない意識になった賢人や
超常能力者、臨死体験者などから学ぶ
必要があるという事なのです。

実は、死んで自らの意識が肉体から
離れた人でも、生前の本質の知識を
持たなかったために、結局肉体に
意識があった時の感覚をそのまま
残している場合が多いのです。

つまり、肉体から離れた臨死体験者
たちはまだ、その肉体に意識があった
頃の感覚をひきずったまま、その霊的な
次元に以降する人も多くて、その場合
輪廻転生を、受け身的に繰り返したり、
執着がすぎて、意識レベルが低かったり
したら、それなりの次元に、囚われたり
もします。
それでも多くの臨死体験者が証言した
ように、普通に愛情を持って暮らした人
であれば、肉体を離れれば、世界との
「一体感」を味わえるようになるのです。
そこで自分が、永遠の存在である事を
ほとんどの人が知る事になりますが、
稀に意識レベルが、その究極の到達点
である、全知万能の全てとの一体と
なる領域まで以降する人達がいます。

そこで到達点の意識つまり「絶対意識」
に到達した臨死体験者
アニータ・ムーアジャニさんの証言を
シリーズで投稿していきます。
つまりだれでも最終的には、この
「絶対意識」と一体である自分に回帰
する事になるのですが、ほとんどの人
は魂の学びや、意識の経験のために、
長く旅を続ける事になります。
もちろん今生で、高い意識レベルへ到達
すれば、ネガティブなまわり道をしなく
てもよくなります。
もちろんこの旅は肉体を離れても、
なお続く旅だという事です。
何度も繰り返しで恐縮しますが、肉体が
あなたの全てではなく、あなたは意識
そのもので永遠であるという事です。

さてアニータさんの臨死体験について
です。

今回ご紹介するのは、自身の臨死体験を著書
にまとめ、発表してミリオンセラーを記録
した“「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”
です。
最初購入した時は、邦訳は出ていなくて、
また電子辞書を片手に四苦八苦しながら、
数週間かけて、読破しました。
ただそれまで、研究で臨死体験については
テーマにしていなかったので、新鮮な
驚きと、それまでの自身が得ていた結論
「全ては本来一体のもの」と一致していた
という事で、とても喜び、楽しみながら、
驚きなから、読んでいったのを覚えて
います。
日本語と違って、英語は不慣れなので、
暗号を解読して謎解きをするような
スリルのある感覚が醍醐味です。

さてこれまで、臨死体験という言葉の
生みの親である、レイモンドムーディ氏
や、その後本格的な調査に発展させた
ケネスリング氏の著書から何人かの
臨死体験者の証言を紹介させて
いただきましたが、今回のアニータ
さんは、自分の臨死体験を一冊に
まとめてくれています。

臨死体験者には、真理を理解するための
ヒントになる多くの共通点がある事も
説明してきたと思いますが、その具体的な
内容は、一人一人違うという事です。
そしてまた、多くの人が高い意識の
レベルつまり「覚醒状態」を体験して
いますが、その高い意識にもレベルが
あったのです。
実は、本当に大きく分けて二つのレベルが
あるのです。

一つは多くの臨死体験者が、臨死体験中に
高い次元の存在、光の存在、神のような存在
に出会ったといってますが、これは、自分が
肉体に囚われていた時と同じ、宇宙や世界
の中で分離された小さな存在であるという
意識レベルのままだということです。
これを私は単に「高次元の意識」といいます。
(ケネス・リング氏は著書で、この光の存在
は高次の自分自身だといっておられます。
私もそう思います。この意識レベルの場合
光の存在を見ている状態が分離意識だという
ことです)

もう一つは、現代の量子物理学や太古からの
賢人たち、またはハワイのカフナや、
チベット密教の超常能力を得た人々が示唆
してきたような、自分自身が世界や宇宙と
一体であり、自分がまさにその宇宙自身
世界自体だという意識になる事です。
これは、本当に臨死体験者の中でもごく
少数の経験者の報告しかありません。
私は、この意識レベルの事を比類なき
完全な物である絶対という言葉を使って
「絶対意識」と呼んでいます。

アニータさんは、そのまれな臨死体験の
レベル「絶対意識領域」に到達した人
だったのです。

あまりに詳細なので何回かにわけて、
シリーズ化していこうと思います。
で、今日はその1です。
 
以下はアニータさんの著書からの引用
抜粋とそれについての私の考察という形
で進めていきます。引用はもちろん
アニータさんの臨死体験時について
書かれた部分です。

   ~引用抜粋~
私は、臨死状態になり、これまでよりも
はるかに鋭敏に、自分の周囲で起こって
いることに気がついていました。身体の
五感は働いていませんでしたが、それとは
比べものにならないくらい、あらゆるものを
感じ取ることができたのです。
まるで完全に異なる知覚が目覚めたよう
でした。
それは単なる知覚以上のもので、起こって
いること全てを包み込み、まるで自分が
ゆっくりとその全てと一つになっていく
ように感じられました。
   ~引用終了~

まずはここでよくわかるのが、肉体から自分
の意識が解放された後に、とてつもなく
鋭敏で拡大された新しい意識がとびこんで
きたということです。
それまでの肉体にとらわれた感覚や認識が
なくなると、より確かな現実感を伴った、
拡大された鋭敏な知覚を得るということ
ですね。
ここで゜私たちの思い込みによる間違った
言葉の使い方を、ご紹介しますね。
それは、気絶したり、昏睡状態になったり
もちろん人が亡くなる時にも、
「意識を失った」と表現しますよね。
ですが、昏睡状態の彼女や、多くの臨死
体験者の多くは、仮死状態または昏睡状態
であるのにもかかわらず、鮮明な知覚を得た
とか、覚醒したと報告しているのです。
確かに、まわりの五感にとらわれた人から
みると、身体または頭の機能が、一時休止
または停止状態になれば、肉体自体は意識
的な反応を見せなくなるので、そのような
意識を失うという言葉になるのもわかり
ますが、多くの臨死体験者やアニータさん
のように、肉体が機能を停止している時が
覚醒状態の時より鮮明な意識状態になる
という事なので、むしろ「意識が開かれた」
わけです。
そしてその意識状態が本来の意識だと
いう真理の観点からだと、「意識が回復
した」「本来の意識に回帰した」という
表現が正しくなるということです。
つまりふだんの我々は、
「本来の意識は失われている状態」
または
「本来の意識は眠っている状態」
という事でもあります。

私のブログは、占星術と真理解明を二つの
柱として進めていますが、これも実は
一体のもので、この真理についての深い
知識が背景になっているのが、わたくし
のサビアン占星術です。
だから、占星術の記述にも、あちこち
その知識がちりばめられているのですが、
みんな別々のカテゴリーに分かれているので
なんとかしたいとは思っています。

話を戻しますね💦
アニータさんは、肉体の機能がほぼ
停止状態にあることで、本来の意識に
「目覚め」とてつもなく拡大された
鋭敏な知覚や認識を得ることができたの
です。
我々が、瞑想をして高い意識レベルに
到達しようとすることの意味はここに
あります。
つまり生命活動をほぼ休止に近い状態に
持っていき、五感の機能を休止させ、本来
の意識を覚醒しようというのが瞑想の
コンセプトなのです。

さてアニータさんの証言の次回その2
では、より詳細な臨死体験中の描写
について取り上げていきたいと
思います。
ではまた(^_^)

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
おかげ様で上位継続中です💦

いやあすいません私がへっぽこなもので
順位を落としたので、2位から上位に
変えさせていただきましたー(^_^;)💦

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ついに生還!身体に戻る描写まで詳細だった    エベンさんの証言その9


エベンさんの長い臨死体験も今回でようやく
終わりを迎える事になりますが、臨死体験
領域には、本来時間の感覚がないと、
ほとんどの臨死体験者が語っている通り、
時空を超えた領域のはずなのですが、
それにもかかわらず、「長い」と思える
のは、エベンさんの身体の容態が、
一進一退を繰り返していたため、時空を
感じる領域にも存在したという事を示して
いるのだと思います。
特に泥の世界というのは今回明らかに
なりますが、肉体により近い領域なので、
エベンさんが、生還しかけていた時には、
常にそこに戻っていってたわけです。
そのため通常の臨死体験のエピソードより
長い時間を経過したように思えるわけ
です。
また肉体により近い領域が泥の世界と
いうのは違和感のある方も多いかも
知れませんが、今回の臨死体験がその
事を明らかにしてくれたというわけです。
つまり肉体が高い領域でないという
のは、比喩的なものなどではなく、
本質的に肉体に生命のある状態というのは、
意識のレベルでは、かなり低い次元の領域
にあるという事です。
では生還の様子を見ていきましょう。

前回、自身の分離意識から、絶対意識と
一体化できずに下降していき、泥の世界
に逆戻りしたエベンさんが、音楽に導かれて
高次元に上昇する方法を理解するように
なり、何度も泥の世界のような低次元の世界
と、高次元の世界を行き来できるように
なった事をご紹介しました。
今回ついに、長かったエベンさんの臨死体験
が終わり、肉体に戻ってくるまでの様子を
ご紹介しようと思います。

今回も「」内がすべて引用で、~からは
中略の意味です。

「どんよりしたミミズの目の世界にはまり
込んでいる事に気づくたびに、私は回転する
光体のメロディーを思い浮かべた。それが
ゲートウェイとコアの世界への門を開いて
くれた。・・・
・・・ところがゲートウェイの境界まで
やってきたあるとき、もうそこへ入れないと
いうことを悟らされた。高次元への入場券の
ようなものだった回転する光のメロディー
は、もはや私をそこへは受け入れてくれなく
なったのだ。
~私は悲嘆に暮れ、悲しみを募らせて
ますます暗い気持ちになり、その気持ちは
「実際」に降下するというかたちをとって
体験されることになった。巨大な雲を抜け
ながら、私は下へ向かい続けた。
周囲のあちこちからくぐもった声が
聞こえてくる。~
~私のために祈っていたのだ。
後になって気づいたことだが、その
中にはマイケル・サリバンとその夫人
ペイジの顔もあった。あの時点では
シルエットがわかっただけだったのが、
こちらの世界へ戻って言葉を取りもどして
から、サリバン夫妻であったことが、
はっきりと確認できた。マイケルは
物理的にも、集中治療室で何度も私の
ために祈っていてくれたのだ。
(ペイジは病室には来ていなかったが、
祈りを捧げてくれていた。)
祈りは私に力を与えてくれた。深い悲しみに
沈みながらも何も心配はいらないという
不思議な安心感があったのは、そのおかげ
だったのだろう。
天国は想像主オームの姿で自分と共にここに
ある。蝶の羽根に乗った女性という天使の
姿で、ここにある。それがわかっていた。
 帰路についていた私は独りではなかった。
そしてこれからは、決して独りを感じる
ことはないことも確信していた。~
~井戸を落ちながらどんどん近づいている
下の世界にも、自分には愛しい存在がいる
のだと気がついた。その瞬間まで、その
ことを完全に忘れ去っていたのだった。
 それに気づいた私は六つの顔に意識を
向けた。六つ目の顔が特別に際立って
いた。
それはなぜかとても懐かしい顔だった。
そう感じたときに、だれの顔かはわから
ないまま、恐怖と紙一重の圧倒的な戦慄
が駆け抜けた。自分はあの顔に必要と
されている。私を失えば二度とその傷
から癒やされず、喪失感に打ちのめされて
しまうであろう顔-天国の門が閉じられた
ときの私と同じ悲嘆にくれる顔。
その思いに応えないのは裏切り同然に
なる顔-。~
~それは内から生まれる恐怖ではなく、
六つの顔へのー特に六番目の顔への恐怖
だった。だれかはわからなかったが、
かけがえのない顔に違いなかった。~
~下界へ下りるという危険を冒して
自分のところへ戻ってくるように哀願
している。何を言っているのかは理解
できなかったが、その言葉は私には
下の世界にしがらみがあること、そこに
“足を突っ込んで”きたことを伝えている
のがわかった。
 私は戻らなければならないのだ。
そこには尊重しなければならない関わり
があるのだ。顔がいっそうはっきりと
してくるにつれて、その思いはますます
強くなった。すると顔も、もう少しで
判別できそうなほどになってきた。
 それは少年の顔だった。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

最後の少年の顔は、エベンさんの息子さん
の末っ子の顔ですね。
彼は、とうとう臨死体験から肉体に帰還
してきたのです。長かった。そう、我々
の時間でこの臨死領域は測れないの
ですが、あまりにも詳細にわたって、
エベン・アレグザンダーさんが、体験を
この著書にまとめあげてくれているので、
今まで長い間集め続けてきた、臨死体験の
資料の中でも、圧倒的に詳しい描写
だと思います。
この詳しい描写のおかげで、本当に多くの
真理への貴重なヒントが得られたと思い
ます。このシリーズでそのヒントについて
一つ一つ解説をしていきました。

今回の最後のシーンも、やはりヒントが
つまっていたのです。

臨死体験が私たちの日常の意識と
つながっている事は、先の記事でも
書きましたが、この肉体に戻る描写には、
それがありありと理解できるように
なっています。
かんたんな図式でいえば、意識のレベル
の高さが、そのまま臨死体験での上下の
感覚で、我々の日常の生きている現実
は、臨死体験の(エベンさんの場合の)
最下層であった「泥の世界」から
さらにずーーっと下降していった場所に
あるという事なのです。
しかも悲嘆にくれていたという
ネガティブな意識を伴いながらの下降
だという事です。
なんと私たちが、生きていて肉体に意識
がある間は、そのとてつもなく低い位置
に意識があるという事なのです。
これで、臨死体験者のほとんどが、肉体
に意識がある間の方が、囚われていて、
臨死領域の世界とは比べ物にならない
くらい不自由だと感じたと証言している
事が、よく理解できますね。

またよく臨死体験者が、暗いトンネル
を通って、天界の場所のようなところへ
行ったと証言しているのも、エベンさん
が最後に下降しながら通ったところと、
泥の世界などの低い次元が、すべて
暗いトンネルとして感知されている
という事なのです。
これは臨死体験者の多くの人たちの意識
レベルが、「泥の世界」を経験しなければ
ならないようなレベルでは、なかった
という事も示しているのです。
多くの臨死体験者たちは、その状態を
スルーできたという事ですね。
臨死体験をして帰ってこれるような人
というのは、一定の意識レベル以上の
人たちである必要がありますから、
その低次元の状態を経験する事は、
なかったのだと思われます。

これは先にも書きましたが、エベンさん
が「悪い人」だからではなく、医者と
して科学者として、意識は物質から
生まれ、肉体そのものがその人の存在
そのもので、霊や魂などを一切認めない
概念と思考になっていたからなのです。
つまり現代の日本人の左脳型の人が、
これにあてはまっていますが、つまりは
「泥の世界」またはそういうレベルの
領域に死後向かう可能性が高いという事
なのです。

そしてエベンさんは、基本的に「良い
心」の持ち主であったから、上昇して
高次元の意識の世界へ行くことが、
できましたが、つまり逆に「悪い」
というか「邪悪なエネルギー」を
持つ人たちは、もちろん「泥の世界」
よりひどい「地獄のような世界」に
はまり込み、ほとんど永遠に出られない
状態になるのだという事です。
臨死体験者が口々に、肉体を離れれば
天界のような場所に行ったと証言して
いるので、その事を肉体が離れれば、
みんな許されると勘違いしてしまい
かちなのですが、とんでもない事なの
です。

次に書くことは重要です。
宇宙の実体は、意識なのですが、異質
なものは同化できないようになっている
ので、愛で表現される天界に邪悪な
意識は、自らの重みでいけないように
なっているという事なのです。
このことは、27年間も霊的領域を
体験したスウェーデンボルグ氏も詳細に
説明してくれていますし、臨死体験者の
中には、間違って地獄のような場所に
入りこんでしまった事を証言してくれて
いる人もいます。
これは、「臨死体験者の言葉その11     
 天国もあれば当然!?

という記事で紹介しています。
どういう心が邪悪かという事は、本質を
理解するような感性の人であれば、よく
わかっていただけると思いますが、心を
失ったような人であれば、そもそもその
判断は不可能かも知れませんね。
冷酷なサイコパスなんかは、そのまま
霊的には最下層あたりにいくのは
間違いないでしょう。
あースカッとしますねー(^_^)
そりゃそうでしょ、この世でどんなに
悪い事しても、最後は許されるなんて、
悪人が知ったら、さらに悪事を働きます。
愛情豊かな人がそれによって、命や権利
を奪われたり、不幸になっていく事を、
高いレベルにある意識が許すはずない
じゃないですか。
申し訳ないけど、「悪人こそ救われる」
という教えが正しくはないのは明らか
です。
これはもちろん中世のキリスト教の
世界観とは違います。
聖書に「悪人こそ救われる」と書いて
ますからね。
つまりそれに反する事や他にも独自の
霊体験から、教会の世界観に反する事を
スウェーデンボルグが言ったので、彼は
教会から異端扱いされたというわけなの
です。
ただ彼自身は、聖書の原点のラテン語から
の翻訳などを手がけるなど、生涯自分は
キリスト教信者だと、主張しています。
つまり教会の世界観と合わないという
理由ですが、もしかしたら聖書のラテン語
原典には、かなり真理をついた事や我々に
とってためになる事が、もっと多く書か
れていたのかも知れません。
つまり教会が自分たちの都合の良いように
書き換えている可能性があるという事
なのです。
(事実ローマ時代に皇帝の命で聖書は
大幅に書き換えられています。)
彼が敬虔なキリシタンであると生涯言い
続けている事を考慮にいれれば、その
可能性が高いといえると思います。

そうそう、宗教的な事や、政治的な事
をいったらタブー扱いというのは、実は
その事で人々が、深く話し合いなどして
わかり合ったら、それぞれのジャンルで
騙せなくなるからです。
つまりは上の都合の刷り込みにしか
すぎないというわけです。

今大事なコンセプトをいいましたね、
「タブーとは、権力者の都合により
刷り込まれたものにすぎない」という
事です。

これよくよく考えたら分かる事なんです
けど、多くの人がほとんど「考えない人」
になってしまっているから仕方ない
ですね。

さて最後のエベンさんの、肉体に戻る
直前の描写で得られたヒントは、まだ
あります。

下降していく過程で、エベンさんの
関わってきた人たちに出会うという場面
がありますが、家族に会うよりも上方で
自分のために祈ってくれているサリバン
夫妻に会っているという事です。
エベンさんを心から愛している家族より
も、当然愛情はあるけれども、他人で
あるサリバン夫妻の方が上だという事を
奇妙に思われるかも知れませんが、これは
理にかなっているのです。
宗教的な教えとは、全く関係なく、祈り
というのは、純粋に相手の魂のために
愛などの念を送ります。つまりそれが
エベンさんの意識にとっては、先に
感じられた、つまりより高次の意識だった
という事なのです。
ですが、家族の場合は、エベンさんを
失う不安と、恐れも当然入り混じった
想念になるので、下にいたというわけ
なのです。
これは、説明すれば簡単な事だとわかり
ますよね?

次回からは、このエベンさんとアニータ
さんをはじめとする他の臨死体験者との
比較なども記事にしていきたいと
思います。
では(^_^)

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霊的領域での人生の追体験    エベンさんの証言その8


前回、絶対意識である「オーム」の近く
まで到達しながら、叡知を受け取るだけ
で、それと一体化できずに、下降していき
もといた、「泥の世界」にまで落ちてきて
しまったエベンさんですが、もちろん
以前の意識とは違い、自分を客観的に見る
ことは、できるようになったようです。
また愛や知識を与えられたエベンさんは、
以前よりも、その次元を脱する事が容易に
なったようで、彼はやがて、その
「ミミズの目」の世界から次元を上昇させる
やり方を理解するようになります。
もちろん、なかなかそれを理解するのに
時間を要したといってますが、さてその上昇
する方法とは?

今回は、その時の様子からです。

「」内は全て引用で、~から~までが
中略という事です。

「それがわかったきっかけは、ふとあの
「回転する存在の調べ」を聴きたいと思った
ことだった。
最初は旋律が思い出せなかったが、やがて
あの荘厳な音色と、回転しながらそれを
奏でていた光の球が意識に戻ってきた。
暗がりを貫いて、その調べが届くと、私は
どんよりとしたその場所から上昇し始めた
のだ。
あちら側の世界では、何かを具体的に思い
浮かべれば、それに向かっていけることが
少しずつわかってきた。
「回転する存在の調べ」を思い浮かべれば、
それが出現した。もっと高次の場所へ移り
たいと心から願えば、そこへいくことが
できた。
肉体を離れていた間の私は、濁った暗がり
から光があふれるゲートウェイへ、さらに
は神聖な闇のコアへと、何度も行き来を
繰り返していた。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

このように、低次元から高次元まで、
何度も行き来していたというエベンさんの
臨死体験は、かなり珍しいケースのもの
です。もちろん七日間も昏睡状態にあった
わけなので、単純に時間があったともいえ
ますが、そもそも臨死体験中は時空を
越えているので、我々の次元での時間とは
ほぼ無関係のはずですが、おそらく彼の
肉体の状況は、医師などが測る事のでき
ないところで、一進一退の状況を繰り
返していたのではないかと思います。
つまり肉体に意識が戻りかけている場合は
我々の感覚でいう時間が、彼の意識に
戻り、また上昇して高次元の世界にいる
時は、彼の意識は時空を越えたと考えれば、
確かに、時間的な長さも臨死体験に関わって
くることになりますね。
つまり彼の肉体での意識状態というのは、
「泥の世界」の近くにあるという事なの
ですが、あとからこれが正しかった事が
裏付けられます。
またこの上昇と下降を繰り返したという
のは、彼の分離意識が下降のエネルギーに
なり、愛と知識を象徴する音楽が上昇
エネルギーになっているという事で、
とても理解しやすいものとなっています。
また

興味深いのが、彼が以前の肉体にあった
ときの潜在意識も、当然この臨死体験中に
つながっているので、それがやはり
表れている事がわかるというものです。

彼は、まだ若い時代にグライダーや
スカイダイビングを趣味としていて、
またスカイダイビングは、相当長い期間
に渡って続けていたという事です。
これを彼の潜在意識レベルでの描写に
するなら、地上また日常の感覚から、
スカイダイビングで空を経験する時に
解放されるというものになります。
つまり彼は、これを長い期間にわたって
何度も繰り返していたのですから、潜在
意識には、開放感をともなった上昇と
地上・日常の意識に戻る下降という
状況が、何度も刻み込まれていたという
事になります。
それがやはり、この臨死体験中にも表れた
という事でしょう。潜在意識は、生死や
肉体にかかわらず、永遠に存在する本来の
意識なので、当然、生きている間の
潜在意識と臨死領域での意識はつながって
いることになります。

またもっと奥深いところでの、潜在意識
として、彼の探究心があります。彼は
最先端の脳外科医でありながら、150
以上の論文を発表するような医学博士でも
あったため、探究心が非常に旺盛で
あったわけです。それが自然にあらゆる
次元での経験を、臨死体験中にする事に
つながったという事でもあると思います。

また上昇するために、音楽のエネルギーを
使ったという事なので、やはり高次元を
意識する要素のひとつとして、音楽が
非常に大事だったという事を裏付けて
くれています。
もちろんこれは、ふだんの我々の意識に
ついてもあてはまります。
宇宙の真理編の「五感にもレベルがあり
ます」というシリーズで、聴覚そして音楽
感性のレベルが、意識レベルの高さにつな
がるという事を説明していますが、やはり
臨死領域においても、それは有効だという
ことですね。それも肉体の耳を通しての
音楽ではないので、想像もつかない
ような感動的なメロディーなのでしょうが
ただ私たちの通常の現実世界の音楽でも
当然レベルの高い音楽というものがあり
ます。
それは以前にも記事に書かせていただきま
したが、心の琴線に触れるような、
ウェットな音楽という事です。なぜなら、
高次元の領域というのは、中心に愛がある
ので、乾いた心につながるようなドライな
音楽というものとは、真逆の性質になる
からです。
また私たちの現在が、そのレベルの高い
音楽で満たされているかというと、
それは逆に「誘導」されているという事
も確かなのです。鋭い方は気づいているで
しょうが、レコードからテープ、CD
そして、スマホなどで聴くようなデジタル
データと時代が進むに比べて、自然の
音、または音楽から遠ざかっているのが、
とてもわかりやすい図式になっています。
今でもレコードを私はたまに聴きますが、
その「あたたかい」音色や音の波動を
よく実感できます。
そして、またビートを効かした音楽や
金属音が響く音楽が、いかに高い意識
レベルから我々を遠ざけるか、鋭い方なら
わかっていただけると思いますが、どうで
しょうか?
このエベンさんの臨死体験でも「ミミズの
目の世界」にいる時は、リズミカルな鼓動
の音だけしか、聞こえなかったわけだから
ビートを効かした音楽が、やはり低い意識
レベルにつながるのがわかります。
そういえば、強烈なバイクの爆音、
カーステガンガンかけている車の外へ
聞こえてくる音も確かに「ビート」は効いて
いますよねー。

そしてきわめつけは、一部の人にしか
知られていない大事な事で、音律の設定が
高い意識レベルから我々を遠ざける
基準になっているという事です。
これはA=440Hzという、非常に微妙
な音の高さの設定というものですが、
これについては、また別の記事で書かせて
いただきます。

とにかく、音楽は我々を高次元の意識へ
導くための大事な要素の一つだという事
です。

長くなりましたね、すいません右脳的
解釈が私の記事のスタイルであり、ウリ
でもあるので、どうしても長くなります。
おつきあいいただいている方には、本当
に感謝しています<(_ _)>(^_^)

今回はエベンさんが、泥の世界と、高次元
の世界を、上昇したり下降したりするよう
になった様子を、紹介しました。

さて次回は、いよいよエベンさんが「長い」
臨死体験から肉体に戻っていく様子を
紹介します(^_^)

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絶対意識とともにあるアニータさんの教え    私たちは無限の自己


やはりアニータさんが他の臨死体験者と
決定的に違うのは、絶対意識レベルと
いう究極の領域にいけただけでなく、
なんとそれとともに、戻ってきたという
事なのです。だから、他の臨死体験者の人
たちと違って、真理について詳しく語る
事ができるというわけなのです。

絶対意識かそれに近い領域に、つかの間
アクセスできた臨死体験者は割合は、
わかりませんが、わりと多くいるよう
です。
そういう人たちの証言は「臨死体験中で
わからない事は何もなかった、それ
どころか、自分が問いを発したら即
答えが返ってくるという感じだった」
というようなものが多く、そして身体に
戻ってくると、それがどんな内容だったか
すっかり忘れてしまったというものが多い
のです。
ですが、アニータさんは絶対意識そのもの
になってそのまま戻ってきたので、癌も
全てその無限の自己である意識によって
完治できるという事を確信していたし、
またその通りの事をしてのけたのです。

これは私たちの感覚でいえば、瞑想など
で、ようやくチャクラが開き高次の世界
の領域に入り込むのとは違い、チャクラが
もう常に開いたままの状態として戻って
きたという事を示しています。
まあなんとも凄い、私たちもそうありたい
ですね。

とにかく絶対意識とともにあるという
アニータさんなら、その言葉は真理、
そして本質を語る事ができるわけで、
まさにそれを、今回取り上げさせて
いただくという事です。

ではアニータさんの著書からありがたく
引用させていただくとしましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「私たちの中に、全宇宙が存在します。
私が求めている答えは、自分の中に存在
し、あなたの求める答えも、あなたの中
に存在します。外部で起こっている
ように見えるらゆることは、私たちの
中にあるスイッチを押して、自分を
拡大し、真の自分を思い出させるために
起こっているのです。

私は“ハイヤーセルフ”“魂”“スピリット”
のかわりに“無限の自己”という言葉を
よく使っています。もう少しはっきり
させるために言えば、それは私が
臨死体験中に、自分が身体だけの存在
ではないと気づき、あらゆる存在と一つ
であると感じたものを指しています。
私は、無限のすばらしい存在として
純粋な意識と一つになり、なぜこの
身体と生命を得たのかはっきり理解
したように感じました。~
~物質的な身体を去れば、私たち全員
の無限の自己はすべてつながっている
と、私は信じています。純粋な意識の
状態では、私たちはみんな一つなの
です。
多くの人が、このような一つである
という感覚を、強烈な神秘体験に
おいて、あるいは自然の中にいる時
に感じています。動物やペットといる
時に感じる事もあります。
あらゆる創造物と一つになった結果
として、シンクロニシティや
超感覚的知覚のような現象を体験
する事もあるでしょう。
けれど一つであることに気づいて
いない人が多いので、このような
体験は頻繁には起こらないのです。
 実のところ、私という存在は、
この身体でも、人種でも宗教でも
どんな信念でもありません。
同じ事が他のすべての人にも
言えます。
無限の自己は、人生の航海に必要な
ものをすべて備えています。
なぜなら、私たちは宇宙エネルギー
と一つだからです。
事実私たちは宇宙エネルギーその
ものなのです。

臨死体験の最中、私は宇宙エネルギー
と一つになっていたので、気づいて
いないものはありませんでした。
まるで自分が全体を包み込んでいるか
のように、すべてがはっきりと
わかったのです。
自分があらゆるものになり、あらゆる
ものの中に存在している感じでした。
 自分のすばらしさを知り、宇宙と自分
が一つで同じものであると理解したこと
が、私の病気を治してくれたのです。
自分から分離した外部の創造物など
存在しないと気づくようになりました。
この気づきのおかげで、今では、強さ
や愛や勇気を持って物質世界と関われて
います。
 このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。
それぞれのラベルには特定の期待が隠れて
いて、その多くは、私たちを二元性の中に
閉じこめてしまいます。それゆえ、この
エネルギーを自分とは別のものだと見て
しまうのです。でも宇宙エネルギーは、
私たちの純粋な意識のように、無限で形
のない状態のままでいなければいけません。
その状態でのみ、宇宙エネルギーは私たち
と一つになり、ヒーリングや魔法や奇跡を
生み出せるのです。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

私たちはこの身体でも名前でも国籍でも
人種でも、宗教の信念でもないという事は
、同じく絶対意識状態に到達したデービッド
アイク氏も言ってます。やはり無限の全て
が自分自身であるという事を、何度も念を
押してくれているわけですが、
「私はデーヴィッド・アイクではない、
デーヴィッドアイクを経験している無限
なる意識である」という、わかりやすい
表現もしているわけです。
当然これは私たち全てにも当てはまる
という事ですね。

アイク氏もアニータさんも、絶対意識である
無限の自己、あるいは無限の意識の状態では
「神」や「仏陀」などの自分と分離した存在
はないとしていますが、ここはとても重要な
ポイントなのです。
今回の引用の後半がとてもわかりやすい説明
になっていますが、私たちは全宇宙の
エネルギーそのものであり、自分の中に全て
が存在するという事を言っているわけです。
その全宇宙のエネルギーとは、我々の観測
できる宇宙のという意味では、なく文字通り
全ての次元にわたったものである事は明らか
ですね。
そのエネルギーは形のないものという事
ですが、私が宇宙エネルギーの本質の一つ
として「真空」をあげていますが、ほぼ
同じ意味となります。形のないもの、
つまり素粒子さえない状態=真空という
事になるわけです。

そしてまたそれはアニータさんのいうように
宇宙エネルギーでもあり、気やレイキでも
あるという事です。そしてまた高次の意味
での意識もそれにあたります。

だからそのエネルギーと意識は同質のもので
あるという事をアイク氏も言っている
わけです。だからアニータさんの無限の自己
の代わりに無限の意識という表現をしている
といわけですね。

そしてまたアニータさんの「神」や
「クリシュナ」「仏陀」という存在は、自分
とは分離したものであるという錯覚を、
もたらす呼称で、二元性の中に自分を
閉じこめてしまう原因になっていると
説明していますが、まさにその通りで、
自分が全てと一体である無限の存在なのに
別に自分より格上の存在をつくって
しまったら、自分自身が無限の存在で
なくなるばかりでなく、単に神の前
では「無力でちっほけな自分」などの
ように、本来の自己像とかけはなれた
イメージを自分に持つようになってしまう
のです。もちろんそのような意識が、
アイク氏やアニータさんの絶対意識に
到達する事は不可能なのです。
神や仏陀を自分とは、別のものとして
捉えた場合、全てはその絶対的なものの
意志に従おうとするので、宗教で神の
代弁者のような神官などが、好きなよう
に「こんな事をしては神がお怒りです」
「そんな事を神は許しません」などと
いえばそれに従う、つまり「神と
神の代弁者」の奴隷になってしまう
という事なのです。無限の自己は誰かに
自分の行動を制限されたり、考え方や
感じ方の指導を受けなければならない
ものではありません。
全ての存在である自分が、全ての意識や
現象、行動の原点にあるという事なので
す。

ただこれはわがままというような
捉え方をすると間違う事になります。
無限の自己とは、無限の愛であると、
アイク氏もアニータさんもいってます。
全ての存在を愛するという意識、無条件の愛
こそが、無限の自己や無限の意識の本質
なので、そこからの意識や行動は愛に満ちた
ものになるという事なのです。

自分とは分離した、絶対的な存在があると
信じるか、それさえも自分自身そのもの
であるか、この違いはとてもなく大きい
のです。
これが最近もう一度投稿させていただいた
エベン・アレグザンダー氏が絶対意識に到達
できなかった、真の理由になっているという
事なのです。
事実、多くの臨死体験者たちは、光の存在
や絶対的な存在が、自分以外にいるという
捉え方をしています。
それはつまり輪廻転生をしていく時間の
マトリックスに囚われた意識と同じ質の
ものだといえます。
通常は、この分離と時間の感覚を持ったまま
の意識状態で、霊や魂として、絶対意識の
次元より低い状態で、何度も人生を経験する
ために肉体に宿る事になるわけです、
そしてまた自分のイメージがどれだけ
ポジティブなものかどうかで、また次の
人生での経験も変わってくるという事なの
です。
そのような輪廻転生のサイクルから脱却する
事を、仏教では解脱ともいいますね。
これは前回も使いましたが、要するに解脱
とは、無限の自己、無限の意識が自分で
あるという認識になる事だったという事
です。

ではまた(^^)/

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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光の球体から離れて再び下降するエベンさん!エベンさんの証言その7


前回エベンさんが、絶対意識のような存在
「オーム」から、叡知を授けられたという
事を紹介しながら、絶対意識と悪と愛に
ついてコアなところまで解説させて
いただきました。
今回はエベンさんの体験に落ち着いて、
紹介していきたいと思います。

まずは、「オーム」から授けられた叡知
の続きです。

また「」内が引用で、~から~までが中略と
いう意味です。

「私はその場所で、無数の宇宙に豊かな
生命が息づいているのを見た。~
~数限りない高次の次元があることも
知った。高次の次元は、その中へ入り、
直接体験するかたちでしか知る方法がない
こともわかった。低次の次元空間からは、
高次元世界は、知ることも理解すること
もできないのだ。因果の関係は高次元にも
存在しているが、この世界の概念とは
異なっている。
またこちらの世界で体験されている時間
空間は、いくつもの高次元に複雑なかたち
で、密接に織り込まれている。
言い換えれば、高次元の世界は、この世界と
完全に隔離しているわけではない。
あらゆる世界がそれらすべてを包み込む
神聖な真理の一部分を構成しているので
ある。
そして高次の世界からは、こちらの世界の
時間や場所に自由につながることができる
のだ。」

このあと彼は、この体験中に得られた知識は
、今でも彼自身の中にあるが、その知識を
ありのままに引き出すことができるわけでは
ないという事をいっておられます。
また世俗世界に戻ってきたいまでは、脳や
肉体により物理的な制約を経由しなくては
ならないからだともはっきり語られてい
ます。
さすがは、科学者であり、医者のエベンさん
なので、分析力が超一流ですね。
これは臨死体験者たちが、口々に体験した
事を言葉で表現する方法が見つからないと
いっているのとほぼ同じ意味ですが、この
ような表現だと、さらに理解が深まります。

「無数の宇宙に豊かな生命が息づいているのを
見た」というのは、生命の本質つまり意識の
事をいっているのです。このシリーズの
前回の記事でも書いたように、絶対意識から
分離してできた意識が生命の意識で、それ
自体多くの意識をさらに増やしていく性質を
持っています。

またこの高次元の世界には、多くのレベルが
ある事も理解できたという事ですが、
この領域になるとそれぞれの次元は空間で
仕切られているわけではありません、次元
の移行はもっぱら意識のレベルによって
なされるだけなのです。

また「低次の次元空間からは、高次元世界
は、知ることも理解することもできない
のだ」といっておられますが、これは訂正
が必要ですね、低次元の次元空間からでも
意識レベルがあがるだけで、その高次元
世界を知ることも理解することもできる
というのが正しいという事になります。
現に、エベンさんは臨死体験中に意識の
移行により、たくさんレベルの次元の
世界を経験することができましたから、
意識の移行と、空間の移行を混同して
考えているエベンさんの感性が、肉体の
ある状態でのフィルターにより、少し
ずれてしまっているという事ですね。

また「高次の世界からは、こちらの世界の
時間や場所に自由につながることができる
のだ。」といっておられることは正しい
です。高次元の世界というより高次の
意識領域といった方が正確ですが、高い
次元の意識になればなるほど、より
自由度が増すという事になります。
高い意識ほど創造的な意識エネルギーが
強くなるため、自分をどの状態のレベル
にも対応できるように変えていくことが
できやすくなるという事なのです。
だから絶対意識レベルになって全ての意識
になったからといって、そこに留まら
なければならないという事ではなくて、また
自由な意識として経験するために、自分
の分離した意識を創造し独立させて、
生命体などとして経験させる事も可能です。
ただ、うっかり我々の現在の地球の人類の
ように、絶対意識を忘却させられ、不自由な
人生に誘導させられる生命体として、再び
戻ってくるのは、少し考えものかもしれま
せん。
(これは私のサビアン占星術の解釈にも再三
出てくる土星や月のエネルギーのネガティブ
な干渉によるものです。)
ただこの場合でも、干渉エネルギーの影響を
あまり受けない意識レベルで、再肉体化
すれば、当然人生も大きくポジティブな
ものに変えられるでしょう。もちろんそれは
後天的に変える事も可能だという事です。

また別の時間軸では影響のない世界も
あるでしょうし、また時代も天体も
選べるので、そのあたりは高い意識に
なってから選べばいいだけの話です。
輪廻転生するような人は、そういう
仕組みがわからないレベルのまま、この
人生に戻ってくるという意識がほとんど
なのです。
これは肉体を離れた後も時間の固定観念に
縛られたままの意識だからという意味
です。

まあさらに別の生命の形態やら、無限に
あるので、書き切れませんね。
絶対意識は、全てと一体の意識ですが、
そこでは無限の意識とそれが投影する
無限の世界が全て共存しているので、
単純な一つではなくて、無限の種類の
世界が同時に存在しているものだと
いう事なのです。

さてこれまでは、彼が絶対意識の存在である
「オーム」から叡知を授かったという事
でしたが、結局彼自身はその絶対意識とは
分離した意識のまま下降していくことになり
ます。
今回は、その最初の部分を紹介して終わり
たいと思います。

「何かに引っ張られているような気がした。
~私はコアの世界を離れ、来た道を戻って
いた。眼下には大地が広がり、コアの輝く
闇が絢爛とした緑に溶けていった。下方には
、村の人々、木々やきらめく小川や滝が見え
、頭上には弧を描いて飛んでいるあの天使
に似た存在たちが見えた。連れの女性も
そこにいた。コアへの旅の間も、光の球体の
オーブになってずっと私のそばにいたのだ。
いまは再び人間の姿をしていた。~彼女に
会えたことが嬉しかった。彼女の存在に感謝
した。「いろいろなものを見せてあげます。
けれどもいずれは帰ってもらいます。」コア
の闇へ入っていくときに、言葉を使わずに
伝えられてきたメッセージが思い出された。
そして帰るということの意味が、そのときに
なって理解できた。
それは旅の出発地点の「ミミズの目」の世界
を指していたのだ。
再びその暗がりに降りていきながら、高次の
世界に何があるのかを承知していた私は、
もう以前のように狼狽することはなかった。
~泥。垂れ込めた闇。浮かんでは消えていく
無数の顔。上から垂れ下がる動脈に似た
木の根。そうしたものが、もうなんの恐怖
も呼び起こさなかった。自分はその場所
には属しておらず、ただ訪れるだけなのだと
-言葉には頼らずにすべてがわかる方法で-
わかったからだ。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

なんとエベンさんは、コアと一体になれ
ずに分離意識のままだったために、その
自分の意識の重みにより、低次元の
世界へどんどん逆行して、また地獄に近い
ような世界に戻ってきてしまったのです。
ただ、以前よりも意識レベルが高くなった
状態でなのですが、さてこの先エベンさん
がどうなるのか、興味津々の次回を
お楽しみに(^^)/

なんだか、昔のアニメっぽいナレーション
ですかねこれ💦

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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光の球体が教えてくれた事          エベンさんの証言その6


今回の記事にはとても重要ですが難解な
部分がありますが、ご安心ください。
その箇所を『』でくくってありますから、
私のコアな解説を、読んでやってもいい
という度量のある人だけご覧ください。
まあ一人は喜んで挑戦してくれる方が
いるのは知ってますが、後の方はどう
でしょうね💦

前回、絶対意識領域という到達点に
あと一歩というところまでいけたエベン
さんが、絶対的な存在に対して、
「自分はなんとちっぽけな存在だろう」と
感じてしまった事で、その領域から大きく
下降してしまう事になるわけですが、
それは絶対的な存在と自分を分離させた
ものとして捉えてしまった事が原因だった
のです。
それに対して、絶対意識として一体となった
アニータさんは、肉体に自分の選択で戻る
まで、その領域に留まったままだったという
事を前回書かせていただきました。
そしてエベンさんは、その領域から下降して
しまう前に、自分とは分離したその絶対的
存在である「オーム」と彼が呼ぶ存在から
いろいろ貴重な事を教えてもらったという
事で、今回はその事を紹介させていただき
ます。
彼がその絶対的存在「オーム」から
「オーブ」という媒介を通して、受け取った
叡知というものです。

また「」内が引用で、~から~までが中略と
いう意味です。
“以下「」内すべて
出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

「宇宙は一つでなく理解できないほど数多く
 の宇宙がある」

この宇宙というのは、私たちが感知観測
できる宇宙と、さらに観測できない領域まで
の空間的な全体を一つとして捉えたものが
いくつもあるという事をいっているのか、
それともアニータさんのように時間軸全て
を一体として、パラレルワールドのように
別々の時間軸として捉えたものが、いくつも
あるのかという事がはっきりしていません。
おそらく前者の空間的な宇宙の事をいって
いるのだと思われます。
というのは、彼がまだ肉体にある間に
感じていた時間に囚われていて、時空が
一体となった宇宙としては、捉えることが
できていなかったのではないかと思います。
おそらく受け取った時点では、その時間軸
として一体となった宇宙が、いくつもある
という真理を伝えられたはずですが、
エベンさんの意識のレベルでは、それを
肉体にある間の感覚で捉えて、単に
物理的な宇宙としてだけ、捉えてしまった
という事なのだと思われます。
つまりそれは時間軸として一体となった
宇宙としての数え方とは別のものになり
ます。
どうやら、エベンさんは時間としての感覚
は固定されたままで、私たちの感知できない
領域での、空間的な別の宇宙が無数にある
という解釈をしたのだと思われます。

「すべての宇宙がその中心に愛を持って
いる」
エベンさんは、高次元の意識領域に入って
以降、「無私の愛」と彼が呼ぶ、絶対的な
愛を感じていました。
そしてそれはすべての宇宙の中心にあると
いう事を、「オーム」からあらためて
伝えられたという事です。
これは真理で、高次の意識に到達した人
たちが口々に愛が本質というように伝えて
くるのは、それが真実だからという事なの
です。これも私たちが逆を刷り込まれている
事に気づかなければならないと思います。
サスペンスドラマやハロウィンなどもその
一貫です。なんて書くとまた反発をくらい
そうですが、しっかり罠にはまっている人
ほど、反発するものですからね。
ハロウィンは、もともと古来の人間を
生け贄とする悪魔信仰が原点となってい
ます。でもそんな事ほとんど誰も意識
してませんよね。でも本性が愛である事の
真逆を印象づけるのにひと役買っていると
いうわけなのです。いやあ直前かな?水を
さしてますね完全に(^^)💦
なんで逆を刷り込まれるのかって?その
理由が下記の超コアな『』内の部分に
書かれています。我々のネガティブ
エネルギーが、そのまま我々に返って
きてしまうからくりが、そこにあります。

事実、絶対意識は絶対愛と言い換えてもよく
それこそが全ての創造の中心にあるのだと
いう事です。つまりあらゆる宇宙もあらゆる
時間軸も絶対意識が自身の愛の表現として
投影したにすぎないという事なので、
それゆえ全てのものの中心に「絶対愛」が
あるわけです。

ですが、では邪悪なものはどうなので
しょう。その中心に愛を持つのでしょうか?
自身の存在のために、他の存在の命や富や
権利を奪ったり、ネガティブなエネルギー
を与えて、他の存在が中心である愛の恩恵
を受けられないようにするような邪悪な
存在は、中心に愛を持つのでしょうか?
それは全然違います。邪悪な存在そして
邪悪な意識というものは、分離された意識
そのものだという事で、それのみで完全体
というわけではないのです。
ここは非常に重要ですが、難解です。
なんとか説明しますが、わからなかったら
とばしていただいてもいいです。
そうですね、真理をとことん知ってみたい
人は挑戦してみてください(^_^)
私はそんな人とつながりたいです。
そこまで詳細でなくてもいいと思う人が
この超コアな部分を飛ばせるように、
『』でくくっておきますね

『まず絶対意識は、無限の意識のもとで
ありながら、全ての意識でもあり、また
全ての意識を創造していきます。
自身の意識と分離させた意識を創造する
事で、さらに意識の領域を広げる事が
できるので、どんどん意識を創造しよう
とします。
絶対意識の愛が投影した全ての意識が、
またそれぞれ自分の意識を投影していき、
その意識が孫意識という事になります。
そしてその孫意識もまた自分の意識を
あらゆる分離した意識として投影できる
ので、さらにひ孫の意識ができます。
(これらの分離意識は全て生命の本質
という意味でもあります。肉体=生命
ではないのです。肉体に生命が「宿る」
というでしょ?)
だんだんとそうやって無限に絶対意識から
遠ざかっていくうちに、中心である絶対愛
を忘れた意識になっていくのです。
絶対愛を意識できているような分離意識で
あれば、必ずその意識は絶対愛に回帰して
また中心の絶対愛と一体になりますが、
分離意識としての存在としては終わります。
そして絶対愛を忘却した分離意識は、
一つの意識としての経験、例えば肉体での
人生を終えると、霊的なレベルにまでは、
回帰しますが、それ以上の意識には回帰
せず、そのレベルでの分離意識に共鳴して
は、またそれを体験しようとします。
この一つのレベルが、「輪廻転生」という
ものです。もちろんこれは無限にある
多様な意識の一つのレベルでしかありま
せん。
そしてこの仕組みを知った分離意識が、
絶対愛に戻って、分離された自分という意味
では存在できなくなる事を恐れて、その
分離された意識として永続的に存在しよう
とするようになります。それが邪悪な
意識の原初のものだという事になるのです。
ただこの邪悪な意識の原初の元型と呼べる
ものには、まだ邪悪そのもののネガティブ
エネルギーが、完全にあるわけではなく、
単に分離された意識として存在し続けたい
という思いと、分離された自分を失う事を
恐れる意識があるだけなのです。
さて分離された存在が自分を失う事を
恐れて、なおその絶対愛に回帰する仕組みを
知っていた場合、自分を継続的に存在させる
のに適したエネルギーを知る事になります。
それが、「絶対愛」とは真逆の「絶対悪」と
いうエネルギーなのです。
これはいわば当たり前の事で、絶対愛に同化
する事で、一体化して回帰するわけで、その
時に分離された個としての存在もなくなる
わけですから、絶対悪では当然絶対愛とは
同化できないので、その「分離された個」
としての自分は、継続的に存在できるように
なるわけです。
これが、真理の理解の非常に大事なポイント
ですね。
ただ本来の自分が絶対愛から派生したもの
だと知るその原初の絶対悪のエネルギーを
手にした分離意識は、そのままではやがて
絶対愛に回帰していってしまいます。
(ていうか帰れよおまえ!という感じ
ですが)
だから、ネガティブエネルギーの絶対悪を
維持し続けるために、永続的にそれを
吸収していかなければなりません、
これがありとあらゆる邪悪な子エネルギー
また孫エネルギーとして、自身を投影して
いく事につながり、そこからまた邪悪な
エネルギーを受け取ろうとしていく事に
なるのです。
つまり絶対悪にとっては、我々の地上の
世界でもネガティブエネルギーが、
どんどん生み出されるような状態が最適
となるというわけなのです。これが、我々
に本性が悪などという逆の刷り込みを
したり、世の中に悲惨な状況が生まれる
ように誘導していく本来の目的だという
わけなのです。
これわかるようになるためには、そう
ですねデービッドアイク氏の訳されて
いない原著を読むのが一番かな?
とにかくこれが邪悪なものの正体なのです。
説明が、すっきりわかりやすくないかな?
でもこれ本当にあらゆる事の本質をついて
ますからね。
だから邪悪な意識そのものは、個として存在
できなくなる事を恐れたちっぽけな分離意識
を中心に持つだけのもので、絶対愛を中心
に持つ完全体ではなく、分離意識の
投影した、分離意識というだけにすぎません。
このネガティブエネルギーによる個として
の存続という仕組みはあらゆるレベルに
応用可能ですが、さらに複雑になるので
やめておきますね。

そうそう全知である絶対意識つまり絶対愛に
とってこの絶対悪というのは、完全な裏意識
なので、つまり唯一の盲点といってもいい
です。それが絶対意識に到達したアニータ
さんの盲点でもあり、スピリチュアリストが
現実の邪悪な実態に対して、あまり意識を
向けない事の理由でもあるのです。
確かにそのようなものに囚われていては、
高次の意識を維持する事は困難なので、潜在
意識で、ブロックしているという事でも
ありますし、肉体にプログラムされた
ネガティブなエネルギーを克服できるような
意識を持てば、やはり邪悪な意識を感知
し、影響を受けるような事もないという
意味でもあります。
ただ関わっている人を理解したい、また
ネガティブな意識から解放させてあげたい
と願う人たちにとっては、やはりそういう
邪悪の意識の現実的実態も知っておく必要
があるという事です。

この真理は、長年の間に培った私の探究の
一つの到達点です。
わかっていただけたらうれしいです。』

さてとんでもなく超コアな事を挿入して
しまいましたが、
「そこまで必要ない!」と思われた方は
ここからまた再開です。
とにかく全ての宇宙の中心には愛がある
という事でしたね。
エベンさんも、「無私の愛」という言葉で
表現していますが、高次の意識領域で、
その愛を存分に体験できたという事です。
ですが、アニータさんのように自分自身が
愛と一体化し、自分が愛そのものだと気づく
ことは、なかったようです。アニータさん
は、全ての人も愛そのものの存在であると
いう事に気づくようになりますが、
エベンさんの場合は、自分そのものが愛と
いう事までは、気づかなかったようです。
これが、絶対意識と一体になりなかった
エベンさんのもう一つの理由だという事
になります。

さらにエベンさんは、「オーム」から
叡知を授けられましたが、その事に
ついては次回に書かせていただきます。
そしてそこから下降していく様子も
合わせて紹介できたらいいなと思います。
では(^_^)

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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