光の球体から離れて再び下降するエベンさん!エベンさんの証言その7


前回エベンさんが、絶対意識のような存在
「オーム」から、叡知を授けられたという
事を紹介しながら、絶対意識と悪と愛に
ついてコアなところまで解説させて
いただきました。
今回はエベンさんの体験に落ち着いて、
紹介していきたいと思います。

まずは、「オーム」から授けられた叡知
の続きです。

また「」内が引用で、~から~までが中略と
いう意味です。

「私はその場所で、無数の宇宙に豊かな
生命が息づいているのを見た。~
~数限りない高次の次元があることも
知った。高次の次元は、その中へ入り、
直接体験するかたちでしか知る方法がない
こともわかった。低次の次元空間からは、
高次元世界は、知ることも理解すること
もできないのだ。因果の関係は高次元にも
存在しているが、この世界の概念とは
異なっている。
またこちらの世界で体験されている時間
空間は、いくつもの高次元に複雑なかたち
で、密接に織り込まれている。
言い換えれば、高次元の世界は、この世界と
完全に隔離しているわけではない。
あらゆる世界がそれらすべてを包み込む
神聖な真理の一部分を構成しているので
ある。
そして高次の世界からは、こちらの世界の
時間や場所に自由につながることができる
のだ。」

このあと彼は、この体験中に得られた知識は
、今でも彼自身の中にあるが、その知識を
ありのままに引き出すことができるわけでは
ないという事をいっておられます。
また世俗世界に戻ってきたいまでは、脳や
肉体により物理的な制約を経由しなくては
ならないからだともはっきり語られてい
ます。
さすがは、科学者であり、医者のエベンさん
なので、分析力が超一流ですね。
これは臨死体験者たちが、口々に体験した
事を言葉で表現する方法が見つからないと
いっているのとほぼ同じ意味ですが、この
ような表現だと、さらに理解が深まります。

「無数の宇宙に豊かな生命が息づいているのを
見た」というのは、生命の本質つまり意識の
事をいっているのです。このシリーズの
前回の記事でも書いたように、絶対意識から
分離してできた意識が生命の意識で、それ
自体多くの意識をさらに増やしていく性質を
持っています。

またこの高次元の世界には、多くのレベルが
ある事も理解できたという事ですが、
この領域になるとそれぞれの次元は空間で
仕切られているわけではありません、次元
の移行はもっぱら意識のレベルによって
なされるだけなのです。

また「低次の次元空間からは、高次元世界
は、知ることも理解することもできない
のだ」といっておられますが、これは訂正
が必要ですね、低次元の次元空間からでも
意識レベルがあがるだけで、その高次元
世界を知ることも理解することもできる
というのが正しいという事になります。
現に、エベンさんは臨死体験中に意識の
移行により、たくさんレベルの次元の
世界を経験することができましたから、
意識の移行と、空間の移行を混同して
考えているエベンさんの感性が、肉体の
ある状態でのフィルターにより、少し
ずれてしまっているという事ですね。

また「高次の世界からは、こちらの世界の
時間や場所に自由につながることができる
のだ。」といっておられることは正しい
です。高次元の世界というより高次の
意識領域といった方が正確ですが、高い
次元の意識になればなるほど、より
自由度が増すという事になります。
高い意識ほど創造的な意識エネルギーが
強くなるため、自分をどの状態のレベル
にも対応できるように変えていくことが
できやすくなるという事なのです。
だから絶対意識レベルになって全ての意識
になったからといって、そこに留まら
なければならないという事ではなくて、また
自由な意識として経験するために、自分
の分離した意識を創造し独立させて、
生命体などとして経験させる事も可能です。
ただ、うっかり我々の現在の地球の人類の
ように、絶対意識を忘却させられ、不自由な
人生に誘導させられる生命体として、再び
戻ってくるのは、少し考えものかもしれま
せん。
(これは私のサビアン占星術の解釈にも再三
出てくる土星や月のエネルギーのネガティブ
な干渉によるものです。)
ただこの場合でも、干渉エネルギーの影響を
あまり受けない意識レベルで、再肉体化
すれば、当然人生も大きくポジティブな
ものに変えられるでしょう。もちろんそれは
後天的に変える事も可能だという事です。

また別の時間軸では影響のない世界も
あるでしょうし、また時代も天体も
選べるので、そのあたりは高い意識に
なってから選べばいいだけの話です。
輪廻転生するような人は、そういう
仕組みがわからないレベルのまま、この
人生に戻ってくるという意識がほとんど
なのです。
これは肉体を離れた後も時間の固定観念に
縛られたままの意識だからという意味
です。

まあさらに別の生命の形態やら、無限に
あるので、書き切れませんね。
絶対意識は、全てと一体の意識ですが、
そこでは無限の意識とそれが投影する
無限の世界が全て共存しているので、
単純な一つではなくて、無限の種類の
世界が同時に存在しているものだと
いう事なのです。

さてこれまでは、彼が絶対意識の存在である
「オーム」から叡知を授かったという事
でしたが、結局彼自身はその絶対意識とは
分離した意識のまま下降していくことになり
ます。
今回は、その最初の部分を紹介して終わり
たいと思います。

「何かに引っ張られているような気がした。
~私はコアの世界を離れ、来た道を戻って
いた。眼下には大地が広がり、コアの輝く
闇が絢爛とした緑に溶けていった。下方には
、村の人々、木々やきらめく小川や滝が見え
、頭上には弧を描いて飛んでいるあの天使
に似た存在たちが見えた。連れの女性も
そこにいた。コアへの旅の間も、光の球体の
オーブになってずっと私のそばにいたのだ。
いまは再び人間の姿をしていた。~彼女に
会えたことが嬉しかった。彼女の存在に感謝
した。「いろいろなものを見せてあげます。
けれどもいずれは帰ってもらいます。」コア
の闇へ入っていくときに、言葉を使わずに
伝えられてきたメッセージが思い出された。
そして帰るということの意味が、そのときに
なって理解できた。
それは旅の出発地点の「ミミズの目」の世界
を指していたのだ。
再びその暗がりに降りていきながら、高次の
世界に何があるのかを承知していた私は、
もう以前のように狼狽することはなかった。
~泥。垂れ込めた闇。浮かんでは消えていく
無数の顔。上から垂れ下がる動脈に似た
木の根。そうしたものが、もうなんの恐怖
も呼び起こさなかった。自分はその場所
には属しておらず、ただ訪れるだけなのだと
-言葉には頼らずにすべてがわかる方法で-
わかったからだ。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

なんとエベンさんは、コアと一体になれ
ずに分離意識のままだったために、その
自分の意識の重みにより、低次元の
世界へどんどん逆行して、また地獄に近い
ような世界に戻ってきてしまったのです。
ただ、以前よりも意識レベルが高くなった
状態でなのですが、さてこの先エベンさん
がどうなるのか、興味津々の次回を
お楽しみに(^^)/

ではまた(^^)/

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光の球体が教えてくれた事  エベンさんの証言その6


前回、絶対意識領域という到達点に
あと一歩というところまでいけたエベン
さんが、絶対的な存在に対して、
「自分はなんとちっぽけな存在だろう」と
感じてしまった事で、その領域から大きく
下降してしまう事になるわけですが、
それは絶対的な存在と自分を分離させた
ものとして捉えてしまった事が原因だった
のです。
それに対して、絶対意識として一体となった
アニータさんは、肉体に自分の選択で戻る
まで、その領域に留まったままだったという
事を前回書かせていただきました。
そしてエベンさんは、その領域から下降して
しまう前に、自分とは分離したその絶対的
存在である「オーム」と彼が呼ぶ存在から
いろいろ貴重な事を教えてもらったという
事で、今回はその事を紹介させていただき
ます。
彼がその絶対的存在「オーム」から
「オーブ」という媒介を通して、受け取った
叡知というものです。

また「」内が引用で、~から~までが中略と
いう意味です。
“以下「」内すべて
出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

「宇宙は一つでなく理解できないほど数多く
 の宇宙がある」

この宇宙というのは、私たちが感知観測
できる宇宙と、さらに観測できない領域まで
の空間的な全体を一つとして捉えたものが
いくつもあるという事をいっているのか、
それともアニータさんのように時間軸全て
を一体として、パラレルワールドのように
別々の時間軸として捉えたものが、いくつも
あるのかという事がはっきりしていません。
おそらく前者の空間的な宇宙の事をいって
いるのだと思われます。
というのは、彼がまだ肉体にある間に
感じていた時間に囚われていて、時空が
一体となった宇宙としては、捉えることが
できていなかったのではないかと思います。
おそらく受け取った時点では、その時間軸
として一体となった宇宙が、いくつもある
という真理を伝えられたはずですが、
エベンさんの意識のレベルでは、それを
肉体にある間の感覚で捉えて、単に
物理的な宇宙としてだけ、捉えてしまった
という事なのだと思われます。
つまりそれは時間軸として一体となった
宇宙としての数え方とは別のものになり
ます。
どうやら、エベンさんは時間としての感覚
は固定されたままで、私たちの感知できない
領域での、空間的な別の宇宙が無数にある
という解釈をしたのだと思われます。

「すべての宇宙がその中心に愛を持って
いる」
エベンさんは、高次元の意識領域に入って
以降、「無私の愛」と彼が呼ぶ、絶対的な
愛を感じていました。
そしてそれはすべての宇宙の中心にあると
いう事を、「オーム」からあらためて
伝えられたという事です。
これは真理で、高次の意識に到達した人
たちが口々に愛が本質というように伝えて
くるのは、それが真実だからという事なの
です。これも私たちが逆を刷り込まれている
事に気づかなければならないと思います。
サスペンスドラマやハロウィンなどもその
一貫です。なんて書くとまた反発をくらい
そうですが、しっかり罠にはまっている人
ほど、反発するものですからね。
ハロウィンは、もともと古来の人間を
生け贄とする悪魔信仰が原点となってい
ます。でもそんな事ほとんど誰も意識
してませんよね。でも本性が愛である事の
真逆を印象づけるのにひと役買っていると
いうわけなのです。いやあ直前かな?水を
さしてますね完全に(^^)💦
なんで逆を刷り込まれるのかって?その
理由が下記の超コアな『』内の部分に
書かれています。我々のネガティブ
エネルギーが、そのまま我々に返って
きてしまうからくりが、そこにあります。

事実、絶対意識は絶対愛と言い換えてもよく
それこそが全ての創造の中心にあるのだと
いう事です。つまりあらゆる宇宙もあらゆる
時間軸も絶対意識が自身の愛の表現として
投影したにすぎないという事なので、
それゆえ全てのものの中心に「絶対愛」が
あるわけです。

ですが、では邪悪なものはどうなので
しょう。その中心に愛を持つのでしょうか?
自身の存在のために、他の存在の命や富や
権利を奪ったり、ネガティブなエネルギー
を与えて、他の存在が中心である愛の恩恵
を受けられないようにするような邪悪な
存在は、中心に愛を持つのでしょうか?
それは全然違います。邪悪な存在そして
邪悪な意識というものは、分離された意識
そのものだという事で、それのみで完全体
というわけではないのです。
ここは非常に重要ですが、難解です。
なんとか説明しますが、わからなかったら
とばしていただいてもいいです。
そうですね、真理をとことん知ってみたい
人は挑戦してみてください(^_^)
私はそんな人とつながりたいです。
そこまで詳細でなくてもいいと思う人が
この超コアな部分を飛ばせるように、
『』でくくっておきますね

『まず絶対意識は、無限の意識のもので
ありながら、全ての意識でもあり、また
全ての意識を創造していきます。
自身の意識と分離させた意識を創造する
事で、さらに意識の領域を広げる事が
できるので、どんどん意識を創造しよう
とします。
絶対意識の愛が投影した全ての意識が、
またそれぞれ自分の意識を投影していき、
その意識が孫意識という事になります。
そしてその孫意識もまた自分の意識を
あらゆる分離した意識として投影できる
ので、さらにひ孫の意識ができます。
(これらの分離意識は全て生命の本質
という意味でもあります。肉体=生命
ではないのです。肉体に生命が「宿る」
というでしょ?)
だんだんとそうやって無限に絶対意識から
遠ざかっていくうちに、中心である絶対愛
を忘れた意識になっていくのです。
絶対愛を意識できているような分離意識で
あれば、必ずその意識は絶対愛に回帰して
また中心の絶対愛と一体になりますが、
分離意識としての存在としては終わります。
そして絶対愛を忘却した分離意識は、
一つの意識としての経験、例えば肉体での
人生を終えると、霊的なレベルにまでは、
回帰しますが、それ以上の意識には回帰
せず、そのレベルでの分離意識に共鳴して
は、またそれを体験しようとします。
この一つのレベルが、「輪廻転生」という
ものです。もちろんこれは無限にある
多様な意識の一つのレベルでしかありま
せん。
そしてこの仕組みを知った分離意識が、
絶対愛に戻って、分離された自分という意味
では存在できなくなる事を恐れて、その
分離された意識として永続的に存在しよう
とするようになります。それが邪悪な
意識の原初のものだという事になるのです。
ただこの邪悪な意識の原初の元型と呼べる
ものには、まだ邪悪そのもののネガティブ
エネルギーが、完全にあるわけではなく、
単に分離された意識として存在し続けたい
という思いと、分離された自分を失う事を
恐れる意識があるだけなのです。
さて分離された存在が自分を失う事を
恐れて、なおその絶対愛に回帰する仕組みを
知っていた場合、自分を継続的に存在させる
のに適したエネルギーを知る事になります。
それが、「絶対愛」とは真逆の「絶対悪」と
いうエネルギーなのです。
これはいわば当たり前の事で、絶対愛に同化
する事で、一体化して回帰するわけで、その
時に分離された個としての存在もなくなる
わけですから、絶対悪では当然絶対愛とは
同化できないので、その「分離された個」
としての自分は、継続的に存在できるように
なるわけです。
これが、真理の理解の非常に大事なポイント
ですね。
ただ本来の自分が絶対愛から派生したもの
だと知るその原初の絶対悪のエネルギーを
手にした分離意識は、そのままではやがて
絶対愛に回帰していってしまいます。
(ていうか帰れよおまえ!という感じ
ですが)
だから、ネガティブエネルギーの絶対悪を
維持し続けるために、永続的にそれを
吸収していかなければなりません、
これがありとあらゆる邪悪な子エネルギー
また孫エネルギーとして、自身を投影して
いく事につながり、そこからまた邪悪な
エネルギーを受け取ろうとしていく事に
なるのです。
つまり絶対悪にとっては、我々の地上の
世界でもネガティブエネルギーが、
どんどん生み出されるような状態が最適
となるというわけなのです。これが、我々
に本性が悪などという逆の刷り込みを
したり、世の中に悲惨な状況が生まれる
ように誘導していく本来の目的だという
わけなのです。
これわかるようになるためには、そう
ですねデービッドアイク氏の訳されて
いない原著を読むのが一番かな?
とにかくこれが邪悪なものの正体なのです。
説明が、すっきりわかりやすくないかな?
でもこれ本当にあらゆる事の本質をついて
ますからね。
だから邪悪な意識そのものは、個として存在
できなくなる事を恐れたちっぽけな分離意識
を中心に持つだけのもので、絶対愛を中心
に持つ完全体ではなく、分離意識の
投影した、分離意識というだけにすぎません。
このネガティブエネルギーによる個として
の存続という仕組みはあらゆるレベルに
応用可能ですが、さらに複雑になるので
やめておきますね。

そうそう全知である絶対意識つまり絶対愛に
とってこの絶対悪というのは、完全な裏意識
なので、つまり唯一の盲点といってもいい
です。それが絶対意識に到達したアニータ
さんの盲点でもあり、スピリチュアリストが
現実の邪悪な実態に対して、あまり意識を
向けない事の理由でもあるのです。
確かにそのようなものに囚われていては、
高次の意識を維持する事は困難なので、潜在
意識で、ブロックしているという事でも
ありますし、肉体にプログラムされた
ネガティブなエネルギーを克服できるような
意識を持てば、やはり邪悪な意識を感知
し、影響を受けるような事もないという
意味でもあります。
ただ関わっている人を理解したい、また
ネガティブな意識から解放させてあげたい
と願う人たちにとっては、やはりそういう
邪悪の意識の現実的実態も知っておく必要
があるという事です。

この真理は、長年の間に培った私の探究の
一つの到達点です。
わかっていただけたらうれしいです。』

さてとんでもなく超コアな事を挿入して
しまいましたが、
「そこまで必要ない!」と思われた方は
ここからまた再開です。
とにかく全ての宇宙の中心には愛がある
という事でしたね。
エベンさんも、「無私の愛」という言葉で
表現していますが、高次の意識領域で、
その愛を存分に体験できたという事です。
ですが、アニータさんのように自分自身が
愛と一体化し、自分が愛そのものだと気づく
ことは、なかったようです。アニータさん
は、全ての人も愛そのものの存在であると
いう事に気づくようになりますが、
エベンさんの場合は、自分そのものが愛と
いう事までは、気づかなかったようです。
これが、絶対意識と一体になりなかった
エベンさんのもう一つの理由だという事
になります。

さらにエベンさんは、「オーム」から
叡知を授けられましたが、その事に
ついては次回に書かせていただきます。
そしてそこから下降していく様子も
合わせて紹介できたらいいなと思います。
では(^_^)

ではまた(^^)/

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究極の意識と一体化できるかどうかの境界とは? エベンさんの証言その5


今回の記事は特に重要です、このエベン
さんが、アニータさんと違って、
絶対意識にまでは到達していなかった
事の証明となる大事な内容になっている
からです。
というのも、この臨死体験で得た理解
の差、つまり肉体に戻ってからの体験の
話でまたその差がわかるのですが、この
レベルの差というものが非常に重要なの
です。

前回エベンさんが天使のような女性に
導かれて、天界を体験した様子を紹介
させていただきました。
そこでは、五感の感覚は分離したもの
ではなく、一体のものとして感じ
られたという事です。
分離されたものを、対象としてみる
という感覚ではなく、それと一体に
なることで、捉えるという感覚だった
ようです。
またこの天界においても音楽が重要な役割
を担っているという事がよくわかりました。
そして今回は、エベンさんがさらに高い
意識領域に移行する様子をご紹介していこう
と思います。

「」内が引用で、~は、中略です。

「さらに先へ進んでいくと、広大な虚空の
中へ入っていった。果てしない広がりが
続く全くの闇だったが、そこは限りない
安らぎも感じられた。漆黒の闇であるにも
かかわらず、光も満ち溢れていた。すぐ近く
にいる気配のする光の球体、オーブ(たま
ゆらとも言う)の一つが放射している光らし
かった。オーブはあの輝く存在の天使たちが
奏でていた調べと同じように、ほとんど
固形のようで生きていた。~
~私の場合は胎児の「母親」に相当する
ものが、宇宙とそこにあるもの全体の母体、
言い換えれば、神や創造主、根源などと
呼ばれる存在だった。
神の存在はきわめて間近に感じられ、自分
との間にまったく距離がないように思えた。
しかしそれと同時に神が無限に広大である
ことがわかり、それに対して自分がいかに
比べ物にならないほどちっぽけであるかを
思い知らされた。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この部分が特に重要で、エベンさんの
臨死体験を紹介しようとした理由につながる
ものなのです。
今ここが、エベンさんの到達した意識レベル
の限界を示しているところだからなのです。
彼はこの高次元の意識領域で神のような存在
に会ったという事ですが、それは絶対的な
存在と自分が分離したままの感覚だという事
を示しているのです。
せっかく「神の存在はきわめて間近に感じ
られ、自分との間にまったく距離がないよう
に感じられた。」という意識まで到達して
いるのにあと一歩、そのような絶対的な
意識と一体になるところまでいかなかった
という事なのです。
それまで拡大し続けていた彼の意識が、
ここでストップしてしまう事になる
のです。
ここで絶対意識になれなかったエベンさん
と比較して、それを自分のものとした
アニータさんの意識をもう一度引用
させていただきます。

“「どうして突然、すべて理解できたんだ
ろうか?」私はそれが知りたいと思いま
した。
「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」”
“出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著 
           hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

つまり彼女の謙虚な言い回しに惑わされず
に、彼女の説明をそのまま受け取れば、
アニータさんは、自分自身が絶対的な
存在そのものとなったといっていると
いう事なのです。
「えーそんな偉そうなー!」
普通そう思いますよね、その普通の感覚
こそ長年の間人類全体を苦しめてきた
「分離」の感覚なのです。
ここで絶対意識のからくりを説明します
と、アニータさんだけが、本来絶対的
存在だったという事ではなく、我々の
一人一人全員がそのような存在で
あるという事なのです。
つまり「みんな偉い!」のですが、
わかりにくいと思いますので、この宇宙に
おける全てのものは、全体とつながって
いて、またその全体そのものでもある
という事なのです。
実は宇宙の物理的モデルもそういう事に
なるのですが、それについてはまた別の
記事に書かせていただきます。
とにかく残念ながら、絶対的な存在と一体
になれなかったエベンさんは、
「自分がいかに比べ物にならないほど
ちっぽけな存在であるかを思い知らされた」
とあるように分離された小さな存在として
自分を意識することで、その絶対的存在
から離れてしまう事になるのです。
(これに対して、絶対意識に到達した
アニータさんは、肉体に自分を自身の選択
により戻すまで、その領域に留まっていま
した。)
そしてちっぽけな自分という感覚を持って
しまったエベンさんは、絶対意識領域に
留まる事ができず、この後、低次の領域に
下降してしまう事になります。

ただその前に、エベンさんは絶対的な存在
から、いろいろと教えを受けることになり
ます。
彼は、無私の愛を注ぎ、全知で全能である神
、つまりそのような絶対的な存在を自分
とは分離させて認識しており、その存在
のことを「オーム」と呼んでいます。
そしてまたその「オーム」と自分を、媒介
くれる通訳者を「オーブ」と認識して
います。
また「オーブ」は自分を天界へと導いて
くれた案内役の女性であるとも言って
ます。
これはとてもわかりやすいですね、彼は
高次元の意識を認識するようになっても、
自分を小さな「個」であるという認識
の世界からは抜け出せず、必ず媒介を
通して、高次の世界を認識するという
意識レベルのままだったということです。

つまりこれは私たちがハートチャクラなど
のゲートを媒介物として、高次の意識に
つながるのとほぼ同じレベルだということ
なのです。臨死体験でないと高い次元の
意識に移行できないのではなく、多くの
人の場合、肉体を離れた意識が、より
高次元の意識領域を感知しやすい状態に
なるということです。
もちろん邪悪な執着にまみれた魂では、
当然そんな領域を感知することはできま
せん。
そしてまた臨死体験でなくても、チャクラ
が開いた状態であれば、同様に高次の
意識領域を感知できるのだということなの
です。

認識レベルが真理に近くなり、さらに愛情
などの感情のレベルが上がれば、より
チャクラが開きやすくなるし、肉体的な
反応レベルでいえば、催眠状態、睡眠状態
アヤフアスカなどの向精神剤(幻覚剤とい
うのは私たちの日常感知している世界が
現実だとしてみた場合で、高い意識レベル
からみれば、どちらも同じ現実ですし、
どちらかというと、そのようなものを
摂取してのぞいた世界の方が真実で現実
です。)
そして臨死体験や瞑想、低呼吸、断食
恍惚感といったようなものになります。

さて次回は、エベンさんがオーブを通して
得た「オーム」からの真理についてご紹介
していきます。

ではまた(^^)/

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高次の領域では、五感は一体として感じる!    エベンさんの証言その4

今回は、とても長いストーリーになる
エベンさんの臨死体験のエピーソードで
五感が一体として捉えられるというもの
があります。
五感とは言っても、視覚と聴覚が一体
という事ですが、実は肉体を離れた
臨死体験者の証言の中に、観る事
や聴く事のシーンはいくつもある
のですが、味覚と嗅覚が出てくる事は
ほとんど全くない感じなのです。
おそらくより肉体的な感覚に近いのが
味覚と嗅覚なのかなと思います。
どちらもマトリックスの主要な
プログラムの一つ、食欲に強く関係
するものだからではないかと思う
のです。

しかし、臨死体験者だけでなく、
たとえばアヤフアスカを服用して
覚醒した多くの人たちも、五感を
一体のものとして捉えたという
証言をしています。

つまり肉体のプログラムに従わ
なければ、本来見えると聞くの
とは一体になるのが、本来の
私たちの能力なのではないかと
思っているわけです。

現在の我々の視覚領域と、聴覚領域
は、単位を振動数で統一すると
見事にズレているのがわかります。

以下です。

前回、エベン・アレグザンダーさんが、
幸運にも、光と音楽に導かれて天界の
ような場所に辿り着いたというところ
までご紹介しました。
そしてエベンさんは、やがて、天界
での導き手のような美しい女性に
気づきます。そして二人で蝶の羽に
乗って飛んでいくことになります。
(蝶は霊界の使者ともいわれていて、
霊のシンボルの象徴です。
サビアンシンボルにも、いくつか
出てきます。)
その女性の言葉と、連れられていった
さらなる高次元の世界についてまた
引用させていただきます。
そしてまたそれについての考察も
加えさせていただきます。
「」内が引用で、その中の~から
~までは、中略という意味です。

  ~以下引用~

「メッセージは三つの部分で構成され
ていた。それを地上の言葉で言い換えれば、
このようになる。

「あなたは永遠に愛されています」
「恐れるようなことは何もありません」
「あなたのすることには、ひとつも間違い
はありません。」
それを聞き、たとえようのない安心感が嵐
のように渦を巻いて押し寄せてきた。
生まれ落ちたときから取り組み続けていた
よくわからないゲームのルールを、初めて
教えてもらえたかのようだった。
 
「ここでいろいろなことを見せてあげ
ましょう。」
言葉を使わず、まっすぐに概念の本質を
伝えるやり方でその人は言った。
「いずれは帰ってもらいますけれど」
それについて、私の疑問はひとつだった。
どこへ帰るというのか?
これを書いているのがどのような人間で
あるのかを、思い出していただきたい。
私は、情緒的な感傷家タイプではない。
死がどういうものかを知っている。~
~物理学の専門家ではないものの、多少
の知識は持ち合わせている。妄想と
現実の違いはわきまえているつもりだ。
そんな私があいまいな輪郭しか描けずに
なんとかしてお伝えしようとしている
この話は、自分の知る限りもっとも
確かな正真正銘の現実であることを
承知しているのである。」

    ~引用終了~

冷静な医師であり、科学者でもあったエベン
さんが、この臨死状態での体験を正真正銘の
現実だといっているのだから、これは
疑うようなものではないという事が、特に
説得力を持ちます。
さて天界で出会った天使のような女性が言う
ような愛あふれる言葉は、地獄にいるような
意識には、もちろん聞こえませんし、その
ような意識に対してかけられる言葉でも
ありません。これは天界に辿り着いたエベン
さんだからこそかけられた言葉だという事
です。
愛の存在である女性が、邪悪な心で人を
傷つける行為をするものに対していう言葉
では決してないというのは、よくわかって
いただけるはずですよね?
そんなものが永遠に愛されたら、この世は
愛されるべき人が、愛のない行為でいくら
でも悲しむことになるのを認めてしまうと
いう矛盾した事になるからです。
つまり心を失ったものは、この「天界」
のようなところに来ることはないし、
上のような言葉をかけられる事もないの
です。
このことについては
臨死体験者の言葉その11が参考になります。
そして女性に導かれてエベンさんは、
さらなる高次元の世界へ移行することに
なります。

  ~以下引用~

「雲の上-上空のはるかな高みでは、
キラキラ輝く透明の光の球が、弓なりに
弧を描いて、空を横切りながら飛び交って
いた。
~上空からは、聖歌のように荘厳な大音響
が響きわたってきた。
これはあの宙を飛ぶ存在たちが、奏でて
いる音なのだろうか。その時は不思議に
思ったが、後日それを考えていたとき、
あれはあの存在たちの喜びの表現だったの
だと気がついた。
舞い飛ぶ存在たちの歓喜が溢れこぼれる
ほどに大きく、ああして「音楽にせずには
いられない」ほどのものだったのだ。
音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。
 そこでは見えるものと聞こえるものに
区別がなかった。上空で銀色にきらめいて
いる存在の美しさを「聞き取る」ことも、
その輝く存在たちがうたいあげている
喜びの炸裂を「見て取る」ことも
できた。
その世界では、なにか神秘的なかたちで
自分自身がその中に溶け込んでしまわない
限り、何も見えず、何も聞こえないように
思われた。
現在の視点に立って考えれば、あの世界
ではどんなものであれ、「対象を見る」
ことはできなかったのだろう。そこには
格助詞の「を」が表す分離の概念が
存在していなかったからである。
   
  ~引用終了~
 
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

さらに高次元の世界では、エベンさんの
五感がすでに肉体に意識がある時の
状態とは、全く異なる次元に移行して
いるのがわかります。
表現が、まるで禅問答のようにわかり
にくいのは、いかに高次元の世界を、
私たち日常の意識にいるものたちに
伝えるのが、難しいかを示しています。
鍵となるのは、見えるものと聞こえるもの
に区別がなかったというところです。
つまり高次元の意識では、五感という
区別はなく、全て一体の感覚として体験
できるという事です。
やはりここでも歓喜の聖歌のような
大音響が響きわたっていたという事ですが
高次元の世界では、やはりあらゆる場面
で美しい音楽を体験するようです。
もちろん肉体に意識がある状態での私たち
が耳にする音楽とはレベルが違うものの
ようですが、またヒントになるような表現
もしておられますね。
「音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。」
とあるのは、もちろん視覚・聴覚・触覚が
一体になったような、高次元の意識なら
ではの感覚ですが、翻訳すると音楽は
確かな存在感があって、しかもしっとり
とした音のシャワーを浴びているような
感覚というものでしょう。
ここで、みなさんの右脳に働きかけたい
と思います。
音楽にもレベルがあるという事を、五感
にはレベルがありますシリーズの記事で
説明したと思いますが、リズム感と
音色、旋律の感覚でいえば、旋律が最も
レベルが高いという事でしたが、今回は
また別の音楽の見方でのレベルです。
ドライな音楽とウェットな音楽という
レベルの分け方です。
これは右脳の感性が働く方でないと
イマイチわかりにくいかと思いますが、
ドライつまり「乾いた」音楽というもの
は、心の琴線に響かないような音楽と
いう事です。つまり情緒に訴えかける
ようなものでなく、単に「音が鳴って
いる」という感覚に近いものですね。
どんな音楽があてはまるかは、個人に
よって変わりますので、みなさんの
感覚におまかせします。
逆にウエットつまりこの時のような
「濡れる」ような「湿った」ような
水を連想させる音楽というものは、
心の琴線に響くような音楽という事
です。
この高次元の世界でエベンさんが聴いた
音楽というのは、雨のような「ウェット」
な音楽という事で、心の琴線に触れる
ようなものだったということが、
いいたかったわけです。
おそらくこれを読んでいただいている
ような方たちにはわかっていただける
と思って、右脳に直接働きかけるような
説明をさせていただきました。
つまり高次元の意識で聴く「ウェット」
な音楽は、やはり私たちが聴く音楽の
レベルにもあてはめることができる
という事です。

さて対象を見ることができないのに上空
に神秘的なものが存在したりすると認識
するというのは、またしても、矛盾して
いるように思えますが、実はこの上方に
高次元の世界があるという感覚は、
ふだん肉体のあるうちから私たちが
ほとんど無自覚に体験しているもの
なのです。
臨死体験の意識になったからといって、
日常の意識とは別の存在になったのでは
なく、意識のレベルが変わっただけだ
という事なのです。
どういうことなのかといいますと、
それは私たちが肉体のある状態で高次元
の意識にアクセス(または移行)する時に
チャクラというゲートを通すことになり
ます。
心臓のあるあたりのハートチャクラを
中心として高次のレベルにアクセスする
ために、眉間のチャクラ、また頭頂の
チャクラと連携する事が肝要なのですが、
それが「上方に高い意識レベルがある」
という感覚につながっているという事
なのです。
7つないし12のチャクラがあると
されていますが、12のチャクラの場合
肉体の頭より、離れて上空にさらに
高いチャクラがあるというようにも
言われています。
となるとますます高い場所に高次元の
世界があるような感覚になるわけですね。
つまりエベンさんは、肉体に意識がある時
に無自覚に得ていた、高次元への感覚を
この臨死体験領域に持ち込んでいた
という事になります。
また眉間のチャクラと頭頂のチャクラの
中心となる位置には、松果体があるので、
「魂の座」と呼ばれ、高い意識とつながる
といわれている松果体は、やはりチャクラ
と密接につながっている器官という事が
わかります。

さて次回はさらに高いレベルの世界に
いくエベンさんの様子をご紹介します。
とにかく一週間も昏睡状態が続いていた
エベンさんの臨死体験は長いのです。
ですが、だからこそ私たちのヒントに
なるようなことがたくさん得られると
いう事でもあります。
ではまた(^^)/

そうそう今回の記事にあった霊的な蝶の
シンボルのイラスト最近アップしたばかり
ですが、気に入ってるので載せて
おきますね(^^)/
一応今回エベンさんが出会った女性と
ともに蝶に乗っているのでそのつながり
ということです。

ではまた(^^)/

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現世(うつしよ)とは、天界の鏡の世界だった!? エベンさんの証言その3


臨死体験者たちの多くが、天界のような
場所を訪れたという証言をしているのは、
実は、私たちの本来の世界に回帰した
という事なのです。
今回の記事にもありますが、エベンさん
が、まるで懐かしい場所に戻ってきた
ような感覚を覚えると語ったのは、それが
本来の居場所で、そこに戻ってきたと
いう事を示しているわけです。
そして私たちが経験している、ネガティブ
エネルギーが恒常的に生み出されるような
現実世界は、その本来の世界を粗悪な形
でコピーしただけのものというのが、
真実なのですが、そのコピーこそ、
月や土星によるマトリックスというもの
なのです。
元記事では、このコピーの世界について
別記事で説明すると書いてますが、
今回はその記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
も合わせて
投稿しておきますのでご覧くださいね。

ただし今回の記事で誤解されやすいのが、
私が、その天界にいく事を進めて、
人生を放棄するように促しているように
思われてしまう事です。
全然そういう事ではないのです、
そうではなくて、私たちの本来の場所
を意識できるようになれば、肉体が
生み出しているネガティブな偽の意識に
囚われずに、この人生で、その天界の
意識を投影していき、幸福な人生に
変えていけるという事を、説明しようと
しているわけなのです。

前回エベン・アレクサンダーさんが
臨死体験の最初のステージである地獄
のような場所から、見たこともない
ような光や聴いた事もない音楽に
導かれて脱出できたというところまで
ご紹介しました。
別世界に導かれてエベンさんがみた
ものは、何だったのか。
今回はその事について、またエベンさん
の著書から引用させていただきながら、
考察を加えていきたいと思います。
「」内が引用です。

    ~以下引用抜粋~
「まぶしく輝き、活気に満ちて、うっとり
させられる。目が眩むような・・・どれほど
形容詞を連ねてみても、その情景と感動は
表現しきれない。~
~下には田園風景が広がっていた。青々と
したみずみずしい緑の・・・地面。
地面ではあったが、同時にそれは地面では
なかった。~
~未知の場所、それとも忘れていたはずの
場所なのだが、見回すと妙に心惹かれる
ものがある。深い部分のどこかが、いまでも
そこを忘れておらず、戻ってきたことを
喜んでいる。そんな場所だった。
 私は木や野原、小川や滝を見おろしながら
飛んでいた。あちこちに人の姿も見えた。
楽しそうに遊んでいる子供たちの姿も
あった。
みんなで輪になって歌い、踊っている。
犬がその足元で嬉しそうに跳ね回っている。
人々は質素だが優美な服をまとい、服は
周囲の緑や花々の潤いを映し出す色合いを
していた。
 ただ美しい、夢のような世界・・・」

    ~引用終了~
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この夢のような天界のような世界を、エベン
さんは、「戻ってきたような世界」として
認識しているところに注目していただきたい
のです。
つまりは、この高次元の世界が、本来
の我々の世界なのです。実は、私たちが、
今生で体験している人生としての現実は、
この本来の世界の「BAD COPY」
つまり、本物にみせかけた偽の現実だと
いう事なのです。この事は、古来からの
伝説にもありますが、それか今回
同時に投稿させていただいた記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
に書かれて
いるという事なのです。

さて本来の世界は、このように愛する人
たちと、美しい自然のなかで、歌ったり、
踊ったりしている天界のような風景で
あり、これが我々のいるべき世界だという
事なのです。
ここで、振り返って、生きている間の夢
やイメージと比べれば、どれだけの
意識レベルかを測る目安にもなるのです。
たとえば、普段から「お金」「名声」
「地位」「称賛」「贅沢な生活」「豪華な
住まい」「快楽を求めるのみの性欲」
「宝石や高価な物」などをイメージするか
、「美しい自然」「美しい音楽」
「愛する人」「愛する人たちと喜びや
楽しみ、笑いなどを分かち合うこと」
「情のかようあたたかい生活」「友情」
「仲間との絆」「生きがいや、やりがい
に対する情熱」などをイメージするかで
肉体を離れたあとに、どれだけ高次元に
いけるかも変わってくるという事です。
まあ具体的でなくとも、愛があり、美しい
ものや楽しい事や、分かち合うことが望み
につながっているのなら、やはり天界に
いける可能性は高いという事です。
ただ先にあげた方の意識でも、邪悪な心、
冷たい心でなければ、それほどひどい
次元にいくことはないと思われます。

次回は、エベンさんがやがて天界での
導き手のような美しい女性に出会う
ところからまたご紹介していきたいと
思います。
では(^_^)

ではまた(^^)/

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臨死体験と音楽と意識レベルというもの   エベンさんの証言その2


前回からエベン・アレグザンダーさんの
臨死体験をご紹介していますが、今回
はその第二弾という事になります。
アニータさんが、絶対意識領域という
とてつもないレベルに達していたのに
対して、このエベン・アレグザンダーさん
の臨死体験が、それよりかなり低い
レベルの臨死体験になっていた事を
証明するように、エベンさんの臨死体験
での最初のステージが地獄のような場所
になっていたということです。
今回もエベンさんの著書からの引用と
それについての私の考察という形で
進めていきたいと思います。
「」内がエベンさんの著書からの引用に
なります。

まずは地獄のような場所にいる時のエベン
さんの意識の状態からです。

   ~以下引用~
「その状態しか知らずにいて、それを
気にすることができただろうか。生きられ
るかどうかについて、それに近い観念を
抱いたことは覚えているが、生きるに
しても、死ぬにしても、どちらでも
かまわなかった。
   (中略)
自分のいる場所を支配している原理に
ついても、なんの手がかりもなかった。
しかし別に知りたいとも思わなかった。
それがそんなに大切なことだっただろうか。」
   ~引用終了~

これはエベンさんが、充実していたそれまで
の人生とは全く別の意識になったというわけ
ではなく、エベンさんの潜在意識のそのまま
の状態の一部なのです。
臨死体験になっていても、それまでの意識と
別の存在になったのではなく、意識として
の別の状態になっているというだけなの
です。
ではなぜ、充実した人生を送っていたエベン
さんの潜在意識が、最初にこのような地獄
のような世界に移行してしまったのか?
それは、彼が左脳に囚われた物質世界に
どっぷり浸かった潜在意識だったからなの
です。物質的にも豊かで、世間の感覚でみて
も恵まれた人生で、しかも自分も家族思い
で、仕事にもやりがいを持っていたエベン
さんでさえ、物質世界に囚われた潜在意識の
世界は、これほどまでに荒廃したものだった
というわけなのです。
さて日本人の多くの人の潜在意識の状態を
考えてもみてください、エベンさんよりも
ひどい状態の人がやたら多いではない
ですか。
たとえどんなに物質的で豊かで、人生で
順調に生きているように見えても、物質世界
に囚われて、無感情、無気力、無関心で
生きている人があまりにも多いのを感じます。
もちろんそうでない人も多いですが、日本の
方が間違っているなと感じるのは「感情的」
になる事全てがいけないように捉えたり、
言ったりしている人が多いという事です。
確かに、怒りや憎しみ、いらだちや嫉妬、
憂鬱、焦り、また自分をコントロール
できないような感情に囚われている時
などは、もちろんだめです、このような
時、感情的になってはいけないのは、
よくわかりますが、豊かな愛情、感動、
喜び、楽しみ、共感、充実感、良い意味
での情熱などのポジティブな感情は、
当然高めるほど良いので、つまりは
「感情的」になって良いわけです。
このように柔軟な感性で、言葉を捉え
ないと、、意識レベルにとっては大きな
マイナスなのです。
むしろ無感情の方が冷酷さにつながり、
とても意識レベルの低い状態に陥ると
いう事を、もう一度わかっていただき
たいと思います。
だから他人に対しての感情があまりにも
冷たい人が多くなって来ているのが、
現在の日本人だと思います。
サイコパスは、その最たるものです。
つまり肉体を離れれば、このエベンさの
ような状態よりもひどい状態になる可能性
が高いというわけです。
特に冷酷陰惨ないじめやパワハラなどは
間違いなく、さらにひどいものになる
でしょう。
そしてあまりにも人生でその意識が強ければ
、なかなかそのようなレベルから抜け出せ
ないような状態に死後になる可能性が高いと
いう事です。
もちろん感情が豊かで、愛情も豊かである
ような心の持ち主であれば、ほぼ大丈夫
です。このような地獄の世界にいく事は
ないでしょう。ただし、それでも物質世界
に囚われているとあまり高い意識レベルの
領域にはいけないのです。
臨死体験者の報告で肉体を離れた意識が、
至福になったという証言が多いのは、
臨死体験から戻ってこれるというような
人達の意識レベルが、高かったからという
ことでもあるのです。

エベンさんは、少なくとも「冷酷」
「無気力」「無関心」「無感情」のような
意識ではありませんでしたので、やはり
地獄から抜け出せる事になります。
エベンさんが泥の中の地獄のような世界
から引き上げられて、天界のような場所に
導かれる様子が以下のものになります。
~が入ると中略という事です

   ~以下引用抜粋~

「自分が何であれ、ここにいるわけには
いかない。ここを出ていかなくてはなら
ない。
出るといっても、どこへ?
その時だった、それを自問していると、
上方の暗がりから何かの姿が現れた。
冷たさのない、暗さとも死とも無縁の、
それらの正反対を表すもの。私が一生を
かけて説明しても、こちらへ近づいてきた
存在の美しさを表現することはかなわない
だろう。
 だが、それを試みてみよう。~
~闇の中から何かの姿が現れた。ゆったりと
回転しながら、金色がかった絹糸のような
白い糸を燦々と放射している。
光に照らし出され、周りの闇が崩壊し
始めた。
初めて聞く旋律も聞こえてきた。それは
「生きた」音色だった。どんな音楽も
かなわないほど豊かで美しい、妙なる
調べ。純白にきらめく光が下へ降りて
くるにつれて、しらべはいっそう強くなり
、永劫にわたって聞き続けた気がするあの
単調で無機質な音がかき消されていった。
光はぐんぐんこちらへ迫ってくる。~
~やがて光の真ん中に、別の何かが出現
してきた。~
~そのことに気づいたとたんに私は上昇し
始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと
音を立てて開口部をくぐり抜けると、見た
こともない別世界が広がっていた」
    
    ~引用終了~
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

これは、泥のような世界から天界のような
高次元へ導かれる様子を描写してくれて
います。
エベンさんは、やはり家族思いのいい人で
仕事にやりがいを持った向上心のあるような
好人物だったので、表面的な左脳の地獄の
世界を見事に突破することができたのです。
私たちが、結果でなくいかに生きるかが、
とても大切だと実感させられますね。
この光による導きは、よく臨死体験者の
多くの人が口にする「光のトンネル」と
ほぼ同じものだといっていいと思います。
そして、注目していただきたいのが、音楽
です、宇宙の真理編で、五感のレベルに
ついての記事を書かせていただいてますが、
聴覚が最も五感の中でレベルが高いという
事を説明していますが、この時の聞いた事
もないような音色と、また初めて味わう
ような豊かな旋律が聞こえてきたという
のが、何よりの証拠になると思います。
光とともに導いてくれたのは、この音楽
だという事ですね。
まさに高次元の意識レベルに移行するのに、
音楽が欠かせないことの証拠でもあります。
地獄の中で永劫にわたって聞き続けていた
ような単調で無機質な音がかき消されて
いったという事ですが、他の記事でも説明
していますが、音楽にもレベルがあって、
リズム、音色、旋律に分ければ、リズムが
最も低いレベルです。
だから地獄の世界では単調で無機質な
リズムだけが聞こえていたという事なの
です。
そして最もレベルの高いのは「旋律」なの
です、聴いた事もない豊かで美しい旋律に
導かれて、エベンさんは天界にいくことに
なります。
(もちろん音色も大切です。つまり旋律
に比べればという事ですね。というのも同じ
音色でも、別の音階の波動が共鳴しあうのが
旋律なので、その分意識にとって豊かな
状態に導かれるというわけです)

ではまた(^^)/

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臨死体験にも意識のレベルがある!? エベン氏の証言その1


すでにこの絶対意識編でも取り上げました
アニータさんのように絶対意識レベルに、
到達するような臨死体験をした人は珍しく、
多くの人がそこまで到達していない事が
多いという事を説明しました。というのも
肉体を離れた後も、まだまだ意識には
囚われているレベルというものがあって、
個人差があるという事なのです。もちろん
肉体を離れた意識がレベルアップして
いけば、最終的には絶対意識に到達する
ので、単に意識の過程であるに過ぎま
せんが、意識のレベルには個人差が
あるという事です。
そしてアニータさんの到達した意識レベルと
比較検討するのに適した人の臨死体験として
エベン・アレグザンダー氏(記事では単に
エベンさんと省略したりしています。)の
実例が適当だと判断して紹介していっている
わけです。タイトルだけ変えて、再投稿
させていただきます。

 

今回からは、アニータさんのように自らの
臨死体験を詳しく著書にまとめられている
エベンアレグザンダーさんを取り上げて
いこうと思います。
こちらは、最先端医学博士でありながら、
脳神経外科医を続けていたという、
社会的にかなり地位のある人物です。
もちろんだから偉いというような事を
いいたいわけではありません。
逆にそのような地位の人の臨死体験が、
アニータさんのような一般的な女性に
比べて、低いレベルにあった事が、興味
深いという事がいいたいのです。
つまり潜在意識の領域では、現実の
世界での格とは全く違う基準になって
いるという事なのです。
一つには、彼が物質的世界での感覚で
ある左脳に偏った世界観を持っていた
という事が大きいのです。
つまりいわゆる右脳型ではありません
でした。
そのため自分自身が体験するまで、医師と
してよく患者たちから、臨死体験の報告
も聞く事があったようですが、意識は
脳からしか生まれないという概念が、
正しいと思い込んでいるアレグザンダー
氏は、そんな患者たちに、「それは脳の
幻覚のようなもの」だとありがたくも?
諭してあげておられたようです。
まあ臨死体験などの証言やプリブラム氏
の研究成果を知っている我々にとっては
遅れた感覚に思えますが、主流の科学界
というのは、今でもその固定概念が、
根強く広く受け入れられてしまっている
のです。
そんなエベンさんが、細菌性髄膜炎という
致命的な脳の重大な危機的疾患に陥り、
脳波が完全停止に停止していたのにも
かかわらず明晰な意識を持ち続けた事を
体験してから、完全に見解を180度
変えて、意識は脳から独立して存在する
と著書で発表するや、全米中で飛ぶ
ように売れ200万部以上の、大ベスト
セラーになってしまったのです。
がちがちの科学者が死後の世界を保証
するという、まさにセンセーショナルな
ふれこみも功を奏したのでしょう。

しかし人物としては、臨死体験以前から
家族思いの仕事に誇りを持っていた
いわゆる我々が尊敬できる「立派で
いい人」だったはずのエベンさんでも、
アニータさんの臨死体験時の意識
レベルと比べると確実に低いものに
なったのです。
それはそれまでの左脳に囚われていた
意識レベルのまま、臨死体験に入った
からなのです。
ではこれからのシリーズは、エベンさん
の臨死体験について著書から引用させて
いただきながら、私の考察を加えていく
といういつものやり方で進めていきます。
今回は長くなりましたので、そのさわり
だけご紹介します。
彼が昏睡状態に入ってから直後の様子
です。
引用抜粋なので、(中略)だらけになる
と読みにくいので、中略の部分の始まり
と終わりを~で記入します。

   ~以下引用抜粋~
“そこは暗い場所だった。闇でありながら、
視界が効く暗がり―泥の中に沈んで
いながら、泥を通してものが見えるような
暗がりだった。それとも汚らしいゼリーの
中と言った方がいいかもしれない。透けて
はいるが、すべてがぼんやりとぼやけて
して閉じ込められている息苦しさを覚えた
。意識もあった。だがそれは、記憶も
自意識も持たない意識だった。
何が起こっているかはわかっているの
だが、それを見ている自分がどこのだれ
なのかわからない。・・・
夢の中のそんな状態に似ていた。~
~私には身体がなかった。肉体の自覚が
ないまま、ただそこにいるだけだった。
その場所をその時点で表現するとすれば、
「始原的」あるいは、「原初的」といった
言葉があてはまっただろう。~
~そのうちにそこにいる時間が長くなって
くると落ち着きが悪くなってきた。最初
のうちは、薄気味悪さと馴染み深さがない
交ぜになった、周囲と自分との間に境界が
ない状態に溶け込んでいたのだが、時間
も境目もないところに深く沈み込んでいる
感覚がそのうちに変化し始めた。こんな
地下世界は自分の居場所などではない、
閉じ込められているのだと感じ始めた。~
~「自分」の意識-じめじめした冷たく
暗い周囲とは、別のものであるという感覚
-が強くなるにしたがい、闇の中から
にゅっと出てくるいろいろな顔がいっそう
気味悪く醜悪になった。遠いかなたから
響いてくるリズミカルな鼓動の音も、
大きく、鮮明になったてきた。~
~周囲にあるものが目に見えるという
より。触知するものになってきた。
うようよとミミズのよう這いずっていく
爬虫類のザラザラした皮、つるつるした
皮膚が触れていくのが感じられた。
~臭いが漂っていることにも気がついた
。血のような、排泄物のような、反吐の
ような臭いだった。「生き物」を思わ
せる生臭さだったが、生き物の命では
なく、生き物の死を連想させられた。
認識がいよいよ研ぎ澄まされてくる
一方で、私はますますパニック寸前
まで追い詰められた。”
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”
これが、エベンさんの臨死体験の最初の
ステージです。どうみてもこれは地獄
の一種ですよね。もちろん、霊的な
レベルでの地獄にはいくつもの無限の
種類、無限のレベルがあるとは思います
が、これもやはり地獄だと思ってもいい
でしょう。
注目したいのは、泥の中からさらに醜い
場面に移行した時、気色の悪い触覚、
強烈な嫌悪感をもたらす臭気を彼が
感じたという事です。これはアニータ
さんにも全くなく、多くの至福の状態を
味わった臨死体験者の証言にもほぼ
皆無といっていい感覚だったのです。
つまり意識レベルの高い感覚には、
味覚、嗅覚、触覚はないという事を
示しているのです。これらは特に
肉体があるという前提のもとにある
感覚ですので、臨死体験者のほとんど
が、それを感じなかったと証言して
います。
今宇宙の真理編で、五感のレベルに
ついての記事を書かせていただいて
ますが、五感の中でも味覚や嗅覚、
触覚のレベルは、やはり低いものなの
です。
その低いレベルの感覚で、ひどい状態
に陥っていたのが、エベンさんの臨死
体験の最初のステージでした。
またリズミカルな鼓動の音が聞こ
えるとも言っておられますが、レベル
の低い状態での聴覚や視覚も働いて
いたようです。
この地獄の状態で聞こえてくるのが
リズミカルな鼓動の音というのが、
非常に興味深いのです。

実は音楽の感覚でいえば、このリズム
感が最もレベルが低く、その上に音色の
感覚、最上位にあたるのが、和音と
旋律の調和の感覚なのです。
だから地獄の状態では、メロディー
は聞こえず、リズミカルな音だけが
聞こえてきたという事なのです。
とにかく臨死体験をする前のエベン
さんは、五感の世界に囚われていた
ので、それがこのような世界に来て
しまった事の大きな原因になっている
という事なのてず。
アニータさんの臨死体験とは全く違う
のがよくわかりますよね。
次回は、エベンさんの臨死体験をまた
深くみていく事にします。
では(^^)/

ではまた(^^)/

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邪心の意識は、やはり死後も同質の領域に引きつけられる!


先日、ネガティブな意識は、同質の
意識を引き寄せるという事を、説明
するような記事を投稿しました。
ではこの世で、邪悪な事をしでかして
、善意の人々の命や自由や生活を
奪ってきたような人、また人に
対しての邪心に満ちて、陥れたり
辱めたりしてきたような人が死後
どのような領域にいくのかという事を
示す実例をご紹介します。

高次のレベルでは、自分の潜在意識が
そのまま投影される領域なので、
霊界を何度も経験した偉人
スゥーデンボルグがいうように、
邪心を持つものは、今度はそれを自ら
のために投影し、その世界に入る
事になるという事なのです。

まあ当たり前です、この世で邪心に
まみれた人がそのまま天界に入って
きたら、天界が悲惨な事になります
から、それに邪心などの意識は、肉体
を離れればすっかり改心できるよう
な便利なものでもないからなのです。
まあ上手くできているといえば、
上手くできています。
もし、邪心にまみれて、人をどんどん
不幸に陥れているものが、そんな
事をしても死んだら全て許されると
知ったら、どうなります?
彼らはまた喜んで、善意のある人達を
不幸にする事をためらわなくなります。
そんな悪人にとって都合のいい話ではない
という事が今回の記事で、わかって
いただけると思います。

以下が元記事です。

昨日、亡くなった人は天界にいけると
ご紹介しましたが、それは通常の人で
あれば、という事です。
邪心にまみれて、多くの人を陥れたり、
不幸にした人や、残虐な行為を他人に
した人。陰湿ないじめを繰り返して、
人を自殺に追いやったり、ノイローゼ
にした人たちは、もれなく次のような
場所に「晴れて入場する」ことができ
ます。臨死体験者の証言では、とても
まれなケースですが、臨死体験をして
戻ってこれる人は、邪悪な心に染まって
ない人ばかりだからです。
そりゃそうですね。なんでも知って
いるような天界の光の存在が、そんな
人をこの世に戻したいと思うわけが
ありませんから。ちなみにその光の
存在も究極でいえば、アニータさんの
ように、自分と一体の存在で、自分自身
という事なのです。
また臨死体験者の中で戻って来なかった
通常の人は、そのまま天界にいくことを
選択している場合がほとんどです。
もちろん身体がもとに戻れない状態に
なっている場合もあります。
実際アニータさんも戻らない選択を、
いったんしてましたよね。
さてその天界の逆の領域について、偶然
そこを垣間見てきた臨死体験者の証言を
またレイモンド・ムーディー氏の著書
から引用します。ただし、実際にその例
を紹介しているのは、ムーディー氏と
同じように、臨死体験を研究している
エバグリーン州立大学の研究者です。

“エバグリーンの研究者が調査した中に、
“地獄”の臨死体験をした者がひとりだけ
いた。これは極度の恐怖やパニック、
怒りを生ずるうえ、悪魔の幻も登場する
臨死体験だという。その体験者は、三回
臨死体験をしているが、二回目のときに
まちがって地獄へ連れていかれたという。
その体験談は啓発的で興味深い。

回答者
二回目の体験は違ってました。下の方へ
行ったんです。下は暗くて、みんな
わめいてました。火(が燃えていました)。
誰だったかわかりませんが、私を脇へ押し
やって、「こんなところへ来るんじゃない。
上へ戻れ」と言ったんです。

面接者
その人は本当にそんなふうに言ったん
ですか。

回答者
ええ、「上に戻れ。おまえはそれほど悪い
やつじゃないから、こなところにいて
もらっては困る」ってですね。

面接者
最初暗闇を通りましたよね。それから・・・

回答者
真っ暗ですよ。まず私たちは降りていって
・・・全くの暗闇でした。

面接者
トンネルを降りたんですか。

回答者
トンネルじゃない、トンネル以上ですよ、
ものすごく大きいやつ。フワフワと
ゆっくり降りたんです。・・・そこには
待っている人がいて、その人が、
「こいつじゃない」って言うんです。

面接者
わめいている人たちが見えましたか。

回答者
下にたくさんの人がいて、うなったり
わめいたりしてるのが見えました・・・。

面接者
その人たちは服を着てましたか。

回答者
いえ、いえ、服なんて全然。

面接者
裸だったんですか。

回答者
はい。

面接者
それで、どのくらいの人がいたと
思いますか。

回答者
とてもとても。そんなの数えきれませんよ。

面接者
何千人の単位でが。

回答者
そうですね。何百万人もいるみたいな感じ
でしたね。

面接者
はあ、ほんとうですか。それで、みんな
本当にひどい状態だったんでしょう。

回答者
みんなひどい状態で、へどが出そうな感じ
でしたよ。みんな私に、水をくれ、水を
くれって言うんです。そこには水がない
んですよ。

面接者
それで、その人たちの見張りはいたん
ですか。

回答者
ええ、いましたよ。頭に短い角が生えて
ました。

面接者
角が生えていたんですか。そ・・・それは
何者だと思いますか・・・。それが何者か
わかりますか。

回答者
ええ、あれならどこにいてもわかりますよ。

面接者
何者ですか。

回答者
悪魔ですよ。 ”

“出典:「光の彼方に」
レイモンド・A・ムーディー・Jr著
       笠原敏雄/河口慶子訳
        TBSブリタニカ刊”

この地獄のように思える領域は、当然
一つではなく、無数にあるものと思われ
ますが、邪悪でない通常の人は問題ない
のでご安心くださいね。
少しの邪心や出来心、また家族のため
やむを得ず罪を犯したとか、かっとなって
人に暴力をふるってしまったとか、それで
そのあと反省するような人は、もちろん
大丈夫です。ただまっすぐに天界と
いうより、いろいろとまわり道をしな
ければならない人もいるようです。
また嘘をついたといっても、相手を
傷つけないためとか、自分をかっこよく
見せるためとか、そんなレベルのものは、
天界にいくエネルギーを妨げるような
ものではありません。
宗教にあるような、正直に生きなさい
というのは、真実の面からいえば、
あまり関係がないといってもいいで
しょう。
問題は邪悪な心、邪心がどれだけの
レベルかどうかにかかってきます。
また少々、性欲や食欲、物やプライド
に執着があるくらいでも、程度に違い
はありますが、地獄に墜ちるほどでは
ありません。自分を愛するというのは、
スピリチュアルの世界でもいわれて
いるように、魂を輝かせるもので、
地獄へのエネルギーになるものでは
ないからです。
ただし肉体に関する欲が強すぎて、
執着しすぎると、地獄には行きませんが
天界にまっすぐにもいけません。
少し学びが必要だと判断されて、しかる
べき領域にいくようです。
自分でなく他者に対しての邪心が最も
重たいものだと理解していただければ
いいと思います。
まあ、ふつうに暮らしている人なら安心
して天界にいけると思って大丈夫です。
地獄にいった人も、自分だけでなく他の
人も救いたいとか、これまでの事を反省
し始めたような場合であれば、地獄から
離脱できます。ただ邪心にまみれた人は
自分のみ助かりと思う人たちばかり
なので、永遠に思えるほど長くそこに
留まることも多いと思います。
これらのコンセプトは長年の研究の成果
と霊界に何度もいけた、その研究の第一
人者スウェーデンボルグ氏をはじめと
した、多くの霊体験者の得た概念など
を総合したものです。
ではまた(^_^)

ではまた(^^)/

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非人格的霊 負のエネルギーを糧とする悪霊


今回は、ネガティブエネルギーの
究極の存在の性質がわかる霊の実例を
取り上げています。

ここで、一つポジティブエネルギーと
ネガティブエネルギーのそれぞれの
共通する性質を説明しておきますね。
それぞれのエネルギーは同質のものを
引き寄せます。ポジティブなエネルギー
は、ポジティブなエネルギーを引き
寄せるという事は、最近の多く
広まっているスピリチュアルメッセージ
で、理解されている人も多いと思います。
そしてやはり引き寄せられたその
ポジティブなエネルギーはパワーアップ
していく事になるのは、わかりますよね。
で、それに対してネガティブエネルギー
の性質は、逆にネガティブエネルギーを
引き寄せて、パワーアップしていく事に
なるのです。
そうですね、あらゆるレベルにみられ
ますが、とても身近な例を一つ取り
上げておきましょう。
たとえば怒りという行為ですね。
誰しもきっかけはささいな事から、相手
と口論になる事は、ご経験あるでしょう。
そして単純に理解できないものへの少し
の苛立ちなどが沸き起こりますよね。
しかし、実はこの感情のエネルギーは、
そのエネルギーに任せていくと、どんどん
勝手に膨らんでいくわけです、つまり
怒りが勝手な収まらなくなってきます。
これが、怒りが暴走して、犯罪などを
引き起こす原因になったりもするの
ですが、これがネガティブエネルギーが
自身で、同質のエネルギーを取り込んで
パワーアップしていく事の、仕組みです。
その同質のエネルギーとは、もちろん
自分自身の中にあるネガティブな性質
のものと、もう一つは、相手の怒りや
悲しみや恐れなどのネガティブ
エネルギーという事になります。
これが相手がとにかく恐れているだけ
なのに、それに対しても怒りを大きく
させる例のからくりでもあるわけです。
恐れであっても、悲しみであっても
それが、怒っている本人にとっての
ネガティブなエネルギーと同質のもので
あれば、やはりパワーアップさせる
事になるわけです。
もちろん意識に自在性があるような
レベルの通常の人であれば、暴走して
いる感情に気付いて、相手への気持ちを
取り戻し、怒りを収めて、相手と調和
しようとするでしょう。
またもう一方の方も、怒っている相手へ
の愛情と一体感を持って応じれば、
だんだんと相手の怒りを変質させていく
事ができるのです。
ここでそういう感情のエネルギーより
も、レベルの高い意識という存在が
あるというのがわかるわけです。
ただ、ふだんから、そういう意識を
自覚して高めていない人は、感情と一体
になってしまい、その暴走に身をまかせて
しまうという事なのです。
それゆえに意識とその理解を常に高めて
おくようにしていく事が大切なわけです。
ここで問いたいです、そのような大事な
事は、学校で学べましたか?という事
です。なぜ教えられないかの理由に
ついて探究していけば、私たち全員の
集合意識が、どのように誘導されている
のかの、理解が深まるというわけです。

そして今回は、そのような理解のために
ネガティブエネルギーの究極の存在の
性質を持つ霊について取り上げている
記事を再投稿します。

以下いです。

以前霊の存在についての事例を、
取り上げていましたが、霊には
当然様々な種類があり、また我々
の肉体が完全体でないように、
個人的な存在に近い霊もまた不完全で、
さらに変化もし、人格的なものから、
単に意識の一部のようなものまで
さまざまです。

そして当然霊には、全てと一体である
究極の絶対意識に近い、集合的な
ものもあり、また亡くなった人の魂や
霊を導くための光の存在のような高度な
霊もあるわけです。

今回は、その中の一つの霊の働きとして、
非人格的な霊の憑依という現象について、
コリン・ウィルソン氏の著書から引用
させていただきます。
これはアダムクラブツリー氏の紹介する
事例だという事です。

「」内が引用で、~が中略です。

「●「非人間的霊存在による憑依」

アダムクラブツリーの『多重人格』にも、
奇想天外な非人間的存在らしきものの
「憑依」事例がある。クラブツリーは、
あまりにも突飛なその話の収録を
ためらった。
「しかしながら、それが私の描写どおりに
おこったこともまた事実なのだ。
(むしろ私は、劇的なエピソードの記述
をいくらか控え目にしたほどだ)」。
 マリアスは、大学で歴史を教える
かたわら、政府諮問委員会でかなりの地位
を占める人物である。結婚生活も裕福な
ものだったが、ある日突然なんの理由も
なく、妻を殺したいという衝動をおぼえる
ようになった。「血を見たいという何か
執拗な内的衝動」に動かされているよう
なのだ。その衝動があまりにも強烈なため、
マリアスはいつか自分が自制心を失い、
妻を殺してしまうだろうと確信した。
 夢が手掛かりを与えてくれた。彼は
夢の中で、毛皮をまとった穴居人とともに
、肉片をぶらさげて乾燥させている粗末な
小屋にうずくまっていた。頑丈な
たくましい原始人が地下室からあがって
くるという夢も見た。この夢を見て
まもなく、コインのコレクションを調べて
いると、ひとつのコインがなくなっていた。
それは棚の上に見つかったが、そんな
ところにコインをおいたおぼえはなかった。
また修繕したはずのブラインドが破れて
いたこともあったが、その理由もわから
なかった。
 その後、頭の中で「声」が聞こえる
ようになった。声は告げた。自分は
おまえが夢で見た男だ、永遠におまえの
中に住んでいる。それを証明するために、
二度憑依し、コインを動かし、
ブラインドを破ったのだ。自分は好きな
ときにおまえに憑依できる-。
 マリアスは自分が〈熊〉(ベア)と
呼ばれる奇妙な霊存在に「憑依」されて
いると信じ、自分なりの除霊方法を考え
出した。
大きな焚き火の前に横たわり、熱気を
吸収して力をたくわえ、ベアを出現
させるのだ。
 実験のため、クラブツリーとマリアス
は郊外の別荘におもむいた。マリアスが
凶暴性を発揮したときにそなえて、
屈強な五人の男も同行した。炉に大きな
火が燃され、マリアスは上半身裸になって
その前に横たわった。半時間後、彼は
うなり声をあげ、床をひっかきはじめた。
 緊張が解けて常態にもどってから、彼は
やっと〈ベア〉のことがわかったと告げた。
それは一群の狩人にとらえられ、じわじわ
となぶり殺しにされた巨大な洞窟熊だった。
(明らかになんらかの儀式だろう)。
その霊が狩人の一人にとりつき、子々孫々
マリアスにまで伝えられたのだ。しかし、
いまそれもマリアスから去っていった。
 しかしながら、マリアスを暴力に駆り
立てる霊存在は、まだ彼の内に残っていた。
マリアスによると、それは
「宙にあいた丸い穴」で、凶暴性を吸収
するのだという。それは熊が殺されたとき
から存在し、マリアスの夢では、地下室
から出現した巨大な原始人の姿をとって
いた(その象徴的意味は明らかだ)。
 翌日、マリアスが完全な弛緩状態に
はいると、その霊存在が彼を通じて
話しはじめた。多くの質問といくつかの
喧嘩越しの口論ののち、それはついに
モーラックと名のり、遠い昔山羊と雄鹿
として崇拝されたものだと語った。
 「それは崇拝者たちの生命とエネルギー
を糧とし」、数千年のあいださまざまな
形で崇拝されてきた。
また、「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
の雰囲気の中で成長する」。
それはみずからを、宙の「ゆらめき」の
ようなもの、「『ふち』らしきものを
もった真っ黒な渦巻きのようなもの」
と描写し、クラブツリーやその同僚が
マリアスにむけている好意に嫌悪を
示した。
 マリアスが疲労困憊すると(「霊存在」
をあつかうときにはよあることだ)、
実験は翌日までもちこされた。
マリアスは実験中の出来事をまったく
記憶していなかった。
 トロントにもどってからも、この
「霊存在」との奇妙な会話はつづいた。
それはまだ軽蔑をあらわにしながらも、
非協力的な態度をいくぶんあらためた。
「町で多くの実験をおこなったのち、
新しい局面がひらけた。霊存在が自身
の過去を思い出しはじめたのだ。
それは語った。自分は別の場所から
やってきた。思い出すことはできないが、
地上にあらわれるより以前から存在して
いた」。~
 
~ある日、霊存在は、自分に関する事実
をまたひとつ思い出した。自分はいつも
考えていたような真っ黒な存在ではなく、
「ふち」の部分はいくらか明るいようだ
ー。そこから事態は急展開を示した。
 霊存在は、「白い光」を恐れる
必要のないこと、遠い昔は自分も別の
場所で「光」の中に住んでいたことを
思い出した。つづいて、憑依している
宿主からはなれなくてはならないことも
認識した。はじめは餌(注釈:崇拝者
たちの生命とエネルギー)となるものが
なくなれば飢えるのではないかと心配
したが、「光」から栄養を得られる
ことを知ると、彼からはなれていった。

クラブツリーの記録によると、以後
十八ヶ月のあいだ、マリアスは霊の訪問
をうけず、家庭生活も平常にもどった
という。」
“出典:「コリン・ウィルソンの
      『来世体験』」
       コリン・ウィルソン著
      荒俣宏 監修・解説
       梶元靖子訳
       三笠書房刊 ”

とても長かったので要約しますと、マリアス
という裕福な結婚生活をしている社会的に
安定した地位にある男性が、妻を殺したい
という、理由もわからない衝動をおぼえる
ようになり、夢をきっかけに、その衝動が
「ベア」と呼ばれる霊的な存在による
ものだと気づかされました。
そして除霊の方法を、自分で考え出して
見事に「ベア」を追い出す事に成功しました。
その「ベア」は太古の狩人たちの生け贄に
されるためなのか、なぶり殺しにされた熊
が霊になった姿だという事です。
ベアになった時にその狩人の一人に取り
憑いたのですが、それが、マリウスの先祖
だったという事です。
しかし、素人の除霊だったからなのか、
「ベア」が去ったあとも邪悪な霊的存在
は残ったままになっていて、それは
どう考えてみても悪魔のような存在です。
「崇拝者たちの生命とエネルギーを糧とし」
、数千年の間崇拝されてきた上に、
「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖の雰囲気
の中で成長する」存在という事は、
完全に生け贄の風習によって、あがめられ
てきた、古来から世界中で崇拝されてきた
神の事で、真実としては悪魔の事です。
山羊というのは、悪の化身である山羊の
頭部を持つバフォメットの事だと思われ
ます。雄鹿の方はわかりませんが、片方
だけで充分に悪の象徴だという事が、
わかります。
つまり狩人たちが崇拝していたのが、
この悪魔の事で、生け贄を捧げること
でなんらかの御利益を得たという事
でしよう。
そして、そのとき召喚された悪魔が、
熊の霊と一体となって、マリアスの祖先
の狩人に取り憑いていたということです。
つまり素人の除霊により、熊の霊だけ
去って、悪魔だけ霊として残ったという
事ですね。
みなさん悪魔って召喚されたこやつが
全てだと勘違いされていませんよね。
もちろん召喚されたのは単に悪魔の一部
だという事です。
つまり完全体でないという事なのです。
つまり憑依していた熊の霊がなくなると、
だんだんと自らのエネルギーを変容させて
いくしかないわけです。もちろんマリアス
とまわりの人々が、愛や情で結ばれて
いなくて、マリアスに邪悪な心があれば、
この悪魔は、そのままの邪悪さで、憑依
できたでしょうが、マリアスに対する
まわりのあたたかい感情とマリアス自身
の心の善良さに、だんだんと自分自身も
変容せざるを得なくなってきたという
わけなのです。
そうすると悪魔が、実は過去では悪その
ものでなく、別の場所からやってきたと
語り始めるのです。
さらに、悪魔だけでなく他のすべての
ものと同様自分も光の一部であった事を
思い出し、マリアスの憑依を解いて、
離れていったという事なのです。
光というのは、絶対意識レベルの領域で
全てはそこから生まれるので、悪魔
として分離した意識も、愛情などの
あたたかい心に触れていると、もとの
光である絶対意識に回帰する事を思い
出すようになるという事なのです。

これはとても多くの事を学べる事例
だったと思います。
人格的な霊だけでなく、動物の霊や
悪魔の霊などもあって、人間に取り
憑く場合があるという事なのです。
そして古来からある生け贄の風習と
いうのは、やはり悪魔の食べ物だと
いう事ですね。
おかしいと思いませんでしたか?
物質世界の制約も受けず、万能で
永遠の慈悲深き神が、無垢な少女や
熊などを生け贄にするなんて、絶対
おかしいですよ。むしろそういう
罪のない人や存在を守ろうとするの
が神という定義なら、なぜ古代から
世界中で生け贄の風習があったのか、
おかしいとおもわなかったら、それは
これまで、神という定義について、
あまり考えずに、そう呼ばれてきた
からという事だけでうのみにしてきた
という事です。真理を知ろうとする事が
とても大切だという事の好例です。

今回の悪魔のように生け贄を必要と
するものは、「愛情や慈悲を嫌い、
暴力や恐怖の雰囲気の中で成長する」
のです。これってまさしく正真正銘の
悪魔と気づかなければうそですよね。

今回はその悪魔がベアという熊の霊を
媒介として、マリアスに残虐な行為を
させ妻の生命のエネルギーと暴力や
恐怖のネガティブエネルギーを糧と
しようとしたという事だったのです。
わかっていただけますよね(^^)

霊の憑依についての記事はまだあります
ので、また取り上げていきたいと思い
ます(^^)

ではまた(^^)/

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子供を成長させる一元論的思想  かんたんな会話の実例  


これまで超古代の真実編では、古代ムー文明
から受け着いた古代日本の一元論的思想が
これからの世界を救うという神衣氏の説明
を紹介してきましたが、旧約聖書の
「エデンの園」もその事を示唆している
と説いておられます。
つまり「善悪を知る木の実」を食べた時から
人類の堕落が始まり、苦悩が始まったという
部分の事です。

神衣氏は、自然界に善悪というものが存在
しないのに、勝手に人間がそのような感覚
を造ってしまったために、世の中に分離や
苦悩が生まれたという事を、説明して
おられます。

このような善悪は本来存在しないという
考え方は、ネットや本などの情報でも
結構みかけます。
物事を二元論的にみるのではなく、一元的
に解釈する方が高度だという事もよく
わかります。

ただし私は、少し違和感も覚えるのです。
いや確かに絶対的な悪、そして善という
ものは、一元論的感覚つまり私が再三
申し上げてきたような全てが一体である
という感覚でいえば、善も悪も一体に
なるので、存在しない事になるのです
からそれでいいとは思うのですが、

弱いものをいじめたり、暴力をふるって
虐待する事に善悪の判断は適用しては
いけませんか、また貧しいものから、
また弱いものから、お金や大切にして
いるものを奪う事に良いも悪いもない
というのでしょうか、これは私たちの
根底にあるものが、無条件の愛という
絶対的意識であれば、当然悪い事と、
判断して良いと思うのです。

そもそも自然界に善悪はないという
神衣氏をはじめとした多くの、
宇宙の「善悪など存在しない」という
人たちは、まず宇宙に意識が存在
しない事を前提としているからだと思う
のです。
それは私たちの誘導された五感のみに
よる現実の認識なのです。
私が再三申し上げているきたように、
私たちが、五感で捉えているような物質
の世界は、意識が投影したからこそ存在
するのであって、真に実在しているのは
意識の方だという事なのです。

つまり意識があるという真実に目を
向ければ、善悪を判断できる意識も
また存在するという事になるのです。
あたかもそれが存在しないかという
ようにいうのであれば、それこそ
「善悪がある」と「善悪がない」という
二元論に陥ってしまうという事を私が
言いたかったわけです。

だからこのテーマでの私の結論は
こうです。
確かに絶対的な善や悪などは存在
しない、全ては一体で、あらゆる性質
を内包しているから。しかし愛は絶対
の意識なので、それに反する事は、
悪と捉えて良い

という事になります。

という事で、善悪がないという事よりも
二元的論的な思考から脱する一つの良い例
として今回の、神衣氏の著書での実例を
ご紹介していこうという事です。
それが以下になります。

『』内が引用で、~が中略です。

『 一人の母親がいた。
その息子がけんかをして、いつも仲良しの
A君をなぐってしまったまま家に帰ってきた。
もしもその母親が善悪の判断を何よりも大切
にする倫理的な人であれば、息子にこう言う
だろう。
「あなたのやったことは、悪いことよ。今
すぐ行って、謝ってきなさい。」
 
しかし、もしもその母親が心の本質を認識する
人であったなら、こう言うだろう。

「A君がかわいそうよ。今もつらい思いをして
いるかも知れないわ。そう思わない?」

 この前者と後者の母親は、どちらも、善悪
で判断するたならば善なる母親と言えるかも
しれない。
息子もA君に同じように謝りに行ったかも
しれない。
しかし、子供の内面に目を向けた場合、両者
には決定的な違いが存在する。
後者の母親は子供の豊かな感受性を充分
伸ばしてあげられるのに対し、前者はその
機会を奪ってしまっているのである。
前者は言い換えれば二元論的なしつけの
観念を持つ母親であり、後者は一元的な
感性の母親である。
 この違いについて、もう少し詳しく
考えてみよう。
両者を比較した場合、子供は心理的抑圧を
受けることになる。このようにして
幼少時代に繰り返される心理的抑圧は、
パーソナリティーの歪みとなって親子関係
のみならず、将来の種々の人間関係にまで
マイナスの影響を及ぼすことになるので
ある。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

とても良い実例を取り上げてください
ましたね。しかしこれは善悪の観念が
テーマではなくて、二元論の考え方が、
この息子さんの成長を歪めるという
言い方の方がいいと思われます。

なぜなら、親友をなぐってそのまま
帰ってきたという事自体は、相手に
とって悪い事だし、息子の成長のため
にも良くないと判断したから、
どちらの母親も言ってきかせようと
したのであり、善悪のテーマでいえば
ちゃんとその判断は、どちらの母親
にもあって、それがテーマではないと
いう事です。

ここで、相手の気持ちを思いやるように
言った母親は、何より大切な共感や情
というものを、息子さんに理解させよう
としたわけです。
しかも疑問形にして、息子さんに思考を
する機会を与え、さらに息子さんの
自主性も引きだそうとしているのです。

これこそが、一元論的な思考が、とても
大切で貴重だという要素なのです。
神衣氏の説明されるような善悪の判断を
してはいけないという説明ではなくて、
そこに何故それが悪い事なのかを考えて
もらい、さらに共感という認識を持つ
ように導いてあげる事が、単純に
命令をされるよりもとても子供にとって
「良い」事だという説明をする方が
わかりやすいと思うのです。

つまり善悪という要素でなく、一元的な
感性が、二元論的思考よりも大切だと
いう事のために、この会話がとても
貴重な実例だといえると思います。

善悪がないという言葉に縛られてしまう
と、人は行動を迷うばかりになります、
なぜなら多くの人は、自分にとってまた
人にとって、自分のできる範囲で良い
事を選択するという習慣があるから
です。

だから、全ては一体であり、共感や情と
いうものを大切にしていれば、自分に
とってもまわりの人にとっても良い
エネルギーをもたらすだろうという
事なのです。

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