日本人の吸収力をもとにした発展力  日本語の一元性とは?


前回の
超感覚的能力はムー言語の音の波動
から!?
という記事では、ムー言語をもとに
した、日本語が超感覚的能力を発揮
するために、音の波動を大切にしていた
という事を説明しました。

日本に世界最古の文明があったという
のは、これまでの記事で明らかに
できたと思いますが、それが世界に
広まって、各地で独自の発展を遂げた
外国の文化を、また取り入れて、それを
発展させる事で、近代の日本は大きな
成長をする事ができました。
その原動力となったのが、日本語を母国語
とする日本人の特性だという事のよう
ですが、その事を説明しておられる
神衣氏の著書から、また引用させて
いただきます。

『』内が引用で、~が中略です

『世界の文化を吸収し続け、しかもそれらを
独自のものとして究極まで極め続ける、
この、世界に類のない日本人の性質は
どこから来るのだろうか。~
~実は、この世界に類のない日本人の性質は
、間違いなくムー文明の「RA」音と
「MU」音の作用によって形成されたもの
なのである。
 これまで述べてきた潜在意識の母性的
局面に関わるM音と父性的局面に関わる
RA音、この音のもつ莫大な言霊力が、
日本人に、この常に発展のみを知る世界
無二の力を与えたのである。~

~かつて中国から漢字を取り入れた私たち
は、それをまったくの日本独自の文字と
して仕上げることに成功した。
平仮名、カタカナをあみだし、さらに
漢字においても現代の私たちは中国人が
読めない漢字さえも意味を読み取る能力
を持っている。欧米のハイテク技術を
究極まで完成させたのもまた日本人
である。
 一台何万もの価格で売られた計算機を
超小型化し、わずか数千円の商品に
仕上げたカシオをはじめ、車、ビデオ、
カメラ、オーディオなど、現代の
ハイテク製品は、日本人によって優れた
製品として完成し、その結果、日本製品
は世界で最も普及し、日本は世界の先端
を行く経済大国、最も豊かな国と言わ
れるまでに成長した。
 日本人のこの類まれな発展力、それは、
多くの知識人が指摘する通り、日本人
独特の古来の観念的特質にある。
その観念的特質とは、次のような
表裏一体の関係にある二つの特質である。

1.「あれかこれか」という二元対立の
観念ではなく、「あれもこれも」という
すべてを本質的に一つのものとしてとらえる
一元論的な観念

2.自己主張よりも謙虚な受容性を優先
させる母性的性質

一元論的観念と母性性、この二つの古来の
日本人の特質こそ、様々な文化を結びつけ
昇華させたそれである。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

こちらの著書は、バブル崩壊以降では
あるけれども、リーマンショック、
東日本大震災以前に書かれたもので、
バブル以前の日本の大発展した事を
受けて書かれたものなので、日本が
世界経済大国として、大発展した事の
理由を説明してくれているものです。

もちろんこの大発展には、上で取り上げ
られたような日本人の観念的特質が、
あったのだろうと思います。

特に一元論的な観念というのは、私たち
が本来、一つの存在であり、宇宙全体も
含んだ絶対意識であるという真理を、
観念的に理解していたのが日本人だった
という事でもあるので、その大いなる
一つの無限のエネルギーを活用できた
ために、それが経済や文化の発展にも
役立ったという事だと思います。
そして、外国の文化を取り入れていく
柔軟性は、全てが一つであるという
一元論的観念と、謙虚な受容性を持つ
母性性から来ているのだと思います。

ですが、現在その大いなる力を持つ
日本人の多くの力が、一部の特権階級や
外国資本の横暴により、単に利用されて
いくだけに終わっているのは、日本人の
受容性が行き過ぎているからだとも、
思えますので、これまでの特質を活かし
ながらも自己主張もしていく事を、
私たち日本人は取り入れた方がいいとは
思います。

次回は今回のような日本人の特質を
支えた日本語の母性性についてご紹介
していきます。

ではまた(^^)/

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「意識」という言葉の意味について  


みなさんスピリチュアルなメッセージを
ひんぱんにご覧になっている方は多いと
思いますが、意外に言葉の解釈が人に
よってばらばらな事がよくあります。
このあたりをあいまいにしてしまうと
結局メッセージを伝える人の意図が、
全く伝わっていなかったという事が
結構あります。

たとえば「意識」という言葉、みなさん
なんでしょう?といわれて即答できる
人は稀だと思います。なぜならみなさん
言葉を使っていても、言葉の意味に
ついて深く考えるという事をあまり
ふだんからしていないからです。
だから実際には、言葉が同じでも受け
取り方がみんなばらばらになったりする
のです。
ですが、言葉というものは、人から人に
意図や考え、気持ち、感性などを伝える
ためにあるもので、それぞれ勝手な
思い込みで使っているだけで、伝わら
ないのであればそれはもはや言葉とは
いいません。
要するに言葉は、人と人の心の架け橋の
手段の一つなのです。
だから言葉の意味について、みんなが
共通した解釈をする事はとても重要だ
という事です。

だから今回スピリチュアルな言葉で最重要
だと思われる「意識」について、簡単に
書かせていただこうと思います。
もちろんこのテーマは、別の記事にも続き
で書いていく事になります。

みなさん意識って言葉、本来の意味って
ご存知でしょうか?
意外と、考えた事もないという人が
ほとんどでしょうね。
でも私たちが身体を去る事になる臨死体験
でも、肉体を離れる体外離脱でも、意識は
あります。
つまり意識は永遠に私たちのもので、
私たちはその意識とともにあるという事
なのです。
だからこそ意識というものがわかって
いないと真理探究は、スタート地点から
コケてしまうでしょう。

「意識とは、意味が分かる認識のこと」
です。
たったこれだけ?って思われるかも知れま
せんが、これだけというより、これが
主体的な意味となります。
よく私たちは、恋かも知れないような
状態になった時、相手の事を「意識する」
という言い方をしますよね。それは、相手
に対して、自分が気になる人とか、タイプ
かもとか、良いルックスだとか、一緒に
いると癒やされるとか、そのような好意的
な「意味」を相手に対して持つからなの
です。
つまり相手に意味がもたらされるように
なった場合意識という言葉が自然に出て
くるという事ですね。もちろんろその意味
には、感情も入ってきます。和むから
心地良い、異性のフェロモンを感じる
とか、単純に好きだとか、気になるとか
あらゆる感情も相手に対する「意味」と
して深まります。つまり意識とは「意味」
を認識するという事です。
ところが、五感からの信号だけで相手を
感じていた場合、つまり単に見えるもの、
またもし匂いを感じたらその匂いだけ、
触るようになれば、その感触のみを認識
している状態で、他に意味が加わらなけ
れば、それは「無意識」の反応という事に
なります。つまりロボットの反応と一緒
というわけですね。
我々に特有の意識とは、その五感による
無意識の反応の事ではないという事なの
です。
つまり意識していない相手というのは、
「単なる見えているもの、または五感で
感じられるもの」となって、ほとんど
感情を呼び起こさないものとなって
しまうのです。
もちろん私たちは、まわりにいる人を
いろんな意識で捉えています。
恋だけでなく、大事な友達や親、尊敬
する人、感じのいい人など、あらゆる
意味を相手に対して、感じ取りながら
生きています。でも気にならない人に
対しては、意外と無意識の感覚になって
いる事も多いのです。
人々が互いに相手を他人だと思う
気持ちが強くなってきた時代を私が
感じるのは、通勤電車の時でしたね。
みんな、お互いを「意識」していない
ので、ほぼ無表情、無感情の顔ばかり
毎日見せつけられてきました。
ほぼ私以外の全員ですね。
もちろん自分と関係のある人同士で、
電車に乗っている人たちは、互いを
意識して感情がオモテに出てきますが
そういう場合以外は警戒心からなのか、
全く、無感情である事がほとんど
だったのです。

私以外のほぼ全員といったのは、
私が、真理探究を初めてから、人々に
対しても特に、深い見方で意識する
ようになったからですね。
「親近感」という言い方でもいいです。
「みんな共に働いている者同士」とか
「自分と同じように頑張ってるんだ」
とか、あの人「苦労してそうだ、自分
もあんな状態にあった」とかなんとか、
あらゆる感情がまわりの人に対して
沸き起こります。
よく私が意識レベルが上がるとか
いいますが、高い意識は、「全ては
一体である」という究極の絶対意識に
より近づいていくようになるという事
なので、私が自分の意識レベルが
上がってきたと感じるのも、
そのような時なのです。

要するに意識は多くの人と心や意志が
通じるようになれば、それだけ、意識
のレベルが高いという事になっていく
という事です。
なぜなら、私たちの本来の意識という
ものは、誰も彼も全ての人がつながって
いる状態のワンネスだからです。
だから言葉などで、互いの意識をつなぐ
事でも、より意識の高い状態に自分を
引きあげていく事になるわけです。
当然意識の高い状態は、運気も上がり
ポジティブな感情につながるので、
どんな人にとっても大事な事だと
いう事ですね。

この記事の続きは、潜在意識と無意識の
違いという事になります。

ではまた(^^)/

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アニータさん奇跡の回復 その9  自分の変わり果てた姿に涙


前回までのあらすじ

アニータさんが、臨死体験領域の中でも
最高の境地である、「絶対意識領域」に
到達した事で、未来や過去などを俯瞰
できただけでなく、あらゆるタイムライン
のパラレルワールドを一望できました。
その時の認識を、通常の臨死体験者たち
と違い、そのままの状態で肉体に戻る
事ができたのが、このアニータさんだと
いうわけです。
そして、彼女は末期癌で苦しいだけの身体
にもはや戻りたくないと決心していました
が、いくつもの未来の中に自分が、この
意識のまま身体に戻れば、癌は急速に
なくなっていくという未来のビジョンを
見つけて、その確信とともに、身体に
戻ってきたというわけです。

身体に戻ってからの彼女は、ビジョン通り
末期癌から急速に回復していきますが、
それは現代医療の世界では考えられない
ものであり、事実アニータさんの担当医
は驚きを口にしてばかりです。
アニータさん自身は、、身体に戻って
きて以降、自分の意識が体験前とがらり
と変わり、まるで子供のように、音楽が
聴きたい、アイスを食べたい、家族と
話したいとはしゃぐのでした。
そして、外の風景を観た時には、涙を
流す程の感激をするのでした。

さて今回はその続きからです。

『』内が引用で~が中略になります。

『集中治療室を出てから数日後、私は
筋力をつけるために理学療法を始め
ました。初めて部屋の中を歩けるように
なった日、看護師が気遣いをしてくれて、
鏡のあるトイレに連れて行ってくれ
ました。ところが、鏡をのぞきこむと、
なんと骨と皮だけの自分が映っていて、
その姿にひどく滅入ってしまったの
です。そんなに落胆したのは、昏睡
状態から覚めて初めてでした。
 私は、数分だけ一人きりにして欲しいと
看護師に頼みました。そして、鏡の中の
自分をじっと見つめましたが、目の前に
いる人物が誰なのか、まったくわかり
ませんでした。髪の毛はほとんど抜け落ち
、目はくぼんで大きな眼球だけが目立ち、
頬骨が突き出ていました。右耳下の首には
ばんそうこうが貼られ、ぱっくりと開いた
皮膚病変を隠していました。鏡に映った
自分の姿に釘づけになり、涙がとめどなく
流れてきました。
 虚栄心から泣いたのではありません。
その時、私にとって、身体的な外見は
重要ではありませんでした。
むしろ、今鏡の中にいる人物を誰かが
見たら、きっと抱くであろう哀れみを
感じ、涙が出て来たのです。それは
心からの共感を伴った悲しみでした。
私は自分の姿の中に-その顔や目の中
に-これまでの長い年月にわたる苦しみ
を見ていたのです。
「どうして、これほどの苦痛を自分に
与えてしまったのだろうか?
なぜこんな苦しみを課したんだろう。?」
私は悲嘆に暮れました。
私自身が、自分に対して行ったのだと
痛感していました。
鏡の方へ手を伸ばし、そこに映る涙に
ぬれた顔に触れながら、二度とこんな
ひどい目にはあわせない・・・と誓った
のです。    』
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

まあなんと痛々しい姿なのでしょうか。
アニータさんは、自分の姿をまるで
他人のように客観視して、あわれんで
いたのですが、意識が肉体とは別にある
という事を、とことん実感して戻って
きているアニータさんならではの感覚
でもありますね。
つまり肉体は、自分自身そのものではない
という事を、臨死体験中にとことん体験
してわかっているから、まるで他人の
ように見つめて、悲しんでいるのです。
これが、
「今鏡の中にいる人物を誰かが
見たら、きっと抱くであろう哀れみを
感じ、涙が出て来たのです。それは
心からの共感を伴った悲しみでした。」
というアニータさんの言葉の意味なの
です。
つまりこれまでとは全く別の意識で
自分を客観視できるようになったと
同時に、やはり自分の宿る肉体なので
とても深い愛情を感じ、

『「どうして、これほどの苦痛を自分に
与えてしまったのだろうか?
なぜこんな苦しみを課したんだろう。?」
私は悲嘆に暮れました。
私自身が、自分に対して行ったのだと
痛感していました。
鏡の方へ手を伸ばし、そこに映る涙に
ぬれた顔に触れながら、二度とこんな
ひどい目にはあわせない・・・と誓った
のです。』

という慈愛に満ちたそして力強い言葉を
自分に対してかけてあげるのでした。

そしてこの後の彼女の外見をyoutubeで
ご覧になった方も多いと思いますが、
今回は、それをご用意しました。
もちろんどなたでもyoutubeで
検索すればいくらでも見つける事が
できます。
彼女は自身の体験談などを、世界を
飛び回りながら講演してまわって
おられるので、まあ今回の状態から
は確かに考えられない回復をしている
のが見てとっていただけると思います。
ていうか、本当に亡くなりかけていた、
骨と皮だけの人だったの?と二度見
してしまうような感じです。
それにビデオでは、私たちが、一体で
つながっている事、生きている時は、
ほとんどのものが見えてない事など、
わかりやすく伝えてくれてますので
必見です。
彼女はおそらく、身体が回復してから
数千回は講演をしていると思いますが、
この動画では、すでに10年ほどは
経っていると思われます。
私が初めて彼女の動画を見た時は、
本当に若々しく見えましたから、
それに講演は、昔とても長く一時間
くらいでしたが、最近は、この動画の
ように短い時間で済ますように、うまく
まとめているように思えます。
ただやはりというか、本にもあった
ように時空についての詳細な解説などは
いろいろ主流の科学界からの反発も
あったことでしょう、体験後間もない
頃の講演や本の内容よりいくらか、
私たちの日常の感覚に近づけた内容に
変えておられるのが見てとれました。

ただこの動画だけでも多くの気づきを
与えてもらえますので、18分ほど
お時間のある方は是非ごらんくださいね。
一時間近くの動画には、時空のすべてが
同時に存在していて、私たちはその宇宙と
一体である事などもかんたんに解説して
くれています。

Dying to be me! Anita Moorjani
at TEDxBayArea

ではまた(^^)/

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無から有が生まれる!?物質化現象の事例 その2


前回何もない空間から、塩が降って
きたなどの超常現象について
マイケル・タルボット氏の著書から
紹介させていただきましたが、
あらゆる超常現象について、科学的
考察をしていく、同氏の著書は物理学者
も参考にしたりしているようです。

またタルボット氏自身も幼少時から
多くの超常体験をしてきていて、
それをまた著書に書いておられますので、
引用させていただこうと思います。

これもまた無から有が生まれる、物質化
の事例です。

前回の記事の続きからという事で、
ワトソン氏の体験した事を引き合いに
出しておられます。

「」内が引用で、~が中略です

「前書きの中で私は、この本で述べていく
超常現象の多くは私自身にも直接体験が
あり、それもいくつか披露していきたいと
書いた。
そろそろ私も告白すべきときだろう。
ワトソンがインドネシアの小さな小屋で突如
として起きた念力の数々を目撃したときの
気持ちは、私にもよくわかるのだ。
というのも、私が子供のころ家族が新しく
引っ越した家(両親が自分たちで建てた
新築の家)が、ポルターガイストの舞台
となったからである。この家で起きていた
ポルターガイストは、私が大学に行く
ために家を離れたときも私についてまわり、
その現象がどう見ても明らかに私の気分に
結びついていたことから(わたしが怒って
いたり落ち込んでいるときには、その現れ方
も悪意に満ちており、明るい気分になると、
気まぐれで茶目っ気のある現象が起きる)、
私自身も、ポルターガイストというものは、
まわりでその現象が最も頻繁に起きている
人間の無意識レベルの念力能力の現れである
という考えをいつも受け入れてきた。

(マイケル・タルボットさんは原著で、
subconciousという言葉、
つまりサブコンシャス=潜在意識と
いっているので、これは訳者の方の誤訳
と考えて良いと思われます。
以前にも書いたように無意識と潜在意識
では大きな意味の違いがあり、この場合
は潜在意識という方が理に適っている
という事です。)

私の感情とこの結びつきは頻繁に目にする
ことができた。気分がいいときには、
朝目覚めると靴下が全部、部屋にある
観葉植物の葉の上にぶらさがっていたり
する。暗い気持ちに襲われているときは、
小さな物が部屋の中を飛んだり、ときと
して物を壊したりするようなかたちで
ポルターガイストが現れる。
私自身も、そして家族も友人も、かなり
広範囲にわたる念力現象を目にしてきて
いる。母によれば、私がまだよちよち歩き
の幼児だった頃から、食卓の真ん中に
あった鍋やフライパンがわけもなく飛んで
きて床に落ちる現象がすでに始まっていた
らしい。これらの体験については、拙著
『量子を超えて』の中で一部紹介した
ものもある。
私は軽い気持ちでこの告白をするわけでは
ない。ほとんどの人の体験と比べて、
こういった出来事がいかに常識とかけ離れ
ているかわかっているし、一部では懐疑的
な見方をされるであろうことも充分理解
している。にもかかわらず、この話を
しなければと私が感じるのは、このような
現象を理解しようとすることはきわめて
重要であり、「臭いものにはフタ」式に
目をそむけているだけではいけないと
考えるからなのだ。
ここまで語ることができても、私自身の
経験したポルターガイストがときには
物質化現象を伴っていたと認めるには
やはりまだ勇気がいる。この物質化
現象は私が6歳のときに始まったの
だが、夜中に砂利の雨を降らせるという
ものだった。その後、磨かれた小さな
小石、そしてよく砂浜から打ち上げられ
ているような角が丸く落ちたガラスの
破片の雨が、家の中にいる私に浴びせ
かけられるようになった。
ごくたまにではあったが、硬貨、
ネックレス、その他もろもろの小物が
物質化してくることもあった。
残念なことに、たいていの場合、私が
目にするのは物質化現象そのものでは
なく、その結果だけである。

(引用注:科学の公式見解というものが、
あるからこれだけ控えめなのか、厳しく
現実を捉えようとしているからなのか、
このように神秘的なジャンルの研修家は
わりと厳しく物事を捉える傾向にあるよう
です。そういう意味でこのタルボット氏
も同じく、厳しい見方をされていますがね
この場合、物質化現象そのものを目にして
いると私なら即座に判断します。
おそらくなにもない空間から予兆とともに
物質があらわれた場合、ようやく物質化
現象の過程を目にしたといいたい事の
ようですが、そもそも私たちの認識して
いるような物質の現れ方ではないので、
経過という時間の感覚そのものを取り
払って考えるべきだという事だと思い
ます。つまり突然物があらわれたという
事を物質化現象としてもなんら問題
ないという事ですね。)

たとえば、ある日ニューヨークの
アパートで昼寝をしていると、胸の上
にスパゲティが(ソースは無しで)
ばさっと落ちてきたことがあった。
そのとき部屋にいたのは私ひとりで、
他には誰もいないし、窓もドアも開いて
おらず、誰かがスパゲティの麵をゆでる
、あるいは私にスパゲティを投げつける
ために部屋に入ってきたという形跡も
なかったことから、理由は不明だが、
空気中から現れてわたしの胸に落ちて
きた冷たいスパゲティについては、
どこかで物質化したものと考えざるを
えない。
しかし物質化して現れてくるのを実際
に見たことも何度かあった。たとえば、
一九七六年のことだが、私が書斎で仕事
をしているとき、ふっと見上げると、
天井の10センチほど下の空間に茶色
の物体が突如として現れるのが見えた。
ぽっと出現するとただちにそれは鋭い
角度で方向を変え、私の足もとに
落ちた。拾ってみると、それはもとは
ビールの瓶に使われていたような茶色の
ガラスの破片の漂流物だった。
何秒間も続くような塩の雨ほど壮大な
ものではなかったが、この出来事は、
そのようなことが起こりうることだけは
教えてくれた。」

“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

マイケル・タルボット氏自身の
超常体験については、上にも書いたように
「量子を超えて」という本ですが、これは
原著しかないため私はその原著を購入
しております。
正式には
「BEYOND THE
      QUANTUM」
 MICHAEL TALBOT著
BANTAM NEW AGE
         BOOKS刊”
というもので、以前の記事
マイケル・タルボット氏の体外離脱体験     
で引用に使わせていただいて、タルボット氏
の体外離脱体験をご紹介しました。
結局超常現象を体験しやすい人という
のは、いろんなレベルでの超常体験を
する事が多くて、タルボットの
パリエーションも相当豊かなものとして非凡
です。
つまり高次元へのゲートが、自身に開かれて
いるので、そういうあらゆる超常体験を
しやすいという事なのです。

特に幼少時から少年時代にかけて、
タルボット氏は今回のようなポルター
ガイスト体験をそれこそ無数にしている
ようです。
これは、まだ表面の顕在意識でコントロール
できないレベルで、潜在意識が自分とは
別のもののように働き、あらゆる超常現象
を引き起こしていたということのようです。

ですが、自分の意識でないわけではなく、
表面で自覚できる意識ではないというだけ
の事です。
そして面白いのが、そのようなポルター
ガイスト現象は、タルボット氏自身の感情
に、とてもよく反応し、その感情によって
ポルターガイストの性質も、それに合った
ものになるという事です。
私たちは、感情の事を知性より劣ったもの
のように捉えがちだし、そのように誘導
されてもきましたが、もっと高いレベル
の領域でいえば、左脳を中心とした知性
よりも、感情の方がより高次元の領域に
及ぼす影響力が強いという事の証拠でも
あると思います。

それにしても砂利の雨が降ってきたり、
スパゲティが落ちてきたり、やたら
いろんなものが、タルボット氏のまわり
に物質化されて現れてきたという事が
今回わかったわけですが、これは、
つまり潜在意識の領域の力により、
いくらでも因果関係を無視して、物質
が生まれるものだという事を示して
いるという事です。
そしてまたそもそも私たちの現実は
意識の産物でしかないわけであり、
そうなるとレベルによってはいくら
でも物質を生み出したり、また打ち
消したりできるという事でもあり
ます。

さてそのような物質化を引き起こす
事で有名な、インドの聖者サイ・ババ
については次回の記事で取り上げる
事にします。

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超感覚的能力はムー言語の音の波動から!?


私は、これまで五感にもレベルがあり、
視覚より聴覚の方が、より超感覚的な
意識につながりやすいということを説明
してきました。
その参考になる記事としてとても有効なのが
五感にもレベルがあります その3    
聴覚がレベルが高い事について

という記事になります。
そこには、聴覚がなぜレベルが高いのかと
いう理由が詳細に書かれていますので
お時間のある方は是非ご覧くださいね。
そしてこの記事には、日本語の音の波動が
他国の言葉に比べて、とても低い領域に
あって、それが逆に日本人の意識レベルを
高いものにしてくれていると言う事を説明
しています。

さて世界最古の文明が日本にあって、しかも
ムー言語を最初に使い、世界に広めたのが
日本とその周辺地域だという事を前回の記事
でご説明しましたが、そのムー言語は、古代
からの日本に根強く残っているという事も
ご説明しました。

さて今回はそのムー言語が超感覚的能力を
発揮させるものだという事を神衣氏の
著書から引用させていただきます。

『』内が引用で、~が中略です

『超感覚的能力を発現させたムーの特殊言語

ムー言語(世界共通祖語)は現代とはまるで
異なる性質の言語であった。この言語の意義
についても少し考えてみよう。
 太古のムー文明の人々は、一つの音にそれ
固有の働きや意味を認識していた。
そして彼らの言語は、現代語のような複雑な
音の組み合わせはない変わりに、音の数が
はるかに多く、一音での伝達量も多かった
のだ。
神々を中心とする彼らの生活は、神々の働き
である音声に鋭敏な認識眼を注がせた。
奈良時代でさえも、~現代語よりはるかに
多い八十五音の使い分けがなされていたと
言われている。ムー言語は、それよりも
はるかに繊細な感覚であったに違いない。
 この、現代語のような論理的構造語か、
ムー言語のような感覚的言語かの違いは、
精神機能に大きな影響を与えたに違い
ない。
角田教授の研究結果のように、この言語
との差異と比べたらわずかな違いしかない
日本語と欧米語で育った人との間にさえ、
明確な脳の働きの差異が実際に認められ
ている。
 であるならば、現代語とはまるで
異なるこの言語は、脳機能にさらに
大きな差異をもたらしたとしても
おかしくはない。
この失われた言語は、彼らの感覚的
精神機能全体に影響を与えていたに
違いない。
彼らのこの我々とはまったく異なる性質
の言語は、超感覚(自然の存在との直接的
交換の働き。現代人がテレパシーと言う
とき、それは個人の能力的なものとして
とらえるが、この概念とはややずれが
ある)による大自然と融合した文明を
発達させる引き金となったと思われる
のである。
 そして次章で詳しく述べるが、この
失われた太古の言語の性質は日本語に最も
強く残されているのである。』
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

今回日本語の元型ともいえるムー言語が、
とても音の数が多く、一音での情報量も
多かったという事ですが、奈良時代で
さえ、現代語よりはるかに多かった
という事で、いかに古代では言葉の音が
重要であったかが、わかりますね。
私たちも、あ・うんの呼吸でわかりあう
というのを、ある意味テレパシーのよう
な共感能力を表すものとして、喩えたり
しますが、あ・うんだけで多くの意味も
古代にはあったのだろうという事でも
あると思います。
また私たちは言霊というように、言葉
には神聖な神秘的なパワーが宿ると
されてきました。
つまり良い言葉は、良い波動を生み、
そして良い運気につながるというもの
です。
これは真理ですが、この場合の言霊を
音霊ともいわれたりします。
つまり目でみる形にした言語という
より、音の波動そのものに神が宿ると
いう感覚です。
これは古来より、日本人が、言葉の音を
大切にしてきた証拠だといえると思い
ます。

音の波動による創造その1      
サイマティックスとは?

という記事では、
まさにその音の波動が、高い意識、
創造的な意識を刺激してくれるという
事を説明しています。

さてこのような音の波動を数多く使い
分けていたという太古の世界共通語で
あるムー言語は、日本に最も強く残さ
れているという事でしたが、次回は
日本語の吸収力と受容性について、
ご紹介していこうと思います。

次回もまたお楽しみにー(^^)/

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この世は本来の世界のコピー!?   古代グノーシスの教え


この記事は、昨日投稿しました
真実を語り異端とされたキリスト教カタリ派とは?
という記事の続編になります。

カタリ派は、中世ヨーロッパの
キリスト教の一宗派でしたが、
「輪廻転生」など、キリスト教の
教えに反する事を広めたとして、
弾圧というか、大虐殺されたと
いう話を前回ご紹介しました。
カタリ派は、現在の物質界を創造した
のが、ルシファーという堕天使で、
天から追放された後は「サタン」と
呼ばれるようになったという事を
説いていました。
当然このこともキリスト教の教えに
反する事なので、弾圧の理由の一つ
にもなったというのですが、彼らは
そのようなルシファーが創った
「物質界」は悪だといいます。
実は、これと同じような事を説いて
いる、カタリ派の源流ともいえる
古代の知的集団が、グノーシス派と
呼ばれるものなのです。
当然キリストに弾圧されましたが。
そして長らくその知識は歴史にうずもれた
ままだったのですが、
1945年にエジプトのナグ・ハマディ
という村で、初期のキリスト教の写本が
みつかり、そこにグノーシス主義の
思想が、多く記されていた事により、
明るみに出る事になったのです。
そもそもローマ皇帝により、キリスト教を
国教とする過程で、それまでの知識を
記した本や文書が大量に破棄され燃やされ
てしまい、さらにキリスト教自体も都合
良く改ざんして編纂されてしまったのです。
その時にわずかに難を逃れた文書があった
という事です。
つまりこのナグ・ハマディのキリスト教の
写本は、キリスト教が改ざんされる以前の
文書だという事です。
つまりこの写本から、古代の知識を得る
チャンスが生まれ、多くの研究家によって
知られるところとなったという事です。
そしてそこに書かれていたのが、
グノーシスの教えだったという事なの
です。

さてそのグノーシスの教えとはどんな
ものなのか、説明しておられるサイトから
引用させていただきます。

「」内が引用です。

「グノーシス(gnosis)という言葉は、
もともと古代ギリシア語で「知識」や
「認識」のことを意味する言葉であり、
より具体的には、人間が宇宙全体を
俯瞰してその仕組みを理解すると同時に、
自分自身の心の内を深く内観することに
よって得られる神秘的な知識としての
真理のことを意味する言葉ということ
になります。
グノーシス主義では、ミクロコスモス
(小宇宙)である人間は、根源的には
肉体と精神という二つの側面に分裂した
存在として捉えられ、
肉体がもたらす欲望が人間を悪しき道へ
と引き込む悪しき存在であるのに対して、
精神における知性の働きは人間を正しき道
へと引き戻して真理へと導く善き存在
であると捉えられることになります。

それと同様に、
マクロコスモスである宇宙についても、
それは物質的存在から成る悪しき宇宙と、
神的で精神的な存在から成る善き宇宙
という二つのあり方に根源的に分裂した
存在として捉えられることになります。
そして、グノーシス主義においては、
物質的存在から成る悪しき宇宙とその内
にある悪しき肉体から離れ、自分自身の
心の内にある人間の魂の神的な本性を
自覚することによって魂の救済が
得られると考えられることになるの
ですが、こうした自分自身の魂と宇宙全体
の真理に関する神秘的な認識のあり方こそ
が、グノーシス主義におけるグノーシスと
いう言葉が持つ具体的な意味の内実である
と考えられることになるのです。
・・・

以上のように、
グノーシス主義におけるグノーシスと
いう言葉は、もともと古代ギリシア語に
おいて「知識」や「認識」のことを意味
する言葉であり、
それはより具体的には、自分自身の魂と
宇宙全体の真理を探究することによって
得られる神秘的な認識のあり方のことを
意味する言葉であると考えられることに
なります。」

“出典:
TATANの雑学と哲学の小部屋」様”

このことから、私たちの五感で捉える
物質宇宙は悪であり、肉体の欲望が人々を
悪へと導くという事をいっているわけです。
まあ肉体的な欲望全てを悪だというのは、
私の見解とは違います。それは単なる
肉体的プログラムで、それをコントロール
する心さえあれば、人生の経験として
尊重して良いと思いますが、ここで
注目していただきたいのは、その肉体的
欲求も物質宇宙も同じく、悪のような存在
ルシファーまたはサタンによってつくられた
という事を、前回ご紹介したカタリ派が説いて
いたという事です。
そして実は、グノーシス派も同じような事を
説いていたのです。

このことはデービッドアイク氏の著書
「PERCEPTION 
    DECEPTION」
と「PHANTOM SELF」
に詳しく書かれていましたので、それを
訳した内容をご紹介します。

グノーシスでは、物質宇宙とその外側の
境界には、土星があり、その向こうに
悪の象徴があると説いています。
単に当時土星が最も遠い天体として認知
されていたからというだけにも思われる
かも知れませんが、土星の内側の領域が
コントロールされているという事は
真理をついていると思えます。

またこの物質宇宙をつくったのが
アルコン(Arcon)という存在で
我々の支配者だという事なのです。
しかもこのアルコンの綴り「arch」
なのですが、英語の支配者に関する
単語に多く使われているのです!
列記しますと。

monarch 君主

hierarchy 王制

archfiend 大悪魔

archbishop 大司教

archangel 大天使

このように英語の支配者や悪魔などを
示す単語に「arch」の綴りが
使われているのは偶然ではなく、古代
ではこのアルコンというのは、支配者を
示している言葉だという事が広く
知られていたという事なのでしょう。

第一のアルコンは特にデミウルゴスと
呼ばれて、正確にいうとこの存在が
物質宇宙を創ったという事です。
つまりカタリ派のいう「サタン」と同じ
ような存在だという事ですね。

アルコン(デミウルゴス)は、この世界
を一から創ったのではなく、本来の宇宙
をコピーして創った粗悪なコピーだ
という事です。
(ここはとても重要で、私たちが肉体を
離れた臨死体験で、遭遇する天界は、
私たちの世界とよく似ているけど
まるで天国のように祝福された場所
だというように証言されてますが、
まさにこれが本来の宇宙だという事
であれば、つじつまが合うわけですね)

そしてこのアルコンは、人類から恐怖の
エネルギーを吸収するために働く機械的な
存在だという事です。
(つまり彼らが一種のプログラムで、恐怖の
エネルギーを吸収するコンピューター
ウイルスのような存在だという事です)

そして調和のエネルギーは、彼らにとって
マイナスに働きます。

彼らの吸収する恐怖エネルギーというのは、
心配、憂鬱、競争、復習、ストレス、嫌悪
憤慨、争い、矛盾という派生エネルギーに
分かれてもいます。

また恐怖以外のエネルギーとして、死と苦痛
不幸、また愛情のない性的エネルギーなど
があるという事ですが、要するにあらゆる
ネガティブエネルギーを吸収する事で、存在
できるものだという事ですね。
となるとグノーシス派がいうように物質世界
との境界にある土星が、そのような
エネルギーを生みだすプログラムを発信
しているのであれば、またつじつまが合う
という事ですが、まさに土星の占星術的な
エネルギーは、今いったネガティブ
エネルギーそのものなので、これまた
アルコンにより、土星(リンク)から発信
されるプログラムが作成されたという事を
示唆していることになります。
そしてこのことが、私たちがほって
おいたら、暇になったら悩み出すと
いわれる不思議を説明している記事
私たちが悩むのは、プログラムのせい! 
だったら解除しましょう!

につながるというわけなのです。

また太古からの神(偽の神アルコンの事)
へのいけにえは、真の恐怖のエネルギー
の供給として最も適しているという事
ですが、まさに太古の神がアルコンの
ような存在である事を裏付けてくれて
いますよね。
神様がいけにえを欲しがるなんて、どう
考えてもおかしいですからね、まさに
偽の神であるアルコンであれば、納得が
いきます。

バベルの塔以来、言葉は人間を分断させる
ために神がつくったとされていますが、
まさにその神はアルコンの事だといえます。

LIVE(生命・肉体)は逆から綴ると

EVIL(邪悪、不幸)となりますが、

これはアナグラムといって、綴り順を
変えた言葉に、意味を隠すという太古から
支配者が好んで使った技法になります。

(もちろんこれはアルコンが、そう意図
したという事で、生命自体が不幸と
いう意味ではありません。しかし、
真実の月編の
月のエネルギーの真実 
その1我々の身体について
)という
記事でもご説明したように、私たちの
肉体が、全て理に適っているとするには、
あまりにも不自然であるという事も
明らかです。しかも
進化論の破綻と月とのつながり改
世界の学校教育で「進化論」排除の動き
   進化論があり得ない理由

という記事でご説明したように、私たちの
肉体が自然にできあがったものではなく、
意図的にプログラムされたという事で
あれば、なおさらこのアルコンとの
つながりを意識せざるを得ないという
事なのです。)

つまり我々生命体も、彼らのプログラムに
よって操作されてできているという事が
考えられるわけです。

ただからくりさえ知れば私たちは、即
自由になれるのです。

デミウルゴスもその下のアルコンも
「ゆがみ」という性質そのものらしくて
「調和」または「愛」が対極にある
という事です。
つまり彼らは「調和」のエネルギーから
離れる事によってのみ存在できるもの
であって、私たちが調和や愛を意識の
中心におけば、彼らは近づく事もできない
という事なのです。
つまりLIVE(生命)を真に自分たちの
ものにできるという事ですね。

今回は、物質宇宙のからくりを知るのに、
とても良い知識を得られたと思います。
人類の古来からの歴史が、なぜ戦争や
虐殺など悲惨な事を繰り返してきたの
かも、これでうなずけますね。
これは、恐怖をはじめとした、ネガティブ
エネルギーを吸収するために、意図的に
誘導されたという事だったわけです。
なぜならそのエネルギーこそが、アルコン
のような邪悪な存在を維持するために
必要なものだからというわけです。
しかし私たちは、調和と愛に生きる事に
よって、そのような歴史を繰り返さずに
済むという事なのです。

ではまた(^^)/

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真実を語り異端とされたキリスト教カタリ派とは?


輪廻転生の概念は、古来から世界中
での宗教や伝承でも広く伝え継がれて
きましたが、キリスト教では、死は
全ての終わりを意味していて、全て
の人は、最後の審判の日に復活して
審判を下され、天国へ行くか地獄へ
行くかを決定される運命にあると
いう事で、輪廻転生のように何度も
魂が生まれ変わるというような事は
ないという教えです。
ですがかつて中世のヨーロッパでは
キリスト教の一派に、輪廻転生を
説いているカタリ派という存在が
あったのです。しかも広く信者を
集めていいました。
もちろんローマカトリックの総本山に
よって、迫害、弾圧され、根絶される事
になりましたが、その教えと歴史は今に
伝わります。
その彼らの言っている事に真理がある
と思われますので、詳しく紹介して
くださっているサイトから引用させて
いだきましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「 カタリ派
 カタリ派というのは「12世紀南フランス
のラングドック地方に出現した」キリスト教
の一宗派だそうです。「悔い改めない罪人は
永遠に地獄に閉じ込められる」と説く
キリスト教の主流の教義に対して、カタリ派
が説いた「輪廻思想」は、これとは別の
可能性を示すものとして「急激に台頭した」
と考えられているようです。
 「カタリ派はふたつの創造神が存在すると
信じていた」のだそうですが、そのひとつは
「不可視の霊的領域を創造した」
「善なる神」で、いまひとつは「物質界を
創造した神」としてのルシファーです。
このルシファーは「天から追放される前」は
「光の天使」でしたが、追放後は「サタン」
と呼ばれるようになったそうです。
ルドルフ・シュタイナーの著作の中には、
このルシファーのことがたびたび現われ
ます。
なるほど、私たち地球人が親しんでいる、
この物質で満たされた物理次元の世界という
ものは、「神の階層」のかなり上のほうに
いたルシファーという名の意識体によって
生み出されたということなのですね。
 スタニスワフ・レムは
「新しい宇宙創造論」で、この物理世界を
「機械」として生み出した、「最初の世代」
の星で進化した知性体のことに触れています
が、星で進化したかどうかはよく
分かりませんが、わたしたちが観測している
「物理世界」を生み出した知性体の、ひとつ
の候補として、このルシファーが挙げられる
ことになります。
 カタリ派の教義は、同じキリスト教の、
グノーシス派やエッセネ派のものと近い
らしく、
いずれも(詳しく調べたわけではないので、
よく分かりませんが)、キリスト教における
原初の理解へと戻ろうとするもののよう
です。
 グノーシスという言葉は「神を直接体験
すること」を意味しているのだそうですが、
「神」という言葉を使うのではなく、
「意志」や「抽象」という言葉で表している
ものの、それに関しての「直接的な体験」を
指導しようとしているのが、ドン・ファンら
の呪術師の世界での、ナワールたちです。
 カタリ派では「手をあてて治療する」こと
もやっていたようで、このとき
「霊的なエネルギー」
が伝えられるということです。これも、
呪術師たちの認識とよく対応しています。
 また、カタリ派の(男女の)司祭は
「心霊的な能力や治癒能力があるという理由
で選ばれた」ということから、
「奇妙な邪教」として、あるいは「魔法や
妖術やオカルト」
にまつわるものとして、告発されたという
ことです。
 このような事情は、
アメリカ・インディアンの
呪術師たちの世界では、告発なぞ、
ありえなかったことと考えられます。
「心霊的な能力や治癒能力がある」という
ことは、素晴らしいことであり、尊敬に
値するものであったはずです。
 ところが、キリスト教では、これらの、
本来の教えそのものが、人間がもっている、
さまざまな弱点によって、どんどんと
変化させられていったのでしょう。」
“出典:「冥土院日本」様”

このあととてつもない大虐殺が行われ
カタリ派は根絶される事になったわけ
ですが、キリスト教というものの正体が
本当によくわかる一面でもあります。
まだ他にもグノーシス派などもカタリ派
と同じ様に真実を説いては弾圧されて
いったようですが、他にも魔女裁判での
虐殺とか、まさにキリスト教が残虐な歴史
の上に成り立っているもののようです。
ただ、私たちは、こういう事を知って
キリスト教の世界観とは、全く違う世界
が真実であるという事に気づかないと
いけません。弾圧された方がまさに真理
を残してくれていたという事なのです。
グノーシス派の事らについては、また
別の記事で紹介していこうと思って
いますが、このカタリ派の教えに多くの
真実が残されているという事を、今回は
説明させていただきましょう。

まずルシファーというような悪魔そのもの
の存在を、一般の人々はすぐに眉唾もの
として、または架空のものとして一蹴した
がりますが、実は、シュタイナーや
グノーシス派また世界中の伝承や宗教、
などでも語られているように実在している
ものなのです。
当然拒否反応を示されるでしょうが、
実は興味深い実例を私はすでに神秘
メッセージの記事でご紹介しているの
です。
それが
非人格的霊というもの 悪霊の一つの形
という記事なのです。
これは憑依した霊が、語った言葉
として、自分が邪悪な存在である
事を細かく説明しているのですが、
その存在は、数千年の間崇拝されて
きた存在であるといいますが、
なんと
「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
の雰囲気の中で成長する」
存在であるといっているのです。
これはまさく悪魔という存在そのもの
ではないですか、しかも自分は
もともとは光の存在と一体であったとも
いっていることから、呼ばれ方は
違っても悪魔ルシファーやサタンと
全く同じ存在であるという事がわかり
ます。これは「教え」や「言い伝え」
とは違い、現代における霊自身の言葉の
実例である事が、真実の裏付けになって
いるという事なのです。
(この憑依霊のような小さい存在だけが
「サタン」といっているのではなくて、
私たちの感覚と違い、このような存在は
時空に関係なく存在しているので、当然
「サタン」や「ルシファー」の一部だと
いうことです)

そしてまたこの物質世界を創りだした
「サタン」という存在こそ、物質的な
現実を届けるリングを持っている土星
つまり「サターン」だという事なのです。
このことは、土星の真実編の一連の記事
で詳しく説明しています。
つづりが違うからというのは、古来から
伝わるアナグラムという、似た言葉に
真実を隠すという技法で、今に伝わる
からといえると思います。
とにかく超常能力を使って、人々を治療
してまわるようなこのカタリ派の言葉を
信じるか、そのような宗派を大虐殺に
よって根絶やしにするキリスト教の
総本山ローマカトリック教会を信じるか
尋ねるまでもないでしょう。
カタリ派と似たような事を語って、弾圧
されたグノーシス派については、また
別の記事で紹介させていただきます。

ではまた(^^)/

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現実とは、自分で創り出したイメージの投影  


この記事は昨日投稿しました
現実そのものを創造できる少女
という記事の続編にあたります。

前回の現実自体を変えられる能力
という記事は、私たちが日々確実に
機能していると思い込んでいる
現実感覚がどれほど確かなものか
考えさせられる実例でした。
実際に私たちは、目の前にある
ものが、絶対的な現実であるといい
切れるのか?これまでご紹介した
超常現象や臨死体験事例などは、
私たちが、現実のほんの一部しか
捉えていない事を示唆してくれる
ものでした。
その私たちの現実感覚をまたしても
揺るがす事例をご紹介しましょう。
幼少の頃からポルターガイストなど
の神秘体験とともに育った、
マイケル・タルボット氏の著書から
引用させていただきます。
これは昨日の記事でご紹介した
森を出現させる少女の実例の
あとに続いた部分です。

「」内が引用で~が中略です。

「一九七五年、ミシガン州立大学の
四年生だったとき、私もこれと同様の
、現実感を根底から揺るがすような
深遠な体験をしたことかある。
そのときわたしは、ある教授と
レストランで夕食をともにしながら、
カルロス・カスタネダのさまざまな
体験の哲学的な意味について語りあって
いた。特に話題になっていたのは、
『呪術師に成る』(二見書房、一九七四)
の中でカスタネダが述べていたある
出来事だった。
ドン・ファンとカスタネダは、ある精霊
を探し求め、夜の砂漠を行くのだが、
そこでふたりは仔牛のような外見であり
ながら、狼の耳と鳥のくちばしをもった
生き物に遭遇する。その生き物は体を
丸め、断末魔の苦しみにあえいでいるか
のような叫びをあげていた。
 最初はカスタネダも恐怖に駆られるが、
自分の目にしているものはとても現実
ではありえないと自分自身に言い聞かせる
と、彼の視覚は変化し、この死にやく
精霊が、実は地上に落ちた木の枝が風に
震えている姿であることを悟る。
カスタネダは勝ち誇ったようにこの生き物
の真の姿を指摘するのだが、いつものように
この年老いたヤキ・インディアンの
シャーマンはこれを頭ごなしにこきおろす
のだった。カスタネダに対し彼はこう
言った。
この木の枝は、力に満ちていたときには
実際に死にゆく精霊だったが、カスタネダが
その存在に疑いをもった瞬間、それは木の枝
に変容してしまったのだ、と。しかし、
ドン・ファンはこのどちらも現実であること
には変わりがないとも強調する。

教授との話の中で、私は二律背反的な現実が
どちらも現実として存在できるという
ドンファンの主張にはどこか惹かれるものが
あり、この考えによって多くの超常現象が
説明できるような気がしてならないと
言った。
この話をしたすぐ後に私たちはレストランを
出たのだが、晴れわたった夏の夜だった
ので、ちょっと散歩でもしようということに
なった。
話を続けながら、私は前を歩いている数人の
グループに気がついた。耳にしたことのない
外国語で話していて、騒がしく声を上げて
いたので、かなり酔っているように見えた。
また、そのなかの女性のひとりが緑色の傘を
もっていたが、雲ひとつない夜空だったし、
雨が降るとも聞いていなかったので、なにか
変な感じがした。
 私たちは、ぶつからないように歩くペース
を落としたのだが、そうしているうちに、
突然この女性は手にした傘をぶんぶんと
乱暴に振り回しはじめた。傘は空中に巨大な
円を描き、ぐるぐるまわるその先端は、
何度か私たちの鼻先をかすめそうになった。
私たちは、歩く速度をさらに落とした
ものの、このパフォーマンスは私たちの
注意をひくためのものであることが明らか
になってきた。そして、私たちの視線を
自分の行為にしっかりと釘付けにしたこと
がわかると、彼女は両手でこの傘をもち、
頭の上にかざすと、私たちの足もとに
投げつけてきたのである。
 いったいなぜそんなことをするのか
不思議に思いながら、私たちはふたりとも
あっけにとられてその傘を見つめていたが
、次の瞬間、目をみはるようなことが起き
はじめた。
この傘が、まるで消えかかっている
提灯の炎のように「明滅する」としか言い
表しようのない状態になったのだ。
そしてセロハンをくしゃくしゃにしたとき
に出るような、バリバリという音をたて
ながら、目を奪われるような色とりどりの
まばゆい光を発すると、先端が曲がりだし、
色が変化して、灰色がかった茶色の
ふしくれだった棒きれにその姿を変身
させてしまったのである。
私はただ呆然として、しばらくは口も聞け
なかった。教授のほうが先に口を開き、
明らかにショックを受けた静かな声で、
たしかにこれは傘だと思ったのに、と
言った。
何か尋常でないものを見ましたかと
聞くと、彼女(引用注:教授が女性
だという事です。)はうなずいた。
ふたりでそれぞれ何が起きたかを書き
とめてみたが、内容はぴたりと一致
していた。
違いらしい違いと言えば、教授の
ほうは、傘が棒きれに変容したとき、
「ジュージュー」という音がしたと
書いていたことだが、これもセロハン
をくしゃくしゃに丸めるときの音と
そうひどく異なっているとは言え
なかった。~
~教授も私も、傘の不思議な変身に
完璧に目を奪われてしまい、やっと
落ち着きを取り戻して何かたずねよう
としたときには、すでに彼女らの
姿はどこかに消え去っていた。
いったいなぜこのような事件が
起こったのかはわからないが、ただ
ひとつ言えるのは、カスタネダの
同様の体験を私たちが話し合って
いたことと関係があるのは明らか
だという点だけだろう。」

“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

これは現実自体を変えられる超常能力 の記事
でご紹介した事例に似た事例を、著者で
あるマイケル・タルボット氏自身が、
体験した事を紹介しているわけですが、
まさに幻覚のようにも見えますが、
本人達にとっては明らかな現実であった
というわけです。
これは催眠効果に似ていなくもないよう
に思われる方もいるかも知れませんが、
私たち自身が、一種の催眠効果で、現実
を捉えているともいえるわけです。
この事は、「五感にもレベルがあります」
シリーズの一連の記事をご覧になれば、
よくわかっていただけると思いますが、
要するに、とてつもなく狭い領域の
五感の感覚が、現実の全てのように錯覚
しているのは、我々自身が催眠状態に
あると言い換えてもかまわないからです。
つまり我々は、感覚のみで現実を把握して
いるので、現実だと感じられたという事
であれば、それもまたれっきとした現実
であるという事なのです。

我々は五感の現実を共有しているから、
やはり確固とした現実感覚を持って
いるのですが、それは、あくまでも狭い
五感の領域の範囲内での事です。
その感覚からして、これはあり得ない
と思えても、この事例もやはり複数の
人間のれっきとした共有感覚なのです。
つまりこのケースを現実だといっても、
共有感覚という意味では、確かなもの
だといえるわけなのです。
つまりわれわれが、前回と今回のような
超常現象的な現実を共有すれば、または
それを感じられるか理解できれば、
やはりれっきとした現実であるという
事になるというわけです。

今回の記事のような事例を見て、私たち
は、現実についてもっと感性を広げて
捉えるようにしなければならないという
事がいえると思います。
というのも、このマイケル・タルボット氏
と教授が、カルロス・カスタネダの幻覚の
ような現実の体験について、語り合って
いた後で、散歩をしている最中に似た
ような現実に直面したという事に大きな
意味があるのです。
しかも、そのマイケル・タルボット氏ら
二人の遭遇したものが、やはり最終的に
似たものに変容してしまったというところ
まで似ているのです。
カスタネダの体験では、化け物のような
姿をしていた獣が、木の枝に変容して
しまったのに対して、タルボット氏の
方は、まばゆい光を発していた傘が、
ふしくれ立つた棒きれに変容したと
いう事ですが、この木の枝とふしくれ
だつた棒きれは、あまりにも酷似して
いますよね。
つまりタルボット氏の会話を聞いている
はずもない通行人が、カスタネダの体験談
と同じ様な現象をしてみせるというのは、
単なるシンクロを越えたつながりがある
事も示しているのだろうという事なの
です。
まるで、高次の存在が、真実を
タルボット氏に教えるために、その
ような現実を創造してみせたようにも
見えるし、またタルボット氏と教授が
共有している大いなる一つの自分が、
カスタネダの体験談に見合う現実を
創りあげたのだという見方もできます。

私たちは、現実についてこのような
あらゆる事例をひもといていく事で、
固定観念や先入観をどんどん取り払って
いくべきなのだろうと思います。

またマイケル・タルボット氏自身、
このような超常現象に会いやすい人物
だという事を説明しておられますが、
それについては、また続きの記事に
書かせていただきます。

ではまた(^^)

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現実そのものを創造できる少女  ホログラムの現実という真実


これまで、ホログラフィックな現実の
仕組みや、古来から多くの賢人や術者に
よって未来を創造する「視覚化」という
能力に関する事など、貴重なヒントを
数多く与えてくれているマイケル・
タルボット氏がまた、驚くべき超常能力を
発揮できた少女の実例を、著書に書いて
おられるので、引用させていただきたい
と思います。
まずは、現実全体を変える超常能力と
いうものについてのタルボット氏の
鋭い見解からです。

「」内がすべて引用で、~は中略です

「 現実全体を根こそぎ変えてしまう

ある意味で、物質化現象は、現実に関して
私たちがもっている常識的な見方を最も
激しくゆさぶるものだと言える。という
のも、念力のような現象までなら現在の
私たちの世界観の中になんとか取り込め
ないことはないものの、何もない空間から
物体を創造するとなると、世界観の基盤
そのものをゆるがすことになるからだ。
ところが、精神ができることは、それだけ
にとどまらないのである。これまで見て
きたものは、奇跡といっても現実の
「一部分」に関わっているにすぎない。
たとえば、念力を使って物をあちこち移動
させる(物理的法則)、火に対する耐性を
もつ、物質化させる(血液、石、宝石、
灰、栄養素、涙)などである。
しかし現実が切れ目ない全体性である
とするなら、なぜ奇跡は現実の一部分に
しか関わっていないように見えるの
だろうか?
 奇跡が精神のもつ潜在能力を示す例で
あるなら、この問に対する答は、当然
つぎのようなものになる。
すなわち、私たちは世界を部分に分けて
見るように深いレベルでプログラム
されているから、ということだ。
これはつまり、もしそのような
プログラムがそれほど強くなく、世界を
ちがった見方で見ることが可能ならば、
奇跡もまたちがったものになるという
ことを意味している。そうなると、
現実の一部分が変容するような奇跡の
例よりも、現実全体が変容する例を
もっと多く目にすることになるはず
なのだ。
実はそういった例もいくつか存在して
はいるが、それはまれであると同時に、
現実に対する私たちの常識的な見方に、
物質化現象よりもさらに深刻に挑戦
してくるものなのである。」

さすがに本人も、少年時代にポルター
ガイストなどさまざまな超常能力を
発現させたマイケル・タルボット氏は
、視点が非凡なのがわかりますね。
超常能力の発揮だけでも、私たちには
充分な奇跡に思えるものですが、
さらに高いレベルの見方を提示して
くれているという事です。
確かに、我々がよく目にし耳にする
超常能力のほとんどが、現実の一部分
にしか、関わらないものが多いです
よね、そこに目をつけたのが、
タルボット氏の見解というわけですが、
その理由が、とても納得のいくもの
でした。

私たちの意識は、確かに物事を部分
的に分割して見るように、習性づけ
られているといえます。そのため、
超常現象も部分的な影響力しか
持てないという事です。これは真理
だと思います。なぜなら私たちは、
まさに全意識が本来の姿なので、
可能性を限定させる力は自分の中に
こそあると理解できるからです。
そして五感の感覚は、物事を分割して
見る事にこそ適しているものです。
特に視覚が。
五感にもレベルがあります その2
視覚の死角について
という記事を
ご覧になれば、理解の助けになると
思います。
ここでサビアンシンボルの魚座26度
の「影響を分割する月」が想起されて
きました。生命プログラムとしての
月の影響を示すこのシンボルは、生命
の誕生の牡羊座の直前にあたるので、
とても興味深いものとなっています。

このように私たちは、生まれる時点で
物事を分割的にみるような意識に
制限されますが、その制限から解放され、
現実を全体として意識するようになれば
制限された能力も解放され、超常能力も
発揮できるようになるという事なの
です。
そして我々が現実を全体として見る
意識が、さらに高いレベルになれば、
現実そのものを変える超常能力も発揮
できるという事なのです。
そういう例を、タルボット氏が取り
上げてくれているという事なので、
見ていきましょう。

「ワトソンがそのような例を示して
いる。インドネシア滞在中に、彼は、
この種の力をもつもうひとりの若い
女性に出会っている。その女性の
名前はティアといったが、前述の
アリン(無意識のうちにポルター
ガイスト現象を引き起こした少女)
とは異なり、彼女の力は無意識
レベルのサイキックな才能の表れでは
ないようであった。それは意識的に
コントロールされており、ほとんどの
人の内部に眠っている「力」に、
ティアが生まれつきのつながりを
持っていたことから発しているもの
だった。
ティアはひとことでいうなら、
完成途上のシャーマンだったのだ。
ワトソンは彼女のこの特異な能力を
何回か目のあたりにした。奇跡的
治癒を行うのも目撃もしたし、一度は
~彼女が自分の精神の力を使って
モスクの尖塔を発火させるところさえ
目にしている。
 しかし、ティアの最も凄まじい
力を見せつけられたのは、ケナリの
林の木陰で、彼女がひとりの少女に
話しかけているところに偶然出くわ
したときのことだった。遠くから見て
いても、ティアのしぐさから、彼女が
なにか大事なことをこの子供に伝え
ようとしていることがワトソンにも
わかった。ふたりの会話は聞こえな
かったが、ティアがいらついている
様子だったことから、これがうまく
伝わっていないことが見てとれた。
やっと何か思いついたらしく彼女は
不気味な踊りを始めたる
 ワトソンは、彼女が木に向かって
手をさしのべるのを我を忘れてじっと
見つめていた。ほとんど動きらしい
動きをしていないように見えたが、
その微妙なしぐさにはなにか催眠的
なものがあった。それから彼女は、
ワトソンに強烈な衝撃を与え、狼狽
させることをしたのである。
彼女は、その林を一瞬のうちに全部
消滅させてしまったのだ。
(引用注:ここびっくりするとこ)
ワトソンが述べているように、
「ある瞬間ティアはケナリの林の木陰
で踊っていたのに、つぎの瞬間、彼女は
目を刺すような明るい陽射しの中に
ひとり立っていたのである」。
 数秒ののち、彼女はふたたび林を出現
させた。少女が跳びあがって木々に手を
触れながら走りまわっていた様子から、
ワトソンはこの子も同じ体験をしていた
ことはまちがいないと思った。だがティア
の魔術はまだ終わったわけではなかった。
こんどは、この林を数回にわたり消したり
出現させたりしてしまったのである。
ティアは少女とふたりでくすくす笑い
ながら、手に手をとって小躍りしてこの
神秘を楽しんでいた。
ワトソンはただその場を静かに去って
いったが、頭の中はぐるぐると回って
いた。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

これは、まさかの超常能力ですね、
一体どのような力が働いたのか、
簡単に仕組みは説明しにくいで
しょうが、ティアという少女が、
現実全体を確かに根こそぎ変えた事
は事実でしょう。誰かに催眠効果を
もたらした結果などというケチな
ものではなく、遠くで覗いていた
だけのワトソン氏まで、はっきりと
林が消えたのが見てとれたのです
から、本物でしょう。しかも、林を
消したり出現させたりを数回に
わたり実現させてみせたのだから、
完全にお手上げですよね。
つまり、彼女には、全体として
一つである本来の世界と意識的に
つながることが先天的にできていた
ということなのでしょう。
もちろん我々も意識のレベルさえ
上がれば、同様の事ができるという
事でもありますが、まさか実例として
これだけ鮮明な現実の変え方があった
というのは、本当に驚くべきことです
よね。

そうだこれでも、ティアという少女が
かなり範囲の広い催眠効果をもたらした
のではないかという、懐疑的また否定的な
人がおられるかも知れませんね。
その方々のために、つけ加えておきま
しょう。
私たちの現実感覚こそ、五感に囚われた
集合意識による限定された「想像上
または脳内現象的な」ものだという事
なのです。それは確かな現実だとも
いえますが、無限にある現実の中の
とてつもなく範囲の狭い、特殊な一部
だという事です。だからそれを基準に
しなければ、ティアの出現させた現実も
また確かな現実のうちの一つだという事
なのです。これは神秘メッセージの一連
の記事をご覧になっていただければ、
よく理解できると思います。

さて、類は友を呼ぶのか、マイケル・
タルボット氏本人も似た体験をして
いるとの事です。それは次回に紹介
させていただく事にしましょう。
ではまた(^^)

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アニータさん奇跡の回復 その8 戻ったアニータさんには全てが歓喜の世界


前回までのあらすじ

アニータさんが、臨死体験領域の中でも
最高の境地である、「絶対意識領域」に
到達した事で、未来や過去などを俯瞰
できただけでなく、あらゆるタイムライン
のパラレルワールドを一望できました。
その時の認識を、通常の臨死体験者たち
と違い、そのままの状態で肉体に戻る
事ができたのが、このアニータさんだと
いうわけです。
そして、彼女は末期癌で苦しいだけの身体
にもはや戻りたくないと決心していました
が、いくつもの未来の中に自分が、この
意識のまま身体に戻れば、癌は急速に
なくなっていくという未来のビジョンを
見つけて、その確信とともに、身体に
戻ってきたというわけです。

さて戻ってから急速に回復するアニータ
さんはとにかく明るい。
そしてとうとう一般病棟に移されて
のびのび笑えたり、音楽を聴けるよう
になりました。
今回はその続きからです。

『』内が引用で~が中略になります。

『ゆっくりと-実際にはとてもゆっくりと
-自分に起こったことを理解し始めていま
した。
頭がはっきりしてきて、詳細を思い出し
始めると、あらゆる小さなことについて
胸が詰まりそうになりました。
向こう側の世界で体験した驚くほどの
美しさや自由をあとにして戻ってきた
ことが悲しかったのです。同時に、この
世界に戻り、再び家族とつながれたこと
が幸せで、深く感謝しました。
私の頬を、後悔と喜びの両方の涙が流れて
いました。
 さらに、すべての人たちとこれまで一度
も体験したことのない絆を感じるように
なりました。
家族だけでなく、看護師や医師のように、
自分の病室にやってくるすべての人たち
とです。私のお世話をしに来てくれる
一人一人に対して、愛があふれ出てくる
のを感じました。
それは、これまで知っている愛情とは
違いました。まるでとても深いレベルで
すべての人とつながっていて、同じ心を
共有しているかのように、彼らが感じ
たり考えていることがすべてわかる
気がしました。
 私のベッドは窓の側にありましたが、
ある日、看護師の一人がベッドの上に
起き上がって外を見たいかと尋ねて
くれました。その時、自分がしばらく
外の世界を見ていないことに気づき、
期待で胸を膨らませて「ええ、もちろん!」
看護師は私を起こして身体を支えてくれ
ました。窓から外を見た瞬間、涙が込み
上げてきて、しばらく泣きやむことができ
ませんでした。その瞬間まで、この病院が
、子供時代に住んでいたハッピーバレーの
家から数ブロックしか離れていないことに
気づかなかったのです。~
~そして、今ここで、私は子どもの時に
見た風景とまったく同じものを目にして
いました。病院の前に競馬場が見え、
アーフォンと乗った市電の線路もあり
ました。涙を浮かべて子ども時代に見た
風景を眺めながら、さまざまな経験を
経て、また同じ場所に戻ってきたのだと
痛感しました。

「なんてことなの!信じられないわ。
子どもの頃と同じ市電や公園や建物が
見える。もう一度チャンスを与えられた
という事だわ。
目の前にあるものすべてに馴染みがあり、
それは決して特別な風景ではありません
でしたが、なぜかまったく新しい世界に
見えました。
まるで初めて目にしたように、あらゆる
ものが新鮮で、刺激的で、美しく見えた
のです。
ずべてがこれまでよりも色鮮やかで、
そのあらゆる細部にまで、気がつき
ました。
私は周辺の建物を眺め続けました。自分
の育ったアパートのビルが見え、道路を
横切ったところには、小さな時に遊んだ
公園があり、市電が人々を乗せて走って
いて、車は通り過ぎ、犬の散歩や買い物
の通行人がいました。
再び子どもに戻ったように、私は新しい
目ですべてのものを見ていたのです。
まったく変わり映えのない風景でしたが、
それはひさしぶりに目にしたすばらしい
眺めでした。
おそらく、今まで見た中で一番美しい
ものだったかも知れません。』

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

これは、アニータさんが覚醒している
事の証明でもあります。
歓喜と至福の絶頂の体験をしていた、
絶対意識領域でのアニータさんは、
この世界に戻ってきた事を悲しむが
同時に家族と再びつながれたことにも
深く幸せを感じてもいました。
そしてまた、自分があらゆる人と
つながっていて、その人たちの気持ち
までわかるようにもなっていたの
です。
それもそのはずアニータさんは、この世
と自分の身体に、絶対意識のまま戻って
きたからです。
つまりすべてと一体であるという意識の
ままアニータさんは戻ってきたというこ
ことです。
つまりは覚醒しているという事です。
覚醒とするというものがどんな状態で
あるか、多くの実例をまた多くの記事に
して取り上げていくつもりですが、
アニータさんの意識状態もまたその覚醒
状態の意識の良い見本だと思って
いただいていいでしょう。

その覚醒の記事のシリーズは新しく
新設するカテゴリー
意識と思考と覚醒編」にまとめて
いくと思います。

そしてアニータさんは、看護師に
付き添われて病院の外の風景を見る
ことになりましたが、なんとそこには
なつかしい子どもの頃の風景が広がって
いました。そしてまた子どもの時にも
感じたことのないような新鮮で、
刺激的で、美しい風景を感じている
自分に気づきます。
それまでよりも色鮮やかで、細部まで
気づきがあり、すべてがすばらしい
ものに思えたのです。

それはなぜかというと、覚醒すると
あらゆるものを感知する領域が広がり
微細な波動まで全部キャッチし、それを
また豊かな感情の波動として感じる事
ができるという事なのです。
なぜなら絶対意識領域で感じた時と同じ
ように、全てのものの根底には愛がある
という事を実感できていたからです。
全てとつながって一体の意識である
アニータさんは、実は外の風景もまた
自分であり、それを感じていたという
事でもあります。

さてこのような覚醒状態のまま、アニータ
さんの身体はこのあともどんどん回復
していきます。
次回はその続きからという事になります。

ではまた(^^)/

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