臨死体験者の言葉その11      天国もあれば当然!?

昨日、亡くなった人は天界にいけると
ご紹介しましたが、それは通常の人で
あれば、という事です。
邪心にまみれて、多くの人を陥れたり、
不幸にした人や、残虐な行為を他人に
した人。陰湿ないじめを繰り返して、
人を自殺に追いやったり、ノイローゼ
にした人たちは、もれなく次のような
場所に「晴れて入場する」ことができ
ます。臨死体験者の証言では、とても
まれなケースですが、臨死体験をして
戻ってこれる人は、邪悪な心に染まって
ない人ばかりだからです。
そりゃそうですね。なんでも知って
いるような天界の光の存在が、そんな
人をこの世に戻したいと思うわけが
ありませんから。ちなみにその光の
存在も究極でいえば、アニータさんの
ように、自分と一体の存在で、自分自身
という事なのです。
また臨死体験者の中で戻って来なかった
通常の人は、そのまま天界にいくことを
選択している場合がほとんどです。
もちろん身体がもとに戻れない状態に
なっている場合もあります。
実際アニータさんも戻らない選択を、
いったんしてましたよね。
さてその天界の逆の領域について、偶然
そこを垣間見てきた臨死体験者の証言を
またレイモンド・ムーディー氏の著書
から引用します。ただし、実際にその例
を紹介しているのは、ムーディー氏と
同じように、臨死体験を研究している
エバグリーン州立大学の研究者です。

“エバグリーンの研究者が調査した中に、
“地獄”の臨死体験をした者がひとりだけ
いた。これは極度の恐怖やパニック、
怒りを生ずるうえ、悪魔の幻も登場する
臨死体験だという。その体験者は、三回
臨死体験をしているが、二回目のときに
まちがって地獄へ連れていかれたという。
その体験談は啓発的で興味深い。

回答者
二回目の体験は違ってました。下の方へ
行ったんです。下は暗くて、みんな
わめいてました。火(が燃えていました)。
誰だったかわかりませんが、私を脇へ押し
やって、「こんなところへ来るんじゃない。
上へ戻れ」と言ったんです。

面接者
その人は本当にそんなふうに言ったん
ですか。

回答者
ええ、「上に戻れ。おまえはそれほど悪い
やつじゃないから、こなところにいて
もらっては困る」ってですね。

面接者
最初暗闇を通りましたよね。それから・・・

回答者
真っ暗ですよ。まず私たちは降りていって
・・・全くの暗闇でした。

面接者
トンネルを降りたんですか。

回答者
トンネルじゃない、トンネル以上ですよ、
ものすごく大きいやつ。フワフワと
ゆっくり降りたんです。・・・そこには
待っている人がいて、その人が、
「こいつじゃない」って言うんです。

面接者
わめいている人たちが見えましたか。

回答者
下にたくさんの人がいて、うなったり
わめいたりしてるのが見えました・・・。

面接者
その人たちは服を着てましたか。

回答者
いえ、いえ、服なんて全然。

面接者
裸だったんですか。

回答者
はい。

面接者
それで、どのくらいの人がいたと
思いますか。

回答者
とてもとても。そんなの数えきれませんよ。

面接者
何千人の単位でが。

回答者
そうですね。何百万人もいるみたいな感じ
でしたね。

面接者
はあ、ほんとうですか。それで、みんな
本当にひどい状態だったんでしょう。

回答者
みんなひどい状態で、へどが出そうな感じ
でしたよ。みんな私に、水をくれ、水を
くれって言うんです。そこには水がない
んですよ。

面接者
それで、その人たちの見張りはいたん
ですか。

回答者
ええ、いましたよ。頭に短い角が生えて
ました。

面接者
角が生えていたんですか。そ・・・それは
何者だと思いますか・・・。それが何者か
わかりますか。

回答者
ええ、あれならどこにいてもわかりますよ。

面接者
何者ですか。

回答者
悪魔ですよ。 ”

“出典:「光の彼方に」
レイモンド・A・ムーディー・Jr著
       笠原敏雄/河口慶子訳
        TBSブリタニカ刊”

この地獄のように思える領域は、当然
一つではなく、無数にあるものと思われ
ますが、邪悪でない通常の人は問題ない
のでご安心くださいね。
少しの邪心や出来心、また家族のため
やむを得ず罪を犯したとか、かっとなって
人に暴力をふるってしまったとか、それで
そのあと反省するような人は、もちろん
大丈夫です。ただまっすぐに天界と
いうより、いろいろとまわり道をしな
ければならない人もいるようです。
また嘘をついたといっても、相手を
傷つけないためとか、自分をかっこよく
見せるためとか、そんなレベルのものは、
天界にいくエネルギーを妨げるような
ものではありません。
宗教にあるような、正直に生きなさい
というのは、真実の面からいえば、
あまり関係がないといってもいいで
しょう。
問題は邪悪な心、邪心がどれだけの
レベルかどうかにかかってきます。
また少々、性欲や食欲、物やプライド
に執着があるくらいでも、程度に違い
はありますが、地獄に墜ちるほどでは
ありません。自分を愛するというのは、
スピリチュアルの世界でもいわれて
いるように、魂を輝かせるもので、
地獄へのエネルギーになるものでは
ないからです。
ただし肉体に関する欲が強すぎて、
執着しすぎると、地獄には行きませんが
天界にまっすぐにもいけません。
少し学びが必要だと判断されて、しかる
べき領域にいくようです。
自分でなく他者に対しての邪心が最も
重たいものだと理解していただければ
いいと思います。
まあ、ふつうに暮らしている人なら安心
して天界にいけると思って大丈夫です。
地獄にいった人も、自分だけでなく他の
人も救いたいとか、これまでの事を反省
し始めたような場合であれば、地獄から
離脱できます。ただ邪心にまみれた人は
自分のみ助かりと思う人たちばかり
なので、永遠に思えるほど長くそこに
留まることも多いと思います。
これらのコンセプトは長年の研究の成果
と霊界に何度もいけた、その研究の第一
人者スウェーデンボルグ氏をはじめと
した、多くの霊体験者の得た概念など
を総合したものです。
ではまた(^_^)

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臨死体験者の言葉その10     臨死共有体験の共通要素その7

今回で臨死共有体験の共通要素については
最後となりますが、これで7つ目という
ことになります。
最後にご紹介するのは、臨終のそばにいる
人がしばしば、天界のような領域に入る
ということです。
よく我々が死んだら天国にいくんだよと
小さい頃に聞いたりする事もありますが、
大きくなるにつれて、それはおとぎ話の
ようなものだと思うようになります。
事実日本人の多くの人も死んだら、
おしまい、自分という存在は跡形もなく
消えてしまうと思っているのではない
でしょうか?
これまで私が神秘メッセージで明らかに
してきたように、それは全くの間違いで、
みなさんの思っている現実とはあらゆる
面で真逆が真実だったのです。
死についても同じことで、我々は死ん
でも消えてなくなったりはしません。
それまで使ってきた自身のこの世での
乗り物である肉体を乗り捨てるだけの
事だったのです。でも生きている間は
あたかも自分が肉体そのものであるか
のように錯覚しているだけだったと
いうわけですね。
前回の体外離脱体験についての記事は、
その事を具体的にイメージしやすい
内容になっています。
しかもみなさんは、死ぬ事をとても
恐れていますが、死後の自分のいく領域
がそれまでおとぎ話のように思っていた
天国のような場所だとわかっていたら
どうです?それが現実の事だと知って
いたらという事です。
もう恐れることはありませんよね?
臨死共有体験者が、それまでの臨死
体験者達の証言通り、その天国を経験
したのだから、これはその事が事実を
裏づける確かな証拠の一つの要素だ
といえますよね。
では、その臨死共有体験の天界を経験する
事について詳しく書いておられる
レイモンド・ムーディ氏の著書から
いつものように引用させていただきます。

“通常の臨死体験においても、天的な領域に
入ったということが、よく証言の中で聞か
れる。
近年の研究によれば、臨死体験者のうち約
50%の人々は、天的な世界に入った、
あるいは地上界とは異なる領域に入ったと
証言している。彼らが見たその世界を、
言葉で証言してくださいと頼むと、彼らの
答えは驚くほど似通っている。その
幾つかをここに紹介するが、それらは
臨死体験中に見えた世界と、臨死共有体験
中に見えた世界を比較する上で、役に立つ
と思う。

「私は、非常に明るいトンネルの中を
歩いていました。光しか見えません
でしたし、足がどこに着地しているの
かもわかりませんでしたが、確かな
足どりで歩いていました。
やがて光のトンネルを抜けて見えた世界は、
この上なく美しい丘のような場所でした。
 やわらかに波打つ山々も見えました。
空は透き通るように青く、緑の丘と、遠く
の大きな木々も見えました。そのような
世界を見るのは全く初めてでした。」
(ニューヨーク市を歩行中に心臓発作を
起こして倒れた男性)

「完璧なまでの草花と色彩がありました。
それをこの世の言葉で表現するのは困難
です。それは、私たちがこの世界で見て
きたすべての色-緑、赤、青、その他が
みな色あせて見えるほど、完璧なもの
でした。
景色の背後から音楽が聞こえました。
今まで聞いたことのないような音楽です。
それは澄んでいて、深く、私の耳からと
いうよりは、別の仕方で私の内に入って
来ました。」
(交通事故で死にかけた女性)
    (中略)
 臨死体験者たちがこうした天的領域に
ついて話すとき、彼らはよく「パラダイス」
「清い」「澄み渡った」「天国の」
といった表現を用いる。実は臨死体験を周囲
で共にした臨死共有体験者らも同様なので
ある。
その一例として、メイン州のある医師が
語ってくれたものをご紹介しよう。
医師は、二人の友人マーサとキャサリンに
起こった出来事を、私に語ってくれた。
マーサは、心不全のために入院していて、
その心臓は肥大化し、死の危険の中に
あった。
   (中略)
マーサの友人キャサリンは、病院に来て
マーサの病室で付き添った。マーサの臨終
の時が近くなるとき、キャサリンはマーサ
のベッドに入り込み、マーサを抱きながら
添い寝した。ほどなくして、マーサの心臓
は止まった。
キャサリンはマーサの死の瞬間に、大きな
エネルギーの動きを感じたという。
キャサリンは反射的に、マーサの胸を
抱きしめた。すると心臓が再び動き出した
のだ。キャサリンの努力が実り、マーサは
生き返ったが、そのときマーサはキャサリン
に対して怒った。
「行くつもりだったのに!あなたはベッド
から出て、私をそのままにして!」
 キャサリンはベッドから出て、ベッド
わきの椅子に腰かけた。彼女は、つぎに
マーサの心臓が止まったときには、もう
そのままにすると約束した。
1時間も経たないうちに、マーサの息が
不安定になった。注意深く息を聞いて
いると、マーサの呼吸はほとんど止まった
ようだった。キャサリンはさらに近づいて、
聞き耳を立てた。
 すると自分の耳の中で、何かのざわめき
が聞こえ始めた。それは次第に大きく
なっていき、気がついたときには、
キャサリンは体外離脱していた。

「私は突然、マーサとともに、丘の上を
歩いていました。私たちの周囲は光に
包まれていました。普通の光ではありま
せん。周囲の草花、大地、空など、すべて
のものがその光で輝いていました。信じら
れないほど美しい光景でした。
 これは天国、またはそれに近い所だと確信
しました。あまりにすばらしいところだった
からです。
私は自分が50歳くらい若返ったのかと思い
ました。
 私はそこで、マーサの亡き夫や、すでに
亡くなった他の親戚らも見ました。みなが
丘を下って、マーサに会いに来ました。
丘の地形も草花もすばらしかったです。
緑も衝撃的なほど輝いていて、目を奪い
ました。
 マーサは生き生きと丘の上を動き
まわっていましたが、やがて私の腕を
押して、『これ以上は来ないでね』という
仕草をしました。
 いつもマーサのいうことは、その通りに
してきた私は、言われる通りにしました。
すると私は、自分の肉体に引き戻されて
いました。耳の中のざわめきも聞こえなく
なり、私は病室にいたのです。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”
ムーディー氏は、これに続けて、この天的な
領域は、生きている人と死に行く人を分ける
境界のように説明しておられますが、すでに
なくなったマーサの夫や他の親戚の人たちも
そこにいたという事は、境界でもあり死んだ
後にいきつく先であることも示している
のです。
つまり、我々は死んだら天国にいくという
のは、おとぎ話ではなく現実の事だったと
いうわけです。
証言にあるように絵に書いたように美しい
風景の中に我々はいけるという事ですね。
もう死を恐れる必要はありませんが、臨死
体験者たちが口を揃えていうように、
だからこそ生きている間を恐れずに貴重な
体験として大切に生きていこうと気持ちが
沸き起こるものなのです。
今回これで臨死共有体験の共通要素を
すべて取り上げましたので、このシリーズは
これまでですが、臨死体験者の言葉は、まだ
まだ続きますのでお楽しみに(^_^)

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臨死体験者の言葉その9     臨死共有体験の共通要素その6

臨死共有体験者の共通要素についての
6つめとなります。
これまで、臨終の人のそばにいた人
などが、超常体験をする時の共通要素
として取り上げたのが、

・白い霧が亡くなる人の体から立ち上る

・空間が変容するのを目撃する

・神秘的な光を体験した

・音楽が聞こえてくる

・亡くなる人の人生回顧を、共に見る

とこのようにほぼ臨死体験者がこれまで
証言していた内容とほぼ変わらないもの
ばかりです。このことから、決して
臨死体験者が、自分の思い込みによる
幻想の事を話していたのではないという
ことが、第三者の体験で証明されたこと
になったのです。

また今回ご紹介するものも、臨死体験者の
ほとんどが経験している事で、体外離脱
をするという事です。
これについて書かれている事を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“体外離脱は、臨死体験を経験した人が
よく口にすることである。
体験者は、自分が肉体から離れたという
そのとき、自分が上下に移動し、自分の
体と周囲にあるすべてのものをよく観察
できる位置に移された、という強い感覚を
抱く。
 臨死共有体験者は、多くの場合、不思議な
エネルギーのうねりを感じたり、轟音を聞い
たりすることに始まる。体験者はその直後に
、自分が上空の別の位置から自分の体とその
周辺を見おろしていることに気づくので
ある。
 多くの場合、天井の近くから、あるいは
上空何メートルかの位置から見おろすこと
になる。そしてその位置から、死につつ
ある人と、自分との関わりなどをながめる
ことができる。
 その典型的な実例を、私は、ジョージア
州キャロルトンに住む44歳の女性から
聞いた。
彼女は、その腕の中で父が死んだとき、
なにかのエネルギーのうねりを感じた
という。彼女はまたある種の轟音を
聞いたが、それはしだいにジェット
エンジンの回転が速くなるときのように
速く、強くなっていった。彼女は言う。
「そのとき私は自分の体から抜け出た
のです。すると、父におおいかぶさり
ながら、呆然とその死を見ている自分の
姿が見えました。
 またそうした光景に混ざって、私の
小さい頃のイメージが浮かび上がり
ました。
あたかも解説つきの家族ドキュメンタリー
を見ているように、映像が目の前に展開
したのです。
 光は非常に明るくなっていき、そののち
消えました。すると私は肉体に戻っていた
のです。私は父の手をにぎっていました。」
 このように付き添っている人までが体外
離脱することがある。そして体外離脱した
人は、そこで一人でないこともある。
死んだばかりの人と一緒に空中で浮遊する
のだ。その空中で会う死者は、多くの場合、
若い姿に見える。さらに、より幸福な表情
をしている。
 付き添いながら共有体験した人は、死者
のその姿を見て、「いまやこの人は肉体を
離れ、苦痛から解放されて喜んでいる。
また存在の次の段階への期待で喜んで
いるのだ。」という感覚を抱く。”
“出典:「臨死共有体験」レイモンド
・ムーディ/ポールペリー共著
堀天作訳 ヒカルランド刊”

このように多くの臨死体験者が経験した
と証言していた体外離脱体験を、そばの人
も同じく経験したことで、臨死体験者の
証言が事実であったことが、第三者の目が
で証明されたことになります。
このような体験は、無数に体外離脱体験を
しているウィリアム・ブールマンという人
が体外離脱体験をする時の描写と合わ
せる事で、これらが事実である事を実感
できると思われます。
以下は彼の著書からの引用です。

“強烈な轟音と感覚で目が覚める。肉体
とマインドが振動によって引き離される
ように感じる。初めは振動の強さに
驚いたが、徐々に心を落ち着け、肉体
から分離し、浮かび上がることに全神経
を集中させる。数秒後、肉体から浮かび
上がり、数フィート上で停止していた。
体外離脱が完了すれば、轟音と振動が
素早く収まるのだということに気づく。
音と振動に代わって、安らかな静寂が
訪れる。”
“出典:「肉体を超えた冒険」
ウィリアム・ブールマン 著
       二宮千恵 訳
    ナチュラルスピリット刊”

ブールマン氏は、この著書で何度も
体外離脱した時の様子を書いておられ
ますが、ほとんどの場合にこの轟音と
振動を経験しているということです。
この事と、今回の臨死共有体験者の
経験したジェット機の轟音を聞いた
あとに体外離脱したという事は、一致
していますよね。
この肉体離脱時に轟音を聞くという
のは、臨死体験者の証言にも、多く
みられますが、その音を聞かずに、
気がつけば空中に浮かんでいたとか、
単に暗いトンネルを抜けていっただけ
というような証言も多くいます。
これは、まだ死ぬ準備ができて
いない健常な人の身体にある意識は、
臨死体験者よりも生体エネルギーが
強く、従ってそのエネルギーの壁も
強固で、強烈な轟音と振動の壁に覆われ
ているということなのです。この壁が、
我々を肉体に閉じ込めている壁だという
ことです。
そして死ぬ準備ができた人、また瞬間的
に臨死状態になった人は、その生体
エネルギーの壁がとても弱くなっている
ので、比較的スムーズに体外離脱や高次元
の世界に移行できるというわけです。
逆にいえば、生命を維持するためには、
意識はその轟音と振動の壁に覆われて
いなければならないということでもあり
ます。

また体外離脱をするという事は、高次元
に意識が入り込んでいるという事を意味
していますが、高次元の世界ではまわり
の空間と一体である本来の意識になって
いるということでもあります。我々が、
肉体を離れるということは、もともとの
意識の状態に戻るということなので、
特にこわがる必要もないことなのです。
ただ健常な人の身体は、とても体外離脱
した意識と共鳴しやすいので、身体に戻る
のはたやすいですが、病気や老衰で亡く
なる人の身体は、その共鳴力がほとんど
なくなっているので、そのまま身体に戻る
ことが、少なくなるのです。もちろん
戻れた人が臨死体験者というわけですね。

この共有体験者の共通要素シリーズは
次回で最後です。ではまた(^_^)

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臨死体験者の言葉その8     人生回顧とホログラムその1

こちらは、臨死共有体験の共通要素の
人生回顧についての、前回の続きです。
我々が現実をホログラムという形で
読み取り、記憶そしてオーラ場に刻み込
んでいる証拠として、臨死体験および
臨死共有体験での人生回顧を、前回の
記事でとりあげました。
しかし、私が説明した人生回顧で相手の
気持ちまでわかるとか、360度の視点
があるというような証言は取り上げて
いなかったので、いまいち説明不足
だったような気がしたので、他の臨死
体験者の人生回顧についての言葉を
とりあげながら、そのオーラ場の
ホログラムというものがどんなものなの
かということを説明していきたいと思い
ます。これも一つの記事では終わらない
ので、シリーズ化します。

まずはレイモンドムーディー氏の著書から
の引用で、大学院卒業直後、23歳の誕生日
に臨死体験をした女性が、やはり高次の存在
(文中ではあの方と呼んでおられます)に
出会い、人生回顧をしたあとの言葉です。

“自分の行動の責任は、全て自分にある
というのが、この体験から私が学んだ
いちばん大事なことでした。
あの方と一緒に自分の一生を振り返って
いたとき、言い訳することも、はぐらかす
こともできませんでした。
   (中略)
こうして一生を振り返って見た中で、覚えて
いる出来事がひとつあります。
子供のころ、妹から復活祭のバスケットを
ひったくったんですね。私の欲しいおもちゃ
が入っていたからなんですけど。
でもその場面を見たとき、あの子が大事な
ものを取られたときの感じや、がっかり
している感じや、のけ者にされたような
感じがよくわかりました。
意地悪をするときには、人に大変なことを
してるんですね。でも、いつか必ずそれに
気がつくようになっているのは素晴らしい
ことです。
    (中略)

今までしてきたことが全部、その(一生を
振り返ってみる)中に出てきて、善悪を
判断しなきゃいけないんですよね。”
“出典:「光の彼方に」
レイモンド・ムーディ・Jr著
笠原敏夫/河口慶子訳 
TBSブリタニカ刊”

これで我々のオーラ場に保存されている
ホログラムには、その当時には感じられな
かった相手の感覚まで、刻み込まれて
いるという事がわかっていただけたと
思います。我々は毎日潜在意識で鮮明に
場面を感知していて、そこには、人の
気持ちや感覚まで含まれているという
ことなのです。
表面にあらわれる意識では、むしろ頭
や五感のフィルターを通してしまうため
不鮮明になっているということなのです。
しかも大事なことは、そのホログラムに
刻みこまれた映像は時間が経っても消えて
いないということなのです。
臨死体験者が、口をそろえていうように、
本物の現実と変わらないように見えた
ということですが、我々の現実は時間が
経っても残っているということなのです。
これは実は、肉体がなくなっても、本人
特有のオーラ場がなくなっても、同様に
消えないのです。
そのホログラムは当然我々の五感や科学
で感知、観測できるものではありませんが、
このように確かに存在しているのです。
この人生回顧についてのホログラムだけ
ではなく、サイコメトリーという超常能力
などにも、このホログラムが使われ、
また予知能力なども、このホログラムの
状態であらわれたりするのです。
また他にもあらゆる場面でこのホログ
ラムがでてくることになりますが、
それはまた別の記事で取り上げていき
ます。
人生回顧とホログラムについても、
シリーズでまた取り上げていきます。

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臨死体験者の言葉その7     臨死共有体験の共通要素その5

今回も臨死共有体験の共通要素です。
この記事のためにも
超常現象とホログラム 
視覚領域の光の波動以上の世界

という記事を書きました。
その記事には、我々は現実をホログラムの
ような形で感知して、さらに記憶として
保存しているというようなことが、説明
されてます。
よければ、そちらの記事もご覧ください。

今日ご紹介するのは、人生回顧を共にする
というものです。臨死体験では、多くの人
が、この人生回顧をしています。つまり
臨死状態にある時、これまでの人生を
もう1度追体験しているかのような映像を
みせられるというものです。
その時に出会った、高次の存在にそれを
見せられるという場合、この人生で良かった
かどうか聞かれることもあります。
その場合に、まだ子供がいるとか、やり残
した事があるなどと伝えれば(テレパシー
のようなものでという事です)もう1度
生き返らせてくれるというようなケースも
少なからずあります。
また映像は立体映画のようで、360度の
視点があり、時間を早送りしたり戻したり
を自由にできるとか、気になるところを
もう一度みられるなどということもできる
みたいです。
そしてまた、その当時にわかるはずも
なかった、相手の気持ちがわかったりとか、
自分の気持ちがどうだったかまで、理解
できるようになることもあるようです。
それはつまり我々の脳にではなく、我々
のオーラ場と呼べるようなところに、
ホログラム映像が消えずに残って
いて、それを生きている間は、不便な脳の
フィルターを通してみるため、とても不鮮明
であったり、取り出しにくくなっていたり
するのですが、肉体を離れれば直接オーラに
刻まれた時の映像が完全な形で残っていて
それを脳ではなく、次元の高くなった意識で
自由に見られるようになったという
ことなのです。
つまり保存されていた、オーラ場の映像には
相手の気持ちなども含まれているのですが、
それは我々が普段頭を通して、逆にわから
なくなっていたという事も意味します。
オーラ場は潜在意識の場でもありますが、
潜在意識では、我々は人の気持ちだけでなく、
あらゆる事を当時から感知することができ
ていて、それをオーラ場に保存していた
という事になります。
臨死共有体験は、臨終の人の意識に共鳴する
ことによって、やはり五感を越えた意識に
なることができるため、そのオーラ場に
刻み込まれた、亡くなろうとしている人の
人生全体のホログラム映像を五感や頭を
通してではなく、読み取れるようになった
ということなのです。
ピンと来ない人は先ほどの記事
a href=”https://anmin579.com/2020/04/23/%e8%b6%85%e5%b8%b8%e7%8f%be%e8%b1%a1%e3%81%a8%e3%83%9b%e3%83%ad%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%80%e8%a6%96%e8%a6%9a%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%81%ae%e5%85%89%e3%81%ae%e6%b3%a2%e5%8b%95%e4%bb%a5%e4%b8%8a/”>超常現象とホログラム 
視覚領域の光の波動以上の世界
をお読みくださいね。
さてその臨死共有体験の実例を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“また臨死共有体験には、死んだ人と
「人生回顧を共にする」「人生回顧を
共有する」という、目を見張る体験が
含まれることが多い。地上で歩んできた
全人生を、パノラマを見るように、共に
概観したり、とくに重要な場面を回顧
させられたりする。
 近年の臨死体験研究協会の調査に
よれば、通常の臨死体験者たちの約23%
が人生回顧の場面を経験したとしている。
以下はみな、そうした人生回顧の典型的な
例である。
 
「私が病室で体外離脱すると、やがて私の
目の前に、自分の人生の回顧が始まりま
した。私は教育にたずさわり、多くの人を
教えるようになると告げられました。
そして今まさに私はその仕事をしてい
ます。」(スティーブ、62歳、
心筋梗塞患者)

 「私はそのとき、自分の人生の良かった
点だけでなく、失敗や間違っていた点なども
見せられました。」(ジェンナ、56歳、
自動車事故)

「私は自分の人生のすべての重要な場面を
見せられました。私の誕生から、初めての
キスまで。両親との確執の場面もです。私は
自分がどんなに利己的だったのかがわかりま
した。
そしてどのようにすれば本当の自分を取り
戻し、変えられるかも知りました。」
(ドナ、19歳、自殺未遂)

 これらは、通常の臨死体験中の人生回顧
だが、そうしたものと、臨死体験中の人生
回顧は異なる面を持っている。というのは、
、死にゆく人に付き添うなどしている
ときに人生回顧をした人々自身は、臨死
状態にないということである。
にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の
場面を共有する。
 そうした臨死共有体験中の人生回顧を
言葉で言い表すならこんな感じになる。
「私は、亡くなったばかりの夫とともに、
大きなスクリーンのようなものの前に
立っていました。すると夫の過去の人生
がそこに映し出されたのです。幾つかの
場面は、私がそれまで全く知らないもの
でした。」
 たとえば、かつてサン・ディエゴの
ある女性が、10代の息子の病床で
起こったことを私に話してくれたことが
ある。
息子は、糖尿病の合併症のために死に
かかっていた。息子が死んだとき、彼女
は、その病床の周囲に展開された息子の
人生の各場面を見た。
 彼女によれば、映画のように展開さ
れるその各場面のただ中には、自分も
立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。
 (中略)
「私の15歳になる息子が亡くなったとき、
私は病室で息子と共にいました。息子は
小さいときから糖尿病をわずらい、その
重荷を背負ってきました。その世話も
あって、私はいつも息子とともに生きて
きました。
 息子が息を引き取ったとき、私はその手
をにぎっていました。そのとき命が息子
から出るのが感じられました。電気の
流れのようにと言ったらいいでしょうか、
あるいは脈打つ感じで出た、といった方
がいいかもしれません。
 部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて
見えました。また一転してその病室に
強い光が満ちました。その光は、自分で
見たことのない人には到底想像もつかない
ような明るい光でした。
 病床の周辺に、息子がその短い人生で
なした様々な事柄が、映像のようになって
現れました。息子はそれらの映像を見て
いました。喜びの表情を浮かべながら。
  (中略)
光の中で、息子と私は人生回顧の映像に
接しました。細かな事柄に至るまでです。
わたしが長く忘れていたような場面や、
私が全く知らなかった場面も多くありま
した。
たとえば、息子が自分の部屋でひとり
『アパッチ砦ゲーム』を使って遊んで
いた姿や、息子が友人たちと電話で話し
ていたときのことなどです。
  (中略)
 その人生回顧は、閃光のように、ある
いは放電のような感じで次々に展開して
いきました。
それは言葉ではうまく表現できない、
言語に絶するものでした。
 そのとき私は40歳でした。今は62
歳です。しかしあの体験以来、あたかも
すでに100年は生きたような感覚です。
それを悲しく思っているのではなく、知恵
の面で100年分は成長した感じなの
です。
    (中略)
 私が死ぬとき、また息子に再会するとき
には、きっともっと多くのことを知るように
なると思います。
それまでは、たとえわからないことが
あってもこの地上にいて、他者を愛し
仕えつつ、人生を歩むのが私の勤めで
あると思っています。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

これがホログラム映像として、オーラ場に
刻み込まれた、人生回顧の共有体験です。
彼女は息子の意識に同調することによって、
その息子の一生分のホログラム映像を見る
ことがてきるようになったのです。
彼女がいうようにこういう事を知ることが
人生にとってとても重要で、100年も
200年も生きたような充実感も味わう
ことができるのです。
臨死体験者が、あの世に持って行けるもの
は愛と知識だけだと証言していますが、
その知識とは、このようなレベルの知識
のことです。まちがっても、芸能人の
不倫記事や、全国の駅名、うまいラーメン
店の名前などの知識ではありません。
また放電のようなという表現がありま
したが、この体験においてもプラズマ
エネルギーが働いていることの証明にも
なっています。

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臨死体験者の言葉その6     臨死共有体験の共通要素その4

今回の臨死共有体験の共通要素は、
「音楽が聞こえる」というものです。
これは多くの臨死体験者にも共通する
事で、これも肉体から異次元に意識が
移行する時の特徴の一つだということ
です。
音楽というのは、五感で感じるものの
なかでは、最も高次元にあたるもので、
我々の多くは視覚に囚われがちですが、
それはむしろ、物質次元に囚われやすい
感覚なのです。
この点については、またじっくり説明
させていただきたいと思いますが、聴覚の
方が、高次元を察知しやすい感覚なのです。
ピタゴラスの紹介のところでも説明
させていただきましたが、彼は断食と呼吸法
の40日間の実践を経て、高次元の意識に
達し、ついにエジプトの学校に入ることを
許されました。そののち高次元の意識を
得ていたピタゴラスが、音階を発見し、
宇宙からの音楽である、「天球の音楽」を
聴いたというのだから、いかに高い意識が
音楽と密接に関係しているかわかって
いただけるかと思います。

では臨死共有体験の音楽が聞こえると
いうエピソードを、またムーディ氏の
著書から引用させていただきます。

“臨死共有体験にはまた、音楽を聞いた
という証言がよく聞かれる。死につつある
者も、またそばで付き添う者も、同時に
その音色を聞くことがある。
多くの人が音楽を聞いたという場合もある。
 死の際に音楽が聞こえたというこの現象
には、幾つかの型がある。一つの型は、
かつて私がメリーランド州でインタビュー
した、ある女性の証言に見られるような
ものである。彼女は夫の臨終の場で音楽を
聞いたという。以下は彼女の言葉である。

 「夫は昏睡状態で、人工呼吸器に
つながれていました。しかし私は、臨終の
時がそんなにも早く来るとは思っていま
せんでした。夫とともに私は病室で夜を
あかしたのですが、翌朝、私が目覚めた
5時30分に、夫は息を引き取りました。
それは夫の両親が病院に到着した直後
でした。
 夫が息を引き取る少し前、私は病室の
隅で、いすに腰かけていました。疲れ
果てていました。すると突然、ベッドの
周囲にたくさんの人がいることに気づいた
のです。まるで部屋が大きなステージで
あるかのようでした。人々がたくさん
集まっています。
 夫はベッドにいましたが、突然病室の
天井のあたりから、きらきらした光が
降りてきました。その時です、音楽が
聞こえたのは。
 私は『静かにして!』といって、耳を
澄ませました。音量が大きくなるにつれ、
その光も大きくなり、夫の上のあたりに
来ました。その音楽は私がそれまでに
聴いたことのない、非常に美しい、
巧みなものでした。
 またきらきらした光と連動していて、
私は音楽をあたかも目でみているよう
でした。音色の一つ一つが見えるかの
ようで、教会のハンドベル演奏を聴いた
ときのような感情を持ちました。
この上なく美しく、すばらしい音色でした。
 そんなとき、看護師が部屋に入って来て、
私の腕にふれて言ったのです。
『ご主人は亡くなられました』と。
夫はあのきらきらした光に触れられたとき、
息を引き取ったのです。」

つぎに19世紀の研究家ガーニー・
マイヤーズ、およびポッドモアが書いている
実例をみてみよう。彼らは、リリーという
少女の家族にインタビューした。家族は
みな、リリーの死の数日前から、その死後
にわたり音楽を耳にしたという。
リリーの父は、部屋に満ちたその音楽は、
「イオルス琴(風で鳴る琴)のやわらかい、
また野性的な調べのようだった。」と
述べている。また母はこう述べた。
 「年配の看護婦と私のおばが、様子を
見に部屋に入って来ました。夫も一緒で、
みなリリーと部屋にいたのです。
私は台所に行っていました。・・・・・
そのとき同じイオルス琴のようなあの音楽
が聞こえました。部屋にいた3人全員が
聞き、また私も台所で聞いたのです。」”

“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

このような音楽体験はこの本にもある
ように、臨死共有体験だけでなく、臨死
体験にも多くみられるものです。
また取り上げますが、エヴェン・アレク
サンダー氏は、著書の中で、臨死体験中
になんども音楽を聴き、またそれは目で
見えるものでもあったといいます。
ここでの見える音楽というのは、視覚が
優れているという意味ではなく、高次の
意識では目の視覚は働いていません、
もちろん肉体の機能が停止している
アレクサンダー氏についても同様です、
それではなぜ音楽が見えていると証言
しているのかというと、高次の意識の
世界では、五感は全て一体のものに
なっているということなのです。
ただ、五感の中でも物質的感覚のより
強い嗅覚や味覚はほとんど働きません。
とにかく、今回は音楽が異次元世界へ
の移行の時に経験する重要な特徴である
ことを紹介しました。

また高次元の意識に近づくためには、
あんみんの紹介するバロック音楽
聴くのもお薦めですよ。
癒やしを感じたら、高次元に入り込ん
でいるということです。

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臨死体験者の言葉その5     臨死共有体験の共通要素その3

今回は臨死共有体験の共通要素である
「神秘的な光」についての紹介です。

神秘的な光というのは、臨死体験者本人
の証言として、数多くの証言者がいて、
自分自身をあたたかく迎えてくれる
高度な存在のように思える光とか、
守護霊や天使のような存在の光とか、
惹きつけられるようなあたたかさと
愛情に満ちた意識を持った神々しい
光とか、目もくらむような輝きを
放っているのにも関わらずまぶしく
ない光などと表現されているものです。
肉体を離れた生命や意識に対して、
懐疑派や否定派と呼ばれる人たちは、
それを、頭の中の幻影だといって譲ら
なかったが、それが臨死共有体験の証言
によってもろくも崩れ去ったということ
になるのです。

つまり脳内の現象ではなく、客観的な
現実である事が、動かしがたい事実で
あることが証明されたということに
なるのです。
科学者はそれでも実験室で、繰り返し
証明されなげれば事実として認められない
などという人も多いですが、それならば、
ビッグバンなどのように、机上の仮説で
しかも反証が多く観測されているのにも
関わらず、いまだに公式見解と教育に
おいて真実だとされているような事が、
矛盾していることになります(^_^)
さてそんな臨死共有体験者の証言の
事例を集めておられるレイモンド・
ムーディー氏の著書「臨死共有体験」から
引用させていただきます。

“その光は「水晶のような光」と呼ばれたり
、「清さと愛と平安を発する光」と表現
されることもある。ある人々はまた、
この光はそうした清さや愛や平安を脈々と
伝えるとともに、それに深さと真剣さが
感じられたという。
 これは、通常の物理的な光ではない。
それは人の知恵と霊的成長を促す光であり、
神秘的な光である。ある女性はこの光を
こう表現している。
 「母が亡くなったとき、そこにいた誰もが
、部屋が『天使的な光』に満ちているのを
見ました」
別の女性は、10代の息子の死を腕の中で
看取ったとき、こう述べている。
「光を目撃したことは、あたかも雲の中へ
自分が引き上げられたかのような感覚
でした」
また妻の死を看取ったある男性はこう述べて
いる。
 「部屋の中がまばゆいほど光輝きました。
自分のまぶたを閉じても、光を妨げないほど
まばゆかったのです。しかしその光は快い光
でもありました。
光の中に私は妻を感じることができたから
です。彼女は肉体的に死んでしまったとは
いえ、霊において彼女は私と共にいたの
です。」
 この男性は光について、
「強烈で明るく輝いていました。しかし、
肉眼で見る光とは異なるものでした。」
と語っている。
 一方、ときには死にゆく者の両目が光って
見えることもある。これは半透明で見える
光り輝きと表現されているものだ。”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディ/ポールペリー共著
堀 天作訳  ヒカルランド刊”

この本では、このあと実例のエビソードを
いくつか紹介していて、まさに神秘的な光を
見ることは、客観的な視点によっても現実的
な現象である事を強固に裏付けてくれて
います。
まずこの光は肉眼で見える光ではないという
証言がありましたが、しかし確かに光って
見えたというのは、単なる心理的な効果で
はありません。やはりこれも霧や雲と同じく
プラズマ現象の一種だと思われます。
プラズマは自ら光りますし、エネルギーの
原初形態なので、やはりこのような超常
現象には、高次元のレベルにあるものを、
現実的なものとして捉える時に感知
される状態なのです。
しかし雲の状態よりも、エネルギーレベル
が高いもので、より愛や平安、そして清さ
が感じられる、高次元の意識の存在である
と考えられます。
それは亡くなった肉親の霊などといわれ
たり、天使のような存在といわれたりし
ますが、臨死体験者が光と一体になった
という証言も複数あることから、この光
は、高次の霊的なレベルの意識である
ばかりか、究極の高次の自分自身だという
見方もできると思います。
つまり究極でいえば、全てが一体の意識
だということです。
また死にゆく人の両目が光るというのは、
松果体が、その光を感知した場合、脳内の
中心にある松果体そのものが光るため、
両目が光って見えるのです。
これは、アヤフアスカと呼ばれる異次元を
感知するための飲み物を飲んだ人の両目が
みんな一様に光っていることをみても
わかります。
高次元に意識が上昇すれば、松果体が反応し
両目がその内側からの光を反映して光った
ように見えるのです。
私あんみんも、体外離脱を経験した時、身体
が黄金色に光り輝くのを実感しましたが、
それは確かに自分自身の身体がそのように
光り輝いていたと、今でも確信しています。
とにかく、臨死状態にいる人の意識が、
肉体を離れるにあたって、高次元のレベル
に上昇する時、光の存在にあったり、
両目が光ったりするのを、そぱにいた人
が目撃できたのは、まさにそれが現実的な
現象であることを証明していることに
なります。
そのような証言をしても何も特にならない
ばかりか、証言者はそれを主張したいわけ
でもないことが、証言の内容からも明らか
な上に、お互いが示し合わせたわけでも
ないのに、ほぼ同じ現象を報告している
ことからも、間違いのない現実である
ことを裏付けていると思います。
臨死共有体験の共通要素についてはまだ
続きます。

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意識と魂と思考 その2

意識や魂や思考というのは、世界中で
太古の昔から普遍的な教えとして語り
継がれてきました。
しかし、ここ現代の日本では、教育課程に
ほとんどそういったものがみられません。
それは、また都合の問題もあるからですが
、それでは我々はこの世界で生きる意味
や意義そして真理に対して盲目になり、
生きる目的や幸福とは何かについてほと
んどゆっくり考える暇もないまま、生活に
追われて、そのまま人生を終えることに
なります。しかもそういう教育を受けた
人々の多くが、人生は死んだら全て終わり、
肉体とともに自分という存在も終わると
考えて、虚しく悲観的な利己主義になり
ますます社会が殺伐としてきます。
現にそのような社会になりはじめている
ではありませんか。
あんみんの真理探究の成果で、人は永遠の
存在であることを、科学的な観点からも
正しいことを裏付ける事実や証言を、
徹底して集めていて、もはや肉体は一時的
な借宿のようなもので、我々はみな一様に
永遠の存在であるという結論に達しました。
今回は、その事をシリーズでお伝えする
「意識と魂と思考」の第二弾ということで、
古来から世界中で伝わる意識や思考、魂
の教えをひもといてみることにしました。

意識や魂や思考といテーマに対して、
科学的なアプローチをして、世界中の学者や
識者から絶賛される成果をあげてきた天才
神秘研究家マイケル・タルボット氏の著書
からの引用です。

“  思考がつくりあげるもの
これまでに見てきたさまざまな「発見」に
ついても言えることだが、私たちの無意識の
心の深い部分、あるいは霊的な部分は、
時間の境界を越えたところまで手を伸ばす
ことが可能であり、自分の運命を決めて
いるのもこの部分だという考えは、多くの
シャーマンの伝承やその他の文献にも見出
すことができる。
インドネシアのバタック族の人々によれば、
ある人間が体験することは、すべてその人
の魂(「トンディ」と呼ばれる)によって
決定され、それはひとつの身体からつぎの
身体へと生まれ変わっていくもので、
その人の過去世の行動ばかりか、肉体的な
特徴までも再生する力を持った媒体である
という。オジヴウェーインディアンも
人生は目に見えない霊、あるいは魂に
よってその筋書きが書かれており、成長と
発達を促すような形にそれが仕組まれて
いると考えている。必要な教訓をすべて
学ばないうちに死んだ場合、その人の霊体
はこの世に戻り、ふたたびまた別の肉体に
生まれ変わるのである。 
 カフナ(ハワイに昔から存在する、未来
予知、手かざしなどによる病気の治癒、
想念現実化などの能力を発揮する人たちの
総称)はこの目に見えない側面を
「アウマクア」すなわち「高次の自己」と
よぶ。ホイットンの超意識と同様に、
それは人の無意識の中でも、結晶化した未来
、あるいは「固まった」未来の一部を見る
ことができる部分だ。
わたしたちの運命を創造しているのもこの
部分だが、そのプロセスを単独で行って
いるわけではない。この本に登場した多く
の研究者たちと同様に、カフナたちは思考
には実体があり、彼らが「キノ・メア」
(影体)とよぶかすかなエネルギー物質で
できていると考えた。したがって、私たち
が持つ希望、恐れ、計画、心配、罪悪感、
夢、あるいは空想などは、心から去った
あとも消滅してしまうのではなく、想念
としてひとつの実体となり、これもまた
高次の自己が未来を織りなすための糸の
一部となるのだ。
 ほとんどの人は思考に責任を持ってい
ない、とカフナは言う。
高次の自己に対し、まったくコントロール
されていない、互いに矛盾しているさまざ
まな計画や望み、恐れなどを常に浴びせ
かけている。
これが高次の自己を混乱させるため、ほと
んどの人の人生は、これまたコントロール
のきかない偶然の産物と見えてしまうのだ。
強い力を持ち、高次の自己といつもつながり
をもっているカフナは、人の未来をつくり
変える手助けができると言われていた。
同様に生きて行く過程で、人々が頻繁に
立ち止まっては自分の人生について考える
時間をとり、自分の望みを具体的なかたちで
思い浮かべることが非常に大切だと考えら
れていた。そうすることによって、人は自分
の身にふりかかる出来事をもっと意識的に
コントロールできるようになり、自分の未来
を自分でつくっていくことができるとカフナ
は説いたのである。
ティラーやスティーブンソンによる、精妙な
中間体の概念(いわば魂のようなもの)を
思い起こさせる考えを用い、カフナはこの
「影体」物質もやはり肉体の型版をつくる
と考えていた。ここでもカフナの中で自分
の高次の自己と非常にうまく波長が合って
いる者は、人の影体物質の形をつくったり
変えたりすることができくると言われて
いた。
ということは、肉体にも同じようにできる
ことになる。奇跡的治癒が行われるのも
こうした仕組みによるものとされていた。
この見解が、思考やイメージがなぜ健康に
あれだけ強力なインパクトをもつのかに
ついて私たちが到達した結論と同様のもの
であることは興味深い。
 チベット密教の神秘主義者たちも、
この思考の「物質」を「ツァル」とよび、
すべての精神活動はこの神秘的なエネルギー
の波動を生み出すと言う。
彼らは、宇宙はすべて心の産物であり、
すべての存在のツァルの集合によって
それは創造され、生命を与えられていると
考えた。密教によると、ほとんどの人は
自分がこの力をもっていることに気づいて
いないが、それは普通の人間の精神が
「大海から隔絶された小さな水たまりの
如くにしか機能していないからだという。
精神の深いレベルに接触する技をもつ偉大
な行者だけが、このような力を意識的に
利用することができると言われており、
彼らがこの目標を達成するために行なった
のは、望むものが創造された姿を繰り返し
思い浮かべ視覚化(観想)することで
あった。チベット密教の文献には、この
目的で行なわれる「サーダナ」とよばれる
視覚化の訓練がたくさん書かれており、
カギュー派のような宗派では、自分の視覚
化能力を完成させるため、僧侶は最長七年間
も洞窟や閉ざされた部屋の中にひとりで
過ごすという。
 十二世紀のペルシアのスーフィたちも、
自己の運命を変えて新たなものをもたらす
のに視覚化が重要であることを強調して
おり、この思考のかすかな物質を「アラム・
アラミタル」とよんだ。多くの透視者と同様
に、彼らも人間にはチャクラのような気の
中心点によってコントロールされる「微体」
があると考えていた。また、世界は段階的に
精妙になっていく一連の存在次元(ハダラー
と呼ばれる)に分かれており、この世に隣接
した次元は一種の型版的世界とされる。
「アラム・アラミタル」はそこで想念の像と
なり、それがやがて最終的に人生の成り行き
を決定していくのである。スーフィたちは
独自の視点も加えている。彼らは、胸の
チャクラ(「ヒンマ」)がこのプロセスを
司っており、自己の胸のチャクラを制御
することが、自己の運命を制御するための
前提条件であると感じていた。”
“出典:「投影された宇宙」
マイケル・タルボット著
川瀬勝訳 春秋社刊”
()内一部あんみんの注釈です。
もうこれで、魂や思考や意識が実体のない
架空のもの、または物質の副産物などと
いう人はいないと思いますが、実際
宇宙は全てまさかの真空です
でご説明したように、物質こそが架空
のもので、実は思考や意識、そして魂
などが、実体と呼べるものだったのです。
それを理解してる人たちが、思考や意識を
現実化させ、病人を意識や思考で治し、
予知能力などを発揮するのだから、どちら
が正しいか、すでに明らかですよね。
唯物論などを信じている人たちは、その
ことを説明できず、「偶然」などと、
苦し紛れに叫ぶことしかできません。
理解できなければ、なんでも偶然
だとか奇跡で片付けるのは、もはや
だだをこねて泣いている赤ん坊と変わら
ないのではないでしょうか?
頭のいい人は、全てには理由があるはず
だと、原因や謎を解明しようとするもの
です。そして太古からの賢人たちは、
これまでみてきたような結論を導き出す
のに至ったというわけなのです。
また世界中のいたるところで、また時代
を違えて、思考や意識、魂に対する考え
が、驚くほど同一の事をいっている事
にも注目していただきたいのですが、
彼らは、インターネットの時代に生きても
いないのです。つじつまを合わせる、
必要すらありません。
その上でほぼ同じ結論を導き出して、
しかも超常能力と呼べるものを、意識
的にコントロールし、実践してきたの
だから、もはや疑う余地がないのでは
ないでしょうか。
カフナの高次の自己は「アウマクア」
そして思考は「キノ・メア」、チベット
密教の神秘主義者は、思考の物質を
「ツァル」と呼び、ペルシアのスーフィ
たちは、思考のかすかな物質を「アラム・
アルミタル」と呼んだ。
これは、全て同じ事を別の言葉で表現
したものにすぎません。
また思考を現実化するために必要だとされ
ている事が、カフナの具体的な形で思い
浮かべる事と、チベット密教の神秘主義者の
「サーダナ」という視覚化、ペルシアの
スーフィたちの胸のチャクラによる視覚化
と言うことで、みんな見事なまでの一致を
みるのです。
またこの本には、続いて超能力者たち、賢人
たちの太古からの教えにも同様の事が伝えら
れていると例をあげて書かれています。
ここまでの証拠をつきつけられて、まだ
思考が架空の実体のものではないと、考え
られる人は、救いようがないと思えますが、
これを読んで理解しておられる人たちも、
同感されますよね。
視覚化などのイメージによる現実化は、
最近はやりの、「引き寄せ」の法則でも
一般的な考えなので、もはやこれを疑う
人は人類と自分の未来を放棄したような
ものでしょ?

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臨死体験者の言葉その4     「臨死共有体験の共通要素その2」

前回ご紹介しましたのは、臨終の人の体から
白い霧が立ち上るのを、まわりにいた人が
目撃する事が非常に多くあるという事例で
す。そしてその白い霧の正体がプラズマで
あることを説明させていただきました。
今回は、臨死共有体験にみられる別の共通
要素について、ご紹介していきたいと思いま
す。
それは「空間の変容」というものです。
これは、臨死状態にある人の意識が、肉体を
離れる時に、別次元に移行するため、一時的
に我々の感知している次元の領域に、ゲート
のようなものをつくる必要があるからです。
その影響を、そばにいた人が受けて通常の
五感特に視覚領域を狂わせてしまうことで、
「空間の変容」というような証言につな
がっているのです。
この空間の変容についてお話する前に、
我々の視覚というものがいかに、範囲の狭い
領域しか捉えることができず、またそれを
解読するのにも、いいかげんなしろものか
というのを簡単に説明します。

“出典:「リアルNHK」様”
上の図は、電磁スペクトラムといって、
これまで説明してきたように、我々の感知、
観測できる範囲というのが、電磁波という
波動なので、その範囲を網羅するものです。
もちろんこの図はその一部ですが、我々の
視覚範囲というのは、visiblelightと
書かれているレインボーの範囲だけです。
とても範囲が狭いのがこれだけでもよく
わかりますよね。実際には、電磁波の範囲
はもっとずっと広く、左側にはさらにベータ
線やアルファ線などの放射線もあり、右側
は、聴覚の範囲から脳波の範囲まで含まれて
います。しかもこの図はこれでも視覚領域
が大きめに書かれています。
つまり我々は、宇宙の領域のほんの一部
しか見えていないことになるのです。
また我々の感知観測できない、電磁波以外
の領域も無限にあると思われます。
視覚の範囲が狭いだけじゃありません、
我々は、五感の器官から無数のセンサー
(感知細胞)により、毎秒1100万もの
感覚が脳に送られてきますが、脳によって
選択されて、編集されて40の感覚だけが、
残るということでしかないのです。
つまり視覚情報も大部分が捨てられて、
ほとんど脳の思い込みで、見ているだけ
という事になります。
別の研究でも、脳に入ってくる情報は、
視覚中枢に送られる前に、脳の側頭葉に
よって編集され、手を加えられている
という事が明らかになっています。
要するに我々は、範囲の狭い視覚領域
で捉えたものをさらに、脳の思い込みで
手を加えているので、ほとんど実際の
物が見えているとはいいがたいのだと
いうことなのです。
人が同じように物を見れているのは、
人間の生体に特有の特殊なプログラムで
しかないのです。
実際、電磁波エネルギーとして、物体を
捉えたら、トーラスやスパイラルという
状態で捉えることになり、全く我々の
捉えている世界とは違うものになるの
です。

さてこれだけ特殊な我々の肉体の視覚が、
肉体を離れる人にとってはもはや不要に
なるため、別の見方で世界を見るように
なります。臨死体験者の証言にも共通して
いるのが、360度の範囲が自在に見れて、
肉体のあるときには、見えなかったものま
で見えるようになるということなのです。
そして臨死共有体験をする人は、そんな
臨終の間際の人が新しい視覚また感覚を
獲得するのに同調して、五感を超えた感覚を
一時的に獲得するため、「空間が変容」
するという感覚を味わうことになるの
です。

さてこの臨死共有体験者の「空間の変容」
に対しての証言をまたレイモンド・
ムーディー氏の著書から引用させて
いただきます。

“たとえば、兄の臨終の床に付き添っていた
ある女性は、自分のいた四角い部屋が、
まるで「別の形に変容した」ように見えた
という。
数学の教師をしているある男性も、「まるで
部屋が崩落と膨張を同時になしたように見え
ました。あたかも代替の幾何形態を目撃した
ような感じでした。」と語る。
 多くの人にとって、この空間の変容は、
単に部屋が形を変えて見えることである。
しかし一方、単に形を変えただけでなく、
「別次元」の扉が開くのが見えたという人も
いる。
 この「別次元」という言葉は、他にも
様々な言葉で言い表されている。ある人々は
部屋に「時間のない世界」への扉が開いた、
という表現を使う。ある女性は、「霊たち
のほうからは私たちを見ることができるが、
こちらからは彼らを見ることができない。」
ような状況を感じたともいう。
別の女性は、
「部屋はディズニーランドのように見えま
した。つまり、表に見えている様々なもの
は、実は裏方がしているものだということ
です。私たちが見ているのは表面にすぎず
その下でなされている事柄が出てきたものに
すぎません。」
と語っている。もしこれらの表現をまとめる
とすれば、どう言ったらいいだろう。
 たとえば、「死の際にある種の出入り口が
ポンと開き、より高き異次元の世界へ導く」
と言ったらいいだろうか。
これはじつは、ノースカロライナの病院で、
うっ血性心不全で死につつあつた兄との
臨死共有体験をした、ナンシーという女性に
よる表現だ。

 「兄がまだどれほど生きられるかは、
わかりませんでしたので、私は決心して、
兄のベッドの横に座って付き添うことに
しました。
一日ほど経ったのち、兄の息は不安定に
なり、やがて止まりました。
 私が兄の手を握っていると、看護師が
入ってきてベッド際に立ちました。
兄は生前、「蘇生術を施さないでほしい」
という覚え書きを出していましたが、
看護師は兄の臨終が安らかなものだった
かどうかを、知りたかったようです。
 突然、私は部屋が形を変えたと感じ
ました。あたかも空気で満ちて膨張した
かのような感じでした。
すると、私自身が肉体から離れて、空中
で兄と一緒にいるではありませんか!
私たちは文字通り、部屋の中を自由に
飛び回れる霊となっていました。
 そののち私は自分の肉体に戻りま
した。そして普段持っている五感の感覚
が戻ったのです。
部屋を飛び回っているとき、私は下の
ほうに、兄の体の横に座っている自分
を見ました。
空中を飛び回る私のとなりには、肉体を
抜け出た兄の姿がありました。
 私が自分の体に戻ったとき、部屋も元
の形に戻りました。何もかも元に戻った
のです。」”
“出典:「臨死共有体験」レイモンド
・ムーディ/ポールペリー共著
堀天作訳 ヒカルランド刊”

この最後の証言は、空間の変容だけでなく
体外離脱も経験しているし、見事に兄の
霊的意識と異次元を共有しているのが、
よくわかりますよね。
この女性がいうように、その異次元では
五感は働いていなかったという事も、
明らかです。
我々の肉体特有の感じ方というのは、
このように霊的な次元では、全く役に
立たないということですね。
次回のこのシリーズは、また臨死共有体験
の共通要素についてみていきたいと
思います。

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臨死体験者の言葉その3      「臨死共有体験の共通要素その1」

臨死共有体験というのは、臨死状態にある
人のそばにいる人、または臨死状態にある
人と関係の深い人が、その人とともに、
または単独に、またはその場に居合わせた
人々全員で超常体験をすることをいいます。
それについては前回の
臨死体験者の言葉その2
詳しく書いておきましたので、そちらを
ご覧下さい。

そして多くの臨死共有体験の事例を集める
うちに、レイモンド・ムーディー氏は、
いくつかの共通要素があることに気づきま
した。
今回はそのうちの一つで、あんみんの真理
解明のために重要なものをお伝えしたいと
思います。それは、臨死体験者から、臨終
または、死に近い状態の時に、その人の
身体から白い霧それも光る霧のようなもの
を見たということです。
この白い霧とは、あんみんの宇宙の真理編
電磁界異常と超常現象その2
で時空転移の鍵となる現象として
白霧-電子雲を取り上げましたが、
それと同質のものだといえると思います。
つまり白霧は、プラズマ現象または
プラズマ体と呼べるもので、異次元へ
のゲートとしての役割を果たしている
と考えられます。
さてその臨死共有体験の白い霧の例を
レイモンド・ムーディー氏の著書から
引用させていただきます。

“ 私が死に関する研究を始めて以来、
私はしばしば、臨終の人の体から
「霧のようなものが立ちのぼるのを見た」
という証言に接するようになった。
これは、臨終の床に立ち会った人々が
しばしば証言しているものである。
 その「霧」については、いろいろな
表現がある。ある人々はそれを「白い
煙のようだった」というし、他の人々は
「蒸気のようなものだった」と言う。
ときには、「人の形のようだった」と言う
人もいる。
 いずれの場合も、それが上のほうへ立ち
上り、やがてさっと消え去ったという。
 その実例として、ジョージア州のある
医師の場合をみてみよう。彼は患者の臨終
の際に体から立ち上る「霧」を二度、別の
日に目撃している。以下、その両方の場合
をみてみることによって、霧の経験に
ついて理解を深められると思う。
「私は6ヶ月に二度、臨終の患者から立ち
上る霧を目撃しました。彼ら患者は、亡く
なった時明るく光りました。目が銀色の
光で輝いて見えました。また胸のあたり
から、霧のようなものが立ち上り、空中
で浮遊しました。
 私にとっては時が止まったかのようで、
その光景を目をこらして見ました。
注意深く近づいて見ました。霧は、深く
複雑な構造を持っているようでした。
幾つかの階層から成り、何かのエネル
ギーで脈打っていたのです。
 でも私のこうした表現も、うまい描写
ではありません。うまく言い表せません
が、水の中で別の水が動いているような
そんな感じです。
 二度目に見たときは、私はさらに、何か
見えない存在を感じました。あたかも私
のとなりに誰かが立っているような、
そしてその存在は患者の臨終の時に備え
ている、というような感覚です。
 その存在が何だったか誰だったかは、
わかりません。しかし、それは患者を愛
する誰かだったのではないか、と思い
ます。それがそのとき私の持っていた
感覚でした。」
 じつはこの医師は、二度目の経験の
数日後に、自分がひとりでに体外離脱
してしまう経験を持った。その前に
彼が二度の霧体験をしたのは、自分の
体外離脱体験の準備とするためでは
なかったか、とも私には思える。
 体外離脱体験もまた、この医師の
世界観を大きく変えるものとなった。
彼は述べる。
 「私が眠ろうとしていたとき、突然
私は、ベッドに横たわる自分の体を
下方に見おろしていました。二度の
霧体験と、この体外離脱により、私は
確信を持って、世界にはこの目で見える
以上のものがあるということができ
ます。」
 つぎに、霧に関するもう一つの実例
として、ノースカロライナ州にある
ホスピスの心理学者が記しているものを
見てみよう。この心理学者は、臨死体験
の他の様々な要素と共に、霧を見る体験
についても記している。
 「臨終の場面は、物質世界の事柄だけ
では説明できないものを持っています。
私は宗教的な人間ではありませんが、
ホスピスでの仕事は、生命の霊的次元に
関して、私を目覚めさせました。
 誰でも、死にゆく人々を看取るこの
仕事を長く続けていれば、こうした体験
を何らかの形で、しているものと思いま
す。死にゆく人々自身が持つ死の霊的
体験は、どうも何らかの形でしばしば
周囲に漏れ、かいまみられるようです。
 もしあなたが、たまたま波長が合って
その領域に踏み入ると、あなたは死者の
周囲に神聖な存在を感じ取ることになる
のです。
 私はこれまでに何度も、病室の形が
変容して見えたという経験をしました。
もしそれを表現するとすれば、部屋の
中で、生きたエネルギーが脈打っていた
としか言い表せません。私は、この世の
言葉で表現できないような存在を何度も
感じました。
 人の臨終の場面は、永遠をかいま見せて
くれるものです。ちょうど窓から遠景を
ながめるように、私は何度も、光をみま
した。また二度にわたって、何かの構造物
を持つ別世界を見ました。
 二度とも私は、患者が雲のような形に
なって肉体を離れていく光景を見ました。
彼らが肉体から抜け出し、その別世界へ
旅立つのを見たのです。
 その雲は霧のようにも見え、患者の頭
か胸のあたりに形成されました。その中
には電気のようなものも見え、ある種の
エネルギーの動きがありました。
 それを私の肉眼が見ていたのかどうか
は、わかりません。しかしそれは常に
そこにあったのです。 
 人はしばしば、死んだ人が別世界へ
旅立つ光景を目撃することがある。-
それが私の確信です。」”
“出典:「臨死共有体験」レイモンド・
ムーディ/ポールペリー共著
 堀天作 訳
ヒカルランド刊”

空間の変容などは、臨死共有体験にみら
れる別の共通要素の一つですが、人が
臨終の際に、肉体を離れて別次元に
意識を移すときには、時空のゲートが開く
ため、そのときその場の時空もゆがみが
生じるといえます。また、当然その場に
居合わせた人の、意識もその臨終の人の
意識に同調しているため、ふだんの
時空の感覚と全く別の次元を感じること
ができるせいでもあります。
今回は、死にゆく人の体から霧のような
ものが立ち上るという経験を、複数した
という人物の証言を二人も実例として取り
上げていただいたのですが、他にも
いくつもの例があり、もはや臨終の際に
霧または雲のようなものが、立ち上ると
いうのは、完全に自然現象とみていいと
思います。自然といっても、意識をとも
なった生命の別の形といってもいいと思
います。その霧はすぐに消えることが
ほとんどですが、それは消えるのでは
なく、本来の真空の状態に意識が戻った
だけの話なのです。
もちろん真空といっても、何もないわけ
ではなく、さらに無限のエネルギーや
次元の存在する場という意味です。単に
我々が感知できない領域にいったという
だけの話なのです。
そして、これまでの記事でご紹介した
東日本大震災や、チェルノブイリ
原発事故
、、バミューダトライアングルで、
時空のゲートとして働いた霧は、今回も
同じ役割を持つものとして登場しました。
その役割とは肉体から霊的な領域に入る
ための、時空のゲートとしての役割です。
そしてその霧は、真空と我々の感知する
電磁的なレベルの世界とをつなぐものに
特有のプラズマ現象だということも明らか
なのです。
二人目の証言者によれば、プラズマの性質
を特によく表現している箇所がありました
よね。霧の説明の時に、「電気のような
ものも見え、ある種のエネルギーの動きが
ありました。」という部分です。これは、
間違いなく、プラズマ現象のことだとわか
ります。プラズマエネルギーがどんなもの
か、プラズマの驚異の力その1
画像付きで、説明しているのでそちらを
ご覧ください。

また一人目の証言者が、その霧の状態
について、水の中で水が動いているよう
なエネルギーの動きを見たと表現して
いるのも、もちろん水がプラズマ現象
の一種であることを示しているのは
もちろん、霊的なレベルの次元は水が
象徴していると再三サビアンシンボルの
解釈で取り上げていることの裏付けにも
なっています。
これで超常現象に霧または雲のような
プラズマエネルギーが、時空のゲートと
して目撃されるということを、臨死共有
体験でもご紹介できたことになります。
しかし、このプラズマ現象である霧は、
まだ別種の超常現象にも目撃されている
ので、それを次回から書いていきたい
と思います。

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