ハチソンが公開したプラズマの驚異の力  プラズマと超常現象の関係


波動を知り発明に活かした大天才という記事
で、不世出の忘れられた超天才物理学者
ニコラ・テスラ氏について説明させて
いただいたのですが、その中で
フィラデルフィア事件というものを軽く
紹介させていただきました。
これはまず、軍艦の消磁実験にテスラコイル
が使用されることになり、軍事利用される
事を嫌った、テスラ氏がプロジェクトから
撤退したことにより、テスラコイルの制御が
できないまま、実験の当日を迎えることに
なります。1943年10月14日の実験の
当日フィラデルフィア海軍工廠でエルド
リッジという最新鋭駆逐艦の船内に設置した
巨大なテスラ・コイルが暴走し、とんでも
なく巨大な電磁界異常が発生し、超高熱に
包まれた軍艦がテレポート現象でフィラデル
フィア海軍工廠から320kmも離れた
ノーフォークの軍港に同時刻に突如として
あらわれて、なんと6時間もそこで目撃
され続けたというのです。

また戻ってきた軍艦エルドリッジの船内
ではさながら地獄絵図が展開していて、
人体発火現象から、発狂する船員、
人体と船体融合現象などがみられる
など、想像を絶する事件が、アレンデという
人物の証言により明るみに出たという
という事なのです。
この事件についてネットでは証言者の
ねつ造の話だとか、重力では説明できない
などと完全否定するような記事もあります。
まず重力で説明できないからあり得ない
という事については、すでに私が反対の
科学的説明をさせていただいていて、
それについては、宇宙の根本的な力は
重力じゃない
という記事
をお読み下さい。
この事件が電磁界異常のプラズマ現象
であるならあり得ない話ではないですが、
なかなか信じがたい事件でもあります。
しかしその裏付けとなるプラズマ現象を
なんと、常温の装置で引き起こせる装置を
完成させた男性がいたのです。

”その男性とは、カナダの機械工学のマニア
ジョン・ハチソンという人です。
彼は、大学の教育を受けておらず、独学
で研究をしていたのですが、持ち前の
センスと勘で、様々な高周波発生装置を
作っていました。
高周波発生装置とは、簡単にいえばプラズマ
のような、電磁的な高エネルギー状態を
つくりだす装置のことです。
そして、その中でも彼がつくった高電圧
高周波振動電流発生装置というのが、つまり
あのテスラ・コイルなのです。
しかし、驚くべき事に、彼のつくったテスラ
コイルは、複数同時に使っても暴走しないの
です。もちろん当時、ニコラテスラがプロ
ジェクトに加わっていれば、そのように制御
することもおそらくできたでしょうが、彼は
撤退し、それを引き継いだ多くの専門家の
努力にも関わらず、ついにフィラデルフィア
実験では制御できずじまいでした。
ところが、そのテスラ・コイルを持ち前の勘
とセンスで制御したのがジョン・ハチソンと
いう男性だったのです。
そして、この装置をビデオに録画して世界に
発表したのです。
1988年、カナダのオタワで開かれた
「新エネルギー技術シンポジウム」の場
で発表すると、出席者はもちろんその場に
いた観衆の度肝を抜いたのです。
そこには信じられないような映像が映って
いたのです。
それはどんなものかといいますと、
数キロはあろうかという鉄球がひとりでに
回転しながら浮上する。アイスクリームが
あたかも見えない何かに引っ張られるよう
に上に伸び、しまいに容器ごと上昇してい
く。またコップに入れた水が水しぶきを
あげながら沸騰していく。さらに分厚い鋼鉄
の板がひとりでに曲がりはじめ、あるものは
切断してしまうなどという現象が映っていた
のです。

驚愕の現象はハチソン効果と呼ばれ、瞬く
まに全世界の知るところとなりました。
世界中の科学者や技術者を巻き込んで
一代センセーションを巻き起こしたのです。
さらに一連のハチソン効果の中には、金属
の溶接現象があり、ステンレス製のナイフが
アルミニウムと融合したということです。
これは、現代の通常のテクノロジーでは
不可能なことです。”
”参考文献:「亜空間の謎と地球空洞論」
飛鳥昭雄 三神たける 著 学研刊”

さらにこのハチソン効果の中には、テレ
ポート現象もあったらしく、その記事から
引用させていただきます。

 ”テレポーテーション現象
 さらにハチソンは、驚くべきことに物体
の透明化、及びテレポーテーションが
起こったことを報告している。
地下にある実験室から上がった外の倉庫に
置いてあるカードボックスにあるはずの釘が、
いつの間にか外に飛び出して、倉庫の壁を
通り抜け、実験室の壁の表面に出てきたのだ。
壁といっても特定のこの場所から、という
わけではなく、もちろんそんなところに穴
などあろうはずがないのだ。また、ハチソン
自身が見ている前で、物体が透明化して、
置いてある台だけが透けて見えたと報告し
ている。”
”出典:宇宙NEWS LETTER 2010

このハチソンのテスラ・コイルは、のちに
アメリカ軍によって巧妙に持ち出され、
以後本人の手に戻ることはなかったといい
ます。それだけこの装置が本物であったと
いう証拠ですね。

このハチソン効果は、フィラデルフィア事件
を常温で再現してみせたわけで、プラズマ
による電磁界異常が超常現象をひき起こせる
ことを証明したと同時に、フィラデルフィア
事件が事実であったことを裏付けても
いるということなのです。
このように電磁界の高エネルギー現象
(プラズマ現象)が、超常現象を引き起こす
という証拠は、まだ他にもあります。
続きはその4ということで。

余談ですが、私がまだ20歳代の後半くらい
の頃に、神戸の中華街「南京町」にいった
時の事です。その中のある店の前に人だかり
人だかりができているので、なんだろうと
思い友人たちと行ってみると、何やら大きな
金というか、きれいな銅色だったかのような
金属の鍋に、たぶん水らしきものが、ほぼ
いっぱいに入っていて、その奥に中国人
らしき日本語を話す老人が座っていたの
です。
そしてみんなその老人に勧められるまま、
その鍋のふち、両サイドを手のひらで
交互になでると、なんと勝手に鍋の中の
水が沸き立ち、人によっては、わりと
大きく吹き出すではありませんか。
私も、一度試しに鍋をなでてみると、
なんと頭上高くおそらく2~3メートル
上まで、噴水のように一気に吹き出した
ではありませんか、すごくびっくり
して、手を離しましたが、今から思うと
つまりこれは、プラズマを増幅して
水に伝えられる鍋なのだという事だった
のだとわかりますね。
にしても、そんなに吹き出したのは、
その時自分だけだったので、今頃ちと
紹介してみたくなりました。
てへっ(^_^;)
つまり手のチャクラから発する、
プラズマのエネルギーの大小で、その
鍋が増幅して水に伝わるエネルギーも
変動するという事ですね。

そうそう水はプラズマにとって最適の
媒体の一つです。だから、超常現象の
時には、ことごとく霧やら雲や光る
水が現れたりするという事です。

ではまた(^^)/

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ロズウェルのUFO墜落事件の真実 「エイリアンインタビュー」とは?

以前にも引用させていただいた事がある
累計525万アクセスを誇るミリオン
ブロガーの本山よろず屋本舗様から、
今回もまた貴重な記事を引用して
紹介させていたただいて、また例によって
私の見解と照らし合わせて吟味していき
たいと思っています。
今回ご紹介するのは、あのロズウェルの
UFO墜落事件の話です。
どういうものだったかご存知ない人たち
のためにご説明しておきますね。

これは1947年7月8日、アメリカの
ニューメキシコ州にあるロズウェル陸軍
航空基地付近に何かが墜落した時の
事です。当時基地で広報官を務めていた
ウォルター・ハウト中尉は、基地付近の
牧場に円盤(UFO)が墜落し、その機
体の残骸を回収したと発表しました。
 それを受けてマスコミや世間で一時
にぎわいましたが、その後、軍が
「回収したのは円盤ではなく、
気象観測用の気球だった」と訂正したので
いったんは下火になります。
ですが、UFO研究家などにより検証
されてUFOが墜落したのは事実だという
本が出された事などから、神秘研究家
や識者たちそして一般の人々にも広く
信じられるようになっているものです。

私も隠蔽は、上の者の常套手段とわかって
いるので、これは真実だと直感しています。

そしてその事件での出来事で、私も知ら
なかった別の事実があったというのです。

これが「エイリアンインタビュー」という
ものなのですが、どんなものだったか、
本山さんのブログから引用させていただき
ましょう。

『』内が引用、~が中略そして(引用注:)
私の注釈という事になります。

『エイリアンインタビュー』は、
当時ロズウェルで墜落したのは本物の
UFOであったことを示唆する本です。
 墜落したUFOには3体のET
(地球外知的生命体)が乗っていて、
2体はすでに死亡していましたが、
1体は意識がある上に、怪我すらして
いない状態だったといいます。
 UFOの残骸を回収したのは、
合衆国陸軍航空隊のロズウェル陸軍飛行場に
配属された第509爆撃大隊で、
マチルダ・オードネル・マックエルロイは、
派遣された隊の中で唯一の女性でした。
マックエルロイ女史は、看護師であり、
怪我を負ったETの看護を行う役目を
担っていました。
 生き残った1体のETは、身長が
120cmほどで、非常に痩せた体型で
筋肉とよべるようなものがありません
でした。口も鼻も耳もなく、生殖器も
なかったのです。
 口がないのですから、人間のように
食物で栄養を摂ることはしませんし、
言葉を発して相手とコミュニケーション
をすることもしません。
 さらに臓器もなく、生物として必須の
細胞で構成された生命体とは言えない
ものでした。
 つまり私達の概念では、生物とは
言えないものでした。

 その口がないETは、マックエルロイ
女史にテレパシーでコミュニケーションを
取ってきたのです。マックエルロイ女史は、
それ以降、軍によってETとの
コミュニケーションを取る任務を与えられ
ます。

(引用注:つまりは、このETの看護役
であるマックエルロイ女史とETとの
テレパシーによる会話が、エイリアン
インタビューという事のようです。
この私たちの概念では生命体とは呼べ
ないというのは、通常の科学での概念
で、私の概念では、独立した個としての
意識があるものは、すべて生命と言う
のが定義です。私の記事でも、人類は
月と土星のマトリックスシステムに
よって、とても不便な身体にさせられた
という事を説明して、食事をして排泄
するような仕組みも、それにより形成
されたと説明してきました。
そしてまた本来の意識では、テレパシー
で会話できるとも説明していた通り
このETは我々が囚われているような
マトリックスとは全く無関係の生命種
であるという事がよく理解できます。)

 マックエルロイ女史は、そのETを
エアル(Airl)と呼び、女性と認識します。
生殖器がないのですから厳密には性別は
ないはずですが、ETが自らを女性と
言った上に、マックエルロイ女史は、
エアルに女性的な存在感と様子を感じ
とったのです。
 エアルは、マックエルロイ女史以外には
コミュニケーションしようとしません
でした。そのコミュニケーションも、
お互いに共通した言語がなかった為に、
初歩的なコミュニケーションに
留まっていました。
 これを解決する為、エアルに英語を
教えることになります。
 言語の単語やシンボルは正確な概念や
意味を持っており、定義された用語に
対する共通の理解を得ることで深い
コミュニケーションがとれると期待
されたのです。
 エアルは、英語を学ぶことを了承
します。
 最初に、アメリカの19世紀の
開拓時代に使われた子供用の英語の
教材がエアルに与えられました。
マックエルロイ女史は、エアルの英語の
教師となったのです。
 そしてエアルは驚異的なスピードで
英語を学びます。
 マックエルロイ女史が帰宅した後も、
エアルは本を読み続けます。眠ることも
せず、24時間すべてを学習に費やすこと
ができたのです。
 英語の学習が終わると、ブリタニカ
百科事典を読み始めます。百科事典には、
絵や写真がたくさんあり、これがエアルの
理解の助けになったようです。さらに、
天文学、金属学、工学、数学の専門書や
様々な技術マニュアルまで読みこなして
いきます。さらにフィクションの本や小説、
詩と文学の古典まで読み始めます。
 エアルに好きな本は何かと聞いたところ、
「不思議の国のアリス」「ドン・キホーテ」
「千夜一夜物語」だと答えたといいます。
 この時点で読破した本は数百冊に上り
ました。
 そして、エアルがUFOの墜落現場で
「保護」されてから16日目には、
エアルはマックエルロイ女史にテレパシー
で次のように伝えてきたのです。

 「これで私は話す準備ができた」

“出典:本山よろず屋本舗様のサイト
エイリアンインタビュー』より”

今回はここまでです。とにかくこの
ETここからはエアルと呼ばせて
いただきますが、エアルは、とてつも
なく高度な知生体であるという事が、
よーくわかる記事ですね。
眠らずに英語の習得に努めたのも
我々と全く違うところですが、
それ以上に習得のあり得ない
スピードです。まさか全く別の生命体
である、ETが会話もしたことすら
ないのにたったの16日間だけで
英語で会話する事が可能になったの
です。またこの間に数百冊も読んで
しまったというのです。
我々の想像をはるかに超えるレベル
であった事は疑いないでしょう。
そのETであるエアルが、話した事
とは一体何なのか、次回を楽しみに
しましょう。

というか、興味津々な方は、リンク先
から読み進めていかれる事でしょうね、
ただ私の見解が入るのは、私の記事だけ
ですので、そこんとこよろしくお願い
します(^^)

ではまた(^^)

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明智光秀と黒田官兵衛と本能寺の変     南蛮人の真実その4   


先日
島原の乱は幕府の圧政が原因では
なかった!という記事で、本能寺の
変の本当の首謀者は、南蛮人だと
いう事を示唆しましたが、その事を
裏付けている記事を見つけました
ので紹介させていただきます。

『』内が引用です。

『基本的に信長とイエズス会の関係は
良好であった。信長はキリスト教の
布教を許し、宣教師たちの活動を
援助し、安土城下にセミナリヨ
(小神学校)が設立することを許可して
いる。しかしながら1580年、肥前の
キリシタン大名大村純忠が長崎及び
茂木の地を教会領として寄進する
という事態が起こる。要は長崎の地は
植民地も同然となってしまったので
ある。
羽柴秀吉もイエズス会の危険性
について信長に上奏していたという
から、危機意識はますます高まった
に違いない。 しかし、火薬の原料と
なる硝石を手に入れるため、イエズス会
と良好な関係を保つ必要があったのか、
このことに信長が反応したという記述は
見られない。
毛利攻めを控えていた当時、硝石の調達は
重要事項だったに違いなく、天下統一を
成し遂げるまでは波風を立てないように
していたのかもしれない。
弥助という人物
この大村純忠長崎寄進事件の前年の
1579年に宣教師アレッサンドロ・
ヴァリニャーノが来日する。 このとき
ヴァリニャーノは1人の黒人を従者として
随行させていた。
1581年、信長に謁見したヴァリニャーノ
はその黒人を信長に献上したという。
信長はその黒人を気に入り、弥助(やすけ)
と名付けて直臣にまで取り立てている。
この弥助は何と、本能寺の変の際も
本能寺におり、その変の一部始終を
目撃したとされる。 しかも信長の
後継者信忠を守るべく、二条城で
明智軍と戦って捕縛されてさえいる。
…にもかかわらず、明智光秀は弥助を
殺さずに南蛮寺に送っているのはなぜ
なのだろう。
実は弥助はイエズス会のスパイで、
光秀がキリシタン大名経由でイエズス会
から信長暗殺を依頼されていたとしたら、
この行動もしっくりとくるのではない
だろうか。ちなみにその後の弥助の
足取りは不明である。
これに関して興味深い話がある。愛知県
瀬戸市定光寺町にある西山自然歴史博物館
には、織田信長のものと伝わるデスマスク
が展示されているというのだ。
信長の子孫を称する館長の西山氏によると、
そのデスマスクは弥助が本能寺から持ち
出した信長の首から作られたという。
信長の首はまず、本能寺近くの南蛮寺に
預けられたというから、イエズス会が確実
に信長の死を確認する必要があったのかも
しれない。』

“出典:「戦国ヒストリー」様のサイト
本能寺の変「イエズス会関与説」
~ イエズス会が日本制圧のために
信長を操っていた!?
」より”

この光秀が弥助を南蛮寺に送り届けて
いるという事は、この本能寺の変が、
南蛮人の意図から引き起こされて、
光秀も南蛮人との密約から動いた事の
証拠のひとつになります。
弥助は重要な信長の生前の情報を聞き出す
のにとても有用で、光秀の政権で天下を
治めるために、側におくか、捕らえて
おくかするのが自然です。
それを南蛮人に届けているという事は、
本能寺の変に南蛮寺が大きく関わって
いて、そしてまた本能寺の変後に光秀の
スポンサーになるという密約があったから
だと思います。また信長の首が、南蛮寺に
預けられていたという事も、信長の死が
彼らにとって必要だったからだと思い
ます。この光秀と南蛮人のつながりは、
光秀の娘が(細川ガラシャ)キリシタンに
帰依している事からもわかりますね。

しかし、私は、決して信用してはならない
南蛮人の狡猾さから、彼らはさらなる陰謀の
意図を持っていたと、にらんでいます。
信長の家臣団の反応を予想すると、信長
への忠義から、光秀に反発する武将が
多く、信長に贔屓され秀吉とならぶか
秀吉よりむしろ重宝されていた、新参者の
光秀についていかないだろう事は、
最初から見抜いていたに違いないと思う
のです。
つまり最初から光秀に信長暗殺の汚名を
きせるために、光秀をそそのかしておいて、
その一方で、秀吉というより、その
側近の黒田官兵衛と通じていたと
思うのです。
黒田が、信長の死を知ってすぐに秀吉に
「天下を取るチャンスが訪れましたな」と
言ってのけた事はあまりにも有名な話
ですが、彼が秀吉の側近として活躍できた
のも、キリシタンとさらには、南蛮人と
通じていた官兵衛が、資金や爆薬などの
調達の面でも有能であったからである
とうなづけます。もともと商売の家系
だった黒田官兵衛にとって、商才を
発揮して、側近としての地位を上げて
いっても全く不自然ではないから
です。
つまり秀吉も事前に知っていたかどうかは
別として、黒田官兵衛にとっては、光秀を
討つために「大返し」をする事は、すでに
南蛮人との密約で、想定内だったという事
なのです。
史実では、毛利への報告をするための光秀
の使者が秀吉の部下によって捕らえられた
という事になっていますが、そう考えると
黒田官兵衛によって、あらかじめ用意
された間者からの報告でもあったのかも
知れません。歴史を隠蔽するのは、西洋人の
お手のものだから、そこまで読み切る方が
史実に近づいているのではないかと思い
ます。
そして南蛮人の意図通りに秀吉は信長の
敵討ちをした功労者となり、家臣団の賛成派
を取り込む事に成功しています。
そのあと秀吉は、黒田官兵衛を通じて南蛮人
から提供される爆薬の原料や資金力などを
バックに天下取りの道を歩む事ができた
という事です。しかし、南蛮人は、秀吉の
能力を見誤っていたようです、とても
人当たりがよく、天下を取ったあかつきには
容易にコントロールできると思っていた、
秀吉は、実は南蛮人の意図をみやぶって
利用していただけという事なのです。
そのため危険な黒田を彼らの本拠長崎の
近くに領地を与えてやるという名目で、
九州に追いやり、中央から遠ざけておいて
禁教令やキリシタン追放令などで、見事に
南蛮人を裏切ってみせたというわけです。
この推測はあながち間違っていないと思い
ますが、いかがでしょうか?

そして彼らの世界戦略の意図を知っていた
ので、大陸での彼らの影響力が拡大する
前に、大陸に対して、自国の影響下に
おいておくために、軍を送り込んだの
だとすれば、秀吉の行動も腑に落ちる
事になります。
この視点は、多くの識者によって語られて
いる事でもあります。

上の事に思い当たるのに、最近大河
ドラマで黒田官兵衛が主役に抜擢され
ましたが、当然キリスト教も南蛮人も
美化するようにつくられていて、また
黒田官兵衛の家系につながっているのが
日銀総裁の黒田氏だという事で、彼らの
意図通りに働く要職につき、当然
裕福である黒田氏の存在もドラマ化に
大きく関わっているのが見てとれたから
です。もちろん私は黒田官兵衛役の
岡田准一さんのファンなので、ドラマを
楽しんでいましたが、秀吉を悪役に仕立
てたい彼らの意図もちゃんとわかって
観ていました。
この秀吉=悪役のイメージをうえつけ
たい、マスコミを操作できる世界権力の
意図から、いかに戦国時代の秀吉の
存在が、彼らにとって忌み嫌うもの
であったかが、よく理解できるという
事です。

とにかく隠蔽されたはずの南蛮人の意図
から戦国時代を読み解いていくと、
いろんな事のつじつまがあってくるのは
確かだと思います。
戦国時代以降の日本と南蛮人についての
記事は、また続きを書いていこうと思い
ます。

ではまた(^^)/

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教えられなかった真実の歴史その2  モンゴル帝国とヨーロッパ


これは
教えられなかった真実の歴史
の続編です。
前回ヨーロッパの支配層が、中東や
ユーラシア大陸に対抗するのは、
無理なので、アフリカ大陸と
アメリカ大陸に、進出しようとした
というところまでお話しました。
スペインとポルトガルという国の
軍事力によるものですが、その時
同時に、ローマカトリックの
イエズス会も宣教師を派遣し、
占領した土地の民を精神的にも支配
しようとしたわけです。
ここで愛を広めようとしたという
のは、全く間違いで、当時キリスト教
は、ヨーロッパで、最も強い権力を
握っていたので、その影響力を拡大
しようとしたという事です。
本当に権力を握っているのは、ローマ
教会のそれもイエズス会で、その頂点
にいるのが王族や裏の王族などの存在
だという事です。つまり彼らは国より
重要な宗教を掌中にしているという事
だったのです。
国単位で、物事を見るというのが、私
たちの誘導された思考ですが、それは
間違った見方を植え付けるものだった
という事です。

その証拠に、前回も説明しましたが
以前ユーラシア大陸をほぼ掌中に
おさめていたモンゴル帝国に
「命乞い」の書簡を送ったのは、国王
ではなく、ヨーロッパの国を越えた
権力者であったローマ法王であった
という事なのです。

さて今回は、そのスペインやポルトガル
そしてキリスト教の世界戦略の時代の
ヨーロッパについて、もう少し説明
させていただきます。

まず、ローマ帝国が、焚書坑儒という
ものを行って以来、ヨーロッパでは
太古からの叡知の文献や、それにつながる
宗教などの文献がことごとく焼かれて
しまい。キリスト教の聖書も大幅に改ざん
されてしまいました。
つまりこれがヨーロッパ暗黒の時代の
始まりなのです。

つまりギリシャ時代までは、私のブログ
でもご紹介していましたように、現代の
科学の基礎にもなったり、またそれを
越える概念も大きく発展していましたが、
このローマ帝国のおかげで、いったん
水泡に帰してしまったのです。
しかし文献も隠されながら、ヨーロッパ
や中東などでちゃんと残ってはいたの
です。
それが抑圧されずに活かされていた中東
は栄えてオリエンタル文明が築かれた
わけですが、ヨーロッパでは文明が著しく
遅れていたのもそのためだったのです。

それはまず、支配層のこういうコンセプト
が頭にあったからです。つまり人民に
知恵などを与えたら、必ず上の者に反抗し
権力を奪いにくるだろうという事です。

実は、これ現代にも通じているのです。
だからすでに反対の証拠だらけで破綻
しているビッグバン理論や進化論が、
未だに科学的事実であるかのように教育
され、当然のようにマスコミで流布されて
いるというわけです。
ただしその時代よりも人々の意識が格段
に上がっているため、その誘導もとても
ゆるやかにはなってきています。
彼らは「騙す」事が、絶対条件なので、
私たちの意識次第で、誘導の仕方も
どんどん変わっていくという事なの
です。

さて時代を少し戻してモンゴル帝国が、
ヨーロッパの一部を侵略した事によって
ヨーロッパは、アジアの文化を目の
あたりにする事になりました、彼らが
驚いたのは、そのモンゴル帝国は
とても寛容な制度で、ほとんどの民が
自由にしかも活発にふるまっていたのを
見たからです。
当時というかそれ以降の長い時代も
ヨーロッパの民衆のほとんどは、「農奴・
囚人」だったのですから無理は
ありません。裕福だったのは貴族・
王族で、ルネッサンス以降にようやく
市民階級が登場しますが、その時代に
おいても大半が農奴だったといいます。

当時のモンゴル帝国の初代皇帝である
チンギス=ハンの大ヤサという理念が
ありました。

『』内引用です。

すなわちチンギス=ハンはモンゴル帝国
を構成する諸民族の宗教や風習に対して
非常に寛大な政策をとり、これが後の
文化的功績へと継承されていったと
考えています。

 チンギス=ハンの語録でもあり、
その後のモンゴル帝国にとっては
絶対的規範ともなった『大ヤサ』には
次のような記述があったといわれて
います。

・いかなる民族においても
学問のある賢い人々を尊敬せよ。
・あらゆる宗教を尊重し、どれにも
ひいきするな。』

“出典:「歴史と折々の随想」様
チンギス=ハンの文化的功績について
より”

占領された地域のヨーロッパの人々
は、当然従わなければ、残虐に
殺されるだけではあったものの、
従えば、ヨーロッパよりもずっと
自由に暮らせるモンゴル帝国に
魅力を感じたのはいうまでも
ありません。
実はこのようにしてモンゴル帝国
では、占領した地域の人々の心を
掴み、国内紛争もなく、版図を拡大
し続けていったというわけです。
ただしやはり王位継承の争いだけは
あったので、没落していったという
事です。

このような文化・理念・思想に触れた
ヨーロッパの民は、その自由な思想を
ヨーロッパ全土に広げていく事になり
ます。

それがルネッサンスの原因の一つと
なったという事なのです。

さてまたまた長くそうなので続きは次回
という事で、よろしくです。

ではまた(^^)/

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島原の乱は幕府の圧政が原因ではなかった!   南蛮人の真実とは?3


これは、前回の
キリシタン大名たちによる神社・仏閣破壊
とは?
という記事の続編にあたります。

前回の記事で重要だった事をまずまとめ
ますね。
そもそも私たちが西洋人がかつて、黒人を
奴隷として扱う奴隷貿易をしていたのは
知っていても、多くの日本人が奴隷として
南蛮人たちに買われて、売られていった
という奴隷貿易の真実を、全く知ら
なかったと思います。
西洋人全てではもちろんありませんが、
一部の西洋人の、有色人種に対する差別
意識は以前からあったのです。
黒人だけが、特別扱いというわけでは、
なかったという事です。まあとにかく、
黒人を奴隷扱いするような人種なのだから
思い当たっても良さそうなものですが、
教育やマスコミの言う事をうのみにして
きた我々には、寝耳に水ですよね。
私も最近ではこのあたりの事は、詳しく
わかるようになってきていましたが、
11年前より以前は、多くの日本の方と
同じように、南蛮人はいい人とは言えない
までも悪い人たちじゃないだろー・・・
などと思ってましたからねー。

実際は、イエズス会が正式に奴隷貿易
する事を許可する権利を持っていて、
宣教師自身が、奴隷貿易の契約書に
サインしたという記録も残されて
います。コェリョという宣教師らしい
ですが、名前などどうでもいいです
よね。

契約書という事でいえば、武器の原料
や、莫大な資金を得るために、悪魔に
魂を売ったキリシタン大名たちも許せ
ません。
戦国時代ですから、確かに捕虜はいくら
でもいるとはいえ、同じ日本人を奴隷
として取引するなど言語道断ですよね。
しかし、これが歴史的真実だという事
です。

そしてキリスト教を信じたい人たちが
それでもまだこのような事実を受け
入れないとするなら、たぶん島原の乱
を例にあげるでしょう。教育では、
幕府のキリシタン弾圧と圧政に民衆が
放棄したとありますからね。
ですがこれは、幕府の島国根性が、
キリスト教を弾圧していたように
見せかけるための西洋の意図した偽の
歴史だったのです。

さてその真実が以下の記事になります。

『』内引用で、~が中略です。

『○ 島原の乱の真相

 キリシタンの悲劇として描かれている
最大のものが1637年の『島原の乱』である。
 教科書からは島原・天草地方の
キリシタン弾圧が酷く、
 重税を課したことから農民たちが圧政に
立ちあがったと読める。
 しかし事実はかなり異なっている。

 当時の反乱勢は3万7千人、篭城戦時
では幕府軍は12万以上で
 圧倒的な差がありながら制圧に半年を
費やしている。
 しかも緒戦においては板倉重昌率いる
幕府軍4万人は惨敗。
 一揆勢の死傷者が僅かに7名なのに
対し、幕府軍の死傷者は4千名に
のぼった。
 しかも板倉は討ち死にしている。

 これは、反乱勢が大量の武器弾薬を
保有していたからにほかならない。
 では、彼らが大量の鉄砲などを
保有していただけではなく、
 その使い方にも習熟していたのは
何故なのか。

 まず、一揆勢の中心が百姓ではなく、
 キリシタン大名だった有馬や小西の
残党だったことである。
 有馬と小西は関が原の合戦において
西軍側につき、他国に移封される。
『天草征伐記』と『徳川実記』等の
記述にも、
 キリシタン大名であった小西行長の
遺臣が中心になって、
それに有馬の旧臣も加わって、困窮した
農民を糾合して蹶起したとある。

 しかもただの「農民」とは思えない
行動が目立つ。
 一揆勢の行動で目に付くのは寺社への
放火や僧侶の殺害である。
 有馬村では村民らが、所々の寺社を
焼き払ってキリシタンに戻ると宣言し、
 これに周辺八ヵ村の村民らが同調して
寺社に火を点け、
 キリシタンにならない村民の家には
火をかけている。
 さらに島原城の城下町でも江東寺、
桜井寺に
放火している(『別当利杢左衛門覚書』)
 また彼らは、代官の林兵左衛門を切り
捨てた後、村々へ廻状を廻し、
 代官や『出家』『社人』(下級神官)ら
をことごとく打ち殺すように伝達した為に、
 僧侶、下級神官や『いきがかりの旅人』
までが殺されたという
(『佐野弥七左衛門覚書』)。

(この記録を見れば、明らかに島原の乱が
キリシタン大名と、その残党と、
キリシタンに改宗した民衆によるものだと
いうのが、わかりますね。
当然裏で指示していたのが、あの宣教師
たちであったのは、間違いない
でしょう。)

 その後彼らは、九州諸藩の討伐軍の接
近を知って島原半島に移動し、
 島原の旧主有馬家の居城で廃城となって
いた原城に籠城する。
 島原と天草の一揆勢が合流し、大量の
鉄砲と弾薬を保有してこの場所に立て
籠もったのである。
 彼らが原城に籠城したのはポルトガル
などの外国勢力の支援を期待してい
た可能性があり、
 少なくとも幕府はポルトガル等の支援を
警戒していた。それには理由がある。

 ポルトガルやスペインには明と朝鮮を
日本の傭兵を使って占領する計画が
あった。
 その際幕府と対立することは確実で、
九州のキリシタン大名を幕府から離反
させる計画であった。
 そのためには長崎周辺を軍事拠点化する
必要がある。
 クルスがイエズス会に宛てた書翰に
よれば、九州が日本から離反する際には、
 キリシタン大名達がポルトガル人に基地を
提供することは確実で、
 特に小西行長が志岐港を差出すことを
確実視している。
 キリシタン大名たちとの間で計画は
相当詰められていたようだ。

 更にフランシスコ会の宣教師の本国への
報告によれば
「 有馬や長崎は1590年には軍事要塞工事
が行われており、
  イエズス会の宣教師達は、長崎近辺に
有している村落のキリスト教徒たち全員に、
  三万名の火縄銃兵を整えた 」とある。

 イエズス会は来たるべき戦いの為に、
多くの武器弾薬を準備し、
 長崎近隣の信徒達に火縄銃の訓練を
させていたのだ。
 乱の中心勢力は小西行長や有馬の家臣
である。
 スペイン・ポルトガルの影を幕府が
想定したのは不思議ではない。』

 “「るいネット」様のサイト
イエズス会は日本で何をしてきたか
 北村浩司様の記事より”

まさに多くの記事の裏付けによって、
島原の乱は、南蛮人の意図であったのが
明らかですね。しかもイエズス会だけ
でなく、スペイン・ポルトガル本国の
意図まで、あったようです。

今回重要だったのは、それだけでは
ありません、彼らは、日本の傭兵たち
を使って、朝鮮や明国を攻めさせよう
としたとあります。
なぜ彼らが、自分たちで占領しよう
とはしないのか、それは、彼らが
占領したあとに、うまく統治するため
なのです。
そのためには、彼らは、むしろ相手の
国にとって善玉でないといけないのです。

その手口は、つまり戦国時代の日本にも
当てはまるというわけです。
つまりキリシタン大名や、南蛮人の息の
かかった大名たちに、日本を制圧させて
そして、その大名達をコントロール
すれば、わからないように日本を支配
できるというわけなのです。
その一人が信長でもあったわけですが、
彼ら、南蛮人のそのような狙いを知って
意図的に利用していただけだったのです。
この時に信長にその南蛮人の事を警戒する
ように、注意を促したのが、秀吉だった
という事から、先の記事での南蛮人の世界
戦略を知る前から、秀吉は勘づいていた
という事になり、やはり優秀な部下であった
ようですね。
しかし、信長のその意図がわかると
南蛮人の陰謀によって抹殺されて
しまいますが、その事についてはまた
別の記事で書かせていただきます。

実は、これと同じ手口で、明治維新が成功
したのです。つまり明治時代から、日本は
正確にいうと明治政府は、彼らの意図
通りに動いてきたという事です。

この見方ができれば、明治時代に日本が
大陸に進出していった理由もこれで明らか
になるわけです。
つまり日本は彼らの先兵となって大陸に
攻め込んだという事が、真実だったのです。
そして彼らは、太平洋戦争の前後を通じて、
まんまと日本が得た大国の利権などを、
奪い、さらには、政治・経済的な支配権を
密かに奪う事もできて、日本と中国、朝鮮を
完全に敵対国どうしにさせる事にも成功
したというわけです。
彼らが、遠いアジアの地域を、自分たちの
支配下に収めるためには、彼ら自身が
制圧したのでは、全く異人種である彼らに
従うはずもありませんからね。アジアの国
どうしを反目させる事によって、見事に
彼らの支配力をどちらにも行き渡らせる
事ができるようになったという事なのです。

まあこのあたりは、多くの文献や資料を
頭に入れてないと、理解は難しいかも
知れませんね。
ただわかる方にはわかってもらえそう
なので説明しておきました。

でこうなると秀吉が大国を攻めた理由も
全く違うものになるのは、予想できる
方もおられるでしょうね。
まさに、秀吉がにらんでいたのは、そ
そのような西洋の世界戦略を見抜いて
いたからなのです。

そのあたりも次回以降に書いていきます。

ではまた(^^)/

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宇宙は球体でフラクタル      ビッグバン理論から真の宇宙モデルへ


ようやくビッグバン説(理論)の反証
シリーズが今回終わる事になります。
ビッグバン理論が全く根拠もなく、完全に
フィクションの産物である事は、シリーズの
1~3を読んでいただくだけでも充分だった
のですが、世界中の知識人でこういう事実を
知っている人は多くても、日本の一般の方は、
情報それ自体に触れることもなく、また逆に
未だにビッグバンが正しいという前提で話す
日本の知識人や学者が圧倒的に多い事から、
一般の人もこの理論を信じて疑わない人が
ほとんどなのです。
だからなかなかこれまでの見方を改めたがら
ない方々のために、すでに圧倒的な数に
のぼっているこの理論の反証の実例を、
できるだけ取り上げた方がいいと思いまして、
4つの記事に渡って掲載する事にしました。

前回アープという研究員が、ビッグバン説の
決定的な反証として、「赤方偏移は遠ざかって
いる現象を示しているとは限らない」と
いう観測結果を提示したことにより、科学界
の圧力で、天文台の職を追われる身になった
ところまでご紹介しました。
今回はその続きからということになります。
その後ドイツの研究所に移ったのちの
アープに対して、ドイツの科学ジャーナ
リスト、ハインツホライス(科学雑誌編集
局長)が、直撃インタビューを行ったの
ですが、そのなかの彼の言葉をご紹介
します。

「赤方偏移は、運動速度そのものを示して
いるとしている現在の宇宙論の基本仮定は
誤っています。したがってビッグバンモデル
は、これ以上存続できません。
天文学者たちは、宇宙の大きさや年齢、質量
を知っていると思っている。が、彼らは
本当は知らないのです。
公になっているアイデア--私は基本的に
間違っていると思いますが--が倒れる
までには長い時間がかかるでしょう。慣例化
した見方には充分な予算がつき、天文学の
主流派は、多くの専門誌や天文台を牛耳って
いるからです」

正確にいうと、天文学の主流派、さらに
科学界のバックにいる真理を知った小数の
人々が、やはり専門誌や天文台のスポンサー
的な影響力も持ち合わせているという事です
が、そこはわかる人以外は、ご自分で
お調べくださいね。

そしてこのアープ博士の言葉は一般の人が
理解できるレベルとしては、とても科学界
の現状と歴史を正確にあらわしてくれて
います。

職をいったん追われるような仕打ちを受けた
アープでしたが、皮肉なことに彼の主張を
裏付ける観測結果が、このあとも続々と報告
されているのです。

近くの主銀河と明瞭につながっている高密度
の随伴銀河が、主銀河よりも大きな赤方偏移
を示しているという観測結果が、1982年
までに38例も報告されています。
1984年になると、アラバマ大学の
ジャック・サレンティックが、最新の映像
解析技法で、赤方偏移の異なる二つの銀河が
実際につながっていることを証明しました。
そして1991年に出されたクエーサーの
完全写真集では、数100のクエーサーの
近傍の銀河との関係が明確にされているし、
ジェフリー・バービッジやその他の人々は
、クエーサーは小さな赤方偏移を持つ銀河
の近くに、その半径の2~3倍以内の範囲
に分布することを天体図で示したのです。

つまりはアープ博士の主張が全く正しい
ことが繰り返し証明されたことになり
ます。
もちろん正常な感覚で、この結果を捉え
れば、もはやビッグバン説は幼稚で
すでに終わった理論である事は、あまりに
も明白なのです。

さて我々の宇宙のモデルの常識が完全に
覆されたのだから、当然真の宇宙モデル
とはどんなものか、追求しなければなれ
ませんが、こうなると赤方偏移を空間の
曲がりによるものだというもう一つの
妥当な解釈と、実際の観測結果とに矛盾
しないコンノケンイチ氏の宇宙モデルが
真の宇宙モデルとして適当だと思える
わけです。このことについては、また
シリーズ化してお伝えしていこうと
思いますのでよろしくお願いします。

さて私あんみんも、自身の研究成果から、
コンノケンイチさんも他の科学者もまだ
お気づきでないかも知れない、真の宇宙
モデルのヒントの一つをここでご紹介
します。

先ほどの
「ジェフリー・バービッジやその他の人々は
、クエーサーは小さな赤方偏移を持つ銀河
の近くに、その半径の2~3倍以内の範囲
に分布することを天体図で示した」
という部分に注目していただきたいと
思います。
これは、赤方偏移が空間の曲がりを示す
という見方をもとにして考えると、銀河が
球体である事を示す有力な証拠になるの
ではないかと思うのです。
なぜなら、クエーサーが銀河の半径の
2~3倍以内であるということは、
それは円周率の範囲内に収まると
いう事で、360度の視点でいう
球面の範囲内に収まることを同時に
意味しているということでもあると
思うのです。
また宇宙が全てフラクタルでトーラス
構造をしているという事を、考慮に
いれると、ほぼ球面に近い構造をして
いるトーラスの循環のために空間が
曲がり、クエーサーのような大きな
赤方偏移として観測されるのではない
かと思うわけです。
そしてみなさんにわかっていただきたい
のは、硬直した感性では真理や真実は見えて
こないという事です。わたくしがこれまで
提示してきたように、超常現象は電磁界
異常や波動の干渉によるホログラムに
よって、理解不能なものから、理解可能
なものに変化させるような見方は、全て
の真理解明に通じる感性だといいたい
わけです。
とにかく、真の宇宙モデルについては、
天文物理学に多くの権威ある学者よりも
精通しておられるコンノケンイチ氏の
宇宙モデルをもとにした、オリジナルの
宇宙モデルを次回ご紹介したいと思い
ます。

“参考文献:「ビッグバン宇宙論は
      根本が間違っていた」
       コンノケンイチ著
       ヒカルランド刊”

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スタートからコケていたビッグバン理論   ビッグバン理論の真実 その3


もうすでにこのシリーズの前の記事を
読んでいただいた方々は、ビッグバン
理論は、完全な間違いである事を確信
しておられると思いますが、今回は
まだ懐疑的な人のために、そして理解
されている方にも参考にしていただく
ため、とどめとなるような観測結果を
ご紹介します。
それが、真の宇宙モデルの理解へと
つながっていきます。

これまで、ビッグバン理論の説明する
宇宙モデルとは、全く違った観測結果
が、いくらでも発表されてきた事を
紹介しましたが、ビッグバン理論の
根拠として唯一のよりどころの
赤方偏移の解釈についても、決定的な
観測結果が報告されるようになったの
です。
つまり「赤方偏移が離れて遠ざかって
いる事を示すドップラー効果」ではない
事を示す観測結果です。
つまり、ビッグバン理論は、大前提として
一様に遠ざかっているという当時の観測結果
(これもその1やその2の記事にあるように
間違いである事が証明されました)から、
宇宙は膨張しているという解釈となり、
さらにビッグバンへとつなげられて
いったのです。つまり赤方偏移の解釈が
間違っている、「赤方偏移が離れて
遠ざかっているのではない」と証明されて
しまえば、すべての根拠をビッグバン理論
は失い崩壊するのです。
事実とっくに崩壊してますが、その証拠を
見ていきましょう。

1960年代になると、天文学は電波
望遠鏡の開発によって、より遠方の銀河が
探索できるようになりました。1963年に
、天文学者たちは、きわめて大きな赤方偏移
を示すクエーサーという天体を発見した。
この赤方偏移を例のドップラー効果だと
すると、高速の80~90%の速度で、
我々地球から遠ざかっていることになる。
当時もっとも大きな銀河の赤方偏移でも
、高速の20~40%だったので、これは
当時の天文学界にとって非常に驚くべき
事実でした。
ビッグバン理論支持者たちは、いつもの
膨張する宇宙との考え方から、この
クエーサーという天体は、つまりわれわれ
から最も遠いビッグバン直後に発せられた
光源であると結論づけたのです。
ところが、そんなクエーサーがあちら
こちらに見つかったのです。
こうなるとビッグバン支持者たちは、
ピエロですね。ビッグバン直後の光源は、
当然集中した場所に存在しなければ、
なりませんから、ここで完全に矛盾して
くることになるわけです。
もうそうなってくると、すべてのクエーサー
がビッグバン直後だというわけにもいかず、
そこは多数のビッグバン支持者たちはスルー
していたようなのです。(まったくどう
しようもない人たちですよね。まったく💢)
そのようなビッグバン支持者の出した身勝手
な結論に、真っ向から異を唱えた科学者が
いたのです。
それが、ヘール天文台の研究員アープという
人物です。

彼は、その137億光年ほども離れた天体で
あるはずの、クエーサーが比較的近くの銀河
にある事を発見したのです。
しかもそのようなクエーサーが25個も彼に
よって発見されたのです。
つまり赤方偏移は、離れて遠ざかっている
という事を示すものではないという、
はっきりした証拠を提示して、ビッグバン
支持者にとどめとなる証拠をつきつけたこと
になるわけです。
彼が用意した何枚かの観測結果の写真には、
銀河に向かって近くのクエーサーから伸びる
水素ガスのフィラメント状のものが写って
いました。
つまりこれが、「大きな赤方偏移を示す
クエーサーは、近くの小さな赤方偏移を
示す銀河と物理的につながっており、両者
は我々から等距離にある証拠だ」と彼は
結論づけたのです。
この研究報告は、当時ビッグバン理論に
懐疑的だった宇宙科学者たちを勇気づけま
した。
そしてアープの研究報告に勇気づけられた
彼を支持する科学者たちによる論文が
次々と発表され、彼のもとには世界各国
から、クエーサーが近い銀河と近接して
見えるという報告が続々と寄せられて
きたのです。
こうなるとコンノケンイチ氏が結論づけた
赤方偏移は空間の曲がりによるものだと
いうことに気づいてもよさそうなもの
ですが、アープは宇宙膨張以外に赤方偏移
を生じさせる他の原因がわからず、説明
できない何かの要因によって生じている
らしいとだけしか述べられかったのです。
しかし、これは確実に赤方偏移が離れて
遠ざかっている天体を示すものではない
という観測結果であり、ビッグバン説は
完全消滅となる・・・・・はずでしたが、
当時の主流の科学界によって、彼の主張は
つぶされ、なんと彼は、25年にわたって
勤めたカリフォルニアのパロマー山天文台
の望遠鏡を正式に拒否され、さらに
アメリカを追われて、ドイツのミュンヘン
にあるマックス・プランク研究所に
移ることになったのです。
これが真実を明らかにするものへの
科学界やその後ろ盾の姿勢なのです。

このシリーズの次回は、その後のアープ氏へ
のインタビューとその後の観測結果などに
ついて書かせていただいて、ビッグバン
理論が完全に間違いであった事の説明を
終わらせた後、真の宇宙モデルのヒントを
ご紹介しようと思っています。

“参考文献:「ビッグバン宇宙論は
      根本が間違っていた」
       コンノケンイチ著
       ヒカルランド刊”

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間違いだらけのビッグバン    なおみんも納得 ビッグバン理論の真実2

なおみん

なによー呼んだのーー?

あんみん

おー呼んだよ、なおみんも
宇宙の事よくわかっといた方が
いいと思うからね。

なおみん

まあ大体わかってるわよ、えーと
宇宙は150億年くらいに、
爆発して、それから広がって
今の状態になったって、先生が
いってたわよね。

あんみん

はいはい、やっぱしなー

なおみん

なにがやっぱしなのよ、まーた違う
とか言い出すんじゃないの?
お兄ちゃんたら教えられた事と全く
違う事ばっかし言って、よく卒業
できたものねー

あんみん

えーーとその頃はすっかり騙されてた
からなー。
実は全然違うというのが、数年前に
わかったんだ。

 

なおみん

じゃあ騙されてきた期間は、私より
断然長いじゃないのよー、やっぱ
ポンコツねーー

あんみん

わかったわかったポンコツでも
なんでもいいよ。
これは自分で気づいた事なんだけど、
みんな本当に基本的な事を間違えてた
事に気づいたんだ。

なおみん

なになに?いってみてよ

あんみん

それがね、公式の科学や学校では、
宇宙のサイズを天体があるところまでだ
っていってきたんだよ。
でも望遠鏡がどんどん性能がよく
なって、さらに遠くの天体もみつかる
ようになったから、さらにサイズも
大きくなったっていうだけど、
おかしいだろ?

なおみん

え?なにが?

あんみん

だって、天体があるところが端っこ
だっていってるのがおかしいだろ。
だってまわりに広大な真空がある
じゃないか、どうみてもその真空の
端があるところが、宇宙の端で、
それが測れなきゃ、宇宙のサイズ
なんてわかんないだろ?

なおみん

あっそっかーー

あんみん

つまりいまだ誰も端っこを観測できて
ないから、宇宙のサイズもわからず、
ビッグバンの年齢ももちろん間違いに
なるし、宇宙の全体像もわからないのに
宇宙がどのように始まったかなんて
特定できないだろ

なおみん

あっそっかー、おにいちゃん、今回のみ
お見事!
尊敬するわ

あんみん

今回のみは余計だが、でへへ
ちとうれしいなー
で、下の記事をそういう事も頭に
いれながら読んで欲しいんだ

なおみん

わかった、じゃあ私部屋もどってから
ゆっくり読むからプリントして貸して

あんみん

えーー、なんだあとで得意げに話す
つもりだったのにー

なおみん

もう充分でしょ!褒めるのは一回だけよ

あんみん

では以下が、ビッグバン理論の間違いの
証拠についての記事ですーー

前回の記事で、ビッグバン説に否定的な
そして決定的な証拠の手始めとして、
一つだけご紹介させていただきました。
それは、全ての銀河が一様に一定方向に膨張
していなければならないはずの宇宙を、より
精度をあげて観測すると、銀河が膨張する
同じ方向に運動しているどころか、近くの
銀河も我々の銀河も、ものすごいスピード
で別方向に運動している事が発見されたの
です。もうすでにこれだけの観測結果だけで
、ビッグバン理論を検証する動きにならな
ければならないはずでしたが、なんと
そうなってはいなかったのです。

この観測結果を受けて、科学者たちは検証
しようとするどころか、学会が開催する
たびに、容赦ない批判を浴びせ続けたの
です。つまりこれが科学界というものの
正体なのです。
「都合の悪いことには、徹底して目を
つぶろうとする」のです。もちろん当時は
絶頂期にあったビッグバン理論だから、
余計にそういう雰囲気があったのかも
知れませんが、真実を知りたい我々には、
そんな都合は関係ありません。
このことからだけでも我々は、すでに
ビッグバン理論を、絶対的なものだと
思ってはいけませんよね。

そして学会で批判を受けたこの観測結果の
支持者もわずかにいて別の科学者による
それを肯定する研究結果が知られてくると
ようやく他の科学者たちの関心も高まって
きて、1977年に行われた観測結果では、
なんと宇宙全体の片側が赤方へ、反対側が
青方に偏移していることがわかったのです。
そこで得られた結論は、地球を含めた太陽系
全体が青方偏移を示している方角に向かって
引き寄せられている、つまりわれわれの
銀河はビッグバンの基礎となったハッブル
宇宙膨張とは全く別の方向へ猛スピードで
移動しているという事実が判明したのです。
さらにくわしく解析すると、近くの30個
ほどの銀河全体も、膨張説とは別の方向に
我々の銀河と同じく急速に移動していること
もわかりました。

このビッグバン理論とは、全く別次元の観測
結果を裏付けるものが、どんどん明らかに
なっていて、我々の銀河系は、海へび座~
ケンタウルス超銀河団からさらに3億光年
ほど離れた銀河に向かって、秒速600
~700キロのスピードで引き寄せられて
いる事も観測されています。

さらに観測方法やそれのコンピューター解析
が高度になるにつれて、ビッグバン理論が
間違いだと証明される発見ばかりが増えて
いきました。
1991年1月には、オックスフォード大学
のウィル・サンダースとその同僚達が、
アイラス赤外線天文衛星の観測によって
得られた銀河マップを明らかにしましたが、
これは宇宙の物質密度を三次元地図にする
ことで天文学者たちが初めて手にする
深宇宙の信頼できる密度地図となったの
です。
そしてこの深宇宙の銀河マップによって
「スーパークラスター複合体」の存在が
疑問の余地なく立証されたことで、
ビッグバン理論は、またしても反証される
ことになったのです。
このスーパークラスターの超大型構造は、
ビッグバン理論では説明不可能なほど
かけはなれて巨大だったのです。

この事実がきっかけとなって1991年の
ワシントンポストでは、「ビッグバン理論
は破産」と大々的に掲載され、「ビッグバン
理論」は破綻したと世界中に広く報道され
たのですが、なんと日本ではほとんど気配
もありませんでした。
そのためか、今でもネットで物理や科学に
詳しいと自信のある方が、堂々と
ビッグバン理論を前提に、いろいろと
書いてくれてますが、私はそれを見る
たびに、吹き出しているか、嘆かわしい
という表情になってます。
日本はそういう意味でも、情報を制限され
ているといえます。実際、いろんな事を
調べるのに英語で検索した方が、詳しく
深い内容を伝えるサイトに出会える確率
が圧倒的に多いです。
しかし、世界のメディアも一時的にとり
あげただけで、またビッグバンを支持
するような報道に戻ったりもしています。
それもやはり構造の問題です。

しかし、そんな動きとは全く別次元の動き
として、ビッグバン理論に反する観測結果
はどんどん続いていくのです。
このあと、宇宙にあるボイドと呼ばれる
何もない空間(真空)が広々と広がっている
こともわかり、これはビッグバン理論が
予想していた、宇宙の銀河の一様な分布
とは明らかに違う観測結果なのです。

さらにこのあと「グレートウォール」
(宇宙の大規模構造)が発見されましたが、
それができあがるのには、600~
1000億年かかるということがわかり
ました。これで、ビッグバン理論が宇宙
の誕生を137億年前としている事が、
間違いである事の決定的証拠が見つかった
事になるのです。

ここで大事なのは、バッグバン理論が
打ち立てられた時には、当時とはくらべもの
にならないほどの、宇宙のサイズが観測
されたという事なのです。
つまり当時は宇宙のサイズもわからないのに
宇宙全体のサイズを勝手に想定して、さらに
宇宙誕生の時点まで特定したのです。
机上の空論で、ここまでいいかげんな設定も
ないでしょう。もし宇宙の膨張説が正し
かったとしても(実際はそれも間違い)
宇宙のサイズがわからなければ、どの時点
も基準にならず、従って宇宙の年齢は
測りようがないのです。
わかりやすくいえば、野球のボールと
サッカーボールが二つあると想像してみて
ください、ビッグバン理論は当初宇宙の
サイズを野球ボールのサイズだと仮定
してました、そしてこのグレートウォール
観測時には少なくともサッカーボール以上
であるという事がわかったのです。

(しかしこの時点でも真空部分がどこまで
奥行きがあるかもわかっていないので、
やはり宇宙全体のサイズはわかっていま
せん。そもそもこの超広大な真空部分を
無視して、視覚で捉えられる天体だけで
宇宙全体のサイズを特定していたという
のは、とても幼稚な発想だと思いま
せんか?)

そもそもビッグバン理論は、宇宙の膨張の
スピードを逆算して、収縮のスピードに
変換し、極小の一点の時期を計算する事で
宇宙の年齢を特定しました。
しかしその収縮のスピードが変わらない
状態で、野球ボールとサッカーボールが
極小の1点になる時間は当然大きく違う
のがわかりますよね、実際ビッグバン理論
誕生時とは比べ物にならないほどの宇宙の
サイズが観測されたのです。
もし宇宙の膨張説が正解だったとしても
宇宙の年齢は大きく変更されなければ、
なりません。真実を明らかにするのが
科学の基本姿勢だとすれば当然です。
しかし科学の公式見解は、全く変わらず
宇宙の年齢も変更する事はありません
でした。
もちろん誤差の範囲で多少の変更はあり
ましたが、それは宇宙のサイズが大きく
間違っていた事を受けての大幅な変更と
は全くなっていないというより、その証拠
をビッグバン理論とつながる動きは全く
なかったのです。
これが現在の公式の科学界の現状という
ものです。

ビッグバン理論が間違いである証拠を今回
これでもかというほどとり上げましたが、
まだ続きがあります。それはシリーズ
その3で書かせていただきます。
それにしてもこれだけの証拠を前にして、
それでもビッグバン理論を支持できると
言う人は、マスコミや教育を鵜呑みにして
現実を見る事ができない人といわれても
仕方がありませんね。
しっかり見方を改められた人や、もとから
わかっていた人はこのシリーズの次の
記事をお読みくださいね(^_^)v

“参考文献:「ビッグバン宇宙論は
根本が間違っていた」
コンノケンイチ著
ヒカルランド刊”

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キリシタン大名たちによる神社・仏閣破壊とは? 南蛮人の真実とは?2


この記事は、先日投稿しました
バテレン追放令の真の理由」の
続編になります。まだの方は、その
記事を合わせて読まれるといいと
思います。

前回の冒頭に使った、部分は重要なので
まずそれを再掲しておきますね。

実は、一部の知識人や年配の方を除いて、
日本の方のほとんどの方が、
戦後GHQによって、本当の日本の
歴史や、また日本国内にあった、当時の
世界情勢について書かれた本、さらに
古代からの日本に蓄積された貴重な知識
が得られるような本のほとんどが、焼か
れてしまったという事を知りません。
これは、GHQによる「焚書坑儒」として
一部の日本人にしられている、れっき
とした歴史的真実なのです。
ですが、その一部の文献を保存している
人たちもいて、最近その事を明らかに
するような本も多く出版されています。

そしてその本の中の一つから、前回の記事
では、秀吉が、南蛮人の奴隷貿易の事実と
彼らの侵略の仕方が、まず宣教師を送り込んで
信者を増やし、その信者の手引きで、やすやす
と他国を侵略してきて、日本も当然ターゲット
にされているという事を知って、激怒して
バテレン追放令を発令したという、真実の
歴史を紹介しました。

今回は、その証拠となる記事をネットでも
見つけましたのでそこから引用させて
いただきます。 

『』内が引用で、~が中略です。


○日本人の奴隷貿易
1587年九州平定過程にあった秀吉は、
イエズス会の日本のトップである
ガスパル・コエリョに、イエズス会の
日本での行為について詰問している。
「予は商用のために当地方(九州)に
渡来するポルトガル人、シャム人、
カンボジア人らが、多数の日本人を購入し
、彼らからその祖国、両親、子供、友人を
剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行して
いることも知っている。それらは許す
べからざる行為である。」
(ルイス・フロイス「日本史4」)
当時キリスト教は教義で奴隷を公認しており、
イエズス会は商船の奴隷貿易に関する
許認可権をもっていた。コエリョ自身が
ポルトガル商人に代わって
日本人奴隷売買契約書に署名した記録もある。
日本人奴隷貿易は15世紀後半には
16世紀の後半には、ポルトガル本国や
アメリカ、メキシコ、南米アルゼンチンに
まで及んでいた。
『東洋ポルトガル古記録』には
「ゴアにはポルトガル人の数より
日本奴隷の数の方がより多い」
「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。
行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、
ポルトガル本国にも相当数入っている」
と記されている。 ローマに派遣された
少年使節団も、世界各地で多数の日本人が
奴隷の身分に置かれているのを目撃して
驚愕している。
彼らは大村、小西らキリシタン大名らにより
捕虜とされたもの達や仲介商人によるもの
である。奴隷売買と引き換えに当時日本では
希少価値であった硝石と交換され、硝石一樽
と日本人女性50人が交換されたという記録
もある。当時の日本人の奴隷売買は
人口1200万に対し2万人から4万人余と
推定される。

○寺社の破壊と僧侶の殺害
秀吉は同じくイエズス会のコエリョに
「キリシタンは、いかなる理由に基づき、
神や仏の寺院を破壊し、その像を焼き、
その他これに類した冒涜を働くのか」
と詰問する。
秀吉は農村秩序の核になっている寺社の
破棄を、かなり重く見ていた。
実際特に九州では寺社破壊は凄まじく、
例えば大村領では神社仏閣が破壊され、
その結果6万人以上のキリスト教信者が
生まれ、87の教会ができたという。
寺社破壊はキリシタン大名の統治する地域で
日本各地に及んだ。キリシタン大名であった
高山右近は大阪の高槻城主であった時に、
普門寺、本山寺、広智寺、神峯山寺、金龍寺、
霊山寺、忍頂寺、春日神社、八幡大神宮、
濃味神社といった大寺社を焼き討ちにより
破壊したといわれている。イエズス会の
コエリョをはじめ当時の宣教師の多くは
仏像や仏教施設の破壊にきわめて熱心であり、
九州では信者を教唆して神社仏閣破壊させた
ことをフロイス自身が書いている。』

“「るいネット」様のサイト
イエズス会は日本で何をしてきたか
 北村浩司様の記事より”

おいおいおいーーーーなんという事だー!
私たちは、全く偽の歴史を教えられてきて
いるのが、よくわかりますね。
実は私は、あらゆる資料から、彼ら西洋人の
世界戦略をつぶさに、知識として得てきて
いるので、これがまさしく真実だとよーーく
わかります。そして日本の教育やマスコミが
このような歴史的事実を隠蔽して、きている
のも、ここ11年ほど、毎日のように確認
しているのでよーくわかります。

いまだにテレビで、当時の南蛮人、宣教師たち
を美化しているのを、よく見かけます。
私たちは、ほぼ毎日洗脳されているのが、
つぶさに研究してきた者からみるとよーく
わかるのです。
神秘研究と、ジャンルが違うのではないか
と思われる方もおられるかも知れませんが、
関係は、大いにあるのです。
その事は、また別の記事に書かせていただき
ますが、この奴隷貿易というのは、つまり
悪魔に魂を売ったキリシタン大名たちも
いなければなりませんから、西洋人だけが
悪いというわけではないのですが、ただ、
邪悪な者の人数と割合がとても多いのは、
やはり西洋というか、当時の南蛮人だった
という事ですね。

まだ違和感を持っておられる方もおられる
かも知れませんので、上には上げられて
なかった大友宗麟の例を取り上げ
ましょう。

『』内が引用です。

『大友記にいっている。

『宗麟公はキリシタンに帰依せられ、神仏は
我宗の魔なり。然れば国中の大社・大寺、
一宇も残さず破却せよとて、一番に
住吉大明神の社を、山森紹應に仰せ、
焼拂いはせで打ち崩す。次に萬壽山破壊の
承りは、橋本正竹にして、彼の寺へ行向い、
山門より火をかける。時しも辻風烈しく
吹きかけて、回廊・本堂に燃えければ、
仏僧・経論・聖経、忽ちに寂滅の煙と
立ち昇る。…
尚も宗麟より吉弘内蔵助に国中の神佛
薪にせよと仰せつければ、山々在々に
走り回りて、神佛尊容を薪にす』云々。
また有名なる彦山退治の記事がある。曰く
『彦山退治とて、清田鎮忠に三千の兵を
相添え遣わさる。山中三千の山伏、身命を
棄てて防ぐといえども、鎮忠上宮まで責め
のぼり、一宇も残らず灰燼になす。掛りたる
処に山伏二名高声に叫ばわり、大友宗麟7
代までの怨霊とならんと、罵詈して、
腹かき切り、猛火の中へ飛び入りける』
云々」

“「しばやんの日々」様のサイト
大友宗麟はキリスト教に接近し、洗礼を
受ける前から神社仏閣を破壊した
」より”

このように別のサイトでも、事実を裏付ける
記事が出て来ます。
大友宗麟といえば、島津義久・義弘など
優秀な4人兄弟を揃える島津軍団に
耳川の戦いで破れてから、没落していき
ましたが、一時は、九州北部から中部まで
勢力を広げようかという、大勢力だった
のです。
もちろん大友宗麟が、寺社仏閣を破壊
していったのは、キリスト教の莫大な
資金力と、武器に必要な原料を得るため
だったのですが、つまりは日本人である
彼も悪魔だったという事なのです。
ただし、彼にそうさせるように指示して
いたのは、当然ローマにあるイエズス会の
本拠からの指令で動く、宣教師たちであった
という事です。
これが歴史的真実なのです。

しかし、まだ当時の南蛮人とキリスト教を
信じたい人は、いるでしょうね。
「島原の乱」というものが、実際には
どんなものであったのか知らないから
でしょう。
あれは当時の江戸幕府によるキリシタン
弾圧が、厳しく重税を課されていた事から
当時の民衆の怒りの助けを借りて、
農民たちが、立ち上がったと教育されて
きましたが、事実は全く違ったようです。
その事実については、次回の記事で
取り上げたいと思います。

ではまた(^^)/

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バテレン追放令の真の理由    秀吉が知った南蛮人の真実とは?


実は、一部の知識人や年配の方を除いて、
日本のほとんどの方にとっては、全く
耳になじみのない事でしょうが、とても
大事な事なのに忘れられている事が
あります。もちろん忘れるような教育を
されてきましたし、マスコミによっても
そのように誘導されてきました。

それは戦後GHQによって、本当の
日本の歴史や、また日本国内にあった、
当時の世界情勢について書かれた本、さらに
古代からの日本に蓄積された貴重な知識
が得られるような本のほとんどが、焼か
れてしまったという事です。
これは、GHQによる「焚書坑儒」として
一部の日本人にしられている、れっき
とした歴史的真実なのです。

ですが、その一部の文献を保存している
人たちもいて、最近その事を明らかに
するような本も多く出版されています。
さて今回引用させていただく本もその
一つです。

きっとこれは、みなさんも寝耳に水と
思われる事もあるでしょう。
時は戦国時代、秀吉が南蛮人の秘密と
なんと彼らの世界戦略の事を知った
というところです。
もうこれだけでも、
「あー違うわ」といってこの記事を
読むのをやめてしまう人、完全に
洗脳されてます。ですが、私の読者に
そんな人はおられないはず・・・・
ですよね?(^_-)-☆

では以下です。
まずは鎖国していたはずの幕府が実は、
世界情勢にとても通じていたという
ところからです。

『』内が引用、~が中略です。

『日本がスペイン、ポルトガル、
アメリカ、、イギリス、フランス
ロシアなどから侵略されなかったのは、
幕府が情報通だったからです。
 幕府が情報を得ていたのは、
オランダです。『オランダ風説書』に
代表されるように、どんな噂であろうと、
伝えるように幕府は望んだのです。
李氏朝鮮や琉球、唐船等からの情報も
得ていました。そしてそれらを相互に
比較検討して対外政策を決定していた
のです。

 なぜオランダだったのでしょうか?
ご存じのように、スペインやポルトガル
とのつきあいの方が古いのですが、信長
の後に天下を統一した秀吉は九州の
キリシタン大名たちからポルトガル商人
が日本人を奴隷として人身売買していた
事実をつかみます。かなりの日本人が
アジアの国々に売られていたのです。
ここにいたって秀吉はバテレン追放令
を発布します。

 そんなトラブルが起きていたとき、
一五九五年一〇月、土佐の浦戸沖に
スペイン船「サン・フェレリーペ号」
が漂着します。これがまた一悶着
起こすというよりも、その後の
日本外交を決める事件へと発展します。
 サン・フェリーペ号の水先案内人
ランシスコ・デ。サンダが母国
スペイン自慢をするために取り返しの
つかない失言をしてしまうのです。
秀吉から派遣された取調官を相手に、
世界地図を大きく広げてみせて自慢
したのです。

「どうしてそんなに領土を拡大できた
のか?」と尋ねられると、「まず外国
に宣教師を送り込んで人々を手なづけて、
それからおもむろに軍隊を差し向けて、
信者の手引きを得てやすやすと征服する。
こうやって世界中に領土を広げてきた
のだ」とあっけらかんと答えるのです。
マインドコントロールの怖さです。
こんなことをされたら、どんな国も
ひとたまりもありません。』

“出典:「超マインドコントロール」
           池田整治著

この続きは次回に紹介させていただき
ますが、今回は戦国時代についてなので
ここまでです。

幕府が世界情勢に対して情報通だという
事ですが、実際、江戸時代の日本は
西洋の情報をどんどん取り入れていて、
文化レベルも、世界の中で群を抜いて
高かったという事は、あまり知られて
いませんが、間違いのない真実のよう
です。
その事は、また別の記事でも紹介させて
いただきますが、江戸末期の日本人の
識字率は90%近くを誇っていたのに、
対して、西洋では、工業都市でさえ1割
にも満たない程度だったというのは、
隠されていない史実として、ネットで
いくらでも見つける事ができます。
また江戸時代に西洋の技術や学問を
積極的に取り入れて、科学の分野でも
日本は世界最高の叡知を誇っていた
ようです。なんと世界初の円周率の
公式は、日本の建部賢弘という人物に
より発見されていたのです。
科学の知識レベル以外にも技術の分野
でも、世界がうらやむほどだったという
事です。
つまり秀吉の時から、家康もその西洋の
大国の意図などは、的確に理解していて
やはり禁教令を受け継ぎ、西洋の侵略
から、自国を守るために、彼らの動きを
制限するための政策をとっていて、
それが江戸時代の終わりまで継承され
ていたという事だったのが真相なのです。

この南蛮人の真実については、次回も
別のサイトでくわしく紹介してくれて
いるので、それをまた取り上げていき
たいと思います。

ただ今回の事は、戦国時代の真の流れを
読み解くのに重要です。なぜキリシタン
大名が、日本の神社・仏閣を破壊して
いったかの理由もこれでわかりますし、
南蛮人と太いパイプで結ばれて武器や
資金力を背景に信長が勢力を拡大して
いった理由もよくわかります。
もちろん彼の苛烈な性格もあった
でしょうが、比叡山焼き討ちや、
一向宗の門徒を大虐殺としていった
背景には、この西洋の大国の意図が
あったと容易に推測できるのです。
彼らにとっては、ライバルの宗教は
当然邪魔でしかないわけで、日本人の
精神をまず彼らのもとに取り込む
ために、キリスト教に改宗させる
ためにとても有効な事だったのです。

また歴史を動かした本能寺の変から、
秀吉が天下を取った事に関しても、
この西洋の世界戦略という観点
でいえば、容易に読み解けていく
のです。
この事は、また後の記事で詳しく
書いていこうと思います。

ではまた(^^)/

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