やはり怪物!井上尚弥選手!!       最強の相手をまさに一発逆転


まさにモンスターだった💦
いつもながら一体この選手は
どこまで凄いのだろうと思います。
試合の度に観るものを圧倒させる
ものを感じますね(^^)💦

世界バンタム級ボクシング界、全ての
団体を合わせての、最高の世界王者を
決めるための戦い。
めったに行われる事もないという、いわば
ボクシング界のワールドカップ!
プロボクシング:ワールド・ボクシング・
スーパーシリーズ(WBSS)・
バンタム級準決勝
で井上尚弥選手が最強の相手
エマヌエル・ロドリゲス選手と今朝
つまり日本時間5/19日の朝5時過ぎ
に、イギリス・グラスゴーで戦いました。

いやーWOWOEWをこの試合観る
ためだけに再加入した私は、これで
大正解だったという事ですねー(^^)/

相手は、最強の相手でした。
もう一度言います。
エマヌエル・ロドリゲス選手!
IBF世界バンタム級王者であり、これ
まで負け無しの全勝で、12KO勝ち
という圧倒的な強さを持ち、あの自信
満々の井上尚弥選手にも、過去最強の
相手といわしめたのです。

しかも試合前にWOWOWが、スタジオ
から、これまでイギリスでやった日本人
選手のボクシングの試合は、なんと
18戦18敗だったという、全くいらない
というか、不安がらせるようなデータを
紹介してくれたわけです。
おいおい、試合前になんちゅー不吉な事を
いうんだろーか、一瞬ジンクスとか、運気
などを重要視する私も不安がよぎりました💦
ていうか、それもまたWOWOWの演出なん
だろうけど、もう一度イメージを創り
なおさなきゃならなくなりましたよー💦

やはり応援している者の、イメージって
とっても大事ですからねー。
イメージは現実化するというのは真実なので
、WOWOWのこのいらないデータ攻撃に
対して、私のイメージは、首を左右にふって
かわし、そして得意のセリフ返しで決めて
やりましたよ。
「おーーーだったらそういうジンクスを
はじめて打ち破れる選手として最も
ふさわしいのがこの井上尚弥選手やんか
その凄さをイギリスで見せつけてやろう
ぜい!」

とまあこんな風にイメージしなおして
試合に臨みました。
(は?おまえやんのちゃうしー💦
まさにアホですねー(^_^;))

で、リングに両者が立った瞬間、相手を
観て、すげーこいつは強いぞえと瞬間に
わかりました。みなさんもそういう方多い
と思います。特にボクシングの試合を
見慣れている人なら、リングに立った時点
で勝敗がわかるというくらい、その強さは
オーラとなって、その選手を包み込んで
いるものです。

で、今回のロドリゲス選手に確かに、井上
選手を負かせるような、オーラを感じ
取りました。
ですが、井上選手の方を観てもやはり、
相手を倒せる雰囲気はいつものように
あるので、これはもしかしたら凄い試合に
なるかもと思って集中して見始めたのです。

井上選手とロドリゲス選手の試合前の
にらみ合いでも、両者一歩も譲らない
ほどの闘気が、みなぎっていましたが、
相手が最強だと試合前にコメントしていた、
井上選手に少しだけ、緊張の色が浮かんで
いたように思います。

さて第1ラウンドです。
いつもなら、最初から相手との距離を的確
に測り、効果的にジャブを打ち込める
はずの井上選手が、少し相手の様子を
みようと距離をとっています。
ところが、ロドリゲス選手がみるみる
間合いをつめてきて、プレッシャーを
かけてきました。
なんといつも相手にプレッシャーをかける
井上選手が、ロドリゲス選手に後ろに
下がらされるようなプレッシャーを逆に
受けているような感じだったのです。

いつもは、相手の動きより速い井上選手が、
ジャブなどのパンチを当てながら距離を
測り、自分のぺースに持っていけるの
ですが、明らかに彼と同じくらいか
それ維以上のスピードでパンチを入れて
そして的確に当ててくるロドリゲス選手に、
井上選手はとまどいを覚えていた感じです。
そのせいか、何度も後ろに下げさせられ
ロープを背にした時もあります。
確かに速い、そして強い(^_^;)
もうすでにこれは、本当にやばいやつ
だなと感じました。
この第一ラウンドは、おそらく相手のもの
だったと解説者もいってました。

つまりこれまではあり得ない事でしたが、
第一ラウンドで相手の良さが出て、
速さでも井上選手が一瞬遅れている
感じだったのです。

コーナーに帰り、セコンドの話にうなづく
井上選手でしたが、いつものような自信
たっぷりの表情ではなく、少し相手に
対する警戒を強め緊張した感じでした。

実際試合後のインタビューでも、井上
選手は
「第1ラウンドが終わった時は、一体
どうなる事やらと思った」
と話しています。

つまり相手ロドリゲス選手の強さを再確認
したわけですね。

しかし、今度は、相手を観察しなくて
いいというセコンドの指示があったのか、
井上選手の動きが、急にまた速くなった
感じでした。

第2ラウンドの出だしで、この試合
ジャブがなかなか当たらず苦労して
相手のプレッシャーを受けていたのが、
今度は、ジャブからのワンツーを距離を
取って当ててみせたのです。つまり
はじめて主導権を握れるパンチが入った
ように見えた瞬間でした。
もちろんその後も第1ラウンドと同じ
ように、ロドリゲス選手はパンチを
繰り出してきましたが、なんと見切り
はじめたかのように、きれいにギリギリ
のところで、井上選手が、後ろにひかず
にかわしていきます。
おっと、完全に流れが変わってきたと
誰もが思ってすぐぐらいだったと
思います。まだ第2ラウンド始まって
30秒過ぎに相手が打ち込んでくる
ところを右手できちんとガード
しながら、相手の一瞬の隙を見逃さず
に、左フックをなんと完璧なタイミング
で打ち込んだのです。
正面からまともにくらうというのは、
なかなかないのですが、あまりに
速い井上選手の動きは、まるで一瞬時
が止まったかのように、相手の動きの
数倍速く、完璧に相手の顔面にパンチが
打ち込まれたのです。

相手は、あまりのパンチ力に一瞬呆然と
なり、顔面の鼻から、滝のような血を
流しています。

それでもなんとか、立ち上がった相手に
もはや容赦しません。井上選手は、
こういう時に一気に相手に落ち着かせる
隙を与えず、あらゆるパンチを駆使して
怒濤のラッシュを、はじめるのです。
相手が一瞬足に来ている!チャンスだ!
とばかりに、急にギアをあげて、
プレッシャーをかけていきました。

ロープにつめられた相手は自然とガード
を高くして、顔面にパンチをもらわない
ようにしますが、今度はすかさず、井上
選手のボディがまた左から、とてつも
なく深く入り、もう一つ右からも入って
、相手はもう顔をゆがめながらまた
二度目のダウンをします。

もう相手は戦意喪失で、自分のコーナー
にいるセコンドをみながら、小刻みに
顔を左右に振って、もうだめだという
合図を送ります。
ですが、たぶんカメラに映っては
いませんでしたが、非情にもセコンド
は、まだ行けというサインを送った
のでしょう。
なんちゅーやつらだ、選手の命の危険
だってあるこのスポーツで、選手の
事より自分たちの保身や名声を優先
させるなんて、もう許せませんね。

なんとか立ったロドリゲス選手を、
さらに圧倒して、どんどんパンチを
繰り出していく井上選手にロドリゲス
選手はもはや、パンチを出す気力さえ
残っていませんでした。
ロープにつめられ、ガードの上から
クリーンヒットでないパンチをもらった
ロドリゲス選手は、もはやその勢いに
押されただけで倒れてしまいました。
3度目のダウンです。
わざとではもちろんないですが、もう
倒れて終わらせたいという気持ちが
もう足の踏ん張りもきかない状態に
させていたのだと思います。
そして倒れて、またセコンドの方を
みながら、首を振るロドリゲス選手
にまだいけという、セコンド💢
こりゃセコンドたちにも井上選手から
一発お見舞いしてもらいたかったです
ね。
なんとか立ち上がったロドリゲス選手
の顔の戦意が完全に喪失していたのを
みてとったレフェリーがついに
試合を止めます。
なんと最強のロドリゲス選手に対して
圧倒的な、強さを見せつけた井上選手
のKO勝ちです!

終わってみれば、2ラウンド目に
3度のダウンを奪っての完全勝利!
2回1分19秒での、やはり早い
回での勝利でした。
しかし、試合はまさに紙一重だった
かも知れないほど相手は強かった
です。
ですが、本当に形成を一発で逆転
できる井上選手のパンチがあると
いう点が、相手にない強みだった
のだと思いますね。
一瞬空いた相手の隙を逃さなかった
彼の反射、反応そして瞬発力から
繰りだされるパンチは、まさに神の
一撃でした。

本当に観ている者を圧倒してしまいます。
まさに世界中からモンスターと呼ばれる
ゆえんでしょう。

そして試合後WBAとIBFの二団体の
統一王者となった井上選手にチャンピオン
ベルト二つが渡されます。
いやーうれしーー(^^)/

また試合後ついにこの世界バンタムの
正真正銘のナンバーワンを決めるための
決勝の相手が、リングに上がってきて
井上選手にあいさつしにきました。
会場は大盛り上がりです。

相手は5階級制覇のWBAスーパー
チャンピオン、ノニド・ドネア選手
です。
かつての井上選手のアイドルだった
歴史的な選手ですが、相手にとって
不足はありません。

決勝で井上選手に登り詰めてもらい
ましょー(^^)/

ではまたm(_ _)m

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人それぞれってよく言うけど(^_^;)         右脳的思考のすすめその1

「そんなの人それぞれよ」
こんな言葉を聞いた事がない人は、
いないでしょう。
一見それぞれの人の考え方や感じ方
または生き方を尊重しているように
思えますが、それも時と場合による
という事です。

そこでたとえば多くの人が使っている
「そんなの人それぞれよ」という言葉
について考えてみましょう。

まずいい意味で使われる場合

「オレなんだか人より特殊な趣味してる
から、変な奴だと思われてるんやろなー」
に対して
「そんなの人それぞれよ、自分の個性なん
だから自信持って堂々としてればいいよ」
とか
「私、こないだ『彼氏に女は普通そんな事
しねーよ、おまえおかしいって』って
いわれたの」
に対して
「そんなの人それぞれよ、女性にも
いろいろタイプがあるというだけよ
気にしないで」
などという使い方はもちろんオッケーです
ね。
しかもこの場合、相手に真意が伝わるように
別の言葉を添えているというアレンジは
右脳の働きですが、とにかくこのように
使えば「人それぞれ」という言葉はとても
良い表現となります。

しかし「人それぞれ」という言葉は、この
ように適切に使われる事よりも、最近
何でもかんでもこの言葉が使われるように
なってきたようなのです。
そして、それが互いに理解しあえない表現
にもなっている事を、よく感じるように
なりました。
ネットでやはり、その事に気付いてくれた
人のサイトから引用させていただきますね。

「」内が引用、~は中略の意味です。

「僕が「人それぞれ」という思考停止した
         言葉が大嫌いな理由

まあ、人それぞれだよね

ああ、そうだね。でも、それを承知でこの
話題を議論してたんだよね?

なんでこの局面でその言葉を出した?

あなたはこういうやりとりでイライラ
したことはありませんか? 

最初から「こういう話は人それぞれだと
思うんで答えが出ない」って事を言っと
けば、そういう体で話すよね。

「あぁ、これは熱く話してはいけない場
面だな……」と。

人は議論をするにあたって、各々の個性を
知った上で一つの結論を出さなくては
いけません。それが議論の目的であり、
結論を出したいからこそ人は議論をするの
です。議論とは「お互いの意見を出し
合って理解を深め、物事を解決の方向に
導く手段」。

なのに、この「人それぞれ」という言葉は
意見を交わすことを放棄してる。つまり
「人それぞれ」が口癖の人は他人に対して
意見する資格がないということです。」

“出典:にちプチ様

この後も記事を展開されておられますが、
少し私の見解とずれているところもある
ためここまで引用させていただきます。

つまり話し合いをしてる途中で、
「人それぞれ」という言葉を出して話し
を終わらせるのは、理解し合う事を放棄
しているという事です。
それぞれが勝手に、思い思いの結論を
持っていればいいという事なのですね。

にちプチ様がいわれる通り、では
なぜ議論し始めた?
という事なのです。

お互いに納得できる結論に至りたかった
から、また物事を理解し合いたかった
からという事です。
ですが、最後に「まあ人それぞれだから」
と互いの意見を、そのままバラバラに
してしまえば、同じ結論を共有する事
も、お互いにわかり合う事も、理解を深め
合う事もみんな放棄してしまえるのです。

つまりみんながつながっているという
共感ではなく、個性の尊重または、個人の
自由を優先させているわけですが、これは
しかし、いつまでもみんながわかり合えない
「分離」の感覚をもたらすものなのです。

そしてまだあります、相手に対して、
とても納得のできる説明で、何か大事な
知識や情報や考え方を説明したとしても
「それについてはいろんな情報があるし
人それぞれだから」
というような答えが、返ってくる事も多い
ですよね。
結局その人には、説明は意味がなく、話を
聞いていなくても、その話題がくれば、
全てその言葉で片付ける事ができてしまい
ます。
つまり「話し合おう、理解し合おうという
意志そのものがないのです」

つまりみんなばらばらの情報を信じて、
バラバラの考え方をしていて良いという事
ですね。

もちろんそれが個性を尊重するためなら
いいですが、ここで聞きたいのは、全ての
意見や考え方は、それで全て同じ様なレベル
なのでしょうか?という事なのです。

やはりそれぞれの人の感性や経験、思考
能力や知識などによって、様々な意見や
考え方があり、それぞれは尊重される
べきではあると思いますが、それが
本人にとって本当に良いものかどうかは
それぞれによって違うはずですよね?

それこそ人と話し合って、お互い意見を
出し合わないと、本人が気付かない良い
視点や情報や知識、考え方などから、
もっと本人にとって良い結論が出る
可能性があるわけです。

つまり話し合いや議論などで、理解を
高め合う、わかり合うという事は、
互いの理解のためにも当然良いし、また
高め合って得られた結論を共有できる
可能性があるのです。
もちろん話し合ってわかり合えない事も
あるかも知れません。
ですが、別の事がわかり合えるかもしれ
ませんし、逆に互いを認め合えるかも
しれないのです。

わかり合えないから、もう会わないなど
とならないようなバランス感覚は当然
必要だとは思いますが、人とつながり
合うために、話し合うというのはとても
大事だと思うのです。
そしてまた話し合う事は、とても
思考能力も鍛えてくれるのです。

しかし学校では、ディベートの時間は
ありません、つまり話し合う事を学ばない
のです。
以前は、海外では盛んに行われていて、
日本では、みられないなどと言われる
事もありましたが、どうやら海外でも同じ
のようなのです。

何故でしょうか?

それは、大衆を従わせるために、大衆の
意見がまとまってしまう事を恐れている
からなのです。

それについては書き始めると長いので
やめておきますね。
このサイトではそのような事について
追求していくのが目的ではないので💦

ですが、みんな結構同じ様な考え方で、
また同じ様な意見をいいます。それは
何故か?実はそれってマスコミや教育で
インプットされた情報や知識を共有して
いるからなんですねー。

ですが、それはつまりインプットされた
ものをそのまま忠実に受け容れている
だけなので、思考能力はほとんど使用
されていません。
だから、ものを考えるくせがついていない
のです。
そしてやはりその教育やマスコミで、私
たちに共有して欲しい知識や情報を
インプットさせれば、大衆の知識や情報
は、その意図を持つ者に従ったものに
になるという事なのです。

そのような思考を働かせて、自分たちだけ
で、話し合い理解しあうためには、実は
とても右脳の働きが大事だという事なの
です。

そうです本当の意味での思考は、実は
右脳の働きなのです。

それについてはまた次回の記事にまわす
事にします。

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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バロック音楽大家たちの夢の競演      バロック音楽33         


Vivaldi Op. 8, Conc. 7
‘Per Pisendel’ RV 242
これはヴィヴァルディの作品8の
うちの1曲ですが、この作品8と
いうのは、なんとヴィヴァルディの
四季が含まれている作品で、四季は
この作品の12曲のうちの4曲分
だという事なのです。
つまり四季だけじゃなく、この作品8は
他にもこのように質の高い曲が集められて
いるわけですねー(^^)
私なんかは最初のアレグロで惹き
つけられたあとのこのラルゴの情感で
もう夢見心地ですねー(^^)/
最後の爽やかな仕上がりまで、これが
四季の影に埋もれていい曲なわけなーーい
という叫びとともにみなさんにお届けー!

Vivaldi – Concerto for Two Violins
in A Minor RV522
これはすでにご紹介した曲ですが、作品3
というヴィヴァルディの出世作のさらに
大ヒット曲という事で入れておきましたー
(^^)/

Antonio Vivaldi. Concerto
in D Major, RV 230, Op. 3, No. 9
これはその作品3の代表曲の中で一番有名
な曲です。
これをだめだという人はなかなかいない
でしょー(^^)/

まだヴィヴァルディはいくらでもあるけど
今回はこれにアルビノーニとブレッシャネロ
をぶつけて競演させてみるという
趣向で(^^)/

Albinoni – Sinfonia in G Major
多作の作品を誇るヴィヴァルディに比べて
少ない曲なのに、単体ではやたら存在感の
あるアルビノーニの秀作でーす(^^)/

G. A. Brescianello: Concerto
for violin, oboe, strings & b.c.
in G minor (D-WD, Ms 446)
/ La Cetra

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古代世界共通言語「kamu」=神   超古代世界の言語 その3


前回、超古代の世界の言語は一つで、
日本語がその元型だろうと説明しましたが、
それは、この本州という地域の事だけでなく
かつての東アジア全体の事を指していた
という可能性も高いのです。
もちろん、音感から現在の中国語や韓国
の言葉が、その古代からある言語では
なく、現在の言葉になる以前のものという
意味でだという事です。
というのも中国も、数千年前から一貫した
民族なんていうのは、全くの間違いで、
王朝が変わる度に民族も言語も入れ替わる
というめまぐるしさで超古代の言葉が現代
も主流の言語として、そのまま残っている
という事は、全くないのです。
朝鮮半島においても同様で、中世に内陸の
ツングース系に侵略されたり、また長らく
中国に支配されていた事で、太古からの
言語は、ほとんど封印されてもきました。
それに加えて挑戦半島では、
「15世紀半ばまで、自民族の言語である
朝鮮語を表記する固有の文字を持たず、
知識層は漢字を使用していた。」
“出典:ウィキペディア
という事なので、朝鮮半島に共通する
言語も、文字も長らくありません
でした。
しかし、太古からある重要な言葉だけは、
なんとか残っているというわけです。

さてこういう歴史的な背景の東アジアの
中で、日本語やアイヌ語だけは、太古
からの一貫した言葉を、ほぼ完全に
受け継いでいるというわけなのです。
さてそういう事を頭に入れておいて
いただいて太古からある一つの貴重な
共通言語を神衣氏が提示しておられ
ます。
それは「kamu」という言葉です。
つまりこの方のペンネーム神衣は、つまり
は、この言葉から来ているのだろうと
いう事ですね。

さてその「kamu」について神衣氏の
著書から引用させていただきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「 「kamu」-古代日本ではそれは
「神」を意味していた。
私はかねてからこの祝詞に繰り返される
古代語に並々ならぬ意義を感じていた。
と同時に、この語と酷似する概念を持つ
語がアイヌの言葉でも「kamui」
であり、韓国語でも「kam」である
ことに、ある直感を感じていた。
そして、世界の言語を歴史的に追求して
いた私は、ある時信じられない事実と
出会ったのである。
それは、この語が「神」を意味していた
形跡が、世界の全域に及ぶという事実で
あった!
 まずは、この事実の重要性について、
極東語(日本語・アイヌ語・韓国語)を
例に分かりやすく説明しておこう。
 北海道を中心とするアイヌの言葉では
「神」を「kamui」と言い、古い文化
の残る沖縄では「kamu」と言う。そして
韓国でも「神」は「kam}と発音した。
この言葉の一致には、単なる言葉の輸出入
ではすまされない意義がある。
 古代日本人にとって「kamu」とは、
万物に神が宿るという「やおよろずの神々」
の信仰を支えた彼らにとって最も大切な
言霊であった。またアイヌにとっても
、古来より万物を「ふちかむい」
「わっかうしかむい」などと別称で尊んだ
、彼らの万物に神が宿るとするアニミズム
的宇宙観を支えた言霊であった。
韓国人にとっての「kam」もまた
しかりである。
アニミズムとは人類の最も初期から存在
した宗教性であり、人類は人類として
スタートした時からこの宗教性に支え
られたとされている。ということは、
この宇宙観を支えたこの言葉「kamu」
は、単なる神名とは異なり、それぞれの
民族の最初から存在してはずの言葉
である。
しかも、太古の人々にとって言葉は神
であった。宗教的観念に基づき宗教的
観念の中に生きた太古の日本人や
アイヌ人、それと共にあった彼らの
言霊信仰、これらを思うとき、彼らが
、この神に等しい言葉を捨てて、
わざわざ他の民族の言葉に置き換え
られることはまず考えられない。
すなわち、この言葉は、輸出入に
よって広まったとはまず考えられない
言葉なのである。

(引用注:だからこそ、民族の移り
変わりの激しい大陸側でも太古の
言葉が残っているというわけなの
です。)

とうことは、この語「kamu」の一致は、
はるかな太古、「日本、アイヌ、韓国」の
それぞれの民族が同一の民族であった
ことを示しているに違いないのである。~

神聖なるがゆえに守られた超古代語
「kam」

それではこれを世界的な規模で見て
みよう。

まず、よく知られた英語の「heaven」
(天国)。
なんとこの語は、非常に古い時代にはまさに
「kamu」と発音され「神」を意味する
語であったのだ。
 これは英語と同系統の多数のインド・
ヨーロッパ語類と呼ばれる言語すべてに
共通の語源であり、たとえばドイツ語の
「himei」(天国・神)などもこの語
の変韻により生まれたのである。
(引用注:変韻とは、意味が同じ言葉でも
音だけ変わる事をいうらしいです。)

さらにこの一致はヨーロッパ語と極東語
だけにとどまらないのだ。

トルコ語「kamu」(神秘的な力を持つ
もの)

マレー語「kami」(支配する者の自称)

サンスクリット語「kamu」(帝王)

アルタイ・チュルク語(※)「kaan」
(神)

など、この語は世界の主要な言語のほとんど
に酷似した概念の語として見いだせるの
である。

ということは、先の私の理論は世界規模で
当てはまるということになるのではない
だろうか!
 さらに私は、太古から日本の精神文化
の中核であった他の言葉についても研究
した結果、日本の三大神聖語とも言うべき
「かみ」「たま」「あま」のいずれもが
同様に、世界規模で共通起原を見いだせた
のである。~
 聖書に書かれているように、また
チャーチワードが世界はたった一つの
ムーから始まったといっているように、
太古の時代、確かに世界の言語は一つ
だったに違いない。

※アルタイ・チュルク語とは、アジアの
非常に広範囲な地域の言語の総称である。」

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
         中央アート出版社 ”

最後のアジアの広い地域の言語にアルタイ・
チュルク語があり、その神を意味する
言葉が「kaan」という事ですが、
これはカーンということですので、かつて
アジア全土を席巻した、モンゴル帝国の
王は全て、ジンギス・カーン(チンギス・
ハーンのようにハーンともいいます。以下
も同様です)とかフビライ・カーンと
カーンを使っていた事でも理解できます
ね。

世界中に「kam」という言葉が、ほんの
少しの変化が見られるだけで、神や
支配者の意味として共通するというのは、
まさに、世界の言語がかつて一つであった
事の裏付けになっているといえますね。

神衣氏が、説明する通り太古から伝わる
アニミズムという思想は、万物に神が
宿るという信仰という事で太古の人類に
普遍の思想だという事ですが、私たちは
太古の人類が文明的に未熟だとつい考え
がちですが、高次の意識につながる
松果体という器官は、当然太古の人類
の方が発達していたわけで、私たちより
も真理を感知する能力が高かったとみる
事も不自然ではないと思われるのです。

そして最新の量子物理学の成果として、
宇宙のエネルギーは全てフラクタルで、
同じ形態をしている事が、明らかと
なっていますが、つまり全てがトーラス
循環であり、さらに同時にスパイラル
でもあるという事です。
これは、太古の人類のアニミズム思想
と一致するのです。つまり全てが同じ
本質でつながっていて、一体であるなら、
文字通り万物が神という捉え方もまた
正しいという事になるからです。
なぜなら彼らの考えでは神とは、全て
の存在を意味する言葉だからです。
つまり万物全ての本質が同じエネルギー
であるという事は、それがまた神の本質
であると捉えてもいいという事になる
わけです。

という事で、太古の人類の思想の中核、
また言葉の中心にあった「kamu」
が、世界の言語に共通する言葉である
なら、最も大切な本質を意味する言葉
で世界の人々がつながっていたという事
になり、まさにかつて世界の言語が
太古に一つであったという事を裏付けて
いるのだと思います。

次回もさらに言葉を深く追求していく
神衣氏の著書を追っていく事にします。

ではまた(^^)/

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全てを肯定される天界!五感も一体!       エベンさんの証言その4              


前回、エベン・アレグザンダーさんが、
幸運にも、光と音楽に導かれて天界の
ような場所に辿り着いたというところ
までご紹介しました。
そしてエベンさんは、やがて、天界
での導き手のような美しい女性に
気づきます。そして二人で蝶の羽に
乗って飛んでいくことになります。
(蝶は霊界の使者ともいわれていて、
霊のシンボルの象徴です。
サビアンシンボルにも、いくつか
出てきます。)
その女性の言葉と、連れられていった
さらなる高次元の世界についてまた
引用させていただきます。
そしてまたそれについての考察も
加えさせていただきます。
「」内が引用で、その中の~から
~までは、中略という意味です。

  ~以下引用~

「メッセージは三つの部分で構成され
ていた。それを地上の言葉で言い換えれば、
このようになる。

「あなたは永遠に愛されています」
「恐れるようなことは何もありません」
「あなたのすることには、ひとつも間違い
はありません。」
それを聞き、たとえようのない安心感が嵐
のように渦を巻いて押し寄せてきた。
生まれ落ちたときから取り組み続けていた
よくわからないゲームのルールを、初めて
教えてもらえたかのようだった。
 
「ここでいろいろなことを見せてあげ
ましょう。」
言葉を使わず、まっすぐに概念の本質を
伝えるやり方でその人は言った。
「いずれは帰ってもらいますけれど」
それについて、私の疑問はひとつだった。
どこへ帰るというのか?
これを書いているのがどのような人間で
あるのかを、思い出していただきたい。
私は、情緒的な感傷家タイプではない。
死がどういうものかを知っている。~
~物理学の専門家ではないものの、多少
の知識は持ち合わせている。妄想と
現実の違いはわきまえているつもりだ。
そんな私があいまいな輪郭しか描けずに
なんとかしてお伝えしようとしている
この話は、自分の知る限りもっとも
確かな正真正銘の現実であることを
承知しているのである。」

    ~引用終了~

冷静な医師であり、科学者でもあったエベン
さんが、この臨死状態での体験を正真正銘の
現実だといっているのだから、これは
疑うようなものではないという事が、特に
説得力を持ちます。
さて天界で出会った天使のような女性が言う
ような愛あふれる言葉は、地獄にいるような
意識には、もちろん聞こえませんし、その
ような意識に対してかけられる言葉でも
ありません。これは天界に辿り着いたエベン
さんだからこそかけられた言葉だという事
です。
愛の存在である女性が、邪悪な心で人を
傷つける行為をするものに対していう言葉
では決してないというのは、よくわかって
いただけるはずですよね?
そんなものが永遠に愛されたら、この世は
愛されるべき人が、愛のない行為でいくら
でも悲しむことになるのを認めてしまうと
いう矛盾した事になるからです。
つまり心を失ったものは、この「天界」
のようなところに来ることはないし、
上のような言葉をかけられる事もないの
です。
このことについては
臨死体験者の言葉その11が参考になります。
そして女性に導かれてエベンさんは、
さらなる高次元の世界へ移行することに
なります。

  ~以下引用~

「雲の上-上空のはるかな高みでは、
キラキラ輝く透明の光の球が、弓なりに
弧を描いて、空を横切りながら飛び交って
いた。
~上空からは、聖歌のように荘厳な大音響
が響きわたってきた。
これはあの宙を飛ぶ存在たちが、奏でて
いる音なのだろうか。その時は不思議に
思ったが、後日それを考えていたとき、
あれはあの存在たちの喜びの表現だったの
だと気がついた。
舞い飛ぶ存在たちの歓喜が溢れこぼれる
ほどに大きく、ああして「音楽にせずには
いられない」ほどのものだったのだ。
音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。
 そこでは見えるものと聞こえるものに
区別がなかった。上空で銀色にきらめいて
いる存在の美しさを「聞き取る」ことも、
その輝く存在たちがうたいあげている
喜びの炸裂を「見て取る」ことも
できた。
その世界では、なにか神秘的なかたちで
自分自身がその中に溶け込んでしまわない
限り、何も見えず、何も聞こえないように
思われた。
現在の視点に立って考えれば、あの世界
ではどんなものであれ、「対象を見る」
ことはできなかったのだろう。そこには
格助詞の「を」が表す分離の概念が
存在していなかったからである。
   
  ~引用終了~
 
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

さらに高次元の世界では、エベンさんの
五感がすでに肉体に意識がある時の
状態とは、全く異なる次元に移行して
いるのがわかります。
表現が、まるで禅問答のようにわかり
にくいのは、いかに高次元の世界を、
私たち日常の意識にいるものたちに
伝えるのが、難しいかを示しています。
鍵となるのは、見えるものと聞こえるもの
に区別がなかったというところです。
つまり高次元の意識では、五感という
区別はなく、全て一体の感覚として体験
できるという事です。
やはりここでも歓喜の聖歌のような
大音響が響きわたっていたという事ですが
高次元の世界では、やはりあらゆる場面
で美しい音楽を体験するようです。
もちろん肉体に意識がある状態での私たち
が耳にする音楽とはレベルが違うものの
ようですが、またヒントになるような表現
もしておられますね。
「音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。」
とあるのは、もちろん視覚・聴覚・触覚が
一体になったような、高次元の意識なら
ではの感覚ですが、翻訳すると音楽は
確かな存在感があって、しかもしっとり
とした音のシャワーを浴びているような
感覚というものでしょう。
ここで、みなさんの右脳に働きかけたい
と思います。
音楽にもレベルがあるという事を、五感
にはレベルがありますシリーズの記事で
説明したと思いますが、リズム感と
音色、旋律の感覚でいえば、旋律が最も
レベルが高いという事でしたが、今回は
また別の音楽の見方でのレベルです。
ドライな音楽とウェットな音楽という
レベルの分け方です。
これは右脳の感性が働く方でないと
イマイチわかりにくいかと思いますが、
ドライつまり「乾いた」音楽というもの
は、心の琴線に響かないような音楽と
いう事です。つまり情緒に訴えかける
ようなものでなく、単に「音が鳴って
いる」という感覚に近いものですね。
どんな音楽があてはまるかは、個人に
よって変わりますので、みなさんの
感覚におまかせします。
逆にウエットつまりこの時のような
「濡れる」ような「湿った」ような
水を連想させる音楽というものは、
心の琴線に響くような音楽という事
です。
この高次元の世界でエベンさんが聴いた
音楽というのは、雨のような「ウェット」
な音楽という事で、心の琴線に触れる
ようなものだったということが、
いいたかったわけです。
おそらくこれを読んでいただいている
ような方たちにはわかっていただける
と思って、右脳に直接働きかけるような
説明をさせていただきました。
つまり高次元の意識で聴く「ウェット」
な音楽は、やはり私たちが聴く音楽の
レベルにもあてはめることができる
という事です。

さて対象を見ることができないのに上空
に神秘的なものが存在したりすると認識
するというのは、またしても、矛盾して
いるように思えますが、実はこの上方に
高次元の世界があるという感覚は、
ふだん肉体のあるうちから私たちが
ほとんど無自覚に体験しているもの
なのです。
臨死体験の意識になったからといって、
日常の意識とは別の存在になったのでは
なく、意識のレベルが変わっただけだ
という事なのです。
どういうことなのかといいますと、
それは私たちが肉体のある状態で高次元
の意識にアクセス(または移行)する時に
チャクラというゲートを通すことになり
ます。
心臓のあるあたりのハートチャクラを
中心として高次のレベルにアクセスする
ために、眉間のチャクラ、また頭頂の
チャクラと連携する事が肝要なのですが、
それが「上方に高い意識レベルがある」
という感覚につながっているという事
なのです。
7つないし12のチャクラがあると
されていますが、12のチャクラの場合
肉体の頭より、離れて上空にさらに
高いチャクラがあるというようにも
言われています。
となるとますます高い場所に高次元の
世界があるような感覚になるわけですね。
つまりエベンさんは、肉体に意識がある時
に無自覚に得ていた、高次元への感覚を
この臨死体験領域に持ち込んでいた
という事になります。
また眉間のチャクラと頭頂のチャクラの
中心となる位置には、松果体があるので、
「魂の座」と呼ばれ、高い意識とつながる
といわれている松果体は、やはりチャクラ
と密接につながっている器官という事が
わかります。

さて次回はさらに高いレベルの世界に
いくエベンさんの様子をご紹介します。
とにかく一週間も昏睡状態が続いていた
エベンさんの臨死体験は長いのです。
ですが、だからこそ私たちのヒントに
なるようなことがたくさん得られると
いう事でもあります。
ではまた(^^)/

そうそう今回の記事にあった霊的な蝶の
シンボルのイラスト最近アップしたばかり
ですが、気に入ってるので載せて
おきますね(^^)/
一応今回エベンさんが出会った女性と
ともに蝶に乗っているのでそのつながり
ということです。

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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神秘のオポジションその20      非常時と平和な日常の好対称 


今日はオポジション(180°)の
アスペクト(角度)を形成する、
サビアンシンボルをご紹介します。

上の画像の2つのシンボルです。

水瓶座19度
「消し止められた山火事」

獅子座19度
「ハウスボートパーティー」

この2つがオポジションの関係に
なっています。
これはもうすぐに好対称とわかり
ますよね。
緊急事態の水瓶座19度に対して
穏やかで豊かな交流の時間の
獅子座19度です。
水瓶座が、火事であったのに対して
獅子座のハウスボートパーティーでは、
それを消す働きをする水が、豊かに
ある状態になっていて、火と水と
いう意味でも好対称になっています。

どちらのシンボルも共感意識ですが、
緊急時の獅子座のシンボルと、平和
で豊かな交流を示している獅子座とは
全く対称的になっています。

シンプルですが以上です。

ではまた(^^)/

よろしければ、お願いします(^^)/

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バミューダトライアングル       地球のエネルギーのツボだった!?


前回は、地球にはエネルギーグリッドがあり
それを結ぶレイラインというものもある
とご説明しました。
人体の経絡と同じしくみです。
我々はつぼが何故効くのか教えられない
まま育ってきました。それは「非科学的」
だからと。
ところが、それは他の多くの「非科学的」
として片付けられているものと同じく真理
につながる大事な知識なのです。

人体には、プラズマエネルギーを循環させ、
物理的な次元と高次の次元とを結ぶ
ポイントとそれをつなぐ経絡があります。
そのポイントが人体の表面上にあらわれて
いる場所がツボだという事です。
チャクラのような、さらに重要な異次元
とのゲートは、人体の内側にあり、外から
刺激できる位置には大抵ありません。

つまりツボやチャクラは、人体のプラズマ
エネルギー循環の万能のエネルギーを、
身体に伝える重要なポイントで、そこを
刺激する事により、プラズマエネルギーが
その部分に対して治癒的な力を発揮できる
というわけです。
鍼灸治療や、ツボマッサージなどが、実際
に効くのはそういった理由からです。
達人の領域になるとあらゆる病気が治療
できてしまいます。もちろんさらに上の
超常能力を使うヒーラーは、もっと高度
な形で治療を行います。

さて地球のつぼにあたるエネルギー
グリッドの中でも、人体のチャクラに
相当するような異次元のゲートにあたる
場所が、北極、南極を含めた12カ所ある
と、前回ご説明しましたが、今回はその中
でもとりわけ有名なポイントである
「バミューダ・トライアングル」に
ついてご紹介します。

バミューダトライアングルと呼ばれるこの
海域は、イギリスのおよそ1000キロ
メートル南西の大西洋にあり、バミューダ
諸島と、プエルトリコ、そしてフロリダ半島
の先端を結んだ三角形の海域にあたります。
1970年代以降は謎の消滅事件も減っては
きていますが、それ以前は、特に多くの
不思議な現象がここで起こっています。
それは船舶や航空機があとかたもなく丸ごと
消えてしまうという事です。
その数なんと船が50隻、20機の航空機が
この海域で行方不明となっているのです。
もちろんこの場所が異次元のゲートだから
なのでしょうが、この時の様子が、行方不明
になる直前のパイロットとの通信で残されて
いて、その中にやはりプラズマのようなもの
に遭遇したというものがあります。
そうです、ここでも電磁界異常のプラズマ
現象が時空のゲートとして働いたという
証明ができたことになります。
ではそのバミューダトライアングルでの
超常現象が詳しく紹介されているサイト
から引用させていただきましょう。

“ 1945年12月5日。
  第二次世界大戦が、終了した年です。
アメリカ海軍の雷撃機、五機が、この海域で、
行方不明になりました。しかも、救助に
向かった飛行艇も、同じように行方不明になる
という事件が起きました。

  この日の午後2時10分、アメリカ海軍・
第19飛行小隊、通称「フライト19」の
アベンジャー雷撃機、五機が訓練のために
、フロリダのフォート・ローダーデール
海軍基地を飛び発ちました。その編隊は、
午後7時過ぎに行った短い無線通信を最後に、
完全に消息を絶ってしまいました。
  その日は、快晴でした。しかし途中で、
コンパスに異常をきたした上に、
『白い水に突入するようだ』という
意味不明の交信を最後に、ついに行方が
判らなくなりました。そこで捜索のために、
乗員13名を乗せたマーチン・マリナー
飛行艇が、至急、現地へ向かいました。
ところが、こちらも離陸数分後に無線連絡
をしたきりで、同様に消息を絶ってしまい
ました。しかも消息を断った午後7時50分
頃に、近くを航行していた船が、空中で
何かが爆発するのを目撃しました。
  ところが不思議なことに、海軍が船で
海上を捜索しても、飛行機の破片や、残骸
などの浮遊物が、何も見つかりませんで
した。

  フライト19の最後の通信は、およそ
次のようなものであったとされています。
  『 現在位置がよく分からない。基地の
北東、225マイルにいるはずだとは思うが
・・・ 。われわれは白い水に突入して行く
みたいだ ・・・ 。完全に迷ってしまった
・・・ 。』

  その数時間前の午後3時45分頃、別の
飛行機に搭乗していたテイラー中尉の通信
記録
には、次のようなメッセージが残されていた
といいます。
  『 コンパスが二つとも狂ってしまった
・・・ 。どのくらい南に下ったのか、
分からない。フォート・ローダーデール
へは、どう行けばいいのかも分からない。』

  ↑  ↑  ↑  ↑ 

  この海域では、他にも、たくさんの原因
不明の消失事件が起きています。手許にある
資料の中から、そのうちの幾つかを紹介して
おきます。

  1918年3月  アメリカ海軍の石炭
運搬船、サイクロブス号が、北米の東岸に
あるチェサピーク湾へ向かう途中で消失
した。
船の全長は、165メートルで、
乗員約三百人が乗り組んでいた。マンガン
鉱石を満載していた。

1948年12月28日  乗客27人を
乗せたダグラスDC3は、プェルトリコの
サン・ファン飛行場から、フロリダの
マイアミを目指して飛び発った。パイロット
のロバート・リンキスト機長からは、
『現在、マイアミから80キロの地点に
いる。街の明かりが見える。着陸の指示
を待つ』 と連絡して来た。
その数分後に、マイアミの管制塔が指示を
出した時には、DC3はすでに消失して
いた。そのあたりの水深は、六メートル
しか無いにも関わらず、機体の破片はもと
より、燃料の油膜すら見つからなかった。

  1974年4月  大型のヨット、
サバ・バンク号が、バハマのナッソーから
マイアミへ向かう途中で消失した。

今でもこの海域では、原因の分からない
消失事件が起きていますが、事件の特徴
として、次のようなものが上げられます。

(一) 消失した船や、飛行機の残骸が、
まったく発見されない。
(二) 消失する前に突然、方位磁石や
計器が狂う。
(三) この地域で、不思議な光が
出現するのを目撃したという報告がある。

 ****  ○ * ○  ****

ところで、この海域では、上のような
消失事件だけでなく、不思議な幽霊船の
事件も報告されています。どこにも異常
が見られない船なのに、乗組員が全員姿を
消していて、遺棄された状態で見つかる
という奇怪なケースです。
たとえば次のようなものがあります。

 1872年12月 メアリー・セレスト
号は、アゾレス諸島とジブラルタルの間で
漂流しているところを発見された。乗組員
11名は、全員が消失していた。

1902年  ドイツの帆船・フレア号は、
キューバのマンサニジョを出航して、チリの
プンタ・アレスに向かった。だが、発見され
た時には、乗組員が全員消失していた。

1955年9月  大型のヨット、コネマラ
4号がバミューダ島の沖を、無人で漂流して
いるところを発見された。

また、この海域では、次のような奇々怪々な
事件が発生しました。
何と、上に紹介した「フライト19」五機が
、目撃されたのです。しかも、消えてから
44年も経ってからのことです。奇しくも
日付も同じ、12月5日のことでした。

1989年12月5日。それは貨物船カリブ・
タイガー号が、南フロリダの沖35キロ
付近を航行していた時に起きた出来事である
とのこと。
目撃者の証言によると、搭乗者の数などは、
消失した時と同じであったといいます。
しかもその時、船に積んであった無線機や
コンパス、電子航行装置に変調が生じたと
の証言があります。

 さらに、次のような、不可解な事件も
起きています。

1989年6月7日。バミューダ海域で、
カルロス・ジェラルド、ホセ・トーレス、
チセローネ・モーヤの三人の漁師が操業
していたところ、突然嵐に遭い、船が
沈没しそうになった。
  幸運にも、近くを通りかかった船に
救出された。その船は古めかしい帆船で
あった。しかも乗組員は全員、古い
軍服を着て、古語になっている英語を
話した。三人は奇妙に感じたが、
そのうちに三人とも同時に、意識を
失ってしまった。
  そして、気が付いた時には、
もとの船で、バハマ諸島の近くを漂流
していた。ようやく別の船に救出さ
れた。ところが、それは最初に漂流
してから、丸1年も経っていたこと
が判明した。

さらに、次のような奇妙な事件も
起きています。何と、一度死んだ
人間が、64年後に生き返った
というものです。

 1990年2月。
バミューダ島の沖で漁船が漁をして
いると、どこからともなく白い布で
出来た大きな袋が、波に乗って流れて来た。
漁師たちがその袋を船の上へ引き上げて、
開けてみると、中からは人間の死体が出
てきた。
年齢は、およそ六十歳台。やせた男性の
死体であった。漁師たちは、水葬にされて
海に流された、死体袋を引き上げて
しまったのである。
ところが、その袋の中の死体が、突然、
口を利いた。「ここは、どこだ。」
何と、その男は、生きていたのである。
船員たちは、びっくりした。だが、
詳しい事情を聞いて、さらに驚くことに
なった。
その男は、ミッシェル・ガヤンと名乗った。
フランスからバミューダ地方に移住して
来た者だという。しかも自分は、
1926年にすでに一度、死んだはずだ
と言うのであった。
バミューダ島の病院でカルテを調べると、
確かに1926年にミッシェル・ガヤン
という
男が、ガンで死んでいることが判明した。
死亡した時の年齢は、63歳であった。
彼の遺言で、死体は焼かれずに、水葬に
して海に流された。
死亡証明書に押してある指紋を照合した
結果、その男本人に間違いないことが
分かった。従って常識的に考えれば、
死の判定に誤りがあって、水葬に
された後、袋の中で生き返ったこと
になる。

だが、この事件の最大のミステリーは、
この男が一度死んで水葬にされてから、
今回発見されるまでの期間である。
彼が死んだのが1926年であり、
発見されたのが1990年であるから、
実に64年もの年月が経っている。
つまり仮死状態のまま、袋の中で、
64年間も生きていたことになる。
しかも、今の年齢は、127歳
である。それにも関わらず当の
ミッシェル・ガヤンは、死んだときの
年齢そのままの状態で生き返ったの
である。”
“引用:秘密の小部屋
(店主の隠れ家)様”

最後の例はなんと時空を越えて、生きた
ままタイムスリップしたというか、
逆にいったん死んでいたのに、生き返った
状態で、64年の時を越えて現れた
という驚愕の実例です。
しかも死亡証明書などの証拠つきの
タイムトリップの事例です。
実は、時空を越えるような領域を経る
事によって、本来の意識レベルが、
いったん肉体から解放されて自身の
身体に再アクセスする時に、再び正常な
プラズマ循環である生命エネルギーを
伴って戻ったという事なのだろうと思い
ます。
これを可能にしたのは、バミューダ
トライアングルの異常ともいえる強力な
電磁界とその背景にあるプラズマ
エネルギーのおかげだといえると思い
ます。
これは、あくまでも自然のという意味
での放射線が人体に良いとされる、
ホルシミス効果と、関連づけられる
現象です。

ネット上では、クロップサークルの
時とおなじように、超常現象では
なかったという主張のサイトが上位
に来てますね。
それは、そのように仕向けている
ということです。
注目していただきたいのは、
白い水に突入するようだという通信
記録ですが、これは、例の白い霧や
雲とほぼ同じものとみていいです。
水がプラズマ現象の一種で、白い
という特徴が共通だからです。
また消失する前に方位磁石や計器が
狂うのも同じく電磁界異常を示すもの
です。

これまでの記事にあったように、
プラズマの白い霧などに代表される
電磁界異常が超常現象と、密接に
つながっていて、プラズマが
時空のゲートとしての役割を示すこと
は疑いようがないといえるでしょう。
一つずつには、いちゃもんをつけられ
ても(多くはそれでも稚拙な反論で
すが)、これだけ共通事項がそろえば
もはや反論の余地などないはずです。
しかも証拠となる実例はまだあるの
です。

それはまた次回の記事ということで
(^_^)

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またまた無名なバロック作曲家たち      バロック音楽32


今回は無名な作曲家ですが、わりと
良い感じだと思います。
最後の2曲は、しかしそれらに
くらべてやっぱり凄いと感じた
アルビノーニとブレッシャネロで、
お耳なおしをどうぞ!

Francesco Manfredini 12
Concerti grossi Op.3
欧州では割と有名なフランチェスコ・
マンデルフィーニの作品3です。
12曲編成で、それぞれにおそらく
3パートずつなので、相当に
ボリュームがあるので、聴き流す
のにいいと思います。
私は最初の1曲目だけで気に入り
ましたよー(^^)/

Pietro Antonio Locatelli
Concerti Grossi Op I
ピエトロ・アントニオ・ロカテッリ
この方の作品1の第一曲目だけで
オッケー出してしまいました。
後は未検証ですが、最初の曲だけ
でも良しとしましょう。
今ちらっととばしとばし聴いてみると
なんだかまあまあのようでした(^^)/

G. Valentini – Concerto grosso
Op. VII Nº 11 – Ensemble 415,
Chiara Banchini
ジュゼッペ・ヴァレンティーニ
最初静かなパートから入って
だんだんリズム感のある、アレグロの
パートに、すごい惹き付けるというか、
わりとすんなり心地よく聴ける感じ
です。

でこの無名な中にアルビノーニの名曲を
入れてみたら、やっぱ全然レベルが違い
ましたーーー💦
(もちろん私の個人の感想です💦)

Albinoni – Oboe Concerto #2
in D Minor Op. 9

さらに、やはり前に紹介させていただいた
ブレッシャネロもすげーー!
無名の最初から3人の作曲家もそこそこ
なんだろうけど、この二人の曲聴いたら
もう一度戻れるのかという感じですね💦

G.A. BRESCIANELLO: Violin Concerto
in E minor Op.1/4,
Australian Brandenburg Orchestra

まあとにかくまた無名の作曲家を探して
おきましたー!
また聴きやすい作曲家みつけと
きまーす(^^)/

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ここでまさかの和歌!  今年もありがとう八重桜


なんと百人一首の紹介ですー(^^)/

実は私、たぶん自慢にならないけど、
中学校の校内、かるた大会、つまり
百人一首での大会で校内3位だったの
です・・・なんだかかっこよくないなー💧
実は、生まれた頃住んでたところに
親戚が近くに住んでいたので、正月に
なると何故か好例で、源平合戦(百人
一首のチーム戦のようなもの)を毎年
やることになっていて、年下の自分は
実力はもちろんビリだったのでつまん
なかったですが、耳で覚えたおかげで
全く未経験の子が多い中学では、とても
強かったというわけです。
やはりかっこよくないなー。
それはそれとして、この一首なかなか
洒落の効いている粋な逸品だったのです。
それを紹介したいというだけで、一席
ぶつことにしたわけです。(記事を
書くという意味です)
みてください、まず奈良と京都が対比
されて、表現されているのわかります?
奈良はそのままの意味だけれども、
けふは、きょうと読んで、今日とも京
とも読めますよね。だからいにしえ
つまり奈良時代の奈良と、この歌を
宮中で詠んでいるので、平安時代の
都の京都を対比させているのです。
この場合の現在というのをまた今日
というもう一つの意味にこめている
わけですね。
つまりいにしえの時代の奈良の八重桜
が、今日、現在の都(京都)という
ように、言葉を巧みに使いながら、
綺麗に対比させているわけです。
しかも九重に匂うと詠んでますが、
九重はここのへと詠みます。
つまり奈良からここへという意味まで
隠しているのだから、
また粋な洒落を効かせてるわけです。
その上、古来八も吉数ではありましたが
九は最高の吉数とされていたので、
桜の美しさや香りをさらに称えている
表現にもなっています。
そして匂うというのも、奈良から
ここまで匂いが伝わりますよという
意味まで隠されてます。
つまりいにしえと今日、奈良と京、
奈良とここ、そして八重に対して
九重というとても美しい洒落の効いた
歌になっているではありませんか。
勝手にこの一首を解釈したにしては、
上出来だと思いませんか?
そしてここで知識人の解説を
見てみましょう。

~以下飲用~

■□■ 現代語訳 ■□■
  いにしえの昔の、奈良の都の
八重桜が、今日は九重の宮中で、
 ひときわ美しく咲き誇って
おります。
 
■□■ ことば ■□■
 【いにしへの奈良の都】
 「いにしへ」は「古き遠い時代」
の意味。この歌が詠まれた時、
 すでに奈良の都は元明天皇から
光仁天皇までのほぼ70年間にわた
 って都があった古都のイメージ
がありました。
 【八重桜】
  桜の品種のひとつで、花弁が
たくさん重なり合う大きな花をつ
 けます。この歌は当時京都では
珍しかった八重桜が奈良から京都
 の宮中へ献上されるときに歌われた
ものです。
 【けふ】
 「今日」という意味で、「いにしへ」に
照応しています。
 【九重に】
 「宮中」の意味で、昔中国で王宮を
九重の門で囲ったことからこ
 う言われています。「八重桜」
に照応した言葉です。
 【にほひぬるかな】
 「色美しく咲く」の意味で、
「にほひ」といっても香りではなく
 見た目の美しさを表します。
「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連
 体形で、「かな」は詠嘆の終助詞。
■□■ 作者 ■□■
  伊勢大輔(いせのたいふ。
11世紀前半の人)
  正三位神祇伯・大中臣輔親
(おおなかとみのすけちか)の娘。
 中宮定子のいとこ・高階成順
(なりのぶ)と結婚し、勅撰歌人の
 康資王母(やすすけおうのはは)
などを産みました。上東門院彰
 子(もと中宮)に仕え、紫式部や
和泉式部とも親しい間柄でした。
~引用終了~

“出典:
京都おかき専門店長岡京 
小倉山荘様のサイトで
ちよっと差がつく百人一首講座
という記事の一つを拝借しました。”

なるほど、九重には、宮中の意味が
ありましたか。
それにしてもけふを京と今日という二つ
の意味にこめたというのが抜けてます
よねー。詠んだ人はわかって欲しかった
と思いますよー。
それと宮中に奈良から送られてきたと
いう事実があったにせよ、ここは
春の陽気に奈良から風でここまで
運ばれてきたという意味もこめている
ような気がします。もちろん時代を
越えて運ばれてきたという意味も
含めてね。
さらに九重というのが、宮中をたたえる
だけでなく、八重桜の美しさまた香りを
表現しているというのも抜けている
ような気もします。
まあとにかく洒落た短歌だと思いました。

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天界とは、本来の私たちの世界      エベンさんの証言その3


臨死体験者たちの多くが、天界のような
場所を訪れたという証言をしているのは、
実は、私たちの本来の世界に回帰した
という事なのです。
今回の記事にもありますが、エベンさん
が、まるで懐かしい場所に戻ってきた
ような感覚を覚えると語ったのは、それが
本来の居場所で、そこに戻ってきたと
いう事を示しているわけです。
そして私たちが経験している、ネガティブ
エネルギーが恒常的に生み出されるような
現実世界は、その本来の世界を粗悪な形
でコピーしただけのものというのが、
真実なのですが、そのコピーこそ、
月や土星によるマトリックスというもの
なのです。
元記事では、このコピーの世界について
別記事で説明すると書いてますが、
今日はその記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
も会わせて
投稿しておきますのでご覧くださいね。

ただし今回の記事で誤解されやすいのが、
私が、その天界にいく事を進めて、
人生を放棄するように促しているように
思われてしまう事です。
全然そういう事ではないのです、
そうではなくて、私たちの本来の場所
を意識できるようになれば、肉体が
生み出しているネガティブな偽の意識に
囚われずに、この人生で、その天界の
意識を投影していき、幸福な人生に
変えていけるという事を、説明しようと
しているわけなのです。

前回エベン・アレクサンダーさんが
臨死体験の最初のステージである地獄
のような場所から、見たこともない
ような光や聴いた事もない音楽に
導かれて脱出できたというところまで
ご紹介しました。
別世界に導かれてエベンさんがみた
ものは、何だったのか。
今回はその事について、またエベンさん
の著書から引用させていただきながら、
また考察を加えていきたいと思います。
「」内が引用です。

    ~以下引用抜粋~
「まぶしく輝き、活気に満ちて、うっとり
させられる。目が眩むような・・・どれほど
形容詞を連ねてみても、その情景と感動は
表現しきれない。~
~下には田園風景が広がっていた。青々と
したみずみずしい緑の・・・地面。
地面ではあったが、同時にそれは地面では
なかった。~
~未知の場所、それとも忘れていたはずの
場所なのだが、見回すと妙に心惹かれる
ものがある。深い部分のどこかが、いまでも
そこを忘れておらず、戻ってきたことを
喜んでいる。そんな場所だった。
 私は木や野原、小川や滝を見おろしながら
飛んでいた。あちこちに人の姿も見えた。
楽しそうに遊んでいる子供たちの姿も
あった。
みんなで輪になって歌い、踊っている。
犬がその足元で嬉しそうに跳ね回っている。
人々は質素だが優美な服をまとい、服は
周囲の緑や花々の潤いを映し出す色合いを
していた。
 ただ美しい、夢のような世界・・・」

    ~引用終了~
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この夢のような天界のような世界を、エベン
さんは、「戻ってきたような世界」として
認識しているところに注目していただきたい
のです。
つまりは、この高次元の世界が、本来
の我々の世界なのです。実は、私たちが、
今生で体験している人生としての現実は、
この本来の世界の「BAD COPY」
つまり、本物にみせかけた偽の現実だと
いう事なのです。この事は、古来からの
伝説にもありますが、その事については
また別の記事で説明したいと思います。

さて本来の世界は、このように愛する人
たちと、美しい自然のなかで、歌ったり、
踊ったりしている天界のような風景で
あり、これが我々のいるべき世界だという
事なのです。
ここで、振り返って、生きている間の夢
やイメージと比べれば、どれだけの
意識レベルかを測る目安にもなるのです。
たとえば、普段から「お金」「名声」
「地位」「称賛」「贅沢な生活」「豪華な
住まい」「快楽を求めるのみの性欲」
「宝石や高価な物」などをイメージするか
、「美しい自然」「美しい音楽」
「愛する人」「愛する人たちと喜びや
楽しみ、笑いなどを分かち合うこと」
「情のかようあたたかい生活」「友情」
「仲間との絆」「生きがいや、やりがい
に対する情熱」などをイメージするかで
肉体を離れたあとに、どれだけ高次元に
いけるかも変わってくるという事です。
まあ具体的でなくとも、愛があり、美しい
ものや楽しい事や、分かち合うことが望み
につながっているのなら、やはり天界に
いける可能性は高いという事です。
ただ先にあげた方の意識でも、邪悪な心、
冷たい心でなければ、それほどひどい
次元にいくことはないと思われます。

次回は、エベンさんがやがて天界での
導き手のような美しい女性に出会う
ところからまたご紹介していきたいと
思います。
では(^_^)

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ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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