江戸時代の日本に感動したという当時の欧米人の言葉とは?


この記事は
かつて世界最高の理想社会は
江戸時代の日本だった!?

の続編になります。

他の地域・国々に対して、極端に戦争の
少ない歴史であった日本では、戦争
ばかりの西洋や中国よりも、安定して
文化が育まれてきたという話を、ご紹介
しました。

確かに、戦争ばかりの状態で、優雅に
作曲や絵を描くわけにもいかないし、
勉学・研究にいそしむわけにもいかない
でしょうから、戦争の少ない日本で文化
レベルが高くなるのは当然という事に
なります。

文化と、文明という言い方は、混乱
しそうですが、文明というと、なんだか
未開の原始社会に対しての逆の表現と
いう感じがしますので、むしろかなり
古代に使われるべき表現だと思うの
です。
つまり、明治時代の事を「文明開化」
というような表現で形容するのは、
おそらく大衆を、欺くために使われた
表現であるだろうという事です。

文明開化という表現をすれば、明治
以前の時代は、未開の原始社会のような
印象を与える事ができるわけです。

ですが、識字率を見ても西洋より
はるかに一般大衆の教養レベルが
高かった日本が、文明未開の国だなんて
冗談でしょうーという事ですね。
しかも、そんな西洋から文明を取り
入れてようやく、文明が開化したと
いう感覚を、私たち日本人は何世代にも
渡って刷り込まれてきたわけです。

確かに兵器だけでなく、工業化や
機械化という意味での産業などは、
西洋が進んでいたといえるでしょう
けれど、その時点から自然破壊なども
同時に進んだわけだし、兵器産業は、
本来の平和な民族に必要がないし、
アジア近隣諸国からの侵略というより
そもそも欧米諸国が世界を侵略して
いった流れに乗らざるを得なかった
わけでしょうからね。要するに一番
上の層は、欧米にいるわけで、アジアが
これ以上発展して脅威にならないように
互いを争わせて、間接支配しようとした
という事です。
つまりそのためにマネーシステムを導入
させたという事です。
つまり中央銀行と、政府の頂点だけ抑えて
おけば、その国を間接支配できるという
事です。

しかし、自然と一体の世界に平和を
もたらすような、また文化レベルが最高に
高い日本の江戸時代は、明治前後に訪れた
欧米人の社会の手本にもなっていたという
事を池田整治氏の著書から、紹介したいと
思います。

『』内が引用で、~が中略です。

『では日本という国と「初めて」遭遇した
外国人は、当時の江戸をどのように見た
のであろうか?
その記録があれば、もっとも客観的な評価
を知ることができると思う。
 実は、幕末から明治初期にかけで、約
四〇〇〇人もの欧米知識人たちが、
日本近代化の教師として招かれた。~
彼らの言葉の中に、当時の江戸のすべてが
表現されていると言っても過言ではない。
渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社)
からそれを、一部抜粋・転載させて
いただく。

「地上で天国(パラダイス)あるいは極楽
にもっとも近づいている国だ。」

「その景色は、妖精のように優美で、その
美術は絶妙であり、その神のように
やさしい性質はさらに美しく、その魅力的
な態度、その礼儀正しさは、謙虚であるが
卑屈に堕することなく、精巧であるが飾る
ことはない。これこそ日本を、人生を
生き甲斐あらしめる。
 ほとんど全てのことにおいてあらゆる
他国より一段と高い地位に置くもので
ある。」
(英国詩人エドウィン・アーノルド。
明治二年来日時の歓迎会スピーチにて)

「日本人は私がこれまで会った中で、
もっとも好感の持てる国民で、日本は
貧しさや物乞いの全くない唯一の国
です。私はどんな地位であろうとも
シナへ行くのはごめんですが、日本なら
喜んで出かけます。」
(オリファント。一八五八年
日英修好通商条約締結のためのエルギン卿
使節団の一員。母国への母の手紙)

「海岸の住民も、みんな善良な人たちで
私に出会う度に親愛の場を込めた挨拶をし、
子供達は真珠色の貝をもってきてくれ
・・・根の親切と真心は、日本社会の
下層階級全体の特徴である。」

「江戸庶民の特徴:社交好きな本能、
上機嫌な素質、当意即妙の才」

「日本人の働く階級の人達の著しい特徴:
気質がさっぱりして、物に拘泥しないこと、
子供のようにいかにも天真爛漫である
こと。」
(アンベール。一八六三年、
スイス遣日使節団長)~

~「挙動の礼儀正しさ、他人への感情に
ついての思いやりは、日本人の生まれ
ながらの美徳」
(モース)

「良き立ち居振る舞いを愛するものに
とって、この「日出ずる国」ほど、
やすらぎに満ち、命をよみがえらぜて
くれ、古風な優雅があふれ、和やかで
美しい礼儀が守られている国は、
どこにもほかにありはしない・・・」
(アーノルド)~

~「彼らの無邪気・素直な親切、むきだし
だが不愉快でない好奇心、自分で楽しん
だり、人を楽しませようとする愉快な意志
は我々を気持ちよくした。一方、婦人の
美しい作法や陽気さには魅力があった。
更に通りがかりに休もうとする外国人には、
ほとんど例外なく歓待され「おはよう」
という気持ちのよい挨拶を受けた。この
挨拶は、道で出会う人、野良で働く人、
あるいは村民から絶えず受けるもの
だった」
(英国人ブック。一八八〇年)~

~「ここには詩がある。ここでは叙情詩も
牧歌ロマンスも、人が望むありとあらゆる
ものが渾然一体となって調和していた。
平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの
光景が展開されていた。」
(ヴェルナー)

「横浜から東北、北海道の陸路を四ヶ月
かけて旅したが、一度も危険を感じた事は
なかった。武士道の倫理で成り立っている
素晴らしい国。『籠かき』は、はじめ
裸同然で醜いと思ったが、彼らが醜くない
ことを知る。極めて彼らはジェントルマン
である。私は神にこれ程高潔・誠実で
明るい男達の事を忘れないでくれと祈った」
(イザラマ・バード:英国二〇歳の女性
英語教師)

 良書からのほんの一部の抜粋だが、
いかがだろうか。

(引用注:この抜粋が、あまりにも多い
のでさらに抜粋させていただきました。)

 これらのメッセージをまとめた著者の
渡辺京二氏は、この本の中で次のような
所見を述べている。
「自然に対して意識を開き、万物との照応
を自覚することによって生まれる生の充溢
は、社会の次元においても、人々の間に
強い親和と共感の感情を育てたのである。
そしてその親和と共感は、単に人間同士の
間にとどまるものではなかった。それは
生きとし生けるものに対して拡張された
のである」

 幕末に異邦人たちが目撃した徳川文明
は、一つの完成の域に達した文明だった。』

“出典:「マインドコントロール」
           池田整治 著
           ビジネス社刊”

この明治前後の4000人もの欧米の
近代化の教師は、当然欧米諸国のエリート
たちである事に注意して欲しいです。
つまり欧米の大衆レベルは、当然貧困と
搾取の只中であったという事ですね。

これは貴族ともつながる事もある市民階級
レベルの人達で、ほんの一部の裕福な層
だという事です。
つまり彼らは、日本という国はみんな心
豊かで、陽気で親切で、礼儀正しかった
という事を驚嘆とともに称賛してくれて
いるわけです。
ここでもう一つ注意が必要なのが、彼らは
市民階級ではあっても、欧米の支配層とは
全く違うという事です。
つまり日本があまりにも平和で心豊かな
理想の社会を実現している事を心良く
思わないのは、先日の記事
悪魔なんて怖がる必要はありません! 
雑記風その2
で説明したような
支配層だからこその感覚だという事なの
です。

どの時代でも、どの国でも一般の大衆レベル
は、良い性質を持つ人たちが多いのです。
このありがたい言葉を残してくれた欧米人
たちは、とても良い外国人であったわけ
ですね。

そしてまたそんな彼らが驚くほど、日本の
大衆のほぼすべての人の性質が、素晴らしい
と褒めてくれるのです。
これほどうれしい事はないでしょう。
もちろん明治に毒されてから、何世代も
隔てた、現在の日本では、
「昔から日本には、悪い奴や残虐非道な人が
いた」などとネットでたまに流れくる事も
あるのですが、その人達のセリフは、
江戸時代を失ってから、何世代もたってから
の人を「昔の人」と見立てて言っている
というわけです。

しかし、この気持ちの良い、我々を理解して
くれる外国人達には感謝したいですね。
自虐史観をたたきこまれて育った我々日本人
にとっては、最高の救いの言葉ばかりです。
もっと言ってという気にもなりますが、
あまりにも多くの言葉だったので、池田氏が
一部と言う言葉をさらに省略させていただ
きました。

江戸時代の日本では、現在の日本の社会で
失われかけている、真心や共感といった
ものを、どれだけ社会全体で、美徳として、
互いを大切にして、助け合ってきたかが
よく分かります。

これらの言葉から、江戸時代を知る
手掛かりはいくらでもあります。
前回の
かつて世界最高の理想社会は
江戸時代の日本だった!?
でも
ご紹介したように、長旅をしても、
物盗りや極悪な人に出会う事は、ほとんど
皆無であった事が、最後の女性英語教師の
言葉でよくわかりますよね。
裕福そうに見える婦人であったのに、
みんな彼女を尊重するばかりの国民性
だったという事です。

またヴェルナー氏が言ったように、人
の望む全てのものが、実現していたのが
この江戸時代の日本であったという事
です。

近代化より、強い国である事より、この
江戸時代のような社会が理想である事は
誰にでもわかるはずです。

まるでスピリチュアルの先生から、人とは
心とはこうあるべきですよと教わらなくても
江戸時代の人々は、ほぼ全員がそのような
心、性質、意識レベルを実現していたという
事です。

今日本は、彼らの手先となる事で、地位や
富を得られる一部の特権階級にとことん
まで、貧困に追い込まれていき、さらに
暴力やいじめ、パワハラなどの殺伐とした
社会に誘導され、あらゆる面で、知性も
健康も危険にさらされ、自由はどんどん
失われていくように社会の仕組みを
支配層好みの、悲嘆・苦痛・憎悪・嫌悪
争い・恐怖・冷淡などあらゆるネガティブ
なエネルギーを恒常的に生み出されるよう
に変えられているという事なのです。

つまり
悪魔なんて怖がる必要はありません! 
雑記風その2

で説明させていただいたような、彼らの
糧を得るために都合が良い社会や国民性に
変えられているという事です。

それでもまだ、彼らにとって脅威である
愛や思いやり、共感と協調精神であふれた
日本人は、まだまだ多いので、あらゆる
面で管理・支配して、日本人の心・意識・
知性を排除しようとしているというのが、
真実だという事です。

しかし江戸時代のような理想社会から、
学んで、もう一度我々が心を取り戻せば
彼らの力はたとえ手先(つまり彼らの道具
として働く政府やマスコミなど)であって
も、及ぶところではなくなるというのも
また真理なのです。

そして本当に世界の人々の手本となる
ような国のあり方を、もう一度実現
できるという事です。

しかし、彼らが驚いたのは、これだけ
ではありませんでした。
江戸時代には、現代人でも驚くような
社会システムも実現されていたという
のです。それを次回に紹介したいと思い
ます。

ではまた(^^)/

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こんなにもある輸血の危険 知らないのは致命的! 輸血より塩水その4


この記事は、
塩水は輸血より効果的!?その3 
あまりに明らかな輸血の危険性

の続編です。

前回輸血を受けると、致死的な副作用
である、輸血ショック症状(GVHD)
が起こるという危険性があるという事を
ご紹介しましたが、輸血による危険は、
まだまだ他にもあるという事です。

今回もその事を船瀬氏の著書から紹介
させていただく事にします。

なんとまずは、輸血により癌患者の
死亡率が、極端に高くなるという事
からです。

『』内か引用で~が中略です。

『輸血の42%はがん患者に行われて
いる、という。
がん手術で輸血される。すると、がん患者
は抗がん剤副作用による「貧血」が多発
する。ここでも輸血が盛んに行われる。
輸血すると、血液同士の大喧嘩で死ぬこと
もある(GVHD症候群。~)。
 つまり「輸血は免疫力を抑制する」。~
しかし、輸血による免疫作用は逆作用も
ひきおこす。
「がん手術で輸血すると、再発率が激増
する!」
これもショッキングな副作用。他人の輸血
が免疫抑制して、がん患者のがんと戦う
免疫力まで抑制してしまうからだ。
だから、「輸血はがん患者さんの予後を
不良にし、がんは急増する」
(八木田旭邦著『がん細胞が消えた』
二見書房)
輸血はがん再発促進作用があった。はやく
いえば輸血は“増がん剤”だった。その差
は歴然だ。つまり輸血手術は、がん患者を
「早死にさせる」重大副作用がある。
死因はいうまでもなくがん再発である。~

輸血で再発率4.6倍の衝撃
 がん細胞を攻撃する細胞では
NK(ナチュラルキラー)細胞が有名だ。
このNK細胞活性こそが、その患者のもつ
がんと戦う力の指標となる。活性が高いほど
がんは治りやすい。
 ところが輸血するとNK活性も激減する
のだ。
 八木田教授の実験では「輸血しないマウス
は、輸血したマウスの4~5倍のNK活性が
認められた」
 つまりがん手術で輸血すると、NK活性
(がん細胞攻撃力)は4分の1から5分の1
に激減してしまう。その分がん細胞はここぞ
とばかりに猛烈に激増し始める。~
咽頭がんで再発した患者を比較してみよう
(「南カリフォルニア大学報告書」)。

▼輸血を受けなかった人=再発率14%

▼輸血を受けた人=再発率65%

なんと4.6倍もの大差がついている。
輸血は猛烈な“発がん剤”なのだ。~

輸血するほど出血する・・・恐怖の
大ムジュン

 輸血の恐怖は「ショック死(GVHD)}
や「がん増殖」だけではない。輸血する
ほど「出血する」。この皮肉な悪循環が
患者を襲う。
 出血した患者を救うために輸血しても、
出血が加速される・・・。
 その理由は二つある。

抗凝固剤:輸血するには注射針を通すしか
ない。しかし、新鮮血は血小板などの作用
でかぐに凝固して注射針を詰まらせる。
そこで、スムースに血液が通るように
薬剤「抗凝固剤」が添加されている。
つまり患者には「固まりにくい」血液が
大量に輸血されることになる。それが、
患部や傷口からの出血を促進する。

放射線照射
:輸血「血液」や「血液製剤」に強烈な
放射線が照射されている!
 
~それはC型肝炎や薬害エイズ事件などの
多発対策だ。さらに輸血ショック死GVHD
への対策。輸血するリンパ球を放射線で
叩いて弱らせれば拒絶反応は起こらない
だろうという発想で、急遽取り入れられた。
強烈放射線で病原体ウィルスなど減菌し、
リンパ球も不活性になる。すると感染症は
防げる。拒否反応は起こらない。じつに
単純な発想から導入された。
 しかし、血液を照射する線量は上限50
グレイと半端ではない。これは人間が
確実に死亡するレベル。ウィルスや細菌
だけでなく、血球細胞も衰弱、死滅して
しまう。つまり医療現場では、瀕死の
患者に、ほとんど“死んだ”血を大量輸血
している!
「“死んだ”血液を輸血すると、患者の体
は“死んだ”血液で満たされる」
抗凝固剤と血小板の作用により輸血液は
患部や傷、皮下、さらに内臓内で果て
しなく出血する。だから、さらに医師
たちは「救命のために」、“死んだ”血液を
大量輸血する。患者の皮膚は皮下出血で
赤黒く腫れ上がる。
 もはや狂気の拷問である。こうして、
患者は悶絶の死を迎える。
悪夢の悲劇は、今日も日本中の病院で
くりかえされている。』

“出典:「日本の真相!」
           船瀬俊介著
           成甲書房刊”

今回は、輸血の危険性が、前回ご紹介した
輸血ショック症状(GVHD)だけでなく
「がん増殖」「大量出血」の危険まで
あるという事をご紹介しました。

なんと強力な放射線で、血球の衰弱または
死亡した血液が、輸血されているから、
余計に出血しやすくなるという事ですが、
むしろ死んだ血液を輸血するのに、なんの
意味があるというのだろう?
つまりすでに血液ですらない異物を混入
されているというのに等しいわけで、まず
根本的に意味がないとは思いませんか?
さらに放射線を照射したから、ショック
症状や感染症にかからないというのも、
当然間違いで、放射線を照射しても
生き延びるウィルスや菌は存在しますし、
またリンパ球も当然生き残っている
ケースもあります。
それがやはり、自身を増殖させ、さらに
患者の血液を「非自己」とみなして攻撃
し始めるわけだから、やはりGVHDの
危険性は残っているわけです。
だからGVHDという言葉が存在する
わけで、少なからずそれが起こる
ケースがあるからだという事なのです。

つまり何から何まで危険だらけなのが、
この「輸血」という医療行為だという
事です。

こういう事に詳しくない医者がほとんど
だという事から、医学や医師免許に
必要な知識というものが、どの程度の
ものか、わかっていただけるでしょうか。
彼らは、現代医療が、いかに優れている
かだけを極端に、医大や医学部などで
強調されてきたからなのです。

つまり高度な専門的知識を有している
尊敬するべき医者などという捉え方
自体が間違っているという事なの
です。

また知識があっても危険です。
なんと患者には、「抗がん剤」を処方
すると答えた医師がほぼ100%で、
同じ医師たちに、では自分や自分の
身内に抗がん剤を処方すると答えた
医師は、ほぼ皆無であった統計に出て
いるのです。
つまり知識はあっても危険な医療行為を
患者に適用するという意識レベルである
という事も、頭に入れておかなければ
なりません。
つまり、知識と意識両面での資質に
おいて、医者を、そして医療行為を盲信
する事がいかに危険かという事を
伝えたいわけです。

次回は、輸血編の最後として、そもそもの
輸血にはなんの医療基準もなかったという
事など、様々な輸血にまつわる衝撃の事実
をご紹介していきたいと思います。

ではまた(^^)

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五井野博士も見抜いてたビッグバンの矛盾点 こんなに簡単だった!


これは
五井野博士は、アインシュタインも
看破していた!

という記事の続編です。

まず最初に申し上げておきたいのは、
私が既存の知識の矛盾をどんどん記事
にしていっているのは、みなさんに
真理をお伝えしたいからなのです。
そのために「宇宙の真理編
で、矛盾する既存の知識の対極に
あるあらゆる真実の知識を記事に
していっているというわけです。

本題に入る前に、そもそもビッグバン理論が
どのようなもので、どうしてできたのかを
知らない人たちのために、かんたんな
成り立ちを説明しておきますね。
まずくわしい説明は、コンノケンイチ氏
の著書に画像つきでありますので、
引用させていただきます。

画像も含め「」内が引用で、~が中略です。

「1920年代、元ヘビー級のボクサー
だった異色の天文学者エドウィン・
ハッブルは、アメリカのウィルソン天文台
で遠方の多くの銀河を撮影、それらの赤方
偏移値を調べ、その距離をまとめてみた。
すると、その大きさは、地球からの距離と
一次比例していることがわかった。
ハップルや他の天文学者たちは、その
赤方偏移がドップラー効果に基づくもの
と解釈した(図2-3)~

(引用注:この図2-3というのは下
にある画像の事です。このあと赤方偏移と
ドップラー効果の説明がありますが、長い
ので、私が簡単に説明しておきますね。
ドップラー効果とは、たとえばパトカー
などのサイレンの音が、近づく時には
高い音で、遠ざかる時には低くなる
というように、音波の性質を示した
ものです。つまり音源が近づいてくる
時は、音波の波長が圧縮されて高く
なり、遠ざかる時には逆にその波長が
伸ばされるから低くなるという事です。
光も波の性質なので、光源が近づいて
くる時は青方へ、逆に遠ざかるときは
赤方へ偏移するのです。その偏移値を
比較する事で、その光源のスピード
も判断できるというわけです。
つまりこれがドップラー効果だと
いう事です。

要するに観測結果から、遠方の銀河
ほど、赤方偏移値が増大していて、
つまり遠ざかるスピードが増している
と考えたので、宇宙は膨張している
と考えられたのが、そもそもの始まり
です。

ですが、赤方偏移値の増大が、そのまま
宇宙の膨張につながると考えたのは、
当時の科学者たちの方で、観測者の
ハッブルは、そのような結論は短絡的
すぎると猛反対したという事です。

しかし当時アインシュタインが
「宇宙膨張説」を主張していたので、
まさにその絶妙のタイミングで、
間違った結論に導かれたという事
なのです。
その宇宙膨張説をビッグバン理論に
結びつけてしまったのが、アメリカの
物理学者ジョージ・ガモフなのです。
1948年に発表された彼の論文の
内容を、また引用の続きでご覧くだ
さい。先に図2-3とされている
画像からです)

~ガモフによれば、遠くの銀河が
示す赤方偏移をドップラー効果に
よるものと解釈すると、遠くの銀河
ほど、スピードが増大して、地球
から離れ遠ざかっていることになる。
これをフィルムを逆回転させるよう
に過去に巻き戻せば、多くの銀河は
一点の塊に集合することになる。
この塊がある瞬間ドカーンと大爆発
を起こして宇宙が誕生したという
わけである。」

“出典:「宇宙論の超トリック
       暗黒物質の正体」
         コンノケンイチ著
           ヒカルランド”

いやわけであるじゃなくって(^_^;)
なんという単純な机上の推論なんだろう、
つまり光の分析だけで、宇宙の成り立ち
まで推測できるという、その幼稚さには
あきれかえるばかりですね、
そしてその後、観測機器が格段に進歩
して、ビッグバン理論と矛盾する観測
結果が次々と発表されているのにも
かかわらず、未だに宇宙モデルの真実
として、世界に公表され続けているのは、
大衆を欺きたい一番上のものたちが、
科学界を牛耳っているからに他ならない
というわけです。
しかも誰にでもわかる、矛盾点を一つ
ここでも取り上げましょう。
この赤方偏移は、「観測地点から
一様に全て比例関係にある事を示して
いて、もし爆発の中心があるのなら
それは、観測地点がそれにあたる
というわけです。」
えーー地球がその爆発の中心ーーー?
しかし、地球の年齢は、もちろん
ビッグバン理論の137億年よりも
圧倒的に短く、40億年しかないし、
むしろそんな爆発の中心なら、まず
惑星にならずに、宇宙に拡散して
宇宙大くらいになっていなければ
なりません。
この点でも誰もおかしいと思わない
のが、私は不思議でしょうがないの
です。
実はこの矛盾点を解消する真理は
すでに私が何度も記事にしてきた
のでおわかりの方も多いとは思い
ますが、赤方偏移は、ドップラー効果
によらなくても、空間の屈折でも光波
の屈折によっても、観測されるという
事で解消するのです。
つまり観測する側から見て空間が
曲がっている事を示すのが、赤方偏移
の正体という観点が、正しかったという
わけです。
そしてその観点こそが、全ての矛盾を
解決するたった一つの鍵だったという
わけです。
この空間の屈折による赤方偏移という
のは、丸い地球の地平線に沈む
太陽をご覧になればわかりますよねー
あれは、夕方になって太陽から見える
光が、届く角度の変化で、赤く見える
ので、夕方になったら太陽が遠ざかる
からでもありませんし、朝焼けの太陽
も離れながら昇ってるわけでもあり
ませんからねー(^_^;)

そしてその空間の屈折という正しい
観点をもとにして考え出されたのが
コンノケンイチさんの宇宙モデルで
それをブラッシュアップした私の
紹介した宇宙モデルというわけです。
それは
これが真の宇宙モデルです!    
ビッグバンとは別次元の宇宙観

という記事で詳しく説明しています
のでまたご覧になってください。

では今回の本題に入ります。
前置きが長すぎましたか?(^_^;)

前回、ニュートンやアインシュタインが
他人のアイデアを横取りして、さらに
真実と間違った理論に導いた科学者で
あった事を、五井野博士が丁寧に解説
してくださいました。

その中で、ビッグバンの矛盾点にも
言及されていました。
もう一度取り上げますと

「」内が引用です。

「ジョージガモフは、『ガモフ全集』の
中でアインシュタインの相対性理論を
応用して、光のドップラー効果から宇宙
は膨張していると書いてます。
 ところが、ニュートン力学に基づくと
遠くに行けば行くほど引力が弱くなり、
星の動きが遅くなるはずですが、銀河系
や宇宙の観測事実はまったく違うわけで、
実際には遠くに行けば行くほど速くなる。
つまり現象は正反対なのです。」

“出典:「天才五井野正博士だけが知って
いるこの世の重大な真実」
     インタビュアー小笠原英晃
        ヒカルランド刊  ”

私も最近研究するはるか前の若い時分から
実は、ビッグバン理論について、完全には
納得してませんでした。
ビッグバン理論によると、
約137億年前に1点の特異点の爆発により
137億年も他の力の影響を受けずに、全て
の天体が一様に膨張したという事なのですが
そこで太陽系や銀河などのように恒常的な
サイクルで、スパイラル運行を維持する事
や、銀河同士の衝突などが、起こるはずも
ないわけで、すでに銀河系や太陽系の
ような状態とビッグバンが、同時に理解
できなくて、わからないままほっておき
ました。まあ研究熱心でなかったからでも
ありますが、最初他に何もない一点の塊が
爆発した勢いのまま137億年拡大して
いるのなら、スパイラルの動きは不可能
なはずですよねー💦
もし重力の影響を受けるからそのようになる
のだと説明する人がいても、137億年
も宇宙全体を膨張させ続けるような力に
対して、どのように重力が対抗して、その
ような形になったのか、矛盾なく説明
できる人は皆無だと思います。

しかも重力がその力より強いとするなら、
五井野博士の言われたように、天体同士
の引力の少なくなる、離れた天体どうし
は、膨張のスピードが鈍っていくはず
ですが、実際には、遠くにいけば
いくほど、速く膨張し、天体どうしが
離れていると観測されるのです。

(実際には、五井野博士も気づいておられ
ないけれど、さらに決定的なビッグバン
の矛盾を解消するための鍵もこの観測
での根本的な解釈の仕方なので、
先に説明している赤方偏移が光りの屈折を
観測したものだという事です。)

つまりこのビッグバン理論が主張している
のは、重力よりも宇宙の原初からある
ビッグバンによる膨張力の方が圧倒的に
強いという事になるのです。
どうしてそのような膨張の力に対抗
して、銀河や太陽系のようなサイクル
の状態になったかを破綻なく説明
できる人はいないでしょう。また
銀河間が一様に離れている事を前提
としたビッグバン理論が、すでに
何度も銀河が衝突している事を観測
している事でも、また矛盾点がある
のです。

またビッグバン理論がうちたてられた
頃より、テクノロジーが発達して、
さらに遠くの宇宙を観測できるように
なると、さらに大きな矛盾点が、
いくつも出て来ました。

五井野博士も著書の中で、やはり宇宙は
膨張しているたけではないと、つまり
ビッグバンが、実際の観測結果と
合っていない事を知っておられるよう
です。

しかも私はこれまでの記事で、観測結果
からの矛盾点がいくつもある事を取り
上げています。
なのに、教育やマスコミや公式の科学界
では、いまだにビッグバン理論が、
真実であるかのようにされていて、
多くの人もそれを疑問なく受け入れて
いるのです。
なぜそうなるのか、それは、人々が
「学者や教育で常識とされているもの
が、根拠や検証もなしに、長年真実だと
主張し続けるわけがない」と思い込んで
いるためです。

ですが、すでに前回の
五井野博士は、アインシュタインも
看破していた!

という記事で、五井野博士も看破して
おられたように、大衆を欺く事で一番
上の立場のものたちにメリットがある
というのが真実なのです。

だからニュートンやアインシュタイン、
ビッグバン理論や、進化論などが、
すでに真実を追究する科学者などに
より、何度も矛盾点が証明され
ながらも、教科書に堂々と載っている
というわけなのです。

ニュートンについての詳細な暴露に
ついてはまた別の記事で取り上げ
ようと思います。

ではまた(^^)/

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ上位継続中です💦

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臨死体験での光る霧は生体エネルギーのプラズマです!

あんみん

おーなおみん泣いてくれた
じゃないかーー
おにいちゃんは感動したぞー

なおみん

はあーー?
だったらなんでここでピンピン
してるのよー

あんみん

あれは演技なの演技ーー

 

なおみん

ふふーん、じゃあ私のも演技よー

あんみん

おいおいそこは泣いたで
いいんじゃねー

なおみん

何よそれー自分は演技で、
私に本気で泣いて欲しいだなんて
虫が良すぎるわよー

あんみん

ごめんごめん
でもさーなんだか妹の愛を
感じられたから
ちょっとうれいぞ

なおみん

ち、違うわよー、あれは
少なくても家のための稼ぎ頭が
いなくなる事への悲しみよーー

あんみん

はいはい
ところで、オレの身体から
何か出てなかったかーー

なおみん

そうそうそれよそれ、何よー
あのものものしい霧と電気
みたいなのはー
まさかあれ自分が神だとか
いうんだったら、もう話
聞かないかんねー

あんみん

おーなんだか、今日は
怒りっぽいなー

なおみん

乙女心をもて遊んだからよー

あんみん

ははーん
なるほどーそうかーー
うんうん♥

なおみん

なあにがなるほどよ
さっさと話なさいよっ
まったく気分の悪い

あんみん

まあまあ、悪かったよ
今度ケーキ買ってくるから

なおみん

ほんと、えーとねー、
カリスマお菓子店の
「フランソワ」で
モンブラン2個と、
イチゴのショート2つ
それから
定番チーズケーキに
自家製シュークリーム4つよ

あんみん

おいおいオレは甘いもん食べないし
いいよー

なおみん

なあにいってんのよ、これは全部
わたしの分なの、わ・た・し・の

あんみん

えーーマジっすか
しかも高くて遠いし
近所のフジ屋くらいにしといて
くれよー

なおみん

だめよ!
早くしないと読者の方
退場しちゃうわよ

あんみん

ほんとだ。
えーとあの霧の正体がプラズマで
誰にでも身体の見えない領域に
ある、生体エネルギーという
ものだよ

なおみん

えーーあれがそーなの?
じゃあ、あれが人魂とか
いわれてるわけねー

 

あんみん

そうそう察しがいいなー
ではその実例が↓だよん

臨死共有体験というのは、臨死状態にある
人のそばにいる人、または臨死状態にある
人と関係の深い人が、その人とともに、
または単独に、またはその場に居合わせた
人々全員で超常体験をすることをいいます。

そして多くの臨死共有体験の事例を集める
うちに、レイモンド・ムーディー氏は、
いくつかの共通要素があることに気づきま
した。
今回はそのうちの一つで、あんみんの真理
解明のために重要なものをお伝えしたいと
思います。それは、臨死体験者から、臨終
または、死に近い状態の時に、その人の
身体から白い霧それも光る霧のようなもの
を見たということです。
この白い霧とは、あんみんの宇宙の真理編
電磁界異常と超常現象その2
で時空転移の鍵となる現象として
白霧-電子雲を取り上げましたが、
それと同質のものだといえると思います。
つまり白霧は、プラズマ現象または
プラズマ体と呼べるもので、異次元へ
のゲートとしての役割を果たしている
と考えられます。
さてその臨死共有体験の白い霧の例を
レイモンド・ムーディー氏の著書から
引用させていただきます。

“ 私が死に関する研究を始めて以来、
私はしばしば、臨終の人の体から
「霧のようなものが立ちのぼるのを見た」
という証言に接するようになった。
これは、臨終の床に立ち会った人々が
しばしば証言しているものである。
その「霧」については、いろいろな
表現がある。ある人々はそれを「白い
煙のようだった」というし、他の人々は
「蒸気のようなものだった」と言う。
ときには、「人の形のようだった」と言う
人もいる。
いずれの場合も、それが上のほうへ立ち
上り、やがてさっと消え去ったという。
その実例として、ジョージア州のある
医師の場合をみてみよう。彼は患者の臨終
の際に体から立ち上る「霧」を二度、別の
日に目撃している。以下、その両方の場合
をみてみることによって、霧の経験に
ついて理解を深められると思う。
「私は6ヶ月に二度、臨終の患者から立ち
上る霧を目撃しました。彼ら患者は、亡く
なった時明るく光りました。目が銀色の
光で輝いて見えました。また胸のあたり
から、霧のようなものが立ち上り、空中
で浮遊しました。
私にとっては時が止まったかのようで、
その光景を目をこらして見ました。
注意深く近づいて見ました。霧は、深く
複雑な構造を持っているようでした。
幾つかの階層から成り、何かのエネル
ギーで脈打っていたのです。
でも私のこうした表現も、うまい描写
ではありません。うまく言い表せません
が、水の中で別の水が動いているような
そんな感じです。
二度目に見たときは、私はさらに、何か
見えない存在を感じました。あたかも私
のとなりに誰かが立っているような、
そしてその存在は患者の臨終の時に備え
ている、というような感覚です。
その存在が何だったか誰だったかは、
わかりません。しかし、それは患者を愛
する誰かだったのではないか、と思い
ます。それがそのとき私の持っていた
感覚でした。」
じつはこの医師は、二度目の経験の
数日後に、自分がひとりでに体外離脱
してしまう経験を持った。その前に
彼が二度の霧体験をしたのは、自分の
体外離脱体験の準備とするためでは
なかったか、とも私には思える。
体外離脱体験もまた、この医師の
世界観を大きく変えるものとなった。
彼は述べる。
「私が眠ろうとしていたとき、突然
私は、ベッドに横たわる自分の体を
下方に見おろしていました。二度の
霧体験と、この体外離脱により、私は
確信を持って、世界にはこの目で見える
以上のものがあるということができ
ます。」
つぎに、霧に関するもう一つの実例
として、ノースカロライナ州にある
ホスピスの心理学者が記しているものを
見てみよう。この心理学者は、臨死体験
の他の様々な要素と共に、霧を見る体験
についても記している。
「臨終の場面は、物質世界の事柄だけ
では説明できないものを持っています。
私は宗教的な人間ではありませんが、
ホスピスでの仕事は、生命の霊的次元に
関して、私を目覚めさせました。
誰でも、死にゆく人々を看取るこの
仕事を長く続けていれば、こうした体験
を何らかの形で、しているものと思いま
す。死にゆく人々自身が持つ死の霊的
体験は、どうも何らかの形でしばしば
周囲に漏れ、かいまみられるようです。
もしあなたが、たまたま波長が合って
その領域に踏み入ると、あなたは死者の
周囲に神聖な存在を感じ取ることになる
のです。
私はこれまでに何度も、病室の形が
変容して見えたという経験をしました。
もしそれを表現するとすれば、部屋の
中で、生きたエネルギーが脈打っていた
としか言い表せません。私は、この世の
言葉で表現できないような存在を何度も
感じました。
人の臨終の場面は、永遠をかいま見せて
くれるものです。ちょうど窓から遠景を
ながめるように、私は何度も、光をみま
した。また二度にわたって、何かの構造物
を持つ別世界を見ました。
二度とも私は、患者が雲のような形に
なって肉体を離れていく光景を見ました。
彼らが肉体から抜け出し、その別世界へ
旅立つのを見たのです。
その雲は霧のようにも見え、患者の頭
か胸のあたりに形成されました。その中
には電気のようなものも見え、ある種の
エネルギーの動きがありました。
それを私の肉眼が見ていたのかどうか
は、わかりません。しかしそれは常に
そこにあったのです。
人はしばしば、死んだ人が別世界へ
旅立つ光景を目撃することがある。-
それが私の確信です。」”
“出典:「臨死共有体験」レイモンド・
ムーディ/ポールペリー共著
堀天作 訳
ヒカルランド刊”

空間の変容などは、臨死共有体験にみら
れる別の共通要素の一つですが、人が
臨終の際に、肉体を離れて別次元に
意識を移すときには、時空のゲートが開く
ため、そのときその場の時空もゆがみが
生じるといえます。また、当然その場に
居合わせた人の、意識もその臨終の人の
意識に同調しているため、ふだんの
時空の感覚と全く別の次元を感じること
ができるせいでもあります。
今回は、死にゆく人の体から霧のような
ものが立ち上るという経験を、複数した
という人物の証言を二人も実例として取り
上げていただいたのですが、他にも
いくつもの例があり、もはや臨終の際に
霧または雲のようなものが、立ち上ると
いうのは、完全に自然現象とみていいと
思います。自然といっても、意識をとも
なった生命の別の形といってもいいと思
います。その霧はすぐに消えることが
ほとんどですが、それは消えるのでは
なく、本来の真空の状態に意識が戻った
だけの話なのです。
もちろん真空といっても、何もないわけ
ではなく、さらに無限のエネルギーや
次元の存在する場という意味です。単に
我々が感知できない領域にいったという
だけの話なのです。
そして、これまでの記事でご紹介した
東日本大震災や、チェルノブイリ
原発事故
、、バミューダトライアングルで、
時空のゲートとして働いた霧は、今回も
同じ役割を持つものとして登場しました。
その役割とは肉体から霊的な領域に入る
ための、時空のゲートとしての役割です。
そしてその霧は、真空と我々の感知する
電磁的なレベルの世界とをつなぐものに
特有のプラズマ現象だということも明らか
なのです。
二人目の証言者によれば、プラズマの性質
を特によく表現している箇所がありました
よね。霧の説明の時に、「電気のような
ものも見え、ある種のエネルギーの動きが
ありました。」という部分です。これは、
間違いなく、プラズマ現象のことだとわか
ります。プラズマエネルギーがどんなもの
か、プラズマの驚異の力その1
画像付きで、説明しているのでそちらを
ご覧ください。

また一人目の証言者が、その霧の状態
について、水の中で水が動いているよう
なエネルギーの動きを見たと表現して
いるのも、もちろん水がプラズマ現象
の一種である事を示しているからなの
です。
これは、霊的なレベルの次元は水が
象徴していると再三サビアンシンボルの
解釈で取り上げていることの裏付けにも
なっています。
これで超常現象に霧または雲のような
プラズマエネルギーが、時空のゲートと
して目撃されるということを、臨死共有
体験でもご紹介できたことになります。

なおみん

おーーなるほどーー
電気のエネルギーというのは、
プラズマがもとになっているから
霧と同時に目撃されるわけねー

あんみん

そうそうよくわかってくれた
よーだなー

なおみん

それに確かに原発事故の時のタイム
スリップでも、バミューダ海域の
失踪なんかでも、霧や光る雲やら
出て来たものねー
ぜーんぶプラズマというのなら
納得よー

あんみん

おーさすがは、なおみんしっかり
理解できてんなー
まだまだ他にも臨死体験の共通要素が
あるから紹介するよー

なおみん

ありがとう・・・
っておにいちゃん忘れてないわよね
ケーキ

あんみん

ギクッ
やっぱり覚えてたかー

なおみん

当然よ!
ではみなさん、また次回も
よろしくでーす

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
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究極の意識と一体化できるかどうかの境界とは? エベンさんの証言その5


今回の記事は特に重要です、このエベン
さんが、アニータさんと違って、
絶対意識にまでは到達していなかった
事の証明となる大事な内容になっている
からです。
というのも、この臨死体験で得た理解
の差、つまり肉体に戻ってからの体験の
話でまたその差がわかるのですが、この
レベルの差というものが非常に重要なの
です。

前回エベンさんが天使のような女性に
導かれて、天界を体験した様子を紹介
させていただきました。
そこでは、五感の感覚は分離したもの
ではなく、一体のものとして感じ
られたという事です。
分離されたものを、対象としてみる
という感覚ではなく、それと一体に
なることで、捉えるという感覚だった
ようです。
またこの天界においても音楽が重要な役割
を担っているという事がよくわかりました。
そして今回は、エベンさんがさらに高い
意識領域に移行する様子をご紹介していこう
と思います。

「」内が引用で、~は、中略です。

「さらに先へ進んでいくと、広大な虚空の
中へ入っていった。果てしない広がりが
続く全くの闇だったが、そこは限りない
安らぎも感じられた。漆黒の闇であるにも
かかわらず、光も満ち溢れていた。すぐ近く
にいる気配のする光の球体、オーブ(たま
ゆらとも言う)の一つが放射している光らし
かった。オーブはあの輝く存在の天使たちが
奏でていた調べと同じように、ほとんど
固形のようで生きていた。~
~私の場合は胎児の「母親」に相当する
ものが、宇宙とそこにあるもの全体の母体、
言い換えれば、神や創造主、根源などと
呼ばれる存在だった。
神の存在はきわめて間近に感じられ、自分
との間にまったく距離がないように思えた。
しかしそれと同時に神が無限に広大である
ことがわかり、それに対して自分がいかに
比べ物にならないほどちっぽけであるかを
思い知らされた。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この部分が特に重要で、エベンさんの
臨死体験を紹介しようとした理由につながる
ものなのです。
今ここが、エベンさんの到達した意識レベル
の限界を示しているところだからなのです。
彼はこの高次元の意識領域で神のような存在
に会ったという事ですが、それは絶対的な
存在と自分が分離したままの感覚だという事
を示しているのです。
せっかく「神の存在はきわめて間近に感じ
られ、自分との間にまったく距離がないよう
に感じられた。」という意識まで到達して
いるのにあと一歩、そのような絶対的な
意識と一体になるところまでいかなかった
という事なのです。
それまで拡大し続けていた彼の意識が、
ここでストップしてしまう事になる
のです。
ここで絶対意識になれなかったエベンさん
と比較して、それを自分のものとした
アニータさんの意識をもう一度引用
させていただきます。

“「どうして突然、すべて理解できたんだ
ろうか?」私はそれが知りたいと思いま
した。
「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」”
“出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著 
           hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

つまり彼女の謙虚な言い回しに惑わされず
に、彼女の説明をそのまま受け取れば、
アニータさんは、自分自身が絶対的な
存在そのものとなったといっていると
いう事なのです。
「えーそんな偉そうなー!」
普通そう思いますよね、その普通の感覚
こそ長年の間人類全体を苦しめてきた
「分離」の感覚なのです。
ここで絶対意識のからくりを説明します
と、アニータさんだけが、本来絶対的
存在だったという事ではなく、我々の
一人一人全員がそのような存在で
あるという事なのです。
つまり「みんな偉い!」のですが、
わかりにくいと思いますので、この宇宙に
おける全てのものは、全体とつながって
いて、またその全体そのものでもある
という事なのです。
実は宇宙の物理的モデルもそういう事に
なるのですが、それについてはまた別の
記事に書かせていただきます。
とにかく残念ながら、絶対的な存在と一体
になれなかったエベンさんは、
「自分がいかに比べ物にならないほど
ちっぽけな存在であるかを思い知らされた」
とあるように分離された小さな存在として
自分を意識することで、その絶対的存在
から離れてしまう事になるのです。
(これに対して、絶対意識に到達した
アニータさんは、肉体に自分を自身の選択
により戻すまで、その領域に留まっていま
した。)
そしてちっぽけな自分という感覚を持って
しまったエベンさんは、絶対意識領域に
留まる事ができず、この後、低次の領域に
下降してしまう事になります。

ただその前に、エベンさんは絶対的な存在
から、いろいろと教えを受けることになり
ます。
彼は、無私の愛を注ぎ、全知で全能である神
、つまりそのような絶対的な存在を自分
とは分離させて認識しており、その存在
のことを「オーム」と呼んでいます。
そしてまたその「オーム」と自分を、媒介
くれる通訳者を「オーブ」と認識して
います。
また「オーブ」は自分を天界へと導いて
くれた案内役の女性であるとも言って
ます。
これはとてもわかりやすいですね、彼は
高次元の意識を認識するようになっても、
自分を小さな「個」であるという認識
の世界からは抜け出せず、必ず媒介を
通して、高次の世界を認識するという
意識レベルのままだったということです。

つまりこれは私たちがハートチャクラなど
のゲートを媒介物として、高次の意識に
つながるのとほぼ同じレベルだということ
なのです。臨死体験でないと高い次元の
意識に移行できないのではなく、多くの
人の場合、肉体を離れた意識が、より
高次元の意識領域を感知しやすい状態に
なるということです。
もちろん邪悪な執着にまみれた魂では、
当然そんな領域を感知することはできま
せん。
そしてまた臨死体験でなくても、チャクラ
が開いた状態であれば、同様に高次の
意識領域を感知できるのだということなの
です。

認識レベルが真理に近くなり、さらに愛情
などの感情のレベルが上がれば、より
チャクラが開きやすくなるし、肉体的な
反応レベルでいえば、催眠状態、睡眠状態
アヤフアスカなどの向精神剤(幻覚剤とい
うのは私たちの日常感知している世界が
現実だとしてみた場合で、高い意識レベル
からみれば、どちらも同じ現実ですし、
どちらかというと、そのようなものを
摂取してのぞいた世界の方が真実で現実
です。)
そして臨死体験や瞑想、低呼吸、断食
恍惚感といったようなものになります。

さて次回は、エベンさんがオーブを通して
得た「オーム」からの真理についてご紹介
していきます。

ではまた(^^)/

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悪魔なんて怖がる必要はありません! 雑記風その2


丁寧に書くと、いちいち調べ物を
して根拠が確かかどうかとか
いろいろ手間な事が多いですが、
正式な感じのいつもの記事は、私は
実は苦手で、思いつくまま気の向くまま
言葉にする方が本当は、性にあってるの
です。
丁寧に書こうとすると、だんだんテーマ
からそれていくような感覚になる事も
多く、たくさん書いたけど、振り返れば
もっと書きたい事は、他にあったのに
などと思う事も結構あるので、たまに
こういう雑記風の記事をたまに入れて
いく事にしました。
そうそういつもは、できるだけ多くの方が
理解できるように、ある意味言いたい事の
前提となる記事を中心に書いていって
ます。
記事によって読まれている数が違うので、
どのあたりまで理解していただいている
かは、なんとなくわかるのです。もちろん
テーマによっては反発されていると感じる
事も。
ですが、この雑記風は、そういうみなさん
のご理解を基準にしないで、まんま言い
たい事を書くので、たぶんわからない人
も出てくると思いますので、そういう方
は、他の記事をどうぞー(^^)/
もちろんテーマによって入るカテゴリー
が変わりますので、今回は、真理のヒント
編に入れとくのが適当だと思いました。

今回気になったのは、ここんとこ、悪魔
が地球を乗っ取るとか、物騒な記事を
書いてますが、正確にいうと太古の時代
から、悪魔のような次元の生命体が地上を
牛耳っているという事の方が正確だと思い
ます。

それによく宇宙人が侵略しにくるとかいう
情報もたくさんみかけますが、そもそも
我々の狭い五感の領域の目に入るように
えっちらおっちら宇宙船がやってくるなど
という感覚は、もはやお伽噺でしかないと
思うわけです。

私がブログで紹介しているように、次元間
生命体という存在は、自分たちの存在を、
我々人類が感知できないように、五感の
領域を恐ろしく狭い範囲に縮小するという
プログラムを施しているので、我々の日常の
知覚で、感知できないようにされている
のです。

だから、一般の人の感覚でいえば「いない」
というように捉えるのも無理は、ありま
せんが、とことん研究してきたものから
すれば、確実にいるという事なのです。

ただし冒頭にも書いたように悪魔的な
そのような次元間生命体の存在なんて、本当
は怖がる必要はないという事なのです。

彼らは、ベースが邪悪な霊的な存在なので、
通常の人類が持っている愛や思いやり、
共感などの領域には存在する事ができま
せん。

これが彼らにとって致命的な欠陥なのです。

すでに申し上げたように、すべては絶対意識
と一体なので、本来すべての存在の、全ての
意識の中心には愛、それも絶対愛がある
ので、完全体です。
逆にそれがない存在は、本来の完全体では
ないという事です。
そして次元間生命体の中心にあるものが
まさに邪悪な意識という事であれば、それは
もはや完全体ではなく、本来の実体ではない
ということなのです。だから、彼らは寄生を
するという事です。つまり我々人類の
ネガティブな意識に寄生しなければ、存在
できないという不完全な存在が、我々人類の
頂点にいる支配層に寄生した、諸悪の根源
だという事です。

支配層は、つまりは太古からの王族と
呼ばれる血族にあたるわけですが、彼らは、
その邪悪な霊的存在に寄生される事で、知恵
を得て、さらに人間離れした能力も持つよう
になります。
これが支配層が、爬虫類的な存在にも変容
する
といわれるゆえんです。
太古のまだ人類の五感の領域が、今ほど狭く
なかった時代に、龍が王として君臨していた
からこそ、世界中で龍が神として祀られて
いると伝わるし、現在でも信仰が続いて
いるような民族や地域もあるのです。

日本でも逆鱗に触れるとか、長いものには
巻かれろなどという古来から伝わる言葉
に、龍が君子であった事をイメージできる
ものが残っているので、わかっていただける
人もいるかとは思います。

王族のDNAは、邪悪な次元間生命体が、
寄生できるようなプログラムを施されて
いて、我々一般の人類とは違う能力、違う
性質を持つようになっているのです。つまり
寄生している邪悪な次元間生命体は、憎悪、
悲哀、落胆、鎮痛、苦痛などのあらゆる
ネガティブエネルギーを外部から取り込む事
を糧とする存在なのです。

彼らには愛情や思いやりというような高い
次元のエネルギーは、むしろ彼らにとって
最悪の脅威となるので、人類を太古から
コントロールして、戦争や貧困、病気や
憎悪などを意図的に生み出すように人類を
誘導してきたのです。

中心に愛があるような我々人類が自然に
あのような悲劇や残虐な歴史をつくってきた
と思えますか?それこそスピリチュアルで
いう愛の存在である人類を否定するような
感性だという事です。

つまり我々がゴキブリを退治する時に、
さほど哀れみを感じないのと一緒で、彼らの
寄生する支配層は、我々人類を違う種だと
思っているのだという事なのです。

(まあ究極でいえば、これも殺傷しては
いけないとは思うけど、そこまでは
なかなか徹底しなくてねも、とりあえず
はいいと思います。なんせ、ほとんど全て
の生物種は、彼らがDNAを改ざんして
創られたものなので、魂や霊としては永遠
という事をわかってあげていれば、良い
転生や存在になればいいと思えるわけ
です。)

だから、我々の苦痛や悲しみは、彼らに
とってエネルギーなので、我々が苦しめば、
苦しむほど、また悲しめば、悲しむほど、
彼らは喜ぶという事なのです。

小さい頃から慣れ親しんだアニメや特撮は
彼らの意図がふんだんに盛り込まれていて、
真実を知れば、どのような意図があったか
わかるような事も多いのです。

特に昭和の時代の特撮ものやアニメで悪役を
演じるキャラが決まっていうのが
「ひひひ、もっと苦しめーもっと苦しむの
だー」とかいうセリフです。
みなさんも聞いた事があるでしょう。
主人公はピンチになりますが、そんな悪役
が、苦しむエネルギーを喜んでいる間に
態勢を立て直して、結局主人公が、勝って
しまうのです。

つまり悪役キャラは、支配層そのものの性質
をよく表現していたというわけです。

で、そのヒーローに我々がなればいいという
事です。武器は、愛場と思いやりそして
喜び合い、楽しみ合う共感の心など、彼ら
が嫌がる意識エネルギー全てだという事に
になります。

和をもって貴しとなす日本人が、なぜ
狙われるかもこれでわかっていただけ
たでしょうか?

彼ら支配層は、ユダヤ教を信仰しているとも
言われて、ユダヤ人などとも呼ばれますが、
もちろん民族の事ではありません。
つまりは、特権的な意識を持っている彼ら
支配層の異名であるという事です。
これとイスラエルに住むようなユダヤ
民族と呼ばれる人たちを混同してもいけ
ないという事です。

では彼らが信仰しているユダヤ教の聖典
旧約聖書にはどんな事が、書かれているか
実は日本人のほとんどの人か知らないで
しょう。そこには、彼らが特権意識を持つ
のに有利なことが書かれていたのでする
その事はまた別の記事で書かせていただき
ます。

そうそう悪魔なんて怖がる必要はない事の
理由がまだでしたね。我々は、完全体で
ある永遠の意識
ですから、彼らが
今生でどのような迷惑をかけて
きても、我々を滅ぼす事は不可能である
という事、それし、怖がったりする事
そのものが、彼らにエネルギーを与える
事になり、我々に迷惑をかけてくるので、
我々は互いを思いやり、大切な人を愛し
て守り、理解しあい、共感し合うように
していれば、世の中は、彼らの
コントロールが不可能な社会になり、
力を発揮できずに、去って行くように
なる
という事なのです。

ではまた(^^)/

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高次の領域では、五感は一体として感じる!    エベンさんの証言その4

今回は、とても長いストーリーになる
エベンさんの臨死体験のエピーソードで
五感が一体として捉えられるというもの
があります。
五感とは言っても、視覚と聴覚が一体
という事ですが、実は肉体を離れた
臨死体験者の証言の中に、観る事
や聴く事のシーンはいくつもある
のですが、味覚と嗅覚が出てくる事は
ほとんど全くない感じなのです。
おそらくより肉体的な感覚に近いのが
味覚と嗅覚なのかなと思います。
どちらもマトリックスの主要な
プログラムの一つ、食欲に強く関係
するものだからではないかと思う
のです。

しかし、臨死体験者だけでなく、
たとえばアヤフアスカを服用して
覚醒した多くの人たちも、五感を
一体のものとして捉えたという
証言をしています。

つまり肉体のプログラムに従わ
なければ、本来見えると聞くの
とは一体になるのが、本来の
私たちの能力なのではないかと
思っているわけです。

現在の我々の視覚領域と、聴覚領域
は、単位を振動数で統一すると
見事にズレているのがわかります。

以下です。

前回、エベン・アレグザンダーさんが、
幸運にも、光と音楽に導かれて天界の
ような場所に辿り着いたというところ
までご紹介しました。
そしてエベンさんは、やがて、天界
での導き手のような美しい女性に
気づきます。そして二人で蝶の羽に
乗って飛んでいくことになります。
(蝶は霊界の使者ともいわれていて、
霊のシンボルの象徴です。
サビアンシンボルにも、いくつか
出てきます。)
その女性の言葉と、連れられていった
さらなる高次元の世界についてまた
引用させていただきます。
そしてまたそれについての考察も
加えさせていただきます。
「」内が引用で、その中の~から
~までは、中略という意味です。

  ~以下引用~

「メッセージは三つの部分で構成され
ていた。それを地上の言葉で言い換えれば、
このようになる。

「あなたは永遠に愛されています」
「恐れるようなことは何もありません」
「あなたのすることには、ひとつも間違い
はありません。」
それを聞き、たとえようのない安心感が嵐
のように渦を巻いて押し寄せてきた。
生まれ落ちたときから取り組み続けていた
よくわからないゲームのルールを、初めて
教えてもらえたかのようだった。
 
「ここでいろいろなことを見せてあげ
ましょう。」
言葉を使わず、まっすぐに概念の本質を
伝えるやり方でその人は言った。
「いずれは帰ってもらいますけれど」
それについて、私の疑問はひとつだった。
どこへ帰るというのか?
これを書いているのがどのような人間で
あるのかを、思い出していただきたい。
私は、情緒的な感傷家タイプではない。
死がどういうものかを知っている。~
~物理学の専門家ではないものの、多少
の知識は持ち合わせている。妄想と
現実の違いはわきまえているつもりだ。
そんな私があいまいな輪郭しか描けずに
なんとかしてお伝えしようとしている
この話は、自分の知る限りもっとも
確かな正真正銘の現実であることを
承知しているのである。」

    ~引用終了~

冷静な医師であり、科学者でもあったエベン
さんが、この臨死状態での体験を正真正銘の
現実だといっているのだから、これは
疑うようなものではないという事が、特に
説得力を持ちます。
さて天界で出会った天使のような女性が言う
ような愛あふれる言葉は、地獄にいるような
意識には、もちろん聞こえませんし、その
ような意識に対してかけられる言葉でも
ありません。これは天界に辿り着いたエベン
さんだからこそかけられた言葉だという事
です。
愛の存在である女性が、邪悪な心で人を
傷つける行為をするものに対していう言葉
では決してないというのは、よくわかって
いただけるはずですよね?
そんなものが永遠に愛されたら、この世は
愛されるべき人が、愛のない行為でいくら
でも悲しむことになるのを認めてしまうと
いう矛盾した事になるからです。
つまり心を失ったものは、この「天界」
のようなところに来ることはないし、
上のような言葉をかけられる事もないの
です。
このことについては
臨死体験者の言葉その11が参考になります。
そして女性に導かれてエベンさんは、
さらなる高次元の世界へ移行することに
なります。

  ~以下引用~

「雲の上-上空のはるかな高みでは、
キラキラ輝く透明の光の球が、弓なりに
弧を描いて、空を横切りながら飛び交って
いた。
~上空からは、聖歌のように荘厳な大音響
が響きわたってきた。
これはあの宙を飛ぶ存在たちが、奏でて
いる音なのだろうか。その時は不思議に
思ったが、後日それを考えていたとき、
あれはあの存在たちの喜びの表現だったの
だと気がついた。
舞い飛ぶ存在たちの歓喜が溢れこぼれる
ほどに大きく、ああして「音楽にせずには
いられない」ほどのものだったのだ。
音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。
 そこでは見えるものと聞こえるものに
区別がなかった。上空で銀色にきらめいて
いる存在の美しさを「聞き取る」ことも、
その輝く存在たちがうたいあげている
喜びの炸裂を「見て取る」ことも
できた。
その世界では、なにか神秘的なかたちで
自分自身がその中に溶け込んでしまわない
限り、何も見えず、何も聞こえないように
思われた。
現在の視点に立って考えれば、あの世界
ではどんなものであれ、「対象を見る」
ことはできなかったのだろう。そこには
格助詞の「を」が表す分離の概念が
存在していなかったからである。
   
  ~引用終了~
 
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

さらに高次元の世界では、エベンさんの
五感がすでに肉体に意識がある時の
状態とは、全く異なる次元に移行して
いるのがわかります。
表現が、まるで禅問答のようにわかり
にくいのは、いかに高次元の世界を、
私たち日常の意識にいるものたちに
伝えるのが、難しいかを示しています。
鍵となるのは、見えるものと聞こえるもの
に区別がなかったというところです。
つまり高次元の意識では、五感という
区別はなく、全て一体の感覚として体験
できるという事です。
やはりここでも歓喜の聖歌のような
大音響が響きわたっていたという事ですが
高次元の世界では、やはりあらゆる場面
で美しい音楽を体験するようです。
もちろん肉体に意識がある状態での私たち
が耳にする音楽とはレベルが違うものの
ようですが、またヒントになるような表現
もしておられますね。
「音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。」
とあるのは、もちろん視覚・聴覚・触覚が
一体になったような、高次元の意識なら
ではの感覚ですが、翻訳すると音楽は
確かな存在感があって、しかもしっとり
とした音のシャワーを浴びているような
感覚というものでしょう。
ここで、みなさんの右脳に働きかけたい
と思います。
音楽にもレベルがあるという事を、五感
にはレベルがありますシリーズの記事で
説明したと思いますが、リズム感と
音色、旋律の感覚でいえば、旋律が最も
レベルが高いという事でしたが、今回は
また別の音楽の見方でのレベルです。
ドライな音楽とウェットな音楽という
レベルの分け方です。
これは右脳の感性が働く方でないと
イマイチわかりにくいかと思いますが、
ドライつまり「乾いた」音楽というもの
は、心の琴線に響かないような音楽と
いう事です。つまり情緒に訴えかける
ようなものでなく、単に「音が鳴って
いる」という感覚に近いものですね。
どんな音楽があてはまるかは、個人に
よって変わりますので、みなさんの
感覚におまかせします。
逆にウエットつまりこの時のような
「濡れる」ような「湿った」ような
水を連想させる音楽というものは、
心の琴線に響くような音楽という事
です。
この高次元の世界でエベンさんが聴いた
音楽というのは、雨のような「ウェット」
な音楽という事で、心の琴線に触れる
ようなものだったということが、
いいたかったわけです。
おそらくこれを読んでいただいている
ような方たちにはわかっていただける
と思って、右脳に直接働きかけるような
説明をさせていただきました。
つまり高次元の意識で聴く「ウェット」
な音楽は、やはり私たちが聴く音楽の
レベルにもあてはめることができる
という事です。

さて対象を見ることができないのに上空
に神秘的なものが存在したりすると認識
するというのは、またしても、矛盾して
いるように思えますが、実はこの上方に
高次元の世界があるという感覚は、
ふだん肉体のあるうちから私たちが
ほとんど無自覚に体験しているもの
なのです。
臨死体験の意識になったからといって、
日常の意識とは別の存在になったのでは
なく、意識のレベルが変わっただけだ
という事なのです。
どういうことなのかといいますと、
それは私たちが肉体のある状態で高次元
の意識にアクセス(または移行)する時に
チャクラというゲートを通すことになり
ます。
心臓のあるあたりのハートチャクラを
中心として高次のレベルにアクセスする
ために、眉間のチャクラ、また頭頂の
チャクラと連携する事が肝要なのですが、
それが「上方に高い意識レベルがある」
という感覚につながっているという事
なのです。
7つないし12のチャクラがあると
されていますが、12のチャクラの場合
肉体の頭より、離れて上空にさらに
高いチャクラがあるというようにも
言われています。
となるとますます高い場所に高次元の
世界があるような感覚になるわけですね。
つまりエベンさんは、肉体に意識がある時
に無自覚に得ていた、高次元への感覚を
この臨死体験領域に持ち込んでいた
という事になります。
また眉間のチャクラと頭頂のチャクラの
中心となる位置には、松果体があるので、
「魂の座」と呼ばれ、高い意識とつながる
といわれている松果体は、やはりチャクラ
と密接につながっている器官という事が
わかります。

さて次回はさらに高いレベルの世界に
いくエベンさんの様子をご紹介します。
とにかく一週間も昏睡状態が続いていた
エベンさんの臨死体験は長いのです。
ですが、だからこそ私たちのヒントに
なるようなことがたくさん得られると
いう事でもあります。
ではまた(^^)/

そうそう今回の記事にあった霊的な蝶の
シンボルのイラスト最近アップしたばかり
ですが、気に入ってるので載せて
おきますね(^^)/
一応今回エベンさんが出会った女性と
ともに蝶に乗っているのでそのつながり
ということです。

ではまた(^^)/

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現世(うつしよ)とは、天界の鏡の世界だった!? エベンさんの証言その3


臨死体験者たちの多くが、天界のような
場所を訪れたという証言をしているのは、
実は、私たちの本来の世界に回帰した
という事なのです。
今回の記事にもありますが、エベンさん
が、まるで懐かしい場所に戻ってきた
ような感覚を覚えると語ったのは、それが
本来の居場所で、そこに戻ってきたと
いう事を示しているわけです。
そして私たちが経験している、ネガティブ
エネルギーが恒常的に生み出されるような
現実世界は、その本来の世界を粗悪な形
でコピーしただけのものというのが、
真実なのですが、そのコピーこそ、
月や土星によるマトリックスというもの
なのです。
元記事では、このコピーの世界について
別記事で説明すると書いてますが、
今回はその記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
も合わせて
投稿しておきますのでご覧くださいね。

ただし今回の記事で誤解されやすいのが、
私が、その天界にいく事を進めて、
人生を放棄するように促しているように
思われてしまう事です。
全然そういう事ではないのです、
そうではなくて、私たちの本来の場所
を意識できるようになれば、肉体が
生み出しているネガティブな偽の意識に
囚われずに、この人生で、その天界の
意識を投影していき、幸福な人生に
変えていけるという事を、説明しようと
しているわけなのです。

前回エベン・アレクサンダーさんが
臨死体験の最初のステージである地獄
のような場所から、見たこともない
ような光や聴いた事もない音楽に
導かれて脱出できたというところまで
ご紹介しました。
別世界に導かれてエベンさんがみた
ものは、何だったのか。
今回はその事について、またエベンさん
の著書から引用させていただきながら、
考察を加えていきたいと思います。
「」内が引用です。

    ~以下引用抜粋~
「まぶしく輝き、活気に満ちて、うっとり
させられる。目が眩むような・・・どれほど
形容詞を連ねてみても、その情景と感動は
表現しきれない。~
~下には田園風景が広がっていた。青々と
したみずみずしい緑の・・・地面。
地面ではあったが、同時にそれは地面では
なかった。~
~未知の場所、それとも忘れていたはずの
場所なのだが、見回すと妙に心惹かれる
ものがある。深い部分のどこかが、いまでも
そこを忘れておらず、戻ってきたことを
喜んでいる。そんな場所だった。
 私は木や野原、小川や滝を見おろしながら
飛んでいた。あちこちに人の姿も見えた。
楽しそうに遊んでいる子供たちの姿も
あった。
みんなで輪になって歌い、踊っている。
犬がその足元で嬉しそうに跳ね回っている。
人々は質素だが優美な服をまとい、服は
周囲の緑や花々の潤いを映し出す色合いを
していた。
 ただ美しい、夢のような世界・・・」

    ~引用終了~
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この夢のような天界のような世界を、エベン
さんは、「戻ってきたような世界」として
認識しているところに注目していただきたい
のです。
つまりは、この高次元の世界が、本来
の我々の世界なのです。実は、私たちが、
今生で体験している人生としての現実は、
この本来の世界の「BAD COPY」
つまり、本物にみせかけた偽の現実だと
いう事なのです。この事は、古来からの
伝説にもありますが、それか今回
同時に投稿させていただいた記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
に書かれて
いるという事なのです。

さて本来の世界は、このように愛する人
たちと、美しい自然のなかで、歌ったり、
踊ったりしている天界のような風景で
あり、これが我々のいるべき世界だという
事なのです。
ここで、振り返って、生きている間の夢
やイメージと比べれば、どれだけの
意識レベルかを測る目安にもなるのです。
たとえば、普段から「お金」「名声」
「地位」「称賛」「贅沢な生活」「豪華な
住まい」「快楽を求めるのみの性欲」
「宝石や高価な物」などをイメージするか
、「美しい自然」「美しい音楽」
「愛する人」「愛する人たちと喜びや
楽しみ、笑いなどを分かち合うこと」
「情のかようあたたかい生活」「友情」
「仲間との絆」「生きがいや、やりがい
に対する情熱」などをイメージするかで
肉体を離れたあとに、どれだけ高次元に
いけるかも変わってくるという事です。
まあ具体的でなくとも、愛があり、美しい
ものや楽しい事や、分かち合うことが望み
につながっているのなら、やはり天界に
いける可能性は高いという事です。
ただ先にあげた方の意識でも、邪悪な心、
冷たい心でなければ、それほどひどい
次元にいくことはないと思われます。

次回は、エベンさんがやがて天界での
導き手のような美しい女性に出会う
ところからまたご紹介していきたいと
思います。
では(^_^)

ではまた(^^)/

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かつて世界最高の理想社会は江戸時代の日本だった!?


最近では、いろんな情報が出回る
ようになって、真実の歴史、マスコミ
や教育などの誘導にひっかからない人
たちが、かなり増えてきたと思います。
そういう方は、とても柔軟な感性を
お持ちなので、常識からすれば、一見
変わっているように思える私の記事も
読んでいただける方が増えて大変
うれしく思っています。

これまでの記事でも、日本民族が優秀な
ゆえに世界の支配層にターゲットにされて
きたという事を再三説明してきましたが、
そのような見方ができる人も、今では
かなり多いと思います。

かつて、欧米の世界戦略に真っ向から
対抗できたのが、唯一戦国時代の日本
であったという事も、彼らの日本に
対する嫌悪感を強くしたものでしょう。
しかし、本当の狙いはそこではなかった
のです。
最近でも世界の支配層や各国の政治家が
「新世界秩序」(ニューワールド・
オーダー)という世界の、体制づくりを
声高に提唱しているのを、ご存知の人も
多いでしょう。
これは簡単にいえば、一番上の支配層に
よる、全世界の人々の完全管理社会を
実現させようという事です。
詳しい事は、みなさんで調べてください
ね。
つまりは超完全な縦社会の実現の実現
が、彼らの狙いだという事です。

それに対して、日本民族は、かつて
聖徳太子が掲げたスローガンにも
あったように「和をもって尊しなす」
という言葉を、常に心に抱いて歴史を
創ってきた民族です。つまり完全な
「横社会」を理想とする民族だと
いう事です。そしてまたその理想の
社会が、江戸時代の日本でもあったの
です。

その事をとてもわかりやすく書いて
おられる池田整治氏の著書から
引用させて、いただきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「そもそもなぜ彼らは、そこまでして
日本を叩こうとするのだろうか?
そう純粋に疑問に思われる方も少なく
ないと思う。
それは日本民族が、エゴに基づく戦争
と殺伐とした競争社会とは反対に位置
する、宇宙の摂理である自然との
一体感・共生の心豊かな文明を築く
可能性があるからである。
 というよりもかつて日本民族のみが
「江戸」という、二六〇年ほどの間、
一切戦争のない
「人情味豊かで高度な社会」を世界史上
初めて体現していたからだ。さらに
その奥をたどれば、和をもって尊しと
なすを貴重とする「ヤマト」があり、
その源には一万年も戦いがなく、自然
と一体化して生きていた世界唯一の土の
文化「縄文」が存在する。
 戦争が人類の進化に貢献したという
視点は、「彼ら」の学術上のマインド
コントロールに過ぎない。では、
戦争ばかり繰り返していた欧州や
中国大陸で、本当に文化・文明が
継続進化しただろうか?T~

欧州の歴史も、武力による国境線変更
の歴史であり、豊かな生活を享受できた
のは王族や貴族のみで、民衆は日本の
レベルから見れば、「農奴・囚人」の
域を出なかった。もっともオスマン帝国
が衰退するまでは、欧州は貧しく、白人
が奴隷にされていたという事実さえ、
日本人の多くが知らないかも知れない。

(引用注:これが、中東の民族どうしの
争いをけしかけるように、両方の勢力に
あます事なく武器を提供し、また中東を
とことん、戦争漬けに誘導してきた、
支配層のモチベーションなのでしょうね)

国家を見ても同じことが言える。
中国四千年の歴史という「虚構=嘘」の
実態は、度重なる異民族による侵略・
略奪・支配の歴史であり、そこでは
人間的文化が断裂しており、人間性
豊かな社会を育む余地はなかった。~

二〇一〇年秋、『実話 病父を訪ねて
三百里』(新日本文芸協会刊、
橋本留美著)という本が出版された。
 
 江戸時代、亡き妻の供養のために
親鸞聖人の足跡をたどるお寺参りの
旅に出たまま、七年間行方不明と
なっていた父が、常陸(茨城)のお寺
で病床に伏していることを知った
二人の若い姉妹が、豊後(大分)から
迎えに行き、無事、三人で帰郷した
という感動の実話である。
 資料もしっかり、残っており、
「豊後国の二孝女物語」として昔から
伝えられていたものを、橋本さんが
江戸の人情を伝える物語として改めて
世に出した。
 貧農の娘二人が、徒歩で片道一二〇〇
キロメートルを歩いただけでも信じられ
ない。時代劇ではつきものの野盗などに
殺される可能性も高い。それに関所を
通るだけでも、かなりの難事だった時代
である。~

 しかし、娘たちの父親を思う心に行く
先々の人々が心を打たれ、家に泊めたり等
でき得る限りの「もてなし」をする。感動
した武士が、わざわざ向かう先の藩に手紙
を書き、便宜を図る。厳しい検査で鬼より
怖いと伝えられている箱根の関所の役人が
、聴聞するうちに涙を流して感動し、
それからの旅の安全に手を尽くすのだ。
 病床に伏している常陸のお寺の町の人々
の「おもてなし」も感動ものである。
貧しい農家の人々も、当時はお金そのもの
だった「米びつ」を空にしてまで支援する。
医者たちも無料で施療する。父の病状が
回復し、いよいよ豊後に親子三人で帰る
という時には、最下層の貧農階級の人で
さえ達筆の和歌をプレゼントする。

 ちなみに当時の欧州はと言えば、農民
はまさに藁葺きの中で雑魚寝し、文字を
読む事も書く事もできない「農奴」
だった。他の地域はその欧州列強に
四〇〇年にわたって植民地化され、
もっとひどい非人間的社会だった。
日本は世界で唯一、自然と一体化し、
人間性豊かな先進国家だったのだ。
 この事実は私たちが想像する以上に
思い。」

“出典:「マインドコントロール2」
         池田整治 著
         ビジネス社刊”

なるほど、以前の記事でも取り上げた
明治時代直前の江戸時代の日本では
識字率が90%ほどで、欧州では
都市部でも一割に満たないくらい
だったという事もこの事でわかり
ますね。

もちろん野蛮な人もいなかった
わけではないだろうけど、江戸時代
日本は、世界で他にみられないほどの
人情味あふれる社会を実現していた
という事ですね。

実は、江戸時代の日本をかつて、
欧米人はお手本としていたという事
なのです。その事も次回取り上げ
ますが、文化レベルにおいても、
江戸時代が世界最高レベルであった
ことを裏付ける事例はいくらでも
あるので、またどんどん記事で取り
上げていこうと思います。

今回よくよくわかったのは、日本は
世界でも類例のないほど戦争の
ほとんどない国だったという事です。
そして詳細にみれば、明治維新で
欧米が日本にもたらしてくれたもの
は、文明というよりは、近代兵器で
あって、この分野なら確かに戦争
ばかりしてきた彼らが、世界一と
位置づけるレベルのテクノロジーを
有していたからなのでしょう。

事実戦国時代でも火縄銃の伝来が
最も当時の日本人にとって衝撃的
だったという事です。

ではまた(^^)/

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塩水は輸血より効果的!?その3 あまりに明らかな輸血の危険性


この記事は、
塩水は輸血より効果的!?    
その真相と理由とは?


歴史から消された偉大な医者 
それはルネ・カントンです
という記事の続編にあたります。

つまり前回のカントンについての記事は、
タイトルにしてませんが
塩水は輸血より効果的!?その2
という事ですね。

ようやく輸血の危険性についてお話し
します。
ただこれまでの記事で、塩水や海水が
身体にとってとても良いもので、輸血
が必要なものではないという事は、
よくわかっていただいたと思いますが、
今回の輸血の危険性の記事を読んで
いただければ、必要がないどころか、
輸血を受けては絶対にいけないという
気持ちになっていただけると思います。

さてでは具体的にどのような危険がある
のか、船瀬俊介氏の著書から引用させて
いただきましょう。まずは輸血をする事
によって拒否反応が起こる事から
発症する輸血ショック症状(GVHD)
についての部分からです。

『』内が引用で、~が中略になります。

『この症状を知る医者は少ない。それは
輸血ショック症状、正式には
「移植片対宿主反応」(GVHD)と
呼ばれる。
「治療として輸血、血液製剤投与や
骨髄移植などが行われたときに発症する」
その発症メカニズムはー
「輸血した血のなかのリンパ球が増殖
して、患者(宿主)のリンパ球や
細胞内皮系(免疫系細胞)を攻撃した
ときに起こる症状。発症すると100%
助からない」(医学専門書)
 つまり、「移植片のリンパ球が生き
続けると、このリンパ球は、移植を
受けた人を『非自己』とみて排除しよう
とする。こうして宿主(患者)の血液に
入った移植片のリンパ球が増殖し、全身
にまわると、宿主の組織は主要組織適合抗原
という目印がついているので、これを攻撃し、
いろいろな症状が起こってくる」
(『家庭の医学大事典』)

(引用注:なんと、輸血のために注入
された血液は、輸血を受けた人の血液を
非自己とみなして攻撃するという
のです。これは、全く一般の人が知ら
ない盲点でしょう。)

 その症状はー「輸血や骨髄移植後、
しばらくすると、皮ふの表面全体に
赤い斑点があらわれ、高熱が出る。
下痢、肝臓障害が続発。うらゆる血球
が減少し、貧血により衰弱。それだけ
でなく感染症や出血がおこりやすく
なる」「約1ヶ月後には、多くの臓器
が破壊され(多臓器不全)で死亡する。」
(同書より要訳)。
 恐ろしいのは「有効な治療法がない」
ということ。内海聡医師(内科医)は、
証言する。~

輸血には、このような致命的副作用が
隠されている。血液型が同じでも
起こり得る。しかし、このGVHDを
全く知らない医者も多い。恐ろしい
話だ。

(こんな致命的な症状を輸血が起こす
という症状を、専門的な知識を持つ
医者達が知らないはずはないと、
思われている方が多いと思いますが、
意外に医者は、薬や治療法について
の危険性について、知らない事も
多いのです。盲目に信じたい気持ちは
わかりますが、お金儲けが優先の
社会で裕福な家に生まれて、エリート
コースを歩んできた人たちに、患者の
命や健康を扱う事の尊さと責任感が
時代を経る毎に悪化してきているのは
まぎれもない事実です。
抗がん剤は、危険だと知っている
医者たちが、患者にはほぼ、100%
確実に使用させるのに、その医者たちの
ほぼ100%は、それを自分や自分の
家族には使用しないという統計が出る
のも、どれほどの責任感を持っている
かよくわかる事実でしょう。)

このGVHD症状を具体的に見て
ほしい。
「あらゆる血球が減少」とある。
これは、いわゆる「貧血」症状だ。
輸血したのに、血球が減って「貧血
になる!医者はさらに焦って輸血
する。すると・・・また「貧血」は
悪化する・・・さらに輸血。
恐ろしい悪循環だ。
 輸血がさらに致命的症状を悪化させる。
「何がなんだかわからない」
医者はパニックになる。患者は地獄の
苦しみへ突き落とされる。さらに
GVHD症状に「出血がおこりやすく
なる」とある。
あらゆる血球ー赤血球、白血球、血小板
などが激減する
だから出血が加速される。』

“出典:「日本の真相!」
           船瀬俊介著
           成甲書房刊”

なんという恐ろしい事でしょうか。
一般の人は、出血したら当然輸血する
ものだと信じて生きてこられたはず
です。医者は、輸血によって死亡した
などとは、一切診断書に書かないし、
統計でも表れず、公表される事も
ないからですが、この事実を知らない
という事は、まさに人々にとって
致命的といえるでしょう。

もちろんマスコミも、実は医療業界に
とってマイナスとなるような事は、
タブーとされているので、ほとんど
報道されません。もちろん、一般の人に
多く知られてしまった場合は、しぶしぶ
報道したりしますが、それは、マスコミ
を信用させるために、人々を引き続き
欺いておくためです。
だから、今でもテレビなどでは、
抗がん剤の危険性などを取り上げる
事もほとんどないのです。

抗がん剤も輸血もとても儲かるもの
だからなのです。

しかも輸血によるこの致命的なGVHD
というショック症状は、とても高確率で
起こるもので、しかも助かる事はほぼ
皆無だという事です。

1873年のポーランドの医師が、暴露
したのが、「輸血された人の半数以上が
死亡している」という衝撃的なもの
でした。

このような危険性を知らずに輸血する
医者が多いというのが、現代の
医療業界の致命的な実態なのです。

実はABO式の血液型というのは、
この場合役に立たず、実際には人の血液
は、人によって全て違うものだそうです。
つまり、どの人の血液であろうと他人の
血液に注入されれば、その他人の血液を
「非自己」として、その人の血液に
とって最重要なリンパ球や免疫細胞を
攻撃して、どんどん身体を危険な状態
にしていくという事なのです。
そして最終的に臓器不全に至るという
事は、人は自分特有の血液が、生命線
であるという事も示しているのです。
その大事な血液を、他人からの輸血で
補おうとしたら、危険な状態にして
さらに出血もひどくなり、健全な
自分の血液がどんどん奪われていく
というのが事実だったという事なの
です。
もちろんこのGVHDは、起こらない
ケースもありますが、かなりの確率で
起こるようでもあります。つまり輸血
は、確実な死にいたるケースが、かなり
の確率であるという事です。
逆に、塩水を補填するだけで、自分の
血液は短時間で回復するというの
だから、これを知れば、もはや輸血を
受ける必要はないという事がわかって
いただけるでしょう。
つまり「輸血同意書」にサインをして
はいけないという事です。

さて輸血の危険性は、このGVHD
以外にもまだまだあるようなので、
次回はその事を記事にしていこうと
思います。

ではまた(^^)

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