この記事は
弾圧により消されたグノーシス主義が
語った真実とは?
という記事の続編にあたります。
前回、古代キリスト教に大きく影響を
与えていたというグノーシスの思想が、
ローマカトリック教会に弾圧されて
しまったという事を、ご紹介しましたが
今回は具体的にグノーシス思想とは、
どういうものかを、またアイク氏の著書
からの引用と、参考にしての要訳で
ご紹介していこうと思います。
まずは、最初は要点から取り上げて
いきたいと思います。
つまり参考文献としてアイク氏の著書
から得られた情報なので、引用部分に
ついては『』で区切りますね。
また古代の宗教書なので表現がイマイチ
伝わりにくいようなので、今回は
しっかり注釈でわかりやすく解説
しています。
「」内参考文献より要訳
「 まずは、ナグハマディ文書の
無題のテキストには、至高の存在に
ついて書かれています。
このあたりは、キリスト教に影響を
与えているだけあって、少し宗教色が
強いかと思います。
そこに書かれている至高の存在のことを
父と呼んでいますが、全ての認識で、
やはり全ての存在を内包している存在
だという事です。
これがアイク氏や私が言う究極の存在
であるワンネスであり、全ての認識、
絶対意識でもあるという事と一致する
というわけです。
しかし、どうにもそういう存在に、肉体の
マトリックスでもある、「父」という呼称
が似つかわしくないと考えたので、
そのまま引用する事を控えたという事
でもあります。
アイク氏も現代人にとっては、もっと
現代的な喩えにしてもいいだろうと
言ってます。
そしてまたこの父は、聖書や教会に取り
込まれたことで、「彼」から
「玉座に座る男」に変えられたという
事ですが、つまりは、なぜか人間的な
権力者のイメージに成り下がってますね。
とにかく、そのワンネスである父から
発される意識として「アイオーン」
というものがあるらしく。
要するにワンネスという無限の意識から
生まれた、意識の投影でもあるという事
です。
現代では「アイオーン」という言葉は、
永遠を意味するものとされていますが、
グノーシス派では、知覚と現実と潜在能力
をひとまとめにしたようなものです。
しかしここからが重要で、グノーシス派の
文書では、「高次アイオーン」と
「低次アイオーン」というように
分けられていて、両者の間には、
カーテンつまり境界またはヴェールが
あるというのです。
要するにワンネスの投影されたものは
このように大きく二つに分かれて
いますが、低次アイオーンは、その
至高の存在から直接発せられたもの
でなく、あくまでも高次アイオーン
という至高の存在の投影物から、
さらに生み出されたものです。
つまり投影意識の生み出した、分離
意識だという事ですね。
この低次アイオーンがあとで非常に
重要になってきます。
その前に高次アイオーンについての
説明をアイク氏の著書から引用
させていただきます。
『』内が引用で、~が中略です。
『 高次アイオーンは、「全一」
(自己認識状態にある〈存在する
すべて〉)から直接に発散され、
創造者ないし発散者のワンネスを
表す同心円で象徴される。
(引用注:結局究極の存在から
発せられたものではあるけれど、
まだ一体のままで、創造者その
ものである事には変わりがない
ようです。)
そこには、分割もなければ感覚もない。
また高次アイオーンは、グノーシス派
では「淡い光」の「沈黙」「静かな
沈黙」「生きている沈黙」と表現されて
いる~
ここでいう光は、わたしたちが現実世界
で知覚する光と同じではない。
水もこの文書ではよく使われていて、
たとえば「・・・・上にある水」とか
「・・・生きている水の中のアイオーン」
といった具合に全一性(ワンネス)による
高次アイオーンの領域を象徴している。
(引用注:ここで水が出て来ましたね。
私も再三水についての記事を書いて
きました。水は、プラズマエネルギー
でもあり、また潜在意識領域の媒体、
霊的な海、さらに高次の領域を示す
と説明してきましたが、やはり
古代グノーシスでも水を非常に重要な
ものとして使用していますね。
つまりここでは、アイオーンの存在する
領域だという事です。
また沈黙という表現もアイク氏が
アヤフアスカを服用して、ワンネス
また絶対意識を体験した時に、それを
「沈黙」と表現していたので、やはり
同じものを指しているという事です。)
高次アイオーンは時間も空間もない
現実(存在)だ。~高次アイオーンは
純粋な意識ないし認識で、
プレーローマと呼ばれる。
意味は「父の発散」の「全体性」
「充足性」「完全性」だ。~
同じく『三部の教え』という文書
にはこんな記述がある。
全体性の発散は存在するものから
出て存在するが、発散を生じさせた
ものから解き放たれたもののように
、互いに分離しているわけではない。
そうではなく、発生とは、父が自分の
愛する者へと自身を拡張するときの
拡張プロセスのようなものである。
それゆえ父から生まれたものもまた
父となる。
(引用注:ここでちゃんとわかりやすく
ご説明しますね。父などと表現される
と混乱しますね。要するに絶対意識が
自分を拡大するために高次アイオーン
を投影したという事で、その投影で
ある高次アイオーンもまた絶対意識
だという事です。
つまりは、私たちのの本来の意識も
同じく絶対意識と一体なので、
グノーシスでいうところの
高次アイオーンは、我々の本来の
姿でもあるという事なのです。
そして次に、グノーシス思想での
父と母とはどういうものかについての
説明があります。できれば、父と母
というたとえを用いて欲しくは
なかったですけどね。)
要するに〈無限の想像力〉の領域
であり、したがって〈すべての
可能性〉〈すべての潜在能力〉の
領域でもある。グノーシス派は
〈無限の創造力〉を〈父〉で、
〈思考〉を母で象徴していた。
この二つの相互作用によって、
第三の力である〈想像された創造〉
または〈拡張〉または〈自身の反射〉
が生まれ、それを〈息子〉で象徴
させた。~
ここから、いわゆる「創造物」が出現
した。〈無限の認識〉の想像したものと
同じ〈無限の認識〉の拡張物である
創造物から、である。
グノーシス文書には、名前をつける
ことで〈無限の想像力〉の創造物は
実在となったと書かれている。~
高次アイオーンは究極の〈創造者〉、
言い替えれば創造力ないし、創造的
想像力の領域だと聞けば、次の
ような疑問が湧いてくる。
もしそれが正しいのなら、現実世界
に住む多くの人々にとって、なぜ
人生はこれほど不愉快なもの、
ときには耐え難いほど辛いものでさえ
あるのだろうか-その答えは
こうだ。』 」
“『』内出典、さらに〈〉内の参考文献
はともに
「今知っておくべき重大なはかりごと➀」
デービッド・アイク著
本多繁邦 訳
ヒカルランド刊”
この答えは次回になります(^^)/
これは本当にわかりやすく説明させて
いただかないと伝わらないと思います。
すでに読まれた多くの人が混乱しそう
な説明だからです。
これはアイク氏が悪いのではなく、
私たちの感覚が、本来の絶対意識を
イメージしにくいからです。
まずとうとう母が出てまいり
ましたね。この母も無限の認識
つまりワンネスから生まれた
高次アイオーンには違いない
のですが、ちょっとだけ性質が違う
事のようです。つまりそれが
「思考」だという事です。
のちの説明では「知恵」とも
呼ばれています。
とにかくこの性質がのちに重要な
意味を持ってくるという事ですが、
この「思考」は私たちが、普段使用
しているものとは、まったく別次元の
思考だと考えて良いです。いわば
絶対意識の「思考」なので、究極の
「思考」でもあるという事です。
そしてこの思考である母と、無限の
創造的想像力である父から、息子
という「実在」が生まれたという事
です。
とにかく説明をややこしくしている
のは、グノーシス文書が表現する
父、母、息子というたとえなのです。
それをとっぱらって説明しますね。
要するに、創造的想像力と思考から
実在が生まれたという事です。
しかし、それらすべて究極の絶対意識から
生まれたのなら、なぜ私たちの人生は
思うにまかせないもので、苦しかったり
辛かったり、ときに悲劇でさえあるのか
という事です。
それを次回に説明していきたいと
思います。
ではまた(^^)/