江戸時代は「鎖国」でなかった!西洋科学の知識は積極的に導入されていたというのが真実


この記事は
江戸時代の識字率は世界ダントツ!
それを支えたのが寺子屋制度だった!

の続編です。

江戸時代は、文化の断絶という、
一般的な見方とは全く違って、
積極的に西洋科学の知識や
文化が取り入れられた時代だった
というのが真実なのです。
今回そのことを詳しく説明させて
いたただこうと思います。

もちろん彼らの悪い影響を拒絶する
という意味での、制限は確かにあり
それを指して鎖国と呼ばれてきた
わけです。
つまり私たちの国を防衛するために
行った制限だったというわけです。

だから他国の文化の拒絶というもの
などではなく、それは西洋側からの
見方をたたき込まれた私たちの勘違い
でしかなかったという事なのです。

さて西洋の科学や文化などを吸収して
いったという江戸時代について詳しい、
徳川家の子孫でもある徳川宗英様の
著書よりいつものように引用させて
いただきます。

『』内が引用で、~が中略です。

海外貿易・技術導入を進めた家康

~「鎖国という言葉のインパクトが
強烈なせいか、徳川幕府は海外文化を
すべて拒絶したようにいわれることが
あるが、けっしてそんなことはない。
オランダや中国(明・清)を介して入った
西洋科学が、日本独自の和算や職人のワザ
と結んで実らせた果実は、みなさんが
想像する以上に多く、維新後の文化発展
にも大きな影響を与えた。
たとえば西陣織は日本独自の技術だと
思っている人が多いが、実はフランスから
導入したものだ。飛鳥時代に大陸から
伝来した高機(たかはた)という技術が
長く用いられていたが、明治五年
(一九七二)にいち早く職人をリヨンに
派遣し、ジャガード織の技術と織機を
導入した。江戸時代から海外の先進技術
を積極的にな導入してきた下地がわが国
にあったからこそ、こういう大胆なことが
できたのだと思う。
そもそも、幕府の創設者である家康は、
海外の文化に深い関心を寄せていた。
関ヶ原の戦いの年に漂着した
ウイリアム・アダムズ(三浦按針)と
ヤン・ヨーステン(耶揚子 やようす)
を外交顧問に召し抱え、二人を通じて
東インド会社の存在を知り、西洋の
幾何学や地理学の話を聞いて楽しんで
いた。

(引用注:
この東インド会社というのが、
当時のイギリスのビクトリア女王の
認可を得て、インドでアヘンを
栽培するために、インド人から搾取
しまくっていた超ブラックな会社で
もちろんアヘン戦争の原因の一つと
なつた会社の事ですが、この時の
顧問たちを介して、無害にも関わる
事ができたという事なのでしょう。)

信長や秀吉にも南蛮趣味はあったが、
外国人を政治の中枢におくほどの
国際感覚はなかった。
家康は、海外貿易や技術導入にも
意欲的で、スペインに対して、
キリスト教の伝道を認める代わりに
日本と本格的貿易を開始し、鉱山
技術者も送るによう何度も要請して
いた。ポルトガルとスペインを競争
させて日本に有利に貿易を進め、
スペインがメキシコの銀山で培った
技術を導入しようと考えていた
らしい。西欧の大国を対等に見ていた
のだ。
 これに関して評論家の山本七平さんは、
著書『徳川家康』のなかで、「日本が
西欧に劣等感と恐怖感を抱いたのは、
明治以降のことで、家康にはそれが
全くなかった」と、指摘されている。
ではなぜ幕府はいわゆる「鎖国」に
踏み切ったのか?最大の理由は、
キリスト教の布教を黙認していると
当時ヨーロッパでおきていた宗教戦争
に巻き込まれる恐れがあったからだ。
ためしに、日本史と世界史の年表を
並べて見ていただきたい。宗教戦争
など海外の動きと連動して、南蛮船
の来航や日本人の海外渡航・帰国を
段階的に禁じていったことがわかる。
日本史と世界史を別々に教わると、
こういうことが見えなくなってしまう。

(引用注:なるほど確かに宗教戦争に
巻き込まれる恐れはあったので
しょうね。しかしすでに秀吉の時代にも
キリシタン禁止令が出されていて、
その理由が欧州の権力者による、
世界戦略の一貫で、世界中で行って
いる手段として、日本制圧の足がかり
でキリスト教を浸透させていく狙いが
あったという事を秀吉が知ったため、
しかも当時奴隷貿易として、鉄砲の
原料とひきかえに日本人が売られて
いったという経緯なども全て秀吉は
考慮に入れての事だったのです。
家康がその事を知らないはずは、
ありませんよね。秀吉より諜報網が
発達していたとも伝えられる徳川家
でしたから。
その事は
バテレン追放令には正当な理由があった!
秀吉が知った南蛮人の意図とは?

という記事で詳しく説明しております。)

またそれまで輸入していた綿や菜種を
国内生産できるようになったことも
大きい。
「鎖国」と呼ばれる政策は、単純に国を
閉ざすものではなく、外国の侵略や戦争
から国を守り、国産開発で農民の収入を
安定させ、輸入量を縮小して金銀の
海外流出を抑える総合的なものだったと、
わたしは思っている。

(引用注:なんだちゃんと侵略から
守るためだったとはっきり書いて
おられましたね。また国内産業のため
とか、金銀流出を防ぐためとか、とても
鋭い視点を有り難く学ばせてもらい
ました。だから江戸時代の限定的な
「鎖国」は当時の日本を守るために
最適であったという事がよくわかり
ましたね。)

徳川幕府が西洋の貿易相手国にオランダ
を選んだのはとても運が良かった。
オランダは、ドイツ・フランス・イギリス
といった周囲の強国からさまざまな
科学技術を学び、黄金時代と呼ばれる
ほどの繁栄を迎えていたが、軍事力は
あまり強くはなかった。日本は、侵略
される心配をせずに、「鎖国」の直後
から西洋科学をどんどん取り入れる
ことができた。~
 正保四~五年(一六四七~四八)
には、幕府大目付の井上政重が、
商館補助員から幾何学や西洋の測量
器具の使い方を教わった。~
 井上政重は、西洋科学によほど
関心があったようで、ラテン語の解剖書
を参考にして、部下に豚の解剖までさせた
という。その一方で、宗門改役として
キリシタンの取り締まりに辣腕を
ふるった。
この事実は、「禁教政策=西洋科学の否定」
ではないことを如実に物語っている。

“出典:「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊”

とても江戸時代の外交が、当時の日本の
国益にとって最適な道を選択していた
のがよくわかる内容になっていますね。

まあただ当時の日本人が理解していたかは
わかりませんが、西洋科学が全て正しい
というわけではなく、根本的な物理学
などは、
これまで、私が宇宙の仕組み編の一連
の記事で明らかにしてきたように、真実
とは全く違うものもあったという事なの
です。
ただこの後にも詳しく書かれている、当時
の日本が取り入れた科学は、わりと実用的
なものが多かったようではあったので、
そういう意味で、とても有益な知識の導入の
仕方をしていたという事です。
とにかく、侵略から守るという意味でも
そして西洋の文化、科学などを取り入れる
という意味でも、江戸時代の「鎖国」は、
成功していたし、私たちが思わされてきた
ような、島国根性的な政策では全く
なかったというのが真実なのです。

なぜそのように思わされてきたかと
いうと江戸時代がとても良い時代で、
後世に生きる我々が江戸時代から
多くのものを学んでしまっては、
より健康的な生活を取り戻して
しまい、マスコミのバックにいる
医療産業が儲からなくなるからであり、
また村単位で衣食住全てが揃い心豊か
で平和な社会であった江戸時代に回帰
すると、人々のつながり深まり、分断
支配が、できず、中央集権による
コントロールもうまくいかなくなる
ためです。
まだまだ同じような理由がいくら
でもあります。

もちろんそれはマスコミや教育の
バックにいる米国のさらに奥に
存在する西欧の超国家権力の意思
である事は間違いないでしょう。
もちろん医療産業も彼らの所有です。

私たちは、なぜ「原子力村」という
言葉があるかご存知ですか?

これは原発政策を推進するための利権
にあずかる人々の総称なだけで、
全く「村」は関係ないのです。
それは、非常に人々が生活をともに
する事で寄り添い、村単位でまとまり
ながらも、他の村や、他の地方にとても
寛容であたたかい心を持っていた
江戸時代に回帰しないようにするために
わざわざ意図的に造られた言葉だった
という事なのです。

(このことは、江戸時代から明治に
かけて、手厚くもてなされた西洋人
たちの驚きの記録からも明らかです。
村根性なんてとんでもない。
そのことは
江戸時代に訪れた欧米人たちが、当時の
江戸を評した数々の賛美の言葉とは?

という記事で詳しく説明しています。)

明治維新からまもなく、廃藩置県が
行われましたが、それは、当時の
日本人のまとまりを防ぎ、中央政権
に権力を集中させる狙いがあった
のです。もちろん藩がそのままであれば
まさに明治政府に対して不満を持つ
藩などが蜂起する可能性は当時当然
残っていましたからね。
そしてその時に合わせて、村も廃止
されていったという事なのです。

つまり私たちが、まとまりが悪く
互いのつながりが弱くなれば、
中央政権はより権力を行使しやすく
なり、戦争などに誘導していく事も
また可能になったという事なのです。
もちろんそれは、明治政府を支配下に
収める当時の欧米の権力者にとって
都合が良いわけです。彼らは武器も
何もかも当時世界の最先端だったので、
日本が他国と戦争してくれれば、利益が
膨大になるのも明らかな事だったわけ
なのです。

まあとにかく江戸時代から、我々は
貴重な事をいくらでも学べると
いう事ですね。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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全ての人生は詳細・緻密なホログラム映像(音声付き)として永遠に記録されている


超常現象とホログラムという
記事で、私たちの現実世界は光の波動の
干渉であり、物質の世界ではなく、むしろ
映像として存在しているものだという
事を説明しました。
しかし、その映像は物質的な実体がない
からといって、現実として存在していない
わけでなく、とても強固な現実だという
事がわかるのが、今回の臨死体験の
「人生回顧」についての記事なのです。
ホログラムは光の干渉の静止映像という
表現になるので、私たちの現実は
むしろ立体動画という事から、量子物理学
の第1人者であるデイビッド・ボーム氏は
私たちの現実をホロ・ムーブメントと呼んで
います。
しかもそれは、私たちの感知できる光の
波長の領域をはるかに越えて存在している
ものなので、普段はその壮大な立体動画の
現実の一部しか捉えられていないという
事なのです。
しかし、いったん私たちの囚われた意識から
解放された時、その本来の壮大な立体動画の
世界がどんなものかを、私たちは知る事が
できるという事です。
それはこれから、いくつもの種類の超常現象
で、紹介していきます。
今回ご紹介するのは臨死共有体験といって、
亡くなる寸前の家族のそばで、肉体を
離れる家族の意識に同調する事で、付き添い
の自分まで、肉体に囚われた意識から
解放され、しばらく臨死状態の当人と
同じ意識レベルに到達して、臨死体験者が
よく体験する「人生回顧」を臨死状態の当人
とともに、体験する事ができるというもの
です。
つまり私たちの経験している人生が物質的
な現実でない映像だから、はかなくすぐに
消えるようなものではなく、いつまでも
現実として存在しているものでもあるという
事を今回の体験で理解していただけると思い
ます。

では臨死共有体験での人生回顧の記事を
ご覧ください。 

今日ご紹介するのは、人生回顧を共にする
というものです。臨死体験では、多くの人
が、この人生回顧をしています。つまり
臨死状態にある時、これまでの人生を
もう1度追体験しているかのような映像を
みせられるというものです。
その時に出会った、高次の存在にそれを
見せられるという場合、この人生で良かった
かどうか聞かれることもあります。
その場合に、まだ子供がいるとか、やり残
した事があるなどと伝えれば(テレパシー
のようなものでという事です)もう1度
生き返らせてくれるというようなケースも
少なからずあります。
また映像は立体映画のようで、360度の
視点があり、時間を早送りしたり戻したり
を自由にできるとか、気になるところを
もう一度みられるなどということもできる
みたいです。
そしてまた、その当時にわかるはずも
なかった、相手の気持ちがわかったりとか、
自分の気持ちがどうだったかまで、理解
できるようになることもあるようです。
それはつまり我々の脳にではなく、我々
のオーラ場と呼べるようなところに、
ホログラム映像が消えずに残って
いて、それを生きている間は、不便な脳の
フィルターを通してみるため、とても不鮮明
であったり、取り出しにくくなっていたり
するのですが、肉体を離れれば直接オーラに
刻まれた時の映像が完全な形で残っていて
それを脳ではなく、次元の高くなった意識で
自由に見られるようになったという
ことなのです。
つまり保存されていた、オーラ場の映像には
相手の気持ちなども含まれているのですが、
それは我々が普段頭を通して、逆にわから
なくなっていたという事も意味します。
オーラ場は潜在意識の場でもありますが、
潜在意識では、我々は人の気持ちだけでなく、
あらゆる事を当時から感知することができ
ていて、それをオーラ場に保存していた
という事になります。
臨死共有体験は、臨終の人の意識に共鳴する
ことによって、やはり五感を越えた意識に
なることができるため、そのオーラ場に
刻み込まれた、亡くなろうとしている人の
人生全体のホログラム映像を五感や頭を
通してではなく、読み取れるようになった
ということなのです。
ピンと来ない人は先ほどの記事
超常現象とホログラムその1
お読みくださいね。
さてその臨死共有体験の実例を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“また臨死共有体験には、死んだ人と
「人生回顧を共にする」「人生回顧を
共有する」という、目を見張る体験が
含まれることが多い。地上で歩んできた
全人生を、パノラマを見るように、共に
概観したり、とくに重要な場面を回顧
させられたりする。
 近年の臨死体験研究協会の調査に
よれば、通常の臨死体験者たちの約23%
が人生回顧の場面を経験したとしている。
以下はみな、そうした人生回顧の典型的な
例である。
 
「私が病室で体外離脱すると、やがて私の
目の前に、自分の人生の回顧が始まりま
した。私は教育にたずさわり、多くの人を
教えるようになると告げられました。
そして今まさに私はその仕事をしてい
ます。」(スティーブ、62歳、
心筋梗塞患者)

 「私はそのとき、自分の人生の良かった
点だけでなく、失敗や間違っていた点なども
見せられました。」(ジェンナ、56歳、
自動車事故)

「私は自分の人生のすべての重要な場面を
見せられました。私の誕生から、初めての
キスまで。両親との確執の場面もです。私は
自分がどんなに利己的だったのかがわかりま
した。
そしてどのようにすれば本当の自分を取り
戻し、変えられるかも知りました。」
(ドナ、19歳、自殺未遂)

 これらは、通常の臨死体験中の人生回顧
だが、そうしたものと、臨死体験中の人生
回顧は異なる面を持っている。というのは、
、死にゆく人に付き添うなどしている
ときに人生回顧をした人々自身は、臨死
状態にないということである。
にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の
場面を共有する。
 そうした臨死共有体験中の人生回顧を
言葉で言い表すならこんな感じになる。
「私は、亡くなったばかりの夫とともに、
大きなスクリーンのようなものの前に
立っていました。すると夫の過去の人生
がそこに映し出されたのです。幾つかの
場面は、私がそれまで全く知らないもの
でした。」
 たとえば、かつてサン・ディエゴの
ある女性が、10代の息子の病床で
起こったことを私に話してくれたことが
ある。
息子は、糖尿病の合併症のために死に
かかっていた。息子が死んだとき、彼女
は、その病床の周囲に展開された息子の
人生の各場面を見た。
 彼女によれば、映画のように展開さ
れるその各場面のただ中には、自分も
立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。
 (中略)
「私の15歳になる息子が亡くなったとき、
私は病室で息子と共にいました。息子は
小さいときから糖尿病をわずらい、その
重荷を背負ってきました。その世話も
あって、私はいつも息子とともに生きて
きました。
 息子が息を引き取ったとき、私はその手
をにぎっていました。そのとき命が息子
から出るのが感じられました。電気の
流れのようにと言ったらいいでしょうか、
あるいは脈打つ感じで出た、といった方
がいいかもしれません。
 部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて
見えました。また一転してその病室に
強い光が満ちました。その光は、自分で
見たことのない人には到底想像もつかない
ような明るい光でした。
 病床の周辺に、息子がその短い人生で
なした様々な事柄が、映像のようになって
現れました。息子はそれらの映像を見て
いました。喜びの表情を浮かべながら。
  (中略)
光の中で、息子と私は人生回顧の映像に
接しました。細かな事柄に至るまでです。
わたしが長く忘れていたような場面や、
私が全く知らなかった場面も多くありま
した。
たとえば、息子が自分の部屋でひとり
『アパッチ砦ゲーム』を使って遊んで
いた姿や、息子が友人たちと電話で話し
ていたときのことなどです。
  (中略)
 その人生回顧は、閃光のように、ある
いは放電のような感じで次々に展開して
いきました。
それは言葉ではうまく表現できない、
言語に絶するものでした。
 そのとき私は40歳でした。今は62
歳です。しかしあの体験以来、あたかも
すでに100年は生きたような感覚です。
それを悲しく思っているのではなく、知恵
の面で100年分は成長した感じなの
です。
    (中略)
 私が死ぬとき、また息子に再会するとき
には、きっともっと多くのことを知るように
なると思います。
それまでは、たとえわからないことが
あってもこの地上にいて、他者を愛し
仕えつつ、人生を歩むのが私の勤めで
あると思っています。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

これがホログラム映像として、オーラ場に
刻み込まれた、人生回顧の共有体験です。
彼女は息子の意識に同調することによって、
その息子の一生分のホログラム映像を見る
ことができるようになったのです。
彼女がいうようにこういう事を知ることが
人生にとってとても重要で、100年も
200年も生きたような充実感も味わう
ことができるのです。
臨死体験者が、あの世に持って行けるもの
は愛と知識だけだと証言していますが、
その知識とは、このようなレベルの知識
のことです。まちがっても、芸能人の
不倫記事や、全国の駅名、うまいラーメン
店の名前などの知識ではありません。
また放電のようなという表現がありま
したが、この体験においてもプラズマ
エネルギーが働いていることの証明にも
なっています。

ではまた(^^)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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時間が止まり、ビジョンも得られる「ゾーン状態」の仕組みとは?


この記事は
時間は「瞬間の今」だけしかないのではなく]
「無限の時空の同時の現在」として存在する

の続編にあたります。

スポーツ選手が、プレイ中に
「時間が止まった」とか
「相手の動きが読めるとか」
「ボールが止まって見えたとか」
言う時があるのは、ご存知の方も
多いと思います。
もちろん将棋なんかでも
「相手の心が読めて何手先も読めた」
とか
カードゲームでも
「相手の手が読めた」
いくらでもありますね。

これらは「ゾーン状態」と言われます。
このゾーン状態に入ると、普段の実力
より潜在力が引き出されて、自分の
望む結果をもたらせたりします。
もちろん競技でなくても、集中力が
高まり、未来のビジョンが見えたり、
時が止まったり、超スローになったり
する事もあります。

これはどういう事がといいますと、
私たちに必要なのは、右脳的思考!  
実は左脳は、太古から劣化していた!?

でご説明しましたように、私たちの
左脳は、太古から劣化し続けている
という事が鍵だったのです。
その事をもう一度掲載しますね。

「ジンとライトは、15年かけて人間
(特に脳)の進化を研究しているが、
その発見は私自身が調べていることに
とって実に有益だった。~

おそらく何百万年もかけて脳の容量は
加速度的に急拡大したが、およそ20
万年前に突然進化が止まり、ピーク時に
約1440グラムあった脳の重量は、
その後、約1300グラムに減少した
という。~

もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。
 ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。』
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

最後の表現をわかりやすく言うと、
劣化した左脳が、支配的に働くために、
右脳の潜在力が活かされずにいる
という事です。

というのが現代の私たちの脳の機能
なのですが、集中力が高まり、その
プレイや行為に没頭すると、
普段の左脳による抑圧で抑えられて
いた右脳が活性化されて、さらに
その右脳の機能をまた左脳が、解読
し始めるという、本来の「全脳」
のシステムが働くのです。

つまり右脳のビジョンを左脳が解読
できるために時間が止まったり、
また相手の動きや心が読めたり、
未来のビジョンが見えたりする
という事になのです。

なぜなら右脳には時間の概念がなく
無限の今・現在」のビジョンである
から当然時間は止まったように感じます。
さらに、右脳のビジョンは、当然
過去も未来もさらに無限のタイム
ラインにも広がっているので、
当然覚醒の度合いにもよりますが、
同時に存在している未来のビジョン
も見える事になるのです。
もちろん右脳のビジョンでは、全てが
一体なので「相手の心と自分の心に
区別はなく、つながっているため
やはり相手の心も読めてしまう

という事なのです。

さてプロのサッカー選手でもあった
アイク氏も同様の経験をした
エピソードを語っています。アイク氏
の時間についての鋭い解説と合わせて
紹介しますね。

『』内が引用で、~が中略です。

『ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン
での研究によって、テニスプレイヤーや
野球のバッターなど、トップクラスの
スポーツ選手は、サーブや投球を
待って集中しているときにスピード
(時間)が変化することが明らかに
なっている。視覚からの情報処理が非常
に速いので、スタンドに座っている観客
と比較すると、時間がゆっくり感じ
られるのだ。どうしてあの球が打てた
のだろう。どうしてあのサーブが打ち
返せたのだろう。それは、彼らが
無意識のうちに「時間」の流れを遅く
したり、現実の順序を変えたりしている
からだ。
 優れたサッカー選手にはほかの人より
多くの「時間」があるように言われる
のも、同じ理由による。
観客は自分自身の解読プロセスに
合わせた速度で「時間」が経過して
いると知覚するが、選手の精神の中では
、事象はゆっくり過ぎていく。この
考え方は、映画『マトリックス』で、
体をのけぞらせて飛んでくる銃弾を
避ける場面に描写されている。~

わたしも、ある試合でゴールキーパーを
していたとき、時間がスピードダウン
して、ほとんど止まったようになる経験
をした。そのときは、何が起こったのか
まったくわからなかった。わかるように
なったのは、何年も経って、現実の本質
を理解し始めてからである。相手選手が
渾身の力でシュートし、ボールがゴール
マウスの左上隅に向かって矢のように
飛んできたのだから、本当なら止める
チャンスはないはずだった。ところが
相手がボールを蹴った途端、周りの
すべてがひどくゆっくり動き始めた。
今でも目に浮かぶ。
ボールはスローモーションでわたしの
左側の高いところに向かってきた。
シュートコースを潰すために横に移動
し、それからジャンプして-スロー
モーションのまま-ポストとクロスバー
が交差する手前でボールを弾きとばした。
それまではすべてがゆっくりと、音も
立てずに動いていたが、手がボールに
触れた瞬間、いつものスピードと周囲の
騒音が戻ってきた。
生涯でも最高のセービングだったが、
地面に寝転がったまま「いったい何が
起こったんだ」と思わずにはいられ
なかった。
これも説明不能なミステリーなの
だろうか。いや違う。わたしの精神が
現実を違ったかたちで解読しただけの
ことだ。
 スポーツ選手は、最高のパフォーマンス
が出るのは「ゾーン」に入っているときだ
という言い方をする。すべてが「無音」
で、だいたいはスローモーションになる
ような知覚状態だ。ここで「ゾーン」
を説明しよう。集中(「観察」)が
波形による現実を分解して粒子ないし
ホログラムの現実に変えるのだが、
スポーツでよくあるような極度の集中
状態になると、その解読プロセスに
別の次元が加わる。衝突事故などの
トラウマ的な事件を体験した人たちは、
何もかもがスローモーションで起きて
いるように見えたと述懐している。
もっと正確に言えば、トラウマ的な
出来事によって生じた極度の集中の
おかげで精神の情報解読速度が上がり、
それによって時間がゆっくり進む体験
をしたのだ。』

“出典:
「今知っておくべき重大なはかりごと➀」
       デービッド・アイク著
           本多繁邦 訳
          ヒカルランド刊”

ちょっと説明を加えた方が良さそうですね。

「集中(「観察」)が
波形による現実を分解して粒子ないし
ホログラムの現実に変えるのだが、
スポーツでよくあるような極度の集中
状態になると、その解読プロセスに
別の次元が加わる。」
という部分は、アイク氏や私の記事を
読み込んでおられる方でないと、よく
わからないと思うもので。
波形による現実とは、私たちが、音波
や光波、電磁波などの波動を五感で
感知して現実に変換しているというのが
真実なので、つまり逆に五感が干渉して
いない、「本物の現実」は、波動状態の
形、つまり波形による現実だという
事なのです。

その「波形による現実」または「波動状態」
を、粒子などの物質的なものとして解読
したり、本来は、光の波動の干渉でしか
ない現実を「ホログラム的な世界」として、
解読しているという事を言っているわけ
です。
それが極度の集中で別の次元を解読できる
と言っているわけです。

一見アイク氏と、私の見解は、同じ様な
事を別の視点から、説明しているように
思えるでしょうが、実は今の部分に、
共通点があるのです。

極度の集中で別の次元を解読できるように
なったのは、つまり、劣化していた左脳の
機能が回復して、右脳のビジョンを解読
できるようになったという事でもあるの
です。
さらにいうなら右脳には時間がないので、
覚醒の程度で止まるまでいかなくても、
超スローな状態でのビジョンと意識を
左脳が解読できるようになったという事
なのです。

また研究で「視覚からの情報処理が
非常に速くなった」というゾーン状態は、
視覚が五感を司る左脳の役割なので、
当然その機能が覚醒しているという事でも
あります。

しかもそれだけではありません、実は脳
から電気信号を送って体の各部に伝えて
いると、コンマ数秒遅れてしまいます。
だから、この時は、全身の神経も覚醒
状態にあるので、ビジョンに直接、身体
の各部が反応して動く事ができていた
という事なのです。

これが、スポーツ選手の「ゾーン状態」
の仕組みだという事です。

もちろんスポーツだけでなく、極度の集中
で、「ゾーン状態」になっている人が
多いので、これはとてもよくわかり
ますよね。

恰好は良くないですが、私も結構
ゾーン状態は経験していて、たとえば
どうしても間に合わせなければ
ならない仕事の作業で、責任感から
普段は絶対間に合わないはずの量
なのに、作業している時はあたかも
時が止まったように、勝手に身体が
最短の時間で動いて、間に合わせた
事が何度もあります。

趣味で続けていたテニスや水泳でも
そういう時を感じたりもしてました。
ただ、今は脱臼癖がついて、テニスは
特にプレイできなくなってますが💦

誰にでもある事でしょうが、私も
「ビジョン」を投影させて、そのままに
動けたり、その通りに未来がなって
いる事を、日常で経験しているという事
です。

「一瞬の間に無限の可能性がある」
という事は
私たちが永遠の現在にいるからだと
いう事で理解はできますよね。
もちろん実感がすぐに追いつかなく
ても、このフレーズだけで、
どんなに未来がネガティブにみえても
それを覆すチャンスもまた無限に
あるという意識を持っている事は
とても大切だと思います。

また時間についての記事を書かせて
いただこうと思います。

ではまた(^^)/

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
おかげ様で上位継続中です💦

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時間は「瞬間の今」だけしかないのではなく「無限の時空の同時の現在」として存在する


この記事は
思考はひらめきに劣るわけではない!
ひらめき・直感を活かす創造的思考とは?

の続編にあたります。

今回は時間についてのお話になります。
時間って絶対的なものだと信じて
疑わない人は多いでしょうね。

ただいっぽうで、感覚的なものとして
は、柔軟に捉える事ができるという
のは、よくわかる人も多いと思います。

つまり、楽しい時間はあっと言う間に
過ぎ去るものだし、苦痛に思える
時間は、なかなか過ぎていってくれ
ないものですよね。

また集中が極まると時間が止まった
ようになるというのは、わりと多くの
人が経験あるのではないかと思い
ます。

そう、スポーツでゾーンに入った選手が
時間が止まったとか、相手の動きが
手に取るようにわかったとかいう時
には、やはり時間はゆっくり流れたり
また、時には未来のビションまで見えたり
するものです。

未来のビジョンといえば、以前の
miwaさんの驚異の予知夢体験  
レイキぶどうさんでつながれました!

でご紹介しました、miwaさんの予知夢
なんかもそれにあたりますが、
スポーツ選手のゾーン状態でのビジョン
よりおそらく鮮明に「リアルな体験」の
ように認識したという点で、また
大きな差があるのです。
これはまた別の記事で、説明させて
いただきますが、時空の仕組み
と意識を理解する上で非常に大事な事
なのです。

それと、前回の
思考はひらめきに劣るわけではない!
という記事で、右脳と左脳についての
働きについて、ご説明しましたが、
左脳は、物質などを分離した別々のもの
として捉えたり、物事を連続したもの
として捉えて、因果関係と連続した
時間を意識していますが、
逆に右脳は、全てを一つとして捉え
時間という認識はなく、ただ「今」
があるだけと認識しています。

つまり左脳は過去と未来を意識する
けど、右脳は「ただ今」を意識する
という事でした。

なんとつまり右脳の認識では、
連続した「時間」はないものとして
扱い、「現在」のみを永遠に認識
するという事です。

ではどちらが正しいのでしょうか?

当然肉体での認識から解放された
臨死体験者たちが、口を揃えるように
時間という概念がなくなるという
方が正しいという事です。

時間がないというより、ただ
「無限の現在」があるという方が
正確だと思います。

太古からの賢人たちや覚醒した人
たちの証言にも、同じようなものが
あります。

さて時間が左脳の認識によって、解読
されただけの知覚だという事を説明
しておられるデービッド・アイク氏の
著書から、興味深い事例とともに紹介
したいと思います。
そうそう最初の「老化のプロセス」
(コンピュータサイクル)という
のは、月によってDNAに書き込まれた
生体プログラムだという事です。

『』内が引用で、~が中略です。

『わたしたちが経験する「世界」の
パラメーターを定義する上で、時間
と空間ほど明快なものはない。
わたしたちの人生は、老化のプロセス
(コンピュータサイクル)を体験する
中で、時間の経過によって-もう
こんな時間?もう時間だ、時間がない
-といった具合に定義される。
毎「日」の人間生活は時間によって
定義され、決定され、限定されて
いる。そう考えると、
時間は存在しない、ただ人間の精神
の中で解読された概念でしかない
というのは、とんだ新事実の発見
という事になる。
 時間という幻想は、脳が自分で
解読したイメージを、次々とつながる
ような形に組み立てることで生み
出される。

(引用注:この次々と組み立てる
作業が、当然左脳による解読・認識
パターンだという事です。)

これは静止画像がプロジェクタを
通り抜けることで、動いているような
幻想を与えるのに似ている。
人の脳は、毎秒1100万個の
刺激(スナップ写真)から40個を
選んでわたしたちが経験している現実
を構築しているのだから、情報を
配列することなど朝飯前だろう。
だがここでも、時間という幻想の構築
に重要な影響を与えるものがある。
そう知覚だ。人間は心と感情の状態に
従って「時間」を体験するのだ。
「時間」は観察者、解読者、そして
知覚にとって相対的なものだ。~

(引用注:つまり時間という幻想を
構築しているのは、知覚だという事
ですが、その知覚というのは、左脳の
解読による認識だという事です。
ここで、本当に私たちの時間が、左脳の
解読によって認識されたものでしか
ないという事がよくわかるための
エピソードが語られる事になります。)

脳の機能不全のいくつかは、人が映画の
1コマしか見ないことを意味している。
ポットから注がれるお茶ではなく、
1コマの静止画としてだけ見ようと
するのだ。理由は、うごきでさえも
脳が波形ないし電気情報から構築して
いるからだ。
これ以外にも、遠くに見えていた車が、
途中段階なしに、いきなり目の前に
現れたという人もいる。

(引用注:つまり左脳の連続処理
の解読機能が失われると、瞬間
映像だけのものとして捉えてしまった
という事です。このようなエピソードは、
私も和訳されていない英語の本で
詳しく記されているので、別の記事で
要訳させていただきます。)

時間というものはない。あるのは
現在だけだ。無限の「一瞬」に
すべてが存在している。過去や未来
という概念は、ただの概念に過ぎない。
過去を考える時、あなたはどこにいる
だろう-現在だ。未来を考える
ときは-現在だ。存在するのは現在
だけで、過去も未来も現在の中でだけ
経験される。仕方がない、現在
しかないのだから。
過去から現在そして未来と、私たち
が時間の経験として経験するものは
、すべて同じ現在の中で変化していく
知覚であり構築物だ。』

“出典:
「今知っておくべき重大なはかりごと➀」
       デービッド・アイク著
           本多繁邦 訳
          ヒカルランド刊”

つまり永遠の現在に、無限の未来も過去も
無限のパラレルワールドのタイムライン
もすべて、同時に存在しているのが真実
だという事です。

相対性理論の公式については、反証を
ご紹介したアインシュタインもこの
事については、真理を理解していたよう
です。

アイク氏の別の著書からの引用です。

『アルバート・アインシュタインは、
過去・現在・未来は、全て同時に
存在するという結論に達している。
「過去、現在、未来の区別は、実感
としては、とても明確であるが、
物理学者は錯覚に過ぎないと考えて
いる」と書いている。これは、
臨死体験者が身体の「外側」で
起きている現実を語った内容と
ぴったりと一致している。一例を引用
しておく。

| 私の誕生、先祖、子ども、妻と、
最初から何もかもが一緒になって
同時にやってきた。私に関する全て
を、私の周りの全員のことがわかった。
みんなが今なにを考えているか、
あのとき何を考えたのか、前に何が
起きていたのか、今何が起きている
のか、全てわかった。出来事の順番
もなく、距離もなく、期間もなく、
時間も、場所もなかった。私は望む
がままに、どこであろうと同時に
存在することができた。  | 

肉体から離脱するという事は、肉体の
解読システムから離脱することであり、
そうなると、劇的に違った経験や認知
をすることになる。「年齢を加えて
いる」という錯覚とともに生きている
のは、そのように肉体コンピュータの
ソフトウェアに記述されているから
であり、それに我々のマインドが
騙されているだけのことである。

(引用注:このコンピュータに記述
されたソフトウェアというのが、
月や土星により書き込まれたDNA
プログラムだということです。
生老病死もそのプログラムの一貫
なので、老いるという生命サイクルも
当然、プログラムとして書き込まれた
ものなのです。またホログラム
というのは、単なる光の波動の干渉
でしかないものを、五感の解読に
よって、物質世界・立体世界として
投影されたものだという事です。)

レーザー光線で干渉縞から投影された
ホログラムが老いることはありえ
ないが、同じホログラムである我々
の肉体は、生から死へと、若者から
年寄りへと、実に予測可能なサイクル
を辿っていく。その違いは、我々の
肉体のホログラムは老いるように
プログラムされているが、他の
ホログラムはそうではないという
ことだけのことだ。』

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

肉体の認識レベルから解放された
臨死体験者にとって時間がないという
のが、真実だという事です。これは
同じく肉体から解放された認識
だった右脳の働きと同じです。

つまり過去も未来もみんな同時に
存在しているという事の裏付けでも
あります。しかも、この認識領域
は、全てと一体であるワンネスの
状態でもあるので、全ての人の意識
も自分のものとして体験できた
という事です。
また出来事の順番もなく、時間も、
場所つまり空間もなかったという事
です。それと同時にあらゆる場所に
同時に存在することができたという
事です。

同時にというのは、当たり前で
ワンネスの意識領域では、自分が
全ての場所であり、無限の現在
に存在しているという事なの
です。

またアイク氏は、老いるという事も
プログラムだという事を説明して
ますが、これもまた、DNAに書き
込まれた生命プログラムの一つだと
いうわけです。つまり生老病死と
進行するプログラムですね。
私たちは、左脳の認識により投影
されたホログラムの世界を現実だと
思い込んでいますが、そのホログラムは、
物質世界と肉体などの立体映像として
認識されます。

しかし実際に存在しているのは、光
の波動の干渉したものでしかなく、
実体も幻覚でしかないのです。

それは、私の
宇宙は全てまさかの真空です
という記事や
ホログラムでフラクタルな宇宙とは?   
トーラスでつながる宇宙のすべて

という記事などを読んでいただければ
よくわかっていただけると思います。

確かに私たちの肉体も、光の波動の
干渉でしかないものなら、老いる
というプログラムがなければ永続
的に同じ状態のままです。

このように生老病死というプログラム
で、人々に死を恐れさせたり、自分
の能力の限界という錯覚を植え付け
たり、何よりも真実に気づく暇を
与えないで、寿命が来るという
ように仕組まれていたという事なの
です。

今回は、時間は左脳の連続した解読
による現実認識という事であると
紹介しましたが、左脳の機能の障害が
あると一コマだけの静止画像になったり
、間の時間の映像をすっとばした
映像を認識してしまったりする事から
やはり時間が流れているように
認識できるのは左脳の解読による
ものだという事なのです。

これと似たようなエピソードを
詳しく紹介してくれている未邦訳の
本から、要訳したものを今度記事に
しようと思います。

つまり脳の機能が損なわれた世界
では時間の認識が狂うので、超
スローモーションの時間となった
エピソードです。

つまり左脳の機能がとまると時間も
止まるという事ですね。

左脳が時間という感覚を司って
いてそれが劣化しているがために
直線的な時間の感覚としてしか
捉えられなくなったという事だった
のです。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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思考はひらめきに劣るわけではない!ひらめき・直感を活かす創造的思考とは?


よくスピリチュアル界隈の方々の
メッセージで、思考より直感や
ひらめきに従えというものが
ありますが、そのメッセージだけ
では、実は危険なのです。

実は、そこに確かな認識力が
なければ、そのひらめきや直感が
誘導されたものであったり、洗脳
するためのものであったり、脳内
に送り込まれた、サブリミナル
イメージであったりする場合に、
見事に罠にはまってしまうのです。

完全に覚醒したような人でなければ、
単なる直感やひらめきをうのみに
してしまうというのはとても危険で
そこに確かな認識力がないと
いけないという事なのです。

完全に覚醒した人というのは、右脳の
ひらめきをしっかりと認識し、意味を
把握して理解できる左脳も優秀なの
です。

右脳だけを、優れたものとして、
左脳の本来の能力を活かさない人も
結構多い物ですが、実は左脳と右脳が
統合された全能の力こそが、最強で
あるのです。

超能力者や、奇跡を行うヒーラー
などが、超常能力を発揮する時、
全脳が活かされている事が、実証
されているのです。

なぜ右脳だけがもてはやされるかと
いえば、それは実は支配層が、戦後に
スクリーンつまり画像に誘導する
政策を日本にもたらしたからです。

漫画、映画、テレビ、細菌では動画
など、右脳だけを刺激する方に日本人を
持って行き、まともな思考力、認識力を
失わせるように仕向けられたから、
簡単に洗脳されてしまうようになった
という事なのです。

どれくらい洗脳されやすくなっている
かといえば、現在の存在もしない
コロナウイルスを恐れさせられて、
危険なワクチンを進んで、接種される
人が圧倒的多数なのを観てもわかる
はず。

教育でも、思考力をまったく育てず、
単に暗記力、またはプログラムされた
演算力などを鍛える事に集中させ
られてきました。

その事は、以下の記事でも説明して
います。

教育では、何故思考力や創造力が育たない
のか? 上がロボットを望むから

重要部分を再掲しておきましょう。


ウィリアム・アンド・メアリー大学
(バージニア州ウィリアムズバーグ)の
キュン・ヒー・キム教育心理学准教授は、
トーランス・テスト・オブ・クリエイ
ティブ・シンキングと呼ばれる標準的な
創造的思考テストの結果から、驚くべき
結論を導きだしたのです。
なんと学校での教育を受けた期間が長い
子供ほど、「感情表現が乏しくなり、
元気がなくなり、語彙力も乏しくなり、
話をしたがらなくなり、ユーモアが
なくなり、想像力が貧困になり、
型にはまった思考や言動、行動になり、
情熱的でもなくなり、いきいきしなく
なり、洞察力がなくなり、目的に無関係
のものには関心がなくなり、同調性が
なくなり、また別の角度、あらゆる角度
から見ようとしなくなる

つまりこれはアメリカの教育の実態を
まとめたものですが、要するに自らの
独自の思考力や、想像力、表現力が
乏しくなり。またユーモアや情熱も
失われて、協調精神も失われ、洞察力
もなくなるという事で、ありとあらゆる
私たちの個性や才能、感情などを
奪うような仕組みになっているという
事を暴露されたのです。

そしてアメリカの教育に倣った、日本の
教育システムは、さらにそれ以上に
ひどいものであるという事がよく
わかります。
それは戦後の日本の教育制度が、占領国
のアメリカの意向のもとに構築されたわけ
ですが、正確にいうと欧米列強に従って
開国させられた、明治以降にその雛形が
あったわけです。』

まさに明治以来、日本人の思考力は、
ターゲットにされ、劣化され続けて
きたというわけなのです。

つまり我々は思考力を取り戻さなければ
誘導されるままになってしまうという事
です。

私たちはスピリチュアルなメッセージ
にも、あやうく誘導されるところ
だったという事なのですが。わかり
やすいヒントをこれまで何度も記事で
紹介してきました。

それは、人類の左脳が劣化させられて
きた
というものです。

“ライトは、15年かけて人間
(特に脳)の進化を研究しているが、
その発見は私自身が調べていることに
とって実に有益だった。
 その結論は、人間の脳は、「遠い昔の
いつか」に能力のピークを迎えており、
それ以来「退化」しているということ
だった。
おそらく何百万年もかけて脳の容量は
加速度的に急拡大したが、およそ20
万年前に突然進化が止まり、ピーク時に
約1440グラムあった脳の重量は、
その後、約1300グラムに減少した
という。
(引用注:適者生存による、猿から
人類に進化したというような進化論は
すでに破綻しているというのが真実で、
世界の本物の知識を持つ人々によって
ビッグバン理論と同じく完全に反証
されています。ここでいう脳の進化は
進化論のような突然変異による種の
転換という意味ではなく、同じ人類の
脳の能力の進化という意味です。
公式の見解で、現在の人類が発祥した
としている20万年前が、皮肉にも
人類の脳が退化しはじめた時期と
重なる(今から思うとその部分は
ある意味確かに正しくなります)のは、
その事を知っていたこと
による意図的な見解ではないかとも
思えます。)
   (中略)
もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。
 ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。
そして、著者は、本当に我々は進化の頂点に
いるのだろうかと疑問を投げかけている。
明らかに違う。
   (中略)
ジンとライトは、約20万年前に始まった
左脳の「損傷」が、恐怖心を刺激し、支配欲
につながっていったと述べている。
   (中略)
『無明の闇に取り残されて』には、脳の故障
とバランスの欠如さえ修正されれば、人類は
素晴らしい可能性を秘めていると書いてある
が、まさにその通りだ。
この潜在的な力は、左脳の支配のために、
右脳に閉じ込められたままである。”
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦”

進化論の破綻については、他の記事で
取り上げているので、ここで注目
していただきたいのは、左脳の劣化
だという点です。

つまり太古の支配層が、まずターゲット
にしたのは、スピリチュアルな方々が
ことさら大事にしている右脳では
になく、左脳の方だったのです。

つまり左脳が右脳に比べて劣って
いるのは、もともとの左脳の能力を
我々が使用できないでいるからだった
というわけです。

もともとの左脳の能力とは何かと
いえば、それは右脳の直感やひらめき
の意味を理解し、認識として変換して
活かす事ができるという事なのです。

つまり右脳がいくらひらめいても、その
意味するところがわからず、他の
大事なヒントともつながらない状態で
どう使えば良いかわからないのが、
左脳の損傷で、右脳の天才的能力だけ
発揮する、脳障害者の状態なのです。

そしてひらめきや直感だけを信奉する
人達も実は似た状態にあるという事
なのです。

「考える」という日本語はそういう
意味で非常に思考というものの本質
を捉えたものである事がわかります。

どういう事かといいますと、「考える」
とは、「勘または感を意味のあるもの
つまり認識や感情やイメージなどに
変えるという事」なのです。

そして右脳はイメージに変換する
事ができるので、右脳も考える事が
できますが、意味を認識するものに
変える事ができるのは左脳の思考の
方だという事なのです。

実は意味を持つ認識こそが、「意識」
と我々が呼ぶもので、これこそが宇宙に
唯一無二のものとして存在する実在
なのですから、左脳の役割というのは
その「意識」に通じるものとして重要
なのだという事です。

みなさん間違えてはいけないのが、
「左脳型」といわれる人の多くは、
実は本来の左脳を使用できているわけ
ではないのです。

つまり本当の意味での左脳型なの
ではないという事です。

洗脳され、インプットされた思考の
仕方をそのまま、実行するだけの人が
多すぎますが、それはロボット脳
というものなのです。

つまり本来の左脳の能力を取り戻した
人だけが、右脳の力を使う事が
できて、超常能力も発揮できる
全脳を使用できる人間になれるという
事なのです。

もう1つ私たちから思考という概念
を奪ってきた表現があります。

それは五感と第6感という言葉です。

第6感は、非日常的なひらめきや、
高度な次元からの信号をキャッチする
という意味で良いのですが、その下
にあるのは、身体の単なるセンサーで
ある五感だけという錯覚を起こさせ
られているのです。

その事は以前にも記事にしています。

「五感の上には第六感がある」・・・
待て!思考や感情はどこ行った?

重要部分を再掲しておきましょう。


五感の次に第六感なんて言われて、はいそう
ですかと、うのみにする事自体おかしいの
です。
思考も感情・感性もれっきとした、我々の
感覚なんです。
だって五感で感じるものだけで、我々生活
してませんから。
たとえば記憶、イメージを、五感に頼らずに
脳内で思い浮かべる事が可能なのは、わかり
ますよね。それに対して思考や感情など
の感覚が働くのなら、それは五感って
いいません。
(記憶は五感によらない感情や思考、直感の
ものもありますし、もとは五感でも現在
感じているものでなければ、すでに記憶の
イメージとしてのみ残っているものです。)

つまり目の前で起こっている事また実体験
によらず、思考や感情は独立した感覚で
働けるのです。
つまり物理的な現実に囚われない感覚という
事ですね。
これがわかってくると、臨死体験で肉体から
離れた意識が存在している状態が理解でき
ます。(しかもこの状態での意識の
方がはるかに明晰で拡大した認識領域だと
いう報告が圧倒的なのです。)

感情も思考も脳波の範囲の波動なので、
良いという意味で、とても低い波動です。
これまでご説明してきたように、低い
波動が高い意識レベルに通じるという事
です。
(よくスピリチュアルで高い意識レベル
は、高い波動だといわれていますが、
これは真逆が正しいです。その事について
もまた別の記事で説明しますが、一つには
逆の誘導があるためと、意識が低い波動
だと逆に高い波動のエネルギーを生み出す
事ができるので、それを指している場合
もあります。
そして電磁波ゼロ(通常のプラズマ状態)
の真空の状態からは、莫大なエネルギーが
生み出されます。
たとえば太陽のように電磁波ゼロ
(プラズマの常態)の真空の宇宙空間から、
無尽蔵にエネルギーを取り出す仕組みは
トーラスですが、これが全ての物質が
存在する仕組みそのものだという事です。
真空とプラズマ、そして太陽については
以下の記事が参考になります。

真理の統合編その1    
真空とは無限の潜在エネルギーの事

真理の統合編その2
真空とプラズマは共存できる

太陽は燃えていない!正体は
プラズマのトーラス循環だった!

ただそういった説明なしに、高い
意識=高い波動だと説明されるのは、誤解
を生む表現ですね。)
しかし、五感は脳波よりかなり高い波動を
感知するようになっているので、脳波の
レベルにある思考や感情ほど、高い意識
レベルの感覚というわけではありません。
つまり高い意識レベルの感覚とは思考や感情
で、五感は単なるセンサーだという事です。
この五感の感知する波動領域については、
五感のレベル編一覧の一連の
記事をご覧ください。
この記事は、最初の記事と重なります
ので、その2以降の記事が、五感に
ついての参考の記事になります。

このようにレベルの高い思考や感情という
感覚があるのに、我々は超感覚である
第六感以外は、五感しかないように錯覚して
いる。というよりさせられているのです。
なぜなら、昔から、大衆が思考能力が
あったり、感性が豊かだったりすると、時の
権力者にとっては厄介な事ばかりになるから
なのです。
しかし、そのようにいうとまた陰謀論とか、
用意された言葉にすぐ結びつける人が多いの

注意深く、説明しているというわけです。
そのように結びつけるのも、誘導されて
いる事くらいは、わかっていただける人が
読んでいただいていると信じています。

日本では暗記教育だと昔から言われてます
よね?暗記や記憶というものは思考の中では
最も低いレベルの能力なのです。
なぜなら受け取った情報をそのまま
コピーする記憶には、複雑な脳内の電気活動
は必要ないからです。
次に低いのは計算能力です。
計算も、単にインプットされた情報に
従って、数字を決まった式にあてはめて答え
を出すだけなので、それほど複雑な電気活動
を必要としません。
理解力や想像力、表現力などや、別々の情報
を関連付けながら、新しい結論や意味などを
生み出す能力、イメージを浮かび上がらせ
て、そこに感情や意味、理解や想像力を
働かせる事などは、かなり高度な電気活動を
要します。
また感動できる音楽をイメージして、頭の
中で、演奏したり歌ったりしてみて、楽譜に
それを書き込む能力や、描きたい絵の
イメージをキャンバスに投影する事なども
高度で複雑な電気活動を必要とします。
また相手の気持ち、立場などを考えて、言葉
を選び、また言葉の調子、姿勢や態度を
加えてコミュニケーションする能力なども
またとても高度な脳内の電気活動なのです。
ただし最後の人との共感や調和、円満な人間
関係などの心が関わる、思考力や感性に
関しては、世界の中でも突出しているのが、
私たち日本人で、教わらなくても先天的に
日本人が優秀です。だからこそ(その理由
だけではありませんが)日本は教育を劣化
させられているというわけなのです。
もちろん世界の先進国でも、そのような
教育の悪影響がある事は、
右脳の驚異の力その3
でもご紹介したキム博士の調査でも明らか
ですが、特に日本の教育が、突出してレベル
が低いという事です。

振り返っていただきたいのですが、最後の
コミュニケーション能力などを授業で
学んできたでしょうか?
日本ではほとんどない事でしょう。
つまり我々はなんと教育では、脳を鍛えて
もらっていないという事になるのです。
クイズ番組で記憶力が問われるような場面
ばかり出てきますが、これこそ記憶力が
いい事だけが、頭がいい事だという
間違った認識を、刷り込まれている証拠
なのです。』

思考の脳波の波動つまり振動数が低い
というのは、また他の記事で詳しく
説明していますが、とにかく私たちの
認識から思考というものを奪いたい
支配層の意図が、今回良くわかって
いただけたのではないかと思います。

本物の思考力を取り戻した人なら、
コロナが架空のウイルスで、ワクチンが
危険だという事に気付くだけでなく、
なぜそのような残酷な事が、我々に
対して行われるようになっているのか
まで、思考力が働くようになり、
陰謀論と呼ばれて敬遠されてきたものの
ほとんどが真実を語っていたとわかる
ようになり、さらにどうしてそのような
人類社会になってしまったかにまで
理解が及び、公式の科学で誘導されて
きた偽の現実の認識を覆す事ができる
までになるという事なのです。

その時に初めて、我々は支配層の残虐な
シナリオから脱する事ができるという
わけです。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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江戸時代の識字率は世界ダントツ!それを支えたのが寺子屋制度だった!


この記事は
江戸時代に観る本物の医師の姿と西洋人も
恐れた武士道の真髄とは?

の続編です。

前回でもご説明しましたが、江戸
時代に日本は、すでに世界最高水準
の文化レベルであり知的レベルでも
あったわけです。

知的レベルの一つの目安になるのが
識字率ですが、江戸時代の日本人の
識字率がどれほどのものだったか
説明されてるサイトを観て
みましょう。

『』内が引用で、~が中略です。



江戸時代においては多くの子どもが
学校に通い、「読み書きそろばん」と
言われる基本的な学力を身につけて
いました。

貧しい町人の子ですら文字が読め、
中国や朝鮮はもちろん、イギリスや
ロシアなどに比べても識字率では
大きく上回っていたのです。

幕末の頃の識字率はなんと7割~9割


文章の読み書きができなければ、
書物を使って学習することが
できません。それゆえ、就学率が
識字率の一定の判断材料と
なります。

江戸時代後期のわが国においては、
江戸の就学率は70%~86%程度
だったとされていますので、
少なくとも識字率はそれ以上
だったと考えられます。

▲江戸時代の教育

イギリスの大工業都市では
20%~25%にすぎなかった
同じ時代のイギリスでは、大都市
でも就学率は25%以下であり、
識字率は極めて低かったと
されます。

産業革命によって世界の工場と
呼ばれるようになり最盛期を
むかえた時代においてすら、
下層階級の子どもの多くは文字を
読むことができず、識字率は
1割程度だったと言われています。

フランスではほとんど学校に
通っていなかった!?
わが国が江戸時代だった頃、
1794年にフランスでは初等教育の
無料化が実施されました。

しかし、それでも10代の就学率は
わずか1.4%と極めて低く、識字率
も高まりませんでした。

もちろん、富裕層の子弟は学校に
通わず、家庭教師によって
教えられていたという事情も
あります。

しかし、そうした教育を受けられる
のはごく一部に過ぎず、国全体の
識字率はわが国とは比べ物に
ならないほどに低かったのです。

武士で文字の読み書きができない者
はいなかった
江戸時代の政治・行政の担い手で
あった武士階級は、現代でいえば
公務員にあたります。職務において
「書類」は欠かせません。

戦国時代から江戸時代初期までは
「武力」が重要視されましたが、
太平の世が長く続くと次第に「学力」
重視に変わっていきます。

必要な能力が学問によって得られる
ようになり、武士にとって学校に
通うことは剣術を磨くこと以上に
重要になっていったのです。

当然のことながら、江戸時代の
武士たちの識字率は100%でした。

ニコライ堂のニコライも驚いた!?
江戸時代の末期にわが国を訪れた
ロシア正教の宣教師ニコライは、
8年間の滞在後ロシアに戻り手記を
記しています。

その中で、国民全体に教育がいき
とどいていることや、孔子(論語)の
ような高度なものを、知識階級は暗唱
できるほどに、また身分の低い者
ですらかなり詳しく知っていることに
驚いています。

江戸時代のわが国においては、世界で
類を見ないほどに教育がいきとどき、
識字率においては、ダントツに世界一
だったと考えられます。

“出典:「江戸時代Campus」様
のサイト
江戸時代の識字率は世界でも断トツに
高かった!?
より”

ただ明治時代になって、西洋の軍事力
を目の当たりにしてから、西洋式の
近代教育を取り入れ、西洋式の軍備を
手にしようとしたため、江戸時代とは
別のタイプの教育に変わってしまった
という事です。

もう一つの意味は、明治政府に影響力を
持つ欧米の権力者の意図通りの教育
システムに切り替えさせられたという事
でもあるでしょう。それは現在でも
我々を苦しめる事になる、中央銀行
システムによる貨幣経済への移行と
同様だという事です。

以下は
『「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊』
を参考文献としています。

さて和算が世界最高水準だったのは、
確かな事実のようで、たとえば
皆さんもご存知の円周率の公式を
世界で初めて発見したのが、有名な
和算学者の関孝和の高弟の建部賢弘
という人物だということです。
後年スイスの数学者が同様の公式を
発見したけれども、それにさきがける
事15年だったという事です。
円周率は、なんとギリシャ時代の
アルキメデスがすでに3.14という
ところまでは、導きだしていたのです
からまたしてもギリシャのレベルの
高さを思い知る事になるわけですが、
江戸時代の和算も相当高いレベルで
あったようです。

江戸時代も中期にさしかかると各地で
「算額奉納」というものが流行した
らしいです。
算額は、数学の問題と解法を書いた
大きい絵馬のようなもので、おもに
神社に奉納されたという事です。
人目をひきやすいように派手に彩色
した図形問題が好んで選ばれ、
スペースが限られているため、簡潔な
式を答えとする問題が多かったよう
ですが、和算家はもとより、庶民も
こぞって算額を掲げ、難問が解けた
ことを神様に感謝し、自分の数学の
到達点を世間に向けて自慢した人。自作の
難問を算額で発表する人もいたようです。
いかに、江戸時代の庶民の知的水準が
高かったかわかるとともに、知的欲求も
相当貪欲であった事がわかります。

まあ現代でいえば、クイズやパズルの
ブームのようなものだと思いますが、
問題を考え出したりするところに
知性の高さを感じますね。

つまり算額の額とは大きい絵馬の事で
そこにいろいろと難問や図形や数式を
書き込んで神社に奉納といいながら、
世間に発表するブログのようなもの
だったという事です。

なんだか親近感が湧いてきますねー。

その算額を見た人が問題を書き写して
持ち帰り、一人で悶々と考えたり、
仲間と大騒ぎして解きあったり、
さらには解法を発見すると、それを
また算額にして発表する事もあった
という事です。

まさに和算での一つの同好会のような
ものが、神社の算額を中心に全国的に
流行したという事なのです。

しかもその算額には、ノーベル化学賞
を一九三七年にとったフレデリック
ソディーの「六球連鎖の定理」とほぼ
同様のものが、それより115年も
前の一八二二年に商人の入澤新太郎と
言う人物によって奉納されていたの
ですから驚きですよね。

和算は、地方に数学を教えてまわる
「遊歴算家」(ゆうれきさんか)
という人達がいて、やはり地方の
多くの勉学熱心な人々に歓迎された
という事です。

このようにして和算は全国津々浦々に
浸透し、ついには、自分がどれほど
算術好きか死後もアピールするために、
墓石に和算の問題と解答を彫らせる
者まで現れたらしいのですが、
「算題墓石」と呼ばれるこうした
お墓は、全国各地にいくつか残されて
いるそうです。

こうして江戸時代に全国に浸透して
いた和算が上に書いたような理由で
徐々にオモテ舞台から姿を消して
いったようです。

しかし、楽しみながら生活に密着した
数学が身につく和算の良さは、近年
見直されて、なんと小学校の教科書に
復活したり、算数や数学好きの現代の
子供たちが自作の問題を算額にして
神社などに滞納する事もあるらしい
です。全く知りませんでしたね。

また海外でも算額ファンが増えていて
2008年には、フランスで算額の
専門書まで刊行されたという事です。

以上の参考文献が
『「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊』

それにしても墓石に和算の問題と解答を
彫らせるとは、ある意味ロマンですねー
私は、伝統とかそれほど重要視しないで
生きてきましたが、ここで将来
自分が死ぬ前に、自分の墓石に、真理
探究の成果を彫って残しておきたい
と思いましたね。しかし文字数が
軽く10万は越えそうなので、彫って
もらうと天文学的なお値段になりそう
なので、自分で彫るしかないかー💦
しかし、技術を手に入れ、それだれけの
文字を彫るためのスペースを確保する
墓石も用意しなきゃいけないし、
うーん、そっか図形で一発で表現
できる真理ならいいわけだなー。

よーし、これを数千年後に見た未来人
が賞賛してくれるか、はたまたレベル
が低すぎて笑われる事になるか、どちら
にしても楽しみではあると思います。
みなさんも墓石でなくても、自分が
この世に残していくものがいろいろ
あった方が楽しいとは思いませんか?

もちろんいろんな方がおられると思い
ますが、墓石に刻むというのは、一つ
夢があると思いました。

さて江戸時代のこのような知的社会を
支えた

江戸時代に庶民に流行した算額・
和算ブームを支えたのは、寺子屋
の存在があったためという事です。

この全国に1万以上存在したと
いわれる寺子屋について今回徳川氏
の末裔の徳川宗英氏の著書から
ご紹介したいと思います。

『』内が引用で、~が中略になります。

『 究極の個人授業「寺子屋」
江戸の庶民は、なぜ、むずかしい和算
の問題が解けたのだろうか?
もともと日本人の知的水準は高かった
ようで、江戸初期に来日した宣教師たちは、
庶民の質問が非常にハイレベルで驚いた、
書き記している。それに加えて、庶民の
ための初等教育施設・寺子屋が、和算を
広める舞台として重要な役割を果たした。

「寺子屋」という名は、室町時代に武士
の子弟教育が寺院で行われたことに由来
するという。江戸時代には、おもに上方で
使われていた呼び名で、江戸では
「手習い指南所」とか「手跡指南」などと
呼ばれていた。
 寛永年間に各地の都市部におこった
寺子屋は、江戸中期になると農村や漁村
へも広がった。貨幣経済の浸透とともに、
農民や漁民も売買や銭の貸し借りの証文
(契約書)や手紙などに接する機会が増え
、「読み書きそろばん」のニーズが
高まったからだ。
寺子屋の師匠は、おもに武士・僧侶・
神官・医者などで、二、三十人ほどの
子供を自宅に集め、日常生活に必要な
文字の読み書き(手習い)や算術の基礎を
教えた。女性の師匠もかなりいたらしい。
いま、学校の成績でトップクラスを
占めるのはほとんど女性だというが、
勉強好きの女性はむかしからいたのだ。

~さて、寺子屋は、男女共学が多く、
だいたい数え年七、八歳で入門した。
これを「登山」といい、男子は十一歳ごろに
「下山」するのが一般的だった。
卒業が早いのは、家業を手伝ったり、奉公
に出たりするためだ。

 授業時間は午前八時ごろから午後二時半
ごろまでだったが、子供たちの年齢は
まちまちだし、家の手伝いもあるため、
遅刻・早退はおかまいなし。
服装や髪型の規則もなかった。
師匠の教え方や人柄が気に入らなければ、
何の手続きもせずに子供を“転校”させる
ことができたから、いいかげんな師匠の
とこには生徒が集まらず、自然淘汰
された。
 授業料は、各家庭の経済状況によって
師匠が考慮した。農村部では、野菜で
支払われることもあった。
教育は「サービス業」ではなく師匠たち
のボランティアに近かった。
幕府は寺子屋に対して経済的援助を
しなかったが、公権力の強制や統制も
さしてなかった。しいていえば、
道徳教育を重視するようお触れを出した
ことぐらいだ。指導法も師匠に任されて
いた。教育現場は、いまよりよほど
自由だった。~

~江戸時代を通じて、印刷された教科書
は七千種以上、手書きの教科書も含めれば
数万種におよんだという。教育熱心なこと
にかけては、世界一だったといえる。

(引用注:江戸時代の識字率が、欧米諸国
に比べても、比較にならないほど高く、
世界最初の数学的発見など、知的レベル
そのものが世界一であったという方が正確
でしょうが、それもこの寺子屋が背景に
あったためだという事ですね。)

幼い子には師匠が寄り添って「いろは」の
手ほどきをした。紙は貴重品だったので、
最初は薄い墨で字を書き、徐々に濃くして
いって、半紙が真っ黒になるまで練習した。
 教材は生徒一人ひとりの進度や稼業に
よって与えられ、自学自習を基本としたが、
ときどき師匠が習熟度をチェックした。
与えられた教材を完全に終えるまでは、
次の段階に進まない。この徹底した
個別指導が、世界でもまれな高い教育水準
を可能にしたのだった。』

“出典:「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊”

ここで注目したいのは、幕府が寺子屋に
経済援助をしないかわりに、教育内容の
強制や統制がなくて、師匠の自由に
任されていたという事です。
つまり国家にとって都合の良い国民に
なるように、教育を画一・強制している
現在とは比べ物にならないほど自由
だったという事です。
この現在の教育が、国家権力にとって
都合の良い国民を育てるためにある
という事に違和感のある人たちは、
私の「隠された歴史編」や
宇宙の仕組み編」などをご覧になれば、
いかに私たちが真実から遠ざけられて
いるかわかっていただけるように
なっています。

また自由のない、まるで軍隊にいる
ような現在の学校教育と違って、
髪型も服装も、授業時間も全部
自由で、なんと師匠まで選ぶ権利が
あるなんて、本当に自主性を重んじて
子供が、自発的に学べる環境が整って
いたようです。
また現在のように押しつけの学問では
なく、必要性やレベルに応じて教科書
が与えられ、自学自習が基本というのも
素晴らしい。基本的に自分で学ぼうと
すると、手取足取り教えてもらうより、
思考力や理解力、想像力が鍛えられ、
文字から自発的に意図を読み取ろう
とするので、確実に自分のものにして
いけるのです。そして間違えた解釈を
しているものであれば、個別にチェック
してくれる師匠が訂正してくれて、
軌道修正してくれるという事です。

なるほどこれなら、楽しんで、自分
から学びたいという気持ちになる
のも自然であると思います。

さてこのあとも寺子屋の事について
説明があるので、要訳させていただくと、
江戸時代には寺子屋は1万校を越えて
いて、現在で同じ年齢に相当する
小学校は、二万一千校くらいだといい
ます。しかし、江戸時代の人口が、
現在の五分の一だったという事を
合わせて考えると、圧倒的に江戸時代の
方が、教育機関が多かったという事です。
ここには、詳しく書かれていません
でしたが、さらに学問を究めようとする
生徒たちは、引き続き師匠たちに高度な
教えを受けていた事は間違いない
でしょう。

明治になって小学校が各地に開校される
と、国の統制もあり、寺子屋の数は
次第に減っていって、明治十年代には
ほとんど姿を消したようです。
で、嘘っぱちの歴史や科学を全国一斉に
教え込まれたわけだという事ですね。
寺子屋のような「超個別指導」とは真逆の
「一斉授業」に反発する親も多かった
ようです。

で当時の日本は、欧米諸国がおよそ一世紀
かけてようやく成し遂げた国家の近代化を、
わずか三十年ほどで達成したのですが、
その原動力は、やはり寺子屋があったから
だという事ですね。

いや近代化で、確かに欧米諸国に匹敵
するような軍事力も得られたといって、
私たちは、今それを喜べるでしょうか?
たとえ欧米諸国の誘導のままに一部の
支配階層が、大陸を攻める決定をした
にせよ、同じアジア人に対して、取り
返しのつかない過ちを犯しているのです。
爆弾落として、人を殺傷してもなんの
大義も得られません。
残るは罪と日本人に対する怨恨だけだ
という事です。
同じ事は、当然西欧の軍事介入にも
言える事です。
アメリカに攻められる以前のイラクは
とても豊かで、知的水準も高かったのに
現在は、とてもひどい状態になって
います。
ウソだと思うなら次の記事をご覧に
なるといいでしょう。

イラク戦争開戦から15年
「希望なんかどこにもない」
―続く苦難、見放された避難民たち

こういうニュースがほとんど私たち
の目にとまらないようにされて
いるため、未だに米国が守ってくれる
などというありもしない、幻想にすがる
人たちが圧倒的に多いのです。
すでにトランプ大統領が、安全保障上
最優先するリストから日本を外して
いますし、そもそも日米安保というのは、
日本を守るという意味ではなく、もし
日本に軍事的危機が訪れた場合、
いったん米国の国会で討議され、米国
の国益になると判断して初めて
米国が軍事介入をするという条約に
なっているのです。
この事も知らない人も多いでしょうが、
もはやこれは自分でお調べくださいね。

話を明治以降の日本に戻しましょう。
もちろん軍事力をつけなければ、欧米
に支配される運命にあったのかも知れ
ませんが、結局現在しっかりと米国の
いいなりになって、健康や富や自由や
権利をどんどん奪われている現状は、
とても近代化が成功した証とはいえない
と思います。

また鉄筋コンクリートの建物は人体に
とても悪影響を及ぼし、現在の洋風建築
に使われる資材にも、同様に身体に
有害なものが使われています。
昔の木造建築は、とても頑丈で耐久性も
よく、いつまでも長持ちするものが
多かったし、とても健康的でした。
さらに、重化学工業が発展した事により
大気汚染や河川・海洋・土壌汚染が進み
以前は潤沢だった、農作物がどんどん
減少していき、自然物に囲まれて、
身体に良い食事が出来た頃とは、雲泥の
差になっていったのです。

日本では、実は念入りな情報統制のため
あまり知られていませんが、米国で科学者
たちが、徹底的に世界の食事調査をして
健康に良い食品や食事方法を調べた
マクガバン・レポートというものがあり
米国の国会でも発表され、アメリカ国民
からは大絶賛の反響があったものですが、
肉・乳製品・小麦を主体とする欧米型の
食事は成人病になる危険が非常に高く、
それに対して、世界で健康的な食事を
調査していって、世界最高の健康的な
食事方法だとされたのが、なんと
「江戸時代」の日本の食事だったという
事なのです。

だから、放射能汚染で騒がれる以前は、
世界中で日本食ブームが起こっていった
というわけなのです。

また寺子屋に話を戻しますと、師弟関係
はとても濃密で、それを象徴するのが
「筆子塚」です。
当時、寺子屋の生徒は「筆子」と呼ばれ、
師匠が亡くなると、筆子たちが銭を出し
合って石碑を建て、遺徳をしのぶ習慣が
あったのだという事です。
なんという師弟愛でしょうか、親身に
なって教えてくれた師匠を生徒たちは
心より尊敬していたそうです。

また親や地域の人たちも教育熱心でした。
押しつけるという意味ではなくです。
親たちも師匠を尊敬して、裏長屋で
教えるような貧しい師匠でも、人柄や
教え方がすぐれていれば、銭を出し
合って、畳変えの費用や暖房費の炭代
を負担するなど、寺子屋経営を側面から
援助して、さらに地主や大家が広い教室
を提供することもあったというのです。

つまり子供たちが実学をしっかり
身につけて、自分の力で生きていける
ようにという真心により、寺子屋を
中心として、民が一体となって子供たち
を育てようとしてくれていたという事
なのです。

“参考文献:「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊”

私は、この寺子屋制度こそ、本当の教育
だと思いますが、みなさんいかが
でしょうか。
自由があまりなく、校則や規則に縛られて
いるのにもかかわらず、いじめが横行
たり学力格差も深刻になっていた
2019年まででも、この寺子屋制度とは
くらべものになりませんが、2020年
以降、子供たちの不健康なマスクを強いて
ソーシャルディスタンスや会話の禁止、
粗末な給食、そしてまさかの超危険な
ワクチン接種事業に積極的に参加する
などの悪夢のような教育現場の現在、
みんなが、自由に和気あいあいと学べて、
それぞれの個性を尊重していた寺子屋を
もう一度有志ででも取り戻していく事が
今子供たちのために絶対必要な事だと
思います。

しかもすでに一部でそういう動きも
出てきているようです。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

真理のヒント編一覧

宇宙の真理編一覧

あんみんの神秘メッセージメニュートップページ

母性的性質のM音をベースにした日本人の一元論的な観念とは?


この記事は
江戸時代に観る本物の医師の姿と
西洋人も恐れた武士道の真髄とは?

の続編にあたります。

今回は特別に大事な、日本人の
一元論的観念について、説明して
いきます。

いつも引用させていただいてる
神衣氏の「最後のムー大陸「日本」」
は、バブル崩壊以降では
あるけれども、リーマンショック、
東日本大震災以前に書かれたもので、
バブル以前の日本の大発展した事を
受けて書かれたものなので、日本が
世界経済大国として、大発展した事の
理由を説明しておられます。


『』内が引用で、~が中略です

『世界の文化を吸収し続け、しかもそれらを
独自のものとして究極まで極め続ける、
この、世界に類のない日本人の性質は
どこから来るのだろうか。~
~実は、この世界に類のない日本人の性質は
、間違いなくムー文明の「RA」音と
「MU」音の作用によって形成されたもの
なのである。
 これまで述べてきた潜在意識の母性的
局面に関わるM音と父性的局面に関わる
RA音、この音のもつ莫大な言霊力が、
日本人に、この常に発展のみを知る世界
無二の力を与えたのである。~

~かつて中国から漢字を取り入れた私たち
は、それをまったくの日本独自の文字と
して仕上げることに成功した。
平仮名、カタカナをあみだし、さらに
漢字においても現代の私たちは中国人が
読めない漢字さえも意味を読み取る能力
を持っている。欧米のハイテク技術を
究極まで完成させたのもまた日本人
である。
 一台何万もの価格で売られた計算機を
超小型化し、わずか数千円の商品に
仕上げたカシオをはじめ、車、ビデオ、
カメラ、オーディオなど、現代の
ハイテク製品は、日本人によって優れた
製品として完成し、その結果、日本製品
は世界で最も普及し、日本は世界の先端
を行く経済大国、最も豊かな国と言わ
れるまでに成長した。
 日本人のこの類まれな発展力、それは、
多くの知識人が指摘する通り、日本人
独特の古来の観念的特質にある。
その観念的特質とは、次のような
表裏一体の関係にある二つの特質である。

1.「あれかこれか」という二元対立の
観念ではなく、「あれもこれも」という
すべてを本質的に一つのものとしてとらえる
一元論的な観念

2.自己主張よりも謙虚な受容性を優先
させる母性的性質

一元論的観念と母性性、この二つの古来の
日本人の特質こそ、様々な文化を結びつけ
昇華させたそれである。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

もちろん、戦後日本に対する政治的な干渉
は、オモテ向きの独立以降も米国から
ずっと続いていて、米国のアジア戦略に
ある程度日本が乗せられていたのも事実
です。
3S政策や教育などで、日本人は劣化
させられ続けてきたわけですし、農業は
ずっと衰退するように仕向けられ、
食品は添加物だらけ、農薬や合成化学物質
などは、食品、医薬品、日用品など
ありとあらゆるところに仕込まれて、
日本人をかつてのように聡明で、屈強な
状態から遠ざけられ続けてきた
わけです。
また原発もわざわざ火山帯つまり
地震の起こりやすい場所に建設させる
ように誘導されてきたので、いつでも
時の政治家たちの脅しにも使用される
ものとなっています。

この神衣氏には、そういう観点からでは
なく、戦後日本が経済を大発展させた力
の本質について語っておられるという事
です。

説明にあった一元論的な観念というのは、
私たちが本来、一つの存在であり、
宇宙全体も含んだ絶対意識であるという
真理を、
観念的に理解していたのが日本人だった
という事でもあるので、その大いなる
一つの無限のエネルギーを活用できた
ために、それが経済や文化の発展にも
役立ったという事だと思います。
そして、外国の文化を取り入れていく
柔軟性は、全てが一つであるという
一元論的観念と、謙虚な受容性を持つ
母性性から来ているのだという事です。

ですが、現在その大いなる力を持つ
日本人の多くの力が、一部の特権階級や
外国資本の横暴により、単に利用されて
いくだけに終わっているのは、日本人の
受容性が行き過ぎているからだとも、
思えますので、これまでの特質を活かし
ながらも自己主張もしていく事を、
私たち日本人は取り入れた方がいいとは
思います。

今度は日本人の母性的性質を支える
M音についてです。

『』内が引用で、~が中略です。

『今まで述べてきた潜在意識と直結する
母性音『M』と父性音『R』に注目して
「やまとことば」をみた場合、興味深い
事実が明らかになる。
 古来、大自然を母性的存在として
とらえた日本人は、生命を育む大自然の
尊い存在のほとんどを「mizu」
「umi」「mori」「yama」
「mi」「kome」「mame」と、
M音で表現してきた。
 言うまでもなく日本語は、このMの
音声を世界で最も多く含む言語である。
 とくにその割合は、古代に至るほど
顕著であった。
たとえば、3章で紹介した祝詞と易経
でのM音の数を比較してみよう。
アルファベットで比較してパーセント
にすれば、中国語の易経のM音は
約「0.4%」であるのに対し、
日本語の祝詞は約「10%」であり、
二十五倍も多いことになる。
他の言語と比較しても、たとえば、
古代文献の中でM音の多いインドの
カーリーダーサの宗教詩でも、せいぜい
5~6回ほどである。
 この神聖な言葉をM音で表現し、M音
の頻度が高いという日本語のM音に関する
特徴とは対称的な特徴がある。
それは、純粋な日本語(やまとことば)
には、なぜかR音で始まる名詞は一つも
存在しないという事実である。
 R音で始まる日本語はすべて外来語
である。~

(引用注:この事は
「アレ」「ナニ」で通じる日本語は、
「和」と「共有」の察する文化だった!

という記事でもご説明しました。)

~父性音が多い文明語の中で例外的に
母性音が極度に多い日本語。これと呼応
するかのように、この男性文明の現代の
中にあって、日本は奇跡的に母性的性質
を維持している唯一の国である。
 私たちは今も当たり前のように贈り物
をする時に「つまらないものですが」
という言葉を使う。周知の通りこれは
国際的に通用する言葉ではない。外国人
からは理解し難いこの言葉こそ、日本人
が長い時代を通して大切にしてきた母性
のそれである。~
~これは、欧米人の、自分の贈り物を
こんなにいいものだと主張することで
相手に自分の気持ちを伝えようとする
性質とはまさに対称的である。
「ノーと言えない日本人」などと
欧米人から異端視されがちな日本人
であるが、これさえも、つつましく
相手の気持ちを気遣う繊細な母性的
カラーの表われである。この性質は、
簡単に欠点と決めつけられるべきもので
なく、それどころか、むしろこの性質の
奥に潜むものこそが世界無二の発展力
の正体でさえあるのだ。
 世界の多くの民族と接した新聞記者、
本多勝一氏は、世界の中で自分の過失
を直ちに認める習性のある民族は
日本人くらいのものであり、日本人に
確実に近い性質を持つ民族はエスキモー
とニューギニアのモニ族ぐらいのもの
であったと述べている。これも日本人
が太古の母性的文化を奇跡的に維持
しているところからきているに違い
ない。本多氏もそう評しているように、
精神の世界では、まさに日本こそ世界
最後の秘境なのである。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

やはりこれも日本人が世界の中でいかに
特別な言語と、それに基づく精神を
有しているかが、よくわかりますね。
これまで、再三私が強調してきたように
父性音「R音」または「ラ行」よりも
圧倒的に日本語の主体になっている
「M音」「マ行」の方が、重要で
あるという事なのです。

この母性性は、ただちに自分の非を
認めるというような日本人の性質にも
表現されているという事ですが、世界
がこの性質を持つようになるだけで、
戦争や争い事は激減するでしょう。

もちろん全てを受け入れて自分を
出さないでいる日本人は、もう少し
自分を出す必要もあるとは、思い
ますが、この母性的性質はとても
大事だと思います。

また私は
世界の源流の日本語の「MU」音は
母性言語で円をあらわしていた

という記事
でもご説明しましたが、このM音は
完全調和の「円」や「球」を表して
いるのです。
そして本来の宇宙は、一つであり
完全調和であると多くの人が伝えて
くれているように、完全調和である
事を意識できる言葉は、この日本語
が最適なのです。
つまり本来の宇宙を意識するのにこの
日本語が最も重要だという事です。

この円や球の完全調和の一元的感覚
について、深く観ていきましょう。

『』内が引用で、~が中略です。

『欧米の一般的な宗教観では、神が万物を
創ったとされ。「神」と「被造物」とは
相対的な位置関係で認識される。
また、「神」は善なる存在だとされる。
 この考え方からは、「完全無欠で善なる
神の被造物である人間が、なぜ悪なる
性質や不完全な要素を持つのか」という
疑問が生ずるが、それに対しても、「神」
と「サタン」というやはり相対的な
二元論的概念で補われることになる。
 それに対し、アイヌや古代日本人の宗教
観では、存在は同時に神であり、ミ(神)
は同時にミ(身=形ある存在)であった。
~日本人は欧米人から、何でもかんでも
信仰するとよく批判される。
 仏壇と神棚に手を合わせ、クリスマス
も祝ってしまう姿は、欧米人には大変
奇妙で理解し難いものに映るという。
 しかし、日本人が、分け隔てなく
どんな神にも手を合わせるのは、神は
すべてに宿り、この世はどこであろうと
神々の住まう世界であるという、長い
歴史を通じての一元的宇宙観が潜在して
いるからである。
この日本人の観念によれば、他民族の
神であっても、当然のこととして
敬うのである。
 しかし、対立的に神を認識する欧米の
宗教観からは、正しい神と宗教は一つ
しかない。
 この、正しい神は一つとする一神教
的発想が、その当然の帰結として他との
戦いをもたらすことは、歴史が証明する
通りである。
 しかし、日本人は、それとはまったく
対照的に、すべての神々を受け入れ、
溶け合わせながらも、その太古からの
本質的宗教性を失わずに保ってきた。
一神教を自負する欧米人が多神教だと
異端視する日本人の信仰は、実は、
彼らの一神教よりもはるかに一元的な
神への認識に基づいているのである。
~なお、東洋の思想を一元論だと思って
いる人は意外に多い。たしかに欧米人の
観念と比べれば、東洋人の観念の方が
一元的ではある。しかしこれはあくまで
相対的に見ての話である。
 たとえば、中国思想は、陰陽の哲学で
知られるように、日本人の観念と比べれ
ば極めて二元論的な思想であるし、人
としての中国人の発想も極めて二元論
的である。他の東洋の諸思想も、日本人
の観念と相対させればやはり二元論的
である。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

私が、神秘メッセージの記事で、ずっと
通してきた大切なコンセプトが、この日本人
の一元論的観念と共通しているのが、よく
わかりますよね。
すべての存在が神という思想です。
つまりあなたも私もみんな、神という事
です。
神様という言葉を、どういう感覚で使う
かどうかによって、このコンセプトから
離れるかどうか、よくわかるのが、これ
です。
神様は、絶対的な存在で、自分とは違う
存在だと考えるのが、通常の神様に対する
感覚だと思います。世界中の宗教は、この
世界観がほとんどベースになっています。
これだと私たちは、常に神に導いて
守ってもらわなければならない
か弱い存在であり、神の教えに従わ
なければならないという、従順な
感性が育まれてしまうのです。
現代でいうと神が権力者であっても
アイドルやカリスマ的存在であっても
根底にあるのは、そのような自分を
矮小化させる感覚だという事です。

逆にこの日本人的な宗教観でいくと、神
は他者ではなく、自分やほかの人も
含めたすべての存在であるという事
なのです。
これこそが究極の意識の最高到達点で
ある「絶対意識」の感覚なのです。

その絶対意識に到達したアニータさんの
言葉を再掲しましょう。
彼女が宇宙エネルギーと一体になったときの
感覚です。

『「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」』

また自分と一体である宇宙エネルギーのこと
をこう表現しています。

『このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。』

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

つまりまず神は存在を表しているものでは
なくそのありようだといってます。
もしそのありようが神だとすれば、自分は
その存在そのものだ、つまり神そのものだ
という事をいっているわけです。

つまり神は自分と切り離された存在では
なく、、自分はまさに神そのものだという事
をいっていて、まさに、それが日本人の
宗教観と同じく、自分も他人も、全ての
存在も神だという事と、全く同じ観念だと
いう事なのです。

またもう一つの証言では、「神」とか
「クリシュナ」とか「仏陀」という
言い方で、絶対的な存在のエネルギーを
言い表していると、それは無理矢理
形を与えて、人によっていろんな解釈を
与えてしまうため混乱させるだけだと
いう事です。

つまり私たちのいう神とは、形のない
宇宙エネルギーそのもので、それは
日本語の「気」であり、中国の「チー」
であり、インドでいう「プラーナ」と
同じものだといいます。
宇宙のすべての存在のエネルギーが
そういうものであり、私たちの本来の
性質、意識も実体もそれと同じだと
いっているわけです。

このように絶対意識に到達したアニータ
さんの得た真理と観念は、古代日本人が
持つ一元論的観念そのものだったという
事です。

これはもちろん私が、私たちが一体であり
また絶対的な存在でもあるというワンネス
の考えと全く同じものだという事
です。

そしてこの全てが一体であるという考え方
こそ、世の中の全ての争いや、苦悩や
悲劇や貧困や不幸を、終わらせるための
最高の観念であり、考え方であり、さらに
真理でもあるという事です。

だからこそ頂点の支配層血族は、日本人
を劣化させていく必要性を感じて
戦後そのように実行してきたという
わけです。

もしそういう一元論的観念を持った
まま、日本人を抹殺しようとすれば、
霊的次元において、さらにやっかいな
エネルギーを、支配層血族が受ける
事になるからです。

たぶんこの事は、物質的な世界のみを
現実と考えている人たちには、荒唐無稽
な話でしょうが、支配層血族たちは、
その事を充分に理解している事も
また確かなのです。

つまり日本人から一元論的観念が
なくなるまで、私たちは支配層血族
にとって脅威であり続けるという
事です。

そしてそのような観念を失わないために
古代日本語のM音がとても重要な鍵を
握っていて、それをベースに持つ日本語
が、やはり大事だという事なのです。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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江戸時代に観る本物の医師の姿と西洋人も恐れた武士道の真髄とは?


この記事は
江戸時代日本は本当に
「美しい国」だった!

という記事の続編です。

前回も江戸時代が、とても自然が
豊かで、それと共生しながら、
完璧なエコ社会を実現していた事
や、識字率の高さが欧州とは比べ物
にならないくらい高かった当時の
江戸庶民が、本屋で立ち読みして
いたのを見て、欧州の人が驚いた
という事などを紹介しました。

今回も江戸時代の素晴らしさを
紹介していきながら、また江戸時代
から学べる事なども、書いていきます。

それと最後にたまたまyoutube
で見つけた、江戸時代の動画を
貼り付けておきましたので、それに
ついても少し書いておこうと思います。

ではまた池田整治氏の著書から引用
させていただきます。

『』内が引用で、~が中略です。

『さらに江戸に物乞いがいないことも
異邦人を驚かせた。
例えば通常、盲人たちへの福祉と
言うと金銭面での支援や目に見える
支援が考えられると思う。ところが
江戸では、琵琶法師と按摩という職業
は、盲人たちの専門職として特権を
与えた。つまりハンディキャップの
ある人たちに、お金ではなく「職業」
という生きる糧を与えたのだ。これこそ
、究極の福祉政策だろう。
医療も未病が基本だった。
 医師は自分の担当する住民の健康に
留意し、とにかく「発病させないこと
が彼らの仕事とわきまえていた。だから
病人が出ると、自分の至らなさを恥じ
、夜明け前に診療所を去る医師も
少なくなかったそうだ。医療行為で
財を成すなど論外だったのだ。~

(引用注:まさにこれこそ医療の真髄
ですね。私も身内や自分自身にはその
コンセプトで生活しておりますし、
全く病院の薬を飲む事もなく、
体調不良も全て自然治療で回復させる
事をここ10年以上も続けており
ます。
江戸時代の医師にくらべて、なんと
現在の医療業界は金権まみれなの
だろう。アフガンで不幸にも凶弾に
倒れた中村医師などは、例外中の例外
だという事です。)

江戸が人類史上、最初で最後の大自然
都市なら、その都市で育まれた芸術・
文化は、まさに人類史上最高の芸術の
宝庫だった。
 歌舞伎、能、文楽、人形浄瑠璃、
陶磁器、和歌、俳諧、川柳、浮世絵、
狩野派等の絵画、彫刻、伝統的木造
建築物、武道、華道、香道、茶道、囲碁、
将棋・・・枚挙に暇がない。これらの
ジャンルで、明治維新以降、新たに排出
したものがあるだろうか?
これらに匹敵する芸術性の高いものが
これだけ集中した都市が、世界にあった
だろうか?

(引用注:非常にバリエーション豊か
ですが、バロック音楽や絵画など西洋
にも質が高い芸術はあったので、その
あたりは、まあ種類は少なくても、西洋
にも一定の評価をしたいと思いますが、
おそらくそれが一般庶民にひろがって
いた民主性が、欧州とは比べ物になら
なかったのだと思います。宗教画も
音楽も確かに特権階級のものでした
からね。
また現代日本では、やはり楽しむ事に
かけては、昔から一流だったので、
アニメや漫画、ゲームに変わったという
事で、やはり多彩な展開もしているとは
思います。ただゲームが体と脳に被害を
及ぼし、漫画も思考力という点で成長
しにくくなる部分があるのは、確か
ですが、まあ日本人が多彩で多感という
のは、まだなんとか受け継がれている
とは思います。)

文学を見ても、世界最古の私小説
『源氏物語』が誕生したのが、
一〇〇八年。今から一〇〇〇年も昔
である。一三〇人近くの登場人物が
織りなす世界最古の恋愛小説だが、
この名著は読後、人生のわび・さびを
感じさせてくれる。
 それから七、八〇〇年もの年月を
積み重ねて書かれた『浮世草子』や
『奥の細道』『東海道中膝栗毛』
『南総里見八犬伝』等の書物や文学
は、様々なジャンルで華開いた。
欧米の文学は、せいぜい一〇〇年から
二〇〇年の歴史に過ぎない。~

(これも驚いた、もう少しは欧州の
文学も歴史はあるとは思いますが、
しかし、それでも圧倒的に日本の
文学の発展の方が古いといえそう
ですね。)

中世の欧州は王侯・貴族の国であり、
一般市民は農奴しかいなかった。
キリスト教は、このような専制支配
体制を維持強化するための
イデオロギー的要素が、教祖である
キリストの心(教え)に反して、
彼の死後に入ってしまったのです。

(引用注:これはローマ帝国の
時代に、大きく聖書が改ざんされた
事も記事に書かせていただいたと
思いますが、当時からキリスト教は
一応キリストの言葉を弟子たちが
書いたと言われる新約聖書以外に
旧約聖書もベースにしていて、その
内容があまりにも支配者にとって
都合が良い思想だと近年知って驚いた
のですが、なんとさらに驚く事にこの
旧約聖書は、キリスト教だけでなく
ユダヤ教、イスラム教のベースでも
あるという事をほとんどの人が知らない
と思います。
その事は、旧約聖書についての記事に
書いていこうと思います。)

組織はトップで決まる。江戸文明は、
士農工商の身分制度で明確なように、
トップの武士階級によって支えられた。
 では武士とは何か?「いざ」という時は、
藩(国)のため、藩主のために、武器を
持って死を賭して敵と戦う職業である。
そのために、生まれたときから一切り
包丁、すなわち研ぎ澄まされた真剣に
よる剣道を中心とする様々な厳しい武道
と人間性向上のための学問が、日々の日課
だった。上級武士になるほど、剣道の
「免許皆伝」、茶道の心得、『孫子』
『四書五経』等の習得、習字、馬術、
兵法等、より高度な修得が求められた。
 特に剣道・槍等、武術の稽古は、常に
死と対面し、その克服のためには心の
修行が不可欠であり、究極の無刀取り
の極意、つまり~(たたかい)を「止」
める「道」の完成が求められる。

(引用注:~の部分は武という漢字の
止めるだけを取り除いて、戦うという
意味の部分が入るのですが、どこにも
そんな部分をフォントで扱っては
いなかったので省略させていただき
ました。とにかく、白刃取りというのが
無刀取りという事なのでしょうが、
とても高度な技ですが、やはり研ぎ
澄まされた精神と、高い意識レベルが
ないとそこまでの極意を得る事は難しい
という事でしょう。
それにやはり、戦うよりは止めるという
武士道の真髄がここにもあるという
事だと思います。)

そのための厳しい精神修養を通じ、禅に
通じ、わび・さびの感性、無の心境、
すなわち「究極の人格の形成」が
求められる。だからこそ武道精神に
通じるものほど、弱者への愛、公への
奉仕、誠な生き方を体現するように
なる。
一方、これを支える婦人にも「婦道」
と呼べる、武士の妻としての良妻賢母の
修行が行われた。

 こういう武力と高い人間性を併せ
持った武士が、江戸文明を支える、つまり
行政を預かっていたのである。
欧州の貴族達支配者は、自己の領土と
名誉のためには大いに戦ったが、一般市民
と言える農奴のために仕事に励んだという
史実は聞いたことがない。
 ところが江戸時代の武士は、市民の
ために粉骨砕身働いた。彼らの普段の仕事
は、今で言う幕府や市役所の役人である。
彼らは私利に走ることなく誠実に勤務
した。幕末には一般市民である商人の
ほうが経済的には裕福になった。
「武士は食わねど高楊枝」とは、皮肉
ではなく、まさに彼らの無私の奉仕、
誠実な生き様を表すものである。
 一方、精神的には、彼ら武士は名誉と
義を重んじ、そのために殉ずることさえ
厭わなかった。いざという時には、金も
地位も家族も捨てて、己の信じる義の
ため、己の名誉のために、獅子奮迅の
力を発揮する。~

(引用注:この家族も捨ててというのは、
残された家族の事を大事にしないという
意味ではありません。藩(国)のため
に戦って命を落とした場合、藩から
家族のために手厚く支援される事が
約束されていたのです。しかも自分
が命を落としても、また良い夫を見つ
けるように妻に念を押していた武士も
少なからずいた事でしょう。
なんという潔い漢のあり方なんで
しょうね。)

しかも彼らには帯刀が許された。つまり
常時「武力」を保持していた。その
精神力と武力に支えられた武士団が、
一〇〇万都市・江戸を支え守っていた
のである。それゆえ治安には、警察官で
ある同心がわずか十数人いれば良かった。

~ちなみに、このような武士が守る
日本への直接的な武力による植民地化は、
軍事上不可能だった。黒船が威嚇射撃
だけで上陸しなかったのは、黒船の
兵員輸送能力と武士の数を比較すれば、
物理上、それしか手がなかったことが
理解できる。それゆえ、日本を勢力下に
収めるためには、薩長等を使った武士間
の内戦という「間接侵略」が採用される
ことになるのだ。』

“出典:「マインドコントロール」
           池田整治 著
           ビジネス社刊”

最後の見解は貴重です。もちろん明治維新
が、欧米の支配層による間接支配により
始まったという事を知らなければ、話に
なりませんが、これを読んでくださって
いる方なら、よくおわかりの事だと思い
ます。
つまり歴代の総理のほとんどが山口県出身
なのは、彼らの支配にいち早く収まり、
幸福であった江戸時代を終焉させた長州藩
が前身の土地だからです。
しかもその支配が現在まで続いている証拠に
山口県岩国市に米軍基地があるのは、日本を
いまでも占領しているという事を、大衆には
隠しながら、政府中枢には示しているという
事なのです。
そして江戸時代の武士団を、彼らがことさら
恐れていたというのは、太平洋戦争を回顧
した元米軍兵士たちが、日本兵は体は
小さくても自分たちより屈強で、同じ武器を
持って戦ったらとてもかなわないと口を
揃えたというエピソードが存在しているのを
見ても分かっていただけると思います。

確かに西洋の兵隊には、武道の極意などは
全くわからない世界で、精神修養もまた
武道の鍛錬も欠かさなかった武士たちは
本当に強かったのだと思います。

それより特筆すべきなのは、彼らが行政も
担当していたという事です。四書五経など
を修得していたから、教養も高かった
という事で、しかも民を思う精神も
手伝って、
今とは比べ物にならないくらい優れた行政が
行われていたのだと思います。

医療、行政、文化、治安などあらゆる分野
で江戸時代が完成された社会である事が
わかります。

では最後に以下の動画をどうぞ
一応その下に簡単なコメントを書いて
おきました。

【衝撃】外国人が見た150年前の
日本が凄すぎる…「人々は貧しい。
しかし幸せそうだ」と感動した
エピソードとは…?!【すごい日本】
海外の反応

まあありがたい事に、日本を限りなく
賞賛してくれたわけですが、たぶん
間接支配が明治から始まったという
真実は、彼らの中でもさらに特権階級
しか知らなかったのでしょう。
おお神よとかいってる間に、日本は
影で欧米の勢力下に入ってしまったの
です。
だから明治以降、全く他国に戦争を
しかけるような国民性では全くなかった
のにもかかわらず、戦争を彼らの
圧力に屈した政府と軍部が決めて
他国へ侵攻していったというわけです。

まあ彼らのように海外を悠々と略奪して
まわるような階級は、豊かであった
でしょう。日本を貧しいというのは、
彼らに比べたらという事で、江戸時代は
衣食住が満ち足りて、文化も発達していた
豊かな時代であったので、満ち足りて
いたわけです。単に生活が彼らの好む
ように派手でなかったというだけの事
です。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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現実自体を変えられる驚異の超常能力!驚きの世界を現出させた奇跡の少女の実例


これまで、ホログラフィックな現実の
仕組みや、古来から多くの賢人や術者に
よって未来を創造する「視覚化」という
能力に関する事など、貴重なヒントを
数多く与えてくれているマイケル・
タルボット氏がまた、驚くべき超常能力を
発揮できた少女の実例を、著書に書いて
おられるので、引用させていただきたい
と思います。
まずは、現実全体を変える超常能力と
いうものについてのタルボット氏の
鋭い見解からです。

「」内がすべて引用で、~は中略です

「 現実全体を根こそぎ変えてしまう

ある意味で、物質化現象は、現実に関して
私たちがもっている常識的な見方を最も
激しくゆさぶるものだと言える。という
のも、念力のような現象までなら現在の
私たちの世界観の中になんとか取り込め
ないことはないものの、何もない空間から
物体を創造するとなると、世界観の基盤
そのものをゆるがすことになるからだ。

ところが、精神ができることは、それだけ
にとどまらないのである。これまで見て
きたものは、奇跡といっても現実の
「一部分」に関わっているにすぎない。
たとえば、念力を使って物をあちこち移動
させる(物理的法則)、火に対する耐性を
もつ、物質化させる(血液、石、宝石、
灰、栄養素、涙)などである。
しかし現実が切れ目ない全体性である
とするなら、なぜ奇跡は現実の一部分に
しか関わっていないように見えるの
だろうか?
 奇跡が精神のもつ潜在能力を示す例で
あるなら、この問に対する答は、当然
つぎのようなものになる。

すなわち、私たちは世界を部分に分けて
見るように深いレベルでプログラム
されているから、ということだ。

(引用注:これこそが太古の昔に
月のマトリックスで我々のDNAに
プログラムされた事の一つです。
視覚はまさにその分離した世界を
現実全てのように見せるトリック
としても働いています。

そして今でもその分離・分割の
ための洗脳プログラムは、支配層に
よって実行され続けているのです。

彼らが戦後3S政策の一つスクリーン
で、我々を視覚的現実に誘導して
きた中に映画、テレビ最近では動画
などがあり、アイドルなども
そのために有効だという事に
なります。)

これはつまり、もしそのような
プログラムがそれほど強くなく、世界を
ちがった見方で見ることが可能ならば、
奇跡もまたちがったものになるという
ことを意味している。そうなると、
現実の一部分が変容するような奇跡の
例よりも、現実全体が変容する例を
もっと多く目にすることになるはず
なのだ。
実はそういった例もいくつか存在して
はいるが、それはまれであると同時に、
現実に対する私たちの常識的な見方に、
物質化現象よりもさらに深刻に挑戦
してくるものなのである。」

さすがに本人も、少年時代にポルター
ガイストなどさまざまな超常能力を
発現させたマイケル・タルボット氏は
、視点が非凡なのがわかりますね。
超常能力の発揮だけでも、私たちには
充分な奇跡に思えるものですが、

さらに高いレベルの見方を提示して
くれているという事です。
確かに、我々がよく目にし耳にする
超常能力のほとんどが、現実の一部分
にしか、関わらないものが多いです
よね、そこに目をつけたのが、
タルボット氏の見解というわけですが、
その理由が、とても納得のいくもの
でした。

私たちの意識は、確かに物事を部分
的に分割して見るように、習性づけ
られているといえます。そのため、
超常現象も部分的な影響力しか
持てないという事です。これは真理
だと思います。なぜなら私たちは、

まさに全意識が本来の姿なので、
可能性を限定させる力は自分の中に
こそあると理解できるからです。

そして五感の感覚は、物事を分割して
見る事にこそ適しているものです。
特に視覚が。
五感にもレベルがあります その2
視覚の死角について
という記事を
ご覧になれば、理解の助けになると
思います。

このように私たちは、生まれる時点で
物事を分割的にみるような意識に
制限されますが、その制限から解放され、
現実を全体として意識するようになれば
制限された能力も解放され、超常能力も
発揮できるようになるという事なの
です。
そして我々が現実を全体として見る
意識が、さらに高いレベルになれば、
現実そのものを変える超常能力も発揮
できるという事なのです。
そういう例を、タルボット氏が取り
上げてくれているという事なので、
見ていきましょう。

「ワトソンがそのような例を示して
いる。インドネシア滞在中に、彼は、
この種の力をもつもうひとりの若い
女性に出会っている。その女性の
名前はティアといったが、前述の
アリン(無意識のうちにポルター
ガイスト現象を引き起こした少女)
とは異なり、彼女の力は無意識
レベルのサイキックな才能の表れでは
ないようであった。それは意識的に
コントロールされており、ほとんどの
人の内部に眠っている「力」に、
ティアが生まれつきのつながりを
持っていたことから発しているもの
だった。
ティアはひとことでいうなら、
完成途上のシャーマンだったのだ。
ワトソンは彼女のこの特異な能力を
何回か目のあたりにした。奇跡的
治癒を行うのも目撃もしたし、一度は
~彼女が自分の精神の力を使って
モスクの尖塔を発火させるところさえ
目にしている。
 しかし、ティアの最も凄まじい
力を見せつけられたのは、ケナリの
林の木陰で、彼女がひとりの少女に
話しかけているところに偶然出くわ
したときのことだった。遠くから見て
いても、ティアのしぐさから、彼女が
なにか大事なことをこの子供に伝え
ようとしていることがワトソンにも
わかった。ふたりの会話は聞こえな
かったが、ティアがいらついている
様子だったことから、これがうまく
伝わっていないことが見てとれた。
やっと何か思いついたらしく彼女は
不気味な踊りを始めたる
 ワトソンは、彼女が木に向かって
手をさしのべるのを我を忘れてじっと
見つめていた。ほとんど動きらしい
動きをしていないように見えたが、
その微妙なしぐさにはなにか催眠的
なものがあった。それから彼女は、
ワトソンに強烈な衝撃を与え、狼狽
させることをしたのである。
彼女は、その林を一瞬のうちに全部
消滅させてしまったのだ。
(引用注:ここびっくりするとこ)
ワトソンが述べているように、
「ある瞬間ティアはケナリの林の木陰
で踊っていたのに、つぎの瞬間、彼女は
目を刺すような明るい陽射しの中に
ひとり立っていたのである」。
 数秒ののち、彼女はふたたび林を出現
させた。少女が跳びあがって木々に手を
触れながら走りまわっていた様子から、
ワトソンはこの子も同じ体験をしていた
ことはまちがいないと思った。だがティア
の魔術はまだ終わったわけではなかった。
こんどは、この林を数回にわたり消したり
出現させたりしてしまったのである。
ティアは少女とふたりでくすくす笑い
ながら、手に手をとって小躍りしてこの
神秘を楽しんでいた。
ワトソンはただその場を静かに去って
いったが、頭の中はぐるぐると回って
いた。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

これは、まさかの超常能力ですね、
一体どのような力が働いたのか、
簡単に仕組みは説明しにくいで
しょうが、ティアという少女が、
現実全体を確かに根こそぎ変えた事
は事実でしょう。誰かに催眠効果を
もたらした結果などというケチな
ものではなく、遠くで覗いていた
だけのワトソン氏まで、はっきりと
林が消えたのが見てとれたのです
から、本物でしょう。しかも、林を
消したり出現させたりを数回に
わたり実現させてみせたのだから、
完全にお手上げですよね。

つまり、彼女には、全体として
一つである本来の世界と意識的に
つながることが先天的にできていた
ということなのでしょう。
もちろん我々も意識のレベルさえ
上がれば、同様の事ができるという
事でもありますが、まさか実例として
これだけ鮮明な現実の変え方があった
というのは、本当に驚くべきことです
よね。

そうだこれでも、ティアという少女が
かなり範囲の広い催眠効果をもたらした
のではないかという、懐疑的また否定的な
人がおられるかも知れませんね。
その方々のために、つけ加えておきま
しょう。

私たちの現実感覚こそ、五感に囚われた
集合意識による限定された「想像上
または脳内現象的な」ものだという事
なのです。それは確かな意識的な現実
だともいえますが、無限にある現実の中
のとてつもなく範囲の狭い、特殊な一部
だという事です。

だからそんな特殊な一部の現実を基準に
しなければ、ティアの出現させた現実も
また確かな現実のうちの一つだという事
なのです。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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江戸そのものが、都市全体が循環するリサイクル国家だった!


この記事は
江戸時代に訪れた欧米人たちが、当時の江戸
を評した数々の賛美の言葉とは?

の続編になります。

今年のオリンピックを誘致する
時に当時の安倍首相が
「完全に近海で放射能汚染が、
コントロールされている」
と言っていたのを世界中の人々は、
全く信じていません。

日本は情報統制のため大手メディアで
放射能汚染の現状は、ほとんど全く
知らされていません。日本では、ネット
などで、いちいち放射能汚染の現状を
調べなければなりませんが、世界では
大手メディアで詳細に日本の放射能汚染
の現状を伝えているからです。
そのため日本の農産物や海産物は、
今でも厳重に輸出規制されているわけ
です。
世界に向けて大嘘をついただけでなく、
国民はふだんから騙されっぱなしだと
いうわけです。

「いつから日本は、ウソをつく国になって
しまったのだろう。」
もし江戸いや戦前でさえ、当時の日本人を
知る人たちは、あまりにも変わり果てた
日本の変貌ぶりに驚いているはずです。
これは特に、国の権力者のバックにある
世界の権力者の意図通りに政治家が、動いて
いるためですが、そんな事は世界の知識人
しか考慮に入れてくれないと思います。

つまり世界の一般の人たちにとっては、
国のトップは、現在の日本人も代表
しているという事として捉えられるから
です。
あーなんという嘆かわしい事でしょうね。

かつて同じ人物が「美しい国ニッポン」
というスローガンを掲げていたのは記憶に
新しいですが、同じ人物の政権によって、
汚染土が、全国にばらまかれ、文字通り
「美しくない国」にどんどんされて
いったというのが現実です。

ところが、学校では教えてくれませんが、
本当に世界でも類のないほど、日本は
「美しい国」であったのです。

また池田整治氏の著書から引用させて
いただきましょう。

『』内が引用で、~が中略です。

都市全体が循環するリサイクル国家

日本に来た外国人は、そのほとんどが
中国・上海を経由した、上海という街は、
見た目は石造りの高僧ビルもあるが、
ほとんどの住民は、彼らの目から見ると、
まるで物乞い同然の汚いものだった。
そこからさらに船で東端の島国である
日本を目指した。インド・中国の次で
ある。彼らは相当な汚さを予期していた。
 ところが日本に上陸すると、その
美しさに絶句した。
 黒潮・親潮の海洋エネルギーの恩恵に
積み重ねられた「春夏秋冬」の、まるで
絵画のような大自然に圧倒された。~
 寒村の横浜でも、小道に至るまで綺麗
に手入れが行き届いている。マッチ箱の
ような農村でさえ、庭には小綺麗な盆栽
がある。欧州における農奴の生活では
あり得ない風景だ。~
彼らは異邦人を家に案内し、食事を賄い、
風呂まで入れて、しかも帰りには土産
までくれる。御礼に手持ちのペンなどを
差し出すが受け取らない。寝る時は
家に鍵をかけないで寝ている。

さらに江戸にいくと、そこはまるで
パラダイスだった。
それもそのはずである。現存する
後楽園や六義園クラスの大規模な
公園が三〇〇~四〇〇ほどある。
中規模の公園は、三〇〇〇~四〇〇〇
ほどもある。
小さな個人の家にも必ず庭があり、盆栽
などが植え込まれている。言うまでも
なく、大規模な公園は大名屋敷であり、
中規模な公園は旗本屋敷や神社境内で
ある。
 しかも非常に衛生的だ。トイレが
完備されていて、汚物は有機肥料として
使われている。完全な循環型有機農法で、
リサイクルにより人口約100万人を
賄っている。とても清潔で、掃除の
行き届いた街並みだった。
 行き交う人は礼儀正しく、温かい
人間性にあふれている。必ず微笑み
で挨拶をしてくる。子供の天真爛漫な
無邪気さは他国では見られない。
市民が本屋の前で立ち読みする姿
など世界で初めて目にした。
絵画や彫刻、陶磁器の芸術も、これまで
見たことのないほど繊細で大胆な構図
である。目に触れる物、人、そのすべて
に彼らは感動した。
 これらを上空から見れば、まさに緑
あふれた史上最大の公園都市・パラダイス
だろう。列島文明の特性である
「自然との共生」が、大都市・江戸で
結実したのである。』

“出典:「マインドコントロール」
           池田整治 著
           ビジネス社刊”

日本は本当に清潔で、美しい国であった
ようです。江戸時代が、完全リサイクル
社会であった事は、割と情報が出回って
いたので知ってはいました。
江戸に縦横無尽に張り巡らされた水路
で、海運も人の行き来もスムースに流れ、
新鮮な魚介類や、農産物も、採れたその
ままで、カゴを担いだ行商人が売り歩く
のです。
当然寿司も江戸中の寿司が、全て驚く
ほど美味しかったのはいうまでもない
でしょう。
また水路は防火対策としても役立つ
し、当然田園に行き渡り、農業を助け
ます。
まだまだ他にもあらゆる完全な都市
としての機能が、完備されていた夢の
理想郷であったようです。
なぜ「近代化」などをする必要が、
あったのか、もちろんそれは、日本を
利用して、富も簒奪しようという
大国のそれも一部の支配的特権階級の
意図があったからなのです。
それにしても鍵もかけないで寝られる
というのは、それだけ人が人を信頼し
思いやりにあふれた社会であったという
事がうかがえます。まさに共生の社会
ですが、西洋の「近代化」が進んだ
今はどうでしょう。全く逆の社会に
誘導されてきたのがわかりますよね。
彼らが持ち込んだのは「競争社会」
です。弱肉強食が自然の摂理だからと。
実はこれは大きな間違いです。
これは真実の月編の一連の記事を読んで
いただければ、わかっていただける
ようになっていますが、数十万年前に
地球の自然界のシステムは大きく
変えられ、共生共存であった地上に
弱肉強食の生態システムが、持ち
込まれたというのが真相だったのです。
今でも植物の世界などは、同じ自然
ですが、見事に共生の生態システム
ですよね。
しかも木の年齢などをみても、自然と
共存するがために、超長生きではない
ですか。

そして自然に恵まれた日本では、別に
肉を食べられなくても豊かな食生活が
実現されていたのです。
この事は、子供たちが教えてくれました!
という記事でもご紹介しました。

その記事から、弱肉強食以前の黄金時代
と、日本が何度も肉食を禁止してきた
歴史があったという部分を、転載して
おきますね。

また最近
ムー大陸伝説とは? 堕落する以前の
黄金時代
という記事で、太古の昔人類は動物たちと
テレパシーでコミュニケーションしながら
楽しく暮らしていたという、ギリシャの
時代の言葉をご紹介していましたが、
もう一度まず掲載しておきますね。

また超古代の黄金時代についての言葉も
ギリシャ時代に残されていて、それを
アイク氏の著書から引用します。

「」内が引用で、~が中略です。

古代人は度重なる大洪水などの大変動
によって人類が「堕落」したと考えて
いて、それが世界中の言い伝えにある
という事ですが、それを受けてが以下
になります。

「古代ギリシャの詩人ヘシオドスは、この
「堕落」以前の世界のことを記している。

人は、神々のように、欠陥も激情もなく、
苛立ちも労苦もなく、生きていた。
神聖な存在と仲良くしながら、平穏と
喜びの日々を送っていた。お互いの信頼
と愛で結ばれ、完全な平等を保ちながら
ともに生きていた。地球は今よりも
美しく、豊かな種類の果実が自然に
生(な)っていた。人間と動物は同じ言語
で話し、互いに(テレパシーで)意思疎通
していた。大人は100歳の少年に過ぎ
ないと考えられていた。加齢による衰弱
はなく、上位の生命領域に移るときも
[死というよりも]穏やかな休眠状態
だった。」

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編➁〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

つまり動物を殺して食べるなどという
習慣など全くなかったという事です。

さてこのように堕落した人類になっても
日本人は明治以降、西洋文化とともに
肉食文化が入ってくるまで、原則として
肉食禁止だったのです。


“出典:「光の食卓」
      木村重一
      木村紀子著
    ヒカルランド刊 ”

この画像にあるように、なんと明治時代
以前に日本では1191年もの間肉食
は禁止だったという事です。
私たちは、当然こんな事学校で教えて
くれませんよねー。
そんな事を教えたら、日本人が目覚めて
しまいますからね。
この中で私が一つだけおぼろげな記憶に
あるのが、徳川綱吉将軍の
「生類憐れみの令」くらいものですが、
その意味について詳しく説明された記憶
はありません。確か年号と結びつける
のだけ試験に備えて覚えようとして失敗
したよーな記憶はあります💦

とにかく私たちは、本来菜食主義の民族
だったという事です。
こちらの本にもありますが、日本は国
として「肉食禁止令」を7回も出して
います。これは世界で唯一の国という事
らしいです。
栄養学の真実その2」の記事でも
紹介してますが、肉食は攻撃的な性格に
なり、食べ過ぎるとさらに獰猛で凶暴な
性質にもなるという事です。
なるほどそういう意味で、日本人が
平和的な民族であるといわれる理由も
ここにもありそうですね。
事実明治以降、外国と頻繁に戦争をする
ようになった原因の一つでもあるでしょう。
もちろん一般国民のレベルの総意では
なかったのですが。

ちょっと長かったですが、今回の記事と
見事にリンクしてましたので転載して
おきました。
これについては、また別の記事でも取り
上げる事があるとは思います。

では逆に西洋の都市の方はどうだったか
というのをまた引用させていただきますね。

『』内が引用で、~が中略です。

『では、彼ら異邦人の都市はどうだった
のか。当時、バリやロンドンは人口が
約五〇~六〇万人ほどで江戸のほぼ半分
だった。
 江戸との違いは、緯度が高く、生物
を養う豊潤な海洋エネルギーが乏しく、
地質もやせていることにあった。その
結果、自然との共生ではなく、自然を
克服し、唯一の建設資材となる「石」を
使って人工的で幾何学的な街を作る
ほかなかった。
 石の建造物なので、高僧ビルも
建てられ確かに見栄えはする。しかし
生活は決して快適とは言えない。トイレ
は各階のしかるべき部屋に「壺」が
置かれた。壺に座って用を足すので
ある。このため、女性のドレスの裾に
鉄線が入れられ花びらのように
開かれた。一見華やかなドレスの
デザインには、実はこういう事情が
あったのである。
 壺が一杯になると、汚物が窓から
捨てられた。江戸と違って上下水道
が完備されておらず、生ゴミなどは
放し飼いの豚に処理させるお粗末さ
である。それゆえ、ぬかるみの路地では
夏ともなると虫が湧き、不衛生極まり
ない。だからコレラが流行した。
そして匂い消しとして香水が多用された。
欧州で香水が発達したのは、こういう
理由であることを忘れないで欲しい。

(引用注:なるほどここから現在の
香害にもつながっているのでしょうね。
あちこちファブると、鼻腔から神経毒
やら、有害な化学物質がどんどん入り
こむわけですから、まさに危険な香り
というわけですわ)

貴族階級以外は、ほとんどが彼らの
使用人か農奴である。彼らは麦のわら
の中で、雑魚寝生活である。読み書きの
できる市民などほとんどいなかった。
 こういう都市生活をしていた異邦人
たちが、生まれて初めて味わったのが
江戸という自然公園都市だった。
彼らがパラダイスと感じ、賞賛した
所以である。』

“出典:「マインドコントロール」
           池田整治 著
           ビジネス社刊”

いやいや、これだけイメージと違うと
本当なのかと疑いたくもなりますが、
他にも情報源があって裏付けられて
いるので、本当のようです。
つまり江戸末期に来日した欧米人が、日本
から学んだ事によって、現在の花の都パリ
というのが実現したという事が真実だと
いう事です。
常に西洋は東洋から学ぶというのは、
隠された歴史編の一連の
記事にも通ずるコンセプトのようです。

モンゴル帝国が侵略してきた事が、
結局は、ルネッサンスにつながった
事。最近では量子物理学やあの天才
物理学者のニコラ・テスラも東洋思想
から、大きなヒントを得ています。

こうなると我々がたたき込まれてきた
明治以降の「文明開化」という概念は
完全崩壊するしかないという事ですが、
それが真実であったという事です。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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