何度もワンネスを体験するシャムルワさんから学ぶ多くの事とは?


この記事は
日常の健常な状態でワンネスを体験した
シャムルワさんとは?

の続編になります。

さて前回のシャムルワさんの歓喜に
あふれたワンネス体験の続きです。

また本山よろず屋本舗様から転載
させていただきますね。

シャムルワ氏の体験の続きです。
ワンネス体験の核心に迫っていきます。

「」内が引用で、~は省略部分です

「 ・・・<『ワンネスの扉』、
p96~p102から抜粋開始>・・・

 ワンネスの体験

 当初、こうした体験をどう解釈して
いいかわからず、勝手な呼び名をつけて
いた。それは「宇宙の躍動を感じる体験」
から、「現実を一瞬かいま見る体験」に
まで発展していった。長いネーミング
だが、その体験に名前をつけるとしたら、
ほかに呼びようがなかった。
「現実を一瞬かいま見る体験」は「生」
「生きることの美しさ」から始まる。
その美しさは、大きな悲しみと大きな
喜びが一つになったような不思議な
美しさだ。悲しみと喜びが一つに統合
され、日常生活ではとうてい感じられ
ないほどの圧倒的な力強さで心に押し
寄せてくる。胸がとても苦しくなる。
苦しいのに、生きるとはなんと尊い
体験なのかと、あふれる思いに
感極まって涙がとまらなくなる。
そして「時間」と「私」が同時に
消滅し、目の前に広がる現実が心の
目で見えてくる。
 「私」がなくなった心でまわりを
見渡すと、そこには「愛」「美しさ」
「悲しみ」しか見えなかった。テーマは
「生」への愛。この愛は、「私」が
「生」を愛するのではない。
「愛=宇宙=わたし」だった。目の前を
歩く人たち、犬や猫、目に映る生きとし
生けるもののすべてが自分と別の「個」
ではなくなり、パリ、フランス、地球
など、ありとあらゆるものが自分の
ハートとなり、やがて宇宙と一体に
なっていく。喜びや楽しさばかり
ではなく、悲しみや痛みも同時に
感じる。でも、感じているハート
そのものが美しいのだ。

 この体験は繰り返し起こった。
週に一回が二回になり、毎日になって、
ついには一日に数回と、どんどん頻繁に
なっていった。場所や時間にかかわらず、
それは唐突に始まる。スーパーで買い物中
だったり、横断歩道を渡っている途中
だったり、家でレポートを書いていたり、
道を歩いたり地下鉄に乗っているとき、
突然なんの前触れもなく起こった。
 はじめの頃はそれほど心配しなかったが、
そのうち日に何度も起こりはじめると
日常生活に支障をきたすようになった。
いくら宇宙との一体感が素晴らしいとは
いえ、スーパーで買い物をしているときに
この感覚に圧倒され、涙が出てきてしまう
のには困った。まわりの人の目が気に
なった。
 いったいこれは何なのかと何度も
インターネットで調べてみたが、適切な
検索ワードすら見つからない。
「非常な喜び」とか「素晴らしい感覚」
などと入力してみても、この現象に
結びつくような記述はどこにも見当たら
なかった。僕が体験しているこの現象は
きっとほかにも誰か体験しているはずと
思っていたところへ、日本の友達から
メールが届いた。日本で
エドガー・ケイシーのリーディングを
広める会社を経営し、スピリチュアルな
生き方や健康に関するメルマガの配信も
している菜央子さんという女性から
だった。彼女とはある友人を介してその
年の9月にパリで知り合ったばかりで、
街を案内したりベジタリアンの
レストランを一緒に探したりしたが、
僕の体験についてはまだそれほど詳しく
話していなかった。
 ところがこのとき菜央子さんから
届いたメールには、彼女が書いた
メルマガと、おもにアメリカ人が体験
したスピリチュアルな現象の証言集が
添えられていた。読みはじめて驚いた。
それはまさしく、僕が体験している現象
と同じだった。

・地球の愛を感じる
・地球上のすべての人たちと一つに
なっている感覚
・「私」がなくなる感覚
(自己の消失)
・宇宙と一つになった感覚

 僕が体験したすべてがリストに
あった。とうとう同じ体験者の声が
開けた。安心感があふれてきた。
やはり僕は気がふれたわけじゃない、
よかった!
 なにより、この現象には名前があった。
「ワンネス」。ほかにも「宇宙との一体感」

「至高体験」、「覚醒体験」、
「自己超越体験」など、さまざまな
呼び名があることを知ったが、僕には
「ワンネス」が一番しっくりきた。
体験から見た場合、「宇宙との一体感」
には位置を優先するようなニュアンスが
ある。スピリチュアルな意味合いを含む
「ワンネス」のほうが体験から学べる
内容をはっきり表わしているので、
僕はこの呼び方が好きだ。
 菜央子さんからのメールを読んで、
僕はユーレカを感じた。ユーレカとは
エウレカともいい、アルキメデスが
「発見の喜びの瞬間」に叫んだとされる
言葉だ。きっそくそう返信したところ、
彼女によるとワンネスはふつう人生で
何度も起きない体験だそうだ。僕はほぼ
毎日二、三回か、週に数回という体験が
続いていたので、変だなと思った。
それを彼女に伝えると、こう聞かれた。
「ほんとう? ワンネス体験がもう何度も
起こったの?」と。「宇宙との一体感」
または「自己の消失」を体験しているのは
確かだと思うが……。でも、体験は何回
どころではなく頻繁にずっと起きている、
というのはなんだか気恥ずかしくて言い
出せなかった。

 ワンネス。僕が体験している現象に
やっと名前がついた。
 僕の「現実を一瞬かいま見る体験」
は「ワンネス体験」になった。
 ワンネス(One-ness)--すべて
と一体となっている状態。確かにこの
英語の名称はふさわしい。自分の
母国語、フランス語ではなんと
言えばよいのだろう。すべてが
一つになるという意味の
「unicie(ユニシテ)」だろうか。

 ワンネスは脳では体験できない。
ハートで感じる。ワンネスは「愛」に
満ちあふれている。無条件で無境界の愛
だ。愛を感じる相手は、家族や友達なのか
見ず知らずの他人なのか、性別や年齢、
文化や人種にはまったく無関係で、さらに
は人か動物か、昆虫か植物か、生物か
無生物かも関係ない。地球で生きている
もの、存在しているもの、そのすべてに
愛を感じる。そこに恐れや疑いは一切ない。
 やがてその愛は地球を超え、宇宙にまで
広がり、宇宙と一体となる。
「宇宙=愛=わたし」となり、自分と
他を分けているものが無くなる。一つ
ひとつを区別できなくなる。

 ワンネス体験のはじまりは、愛だ。
愛は感動を生みだす。胸がいっぱいで
涙を抑えられない。その愛はハートを
つらぬく。アンプを調節すると音楽の
周波数が飽和するみたいに、
人間である自分がこの愛で飽和状態に
なる。ハートが愛で満ちあふれる。
この愛が、人間である僕の殻を破り、
それを超える次元の体験をさせる。
 この愛から学んだ一番大切なことは、
「私はあなた、あなたは私」。他者との
区別はない。それは頭で理解する
コンセプトではなく、身体で感じる
体験だ。「私はあなた、あなたは私」
という感覚が身体に浸透すると、
見ず知らずの他人を見ても自分が見える。
人が体験している人生に深い感謝が湧いて
くる。皆が一つの生命体のように、互いの
体験を重ね合わせているのがわかる。
 相手はただ違う自分であり、相手が
言うことなすことは、自分が言い、
なすことだ。
 これはワンネス体験がもたらす境地
のひとつだ。相手の目の中に自分が見え、
相手の声の中に自分の思いが聞こえる。
それは一対一の関係だけでなく、
自分対何万人という単位でも起こる。
脳で考えることではなく魂で感じること
なので、数はまったく関係ない。何万人が
体験して感じていることを自分の感覚
として感じたとき、それはバラバラな
はずなのに一つのハーモニーとなり、
ただただ美しかった。

 ・・・<抜粋終了>・・・」

“出典:「本山よろず屋本舗」様
       よろず屋寸話
     『ワンネスの扉』より”

最初は、背景となる知識がなくて、
自分の体験に驚いているだけだった
シャムルワさんが、なんと日本人の
女性である菜央子さんと出会って、
それが、他にも体験されているもの
だと知って安心します。
やはりいろいろな呼び名があるという
事は私たちも知っている通りですね。
至高体験や、自己超越体験、覚醒体験
ともいえますが、それらに対する
意識レベルの範囲は非常に広く
例えば、覚醒体験でもピンからキリ
まであるといった具合ですが、私の
いう絶対意識体験は、このシャムルワ
さんのいうワンネスとほぼ同じレベル
だといっていいと思います。

前回にもちらっといいましたが、
ワンネスでは、自分が宇宙の愛そのもの
であり、無条件の無限の愛であると
いう事です。
これはアイクさんやアニータさんも
いっている事と全く同じですね。

シャムルワさんは、宇宙との一体感と
ワンネスは違い、ワンネスはハートや
魂とも一体になっているという事
ですが、私が宇宙との一体感という
時もそのように、スビリチュアルなもの
として捉えていてシャムルワさんの
いうような位置の感覚はなく、時空を
超えて一体という解釈なので、一体感
という言葉をよく使います。
つまりワンネスという意味に対して
意図する事は同じだという事ですね。
これは言葉の文化の違いからきて
いるのかも知れませんね。
私が使う宇宙というのは、物理的な
時空の宇宙だけに限定されず、精神的
意識的な次元も含めての事だという
事です。

しかし、絶対意識をあまりに頻繁に
体験できる、シャムルワさんの意識
レベルはとてつもなく高い状態を維持
できているのだと思います。
しかし、常に湧き上がる歓喜に満た
されるレベルなら私たちも是非そう
ありたいと思いますね。

そうそうアニータさんも絶対意識と
ともに臨死状態から復活して、今
でもその意識とともにあるというから、
少し似ているところがあるのかも
知れません。

さて今回のエピソードで私たちの本来
の意識というものがどういうものか、
どれだけふだん真理から遠ざかって
いるかをわかっていただければいい
と思います。
シャムルワさんの今回の言葉は、その
まま私がこのブログで伝えたい事の
大きなテーマの一つでもあります。

そうそう、シャムルワさんも、こういう事に
精通している菜央子さんもベジタリアンと
いう事が、上の事からもわかりますよねー。
つまりワンネスを体験するのには、おそらく
肉食は邪魔だという事です。
もちろん個人差があるとは思いますが💦
そうそうこれは、食事が食べ物の波動を
受け取り、特に家畜の屠殺される波動も
摂取するため、犠牲的な波動、弱肉強食の
波動、分離意識の波動も得てしまうという
事は、また別の記事に書かせていただき
ます。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験後も絶対意識とともにあるアニータさんが伝える無限の自己とは?


この記事は
臨死体験で死を超えたアニータさんが
真の「生」に目覚めた!

の続編になります。

やはりアニータさんが他の臨死体験者と
決定的に違うのは、絶対意識レベルと
いう究極の領域にいけただけでなく、
なんとそれとともに、戻ってきたという
事なのです。だから、他の臨死体験者の人
たちと違って、真理について詳しく語る
事ができるというわけなのです。

絶対意識かそれに近い領域に、つかの間
アクセスできた臨死体験者は割合は、
わかりませんが、わりと多くいるよう
です。
そういう人たちの証言は「臨死体験中で
わからない事は何もなかった、それ
どころか、自分が問いを発したら即
答えが返ってくるという感じだった」
というようなものが多く、そして身体に
戻ってくると、それがどんな内容だったか
すっかり忘れてしまったというものが多い
のです。
ですが、アニータさんは絶対意識そのもの
になってそのまま戻ってきたので、癌も
全てその無限の自己である意識によって
完治できるという事を確信していたし、
またその通りの事をしてのけたのです。

これは私たちの感覚でいえば、瞑想など
で、ようやくチャクラが開き高次の世界
の領域に入り込むのとは違い、チャクラが
もう常に開いたままの状態として戻って
きたという事を示しています。
まあなんとも凄い、私たちもそうありたい
ですね。

とにかく絶対意識とともにあるという
アニータさんなら、その言葉は真理、
そして本質を語る事ができるわけで、
まさにそれを、今回取り上げさせて
いただくという事です。

ではアニータさんの著書からありがたく
引用させていただくとしましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「私たちの中に、全宇宙が存在します。
私が求めている答えは、自分の中に存在
し、あなたの求める答えも、あなたの中
に存在します。外部で起こっている
ように見えるらゆることは、私たちの
中にあるスイッチを押して、自分を
拡大し、真の自分を思い出させるために
起こっているのです。

私は“ハイヤーセルフ”“魂”“スピリット”
のかわりに“無限の自己”という言葉を
よく使っています。もう少しはっきり
させるために言えば、それは私が
臨死体験中に、自分が身体だけの存在
ではないと気づき、あらゆる存在と一つ
であると感じたものを指しています。
私は、無限のすばらしい存在として
純粋な意識と一つになり、なぜこの
身体と生命を得たのかはっきり理解
したように感じました。~
~物質的な身体を去れば、私たち全員
の無限の自己はすべてつながっている
と、私は信じています。純粋な意識の
状態では、私たちはみんな一つなの
です。
多くの人が、このような一つである
という感覚を、強烈な神秘体験に
おいて、あるいは自然の中にいる時
に感じています。動物やペットといる
時に感じる事もあります。
あらゆる創造物と一つになった結果
として、シンクロニシティや
超感覚的知覚のような現象を体験
する事もあるでしょう。
けれど一つであることに気づいて
いない人が多いので、このような
体験は頻繁には起こらないのです。
 実のところ、私という存在は、
この身体でも、人種でも宗教でも
どんな信念でもありません。
同じ事が他のすべての人にも
言えます。
無限の自己は、人生の航海に必要な
ものをすべて備えています。
なぜなら、私たちは宇宙エネルギー
と一つだからです。
事実私たちは宇宙エネルギーその
ものなのです。

臨死体験の最中、私は宇宙エネルギー
と一つになっていたので、気づいて
いないものはありませんでした。
まるで自分が全体を包み込んでいるか
のように、すべてがはっきりと
わかったのです。
自分があらゆるものになり、あらゆる
ものの中に存在している感じでした。
 自分のすばらしさを知り、宇宙と自分
が一つで同じものであると理解したこと
が、私の病気を治してくれたのです。
自分から分離した外部の創造物など
存在しないと気づくようになりました。
この気づきのおかげで、今では、強さ
や愛や勇気を持って物質世界と関われて
います。
 このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。
それぞれのラベルには特定の期待が隠れて
いて、その多くは、私たちを二元性の中に
閉じこめてしまいます。それゆえ、この
エネルギーを自分とは別のものだと見て
しまうのです。でも宇宙エネルギーは、
私たちの純粋な意識のように、無限で形
のない状態のままでいなければいけません。
その状態でのみ、宇宙エネルギーは私たち
と一つになり、ヒーリングや魔法や奇跡を
生み出せるのです。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

私たちはこの身体でも名前でも国籍でも
人種でも、宗教の信念でもないという事は
、同じく絶対意識状態に到達したデービッド
アイク氏も言ってます。やはり無限の全て
が自分自身であるという事を、何度も念を
押してくれているわけですが、
「私はデーヴィッド・アイクではない、
デーヴィッドアイクを経験している無限
なる意識である」という、わかりやすい
表現もしているわけです。
当然これは私たち全てにも当てはまる
という事ですね。

アイク氏もアニータさんも、絶対意識である
無限の自己、あるいは無限の意識の状態では
「神」や「仏陀」などの自分と分離した存在
はないとしていますが、ここはとても重要な
ポイントなのです。
今回の引用の後半がとてもわかりやすい説明
になっていますが、私たちは全宇宙の
エネルギーそのものであり、自分の中に全て
が存在するという事を言っているわけです。
その全宇宙のエネルギーとは、我々の観測
できる宇宙のという意味では、なく文字通り
全ての次元にわたったものである事は明らか
ですね。
そのエネルギーは形のないものという事
ですが、私が宇宙エネルギーの本質の一つ
として「真空」をあげていますが、ほぼ
同じ意味となります。形のないもの、
つまり素粒子さえない状態=真空という
事になるわけです。

そしてまたそれはアニータさんのいうように
宇宙エネルギーでもあり、気やレイキでも
あるという事です。そしてまた高次の意味
での意識もそれにあたります。

だからそのエネルギーと意識は同質のもので
あるという事をアイク氏も言っている
わけです。だからアニータさんの無限の自己
の代わりに無限の意識という表現をしている
といわけですね。

そしてまたアニータさんの「神」や
「クリシュナ」「仏陀」という存在は、自分
とは分離したものであるという錯覚を、
もたらす呼称で、二元性の中に自分を
閉じこめてしまう原因になっていると
説明していますが、まさにその通りで、
自分が全てと一体である無限の存在なのに
別に自分より格上の存在をつくって
しまったら、自分自身が無限の存在で
なくなるばかりでなく、単に神の前
では「無力でちっほけな自分」などの
ように、本来の自己像とかけはなれた
イメージを自分に持つようになってしまう
のです。もちろんそのような意識が、
アイク氏やアニータさんの絶対意識に
到達する事は不可能なのです。
神や仏陀を自分とは、別のものとして
捉えた場合、全てはその絶対的なものの
意志に従おうとするので、宗教で神の
代弁者のような神官などが、好きなよう
に「こんな事をしては神がお怒りです」
「そんな事を神は許しません」などと
いえばそれに従う、つまり「神と
神の代弁者」の奴隷になってしまう
という事なのです。無限の自己は誰かに
自分の行動を制限されたり、考え方や
感じ方の指導を受けなければならない
ものではありません。
全ての存在である自分が、全ての意識や
現象、行動の原点にあるという事なので
す。

ただこれはわがままというような
捉え方をすると間違う事になります。
無限の自己とは、無限の愛であると、
アイク氏もアニータさんもいってます。
全ての存在を愛するという意識、無条件の愛
こそが、無限の自己や無限の意識の本質
なので、そこからの意識や行動は愛に満ちた
ものになるという事なのです。

自分とは分離した、絶対的な存在があると
信じるか、それさえも自分自身そのもの
であるか、この違いはとてもなく大きい
のです。
これが最近もう一度投稿させていただいた
エベン・アレグザンダー氏が絶対意識に到達
できなかった、真の理由になっているという
事なのです。
事実、多くの臨死体験者たちは、光の存在
や絶対的な存在が、自分以外にいるという
捉え方をしています。
それはつまり輪廻転生をしていく時間の
マトリックスに囚われた意識と同じ質の
ものだといえます。
通常は、この分離と時間の感覚を持ったまま
の意識状態で、霊や魂として、絶対意識の
次元より低い状態で、何度も人生を経験する
ために肉体に宿る事になるわけです、
そしてまた自分のイメージがどれだけ
ポジティブなものかどうかで、また次の
人生での経験も変わってくるという事なの
です。
そのような輪廻転生のサイクルから脱却する
事を、仏教では解脱ともいいますね。
これは前回も使いましたが、要するに解脱
とは、無限の自己、無限の意識が自分で
あるという認識になる事だったという事
です。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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「五感の上には第六感がある」・・・待て!思考や感情はどこ行った?


五感のレベル編の記事でも説明させて
いただいたように、
五感はみんな一緒のレベルなんかでは
ありません。高い意識レベルと低い意識
レベルがあるようにちゃんと、レベルがある
のです。つまり高い意識に通じる感覚の方が
レベルが高いという事です。

その事よりもみなさんに、お聞きしたいのが、
私たちにあるのは五感だけだと思いますか?

「知ってるー、第六感ってやつでしょー?
そんなのあるかどうか、わかんないしー」

とまあ、大体の人がこんな感覚でしょう。
ていうか、第六感というのは、潜在意識から
の感性や感覚なので当然ありますが、その前
に、みなさん忘れちゃいませんかー?
思考と感情・感性という感覚です。

「だってそれは。感覚じゃないしー」

ええーい調子狂うなー!(^_^)💦
五感の次に第六感なんて言われて、はいそう
ですかと、うのみにする事自体おかしいの
です。
思考も感情・感性もれっきとした、我々の
感覚なんです。
だって五感で感じるものだけで、我々生活
してませんから。
たとえば記憶、イメージを、五感に頼らずに
脳内で思い浮かべる事が可能なのは、わかり
ますよね。それに対して思考や感情など
の感覚が働くのなら、それは五感って
いいません。
(記憶は五感によらない感情や思考、直感の
ものもありますし、もとは五感でも現在
感じているものでなければ、すでに記憶の
イメージとしてのみ残っているものです。)

つまり目の前で起こっている事また実体験
によらず、思考や感情は独立した感覚で
働けるのです。
つまり物理的な現実に囚われない感覚という
事ですね。
これがわかってくると、臨死体験で肉体から
離れた意識が存在している状態が理解でき
ます。(しかもこの状態での意識の
方がはるかに明晰で拡大した認識領域だと
いう報告が圧倒的なのです。)

感情も思考も脳波の範囲の波動なので、
良いという意味で、とても低い波動です。
これまでご説明してきたように、低い
波動が高い意識レベルに通じるという事
です。
(よくスピリチュアルで高い意識レベル
は、高い波動だといわれていますが、
これは真逆が正しいです。その事について
もまた別の記事で説明しますが、一つには
逆の誘導があるためと、意識が低い波動
だと逆に高い波動のエネルギーを生み出す
事ができるので、それを指している場合
もあります。
そして電磁波ゼロ(通常のプラズマ状態)
の真空の状態からは、莫大なエネルギーが
生み出されます。
たとえば太陽のように電磁波ゼロ
(プラズマの常態)の真空の宇宙空間から、
無尽蔵にエネルギーを取り出す仕組みは
トーラスですが、これが全ての物質が
存在する仕組みそのものだという事です。
真空とプラズマ、そして太陽については
以下の記事が参考になります。

真理の統合編その1    
真空とは無限の潜在エネルギーの事

真理の統合編その2
真空とプラズマは共存できる

太陽は燃えていない!正体は
プラズマのトーラス循環だった!

ただそういった説明なしに、高い
意識=高い波動だと説明されるのは、誤解
を生む表現ですね。)
しかし、五感は脳波よりかなり高い波動を
感知するようになっているので、脳波の
レベルにある思考や感情ほど、高い意識
レベルの感覚というわけではありません。
つまり高い意識レベルの感覚とは思考や感情
で、五感は単なるセンサーだという事です。
この五感の感知する波動領域については、
五感のレベル編一覧の一連の
記事をご覧ください。
この記事は、最初の記事と重なります
ので、その2以降の記事が、五感に
ついての参考の記事になります。

このようにレベルの高い思考や感情という
感覚があるのに、我々は超感覚である
第六感以外は、五感しかないように錯覚して
いる。というよりさせられているのです。
なぜなら、昔から、大衆が思考能力が
あったり、感性が豊かだったりすると、時の
権力者にとっては厄介な事ばかりになるから
なのです。
しかし、そのようにいうとまた陰謀論とか、
用意された言葉にすぐ結びつける人が多いの

注意深く、説明しているというわけです。
そのように結びつけるのも、誘導されて
いる事くらいは、わかっていただける人が
読んでいただいていると信じています。

日本では暗記教育だと昔から言われてます
よね?暗記や記憶というものは思考の中では
最も低いレベルの能力なのです。
なぜなら受け取った情報をそのまま
コピーする記憶には、複雑な脳内の電気活動
は必要ないからです。
次に低いのは計算能力です。
計算も、単にインプットされた情報に
従って、数字を決まった式にあてはめて答え
を出すだけなので、それほど複雑な電気活動
を必要としません。
理解力や想像力、表現力などや、別々の情報
を関連付けながら、新しい結論や意味などを
生み出す能力、イメージを浮かび上がらせ
て、そこに感情や意味、理解や想像力を
働かせる事などは、かなり高度な電気活動を
要します。
また感動できる音楽をイメージして、頭の
中で、演奏したり歌ったりしてみて、楽譜に
それを書き込む能力や、描きたい絵の
イメージをキャンバスに投影する事なども
高度で複雑な電気活動を必要とします。
また相手の気持ち、立場などを考えて、言葉
を選び、また言葉の調子、姿勢や態度を
加えてコミュニケーションする能力なども
またとても高度な脳内の電気活動なのです。
ただし最後の人との共感や調和、円満な人間
関係などの心が関わる、思考力や感性に
関しては、世界の中でも突出しているのが、
私たち日本人で、教わらなくても先天的に
日本人が優秀です。だからこそ(その理由
だけではありませんが)日本は教育を劣化
させられているというわけなのです。
もちろん世界の先進国でも、そのような
教育の悪影響がある事は、
右脳の驚異の力その3
でもご紹介したキム博士の調査でも明らか
ですが、特に日本の教育が、突出してレベル
が低いという事です。

振り返っていただきたいのですが、最後の
コミュニケーション能力などを授業で
学んできたでしょうか?
日本ではほとんどない事でしょう。
つまり我々はなんと教育では、脳を鍛えて
もらっていないという事になるのです。
クイズ番組で記憶力が問われるような場面
ばかり出てきますが、これこそ記憶力が
いい事だけが、頭がいい事だという
間違った認識を、刷り込まれている証拠
なのです。

しかし、これまでの影響で思考能力が、
あまり働かなくなっている人は、働かせる
事ができるようになればいいのです。
私の記事は、そういう意味で鍛えられる
と思いますよー(^_^)v
なぜ思考能力を鍛えなきゃいけないかって?
思考能力や感性のレベルがあがるという事
は、高い意識レベルに通じるので、現実を
思い通りにしたり、希望のイメージを現実
化したり、相手の気持ちがわかって、人間
関係がうまくいったりと、いろんなメリット
があるからです。
最大のメリットは、思考レベル・感性レベル
が上がり、意識レベルがあがると、それ自体
が至福の状態につながるという事ですね。
私もずいぶんと、そのような状態を味わう
ようになりました。(もちろん本人の
中でのレベルアップという意味です。)
事実いつも私は、「幸せそうですね」とか
「楽しそうですね」とか「めでたいやっちゃ」
「幸せなやっちゃなーお前は」などといわれて
ますから(^_^)ん?後半の二つは、もしや
バカにされているのでは?(;゚〇゚)

で、思考の話にもどりますが、複雑な電気
活動をしている時の脳波は、高いと思います
よね?実は低いのです。それは、右脳が働い
ているからなのです。
(右脳は脳波が低い状態でより活発になり
ます)
それは複雑な数学の問題を解こうとしている
時に、いらいらしたり、または興奮状態の
ベータ波だと、全く解けませんよね。
心を落ち着けて、脳波が低い状態になる
ような時に、複雑な解答への道筋が、
ひらめくのも、その脳波で右脳が働くから
なのです。
スポーツでも同じでナーバスになって
脳波がベータ波になっていると、ミスを
連発しますが、心が平静の状態で脳波が
アルファ波以下になっているような状態の
時にスーパープレイが生まれるものなの
です。いわゆるゾーンに入っている時の
脳波がこれにあたります。
自分自身が体そのものだと思っている人
にはわかりにくいかも知れませんが、
体が激しい動きをしながらでも、明鏡止水
といったような静かな脳波になる事は、
できるものです。
私は、よく道や階段を全速力の8割くらい
のスピードで走りますが、景色をながめ
ながら、ゆったりとした気分で走ります。
もちろん体は、ヒイヒイいって、最後には
息がきれてきますが、私の心と脳波は平静
そのものです。

右脳が最も働くのは、睡眠時つまり脳波が
7Hz以下になっている時ですね。
ただ、左脳が眠ってしまうので、思考を
意識的にはできません。
だから複雑な思考や深い感性を働かせる時
には、右脳を補佐する形での左脳の働きが
大事だという事なのです。
そしてその左脳が働くギリギリの脳波が
7~8Hzだという事です。
つまりその状態での瞑想や催眠術での左脳へ
の暗示効果が、右脳に効果的に投影される
という事なのです。

また7~8Hz以下の脳波では潜在意識
または、高次元からの信号をキャッチする
感覚や感性が、鋭敏になります。

(もちろん最近ご紹介している7.8Hz
の脳波でも、驚くべき感覚や感性、そして
潜在能力が発揮されています。)

まあ、これが第六感と呼ばれているもの
ですが、五感の上に知覚や感情・感性がある
以上、第六感というのは無理があるでしょう。
だからそれこそ超感覚という分類でいいん
じゃないかと思います。

超感覚っていっても、そりゃあいろいろ
レベルがありますからね。理解しやすい例
でいうと、予感や直感が当たったりする
時とか、相手の心が読めたりとか、そんな
ちよっとした事でも働きます。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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日常の健常な状態でワンネスを体験したシャムルワさんとは?


今回ご紹介するのは、ワンネス体験の
エピソードです。

「本山よろず屋本舗」様からの引用
になります。

ワンネス体験をしたフランス人男性
ジュリアン・シャムルワ氏の著書
『ワンネスの扉』
(ジュリアン・シャムルワ著、
ナチュラルスピリット)
を読まれての記事を引用させて
いただきます。

さて長いのでかなり省略しながらの
引用転載になると思いますが、とにかく
是非健全な肉体を持った人のワンネス
体験をご覧ください。

この引用の前の部分で本山さまの、
ハートチャクラが開いた体験を語られて
から後の部分になります。

「」内が引用で、~は省略部分です

「これから紹介するジュリアン・シャムルワ
氏の体験は、私のような身体の一部分と
いったものではなく、魂の体験といった
全体的なものです。
 シャムルワ氏はそれを克明に記していて、
ワンネス体験がどのようなものか垣間見る
ことができるようで、とても興味深いです。

 ・・・<『ワンネスの扉』、
p90~p96から抜粋開始>・・・

 かいま見た地球

 夏休みも終わりに近づいた9月、
僕はパリ市内にアパートを借りた。
 大学の授業が始まるのは10月だったの
で、それまで当分のあいだ平日は兄の家に
泊まってバイトを続け、週末だけパリの
アパートに帰ることにした。
 ”訪れ”は相変わらず続いていた。

 ある日、バイトの最中になんとも不思議な
体験をした。
 それは墓園の雑草を刈っていたときの
こと。
 コンクリートの台に足を乗せたとたん、
立っている足もとの地面から一瞬、地球
そのものを感じたのだ。足の下にその
コンクリート台だけではなく、墓園、
パリの街、フランス全体、地球が、
次々と感じられた。地球の重量さえ
わかった気がした。それはとても繊細で
美しい感覚だった。
 仕事中だったので、「今のは何?」と
一瞬立ち止まっただけだった。
 夜になって兄に話してみると、なんと
兄もその日、同じ体験をしたという。
 なんだろう。僕たちの感覚の範囲が拡大
しているのだろうか?
 毎日勉強や仕事に追われて忙しく過ごし
ていた僕らは、突然の奇妙な体験に少なから
ず驚いた。波動の影響で次のステップに
進んだのかとも思ったが、いずれにせよ、
何が起こったのか理解できなかった。

 その頃は毎日の体験が激しく変化して
いた。二人とも二日に一度くらいの頻度で、
わけもなくいきなり感動があふれて胸が
いっぱいになってしまう。たとえば車で
帰宅する途中、ぼんやり景色を眺めている
と、ふいに「人生って素晴らしい!」
という歓喜がこみ上げ、心に広がってくる。
それは得難い体験で、魂が震えるような
素晴らしい感覚だったが、兄も僕もなぜ
突然そんな気持ちになるのかわからなかった
。ただそう感じられた
ことに感謝するばかりだった。

躍動する宇宙

9月が終わり、僕はパリ市内に引っ越した。
パリのアパートで一人暮らしを始めてから
も、ときどき心が打ち震えるような感動が
わき上がることが続いた。ある日、地下鉄
から家に帰る途中、それまでのレベルを
はるかに超える体験をした。
 通りを歩いているとき、ふと頭の中で
誰かと会話していたことに気づいた。
いま誰と何を話していたんだろう? 
考えても思い当たらない。ただの気のせい
だと思った数分後、また頭の中の会話に
気づいた。今度は内容が聞こえてきた。
話しているのは僕で、誰だかわからない
相手に説明されたことを、僕が繰り返して
いた。

 そうなんだ! 過去と未来はただ僕たち
の頭がつくり出したもので、本当は存在
しない。存在しているのは今だけ、この
「現在」だけだ。つまり、躍動する
宇宙なんだ! 
(la dynamique de I’Univers!)

 そう言い終わった瞬間、僕の感覚と視覚が
別のものに変わった。いつもの街並みと同時
にもう三のフォーカスが現れ、銀河の螺旋が
渦巻いているダイナミックな宇宙の動きが
見えた。目に映る空の色が青から緑に
変わり、宇宙と自分が一体となった感覚に
呆然とした。空には無数の光る糸が、
まるで宇宙の毛細血管のように走っている
のが見えた。と同時に、僕の目線が身長より
高く上昇しはじめた。どうやって目線の
位置が上がったのかわからない。ちょうど
横断歩道を渡っている最中で、向こうから
一人の女性がこちらに歩いてくる。あ、
自分の身体が伸びはじめた、と本気で
思った。歩いている女性にそれを見られる、
と恐れたとたん体験が終わった。目線の
高さが通常に戻り、身体が伸びたわけでも
なかった。よかった。ホッとした。
 家に帰って、この体験を整理してみた。
 過去と未来は僕たちがつくり出したもの
にすぎず、本当は「今」という躍動する
宇宙しか存在していない。過去から未来へ
と流れる一直線の時間というものはなく、
あるのは「今」だけ。それが現実なんだ。
それを身体で感じた。壮大で、荘厳で、
どう言葉を費やしても足りないほど美しい
体験だった。宇宙は螺旋を描きながら
動いていた。その宇宙の躍動を感じる
ことができたなんて!
 でも、じつは知らないうちに自分が
正気を失ってきたのではないかという
心配も残った。いくら考えても頭では
この体験を理解できなかった。記憶を
呼び戻そうとしても、ぼんやりとしたもの
しか出てこない。一番鮮明な記憶は、
頭ではなく心の中に見つかった。その
「心」は波動を感じるのと同じ「心」だと
気づいた。身体を超えた次元のハートだ。
 そのとき、日々の現象を記録していた
日記帳がわりのノートに、僕はこう
書いた。

 *2004年10月6日
 今日、時間そのものは存在しないと
気づいた。「動的」な力があるのみ。
 このコンセプトに気づいたのは、
まず心で、そのあと頭で理解した。
これを知ることができてとても嬉しい。

 次の日にはこんな感想を書いている。

 *2004年10月7日
 そこにあるのはたった一つの力の
動き。躍動する宇宙。そう考えると
「私」「家族」「国」などという頭で
つくられたコンセプトの虚しさが明らか
になる。私たちは個々の存在ではなく、
目に見える次元でも見えない次元でも、
みなこの宇宙の力に統合されている。

その後、「躍動する宇宙」と名づけた
この現象を頻繁に体験するように
なった。この体験はさらに深い体験へ
と発展した。ノートにはこう記した。

 *2004年10月13日
 ときどき、「生」そのものである
躍動を感じる。この動き、この循環。
世界と、世界が全体となって動くとき
の活発な力。それは信じられないほど
美しく、精密に動くので、これを前に
すると、たちどころに涙がこみ上げる。
 そして完全に圧倒される。そのとき、
「私」はなくなり、この動きと一体化
する。その美しさに涙が出る。生きる
ことがこれほど美しいとは。

 ・・・<抜粋終了>・・・」

“出典:「本山よろず屋本舗」様
       よろず屋寸話
     『ワンネスの扉』より”

今回は、これだけでも、もう一杯
でしょう。
続きは次回にまた引用させていただき
ますが、この宇宙との一体感は、
まさにワンネス体験だといっていい
と思われます。
臨死体験もアヤフアスカの服用もなし
に、肉体を超えた次元、しかも
「ワンネス」の領域に、完全に意識が
同化した様子が、かなり具体的に
表現されています。
すでに絶対意識でのアニータさんや
アイクさんの体験を記事にしている
ので、それとの共通点が、ところ
どころに見受けられます。

簡単にいえばこの絶対意識レベルでは、
まず自分以外の存在がなくなり、全て
と一体である事。つまり
ワンネスを体感している状態であり、
宇宙そのもののエネルギーを、そのまま
自分のエネルギーとして感じられると
いう事です。
そしてまた時間の感覚がなくなり、全て
は躍動する「今」しかないというのも
アニータさんやアイクさんいってた
事と全く同じですね。
直線的な時間というものは、頭でつく
られた幻想でしかないという事です。
まさにこれは真理だと思います。
そしてさらに次回の引用部分からに
なりますが、宇宙は愛であり、また
愛は自分自身であり、宇宙と愛と
自分が一体であるといってます。
つまり自分は宇宙の愛そのものだと
いう事です。
そしてこれは、特にアニータさんの
絶対意識体験の時の言葉と全く同じだ
という事になります。

つまりこれらの共通事項と一致すれば
それは絶対意識レベルに到達したという
事ですね。

さて今回のジュリアン・シャムルワさん
(以降シャムルワさん)の体験について
少し見ていく事にしましょう。得意なのか
どうかはともかく、とにかく詳細に見た
がるのがクセでして💦

まず最初に地球を感じたのがコンクリート
の台にのつた時だというのだから非凡な
感じがします。地球とグラウンディング
またはアースという、エネルギーリンク
は、土などの自然物を介してというのが
通常なのですが、この方は人工物を通して
地球そのものを感じたという事です。
この時にもう一体になるための意識の
準備が始まっていたという事ですね。
次にやはり感情の豊かさというかあふれ
でる感情・感動を度々経験し、「人生は
素晴らしい」という歓喜がこみ上げて
くるといった経験をなんと兄とともに
するという事があったようです。
これは以前にも、記事で書かせて
いただいたと思うのですが、無感情と
いうのが左脳のみの世界、もっとも
意識レベルの低い状態で、意識レベル
が高くなるほど、感情が豊かになって
いくという事でしたが、このシャムルワ
さんは、めいっぱいの豊かな感情を
溢れさせてしまう事がたびたびであった
という事ですね。
つまりこのことからも、意識レベルが
相当高い領域にアクセス可能なレベルに
すでになっていたという事だと思い
ます。

そのあと引っ越して、一人暮らしをする
ようになってからのちにとうとう、
ワンネス体験をする事になります。

まず時間の感覚がなくなり、「過去も
未来もない現在だけしかない」という
事に気付いて、あるのは躍動する宇宙
のみという事に気付きます。
この躍動する宇宙というのは、高次元
の意識での宇宙そのものだと思います
ので、私たちのいう物理的な感覚と少し
ズレがあるようにも思います。
その証拠に五感で捉えられない、レベルの
領域も見えるようになっていて、空に
毛細血管のように光る無数の糸が見えた
という事ですが、これはプラズマ
エネルギーの事でもあると思います。
これはちょうど、
電磁界のゲートでもあるチャクラという
記事で参考になる画像があります。

とにかく頭でなく心で感じたという事
なので、五感で捉えられるようなもの
でもないという事のようです。

彼が日記に書いているように「時間
そのものは存在しなくてあるのは
動的な宇宙の力があるのみ」という
事ですが、その力の正体こそ究極の
絶対意識そのものだという事を私は
これまでの記事で説明してきたわけ
です。
つまり意識の力が宇宙そのもの全体
を動かしているものだという事ですね。
まあシャムルワはさんは、まだ意識が
宇宙を動かしているとは感じておられ
ないようですが、自分が宇宙その
ものであれば、当然それが可能なのは
わかっていただけるかとは思います。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験で死を超えたアニータさんが真の「生」に目覚めた!


今回は、臨死体験中に絶対意識領域に
到達したアニータさんが、末期ガンから
完全回復してのち、自身の臨死体験で
気付いた事を説明しているものを
紹介しようと思います。
特に輪廻転生について、通常思われて
いる認識とは違う視点を紹介されている
ので、とても興味深いと思います。
それに特筆すべきは、他のほとんどの
臨死体験者たちが、せっかくおおいなる
叡知を獲得したように感じたのに、肉体
に戻るとそのほとんどを忘れてしまった
ような証言とは全く違い、アニータ女史
は、その絶対意識の叡知を自分の中に
永続させたまま肉体に戻ってきたと証言
しているのです。
これもやはり経験した認識レベルが群を
抜いて高かった事の裏付けになって
います。

「」内が引用で、~は中略です。

「臨死体験中、私はまるで、全宇宙とその中
に存在するあらゆるものとつながっている
感じがしていました。
宇宙は生きており、ダイナミックで意識を
持っているようでした。私は、身体を
通して表現しているすべての考え、感情、
行動が、宇宙全体に影響を与えるのだと
わかりました。
実際すべてが一つである領域では、全宇宙
が私の延長であるように感じられたのです。
もちろんこの理解によって、ものの見方は
劇的に変わりました。私たちは、自分の
感情や思考や行動によって、この世界や
その中にある私たちの生活を共に創造して
いるのです。~
~わたしは今、自分に必要なものはすべて、
すでに自分の中に存在しており、自分に
とって真実だと感じるものに心を開きさえ
すれば、それがすぐに手に入るとわかって
います。

臨死体験の前、おそらく私が生まれた文化的
背景によるものでしょうが、私の人生の目的
は、至福の境地に到達すること、すなわち
誕生や死という輪廻転生を超えて進化し、
二度と身体に戻ってこないように努力する
ことでした。もし私が欧米のような文化圏で
成長していたら、天国へ行けるように努力
していたでしょう。死後の幸せのために生き
ようとするのは、どんな文化でも一般的な
目的であるはずです。
(引用注:現在の日本人は、西洋科学の
教育での世界観により、肉体が離れた後
については、イメージすら持てない人が
多くなっているので、まさに物質的な
次元でしか自分を捉えられないように
なってきていると思われます。)

けれど、臨死体験のあと、私はまったく違う
ように感じています。今の人生が終わった
あとも生き続けると知っているので、肉体的
な死を恐れておらず、今自分がいる場所以外
のところへ行きたいという願望もなくなり
ました。もっと地に足をつけて、死後のこと
よりも、今この瞬間のすばらしさにすべての
注意を向けようと思っています。
 これは一つの生涯が終わり、次の生涯が
始まるという従来の輪廻転生の概念が、
臨死体験で私の経験したこととは異なって
いたという理由によるものです。私たちが
身体や思考というフィルターを用いない
かぎり、時間は直線的なものではないと
はっきりわかりました。
もはやこの世の感覚に縛られなくなると、
あらゆる瞬間が同時に存在するのです。

(引用注:この無限の時間が同時に存在
するという認識こそ、私が神秘研究をし
始めた頃に、勝手に自分の中に飛び込ん
できた、覚醒体験のような時の認識です。
このブログでもこの概念を説明して
いますが、臨死体験体験者でも最高の
境地に達したアニータ・ムーアジャニ
女史にそれをはっきりと裏付けていただ
けるとは、本当に心強い限りですね)

輪廻転生の概念は一つの解釈に過ぎず、
私たちの知性が、すべては同時に存在
していることを理解するための、一つ
の方法なのです。

(引用注:アニータ女史は輪廻転生で
過去生を見るというのは、単に同時に
存在する別の存在の意識にアクセス
できただけなのではないかと、言って
おられますが、これはアニータさんが、
全ての人が肉体を離れたら、そのまま
絶対意識レベルに到達できるという
前提のもとに説明しておられます。
これは絶対意識に到達したがゆえの
盲点でもあるのです、つまりそれより
下のレベルの意識の状態であれば、
死後もその直線的な時間のまま輪廻
転生を繰り返す意識も多くある事が
たぶん認識できていないからでしょう。
同様にアニータ女史の絶対意識レベル
とは対極にある究極の分離意識で
ある邪悪な意識というものは、全く
認識できないのです。つまり完全
調和の絶対意識には、邪悪なレベル
は存在しないというように認識できて
しまうのです。事実私たち肉体に
囚われた意識が、そのネガティブな
意識の影響を受けるのは、本来
存在しないはずのものを、存在する
ように認識するためにプログラム
されているからなのです。そして
その囚われた意識のまま輪廻転生する
意識も多くあるということなのです。
それが前世での肉体的な傷を受け
継いで生まれて来たり、その体験時
の恐怖や習慣などを身につけたまま
生まれてくるという事の理由です。)

私たちは、時間が過ぎると思って
いますが、臨死体験をしている時には、
時間はただ存在していて、自分が
時間の中を移動しているように感じ
られました。時間のあらゆる点が同時
に存在するだけでなく、向こう側の
世界では、私たちは、速く進んだり、
遅く進んだりすることができ、さらに
、うしろにも、横にも動けるのです。
 しかし物質的次元では感覚器官の
せいで制限が与えられます。私たち
の目は、この瞬間に見えたものだけ
に気づき、耳も同様です。思考は
一つの瞬間にしか存在できないので、
瞬間と瞬間をつなぎ合わせて、
直線的な一連の出来事を形成します。

(引用注:この場合の思考とは、私
たちが日常生活で使っている左脳の
思考で、右脳や松果体などを使っての
思考とは全く次元が違います。この
時点でのアニータさんには、左脳と
右脳の違いなどは頭になかったの
だと思われます。)

でも身体から自由になると、私たち
は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
を通してではなく、自分の気づき
だけで、すべての時間や空間の中を
動けるのです。
私たちは、純粋な意識そのものに
なります。

(引用注:これは身体から離れても
気づきをともなった意識があると
いっておられるわけです。これも
高度な思考の一種なのですが、左脳
のように答えを導き出す思考をする
必要はなく、すぐに答えが返って
くるようなものだという事で、通常の
思考とは違うものです)

臨死体験の中で、私はこのことを
体験しました。
兄が私に会うため飛行機に乗って
いることにも、医師が病室から
ずっと離れた廊下で話しているのにも
気づいていました。自分の将来に
ついてもたくさんのことを理解しま
した。もしこの世に戻らなかったら
どうなるか、戻ったらどうなるか、
すべて明らかでした。
時間も、空間も、物質も私たちが
通常考えているようには存在しないと
わかったのです。
臨死体験の中で、過去でも未来でも
どこにでもいける感じがしました。

(引用注:これは彼女が臨死体験中に
絶対意識に到達したという事を示して
いて、遠く離れた場所を感知できたの
は、全てと一体になっているからで、
当然あらゆる場所も自身の内にある
からです。また時空の全てを感知
できて、意識次第であらゆる時空を
感知できるのも絶対意識の特質です。
まあつまり全知・万能で全存在だと
いう事です)

そういうわけで、人々が゜“過去生”を
ちらりと見たというのは、実は、平行
もしくは同時に存在したものが見えた
ということだと信じるようになりま
した。
なぜなら、すべての時間は同時に存在
しているからです。
私たちはみんなつながっているので、
他人の現実が私たちの現在の瞬間に
少しずつ入り込み、それがまるで
自分の記憶であるかのように広がって
いくことも可能なのです。」

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

最後の輪廻転生の事に対してのアニータ
さんの境地は貴重だと思います。
時間が全て同時に存在しているとしたら
、何度も生まれ変わっているというより、
過去生での経験は、自分が同調したもの
になるという事も理解できますね。
ですが、過去の人物の記憶と、またその
人生での傷やトラウマ、習慣などを
受け継いで生まれてくる場合はどう
でしょう?
アニータさんのいうような、過去生を
チラリと見たのと全く違って、完全に
過去生の記憶を持って生まれて
きた子供たちというのは、数千例にも
及ぶ疑いようのない事例があるので
明らかにそれを前世記憶と捉える
理解の仕方もあると思います。

これについては
前世記憶(転生)について その1
という記事など、いくつもの記事に
わたって
取り上げています。

二千例にも及ぶ過去生の記憶を持つ
子供たちの事例を、本当に正確な
調査方法として、調査してきた
という事を著書にまとめておられ
ますが、彼について、彼の調査ぶりを
一例だけ転載しておきましょう。


前世記憶つまり転生の裏付けとなる
事例に徹底して、厳しい調査を繰り返して
きた科学者で、最も有名で信頼されて
いるのが、イアン・スティーヴンソン教授
という人物です。
この人の凄いところは、徹底した研究の
仕方で、共同研究者たちとともに、その
前世記憶を持った子供(たいていのケース
では7歳頃までになくなるらしいです。
これって月の影響の年齢までという事
ですよね。実はこの事は別の重要な事と
つながります。また別に書かせていただ
きます。)を尋ねて現地までいき、その
証言の裏付けを徹底する事にあります。
なんとそのような事例を2000以上も
集めたというのです。
これは、まさに前世記憶が、れっきと
した真実であるという事を完全に裏付けて
いるではありませんか!
しかし、このイアン・スティーヴンソン氏
の凄いところは、これだけの証拠事例を
集めておきながら、前世記憶が転生を
裏付けるという事を主張してはいない
と明言しているという事です。
なんという謙虚さでしょう。例の
公式のアレとは比べ物になりません。
あちらは、「一見赤方偏移が遠ざかって
いる星の動きに想定できる」という
理由だけで、他の光の屈折などの可能性を
勝手に排除して、そこからの類推で
宇宙の起源とビッグバンをでっちあげて
完全な真実として、喧伝し続けて、
いつのまにか常識にしてしまうような
公式のアレとは比べ物になりません。
とにかくその謙虚で真摯な同氏の著書が
邦訳で出てましてそれが、
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”
です。これが今私の手もとにあるという
わけですね。
このシリーズではその徹底した研究ぶり
のいくつかを紹介させていただこうと
思いますが、最初はやはりこういった事例
に対して、懐疑的や否定的な人たちのために
物理的な証拠も合わせて見られる事例を
取り上げることにします。
例によって「」が引用で~から~までが
中略です。

「コーリス・チョトキン・ジュニアの事例

 アラスカに住むトリンギットの老漁師
ヴィクター・ヴィンセントが姪のコーリス・
チョトキン・シニアに向かって、自分が
死んだらおまえの息子として生まれ変わる
つもりだ、と語ったことが本例の発端に
なっている。

ヴィクター・ヴィンセントは姪に小さな
手術痕を二つ見せた。ひとつは鼻柱の
近くにあり、もうひとつは背中にあった。
その痕を見せながら姪に、このふたつの
痕跡と同じ場所にあざがあるから
(来世では)すぐ見分けがつくはずだ、
と語ったのである。
ヴィクター・ヴィンセントは、一九四六年に
死亡した。
その一年半ほど後
(一九四七年一二月一五日)、
チョトキン夫人は男児を出産した。その子は
、父親の名前を襲名し、コーリス・
チョトキン・ジュニアと名付けられた。
コーリス・チョトキン・ジュニアの体には
母斑がふたつあった。母親のチョトキン夫人
によれば、その母斑は、以前伯父の
ヴィクター・ヴィンセントが見せてくれた
手術痕と全く同じ部位にあったという。
私がこの母斑を見たのが一九六二年で
あったがチョトキン夫人の話では、生まれた
時にあった位置からはふたつとも既に離れて
しまっているとのことであった。
とはいえ、ふたつともまだかなり明瞭
であり、特に背中の母斑は印象的であった。
長さ三センチ、幅五ミリほどの大きさで、
周囲の皮膚に比べて黒ずんでおり、わずか
に盛り上がっていた。手術痕が癒えた時の
状況とよく似ており、大きな母斑の両側
の、手術で切開した皮膚を縫合する糸が
あるはずの位置に、小さな丸いあざが確かに
ついていたため、手術の痕に似ているという
印象をますます深めたのである。
 コーリスが一歳一ヶ月になったばかりの頃
、母親が名前を復唱させようとしたところ、
コーリスは腹立たしげに、「僕が誰だか
知っているよね。カーコディだよ」と
言った。これは、ヴィクター・ヴィンセント
の部族名であった。コーリスが自分のことを
カーコディだと言った話をチョトキン夫人が
ある叔母にしたところ、その叔母は、
コーリスが生まれる直前、ヴィクター・
ヴィンセントがチョトキン一家と暮らす
ようになる夢を見た話をしてくれた。
チョトキン夫人によれば、ヴィクター・
ヴィンセントが自分の息子に生まれ変わると
予言していた話をそれまでその叔母に一度も
したことがなかったのは確かだという。
 コーリスは、二、三歳の時に、ヴィクター
・ヴィンセントの未亡人を筆頭として、
ヴィクターが生前知っていた人物数名を独力
で見分けている。コーリスは、通常の手段
で知ったとは考えにくい、ヴィクター・
ヴィンセントの存命中に起こったふたつの
出来事についても言い当てているという。
また、コーリスはヴィクター・ヴィンセント
とよく似た行動特徴もいくつか示している。
たとえばコーリスは、髪の梳かし方が
ヴィクター・ヴィンセントと瓜ふたつで
あったし、ふたりとも吃音があり、船や海
の上にいることを非常に好み、きわめて
宗教心が強く、しかも左利きだったので
ある。コーリスはまた、小さい頃から発動機
に関心を示し、発動機を操作・修理する技術
も持っていた。母親の話では、コーリスは
船の発動機の操縦法を独学で習得したと
いう。コーリスが父親からこの技術を受け
継いだり学んだりした可能性はない。
父親には発動機に対する関心も発動機を
操作する技術もほとんどなかったから
である。」
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”

まあこれは間違いなく、過去の人生で
老漁師だったヴィクター・ヴィンセント
の霊または意識または魂が、このコーリス
・チョトキン・ジュニアという子に
宿ったといえる事例でしょう。』

私は、これは意識レベルの問題
だとおもうのです。つまり、肉体を離れた
あとも、絶対意識などに到達していない
場合、魂はまだ時間のマトリックスに
囚われたままなので、もう一度肉体に
ある前世での記憶や経験を持ったまま
宿る事になっているのだと思うのです。

ただしそれでもそれが転生である事を
意味している事に充分な条件を持っている
という事ではありません。

なぜなら、ひとたび人が生に意識を
宿らせる時には、当然親から引き継いだ
DNAの電磁気情報、そして宿った時点
での宇宙的環境の電磁気情報(生として
宿る時点での電磁気情報は、時間の
概念が関係がなく、生が宿っている
かどうかの状態だけに与えられる
電磁気情報なので、人生全般に影響を
受ける情報として影響を受け続けると
いうわけです。)そしてその生の宿る
時点に同調した思念・マインドも
ともに自分に備わるという事になる
ので、過去生のマインドが、その人物の
全ての意識として生を受けたというわけ
ではないという事です。

つまり結論をいえば、過去生の記憶は
ある場合があるけれど、それは本人の
意識の一部でしかなく、転生という
表現があてはまらないという事になる
というわけです。

つまり意識には様々な段階があり、
アニータさんのように、時空の全てを
意識できるような絶対意識に到達すれば、
もはや時間に囚われたマインドの輪廻
転生のサイクルの意識からも自由に
なれるという事ではないかという事です。
これは釈迦のいっていた「解脱」という
ものと同じではないでしょうか?

もちろん解脱したからといって、なんらか
の生に再び宿る事は可能です。
むしろあらゆる次元のあらゆる意識の
経験を試す幅が、無限になると捉えても
良いと思います。

では今回はこのへんで(^^)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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引き寄せの法則もイメージの現実化も全て電磁気エネルギーだった!


この記事は
人生が思考の産物なら
全て自分が創造できる?

の続編になります。

私たちの現実は、具体的にどのような
仕組みになっているかの重要な見方の
一つに私たちの目に見えている世界は
科学的な感知・観測結果として一つの
エネルギーに集約されます。
それはもちろん重力なんかではありま
せん、電磁気エネルギーです。
そのことは、
宇宙の根本的な力は重力じゃない!!
宇宙はプラズマという記事
をご覧いただければよくわかって
いただけると思いますが、私の神秘
メッセージのおびただしい数の記事の
多くにその裏付けとなる説明があります
ので、またよければご覧くださいね。

とにかく私たちの現実は、感知できる
レベルでは、電磁気エネルギーが
根本的エネルギーだという事です。
さらに神秘メッセージの一連の記事に
あったように、私たちの意識も、霊的
実体も、電磁気エネルギーにより成り
立っていて、超常現象も異次元への
ゲートも電磁界異常が大きな原因に
なっているのです。
その事も「超常現象と電磁界異常編」の
一連の記事を読んでいただければ、
わかっていただけるようになって
います。

主流の科学や教育は、本物の知識を
伝えてくれているわけではありません。
これも先日投稿した
体外離脱体験のエキスパートの言葉
という記事や
ビッグバン説と宇宙モデル編のまとめ
その1
という記事で詳しく説明
しています。

さてそんな電磁気がもとになっている
現実を、わかりやすく説明しておられる
デーヴィッド・アイク氏の著書から
引用させていただきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「物質的次元を創り出しているのは、
自分自身の想像だ。あらゆるものは
電磁気的に振動しているただ一つしか
ないエネルギー場で、いつでもわれわれ
は自分自身の唯一のエネルギーパターン
を発信している。これらが、人々が
誰かがよいとか悪い“雰囲気”を持って
いると言うときの「霊的電波」だ。
 人間が発する霊的電波は、まわりの
エネルギー場に影響する。われわれが
「雰囲気」と言うとき、ある状況に
おけるエネルギー場、人々の思考と
霊的電波により形成されたエネルギー
場のことを言っているのだ。
 古戦場には、新たな思考パターンに
よって置き換えられるまで、戦闘に
よる苦痛と侵略と苦しみによって
作られた振動が依然としてそこに
のこっている。それで、古戦場には
事件が起こって数百年たっても
「ぞっとするような不気味さ」が依然
として残ることがある。
 かつて大きな論争があった部屋に
入ると、「あなたはナイフでこの雰囲気
を切ることができる」とわれわれはいわ
れる。(引用注:これは比喩的な言葉
というだけでなく、電磁気の残像
エネルギーは、金属であるナイフで
一時的に遮断することができるという
事でもあります。)
また、よいことがかつてあった家に入る
とき「素敵な雰囲気ね」あるいは
「幸せな家ね」という言葉が、口をついて
出る。
 このような例は、すべて磁気エネルギー
場に影響を及ぼしている人々によって
発信された振動、すなわち思考の結果だ。
これらの振動は、ある特定の瞬間における
その人の存在の状態と-最も重要なことな
ので覚えておいて欲しいのだが-われわれ
が与えるものが受け取るものだ、という
ことを正確に鏡のように映し出している。
人が磁気パターンで発信するものは、物質
的な現実として自分に返ってくる。~
~人の磁気パターンは、内面の自己の感覚を
反映している。そして、人の内面の現実は
その物質的な現実として現れる。なぜならば
、わたしたちの磁気パターンは自らに
向かってほかの磁気的思考場ーつまり、
人々、場所、人生の生き方、経験、それらは
わたしたちが発信しているパターンの正確な
鏡面増なのだが-それらを引きつけるからだ。
これがたとえば、人々がある場所に家を建て
たり、休日を過ごすように引きつけられる
理由だ。
この牽引力は視覚的なものではなく、振動的
なものだ。すなわち磁気的なものだ。人々は
、そこに引かれるように感じたり、あるいは
実際に「引かれる」。これはまた、わたし
たちがいかに「偶然の一致」を作りだして
いるかを示している。「あなたにここで
会えるとは」といった偶然の出会いのように
-。
 これらはバラバラに起こった偶然ではなく
、磁気エネルギー場が無意識に互いに
引き合って生み出された結果なのだ。

(引用注:これは原著を私が持っています
ので訂正させていただきます。無意識では
なく潜在意識の誤りです。ただ訳本を引用
のためそのまま無意識という言葉で引用
してます。原著ではsubconscious mind
でサブコンシャス マインドです。
この違いはとても大きいのです。引用では
そのままの言葉を使用しなればならない
ので)

それは「小さな世界」ではない、磁場の
相互作用は無意識をそのように表す
ことができるのだ!
振動する磁気作用のこの過程によって、
無意識の心は目の前に、出会う人々や
場所や人生の生き方や経験の中に、それ
自身の正確な複製物を創造する。
~あなたの目を通して見るとき、あなたは
あなたの内面を鏡で見ている。
あらゆるものは、あなたの重要な部分か、
あるいはあなたが学ぶか経験する必要が
あるものを反映しているだろう。
 内面の自己を変えれば、その物質的
複製物-あなたの人生-は変わる。今
経験している現実は、あなたがあなたを
どう考えたかという結果なのだ。
それは意識と無意識の心の中にある
あなた自身の想像物なのだ。
人は思考と経験によって、感情と感覚を
通じて、これらの想像物を想像する。
何を経験しても、それはあなたが発信
していることの結果だ」
“出典:「I am me I am 
free」
The Robot’s Guide to Freedom
超陰謀 [粉砕篇]
   デーヴィッド・アイク著
         石神 龍 訳
        徳間書店 刊」 ”

私はこの訳本の原著つまり
「I am me I am free
The Robot’s Guide to Freedom」
という本を持っていますので、注釈も
入れさせていただきましたが、
文中の無意識は、潜在意識と訳され
なければなりません。
原著ではsubconscious mind ですので、
やはり潜在意識です。日本での
間違った言葉の用法にこの無意識
というものがあります。
無意識は文字通り意識が無い状態の事
で、それは、ロボットのような機械的
な反応だったり、肉体の反応だったり、
単なる五感の信号に対する反応で
あったりするもので、意識が
全く働いていない状態です。
つまり無意識自体にはなんのエネルギー
もないので、当然現実を創り出す事も
ないのです。
(そのあたりを混同する日本人が
多いので、無意識にやったことだから
罪じゃないとか、無意識に出た言葉
だから許してなどという間違った
言い訳ができてしまうのです。
むしろ身体の欲のままに行動したり
して罪を犯したりというのも、感情に
ふりまわされて自分を見失って、
罪を犯したりというのも、無意識の
範疇に入ります。人の心が無いか
わからない人間をサイコパスなどと
いわれますが、それもまた無意識に
近い状態で生きている人だという事
です。つまりただ機械的に効率よく
生きるというロボットのような感覚が
無意識状態に近いという事でとても
危険です。身体の欲だけの感情や行動
はボディマインドという言い方を、
アイク氏はしています。この
ボディマインドをコントロールできる
のが、意識と潜在意識で、
ボディマインドのみになった状態が、
無意識だという事です。)

アイク氏も無意識という言葉を一切
使っておりませんので、お間違いなく。
潜在意識は、私たちが日常気づく事
ができない深層意識で、レベルが高く
なれば、より現実を創造できる次元の
意識につながります。

アイク氏のいう通り、人の出す電磁気
エネルギーは、通常オーラというような
表現もされますので、ほぼ同じイメージ
で捉えてもいいでしょう。ただより科学
的な見方でいうと電磁気エネルギーだと
いうことなのです。
そして想像するものが現実化している
というのは、当然潜在意識も含めての
事になります。というより現実を創造
する力は、その潜在意識の方だといって
もいいでしょう。
つまり我々が気づいていない、深層の
意識が現実をつくりあげているという
事ですね。
占星術やタロットなどの占術はその
深層意識を読み取り、その人が投影
する現実を、もちろん未来も含めて
読み取る事ができるという事です。
そしてまた、以前にも紹介しました
超常能力として、古来から世界中で
よく見られる現実創造の能力「視覚化」
というものも、その深層意識、潜在意識
の境地に至り、そのレベルで視覚
イメージを行う事で、現実をイメージ
通りに実現させる事ができるという事
なのです。
また我々が、意識や体から発散している
電磁気エネルギー(オーラ)が、運や人
など数々の偶然のように見える現実を
引き寄せているという事で、その
エネルギーレベルでいえば全て必然的
に起こっているという事なのです。
これはシンクロ(共時性)も同じしくみ
ですね。
またこれはまさに、引き寄せの法則に
通じている事だといえますね。

自分自身の深層意識で、現実の創造が
行われるから、日常の意識は何もでき
ないかといとそうではなく、きちんと
現実を創造しているのです。
ただし、日常の顕在意識が深層意識に
刷り込まれることによって、潜在意識
の投影として現実化するという事
です。
つまり日常の意識を潜在意識で拒否
すると実現化しないという事なのです。

まあ細かくいえばそういう事ですが、
とにかく私たちの現実は、意識によって
変わるのであって、むしろ物理的な
行動よりもずっと大きな変化をもたらす
ものであるという事なのです。
確かに行動は、自分のまわりの現実を
中心に動かす事ができますが、
潜在意識のイメージなどの力は、我々
の現実全体をダイナミックに動かす
事ができるというものなのです。
これは、潜在意識のレベルが本来
のエネルギー場である電磁気に直接
アクセスできるためで、全体として
つながって一つである電磁気
エネルギーが、全て連動して動くから
なのです。
これが以前書いた
言葉が伝わらない人の言い分
「口で言ってるだけではだめ!」

という記事の本来の理由なのです。
つまり行動しなければ何も変わら
ないというのは、全く真実ではなくて、
「意識が変わらなければ現実を変える
事はできない」
というのが、真実だったという事なの
です。

とにかく私たちが、内面の自己を変え
れば、そして本物の知識を取り入れて、
潜在意識のエネルギーをコントロール
する事を覚えれば、思い通りに現実を
変える事ができるという仕組みを説明
させていただいたというわけです。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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人生が思考の産物なら全て自分が創造できる?


この記事は
私たちが自分だと思っている身体は、
五感で創り上げたホログラムだった!?

の続編になります。

前回の記事のテーマを再掲して
おきますね。

「私たちが自分自身だと思い込んできた
自分の個人としての身体は、単に
プログラムされた人間の五感によって、
「物質的に存在」しているという
共通認識のもとに成立しているだけ
のもので、本来の私たちとは、意識
そのものだという事なのです。」

今回は、人生は思考が創り上げた
ものであるという事についてです。

まずは釈迦が
「我々は思考の産物である。」
「我々のすべては思考に始まる。思考に
よって世界は創られる」
という言葉も残してくれています。

つまり私たちは、自分の人生を自らの
思考や創造や感性で創り上げている
意識であり主体で、体さえも意識により
創り上げられたものだという事なのです。

スピリチュアルな世界では、基本的な
コンセプトでも、一般の人々はまだ
自分の肉体が自分自身と思い込み、
さらに人生は、全て他人やまわりの
環境が決定すると思い込んでいます。
しかし、それは意識が五感の領域に
囚われた一般の人の感覚でしかないと
いう事なのです。
本来の意識と肉体の反応による感情や
思考が別のものであるという事は、
科学物質や電磁波で操作される
ボディマインドは本来の意識ではない

という記事でご説明させていただいて
ますので、ご理解の助けになると思い
ます。
まあ簡単にいえば、怒ったり酔ったりして
いる自分を客観的に見つめられている
意識があなたの本来の意識だと思って
いただければ、わかりやすいと思います。

今回は、人生が自分の思考やイメージ
の投影である事をわかりやすく説明
しておられるデーヴィッド・アイク氏
の著書からの引用をご紹介しましょう。

「」内は全て引用で、~が中略の意味です。

「第1節 この世界はあなたの思考と創造
              の複製物」

鏡という言葉の定義は、「磨かれた表面、
像を映すこと、忠実な反射を与えてくれる」
ものだ。そのように『オックスフォード
コンサイス辞典』に出ている。このページ
から目を上げて、周りを見て欲しい。あなた
の人生、家族、仕事、友達、取り巻く状況を
見て欲しい。あなたは鏡を見ている。
あなたの鏡を見ている。

 もし自分の人生を好きでなかったら、
それを変えなさい。自分の人生を支配して
いるのはあなたなのだ。あなたは好きで
ない人生を今まで創ってきた。そこで今、
好きな人生を創る。狂ってる?単純すぎる
?ちっとも(引用注:全然そんな事はない
という意味です)。

あなたは、自分の運命を支配している。
そして、みんなそうだ。われわれは、
誰かが支配していると信じるように、
ただ方向づけられてきているだけだが、
それがこの現実を創り出している。
自分には自らの人生を支配する力が
ないと信じるようにだまされ、自分
自身を信じる代わりに他人の指導と
見解に頼ることになる。
人々は人生を支配する力を聖職者、
導師(グル)、政治家、経済学者、
その他大勢に手渡している。教皇殿、
ラビ殿、ニューエイジの「教祖」殿、
何を考えるべきか教えてください。

 あなたはあなたを支配している。
あなたは、あなたのために何が一番
いいか知っている。ほかの誰でもない、
あなた自身が。誰も、あなたに何を
しろ、考えろという必要はない。
他人が、あなたの人生をどう生きろ
なんて、よくも言えたものだ。
それを許してどうするんだ。
あなたは、自分の力を取り戻すこと
ができる、あなた自身の力は無限
だ。

 人生の一息ごと、毎日、毎秒、あなたは
自分自身の現実を創り出している。
われわれの人生は、自分自身の想像を正確
に映している。もし、自分が「平凡な男と
女」だと考え、善きことや偉大な業績は
他人にしか起こらないと考えるならば、
そういう人生にしかならないだろう。
わたしたちの人生は、自らのその想像と
知覚を映すものだ。自分の力を他人に
ただで与えてやろうと願うならば、また
もし、世界と自分自身の運命のための
自らの責任を手渡すことを願うならば、
わたしたちの人生や世界はその想像と
知覚を映す。」
“出典:
「I am me I am free
The Robot’s Guide to Freedom
超陰謀 [粉砕篇]
   デーヴィッド・アイク著
         石神 龍 訳
        徳間書店 刊」 ”

アイク氏が誘導によりイロモノ扱い
されがちな理由は、彼の著書が逆に
真実を語り、真理を明らかにして
くれるものだからです。
一般的なコンセプトがどれほど誘導
されたものか、わからない人には、
なかなか伝わらないかもしれま
せんが、彼の著書は、真理を探究する
ものから見れば、群を抜いたレベル
である事がわかります。

さて、今回のこの引用は、私たちが
いかに自分の思考やイメージ通りの
人生を創り上げてきたかが、よく説明
されていたと思います。
またその事は意識と魂と思考 その2
その3の記事でも説明していますので
ご理解の助けになると思います。
確かに自分自身を振り返ってみれば、
それがよくわかると思える方が
ほとんどなのではないかと思います。
自分はちっぽけで、無力な存在で
人の自由にされるがままだと思って
いる人が、他人からの虐待や中傷など
に合いやすいのも、確かにその被害者
意識が引き出したのである事もまた、
確かなのです。
ただし、この問題はデリケートな解釈
にもつながります。いじめはいじめ
られた方に問題があるなどという
のも、また間違いですね。いじめら
れた方は、いじめがあったから、
被害者意識を持つようになったとも
いえるわけで、やはり基本的に加害者
の心が病んでいる事が、もちろん
一番大きな要因です。
またいじめられる側に立つ事を恐れて
傍観している人たちも、そのような
現実を容認しているわけだから、
やはりその現実を創っている人と
して、いじめる側の世界の創造に
ひと役買っていることになるから
原因のひとつになっているという
事です。
そのような現実を創り出している
のは、世の中の人々に愛が欠落して
いる事が、一番決定的な要因である
事は明らかでしょう。
また政治的な事も、知識人たちが、
いろんな危険性を訴えているのにも
かかわらず、無関心でいるような人々
も、その危険を引き起こす現実を創り
出していることになります。
実際そのような現実は、日本でも
起こっているじゃないですか。
え?どこが?などという人は、知識
を持っている人たちに教えてもらい
なさーい!
とにかく私たちは、自分たちが無力で
あると思い込むように誘導されて
きましたし、そう思い込んでいる人
たちにも影響され、互いに
「無力な自分」というイメージを
強化しあっているという事なのです。
それが少数が力を持つような社会の
実現につながっているという事でも
あります。
つまり全て自分たちの思考やイメージが
鍵だという事なのです。
私たちは、自分のために、「無限の私」
という本来のイメージを取りもどすこと
が、幸せな人生の第一歩であるという
事でしょうね。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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エベン氏の語る長い臨死体験を終える時の詳細な意識の仕組みとは?


この記事は
臨死体験では鮮明な人生回顧だけでなく
疑似的な人生の追体験もする

の続編にあたります。

エベンさんの長い臨死体験も今回でようやく
終わりを迎える事になりますが、臨死体験
領域には、本来時間の感覚がないと、
ほとんどの臨死体験者が語っている通り、
時空を超えた領域のはずなのですが、
それにもかかわらず、「長い」と思える
のは、エベンさんの身体の容態が、
一進一退を繰り返していたため、時空を
感じる領域にも存在したという事を示して
いるのだと思います。
特に泥の世界というのは今回明らかに
なりますが、肉体により近い領域なので、
エベンさんが、生還しかけていた時には、
常にそこに戻っていってたわけです。
そのため通常の臨死体験のエピソードより
長い時間を経過したように思えるわけ
です。
また肉体により近い領域が泥の世界と
いうのは違和感のある方も多いかも
知れませんが、今回の臨死体験がその
事を明らかにしてくれたというわけです。
つまり肉体が高い領域でないという
のは、比喩的なものなどではなく、
本質的に肉体に意識がある状態というのは、
意識のレベルでは、かなり低い次元の領域
にあるという事です。

もちろん肉体に囚われた意識だけが、
私たちの意識の全てではなく、あくまでも
私たちの意識のうちのほんの一部だけが
囚われているのですが、マトリックスの
誘導により、その一部だけが自分だと
思い込まされている人がほとんどだと
いう事です。

肉体の意識つまりボディマインドから
どれだけ解放されているかが、そのまま
意識レベルという見方は正しいと思います。

では生還の様子を見ていきましょう。

前回、自身の分離意識から、絶対意識と
一体化できずに下降していき、泥の世界
に逆戻りしたエベンさんが、音楽に導かれて
高次元に上昇する方法を理解するように
なり、何度も泥の世界のような低次元の世界
と、高次元の世界を行き来できるように
なった事をご紹介しました。
今回ついに、長かったエベンさんの臨死体験
が終わり、肉体に戻ってくるまでの様子を
ご紹介しようと思います。

今回も「」内がすべて引用で、~からは
中略の意味です。

「どんよりしたミミズの目の世界にはまり
込んでいる事に気づくたびに、私は回転する
光体のメロディーを思い浮かべた。それが
ゲートウェイとコアの世界への門を開いて
くれた。・・・
・・・ところがゲートウェイの境界まで
やってきたあるとき、もうそこへ入れないと
いうことを悟らされた。高次元への入場券の
ようなものだった回転する光のメロディー
は、もはや私をそこへは受け入れてくれなく
なったのだ。
~私は悲嘆に暮れ、悲しみを募らせて
ますます暗い気持ちになり、その気持ちは
「実際」に降下するというかたちをとって
体験されることになった。巨大な雲を抜け
ながら、私は下へ向かい続けた。
周囲のあちこちからくぐもった声が
聞こえてくる。~
~私のために祈っていたのだ。
後になって気づいたことだが、その
中にはマイケル・サリバンとその夫人
ペイジの顔もあった。あの時点では
シルエットがわかっただけだったのが、
こちらの世界へ戻って言葉を取りもどして
から、サリバン夫妻であったことが、
はっきりと確認できた。マイケルは
物理的にも、集中治療室で何度も私の
ために祈っていてくれたのだ。
(ペイジは病室には来ていなかったが、
祈りを捧げてくれていた。)
祈りは私に力を与えてくれた。深い悲しみに
沈みながらも何も心配はいらないという
不思議な安心感があったのは、そのおかげ
だったのだろう。
天国は想像主オームの姿で自分と共にここに
ある。蝶の羽根に乗った女性という天使の
姿で、ここにある。それがわかっていた。
 帰路についていた私は独りではなかった。
そしてこれからは、決して独りを感じる
ことはないことも確信していた。~
~井戸を落ちながらどんどん近づいている
下の世界にも、自分には愛しい存在がいる
のだと気がついた。その瞬間まで、その
ことを完全に忘れ去っていたのだった。
 それに気づいた私は六つの顔に意識を
向けた。六つ目の顔が特別に際立って
いた。
それはなぜかとても懐かしい顔だった。
そう感じたときに、だれの顔かはわから
ないまま、恐怖と紙一重の圧倒的な戦慄
が駆け抜けた。自分はあの顔に必要と
されている。私を失えば二度とその傷
から癒やされず、喪失感に打ちのめされて
しまうであろう顔-天国の門が閉じられた
ときの私と同じ悲嘆にくれる顔。
その思いに応えないのは裏切り同然に
なる顔-。~
~それは内から生まれる恐怖ではなく、
六つの顔へのー特に六番目の顔への恐怖
だった。だれかはわからなかったが、
かけがえのない顔に違いなかった。~
~下界へ下りるという危険を冒して
自分のところへ戻ってくるように哀願
している。何を言っているのかは理解
できなかったが、その言葉は私には
下の世界にしがらみがあること、そこに
“足を突っ込んで”きたことを伝えている
のがわかった。
 私は戻らなければならないのだ。
そこには尊重しなければならない関わり
があるのだ。顔がいっそうはっきりと
してくるにつれて、その思いはますます
強くなった。すると顔も、もう少しで
判別できそうなほどになってきた。
 それは少年の顔だった。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

最後の少年の顔は、エベンさんの息子さん
の末っ子の顔ですね。
彼は、とうとう臨死体験から肉体に帰還
してきたのです。長かった。そう、我々
の時間でこの臨死領域は測れないの
ですが、あまりにも詳細にわたって、
エベン・アレグザンダーさんが、体験を
この著書にまとめあげてくれているので、
今まで長い間集め続けてきた、臨死体験の
資料の中でも、圧倒的に詳しい描写
だと思います。
この詳しい描写のおかげで、本当に多くの
真理への貴重なヒントが得られたと思い
ます。このシリーズでそのヒントについて
一つ一つ解説をしていきました。

今回の最後のシーンも、やはりヒントが
つまっていたのです。

臨死体験が私たちの日常の意識と
つながっている事は、先の記事でも
書きましたが、この肉体に戻る描写w@は、
それがありありと理解できるように
なっています。
かんたんな図式でいえば、意識のレベル
の高さが、そのまま臨死体験での上下の
感覚で、我々の日常の生きている現実
は、臨死体験の(エベンさんの場合の)
最下層であった「泥の世界」から
さらにずーーっと下降していった場所に
あるという事なのです。
しかも悲嘆にくれていたという
ネガティブな意識を伴いながらの下降
だという事です。
なんと私たちが、生きていて肉体に意識
がある間は、そのとてつもなく低い位置
に意識があるという事なのです。
これで、臨死体験者のほとんどが、肉体
に意識がある間の方が、囚われていて、
臨死領域の世界とは比べ物にならない
くらい不自由だと感じたと証言している
事が、よく理解できますね。

またよく臨死体験者が、暗いトンネル
を通って、天界の場所のようなところへ
行ったと証言しているのも、エベンさん
が最後に下降しながら通ったところと、
泥の世界などの低い次元が、すべて
暗いトンネルとして感知されている
という事なのです。
これは臨死体験者の多くの人たちの意識
レベルが、「泥の世界」を経験しなければ
ならないようなレベルでは、なかった
という事も示しているのです。
多くの臨死体験者たちは、その状態を
スルーできたという事ですね。
臨死体験をして帰ってこれるような人
というのは、一定の意識レベル以上の
人たちである必要がありますから、
その低次元の状態を経験する事は、
なかったのだと思われます。

これは先にも書きましたが、エベンさん
が「悪い人」だからではなく、医者と
して科学者として、意識は物質から
生まれ、肉体そのものがその人の存在
そのもので、霊や魂などを一切認めない
概念と思考になっていたからなのです。
つまり現代の日本人の左脳型の人が、
これにあてはまっていますが、つまりは
「泥の世界」またはそういうレベルの
領域に死後向かう可能性が高いという事
なのです。

そしてエベンさんは、基本的に「良い
心」の持ち主であったから、上昇して
高次元の意識の世界へ行くことが、
できましたが、つまり逆に「悪い」
というか「邪悪なエネルギー」を
持つ人たちは、もちろん「泥の世界」
よりひどい「地獄のような世界」に
はまり込み、ほとんど永遠に出られない
状態になるのだという事です。
臨死体験者が口々に、肉体を離れれば
天界のような場所に行ったと証言して
いるので、その事を肉体が離れれば、
みんな許されると勘違いしてしまい
かちなのですが、とんでもない事なの
です。

次に書くことは重要です。
宇宙の実体は、意識なのですが、異質
なものは同化できないようになっている
ので、愛で表現される天界に邪悪な
意識は、自らの重みでいけないように
なっているという事なのです。
このことは、27年間も霊的領域を
体験したスウェーデンボルグ氏も詳細に
説明してくれていますし、臨死体験者の
中には、間違って地獄のような場所に
入りこんでしまった事を証言してくれて
いる人もいます。
これは、「臨死体験者の言葉その11     
 天国もあれば当然!?

という記事で紹介しています。
どういう心が邪悪かという事は、本質を
理解するような感性の人であれば、よく
わかっていただけると思いますが、心を
失ったような人であれば、そもそもその
判断は不可能かも知れませんね。
冷酷なサイコパスなんかは、そのまま
霊的には最下層あたりにいくのは
間違いないでしょう。
あースカッとしますねー(^_^)
そりゃそうでしょ、この世でどんなに
悪い事しても、最後は許されるなんて、
悪人が知ったら、さらに悪事を働きます。
愛情豊かな人がそれによって、命や権利
を奪われたり、不幸になっていく事を、
高いレベルにある意識が許すはずない
じゃないですか。
申し訳ないけど、「悪人こそ救われる」
という教えが正しくはないのは明らか
です。
これはもちろん中世のキリスト教の
世界観とは違います。
聖書に「悪人こそ救われる」と書いて
ますからね。
つまりそれに反する事や他にも独自の
霊体験から、教会の世界観に反する事を
スウェーデンボルグが言ったので、彼は
教会から異端扱いされたというわけなの
です。
ただ彼自身は、聖書の原点のラテン語から
の翻訳などを手がけるなど、生涯自分は
キリスト教信者だと、主張しています。
つまり教会の世界観と合わないという
理由ですが、もしかしたら聖書のラテン語
原典には、かなり真理をついた事や我々に
とってためになる事が、もっと多く書か
れていたのかも知れません。
つまり教会が自分たちの都合の良いように
書き換えている可能性があるという事
なのです。
(事実ローマ時代に皇帝の命で聖書は
大幅に書き換えられています。)
彼が敬虔なキリシタンであると生涯言い
続けている事を考慮にいれれば、その
可能性が高いといえると思います。

そうそう、宗教的な事や、政治的な事
をいったらタブー扱いというのは、実は
その事で人々が、深く話し合いなどして
わかり合ったら、それぞれのジャンルで
騙せなくなるからです。
つまりは上の都合の刷り込みにしか
すぎないというわけです。

今大事なコンセプトをいいましたね、
「タブーとは、権力者の都合により
刷り込まれたものにすぎない」という
事です。

これよくよく考えたら分かる事なんです
けど、多くの人がほとんど「考えない人」
になってしまっているから仕方ない
ですね。

さて最後のエベンさんの、肉体に戻る
直前の描写で得られたヒントは、まだ
あります。

下降していく過程で、エベンさんの
関わってきた人たちに出会うという場面
がありますが、家族に会うよりも上方で
自分のために祈ってくれているサリバン
夫妻に会っているという事です。
エベンさんを心から愛している家族より
も、当然愛情はあるけれども、他人で
あるサリバン夫妻の方が上だという事を
奇妙に思われるかも知れませんが、これは
理にかなっているのです。
宗教的な教えとは、全く関係なく、祈り
というのは、純粋に相手の魂のために
愛などの念を送ります。つまりそれが
エベンさんの意識にとっては、先に
感じられた、つまりより高次の意識だった
という事なのです。
ですが、家族の場合は、エベンさんを
失う不安と、恐れも当然入り混じった
想念になるので、下にいたというわけ
なのです。
これは、説明すれば簡単な事だとわかり
ますよね?

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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脳波の低いトランス状態なら自分の意識が集合意識とつながる

この記事は
無限の可能性をもたらす潜在意識と
ロボット的な反応の無意識の違いは
決定的!

の続編になります。

スピリチュアルな人も含めて意外に
意識されていないのが、この
集合意識というものです。
もともと西洋では、ユングがこの言葉を
最初に使用したと言われていますが、
太古より、いろんな賢人が似た事を
語っています。

全ての人の意識がつながっている事は
これまで、催眠術についての記事で、
トランス状態になった人が、催眠術師
の体感まで、完全に自分のものとして
しまえた事からも理解できると思い
ます。

先日投稿した
催眠術とは意識をジャック(乗っ取り)
して一体化するという事だった!

にもそのエピソードを紹介して
いますが、もう一度掲載して
みましょう。

『マリア・デ・ジェロルドは、催眠術をかけ
られた人間は術師の思考や感覚を共有できる
という、サー・ウィリアム・パレットや
ピエール・ジャネらの見解を裏付けた。
パレットはかつて、自分の手を炎の上に
かざすと催眠術にかけられた少女が顔を
しかめ、砂糖をなめると微笑することを発見
した。マリア・デ・ジェラルドは、次のよう
に断言している。「深いトランス状態に
入っているあいだ、私の五感はすべて
閉ざされる。ただ閉ざされるだけでなく、
催眠術師のほうに転移される。私は彼の
耳が刺された痛みを感じ、彼の舌にのせら
れた塩や砂糖を味わい、彼の耳に近づけた
時計の音を聞くことができる。そして
彼の指にマッチが近づけられると、私も
火傷(やけど)をしそうに感じるのだ。」
 催眠状態で目を閉じている彼女には、
もちろん何も見ることができない。
しかし、バーゲンシュティッヒアが自分を
見るよう命じると、彼女はまず彼の立って
いるところに影のようなものを感知し、
それからごくふつうの映像を見た-しかも
それは、彼が彼女の背後に立っていようと
変わりがなかった。
    (中略)
奇妙なことに、マリアはバーゲンシュ
ティッヒアとの距離が遠いほど、強く彼を
感知した。
    (中略)
 さらに不思議なことに、彼女は、自分の体
と彼の体が発光性の「電気的」性質を帯びた
「紐」によってつながれていることに気づく
ようになった。シルヴァン・マルドゥーンも
投影されたアストラル体(引用注:霊体の
ようなもの)が同種の紐によって肉体と
つながれていたことを語っているし、
アストラル体投影を体験した者でこれに
言及している者も多い(全員ではない)。
つまりマリア・デ・ジェラルドのアストラル
体は、催眠下でパーゲンシュティッヒァの
のものと接続されていたのであろうか。』

“出典:「サイキック」
       コリン・ウィルソン著
   荒俣宏監修・解説 梶元靖子訳
           三笠書房刊 ”
まず最初に冒頭に書かれている当時の
神秘研究家たちの見解が、
「催眠術をかけられた人間は術師の
思考や感覚を共有できる」というもの
だったので、催眠術をかけられた状態
でなら、意識は共有されるというのは
もちろん間違いありませんが、もう
一つ上の理解が必要でもあります。

つまり私たちの意識は、その
五感の閉ざされた催眠またはトランス
状態の意識の領域でいえば、
全ての人の意識もつながっている
のです。
ただし、催眠術をかけられれば、
個人としての固有の意識どうしが
接続されるのであたかも、自分の
意識が、催眠術師に移行したように
錯覚してしまうだけなのです。
このジェラルド夫人がいうように、
五感の意識は邪魔でしなく、五感
の意識が閉じられた事によって高次の
意識へ移行する事ができたという事
なのです。

その領域とは当然、我々の意識して
いる3次元の領域よりも高度な
次元の領域になります。
この次元では、私たちの次元と高次の
次元をつなぐプラズマ的なエネルギー
の世界という事で、霊体も感知できて、
そしてつながるプラズマである
電気的性質を帯びた発行体も感知
できるという事です。
体外離脱体験者も、抜け出た自分の
もう一つの身体が、発光していたと
いう発言が多くみられて、私も以前
体外離脱を体験した時、自分の身体が
発光しているのを確かにはっきり
と見ました。
「チベットの死者の書」にも霊体に
なった自分の身体についてこう書かれて
います。

「この人は、依然として自分に肉体が
備わっていることに気づく。これは
“光る”体と呼ばれている。しかし
この肉体は、物質からできているよう
には見えない。
だから、岩や壁はもちろん、山脈でさえ
、何の抵抗もなく通り抜ける事ができる。
移動はほぼ一瞬のうちに行われる。
思考力と知覚に対する制約は、ずっと
少なくなっている。知覚力は非常に
明晰になり、神聖なものにいっそう
近づいている。」

“「かいま見た死後の世界」
レイモンド・A・ムーディ・Jr著
        中山善之訳
        評論社 刊 ”

やはり霊体となった自分は発光している
と太古から知られていたようです。
そしてその発光はつまりはプラズマ
てある事の証拠でもあるのです。
つまり一段階上の高次の世界では霊体や
本来感知観測できないレベルのプラズマも
感知できるという事なのです。

そしてまたそのレベルでは、まだ個
としての意識も優位にありますが、
もう一つ上の次元にいくと、臨死体験者
たちがいうようにありとあらゆる人や
ものと意識がつながっているように
感じて、すべてのまわりの人の心が
自分の心のように感じる事ができると
いう事なのです。

絶対意識に到達したアニータさんの
証言を引用させていただきます。

「周囲の状況から感情が離れて
いくと、自分がすべての空間を満たす
ほど拡大し続けていることに気づき
ました。、
それは、私と他のすべてのものが
一つになるまで続きました。
私はあらゆるものを包み込み・・・
いえ、あらゆるもの、そしてあらゆる人に
なりました。家族と医師の間で交わされて
いる会話の一語一句がわかりました。
彼らが病室からずいぶん離れた場所に
いたにもかかわらず、わかったのです。
夫の顔からは恐怖感が見てとれ、まるで
その瞬間私が夫になったかのように、彼
の恐れが感じられました。」

“出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著 
           hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

この時のアニータさんの意識が本来の
私たちの意識でもあるという事なのです。
つまり私たちは、本来の意識では一つに
つながっているという事なのです。

つまり私たちは、実際には、意識は
みんなつながっていて、一つのレベル
ではそれを集合意識と呼んでいると
いうわけです。

つまり今回は、私たちは集合意識も
自分の意識の一部というか、本来の
自分の意識の内にあるという事を
ご説明しました。

では次回は集合意識そのものに
ついての記事になります。

ではまた(*´▽`*)

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臨死体験では鮮明な人生回顧だけでなく疑似的な人生の追体験もする


前回、絶対意識である「オーム」の近く
まで到達しながら、叡知を受け取るだけ
で、それと一体化できずに、下降していき
もといた「泥の世界」にまで落ちてきて
しまったエベンさんですが、もちろん
以前の意識とは違い、自分を客観的に見る
ことは、できるようになったようです。
また愛や知識を与えられたエベンさんは、
以前よりも、その次元を脱する事が容易に
なったようで、彼はやがて、その
「ミミズの目」の世界から次元を上昇させる
やり方を理解するようになります。
もちろん、なかなかそれを理解するのに
時間を要したといってますが、さてその上昇
する方法とは?

今回は、その時の様子からです。

「」内は全て引用で、~から~までが
中略という事です。

「それがわかったきっかけは、ふとあの
「回転する存在の調べ」を聴きたいと思った
ことだった。
最初は旋律が思い出せなかったが、やがて
あの荘厳な音色と、回転しながらそれを
奏でていた光の球が意識に戻ってきた。
暗がりを貫いて、その調べが届くと、私は
どんよりとしたその場所から上昇し始めた
のだ。
あちら側の世界では、何かを具体的に思い
浮かべれば、それに向かっていけることが
少しずつわかってきた。
「回転する存在の調べ」を思い浮かべれば、
それが出現した。もっと高次の場所へ移り
たいと心から願えば、そこへいくことが
できた。
肉体を離れていた間の私は、濁った暗がり
から光があふれるゲートウェイへ、さらに
は神聖な闇のコアへと、何度も行き来を
繰り返していた。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

このように、低次元から高次元まで、
何度も行き来していたというエベンさんの
臨死体験は、かなり珍しいケースのもの
です。もちろん七日間も昏睡状態にあった
わけなので、単純に時間があったともいえ
ますが、そもそも臨死体験中は時空を
越えているので、我々の次元での時間とは
ほぼ無関係のはずですが、おそらく彼の
肉体の状況は、医師などが測る事のでき
ないところで、一進一退の状況を繰り
返していたのではないかと思います。
つまり肉体に意識が戻りかけている場合は
我々の感覚でいう時間が、彼の意識に
戻り、また上昇して高次元の世界にいる
時は、彼の意識は時空を越えたと考えれば、
確かに、時間的な長さも臨死体験に関わって
くることになりますね。
つまり彼の肉体での意識状態というのは、
「泥の世界」の近くにあるという事なの
ですが、あとからこれが正しかった事が
裏付けられます。
またこの上昇と下降を繰り返したという
のは、彼の分離意識が下降のエネルギーに
なり、愛と知識を象徴する音楽が上昇
エネルギーになっているという事で、
とても理解しやすいものとなっています。
また

興味深いのが、彼が以前の肉体にあった
ときの潜在意識も、当然この臨死体験中に
つながっているので、それがやはり
表れている事がわかるというものです。

彼は、まだ若い時代にグライダーや
スカイダイビングを趣味としていて、
またスカイダイビングは、相当長い期間
に渡って続けていたという事です。
これを彼の潜在意識レベルでの描写に
するなら、地上また日常の感覚から、
スカイダイビングで空を経験する時に
解放されるというものになります。
つまり彼は、これを長い期間にわたって
何度も繰り返していたのですから、潜在
意識には、開放感をともなった上昇と
地上・日常の意識に戻る下降という
状況が、何度も刻み込まれていたという
事になります。
それがやはり、この臨死体験中にも表れた
という事でしょう。潜在意識は、生死や
肉体にかかわらず、永遠に存在する本来の
意識なので、当然、生きている間の
潜在意識と臨死領域での意識はつながって
いることになります。

またもっと奥深いところでの、潜在意識
として、彼の探究心があります。彼は
最先端の脳外科医でありながら、150
以上の論文を発表するような医学博士でも
あったため、探究心が非常に旺盛で
あったわけです。それが自然にあらゆる
次元での経験を、臨死体験中にする事に
つながったという事でもあると思います。

また上昇するために、音楽のエネルギーを
使ったという事なので、やはり高次元を
意識する要素のひとつとして、音楽が
非常に大事だったという事を裏付けて
くれています。
もちろんこれは、ふだんの我々の意識に
ついてもあてはまります。
宇宙の真理編の「五感にもレベルがあり
ます」というシリーズで、聴覚そして音楽
感性のレベルが、意識レベルの高さにつな
がるという事を説明していますが、やはり
臨死領域においても、それは有効だという
ことですね。それも肉体の耳を通しての
音楽ではないので、想像もつかない
ような感動的なメロディーなのでしょうが
ただ私たちの通常の現実世界の音楽でも
当然レベルの高い音楽というものがあり
ます。
それは以前にも記事に書かせていただきま
したが、心の琴線に触れるような、
ウェットな音楽という事です。なぜなら、
高次元の領域というのは、中心に愛がある
ので、乾いた心につながるようなドライな
音楽というものとは、真逆の性質になる
からです。
また私たちの現在が、そのレベルの高い
音楽で満たされているかというと、
それは逆に「誘導」されているという事
も確かなのです。鋭い方は気づいているで
しょうが、レコードからテープ、CD
そして、スマホなどで聴くようなデジタル
データと時代が進むに比べて、自然の
音、または音楽から遠ざかっているのが、
とてもわかりやすい図式になっています。
今でもレコードを私はたまに聴きますが、
その「あたたかい」音色や音の波動を
よく実感できます。
そして、またビートを効かした音楽や
金属音が響く音楽が、いかに高い意識
レベルから我々を遠ざけるか、鋭い方なら
わかっていただけると思いますが、どうで
しょうか?
このエベンさんの臨死体験でも「ミミズの
目の世界」にいる時は、リズミカルな鼓動
の音だけしか、聞こえなかったわけだから
ビートを効かした音楽が、やはり低い意識
レベルにつながるのがわかります。
そういえば、強烈なバイクの爆音、
カーステガンガンかけている車の外へ
聞こえてくる音も確かに「ビート」は効いて
いますよねー。

そしてきわめつけは、一部の人にしか
知られていない大事な事で、音律の設定が
高い意識レベルから我々を遠ざける
基準になっているという事です。
これはA=440Hzという、非常に微妙
な音の高さの設定というものですが、
これについては、また別の記事で書かせて
いただきます。

とにかく、音楽は我々を高次元の意識へ
導くための大事な要素の一つだという事
です。

長くなりましたね、すいません右脳的
解釈が私の記事のスタイルであり、ウリ
でもあるので、どうしても長くなります。
おつきあいいただいている方には、本当
に感謝しています<(_ _)>(^_^)

今回はエベンさんが、泥の世界と、高次元
の世界を、上昇したり下降したりするよう
になった様子を、紹介しました。

さて次回は、いよいよエベンさんが「長い」
臨死体験から肉体に戻っていく様子を
紹介します(^_^)

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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