臨死体験が脳の錯覚でない証拠! 臨死共有体験とは?

なおみん

こないだ臨死体験以外の話も
聴きたいっていったけど、やっぱ
少し気になるのよねー。

あんみん

なんだ結局臨死体験の話
聴きたいんだな

なおみん

でも私がちゃんと、わかるように
説明して欲しいわけよ。臨死体験
が、本人さんの「脳」の錯覚じゃ
ないってさあ

あんみん

ははーん、なるほどー、本人だけ
が言ってる事だから、信用しにくい
という事だな。

なおみん

そうそう、そこよー。

あんみん

なら話が早いな。今回はなんと
本人さん以外の人、しかも健康な
人が、亡くなるか亡くなりそうな
人とともに、臨死体験をしてしまう
という実例を紹介しよう。

なおみん

えーーそんなのあるんだったら先に
いってよー。
それは楽しみだわ、是非聴かせて

あんみん

ではこれだよん

今回は、臨死共有体験について
お話したいと思います。
臨死体験について、懐疑派や否定派
と呼ばれる人々は、とにかく臨死状態
にある人の脳内現象または脳内の幻覚
だと断定してゆずりません。
ところが、近年エヴェン・アレキサン
ダーという科学者が、自分の脳波が完全
に停止していた間に、ずっと臨死体験を
していた事が明らかになって、懐疑派も
ずいぶんとおとなしくなってはいます。
また臨死体験中に肉体を離れていなければ
わからない場所にいた人々の話した事とか、
自分の臨死体験中の病室以外での場所で
起こっていた事の詳細を、臨死体験者が
証言で話したことが、現場にいた人たちの
確認で裏付けられたりもしているので、
どう考えても脳内の幻覚ではない証拠が
たくさんあります。
またさらに懐疑派や否定派にとどめをさす
ような実例があります。
臨死共有体験というもので、それについて
臨死体験の研究者として、世界の第一人者
であるレイモンド・ムーディー氏の言葉を
著書から引用させていただきます。

”「臨死共有体験は、体験自体は臨死体験
に似ていますが、それは死に瀕していない
人々に起こるものです。
たとえば、臨終の床に付き添っている健康
な人々などに起こります。
あるいは、離れたところにいる親しい
人に起こる場合もあります。
また複数の人々に同時に起こることも
あります。
その体験の内容は、死にゆく人の臨死体験
に共通しているものが多くあります。」”
”出典:「生きる/死ぬ その境界は
なかった」レイモンド・ムーディ
ポール・ペリー共著
矢作直樹 堀 天作訳
ヒカルランド刊  以下引用箇所
出典元同じ”
これだと、もはや臨死体験者自身の脳内の
幻覚などと否定することは全く不可能
ですね。これで、実証的なアプローチから
でも、臨死体験が真実の証言であることの
裏付けが取れたことになります。
ただそもそも数千もの証言がほぼ共通した
性質を持つものであるなら、もはやその時点
で疑いようがないと思いますけどね、本当に
頭の固い人たちは、視野が狭いです。
そしてこの臨死共有体験は、臨死状態に
ある患者が肉体を離れる時に、意識の次元の
移行に伴い、我々の通常の意識と全く違う
状態になると思われますが、そのときに、
そのそばにいた人たちや親しい人たちとの
間にあった物質的な意識の壁が取り払われて
瀕死状態の患者の意識と意識を共有する
ことができてしまうことから起こると
思います。この共有を共感や同調という
言葉で置き換えてもいいでしょう。
つまり肉体を離れれば、レベルにもより
ますが、多くの人と意識を共有できる
ということなのです。

ここで著書にある臨死共有体験の
実例を引用させていただきます。

”「数年前私に起こった出来事を、ここに
事実のみ、そのままの形で書き記したい
と思います。
私は17歳になる娘を失いました。娘は
5年にわたって闘病生活を続け、最後の
8ヶ月間は寝たきりの状態でした。
娘は亡くなるまで、つねに非凡な
知性と、意思を持ち続けました。
娘が亡くなる2週間ほど前の夜の事
でした。
私は、娘の病床の頭部近くに寄り
かかっていました。
娘は何か夢中になっているような表情
をしていたので、私は「何を思って
いるの?」と聞きました。
すると娘は、ペッドを囲むカーテンを
指さして、「ママ、あそこを見て」と
言うのです。
示されたほうをみると、そこに人の形
のようなものが立っているのが見えま
した。背後のカーテンの暗い色とは違い、
全てが白いもので、際だって見えました。
私は霊のことなど全く思ったことのない
人間でしたので、驚愕のあまり目を閉じ、
それ以上見ないようにしました。
娘は私に言いました。「見えるでしょ?」
私は、ふるえる声で「何も見えないわ」と
言いましたが、娘は私の弱さを見透かす
ように言ったのです。

「ああ、ママ、私はこの三日間というもの、
いつも同じ時間に同じものを見ているのよ。
あれは亡きパパだわ。私を迎えに来てくれ
ているの!」
娘はこの15日後に亡くなりました。
しかしあの白いものは、再び私には見えま
せんでした。私が見たあの日、その出現の
強さはきっと頂点に達していたのだと思い
ます。    Z.G(サイン) ”

”出典:「生きる/死ぬ その境界は
なかった」レイモンド・ムーディ
ポール・ペリー共著
矢作直樹 堀 天作訳
ヒカルランド刊 ”

なおみん

おーーなるほどー、これでだいぶ、
納得できたわ。
最初のエヴェンさんの証言で、脳波
がゼロの間にもはっきりと意識が
あったという事を証言されている
からさらに納得ねー

あんみん

おー良かったー。
まずは臨死体験が、本来の自分の実体
である意識に回帰するという事だ
というのがが、わかってもらえた
だけで、今回はいいととしよう。

なおみん

なになにまだあるのー?

あんみん

そうそう臨死体験から、俺たちが学べる
事はたくさんあってね。
数々の臨死体験や臨死共有体験には、
共通点があるんだ。

なおみん

つまりは、それをいちいち教えてくれる
わけね。

あんみん

なんだかいちいちというのが、
ひっかかるけど、いやなら
いーんだよ。

なおみん

いやいや、教えてくださーい

あんみん

じゃ次回という事で。

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悪い暗示のサビアンシンボルの解釈について


以前にも書いたかも知れませんが、悪い暗示
とか解釈とか説明があっても、それはあなた
の意識のクセの一部ということに
すぎません。
だから安心してくださいね。
「えーわたし山羊座なのに、凶意の土星が
あるっていってるよどーしよー」とか
「オレのサビアンシンボル逮捕された二人
とか書いてるけど、オレは犯罪なんてした
ことないし、これからもするはずがないし、
いいかげんなこというなよ!」などという
人がいそうですが、その場合わたしの、とか
オレのというのは魚座生まれとか、生まれ日
の太陽のことを、いっておられると思います
が全然違います。たとえば、みなさん生まれ
持って太陽系10天体と、出生時間と
出生地が正確なら、AscとMcというものが
ありまして、全てを総合的に見るのが
正しいのです。

私の大尊敬するサビアン占星術の日本の
第1人者松村潔氏は、太陽は10天体の
うちの一つなので、10分の1の影響
しかありませんと著書で書いておられ
ます。
あんみんの場合は、10分の1よりは
影響があると解釈してますが、それは
このあと書きます。

みなさんが、雑誌なんかで見る星占いの
コーナーは生まれ日の太陽のあったサインで
みる事になってますよね。
申し訳ないですが、自分はあれで当たったー
なんてことは一度もありませんでした。
それはそうでしょ、みなさんこれだけ多様
な人生を歩まれているのに、それを12
だけに分けること自体、無理があるで
でしょう。
ホロスコープで、全く同じ人は一人として
いないといってもいいくらいみんな違い
ます。
ただ似たような出生であれば、もちろん
似てきます。以下のような興味深い
ものをみつけましたので引用しますね。

   ~以下引用~

ベルギーの占星家がこのような同時刻
出生者-宇宙的双子-に関する研究を
している。
同時刻に三十五マイル離れた場所で生ま
れた二人は、身体的特徴が気味の悪いほど
似ているだけでなく、その後、同じような
時に同じような体験を多く持っていたら
しい。

   ~引用終了~
”出典:「英国占星学教科書第1巻」
コーディリア・マンサル著 青木良仁訳”

確かに似たホロスコープはありそうです
が、全く同じということはほぼありません。
まあ双子だってどちらかが先に出てきて
ますからね。ただし、私の友人の双子は
確かに同じような人生を歩んでますね。

とにかくあなたの出生のホロスコープは
ほぼ特別なものなのです。
それでもやはり基準となるような天体
やサインはあるでしょう?
といわれそうですよね。
たとえば、太陽は確かに中心意識です
が、他にもAsc(アセンダント)も
中心意識ですし、また冥王星も本来の核の
意識です。
まあそれだと混乱するでしょうし、
しいて違いをいうなら、この世での
本人の人生の顔というか、仮の姿という
ものがAscで、この人生で魂が望むテーマ
というものが太陽、本来の宇宙意識で
ある本人の中心にあたるのが冥王星。
ただし相当奥深く眠っている場合が多い
です。
ところがこれだけでも終わらないです。
潜在意識に従って生きているような右脳型
タイプの人なら海王星が中心になりますし、
恋愛に生きるということになれば金星が中心
になります。異性との関係に生涯を燃やす
というなら火星が中心だし、仕事に全て
をかけるというなら、木星や土星が中心
になります。家族と過ごすことが生きがい
というなら、月や金星、海王星が中心に
なりますし、「人生は試練」だという
テーマで生きたい人には、オレの出番と
ばかりに土星がやってきます。
オレは世界を変えたいというなら、
わたしの意識を使ってと天王星が中心に
なったりします。要するにみなさんの
意識次第で人生の影響を受ける天体も
変わってくるというわけです。
まあとにかく柔軟に考えてくださいねー
(*^_^*)

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かんたん毎日のサビアン11月22日


今日の太陽のサビアンシンボルは

蠍座30度
「ハロウィンの悪ふざけ」
です。

これは邪心とか、いたずら心を表現
しているシンボルです。
良い方に出るとクリエイティブな
感性に活かせますが、悪い方に出る
とつい出来心のような、ネガティブ
な意識に突然なる場合があるので
注意が必要です。

感情面を示す金星のシンボルは

射手座26度
「旗手」
です。

これは、味方のために戦場でわざと
目立つように立って旗を掲げて
いなければならないので、人々に
対して意図を示そうという、強い
意識を示しています。
つまり自分の強いメッセージを
まわりの人や多くの人に発信して
いこうという意識を示すシンボル
です。

知性とコミュニケーションを示す
水星のシンボルがまた昨日と同じく
蠍座12度
「大使館の舞踏会」
なので、豊かな人達と縁があったり、
社交的な意識になりやすくなる
という事です。

しかし最近水星が動かなくなって
ますね💦これは逆行からまた
順行に入る段階に入った事を示して
いて、明日から順行に戻るという
事です。なんか電化製品やスマホ
などに異常があったというような話
を逆行の間は、よく聴きましたが、
これで一安心となるようです。

行動面を示す火星のシンボルが
これも昨日と同じく
蠍座2度
「割れた瓶とこぼれた香水」
なので、自分の思う人と深くつながり
たいという意識に従って行動したく
なるというシンボルです。

という事で、今日は邪心やいたずら心
が表面化しそうな日で、自分の出来心
のようなものには充分に気をつけた
方が良いでしょう。
これが火星の蠍座2度により刺激
されると、出来心が、異性での失敗
につながる可能性もあります。
またメッセージを発信するのには、
良い日だと思います。

いつもありがとうございます(*^_^*)

かんたん毎日のサビアン 
2019年11月分

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インド占星術 学びか研究か?  気になった疑問を雑記風に


現在今度の日曜日か月曜日に、丁寧に
書いて投稿する予定のインド占星術の
記事のための勉強中ですが、この私の
事ですから、やたら素直ではなく、
私のサビアン占星術との比較をしながら
時には批判的になったりもします。

こんなんで、ちゃんとインド占星術を
習得できるのか、まわりから見ると
不安になるような、学び方ですが、
本人曰く、インド占星術も西洋占星術も
サビアン占星術も意図する事は、個人の
性質と運命を星の配置やそのサインから
読み取る事に違いはないわけで、それを
統合してこそ、本物の占星術が完成する
という事だそうです。
(完全他人事か?(^_^;))
学びながら研究もしたいという事で、
インド占星術の生徒としては、ダメな
見本でもあると思います。

ただし驚異の的中率を誇る、最古の占星術
ともいわれるインド占星術には、古代から
の叡知が、凝縮されているはずだという
意識を持っていて、基本的に敬意を持って
いる事だけは、間違いないです。
そこを誤解なきようにお願いしますね。

さてそんな能書きはおいといて、今回
勉強中なのが、インド占星術の基本と
いう事での、惑星の生来的吉凶という事
です。
もう一つ機能的吉凶というのは、その次の
記事からになります。

その生来的吉凶を調べていくと、私の
サビアン占星術の観点から見て、どうかな
と思う事にいくつか、ぶつかったので、
それを今回雑記風に書いてみようと思い
立ったわけです。
というより、雑記風が本来の私のスタイル
だって、気づいておられる人は多いで
しょーねー(^_^;)

さてさてインド占星術では、通常天王星や
海王星に冥王星という、私がとても重要視
している、トランスサタニアンという
惑星を、考慮に入れないスタイルが主流
らしいです。
すでにここで少し脱力ーー(^_^;)

インド占星術では、9つの惑星を見るという
のが基本ですが、それは太陽、水星、金星
火星、木星、土星の7つの天体以外に、
西洋占星術では、ドラゴンヘッドと、
ドラゴンテイルにあたる、ラーフとケートゥ
という、影の惑星を取り扱います。

で、今回それらの惑星の吉凶を学んでいる
ところですが、なんとインド占星術では、
太陽が、弱いですが凶星という事なの
です。
生命のエネルギーである、プラズマ
エネルギーや地表への温度などを司る
太陽が凶星なわけは・・・・ないはず。

ただしインド占星術では太陽を魂と捉えて
いるという事らしいので、それならば理解
できる事があります。
インド占星術は魂のカルマを明らかにして
いくものだというコンセプトがあると
いう事です。
つまりカルマとは、人生での個人が、
背負った課題、前の人生から持ち越される
負の部分を内包しているわけで、もし
太陽がそういう意味を含めた魂という
なら、凶意というのも当然ある事にになり
ます。
私のサビアン占星術では、太陽は、
「本来の自分の意識」という事で、
ポジティブなものとして捉えている
ので、そこがたぶん解釈のずれにも
なっているのだと思います。
ただし疑問は疑問、研究するという視点
があるというだけで、インド占星術を
否定する気持ちは全くありません。

次に見たのが月ですが、これは吉星という
事で、現在の西洋占星術界の一般的な解釈
と一致しています。
そしてインド占星術では、月を心として
いるので、心であれば吉星になるのは
当然だと思います。
ただし私のサビアン占星術では、月は心
とは解釈していません。
月は生命にとっては、必要なエネルギーを
もたらしますが、本来の意識を五感の
物質的次元に閉じこめるプログラムを
もたらしているという事で、どちらか
というと凶意を意識しています。ただし、
生命エネルギーや現実的な利益など
という点では、吉の意味もありますので、
まあ逆に弱い凶意という感覚でもあります。
またこの現実的な利益という解釈は、
かなり複雑になりますので、それは
別の記事に書こうと思います。
ただ私が尊敬する、サビアン占星術の
第1人者であり、さらに占星学の専門家
としてとても著名な松村潔氏は、太陽と
月についてこう書かれています。

“(月についての記述の途中からの引用
です)
太陽意識は目覚めた意識なので、浮力が
強く、それをより低い次元の地球にとど
めることはできません。この時、地球よりも
低い次元にあり、より重さを持つ月が、太陽
の力を否定的な姿勢で固定化して受け止める
ことで、太陽の意識は地球にとどまることが
できるのです。
太陽がプラス1の力だとしたら、
月はマイナス1、そしてその両方の均衡が
地球を表し、地球は太陽と月の二つの力の
調停点だと考えられるのです。
 人間の生活の中では、このプラスの浮力
である太陽の力と、マイナスの重力である
月の力が葛藤を起こしつつ、両方生きて
ます。
     (中略)
月は人間の中にある何ものにも限定されない
意識を、人の形やエゴに閉じ込める重力を
象徴した天体です。”
“出典:「決定版!!サビアン占星術」
         松村潔 著
           Gakken刊”

この松村氏の解釈は私の神秘研究から
得られた解釈と、見事に一致していて、
こんなすごい方に裏付けていただいて、
心強いと感じているわけです。
つまりこの松村氏の解釈もの解釈も、
太陽がむしろ心で、月の方がとらわれて
しまった意識という感覚だという事です。
私の場合でいえば、実際の観測された
結果から、科学的にも導き出された、
月の現実的なエネルギーをもとにしての
解釈です。

その事は、真実の月編の一連
の記事でくわしく説明しています。

さてそんな月は弱い吉星という位置づけ
ですが、月の状態などでもその吉凶の
性質が変わるようです。

月は、光によって吉凶が変化し、
満ちていく月、また明るさの充分な月は
吉星で、欠けていく月、暗い月であれば
凶星となるという事です。

んーー?ここでちょっと待てーーが
入ります。月が明るくなって、吉星
になって、暗くなったら凶星になる
だとーー?
月が明るくなるのは、太陽の光だから
、太陽の光によって吉星になったら、
太陽の幸運のエネルギーが月に伝わった
といえなくねーのかー?
という事です、逆に暗くなるのは
太陽の光を受けられないからで、
それで凶星になるのなら、まさしく
太陽が幸運の天体で、吉星とならなけ
れば、いけないはずですがーーー!

しかしインド占星術では太陽は弱い凶星
扱いだという事なのです。私の神秘研究
によるサビアン占星術的な観点から
では疑問とつっこみが入ってしまった
というわけです。

しかしまだありました、明るいほど
吉星になる月は満月の時にその吉の
エネルギーが最大になるはずですが、
私が記事にしてきたような次の統計
的な事実からは、満月にそのような
幸運なイメージは湧いてきませんね。

「満月の時期に犯罪が増えることが統計で
判明しており、自動車事故は月が欠ける
時期よりも満ちる時期の方が、顕著に
多いことが分かっている。」
とか
「アメリカ風土医学協会からのフィラデル
フィア警察への報告書では、殺人、無謀
運転、放火などの犯罪の件数は、満月に
ピークを迎えることが判明している。
満月のときには、監獄の囚人たちの喧嘩
、暴動、動揺が増えるようである。」
という内容です。

というわけで、今回研究もしている
という私の疑問点などを書いてみま
したが、驚異の的中率を誇る
インド占星術の事だから、ちゃんと
した理由があるに違いないとは思って
いて、学びという点では素直に
覚えていっているわけです。

なんかこんな雑記を喜んで見てくれる人
がいるのだろうか?そんな人は、とても
あたたかく、寛大で、意識レベルの高い人
に違いないでしょう(^^)/

ではまた(^^)/

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臨死体験と音楽と意識レベルというもの   エベンさんの証言その2


前回からエベン・アレグザンダーさんの
臨死体験をご紹介していますが、今回
はその第二弾という事になります。
アニータさんが、絶対意識領域という
とてつもないレベルに達していたのに
対して、このエベン・アレグザンダーさん
の臨死体験が、それよりかなり低い
レベルの臨死体験になっていた事を
証明するように、エベンさんの臨死体験
での最初のステージが地獄のような場所
になっていたということです。
今回もエベンさんの著書からの引用と
それについての私の考察という形で
進めていきたいと思います。
「」内がエベンさんの著書からの引用に
なります。

まずは地獄のような場所にいる時のエベン
さんの意識の状態からです。

   ~以下引用~
「その状態しか知らずにいて、それを
気にすることができただろうか。生きられ
るかどうかについて、それに近い観念を
抱いたことは覚えているが、生きるに
しても、死ぬにしても、どちらでも
かまわなかった。
   (中略)
自分のいる場所を支配している原理に
ついても、なんの手がかりもなかった。
しかし別に知りたいとも思わなかった。
それがそんなに大切なことだっただろうか。」
   ~引用終了~

これはエベンさんが、充実していたそれまで
の人生とは全く別の意識になったというわけ
ではなく、エベンさんの潜在意識のそのまま
の状態の一部なのです。
臨死体験になっていても、それまでの意識と
別の存在になったのではなく、意識として
の別の状態になっているというだけなの
です。
ではなぜ、充実した人生を送っていたエベン
さんの潜在意識が、最初にこのような地獄
のような世界に移行してしまったのか?
それは、彼が左脳に囚われた物質世界に
どっぷり浸かった潜在意識だったからなの
です。物質的にも豊かで、世間の感覚でみて
も恵まれた人生で、しかも自分も家族思い
で、仕事にもやりがいを持っていたエベン
さんでさえ、物質世界に囚われた潜在意識の
世界は、これほどまでに荒廃したものだった
というわけなのです。
さて日本人の多くの人の潜在意識の状態を
考えてもみてください、エベンさんよりも
ひどい状態の人がやたら多いではない
ですか。
たとえどんなに物質的で豊かで、人生で
順調に生きているように見えても、物質世界
に囚われて、無感情、無気力、無関心で
生きている人があまりにも多いのを感じます。
もちろんそうでない人も多いですが、日本の
方が間違っているなと感じるのは「感情的」
になる事全てがいけないように捉えたり、
言ったりしている人が多いという事です。
確かに、怒りや憎しみ、いらだちや嫉妬、
憂鬱、焦り、また自分をコントロール
できないような感情に囚われている時
などは、もちろんだめです、このような
時、感情的になってはいけないのは、
よくわかりますが、豊かな愛情、感動、
喜び、楽しみ、共感、充実感、良い意味
での情熱などのポジティブな感情は、
当然高めるほど良いので、つまりは
「感情的」になって良いわけです。
このように柔軟な感性で、言葉を捉え
ないと、、意識レベルにとっては大きな
マイナスなのです。
むしろ無感情の方が冷酷さにつながり、
とても意識レベルの低い状態に陥ると
いう事を、もう一度わかっていただき
たいと思います。
だから他人に対しての感情があまりにも
冷たい人が多くなって来ているのが、
現在の日本人だと思います。
サイコパスは、その最たるものです。
つまり肉体を離れれば、このエベンさの
ような状態よりもひどい状態になる可能性
が高いというわけです。
特に冷酷陰惨ないじめやパワハラなどは
間違いなく、さらにひどいものになる
でしょう。
そしてあまりにも人生でその意識が強ければ
、なかなかそのようなレベルから抜け出せ
ないような状態に死後になる可能性が高いと
いう事です。
もちろん感情が豊かで、愛情も豊かである
ような心の持ち主であれば、ほぼ大丈夫
です。このような地獄の世界にいく事は
ないでしょう。ただし、それでも物質世界
に囚われているとあまり高い意識レベルの
領域にはいけないのです。
臨死体験者の報告で肉体を離れた意識が、
至福になったという証言が多いのは、
臨死体験から戻ってこれるというような
人達の意識レベルが、高かったからという
ことでもあるのです。

エベンさんは、少なくとも「冷酷」
「無気力」「無関心」「無感情」のような
意識ではありませんでしたので、やはり
地獄から抜け出せる事になります。
エベンさんが泥の中の地獄のような世界
から引き上げられて、天界のような場所に
導かれる様子が以下のものになります。
~が入ると中略という事です

   ~以下引用抜粋~

「自分が何であれ、ここにいるわけには
いかない。ここを出ていかなくてはなら
ない。
出るといっても、どこへ?
その時だった、それを自問していると、
上方の暗がりから何かの姿が現れた。
冷たさのない、暗さとも死とも無縁の、
それらの正反対を表すもの。私が一生を
かけて説明しても、こちらへ近づいてきた
存在の美しさを表現することはかなわない
だろう。
 だが、それを試みてみよう。~
~闇の中から何かの姿が現れた。ゆったりと
回転しながら、金色がかった絹糸のような
白い糸を燦々と放射している。
光に照らし出され、周りの闇が崩壊し
始めた。
初めて聞く旋律も聞こえてきた。それは
「生きた」音色だった。どんな音楽も
かなわないほど豊かで美しい、妙なる
調べ。純白にきらめく光が下へ降りて
くるにつれて、しらべはいっそう強くなり
、永劫にわたって聞き続けた気がするあの
単調で無機質な音がかき消されていった。
光はぐんぐんこちらへ迫ってくる。~
~やがて光の真ん中に、別の何かが出現
してきた。~
~そのことに気づいたとたんに私は上昇し
始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと
音を立てて開口部をくぐり抜けると、見た
こともない別世界が広がっていた」
    
    ~引用終了~
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

これは、泥のような世界から天界のような
高次元へ導かれる様子を描写してくれて
います。
エベンさんは、やはり家族思いのいい人で
仕事にやりがいを持った向上心のあるような
好人物だったので、表面的な左脳の地獄の
世界を見事に突破することができたのです。
私たちが、結果でなくいかに生きるかが、
とても大切だと実感させられますね。
この光による導きは、よく臨死体験者の
多くの人が口にする「光のトンネル」と
ほぼ同じものだといっていいと思います。
そして、注目していただきたいのが、音楽
です、宇宙の真理編で、五感のレベルに
ついての記事を書かせていただいてますが、
聴覚が最も五感の中でレベルが高いという
事を説明していますが、この時の聞いた事
もないような音色と、また初めて味わう
ような豊かな旋律が聞こえてきたという
のが、何よりの証拠になると思います。
光とともに導いてくれたのは、この音楽
だという事ですね。
まさに高次元の意識レベルに移行するのに、
音楽が欠かせないことの証拠でもあります。
地獄の中で永劫にわたって聞き続けていた
ような単調で無機質な音がかき消されて
いったという事ですが、他の記事でも説明
していますが、音楽にもレベルがあって、
リズム、音色、旋律に分ければ、リズムが
最も低いレベルです。
だから地獄の世界では単調で無機質な
リズムだけが聞こえていたという事なの
です。
そして最もレベルの高いのは「旋律」なの
です、聴いた事もない豊かで美しい旋律に
導かれて、エベンさんは天界にいくことに
なります。
(もちろん音色も大切です。つまり旋律
に比べればという事ですね。というのも同じ
音色でも、別の音階の波動が共鳴しあうのが
旋律なので、その分意識にとって豊かな
状態に導かれるというわけです)

ではまた(^^)/

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絶対意識編一覧

超意識編一覧

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臨死体験にも意識のレベルがある!? エベン氏の証言その1


すでにこの絶対意識編でも取り上げました
アニータさんのように絶対意識レベルに、
到達するような臨死体験をした人は珍しく、
多くの人がそこまで到達していない事が
多いという事を説明しました。というのも
肉体を離れた後も、まだまだ意識には
囚われているレベルというものがあって、
個人差があるという事なのです。もちろん
肉体を離れた意識がレベルアップして
いけば、最終的には絶対意識に到達する
ので、単に意識の過程であるに過ぎま
せんが、意識のレベルには個人差が
あるという事です。
そしてアニータさんの到達した意識レベルと
比較検討するのに適した人の臨死体験として
エベン・アレグザンダー氏(記事では単に
エベンさんと省略したりしています。)の
実例が適当だと判断して紹介していっている
わけです。タイトルだけ変えて、再投稿
させていただきます。

 

今回からは、アニータさんのように自らの
臨死体験を詳しく著書にまとめられている
エベンアレグザンダーさんを取り上げて
いこうと思います。
こちらは、最先端医学博士でありながら、
脳神経外科医を続けていたという、
社会的にかなり地位のある人物です。
もちろんだから偉いというような事を
いいたいわけではありません。
逆にそのような地位の人の臨死体験が、
アニータさんのような一般的な女性に
比べて、低いレベルにあった事が、興味
深いという事がいいたいのです。
つまり潜在意識の領域では、現実の
世界での格とは全く違う基準になって
いるという事なのです。
一つには、彼が物質的世界での感覚で
ある左脳に偏った世界観を持っていた
という事が大きいのです。
つまりいわゆる右脳型ではありません
でした。
そのため自分自身が体験するまで、医師と
してよく患者たちから、臨死体験の報告
も聞く事があったようですが、意識は
脳からしか生まれないという概念が、
正しいと思い込んでいるアレグザンダー
氏は、そんな患者たちに、「それは脳の
幻覚のようなもの」だとありがたくも?
諭してあげておられたようです。
まあ臨死体験などの証言やプリブラム氏
の研究成果を知っている我々にとっては
遅れた感覚に思えますが、主流の科学界
というのは、今でもその固定概念が、
根強く広く受け入れられてしまっている
のです。
そんなエベンさんが、細菌性髄膜炎という
致命的な脳の重大な危機的疾患に陥り、
脳波が完全停止に停止していたのにも
かかわらず明晰な意識を持ち続けた事を
体験してから、完全に見解を180度
変えて、意識は脳から独立して存在する
と著書で発表するや、全米中で飛ぶ
ように売れ200万部以上の、大ベスト
セラーになってしまったのです。
がちがちの科学者が死後の世界を保証
するという、まさにセンセーショナルな
ふれこみも功を奏したのでしょう。

しかし人物としては、臨死体験以前から
家族思いの仕事に誇りを持っていた
いわゆる我々が尊敬できる「立派で
いい人」だったはずのエベンさんでも、
アニータさんの臨死体験時の意識
レベルと比べると確実に低いものに
なったのです。
それはそれまでの左脳に囚われていた
意識レベルのまま、臨死体験に入った
からなのです。
ではこれからのシリーズは、エベンさん
の臨死体験について著書から引用させて
いただきながら、私の考察を加えていく
といういつものやり方で進めていきます。
今回は長くなりましたので、そのさわり
だけご紹介します。
彼が昏睡状態に入ってから直後の様子
です。
引用抜粋なので、(中略)だらけになる
と読みにくいので、中略の部分の始まり
と終わりを~で記入します。

   ~以下引用抜粋~
“そこは暗い場所だった。闇でありながら、
視界が効く暗がり―泥の中に沈んで
いながら、泥を通してものが見えるような
暗がりだった。それとも汚らしいゼリーの
中と言った方がいいかもしれない。透けて
はいるが、すべてがぼんやりとぼやけて
して閉じ込められている息苦しさを覚えた
。意識もあった。だがそれは、記憶も
自意識も持たない意識だった。
何が起こっているかはわかっているの
だが、それを見ている自分がどこのだれ
なのかわからない。・・・
夢の中のそんな状態に似ていた。~
~私には身体がなかった。肉体の自覚が
ないまま、ただそこにいるだけだった。
その場所をその時点で表現するとすれば、
「始原的」あるいは、「原初的」といった
言葉があてはまっただろう。~
~そのうちにそこにいる時間が長くなって
くると落ち着きが悪くなってきた。最初
のうちは、薄気味悪さと馴染み深さがない
交ぜになった、周囲と自分との間に境界が
ない状態に溶け込んでいたのだが、時間
も境目もないところに深く沈み込んでいる
感覚がそのうちに変化し始めた。こんな
地下世界は自分の居場所などではない、
閉じ込められているのだと感じ始めた。~
~「自分」の意識-じめじめした冷たく
暗い周囲とは、別のものであるという感覚
-が強くなるにしたがい、闇の中から
にゅっと出てくるいろいろな顔がいっそう
気味悪く醜悪になった。遠いかなたから
響いてくるリズミカルな鼓動の音も、
大きく、鮮明になったてきた。~
~周囲にあるものが目に見えるという
より。触知するものになってきた。
うようよとミミズのよう這いずっていく
爬虫類のザラザラした皮、つるつるした
皮膚が触れていくのが感じられた。
~臭いが漂っていることにも気がついた
。血のような、排泄物のような、反吐の
ような臭いだった。「生き物」を思わ
せる生臭さだったが、生き物の命では
なく、生き物の死を連想させられた。
認識がいよいよ研ぎ澄まされてくる
一方で、私はますますパニック寸前
まで追い詰められた。”
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”
これが、エベンさんの臨死体験の最初の
ステージです。どうみてもこれは地獄
の一種ですよね。もちろん、霊的な
レベルでの地獄にはいくつもの無限の
種類、無限のレベルがあるとは思います
が、これもやはり地獄だと思ってもいい
でしょう。
注目したいのは、泥の中からさらに醜い
場面に移行した時、気色の悪い触覚、
強烈な嫌悪感をもたらす臭気を彼が
感じたという事です。これはアニータ
さんにも全くなく、多くの至福の状態を
味わった臨死体験者の証言にもほぼ
皆無といっていい感覚だったのです。
つまり意識レベルの高い感覚には、
味覚、嗅覚、触覚はないという事を
示しているのです。これらは特に
肉体があるという前提のもとにある
感覚ですので、臨死体験者のほとんど
が、それを感じなかったと証言して
います。
今宇宙の真理編で、五感のレベルに
ついての記事を書かせていただいて
ますが、五感の中でも味覚や嗅覚、
触覚のレベルは、やはり低いものなの
です。
その低いレベルの感覚で、ひどい状態
に陥っていたのが、エベンさんの臨死
体験の最初のステージでした。
またリズミカルな鼓動の音が聞こ
えるとも言っておられますが、レベル
の低い状態での聴覚や視覚も働いて
いたようです。
この地獄の状態で聞こえてくるのが
リズミカルな鼓動の音というのが、
非常に興味深いのです。

実は音楽の感覚でいえば、このリズム
感が最もレベルが低く、その上に音色の
感覚、最上位にあたるのが、和音と
旋律の調和の感覚なのです。
だから地獄の状態では、メロディー
は聞こえず、リズミカルな音だけが
聞こえてきたという事なのです。
とにかく臨死体験をする前のエベン
さんは、五感の世界に囚われていた
ので、それがこのような世界に来て
しまった事の大きな原因になっている
という事なのてず。
アニータさんの臨死体験とは全く違う
のがよくわかりますよね。
次回は、エベンさんの臨死体験をまた
深くみていく事にします。
では(^^)/

ではまた(^^)/

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知識の徹底深掘りのサビアンシンボル   徹底比較その10 


今回比較検討するサビアンシンボルは

双子座6度
「油田の掘削」
です。

これは双子座のサインが知性の探究を
意味しているので、未知の領域へ知識を
求め、まさに深く掘り下げていっている
という暗示のシンボルです。
つまり油田は、双子座にとっては、知識
の富だという事の比喩というわけですね。

そしてこのシンボルの松村潔氏の解釈を
また氏の著書から引用させていただきます。

「」内が全て引用で~は中略の意味です。

「大地の奥深くに眠っている「油田」を
探し当て、そこから巨大なエネルギーや
富に繋がるような力を引き出すことが
できます。
双子座5度の“過激な雑誌”の度数で、
情報に結びつく付加価値の方にこそより
大きな価値がある事に気がついた人は、
多くの人に力をふるえるようなもっと
大きな鉱脈を探します。~
~双子座の発達段階では、他者との共有
よりも、個人の可能性をいかに広げて
ゆくかという事の方が重要ですから、
これの発展性を考えた時には、できる
限り大きな素材を扱う事がキーワード
です。~
~第2グループになると、この知性
によって拡大されていく人間性や世界像
の方が重要になってきます。
ルディアは、資本主義的な現代の発展性
というものは双子座の世界であると述べて
いますが、これは他人や他企業と競争
する中で、個人や特定のグループがより
大きなパワーを握るという現代の産業構造
のことを示しています。」
“出典:決定版!!サビアン占星術
          松村潔 著
        Gakken刊”
なるほど、私が双子座の知性の探究ばかり
に焦点を当てているだけに留まっている
のに対し、サビアン占星術の生みの親の
一人でもある、占星学の大家、ディーン・
ルディヤー氏の解釈も交えながら、双子座
の資本主義的な発展性も、このシンボルが
表現していると解釈されていますね。
また勉強になります。

さてとてもコアな直居あきら氏の解釈も
いつものように、同氏の著書から
引用させていただきます。

またシンボルのタイトルは、ルディア氏の
意訳をもとにしたものとなっています。

「」内が引用で、~が中略の意味です

「 ジェムナイ五度
 「石油を掘る労働者」

シンボル課題
【能力の発揮・利益やパワー・社会的立場
を得る】

このディグリーの人は、この人生で能力を
発揮し、それを実現するだろう。但し、
このディグリーの場合、必ずしも自分の
やりたいことを行って認められるという
よりも、環境の要求するものをこなす傾向
が強いかも知れない。環境の限定を受けて
いるといってもよい。その意味では与えら
れたことをやりこなす力のある人でも
あろう。
組織やグループで能力を発揮することも
考えられる。~
~自己能力を発揮出来るところに必ず配置
されるようになる人生だ。」
“出典:「定本サビアン占星学」
          直居あきら著
      魔女の家®BOOKS刊”

今回の直居氏の解釈はわかりやすいですね、
私や松村氏と同じように、個人の可能性を
追求していくという事につながる、能力
の発揮という解釈で、その上に松村氏と
同じように利益の追求という要素も加えて
おられます。
ただ直居氏独自の見解として、この
シンボルは、環境の限定を受けていると
解釈されています。
この点について、私はこのシンボルが
環境を打破するために深く探究して
いっているという意味で捉えているため
相反するところがありますね。

今回も三者三様の解釈で、とても興味
深かったですが、最後にエリス女史の
サビアンシンボルのチャネリングに
立ち合った、サビアンシンボルの創始者
でもあるマーク・エドモンド・ジョーンズ氏
の、このシンボルのキーワードを紹介
します。

キーワードは
「思索・熟考」です。
これは私のサビアン解釈と、ほぼ同じとみて
いでしょう。かなりうれしいですね、
これは。
つまり探究や熟考のような知性の発揮と
みるのが二人。また個人の可能性や利益
の追求を暗示しているとみるのが二人と
いう結果です。

また次回のサビアン徹底比較も
お楽しみにー(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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邪心の意識は、やはり死後も同質の領域に引きつけられる!


先日、ネガティブな意識は、同質の
意識を引き寄せるという事を、説明
するような記事を投稿しました。
ではこの世で、邪悪な事をしでかして
、善意の人々の命や自由や生活を
奪ってきたような人、また人に
対しての邪心に満ちて、陥れたり
辱めたりしてきたような人が死後
どのような領域にいくのかという事を
示す実例をご紹介します。

高次のレベルでは、自分の潜在意識が
そのまま投影される領域なので、
霊界を何度も経験した偉人
スゥーデンボルグがいうように、
邪心を持つものは、今度はそれを自ら
のために投影し、その世界に入る
事になるという事なのです。

まあ当たり前です、この世で邪心に
まみれた人がそのまま天界に入って
きたら、天界が悲惨な事になります
から、それに邪心などの意識は、肉体
を離れればすっかり改心できるよう
な便利なものでもないからなのです。
まあ上手くできているといえば、
上手くできています。
もし、邪心にまみれて、人をどんどん
不幸に陥れているものが、そんな
事をしても死んだら全て許されると
知ったら、どうなります?
彼らはまた喜んで、善意のある人達を
不幸にする事をためらわなくなります。
そんな悪人にとって都合のいい話ではない
という事が今回の記事で、わかって
いただけると思います。

以下が元記事です。

昨日、亡くなった人は天界にいけると
ご紹介しましたが、それは通常の人で
あれば、という事です。
邪心にまみれて、多くの人を陥れたり、
不幸にした人や、残虐な行為を他人に
した人。陰湿ないじめを繰り返して、
人を自殺に追いやったり、ノイローゼ
にした人たちは、もれなく次のような
場所に「晴れて入場する」ことができ
ます。臨死体験者の証言では、とても
まれなケースですが、臨死体験をして
戻ってこれる人は、邪悪な心に染まって
ない人ばかりだからです。
そりゃそうですね。なんでも知って
いるような天界の光の存在が、そんな
人をこの世に戻したいと思うわけが
ありませんから。ちなみにその光の
存在も究極でいえば、アニータさんの
ように、自分と一体の存在で、自分自身
という事なのです。
また臨死体験者の中で戻って来なかった
通常の人は、そのまま天界にいくことを
選択している場合がほとんどです。
もちろん身体がもとに戻れない状態に
なっている場合もあります。
実際アニータさんも戻らない選択を、
いったんしてましたよね。
さてその天界の逆の領域について、偶然
そこを垣間見てきた臨死体験者の証言を
またレイモンド・ムーディー氏の著書
から引用します。ただし、実際にその例
を紹介しているのは、ムーディー氏と
同じように、臨死体験を研究している
エバグリーン州立大学の研究者です。

“エバグリーンの研究者が調査した中に、
“地獄”の臨死体験をした者がひとりだけ
いた。これは極度の恐怖やパニック、
怒りを生ずるうえ、悪魔の幻も登場する
臨死体験だという。その体験者は、三回
臨死体験をしているが、二回目のときに
まちがって地獄へ連れていかれたという。
その体験談は啓発的で興味深い。

回答者
二回目の体験は違ってました。下の方へ
行ったんです。下は暗くて、みんな
わめいてました。火(が燃えていました)。
誰だったかわかりませんが、私を脇へ押し
やって、「こんなところへ来るんじゃない。
上へ戻れ」と言ったんです。

面接者
その人は本当にそんなふうに言ったん
ですか。

回答者
ええ、「上に戻れ。おまえはそれほど悪い
やつじゃないから、こなところにいて
もらっては困る」ってですね。

面接者
最初暗闇を通りましたよね。それから・・・

回答者
真っ暗ですよ。まず私たちは降りていって
・・・全くの暗闇でした。

面接者
トンネルを降りたんですか。

回答者
トンネルじゃない、トンネル以上ですよ、
ものすごく大きいやつ。フワフワと
ゆっくり降りたんです。・・・そこには
待っている人がいて、その人が、
「こいつじゃない」って言うんです。

面接者
わめいている人たちが見えましたか。

回答者
下にたくさんの人がいて、うなったり
わめいたりしてるのが見えました・・・。

面接者
その人たちは服を着てましたか。

回答者
いえ、いえ、服なんて全然。

面接者
裸だったんですか。

回答者
はい。

面接者
それで、どのくらいの人がいたと
思いますか。

回答者
とてもとても。そんなの数えきれませんよ。

面接者
何千人の単位でが。

回答者
そうですね。何百万人もいるみたいな感じ
でしたね。

面接者
はあ、ほんとうですか。それで、みんな
本当にひどい状態だったんでしょう。

回答者
みんなひどい状態で、へどが出そうな感じ
でしたよ。みんな私に、水をくれ、水を
くれって言うんです。そこには水がない
んですよ。

面接者
それで、その人たちの見張りはいたん
ですか。

回答者
ええ、いましたよ。頭に短い角が生えて
ました。

面接者
角が生えていたんですか。そ・・・それは
何者だと思いますか・・・。それが何者か
わかりますか。

回答者
ええ、あれならどこにいてもわかりますよ。

面接者
何者ですか。

回答者
悪魔ですよ。 ”

“出典:「光の彼方に」
レイモンド・A・ムーディー・Jr著
       笠原敏雄/河口慶子訳
        TBSブリタニカ刊”

この地獄のように思える領域は、当然
一つではなく、無数にあるものと思われ
ますが、邪悪でない通常の人は問題ない
のでご安心くださいね。
少しの邪心や出来心、また家族のため
やむを得ず罪を犯したとか、かっとなって
人に暴力をふるってしまったとか、それで
そのあと反省するような人は、もちろん
大丈夫です。ただまっすぐに天界と
いうより、いろいろとまわり道をしな
ければならない人もいるようです。
また嘘をついたといっても、相手を
傷つけないためとか、自分をかっこよく
見せるためとか、そんなレベルのものは、
天界にいくエネルギーを妨げるような
ものではありません。
宗教にあるような、正直に生きなさい
というのは、真実の面からいえば、
あまり関係がないといってもいいで
しょう。
問題は邪悪な心、邪心がどれだけの
レベルかどうかにかかってきます。
また少々、性欲や食欲、物やプライド
に執着があるくらいでも、程度に違い
はありますが、地獄に墜ちるほどでは
ありません。自分を愛するというのは、
スピリチュアルの世界でもいわれて
いるように、魂を輝かせるもので、
地獄へのエネルギーになるものでは
ないからです。
ただし肉体に関する欲が強すぎて、
執着しすぎると、地獄には行きませんが
天界にまっすぐにもいけません。
少し学びが必要だと判断されて、しかる
べき領域にいくようです。
自分でなく他者に対しての邪心が最も
重たいものだと理解していただければ
いいと思います。
まあ、ふつうに暮らしている人なら安心
して天界にいけると思って大丈夫です。
地獄にいった人も、自分だけでなく他の
人も救いたいとか、これまでの事を反省
し始めたような場合であれば、地獄から
離脱できます。ただ邪心にまみれた人は
自分のみ助かりと思う人たちばかり
なので、永遠に思えるほど長くそこに
留まることも多いと思います。
これらのコンセプトは長年の研究の成果
と霊界に何度もいけた、その研究の第一
人者スウェーデンボルグ氏をはじめと
した、多くの霊体験者の得た概念など
を総合したものです。
ではまた(^_^)

ではまた(^^)/

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時空を越えたテレパシーのシンボル   サビアンオポジションその15


今日はオポジション(180°)の
アスペクト(角度)を形成する、
サビアンシンボルをご紹介します。

双子座14度
「テレパシーでの会話」

射手座14度
「ピラミッドとスフィンクス」

これらの2つのシンボルが、対称的
な意味であるオポジションの位置に
意味通り配置されているのです。

一見どういう対称なのか、わかりにくい
とは思いますが、これは二つのシンボル
がともに、時空を越えての「意志伝達」
を表しているのです。

双子座14度は、そのまま空間を隔てて
のテレパシーという意味なので、問題
ないと思いますが、
射手座14度のピラミッドとスフィンクス
は、古代からの叡知が、時を超えて私たち
の時代に伝わっているという事で、時を
越えての意志が伝わるという意味なの
です。
このようにみればこの二つのシンボルの
つながりがわかっていただけると
思います。

なんか違和感のある方のために、イラスト
の説明を軽くしておきますね(^^)/
画像の上の部分、つまり双子座14度の
テレパシーでの会話を、私「あんみん」と
「河合奈保子」さんがしているという事
です。
どうです、とても二人が以心伝心なのが
わかっていただけるでしょう?
え?奈保子さんの方は、警戒心が働いて
あんみんからの思念を遮断しようと
してる?
 

はは💧まさかねー(^^)💦

今回もまたセプタイルのつながりを
見つけておきました。

射手座14度
「ピラミッドとスフィンクス」
とセプタイルの関係にあるのが、

51度セプタイル
水瓶座5度
「先祖の委員会」
です。

これは、過去に亡くなったご先祖様
や先人たちが、自分を支えようと
しているシンボルですが、これと
射手座14度の古代の叡知の、先人の
叡知から貴重なヒントを得て、自分の
人生の支えになっている事とつながり
ます。

ではまた(^^)/

よろしければこちらもお願いします(^^)/

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隠れた巨匠ベネデット・マルチェロと中期バロック    バロック58

以前にも、ご紹介しましたが、
今回のベネデット・マルッチェロと
いう音楽家は、なんとアルビノーニ
やヴィヴァルディと並び称される程
ヨーロッパでは有名で、ベニスの
3大作曲家の1人という事らしいです。
日本では映画の挿入曲にも使われた
ベネデットの兄のアレッサンドロ・
マルチェロの↓の曲をご存知の方も
多いと思いますが、彼は政治家など
もこなすマルチな人で、下の曲の
一発屋のようなイメージです。

A. Marcello – Oboe Concerto
in d minor (Marcel Ponseele,
baroque oboe / Il Gardellino)

当時のベニスが、バロック全盛とも
いえるレベルの地域だった事を、
考え合わせると、つまりは、
バロックの3大作曲家と言い替え
ても良いのではないかと思います。
ただこのベネデット・マルッチェロ
は、アルビノーニやヴィヴァルディ
程の、大ヒット曲が少ないので、
2人の蔭に隠れる形でしたが、
よくよく彼の曲を聴いてみると
とても優れた名曲を多く遺して
いるのが、わかってくるのです。
たぶん聴いていただけるとよく
わかりますね。
最初のパートは、アルビノーニが
確立したと言われる、
アレグロ-ラルゴ-アレグロ
のような、アップテンポ、スロー
アップテンポの3パートの曲編成
とは違い、少しおとなしいラルゴ
のようなスローテンポから入る
曲編成が多いのですが、しばらく
聴いていただれば、「これは良い」
というのがよくわかっていただける
と思います。

B. MARCELLO: Violin Concerto
in E minor Op.1/2 SF. 788,
Concerto Italiano

次は壮大で華やかなパートから
始まるシンフォニーです。
とても聴きやすいですし、やんちゃな
ヴィヴァルディに対して、落ち着きの
ある雰囲気があるのが、
このベネデット・マルッチェロという
ように思うのですが、いかがでしょうか?

Benedetto Marcello (1686-1739)
Sinfonie a 4 [No.1 & 5]

しかしベネデット・マルッチェロの
才能がよくわかるのが、このチェロ
協奏曲です。とてもしんみりした
パートから入りますが、深い感性に
訴えかけるような感じです、そして
アップテンポの展開も、聴きやすく
そしてまたとてもなじみのある
メロディー展開で飽きさせません。

Benedetto Marcello Cello
Sonata no 2 E m

これもしんみんりしたパートから
入るフルート協奏曲で、わびさびが
わかる日本人なら、必ず胸にぐっと
くるものがあると思います。

Benedetto Marcello, Sonata in re
minore per flauto e basso
continuo Op. 2 n. 2

そして極めつけはこれ、最初に
スローではありながら、歯切れが
良いラルゴで充分に満足いただける
であろうパートから、今度は、
とてもテンポの良い、華やかな
アレグロですが、間違いなく
どちらのパートも気に入って
いただる事間違いなしの名曲です。

Benedetto Marcello, Sonata
No.1 F Major

さてさてベネデット・マルッチェロ
である程度、お腹いっぱいのところで
中期バロック発掘まいりましょー
(*’▽’)

今回ご紹介するのは
マウリツィオ・カッツァーティ
という方です。
この曲を聴いて、これまでの中期
バロックに対する私の感覚はかなり
印象が変わりました。
とても穏やかでありながら、テンポ
も良く、癒やされながら、
メロディーも心地良いというような
洗練された曲なので、いつの時代
にもやはり才能あふれる音楽家は
いたのだなと感心しました。

Maurizio Cazzati Ciaccona

この曲もとてもテンポが良いのは
相変わらずですが、全ての人が、
自分の過去に引き戻されるような
懐かしさを感じていただけるような
曲です。
楽器の音色の心地良さにも注目です。

Maurizio Cazzati Passacaglia,
Ciacona360p H 264 AAC

ではまた次回もお楽しみにー(^^)/

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