私たち日本人が、政府からいかに
ひどい扱いを受けていても、それに
なんらかの正当な理由があるかのように
錯覚させられているため、きっちりと
政府というより背後の超国家権力の
誘導する超管理支配社会に向かわせ
られているというのが現状です。
今回は、権力側が使用する言葉のトリック
だけでなく、そもそも私たちが日常
当たり前に使っている言葉そのものにも
重要な仕掛け(権力側に有利なという意味)
が施してあったという事をテーマに
していきたいと思います。
まずは、権力側がマスコミなどを
使って、国民を危険な方向に誘導してきた
「騙しの表現」について、
これはわかっている人には、
すでに当たり前の事と思いますが、
超危険なワクチンを
進んで接種させるために、やさしい
日本人の心情を利用しての
「思いやりワクチン」という表現。
その言葉を、ワクチンの危険性について
無知な国民が見聞きすれば、
「自分がワクチンを打たなければ、
まわりに迷惑がかる、もし打たずに
まわりに感染させてしまったら
申し訳ない」
「自分が打たなければ、まわりの人が
安心できない」
「自分の子供が恐ろしいウイルスに
かかって、身体をこわしたら大変だから
打たせてあげないといけない」
などと、本当は危険であるワクチンに
ついて無知であるために、まるで
ワクチンに思いやりと言葉を足して
おくだけで、いかにもワクチンが安全
であるかのように錯覚させられている
事に気づかないまま、ワクチン接種会場
に足を運ぶというわけです。
もちろんウイルスも存在せず、感染も
証明されていない、偽の医学である事は
これまでのいくつもの記事で取り上げて
きましたので、そういう真実を知って
いれば、いかに「思いやりワクチン」
という言葉にこめられた、権力側の
意図が邪悪なものかわかるのですが、
そういう根本的な知識が無いために、
見事に騙されきったという事だった
のです。
もちろん何回も接種していくうちにまわりの
ワクチンによる健康被害や、真実を発信する
人達のおかげで、ワクチンが危険だという事
については、なんとなくわかってきた人が
増えてきたようで、ワクチンの接種率は
低下し続けては、います。
しかしながら、いまだに大多数の日本人が、
いやこの件については多数の世界の人々も
全てのウイルスに存在証明がない事、
感染という科学的真実も証明されて
いない事に気づけていないのが現状です。
だから、ウイルスと感染という恐怖で、
また人々を騙す事は可能な状態にある
という事なのです。
「思いやりワクチン」に似た騙しの表現
としてあの2011年3月の福島原発事故後
の「風評被害」や「食べて応援」なんかも
被災地の人たちへの「思いやり」が言外に
含まれていて、本当に危険な放射能被害
から、国民の目を逸らす事に成功してました。
こういうトリックについて誰にでも
わかるような表現で、記事や小説にして
発信されてるゆきさんの記事を
今回取り上げさせていただきますね。
言葉のすり替えによる印象操作 https://t.co/PwB2j1ZBUT
日本語って微妙な言い回しが多いから
ちょっとした言葉の使い方一つで
何でもないものをさも恐ろしいかのように⁰表現することもできるし
逆にネガティブなイメージを消す事も出来る
これをうまく使うのが支配層の常套手段— ゆき (@Yuki37623134) November 18, 2024
言葉のすり替えによる印象操作
ちょっとした言葉の使い方一つで
何でもないものをさも恐ろしいかのように
表現することもできるし
逆にネガティブなイメージを消す事も出来る
これをうまく使うのが支配層の常套手段
記事より
『
微妙なニュアンスの違いを
多くの言葉で言い分けるのは、
日本語独特の表現方法。
他の国に無いこういう所も、
日本語の素晴らしいところだと
思う。
けれど支配層側が、日本語の
この特色を
自分達にとって都合良いように
利用する。
物事の内容は変わらないものを、
言葉によって自由自在にイメージを
変えてくる。
何でもないものをさも恐ろしいかの
ように
表現することもできるし、逆に
ネガティブなイメージを消す事も
出来る。
例えば今多くの人が打っている
ワクチン。
「副作用」というとネガティブな
イメージでも、
それとは違う「副反応」という
呼び方によって
ネガティブなイメージが消えた。
実際どう違うのか明確に説明されて
なくても、
皆んな何となく納得して打ってしまう。
この事をツイートすると他の方が
教えてくれたけど、
日本語においては使い分けは
一応あるという事。
私は知らなっかった(^^;
けれど
だからワクチンは安全という
意味ではない。
期待された効果とは違う、
体にとっては負担を伴う
反応が起きる事を指す
(痛み、発熱、倦怠感、
皮膚に現れる異常など)
という意味では共通。
ワクチンは健康な人に
打つもので、
治療を目的とする薬とは用途が
違うという意味では
別物。
そういう意味では「違う」と
言えるだけで、
起きてくる反応としての違いは無い。
ちなみに英語では副作用も副反応も同じ
sideeffect。
「副反応というと当然起きて
くるものだから何があっても大丈夫」」
とか、
「酷い症状が出るほど効いている」とか
よく言われているけれどこれには疑問。
薬ならこんな事は絶対言わない。
「薬とは違う予防だから」
それが安心安全の理由になる???
薬で副作用が出たというと
「これは自分の体に合わなかったのかも」
と誰もが普通に思うのに、
ワクチンの場合は・・・
体調にどんなに重い異変が起きても
「副反応だから仕方ないよね」
高熱が続いて長期間仕事を休んでも
「これだけ副反応出てるから
めちゃくちゃ効いてる。良かった」
「副作用」と「副反応」という呼び方、
言葉の違いでここまで変わる。
彼らは多分それを分かって仕掛けて
きてる。
私のツイートに対するまた他の方の
コメントで
副反応というと個人差があるから
「自己責任」というニュアンスが
あるという事。
それもその通りだなと思った。
何が起きても自己責任。
実際問診票には、一番下の方に
目立たなくだけど
その旨記載されている。
それを承知で署名、印鑑を押して
打ったのなら
文句は言えない。
本当は副作用の方が主作用だとい
うコメントを
くれた方もいたけど、
翌日に見たらその人のコメントは
「規約違反」
という事で非表示になっていた。
言論統制もまた強まっている。
』
“出典:「自営業倶楽部」”
ほんとわかりやすい記事でしたね、
まず最近使われ出した「副反応」
という言葉、これは、接種または
服用した当人の個人的な反応
という意味になり、ここでワクチン
や医薬品の責任が回避されて
しまうのです。
そして元の「副作用」というのは、
ワクチンや医薬品そのものに
責任があるという事になり、それが
製薬会社や医療産業の責任に
つながる事になるわけです。
つまり「副反応」は接種または服用した
当人のせい。
「副作用」は医薬品やワクチンのせい
という事になるという大きな違いが
あるというわけです。
マスコミも医療産業もまた日本政府も
支配層の資本下にあるので、自分たちの
責任を回避する一方で、庶民にそれを
なすりつけたいがために、この「副反応」
という言葉を使用し、流布、喧伝させて
きたという事なのです。
英語では、どちらも「side effect」
(サイド・エフェクト)
という事で、一応薬自体の作用という
表現になっていますが、そもそも副作用
というのは、有害なものなのに、肯定的な
意味として用いられる事が多いエフェクト
という言葉を使用しているところも、
やはり誘導が入っていると思いますね。
有害であるなら、ダメージなどという言葉
を使用した方が適切だと思います。
また「自己責任」という騙しも、記事に
ある説明の通り、とても姑息で、悪意に
満ちたものだとわかりますね。
こういう言葉自体のトリックは無数に
あって、私たち国民を真実から遠ざける
ために使用されてきました。
「民営化」とは、民衆や庶民に使われる
民という文字を使っているから、
私たちと同じ立場の人間が、所有して
いると思いがちですが、実はもともとの
「公営」というのが、その意味である
という事です。
まるで公営というと、政府や権力者のもの
という感覚を持たされてきた私たち
ですが、そもそも政府は我々国民の代表
であり(少なくとも本来の姿として)
公営とは、私たち国民・庶民のもの
というのが本意なのです。
というわけなので、郵政が民営化
(実際には公的機関全てが真実)
されるという時には、当時私も
含めて、ほとんど全ての国民が
郵政省が、国のものから、私たち
と同じ立場の人間の所有になると
勘違いさせてられていたのです。
実際には、民営化というのは、
私有化という意味であり、つまり
資本家の所有物になるという事
だったのです。
だから、「民営化」とは「私有化」
と訳されなければならないのに、
国民を欺くために「民営化」という言葉
が使用されたという事なのです。
資本家も私たちと同じ立場の人間じゃ
ないかという人がいるかも知れませんが、
郵政省のようなものを所有できるような
資本家というのは、庶民とはかけ離れた
人間たちだという事を、理解していない
からなのでしょう。
いってみれば、日本の一流企業も
「金融の自由化」という事で、ことごとく
外国資本の手に渡っていますが、その
ような資本家は、日本政府よりも権力を
持っているのだという事です。
つまり我々庶民とはかけ離れた立場の
人間が所有する事になるのが「民営化」
というものの正体だったという事で
まんまと言葉の持つ印象のトリックに
騙されたという事なのです。
今「金融の自由化」という事で、「自由化」
という言葉が使用されていますが、その
自由がなんだか良い意味のように
思わせるトリックなのです。
もちろん今改憲で奪われようとしている
国民の自由や権利は、絶対に手放しては
いけない大切なものですが、「金融の自由化」
とかTPPやRCEPなどの「自由貿易」などの
言葉として使用される自由とは、庶民の
自由ではなく、その国家より権力を持つ
巨大資本家のための自由だという事なの
です。
そんな言葉のトリックは日本語にいくら
でもあります。
観えない世界を扱う学問の事を「形而上学」
(けいじじょうがく)と言いますが、
まるで、語感から、「形の上ではの意味
かな?」と思わせるように
わけのわからないイメージしか持て
ませんよね。
この形而上とは、形をもっていないものや
超自然的、理念的なものを表す言葉です。
要するに私たち日本人には、目を向けて
欲しくないジャンルだという意図が
ありありと出ているのがこの形而上
という言葉に込められているという
事です。
わけわからない言葉の学問なので、
興味を持ちたいとは思わなくなる事が
狙われているという事です。
支配層側の人間は、庶民に真実を知らせ
たくないため、目に見えない本来の
領域や、本当は自然界のうちに含まれる
超自然界には目を向けて欲しくないため
わざと難しくて意味のわからない言葉を
当てているという事なのです。
目に見えない世界や超自然的な世界
こそが、私たちに真実を観る目を開かせる
ものなのですが、そうすると支配が不可能に
なる事を、支配層がわかっているから
というわけです。
量子物理学(quantum physics)も同様の
理由で、「量子力学」と訳されて、それが
庶民に流布され、普通はこの言葉が使用
されていますが、世界で通用している
クォンタム・フィジックスという言葉は
直訳すれば、量子物理学なので、どこにも
力学という意味はありません。
なぜこういった誤訳が流布され、使用
される事になったかというと、量子物理学
というのは、目に見えない世界や、
超自然的な世界も、分析の範疇に入れよう
という事で、創設された学問だから
やはり支配層に都合の悪いジャンル
なので、本来の物理学の傍系・亜流
という印象を持たせたいがために、わざわざ
「力学」と誤訳させたというわけです。
量子物理学が単に、量子を扱う学問だと
勘違いされている方が多いと思うので、
その成り立ちを説明した記事がこちらに
あります。
量子物理学の基本理念として
コペンハーゲン解釈というものが
ありますが、これは、モノとして
捉えられないものでも、エネルギー
として観測されるなら、それを実在
するという視点を持つ事と
実在性もまた観測者の意識または
行為に依存するという視点を
持つという事です。
つまりそれまでの古典物理学では、
物質または物質に起因するエネルギー
しか実在とされていなかった
ものを、物質に起因しなくても
超自然的であっても、現象として
捉えられるものは、全て実在のもの
として捉えて研究対象としたのが
量子物理学だという事なのです。
さて政府の騙しのトリックについても、
いくらでもあります。
コロナ偽騒動の間、テレビを中心に
ニュースや報道番組で、嫌というほど
見せつけられていた「感染者数」という
言葉。
これはPCR検査などの陽性者数が
本来の意味だという事を、ちゃんと理解
している人がいまだ数多くいます。
検査で「陽性反応」が出たから感染
という意味になると国民が思い
込まされてきたため、それをマスコミや
政府が、陽性者数を感染者数に
置き換えて、国民に「恐怖のウイルス
による感染が拡大していると」
国民にとことん意識させるために
感染者数を毎日・毎時のように報道
したり、政府に発信させていたわけです。
実際には、ウイルスも存在せず、
感染も証明されていなので、PCR検査
などには、まったく意味がないの
ですが、あたかも科学的証明であるかの
ようにPCR検査が、病院だけでなく
あらゆる場所で実施され、偽の
「感染者」が日々莫大に増えていった
のです。
PCR検査自体がどれほどいい加減で
たとえウイルスが存在していたとしても、
全く信頼できる検査ではなかったという
事についてはこちらの記事で取り上げて
います。
もちろんウイルスも感染も全く
証明されていないので、あらゆる
感染検査自体に意味がないという
のが本当なのです。
感染対策についても、まったく無意味
でしたが、感染の恐怖を植え付けて
国民にワクチンを接種させるため、
また国民同士を分断させて、引き離す
ため、そして管理社会へと、国民を
手なづけるためなど、彼らの狙いは
とてもわかりやすものでした。
そのために
「マスクの着用」
「ソーシャルディスタンス」
「消毒の徹底」
「感染者(陽性者)の隔離」
「ワクチン努力義務」
「黙食」
など理不尽で無意味で、有害でしか
ないコロナ感染対策が実施されたという
事です。
そしてその国民にとっては無意味
である一方で、支配層側にとっては
有意義な、その感染対策費、コロナ
関連費は、なんと
300兆円(使途不明金は13兆円)
にものぼるというから
笑ってしまうしかありませんね。
逆にこれだけ政府が対策にお金をかけて
くれるのは、コロナウイルスが
恐怖のウイルスだからと、国民は
まんまと騙されてきたというわけです。
それだけのお金を、本当に日本人
のために使ったならば、国民は
全員健康で豊かな生活を送れるように
なったのは間違いありません。
さて政府の騙しの表現は、無数に
ありますが、ここまでくらいにして
おいて、今度は日常使う言葉に
仕掛けられたトリックについてです。
まず英語について、米国に住んで
おられて、日本語と英語の表現の違いを
日々実感して過ごされていて、いろいろ
鋭い視点をツイートしておられる
おバガさんの気づきについて。
以前もその事を記事にしていました。
この記事も今回のテーマに通じる
ところがあるので、記事内のおバガ
さんのコメントの重要部分を
再掲しておきますね。
『
@hipurin
アメリカで英語人を対象に英語で
ヨーガを教えていて、言葉と脳の
使い方について観察していく中で、
様々な仮説や考えが、雲のように
黙々と浮かんできます。
まず、英語は、討論や批判をするのに、
とっても便利な言葉。アメリカでは
勝ち組と認識されている
(私はそうは思わない)弁護士に
必要な素質とは
より多くの難しい言葉を知っていること。
様々な言葉を使うことで、あたかも
詳細に物事を語っているように思わせる。
多いことは良いこと、みたいな。
言葉によるマジック。Magic spell
それが普段の行いにも反映されていて、
沢山のものを所有したがる。
ベースボールカードから、ヘンテコな
ぬいぐるみシリーズ、クラッシックカー
などなど、庶民から高級取りまでが
楽しめる収集商品であふれている。
様々な問題も、買って解決、という
行動パターンが多く見える。
情報についても同じ。
ヨーガ哲学の話をしていて、例えば、
アストラルボデイーについて
説明しようとすると、既にその言葉は、
昨今のスピリチャルブームですでに
世の中に出回っていて、
スピリチャリズム収集家の人たちは、
「すでに知っている」と、彼らの
認識範囲でしか、その言葉の意味を
探索できない。思考がそれから先に
進まなくなる。
(引用注:このアストラルボディは
日本でいえば、霊体にあたるよう
ですが、おバガさんによると
様々な階層に分かれている個人の
目に見えない領域の一つという
事です。)
これまでの娘の学校の教育を見ていても、
文章の書き方など、形式が用意されていて、
それに従って、より多くの、難しい言葉が
使われていることが、高く評価されて
きた。
言葉が持つ意味の単純化は、思考の
単純化にもつながる。
一方、日本語には、短い言葉が幾重もの意味
を有して、臨機応変に意味を変える、
まるで虹のような特徴がある。
言語の発祥を追っていくと、英語は、
ゲルマン語から、ロマンテック語は、インド
(サンスクリット)語から派生した、
というような大きな流れが見受けられるけど、
日本語は、どこからきたのか
わからないという、報告がされている。
(引用注:まさに日本語は日本から来た
からという上の記事を裏付ける報告
ですね。言語学の観点からも世界言語の
原点という観方もされています。)
普段、日本語でものを考え、それを英語に
変換して、英語で伝える仕事をしている
私の意見ですが、英語に変換する行為には、
非常にエネルギーを消費する。
例えばその場を丸く収めたい時
「まあまあまあ」で収められるのを、
英語では、『なんて言おう?』から
始まる。主語は?述語は? ときて、
どっちに非がある、というところまで
考慮して、文を組み立てていかなければ
いけない。主語を立てるということは、
常に、ジャッジメントが伴う。常に、
私、あなた、私ら、彼らと隔たりを作る。
(引用注:ここが着眼点としてさすがと
思わされた部分ですね、個人というのは
支配層が人類に仕掛けた五感の
マトリックスでしかなく、真実は
ワンネスの意識としての全てこそが
本来の自己という事を意識して
会話に活かしているのが日本語だと
いう事です。それに対して自分と他人を
はっきり区別する会話のスタイルは
まさに支配層の仕掛けたマトリックス
支配にとって都合が良いものだと
いう事です。
これに関しては以下の記事が参考に
なります。
昔日本語を勉強し始めた主人の友達が
よくぼやいていた。
なぜ、日本語は、主語を省くのか?
それでは、一体何のことかわからない。
17歳で日本に留学して、生活の中で
日本語を身につけた主人は、
当時流行っていた、「ファジー」という
言葉で、
黒でもなく白でもなくグレーを好む人たち
なんだよ、と説明していた。
日本から外に出て、改めて日本語を意識
すると、ものすごいポテンシャルを秘めた
言葉だと感じる。
話しているだけで臨場感を伴うことが多い。
相手の気持ちも短い言葉から汲み取れる。
だから平和の民。と呼ばれてきたの
でしょう。
(引用注:ここに日本語、また日本語を
使う日本人の特異性があるのです。
もちろん明治以降とくに昭和の
戦後以降には失われつつあるものですが
おバガさんの言われる
「相手の気持ちも短い言葉から汲み取れる」
というのは、言外の意味は、いわば
テレパシーのような感覚で通じ合う事が
できているからなのです。
空気感や相手の表情から相手の感情や心情を、
読み取り、さらに
言葉のトーン、抑揚、音感などから
さらに微妙な意味を読み取っていくのを
昔の日本人は自然にできていたという事
なのです。
それがあるからこそ相手との心情的な距離
が近く感じられ、おバガさんの言われる
ような
「話しているだけで臨場感を伴うことが多い」
という事につながるというわけです。)
そして、英語だけを話してきた人たちには、
全く見えない世界であることも、なんとなく
理解できる。
おそらく日本語のような言葉は、ポリネシアの
言葉、アフリカ民族の言葉、南北ネイテイブ
アメリカンの言葉にも共通するものだと思う。
(引用注:上で取り上げた記事にも通じますね
日本から日本語が世界に広まったという
証拠が数多く見つかっているわけです。)
西の植民地支配は、主に言葉を弾圧する事で、
民族独自の思考が奪われたのでは?
多くのアイランドランゲッジには、
書き言葉が
存在しなかった=口伝でしか残せない
と言われている。 アメリカにおける
ネイテイブ民族支配は、女子供の
大量虐殺、また近い歴史では、再教育と
謳って、子供に無理やり英語を
教えるため、親から引き離して
寄宿校へ送った記録がある。
2年程前には、カナダのネイテイブ
アメリカンの再教育目的でカトリックの
学校に身を置いていた子供達
が大量に虐殺されていた証拠が見つかり、
教皇が謝罪したニュースがあった。
(謝罪だけで済ませていいのか疑問が残る)
(引用注:おバガさんのやさしい表現
ですが、大量虐殺しといて、ごめんで
済むはずはありませんよね。)
言葉の弾圧は、民族の浄化につながっていく
、、、、英語を話していると、思考が
浅くなる。解決を外に(消費)に求める。
消費とはお金を有する。
(引用注:支配層は、意識レベルが低く
野蛮な白人に力を持たせて、征服した
土地に、思考力を劣化させる英語を
強要し、征服された民族の粛清や
その民族の結束を弱めるため、異民族
特に白人との交配を進めて、民族浄化
というより、民族劣化に力を注いで
きたのです。
なぜなら人類が劣化していけばいくほど
支配が容易になるからで、岸田自民に
大量の移民を受け入れさせているのも、
その流れです。
人類を劣化させて支配するという
計画については、この後説明します。
クルド人が犯罪し放題でし、しかも
無罪放免となるのも、すべて支配層の
目論み通りというわけですね。)
消費は、地球の資源を使い続ける必要が
ある、現在のお金の制度は、アンフェアーな
ルールのゲームでしかない。
(引用注:支配層が中世に完成させた
銀行システムについては
こちらの記事で詳しく説明しています。
このカラクリを知れば、日本語を、
かろうじて書き言葉、話し言葉として
使えている私たちが、次世代に何を
伝えるべきかが、わかってくる。
ここまで読んで下さって、
有り難うございました』
素晴らしいおバガさんの考察でした
日本語の素晴らしい感覚を持ちながら
日々それを英語に変換して、会話
しておられる経験から紡ぎだされる
素晴らしい考察でした。
』
おバガさんのコメントは、記事の一つ
になるような大作になる事が、多い
ですが、これもその貴重な一つだと
いえます。
日本語は、言外の意味を無数に持つ。
英語は、言葉の意味をストレートに
表現するという点でも、大きな違い
があるというのも、理解を深めるのに
有効でしたね。
そして日常使用されている英語にも
トリックが施されているというのも
おバガさんのコメントから学べました。
@hipurin
英語でもね、understandというのは、
本来は、innerstandだという人がいる。
understandは、誰かの下に立たされる=
支配される
innerstandは、自分の中に立つ=直感
なるほど理解するという意味を示す
understandは、支配下に収まる
という意味が隠されていましたか。
確かに自分の意思・心に従うという意味で
理解するというのなら、innersandの
方が適切になります。
相手の言う事に従うだけなら、
understandだけれども、
自分の中に取り込んで咀嚼して、
納得した事を理解というなら
innerstandという言葉の方が適切
になりますからね。
同じくわかるという言葉にI see
または単にseeという言葉がありますが、
なるほどこれも視覚に頼った理解に
偏る現代人に隠されたトリック
でしょうね。
これもおバガさんの発見☟
『
Word 言葉
Sword 刀
日本語の響きは振動を起こして、
その波動がある種の意志をもって
いると考えられることから、
言霊と言われていると思いますが
英語のwordは、物質的なエネルギーが
強く刀のような武器になる、
と常日頃から感じてます。
娘の機嫌が悪い時など、なにか
英語できつくいわれると、
心をナイフで刺されたような感覚を
覚えることがあります。
だから、アメリカは弁護士がやたら
多いのかな?と思います。
恐らく、日本語のような響きの言葉
(エネルギーを音に変換した言葉と
捉えています)は、身体に自然に
染み入っていくので、感受性が高くなり、
自然と繋がりやすい=テレパシー。
それができない人種は、
テレパシー的能力を外(物質)に
求めるようになり、現在の科学が
発達したのでは? 彼らの言葉は、
エネルギーでなく物質的なもので、
概念によって理解する。なので、
音の力はさほどない。 あるのは、
殺傷力。
弁護士なでは、まさしく言葉を
武器にする良い例のように感じます。』
なるほど英語では、言葉は武器として
使用される感覚なのかも知れませんね。
Sを入れるだけで、剣を意味する
swordになるとは、おバガさんじゃ
ないと気づけなかったのではないかと
思います。
なるほどだから、アメリカが訴訟社会
といわれるゆえんですね。
しかもですよ、古英語ではSは「蛇」
示す文字だという事なので、言葉に
攻撃的な意味合いを与えるのに
支配層の象徴でもある蛇の意味の
「S」という文字あてるのは適切という
感じがします。
日本語に、人とのつながりの可能性を
感じる事は、よくあります。
人どうしつながるまた共感しあう時に
使用される「和」という言葉一つ
とっても、円満さを示す「輪」、
人と気持ちを通じ合わせる「話」
円形と循環を示す「環」
いろんな意味の言葉が連鎖的に
つながりますね。
気(氣)という言葉も、目に見えない世界の
エネルギーを示す言葉として、
あらゆる日本語のバリエーションに
つながっています。
「元気」「気力」「病気」「邪気」
「気持ち」「心意気」「気づかれ」
「寒気」「勘気」「瘴気」
また音が同じ「き」でも「鬼」「紀」
「樹」「木」「喜」「機」「記」「期」
など無数にバリエーションがあります。
言葉の音だけでどう判断するのか
という時に、会話の流れとか、話の
前後関係とか、意思や感情、また
言葉の抑揚や強弱、などで、日本人は
会話に不自由する事はありません。
いわゆる相手との「空気」や「心情」
推しはかって、テレパシーに近い形で
会話しているからでしょう。
「アレ」「ソレ」「ナニ」で話を進めても
主語がなくても、述語さえなくても
仲の良い日本人どうしなら「あうん」
の呼吸で会話が成立するのです。
確かに日本語が、世界を結ぶ言語である
という観方は、間違いではない気がします。
そもそも世界共通語は、日本語だったという
証拠を言語学者の見解から記事に
しています。
英語にも日本語の痕跡がある
という事
walk=ウォーク=歩く
yes=イエス=よし
no=ノー=無い
nothing=ナッシング=なし
mean=ミーン=意味
(I mean=アイミーン=意味する)
talk=トーク=説く
maddle=マドル=混ぜる
これはマドラーが、かき混ぜる
棒だからイメージしやすいですね
road=ロード=道路
cold=コールド=冷たい(凍る)
kill=キル=斬る、殺す
まあとにかくざっと共通するものだけ
でもこれだけありますが、確か前に
調べた時はもっとあったと思います。
南米・北米など先住民族の言葉にも
日本語が原型と思われるものが多数
ありますし、ヘブライ語にいたっては
共通するものがかなり多いです。
ヘブライ語だけなら、日本語が
ヘブライつまりユダヤ由来という一時
流行った、日本人ユダヤ起源説が正しく
なりますが、世界中に日本語が多く
見られる上に、そのような言語は
世界でも日本語だけというから、
やはり源流が日本語であると観て
良いと思います。
言葉に仕掛けられたトリックという
意味では、日本語には、肯定的な
ものが多くなる感じですね。
たぶんトリックを探せばいくらでも
見つかるはずですが、今回はこのへんで
終わります。
支配層側に用意された
言葉を使用せずに
人と人をつなげるための日本語を
使って、まさに国民同士がつながって
いかなければならない時代に入って
いると思いますね。
ではまた(^^)/