超常現象とホログラムその8   時空を越えたホログラムその6

前回、臨死体験中のように、肉体から意識が
分離していなくても、日常の経験として、
時空を越えたホログラムに遭遇することが
あると紹介しましたが、その実例として
とても詳細な描写がされているものを、今回
またコリン・ウィルソン氏の本から引用させ
ていただきます。

“生物学者アイヴァン・サンダースン
(一九一一~七三)は、動物学上の珍しい
行動を主に取りあつかった「続・事物」
(一九六九)という本の最後の章で、似た
ような体験をひとつ記録している。
「幻聴?」という章だ。サンダースンは、
〈オカルト〉にはいまだかつて興味を覚えた
ためしがないと述べたあと、妻とハイチに
住みながら、生物学上の実地調査に着手した
ときの様子を語っている。彼はある日
アスエイ湖に車で向かう途中、近道を間違
えたあげく、車輪まで泥にはまり、歩いて
引き返すのにほぼその晩丸々かかって
しまった。サンダースンと妻は、いっしょに
並んで歩いていた。助手のフレデリック・
G・オールソップは夫妻の先を歩いていた。
すると-

・・・ほこりっぽい地面から急に眼をあげる
と、さまざまな形や大きさをした三階建ての
家並みが、おりしもキラキラ輝く月光を受け
、ちゃんと影を投げかけて道の両側に続いて
いるのにはっきり気がついた。この家々は、
道路のうえに覆いかぶさるように建って
いたが、大きな丸石のパッチで、にわかに
泥だらけになってしまったらしい。イギリス
のエリザベス朝期あたりのものだったと
思うが、どういうわけか、わたしには
わかった-家並みがパリにあることを!
屋根には片方にだけ勾配があり、屋根窓や
破風、木造の柱廊玄関、ごく小さな加鉛の
窓仕切りのついた小窓がそれぞれいくつか
備わっていた。家並みの裏手から蝋燭を
ともしたような、どんよりと赤みがかった
光が放たれていた。材木を突き出して、
鉄枠の角灯を吊した家もいくつかあって、
風が吹いているように、どれもいっせいに
揺れていたが、あたりの空気は微動だに
しなかった・・・・・
 驚いて周囲を見まわしていると、妻が
静止して息をのんだ。おかげで、わたしと
もろにぶつかってしまった。いったいどう
したんだと聞いているのに、妻はしばらく
口も聞けない状態。ようやくわたしの手を
とって指さしながら、わたしが見ていた
ものを、そっくりそのまま述べたてた。
その時点で、わたしも言葉を失って
しまった。
 ようやく自制力を取りもどし、「なにが
あったんだと思う?」というようなことを
口ばしってみたものの、答を聞くと、
さらにいっそう驚いた。とてもよく覚えて
いる。妻はこう言ったのだ。「五〇〇年も
前のパリになんで来ちゃったのかしら?」
 それから、二人いっしょに見ていると
思われるものに驚いて立ちすくみながら、
個々に話の要点を拾いだし、細かいところ
や何やかやについて、たがいに指さしたり
質問をぶつけあったりした。
妙なことに、二人はいつのまにか体を前後
に揺らしていた。そして心ぼそくなって
きたため、フレッドに声をかけたのだが、
前方の白シャツはどんどん小さくなって
いった。
 それから何があったのか、あまり覚えて
いないのだが、フレッドのもとへ妻と駆け
よろうとして目まいを感じ、細長くて
ざらざらした縁石だと確信した物体に腰
かけた。どうしたんですかと尋ねながら、
フレッドも走って戻ってきたが、わたしは
最初何といっていいかわからなかった。
五,六本残しておいた煙草の〈管理人〉で
あるフレッドは、われわれの横に座ると、
一本ずつくれた。ライターの火が目のまえ
から消えたころにはもう、一五世紀のパリ
も消えてしまい、目の前にあるのは果てし
なく続くいまいましいイバラの藪と、
サボテン、むきだしの土のみ、妻もまた、
炎をのぞきこんだおかげで戻ってきた。
だが、フレッドは何も見ていなかった・・
・・・”
“ 出典:「超オカルト」
      コリン・ウィルソン著     
       風間賢二+阿部秀典訳
         ペヨトル工房刊”
ウィルソン氏はこのあと、ハイチに
15世紀のパリが現れたということ
について、なかなか理解できないと
していて、時間を越えてということは
ありえても、場所まで移動するという
事が、わからないという事らしいです。
時間を越えられるのなら空間も越えて
移動しても、同じ事だと自分は思い
ます。時空を越えた次元では、時間も
空間も完全に我々の知覚を越えている
のだから当然ですが、このあたりは懐疑
的なほどに、慎重なウィルソン氏らしい
のですが、その時の考察を取り上げて
みると

“なぜ15世紀の家々が二〇世紀の
ハイチに現れたのかという疑問は残る。
確かにハイチはフランス領だったが、
それは二世紀後のことだ。ガランとした
田舎道にその昔、古風なエリザベス朝期
の家々が残っていたという可能性は?
全体的に見て、それがもっともあり
そうな解釈に思える。とはいえ、家々が
跡形もなく消滅してしまうのは妙な感じ
がする。そしてこの解釈を捨てなければ
ならないとすると、二〇世紀における
一五世紀のパリの幻視は、今でも理解
できないのである。”
“ 出典:「超オカルト」
      コリン・ウィルソン著     
       風間賢二+阿部秀典訳
         ペヨトル工房刊”
まず無限の時空が同時に存在するパラ
レルワールドでは、時間も空間も我々の
知覚の制限が全くなく、全て自在なの
だということが理解できていれば、それ
ほど悩む必要はありませんが、ウィル
ソン氏のスタイルは、あくまで常識的な
観点から、丁寧に超常現象を取り上げて
いくものだから、理解しにくいのも当然
ですね。
今回の実例は、オカルトなど興味ないと
いっているサンダースン氏が、はっきりと
した感覚で、五世紀も前の別場所の風景を
見たと証言しています。また幻視などでは
ない証拠に、妻とも風景について細かく
話し合ってもいるのです。これは二人に
そのような異次元への感知能力が潜在的に
備わっていたこともありますが、時空の
ポケットに相当するような場所は意外に
多いので、そこへはまり込んだとも考えら
れます。なんせ建物の影まではっきりと
覚えていると断言しているように、全く
完全な現実として、二人は体験したという
事を意味してます。ほとんどの臨死体験者
も、時空を越えた次元を完全に明晰な状態
で経験したと証言していますが、その状態
の方が「目覚めている」と感じて、逆に
肉体に戻ってきた時の方が「眠っている」
かのようだといっている人もいるくらい
です。
このような実例を、素直に受け止めれば、
我々にとっての現実が、全く普段感知
しているものとは違い、次元を越えた
ところに全ての時空が同時に存在する
パラレルワールドがあり、我々の潜在
意識、つまり我々の本来の姿は、それ
とつながっているのだということが
理解できるようになると思います。
まだまだ時空を越えたホログラムは
続きがありますので、紹介しますが、
次は別の話題を取り上げようと思い
ます。

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超常現象とホログラムその7   時空を越えたホログラムその5

我々の現実は、ホログラム的な波動の
干渉の状態で、別次元に保存されていて、
それは時空の全てにわたっていると
前回までの臨死体験者の例で説明してき
ましたが、臨死体験をして肉体から意識が
完全分離するような状態でなくても、日常
の経験として、時空を越えたホログラムを
経験したという例が、少なからずあります。
そのような超常現象の実例を、とてつも
なく多くの著作で取り上げてくれている、
コリン・ウィルソン氏の代表作の一つ
「超オカルト」(オカルトとは超自然的
という意味)から、その時空に記録されて
いるホログラムについて書かれているところ
から引用させていただきます。
引用の途中で、私が説明を加えていきます
ので、“”内が引用部分です。

“一九六八年のある日、バスを待っていた
P.J.チェイス氏は、バスが来るまで多少間
があったので、少し道をぶらついてみた。
すると、たちまちいつしか二軒の人目を
惹く庭のある美しい田舎ふうの小さな家の
まえに立っていた。庭には花が咲き乱れて
いたが、とくにいくつかのタチアオイに眼
がいった。二軒のうち一軒は扉の上に日付
が記されており、一八三七年に建てられた
ものだとわかった。
 翌日チェイス氏は仕事中-仕事場はバス
の停留所からさほど離れていなかった-
ある人に話ついでに、わらぶき屋根の
小さな二軒の家の話を口にした。相手の
男性は、少し考えてから首を横に振った。
問題の場所には、そんな田舎屋はなく、
煉瓦造りの家が二軒あるだけだ、と言い
はったのである。その晩、当の地点に
歩いて引き返してみたチェイス氏は、
同僚のいうことももっともだ、煉瓦造り
の家が二軒あるだけじゃないか、と実感
した。しかし、その地域に古くから住んで
いた住民は、その場所には以前小さな家が
二軒あったが、何年か前に取り壊された
のだと証言した。”

これは、チェイス氏が、一度目は以前に
建てられていた田舎風の家を見たあと、
同僚の言葉を聞いてから、二度目にいく
と現在の煉瓦造りの家を見たということ
です。
つまり一度目は、過去に存在していた
その家のホログラム的現実が、まだ
残っていて、それをチェイス氏が日常の
何気ない時間に目にすることができた
ということです。
コリン・ウィルソン氏が、このような
例を数例あげたあと、時空を飛び越えた
風景などに出会う事について、解釈されて
いる箇所があります。以下の部分ですが、
この当時はまだホログラム的現実という
概念が定着していなかった頃という点
にも注目です。

“すなわち、過去にかんする〈情報〉は、
ちょうどテープ記録のようになぜか保存
されており、この情報を巻き戻す何か
生得の手段を心は持っている、という
わけだ。その現象はたいてい、心が広々
とした見晴らしを持ち、リラックスした
状態のときに偶然起きるものらしい。
こうした状態になると、トインビーが
〈タイムポケット〉へと落ち込んだと
称した体験、またアイリーン・ギャ
レットが〈意識の根本的変換〉と呼ぶ
体験が生じる。心は普段の弛緩閾に
達するまえに、にわかに弛緩し、
ウサギ穴をくだって落ちていく。
やがて、今の移ろいゆく世界より、
何かもっと確実で永続的次元の現実と
遭遇するらしい。時間は存在して
いないように思える。まるで、
チラッと見えたものが、ちょうど
その時生じているように見えるのだ。
J.B.プリーストリは晩年の著作の
ひとつで、自身のこういった〈垣間見〉
体験について語っている。

・・・このような場合、ある人物なり
情景なりをなるべくはっきりと思い出
していると、いわばかすかなカチッと
いう音がして、焦点が微妙に変化し、ほんの
一瞬、まるで当の人物や情景を思い出して
いるというより、実はそこにまだ存在して
いるような気分、誰もどこにも消えては
いない、という気分になった。わたしには、
こんなことはできない。偶然起きたか、
あるいは・・・・・”
“ (“”内) 出典:「超オカルト」
      コリン・ウィルソン著     
       風間賢二+阿部秀典訳
         ペヨトル工房刊”

さすがに超常現象を無数に取り上げて、
とても常識的な観点から、時には懐疑的
すぎるくらいの考察をされている
ウィルソン氏ならではの的確な解釈です。
やはり、ホログラム的現実に気づいて
おられることが、文中の「テープ記録の
ように保存されており」という箇所に
表現されています。これはテープでは
なくホログラム的な波動の干渉の記録
なのだと今ならわかりますが、その
ような概念がない場合は、この表現でも
真意は伝わりますね。
また広々とした見晴らしを持って弛緩
した心すなわち、リラックスした時の意識
が永続的次元の現実と遭遇するというのも、
また的確です。
リラックスするということは、身体の
機能でいえば、右脳や松果体が働き、
そのような高次元の世界を感知する能力
が活性化します。そして永続的次元
とは、前回の記事にも書いた、過去も
現在も未来も同時に存在し、無限の時間
軸のあるパラレルワールドのことである
のは明らかですね。
臨死体験でなくても、我々の潜在意識は、
臨死体験中のような超意識と日常の
状態でつながっているため、このような
ホログラム的現実を垣間見るような事を
ふとしたきっかけで経験するということ
です。

過去はまだ消えてはいない、大切な人も
素敵な思い出も永遠に残るといえば、
とても豊かな気持ちになりませんか?
しかし、これはれっきとした現実の話
なのです。
次回は今回取り上げさせていただいた
「超オカルト」の引用の続きで、その
日常の具体例の詳しいものを一つ取り
上げさせていただきます。

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なおみん、真空を斬る!    


あんみん
「まずは、僕たちが見ていると思って
目に入ってくるのは、物そのものじゃなくて
光の反射なんだよ。」
なおみん
「えーー。じゃ私たち目が悪いのー?」
あんみん「いや目が悪いわけじゃない💦とにかく
光の反射といっても、正体は光波という電磁波
なんだ。」
なおみん
「えー難しいー!!!」
あんみん
「え?これで?」
なおみん
「とにかくその光の反射がなければ
見えないのはわかったけど、でも物が消えた
ことにならないわよ」
あんみん
「う、なかなか鋭い奴。つまり今のは
確かに見えていると思ってたものは、物じゃ
ないというのだけわかってもらえたらいいや」
なおみん
「うんうん、それだけはわかったわ」
あんみん
「光の反射といっても、人間の見える範囲って
とてつもなく狭いんだよ」


“出典:WIKIPEDIA
あんみん
「上の図のレインボーの色で拡大した
範囲で、これよりもっと図は広い領域まで
あるので、僕たちが見ている範囲って、
本当に狭いんだよ。」
なおみん
「じゃやっぱり目が悪いんじゃない!」
あんみん
「まあ確かに深い意味でそうかも。
それより、ちゃんと物をみようと電子
顕微鏡でみたら、中はスカスカの空間
だったんだよ。それで最後に残った素粒子
も、波動なのか粒子なのか判別できない
んだ。」
なおみん
「ほとんど全部スカスカな空間なのは、
わかったけど、最後にまだ素粒子が固体
かも知れないんでしょ?だったら全部
真空みたいに言っちゃっていいの?」
あんみん
「確かに絶対とはいえないよ。ただ
素粒子が固体に見えるのは、僕たちが
観測しようとした時だけで、それ以外の
時のデータを見れば、波動でしかない
ということなんだ。」
なおみん
「じゃ、わたしたちが固体があると
目で判断しようとするから、素粒子が
固体として現れるというわけ?」
あんみん
「ん、さすがはわが妹!その通りだ。
凄いぞ!なおみん!」
なおみん
「えへへ。なんだかすんごくうれしい!
だってみんな目が悪いのに、目で判断しよう
とするから間違うのよねー」
あんみん
「これは逆に妹に見方を教えもらったなー。
確かに物質があるかどうか、最後の判断を
視覚に頼ってるけど、その視覚が狭すぎる
領域なら、正確に判断できるわけないも
のなー。それがたとえ電子の反射の画像
だとしても同じことだもんなー」
なおみん
「ん?最後の電子の反射とかわかんないん
だけど」
あんみん
「いやたぶんそれは今はいいよ」
「それより宇宙も同じくほとんど100%
真空なんだ、そして物質のように観測して
いるわずかな領域も」
なおみん
「わかった!目の錯覚ね!」
あんみん
「そうだ!えらいぞなおみん!」


あんみん
「今回もの足りなかった人は、
宇宙は全てまさかの真空です
を読んで深く理解してくださいねー」
なおみん
「なによ、それじゃわたしだけ子供扱いだわ
私も読むー!」
あんみん
「それはいいことだ、文字だらけだけど
いいのか?」
なおみん
「うん、やっぱ今度にするー」
あんみん
「・・・・・」

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超常現象とホログラムその6    時空を越えたホログラムその4

前回まで、奇跡の臨死体験者アニータ・
ムーアジャニ女史の言葉から、時間の
概念について、説明させていただき
ました。
この本は、最初英語版のペーパーバック
しか発売されておらず、いつものように
辞書を片手に、なんとか読破しましたが、
それまでの自分の研究成果からの結論と
大事な部分では、ほぼ一致していたので、
とてもうれしくて、また感動したのを
覚えています。
大事な部分というのは、時間に対する世界観
と、また自分が宇宙と一体であるということ
です。
どちらについても、あんみんの研究成果と
ともにまた別の角度からも記事を書いて
いきますが、今回は時間と宇宙についてもう
一度、アニータさんがよくまとめておられ
るところから引用させていただくのと、
また宇宙と自分が一体であることを説明され
ている部分を引用させていただきます。
まずは時間についてのこれまでのまとめとも
いえる部分からです。

“私たちは、“時間が過ぎる”と思っていま
すが、臨死体験をしている時には、時間は
ただ存在していて、自分が時間の中を移動
しているように感じられました。時間の
あらゆる点が同時に存在しているだけで
なく、向こう側の世界では、私たちは、
速く進んだり、遅く進んだりすることが
でき、さらに後ろにも、横にも動けるの
です。
しかし、物質次元では、感覚器官のせいで
制限が与えられます。私たちの目は、この
瞬間に見えたものだけに気づき、耳も同様
です。
思考は、一つの瞬間にしか存在できないので、
瞬間と瞬間をつなぎ合わせて、直線的な
一連の出来事を形成します。でも身体から
自由になると、私たちは、視覚、聴覚、触覚
味覚、嗅覚を通してではなく、自分の気づき
だけで、全ての時間や空間の中を動けるの
です。
私たちは、純粋な意識そのものになります。
    (中略)
時間も空間も、物質も、私たちが通常考えて
いるようには存在しないのだとわかったの
です。臨死体験の中で、過去でも未来でも
意識を集中すればどこにでも行ける感じ
がしました。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”
これまでの記事で取り上げたアニータさん
(この人は親しみを込めてそう呼んだ方が
しっくりきますね)の時間と宇宙について
のまとめのような部分ですね。
実際あんみんも、この通りだと思います。
時間の中を後ろにも横にも動けるという
のは、パラレルワールドの世界を的確に
表現していますし、意識はそこで自由に
動けることを示しています。
この意識というのは、肉体を離れた本来の
意識ですが、ふだんの我々の潜在意識と
つながっているものです。
アニータさんは純粋な意識そのものになる
といっておられますが、まさにその通り
ですね。我々にとっての本当の実体とは
その「意識」なのです。
次はその純粋な意識が宇宙と一体である
ことを、またアニータさんが説明しておら
れるので引用します。
“実のところ、私という存在は、この身体
でも、人種でも、宗教でも、どんな信念
でもありません。同じことが他の全ての
人にも言えます。本当の自分とは、無限
で、はるかに強力であり、壊れたり
傷ついたりすることのない完全な存在
です。無限の自己は、人生の航海に必要
なものをすべて備えています。なぜなら、
私たちは、宇宙エネルギーと一つだから
です。事実、私たちは宇宙エネルギー
そのものなのです。
 臨死体験の最中、私は宇宙エネルギーと
一つになっていたので気づいていないもの
は何もありませんでした。まるで自分が
全体を包み込んでいるかのように、すべて
がはっきりとわかったのです。自分があら
ゆるものになり、あらゆるものの中に存在
している感じでした。
自分のすばらしさを知り、宇宙と自分が
一つで同じものであると理解したことが、
私の病気を治してくれたのです。自分
から分離した外部の創造物など存在しない
と気づくようになりました。
この気づきのおかげで、今では、強さや
愛や勇気を持って物質世界と関われてい
ます。このことを別の見方から説明しま
しょう。私は“宇宙エネルギー”という
言葉を使っていますが、それは“チー”
“プラーナ”“気”と同じ物です。これらの
言葉は、それぞれ中国語、ヒンドゥー語、
日本語で、生命エネルギーという同じ意味
です。
 (中略)
ひとことでいえば、それは生命の源で、
あらゆる生き物の中を流れています。
全宇宙を満たしているので、宇宙と切り
離せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも
同じように流れています。“源”“神”
“クリシュナ(ヒンドゥー教の神)”
“仏陀”のような難しい言葉でこのエネル
ギーを表せば、名前に気をとられて
しまい、理解が難しくなるでしょう。
   (中略)
それぞれのラベルには、特定の期待が
隠れていて、その多くは、私たちを
二元性の中に閉じ込めてしまいます。
それゆえ、このエネルギーを自分とは
別のものだと見てしまうのです。でも
宇宙エネルギーは、私たちの純粋な意識
のように、無限で形のない状態のままで
いなければいけません。その状態でのみ、
宇宙エネルギーは私たちと一つになり、
ヒーリングや魔法や奇跡を生み出せるの
です。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”

まさに宇宙と自分は一体であることを実感
したアニータさんならではの言葉で、これが
真実であると理解できますね。
アニータさんは、宇宙エネルギーが純粋な
意識であるといっておられますが、あんみん
は、宇宙エネルギーという言葉を使わずに
「絶対意識」と呼んでいます。
どちらも同じ意味ですが、宇宙エネルギーと
いうと我々の宇宙で観測できてしまう波動
エネルギー(ただしこの波動エネルギーは
最も意識に近いものです)と混同してしまう
から、本質である意識という言葉を使うの
です。
またアニータさんは、神や仏陀という言葉は
自分とは別の存在であることを意識させる
ため、自分と宇宙エネルギーを分離させて
しまうといってます。これは宗教を信じて
おられる方には、申し訳ありませんが、
真実です。彼女はヒンドゥー教のインド人
の両親からシンガポールで生まれ、国際色
豊かな香港で育ちましたが、キリスト教の
学校に入り、またヒンドゥー教の
ヴェーダンタ哲学も学びながら神様は
どれが本当なのと迷いながら育ちました。
そのおかげで、臨死状態にある時に問いかけ
を行い正確にその答えを得ることができた
のです。臨死状態で、究極の一体感を
得ると、問いかければその答えは瞬時に
得られるからです。
臨死状態の意識は、我々の経験する普段の
意識と別のものになるという意味では、
ありません、潜在意識の形でちゃんと
つながっているのです。
ただ臨死体験をしている人の多くが、自分
とは別の偉大なる存在を感じたといって
戻ってきます。これは、アニータさんの
ように全てが一体となった意識状態のレベル
に達していなかったことを意味しているの
です。肉体を離れたからといっても意識は
あらゆるレベルで存在していて、アニータ
さんのように、全てと一体になる
「絶対意識」までいく人は、それほど
多くはありません。つまりレベルが
そこまで達していない人は、輪廻転生や
さまよう霊となったりもします。
また通常の人であれば大丈夫ですが肉体
のあるうちの執着により地獄のような意識
状態になる人もいるのです。
ただし、いってみればそれらは自分その
ものではなく意識の一部でしかないので、
それに気づいた時点から解放されますが。
また地獄の様子を臨死体験で経験した人
の話は別の記事で取り上げます。
とにかく、アニータさんのいうように、
我々は宇宙と一体で、全知であり万能だと
いうことです。究極でいえば、それだけ
知っておけば、自分が永遠に存在する至福
の意識状態として救われるということです。
そしてまたアニータさんもこの本で書かれ
ている大事なことは、宇宙エネルギーの
本質は「愛」であるということです。
あんみんは、これを書くときまだ少し恥ず
かしいような感覚がありますが、それは
私が未熟者だからですね。
またアニータさんの言葉を引用すること
もあるかも知れませんが、三つの記事に
わたっての引用はこれで終わります。
今度は、別の超常現象や超常体験からも
時間や存在についての示唆になることを
取り上げていきたいと思います。
また研究成果についても記事を書いて
いきたいと思います。ではまた(^_^)

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ついに新キャラ登場!!






いつもあんみんひとりのキャラだけでは
役不足ではないかと思ってました。
わりとくどいあんみんの神秘メッセージ
をわかりやすく会話形式で、描いて
みたいと思って、新しいキャラを考案
しました。
といってもCLIP STUDIOというソフト
からのいただきものに名前をつけただけ
ですが
その名も「なおみん」です!!どうか
あんみんともどもよろしくです(^_^)

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超常現象とホログラムその5   時空を越えたホログラムその3

前回、末期癌から奇跡的復活を遂げ、
自身の臨死体験中に、宇宙の真理を
深く理解したアニータ・ムーアジャニ
女史の著書から、時間は過去、現在、
未来が同時に存在していて、またあらゆる
種類のパラレルワールドも同時に存在して
いるという説明を引用させていただきま
したが、その無数にある未来の中から、
自分に関係のある未来を選択したときの
様子を、また引用させていただきます。
これにより、パラレルワールドが、存在
していることをよく理解していただける
と思います。

“第一に、私が意識を向けたものは何でも、
自分の目の前に現れるような気がしま
した。第二に、時間はまったく問題となり
ませんでした。
時間はまるで存在していないかのようで、
それについて考慮する必要さえなかった
のです。
 このことが起こる前に、医師は私の臓器
の機能を検査して、すでに報告書を書いて
いました。でも向こう側の世界では、その
検査結果と報告書の内容は、これから私が
しなければならない決断、つまり生きるか
、このまま死へ向かうかという決断次第
だったのです。
私が死を選択すれば、検査結果には臓器
機能不全と書かれ、もし身体に戻る選択
をすれば、臓器が再び機能し始めたと記さ
れるでしょう。
 その瞬間私は、「もう戻りたくない」
と決意しました。そして、自分の身体が
死んでいくのを感じ、臓器不全による死
だと医師が家族に説明している場面を
目にしました。
   (中略)
死の方へ歩き続けると決心した瞬間、
私は新しいレベルの真実に気がつきま
した。
自分が本当は誰かに気づき、本当の自分
のすばらしさを理解したので、もし身体
に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒
するだろうとわかったのです。それも
何週間や何ヶ月かけてとかではなく、
わずか二、三日のうちにです。
もし身体に戻ったら、医師は癌の痕跡
すら見つけられないでしょう。
 「一体どうやって?」この意外な
新事実に驚き、その理由を知りたいと
思いました。
 その時、身体は、自分内側の状態を
反映したものにすぎないと悟りました。
もし内なる自己が、その偉大さと大い
なるものとのつながりに気づけば、
私の身体はすぐにそのことを反映し、
病気は急速に治るでしょう。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”
実際にこのあと、彼女の選択により、自ら
の意識を反映させて、彼女の癌は跡形も
なく消失してしまったのです。
臨死体験や体外離脱をしても、このような
アニータさんのような意識レベルに達する
人はまれですが、やはり存在します。
このような意識のレベルを私あんみんは、
「絶対意識」と呼んでいます。
無限の時間が、無限の種類の宇宙とともに
同時に存在し、それらと自分は一体であり
不可能なことが存在しなくなるというの
がその意識ですが、まあそこまでいく
人はなかなかいません。もちろん死後で
あれば別ですが。
ただたとえば、ハワイのカフナのように、
意識ひとつで患者の病気を治したり、
人の未来を思い通りに変えていけたり
するような人々は、アニータさんの
ような意識レベルに達していると考えて
よいと思います。
とにかく、今回はパラレルワールドが、
より具体的な形で現れて、アニータ女史
が、その一つを選択して、癌をなくす
までに至ったことを紹介しましたが、
医者の検査結果や報告書まで、その
ビジョンの中に出てきたというのは、
パラレルワールドの具体的な形として
印象深い経験になっていると思います。
彼女が前回の引用で説明しているように
我々は、五感を通して見る世界に縛ら
れていて、本来の同時に存在する
無限種類の宇宙の姿を感じることも
できない状態にあるのだと思います。
また他にもアニータさんが、時間の概念
について丁寧に説明してくれている箇所が、
あります。同時に存在する無限のパラレル
ワールドについての説明として、とても
参考になるので次回はそれについて
みていきたいと思います。

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超常現象とホログラムその4    時空を越えたホログラムその2

前回臨死体験者の証言で、臨死状態の時に
みる人生回顧のホログラムには、未来が
どのようになるかという内容まで含まれて
いることの実例を紹介しました。
今回は、さらにくわしくそのホログラムの
実体について、説明してくれている臨死体験
者の言葉を取り上げます。
今回取り上げるのは、
「アニータ・ムーアジャニ」さんという
シンガポール生まれで、インド人の両親に
生まれた女性です。彼女は末期がんにかかり
家族の必死の看病にも関わらず、瀕死の状態
からついに昏睡状態に入りました。医者や
看護師たちは、もはやほぼ確実に彼女は
死ぬだろうと確信していたのですが、彼女は
なんと昏睡状態の時に臨死体験者たちのなか
でも珍しいほどの高い意識状態になって、
宇宙の仕組みなど全て理解し、そこで得た
意識状態を使って生き返り、またその医療が
完全にお手上げだったような、瀕死の状態
からも立ち直り、完全に健康を回復し、
癌も全て消失するまでに至ったのです。
彼女は医療によってではなく、完全にレベル
の高くなった意識だけで、それをやってのけ
たのです。
彼女は、その時のことを本にまとめて出版
するとたちまちのうちにミリオンセラーと
なりました。
その「DYING TO BE ME」邦題「喜び
から人生を生きる」という本から、時間に
ついて彼女が、何を理解したかという事
についてを引用させていただきます。

“私は身体の五感ではなく、まるで新しい
感覚を手に入れたように、限界のない知覚を
使っていました。それは、通常の能力よりも
はるかに鋭く、三百六十度が見渡せて、自分
の周囲を完全に認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に
感じられたのです。もはや身体の中にいる
ことの方が、制限された特殊な状態である
ように感じました。
 その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私はすべての瞬間を、同時に感じて
いたのです。つまり過去、現在、未来の自分
が関係するあらゆることを同時に認識して
いました。さらに、いくつかの人生が同時に
繰り広げられているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろう
としていました。その弟の本質は、アヌープ
(アニータの兄)だとわかりました。
ただし、その人生で、彼は私より若かった
のです。
時代や場所ははっきりしませんでしたが、
田舎暮らしのようでした。家具などは
ほとんどないあばら屋に住み、私はアヌープ
の面倒を見て、両親は畑で働いていました。
姉として弟の世話をし、家族の食べ物を確保
して、外部の敵から身を守っている自分を
ありありと体感しているその間、その生活が
過去世のものだという感じはまったく
しませんでした。
確かに風景はかなり昔に見えましたが、
まるで今ここで起こっているようだったの
です。
 言い換えれば、時間は、この世で体験する
ような直線的な流れではありませんでした。
私たちの理性が、周囲で起こっていることを
連続したものに並べているような気がしま
した。身体を持っていなければ、実際の
ところ、過去も現在も未来も全て同時に
起こっているのです。
  (中略)
 五感の制限により、私たちは時間の一つ
の点に集中させられ、これらを一列につな
げて直線的現実を創り上げているように
思えました。さらに、私たちの身体の制限
された知覚が、目で見え、耳で聞こえて、
触ることができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲
に閉じ込めているのです。
でも身体的制限がなくなった私は、時間や
空間のあらゆる点と同時に関われるように
なりました。”
“出典:「喜びから人生を生きる 
          DYING TO BE ME」
 アニータ・ムーアジャニ著
 奥野節子訳 ナチュラルスピリット刊”
このように彼女は、時間というものは、
直線的なものではなく、現在・過去・
未来が同時に存在し、あらゆるパラレル
ワールドもまた同時に存在していると
説明してくれましたが、私もそう確信して
います。これは、この事を裏付ける研究
成果がいくつもあるからでもありますが、
あらゆる超常現象も、それで説明がつく
のも大きいです。
超常現象と電磁界異常で紹介したように、
江戸時代にタイムスリップしたよう
だけど、かなり違う世界だった
というのも、パラレルワールドが存在して
いる証拠の一つですね。
我々が物質次元に囚われているとか、五感の
制限により、不自由な感覚になっている
ことなどを、これまでも繰り返して
きましたが、これからも多くの証拠と
ともに、それを裏付けていきたいと思って
います。
またアニータさんの、パラレルワールド
の説明として、さらに理解が深まるのが、
臨死状態の中で自分の未来の選択を
したときのことです。
それについては、また次の記事で書かせて
いただきます。

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超常現象とホログラム その3    時空を越えたホログラムその1

前回我々のオーラ場に刻み込まれて、
保存されているホログラムの立体動画
には、未来も含まれていると書きまし
たが、それは、これから二つの記事で
紹介する臨死体験者の方達の言葉で理解
が深まると思います。
これは超意識編の臨死体験者の言葉
シリーズにしても良かったのですが、真理
を理解するのに、とてもよいテーマ
なので、こちらの真理編にしました。
まずは、ムーディ氏の後に続いて臨死体験
の研究をしている人は何人もおられますが、
ケネス・リングという医学博士もまた、
その研究の科学的調査の中心的存在として
知られています。
そのケネス・リング氏の著書からの引用
です。

“次の例は、自動車事故でニア・デス経験を
して何年も経ってから、忘れてしまった夢の
断片を思い出すように、少しずつ思い出した
といっている点で珍しい男性の話である。
〈回答者〉
まるで映画のように、わたしは、私の生涯を
見たみたいでした。それで偶然起こったり
予定した通りに起こったことをいろいろ見た
んです。私は、自分の人生がどういうもの
だったか、さらに-私には果たしてそうか
どうかわからないけど-その未来の運命が
どうなるかってことまで見たんじゃないかと
おもうんです。
そういうことは簡単にいえるとは思わないん
ですけど、私は、ときどき、そのとき知った
ことが起こるのがわかって、“うわーっ”て
思うんです・・・ですから、とにかく私は
、私の人生の全貌がどうなるかっていう
ことを基本的に見たんです。
そうしていろいろなことを見せられた後-
それがどういうものだったか言葉でいうのは
どうにも難しいんですが・・・基本的に
映画を見ているようなものだったんです。
でもこの映画は、スピードアップされて
いて-一秒ぐらいな間に、おそらく一生の
できごとを全部やってしまうようなもので
-それが全部終わった後声が聞こえてき
たんです。実に慈愛のこもった声だった
んです。
  (中略)
とにかく私にはそれが誰だったかわかり
ません。ただ私が知っている声みたいで
もありました。
そしてそれが私にいったんです。
“フランク、今度は本当に全部だいなし
にしてしまったな”って。
  (中略)
この後、この回答者は、自分がした選択の
意識とそのときの気持ちについて話した。
〈回答者〉
・・・ベッドの端から(自分の身体を)
見ると、死んでいるみたいでした。
まさにその、私が私を見ることになった
瞬間が、選択のときだったんです。-
それでいいのか、つまり、お前はお前の
身体へ戻りたいか、それとも戻らなくても
いいのかという選択のときだったんです。
〈質問者〉
誰かがあなたに選択しろといったんですか?
それとも、あなたが自分で選択しなければ
ならないと感じたんですか?
誰が選択させたことになるんです?
〈回答者〉
例の声は“お前は全部だいなしにしてし
まった”といったわけですね。さっきいった
ように、私はその前に、基本的な私の人生、
どういうことが起こってきたか、これから
どういうことが起こるかということを示す
映画を見ているわけです。だから、いう
ならば、一種の使命みたいなものを持って
いる感じになっているわけです。
それで、私は基本的に、私の物理的な身体
と一緒にやっていくか、新しい世界に出発
するかを選択したんです。”
“出典:「いまわのきわに見る死の世界」
ケネス・リング著 中村 定訳
             講談社刊”
これは人生回顧の時に見るホログラム
画像が、未来のことまで投影している
ということを示唆する内容になっています。
その上で未来にはいくかのコースがあり、
それも選択可能だということです。
この時の場合、未来の種類がいくつかあり、
生きる事を選択した未来と、死ぬ事を選択
した未来と同時に存在するということなの
です。
決めるのは一人で、選択が一つなの
だから、結果的に未来は一つなんじゃ
ないかと思われるかもしれませんが、
この時空を越えた、ホログラムの世界
では、未来は無数にあるという方が正し
いのです。
未来予知で息子が事故死してしまう未来
を夢に見た母親が、その事故を未然に
防いでみせたというような場合、夢に
見た、事故はやはり起こっていて、
そこに母親の助けの手が伸びるかどうか
が違っていたのです。
つまり、確かに母親は未来も映像でみた
のですが、その結果の部分だけ変えられた
ということです。
しかし、では母親が見た息子が死んでし
まう未来、つまりそのホログラム的
現実は消えたかというと、そのまま
残っているというわけです。
このことは、ホログラム的な我々の現実
世界には、無数の選択可能な未来が、
パラレルワールドのように同時に存在
しているということを示しているの
ですが、このことについて次回の記事
で理解を深められる、絶好の臨死体験者
の言葉がありますので、それをご覧
くださいね。

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超常現象とホログラム その2     サイコメトリー

前回の超常現象とホログラムその1
我々が、現実として日々経験している
立体世界は、光の干渉によるホログラム
であると説明しましたが、これは立体
動画なので、ホロムーブメントという
言葉の方がふさわしいと、量子物理学者
の第一人者デイビッド・ボーム氏はいい
ます。そしてこの立体動画は、記憶として
存在するわけですが、なんと臨死体験に
共通の要素としてある人生回顧が、まさに
その立体動画の一生分を見ているという
ことに気づいたのです。
その人生回顧の実例は、
臨死体験者の言葉その7と、
臨死体験者の言葉その8でとり
あげましたのでご覧になれば、我々が記憶し
ている
立体動画が、ふだん経験している現実より
鮮明な形で残っていることを納得して
いただけると思います。
この人生回顧については、また記事を書く
予定です。
光の干渉でこのホログラムの動画版が、
できるのですが、光も電磁波の一種なので
やはりプラズマエネルギーによるもの
だと考えてもいいです。
要するに我々が感知できる現実と、感知
観測できないものの境界には、常に
電磁波のもとであるプラズマがある
ということですね。
まあ実際我々が現実を解読する脳が、
電磁気の信号を読み取るものですから、
当然といえば当然です。
ここで大事なことは、これまで荒唐無稽
なものとか奇跡で片付けられてきた、
超常現象や超常能力が、科学的に
説明可能であるという事がわかって
きたということです。

さて臨死体験者の人生回顧で、我々の
記憶がホログラムの動画のような形
で残っていることは、先の記事で説明
しましたが、他にもホログラムが
超常現象や超常能力に関係している
のです。
その一つがサイコメトリーという能力で、
これはアメリカの心霊研究家、J・R
ブキャナンによって提唱された言葉で、
特定の人物の所有物に触れるだけで、
所有者に関する情報を読み取る超常能力
のことをいいます。また遺跡の発掘物など
からその時代の情報を読み取る能力のこと
なども同じくサイコメトリーと呼びます。
この超常能力を発揮するような人を
「サイコメトラー」、「サイコメトリスト」
と呼んだりもします。
そして、20世紀最高のサイコメトラーと
して知られる、ステファン・オソヴィエ
ツキーという人物について、またマイケル
・タルボット氏の著書から引用させて
いただきます。

“その男が目の前の空間をぼんやり見つめる
と、部屋はボーッとかすんで透明となり、
そこに遠い過去の一場面が現れてきた。
突然、彼は宮殿の中庭におり、目の前には
オリーブ色の肌をした若い美女がいた。
首のまわりや手首、足首を飾る黄金の
アクセサリー、白い半透明の服、編まれた
黒髪が四角い形の高い冠の下に気高く束ね
られているのが見える。そのうち、彼女に
ついての情報が頭の中にあふれてきた。
エジプト人であること、父親は王子では
あるがファラオ(王)ではないことが
わかった。また彼女は結婚もしていた。
夫は痩せており、細かく編んだ髪を顔の
両側にたらしている。
その男は場面を早送りすることもできた。
まるで映画のように、この女性の人生に
起きる出来事の数々を早いスピードで
見ることができたのである。
(筆者注:これは古代エジプト人の女性
の化石の一片を手に取った時、それだけ
で彼女の人生回顧をみることができた
ということです。)
彼女が出産の時になくなったことも
見えた。長い時間をかけ、込み入った
手順で取り行われる遺体のミイラ化の
作業、葬列、そして納棺の儀式を
じっくりとながめ、それが終わると
イメージは徐々に消えて、再び部屋が視界
に戻ってきた。
男の名は、ステファン・オソヴィエツキー。
ロシア生まれのポーランド人で、今世紀最大
の透視能力者のひとりであり、時は
一九三五年二月十四日のことであった。
この過去の場面は、彼が石質化した人間の
足の一片を手に取ったときに呼び起こされた
ものである。
発掘品の過去を見透すオソヴィエツキーの
すばらしい才能は、やがてワルシャワ大学
教授で、当時のポーランドでは最も有名
であったスタニスラフ・ポニアトフスキー
の知るところとなった。
ポニアトフスキーは、世界中の遺跡から
集めたさまざまな火打ち石や石器などを
使って、オソヴィエツキーをテストして
みた。「石製遺物(リシック)」とよば
れるこれらの発掘品のほとんどは、見かけ
からはその正体すらわからず、それが人
の手によって造られたものであること
など、予備知識のある者にしかわからない。
またこれらの品は、ポニアトフスキーの
ために、その年代や歴史的背景などが
専門家の手によって事前に調べられて確認
されており、この情報がオソヴィエツキー
の目に触れることがないようポニアトフ
スキーも細心の注意を払っていた。
だがそれも関係なかった。オソヴィエ
ツキーは、見る物を次から次へと正しく
言い当て、その年代、それを生み出した
文化、そしてそれが発見された場所を
正確に描写してみせたのである。
オソヴィエツキーが述べた場所がポニアト
フスキーのノートにある情報と食い違う
ことも何度かあったが、まちがっていた
のは、いつも彼のノートのほうで、
オソヴィエツキーの情報ではないこと
がのちに判明した。
 オソヴィエツキーのやり方はいつも
同じだった。彼はその物を手にとると、
意識を集中し、自分のいる部屋はおろか
自分の身体さえもその影が薄れて、ほとんど
その存在が感じられなくなるまでこれを
続ける。こうした意識の移行が起きると、
彼の目には過去の一場面の三次元映像が
見えはじめるのだ。そうなれば場面の中で
好きなところにいくこともできたし、
見たいものを見ることもできた。過去を
透視している間、オソヴィエツキーは
まるで自分が描写しているものが目の前で
物理的に存在しているかのように目を
あちこち動かすことさえあった。
付近に生えている植物から、人々の姿、
そし住んでいる住居までも彼には見る
ことができた。”
“出典:「投影された宇宙」
(ホログラフィックユニバースへの招待)
マイケル・タルボット著 川瀬勝訳
 春秋社刊”

この最後のオソヴィエツキーのいつもの
やり方というのは、人生回顧と同じく
3D動画を眺めている状態だということ
です。
要するに物や遺品、または化石の骨など
でも、それらが「経験」してきた現実が
ホログラムの動画の状態で、時空を越え
た次元に保存されているということです。
それらをオソヴィエツキーは、臨死体験
者たちのように通常の能力を越えた力を
使って、まるで映画を見るようなやり方で
読み取ることができたということなの
です。というより、映画のような状態で
太古からの異次元に当時の現実が保存
されているということです。
それを彼が、先天的に読み取る能力に
恵まれたということですね。
過去はつまり消えてはいない。我々の
感知する次元を越えたところに存在し
続けるのだといことです。だから人生
回顧の場面も正確にその現実を追体験
できるのです。ただし、当人は第三者の
視点からですが。
これで超常現象とホログラムには大きな
つながりがあることがわかっていただけ
たと思いますが、あの過去にタイムス
リップした東日本大震災や、チェルノブ
イリ原発事故も、同じく過去が現在にも
消えずに残っていて、電磁界異常により
時空を越えてそこにいってしまったと
いうことです。またその過去もパラレル
ワールドのように無数の種類があり、
よく似た過去まで同様に存在している
ということです。
ここまでは、過去に保存されている現実
が、ホログラムの立体映画のような形で
消えずに残っているということでしたが、
実は、未来の立体動画も無数に存在して
いて、その部分に予知能力者などが、
アクセスできるというのです。
それについては、また別の記事で書か
せていただきます。

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臨死体験者の言葉その8     人生回顧とホログラムその1

こちらは、臨死共有体験の共通要素の
人生回顧についての、前回の続きです。
我々が現実をホログラムという形で
読み取り、記憶そしてオーラ場に刻み込
んでいる証拠として、臨死体験および
臨死共有体験での人生回顧を、前回の
記事でとりあげました。
しかし、私が説明した人生回顧で相手の
気持ちまでわかるとか、360度の視点
があるというような証言は取り上げて
いなかったので、いまいち説明不足
だったような気がしたので、他の臨死
体験者の人生回顧についての言葉を
とりあげながら、そのオーラ場の
ホログラムというものがどんなものなの
かということを説明していきたいと思い
ます。これも一つの記事では終わらない
ので、シリーズ化します。

まずはレイモンドムーディー氏の著書から
の引用で、大学院卒業直後、23歳の誕生日
に臨死体験をした女性が、やはり高次の存在
(文中ではあの方と呼んでおられます)に
出会い、人生回顧をしたあとの言葉です。

“自分の行動の責任は、全て自分にある
というのが、この体験から私が学んだ
いちばん大事なことでした。
あの方と一緒に自分の一生を振り返って
いたとき、言い訳することも、はぐらかす
こともできませんでした。
   (中略)
こうして一生を振り返って見た中で、覚えて
いる出来事がひとつあります。
子供のころ、妹から復活祭のバスケットを
ひったくったんですね。私の欲しいおもちゃ
が入っていたからなんですけど。
でもその場面を見たとき、あの子が大事な
ものを取られたときの感じや、がっかり
している感じや、のけ者にされたような
感じがよくわかりました。
意地悪をするときには、人に大変なことを
してるんですね。でも、いつか必ずそれに
気がつくようになっているのは素晴らしい
ことです。
    (中略)

今までしてきたことが全部、その(一生を
振り返ってみる)中に出てきて、善悪を
判断しなきゃいけないんですよね。”
“出典:「光の彼方に」
レイモンド・ムーディ・Jr著
笠原敏夫/河口慶子訳 
TBSブリタニカ刊”

これで我々のオーラ場に保存されている
ホログラムには、その当時には感じられな
かった相手の感覚まで、刻み込まれて
いるという事がわかっていただけたと
思います。我々は毎日潜在意識で鮮明に
場面を感知していて、そこには、人の
気持ちや感覚まで含まれているという
ことなのです。
表面にあらわれる意識では、むしろ頭
や五感のフィルターを通してしまうため
不鮮明になっているということなのです。
しかも大事なことは、そのホログラムに
刻みこまれた映像は時間が経っても消えて
いないということなのです。
臨死体験者が、口をそろえていうように、
本物の現実と変わらないように見えた
ということですが、我々の現実は時間が
経っても残っているということなのです。
これは実は、肉体がなくなっても、本人
特有のオーラ場がなくなっても、同様に
消えないのです。
そのホログラムは当然我々の五感や科学
で感知、観測できるものではありませんが、
このように確かに存在しているのです。
この人生回顧についてのホログラムだけ
ではなく、サイコメトリーという超常能力
などにも、このホログラムが使われ、
また予知能力なども、このホログラムの
状態であらわれたりするのです。
また他にもあらゆる場面でこのホログ
ラムがでてくることになりますが、
それはまた別の記事で取り上げていき
ます。
人生回顧とホログラムについても、
シリーズでまた取り上げていきます。

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