超古代を極める         ネアンデルタール人は人類だった!?


私たちが教育やマスコミで教えられる
常識というものがいかに真実と真逆の
ものが多いか、これまで私の記事
を読んでいただいている方には、
わかっていたたけると思いますが、少し
チェックするだけで、いくらでもその
証拠を見つける事ができます。
日本はともかく世界中では、すでに
「進化論」は過去のものとして排除
されているという動きにあるという事を
紹介させていただいた
世界の学校教育で「進化論」排除の動き
進化論があり得ない理由を取り上げ
させていただきましたし、また
進化論の破綻と月とのつながり
という記事では地球上の90パーセント
の生物種が10万~20万年前に突如
としてあらわれたという、決定的な証拠
が、科学的な調査で明らかになった
事で、すでに完全に進化論は完全に
破綻しています。

そしてまた今回は別の観点から
進化論が、ビッグバンや太陽の姿と
同じく、反証だらけの机上の空論
である事の証拠となる記事をご紹介
します。

まず今回は人類の祖先についての話です。

この記事では進化論者が唱えてきて、
常識とされていた、人類の祖先が
猿人や原人のような猿のような生物で
あった事を完全否定しておられますが、
確かに20万年前ほどに、一気に
生物種が出現したのなら、それ以前の
猿人や原人は存在しないことになり
ますし、事実科学的にも根拠の
ないものだったようです。
つまり人類は最初から人類だった
という事ですね。

「」内は全て
「オーパーツと天地創造の科学」
      久保有政 著
       学研刊」
からの引用になります。

「」内が引用で、~が中略です。

「人類の祖先はサルのようではなかった

「無生物のなかからいつしか最初の
生命が偶然に誕生し、次第にそれが複雑・
高度な生物に進化・分化し、やがてサルの
類いの動物が進化して人類が誕生した」
 この「進化論」は、19世紀以来、
あたかも科学上の知識であるかのように
語られてきた。
また各国で、小学校から大学に至るまで、
あらゆる学校で教えられてきた。
 しかし「常識」はくつがえされるものだ。
今日では、進化論は科学的根拠をすべて
失っている。かつて進化論の証拠とされた
ものも、厳密な検査の結果、もはや進化論
の証拠とはいえなくなってしまった。
そして、新たに発見される証拠は何もかも、
進化論を否定するものばかりなのである。
これに関し、まず人類の祖先はサルのよう
ではなかったということを見てみよう。
そう人類ははじめから「人類」だった
のだ。~

~アウストラロピテクスは、1924年に
レイモンド・ダートの手によって発掘
されて以来、サルとヒトの中間である
「猿人」だと主張されてきた。
しかし今日では、多くの著名な学者の
手によって、その考えが間違いである
ことが明白になっている。たとえば
米国ラトガース大学の人類学者、
アシュレー・モンテギュー教授はこう
述べている。
「アウストラロピテクス類は・・・
ヒトの直接の祖先にも、ヒトに至る
進化の系列にもなり得ない」
つまりこの動物は人類の祖先などでは
なかったという。ヒトの祖先ではなく、
まつたく異なった他の動物だった。」

この後も著者は、猿人の後に存在した
とされる原人もことごとくでっちあげ
られたものであるという事を証拠つき
で説明しておられます。
そのような事実を知った科学者の言葉の
一つを引用します。

「英国スワンシー大学の生物学者、
デレク・エイガー教授は、
「自分が学生時代に学んだ進化に関する
物語のすべては、実際上、化けの皮が
はがされてしまい、受け入れられない
ものである」と述べている。
つまり進化論は「大人向けのお伽噺」
だと悟ったと彼はいうのである。」

まあとにかく進化論は、完全に破綻して
いるにも関わらず、日本の教育では
あたりまえの真実として教えられている
という事なのです。

そして今回のテーマであるネアンデルタール
人のことですが、実はこの化石は進化の証拠
ではなく、人類そのものだったという事なの
です。
また引用です。

「ネアンデルタール人と呼ばれた人々は
確かに存在した。また、間違いなく
「人類」だった。だが彼らは、決して
進化論者がいってきたような原始的な
「旧人」ではなかった。彼らは、肉体的・
精神的に、われわれ現代人に優るとも
劣らないヒトだったのだ。
かつて進化論者は、ネアンデルタール人を、

「前かがみで、ひざをひきずり、毛深く、
ぶつぶつ声を出し、骨高の額、そして
その下のくぼんだ眼窩から外をのぞき
ながら、何か獲物はないかと歩いている
類人」として、さかんに取り上げた。~

だが、『ブリタニカ大百科事典』には
次のように述べられている。

「一般に普及しているこの人類についての
概念、つまり前かがみの姿勢、足をひきずり
ながらの歩行、そして曲がったひざ、
これらは20世紀初頭に発見された
ネアンデルタール人の1体の人骨のある
特徴を誤って解釈したことの産物である」

20世紀初頭に発見された
ネアンデルタール人は、その骨の状態から
、曲がったひざをもっていて、前かがみ
で歩いていたものなのだと解釈された。
そして進化論者は、この1体の人骨を、
ネアンデルタール人がまだサル的な要素
をもつヒトであったとする証拠として
用いた。ところが実際には、ほかにも
ネアンデルタール人の化石は多く
見つかっており、それらはみな完全な
直立歩行をしていたことを示していた
のだ。それなのに、ただ1体の骨から
得られた結果だけが、そのように使わ
れたのてある。
 しかし、今では、この前かがみの
ネアンデルタール人は、ひざにくる病
や関節炎の病気を持っていたのだと
いうことがわかっている。

(引用注:この1体の骨からの推測
のみで、人類の進化の証拠である原人
だと断定しようとする強引な結論の
出し方は、ビッグバン理論がまだ
望遠鏡の精度が現在よりもずっと
低いレベルのものであった時代に
観測した「赤方偏移」という結果
のみをもって、その解釈がいろいろ
できるにもかかわらず、勝手に、
宇宙が膨張している証拠だとして
ビッグバン理論をでっちあげた
事と全く酷似していますね。
こちらもビッグバン理論を否定する
観測結果が山積しているのにも
かかわらず未だに健在です。)

生物学者デュアン・T・ギッシュ博士は、
こう述べる。
「今では、これらの『原始的特徴』は、
栄養上の欠陥と、病的状態によるもの
であることがわかっており、
ネアンデルタール人は、完全なヒトと
して分類されている。」

そう、ネアンデルタール人は、完全に
「ヒト」だった。
しかもネアンデルタール人の脳の容積は
現代人のものよりも多少大きかったと
さえいわれており、また「肩から首に
かけて盛り上がるようにして走っていた
筋肉も、なかった」のだ。~
~このようにネアンデルタール人は賢い
人々であり、肉体的・精神的にわれわれ
現代人とまったく変わらないヒトだった。
近年の相次ぐ発見は、ネアンデルタール人が
石器たけでなく衣服をつくり、死者を悼む
埋葬、献花の風習まで持っていたことを
示す文化人であったことを明らかにして
もいる。
進化論者が描いたあのサルに似たものは、
まったくの空想の産物にほかならなかった
のである。ネアンデルタール人は、
大昔に生きたヒト・ホモ・サピエンスの
一種族だったのだ。
このように、時代をいくらさかのぼっても
、人間は当初から人間だったのである。
存在したのはサル、またはサルに似た
絶滅動物、あるいはヒトであって、その
中間は存在しなかった。」
“「」内全て出典:
「オーパーツと天地創造の科学」
      久保有政 著
       学研刊」”

だいぶ長い引用になりましたが、つまり
進化論者たちがでっちあげた説が、いまだ
に、教育やマスコミで常識とされていて、
多くの人がまだ勘違いしたままだという
事です。
特に日本人にその傾向が顕著で、世界でも
ダントツに高いのです。

ネアンデルタール人と呼ばれる太古の
人類の脳の容量が大きかったというのは、
右脳の驚異の力その5という記事で
20万年前頃から急に脳の拡大の進化
が止まり退化し始めて現在にいたる
という研究結果をご紹介しましたが、
その裏付けともなっています。

なんとピーク時には1440グラムも
あった脳が現在では1300グラム
ほどになっているという事です。
ということなら、ネアンデルタール人
の方が私たちよりも賢かったという
事になりますね。

事実数万年前のネアンデルタール人が
まだ人類でなく旧人であったのなら、
それより以前の黄金時代にとても
優れた人類がいたという事と矛盾
しますから、その点からいっても
本来私たちが全員豊かであった黄金時代
を打ち消したい者たちの誘導で進化論
がかたくなに維持され続けているのだと
いうのが真相でしょうね。

まだまだ驚愕の真実は明らかにされて
いきますが、今回はこのへんで(^^)/
次回はクロマニョン人についてです。

ではまた(^^)/

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無から有が生まれる!?        物質化現象の事例 その1   


超常現象などの非科学的だとされて
きたあらゆるものに対して、破綻なく
科学的な説明をしておられるマイケル・
タルボツト氏の名著「投影された宇宙」
を多くの記事で引用させていただいて
きましたが、今回も物質現象の事例を
引用させていただきたいと思います。

主流の科学界が、無から有が生まれる
という現象などを一切認めていないのは、
それが彼らが支持するニュートンや
アインシュタインの理論に反する事に
なるからでもあります。

(アインシュタインにまで文句がある
なんて、こいつはやっぱわかって
ないはずだなどと思い人多いでしょうね。
冷静になって私の記事を読んでからにして
くださいね。
その記事とは
まさかアインシュタインまで間違い? 
その1
の事です)

この現在でも教科書で、不動の地位を
保っている両者の理論は、物質を基準に
したエネルギーしか認めず、真空から
エネルギーが生まれる事も無から有が
生まれる事も想定しないものだからです。
そしてさらにそのような思想は、私たち
大衆を狭い五感の認識の領域に閉じこめて
おきたい権力者の押しつけようとする
思想だからです。
ですが、量子物理学が示すように、
無から有が生み出される超常現象の事例
はそれこそ無数にあり、それに科学的な
考察を加える事こそが、本来の科学の
あり方だという方が真理につながるもの
だと思います。

そして無から有が生み出される、物質化
現象の事例の一つを引用させていただき
ます。ちなみにこの事例の前に、祈る
だけで人体に必要な分の血液が、勝手に
補填されたという事例が紹介されていま
した。
つまり血液の全量の物質化現象の事例
だという事です。

「」内が引用で、~が中略です。

「一九七四年の六月、インドネシアの東端
にある小さな島チモール・チムールで、
ワトソンがこれに劣らず不可思議な物質化の
事例に遭遇している。彼の当初の目的は、
いつでも雨を降らせることができるとされる
マタン・ドック(一種の奇跡を行う人)に
会うためだったが、近くの村のある家で異様
に元気なブアン(悪霊のひとつ)が怒り
狂って大暴れしているとの話が伝わってきた
ため、そちらのほうに興味をひかれてしまう
ことになった。
その家に住む家族は、夫婦と小さな男の子が
二人、そして夫の腹違いの妹で、アリンと
いう名の未婚の女性だった。夫婦と二人の
少年は、膚の色も濃く、カールした髪をもつ
典型的なインドネシア人の顔立ちだったが、
アリンはその容姿がかなり異なっており、
肌の色もずっと白く、どちらかというと
中国系に近いような顔立ちをしていて、
これが彼女がそれまで結婚できずにいた
理由のように見受けられた。家族からも
無関心に扱われており、彼女がこの心霊
現象の源であることはワトソンの目にも
明らかだった。
その日の夕刻、この家族の草葺き屋根の
家で食事をともにしながら、ワトソンは
驚くべき現象をいくつか目撃することに
なる。最初は、何の前触れもなく、八才
になる男の子が突如として悲鳴を上げ、
手にしていたカップを床に落とした。
そして手の甲からわけもなく血を流し
はじめたのである。少年の隣に座って
いたワトソンが手を調べてみると、そこ
には半円形の生々しい傷があり、それは
人間が噛みついた跡のようになっていた
が、少年の口よりは直径が大きかった。
いつも家族からはずれて独りでいた
アリンは、この時も少年の向かいに
あった台所で忙しそうにしていた。
 ワトソンが傷を診ていると、こんどは
ランプの炎が青くなり、突然大きく燃え
あがったかと思うと、その突如として
明るくなった光の中で、食べ物の上に塩
の雨が降り注ぎはじめ、食べ物の表面が
真っ白くなってとても食べられない状態
になるまで降りつづいた。
「それは突然どさっと降ってきたわけ
ではなく、ゆっくりとした動きだった
ので、私も顔を上げ、ちょうど目の
あたり、テーブルの上の約1メートル
くらいの空間からそれが始まっている
ように見えたのを確かめることが
できた」とワトソンは語っている。
ワトソンはすぐさま立ち上がったが、
ショーはまだ終わりというわけでは
なかった。突然テーブルのところから
何かを叩くような音が聞こえはじめ、
そしてテーブルもガタガタと動き
はじめた。家族も全員立ち上がったが、
目の前でテーブルが「まるで野生の動物
が入った箱のように」しばらく跳び
はねると、最後は横倒しになって
しまった。ワトソンの最初の反応は
家族とともに外に走って逃げること
だったが、気をとなおすと家の中に戻り
、いたずらめいたこの出来事を説明して
くれるかもしれない証拠を部屋の中で
探してみた。しかし何も見つから
なかった。~
~ポルターガイストが、場所よりは人
(この場合はアリン)のまわりで
起きることが多いことから、超心理学者
の多くは、ある人間のもつ無意識レベル
の念力能力が周囲にこの現象を生じ
させていると考えている。
物質化現象もまた、ポルターガイスト
研究の歴史においてずいぶん昔から
記録されてきており、おもしろい話も
多い。このテーマの古典ともいえる著作
『ポルターガイスト現象は説明できるか』
の中で、ケンブリッジのトリニティ・
カレッジ研究員で、数学の講師でもある
A・R・G・オーウェンは、紀元五三〇年
から現代に至るまでのポルターガイストの
ケースで、何もないところから物が現れる
物質化現象の例を数多くあげている。
だが物質化の事例の数では、塩はなく小石
か最も多い。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

まーとてもわかりやすい物質化の事例
でしたね、このような現象が古代より
数多くあるというのだから、これらを
なかった事にする主流の科学というもの
は、すでに現実から目をそらしているに
過ぎない世間知らずのひきこもりで
しかないという事ですねーー(^^)/
今回の事例のように何もない空間
から、塩が落ちてくるというのは、
つまり真空からエネルギーや物質が
生まれるという量子物理学のコンセプト
が正しいという事でもあり、私の真空
から無限のエネルギーや実体が生み
だされるという理解の裏付けにもなって
いると思います。
今度はマイケル・タルボット氏自身も
この物質化現象を体験していると
いう事なので、次回の記事でご紹介
させていただく事にします(^^)/

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ムー大陸伝説とは? 堕落する以前の黄金時代


これまで、超古代言語についての記事を
書かせていただいてきましたが、
超古代言語の中でも最も神聖だといえる
言葉が「kamu」で、さらに最も
神聖な音が「MU」だという事を神衣氏
の本から紹介させていただきました。
ジェームズ・チャーチワード氏もムー
大陸の人々が最も信奉していたのが
この「MU」(ムー)という言葉だった
という事で、まさに人類が劣化する以前
の黄金時代からある言葉だともいえ
そうです。

ムー大陸やアトランティス大陸という
のは、人類が劣化する以前の数十万年前
より以前の時代であったという説が多く
あります。
ちょうど20万年前から脳の劣化が
始まったという事を以前の記事でも
紹介しましたが、それをもう一度
掲載しましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「ジンとライトは、15年かけて人間
(特に脳)の進化を研究しているが、
その発見は私自身が調べていることに
とって実に有益だった。
 その結論は、人間の脳は、「遠い昔の
いつか」に能力のピークを迎えており、
それ以来「退化」しているということ
だった。
おそらく何百万年もかけて脳の容量は
加速度的に急拡大したが、およそ20
万年前に突然進化が止まり、ピーク時に
約1440グラムあった脳の重量は、
その後、約1300グラムに減少した
という。
   (中略)
もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。
 ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。
そして、著者は、本当に我々は進化の頂点に
いるのだろうかと疑問を投げかけている。
明らかに違う。
   (中略)
ジンとライトは、約20万年前に始まった
左脳の「損傷」が、恐怖心を刺激し、支配欲
につながっていったと述べている。
   (中略)
『無明の闇に取り残されて』には、脳の故障
とバランスの欠如さえ修正されれば、人類は
素晴らしい可能性を秘めていると書いてある
が、まさにその通りだ。
この潜在的な力は、左脳の支配のために、
右脳に閉じ込められたままである。」

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

私たちのネガティブな意識はプログラム
だという事は、
私たちが悩むのは、プログラムのせい! 
だったら解除しましょう!

という記事でもご紹介しましたように、
月や土星などの外部からの電磁気信号の
遠隔プログラムがDNAに直接届けられて
いるため、そのように方向づけられて
きたと言う事でしたが、そのプログラムが
数10万年前からだと推定すれば、
上記の研究と完全に一致するわけです。

そういう別々の側面からの独立した情報が
一致する事で、私はそれ以前の人類の
黄金時代があったという説が正しいと
思うようになったのです。

そしてその黄金時代の証拠のひとつがよく
いわれているムー大陸の伝説なのですが、
世界中の多くの地域の伝承にもあるよう
です。

どのようなものか紹介しておきましょう。

「」内が引用、~が中略です。

「はるかな昔、太平洋上にムーという大陸
があった。~
・・・ムー大陸には非常に高い文化が
栄えた。・・・人種による差別というもの
はなく、一人の帝王、一つの政府を中心に
まとまっていた。そして国民はひとしく、
天地をつくり給うた創造神をうやまって
いた」
(『失われたムー大陸』小泉源太郎訳、
大陸書房より)
“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
         中央アート出版社 ”
また超古代の黄金時代についての言葉も
ギリシャ時代に残されていて、それを
アイク氏の著書から引用します。

「」内が引用で、~が中略です。

古代人は度重なる大洪水などの大変動
によって人類が「堕落」したと考えて
いて、それが世界中の言い伝えにある
という事ですが、それを受けてが以下
になります。

「古代ギリシャの詩人ヘシオドスは、この
「堕落」以前の世界のことを記している。

人は、神々のように、欠陥も激情もなく、
苛立ちも労苦もなく、生きていた。
神聖な存在と仲良くしながら、平穏と
喜びの日々を送っていた。お互いの信頼
と愛で結ばれ、完全な平等を保ちながら
ともに生きていた。地球は今よりも
美しく、豊かな種類の果実が自然に
生っていた。人間と動物は同じ言語で
話し、互いに(テレパシーで)意思疎通
していた。大人は100歳の少年に過ぎ
ないと考えられていた。加齢による衰弱
はなく、上位の生命領域に移るときも
[死というよりも]穏やかな休眠状態
だった。」

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編➁〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

たしかに太古に大洪水が度々あったという
説は世界中にみられる通りで、その時に
人類が堕落したというのも共通の認識
のようです。
これと20万年前の脳の劣化と合わせる
と確かに、かつてあった黄金時代には
今よりずっと豊かな生活をする、優秀な
人類がいたと思えますね。
そうそうこの時代はもちろん弱肉強食
などの生態系システムなどは一切なく、
人類はもっぱら果実を食べていたという
のも同じく多くの伝承に見られる事
です。動物たちと和気あいあいの雰囲気
で暮らす人類かー、そうでなくっちゃ👍

ムー大陸の説が、世界中に発表されたのは
1931年に刊行された、イギリスの軍人
であり、古代史研究家のジェームス・
チャーチワード氏(以下チャーチワード氏)
の著書
「The Lost Continent
of MU」によってだという事です。

またその説を得るに至ったチャーチワード氏
の経緯を、神衣氏の著書から引用させて
いただく事にしましょう。
まずは彼のムー大陸の描写から始まります。

「」内が引用で、~が中略です

「現代文明が始まる以前、太平洋の真ん中に
ムー大陸と呼ばれる大陸が存在し、そこには
我々の想像を絶する超高度な文明が栄えて
いたが、太平洋に沈んでしまい、我々の知る
エジプトやインドなどの文明は、ムー大陸
から消えかかった文明の残り火だったに
すぎない・・・。
この彼の説は、当時の世界に大きな衝撃を
与え、そのユートピア的イメージは、思想、
宗教、芸術等の分野に今も影響を与え続けて
いる。
彼は、どのようにしてこの超古代文明に
遭遇したのだろうか。
そのきっかけは一八六八年のことであった。
彼は、当時イギリス陸軍の軍人であり、
記録的な大飢饉に見舞われたインド中部に
救援隊の隊長としておもむいていた。
当然被害地では彼らは歓迎され、とくに
救援隊の救済活動に積極的に協力して
くれたその土地の僧侶たちと彼は親しく
なっていった。
そんな中で、チャーチワードはとくに
ある一人の高僧と親しくなる。彼は
以前から古代文明に興味を持っていた
ため、暇を見つけては古代の遺跡を
調査していたが、その様子を見ていた
寺院の高僧が彼に好感を持ったため
である。

その高僧は古代文字に関する知識を
持っており、チャーチワードは彼を
尊敬し、関心のあった古代の浮き彫り
の読み方を少しずつ教わるようになる。
そして難解な文字も読めるように
なったある日、高僧は彼に妙なことを
告げた。
「寺院の秘密の穴倉の中には、地球に
最初に現れた人間の手によるものと
伝えられる粘土板がある」
チャーチワードがそのことに非常な
興味を抱いたことはいうまでもないが、
しかし、その土板は大変な聖なるもの
であるために、それに誰も手を触れて
はいけないという戒律があり、高僧
自身も一度も目にしたことがないと
いうのである。

チャーチワードは、何とかそれを見る
ことができないものかと願う。
しかし、なかなか許可してくれない固く
戒律を守る高僧に対し、長い時間を
かけて、保存状態を改めることが必要
であることなどを話し、彼は説得し
続ける。半年ぐらいたったある日、
ついにチャーチワードの念願はかない
、高僧は自ら穴倉から出した二枚の
粘土板を彼に見せた。表面は垢に
まみれていたが、よく見るとそこには
図形のようなものがいくつも刻まれて
いた。
それは、チャーチワードがこれまでに
見たことのない絵文字のようなもの
だった。

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
         中央アート出版社 ”

次回はその絵文字が刻まれた粘土板が、
明らかになるところからです。

なるほどインドの高僧さえも触れたこと
のない、粘土板をチャーチワード氏には
見せてくれたのだから、よほど気に
入られていたのでしょう。ですが、本当
によくやってくれました。

しかもこの高僧が古代文字に精通している
事から、これを解読するガイドまで、そば
にいてくれるという事です。
確かに次回が楽しみですね。

ただチャーチワード氏の残してくれたその
ムー大陸についての知識を、さらに言語学
の視点から発展させて、古代世界の言語
にまでつなげていった神衣氏もまた凄い
ですね。

ではまた(^^)

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私たちはみんな一番上の存在です!     私たちが永遠で一体である事の証明その6


前々回のアニータさんの臨死体験その4
で、説明させていただいたように
エベンさんが最後まで分離の意識を
持っていたのと違い、アニータさんが
完全な一体感を味わっていたという
体験をご紹介しました。同時に
エベンさんが自分をちっぽけな存在
だと思って、究極の絶対意識に到達
できず、下降してしまった事に比べて
アニータさんが、自分を完全なる全体
だと感じる意識になれたという体験が
今回の記事という事になります。

わたしたちが孤独な存在などでは決して
あり得ないという事は、前回のその4
記事でよくわかっていただいたと
思いますが、今回の記事でもう一つ
大きな私たちの思い違いに気づかさせて
くれます。
それは私たちが
「ちっぽけな、とるに足らない存在
ではない」という感覚です。
確かに、五感で捉える世界では、広大な
宇宙に比べて、私たちの存在は塵にも
例えられないような、超極小の存在の
ようにも見えます。ですが、私の
宇宙の真理編の記事をご覧になって
いただければ、わかっていただけるよう
に、その感覚こそ「錯覚」にしかすぎない
という事なのです。
つまり五感の感覚とは裏腹に、空間とは
極大と極小が中心でつながっていて、
どんな「部分」も「全体」であるという
事を量子物理学の実験や莫大な遠隔の
天体観測結果により、理解されるよう
になってきたのです。
そのことは、ビッグバンに代わる宇宙モデル
という記事で説明させていただいて
ます。
つまり単なる認識論ではなく、「実際」
に私たちは宇宙大だということなのです。
さらに通常の感覚で理解しにくいのは、
全ての「部分」が「全体」であるという
事です。
つまり「私たち全てが宇宙大」だという
事なのです。
またこのことは、私の神秘メッセージの
記事で、何度も実例などを取り上げながら
説明していますので、ご覧ください。
わかりやすく一言で説明させていただく
とすれば、「私たちの五感を主体とした
空間の認識は、思いっきり間違っている」
という事なのです。
私たちの現在の主流の占星術家の方々には
そのような意識は、ほとんど見られない
と思います。私たちの内側にこの天体の
運行があるというのが、物理的にも正しい
という感覚は、なかなか認められないのは
わかりますが、それはわたしたちを「肉体」
そのものだと捉えているからでしょう。
だから、太陽系内の天体の動きというのは、
むしろ宇宙全体である私たちのごく一部
だという視点がなければ、そのサインに
ふりまわされるだけになってしまうという
危険性があるという事なのです。
またこのことは別の記事でご説明させて
いただきます。
さて我々の空間の認識が間違っている
という事は、とにかく神秘メッセージの
ありとあらゆる記事で納得のいく説明を
させていただいているのでご覧いただく
という事で、それより、今回私たちが
「ちっぽけな存在」なのではなく、
自分よりはるかに大きな存在に、言葉を
いただく必要もないという事をとことん
理解するために、今回のアニータさんの
証言は役に立つと思います。

さて誤解されやすいのは、私たちが
「宇宙大」であるなどと言えば、傲慢な
考えをしていると思われる事です。

それこそ大きな視点の転換が必要な事
なのです。
私たちが宇宙大の存在だからといって、
「謙虚」でなくなるという事はないの
です、むしろ全ての存在が同じく
宇宙大であり全体である事を認める事
によって、余計に相手を尊敬できる
という真の意味での謙虚さにつながる
というわけです。
つまりまわりの人もみんな宇宙大だ
という事なのです。
「謙虚」だとみなさんが勘違いしている
ものは、「自分がちっぽけ」である
という認識や感覚だけならまだしも、相手
もまた「ちっぽけな存在」だとして
しまう事につながり、逆に相手に
対して傲慢でネガティブなイメージを
抱いてしまうことにつながるのです。

(私が「気」で特に日頃感じるのは、
「おまえ程度の人間になにがわかるものか」
、という言葉に変換できる「気」
です。たぶんその人たちは、みんな
本当の自分の事も私の事も知らない
のでしょう。本当のたとえば私と
いうのは、笑かす感じの個性や嗜好
を持つ、この身体の事ではありません
よー(^^))

確かに相手を思いやる共感は大切です
が、「相手をあわれで小さな存在」だと
認識する事は、とてつもなく相手に
ネガティブなエネルギーをもたらす
事になってしまい。
愛のある意識につながらなくなって
しまうのです。
相手が、「自分が幸せで強く永遠の存在
である」というイメージを持てるように
助けてあげる事の方が、本当の愛のある
行為だといえるのではないでしょうか?
今回の末期癌のアニータさんの臨死体験は
まさに自分がそのような存在であると
気づいたからこそ、完全な健康体を
取り戻し、それまでとは別人のような意識
を得て、至福感を持って毎日を送れる
までになったというわけなのです。
では私たちが本来どのような存在であるか
を知るのに、とても参考になる元記事を
どうぞ。

では元記事です。

前回の記事で、アニータさんが絶対意識領域
に到達したことで、時空を越えて、さらに
過去・現在・未来を同時に俯瞰できる
時間軸を認識する事ができ、その上その
時間軸が無数に存在するパラレルワールド
まで感知して、しかもその世界を「体感」
することができたという、
あまりにも気の遠くなるような、高いレベル
の意識に到達できたことを紹介させていただ
きました。これがまさに、これ以上の境地が
ない意識レベルだと思われますので、比類
のない、最高のものという意味をこめて
「絶対意識」と名付けさせていただきま
した。
全てが一体のものという意味の「ワンネス」
や「超意識」というような言葉とほぼ同じ
意味になりますし、アイク氏の著書の訳者
為清氏の翻訳だと、「根源意識」と呼ばれて
いるものと同一になります。
ただし私は、根源意識だと、奥の方に眠って
いる、究極のポイントというような意味に
取れてしまうので、全ての意識を含んだ
ものという意味での「絶対意識」とは、違う
ようなものに感じられしまうので、この言葉
は使いません。
絶対意識は、意識の中の一つのポイントでは
なくて、全ての意識を含んでいる総合体
でありながら、その意識のレベルの最高の
境地という意味になります。まあこれは
言葉に対する人それぞれの感性によるの
で、言葉よりもその意味する事が伝われば
いいと思います。

さてその絶対意識に到達したアニータさんの
境地は、無限の種類ある時空を俯瞰できた
だけではありませんでした。
アニータさん編の最後に、その境地をご紹介
させていただきます。
いつものようにアニータさんの著書からの
引用と私の考察という形で進めていきたいと
思います。
「」内が引用部分になります。

  ~以下引用~

「拡大した領域での気づきは、どんなに
説明しようとしても、言葉では言い表せ
ません。その明快さは驚くばかりでした。
「宇宙は理にかなっていた!」と、私は
理解しました。
さらに、どうして自分が癌になったのか
とうとうわかったのです。私はその瞬間の
すばらしさにあまりにも夢中になり、
しばらく病気の理由について考えられな
かったのですが、やがて、深く探ってみる
ことにしました。
そして、そもそもどうしてこの世に生まれて
来たのかも理解できるように思えました。
自分の真の目的について悟ったのです。
「どうして突然、すべて理解できたんだ
ろうか?」私はそれが知りたいと思いま
した。
「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」

   ~引用終了~

これは、絶対意識に達した、アニータさん
ならではの特別な境地で、他の臨死体験者の
ほとんどが、神にあってきたとか、絶対的
な存在を感じたなどと、証言してます。
つまり自分はあくまでも神や絶対者とは別
の意識で、やはり自分はそれに比べて小さな
存在だとか、劣った存在だと認識してしまう
のです。

(ただ臨死体験を大規模な調査で統計的に、
研究されたケネス・リング氏などは、やはり
その絶対的存在や、光の存在が臨死体験者
本人の事であると著書に書かれています。)

ですが、アニータさんの場合、自分以外の
他者は存在せず、全て一体で、神やブッダの
ような絶対的存在そのものに自分がなって
いるという境地に達したという事なのです。
実は、真理はこちらの方になります。
神や絶対的な存在がいるという前提に
立つ宗教は、そもそもが当時の支配者が
人類に対して与えた幻想だったのです。
それを何世代にもわたって、我々に刷り
込んできたために、潜在意識の奥深い
ところまで、そのような概念が身について
しまったのです。臨死体験者の多くが、
自分よりはるかに高いレベルの存在を感じた
というのは、その潜在意識に刷り込まれた
概念が、肉体を離れた意識にも投影された
という事なのです。
肉体を離れれば、多くの人が肉体に囚われて
いた時よりもはるかに認識力は増大します
が、意識のレベルは、そのままその領域に
投影されるのです。
つまり死んでも意識は無くならず、自分
と一体であり続けるのです。
多くの人が、生前と同じような感覚を、臨死
体験時に持ち込むのは、そのためなのです。
特に、絶対的な存在に対する、ちっぽけな
自分というのは、何千年もの太古から、人類
に刷り込まれ続けてきたコンセプトなので、
そう簡単には、打ち消すことができないの
です。
この神と一体になった自分を認識できた臨死
体験者も数は少ないですが、おられます。
そして、その絶対意識の境地に到達した人物
の一人が、臨死体験はされていませんが、
著書からたびたび引用させていただいている
デーヴィッド・アイク氏なのです。
この神と一体であるというコンセプトは、
東洋の思想では、むしろ一般的です。
臨死体験者の報告の実例報告が西洋人に
偏っているので、神のような存在に
出会ったという報告が多いのではないかと
思います。
臨死体験者の実例が西洋人に多いのは、
東洋人に臨死体験者が少ないという意味
ではありません。レイモンド・ムーディ氏
が、著書で「臨死体験」という言葉を使って
から、本格的に調査したのが、西洋人たち
で、調査対象も西洋の人々に偏ったから
です。

我々は、全知全能の絶対的存在とつながって
いるばかりでなく、意識レベルが究極に
なれば、その絶対的存在そのものになれる
という事なのです。
まあ信仰の篤い方々には到底受け入れられ
ないでしょうが、これは真理だというしか
ありません。
全てが一体であるというのが真実なので、
それであれば自分と分離した存在という
ものがある時点で、矛盾してしまう事に
なるからなのです。
神などの絶対的存在を、意識するように
なった時点から、自分自身の絶対的な
力を、その存在に譲渡する形になります。
なぜなら、そのような力が「ある」のは
その神などの方で、自分には「ない」
という強力な裏の意識が、自分自身の
ものとして、潜在意識に刻み込まれて
しまうからです。

このアニータさんの究極の境地はまだ
続きます。

  ~以下引用~
自分のユニークな本質を表現することは、
自分自身への、自分が出会ったあらゆる人
への、そして人生そのものへの義務である
と理解しました。自分以外のものになろう
とすれば、良い状況がもたらされる
どころか、真の自己を否定することになる
のです。他の人たちは真の私を体験する
機会を失い、私自身も人々と真実の
関わりを持てないでしょう。本当の自分
にならないことは、わたしがここにやって
きた目的を宇宙から奪い取ることなのです。
    (中略)
この時私には身体がなく、身体的特徴は
ありませんでしたが、私の純粋な本質は
存在し続けており、それは完全な自分と
なんら変わりませんでした。実際それは
身体よりはるかに大きく、強烈で、包括的
でした。それはすばらしい感覚だったの
です。
自分は永遠の存在であるような気がしま
した。まるで、始まりも終わりもなく、
自分は存在していて、これからもずっと
存在し続けるという気がしました。自分
はただすばらしい存在だという気づきで
あふれていたのです。」

    ~引用終了~
この自分が永遠の存在である事に気づくと
いうのは、臨死体験や覚醒する人には、よく
ある真理ですが、そもそも肉体が自分で
ないと気づいた時点で、肉体の持つ有限性
には囚われなくなるので、これは自然な
感覚です。また肉体が自分自身だと思って
いるような通常の人たちにとっては、自分
が永遠だと知る事は、いろんな恐れや心配
などを吹き飛ばすのに、よい事だと思われ
ます。
そしてまた自分の本質は、宇宙の意志その
ものなので、それを表現する事は、宇宙の
理にかなっているというのは、とても
素晴らしい境地です。
私たちは、あまりにも、他人基準で生き
ようとしすぎて、他人に合わせて言いたい
事もできず、したいことも抑えて生きて
ますが、それは宇宙の意志に反すること
だというのです。我々はありのままで
いる事こそが、宇宙そのものの意志で
あり願いであるので、それをそのまま
人生で表現するだけで、愛される存在
だという事なのです。
(ただし、ありのままといっても、他人
に害を加えるような事とは、全く次元が
違います。
アニータさんは、もうすでに悪意などを
全く感じないような絶対意識にいるため
そのことについては、盲点ですが、
ありのままというのは、本質の自分の
ままに、という事であって、肉体に
囚われての意識に対して欲望のままに
という意味では、全くありません。
もちろん自然な欲求は、肉体にある
うちは良いのですが、それが他人を不幸
にしたり、自分自身の意識をゆがめて
しまうような欲求は、本質から離れる
事になります。たとえば性欲や食欲は
いいけれども、それが他人を不幸にして
もかまわないというような意識や、自分
の健康のリズムをこわしてもいいという
ような意識が、本質から離れていく事に
なるわけです。)
つまり私たちは、自分を抑えず、ありの
ままに生きるというだけで、運も引き
寄せ、健康になり、自分自身そのもの
である宇宙エネルギーを最大に発揮
できるという事をアニータさんはいって
くれているというわけです。
なるほど、そういう事であれば、みなさん
全員が、誇りを持って人生を送る事が
できますね。
しかも一度きりの人生などという虚しい
ものでなく、永遠の存在としての自分の
一つの貴重な体験というように、今
を生きることができるというわけなの
です。
なんだか力が湧いてきましたね。
振り返って、アニータさんの言葉を、
確認していくと、いかに我々にとって
大事な境地に達してくれたかがよくよく
わかります。

最後にアニータさんが教えてくれた私たち
が一体である事がよくわかる証言を取り上げ
たいと思います。

  ~以下引用~

「私たち全員がつながっている事にも気づき
ました。その織り込まれた統合体は、人間や
生物の範囲を超えて、もっと外へと拡大して
いき、全ての人間、動物、植物、昆虫、山、
海、生命のないもの、そして宇宙全体まで
含んでいるように感じられました。宇宙は
生きていて、意識で満たされており、すべて
の生命や自然を包み込んでいるのだと悟った
のです。
あらゆるものが、無限の全体に属していま
した。
私も、すべての生命と複雑に絡まり合って
いました。
私たちはみんな、その統合体の一つの側面
なのです。すなわち、私たちは一つであり、
一人ひとりが、集合的“全体”に影響を与えて
いるのです。」
“「」内全て出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著 
           hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

宇宙は、一体で全て意識で、別個のように
見える我々は全て一体だという事です。
なるほど!という事は、自分に対する愛情と
同様の愛情を他人にも、自然にも、ものに
でさえ向けることができるようになります
ね。全て自分なんだから当然でしょう。
「宇宙に意識があるから自分にも意識が
ある」というのは、前の記事にも書いた
私の20年ほどの前の気づきの言葉です。
当時から意識は、脳から生まれるような
ものではないという事には気付いていた
わけです。
しかしまさか、宇宙全体の意識も自分自身
だとは思いもよりませんでした。
しかし、その事を今回のアニータさんや
アイクさんに具体的に説明してもらって
一気に認識レベルが上がったという事
なのです。

これで、世の中に私たちの生活を脅かす
権力者や邪悪な存在がいても、宇宙
そのものが自分であり、味方という意識が
あればこれほど心強い事はないですよねー
(^^)
最近は、山にも海にもありがたい存在
として、感謝しながら、愛情を感じるよう
になりました。
つまり自分にはこんな広大な自然の味方が
いるんだなという感覚です。さらに超広大な
空間そのものも自分だという事を感じて
みれば、確かに自分は、不死身で永遠だ
という事も理解できるというわけです。

さてこれまでは、アニータさんのエピソード
は、ここまででしたが、続編の記事を書いて
まーす(^^)
近日公開予定なので、
お楽しみにーーー(^^)

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
おかげ様で上位継続中です💦

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パラレルワールドを体験したアニータさん    私たちが永遠で一体である事の証明その5


すいませんだいぶ前に超意識編内に
絶対意識編を新設していたので、
本来、その中の記事の改訂版には
この上のような画像に絶対意識編
一覧へリンクさせておくように
設置しなければならないのに今頃
気づきました(^_^;)💦
画像をクリックすると例のように
絶対意識編一覧にジャンプします。

また編集していくと様々な間違いに
気付くようになります、いったん
再投稿のように思えてもいくつも
新しい要素を加えたり、書き換えたり
しているので、お時間があれば、
また新記事のつもりで読んで
いただければいいと思います。
今回の記事は実はもっと長い記事だった
のですが、、意味のつながりからいって
一部をその6にまわす事になりました。

今回はエベンさんが臨死体験で得た叡智と
いうのは、高次から低次の次元まで、
いくつもの次元があるという事と、
無数の宇宙(おそらく物理的な意味での)が
存在するという事だけでしたが、アニータ
さんはもっと大きな視野をえる事ができた
という事なのです。
つまりいくつもの宇宙が別々の時間軸を
持って存在しているパラレルワールドの
存在を体験する事ができたという事です。
もちろんこのようなものものしい表現では
なく、アニータさんらしい謙虚で平易な
表現です。(すいません大げさなものの
言い方が大好きなアホでして💦)

前回アニータさんが、絶対意識領域に
到達して、親友のソニや父親の本質と
一体になれたわけですが、そのあと
ついに絶対意識領域でしか、知り得ない
最高の叡智に至ったのです。今回はその
事について、いつものようにアニータ
さんの著書からの引用と私の考察という
形で進めていきたいと思います。
「」内が引用部分になります。

    ~以下引用~

私は身体の五感ではなく、まるで新しい感覚
を手に入れたように限界のない知覚を使って
いました。
それは通常の能力よりもはるかに鋭く、
360度が見渡せて、自分の周囲を完全に
認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に
感じられたのです。
もはや身体の中にいることのほうが、制限
された特殊な状態であるように感じられま
した。
その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私は全ての瞬間を同時に感じて
いたのです。
つまり過去、現在、未来の自分が関係する
あらゆることを、同時に認識していました。
さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げ
られているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろう
としていました。
その弟の本質は、(兄の)アヌープだと
わかりました。
ただし、その人生で、彼は私よりも若かった
のです。
時代や場所は、はっきりわかりませんでした
が、田舎暮らしのようでした。
家具などほとんどないあばら屋に住み、私は
アヌープの面倒を見て、両親は畑で働いて
いました。
 姉として弟の世話をし、家族の食べ物を
確保して、外部の敵から身を守っている
自分をありありと体感している間、その
生活が過去世のものだという感じは
まったくありませんでした。確かに風景は
かなり昔に見えましたが、まるで今ここで
起こっているようだったのです。
時間のあらゆる点を同時に知覚できる
というのは、向こう側の世界での明確な
理解に役立っていましたが、今それを
思い出したり、説明しようとすると混乱
が生じます。
   (中略)
五感の制限により、私たちは時間の一つの
点に集中させられ、これらを一列に
つなげて直線的現実を創り上げている
ように思えました。
さらに、私たちの身体の制限された知覚
が、目で見え、耳で聞こえて、触ること
ができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲に
閉じ込めているのです。
でも身体的制限がなくなった私は、時間や
空間のあらゆる点と同時に関われるように
なりました。」
    ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

まさに我々の通常の時間の感覚が、根本的に
間違っていることが、この絶対意識では、
よくわかるということです。
時間は全て同時に存在し、またそれを同時
に体験できて、そしてまたパラレルワールド
も存在しているという事が、実感として
理解できたという事です。
私が、これまでの記事で説明してきた
通り、「無限の時間が同時に存在している
という事、そしてパラレルワールドも
無限に存在しているという事」の裏付けが
彼女の実体験でできた事になるわけです。
自分はこのことは約20年前に気づいて
いました。この時はまだ、いろんな情報に
出会う前だったので、仮説として書いて
おいたことですが、おととしくらいに、
部屋の大片付けをしていた時に、色あせた
タイプライターの用紙に、書いておいたの
を見つけたのです。
当時はまだパソコンを持っていなかった
ので、タイプライターでしたね。
今から振り返ると、ところどころ理解
不足の点があるのを見つけましたが、
時間に対しての自分の仮説は、六次元の
世界では、あらゆる無限の時間軸が、
同時に存在しているとはっきり書いて
あったのです。
おそらく自分の内なる声というより、
潜在意識にアクセスして得たものだと
思いますが、今いろいろ資料を集めて
いくうちに、それが真実だという事が
理解できるようになったという事なの
です。
ただ今思うと6次元という数え方自体が
左脳的な考え方で、そのような境界線など
もちろんどこにもなく、そのような分け方
も無意味だとわかります。
ただし高度な意識の仕事をしておられる方
は、やはりこのような分け方ではなく、
また別の捉え方で、5次元や6次元という
意識レベルを捉えられたりしているよう
です。もちろんそのような捉え方は、世界
でも歴史的にも様々な捉え方と分け方が
あるようで、どれが正しいのか互いに検証
しあったりはしていないようです。
いつかはその分類も記事にしてみたいとは
思っています。
私は、このように中途半端な、半覚醒状態
をずっと続けている人生を送っている
ということです(^_^;)

ただ、空間については、この時のアニータ
さんのような感覚には、全く感性が及ば
なかったようです。今紹介しているところ
だけでなく、彼女の証言を総合すると、
「360度が見渡せて、自分がありと
あらゆる場所に同時に存在することができ
またまわりの全ての意識と一体になり、
考えている事、感じている事まで、
はっきりと実感できた。」
という事です。
まさに時空を完全に超越していたのが、
アニータさんの絶対意識だったという
事なのです。
また右脳の驚異の力シリーズで紹介して
きたように、時間を直線的な連続した
ものとして捉えるのは、左脳の働きだと
いう事でしたが、アニータさんがいう
ように、これが私たちの五感をもとに
した左脳の現実の捉え方だという事の
ようです。
ということは、並列の事を同時に処理
できる右脳は、やはりこの絶対意識にも
通じる働きをするという事なのでしょう。
もちろん右脳というだけでは、限界が
あるでしょうが、そこにつながる感覚を
持っているのは右脳の方だという事が、
これではっきりとわかったというわけ
です。
ここでまた大事なところに気づきます。
彼女は、兄のアヌープが、別の人生で
弟になっている時の人生を、思い浮か
べていたのではなく、体感していたと
いうのです。
私たちは、身体が存在しているからこそ
体感していると思い込んで生活して
いますが、それこそ錯覚だという事です。
なぜならこれまで宇宙の神秘メッセージ
で説明してきたように、宇宙は真空で、
我々の五感がつくりあげる錯覚が存在
しているだけだという事がここでも、
わかります。つまり意識のみで
「体感」「体験」できるという事が、
この絶対意識でのアニータさんの証言で
明らかにされたという事なのです。
確かに私たちには身体があり、五感で
それを実感していますが、その五感が
なくても体感ができるという事を、証言
してくれているというわけなのです。
逆にいえば、我々の身体の感覚は、五感
が創り出した限定された感覚だという事
です。
もちろん真空が真理ですが、我々の
経験している物理的領域では、五感より
上の次元のレベルでの現実に波動があり
ます。これは科学的観測機器で、ある
程度まで計ることができます。
そもそも我々の五感も狭い領域の電磁波
を感知して、脳で解読したものですが、
五感では、波動的現実全体は実感できま
せん。
その中の高次の波動が霊体レベルでの世界
や、全てが一体である世界を、認識させて
くれるわけです。臨死体験者や超能力者
は、少なくともこの領域には達すること
ができているというわけです。
この領域では、ホログラムの世界で無限の
時空が存在していて、そこに臨死体験者が
アクセスできて、「人生回顧」の映像
などを見ることができるわけだし、
また超能力者が、手にしたものから過去の
ビジョンにアクセスできたり、また予知
能力者が、我々が向かうような未来の
ビジョンを見ることができるわけなの
です。ホログラム的世界は光の波動の干渉
なのでやはりこの高次の波動の次元にある
ということなのです。
そして五感の物理的世界の上に、この波動
レベルがあって、その上に意識の世界が
あるという事なのです。
アニータさんは、その意識の中で最も
高次元のレベルに到達しているという
事なのです。
そしてまた、意識は当然あらゆる次元に
またがって存在しているので、我々の五感
に囚われた物理的次元にも存在している
という事なのです。
肉体を越えた高次の次元になると、波動の
レベルを超えていきますが、そこには
またあらゆるレベルの意識が無限に存在
しているというわけです。

アニータさんが、絶対意識領域で得た真理
とは、これだけではありません。
今回のこの無限のパラレルワールドの時空
を俯瞰し体感できるだけでも、多くの臨死
体験者にない経験ですが、まだ他にも貴重
な真理に到達してるのです。
次回はそれについて取り上げていきます。
ではまた(^^)

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
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本当にみんなつながっている事の体験   私たちが永遠で一体である証明その4 


エベンさんとアニータさんの体験で
一番大きな違いがあるのは、エベンさん
は、体験中に出会った天使や、光のような
存在を他者だと思っていて、
「自分が分離されたちっぽけな存在だと
思っている」レベルであり続けたという
のに対して、アニータさんはそういう
ものが一切ない一体の状態になっている
レベルになっていたという事です。
そしてそれこそが私が「絶対意識」という
レベルの状態だという事なのです。

わたしたちは通常、孤独でちっぽけな
存在だと、思い込んでしまっているの
ですが、真実としてそれは全くの間違い
であったという事がよくわかる記事です。
肉体に意識がある時も、また離れた時も
ずっと、みんなつながったままだった
という事です。肉体の「内側」にのみ
自分と意識があると考えるのは、とても
ネガティブなエネルギーを自身やまわり
の人にさえ及ぼしてしまうのですが、
やはりそれは間違いで、みんな誰一人
として孤独な存在などいないという事を
多くの臨死体験者や、古来からの賢人達、
世界中のシャーマンや超常能力者たちも
確信を持って語ってくれています。
もちろんスピリチュアルな世界でも
最近では量子物理学の分野でも、その事は
真実であるという認識になっています。
そしてアニータさんは、臨死体験によって
つまり実体験によって、その事を理解
できたという事なのです。

では元記事へ

このアニータさんの証言シリーズでは、
臨死体験の中でもまれな「絶対意識
領域」という意識レベルの最高状態に
到達した体験を詳細に分析していって
ます。
前回までで、アニータさんは囚われた
肉体やストレスから解放され、
本当の自由を得て、自分がどこに
でも行けて、どんな苦しみや痛みも
感じない至福の状態にまでなりました。
そしてそれが、テイラー博士の経験
した右脳の世界とも共通している事も
説明しました。
そして今回は、さらに次元が上昇して
時空を越えていく様子を語ってくれて
います。
以下は、アニータさんの著書からの
引用と、それについての私の考察という形
で進めていきます。

    ~以下引用~

「私は、どんどん外へと広がっていき、
周囲の物理的環境から引き離されていくのを
感じました。そこには、もはや時間や空間の
拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より
大きな意識と一つになっていくようでした。
    (中略)
それは、身体的にどこか別の場所にいった
というよりも、むしろ目覚めたような感覚
でした。
おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかも
知れません。私の魂は、その真のすばらしさ
をやっと悟ったのです。
それは次第に、私の身体や物質世界を越えて
遠くへと広がっていき、この世の存在だけで
なく、時間や空間を越えた別の領域までも
広がり、同時にその一部になりました。愛、
喜び、恍惚感、畏敬の念が私に注がれ、私の
中を流れ、私を飲み込みました。
そしてこれまで存在していることさえ
知らなかった大きな愛に包まれました。
これほど大きな自由や生きているという
実感を味わったのは初めてでした。
   (中略)
このような強烈な感覚は、この世のものとは
違い、それを正確に言い表すための言葉は
見つかりません。これほど完全で、純粋な
無条件の愛は、私がこれまで全く知ら
なかったものでした。
   ~引用終了~

これが絶対意識状態という事なのです。
時空を越えて広がり、同時にその一部にも
なって、しかもそこにあふれるほどの
ポジティブな感情が流れ込んできたという
事です。愛、喜び、恍惚感、畏敬の念
これらが自分を飲み込んだということです。
それだけの豊かな感情は、やはり絶対意識と
つながっているという事はとても大事な
事だと思いますので、覚えておくといいで
しょう。そしてきわめつけは、純粋な無条件
の愛に包まれたという事です。つまり絶対愛
です。これが絶対意識領域の中心にあると
いう事なのです。
我々は愛という言葉をなかなか照れて日常
では使えません。俳優がやたら愛という
言葉をドラマや歌、映画で連発しますが、
その愛はこの絶対愛とは、全く次元を異に
するもののようです。
よくドラマや歌で、愛は終わったとか、
一時的な愛とか、愛が色あせたなどという
表現が使われますが、これは全然愛では
ありません。絶対愛は、終わりも色あせも
しませんし、一時的なものでももちろん
ありません。
また誰か特定の人にだけ与えて、他の人に
与えないようなものでもないのです。
全てそのまま無条件の永遠のものという
事のようです。
執着や激情に駆られて、相手の身体を
求めるのは、狂おしいほどの「愛」では
なく「劣情」「情欲」「肉欲」という
ものです。
正しい表現を使いましょうね(^_^)v
まあいうてもこの私も全部あるなー
てへへ(^^)っていうか私の事は、
この場合よろしいですよね(^^)💦
身体に囚われた自分という意味ではという
事ですよ、あくまでもね(^_^;)
とにかくこのときのアニータさんは、
そんな人間的な感情とはかけ離れた
豊かな愛情やポジティブな感情に
包まれていたという事になります。
テイラー博士と違うのは、時空を越えて
全てと一体になったという点です。
まだ左脳の機能が少し残っていた
テイラー博士の場合はまだ、時間とか
個人とかいう意識は残っていたわけです。
ただそのおかげで、命が助かったとも
いえます。
アニータさんの場合は、選択次第で、自分
の身体に残らなくてもいいというところ
まで到達していたので、少し意識レベル
が違うのは当然ですね。
それに多くの場合、アニータさんのような
レベルまで達したら、戻ってくる事は
ないようです。

さてのちに比較させていただくことになる
臨死体験をされて著書にまとめたエヴェン
アレグザンダー氏が体験できていない事で、
(なぜ体験できていないかはのちの記事
で詳しく書かせていただきます。)
もうすでに亡くなった父や親友に会う
事ができたのです。
このすでに無くなった親や親戚、友人、
知人に会うというのは、他の臨死体験の
報告にも数多くあります。

   ~以下引用~

「父やソニ(親友)の存在が優しく
抱きしめるように私を包み込んだ時、
ワクワクした高揚感に満たされ、心から
楽になったのです。彼らは私が気づく
ずっと前からそばにいてくれ、病気の
最中も見守っていてくれたのだとわかり
ました。
 さらに他の存在にも気づきました。
それが誰なのかわかりませんでしたが、
彼らが私のことをとても愛し、守って
くれていることがわかりました。
彼らはいつもそこにいて、私が気づいて
いない時でさえ、大きな愛で包んで
くれていたのです。
 ソニの本質と再びつながったことは、
私にとって大きなやすらぎでした。
彼女が亡くなってずっと寂しかったから
です。
私と彼女の間には無条件の愛しかありま
せんでした。
その次の瞬間、私の本質が、ソニの本質と
一つになり、私は彼女になりました。
私は、彼女がここにも、そこにも、
あらゆる場所に存在するとわかったの
です。彼女は、愛する人全員のために、
いつも、すべての場所にいることができ
ました。」

   ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

ここでとても大事な事を説明させて
いただこうと思います。
我々は肉体を離れれば、その時のレベル
に応じた意識に存在する事になります。
もちろん究極の意識は絶対意識として、
誰の本質にもありますが、すべての人が
肉体を離れて、その本質に意識そのものを
移行できるというわけではないのです。
「肉体を離れても、もちろん肉体にある間も
ですが、我々は無限のレベルに意識がある
存在なのです。
違いがあるのは、その時のどの意識に自分
を存在させているかという事だけです。」
肉体にある時も当然その絶対意識は自分の
ものとして存在しているというわけなのです。
そこに肉体のあるうちに、ほぼアクセス
できないのは、肉体にある間の意識の
囚われ方が、肉体を離れた時の意識の状態
よりも、かけ離れて強烈なので、絶対意識
より下のレベルの高次の意識にもなれない事が
ほとんどなのです。
つまり
「意識は同時にすべてのレベルで存在し続け
ている」です。
肉体にくっついているのが自分だという意識
は、単に三次元的な五感による物質としての
意識というだけで、それが魂のようなもの
またはプラズマ体のようなものとして、死ぬ
と肉体を離れていきますが、それは単に自分
の一部だというだけの事です。
(テイラー博士の右脳のレベルでの解釈
では、自分がクジラのような大きさだった
と、証言しています。もちろん意識レベルが
高くなれば、もっと拡大した領域が自分だと
いうことに気づくことになります。)
肉体にある間も死んでからも、あらゆる次元
に自分の意識は、あるという事なのです。
先にこれまでの私の研究成果の一つの真理を
申し上げておきました。

つまりアニータさんが出会った
ソニの本質はもちろん時空に囚われない、
絶対愛の状態だったので、共鳴し一つに
なれたわけですが、実は無限種類ある意識
のレベルでは、いまだに生きている間の
後悔の念や嫌悪感にさいなまれている
ソニの意識もちゃんと存在しているわけ
です。要するに自分がどの意識レベルに
いけるかどうか、肉体になれば自由度が
増すというだけで、生きていた時の
レベルに応じた意識と共鳴し、あらゆる
意識レベルを体験することになるわけ
です。
もちろん低い次元の意識に囚われても、
高い意識が自分の中にあれば、いつでも
そこから脱することができるというわけ
です。のちにご紹介するアレグザンダー氏
の体験は、その事に関してとても参考に
なります。
そしてまたこのような時に、この仕組み
を知って、生前を過ごしていたかどうか
が大事だということになります。
もし知っていれば、自分の意識のレベル
を劣化させるだけの邪悪な想念や、
卑しい感情や企み、そして執着の感情や
嫌悪感や憎悪から自分の意識を遠ざけよ
うとするのは自然なのです。
限られた人生で、意識を劣化させて、
究極の永遠の至福の意識レベルから無限に
遠ざかる事を選択しようとはしなくなる
でしょうから。
そしてまた劣化させた意識のレベルに
ある魂(その時点で自分が同調している
意識)も、それこそとてつもない数存在
するというのがよくわかる臨死体験者の
言葉は、シリーズその11
の記事で取り上げていますので参考に
なると思います。
またのちにご紹介するエヴェン・
アレグザンダー氏の臨死体験にも、
劣化した意識レベルの世界が出てき
ます。
絶対意識レベルに到達できる人は、
これまでの臨死体験者の証言では希な
部類なので、これは生きている間に、
どのくらいの意識レベルにあったかと
という事が問題になるのです。
我々のほとんどが、「自分の本質」から
大きく引き離されて、また自分の本質も
完全に忘れて、さらにそれより低いレベル
の高次元の意識さえ見失っているのです。
意識レベルの低い人は、肉体レベルの自分
を頑なに「信じて」死ぬことになるので、
霊界をさまようか、地獄のような場所や
あまり状態のよくない次元にいく事に
なり、また肉体として再び囚われた意識
としてやり直すことになるのです。
多くの場合の人がこれにあてはまる事が
多いようです。
またある程度柔軟な意識と感性、そして
愛情や誠実さなどを持ち合わせていれば
まだ少し良い人生につながります。
もちろん肉体に囚われているという意識
では同じレベルなので、人生の過ごし方
で意識レベルは、どちらの場合も大きく
変動します。もちろん人生の運もという
事ですね。
もちろん自ら、高い意識レベルで肉体に
宿る人も割合はわかりませんがいるよう
です。
もちろん輪廻転生しないで、さらに高次
の意識の次元に移行する場合もまた数多く
ありますし、転生もできずに地獄の
ようなところ、居心地の悪い次元に
囚われた意識もまた数多いという事
ですね。
輪廻転生については、また別の記事で
書いていくことになります。
どのような意識の状態も無限に「ある」
のが真実なのだという事です。

とにかくアニータさんは、ほぼまっすぐ
絶対意識に向けて、意識を拡大していった
ので、そのへんのレベルは、文字通り
眼中になかったというか、目に入ら
なかったという事なのです。

次回は、絶対意識領域に達したアニータ
さんが、気づいたとんでもなく高いレベル
の真理について、ご紹介します(^_^)v

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どこまでも自由で解放された感覚!    私たちが永遠で一体である事の証明その3 


エベンさんとの比較でアニータさんの
臨死体験を振り返ってみますが、
今回はその第3弾という事です。
今回はアニータさんが、肉体から解放
されて、どこまでも自由になれた
という感覚を得ますが、エベンさんの
臨死体験は、アニータさんのように
まず自由ではありませんでした。
最初泥の世界で完全に不自由な状態で
まわりの状況に恐怖や不安なども
感じていたようですが、なんとか
音楽をたよりに天界へ上昇して
いけましたが、しかしそれでも
天使のような存在に導かれるまま
に従ってさらに高い領域にいったり
また天使のいった通り、もとに勝手に
帰されてしまったり、勝手に落ちたり
します。音楽だけを頼りにまた上昇も
できますが、また勝手に落ちたりして
どうにも不自由な状態であったのです。
それに対してアニータさんは、絶対意識
領域にいけるレベルであったことから、
どこまでも自由だったという感覚を
得たのでした。
またこのアニータさんの至福や開放感
といったものは、テイラー博士が、
味わった右脳の感覚とまた同じだった
という事を今回紹介しています。

ではアニータさんの証言です。

「」内が引用で、~が中略になります。

「私は、周囲で起こっていることに十分気が
ついてました。
あらゆることが同時に起こっているよう
でしたが、自分が何かに注意を向けると、
それが瞬時にクリアに感じ取れました。
 (中略)
私は、病院のベッドに死んだように
横たわっている自分の身体に対して何の
愛着も感じてはいませんでした。それは
自分のもののようには、思えませんでした。
今、私が体験していることに比べれば、
あまりにも小さく、つまらないものに
見えたのです。
私は、自由で解放されたとても素晴らしい
気分でした。苦しみや痛みや悲しみも、全て
消えていました。
もう何も私を妨げるものはなく、こんな
ふうに感じたことは、人生で一度もありま
せんでした。
癌にかかってからの四年間は、まるで自分の
身体の囚人のようでした。けれどやっと
それから解放されたのです。
私は初めて自由を味わっていました。無重力
みたいに、自分がどこでも行けることに
気づき、それが普通のことのように感じられ
ました。まるでこれが物事を認識する本当の
やり方にも思えました。」
  
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

さて今回のこのアニータさんの体験は、
以前右脳の驚異の力編
取り上げた記事にも似たものがありました。
そうです左脳の機能が停止して、右脳だけの
機能しか働かなくなったジル・ボルト・
テイラー博士の体験と酷似しているのです。
彼女は左脳から解放されることにより、
肉体に囚人としてとらわれていた感覚から
解放されたアニータさんと同じような
体験をしていたのです。
テイラー博士の体験をもう一度引用させて
いただきますね。

“そこは本当に素晴らしい世界なのです。
外の世界と自分をつなぐ一切のしがらみ
から完全に切り離されているのです。
想像してみてください、仕事のストレスが
すべて消え、体が軽くなることを。
外の世界とのすべての関係、ストレスの原因
がなくなるのです。平和に満ちあふれた世界
です。
37年間ものさまざまな感情の重荷から解放
されるのです、どんなにそれは素晴らしい
ものでしょう、ああ!”
“出典:「logme ログミー
世界をログする書き起こしメディア」様”

このようにこの解放された感覚は全く同じ
ですね。
もちろん絶対意識領域に入ったアニータさん
は、さらに高い意識レベルに到達して
いますが、左脳から解放されただけで、
テイラー博士は、ニルヴァーナ(涅槃の世界)
にいるようだといっているのです。
つまり私たちは、左脳的な感覚を意識的に
抑えることができれば、右脳が経験する
解放された意識状態になれるという事を
意味しています。

またアニータ女史がいうように、自分自身は
肉体から離れても存在し、またより覚醒
した状態の意識になることを証言してくれて
いるのです。もちろんテイラー博士も
肉体を外から眺める巨大なクジラのような
意識として自分が存在していて、自分が
あまりに小さな肉体に再び戻る事は不可能
だと思ったと語ったおられます。
つまり我々は永遠の存在で、さらに肉体は
自分のとらわれた意識が入っている入れ物
にすぎず、本来の実体である意識は、
とてつもなく巨大だということが、この
タイプの違う体験をしている二人の証言から
読み取れるのです。

私たちは肉体そのものを自分自身だと
思うように常識として、教育やマスコミに
思い込まされてきました。しかし、それは
真実ではなかったという事なのです。
日本人でも昔の人であればあるほど、その
真実を理解していた人の割合が多くなり
ます。
それは明治に入って、西洋の唯物論的教育
(つまり大間違いの教育)が普及したこと
により、だんだんと失われていったという
ことなのです。
また公式の科学的見解も唯物論的解釈を
ベースにしていますので、マスコミは
それに従うことを基本にしています。
しかし、量子物理学が発展してきた事に
より、世界の科学的認識は、公式見解とは
裏腹に大きく転換しかけています。
日本人には、なかなかそれが浸透しない
ようにマスコミや教育で方向づけられて
いるので、そのような概念はほとんど
広まっていません。

我々は、肉体という物質的存在ではなく
意識そのものという存在だったのです。
これを理解するだけでも、私はずいぶんと
解放されました。
みなさんも永遠の意識という存在である
事を知って、人生を貴重な体験として、
逆に味わい深いものとして受け止める
事の方が、豊かに生きられると思います
よ。少なくとも生き延びるために悲壮感
を持って生活をするのでもなく、死の
恐怖におびえるでもなく、老いて全て
が終わるような虚しさからも解放される
というわけなのです。
このような知識がいかに、私たちにとって
貴重かわかっていただけましたで
しょうか?
次回のこのシリーズでは、アニータさん
のさらなる高い意識レベルの体験を
ご紹介します。(^_^)v

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
おかげ様で上位継続中です💦

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ケイ素でつながる私たち         土星の記事をつなげて理解する第二弾


これまでの土星についての記事を理解
していただくためには、私のこれまでの
多くの記事と結びつけて考えていただき
たいという事で、
音の波動による創造         
土星の極の六角形とつながる理由

という記事を書かせていただきましたが、
今回はその第2弾という事です。

土星のリングが、テクノロジーによって
つくられたという事を、
土星の真実 その2改       
土星のリングと波動の影響 微加筆

という記事でご説明させていただき
ましたが、もちろん人類とは別種のそして
人類とは比べ物にならないくらい高度な
知的な存在のテクノロジーによるもの
だという事です。
そのような存在自体が、直接乗っている
のか、それとも遠隔による操作なのかは
わかりませんが、直系5万キロ
(地球の約4個分)にもなる
巨大なUFOが直接土星のリングを作成
している画像が、ノーマン・バーグラン博士
によって公開されています。
もう一度掲載しておきましょう。


“画像2点とも出典:
Ancient code」様”
これはまさしく、この巨大なUFOがリング
の材料を、船体から吐き出して、土星の
リングを作成している証拠そのものでは
ないですか。
そしてこの巨大なUFOが作成したリングの
材質はおそらく特殊なクリスタル、つまり
ケイ素であろうと思われるのです。
土星のリングで発見された微粒子に大量の
二酸化ケイ素が含まれていたというのが
その証拠ですが、ケイ素は二酸化ケイ素が
元になり生成されるとの事ですが、安定
して自然界に存在する状態が、二酸化
ケイ素という事なので、微粒子の状態では
なく、リングの状態ではケイ素のような
材質になっているものと想定できます。
つまりリングの材質の断片の状態の微粒子
は、二酸化ケイ素で、それを高度な
知的生命体が、ケイ素の状態に変換して
リングを形成しているという事です。
つまり土星のリングが、あたかも
DVDなどのようにプログラム情報を
保存していて、またそれを送信して
いるという事なのです。

そしてこのようなリングの材料を、
どのようにして調達したかも、
かつて地球の生態系はケイ素系だった 
その1

という記事でご紹介しました。
地球は太古、ケイ素の生成の場であり、
そこで大量に生成されたケイ素が
何者かによって地球外に持ち出された
という証拠が、動画で紹介されて
いたのです。

つまりこの知的な存在は、私たちへの
プログラムを行うために必要なケイ素
を私たちのいる地球やおそらく他の
天体で、生成する事によって調達して
いたという事になるのです。

しかし、これで土星のリングは、
電磁気を保存・変換。送受信する
ためのケイ素でできていて電磁気情報
を地球に遠隔で届けているだろうと
いう事はわかりましたが、それが
人体にどうして届く事になるのかの
答えが、
細胞は半導体 生命のプログラムとは改3    
微加筆分
という記事で、ご説明した
ように、細胞膜がケイ素でできていて
電磁気情報を受信するのに最適な
材質でできているという事なのです。

さらにDNAもすでに記事で説明させて
いただいたように、完璧な電磁気情報の
アンテナの構造をしていて、やはり
土星からの電磁気情報のプログラムを
受けとる事ができるという事です。

このように私たちはケイ素を媒介として
土星のプログラムを受けとるのに
最適な身体を所有しているという事
なのです。

しかし、宇宙の環境による電磁気情報には、
土星やまた月などからの意図的なプ
プログラムだけでなく、私たちの意識を
解放させてくれるような良い情報も
存在しているのです。
これは物理的な宇宙だけでなく、五感で
感知できない領域からの情報も含んで
いるのですが、どちらにしてもそれを
受けとるために、私たちの身体には
ケイ素でできている松果体がある
という事なのです。

そしてまた細胞膜と同じくケイ素で
できていて、さらに高度な領域からの
情報を感知できる器官がなんと人体には
あるのです、それが松果体です。

その事は
かつて地球の生態系はケイ素系だった 
その2 人体にあるケイ素とは?

で説明していますので、転載させて
いただきます。

「松果体といえば、魂の座とも呼ばれ、事実
電磁気情報を最も強力に受けとる器官で
あるばかりか、高次元または霊的領域の意識
のゲートにもなっていると言われています。
事実アヤフアスカで、松果体が活性化して、
人々の目が、一様に光ります。それは目の奥
の頭部のちょうど中心にある松果体が光る
からなのです。これは高次の意識に到達すれ
ば瞑想中などでも起こる現象です。
事実私がこれまで、体外離脱して体に戻った
直後は、最近の二度とも目が光っている事を
自覚できるように、灯りを消していたのに、
部屋全体が光り、しかもまばたきに合わせて
点滅するのがわかりました。

という事で、松果体は、とても重要であるし
、やはりケイ素が大きな効果になっている
という事ですね。
しかし私たち現代人は、松果体を石灰化と
いう形で、大きく退化させているので、五感
に囚われた現実感覚のみに陥ってる人が
ほとんどだという事です。道理で私の記事が
なかなか理解されないわけですねえ💦
松果体を再活性化させるために、
松果体と超常意識 その2
いう記事も参考にしていただけると思い
ます。」

これで松果体が物理的な宇宙だけでなく、
高度な領域からの情報を受信できる
という器官であるという事がわかって
いただけたと思います。
つまり私たちが、土星などからの
プログラムを解除できるような高度な
情報も松果体は受け取れる器官だと
いう事なのです。

ここで一つ重要な点があります、同じ
ケイ素を材料としていて、松果体が
なぜ、高度な領域からの情報を
受信できて、同じくケイ素を材料と
している細胞膜にそのような機能が
ないかという事なのですが、それは
松果体が、クラウンチャクラや眉間の
チャクラのように高度なチャクラの
ほぼ中心に位置する器官だからなの
です。人体の7つもしくは12と
いわれるチャクラのうちで高度なもの
は、心臓を中心として上方にあり、
上の方にいくほど高度な領域からの
情報を受け取れるようになっている
から、松果体が特に、それを受け取る
ために最適な器官という事なのです。
もちろんエネルギーの中心は、ハート
チャクラとともにある心臓にあるわけ
ですが、より高度な領域という意味
で、上方にある松果体が、その
高度な領域からの情報を受けとる
のに最適な器官だという事なの
です。

つまり私たちは、土星や月からの
プログラムから解放されて本来の
能力を取り戻すためには、松果体が
重要なのです。
ですが、現代の私たちの松果体は
太古より大きく劣化して石灰化して
いるのです。
その事をまた転載させていただ
きます。

「また私たちの松果体にとって有害で、
石灰化で退化させてしまうのに効果的な
フッ素などが、歯磨き粉やフライパンや
鍋などの表面加工に使われているという
のも、またあらゆる加工食品の中に
含まれる添加物が松果体にとってとても
有害であるのも、ワクチンに含まれる
チロメサールという水銀加工剤が、
松果体にとってとても有害であるのも、
偶然ではないという事です。
もちろん松果体が健全で、勘がよくなり、
感性が豊かになり、思考能力を取り戻
してもらっては困るという、人達の都合
によるものである事は、言うまでもない
でしょう。」

このようにありとあらゆる生活に関わる
ところで、松果体を劣化させるための
フッ素が行き渡っていて、これが意図的
なものであるという事ですが、それは
何故かというと、私たちが土星などに
よるプログラムによって認識を制限
されている方が、都合が良いと考えて
いる存在がいるという事なのです。
それは、もちろん世の中にそのような
流れを生み出せるような権力者だ
あり、それが土星のプログラムを発信
させている存在と関わりがあるか、少なく
ともその仕組みを知っている存在だと
いう事を示しているのです。

また電磁気情報は私たちの潜在意識では
日々受けとっていて、その強力なもの
は、私たち自身をコントロールする
ためにも使用できるという事から、
思考力を働かせられる人は、私の
いいたい事もわかっていただける
かなと思います。

こういう状況を私たちが乗り越えて、
土星などのプログラムから解放されて
豊かな未来を築くためには、あらゆる
物理的影響を超えるための、意識レベル
の改革しかないという事です。

今回土星の理解について、記事を
つなげて説明していくうちに、話が
どんどん深くなっていきましたが、
それでも私たちの現状や私たちにとって
何か大切なのかを理解するのには
これで良かったのだと思います。

ではまた(^^)

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古代最重要の音「MU」は、現代日本語の「無」!


前回の記事
人類最初の聖なる音「MU」音とは?
で、超古代の神聖語「kamu」を
さらに分解したムー(MU)という言葉
が最も重要で、ムー大陸の提唱者
ジェームズ・チャーチワード氏も
ムーの人々が、「ムー」を信奉した
といっているという事からも裏付け
られるという事でした。

神衣氏によると現代日本ではその
ムーを音とする言葉が見あたらないと
されていますが、私はすぐに「無」
という言葉を思い起こすことができ
ました。ここまでは前回も書きました
ね。
このことで、少し感覚のずれを感じ
ながら読み進めていくことなったわけ
ですが、その違いがどこからくるのか
よくわかりました。

現代日本語では、「MU」という音は
「MI」に置き換えられたと言って
おられるのです。
つまり「身や実」につながり神のミの音
にも通じているという事です。

そして古代日本では神は「kamu」
と発音していたという事ですが、
その事をまず引用させていただきま
しょう。

「」内が引用で、~が中略です

「「神」のルーツは超古代音「MU」に
ある

古い文化が残っている
沖縄では神のことを「kamu」といい、
アイヌでは「kamui」と言い、
日本語では「kami」と言うが、
これはまさにこの音韻変化の法則通り
であり、

「kamu」→「kamui」
→「kami」
の変化の過程がそれぞれの段階で定着
したものである。
事実、古代の日本では神を「kamu」
と発音していた。
日本語の古い時代の「kami」の意を
含む複合語を見てみると、

「kamunagara」(かむながら)

「kamugakaru」(かむがかる)

「kamuagaru」(かむあがる)

という形が残っているように「kami」
は古い時代には「kamu」であった
のだ。
アイヌ語の「ka」音は「上」を意味する
語だから、下にくる語彙に接頭語的に敬意
の意を表したものであろう。そして
「i」音は先に述べたように名詞化の意味
でしかない。
とすると、「kamui」のMU音は、
それ自体に「神」の意がなければ
「kamui」は「神」の意味にならない
はずである。
そして実際にその痕跡は、最も古い時代の
日本語に見いだすことができるのだ。」

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
         中央アート出版社 ”

このような言語学的な分析というものを
この本で初めて、見させてもらったような
気がしますが、なんか素晴らしい分析
の仕方ですね。

なるほどこれなら、古代日本のkamu
が、現代日本語のkamiに変わった
という事がわかるし、超古代の神聖語
kamuの中のMU音こそが、神性を
表す音であったとわかりますね。

ただし現代日本語でMU音が消えて
しまったという神衣氏の気付いて
おられない「無」という語は、
現代でもまだ消えずに残っているの
です。
それこそが私が最も神聖な語だと感じる
というのが私の見解ですが、
その事を神衣氏との世界観の違いから
説明していきたいと思います。

神衣氏は、「MI」という音に変わった
のだから、最も神聖な言葉MU音の神性
をあらわすのもこの言葉だといって
おられます。
事実古代日本語でも

「海つみ」
「山つみ」
「月夜み」

というような使われ方をする「mi」は、
「自然の霊力」「神」の意であることが
学術的にも認められているという事を
この本で紹介しておられます。

なるほど「mi」には神の意味が確かに
あるだろうとは思います。
ですが「mi」は同時に「身」や「実」
とも書き、つまりは実体、目に見える
ものだという意味もあるわけです。
神衣氏は「mi」を生命体、母体である
ともいえて、最も神聖な意味になると
説明されています。
これは、確かに正しいと思えたりもし
しますが、
私との世界観の違いはまさにここに
あるというわけです。
神衣氏が気付いておられない、古代の
最も神聖な音「MU」音を引き継いだ
語である「無」にこそ本来の神性の意味
がこめられていると私は解釈するのです。

アイヌや沖縄よりさらに、中心の地で
ある日本は、MUという言葉に「無」
という漢字をわざわざあてています。
アイヌ語のMUは実や身の意味として
残っているのにもかかわらず、あえて
実体の無いという意味での「無」という
言葉を当てたのには、大きな理由がある
と思うのです。
確かに古代のMUという音には神性が
宿っていた、それを日本人のような
繊細な感性を持つ民族が、mi音に
変えただけで、そのMU音を捨てる
事ができたでしょうか?

これこそが神衣氏に投げかけたい
一番の疑問です。
そして捨て去っていない証拠に
ちゃんと「無」という言葉として
残しているという事に神衣氏は気付いて
おられないのだろうという事です。

つまりこういう事です、「無」という
実体のないものこそ神性の本質だと
古代の日本人は見抜いたからこそ、
この言葉を最も大事な神性を表す
MU音をあてたという事なのです。

つまりこれは実や身などの実体を
生命体、母体として最も神性だと
する神衣の世界観と、むしろ実体の
ない「無」こそ最も神性を意味する
のだと考える私の世界観の違いが
あらわれたという事です。

私は、多くの素晴らしい著書に巡り
合ってきたと思います。大いなる
ヒントをくれたこの本もその一つ
だと確信していますが、すべてを
うのみにするのではなく、それまでの
本や情報で得た知識や感性を持って
吟味して咀嚼し、完全に消化できる
ものとして取り入れていこうとする
のが、真実を得るためには大事だと
思っています。

つまり今回のMU音が最も重要な神性
を表すという神衣氏の言葉には完全に
納得しましたが、現代日本ではそれは
「MI」という音でしか残っていない
という同氏の説には従わず、きちんと
残っている「無」という言葉をその
MU音の神性を表す言葉として解釈
したというわけです。

では次回さらに古代日本語について深く
研究していきたいと思います。

ではまた(^^)

クリックしていただいた方本当に
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音の波動による創造         土星の極の六角形とつながる理由

これまでの土星についての記事を理解
していただくためには、私のこれまでの
多くの記事と結びつけて考えていただけ
ないと無理だと思いますので、つなげて
ご理解いだくための記事を書く事にしま
す。

今回は、音の波動が、物質の形態の創造
につながるという事をすでに
音の波動による創造その1      
サイマティックスとは?

という記事でご紹介しています。
以下はその音によりつくられた結晶構造
です。

図1

図2

図3

“出典:「ウォーター・サウンド・
           イメージ」
 アレクサンダー・ラウターヴァッサー著
       増川いづみ[監訳・解説]”
このような音による結晶構造の形成には、
定常波、つまり継続的な音の波動が必要
だという事ですが、土星の北極の巨大な
六角形の渦も、南極の一つ目のような
渦も、数十年にわたって観測されていて、
一定の波動により形成されているという
事なので、巨大な定常波を受けて、継続的
な渦の形を維持していると思われます。
観測から類推しても、相当長い年月に
わたって、その形を維持してきたものと
思われますが、私は人類が狭い五感の領域
に閉じこめられた時から、そうだったと
想定しています。
では、その土星の継続的な音の波動と
同じように音の波動で六角形の形を
人工的に実験で創られたたのが下の画像
です。

“出典:EVERYTHING YOU NEED
TO KNOW
    DAVID ICKE著
      David Icke BOOKS 刊”

つまりこのように土星の北極の巨大な
渦も継続的な音の波動により創られて
いるという事です。
もちろんこれは、六芒星形を同時に
形成している六角形という事ですね。
これが、直径が地球2個分以上で
ある巨大な渦なのですが、それは
リングの音の波動により形成された
という事であろうと思われます。
昨日も同じ内容の記事を投稿させて
いただきましたが、
土星の六角形の波動とは? 
という記事でご紹介したあのなんとも
いえないいやな音の波動が、つまりは
この六角形の渦を形成したという
事なのです。
そして以前にもご紹介した、リングを
形成させるようなテクノロジーを持つ
存在が意図するのは、土星の北極に渦を
形成する事ではなく、太陽系内の土星
より内側の天体などに、その波動を
伝えるために、そのような波動をリング
から発生させているという事なのです。
そしてそれが直接地球上に届くものと
月により、受信され変換・増幅されて
地球上に届くものとがあるという事で
す。
その波動の種類をおおざっぱに分ければ、
土星は、我々の感覚を狭い五感の領域に閉じ
こめるための電磁気情報つまり六角形の
波動そのものを直接私たちのDNAに
届けていて、月はそれを生老病死の
生体リズムや、生命エネルギーの本能的
なプログラムに変換して、同じく私たちの
人体のDNAなどに届けているという
事です。

今回はまず、音の波動により物質の形態が
創造できるという事と、土星のリングの
音の波動により土星の北極の巨大な渦が
形成されている事をつなげて、その波動が
私たちの地球上の生命、そして私たちの人体
のDNAに遠隔で届けられているという事を
ご説明しました。
まだつなげて理解していただきたい事は、
別の記事に書かせていただきます。

ではまた(^^)

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