臨死体験での光る霧は生体エネルギーのプラズマです!

あんみん

おーなおみん泣いてくれた
じゃないかーー
おにいちゃんは感動したぞー

なおみん

はあーー?
だったらなんでここでピンピン
してるのよー

あんみん

あれは演技なの演技ーー

 

なおみん

ふふーん、じゃあ私のも演技よー

あんみん

おいおいそこは泣いたで
いいんじゃねー

なおみん

何よそれー自分は演技で、
私に本気で泣いて欲しいだなんて
虫が良すぎるわよー

あんみん

ごめんごめん
でもさーなんだか妹の愛を
感じられたから
ちょっとうれいぞ

なおみん

ち、違うわよー、あれは
少なくても家のための稼ぎ頭が
いなくなる事への悲しみよーー

あんみん

はいはい
ところで、オレの身体から
何か出てなかったかーー

なおみん

そうそうそれよそれ、何よー
あのものものしい霧と電気
みたいなのはー
まさかあれ自分が神だとか
いうんだったら、もう話
聞かないかんねー

あんみん

おーなんだか、今日は
怒りっぽいなー

なおみん

乙女心をもて遊んだからよー

あんみん

ははーん
なるほどーそうかーー
うんうん♥

なおみん

なあにがなるほどよ
さっさと話なさいよっ
まったく気分の悪い

あんみん

まあまあ、悪かったよ
今度ケーキ買ってくるから

なおみん

ほんと、えーとねー、
カリスマお菓子店の
「フランソワ」で
モンブラン2個と、
イチゴのショート2つ
それから
定番チーズケーキに
自家製シュークリーム4つよ

あんみん

おいおいオレは甘いもん食べないし
いいよー

なおみん

なあにいってんのよ、これは全部
わたしの分なの、わ・た・し・の

あんみん

えーーマジっすか
しかも高くて遠いし
近所のフジ屋くらいにしといて
くれよー

なおみん

だめよ!
早くしないと読者の方
退場しちゃうわよ

あんみん

ほんとだ。
えーとあの霧の正体がプラズマで
誰にでも身体の見えない領域に
ある、生体エネルギーという
ものだよ

なおみん

えーーあれがそーなの?
じゃあ、あれが人魂とか
いわれてるわけねー

 

あんみん

そうそう察しがいいなー
ではその実例が↓だよん

臨死共有体験というのは、臨死状態にある
人のそばにいる人、または臨死状態にある
人と関係の深い人が、その人とともに、
または単独に、またはその場に居合わせた
人々全員で超常体験をすることをいいます。

そして多くの臨死共有体験の事例を集める
うちに、レイモンド・ムーディー氏は、
いくつかの共通要素があることに気づきま
した。
今回はそのうちの一つで、あんみんの真理
解明のために重要なものをお伝えしたいと
思います。それは、臨死体験者から、臨終
または、死に近い状態の時に、その人の
身体から白い霧それも光る霧のようなもの
を見たということです。
この白い霧とは、あんみんの宇宙の真理編
電磁界異常と超常現象その2
で時空転移の鍵となる現象として
白霧-電子雲を取り上げましたが、
それと同質のものだといえると思います。
つまり白霧は、プラズマ現象または
プラズマ体と呼べるもので、異次元へ
のゲートとしての役割を果たしている
と考えられます。
さてその臨死共有体験の白い霧の例を
レイモンド・ムーディー氏の著書から
引用させていただきます。

“ 私が死に関する研究を始めて以来、
私はしばしば、臨終の人の体から
「霧のようなものが立ちのぼるのを見た」
という証言に接するようになった。
これは、臨終の床に立ち会った人々が
しばしば証言しているものである。
その「霧」については、いろいろな
表現がある。ある人々はそれを「白い
煙のようだった」というし、他の人々は
「蒸気のようなものだった」と言う。
ときには、「人の形のようだった」と言う
人もいる。
いずれの場合も、それが上のほうへ立ち
上り、やがてさっと消え去ったという。
その実例として、ジョージア州のある
医師の場合をみてみよう。彼は患者の臨終
の際に体から立ち上る「霧」を二度、別の
日に目撃している。以下、その両方の場合
をみてみることによって、霧の経験に
ついて理解を深められると思う。
「私は6ヶ月に二度、臨終の患者から立ち
上る霧を目撃しました。彼ら患者は、亡く
なった時明るく光りました。目が銀色の
光で輝いて見えました。また胸のあたり
から、霧のようなものが立ち上り、空中
で浮遊しました。
私にとっては時が止まったかのようで、
その光景を目をこらして見ました。
注意深く近づいて見ました。霧は、深く
複雑な構造を持っているようでした。
幾つかの階層から成り、何かのエネル
ギーで脈打っていたのです。
でも私のこうした表現も、うまい描写
ではありません。うまく言い表せません
が、水の中で別の水が動いているような
そんな感じです。
二度目に見たときは、私はさらに、何か
見えない存在を感じました。あたかも私
のとなりに誰かが立っているような、
そしてその存在は患者の臨終の時に備え
ている、というような感覚です。
その存在が何だったか誰だったかは、
わかりません。しかし、それは患者を愛
する誰かだったのではないか、と思い
ます。それがそのとき私の持っていた
感覚でした。」
じつはこの医師は、二度目の経験の
数日後に、自分がひとりでに体外離脱
してしまう経験を持った。その前に
彼が二度の霧体験をしたのは、自分の
体外離脱体験の準備とするためでは
なかったか、とも私には思える。
体外離脱体験もまた、この医師の
世界観を大きく変えるものとなった。
彼は述べる。
「私が眠ろうとしていたとき、突然
私は、ベッドに横たわる自分の体を
下方に見おろしていました。二度の
霧体験と、この体外離脱により、私は
確信を持って、世界にはこの目で見える
以上のものがあるということができ
ます。」
つぎに、霧に関するもう一つの実例
として、ノースカロライナ州にある
ホスピスの心理学者が記しているものを
見てみよう。この心理学者は、臨死体験
の他の様々な要素と共に、霧を見る体験
についても記している。
「臨終の場面は、物質世界の事柄だけ
では説明できないものを持っています。
私は宗教的な人間ではありませんが、
ホスピスでの仕事は、生命の霊的次元に
関して、私を目覚めさせました。
誰でも、死にゆく人々を看取るこの
仕事を長く続けていれば、こうした体験
を何らかの形で、しているものと思いま
す。死にゆく人々自身が持つ死の霊的
体験は、どうも何らかの形でしばしば
周囲に漏れ、かいまみられるようです。
もしあなたが、たまたま波長が合って
その領域に踏み入ると、あなたは死者の
周囲に神聖な存在を感じ取ることになる
のです。
私はこれまでに何度も、病室の形が
変容して見えたという経験をしました。
もしそれを表現するとすれば、部屋の
中で、生きたエネルギーが脈打っていた
としか言い表せません。私は、この世の
言葉で表現できないような存在を何度も
感じました。
人の臨終の場面は、永遠をかいま見せて
くれるものです。ちょうど窓から遠景を
ながめるように、私は何度も、光をみま
した。また二度にわたって、何かの構造物
を持つ別世界を見ました。
二度とも私は、患者が雲のような形に
なって肉体を離れていく光景を見ました。
彼らが肉体から抜け出し、その別世界へ
旅立つのを見たのです。
その雲は霧のようにも見え、患者の頭
か胸のあたりに形成されました。その中
には電気のようなものも見え、ある種の
エネルギーの動きがありました。
それを私の肉眼が見ていたのかどうか
は、わかりません。しかしそれは常に
そこにあったのです。
人はしばしば、死んだ人が別世界へ
旅立つ光景を目撃することがある。-
それが私の確信です。」”
“出典:「臨死共有体験」レイモンド・
ムーディ/ポールペリー共著
堀天作 訳
ヒカルランド刊”

空間の変容などは、臨死共有体験にみら
れる別の共通要素の一つですが、人が
臨終の際に、肉体を離れて別次元に
意識を移すときには、時空のゲートが開く
ため、そのときその場の時空もゆがみが
生じるといえます。また、当然その場に
居合わせた人の、意識もその臨終の人の
意識に同調しているため、ふだんの
時空の感覚と全く別の次元を感じること
ができるせいでもあります。
今回は、死にゆく人の体から霧のような
ものが立ち上るという経験を、複数した
という人物の証言を二人も実例として取り
上げていただいたのですが、他にも
いくつもの例があり、もはや臨終の際に
霧または雲のようなものが、立ち上ると
いうのは、完全に自然現象とみていいと
思います。自然といっても、意識をとも
なった生命の別の形といってもいいと思
います。その霧はすぐに消えることが
ほとんどですが、それは消えるのでは
なく、本来の真空の状態に意識が戻った
だけの話なのです。
もちろん真空といっても、何もないわけ
ではなく、さらに無限のエネルギーや
次元の存在する場という意味です。単に
我々が感知できない領域にいったという
だけの話なのです。
そして、これまでの記事でご紹介した
東日本大震災や、チェルノブイリ
原発事故
、、バミューダトライアングルで、
時空のゲートとして働いた霧は、今回も
同じ役割を持つものとして登場しました。
その役割とは肉体から霊的な領域に入る
ための、時空のゲートとしての役割です。
そしてその霧は、真空と我々の感知する
電磁的なレベルの世界とをつなぐものに
特有のプラズマ現象だということも明らか
なのです。
二人目の証言者によれば、プラズマの性質
を特によく表現している箇所がありました
よね。霧の説明の時に、「電気のような
ものも見え、ある種のエネルギーの動きが
ありました。」という部分です。これは、
間違いなく、プラズマ現象のことだとわか
ります。プラズマエネルギーがどんなもの
か、プラズマの驚異の力その1
画像付きで、説明しているのでそちらを
ご覧ください。

また一人目の証言者が、その霧の状態
について、水の中で水が動いているよう
なエネルギーの動きを見たと表現して
いるのも、もちろん水がプラズマ現象
の一種である事を示しているからなの
です。
これは、霊的なレベルの次元は水が
象徴していると再三サビアンシンボルの
解釈で取り上げていることの裏付けにも
なっています。
これで超常現象に霧または雲のような
プラズマエネルギーが、時空のゲートと
して目撃されるということを、臨死共有
体験でもご紹介できたことになります。

なおみん

おーーなるほどーー
電気のエネルギーというのは、
プラズマがもとになっているから
霧と同時に目撃されるわけねー

あんみん

そうそうよくわかってくれた
よーだなー

なおみん

それに確かに原発事故の時のタイム
スリップでも、バミューダ海域の
失踪なんかでも、霧や光る雲やら
出て来たものねー
ぜーんぶプラズマというのなら
納得よー

あんみん

おーさすがは、なおみんしっかり
理解できてんなー
まだまだ他にも臨死体験の共通要素が
あるから紹介するよー

なおみん

ありがとう・・・
っておにいちゃん忘れてないわよね
ケーキ

あんみん

ギクッ
やっぱり覚えてたかー

なおみん

当然よ!
ではみなさん、また次回も
よろしくでーす

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
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究極の意識と一体化できるかどうかの境界とは? エベンさんの証言その5


今回の記事は特に重要です、このエベン
さんが、アニータさんと違って、
絶対意識にまでは到達していなかった
事の証明となる大事な内容になっている
からです。
というのも、この臨死体験で得た理解
の差、つまり肉体に戻ってからの体験の
話でまたその差がわかるのですが、この
レベルの差というものが非常に重要なの
です。

前回エベンさんが天使のような女性に
導かれて、天界を体験した様子を紹介
させていただきました。
そこでは、五感の感覚は分離したもの
ではなく、一体のものとして感じ
られたという事です。
分離されたものを、対象としてみる
という感覚ではなく、それと一体に
なることで、捉えるという感覚だった
ようです。
またこの天界においても音楽が重要な役割
を担っているという事がよくわかりました。
そして今回は、エベンさんがさらに高い
意識領域に移行する様子をご紹介していこう
と思います。

「」内が引用で、~は、中略です。

「さらに先へ進んでいくと、広大な虚空の
中へ入っていった。果てしない広がりが
続く全くの闇だったが、そこは限りない
安らぎも感じられた。漆黒の闇であるにも
かかわらず、光も満ち溢れていた。すぐ近く
にいる気配のする光の球体、オーブ(たま
ゆらとも言う)の一つが放射している光らし
かった。オーブはあの輝く存在の天使たちが
奏でていた調べと同じように、ほとんど
固形のようで生きていた。~
~私の場合は胎児の「母親」に相当する
ものが、宇宙とそこにあるもの全体の母体、
言い換えれば、神や創造主、根源などと
呼ばれる存在だった。
神の存在はきわめて間近に感じられ、自分
との間にまったく距離がないように思えた。
しかしそれと同時に神が無限に広大である
ことがわかり、それに対して自分がいかに
比べ物にならないほどちっぽけであるかを
思い知らされた。」
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この部分が特に重要で、エベンさんの
臨死体験を紹介しようとした理由につながる
ものなのです。
今ここが、エベンさんの到達した意識レベル
の限界を示しているところだからなのです。
彼はこの高次元の意識領域で神のような存在
に会ったという事ですが、それは絶対的な
存在と自分が分離したままの感覚だという事
を示しているのです。
せっかく「神の存在はきわめて間近に感じ
られ、自分との間にまったく距離がないよう
に感じられた。」という意識まで到達して
いるのにあと一歩、そのような絶対的な
意識と一体になるところまでいかなかった
という事なのです。
それまで拡大し続けていた彼の意識が、
ここでストップしてしまう事になる
のです。
ここで絶対意識になれなかったエベンさん
と比較して、それを自分のものとした
アニータさんの意識をもう一度引用
させていただきます。

“「どうして突然、すべて理解できたんだ
ろうか?」私はそれが知りたいと思いま
した。
「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」”
“出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著 
           hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

つまり彼女の謙虚な言い回しに惑わされず
に、彼女の説明をそのまま受け取れば、
アニータさんは、自分自身が絶対的な
存在そのものとなったといっていると
いう事なのです。
「えーそんな偉そうなー!」
普通そう思いますよね、その普通の感覚
こそ長年の間人類全体を苦しめてきた
「分離」の感覚なのです。
ここで絶対意識のからくりを説明します
と、アニータさんだけが、本来絶対的
存在だったという事ではなく、我々の
一人一人全員がそのような存在で
あるという事なのです。
つまり「みんな偉い!」のですが、
わかりにくいと思いますので、この宇宙に
おける全てのものは、全体とつながって
いて、またその全体そのものでもある
という事なのです。
実は宇宙の物理的モデルもそういう事に
なるのですが、それについてはまた別の
記事に書かせていただきます。
とにかく残念ながら、絶対的な存在と一体
になれなかったエベンさんは、
「自分がいかに比べ物にならないほど
ちっぽけな存在であるかを思い知らされた」
とあるように分離された小さな存在として
自分を意識することで、その絶対的存在
から離れてしまう事になるのです。
(これに対して、絶対意識に到達した
アニータさんは、肉体に自分を自身の選択
により戻すまで、その領域に留まっていま
した。)
そしてちっぽけな自分という感覚を持って
しまったエベンさんは、絶対意識領域に
留まる事ができず、この後、低次の領域に
下降してしまう事になります。

ただその前に、エベンさんは絶対的な存在
から、いろいろと教えを受けることになり
ます。
彼は、無私の愛を注ぎ、全知で全能である神
、つまりそのような絶対的な存在を自分
とは分離させて認識しており、その存在
のことを「オーム」と呼んでいます。
そしてまたその「オーム」と自分を、媒介
くれる通訳者を「オーブ」と認識して
います。
また「オーブ」は自分を天界へと導いて
くれた案内役の女性であるとも言って
ます。
これはとてもわかりやすいですね、彼は
高次元の意識を認識するようになっても、
自分を小さな「個」であるという認識
の世界からは抜け出せず、必ず媒介を
通して、高次の世界を認識するという
意識レベルのままだったということです。

つまりこれは私たちがハートチャクラなど
のゲートを媒介物として、高次の意識に
つながるのとほぼ同じレベルだということ
なのです。臨死体験でないと高い次元の
意識に移行できないのではなく、多くの
人の場合、肉体を離れた意識が、より
高次元の意識領域を感知しやすい状態に
なるということです。
もちろん邪悪な執着にまみれた魂では、
当然そんな領域を感知することはできま
せん。
そしてまた臨死体験でなくても、チャクラ
が開いた状態であれば、同様に高次の
意識領域を感知できるのだということなの
です。

認識レベルが真理に近くなり、さらに愛情
などの感情のレベルが上がれば、より
チャクラが開きやすくなるし、肉体的な
反応レベルでいえば、催眠状態、睡眠状態
アヤフアスカなどの向精神剤(幻覚剤とい
うのは私たちの日常感知している世界が
現実だとしてみた場合で、高い意識レベル
からみれば、どちらも同じ現実ですし、
どちらかというと、そのようなものを
摂取してのぞいた世界の方が真実で現実
です。)
そして臨死体験や瞑想、低呼吸、断食
恍惚感といったようなものになります。

さて次回は、エベンさんがオーブを通して
得た「オーム」からの真理についてご紹介
していきます。

ではまた(^^)/

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悪魔なんて怖がる必要はありません! 雑記風その2


丁寧に書くと、いちいち調べ物を
して根拠が確かかどうかとか
いろいろ手間な事が多いですが、
正式な感じのいつもの記事は、私は
実は苦手で、思いつくまま気の向くまま
言葉にする方が本当は、性にあってるの
です。
丁寧に書こうとすると、だんだんテーマ
からそれていくような感覚になる事も
多く、たくさん書いたけど、振り返れば
もっと書きたい事は、他にあったのに
などと思う事も結構あるので、たまに
こういう雑記風の記事をたまに入れて
いく事にしました。
そうそういつもは、できるだけ多くの方が
理解できるように、ある意味言いたい事の
前提となる記事を中心に書いていって
ます。
記事によって読まれている数が違うので、
どのあたりまで理解していただいている
かは、なんとなくわかるのです。もちろん
テーマによっては反発されていると感じる
事も。
ですが、この雑記風は、そういうみなさん
のご理解を基準にしないで、まんま言い
たい事を書くので、たぶんわからない人
も出てくると思いますので、そういう方
は、他の記事をどうぞー(^^)/
もちろんテーマによって入るカテゴリー
が変わりますので、今回は、真理のヒント
編に入れとくのが適当だと思いました。

今回気になったのは、ここんとこ、悪魔
が地球を乗っ取るとか、物騒な記事を
書いてますが、正確にいうと太古の時代
から、悪魔のような次元の生命体が地上を
牛耳っているという事の方が正確だと思い
ます。

それによく宇宙人が侵略しにくるとかいう
情報もたくさんみかけますが、そもそも
我々の狭い五感の領域の目に入るように
えっちらおっちら宇宙船がやってくるなど
という感覚は、もはやお伽噺でしかないと
思うわけです。

私がブログで紹介しているように、次元間
生命体という存在は、自分たちの存在を、
我々人類が感知できないように、五感の
領域を恐ろしく狭い範囲に縮小するという
プログラムを施しているので、我々の日常の
知覚で、感知できないようにされている
のです。

だから、一般の人の感覚でいえば「いない」
というように捉えるのも無理は、ありま
せんが、とことん研究してきたものから
すれば、確実にいるという事なのです。

ただし冒頭にも書いたように悪魔的な
そのような次元間生命体の存在なんて、本当
は怖がる必要はないという事なのです。

彼らは、ベースが邪悪な霊的な存在なので、
通常の人類が持っている愛や思いやり、
共感などの領域には存在する事ができま
せん。

これが彼らにとって致命的な欠陥なのです。

すでに申し上げたように、すべては絶対意識
と一体なので、本来すべての存在の、全ての
意識の中心には愛、それも絶対愛がある
ので、完全体です。
逆にそれがない存在は、本来の完全体では
ないという事です。
そして次元間生命体の中心にあるものが
まさに邪悪な意識という事であれば、それは
もはや完全体ではなく、本来の実体ではない
ということなのです。だから、彼らは寄生を
するという事です。つまり我々人類の
ネガティブな意識に寄生しなければ、存在
できないという不完全な存在が、我々人類の
頂点にいる支配層に寄生した、諸悪の根源
だという事です。

支配層は、つまりは太古からの王族と
呼ばれる血族にあたるわけですが、彼らは、
その邪悪な霊的存在に寄生される事で、知恵
を得て、さらに人間離れした能力も持つよう
になります。
これが支配層が、爬虫類的な存在にも変容
する
といわれるゆえんです。
太古のまだ人類の五感の領域が、今ほど狭く
なかった時代に、龍が王として君臨していた
からこそ、世界中で龍が神として祀られて
いると伝わるし、現在でも信仰が続いて
いるような民族や地域もあるのです。

日本でも逆鱗に触れるとか、長いものには
巻かれろなどという古来から伝わる言葉
に、龍が君子であった事をイメージできる
ものが残っているので、わかっていただける
人もいるかとは思います。

王族のDNAは、邪悪な次元間生命体が、
寄生できるようなプログラムを施されて
いて、我々一般の人類とは違う能力、違う
性質を持つようになっているのです。つまり
寄生している邪悪な次元間生命体は、憎悪、
悲哀、落胆、鎮痛、苦痛などのあらゆる
ネガティブエネルギーを外部から取り込む事
を糧とする存在なのです。

彼らには愛情や思いやりというような高い
次元のエネルギーは、むしろ彼らにとって
最悪の脅威となるので、人類を太古から
コントロールして、戦争や貧困、病気や
憎悪などを意図的に生み出すように人類を
誘導してきたのです。

中心に愛があるような我々人類が自然に
あのような悲劇や残虐な歴史をつくってきた
と思えますか?それこそスピリチュアルで
いう愛の存在である人類を否定するような
感性だという事です。

つまり我々がゴキブリを退治する時に、
さほど哀れみを感じないのと一緒で、彼らの
寄生する支配層は、我々人類を違う種だと
思っているのだという事なのです。

(まあ究極でいえば、これも殺傷しては
いけないとは思うけど、そこまでは
なかなか徹底しなくてねも、とりあえず
はいいと思います。なんせ、ほとんど全て
の生物種は、彼らがDNAを改ざんして
創られたものなので、魂や霊としては永遠
という事をわかってあげていれば、良い
転生や存在になればいいと思えるわけ
です。)

だから、我々の苦痛や悲しみは、彼らに
とってエネルギーなので、我々が苦しめば、
苦しむほど、また悲しめば、悲しむほど、
彼らは喜ぶという事なのです。

小さい頃から慣れ親しんだアニメや特撮は
彼らの意図がふんだんに盛り込まれていて、
真実を知れば、どのような意図があったか
わかるような事も多いのです。

特に昭和の時代の特撮ものやアニメで悪役を
演じるキャラが決まっていうのが
「ひひひ、もっと苦しめーもっと苦しむの
だー」とかいうセリフです。
みなさんも聞いた事があるでしょう。
主人公はピンチになりますが、そんな悪役
が、苦しむエネルギーを喜んでいる間に
態勢を立て直して、結局主人公が、勝って
しまうのです。

つまり悪役キャラは、支配層そのものの性質
をよく表現していたというわけです。

で、そのヒーローに我々がなればいいという
事です。武器は、愛場と思いやりそして
喜び合い、楽しみ合う共感の心など、彼ら
が嫌がる意識エネルギー全てだという事に
になります。

和をもって貴しとなす日本人が、なぜ
狙われるかもこれでわかっていただけ
たでしょうか?

彼ら支配層は、ユダヤ教を信仰しているとも
言われて、ユダヤ人などとも呼ばれますが、
もちろん民族の事ではありません。
つまりは、特権的な意識を持っている彼ら
支配層の異名であるという事です。
これとイスラエルに住むようなユダヤ
民族と呼ばれる人たちを混同してもいけ
ないという事です。

では彼らが信仰しているユダヤ教の聖典
旧約聖書にはどんな事が、書かれているか
実は日本人のほとんどの人か知らないで
しょう。そこには、彼らが特権意識を持つ
のに有利なことが書かれていたのでする
その事はまた別の記事で書かせていただき
ます。

そうそう悪魔なんて怖がる必要はない事の
理由がまだでしたね。我々は、完全体で
ある永遠の意識
ですから、彼らが
今生でどのような迷惑をかけて
きても、我々を滅ぼす事は不可能である
という事、それし、怖がったりする事
そのものが、彼らにエネルギーを与える
事になり、我々に迷惑をかけてくるので、
我々は互いを思いやり、大切な人を愛し
て守り、理解しあい、共感し合うように
していれば、世の中は、彼らの
コントロールが不可能な社会になり、
力を発揮できずに、去って行くように
なる
という事なのです。

ではまた(^^)/

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高次の領域では、五感は一体として感じる!    エベンさんの証言その4

今回は、とても長いストーリーになる
エベンさんの臨死体験のエピーソードで
五感が一体として捉えられるというもの
があります。
五感とは言っても、視覚と聴覚が一体
という事ですが、実は肉体を離れた
臨死体験者の証言の中に、観る事
や聴く事のシーンはいくつもある
のですが、味覚と嗅覚が出てくる事は
ほとんど全くない感じなのです。
おそらくより肉体的な感覚に近いのが
味覚と嗅覚なのかなと思います。
どちらもマトリックスの主要な
プログラムの一つ、食欲に強く関係
するものだからではないかと思う
のです。

しかし、臨死体験者だけでなく、
たとえばアヤフアスカを服用して
覚醒した多くの人たちも、五感を
一体のものとして捉えたという
証言をしています。

つまり肉体のプログラムに従わ
なければ、本来見えると聞くの
とは一体になるのが、本来の
私たちの能力なのではないかと
思っているわけです。

現在の我々の視覚領域と、聴覚領域
は、単位を振動数で統一すると
見事にズレているのがわかります。

以下です。

前回、エベン・アレグザンダーさんが、
幸運にも、光と音楽に導かれて天界の
ような場所に辿り着いたというところ
までご紹介しました。
そしてエベンさんは、やがて、天界
での導き手のような美しい女性に
気づきます。そして二人で蝶の羽に
乗って飛んでいくことになります。
(蝶は霊界の使者ともいわれていて、
霊のシンボルの象徴です。
サビアンシンボルにも、いくつか
出てきます。)
その女性の言葉と、連れられていった
さらなる高次元の世界についてまた
引用させていただきます。
そしてまたそれについての考察も
加えさせていただきます。
「」内が引用で、その中の~から
~までは、中略という意味です。

  ~以下引用~

「メッセージは三つの部分で構成され
ていた。それを地上の言葉で言い換えれば、
このようになる。

「あなたは永遠に愛されています」
「恐れるようなことは何もありません」
「あなたのすることには、ひとつも間違い
はありません。」
それを聞き、たとえようのない安心感が嵐
のように渦を巻いて押し寄せてきた。
生まれ落ちたときから取り組み続けていた
よくわからないゲームのルールを、初めて
教えてもらえたかのようだった。
 
「ここでいろいろなことを見せてあげ
ましょう。」
言葉を使わず、まっすぐに概念の本質を
伝えるやり方でその人は言った。
「いずれは帰ってもらいますけれど」
それについて、私の疑問はひとつだった。
どこへ帰るというのか?
これを書いているのがどのような人間で
あるのかを、思い出していただきたい。
私は、情緒的な感傷家タイプではない。
死がどういうものかを知っている。~
~物理学の専門家ではないものの、多少
の知識は持ち合わせている。妄想と
現実の違いはわきまえているつもりだ。
そんな私があいまいな輪郭しか描けずに
なんとかしてお伝えしようとしている
この話は、自分の知る限りもっとも
確かな正真正銘の現実であることを
承知しているのである。」

    ~引用終了~

冷静な医師であり、科学者でもあったエベン
さんが、この臨死状態での体験を正真正銘の
現実だといっているのだから、これは
疑うようなものではないという事が、特に
説得力を持ちます。
さて天界で出会った天使のような女性が言う
ような愛あふれる言葉は、地獄にいるような
意識には、もちろん聞こえませんし、その
ような意識に対してかけられる言葉でも
ありません。これは天界に辿り着いたエベン
さんだからこそかけられた言葉だという事
です。
愛の存在である女性が、邪悪な心で人を
傷つける行為をするものに対していう言葉
では決してないというのは、よくわかって
いただけるはずですよね?
そんなものが永遠に愛されたら、この世は
愛されるべき人が、愛のない行為でいくら
でも悲しむことになるのを認めてしまうと
いう矛盾した事になるからです。
つまり心を失ったものは、この「天界」
のようなところに来ることはないし、
上のような言葉をかけられる事もないの
です。
このことについては
臨死体験者の言葉その11が参考になります。
そして女性に導かれてエベンさんは、
さらなる高次元の世界へ移行することに
なります。

  ~以下引用~

「雲の上-上空のはるかな高みでは、
キラキラ輝く透明の光の球が、弓なりに
弧を描いて、空を横切りながら飛び交って
いた。
~上空からは、聖歌のように荘厳な大音響
が響きわたってきた。
これはあの宙を飛ぶ存在たちが、奏でて
いる音なのだろうか。その時は不思議に
思ったが、後日それを考えていたとき、
あれはあの存在たちの喜びの表現だったの
だと気がついた。
舞い飛ぶ存在たちの歓喜が溢れこぼれる
ほどに大きく、ああして「音楽にせずには
いられない」ほどのものだったのだ。
音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。
 そこでは見えるものと聞こえるものに
区別がなかった。上空で銀色にきらめいて
いる存在の美しさを「聞き取る」ことも、
その輝く存在たちがうたいあげている
喜びの炸裂を「見て取る」ことも
できた。
その世界では、なにか神秘的なかたちで
自分自身がその中に溶け込んでしまわない
限り、何も見えず、何も聞こえないように
思われた。
現在の視点に立って考えれば、あの世界
ではどんなものであれ、「対象を見る」
ことはできなかったのだろう。そこには
格助詞の「を」が表す分離の概念が
存在していなかったからである。
   
  ~引用終了~
 
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

さらに高次元の世界では、エベンさんの
五感がすでに肉体に意識がある時の
状態とは、全く異なる次元に移行して
いるのがわかります。
表現が、まるで禅問答のようにわかり
にくいのは、いかに高次元の世界を、
私たち日常の意識にいるものたちに
伝えるのが、難しいかを示しています。
鍵となるのは、見えるものと聞こえるもの
に区別がなかったというところです。
つまり高次元の意識では、五感という
区別はなく、全て一体の感覚として体験
できるという事です。
やはりここでも歓喜の聖歌のような
大音響が響きわたっていたという事ですが
高次元の世界では、やはりあらゆる場面
で美しい音楽を体験するようです。
もちろん肉体に意識がある状態での私たち
が耳にする音楽とはレベルが違うものの
ようですが、またヒントになるような表現
もしておられますね。
「音は触れることができそうなほど、
ほとんど固形のようで、肌に感じられる
のに濡れない雨のようだった。」
とあるのは、もちろん視覚・聴覚・触覚が
一体になったような、高次元の意識なら
ではの感覚ですが、翻訳すると音楽は
確かな存在感があって、しかもしっとり
とした音のシャワーを浴びているような
感覚というものでしょう。
ここで、みなさんの右脳に働きかけたい
と思います。
音楽にもレベルがあるという事を、五感
にはレベルがありますシリーズの記事で
説明したと思いますが、リズム感と
音色、旋律の感覚でいえば、旋律が最も
レベルが高いという事でしたが、今回は
また別の音楽の見方でのレベルです。
ドライな音楽とウェットな音楽という
レベルの分け方です。
これは右脳の感性が働く方でないと
イマイチわかりにくいかと思いますが、
ドライつまり「乾いた」音楽というもの
は、心の琴線に響かないような音楽と
いう事です。つまり情緒に訴えかける
ようなものでなく、単に「音が鳴って
いる」という感覚に近いものですね。
どんな音楽があてはまるかは、個人に
よって変わりますので、みなさんの
感覚におまかせします。
逆にウエットつまりこの時のような
「濡れる」ような「湿った」ような
水を連想させる音楽というものは、
心の琴線に響くような音楽という事
です。
この高次元の世界でエベンさんが聴いた
音楽というのは、雨のような「ウェット」
な音楽という事で、心の琴線に触れる
ようなものだったということが、
いいたかったわけです。
おそらくこれを読んでいただいている
ような方たちにはわかっていただける
と思って、右脳に直接働きかけるような
説明をさせていただきました。
つまり高次元の意識で聴く「ウェット」
な音楽は、やはり私たちが聴く音楽の
レベルにもあてはめることができる
という事です。

さて対象を見ることができないのに上空
に神秘的なものが存在したりすると認識
するというのは、またしても、矛盾して
いるように思えますが、実はこの上方に
高次元の世界があるという感覚は、
ふだん肉体のあるうちから私たちが
ほとんど無自覚に体験しているもの
なのです。
臨死体験の意識になったからといって、
日常の意識とは別の存在になったのでは
なく、意識のレベルが変わっただけだ
という事なのです。
どういうことなのかといいますと、
それは私たちが肉体のある状態で高次元
の意識にアクセス(または移行)する時に
チャクラというゲートを通すことになり
ます。
心臓のあるあたりのハートチャクラを
中心として高次のレベルにアクセスする
ために、眉間のチャクラ、また頭頂の
チャクラと連携する事が肝要なのですが、
それが「上方に高い意識レベルがある」
という感覚につながっているという事
なのです。
7つないし12のチャクラがあると
されていますが、12のチャクラの場合
肉体の頭より、離れて上空にさらに
高いチャクラがあるというようにも
言われています。
となるとますます高い場所に高次元の
世界があるような感覚になるわけですね。
つまりエベンさんは、肉体に意識がある時
に無自覚に得ていた、高次元への感覚を
この臨死体験領域に持ち込んでいた
という事になります。
また眉間のチャクラと頭頂のチャクラの
中心となる位置には、松果体があるので、
「魂の座」と呼ばれ、高い意識とつながる
といわれている松果体は、やはりチャクラ
と密接につながっている器官という事が
わかります。

さて次回はさらに高いレベルの世界に
いくエベンさんの様子をご紹介します。
とにかく一週間も昏睡状態が続いていた
エベンさんの臨死体験は長いのです。
ですが、だからこそ私たちのヒントに
なるようなことがたくさん得られると
いう事でもあります。
ではまた(^^)/

そうそう今回の記事にあった霊的な蝶の
シンボルのイラスト最近アップしたばかり
ですが、気に入ってるので載せて
おきますね(^^)/
一応今回エベンさんが出会った女性と
ともに蝶に乗っているのでそのつながり
ということです。

ではまた(^^)/

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現世(うつしよ)とは、天界の鏡の世界だった!? エベンさんの証言その3


臨死体験者たちの多くが、天界のような
場所を訪れたという証言をしているのは、
実は、私たちの本来の世界に回帰した
という事なのです。
今回の記事にもありますが、エベンさん
が、まるで懐かしい場所に戻ってきた
ような感覚を覚えると語ったのは、それが
本来の居場所で、そこに戻ってきたと
いう事を示しているわけです。
そして私たちが経験している、ネガティブ
エネルギーが恒常的に生み出されるような
現実世界は、その本来の世界を粗悪な形
でコピーしただけのものというのが、
真実なのですが、そのコピーこそ、
月や土星によるマトリックスというもの
なのです。
元記事では、このコピーの世界について
別記事で説明すると書いてますが、
今回はその記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
も合わせて
投稿しておきますのでご覧くださいね。

ただし今回の記事で誤解されやすいのが、
私が、その天界にいく事を進めて、
人生を放棄するように促しているように
思われてしまう事です。
全然そういう事ではないのです、
そうではなくて、私たちの本来の場所
を意識できるようになれば、肉体が
生み出しているネガティブな偽の意識に
囚われずに、この人生で、その天界の
意識を投影していき、幸福な人生に
変えていけるという事を、説明しようと
しているわけなのです。

前回エベン・アレクサンダーさんが
臨死体験の最初のステージである地獄
のような場所から、見たこともない
ような光や聴いた事もない音楽に
導かれて脱出できたというところまで
ご紹介しました。
別世界に導かれてエベンさんがみた
ものは、何だったのか。
今回はその事について、またエベンさん
の著書から引用させていただきながら、
考察を加えていきたいと思います。
「」内が引用です。

    ~以下引用抜粋~
「まぶしく輝き、活気に満ちて、うっとり
させられる。目が眩むような・・・どれほど
形容詞を連ねてみても、その情景と感動は
表現しきれない。~
~下には田園風景が広がっていた。青々と
したみずみずしい緑の・・・地面。
地面ではあったが、同時にそれは地面では
なかった。~
~未知の場所、それとも忘れていたはずの
場所なのだが、見回すと妙に心惹かれる
ものがある。深い部分のどこかが、いまでも
そこを忘れておらず、戻ってきたことを
喜んでいる。そんな場所だった。
 私は木や野原、小川や滝を見おろしながら
飛んでいた。あちこちに人の姿も見えた。
楽しそうに遊んでいる子供たちの姿も
あった。
みんなで輪になって歌い、踊っている。
犬がその足元で嬉しそうに跳ね回っている。
人々は質素だが優美な服をまとい、服は
周囲の緑や花々の潤いを映し出す色合いを
していた。
 ただ美しい、夢のような世界・・・」

    ~引用終了~
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

この夢のような天界のような世界を、エベン
さんは、「戻ってきたような世界」として
認識しているところに注目していただきたい
のです。
つまりは、この高次元の世界が、本来
の我々の世界なのです。実は、私たちが、
今生で体験している人生としての現実は、
この本来の世界の「BAD COPY」
つまり、本物にみせかけた偽の現実だと
いう事なのです。この事は、古来からの
伝説にもありますが、それか今回
同時に投稿させていただいた記事
古代グノーシス派の思想          
創られた物質宇宙
に書かれて
いるという事なのです。

さて本来の世界は、このように愛する人
たちと、美しい自然のなかで、歌ったり、
踊ったりしている天界のような風景で
あり、これが我々のいるべき世界だという
事なのです。
ここで、振り返って、生きている間の夢
やイメージと比べれば、どれだけの
意識レベルかを測る目安にもなるのです。
たとえば、普段から「お金」「名声」
「地位」「称賛」「贅沢な生活」「豪華な
住まい」「快楽を求めるのみの性欲」
「宝石や高価な物」などをイメージするか
、「美しい自然」「美しい音楽」
「愛する人」「愛する人たちと喜びや
楽しみ、笑いなどを分かち合うこと」
「情のかようあたたかい生活」「友情」
「仲間との絆」「生きがいや、やりがい
に対する情熱」などをイメージするかで
肉体を離れたあとに、どれだけ高次元に
いけるかも変わってくるという事です。
まあ具体的でなくとも、愛があり、美しい
ものや楽しい事や、分かち合うことが望み
につながっているのなら、やはり天界に
いける可能性は高いという事です。
ただ先にあげた方の意識でも、邪悪な心、
冷たい心でなければ、それほどひどい
次元にいくことはないと思われます。

次回は、エベンさんがやがて天界での
導き手のような美しい女性に出会う
ところからまたご紹介していきたいと
思います。
では(^_^)

ではまた(^^)/

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かつて世界最高の理想社会は江戸時代の日本だった!?


最近では、いろんな情報が出回る
ようになって、真実の歴史、マスコミ
や教育などの誘導にひっかからない人
たちが、かなり増えてきたと思います。
そういう方は、とても柔軟な感性を
お持ちなので、常識からすれば、一見
変わっているように思える私の記事も
読んでいただける方が増えて大変
うれしく思っています。

これまでの記事でも、日本民族が優秀な
ゆえに世界の支配層にターゲットにされて
きたという事を再三説明してきましたが、
そのような見方ができる人も、今では
かなり多いと思います。

かつて、欧米の世界戦略に真っ向から
対抗できたのが、唯一戦国時代の日本
であったという事も、彼らの日本に
対する嫌悪感を強くしたものでしょう。
しかし、本当の狙いはそこではなかった
のです。
最近でも世界の支配層や各国の政治家が
「新世界秩序」(ニューワールド・
オーダー)という世界の、体制づくりを
声高に提唱しているのを、ご存知の人も
多いでしょう。
これは簡単にいえば、一番上の支配層に
よる、全世界の人々の完全管理社会を
実現させようという事です。
詳しい事は、みなさんで調べてください
ね。
つまりは超完全な縦社会の実現の実現
が、彼らの狙いだという事です。

それに対して、日本民族は、かつて
聖徳太子が掲げたスローガンにも
あったように「和をもって尊しなす」
という言葉を、常に心に抱いて歴史を
創ってきた民族です。つまり完全な
「横社会」を理想とする民族だと
いう事です。そしてまたその理想の
社会が、江戸時代の日本でもあったの
です。

その事をとてもわかりやすく書いて
おられる池田整治氏の著書から
引用させて、いただきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「そもそもなぜ彼らは、そこまでして
日本を叩こうとするのだろうか?
そう純粋に疑問に思われる方も少なく
ないと思う。
それは日本民族が、エゴに基づく戦争
と殺伐とした競争社会とは反対に位置
する、宇宙の摂理である自然との
一体感・共生の心豊かな文明を築く
可能性があるからである。
 というよりもかつて日本民族のみが
「江戸」という、二六〇年ほどの間、
一切戦争のない
「人情味豊かで高度な社会」を世界史上
初めて体現していたからだ。さらに
その奥をたどれば、和をもって尊しと
なすを貴重とする「ヤマト」があり、
その源には一万年も戦いがなく、自然
と一体化して生きていた世界唯一の土の
文化「縄文」が存在する。
 戦争が人類の進化に貢献したという
視点は、「彼ら」の学術上のマインド
コントロールに過ぎない。では、
戦争ばかり繰り返していた欧州や
中国大陸で、本当に文化・文明が
継続進化しただろうか?T~

欧州の歴史も、武力による国境線変更
の歴史であり、豊かな生活を享受できた
のは王族や貴族のみで、民衆は日本の
レベルから見れば、「農奴・囚人」の
域を出なかった。もっともオスマン帝国
が衰退するまでは、欧州は貧しく、白人
が奴隷にされていたという事実さえ、
日本人の多くが知らないかも知れない。

(引用注:これが、中東の民族どうしの
争いをけしかけるように、両方の勢力に
あます事なく武器を提供し、また中東を
とことん、戦争漬けに誘導してきた、
支配層のモチベーションなのでしょうね)

国家を見ても同じことが言える。
中国四千年の歴史という「虚構=嘘」の
実態は、度重なる異民族による侵略・
略奪・支配の歴史であり、そこでは
人間的文化が断裂しており、人間性
豊かな社会を育む余地はなかった。~

二〇一〇年秋、『実話 病父を訪ねて
三百里』(新日本文芸協会刊、
橋本留美著)という本が出版された。
 
 江戸時代、亡き妻の供養のために
親鸞聖人の足跡をたどるお寺参りの
旅に出たまま、七年間行方不明と
なっていた父が、常陸(茨城)のお寺
で病床に伏していることを知った
二人の若い姉妹が、豊後(大分)から
迎えに行き、無事、三人で帰郷した
という感動の実話である。
 資料もしっかり、残っており、
「豊後国の二孝女物語」として昔から
伝えられていたものを、橋本さんが
江戸の人情を伝える物語として改めて
世に出した。
 貧農の娘二人が、徒歩で片道一二〇〇
キロメートルを歩いただけでも信じられ
ない。時代劇ではつきものの野盗などに
殺される可能性も高い。それに関所を
通るだけでも、かなりの難事だった時代
である。~

 しかし、娘たちの父親を思う心に行く
先々の人々が心を打たれ、家に泊めたり等
でき得る限りの「もてなし」をする。感動
した武士が、わざわざ向かう先の藩に手紙
を書き、便宜を図る。厳しい検査で鬼より
怖いと伝えられている箱根の関所の役人が
、聴聞するうちに涙を流して感動し、
それからの旅の安全に手を尽くすのだ。
 病床に伏している常陸のお寺の町の人々
の「おもてなし」も感動ものである。
貧しい農家の人々も、当時はお金そのもの
だった「米びつ」を空にしてまで支援する。
医者たちも無料で施療する。父の病状が
回復し、いよいよ豊後に親子三人で帰る
という時には、最下層の貧農階級の人で
さえ達筆の和歌をプレゼントする。

 ちなみに当時の欧州はと言えば、農民
はまさに藁葺きの中で雑魚寝し、文字を
読む事も書く事もできない「農奴」
だった。他の地域はその欧州列強に
四〇〇年にわたって植民地化され、
もっとひどい非人間的社会だった。
日本は世界で唯一、自然と一体化し、
人間性豊かな先進国家だったのだ。
 この事実は私たちが想像する以上に
思い。」

“出典:「マインドコントロール2」
         池田整治 著
         ビジネス社刊”

なるほど、以前の記事でも取り上げた
明治時代直前の江戸時代の日本では
識字率が90%ほどで、欧州では
都市部でも一割に満たないくらい
だったという事もこの事でわかり
ますね。

もちろん野蛮な人もいなかった
わけではないだろうけど、江戸時代
日本は、世界で他にみられないほどの
人情味あふれる社会を実現していた
という事ですね。

実は、江戸時代の日本をかつて、
欧米人はお手本としていたという事
なのです。その事も次回取り上げ
ますが、文化レベルにおいても、
江戸時代が世界最高レベルであった
ことを裏付ける事例はいくらでも
あるので、またどんどん記事で取り
上げていこうと思います。

今回よくよくわかったのは、日本は
世界でも類例のないほど戦争の
ほとんどない国だったという事です。
そして詳細にみれば、明治維新で
欧米が日本にもたらしてくれたもの
は、文明というよりは、近代兵器で
あって、この分野なら確かに戦争
ばかりしてきた彼らが、世界一と
位置づけるレベルのテクノロジーを
有していたからなのでしょう。

事実戦国時代でも火縄銃の伝来が
最も当時の日本人にとって衝撃的
だったという事です。

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塩水は輸血より効果的!?その3 あまりに明らかな輸血の危険性


この記事は、
塩水は輸血より効果的!?    
その真相と理由とは?


歴史から消された偉大な医者 
それはルネ・カントンです
という記事の続編にあたります。

つまり前回のカントンについての記事は、
タイトルにしてませんが
塩水は輸血より効果的!?その2
という事ですね。

ようやく輸血の危険性についてお話し
します。
ただこれまでの記事で、塩水や海水が
身体にとってとても良いもので、輸血
が必要なものではないという事は、
よくわかっていただいたと思いますが、
今回の輸血の危険性の記事を読んで
いただければ、必要がないどころか、
輸血を受けては絶対にいけないという
気持ちになっていただけると思います。

さてでは具体的にどのような危険がある
のか、船瀬俊介氏の著書から引用させて
いただきましょう。まずは輸血をする事
によって拒否反応が起こる事から
発症する輸血ショック症状(GVHD)
についての部分からです。

『』内が引用で、~が中略になります。

『この症状を知る医者は少ない。それは
輸血ショック症状、正式には
「移植片対宿主反応」(GVHD)と
呼ばれる。
「治療として輸血、血液製剤投与や
骨髄移植などが行われたときに発症する」
その発症メカニズムはー
「輸血した血のなかのリンパ球が増殖
して、患者(宿主)のリンパ球や
細胞内皮系(免疫系細胞)を攻撃した
ときに起こる症状。発症すると100%
助からない」(医学専門書)
 つまり、「移植片のリンパ球が生き
続けると、このリンパ球は、移植を
受けた人を『非自己』とみて排除しよう
とする。こうして宿主(患者)の血液に
入った移植片のリンパ球が増殖し、全身
にまわると、宿主の組織は主要組織適合抗原
という目印がついているので、これを攻撃し、
いろいろな症状が起こってくる」
(『家庭の医学大事典』)

(引用注:なんと、輸血のために注入
された血液は、輸血を受けた人の血液を
非自己とみなして攻撃するという
のです。これは、全く一般の人が知ら
ない盲点でしょう。)

 その症状はー「輸血や骨髄移植後、
しばらくすると、皮ふの表面全体に
赤い斑点があらわれ、高熱が出る。
下痢、肝臓障害が続発。うらゆる血球
が減少し、貧血により衰弱。それだけ
でなく感染症や出血がおこりやすく
なる」「約1ヶ月後には、多くの臓器
が破壊され(多臓器不全)で死亡する。」
(同書より要訳)。
 恐ろしいのは「有効な治療法がない」
ということ。内海聡医師(内科医)は、
証言する。~

輸血には、このような致命的副作用が
隠されている。血液型が同じでも
起こり得る。しかし、このGVHDを
全く知らない医者も多い。恐ろしい
話だ。

(こんな致命的な症状を輸血が起こす
という症状を、専門的な知識を持つ
医者達が知らないはずはないと、
思われている方が多いと思いますが、
意外に医者は、薬や治療法について
の危険性について、知らない事も
多いのです。盲目に信じたい気持ちは
わかりますが、お金儲けが優先の
社会で裕福な家に生まれて、エリート
コースを歩んできた人たちに、患者の
命や健康を扱う事の尊さと責任感が
時代を経る毎に悪化してきているのは
まぎれもない事実です。
抗がん剤は、危険だと知っている
医者たちが、患者にはほぼ、100%
確実に使用させるのに、その医者たちの
ほぼ100%は、それを自分や自分の
家族には使用しないという統計が出る
のも、どれほどの責任感を持っている
かよくわかる事実でしょう。)

このGVHD症状を具体的に見て
ほしい。
「あらゆる血球が減少」とある。
これは、いわゆる「貧血」症状だ。
輸血したのに、血球が減って「貧血
になる!医者はさらに焦って輸血
する。すると・・・また「貧血」は
悪化する・・・さらに輸血。
恐ろしい悪循環だ。
 輸血がさらに致命的症状を悪化させる。
「何がなんだかわからない」
医者はパニックになる。患者は地獄の
苦しみへ突き落とされる。さらに
GVHD症状に「出血がおこりやすく
なる」とある。
あらゆる血球ー赤血球、白血球、血小板
などが激減する
だから出血が加速される。』

“出典:「日本の真相!」
           船瀬俊介著
           成甲書房刊”

なんという恐ろしい事でしょうか。
一般の人は、出血したら当然輸血する
ものだと信じて生きてこられたはず
です。医者は、輸血によって死亡した
などとは、一切診断書に書かないし、
統計でも表れず、公表される事も
ないからですが、この事実を知らない
という事は、まさに人々にとって
致命的といえるでしょう。

もちろんマスコミも、実は医療業界に
とってマイナスとなるような事は、
タブーとされているので、ほとんど
報道されません。もちろん、一般の人に
多く知られてしまった場合は、しぶしぶ
報道したりしますが、それは、マスコミ
を信用させるために、人々を引き続き
欺いておくためです。
だから、今でもテレビなどでは、
抗がん剤の危険性などを取り上げる
事もほとんどないのです。

抗がん剤も輸血もとても儲かるもの
だからなのです。

しかも輸血によるこの致命的なGVHD
というショック症状は、とても高確率で
起こるもので、しかも助かる事はほぼ
皆無だという事です。

1873年のポーランドの医師が、暴露
したのが、「輸血された人の半数以上が
死亡している」という衝撃的なもの
でした。

このような危険性を知らずに輸血する
医者が多いというのが、現代の
医療業界の致命的な実態なのです。

実はABO式の血液型というのは、
この場合役に立たず、実際には人の血液
は、人によって全て違うものだそうです。
つまり、どの人の血液であろうと他人の
血液に注入されれば、その他人の血液を
「非自己」として、その人の血液に
とって最重要なリンパ球や免疫細胞を
攻撃して、どんどん身体を危険な状態
にしていくという事なのです。
そして最終的に臓器不全に至るという
事は、人は自分特有の血液が、生命線
であるという事も示しているのです。
その大事な血液を、他人からの輸血で
補おうとしたら、危険な状態にして
さらに出血もひどくなり、健全な
自分の血液がどんどん奪われていく
というのが事実だったという事なの
です。
もちろんこのGVHDは、起こらない
ケースもありますが、かなりの確率で
起こるようでもあります。つまり輸血
は、確実な死にいたるケースが、かなり
の確率であるという事です。
逆に、塩水を補填するだけで、自分の
血液は短時間で回復するというの
だから、これを知れば、もはや輸血を
受ける必要はないという事がわかって
いただけるでしょう。
つまり「輸血同意書」にサインをして
はいけないという事です。

さて輸血の危険性は、このGVHD
以外にもまだまだあるようなので、
次回はその事を記事にしていこうと
思います。

ではまた(^^)

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臨死体験が脳の錯覚でない証拠! 臨死共有体験とは?

なおみん

こないだ臨死体験以外の話も
聴きたいっていったけど、やっぱ
少し気になるのよねー。

あんみん

なんだ結局臨死体験の話
聴きたいんだな

なおみん

でも私がちゃんと、わかるように
説明して欲しいわけよ。臨死体験
が、本人さんの「脳」の錯覚じゃ
ないってさあ

あんみん

ははーん、なるほどー、本人だけ
が言ってる事だから、信用しにくい
という事だな。

なおみん

そうそう、そこよー。

あんみん

なら話が早いな。今回はなんと
本人さん以外の人、しかも健康な
人が、亡くなるか亡くなりそうな
人とともに、臨死体験をしてしまう
という実例を紹介しよう。

なおみん

えーーそんなのあるんだったら先に
いってよー。
それは楽しみだわ、是非聴かせて

あんみん

ではこれだよん

今回は、臨死共有体験について
お話したいと思います。
臨死体験について、懐疑派や否定派
と呼ばれる人々は、とにかく臨死状態
にある人の脳内現象または脳内の幻覚
だと断定してゆずりません。
ところが、近年エヴェン・アレキサン
ダーという科学者が、自分の脳波が完全
に停止していた間に、ずっと臨死体験を
していた事が明らかになって、懐疑派も
ずいぶんとおとなしくなってはいます。
また臨死体験中に肉体を離れていなければ
わからない場所にいた人々の話した事とか、
自分の臨死体験中の病室以外での場所で
起こっていた事の詳細を、臨死体験者が
証言で話したことが、現場にいた人たちの
確認で裏付けられたりもしているので、
どう考えても脳内の幻覚ではない証拠が
たくさんあります。
またさらに懐疑派や否定派にとどめをさす
ような実例があります。
臨死共有体験というもので、それについて
臨死体験の研究者として、世界の第一人者
であるレイモンド・ムーディー氏の言葉を
著書から引用させていただきます。

”「臨死共有体験は、体験自体は臨死体験
に似ていますが、それは死に瀕していない
人々に起こるものです。
たとえば、臨終の床に付き添っている健康
な人々などに起こります。
あるいは、離れたところにいる親しい
人に起こる場合もあります。
また複数の人々に同時に起こることも
あります。
その体験の内容は、死にゆく人の臨死体験
に共通しているものが多くあります。」”
”出典:「生きる/死ぬ その境界は
なかった」レイモンド・ムーディ
ポール・ペリー共著
矢作直樹 堀 天作訳
ヒカルランド刊  以下引用箇所
出典元同じ”
これだと、もはや臨死体験者自身の脳内の
幻覚などと否定することは全く不可能
ですね。これで、実証的なアプローチから
でも、臨死体験が真実の証言であることの
裏付けが取れたことになります。
ただそもそも数千もの証言がほぼ共通した
性質を持つものであるなら、もはやその時点
で疑いようがないと思いますけどね、本当に
頭の固い人たちは、視野が狭いです。
そしてこの臨死共有体験は、臨死状態に
ある患者が肉体を離れる時に、意識の次元の
移行に伴い、我々の通常の意識と全く違う
状態になると思われますが、そのときに、
そのそばにいた人たちや親しい人たちとの
間にあった物質的な意識の壁が取り払われて
瀕死状態の患者の意識と意識を共有する
ことができてしまうことから起こると
思います。この共有を共感や同調という
言葉で置き換えてもいいでしょう。
つまり肉体を離れれば、レベルにもより
ますが、多くの人と意識を共有できる
ということなのです。

ここで著書にある臨死共有体験の
実例を引用させていただきます。

”「数年前私に起こった出来事を、ここに
事実のみ、そのままの形で書き記したい
と思います。
私は17歳になる娘を失いました。娘は
5年にわたって闘病生活を続け、最後の
8ヶ月間は寝たきりの状態でした。
娘は亡くなるまで、つねに非凡な
知性と、意思を持ち続けました。
娘が亡くなる2週間ほど前の夜の事
でした。
私は、娘の病床の頭部近くに寄り
かかっていました。
娘は何か夢中になっているような表情
をしていたので、私は「何を思って
いるの?」と聞きました。
すると娘は、ペッドを囲むカーテンを
指さして、「ママ、あそこを見て」と
言うのです。
示されたほうをみると、そこに人の形
のようなものが立っているのが見えま
した。背後のカーテンの暗い色とは違い、
全てが白いもので、際だって見えました。
私は霊のことなど全く思ったことのない
人間でしたので、驚愕のあまり目を閉じ、
それ以上見ないようにしました。
娘は私に言いました。「見えるでしょ?」
私は、ふるえる声で「何も見えないわ」と
言いましたが、娘は私の弱さを見透かす
ように言ったのです。

「ああ、ママ、私はこの三日間というもの、
いつも同じ時間に同じものを見ているのよ。
あれは亡きパパだわ。私を迎えに来てくれ
ているの!」
娘はこの15日後に亡くなりました。
しかしあの白いものは、再び私には見えま
せんでした。私が見たあの日、その出現の
強さはきっと頂点に達していたのだと思い
ます。    Z.G(サイン) ”

”出典:「生きる/死ぬ その境界は
なかった」レイモンド・ムーディ
ポール・ペリー共著
矢作直樹 堀 天作訳
ヒカルランド刊 ”

なおみん

おーーなるほどー、これでだいぶ、
納得できたわ。
最初のエヴェンさんの証言で、脳波
がゼロの間にもはっきりと意識が
あったという事を証言されている
からさらに納得ねー

あんみん

おー良かったー。
まずは臨死体験が、本来の自分の実体
である意識に回帰するという事だ
というのがが、わかってもらえた
だけで、今回はいいととしよう。

なおみん

なになにまだあるのー?

あんみん

そうそう臨死体験から、俺たちが学べる
事はたくさんあってね。
数々の臨死体験や臨死共有体験には、
共通点があるんだ。

なおみん

つまりは、それをいちいち教えてくれる
わけね。

あんみん

なんだかいちいちというのが、
ひっかかるけど、いやなら
いーんだよ。

なおみん

いやいや、教えてくださーい

あんみん

じゃ次回という事で。

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臨死体験と音楽と意識レベルというもの   エベンさんの証言その2


前回からエベン・アレグザンダーさんの
臨死体験をご紹介していますが、今回
はその第二弾という事になります。
アニータさんが、絶対意識領域という
とてつもないレベルに達していたのに
対して、このエベン・アレグザンダーさん
の臨死体験が、それよりかなり低い
レベルの臨死体験になっていた事を
証明するように、エベンさんの臨死体験
での最初のステージが地獄のような場所
になっていたということです。
今回もエベンさんの著書からの引用と
それについての私の考察という形で
進めていきたいと思います。
「」内がエベンさんの著書からの引用に
なります。

まずは地獄のような場所にいる時のエベン
さんの意識の状態からです。

   ~以下引用~
「その状態しか知らずにいて、それを
気にすることができただろうか。生きられ
るかどうかについて、それに近い観念を
抱いたことは覚えているが、生きるに
しても、死ぬにしても、どちらでも
かまわなかった。
   (中略)
自分のいる場所を支配している原理に
ついても、なんの手がかりもなかった。
しかし別に知りたいとも思わなかった。
それがそんなに大切なことだっただろうか。」
   ~引用終了~

これはエベンさんが、充実していたそれまで
の人生とは全く別の意識になったというわけ
ではなく、エベンさんの潜在意識のそのまま
の状態の一部なのです。
臨死体験になっていても、それまでの意識と
別の存在になったのではなく、意識として
の別の状態になっているというだけなの
です。
ではなぜ、充実した人生を送っていたエベン
さんの潜在意識が、最初にこのような地獄
のような世界に移行してしまったのか?
それは、彼が左脳に囚われた物質世界に
どっぷり浸かった潜在意識だったからなの
です。物質的にも豊かで、世間の感覚でみて
も恵まれた人生で、しかも自分も家族思い
で、仕事にもやりがいを持っていたエベン
さんでさえ、物質世界に囚われた潜在意識の
世界は、これほどまでに荒廃したものだった
というわけなのです。
さて日本人の多くの人の潜在意識の状態を
考えてもみてください、エベンさんよりも
ひどい状態の人がやたら多いではない
ですか。
たとえどんなに物質的で豊かで、人生で
順調に生きているように見えても、物質世界
に囚われて、無感情、無気力、無関心で
生きている人があまりにも多いのを感じます。
もちろんそうでない人も多いですが、日本の
方が間違っているなと感じるのは「感情的」
になる事全てがいけないように捉えたり、
言ったりしている人が多いという事です。
確かに、怒りや憎しみ、いらだちや嫉妬、
憂鬱、焦り、また自分をコントロール
できないような感情に囚われている時
などは、もちろんだめです、このような
時、感情的になってはいけないのは、
よくわかりますが、豊かな愛情、感動、
喜び、楽しみ、共感、充実感、良い意味
での情熱などのポジティブな感情は、
当然高めるほど良いので、つまりは
「感情的」になって良いわけです。
このように柔軟な感性で、言葉を捉え
ないと、、意識レベルにとっては大きな
マイナスなのです。
むしろ無感情の方が冷酷さにつながり、
とても意識レベルの低い状態に陥ると
いう事を、もう一度わかっていただき
たいと思います。
だから他人に対しての感情があまりにも
冷たい人が多くなって来ているのが、
現在の日本人だと思います。
サイコパスは、その最たるものです。
つまり肉体を離れれば、このエベンさの
ような状態よりもひどい状態になる可能性
が高いというわけです。
特に冷酷陰惨ないじめやパワハラなどは
間違いなく、さらにひどいものになる
でしょう。
そしてあまりにも人生でその意識が強ければ
、なかなかそのようなレベルから抜け出せ
ないような状態に死後になる可能性が高いと
いう事です。
もちろん感情が豊かで、愛情も豊かである
ような心の持ち主であれば、ほぼ大丈夫
です。このような地獄の世界にいく事は
ないでしょう。ただし、それでも物質世界
に囚われているとあまり高い意識レベルの
領域にはいけないのです。
臨死体験者の報告で肉体を離れた意識が、
至福になったという証言が多いのは、
臨死体験から戻ってこれるというような
人達の意識レベルが、高かったからという
ことでもあるのです。

エベンさんは、少なくとも「冷酷」
「無気力」「無関心」「無感情」のような
意識ではありませんでしたので、やはり
地獄から抜け出せる事になります。
エベンさんが泥の中の地獄のような世界
から引き上げられて、天界のような場所に
導かれる様子が以下のものになります。
~が入ると中略という事です

   ~以下引用抜粋~

「自分が何であれ、ここにいるわけには
いかない。ここを出ていかなくてはなら
ない。
出るといっても、どこへ?
その時だった、それを自問していると、
上方の暗がりから何かの姿が現れた。
冷たさのない、暗さとも死とも無縁の、
それらの正反対を表すもの。私が一生を
かけて説明しても、こちらへ近づいてきた
存在の美しさを表現することはかなわない
だろう。
 だが、それを試みてみよう。~
~闇の中から何かの姿が現れた。ゆったりと
回転しながら、金色がかった絹糸のような
白い糸を燦々と放射している。
光に照らし出され、周りの闇が崩壊し
始めた。
初めて聞く旋律も聞こえてきた。それは
「生きた」音色だった。どんな音楽も
かなわないほど豊かで美しい、妙なる
調べ。純白にきらめく光が下へ降りて
くるにつれて、しらべはいっそう強くなり
、永劫にわたって聞き続けた気がするあの
単調で無機質な音がかき消されていった。
光はぐんぐんこちらへ迫ってくる。~
~やがて光の真ん中に、別の何かが出現
してきた。~
~そのことに気づいたとたんに私は上昇し
始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと
音を立てて開口部をくぐり抜けると、見た
こともない別世界が広がっていた」
    
    ~引用終了~
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

これは、泥のような世界から天界のような
高次元へ導かれる様子を描写してくれて
います。
エベンさんは、やはり家族思いのいい人で
仕事にやりがいを持った向上心のあるような
好人物だったので、表面的な左脳の地獄の
世界を見事に突破することができたのです。
私たちが、結果でなくいかに生きるかが、
とても大切だと実感させられますね。
この光による導きは、よく臨死体験者の
多くの人が口にする「光のトンネル」と
ほぼ同じものだといっていいと思います。
そして、注目していただきたいのが、音楽
です、宇宙の真理編で、五感のレベルに
ついての記事を書かせていただいてますが、
聴覚が最も五感の中でレベルが高いという
事を説明していますが、この時の聞いた事
もないような音色と、また初めて味わう
ような豊かな旋律が聞こえてきたという
のが、何よりの証拠になると思います。
光とともに導いてくれたのは、この音楽
だという事ですね。
まさに高次元の意識レベルに移行するのに、
音楽が欠かせないことの証拠でもあります。
地獄の中で永劫にわたって聞き続けていた
ような単調で無機質な音がかき消されて
いったという事ですが、他の記事でも説明
していますが、音楽にもレベルがあって、
リズム、音色、旋律に分ければ、リズムが
最も低いレベルです。
だから地獄の世界では単調で無機質な
リズムだけが聞こえていたという事なの
です。
そして最もレベルの高いのは「旋律」なの
です、聴いた事もない豊かで美しい旋律に
導かれて、エベンさんは天界にいくことに
なります。
(もちろん音色も大切です。つまり旋律
に比べればという事ですね。というのも同じ
音色でも、別の音階の波動が共鳴しあうのが
旋律なので、その分意識にとって豊かな
状態に導かれるというわけです)

ではまた(^^)/

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臨死体験にも意識のレベルがある!? エベン氏の証言その1


すでにこの絶対意識編でも取り上げました
アニータさんのように絶対意識レベルに、
到達するような臨死体験をした人は珍しく、
多くの人がそこまで到達していない事が
多いという事を説明しました。というのも
肉体を離れた後も、まだまだ意識には
囚われているレベルというものがあって、
個人差があるという事なのです。もちろん
肉体を離れた意識がレベルアップして
いけば、最終的には絶対意識に到達する
ので、単に意識の過程であるに過ぎま
せんが、意識のレベルには個人差が
あるという事です。
そしてアニータさんの到達した意識レベルと
比較検討するのに適した人の臨死体験として
エベン・アレグザンダー氏(記事では単に
エベンさんと省略したりしています。)の
実例が適当だと判断して紹介していっている
わけです。タイトルだけ変えて、再投稿
させていただきます。

 

今回からは、アニータさんのように自らの
臨死体験を詳しく著書にまとめられている
エベンアレグザンダーさんを取り上げて
いこうと思います。
こちらは、最先端医学博士でありながら、
脳神経外科医を続けていたという、
社会的にかなり地位のある人物です。
もちろんだから偉いというような事を
いいたいわけではありません。
逆にそのような地位の人の臨死体験が、
アニータさんのような一般的な女性に
比べて、低いレベルにあった事が、興味
深いという事がいいたいのです。
つまり潜在意識の領域では、現実の
世界での格とは全く違う基準になって
いるという事なのです。
一つには、彼が物質的世界での感覚で
ある左脳に偏った世界観を持っていた
という事が大きいのです。
つまりいわゆる右脳型ではありません
でした。
そのため自分自身が体験するまで、医師と
してよく患者たちから、臨死体験の報告
も聞く事があったようですが、意識は
脳からしか生まれないという概念が、
正しいと思い込んでいるアレグザンダー
氏は、そんな患者たちに、「それは脳の
幻覚のようなもの」だとありがたくも?
諭してあげておられたようです。
まあ臨死体験などの証言やプリブラム氏
の研究成果を知っている我々にとっては
遅れた感覚に思えますが、主流の科学界
というのは、今でもその固定概念が、
根強く広く受け入れられてしまっている
のです。
そんなエベンさんが、細菌性髄膜炎という
致命的な脳の重大な危機的疾患に陥り、
脳波が完全停止に停止していたのにも
かかわらず明晰な意識を持ち続けた事を
体験してから、完全に見解を180度
変えて、意識は脳から独立して存在する
と著書で発表するや、全米中で飛ぶ
ように売れ200万部以上の、大ベスト
セラーになってしまったのです。
がちがちの科学者が死後の世界を保証
するという、まさにセンセーショナルな
ふれこみも功を奏したのでしょう。

しかし人物としては、臨死体験以前から
家族思いの仕事に誇りを持っていた
いわゆる我々が尊敬できる「立派で
いい人」だったはずのエベンさんでも、
アニータさんの臨死体験時の意識
レベルと比べると確実に低いものに
なったのです。
それはそれまでの左脳に囚われていた
意識レベルのまま、臨死体験に入った
からなのです。
ではこれからのシリーズは、エベンさん
の臨死体験について著書から引用させて
いただきながら、私の考察を加えていく
といういつものやり方で進めていきます。
今回は長くなりましたので、そのさわり
だけご紹介します。
彼が昏睡状態に入ってから直後の様子
です。
引用抜粋なので、(中略)だらけになる
と読みにくいので、中略の部分の始まり
と終わりを~で記入します。

   ~以下引用抜粋~
“そこは暗い場所だった。闇でありながら、
視界が効く暗がり―泥の中に沈んで
いながら、泥を通してものが見えるような
暗がりだった。それとも汚らしいゼリーの
中と言った方がいいかもしれない。透けて
はいるが、すべてがぼんやりとぼやけて
して閉じ込められている息苦しさを覚えた
。意識もあった。だがそれは、記憶も
自意識も持たない意識だった。
何が起こっているかはわかっているの
だが、それを見ている自分がどこのだれ
なのかわからない。・・・
夢の中のそんな状態に似ていた。~
~私には身体がなかった。肉体の自覚が
ないまま、ただそこにいるだけだった。
その場所をその時点で表現するとすれば、
「始原的」あるいは、「原初的」といった
言葉があてはまっただろう。~
~そのうちにそこにいる時間が長くなって
くると落ち着きが悪くなってきた。最初
のうちは、薄気味悪さと馴染み深さがない
交ぜになった、周囲と自分との間に境界が
ない状態に溶け込んでいたのだが、時間
も境目もないところに深く沈み込んでいる
感覚がそのうちに変化し始めた。こんな
地下世界は自分の居場所などではない、
閉じ込められているのだと感じ始めた。~
~「自分」の意識-じめじめした冷たく
暗い周囲とは、別のものであるという感覚
-が強くなるにしたがい、闇の中から
にゅっと出てくるいろいろな顔がいっそう
気味悪く醜悪になった。遠いかなたから
響いてくるリズミカルな鼓動の音も、
大きく、鮮明になったてきた。~
~周囲にあるものが目に見えるという
より。触知するものになってきた。
うようよとミミズのよう這いずっていく
爬虫類のザラザラした皮、つるつるした
皮膚が触れていくのが感じられた。
~臭いが漂っていることにも気がついた
。血のような、排泄物のような、反吐の
ような臭いだった。「生き物」を思わ
せる生臭さだったが、生き物の命では
なく、生き物の死を連想させられた。
認識がいよいよ研ぎ澄まされてくる
一方で、私はますますパニック寸前
まで追い詰められた。”
“出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”
これが、エベンさんの臨死体験の最初の
ステージです。どうみてもこれは地獄
の一種ですよね。もちろん、霊的な
レベルでの地獄にはいくつもの無限の
種類、無限のレベルがあるとは思います
が、これもやはり地獄だと思ってもいい
でしょう。
注目したいのは、泥の中からさらに醜い
場面に移行した時、気色の悪い触覚、
強烈な嫌悪感をもたらす臭気を彼が
感じたという事です。これはアニータ
さんにも全くなく、多くの至福の状態を
味わった臨死体験者の証言にもほぼ
皆無といっていい感覚だったのです。
つまり意識レベルの高い感覚には、
味覚、嗅覚、触覚はないという事を
示しているのです。これらは特に
肉体があるという前提のもとにある
感覚ですので、臨死体験者のほとんど
が、それを感じなかったと証言して
います。
今宇宙の真理編で、五感のレベルに
ついての記事を書かせていただいて
ますが、五感の中でも味覚や嗅覚、
触覚のレベルは、やはり低いものなの
です。
その低いレベルの感覚で、ひどい状態
に陥っていたのが、エベンさんの臨死
体験の最初のステージでした。
またリズミカルな鼓動の音が聞こ
えるとも言っておられますが、レベル
の低い状態での聴覚や視覚も働いて
いたようです。
この地獄の状態で聞こえてくるのが
リズミカルな鼓動の音というのが、
非常に興味深いのです。

実は音楽の感覚でいえば、このリズム
感が最もレベルが低く、その上に音色の
感覚、最上位にあたるのが、和音と
旋律の調和の感覚なのです。
だから地獄の状態では、メロディー
は聞こえず、リズミカルな音だけが
聞こえてきたという事なのです。
とにかく臨死体験をする前のエベン
さんは、五感の世界に囚われていた
ので、それがこのような世界に来て
しまった事の大きな原因になっている
という事なのてず。
アニータさんの臨死体験とは全く違う
のがよくわかりますよね。
次回は、エベンさんの臨死体験をまた
深くみていく事にします。
では(^^)/

ではまた(^^)/

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