チベット死者の書から読み取れる真理の共通点その1「五感の中で聴覚が最もレベルが高い」


これまで、五感で捉えられない現実
という視点から、真実を探求する
というテーマで、いろいろ記事を
書いてきました。

そして死後の世界を理解するのに
臨死体験や前世記憶、そして
過去生体験の数々のエピソード
からも、いろんなヒントを得てきて
まとめの記事も書いてます。

そして今回チベット死者の書の原典訳本👇

「原典訳 チベット死者の書」
  川崎信定 訳
  ちくま学芸文庫

を読んで、これまで研究で得た知識が
間違っていなかった事を、確認できた
ので、それを一つ一つ記事にして
いこうと思ったわけです。

さてあの超心理学のユングが、座右の
書としていたというこの本について
紹介しているサイトから引用させて
いただきますね。

『』内が引用で、~が中略です。


私達は何処から来て何処に向かうの
でしょうか、死後の世界は
どうなっているのでしょうか、
その答えを出してくれる経典が
「チベット死者の書」なのです。

仏教の教えに精通して瞑想修行に
秀でている者であっても、
死の瞬間から始まる想像を絶する
体験が始まったら、あまりの
壮大な世界に恐れおののき、
日頃の修行成果も忘れて、
本来なら解脱に至れるチャンスも
逃し、人間界に転生する方法も忘れ、
三悪趣と言われる低い世界に堕ちて
しまうことがあるのです。

死者の書の由来

チベット密教の祖師である
パドマサンバヴァ(8世紀)が
霊的な啓示を受けて書き出した
「チベット死者の書」は正しくは
「深遠なるみ教え、寂静尊と
憤怒尊を瞑想することによる
おのずからの解脱」と言い、
弟子のイェシェツォギェルに
よってガムボタル山に
埋蔵したとされる「埋蔵経」
です。

埋蔵経とは末法の世になって
仏法が滅びても、仏法が必要な
時代になれば発掘されて
世に広まるという経典の
ことです。

現在でも枕経として詠まれる
チベットで死者が出ると今でも
死者の枕元で四十九日の間師僧
であるラマによって毎日詠まれる
チベット死者の書は、実用的な
経典として使われており、
死者を解脱に導く方法、或いは
解脱できなくても良い生まれ
変わりに導くための方法を
説いています。

死者は家族の居る場から離された
別室に安置され、ラマ僧に枕経の
儀式の全てを任せます。

死者は死後に五感である
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を
徐々に失くしてしまいますが、
その中でも耳から聞く聴覚は
死後も機能し続けるとされるので、
死後に枕経を続けるのです。

亡き人は死後も人の声を聞いて
いるということですが、
自分からは声を出せないのです。

家族の泣き叫ぶ姿や声は亡き人の
解脱を妨げますので、静かな部屋で
ラマ僧による儀式は厳粛に
行われます。

“出典:
チベット死者の書-死後の
世界の詳細と解脱、転生法
」”

チベット死者の書は、死者の霊魂
レベルの意識を解脱させるため
あるいはそれがかなわくても
良い生まれ変わりに導くための
答えとなる書という事です。

この記事では、この後も死者の書の
概要について説明が続きますが、
それは次回にご紹介します。

今回は死後、死者の五感は失われて
いくけれど、聴覚は働き続ける
という事について、注目して
いただきたいと思います。

死者は、聴覚が働き続けるために
ラマと呼ばれるチベットの僧侶が
死者の意識を解脱させるために
死者の書を49日の間、聴かせ
続けるという事です。

さて五感の中で、聴覚だけが
働き続けるという事は、肉体に
囚われるための五感のうち
霊的なレベルに最も近い感覚は
つまり聴覚だという事になり
ますね。

つまり五感の中で、聴覚が一番
レベルの高い感覚であるという
事になりますが、その事は
すでに以前に記事にしています。

なぜ聴覚が最もレベルが高いかと
言えば、感知する周波数が低い
領域だからなのです。

なんのことかわからない方も
多いと思うので、その記事を
再掲しますね。
わかりにくいところは修正・加筆して
おきます。


現在、スピリチュアルな世界では、ほとんど
全部といっていいくらい、高い波動が
高い意識につながるという事を、普遍的な
真実のように語られています。
しかし私は、長年の研究から、低い波動の
方が高い意識につながるという事を突き止め
て、その理由を記事にしてます。
アイク氏が、アヤフアスカを服用して、究極
の絶対意識領域に到達した時に、内なる声が
゛「振動するものは全て幻想」だと言うの
を聞いたと語っています。
つまり波動がゼロの状態こそが。最も高い
意識につながれるとしいう事になると
理解したわけです。
事実、脳波もゼロになり肉体も離脱した
意識状態である、臨死体験者の方の証言
の多くが、「覚醒した」とか「これまで
とは比べ物にならないくらい多くの事が
わかった」と証言しているのも、その波動
ゼロの状態が大きく関係していると思われ
ます。

(肉体を離れたという意味では、死者も
当然その状態になっていて、臨死体験者
の方々と同様、意識はほぼゼロの
波動の領域にある事になります。

ただし、臨死体験者の中には、地獄を
垣間見たとか、単に真っ暗な世界だった
という人達もいて、一様に覚醒体験を
しているわけではないという事も
わかっています。
そして臨死体験者の証言で、「あの世に
持っていけるものは心と知識だけ」と
いうものがありますが、結局
死者の書で解脱できずに、また
悪いカルマ(因縁または業)や
死んだ後の意識の生み出す怖れ
などによって、畜生界や地獄界に
生まれ変わる場合があるというのも
生前の心の状態や本来の意味での
知識次第だという事になるわけ
です。
そのような意識は、ゼロの波動と
ごくわずかな周波数の中間にある
というわけです。
これを「死者の書」では、生と生の間に
あるバルドゥ(中有界)に本人が
存在しているというわけです。

ただ中有界に意識がある間は、ほぼ
ゼロの波動に近いというだけで
肉体に意識がある状態より、はるかに
レベルが高い状態にはあるわけです。
ただし、生前悪い行いや悪い心で
満たされた意識にとっては、その
状態は、居心地が悪く、自ら意識
のレベルの低い状態の世界での
生まれ変わりになりやすいという
事になります。

居心地の悪い状態というのは
死者の書にありますが、中有界で
悪い因縁を持つ意識は、地獄から
の使者のような恐ろしい存在
次々に出遭う事になる事などを
言うわけです。)

つまり波動ゼロに近づく方が、意識が
高いという理解になり、より低い波動
が、高い意識となるという事を説明
しているわけです。

そしてまた今回の記事では五感の中では
最も低い波動を、幅広い範囲で捉える
聴覚が、五感の中では最も高いという
事を紹介しています。

超古代の真実編の記事でも
ご紹介していますが、古代日本語が世界の
共通言語だったという事がわかり、また
日本語が最も意識の高い日本人を
生み出すのに最適だという事をご紹介
しています。そしてまた、この意識の高い
日本語の周波数(波動)は、世界の言語の
中でやはり低いのです。
このことから波動の低い日本語が、世界で
最も意識の高い民族の一つである日本人の
ベースにあるのにも納得がいくというわけ
です。
この事は今回の記事の終盤に書かれて
います。

さてこのように高いレベルの聴覚ですが、
これもツイッターで重要な情報をどんどん
伝えてくれる鈴木たかさんの情報では、
現在11億人もの人たちが難聴になって
いる恐れがあるという統計結果をツイート
してくださってます。

これもまた「誘導」という面もある
でしょうが、人類を高い意識へ導くための
聴覚が現在危機的状況にある事は確かです。

できればヘッドホンでデジタルの音楽を
聴くよりは、生演奏か、レコードを
ステレオで聴くという方が、聴覚のため
には良いようですし、抑揚を大切にした
会話、そして自然の音に耳を傾けるなど
聴覚を大事にする習慣を身につけたいもの
ですよね。

さて低い波動の方が、意識のレベルが
高いというテーマに戻ります

脳波では、まさに低い波動、つまり低い
振動数の方が、意識レベルは高くなり
ます。
そしてまた視覚領域が恐ろしいほどに
高い波動のレベルなのに対して、聴覚の
領域は、視覚領域にくらべてかけ離れて
低いのですが、物に干渉して遮られる
のは、振動数の高い方なのだという事を
思い出していただきたいのです。
たとえば家の壁によって、家の中は見る
事ができませんが、家から流れる音楽は
壁をすり抜けて聞こえてきます。
つまり物質の干渉で遮られる事がない
のです。もちろん高い音の方が遮られる
ので、低い音がよく響いてきます。
これは振動数の低い音の方が、より壁
などの物体の干渉に遮られる事がないと
いう事を示しているのです。
つまり意識レベルが高いという事は、より
一体感が高まるという事ですが、物質に
より分離されているように捉えられるの
は視覚領域の方で、聴覚だと物質に遮られ
にくいため、より一体感を感じる事ができる
という事なのです。
まだピンとこない人のために放射線の例も
あげてみましょう。とてつもなく高い波動
(振動数)である放射線の中でもアルファ線
は、物に遮られやすく届く距離はとても短い
のですが、アルファ線よりずっと低い波動
(振動数)のガンマ線は、物に遮られ
にくく、かなり遠くの距離まで届く事に
なります。

つまり高い波動の方が、物質の干渉を受けて
狭い範囲にしか影響を及ぼさないという
事なのです。そして低い波動どころか、
波動(振動数)がゼロの真空が、宇宙の
ほとんどを占めていて、その領域は
宇宙全体にゆきわたっています。
つまり宇宙全体との一体感というのは、
波動が低い方がより、感じられるという
事なのです。

以上のような事ででも低い波動(振動数)の方
が意識レベルが高いという事がイメージ
できると思います。
さて視覚領域より極端に波動(振動数)の
低い聴覚領域についての元記事が以下になり
ます。

視覚という現実はとても小さな世界   
五感のレベル編その2

では、視覚というものがどれほど
いいかげんで、しかも世界のほとんどが
見えていない状態なのかを詳しく説明
しましたが、今回は聴覚について説明して
いきたいと思います。
何度も引用させていただいている下の
画像をご覧ください。

“出典:「Madstone Mystery Labs. Inc
様”

このように視覚領域の範囲というのは、
とても高い振動数で単位が10の15乗
近辺にあるという事です。
その範囲を表すと400兆Hz~800
兆Hzなのでとても高い振動数だという
事がわかりますね。
(Tはテラという単位で兆という意味
です)
そして聴覚は10~20,000Hz
なので、これは視覚領域に比べて
はるかに低い振動数で、脳波の振動数
(眠らない状態で8~26Hz)
にとても近い領域である事がわかり
ます。
つまり思考や感情に近い振動数を感知
できるのが、この「聴覚」という事に
なります。
(しかも範囲は違っても視覚の範囲が
同じケタなのに対して、聴覚は4ケタ
にまたがっているので、視覚領域の
範囲がやたら狭い事もわかります)
なぜ振動数が高い視覚領域よりも、
振動数の低い聴覚領域や思考などの
方が、レベルが高いかというと、実は
宇宙全体の中で、振動する波動領域は
0.4%以下なのです。
あとは、ダークマターやダーク
エネルギーなど振動0の状態のものが
大半なので、宇宙全体の感覚に近いのが
当然振動0に近い、低い振動数の領域
というわけなのです。
宇宙は真空だとすでに最初の記事で説明
したように、根本的には振動=0が、
真実の世界で、意識はその領域にもちろん
あります。太古から賢人たちの教えに
あったように物質こそ幻想で、意識こそが
実体なのです。
ほとんど全てのスピリチュアリストや
意識の高さを説く人が、間違えているの
がこの部分です。
意識は振動しません。つまり高い波動
つまり(高い振動数)が高い意識レベル
というのは完全に真逆が正しいのです。
アイク氏も絶対意識領域で、内なる声に
よる「振動するものは幻覚」という
言葉を聞いたといいます。まさしく
高い波動ではなく、波動のない状態
が最高の意識であり、高いレベルの
意識は、より低い波動(低い振動数)
なのが正解だという事です。
だから低い脳波になればなるほど意識
レベルが高くなるわけです。
よく意識レベルの高い人のまわりに、
高い波動があると計測されるのは、意識
が高い状態であれば、振動0の真空から
無限のエネルギーを生み出せるので、
身体のまわりに、高い波動が創造される
わけです。しかし、意識は肉体にあるの
ではありません。
身体のまわりに高い波動を生み出す時の
意識は、身体より高次元のレベルにある
という事で、すでに物質の世界で感知
できない領域(これも単に狭い五感の
領域で感知できないというだけの事です)
にあるという事なのです。
このことは私の真理探究の成果の最も
核にあるもののうちの一つなので、
これから何度も、丁寧に説明させて
いただきたいと思います。

さてこれまでご説明してきたように高い
意識レベルは物質世界には囚われていま
せんし、全体が一つとして認識されます。
逆に視覚は、物質が存在し、それが世界
の構成物の主体のように錯覚し、全ての
見える対象を別々のものとして捉えます。
これを分離の感覚といいます。
つまり視覚は、高い意識レベルとは真逆
の意識に囚われてしまう感覚だという
事なのです。
そして今度は聴覚ですが、聴覚は視覚で
あれば壁に遮られるはずのもので
あっても、音は壁を通して伝わりますし、
外からは見えない家の中からでも人の
声やテレビの音、音楽などは、外でも
聞こえたりします。
つまり聴覚は物質の制約を受けにくい
ものであるといえるのです。
もちろん壁などの障害物のおかげで、
音量などは干渉を多少受けますが、
視覚のように物質に完全に遮断されたり
はしません。
波動が低くなればなるほど、物理的世界の
影響が少なくなるという事なのです。
だから意識や感情も物質である肉体から
離れた状態で、存在しているという事
なのです。
そして低い音の方が、遠くまで伝わります。
たとえば、家から音楽の音が聞こえてくる
とします。離れれば離れるほど、低い音
しか聞こえなくなるのがわかるはず
です。
たとえばカーステレオをガンガン鳴らし
ながら爆音を響かせて過ぎ去る、やんちゃ
そうな車から聞こえるのはメロディーでは
なく、低い音であるビートだけですよね。
いつもドンドンと音がなっているだけ
なので、ちっとも曲らしくなってません。
爆音も低い音のものほど遠くから聞こえて
きます。
つまり低い振動数である、低い音の方が
遠くまで伝わるという事なのです。

宇宙は一体で、振動0状態がほとんど
なのだから、低い振動の方が一体感を
味わえるし、さらに遠くまで伝わると
いう事なのです。
(ただし爆音やカーステから聞こえる
音は、ちっとも一体感を味わえ
ませんが、それは金属音や音楽の
音色に問題があるためです。)

このように聴覚や脳波の振動数に比べて
視覚の振動数を比べれば、その差が
歴然となって、真理への理解が深まる
という事なのですが、みなさんは、
振動数ではなくて、視覚領域は波長の
方で表示されるのを目にされて
いると思います。(波長は、振動数と
反比例する単位です)
もちろん視覚の振動数のケタがあまり
にも大きくなるので、波長の単位の方が、
わかりやすいからという考え方もあり
ますが、それでは振動数で表される
聴覚や脳波と比較検討できない事に
なってしまいます。
真理を深く追求するためには、それぞれ
を比較して理解を深めるのが当然なのに
大衆向けに提示される公式の科学や
教育は、そういう事には目を向け
させようとしていません。
こういう事も誘導の一つなのです。

しかし上の画像では、視覚領域と
聴覚領域の振動数を比較できるように
なっているので、ようやく理解できる
という事なのですが、なかなか見つける
事は容易ではありませんでした。

これで聴覚の捉える振動数の領域が
脳波に近い事で、高い意識レベルには
音楽がとても重要だという事もわかると
いうわけなのです。
実際、感動的な音楽はハートチャクラを
開き、高い意識次元を感知する能力が
高まります。
そしてまた言葉により、DNAが影響を
受けて書き換えられていくという事も
DNAの驚異の力編のまとめと再考
その1

で説明させていただきました。
つまりわれわれが高い意識レベルを発揮
させるためには、言葉による暗示も効果
的なのです。
私たち日本人の意識レベルというのは、
世界でもかなり高いという事で有名
ですが、その証拠の一つが以下にもあり
ます。


“出典:「eiken」様”

この図を見れば一目瞭然、日本語の方が
圧倒的に振動数が低いですよね。
つまり意識レベルが高いのは、日本語の
方だったという事なのです。
もちろん日本語での暗示の方が、高い
意識レベルに通じやすいという事なので
みなさん日本語を大事にしましょうね。
そういえば、いろんな国が「カン高い」
なー。やはり日本語よりもかなり振動数
高そうですね(^^)
もちろんそのおかげで、アピール力も
あるとは思うのですが、じゃあハートに
響く方は?となるとまた見方が変わる
とは思います。

またその高い意識レベルに通じやすい
聴覚に有効な音楽については、また別
の記事で詳しく書かせていただきます。

また五感については、視覚ももちろん
ですが、味覚や嗅覚や触覚も物質レベル
に囚われやすい感覚なのでやはり聴覚
よりもレベルが低くなります。
高い意識レベルになる臨死体験者は
視覚や聴覚は働いても、味覚や嗅覚
や触覚は全く働いていないという
報告が大半です。

さてとても長い記事を少し修正・加筆
などをさせていただいて、再掲させて
いただきましたが、聴覚が五感の中で
最もレベルが高いという事については
わかっていただけたと思います。

つまり肉体を離れて間もないつまり
最大49日の間は、死者の聴覚が
働き続けるので、チベットの僧侶
ラマが、死者を解脱に導くために
この死者の書を語って聴かせるという
わけです。

さてもちろん世界中の死者が、
チベット死者の書にあるような
中有界の体験をすると
解釈しなくても良いのです。
チベットの代々受け継がれた
信仰心は、大きな想念界を
築きあげていると想定できる
ので、死者の書が記された土地の
人々の死後の世界観が、やはり
死後の中有界にも反映される
からです。

解脱というのは、もはや肉体の
マトリックスに囚われる事なく
自在な意識を獲得し、時空を
超えた、本来のワンネスである
状態になるという事で、私が
ブログで再三最高の意識・境地と
位置づけてきた絶対意識
になるという事で間違いない
でしょう。

死者の書では、解脱をする事は、
仏になるという表現をしています
ので、仏とは仏教では、全知・万能
つまりワンネスの至福・大愛の存在
だという解釈なので、解脱とは
絶対意識となる事で、間違いないと
思います。

さてアニータさんが臨死体験中に
死者の書にあるようなパルドゥの
世界を、軽々と通過して、絶対意識
になる場合もあるという事です。

ただアニータさんが、戻れたのは
ほぼ仮死状態であった自分の身体に
生命の元型エネルギーがまだ
残っていたからだという事です。

この生命の元型エネルギーを
死者の書では、「生命の風(ルン)」
と呼びます。
このエネルギーは我々になじみの
あるエーテル体と同様だと考えて
良いと思います。

さて死者の書のような死後の
世界観を持った死者は、
死者の書にあるような想念界に
入るわけですが、その世界観を
持たない人々は、当然別の
想念界の領域に死後入るわけです。

真理を得るためには、あらゆる
死後の想念界に見られる
共通要素を解読していく事が
肝要だというわけなのです。

それを死者の書解読の記事
としてシリーズ化しようと
思っているのです。

さて今回は聴覚についてでした。

臨死体験を詳しく本にした
エベン・アレクサンダー氏は
地獄に近いような状態の
泥の中と思しき領域
から天界に、上昇する時に
聞いた事もない美しい旋律に
導かれたと語っています。

こちらですね。
「自分が何であれ、ここにいるわけには
いかない。ここを出ていかなくてはなら
ない。
出るといっても、どこへ?
その時だった、それを自問していると、
上方の暗がりから何かの姿が現れた。
冷たさのない、暗さとも死とも無縁の、
それらの正反対を表すもの。私が一生を
かけて説明しても、こちらへ近づいてきた
存在の美しさを表現することはかなわない
だろう。
 だが、それを試みてみよう。~
~闇の中から何かの姿が現れた。ゆったりと
回転しながら、金色がかった絹糸のような
白い糸を燦々と放射している。
光に照らし出され、周りの闇が崩壊し
始めた。
初めて聞く旋律も聞こえてきた。それは
「生きた」音色だった。どんな音楽も
かなわないほど豊かで美しい、妙なる
調べ。純白にきらめく光が下へ降りて
くるにつれて、しらべはいっそう強くなり
、永劫にわたって聞き続けた気がするあの
単調で無機質な音がかき消されていった。
光はぐんぐんこちらへ迫ってくる。~
~やがて光の真ん中に、別の何かが出現
してきた。~
~そのことに気づいたとたんに私は上昇し
始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと
音を立てて開口部をくぐり抜けると、見た
こともない別世界が広がっていた」
    
    ~引用終了~
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
   エベン・アレグザンダー著
          白川貴子訳
          早川書房刊”

これは、泥のような世界から天界のような
高次元へ導かれる様子が描写されて
います。

やはりエベン氏も臨死体験でいったん
中有界のような領域に入り込んでいる
わけです。
この中有界で働く聴覚や視覚は、ラマが
死者に聴かせている時に働く聴覚とは
次元が異なります。

この中有界では、見えているものが
同時に聞こえているものでもある
ので、泥のような世界から抜け出す
のに、生きている光の旋律に
導かれたという事なのです。

とにかく豊かで美しい、聞いた事も
ないような生きた音色というのが
次元を上昇させるきっかけに
なっているわけで、いかに聴覚と
音楽が、大事な要素かわかって
いただけるかと思います。

また臨死体験や臨死共有体験
(死に行く人と看取る人達が
同時に意識の変容による異次元
の領域を体験する事)でも
共通要素として音楽を聴くという
ものがあります。

これも過去記事より引用しておきます。

「今回の臨死共有体験の共通要素は、
「音楽が聞こえる」というものです。
これは多くの臨死体験者にも共通する
事で、これも肉体から異次元に意識が
移行する時の特徴の一つだということ
です。
音楽というのは、五感で感じるものの
なかでは、最も高次元にあたるもので、
我々の多くは視覚に囚われがちですが、
それはむしろ、物質次元に囚われやすい
感覚なのです。
この点については、またじっくり説明
させていただきたいと思いますが、聴覚の
方が、高次元を察知しやすい感覚なのです。
ピタゴラスの紹介のところでも説明
させていただきましたが、彼は断食と呼吸法
の40日間の実践を経て、高次元の意識に
達し、ついにエジプトの学校に入ることを
許されました。そののち高次元の意識を
得ていたピタゴラスが、音階を発見し、
宇宙からの音楽である、「天球の音楽」を
聴いたというのだから、いかに高い意識が
音楽と密接に関係しているかわかって
いただけるかと思います。

では臨死共有体験の音楽が聞こえると
いうエピソードを、またムーディ氏の
著書から引用させていただきます。

“臨死共有体験にはまた、音楽を聞いた
という証言がよく聞かれる。死につつある
者も、またそばで付き添う者も、同時に
その音色を聞くことがある。
多くの人が音楽を聞いたという場合もある。
 死の際に音楽が聞こえたというこの現象
には、幾つかの型がある。一つの型は、
かつて私がメリーランド州でインタビュー
した、ある女性の証言に見られるような
ものである。彼女は夫の臨終の場で音楽を
聞いたという。以下は彼女の言葉である。

 「夫は昏睡状態で、人工呼吸器に
つながれていました。しかし私は、臨終の
時がそんなにも早く来るとは思っていま
せんでした。夫とともに私は病室で夜を
あかしたのですが、翌朝、私が目覚めた
5時30分に、夫は息を引き取りました。
それは夫の両親が病院に到着した直後
でした。
 夫が息を引き取る少し前、私は病室の
隅で、いすに腰かけていました。疲れ
果てていました。すると突然、ベッドの
周囲にたくさんの人がいることに気づいた
のです。まるで部屋が大きなステージで
あるかのようでした。人々がたくさん
集まっています。
 夫はベッドにいましたが、突然病室の
天井のあたりから、きらきらした光が
降りてきました。その時です、音楽が
聞こえたのは。
 私は『静かにして!』といって、耳を
澄ませました。音量が大きくなるにつれ、
その光も大きくなり、夫の上のあたりに
来ました。その音楽は私がそれまでに
聴いたことのない、非常に美しい、
巧みなものでした。
 またきらきらした光と連動していて、
私は音楽をあたかも目でみているよう
でした。音色の一つ一つが見えるかの
ようで、教会のハンドベル演奏を聴いた
ときのような感情を持ちました。
この上なく美しく、すばらしい音色でした。
 そんなとき、看護師が部屋に入って来て、
私の腕にふれて言ったのです。
『ご主人は亡くなられました』と。
夫はあのきらきらした光に触れられたとき、
息を引き取ったのです。」

(このエピソードは、エベン氏の
臨死体験中と酷似していますね。
ただしこの夫は、エベン氏のような泥
の世界を通過する事なく高次の領域に
行けたようです。
つまり光の旋律に導かれて・・・)

つぎに19世紀の研究家ガーニー・
マイヤーズ、およびポッドモアが書いている
実例をみてみよう。彼らは、リリーという
少女の家族にインタビューした。家族は
みな、リリーの死の数日前から、その死後
にわたり音楽を耳にしたという。
リリーの父は、部屋に満ちたその音楽は、
「イオルス琴(風で鳴る琴)のやわらかい、
また野性的な調べのようだった。」と
述べている。また母はこう述べた。
 「年配の看護婦と私のおばが、様子を
見に部屋に入って来ました。夫も一緒で、
みなリリーと部屋にいたのです。
私は台所に行っていました。・・・・・
そのとき同じイオルス琴のようなあの音楽
が聞こえました。部屋にいた3人全員が
聞き、また私も台所で聞いたのです。」”

“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
 ヒカルランド刊”

このような音楽体験はこの本にもある
ように、臨死共有体験だけでなく、臨死
体験にも多くみられるものです。
また取り上げますが、エヴェン・アレク
サンダー氏は、著書の中で、臨死体験中
になんども音楽を聴き、またそれは目で
見えるものでもあったといいます。
ここでの見える音楽というのは、視覚が
優れているという意味ではなく、高次の
意識では目の視覚は働いていません、
もちろん肉体の機能が停止している
アレクサンダー氏についても同様です、
それではなぜ音楽が見えていると証言
しているのかというと、高次の意識の
世界では、五感は全て一体のものに
なっているということなのです。
ただ、五感の中でも物質的感覚のより
強い嗅覚や味覚はほとんど働きません。
とにかく、今回は音楽が異次元世界へ
の移行の時に経験する重要な特徴である
ことを紹介しました。」

音楽と聴覚が非常に大事だという事が
いくつものエピソードで裏付けられて
いますね。

かの偉大なギリシャの哲学者プラトンは
「音楽は、あらゆる芸術と呼ばれるもの
の中で、最もレベルの高いものだ」と
言い遺しています。

まず今回は、チベット死者の書から
読み取れる大事な要素の一つとして
五感の中では聴覚が最も重要である
という事でした。

まだまだ貴重な要素がありますので
一つ一つ記事にしていこうと思い
ます。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験研究の先駆者ムーディ氏の過去生体験「貴族だって楽じゃないよ・・・という過去生」


幼少の頃に、前世の記憶が
残っている事例と違って、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例をこの
シリーズではご紹介しています。
よくわからないという方は
前世だけでなく、何度も繰り返す輪廻転生の
証明か?退行催眠で体験する過去生とは?

をご覧になってくださいね。

この記事は、
臨死体験研究の先駆者ムーディ氏の
過去生体験「今度はライオンの餌に!」

の続編になります。

今回もレイモンドムーディー氏が
退行催眠中に「体験」した9つの人生
の続きをご紹介します。

「」内が引用で、~が中略の意味です。


「  貴族としての死
 私は美しい住居にいた。夕方で、大理石の
壁はいくつかのオイル・ランプの黄色い
光で照らされ、きらきら輝いていた。
私は古代ローマの白いゆったりした上着
(トーガ)をまとい、今日の柔らかいソファ
のような長椅子に横たわっていた。私は
40代で、重労働をしない貴族の
しなやかな体つきをしていた。
 私は眠くなるほどの完璧な自己満足の
中にひたっていた。目の前には、15歳に
なる黒髪の息子がいた。息子はバルコニー
に立ち、下の光景を見ながら、しだいに
恐怖の表情を浮かべて言った。

「お父さん、どうしてこの人々はここに
押し入ろうとしているのですか」
私は、こうしたことは以前にもあって
心配の必要はないと思っていた。

「息子よ心配はいらない。兵士たちが
守っているのだから」

「しかし、お父さん、あんなに多くの人々
が詰めかけています!」

息子がいうので、私は立ち上がり、
バルコニーに行って様子を見た。数人
の兵士たちが、怒れる群集を押し返して
いたが、あまりに大勢なので対処しきれ
ないようだった。
息子がああいうのも無理のないことだ。
息子は、私のあわて方を見て、ますます
そう思ったようだった。
 生の記憶はそのあたりで途切れた。
記憶が切れたのは、怒れる群集の手に
かかった直後だったように思う」

これは、前回ご紹介したこの一つ前の
人生が、ローマ人に囚われて、ライオン
のえさになってしまった事の反動で、
今度はローマ人となって生まれ変わった
というわかりやすい人生になっています。
ですが、満足した生活も、やはり最後
には暴動の人々の手にかかって殺されて
しまうという悲劇として終わってしまった
ということなのです。
こうしてろくな事がない人生続きの
ムーディー氏の過去世ですが、9つの人生
で幸せなものだといえるものは、一つも
ありませんでした。
そのような過去世を持つムーディー氏の
今生は、なんと何千万部も売り上げる
ベストセラー著作家として大成功するの
だから、まさにこの人生のために過去世の
体験があったのではないかと思える
くらいの大逆転ですよね。

さて抜粋で取り上げる最後の過去世を
ご紹介しましょう。

「 中国人画家
過去世における私の最後の生は、中国人画家
だった。女性の中国人画家である。
私は回顧の中で、少女時代と青春時代を
すばやく通り過ぎ、そののち画家としての
幾つかの場面を思い起こした。ときに
キャンパスの視点から自分を見つめ、絵筆を
キャンパスに軽くたたきつけるように描く
感覚をも感じ取った。
 この生の幾つかの場面は、断片的だが
詳しく覚えている。ある日、通りの真ん中で
私が友人と話していると、明るい光が突然
私たちを照らした。一体何だと思った私たち
は、近くに住む賢人のところへ行き、見た
ことを話した。彼は当惑していたが、
そのような光を見たと報告してきたのは
私たちだけではなく、ほかにもいるという。
ただそれが何かは彼にはわからなかった。
 他の場面では、私は年老いたおばに
会うために、大きな石造りの家に出向いた。
60代くらいの彼女は私を可愛がって
くれて、私の到着を待ち望んでいた。
灰色の髪をうしろで編み、綿のシャツと
ズボンという姿で玄関先に立っていた。
 次の場面は、その生の最後の日だった。
私は貧しく、一つのベッドとストーブ、また
絵の具を置く狭いスペースがあるだけの
小さな家に住んでいた。そこは街の安全な
地区ではなかった。夜、若い男が家に
やって来て、私を縛りあげた。物質的なもの
は何も盗まなかったが、彼にとって何の価値
もないものを取り上げた。彼は私の命を
奪ったのだ。
 私は死んだ瞬間、自分の体から抜け出た
のがわかった。
私の命を奪ったその男の姿が下方に見えた。
彼は私の遺体の上に立ち、誇らしげな様子
をしていた。なぜ彼が、私のような年老いた
女を殺したいと願うほどに思いつめたのか、
そのわけを知りたいと私は思った。
だが体の外に抜け出た状態で私は彼に
話しかけたが、その声は届かなかった。
記憶はそこで消失した。」

これが目覚める前の、この過去世体験の中で
一番現在の人生に近い体験というだけ
あって、記憶が詳細に残っていたようですね。

他の過去世の記憶はどちらかというと死の
直前の印象的な場面が多かったわけですが、
この人生では、わりと人生のダイジェスト
のような体験が記憶されているようですね。
その場面もいくつかは詳しく覚えていて、
友人と話をしている時に突然明るい光に
照らされたという経験をしたようですが、
これはおそらくプラズマの光であろう
と思われます。時空のゲートや異次元の
ゲートが開いた時や、時空のゆがみが
生じた時にも見られる状況で、これは
神秘メッセージの
「超常現象と電磁界異常編」で詳しく
取り上げていますのでよろしかったら
またご覧になってくださいね。
他にもその光を見た人がいたという
事は、かなり広い範囲かまたは強力な
プラズマ現象があったのだろううと
思われます。
ただこのときの画家であるムーディー氏
には直接何も起こっていないようで
したね。
しかし詳しく振り返る事のできた人生も
最後は、老女になってから殺されたと
いう悲劇で終わったようです。
やはりここでも臨死体験をして、肉体を
離れた視点からの状況と、その時に
生きている人への声が届かないという
次元に移行していた事の描写があり
ます。
これらの過去世は、全て臨死体験や
死後の意識の存在、肉体を離れた意識
の存在、目がなくても「見える」こと
などあらゆるこれまでの研究成果を
裏づけてくれていますね。

最後に退行催眠から戻ってきた時の
ムーディー氏の状況を引用しておき
ます。

「デンホルムは私の隣に座りながら、
私を催眠状態から覚まし、「現世」に
私を戻そうと努力していた。
「現世」とは、以前の私なら考えも
しなかった言葉だ。しかし今ではその
意味がよくわかる。
 退行催眠を経験する前、私は今の
人生だけが現実で、いわゆる過去世
といわれるものは幻と思っていた。
しかし、私は今や、催眠療法士の椅子
に腰かけながら、自分が様々な過去世
を実際に経験したのち現世にいること
を感じていた。
私は過去世があることを、ほとんど
信じかけていた。」

“以上「」内全て
出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

このあとムーディー氏は、それまでの
臨死体験の本とは、またテーマの異なる
過去世についての本を出されます。
邦訳をされていませんが、原著を私は
持っていますので、またご紹介して
いこうと思っています。

「COMING BACK A Psychiatrist
Explores Past-Life Journeys」
という本です。

やはり実体験というのは、特に実感と
して信じやすくなるものだという事
ですね。私もこれまで、金縛り、
空中浮遊体験、体外離脱などを経験
してきましたし、予知や覚醒夢なども
何度も経験していますが、やはり
そういう事も研究へのモチベーションに
つながっているのだと思いました。
そういえばうっすらと、古めかしい
大きな家の縁側で、泣いていた赤ん坊の
体にいて、その後それを上空から眺めて
いる夢を見た記憶がありまが、これも
過去世なのか、うっすらとした記憶
すぎてわかりません。

さてムーディ氏の9つの過去生の
エピソードは以上ですが、
次回からは、あらゆる過去世を研究する
事になったムーディー氏の成果である、
過去世体験の共通事項について、ご紹介
したいと思います。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験研究の先駆者ムーディ氏の過去生体験「今度はライオンの餌に!」

幼少の頃に、前世の記憶が
残っている事例と違って、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例をこの
シリーズではご紹介しています。
よくわからないという方は
前世だけでなく、何度も繰り返す輪廻転生の
証明か?退行催眠で体験する過去生とは?

をご覧になってくださいね。

この記事は、
臨死体験研究の先駆者ムーディ氏の
過去生体験は原人時代にもさかのぼった!

の続編になります。
今回もレイモンドムーディー氏の「体験」
した9つの人生から、抜粋してご紹介
します。
「」内が引用で、~が中略の意味です。

「    マンモスハンター
私は突然、毛むくじゃらのマンモスを
狩ろうと走り回る人間たちの中に放り出
された。想像できると思うが、そのような
ことは私の流儀ではない。
しかし、退行催眠の中、人々と同様に
私も腹ペコになつたと感じ、食物を求めて
必死だった。
私たちは皆動物の皮衣で上半身をおおって
いたが、それでも極寒の気候のために
温かくはなかった。足は肌が露出して
いたし、陰部も充分におおわれていな
かった。服装がそんな原始的なもので
あるうえ、武器も石と木の枝くらい
だった。
 私たちはマンモスを溝に追い落とし、
必死に叩いて落とそうとした。しかし
マンモスも簡単には死んでくれない。
私たち部族の一人を突き飛ばしたかと
思うと、その頭を一撃で叩き割って
しまった。仲間を失った悲しみと恐怖が
私たちの間に広がった。
 戦いが続くさなか、私は自分が肉体から
離れたと感じ、その現場の上空を漂って
いた。そののち、私は次の生へ移った。」

まずは今回の一つ目の人生ですが、なんと
とてもおだやかな草食系の人物の見本の
ようなレイモンド・ムーディー氏が、狩り
をしているというようなシーンに投げ
込まれます。原始的な身なりで、自分の
空腹のために必死で、仲間とともに
マンモスを狩ろうとしていますが、仲間
が、一撃で殺されて、悲しみと恐怖に
打ちひしがれるというシーンです。
この時極寒で毛皮に身をつつんでもとても
寒かったという記憶についてですが、
なんと今回、甲状腺異常の病気に悩まされ
ているムーディー氏は、夏でも厚着をして
過ごすという極度の寒がりなのですが、
おそらくこの時の生での魂の記憶が、深く
関係しているのではないかと思われます。
このことは、ムーディー氏も自覚して
おられないようで、ここには書かれて
おりませんが。
また結局マンモスに、仲間と同様に殺された
ムーディー氏が、再び過去世での臨死体験
で、自分の死後に上空を漂っていたという
事なのです。
その2でご紹介したこの前の人生のときと
同様、臨死体験まで「体験」できてしまう
過去世の記憶は、かなり深いレベルの
潜在意識にアクセスしているようですね。
結局自身の過去世の記憶が、今生で臨死体験
を研究する事につながっているという事も、
間違いないでしょう。ただ過去世の記憶では
臨死体験ではなく、そのまま死んで肉体を
離れたという事になりますが。
また別の見方でいえば、臨死体験がこの世に
戻ってきた人が抱く幻想でしかないという
否定派に対して、これはそのまま死んだ人も
同じ様な体験をしている事を鮮明に示して
いる例ともとれますね。
さてもう一つ、ムーディー氏の過去世を
みてみましょう。

「  ライオンのえさ
私はやがて次の生へ移っていた。
気がつくと、古代ローマのどこかにいた。
私はそこでも、皇帝や貴族ではなかった。
私はライオンのえさだった。深い穴の中に
入れられていた私は、大衆娯楽の一つとして
ライオンに食い殺されようとしていた。
 私には長い赤毛の髪と口ひげがあった。
私は今日ドイツと呼ばれる地域から来た者
だった。
そこをローマ人に占領され、捕虜となって
ここへ連れて来られたのである。
 私は戦利品を運ぶために使われ、そして
ローマで、人々の娯楽の一つとして殺され
ようとしていた。目の前では檻の中で腹を
すかせたライオンが吠えたけり、檻から
出されるときを今か今かと待ちかまえて
いた。私はあわれみのかけらも見ることが
できず、絶望で胃が痛くなった。
 客席の中に、長い茶色の髪が頭の中央で
逆毛になっている男がいた。何かの感染症
だろうが、彼の左目はピンク色で、無表情の
顔が不吉だった。彼は私を見やると、
スナック菓子をほおばり、むしゃむしゃ
食べていた。私の死は明らかに、彼にとって
はただの娯楽に過ぎなかった。
 ライオンを檻から出そうとするとき、号令
が響き渡り、会場は沸き立った。ライオンは
私に襲いかかり、打ち倒した。私が覚えて
いる最後のことは、私の体が地面の上で
ライオンのなすがままになっていること
だった。」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

今回もムーディー氏の過去世はろくなもの
ではなかったようですね。
基本的に転生を繰り返すというのは、肉体に
囚われた意識レベルなので、やはり自分の
意識を向上させるために生まれ変わったと
いう、世界の古代からの伝承や、多くの
神秘研究家の見解を裏づけているようにも
思えてきます。つまり彼の中で何かを克服
しなければならないものがあるのかも知れ
ません。ただ間違えないでいただきたいの
ですが、意識は無限の階層があるので、
これはレイモンドムーディー氏の、やはり
一部の意識レベルでしかないという事
です。
もちろん生まれて来る人たちの中には、今生
での使命感や、意識にある冒険心や好奇心
から生まれてくる事もあるとは思いますが、
ムーディー氏の場合は、魂の意識の向上の
ためにこの人生に戻ってきたような感じ
ですね。
このライオンの餌になるシーンは、その
人生よりも過去世である今日の一つ目の
本来の性質とは裏腹に狩りをする人生の
投影だったのが、逆にこの人生では
猛獣の餌にされてしまうシーンになって
いて、結局獣に殺されてしまう人生を、
繰り返しているように思われます。
つまり意識の向上のために転生をしたよう
にもとれるという事です。
それにしても猛獣に食べられるような人を
見てなんのあわれみも持たないローマ人
というのは、どうやら日本人の意識とは
違うものだったようですね。
少なくとも犠牲者に対しての悼みという
ものは日本人に特に強くみられる心情の
ようです。
またこの時の人生でも臨死体験をして、
ライオンに食べられる体を外から苦痛も
感じずに見ているというのは、まさに
臨死体験も過去世の記憶も真実だと
思わせるものでした。
さてさて興味深いムーディー氏の過去世
のエピソードはまた次回でもご紹介したい
と思います。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験研究の先駆者ムーディ氏の過去生体験は原人時代にもさかのぼった!


この記事は
前世だけでなく、何度も繰り返す輪廻転生の
証明か?退行催眠で体験する過去生とは?

の続編です。

前回の記事でもご説明したように、
幼少の頃に、前世の記憶が
残っている事例と違って、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例をこの
シリーズではご紹介しています。
「前世記憶」というのは、幼少時に直前の
人生の記憶が残っているケースの事を
いうのであって、「過去世」という
言い方は、退行催眠で想起される人生が、
はるか以前のものであったり、複数回の
ものであったりするためなのです。

さて前回、臨死体験研究の第一人者である
レイモンド・ムーディー氏が、心理学者の
ダイアナ・デンホルム女史に、退行催眠を
かけられる事により、なんと九つの過去世
を、実際の時間では1時間の間に体験した
という事をご紹介しました。
その興味深い、過去世の体験のうち
いくつかを、またムーディー氏の著書から
引用してご紹介したいと思います。
これも、長いので、何回かに分けようと
思います。

「」内が引用で、~は中略の意味です。
またそれ以外は私の言葉です。

「  原人の頃

先史時代における私の過去世は、話す能力の
ない原人の時代のものだった。私は他の者
たちと共に、樹上に網のようなもので家を
つくって生活していた。
互いに助け合ってそれらの家をつくったの
である。
人々は集団で生活していた。そのほうが
安全だからだ。私たちはまた美を理解する
者で、美しい花を咲かせる樹木をとくに住居
として選んでいた。
私たちは人間のようではあったが、直立では
なく、身をかがめて歩いていた。果物を
採って食べていた。赤く、種の多い果物を
食べていたのを覚えている。ザクロのような
実だ。食べた感触は非常にリアルで、果汁が
私の頬をつたって落ちるのが感じられた。
嚙んだ種のはじける音も聞こえたほどで
ある。
 私たちは樹上高く住んでいたが、地上に
対し生命的な飢え渇きを持っていた。
樹の下に動物が現れると、皆衝動を感じて
そこに飛び降り、動物を捕獲した。私たちは
話すことができないので、感情表現を通して
のみ互いの思いを知った。
 退行催眠の中では、過去世にとどまるのも
移行するのも、自分では制御できない。
私は樹上生活を去り、やがて、別の過去世へ
と向かった。」

まずこれは過去世といっても、直前の人生
どころか、はるか太古の昔のようですね。
しかも現在の人類種とも違うような・・。
輪廻転生の思想は、古来から世界中に見られ
ますが、インドだったか動物に生まれ
変わるという説もあり、ピタゴラスも
動物への輪廻転生を唱えたりします。
もちろん人として生まれ変わる輪廻転生を
私たちはいくつも知っていてさらに別の
レベルの存在にもなる事から、動物のみに
生まれ変わるわけではないと思いますが。
それと、過去世を体験するといっても我々
は無限のタイムラインにあるので、ただ
一つの過去があるわけでもないので、
歴史的に正しいかどうかという言葉も
無効にあります。つまり「こんな過去も
ある」という事ですね。
太古の昔人類は、果物だけを食べていた
という説もいくつもあり、おそらく月の
到着までの時代は、そうであったのでは
ないかと思いますが、この時の原人で
あるムーディー氏は、動物も捕獲して
食べていたようですね。
感情表現で互いの思いを知ったという
のは、テレパシーに近いですが、原始的
な存在の方が、超能力に近いものを持って
いたのではないかと思います。
でも日本人は以心伝心が意外に得意な
民族として知られます。意識レベルが高い
といわれるのもそのためでしょう。
それと、この時果物を食べている時の
食感まで感じられたというのは、どれだけ
現実的な体験だったかを物語っています
ね。
さて次です。

「   おぼれ死ぬ

~私は老齢のたくましい男性となり、長い
銀髪と青い目を持っていた。
 私は大きな部屋で舟を造っていた。部屋
は長く、一方で川に面していた。
部屋の真ん中には、完成間近の舟が
あった。~
~私の3歳になる孫娘も一緒にいた。私が
舟の器具をいろいろ動かして見せてあげる
と、彼女はおどおどしながら見ていた。
 私は完成した舟を川に浮かべ、孫娘を
抱きかかえて、処女航行に出た。私たちは
楽しんでいた。
ところが、突然大波がやって来て舟を飲み
込み、転覆させたので、楽しさは恐怖に
変わった。私は舟の片側に振り落とされ、
彼女は反対側に振り落とされた。
 私は必死に彼女のほうへ泳ごうとしたが、
彼女は波にさらわれ、またたく間に遠くへ
追いやられてしまった。
彼女の姿が波間に消えた。私は水の中に
もぐり、必死に探そうとしたが、自分も
波に勝つことができず、あきらめざるを
得なかった。私は目の前で孫娘を助け
られなかった罪責に打ちのめされた。
 退行催眠中、私の恐怖は鮮烈なもの
だった。私の心拍は速まり、血圧も
上がった。自分を取り巻く水の音も聞こえ
水圧も感じた。初めての船出で可愛い
孫娘と、これからという彼女の人生を
失ったことを思い、私の悔やみは頂点に
達した。
 しかし、私自身も死が近くなり、臨死
状態に入ると、明るい光が私を包んだ。
その無上の生命的喜びが悔やみを一掃し、
私を圧倒した。すべてが彼女にとっても私
にとっても正しいことのように感じられた。
 そののち私は次の人生へ移った。」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

この過去世も興味深いものでしたね。
まず舟を見ただけで、おびえる孫娘は、
その舟がもたらす未来について、感じら
れていたとい事でしょう。ただ、それを
ムーディー氏であるおじいちゃんに
感情でしか伝えることができなかった
ということでしょう。
いつの時代でも子供、特に少女には、
超能力が備わっている事が多いという
事ですね。
そして彼女が感じていた恐怖の通りに
舟が転覆します。孫娘を助けられな
かった罪悪感に打ちのめされる姿と
いうのは、まさにムーディー氏の個性
だという事がわかります。彼の写真は
本などに掲載されていますが、とても
おだやかで、人の良さそうな性質が、
にじみ出ています。
そしてまた、退行催眠がいかに「現実
体験」であったかを物語るように、
おぼれそうな時の恐怖は、心拍数が
速まり、血圧も上がったことが感じ
られ、取り巻く水の音が聞こえ、水圧
も感じられたというように、本当に
まざまざと「体感」としていたのが
わかります。
 興味深いのは、おぼれた後ですね。
なんと退行催眠中のひとつの人生で
臨死体験をしたわけです。
明るい光が包み込み、無上の生命的
喜びが悔やみを一掃してくれたのです。
これは、まさしくおなじみの臨死体験の
一例です。どれだけ、本物の人生として
体験したか、これでわかろうというもの
ですよね。そしてまたここで重要な点が
あります、孫娘を思いやる気持ちが頂点
に達したというところですね。
確かに自分のあやまちで死なせて
しまったところは、大変孫娘に悪い事を
してしまったのですが、それが完全な
過失で、自分が予想もしていなかった事
であり、根底にあった気持ちは、孫娘にも
船遊びを体験させてやりたいという良い
感情から来ていました。そして孫娘を
死なせてしまった事を悔やみ、将来まで
奪ってしまった事で自責の念にかられて
いるわけですから、愛情のレベルとして
は、当然高いわけです。それが、やはり
過去世においても、臨死体験を呼び込み
、全てが肯定される至福の次元にいけた
という事につながったのだと思われます。
私が他の記事でも説明させていただいて
いる通り、愛情レベルが高い、つまり
意識レベルが高い人しか、高次の次元に
いく事はないという事をここでも裏付けて
くれたという事ですね。

さて今回二つほど、ムーディー氏の
退行催眠中の過去世についてご紹介
しましたが、それぞれやはり貴重な知識
につながります。

いつもありがとうございます(*^_^*)

人間の真の偉大な力編

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前世だけでなく、何度も繰り返す輪廻転生の証明か?退行催眠で体験する過去生とは?


これまで直前の人生という意味で
前世のテーマを取り上げて
きましたが、世界中の宗教や伝承に
伝えられている輪廻転生というものは、
人生は何度も繰り返すとあります
ので、その何回かの過去の人生を
振り返る事を可能にするという
退行催眠とはどんなものか、ご紹介
してみようと思います。

「退行催眠?なんじゃそら?」
などという人も多いでしょうね。
前世記憶では、まだ魂の記憶または、
霊的な領域に存在していた自分の
意識が幼少の頃に残っていて、前世
または霊的な存在での自分についての
記憶を自然に家族などに語り始める
という事が、一般的でした。
もちろんその証拠となる、身体のあざや
傷痕なども、多く事例があります。
それが、新しい人生での環境や経験に
より、前世の記憶が、少なくとも
7歳児くらいまでには、完全に無く
なってしまうというものでしたが、
それとは全く別の仕方で、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例が無数にある
という事を、数年前に知りました。
それは、臨死体験研究の第一人者
レイモンドムーティー氏などの著書に
よって、ですが調べていくと研究者の
間ではその退行催眠は一般的な
コンセプトとしてあるようなのです。
ではその退行催眠とは何か?について
レイモンドムーティー氏の著書から
引用させていただきます。

ちなみに前世の記憶でなくて、過去世と
言う表現は、直前の人生だけでなく、
さらに以前の人生のような記憶も思い
出しているように見受けられる事から
そのように呼ぶ場合も多いのです。

「」内は全て引用で、~は中略の意味
です。

「次の日に私は、心理学者のダイアナ・
デンホルムを訪ねたのである。
彼女は治療に催眠術を使っている人だ。
デンホルムは、当初催眠術を、禁煙
したい人やダイエットしたい人、
あるいは物忘れした人の記憶を取り戻す
ときなどに使っていた。
ところが奇妙なことが起き始めたと
いう。催眠術をかけられた人が、ときに
過去世のことを語り始めるのである。
それはとりわけ、患者の人生の
トラウマ(心的外傷)となっている
時期に、催眠術で退行しているときに
起きた。
 これは「退行催眠」として知られて
いるものだ。
(引用注:専門家の間で知られている
という意味です。ムーディ氏は医学博士
であり精神科医でもある専門家です)
この心理療法は、人生のある時期に
受けた心の傷をいやすためのもので
ある。
ちょうど考古学者が地層を掘り進む
ように、その人の記憶の層を過去へ
たどっていき、トラウマの原因を
見つけて、治療する。
 しかしこれをおこなうと、患者は
ときに自分の誕生日より前の過去へ
さかのぼり、はるか昔の過去世のことを
語り始める場合がある。あたかも、
今ここで起きていることのように語り
始めるのである。
 この現象は当初、デンホルムには理解
できなかった。
彼女は、催眠術の仕方をどこかで間違
えたのかと思った。あるい患者の奥に
ひそむ多重人格が現れたのか、と
思ったりもしたという。
 しかしこうした現象が幾度もおきる
ので、ともかくデンホルムは、患者の
トラウマの治療にこれをつかうことに
した。彼女がこうして「過去世治療法」
をし始めると、それが治療に大変効果的
であることがわかってきたという。
彼女は私に、
「あなたもあれこれ言う前に、やって
みたら?」
と言った。もっともだった私は、
ともかくもやってみることにした。
その午後、デンホルムは私に退行催眠を
かけてくれた。
彼女はリクライニング・シートに私を
深く座らせ、ゆっくりと、熟練した
やり方で、私を深い催眠状態へさそい
こんだ。
 あとで彼女が教えてくれたところでは、
私は1時間ほど催眠にかかっていたと
いう。もちろんその間、自分が
レイモンド・ムーディであることは
知っていたし、催眠療法士
(催眠セラピスト)のもとにあることも
自覚していた。
 しかし、同時に私は九つの過去世を
行き来し、昔を思い起こしていた。
どの人生も夢のようなものではなく、
むしろ現実と感じた。
また過去世へ戻ることは、あたかも映画
を見ているようだった。
 見える光景も色彩もリアルだった。
出来事も、起こるべくして起こった事柄
であって、なにかの私の内なる願望や
心の創作によるものではないと感じた。
そこに見たものが現実であることは
わかった。というのは、もし創作なら、
自分ならもっとましなものを創作する
だろうと思えたからである。
 九つの過去世のうち二つは、歴史的に
特定できる時代のものであり、両方とも
ローマ時代だった。
他の過去世は、先史時代のものか、
もしくはとくに時代特定できないもの
だった。
これは当時のことがよく思い出せ
なかったということではない。すべてが
私にとって、なつかしさを感じるもの
だった。」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”
この退行催眠というのは、子供たちが
幼少時に記憶している前世記憶と、
アプローチは違うけれども、ほぼ
同じく過去世のものと考えてもいい
と思います。ですが、真理探究の成果
として、それだけが唯一の観点でも
ないのです。
前世であるけれども、その人固有のもの
とは限らず、他の人と共有している
ものでもあるという事でもあります。
以前にも書かせていただいたように、
全ての意識、つまり過去の意識や未来の
意識の全ての人々の意識も、無限にある
タイムラインにある無限の時空も全て
一体、そしてそれが全て自分自身と
いう事でもあるからです。
この事は臨死体験シリーズを読んで
いっていただければわかっていただける
と思います。
ただ、一つの観点として、レイモンド・
ムーディ氏の魂レベルでいえば、これは
過去世だと言ってもさしつかえありません。
それにしても、とても感応度の高い方の
ようで、退行催眠の例は、いくつも知る
事になりましたが、このように一どきに
9つもの過去世を体験した人は、今の
ところ他に知りません。
これは、レイモンド・ムーディー氏が、
臨死体験領域のエピソードを研究する
ようになったこと、また過去世も研究
するようになったことと深く関係が
あるような気がします。
高い次元の自分自身である、自身の
霊というものは、本人にとっての
道しるべとなるようなきっかけを
多く与えようとします。
しかもムーディー氏は、トランス状態
にあったわけで、そのような状態の
本人に、高い次元の霊は作用を及ぼし
やすいですからね。
そうですね、この高い次元の霊のこと
を、守護霊とも呼ぶ事もあります。
またその霊とほぼ同じ存在が、臨死体験
でよく出会うと報告される光の存在と
同じ存在であると、思っていただいても
いいと思います。
つまりレイモンドムーディー氏が、
過去世の研究を始めるように、過去世
を通常よりも多くみせるように誘導
したという事です。
この9つの過去世のうちのいくつかを、
このシリーズの次回でも取り上げよう
とは思います。
確かに彼が自分自身で語っているように、
心の願望からくる創作の幻覚でない事も
わかるのが、かなり大変ネガティブな
過去世が多くありました。
それと映画を見ているようだったという
のは、その過去世の意識が存在している
領域は、やはりホログラム的現実の
世界であるという事の裏付けでもあり
ます。
しかも多くの退行催眠による、過去世の
体験では、3D映画のように立体的で、
さらに360度の視点があり、それを
第3者の視点で眺めたり、当人になり
そのまま体感までしてしまう事も多い
ようです。
しかし、これも臨死体験者の人生回顧と
共通している点が多くあり、やはり
霊的な領域は、無限の鮮明なホログラム
の世界の側面もあるという事ですね。
側面といったのは、意識レベルによって
さまざまな現れ方が体験できるという事
だからです。
ただ確かに、ホログラム的現実は、我々
の日常の現実と、意識的に近いところに
存在しているという事がよくわかる
わけです。なぜなら、退行催眠一つで
それを体験できてしまえるからです。
実は今回引用に使わせていただいた本
以外にも、レイモンド・ムーディー氏
の著書はいくつも持っていて、まだ邦訳
されていない、原著で退行催眠を扱った
本も所有しております。
このシリーズでは、その本からの引用も
ご紹介してまいりたいと思います。
ではまた(^^)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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投影される自己、転生と憑依は共通する!


今回は、最近取り上げているテーマ
でもある魂への人格の投影という
意味で、憑依する霊現象とともに
共通点があるのが、この転生
つまり前世記憶の事例という事に
なります。

もちろん時間さえもマトリックス
の固定観念で、真実は、全ての時間が
同時に存在しているというのが真実
なので、あくまでも時間の認識に
とらわれているレベルでの話だと
想定してくださいね。
絶対意識に到達して、全ての時空が
同時に存在しているという事が真実
だと断言しておられるアニータさんは、
転生は、誰かの意識に、別の人の
意識が入ってきた現象だと言って
ました。

そのレベルはともかく、時間の進行
とともにある私たちの感覚としては、
この転生という、前世の人格の意識が、
魂に投影されるというコンセプトは
理解の助けになります。

私たちの魂という個人の意識は、生命
に宿る時に三つの要素から成り立って
いると考えてます。

つまり親(現人生での体験も含む)と
先祖の全ての体験・記憶と形質の
遺伝子が投影される要素。

そして生命を受けた時の宇宙的天体の
配置も含めた環境による意識エネルギー
と、その時点で受けとった集合意識
という要素。

それと別の時空または前世にある人生
を生きた人格の意識と個人としての
主体的な意識との混成という要素。

これら三つの割合など知る由もない
ですが、やはり通常の方は、これら全て
の要素を魂に投影させて、生命を形成
していると考えられるのです。

とにかく、別の人生に生きた人格も
意識に投影されて生を受けたという
実例が前世記憶という事です。

その前世記憶つまり転生の裏付けとなる
事例に徹底して、厳しい調査を繰り返して
きた科学者で、最も有名で信頼されて
いるのが、イアン・スティーヴンソン教授
という人物です。
この人の凄いところは、徹底した研究の
仕方で、共同研究者たちとともに、その
前世記憶を持った子供(たいていのケース
では7歳頃までになくなるらしいです。
これって月の影響の年齢までという事
ですよね。実はこの事は別の重要な事と
つながります。また別に書かせていただ
きます。)を尋ねて現地までいき、その
証言の裏付けを徹底する事にあります。
なんとそのような事例を2000以上も
集めたというのです。
これは、まさに前世記憶が、れっきと
した真実であるという事を完全に裏付けて
いるではありませんか!
しかし、このイアン・スティーヴンソン氏
の凄いところは、これだけの証拠事例を
集めておきながら、前世記憶が転生を
裏付けるという事を主張してはいない
と明言しているという事です。
なんという謙虚さでしょう。例の
公式のアレとは比べ物になりません。
あちらは、「一見赤方偏移が遠ざかって
いる星の動きに想定できる」という
理由だけで、他の光の屈折などの可能性を
勝手に排除して、そこからの類推で
宇宙の起源とビッグバンをでっちあげて
完全な真実として、喧伝し続けて、
いつのまにか常識にしてしまうような
公式のアレとは比べ物になりません。
とにかくその謙虚で真摯な同氏の著書が
邦訳で出てましてそれが、
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”
です。これが今私の手もとにあるという
わけですね。
このシリーズではその徹底した研究ぶり
のいくつかを紹介させていただこうと
思いますが、最初はやはりこういった事例
に対して、懐疑的や否定的な人たちのために
物理的な証拠も合わせて見られる事例を
取り上げることにします。
例によって「」が引用で~から~までが
中略です。

「コーリス・チョトキン・ジュニアの事例

 アラスカに住むトリンギットの老漁師
ヴィクター・ヴィンセントが姪のコーリス・
チョトキン・シニアに向かって、自分が
死んだらおまえの息子として生まれ変わる
つもりだ、と語ったことが本例の発端に
なっている。

ヴィクター・ヴィンセントは姪に小さな
手術痕を二つ見せた。ひとつは鼻柱の
近くにあり、もうひとつは背中にあった。
その痕を見せながら姪に、このふたつの
痕跡と同じ場所にあざがあるから
(来世では)すぐ見分けがつくはずだ、
と語ったのである。
ヴィクター・ヴィンセントは、一九四六年に
死亡した。
その一年半ほど後
(一九四七年一二月一五日)、
チョトキン夫人は男児を出産した。その子は
、父親の名前を襲名し、コーリス・
チョトキン・ジュニアと名付けられた。
コーリス・チョトキン・ジュニアの体には
母斑がふたつあった。母親のチョトキン夫人
によれば、その母斑は、以前伯父の
ヴィクター・ヴィンセントが見せてくれた
手術痕と全く同じ部位にあったという。
私がこの母斑を見たのが一九六二年で
あったがチョトキン夫人の話では、生まれた
時にあった位置からはふたつとも既に離れて
しまっているとのことであった。
とはいえ、ふたつともまだかなり明瞭
であり、特に背中の母斑は印象的であった。
長さ三センチ、幅五ミリほどの大きさで、
周囲の皮膚に比べて黒ずんでおり、わずか
に盛り上がっていた。手術痕が癒えた時の
状況とよく似ており、大きな母斑の両側
の、手術で切開した皮膚を縫合する糸が
あるはずの位置に、小さな丸いあざが確かに
ついていたため、手術の痕に似ているという
印象をますます深めたのである。
 コーリスが一歳一ヶ月になったばかりの頃
、母親が名前を復唱させようとしたところ、
コーリスは腹立たしげに、「僕が誰だか
知っているよね。カーコディだよ」と
言った。これは、ヴィクター・ヴィンセント
の部族名であった。コーリスが自分のことを
カーコディだと言った話をチョトキン夫人が
ある叔母にしたところ、その叔母は、
コーリスが生まれる直前、ヴィクター・
ヴィンセントがチョトキン一家と暮らす
ようになる夢を見た話をしてくれた。
チョトキン夫人によれば、ヴィクター・
ヴィンセントが自分の息子に生まれ変わると
予言していた話をそれまでその叔母に一度も
したことがなかったのは確かだという。
 コーリスは、二、三歳の時に、ヴィクター
・ヴィンセントの未亡人を筆頭として、
ヴィクターが生前知っていた人物数名を独力
で見分けている。コーリスは、通常の手段
で知ったとは考えにくい、ヴィクター・
ヴィンセントの存命中に起こったふたつの
出来事についても言い当てているという。
また、コーリスはヴィクター・ヴィンセント
とよく似た行動特徴もいくつか示している。
たとえばコーリスは、髪の梳かし方が
ヴィクター・ヴィンセントと瓜ふたつで
あったし、ふたりとも吃音があり、船や海
の上にいることを非常に好み、きわめて
宗教心が強く、しかも左利きだったので
ある。コーリスはまた、小さい頃から発動機
に関心を示し、発動機を操作・修理する技術
も持っていた。母親の話では、コーリスは
船の発動機の操縦法を独学で習得したと
いう。コーリスが父親からこの技術を受け
継いだり学んだりした可能性はない。
父親には発動機に対する関心も発動機を
操作する技術もほとんどなかったから
である。」
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”

まあこれは間違いなく、過去の人生で
老漁師だったヴィクター・ヴィンセント
の霊または意識または魂が、このコーリス
・チョトキン・ジュニアという子に
宿ったといえる事例でしょう。
ただ懐疑派の人は、これは暗示効果だと
いう場合を指摘するかも知れませんね。
ヴィクター・ヴィンセントが、その子を
産むことになる姪に自分がその姪の息子
として生まれ変わるという事を聞いた
姪の潜在意識が、DNAに作用し、その
言葉の内容をその特有の言語として
書き込んだため、それが出産に影響した
という事だとする言い分がありますよね。
ですが、その子が、前世の知人の記憶を
持っていた事、ヴィクター・ヴィンセント
の体験の記憶や何より、性質や特技、
また身体的な癖や行動特性まで同じ
という事になれば、もはやDNAに
書き込まれたという説明だけでは、全く
筋が通らなくなる事になりますよね?
つまりやはりこの場合の結論は、霊や
魂や意識となったヴィクター・ヴィンセント
が、姪の息子の肉体に宿り、生まれ変わった
というものにしかならないと思います。
でも懐疑派なら、なんだかんだいってき
そうだなー。
たぶんそういう人は、「あり得ない」と
思い込んでいるから、むしろ妥当でない
可能性にもしがみつくのではないかと
思うのですか、いかがですかね。
また全ての人が必ず生まれ変わるという
わけではなく、この次元での転生を望んで
いたり、また肉体による生命だけが、現実
だと思っている意識または霊または魂が、
次の肉体によく宿る事になるという事
ですね。基本的にそういう人は、未来に
生まれ変わりますが、それは時間を連続
したものという認識で生きていた人に
限るので、もしそこを柔軟に捉えられる
人であれば、自分が死んだ時よりも、
過去に生まれ変わる場合もあります。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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愛すべき霊のあのJKが語った死後の世界と案内人の存在


この記事は、
確かな霊媒師が、演技やごまかしで
霊との会話をしていない実例とは?

の続編となります。
まだ読まれていない方には、わかりにくい
かも知れませんので、できたらそちらを
先にご覧くださいね。

前回はコリンウィルソンの知人でもあった
愛すべきキャラクターであるJKこと
ジャクソンナイトが、死後霊となって、
霊媒を通じて語りかけてきた言葉を
ご紹介しました。
また別の機会に、今度は弟の
ウィルソンナイトの出席した交霊会で、
また霊媒を通じて語りかけてきたJKの
言葉を、またコリンウィルソン氏の著書
から引用させていただきます。
「」内が引用で、~は中略、()内は
私の注釈です。

「ウィルソンナイトはこう書いている

 彼は流暢に語りかけ始めた。
「どうもありがとう!」が強く連発
された。と急に言葉を切って、いかにも
彼らしく
「いや、これは失礼、皆さんがたに挨拶
しなきゃいけないな。・・・」
といってから、私に
「フィフィ(霊界にいる霊の案内役、高次の霊)
が私(JK)に最初に喋る許可を与えてくれ
たんだ。なんて親切なことだろう。これは全く
すばらしい経験だよ」
といった。

あんたの生活がどんなものかと問われると、
彼は~(たとえがわかりにくいので
省略しました。)を想起させるような言葉で
答えた。
「そんなに違いはないが、ただいろいろな
ものがたぶん前よりも美しいように思う。花
だとか、樹だとか、動物だとかだ。
それがとても美しい。それに苦痛はないし、
醜さもない。」これにつけ加えて、
「その気になれば、暗い場所も見える。
私はまだ準備がすっかり整っていない。
私はきっと興味をそそられるだろう。人々が
自分でこしらえた〈地獄〉だ。」
[スウェーデンボルイも霊界のこの局面を
かなり詳細に描いている](スウェーデン
ボルイとはスウェーデンボルグの事です)
そして後刻、今度はこういった。
「私たちがいわれていたことは全く本当
なんだ。・・・それは誰もが知らなくちゃ
ならない大切なことだ。それは人びとを
今よりずっと幸福にするだろうし、また、
ずっと注意深くなるようにさせるだろう。」
彼は、人々に影響を与えるのは容易なこと
ではなかろうといった。「地球に達する
ためにしなくてはならない、いろいろな
こと、あらゆるメカニズムを考えて
みると・・・」」

“出典:「オカルト」
       コリン・ウィルソン 著
         中村保男 訳
           平河出版社刊”

このJKの霊界からの通信については、
まだ続きがありますが、今回は臨死体験者
の証言やスウェーデンボルグの霊界に
ついての説明と、共通点が多く、まさに
死後の生存の証拠になっていると思われ
ます。
慎重派のコリンウィルソン氏も続いての
動かしがたいという、裏付けのある実例を
取り上げたあと、死後の「生存」の証拠は
決定的に証明されたとみなしてさしつかえ
ないとしておられます。

霊界のJKは、臨死体験者のいうように
苦痛の全くない美しい天界にいる事を説明
してくれています。
つまり肉体のある我々は、余計な苦痛を
持って生きている事の証明でもあるわけ
なのです。
これは月のエネルギーの真実 その1でも
くわしく説明しています。
確かに生きるためにという意味では、
私たちの肉体は、余計な苦痛の多い
仕組みをしていると思います。
臨死体験者たちの多くが、肉体に自分
の意識がある間は、監獄に入っている
ようだったと証言しているのも、この事
を裏付けています。
これは、私たちの生命が、意図的な干渉を
受けている事によるという事を、真実の
月編や土星の真実編で説明してきた
というわけです。

またスウェーデンボルグ氏や、臨死体験者
の言葉通り、やはり地獄というレベルが
ある事は確実なようですね。
JKもその事を示唆していますが、それは
人間が自分でこしらえた地獄だともいって
ます。
確かに誘導はされていますが、結局地獄は
自分の中にある邪心や邪悪な心を表現
しようとした意識によってつくられるもの
のようで、生前そのような意識を持って
いたものたちが死後そこへ「自らの意識で」
向かう事になるという事でしょう。
死後は、意識のレベルにある程度囚われる
らしく、邪悪な心の人は、そのままの
レベルで、自分のつくる地獄へいき、
そこで苦しむことになるという事です。
霊の領域では、主体と客体の区別が無くなる
ので、生前誰かを苦しめたのなら、同じ事で
自分が苦しめられるようになるという事
です。
そりゃそうでなきゃ、愛する人たちを虐げ
るものたちを、そのまま許すような事が
あっては、愛が基本の霊界または高次の
領域で、愛に対するマイナスエネルギーで
ある邪悪を呼び込むことになります
からね。
日本人は、悪に対して寛容すぎるのは、
自分は嘆かわしい事だと思っています。
被害者の人たちに対しての思いやりが
あれば、決して邪悪なまたは冷酷な、また
残虐な行為は、許されるものではない
という事くらいわかりそうなものですが
ねー。みんな平等に愛してあげるのは、
みんなの中に、邪悪な心を持つ人がいなけ
ればという条件がつくという事を、覚えて
いただきたいものです。
JKの言葉で、霊界などの真理について
人々が、知るべき事を知れば、今より
ずっと幸福になるだろうといっている事
は、とても正しいのです。
だから、臨死体験者もいうように、あの世
では愛と知識だけが、唯一持って行ける
大事なものだという事だという事です。
ちょうど私の神秘メッセージは、そのような
本来の意味での「知らなければならない
真理」についての事がテーマになって
います。そういう真の知識について、
みなさんと一緒に高め合っていけたら
いいなと思っているわけです。

それとJKの霊界での案内役であるフィフィと
いう存在は、臨死体験者たちが出会う光の
存在と、ほぼ同じものではないかと思います。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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確かな霊媒師が、演技やごまかしで霊との会話をしていない実例とは?


これだけ超常体験、超常現象、非日常的
知識など、神秘的なことならなんでも
取り上げてきたのに、意外にこの霊媒を
通じての、霊との交信というのは、あまり
取り上げてきませんでしたね。
催眠術もそうですが、やはり偏見を集め
やすいカテゴリーのような感じもする
からでしょうね。
だって、霊媒がその人の霊だと偽って
生きている家族に会いたいとかいうの、
一見霊媒の演技でもできそうに思われる
事が多いからではないかと思います。
でも懐疑派のコリン・ウィルソン氏が
取り上げるなら話は別です。胡散臭いと
感じたら、徹底追求して真偽を確かめよう
とする方なので、信用できますね。
今回は、同氏が心霊術に対して、再び
関心を向けた実例について取り上げます。
それは、亡くなった人がウィルソン氏の
知り合いで、霊が彼かどうか、はっきり
わかるという事例です。

では引用させていただきますが、まずは
ウィルソン氏の知人であるJK
(ジャクソン・ナイト)という人物とは
どのような感じの人なのかわかるところ
からです。

「」内すべて引用、~は中略です。

「私は一九六〇年から一九六四年にJK
(ジャクソン・ナイトは一般にこう呼ば
れていた)が死ぬまで、何度かJKに
会っていた。彼は、人が忘れようとして
も容易に忘れられない人物で、おおいに
「傑作」であり、優しい神経質な
エネルギーで泡立っていた。ウィルソン・
ナイト(引用注:ジャクソン・ナイトの弟)
はJKの習慣を正確に記述している。
「・・・興奮したしゃべり方と繰り返し、
おかしみ、謝意と称賛の誇張した表現、
そしてさらには、定義することの不可能な
半ばコミックな考えの微妙なひねり」。
これを読むと私は、初めてJKと会ったとき
のことを想い出す。温かく神経質で、
ぎくしゃくした握手、どちらかというと
高い正確な声が熱狂的に「おう、これは、
これは!よくいらしてくださいました!
私にとっても、これはとても鼻の高いこと
です!さてと!まさかとは思っていたん
ですが・・・」
云々という。ついには、こっちがいっぱい
くわされているのではないかと思うように
なるまで、この調子で続けるのである。
だが彼は人をかつごうとしていたのでは
ない。これが彼の自然な態度だったのだ。
したがって、私がウィルソン・ナイトの
原稿の中で、次の転写-(一九六五年の
三月、JKが死んでから四ヶ月後に
エクスターのある降霊術会で)
(引用注:転写とは霊媒の口を使って
話した事を、その場にいた人が書き取った
ものという意味らしいです。この時は
ドロシー・パーキンスという霊媒を通じて
、JKが語りかけたというものです。)
~を読んだときには、たちまちJKの
肉声が次の言葉を喋っているのをこの耳
で聞くような気がした。」

これで霊となっているJKという人物が
どんな感じなのか、わかっていただけた
と思います。彼は、人当たりがよく
人に対するサービス精神旺盛で、大げさ
のように見える態度や言葉で、相手への
親近感を惜しみなく伝えようとする
いわゆる、とーってもいい奴という感じ
の人ですね。
今回転写という言葉も、珍しいですよね。
私もこれ読むまで知りませんでした。
転写というのは、霊媒を通じて霊が
語った言葉を書き取ったものという事
ですね。
このときは、JKの弟であり、
ウィルソン氏の友人であった、ウィルソン
ナイト氏が書き取った転写という事です。
さてなんとなく、思い浮かべられそうな、
霊となったJK氏の言葉からまた引用です。

「なんてすばらしいことだろう、こうして
皆さんに話しかけることができて、しかも
死んでいるということになっているのは、
なんて、まあ、胸のときめくような
ことだろう。私はこれまでに一度か二度
話を交わそうとしたが、通じなかった。
 フィフィ(霊の案内役)はとてもよく
私を助けてくれ、どうしたらいいかを
教えてれるんだが、私はまだうまく
やれない、が、気にすることはない、
そのうちにこつを覚えるだろう。でも、
すべては本当に真実だったんだ、本当に、
そうであることが信じられないくらいに、
だがやっぱりそうだったのだ。まことに
美しい。
初めて霊界にいくとき、私はとても興奮
していたので、私があっちにいるという
ことを知らせるために私自身の存在を
感じさせようとしたんだ。すまないが、
私がディック(弟のウィルソン・ナイト)
にもっと私を感じさせることができ
ないんだ。が、そんなことは気にしない
、そのうちにやれるようにになるだろう。
こつを覚えるだろうさ。なんて
すばらしい、なんて胸がときめくことか。
私はこれまでにそっちへ行ってやって
みたんだが、どうも難しかった、予想
していたより難しいんだ、が、それでも、
フィフィの指導を受けて、もっとうまく
やることができるようになるだろう。
ディックによろしくいっといてくれ、
このお膳立ては気に入ったと伝えてくれ。
申し訳ないんだが、心で思っている
いくつかのことを言い終えることが
できないんだ、が、彼はいい奴だから、
やってくれるだろう。それは分かって
いるんだ。何かを組織したりすることに
かけては彼はすばらしい-私なんかより
遙かにましだ。私の心はどっちかという
とだらしないんだが、彼はとてもきちんと
した心をもっている。・・・
とてもとても素晴らしい経験だよ、
こうしてやってきて、この部屋で喋れる
なんて!ここはよく私がやってきて、
他の人たちと話をしたところなんだ。
今はあんたたちと話している。
 
 誰でも彼を知っている者にとっては、
これは紛れもなくJKその人である。
自分を卑下するようなユーモアといい、
説論調の話し方といい、彼以外の者では
ありえない。」

“出典:「オカルト」
       コリン・ウィルソン 著
         中村保男 訳
           平河出版社刊”

このJKという人物の霊は、ドロシー・
パーキンズという霊媒を通して、語った
という事ですが、それをコリン・
ウィルソン氏の知人でありJKの弟でも
あるウィルソン・ナイトのために、
ミス・K・ニールという人が、速記で
書き取った転写が、上の言葉です。
これは、そのJKという人物だと、
私にもとてもよくわかります。わかり
すぎて笑いが涙まじりにもれてきま
した。愛すべき人物だし、彼は愛情
豊かな人物ですね。
またこれほど本人らしさがあらわれている
言葉もないでしょう。さらに私にも
似ているからわかるのです。本人で
なければ出せない味というものが
あって、私のくどい文章の書き方は
誰にも真似できないものであるように
(いや頼んでも真似してもらえない💦)
この彼の言葉も、絶対に他人では不可能
だという事がよくわかります。
また彼が、この霊媒の口を通して語れる
ようになるまで、フィフィの指導を
受けていたという事ですが、このフィフィ
というのは、霊界での彼の守護霊のような
存在だろうと思われます。
つまり、霊となったJKが、この世と交信
するためには、霊媒の力だけでなく、霊
である彼の方にも、なんらかのテクニック
が必要だということを示唆しているという
ことです。
またこのシリーズの次回で、彼がいる霊界が
、天界のようなところであるという事を
ご紹介しますが、このときも、美しい
という言葉で、自分の今の状態というか、
環境を伝えてくれています。
つまり、臨死体験者の経験するように、
霊界は、居心地がいいところのようです。
特に彼のような人物にとっては、という
意味で。
彼は自分の弟ウィルソンナイトを愛称で
あるディックと呼んでいます。
自分の弟のことを語り褒めているところは、
いかにも弟思いのいい人であるJKの性質が
よくあらわれていますよね。
コリン・ウィルソン氏が、自分も実感できる
JKの事例に出会って、また心霊術に興味を
持つようになったという事です。
JKが、伝えてくる霊界の様子などは、
とても貴重な知識となるので、その事を
JKが今度は弟のウィルソン・ナイトの
出席した交霊会にあらわれて語った
言葉から学べます。

それは次回にご紹介させていただくこと
にしますね(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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時空を越えたビジョン最高の霊媒 ギャレット女史


みなさんは、霊媒や超常能力が、一部の
人々の間でだけ、確認されたような錯覚を
お持ちでしょうが、世界ではすでに、
それを多くの科学者たちが検証しているの
です。そして、それらが真実であるとして
認められると考えられているものが、
多いという事なのです。日本の多く人には、
そのような感覚はほとんどないですよね。
それに対して、この記事はひとつの参考に
なると思います。

今日ご紹介するのは、20世紀最大の
霊媒であり、世界で有数の超常能力者と
して知られる、アイリーン・ギャレットの
超常能力、超感覚的知覚についての記事
です。
このギャレット女史は、それこそ無数の
エピソードを残しています。なので、
今回はそのほんの一例という事になり
ます。
そのエピソードは、実験心理学者
ローレンス・ルシャン(一九二〇~?)
という科学者による実験ですが、彼は
もともと超感覚的知覚などあるはずが
ないと思っていたのですが、入念な
研究をするうちに、その考えを改めま
した。そこで出会ったのが、アイリーン・
ギャレットだったというわけです。
では、いつものようにコリン・ウィル
ソン氏の著書からの引用です。

“ルシャンは、霊媒アイリーン・ギャレット
(一八九三~一九七〇)が科学界で高く
評価されていると聞き及んで、彼女と
組むことにした。そして、心理学者として
はじめてギャレットと面会したルシャンは、
こいつは偽物ではないと確信する。
それまでの研究では、四角いボール紙の
色を当てさせる実験が行われていた。
そんな実験は単調で不毛だと思った
ルシャンは、もっと興味深いものに
しようと一工夫凝らすことにする。12歳
の愛娘ウェンディの髪の毛を一房刈った
うえで、隣人に飼いイヌの尻尾の毛を一房
くれと頼み、そして庭からバラの新しい
蕾を摘んできたのである。これを三つの
プラスチック製の空箱にいれたルシャン
は、それぞれの箱のなかに何があるのか、
実験開始にあたって霊媒に教えた。ついで
衝立の後ろに箱を引っ込めて、ギャレット
夫人の腕をせまい穴に深く差しこませた。
そしてルシャンは箱を一つ任意に取り出し
、彼女の手の届くところに置いた。すると
、ギャレット夫人はすぐ中味がウェンディ
の髪の入った箱だと正しく見きわめ、つづ
いて子どもについて信じがたいほど正確な
解説を行ったのである。
第一声は「ヒラリーって呼ぼうかな-
そんな感じ」というものだった。
実際ウェンディは四つのとき、ヒラリー
という少女が好きでたまらなくなり、
名前をヒラリーに変えて、と両親に
せがんだのだった。
だが、そんな出来事は忘れられておりー
長らくルシャン家でも話題にのぼった
ことすらなかった。
ギャレット夫人はさらに、ウェンディ
について気味わるいほど正確な解説-
たとえばウマが大好きだとか、最近は
思いのほか、アメリカ史に興味が芽生
えてきたことなど-を一渡り語った。
イヌに対する洞察も同じく見事なもので、
とりわけルシャンにはイヌ一般について
の知識がまったくないこと、そして
イヌの飼い主の隣人はまだ引っこして
きたばかりだといった。
ギャレット夫人によれば、そのイヌは
足をひどく痛めたことがあり、シーリ
ハムテリア種の仲間がいるようだと
いう。その動物は足をひどく傷つけた
ために、傷が化膿して六週間入院しなく
てはならなかったことや、生粋の
ウェールズ産テリアなのに、何か骨格に
かかわることが原因で、イヌの飼育家
からシーリハムテリアの特徴があるか
聞かれたこともあったと、隣人が立証
してくれた。(ルシャンはそもそも、
シーリハムテリアがどんなものかも
知らなかった)
ギャレット夫人はバラについて、順調
に育てるには土の酸度が強すぎる-
ルシャンは専門の庭師にもそう言われた-
と口にした。”

”出典:「超オカルト」
コリン・ウィルソン著 風間賢二+阿部
秀典・訳 ペヨトル工房刊”

ギャレット夫人が示したのは、サイコ
メトリーという超常能力の一種で、
以前にも超常現象とホログラムその2で、
ステファン・オソヴィエツキー
という最高のサイコメトリストを
ご紹介させていただきましたが、
彼は、手にした物の過去の一映像を
ありありと見ることができるという
ものでした。

しかし、アイリーンギャレットが
口にしたことというのは、その物に
関しての驚くほど詳細な事だった
のです。まるで、その物に関わるもの
全ての情報が、あらゆる角度から、
わかるかのようです。
たとえば、ルシャンの愛娘の髪の毛
から、4歳の時の記憶というか過去の
場面を引き出したのですが、その
髪の毛は、12歳のウェンディのもの
だったのです!つまりその4歳の時に
は生えてなかった髪の毛だという
事です。

ここで通常考えられるのは、
ウェンディの肉体に、その記憶が刻ま
れていたために、以後ウェンディから
生えてくる髪の毛は、それまでのあら
ゆる記憶とともに、4歳の時の場面も
保持しているというものですが、これ
までに、ホログラム的な現実を紹介
しているので、肉体というよりも、
ウェンディのオーラ場にまだ残って
いる過去の一場面を、その髪の毛を
媒体として、ギャレット夫人が読み
取れたと考えた方が、より深い理解に
なるのではないかと思います。

つまりギャレット夫人は、ウェン
ディのこれまでの過去の全てが収めら
れて現存しているホログラムのオーラ場
そのものを、自在に見れているということ
です。しかもそのオーラ場というのは、
臨死体験者が一生を振り返って見た
人生の全映像のように、その時の
自分の気持ち、また相手の気持ち、
さらに360度の視点などが、あり
ありと感じられるものなのです。
そうだとすれば、そのウェンディに
ついてのあらゆる情報が引き出せたの
も、とても理解しやすい事になるの
です。

それとイヌについてやバラについても
同様にあらゆる情報を引き出せたのも、
同じ理由だといえると思います。
我々の現実感覚と違い、真の現実の
世界というものは、アイリーン・
ギャレット夫人のような能力が示す
ような世界ではないでしょうか?
つまり過去は消えさらず、永遠に
残っていて、意識でそれを経験する
ことはいつでもできるという世界
や能力が現実だという事です。
またもちろんこれからも証明させて
いただくように、未来もすでに存在
していて、しかも無数のコースが
あるという事です。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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意識のイメージによる未来実現 古代から世界各地で伝わる「視覚化」とは?


20世紀の量子物理学の登場以来、
五感で認識できないもの(古くは
エーテルとも呼ばれていました)や
超常現象についても、科学的な理解が
されていくようになりました。
といってもそれは中世からの西洋科学の
流れであって、もともと世界中では
どこにでもあった理解や考え方だったの
です。
量子物理学も示唆するようになった、
私たちの主観が現実を創りあげている
という概念も世界中で見られたものです。
また私たちがイメージで未来を創造すると
いうのは、本来の意味での科学だと
いってもいいと思います。

意識や魂や思考というのは、世界中で
太古の昔から普遍的な教えとして語り
継がれてきました。
しかし、ここ現代の日本では、教育課程に
ほとんどそういったものがみられません。
それは、また都合の問題もあるからですが
、それでは我々はこの世界で生きる意味
や意義そして真理に対して盲目になり、
生きる目的や幸福とは何かについてほと
んどゆっくり考える暇もないまま、生活に
追われて、そのまま人生を終えることに
なります。しかもそういう教育を受けた
人々の多くが、人生は死んだら全て終わり、
肉体とともに自分という存在も終わると
考えて、虚しく悲観的な利己主義になり
ますます社会が殺伐としてきます。
現にそのような社会になりはじめている
ではありませんか。
あんみんの真理探究の成果で、人は永遠の
存在であることを、科学的な観点からも
正しいことを裏付ける事実や証言を、
徹底して集めていて、もはや肉体は一時的
な借り宿のようなもので、我々はみな一様に
永遠の存在であるという結論に達しました。
今回は、その事をシリーズでお伝えする
「意識と魂と思考」の第二弾ということで、
古来から世界中で伝わる意識や思考、魂
の教えをひもといてみることにしました。

意識や魂や思考といテーマに対して、
科学的なアプローチをして、世界中の学者や
識者から絶賛される成果をあげてきた天才
神秘研究家マイケル・タルボット氏の著書
からの引用です。

“  思考がつくりあげるもの
これまでに見てきたさまざまな「発見」に
ついても言えることだが、私たちの無意識の
心の深い部分、あるいは霊的な部分は、
時間の境界を越えたところまで手を伸ばす
ことが可能であり、自分の運命を決めて
いるのもこの部分だという考えは、多くの
シャーマンの伝承やその他の文献にも見出
すことができる。
インドネシアのバタック族の人々によれば、
ある人間が体験することは、すべてその人
の魂(「トンディ」と呼ばれる)によって
決定され、それはひとつの身体からつぎの
身体へと生まれ変わっていくもので、
その人の過去世の行動ばかりか、肉体的な
特徴までも再生する力を持った媒体である
という。オジヴウェーインディアンも
人生は目に見えない霊、あるいは魂に
よってその筋書きが書かれており、成長と
発達を促すような形にそれが仕組まれて
いると考えている。必要な教訓をすべて
学ばないうちに死んだ場合、その人の霊体
はこの世に戻り、ふたたびまた別の肉体に
生まれ変わるのである。 
 カフナ(ハワイに昔から存在する、未来
予知、手かざしなどによる病気の治癒、
想念現実化などの能力を発揮する人たちの
総称)はこの目に見えない側面を
「アウマクア」すなわち「高次の自己」と
よぶ。ホイットンの超意識と同様に、
それは人の無意識の中でも、結晶化した未来
、あるいは「固まった」未来の一部を見る
ことができる部分だ。
わたしたちの運命を創造しているのもこの
部分だが、そのプロセスを単独で行って
いるわけではない。この本に登場した多く
の研究者たちと同様に、カフナたちは思考
には実体があり、彼らが「キノ・メア」
(影体)とよぶかすかなエネルギー物質で
できていると考えた。したがって、私たち
が持つ希望、恐れ、計画、心配、罪悪感、
夢、あるいは空想などは、心から去った
あとも消滅してしまうのではなく、想念
としてひとつの実体となり、これもまた
高次の自己が未来を織りなすための糸の
一部となるのだ。
 ほとんどの人は思考に責任を持ってい
ない、とカフナは言う。
高次の自己に対し、まったくコントロール
されていない、互いに矛盾しているさまざ
まな計画や望み、恐れなどを常に浴びせ
かけている。
これが高次の自己を混乱させるため、ほと
んどの人の人生は、これまたコントロール
のきかない偶然の産物と見えてしまうのだ。
強い力を持ち、高次の自己といつもつながり
をもっているカフナは、人の未来をつくり
変える手助けができると言われていた。
同様に生きて行く過程で、人々が頻繁に
立ち止まっては自分の人生について考える
時間をとり、自分の望みを具体的なかたちで
思い浮かべることが非常に大切だと考えら
れていた。そうすることによって、人は自分
の身にふりかかる出来事をもっと意識的に
コントロールできるようになり、自分の未来
を自分でつくっていくことができるとカフナ
は説いたのである。
ティラーやスティーブンソンによる、精妙な
中間体の概念(いわば魂のようなもの)を
思い起こさせる考えを用い、カフナはこの
「影体」物質もやはり肉体の型版をつくる
と考えていた。ここでもカフナの中で自分
の高次の自己と非常にうまく波長が合って
いる者は、人の影体物質の形をつくったり
変えたりすることができくると言われて
いた。
ということは、肉体にも同じようにできる
ことになる。奇跡的治癒が行われるのも
こうした仕組みによるものとされていた。
この見解が、思考やイメージがなぜ健康に
あれだけ強力なインパクトをもつのかに
ついて私たちが到達した結論と同様のもの
であることは興味深い。
 チベット密教の神秘主義者たちも、
この思考の「物質」を「ツァル」とよび、
すべての精神活動はこの神秘的なエネルギー
の波動を生み出すと言う。
彼らは、宇宙はすべて心の産物であり、
すべての存在のツァルの集合によって
それは創造され、生命を与えられていると
考えた。密教によると、ほとんどの人は
自分がこの力をもっていることに気づいて
いないが、それは普通の人間の精神が
「大海から隔絶された小さな水たまりの
如くにしか機能していないからだという。
精神の深いレベルに接触する技をもつ偉大
な行者だけが、このような力を意識的に
利用することができると言われており、
彼らがこの目標を達成するために行なった
のは、望むものが創造された姿を繰り返し
思い浮かべ視覚化(観想)することで
あった。チベット密教の文献には、この
目的で行なわれる「サーダナ」とよばれる
視覚化の訓練がたくさん書かれており、
カギュー派のような宗派では、自分の視覚
化能力を完成させるため、僧侶は最長七年間
も洞窟や閉ざされた部屋の中にひとりで
過ごすという。
 十二世紀のペルシアのスーフィたちも、
自己の運命を変えて新たなものをもたらす
のに視覚化が重要であることを強調して
おり、この思考のかすかな物質を「アラム・
アラミタル」とよんだ。多くの透視者と同様
に、彼らも人間にはチャクラのような気の
中心点によってコントロールされる「微体」
があると考えていた。また、世界は段階的に
精妙になっていく一連の存在次元(ハダラー
と呼ばれる)に分かれており、この世に隣接
した次元は一種の型版的世界とされる。
「アラム・アラミタル」はそこで想念の像と
なり、それがやがて最終的に人生の成り行き
を決定していくのである。スーフィたちは
独自の視点も加えている。彼らは、胸の
チャクラ(「ヒンマ」)がこのプロセスを
司っており、自己の胸のチャクラを制御
することが、自己の運命を制御するための
前提条件であると感じていた。”

“出典:「投影された宇宙」
マイケル・タルボット著
川瀬勝訳 春秋社刊”

()内一部あんみんの注釈です。
もうこれで、魂や思考や意識が実体のない
架空のもの、または物質の副産物などと
いう人はいないと思いますが、実際
宇宙は全てまさかの真空です
でご説明したように、物質こそが架空
のもので、実は思考や意識、そして魂
などが、実体と呼べるものだったのです。
それを理解してる人たちが、思考や意識を
現実化させ、病人を意識や思考で治し、
予知能力などを発揮するのだから、どちら
が正しいか、すでに明らかですよね。
唯物論などを信じている人たちは、その
ことを説明できず、「偶然」などと、
苦し紛れに叫ぶことしかできません。
理解できなければ、なんでも偶然
だとか奇跡で片付けるのは、もはや
だだをこねて泣いている赤ん坊と変わら
ないのではないでしょうか?
頭のいい人は、全てには理由があるはず
だと、原因や謎を解明しようとするもの
です。そして太古からの賢人たちは、
これまでみてきたような結論を導き出す
のに至ったというわけなのです。
また世界中のいたるところで、また時代
を違えて、思考や意識、魂に対する考え
が、驚くほど同一の事をいっている事
にも注目していただきたいのですが、
彼らは、インターネットの時代に生きても
いないのです。つじつまを合わせる、
必要すらありません。
その上でほぼ同じ結論を導き出して、
しかも超常能力と呼べるものを、意識
的にコントロールし、実践してきたの
だから、もはや疑う余地がないのでは
ないでしょうか。
カフナの高次の自己は「アウマクア」
そして思考は「キノ・メア」、チベット
密教の神秘主義者は、思考の物質を
「ツァル」と呼び、ペルシアのスーフィ
たちは、思考のかすかな物質を「アラム・
アルミタル」と呼んだ。
これは、全て同じ事を別の言葉で表現
したものにすぎません。
また思考を現実化するために必要だとされ
ている事が、カフナの具体的な形で思い
浮かべる事と、チベット密教の神秘主義者の
「サーダナ」という視覚化、ペルシアの
スーフィたちの胸のチャクラによる視覚化
と言うことで、みんな見事なまでの一致を
みるのです。
またこの本には、続いて超能力者たち、賢人
たちの太古からの教えにも同様の事が伝えら
れていると例をあげて書かれています。
ここまでの証拠をつきつけられて、まだ
思考が物質のような実体ではないと、考え
られる人は、救いようがないと思えますが、
これを読んで理解しておられる人たちも、
同感されますよね。

つまり意識も思考も五感で捉える領域では
ないというだけで、れっきとした実体である
という事なのです。

人間の真の偉大な力編

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