この記事は
「江戸時代の日本に感動したという
当時の欧米人の言葉とは?」
の続編です。
今回本当に、といった事に違和感を
覚える人達は、まさかいない
でしょうね?
完全に近海で放射能汚染が、コントロール
されていると国のトップが言っていたのを
世界中の人々は、全く信じていません。
日本は情報統制のため大手メディアで
放射能汚染の現状は、ほとんど全く
知らされていません。ネットなどで、
放射能汚染の現状を調べなければなり
ませんが、世界では大手メディアで
詳細に日本の放射能汚染の現状を伝えて
いるからです。
そのため日本の農産物や海産物は、今でも
厳重に輸出規制されているわけです。
世界に向けて大嘘をついただけでなく、
国民はふだんから騙されっぱなしだと
いうわけです。
「いつから日本は、ウソをつく国になって
しまったのだろう。」
もし江戸いや戦前でさえ、当時の日本人を
知る人たちは、あまりにも変わり果てた
日本の変貌ぶりに驚いているはずです。
これは特に、国の権力者のバックにある
世界の権力者の意図通りに政治家が、動いて
いるためですが、そんな事世界の知識人しか
考慮に入れてくれないと思います。
つまり国のトップは、現在の日本人も代表
しているという事として捉えられるから
です。
あーなんという嘆かわしい事でしょうね。
かつて同じ人物が「美しい国ニッポン」
というスローガンを掲げていたのは記憶に
新しいですが、同じ人物の政権によって、
汚染土が、全国にばらまかれ、文字通り
「美しくない国」にどんどんしていって
くれているわけです。
もちろん放射能汚染だけでない事は、
多くの人がご存知の通りです。
ところが、学校では教えてくれませんが、
本当に世界でも類のないほど、日本は
「美しい国」であったのです。
また池田整治氏の著書から引用させて
いただきましょう。
『』内が引用で、~が中略です。
『都市全体が循環するリサイクル国家
日本に来た外国人は、そのほとんどが
中国・上海を経由した、上海という街は、
見た目は石造りの高僧ビルもあるが、
ほとんどの住民は、彼らの目から見ると、
まるで物乞い同然の汚いものだった。
そこからさらに船で東端の島国である
日本を目指した。インド・中国の次で
ある。彼らは相当な汚さを予期していた。
ところが日本に上陸すると、その
美しさに絶句した。
黒潮・親潮の海洋エネルギーの恩恵に
積み重ねられた「春夏秋冬」の、まるで
絵画のような大自然に圧倒された。~
寒村の横浜でも、小道に至るまで綺麗
に手入れが行き届いている。マッチ箱の
ような農村でさえ、庭には小綺麗な盆栽
がある。欧州における農奴の生活では
あり得ない風景だ。~
彼らは異邦人を家に案内し、食事を賄い、
風呂まで入れて、しかも帰りには土産
までくれる。御礼に手持ちのペンなどを
差し出すが受け取らない。寝る時は
家に鍵をかけないで寝ている。
さらに江戸にいくと、そこはまるで
パラダイスだった。
それもそのはずである。現存する
後楽園や六義園クラスの大規模な
公園が三〇〇~四〇〇ほどある。
中規模の公園は、三〇〇〇~四〇〇〇
ほどもある。
小さな個人の家にも必ず庭があり、盆栽
などが植え込まれている。言うまでも
なく、大規模な公園は大名屋敷であり、
中規模な公園は旗本屋敷や神社境内で
ある。
しかも非常に衛生的だ。トイレが
完備されていて、汚物は有機肥料として
使われている。完全な循環型有機農法で、
リサイクルにより人口約100万人を
賄っている。とても清潔で、掃除の
行き届いた街並みだった。
行き交う人は礼儀正しく、温かい
人間性にあふれている。必ず微笑み
で挨拶をしてくる。子供の天真爛漫な
無邪気さは他国では見られない。
市民が本屋の前で立ち読みする姿
など世界で初めて目にした。
絵画や彫刻、陶磁器の芸術も、これまで
見たことのないほど繊細で大胆な構図
である。目に触れる物、人、そのすべて
に彼らは感動した。
これらを上空から見れば、まさに緑
あふれた史上最大の公園都市・パラダイス
だろう。列島文明の特性である
「自然との共生」が、大都市・江戸で
結実したのである。』
“出典:「マインドコントロール」
池田整治 著
ビジネス社刊”
日本は本当に清潔で、美しい国であった
ようです。江戸時代が、完全リサイクル
社会であった事は、割と情報が出回って
いたので知ってはいました。
江戸に縦横無尽に張り巡らされた水路
で、海運も人の行き来もスムースに流れ、
新鮮な魚介類や、農産物も、採れたその
ままで、カゴを担いだ行商人が売り歩く
のです。
当然寿司も江戸中の寿司が、全て驚く
ほど美味しかったのはいうまでもない
でしょう。
また水路は防火対策としても役立つ
し、当然田園に行き渡り、農業を助け
ます。
まだまだ他にもあらゆる完全な都市
としての機能が、完備されていた夢の
理想郷であったようです。
なぜ「近代化」などをする必要が、
あったのか、もちろんそれは、日本を
利用して、富も簒奪しようという
大国のそれも一部の支配的特権階級の
意図があったからなのです。
それにしても鍵もかけないで寝られる
というのは、それだけ人が人を信頼し
思いやりにあふれた社会であったという
事がうかがえます。まさに共生の社会
ですが、西洋の「近代化」が進んだ
今はどうでしょう。全く逆の社会に
誘導されてきたのがわかりますよね。
彼らが持ち込んだのは「競争社会」
です。弱肉強食が自然の摂理だからと。
実はこれは大きな間違いです。
これは真実の月編の一連の記事を読んで
いただければ、わかっていただける
ようになっていますが、数十万年前に
地球の自然界のシステムは大きく
変えられ、共生共存であった地上に
弱肉強食の生態システムが、持ち
込まれたというのが真相だったのです。
今でも植物の世界などは、同じ自然
ですが、見事に共生の生態システム
ですよね。
しかも木の年齢などをみても、自然と
共存するがために、超長生きではない
ですか。
そして自然に恵まれた日本では、別に
肉を食べられなくても豊かな食生活が
実現されていたのです。
この事は、子供たちが教えてくれました!
という記事でもご紹介しました。
その記事から、弱肉強食以前の黄金時代
と、日本が何度も肉食を禁止してきた
歴史があったという部分を、転載して
おきますね。
また最近
ムー大陸伝説とは? 堕落する以前の
黄金時代
という記事で、太古の昔人類は動物たちと
テレパシーでコミュニケーションしながら
楽しく暮らしていたという、ギリシャの
時代の言葉をご紹介していましたが、
もう一度まず掲載しておきますね。
また超古代の黄金時代についての言葉も
ギリシャ時代に残されていて、それを
アイク氏の著書から引用します。
「」内が引用で、~が中略です。
古代人は度重なる大洪水などの大変動
によって人類が「堕落」したと考えて
いて、それが世界中の言い伝えにある
という事ですが、それを受けてが以下
になります。
「古代ギリシャの詩人ヘシオドスは、この
「堕落」以前の世界のことを記している。
人は、神々のように、欠陥も激情もなく、
苛立ちも労苦もなく、生きていた。
神聖な存在と仲良くしながら、平穏と
喜びの日々を送っていた。お互いの信頼
と愛で結ばれ、完全な平等を保ちながら
ともに生きていた。地球は今よりも
美しく、豊かな種類の果実が自然に
生(な)っていた。人間と動物は同じ言語
で話し、互いに(テレパシーで)意思疎通
していた。大人は100歳の少年に過ぎ
ないと考えられていた。加齢による衰弱
はなく、上位の生命領域に移るときも
[死というよりも]穏やかな休眠状態
だった。」
“出典:「ムーンマトリックス
〈覚醒編➁〉」
デーヴィッド・アイク著
訳 為清 勝彦 ”
つまり動物を殺して食べるなどという
習慣など全くなかったという事です。
さてこのように堕落した人類になっても
日本人は明治以降、西洋文化とともに
肉食文化が入ってくるまで、原則として
肉食禁止だったのです。
“出典:「光の食卓」
木村重一
木村紀子著
ヒカルランド刊 ”
この画像にあるように、なんと明治時代
以前に日本では1191年もの間肉食
は禁止だったという事です。
私たちは、当然こんな事学校で教えて
くれませんよねー。
そんな事を教えたら、日本人が目覚めて
しまいますからね。
この中で私が一つだけおぼろげな記憶に
あるのが、徳川綱吉将軍の
「生類憐れみの令」くらいものですが、
その意味について詳しく説明された記憶
はありません。確か年号と結びつける
のだけ試験に備えて覚えようとして失敗
したよーな記憶はあります💦
とにかく私たちは、本来菜食主義の民族
だったという事です。
こちらの本にもありますが、日本は国
として「肉食禁止令」を7回も出して
います。これは世界で唯一の国という事
らしいです。
「栄養学の真実その2」の記事でも
紹介してますが、肉食は攻撃的な性格に
なり、食べ過ぎるとさらに獰猛で凶暴な
性質にもなるという事です。
なるほどそういう意味で、日本人が
平和的な民族であるといわれる理由も
ここにもありそうですね。
事実明治以降、外国と頻繁に戦争をする
ようになった原因の一つでもあるでしょう。
もちろん一般国民のレベルの総意では
なかったのですが。
ちょっと長かったですが、今回の記事と
見事にリンクしてましたので転載して
おきました。
これについては、また別の記事でも取り
上げる事があるとは思います。
では逆に西洋の都市の方はどうだったか
というのをまた引用させていただきますね。
『』内が引用で、~が中略です。
『では、彼ら異邦人の都市はどうだった
のか。当時、バリやロンドンは人口が
約五〇~六〇万人ほどで江戸のほぼ半分
だった。
江戸との違いは、緯度が高く、生物
を養う豊潤な海洋エネルギーが乏しく、
地質もやせていることにあった。その
結果、自然との共生ではなく、自然を
克服し、唯一の建設資材となる「石」を
使って人工的で幾何学的な街を作る
ほかなかった。
石の建造物なので、高僧ビルも
建てられ確かに見栄えはする。しかし
生活は決して快適とは言えない。トイレ
は各階のしかるべき部屋に「壺」が
置かれた。壺に座って用を足すので
ある。このため、女性のドレスの裾に
鉄線が入れられ花びらのように
開かれた。一見華やかなドレスの
デザインには、実はこういう事情が
あったのである。
壺が一杯になると、汚物が窓から
捨てられた。江戸と違って上下水道
が完備されておらず、生ゴミなどは
放し飼いの豚に処理させるお粗末さ
である。それゆえ、ぬかるみの路地では
夏ともなると虫が湧き、不衛生極まり
ない。だからコレラが流行した。
そして匂い消しとして香水が多用された。
欧州で香水が発達したのは、こういう
理由であることを忘れないで欲しい。
(引用注:なるほどここから現在の
香害にもつながっているのでしょうね。
あちこちファブると、鼻腔から神経毒
やら、有害な化学物質がどんどん入り
こむわけですから、まさに危険な香り
というわけですわ)
貴族階級以外は、ほとんどが彼らの
使用人か農奴である。彼らは麦のわら
の中で、雑魚寝生活である。読み書きの
できる市民などほとんどいなかった。
こういう都市生活をしていた異邦人
たちが、生まれて初めて味わったのが
江戸という自然公園都市だった。
彼らがパラダイスと感じ、賞賛した
所以である。』
“出典:「マインドコントロール」
池田整治 著
ビジネス社刊”
いやいや、これだけイメージと違うと
本当なのかと疑いたくもなりますが、
他にも情報源があって裏付けられて
いるので、本当のようです。
つまり江戸末期に来日した欧米人が、日本
から学んだ事によって、現在の花の都パリ
というのが実現したという事が真実だと
いう事です。
常に西洋は東洋から学ぶというのは、
隠された歴史編の一連の
記事にも通ずるコンセプトのようです。
モンゴル帝国が侵略してきた事が、
結局は、ルネッサンスにつながった
事。最近では量子物理学やあの天才
物理学者のニコラ・テスラも東洋思想
から、大きなヒントを得ています。
こうなると我々がたたき込まれてきた
明治以降の「文明開化」という概念は
完全崩壊するしかないという事ですが、
それが真実であったという事です。
次回は、さらに西洋人が驚いた江戸の
文化などについてご紹介していきます。
ではまた(^^)/