日本語の持つ潜在能力は世界を救う!?真実を探求しながら米国を駆け巡るヨガ先生でもあるおバガさんの到達した日本語の特殊性の解釈による叡智的視点とは?


日本語についてはたくさん記事を投稿して
きましたが、世界においてその特殊性と
精神性の高さは、言葉を使用する人に
大きなポジティブな影響を与えるもの
でした。
日本語とヘブライ語が類似している事から
古代日本に古代ユダヤ人が移住してきて
言葉を伝えたという説が広まって
いますが、世界最古の土器やペトログリフ
が日本で見つかっている事や、アメリカ
インディアンの言語にも日本語が多用されて
いる事から、むしろ日本語が世界の言語の
源流であったという解釈の方が妥当に
思います。
その事を取り上げた記事がこちらです。

記事より

日本で近年
発見されたペトログリフ(古代文字の
刻まれた岩石や壁画)は1200個
(1994年当時で)を越えていて、古代
シュメール文字も刻まれていたというので、
ますます、元がヘブライ民族だと解釈する
人も多いですが、なんと最古のペトログリフ
は日本にあるのです。
そしてまた最古の土器も縄文式土器だった
のです。
これでもまだ、ヘブライ民族、または
シュメールの地が元であったといえる
でしようか?
日本の太古の言葉が、シュメール文字の
元型になっていたとしたら、最古の
ペトログリフが日本にあっても不自然で
なくなりますよね。
またなんと、竹内文書をヒントにして、
世界中を旅してまわった高坂和導氏は、
アメリカインディアンの言葉もまた
日本語であった事を発見します。
またラテン語にも日本語との共通語を
見つけておられ、驚く事に高坂氏の著書が
スペイン語版で、メキシコで刊行されたり
しているので、世界で高坂氏の発見が
認めらるようにもなっていたという事
です。

つまり、日本を中心として、世界中に
日本語が広まっていったという見方の
方が、どうみても自然に思えてくるの
です。

世界最古の土器やペトログラフが日本に
あって、日本語が世界中ら見られるという
事であれば、日本語が世界に広まって
いったという方が、自然な解釈という事
です。

そんな日本語の持つ特殊性について、米国
在住の日本人であり、広い米国を旅して
まわって日々見聞を広めておられる
ヨガの先生でもあるおバガさんという方は
いつも、納得させられる考察をツイッター上に
コメントしておられます。

今回は、日本語の持つ特殊性と高い精神性
について、鋭く深い解説をしておられたので
ご紹介します。

最初のツイートに続きでツイートを
されていますが、ツイートとしては最初
の分だけ掲載させていただいて、あとは
貴重な続きのコメントをひとつながりで
引用させていただきます。
重要だと思われるポイントでは
引用注:~で私のコメントをつけさせて
いだたきます。


『』内がおバガさんのコメント

『@hipurin
アメリカで英語人を対象に英語で
ヨーガを教えていて、言葉と脳の
使い方について観察していく中で、
様々な仮説や考えが、雲のように
黙々と浮かんできます。

まず、英語は、討論や批判をするのに、
とっても便利な言葉。アメリカでは
勝ち組と認識されている
(私はそうは思わない)弁護士に
必要な素質とは
より多くの難しい言葉を知っていること。
様々な言葉を使うことで、あたかも
詳細に物事を語っているように思わせる。
多いことは良いこと、みたいな。

言葉によるマジック。Magic spell

(引用注:言葉を多く知っている
だけで、本質的な事を知っていたり
理解している事の証明にはならない
という事ですね。

科学者が難しい専門用語を
並べて説明しても、実は本質的な事
を彼ら自身が理解していない事は、
これまで多くの記事で説明してきまし
よね。ニュートンやアインシュタインも
本質的な間違いをしていたというのは
以下の記事なども参考になります。

)

それが普段の行いにも反映されていて、
沢山のものを所有したがる。
ベースボールカードから、ヘンテコな
ぬいぐるみシリーズ、クラッシックカー
などなど、庶民から高級取りまでが
楽しめる収集商品であふれている。

様々な問題も、買って解決、という
行動パターンが多く見える。

情報についても同じ。

ヨーガ哲学の話をしていて、例えば、
アストラルボデイーについて
説明しようとすると、既にその言葉は、
昨今のスピリチャルブームですでに
世の中に出回っていて、
スピリチャリズム収集家の人たちは、
「すでに知っている」と、彼らの
認識範囲でしか、その言葉の意味を
探索できない。思考がそれから先に
進まなくなる。

(引用注:これも支配層の洗脳手段の
一つで、目に見えない霊的領域など
に対する人々の観念を、ゲームや
動画などで、安易なものに固定させて
しまっておくというものです。
そもそもスピリチュアルな世界で
みなさん思考力を奪われてしまって
いるわかりやすい例が、「五次元世界
への移行」というものですが、たぶん
ほとんどの人は、五次元という言葉に
対してあいまいなイメージしか持てて
なくて、
「なんだか理想の世界のようだわ」
くらいのイメージしかないと思います。
たぶん五次元世界というものが
四次元世界や三次元世界とどのように
違うかについて詳細に説明できる
スピリチュアリストも、その信奉者も
いないのではないでしょうか。
私のブログでは、霊的な領域の事を
五次元世界と称した事は一度もなく
高次元とだけ表記しているのもその
ためです。)

これまでの娘の学校の教育を見ていても、
文章の書き方など、形式が用意されていて、
それに従って、より多くの、難しい言葉が
使われていることが、高く評価されて
きた。
言葉が持つ意味の単純化は、思考の
単純化にもつながる。

一方、日本語には、短い言葉が幾重もの意味
を有して、臨機応変に意味を変える、
まるで虹のような特徴がある。

言語の発祥を追っていくと、英語は、
ゲルマン語から、ロマンテック語は、インド
(サンスクリット)語から派生した、
というような大きな流れが見受けられるけど、
日本語は、どこからきたのか
わからないという、報告がされている。
(引用注:まさに日本語は日本から来た
からという上の記事を裏付ける報告
ですね。言語学の観点からも世界言語の
原点という観方もされています。)

普段、日本語でものを考え、それを英語に
変換して、英語で伝える仕事をしている
私の意見ですが、英語に変換する行為には、
非常にエネルギーを消費する。

例えばその場を丸く収めたい時
「まあまあまあ」で収められるのを、
英語では、『なんて言おう?』から
始まる。主語は?述語は? ときて、
どっちに非がある、というところまで
考慮して、文を組み立てていかなければ
いけない。主語を立てるということは、
常に、ジャッジメントが伴う。常に、
私、あなた、私ら、彼らと隔たりを作る。
(引用注:ここが着眼点としてさすがと
思わされた部分ですね、個人というのは
支配層が人類に仕掛けた五感の
マトリックスでしかなく、真実は
ワンネスの意識としての全てこそが
本来の自己という事を意識して
会話に活かしているのが日本語だと
いう事です。それに対して自分と他人を
はっきり区別する会話のスタイルは
まさに支配層の仕掛けたマトリックス
支配にとって都合が良いものだと
いう事です。
これに関しては以下の記事が参考に
なります。

)

昔日本語を勉強し始めた主人の友達が
よくぼやいていた。

なぜ、日本語は、主語を省くのか? 
それでは、一体何のことかわからない。 

17歳で日本に留学して、生活の中で
日本語を身につけた主人は、
当時流行っていた、「ファジー」という
言葉で、
黒でもなく白でもなくグレーを好む人たち
なんだよ、と説明していた。

日本から外に出て、改めて日本語を意識
すると、ものすごいポテンシャルを秘めた
言葉だと感じる。
話しているだけで臨場感を伴うことが多い。
相手の気持ちも短い言葉から汲み取れる。
だから平和の民。と呼ばれてきたの
でしょう。

(引用注:ここに日本語、また日本語を
使う日本人の特異性があるのです。
もちろん明治以降とくに昭和の
戦後以降には失われつつあるものですが
おバガさんの言われる
「相手の気持ちも短い言葉から汲み取れる」
というのは、言外の意味は、いわば
テレパシーのような感覚で通じ合う事が
できているからなのです。
空気感や相手の表情から相手の感情や心情を、
読み取り、さらに
言葉のトーン、抑揚、音感などから
さらに微妙な意味を読み取っていくのを
昔の日本人は自然にできていたという事
なのです。
それがあるからこそ相手との心情的な距離
が近く感じられ、おバガさんの言われる
ような
「話しているだけで臨場感を伴うことが多い」
という事につながるというわけです。)

そして、英語だけを話してきた人たちには、
全く見えない世界であることも、なんとなく
理解できる。

おそらく日本語のような言葉は、ポリネシアの
言葉、アフリカ民族の言葉、南北ネイテイブ
アメリカンの言葉にも共通するものだと思う。

(引用注:上で取り上げた記事にも通じますね
日本から日本語が世界に広まったという
証拠が数多く見つかっているわけです。)

西の植民地支配は、主に言葉を弾圧する事で、
民族独自の思考が奪われたのでは? 
多くのアイランドランゲッジには、
書き言葉が
存在しなかった=口伝でしか残せない
と言われている。 アメリカにおける
ネイテイブ民族支配は、女子供の
大量虐殺、また近い歴史では、再教育と
謳って、子供に無理やり英語を
教えるため、親から引き離して
寄宿校へ送った記録がある。

2年程前には、カナダのネイテイブ
アメリカンの再教育目的でカトリックの
学校に身を置いていた子供達
が大量に虐殺されていた証拠が見つかり、
教皇が謝罪したニュースがあった。
(謝罪だけで済ませていいのか疑問が残る)
(引用注:おバガさんのやさしい表現
ですが、大量虐殺しといて、ごめんで
済むはずはありませんよね。)

言葉の弾圧は、民族の浄化につながっていく
、、、、英語を話していると、思考が
浅くなる。解決を外に(消費)に求める。 
消費とはお金を有する。

(引用注:支配層は、意識レベルが低く
野蛮な白人に力を持たせて、征服した
土地に、思考力を劣化させる英語を
強要し、征服された民族の粛清や
その民族の結束を弱めるため、異民族
特に白人との交配を進めて、民族浄化
というより、民族劣化に力を注いで
きたのです。

なぜなら人類が劣化していけばいくほど
支配が容易になるからで、岸田自民に
大量の移民を受け入れさせているのも、
その流れです。
人類を劣化させて支配するという
計画については、この後説明します。
クルド人が犯罪し放題でし、しかも
無罪放免となるのも、すべて支配層の
目論み通りというわけですね。)

消費は、地球の資源を使い続ける必要が
ある、現在のお金の制度は、アンフェアーな
ルールのゲームでしかない。
(引用注:支配層が中世に完成させた
銀行システムについては
こちらの記事で詳しく説明しています。

)
このカラクリを知れば、日本語を、
かろうじて書き言葉、話し言葉として
使えている私たちが、次世代に何を
伝えるべきかが、わかってくる。

ここまで読んで下さって、
有り難うございました』

素晴らしいおバガさんの考察でした
日本語の素晴らしい感覚を持ちながら
日々それを英語に変換して、会話
しておられる経験から紡ぎだされる
素晴らしい考察でした。

日本語はつまり、テレパシーの原型の
ような会話だという事も、伝わって
きました。

支配層はなぜ、そのような日本語の
感覚から遠い英語を広めていったのか
非常に簡単な理由があります。
テレパシーにつながるような日本語
の感覚が世界に広まれば、世界の人々の
心がつながって、そこにあたたかい感情の
結びつきが生まれるわけです。
そうなると支配層の悪意も瞬時に世界に
看破されて、彼らは世界から追放される
でしょう。
だから彼らは人類を劣化させる必要が
あり、分断を容易にするための英語を
使用させているというわけなのです。

人類を劣化させるために支配層自身の
精神を、人々に持たせるようにして
きたわけですが、その事は以下の記事で
説明しています。

記事より
文中のプログラムとは、支配層が
人類に仕掛けてきた洗脳手法という
事です。

ここまでおおざっぱにプログラムを
分類してきたが、このプログラムは
多次元である。
やはり補足が必要である。彼等は我々人類を
支配しようとしているが、そのために
彼等自身の意識を人類に植えつける
プログラムが必要なのである。
我々が彼らのような性質になれば、
意識レベルは究極にまで低められ、彼ら
の完全支配を受け入れるようになり、
無尽蔵のネガティブエネルギーを生み
出し続けるようになってしまうが、この
エネルギーそのものが彼らの存続を維持
しつづけるための糧なのである。

彼らの性質とは残虐であり、非道であり、
他を攻撃しその犠牲の上に生き延びよう
とする。
情や暖かい感情は皆無であり、冷淡で
むしろ無感情である。貪欲でありさらに
執着心が強く、猜疑心も強く、憎悪や
恨みなどの悪感情に満ちており、そのうえ
生き残りへの不安や恐怖に
常に怯えている。常に日のあたるところを
避け、隠れていたがるが、権力欲や支配欲
は、とてつもなく巨大である。自分より
強いものや権力者には絶対服従するが、
自分より弱く立場も低いものに対しては、
残虐非道である。

(注:つまりこのマトリックスの究極の
頂天である、邪悪な意識そのものが、
このように投影されるという事なのです。)

このような彼らの性質を我々に
植え付ければ、人類を支配するのは
非常にたやすい。
我々は自分をコントロールすることは
簡単であるが、それと同じことである。
彼らと我々が同じ性質を持てば、彼らは
自分をコントロールするように人類を
コントロールできるようになるのである。  

(注:実は太古の昔に、私たちのDNA
にプログラムされた時点で、すでに
彼ら自身の性質を投影させるような
仕掛けが施されていたのです。
その代表的なものが、爬虫類脳と
と呼ばれるもので、英語名は
(R-コンプレックス)というもの
なのです。
この脳は、私たちの本能のかなりの部分
を司っていて、性欲や食欲、睡眠欲
などに深く関わる他、群れの意識や
強者従順な意識もそこから生まれます。
そうそうこの爬虫類脳と同じプログラム
は、月到着以降に突如として出現した
弱肉強食のシステムを反映させている
全ての生命種に施されているものなの
です。
この突如として出現した生命種について
は、
進化論の破綻と月とのつながり
という記事で詳しく説明しています。
つまり月に存在するテクノロジーに
よって、弱肉強食のプログラムが
施された、生命種が地球上に突如として
出現したという事です。

支配層が三次元的に投影される時の姿
として知られている、爬虫類人型
ヒューマノイドは、支配層の究極の
姿などではなくて、それもまた
邪悪な意識の投影でしかないという事
なのです。
爬虫類だなんて、やっぱりトンデモ
などと思う人は
太古の龍は架空の存在だと断言する人たちへ
という記事をご覧いただければ、爬虫類も
あり得ると理解される方も増えると思い
ます。
さて次は、支配層の配下として
ふさわしい社会システムを構築させる
ための、「成功者」のイメージの
プログラムです。)

テレビや新聞や教育や科学で我々に
刷り込んでいるプログラムは、
「我々とは、弱く権威に服従して、
生きるためには弱肉強食の世界で
生きなければならない存在である」
というものである。
これは彼らの性質でもある。

自然界が弱肉強食の食物連鎖に
なっているのも、彼らが
地上の自然をそのようにプログラム
したからである。月到着以前の地上は
共生の楽園であった。

(注:この事については、先程説明
させていただきました。)

あと彼らの性質に、より近い小数の人間
を代理人としての頂点に据えて、それを
ピラミッドの頂点として、
政治、経済、司法、メディア、金融、
教育、医療、軍隊のトップにも彼らの性質
の強いものをたてていく、もちろん彼らの
性質に近い民族またDNAを持つもの
という点も重要である。

そしてピラミッドの下層の大多数の人類は、
もちろん意識レベルの高い人間または
民族ということになる。これが現在の
人類の社会の構造であり、全て彼らの
支配のために都合がいい形になっていると
いうわけだ。彼らの意志を反映させて、
それを人類に浸透させるためにこの逆
であっては決してならないのはわかって
いただけるだろう。

意識レベルの高いものが頂点に立てば、
彼らの支配は完全に不可能となり、
人類の幸福の楽園が築かれていくのは
間違いなくなるからである。

そのために彼らはつまり意識レベルの
低い民族や人間を社会において、
あらゆる面で支援するのだ。もちろん彼らが
優秀であるようにみせかけるためにメディア
や教育などでも支援する。

さて支配層の狙いがわかれば、我々は
日本語の特性を再認識して、本来の
意識レベルを取り戻す必要があるという
わけです。

そのためにはこちらの記事の一元論的
観念を、理解するのが良いと思います。

記事より

世界でも珍しい、完全調和の観念を
持つ日本人の母性的性質は、日本語の
M音から来ているという事を前回の
日本語に特有のM音は、
日本人の母性的性質のベース

という記事でご紹介しましたが、
今回は、その母性的性質の完全調和の
観念を支える、一元論的観念が
日本固有のもので、これが日本人の
宗教観につながっています。

その事を説明されている神衣氏の著書
からまた引用させていただきます。

『』内が引用で、~が中略です。

『欧米の一般的な宗教観では、神が万物を
創ったとされ。「神」と「被造物」とは
相対的な位置関係で認識される。
また、「神」は善なる存在だとされる。
 この考え方からは、「完全無欠で善なる
神の被造物である人間が、なぜ悪なる
性質や不完全な要素を持つのか」という
疑問が生ずるが、それに対しても、「神」
と「サタン」というやはり相対的な
二元論的概念で補われることになる。
 それに対し、アイヌや古代日本人の宗教
観では、存在は同時に神であり、ミ(神)
は同時にミ(身=形ある存在)であった。
~日本人は欧米人から、何でもかんでも
信仰するとよく批判される。
 仏壇と神棚に手を合わせ、クリスマス
も祝ってしまう姿は、欧米人には大変
奇妙で理解し難いものに映るという。
 しかし、日本人が、分け隔てなく
どんな神にも手を合わせるのは、神は
すべてに宿り、この世はどこであろうと
神々の住まう世界であるという、長い
歴史を通じての一元的宇宙観が潜在して
いるからである。
この日本人の観念によれば、他民族の
神であっても、当然のこととして
敬うのである。
 しかし、対立的に神を認識する欧米の
宗教観からは、正しい神と宗教は一つ
しかない。
 この、正しい神は一つとする一神教
的発想が、その当然の帰結として他との
戦いをもたらすことは、歴史が証明する
通りである。
 しかし、日本人は、それとはまったく
対照的に、すべての神々を受け入れ、
溶け合わせながらも、その太古からの
本質的宗教性を失わずに保ってきた。
一神教を自負する欧米人が多神教だと
異端視する日本人の信仰は、実は、
彼らの一神教よりもはるかに一元的な
神への認識に基づいているのである。
~なお、東洋の思想を一元論だと思って
いる人は意外に多い。たしかに欧米人の
観念と比べれば、東洋人の観念の方が
一元的ではある。しかしこれはあくまで
相対的に見ての話である。
 たとえば、中国思想は、陰陽の哲学で
知られるように、日本人の観念と比べれ
ば極めて二元論的な思想であるし、人
としての中国人の発想も極めて二元論
的である。他の東洋の諸思想も、日本人
の観念と相対させればやはり二元論的
である。』

“出典:『最後のムー大陸「日本」』
          神衣志奉著
        中央アート出版社 ”

私が、神秘メッセージの記事で、ずっと
通してきた大切なコンセプトが、この日本人
の一元論的観念と共通しているのが、よく
わかりますよね。
すべての存在が神という思想です。
つまりあなたも私もみんな、神という事
です。
神様という言葉を、どういう感覚で使う
かどうかによって、このコンセプトから
離れるかどうか、よくわかるのが、これ
です。
神様は、絶対的な存在で、自分とは違う
存在だと考えるのが、通常の神様に対する
感覚だと思います。世界中の宗教は、この
世界観がほとんどベースになっています。
逆にこの日本人的な宗教観でいくと、神
は他者ではなく、自分やほかの人も
含めたすべての存在であるという事
なのです。
これこそが究極の意識の最高到達点で
ある「絶対意識」の感覚なのです。

その絶対意識に到達したアニータさんの
言葉を再掲しましょう。
彼女が宇宙エネルギーと一体になったときの
感覚です。

『「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?
神様かしら?それともクリシュナだろうか?
それともブッダ?キリスト?」
その時、「神は存在ではなく、存在のあり方
なのだ。そして、私は今、そのような存在の
あり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。」』

また自分と一体である宇宙エネルギーのこと
をこう表現しています。

『このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。』

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

つまりまず神は存在を表しているものでは
なくそのありようだといってます。
もしそのありようが神だとすれば、自分は
その存在そのものだ、つまり神そのものだ
という事をいっているわけです。

つまり神は自分と切り離された存在では
なく、、自分はまさに神そのものだという事
をいっていて、まさに、それが日本人の
宗教観と同じく、自分も他人も、全ての
存在も神だという事と、全く同じ観念だと
いう事なのです。

またもう一つの証言では、「神」とか
「クリシュナ」とか「仏陀」という
言い方で、絶対的な存在のエネルギーを
言い表していると、それは無理矢理
形を与えて、人によっていろんな解釈を
与えてしまうため混乱させるだけだと
いう事です。

つまり私たちのいう神とは、形のない
宇宙エネルギーそのもので、それは
日本語の「気」であり、中国の「チー」
であり、インドでいう「プラーナ」と
同じものだといいます。
宇宙のすべての存在のエネルギーが
そういうものであり、私たちの本来の
性質、意識も実体もそれと同じだと
いっているわけです。

このように絶対意識に到達したアニータ
さんの得た真理と観念は、古代日本人が
持つ一元論的観念そのものだったという
事です。

これはもちろん私が、私たちが一体であり
また絶対的な存在でもあるというワンネス
という考えと全く同じものだという事
です。

そしてこの全てが一体であるという考え方
こそ、世の中の全ての争いや、苦悩や
悲劇や貧困や不幸を、終わらせるための
最高の観念であり、考え方であり、さらに
真理でもあるという事です。

全てが一体であるというのは物理的にも
真実という事は、もう何度も取り上げて
いますが、この記事をご覧ください。

もちろん英語にも、素晴しい特性はあり
たとえば真実を解読したり彼ら支配層を
論破したり、相手を納得させたりする
のには、とても明快で的確な表現を
しやすいものです。
それに英語を使う人の意識レベルが
高く、心豊かであれば、それはまた
世界を一つにするエネルギーに
つながる事でしょう。

ただ日本語を使う私たちは、特に
日本語の持つ素晴らしい特性を
活かして、つながっていく事が
大切だと思います。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

人間の真の偉大な力編

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体外離脱体験とはボディマインド(肉体的意識)からの一時的な解放の事だった!


これまであらゆる
超常体験について記事を書いて
きましたが、やはり体外離脱体験に
ついても取り上げようと思います。

なんと20年間にもわたって、体外離脱
体験を繰り返し経験したような人がいる
のです。
その人の名はウィリアム・ブールマン氏
です、やはり、それだけの体験をする
と、意識レベルも知識レベルも相当高い
ものになります。
その方の言葉を、シリーズで何回かに
分けてご紹介していこうと思っています。
やはりこの方も、私がこれまでの記事で
再三強調してきた、私たちの「意識」や
「存在」についての間違った認識を正して
くれています。
その事を著書から引用させていただき
ましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「私たちは皆、生まれてからずっと、社会
や文化から限りなく広範囲にわたり条件
づけされてきました。私たちは自分たちが
知性を持った哺乳類であるという前提を
受け入れるよう条件づけされてきたのです。

 このような物理的な教化は大部分に
おいて、私たちは自分自身を物理的存在
として経験し、目撃しているのだから、
私たちは肉体そのものであるという結論
は当然だ-という世代から世代へ受け継が
れた、紛れもない唯一の結論の結果
なのです。私たちの物理的知覚に基づけ
ば、これはもっとも結論のように思え
ます。~
~成長するにつれ、私たちは自分たちが
物理的生物であることを繰り返し教え
られます。この結論は、家族、友人、
マスメディア、社会全般によって日々
強化されます。

やがて、いくつかの非物理的概念を、
通常は、宗教的信条という形で教え
られます。このような非物理的概念は
一般的に、非常に曖昧な方法で、
私たちに伝えられます。大部分の宗教
は、私たちが魂や霊魂のようなものー
目に見えない、言葉では言い表す
ことのできない形のエネルギーー
を持っていると説きます。私たちは
この不思議な概念を疑うことなく
信じるよう教えられますが、事実や
理屈など証明するものは何ひとつ示される
ことはありません。答えは神が持っている
のだから信頼しなさい、と教えられます。
多くの宗教指導者は、私たちには人間の
存在や人生に関する謎の答えを手に入れる
力がない、と信じるよう求めます。
 結果として、私たちは大規模な二重の
教化にさらされるのです。自分たちが知性
を持った哺乳類であると信じ込まされ、
次に、自分では手にすることができない、
神の無力な子供であると教えられます。
 しかし、このような結論にはある問題が
あります。これらは私たちの限られた
物理的感覚(引用注:五感の領域)に
よってのみ成り立っているのです。
物理学者なら誰もが言うように、私たち
は、周りに存在するエネルギーのほんの
一部分し見ていないのです。現実に
関する私たちの概念の基礎をすべて
物理的知覚においてしまうと、必然的に
私たちだけでなく、周囲のすべての
ものに関して不完全な結論を生み出して
しまいます。~
~世界中の学校で教えられている普遍的
知識のひとつに、生物学的脳が意識の源
であるという科学的前提があります。
医学はかなり以前に、脳があらゆる意識
の明らかな源であると結論づけています。
ほかの可能性は存在しませんでした。
しかし現在、何千万件もの体外離脱体験
や臨死体験が、肉体から離れているとき
でも意識状態は続くということをはっきり
証明しています。~
~実際、私たちが物理的生物であるという
発言を絶えず耳にすることで、私たちの
自己像はこのような前提を現実として
受け入れるよう形づくられていくのです。
これは間違いなく、私たち人類を支配して
いる最大の嘘です。
実際には、肉体とは私たちが密度の濃い
環境において表現するために用いている
生物学的乗り物にすぎません。このこと
は、臨死体験や体外離脱体験を経験した
何百万人(引用注:先ほどの何千万件と
ケタが一つ違いますが、とにかく統計も
とられていて、少なくともこの何百万件
というのは、最低でも事実として存在
するようです。)もの人々が、自らの
経験によって大きく変化した第一の原因
です。
しばしば、人々は自分たちが物理的
乗り物を住処にしている霊的な存在
であるということを(信じるでも、
望むでもなく)自ら発見します。
これは強力で、人生を変えるほどの
気づきであり、言葉だけでは十分に
伝えられません。あなたの自己概念
すべてが瞬間的に、そして永遠に根本
から変わることを想像してみてくだ
さい。~
~私は、臨死体験や体外離脱体験の根底
にある目的とは、私たちの霊的本質を
垣間見ることであると考えています。
非物理的・霊的な自分を体験して
初めて、私たちは物理的・社会的な影響
を完全に乗り越えることができるのです。
密度の濃い物理的限界から一歩自由に
なって初めて、私たちは自分自身、
そして宇宙の真実を知ることができる
のです。」
“出典:「肉体を超えた冒険」  
     ウィリアム・ブールマン 著
           二宮 千恵 訳
      ナチュラルスピリット刊”

まず最初に、申し上げておきたいのは、
体外離脱体験をしたから、臨死体験を
したから、初めて実感できるのではない
という事です。
私は体外離脱体験を、経験していますが、
それ以前から私たちが霊的存在で、肉体
の中には存在していない事を知っていま
したから。この場合はブールマン氏が、
体外離脱によって、実感するように
なったからそう思えるという事なの
です。
たとえば、右脳だけしか働かない状態に
なったジル・ボルト・テイラー博士は、
自分が肉体から離れてクジラ大の大きさ
になって上空を漂っていたと、述懐して
おられます。これは右脳の驚異の力その2
で詳しく紹介しています。
つまり体外離脱という手順を踏まなく
ても、右脳の力を働かすだけで、自分の
意識が、肉体の中にない事を実感できる
というわけです。もちろん潜在意識レベル
にアクセスすれば同様の認識に至る事
ができるのです。そして、ここが重要
なのですが、こういった超常能力は自分
には、起こらないという一般の方も多い
と思いますが、そんな方々に朗報です。
全ての人が、すでに自分が超常能力
体験者だという事なのです。
全ての人が、なんと生まれる前は、魂か
意識の状態で、臨死体験や体外離脱と同じ
ような超常能力を発揮していたのです。
というかそれが自然現象でもあります。
そして多くの人が何度もそうやって意識が
肉体から離れた状態を繰り返してきて
いるので、すでにみなさん超常能力体験者
だという事なのです。だから、
「忘れているだけで、自分が肉体の中だけを
住処にしているのでもなく、また肉体
そのものの存在でもない「意識」という霊的
な存在だけになる事は、すでに全ての人々の
共通の経験としてある」というわけなの
です。
そしてこの理解が、前世記憶や過去世体験の
理解にもつながり、占星術の霊的レベルでの
自分自身の理解にもつながるという事です。

そしてやはり20年間も体外離脱を体験して
こられたブールマン氏は、私たちが、
偽物の現実を刷り込まれてきた事を看破して
おられます。
しかも二重の「教化」という形で、私たちが
完全に本来の姿を理解できないように混乱
させられているという事を、とてもわかり
やすく説明しておられますね。
まずは、私たちは物理的存在でしかなく、
意識は脳から生まれるだけだという偽の
知識を繰り返し、「教化」される事で、
私たちは、物理的肉体を自分自身だと思い
こまされています。
また宗教により、確かに我々は魂や霊的な
存在であるけれど、見えない世界については
神のみぞ知る領域なので、我々は知る
事も感じる事もできない「無力な存在」で
あると「教化」されます。
もちろんどちらも全くの偽物の知識です。
(宗教の言う、我々が魂や霊的な存在である
事は真実ですが、、私たちが無知で無力な
存在であるという事が、全くの偽物の
知識だという事です)
このような偽の知識や、感覚を生涯刷り
込まれてきた我々は、逆に繰り返し、本物の
知識や世界観で、これまでの偽の知識や感覚
を浄化しなければならないという事なのです。
そのために暗示効果も、とても有効だという
事ですし、もちろん体外離脱体験も、完全に
新しく本物の認識を獲得させてくれるものだと
いう事なのです。

さらにブールマン氏は、自身の
体験と、何百万人ともいわれる体外離脱
体験者に共通してみられる事例と会わせて
体外離脱体験の特徴を取り上げておられる
ので、同氏の著書から引用させていただき
ます。

『臨死体験に特徴的な要素が存在するように
、体外離脱体験にも複数の段階があることが
共通して報告されています。
最も頻繁に報告されている段階は次の通り
です。

1.振動段階
この段階では、エネルギーの振動が身体中に
流れます。ブンブン、ゴーゴーという音に、
ときにはしびれや身動きができない状態が
伴います。
報告されている振動や音の種類や強さは多岐
にわたり、微弱なものや心地よいものから、
激しく、衝撃的なものまであります。
振動段階では、私たちの意識は非物理的な
エネルギー体へと移行します。
振動や音(内部シグナル)は一部の人々が
信じているような事象ではなく、意識が
肉体から分離する(ずれる)中でより振動
の高い身体を認識している事象なのです。

2.分離段階
微細なエネルギー体が肉体から離れるとき、
一般的に肉体から持ち上がる、浮かび上がる
、転げ出るという感覚がはっきりと
感じられます。、分離が完了したあと、
振動や音はただちに軽減します。

3.探検段階
肉体から離れ、肉体から独立して意識的に
存在するようになれば、非物理的環境を
探検できるようになります。

構造が微細なため、エネルギー体は思考に
対してとても敏感に反応します。
移動方法にはまったく制限がなく、私たち
は歩くことも、走ることも、飛ぶことも
できます。
探検を続けるには、新しい環境や、経験
しているエネルギー体に焦点を当て続け
なくてはなりません。

4。帰還段階
帰還-微細なエネルギー体と肉体の再統合
は、肉体のことを考えるだけで自動的に
起こります。ふたつの身体の再統合には、
ときに振動、しびれ、身動きがとれない
状態が伴う場合があります。
このような感覚は、私たちが肉体と再統合
し、再び調和すれば、素早く収まります。』
“出典:「肉体を超えた冒険」  
     ウィリアム・ブールマン 著
           二宮 千恵 訳
      ナチュラルスピリット刊”

1の振動段階というのは、意識が肉体から
離れるという大変重要な段階です。
ほとんど寝ていた状態で、勝手に体外離脱
していた私は、この段階を知りません。
ですが、臨死体験者にも、そのような振動
や振動音を感じる事があるという事です。
この振動の壁が、生命体としてのエネルギー
の壁だと思われます。ただ臨死体験者が
肉体を離れる時には、気がつけば空中に
浮かんでいたとか、暗いトンネルを抜けて
いったとか、必ずしも轟音を聞いた体験
ばかりでは、ないようです。これは
臨死体験者の生体エネルギーが弱く
なっているため、肉体を離れる時の
壁としての振動も弱くなっている事が
原因だと思われます。

2の肉体から離れた直後の段階は、
多くは浮かび上がるというもので、
やはり肉体に囚われている意識は磁場に
囚われているという事で、地上の磁場
にも同様に縛られているという事に
なります。地球のエネルギーと人体は
エネルギーがリンクしていますから
当然ですよね。(間違っても重力では
ありません、振動の壁が示しているよう
に電磁場に囚われているという事なの
です)
この上昇の感覚は臨死体験も同じように
起こる現象です。

3の探検段階は、とても有意義な段階です
肉体の制約ばかりでなく、時空の制約も
なくなっているので、自由に肉体の
外で動き、飛び、走りまわる事が
可能だという事です。もちろん時間を
とびこえる事も可能です。
意識自体はどのようなものにも浸透
できる周波数の極端に低い状態だと
いう事なのです。
イメージしにくい方は、意識が
低い状態では、肉体に囚われていた
状態のときと違って、とてつもなく広い
空間を意識が占めていると考えて
いただければ、わかりやすいと思います。
エネルギー体は、その意識の一つの
ポイントだという事なのです。
いわば周波数の低い意識が、エネルギー
体を自在に投影し、あちこちのポイント
に現出させているという事ですね。

4の帰還段階は、ブールマン氏のように
熟練した人は、自分の元の肉体をイメージ
するたけで瞬時に戻れますが、そうでない
人は、自分の肉体と調和するイメージを
するのに、少しだけ難航する場合があり
ます。これは慣れによって、うまく
いくようになりますが、とにかく力を抜く
事が大事で、自分の意識の力を信じて
任せきる事で、うまく帰還できるように
なるという事をブールマン氏は説明して
います。

体外離脱体験には時空を超える体験など
数々の驚くべき事例がありますので
また記事にしていこうと思います。

ではまた(*^^*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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声の主が告げた「振動しているものは幻想」とは、物質世界の最大の秘密だった!


この記事は
永遠の命は神から与えられなくても、
すでに我々のものだった!

の続編です。

前回アイクが南米ブラジルの熱帯雨林の
イベントで、自然の向精神薬であり
五感の感覚を麻痺させ、本来の意識に
移行できるというアヤフアスカを
服用した時に、究極の意識と思しき
内なる声から告げられた、あらゆる
真理について前半部分をまとめていき
ました。

我々が時間の環に囚われている事や
本来の意識は、無限の知識、知性と
潜在能力と可能性を内在させた
ワンネスの絶対意識である事などが
伝えられ、私たちは全て、その全宇宙
全時空、全次元の意識そのものである
事がわかりました。

そしてアイクはさらなる真理を、
絶対意識の至福の領域で、声の主から
告げられる事になります。

以下「」内が引用で、~が中略になり
ます。

「そして、いかにして人類が、本来の
無限なる存在でなく、錯覚の「人格」を
自分と思うように操られてきたかに
ついて私は説明を受けた。これにより、
人類は分断された状態にある。~
~(引用注:このあとアイク氏が信じ
られないような至福と調和の場所を
経験したあと、声の主が語りかける
ところからです。そして以下は、私
たちが、人類とは別の存在から操作
されているという事も示唆してくれ
ていることになり、私が土星
ついて語ってきた事の裏付けにも
なっています。)~

~「この場所にいて、怒りや欲求不満を
感じたか?」と質問された。
いや、感じなかった。
そして、今いる場所で、恐怖や不安、
罪の意識を抱くことがあるか?」と。
いや、それもない。調和と、愛、至福が
あるのみだ。

「欲求不満、怒り、恐怖、罪、苦痛は、
錯覚に過ぎない。切り離されたマインド
(肉体的思考や感情)の産物である。
これらは、あなたの想像の中にしか
存在しない」と声は告げた。

(引用注:これは、私たちの本来の
意識の状態が至福の領域なので、
私たちが、分断された意識としてとら
われなければそれらのネガティブな
意識は生まれないと言っているわけ
です。全て私たちの分離意識が
もたらした幻覚であるという
事ですね。)

我々が宇宙と呼んでいるものは、ホログラム
の錯覚であり、プラネタリウムの天井に
投影された「星空」を見上げているのと
似たようなものだと教えられた。唯一の
違いは、宇宙はホログラムなので三次元に
思えるように投影されているだけだという。
この話はあとでもっと詳しく述べる。

(引用注:このホログラム的現実については
超常現象とホログラム編の一連の記事で
とても詳しく説明させていただいてます。
私たちの投影している現実はこの光の波動
の干渉であるホログラムの立体動画状態
であるという事です。これを量子物理学者の
父と呼ばれるデービッド・ボームは、
「ホロムーブメント」と呼んでいます。
この五感が投影するホログラム的現実と
フラットアース論者のいう宇宙観を
一緒にしてはならない事に注目です。

彼らが、空に映る太陽や月はホログラム
で映像を見せられているにすぎないと
いう主張は、本来の我々の知覚する
五感の投影としての太陽や月ではなく
空にホログラム映像として投影された
ブルービームプロジェクトの投影
としての太陽や月を取り上げて
いるにすぎないのです。
つまり彼らが観ているのは、五感の
投影としてのホログラム的仮想現実の
物質世界の中での、ホログラム映像
であるというだけです。
いわばホログラムの中のホログラム
という事です。

もちろんフラットアースは、矛盾
だらけで、間違いである事は、少し
思考を働かせるだけで、すぐに
わかります。
その事は、以下の記事で詳しく
説明しています。

フラットアースが真実かどうか
新しい視点を持ち込みながら検証!

宇宙は我々の条件付けされた想像の産物で
あり、我々がそうであると信じるから我々
の現実になっているだけであると声の主は
説明した。こうした観念に導かれたときは、
極めて単純な形態の情報で伝えられたが、
後になって「そうであると信じる」という
ことの意味をずっと深く具体的に理解する
ことになった。~

(引用注:これは私たちが自分の意識を
投影して現実を創造しているという真理を
説明しています。これが「現実が、私たち
の意識が投影したものでなく、客観的な
物質的現実として存在していて、自分達と
分離したものとして認識するように誘導され
てきた」事の大きな理由だということ
です。つまり私たちは、自分たちが意識で
あり、全ては意識の投影されただけのもの
という真実から目を逸らされてきたのだと
いう事なのです。)

~「時間の環」の中にあるもの全て、
多層化されたマトリックスの全域に
ついてそうであるが、地球はホログラム
の投影であり、地球の「表面」も錯覚
である。「今地球上にいるというのは、
自分でそう信じているからに過ぎない」
と声の主は言った。」
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

まずは最初の声の主の言葉にあった、
「欲求不満、怒り、恐怖、罪、苦痛は、
錯覚に過ぎない。切り離されたマインド
(肉体的思考や感情)の産物である。」
ですが、これは、私たちが太古の昔に
黄金時代から突き落とされた時に人類の
DNAが改ざんされた事から、左脳が
劣化し始めて、ネガティブな感情を
持つに至ったという証拠を以前記事で
取り上げていましたね。

転載してみましょう。

『およそ20万年前に突然進化が止まり、
ピーク時に約1440グラムあった脳の
重量は、その後、約1300グラムに
減少したという。
   (中略)
もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。

ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。』

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

要するに20万年前に、一気にあらゆる
生命種が地上に出現した時に、同時に
黄金時代の人類の遺伝子も書き換えられて
しまった事から、左脳が劣化し始めて、
「鬱病(うつびょう)、大幅に欠陥のある
免疫システム、歪んだ性行為」に
つながったという事です。

つまりうつ病は、太古の昔、実に
20万年前からの人類にお馴染みの
精神的な病いだったという事なのです。」
とこういう事だったのですが、結局左脳の
劣化による鬱病が変化して、あらゆる
ネガティブな感情になっていったと
考えられるので、やはりこれが
太古の昔に仕掛けられたプログラム
であったと想定できるという事なのです。

また最後の「地球の上にいる」というのも
錯覚だというのは、とても感覚的に
すぐには納得できないものだと思いますが、
それは私たちが、間違った空間認識をもとに
理解しようとしているからだと思われます。
これまで説明させていただいてきたように、
私たちの五感による空間の認識は、本来の
意識からみれば、表裏逆転したものである
という事なのです。
ここで思い出していただきたいのは
超常現象と電磁界異常その6      
北極圏と南極圏その2
という記事で
北欧のヤンセン親子が、北極圏で時空の
ゲートに入り込んだ時、なんと空間が歪め
られ、水の壁の中を進んでいったという事
がありました。つまり空間が私たちの認識
とは全く違ったものになっていたという事
ですね。
そして彼らが入り込んだ地下世界とおぼしき
世界の空間は、なんと私たちでいう地表が、
地球の裏側にはりついて、中心に太陽がある
という世界だったのです。
(壁に人の住む場所が張り付いているという
のは、太陽は中心にはないけれど、あの
ガンダムのスペースコロニーみたいな感じ
ですね)
つまり完全に表裏が逆転した世界だったという
わけですね。
こちらが、真実に近い世界の方だとすると
私たちが、地球の表面にいるという現実
認識の方が錯覚であるという事になります。
いずれにしても、これらの現実は全て、
実体である意識の投影でしかないという
のが真理なので、空間の認識は実は
いかようにもなるという事が正解だと
思われます。また絶対意識領域では時空
の全てが、同時に存在していて、それらは
意識の投影により、あらゆる現実を映し
出す事ができるという事です。
わかりやすくいえば、無限の世界を
内包した意識の世界が絶対意識であり、
またそれが本来の私たちだという事です。

そして次が、今回一番注目していただき
たい究極の真理についてになります。

その真理の答えをすでに画像タイトルに
使用してます。

このタイトルにこそ究極の
真理が、込められているのです。

どういう事か、今回できるだけわかり
やすく説明していきますね。

まずは、そのために、声の主の言葉
から観ていきましょう。

前回で、アイクは、声の主から、本来の
現実世界は、五感で私たちが認識している
世界とは違うものだとはっきり告げられ
ました。
しかし、これは太古の昔からの賢人や
思想家、東洋哲学や宗教、世界中の思想
としても言われ続けてきた事です。
これに完全に逆の立場なのが、私たちが
教育で絶対的な真実のように教え込まれて
きた西洋科学、主流の科学界、いわゆる
アカデミズムというものです。
これは、五感で確認できるもの以外は、
「科学的ではない」という不動の概念
により成り立っています。
それが完全に幻想だという事を、声の主
が告げてくれた事になります。
そして、本当の現実を愛以外の言葉で、
説明してくれる事になります。
今回は、その時のやりとりからになり
ます。

『』内が引用で、~が中略になります。


「絶対に忘れてはいけない。無限なる愛
だけが真実である。それ以外は何もかも
が錯覚だ」
と声の主が告げた。それから何かとても
深い意味のある言葉を残した。

これについては、少し後になって、私が
このテーマに関係のある体験をしたとき
に、完全に意味が把握できたものである。

“振動するものは、錯覚である。無限
なるものは、振動しない。無限なるもの
は、全ての調和であり、一つである。
錯覚のみが振動する。マインドの
思い込み、想像が作り上げたものである。”

(引用注:この絶対意識領域での声が言う、
振動するものは錯覚であるという事こそ、
私が宇宙の真理編の一連の記事で、説明
してきた事であり、絶対意識領域は、
振動0の状態であり、波動のない状態
であるという事なのです。そしてまた
このことから、より低振動、また低い
波動の方が、高次元の意識に近い状態
であるという事もいえるというわけなの
です。)

前にも述べた通り、一つであること、無限
なる一体感の状態を経験していたとき、
そこには振動はなく、静寂あるのみで、
せいぜいゆっくりとした動きの波があった
だけだった。物理学の「法則」も錯覚で
あると告げられた。』

“出典:「ムーンマトリックス
〈覚醒編6〉」
デーヴィッド・アイク著
訳 為清 勝彦  ”

この振動するものは錯覚であるという
ところが、あまりにも重要な真理なの
です。

振動とは、波動の事で、スパイラルで
あるという事をまず説明させていただき
ましょう。

私たちがいかに、一面的な理解の仕方を
してきたか、よくわかっていただけると
思います。

まずは、私たちの自然界にある振動という
ものがどんなものか、360度の視点で
観ればよくわかります。
ここで言う波動とは、スピリチュアルで
いうところの、単に見えない意識レベル
としての波動とは違って、物理的な
意味での波動です。

自然界の波動というのは、正弦波
なので、以下のような図解と動画で
あらわす事ができます。

“正弦波
単振動
波をよく伝える媒質はばねの性質を持ち
ます。
ばねの性質が無いものは波をよく伝える
ことができません。ばねは、伸ばされれば
伸ばされるほど強い力で引き戻そうと
します。この力を復元力といいますが、
復元力を持つものは単振動という動きを
します。簡単に説明し
ます。

物体が円周上を一定の速さでまわり続ける
運動を等速円運動と呼びますが、この物体
に横から光を当てると壁に映った影は
周期的な往復運動をします。

この動きを単振動といいます。物理において
等速直線運動の次に基本となる重要な運動
です。


各点が隣の点を引っ張っり上げたり
引き下ろしたりしながら次々に伝わるのが
波です。波をよく伝える媒質はばねの性質を
持ち、各点がこの単振動という動きをして
います。目を凝らして1つの縦の線に注目
して見てください。
このときできる波の形はきれいに整って
いて、正弦波と呼びます。数学で習う
正弦曲線(サインカーブ)と同じ形なので
このように呼びます。”
“出典:「正弦波 わかりやすい
高校物理の部屋」

つまり私たちの現実世界の振動とは、
スパイラルの波動を一面的な角度で捉えた
ものだという事なのです。

つまり声の主が語った、振動は錯覚という
のは、私たちの現実の基本エネルギーの
スパイラルの波動が錯覚だと語って
いるという事なのです。

そしてまたそのスパイラルは、トーラス
の中心軸として、循環しています。

その事を説明した記事から転載して
みましょう。

文中の、ホログラムというのは、私
たちの視覚的現実が、光の電磁波の
干渉で、それがホログラム映像の
仕組みのように、全ての部分に、
全体の映像が反映しているという
意味の言葉になります。

「さて宇宙のホログラムのフラクタルの
性質がどんなものかもう1度確認
できるようにまた以前の画像をお借り
してきました。


“出典:「はーとふるユニバース」様”



“出典:「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究」様」”

これが宇宙の極大から極小にいたるまで
の、宇宙の同質のエネルギー形態です。
通常この外側のドーナツ部分だけを
とってトーラスと呼びますが、真ん中を
やはりスパイラルのエネルギーが、同時
に流れる事になるので、これはセット
で考えた方がいいです。
またここから想像できる方は、右脳が特に
発達されている優秀な方だと思いますが、
この中には、メビウスループ
(メビウスの輪)のエネルギーの循環も
含まれているのです。
これが、我々の視覚情報では捉えきれ
ていない、宇宙の真の性質であり、
全て極大から極小まで同じ性質だという
ことです。
そしてまたそれは、宇宙がホログラム
的映像である事も証明しているのです。」

つまり自然界に普遍的に観られる
波動は、スパイラルであり、そして
真逆のスパイラル波動が、二重螺旋
の携帯で、トーラスのエネルギー循環
となっているという事なのです。
そしてそれが私たちの視覚的現実の
正体だという事なのです。

そして先ほども図解で説明したように
振動とはスパイラルという事なので、
声の主のいう振動が錯覚というのは、
このスパイラル・トーラスが、錯覚で
それこそが、我々の意識が囚われて
いる五感的現実の認識だという事なの
です。

この事こそ、私がみなさんお伝えしたい
真理として理解の一つなのですが、
なかなか難解でしょうか?

今回のこのような現実の理解こそ、
現在のような支配層が、人類を無理矢理
管理支配されるような社会へ向かわ
されている現実を解決するための大きな
鍵だと思いのです。

なぜなら、彼らは今回説明したこのレベル
の現実をよくよくわかっているから
なのです。

さてアイク氏の絶対意識体験の続きを
観ていきましょう。

「物理法則は存在しない」と声は語った。
「科学者たちは、錯覚である宇宙を推し
測るために錯覚の法則を作り出した」。

(一見荒唐無稽なようで、信じにくい
かも知れませんが、量子物理学では、
この事は広く認識されている考え方の
一つであり、主観が現象を決定する
つまり科学者の思い込みや視点が、
実験結果を左右する事を、すでに何度
も実験で証明しているのです。

五感の認識に頼る時点から、その錯覚が
始まっているというのが真相だと
いう事なのです。ただほとんど全ての
人がその錯覚のプログラムに従っている
ので、共通の認識として物質的世界が
絶対的な現実としてあるように投影
されていくという事です。
これが「集合意識による現実の投影」
という事です。

ここで重要なヒントがあります。
私たちの潜在意識に現実化させる力が
あるというのは、知られるようになって
きましたが、物質的な現実は個人の
意識による投影というより、人類の
集合意識の投影なのです。
つまりほとんど全ての人が、DNAに
プログラムされた五感の狭い認識領域に
従っていて、集合的な潜在意識となって、
強固な物質的世界を現実化しているという
のが真実なのです。)

全てはただ存在するだけであり、いかなる
種類の法則もない。
「無限なるものが、自らを現出するための
法則を必要とすると思うか?」。
物質界・非物質界を「支配」すると言わ
れる物理学・数学などの法則は、マインド
(引用注:五感の認識という意味)の
産物である。科学者たちが、そうした
法則の存在を信じるならば、彼らは
そうした法則を経験することになる。
私は、これについても、後により深く
理解することになった。
こうした錯覚は、誰かがやってきて、
プログラム(信念、集合的現実)を書き
換えるまで、継続すると声は語った。
誰かが変更すれば、こうした法則は
働かなくなる。我々が「奇跡」と呼んで
いるものも、プログラムされたマインド
を克服したに過ぎない。
できるはずがないという思い込みを打ち
破り、通常とは異なる現実を生みだし、
経験しているわけだ。
プログラムの中にどっぷり浸かっている
人は「あり得ない」と思い、実際に
そうした認識状態では不可能に思える。
その結果、「ありうる限界」を超えた
ことを「奇跡」と呼ぶことになるが、
本当は「奇跡」ではない。
足も炎も錯覚に過ぎないと知っている
認識状態に入っていくだけのことである。
錯覚が錯覚に火傷を負わせることは、
そう信じていなければ、できない。
こんな話を初めて聞いた人にとっては、
奇妙なことに思えるだろうが、この後を
読み進めてもらえると極めて単純明快に
なるだろう。
不可能なことは何もない。
「できるはずがない」という思い込みに
よって、不可能なように思えるのである。

実験を行う科学者の思い込みが、実験結果
に影響を及ぼすことは、多くの例で示され
ている。
「法則」と言えるものがあるとしたら、
「あなたは、あなたが信じることを認知
する」ということだ。」

“出典:「ムーンマトリックス
〈覚醒編6〉」
デーヴィッド・アイク著
訳 為清 勝彦  ”

冒頭で説明させていただいたように
今回さらに具体的な真実として、振動する
ものは錯覚という、ありがたい真理を、声の
主からもらう事になりました。

つまり絶対意識の領域は、振動がなく
波動がゼロの状態だという事です。

まさにこれこそ、私が宇宙の真理編で提唱
し続けてきた事であり、それに関連して、
低い振動、低い波動の方がより高い次元の
意識につながると、説明してきたことの
裏付けとなってくれているのです。
まさに絶対意識の声に感謝ですね。
ただし、これも重要な事ですが、波動ゼロ
の絶対意識は、無限の波動を生み出す源
でもあるという事です。

だから高い意識の人の身体のまわり、
などは高い波動が放射されていて、これを
「オーラ」や「プラーナ」「気」「後光」
などと呼びますが、これは、波動ゼロに
近い意識が、生み出した、高い
波動エネルギーだという事です。
これが、誤解されて、意識の波動が高いと
スピリチュアルで繰り返されているという
のが、現状なのです。

そしてまた、物理法則も我々の五感を
もとにした錯覚の認識の上に成り立って
いて、思い込みがつくりだす幻影でしか
ないという事を、声の主が説明してい
ますが、現在量子物理学の分野で、
その事を裏付ける実験結果が多く提示
されており、「現実は主観がつくりあげる」
という認識も量子物理学では、広く
支持されている認識でもあるのです。

ここで取り上げられた奇跡についての
説明は、目からウロコの解釈でしたね、
私たちはかなり以前から「心頭を滅却
すれば火もまた涼し」という仏教の言葉
を、半信半疑で捉えたまま生きてまいり
ましたが、このアイクの説明で、まさに
意識の思い込みを捨て去る事が、奇跡の
ように思える現実を、実現させるという
事が理解できました。
そしてまたこの思い込みの意識を捨て去る
という事と、心頭滅却するという事は、意味
が全く同じである事に気づかされたのです。

つまりそのような思い込みを捨て去る事が
できた人たちが、物理的には説明の
つかない数々の奇跡を実現し、披露
してきたというわけなのです。

さてその五感の思い込みの世界に
ついても続きがあります。
観てみましょう。

「」内が引用で、~が中略です

「声の主は、どのようにして我々が
「固形」の世界と信じているものだけが
存在するのか(我々がそう信じるように
プログラムされたか)を説明してくれた。
「世界」は「外側」にあるのではなく、
「内側」(我々のマインドの中)にある。
科学の実験により、我々は目から入った
情報の半分以上を見ていないことが証明
されている。
視覚情報は、我々の条件付けされた思い
込みに基づいて脳の側頭葉で選別された上
で、実際に「見る」器官である皮質の
視覚中枢に到達する。
そのおかげで私たちの視覚が、錯覚だらけ
である事は、視覚という現実感覚
という記事で詳細に説明していますので、
またご覧くださいね。 

(引用注:この実際に「見る」器官という
言い方に、なんとなくわかりにくい方も
おられるでしょうから説明しておきますね。
私たちは「目で見る」と思っていますが、
正確には、目で捉えた信号を脳が解読
する事によって始めて、見る事ができる
のです。いわば目がテレビカメラで、
神経というコードを通って、脳という
テレビに映し出されたものを見ている
ので、そのテレビつまり脳で見ている
というのが正しいのです。そのテレビ
にあたるのが、脳の一部である皮質の
視覚中枢であるという事なのです。)

物事を見ているのは、目ではなく、脳
なのだ。目は電気的な情報を提供する
だけで、その情報をどう生かすかは
脳とマインド(引用注:囚われた精神)
が決める。脳とマインドが見るように
条件づけられていれば見るし、見ない
ように条件付けられいれば見ない
のである。
我々は意識のある状態で日常生活を
送っていると思っているが、実際には
睡眠中の夢とあらゆる意味で同じもの
を経験しているのだ。
日常の現実は、もう一つの夢にすぎ
ない。

(引用注:これもどういう事かといい
ますと、私たちが目覚めている日常の
現実もまた睡眠時の夢も、同じく
脳で解読して投影されたイメージで
しかないという事なのです。)

~我々の肉体はホログラムの錯覚であり、
実際には、我々が見たり経験したりして
いると思っているようには存在していない
と声の主は言った(これについてはさらに
詳しく述べるつもりだ)。人間の肉体の
本当の性質を理解すれば、、人間が操作・
抑圧されている仕組みを深く理解できる。
声の主は、我々が食べたり飲んだりしな
ければならないのも、もそうしないと
いけないと信じるように我々の肉体が
(条件付けとDNAにより)プログラム
されているからだと言った。

(引用注:ここでも声の主が、人類
を支配する、おそらく人類以外の
存在が、私たちのDNAや意識を
プログラムしている事を示唆してい
ます。これはもちろん土星や月に
ついてのこれまでの記事の裏付けに
なる事でもあります。このことに
ついては、次回のその8で書かせて
いただきたいと思います。)

呼吸をしなければならないのも同じ
理由である。確かに呼吸を止めれば、
我々は死んでしまう。だが、それは
死ななければならないからではない。
条件付けされた我々のマインドと
身体が、そのような結末になると
信じるようにプログラムされて
いるがために、本当にそうなるので
ある。

「無限なるものが、夕食を摂ると
思うか?」と声の主は尋ねた。
そして、「無限なるものが、呼吸
しなければならないと思うか?
呼吸しなければ死ぬだろうか?」と。
「では何故、時間の環の中にいる者
はそうしなければならないのだ?」
 
(引用注:この時間の環とは、私たち
が、DNAにプログラムされて囚われて
いる循環する時間の、見えない檻だと
いう事です。それくらい私たちは、
本質的には、ほぼ同じような意識と
行動を繰り返すように仕組まれて
いるという事です)

その答えは、時間の環の中にいる者は、
本当の自分自身(無限なる「一つ」)
ではなく、錯覚の「法則」に服従した
物質的な「人格」をもって自己と認識
し、何が可能かを感じ取っている
からだ。

 声の主は、認知された現実と無限
なる自己の間にある深い断絶の例を
話してくれた。

| どうして飛行機に乗って飛び回る
必要があるのだ?あなたは、A地点に
いるしB地点にいるし、その間の
どこにでも存在する。それなのに、
どうしてわざわざ飛行機に乗って、
自分自身の中を旅しないといけない
のだ?|      」

出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

今回の自分の意識が、この現実を創り
出しているという真実は、これまでの
記事で、再三繰り返してきたものでも
ありますね。
たとえば
人生は思考の産物-自分で創り上げた世界-
という記事でもその事について説明
しています。
これが、やはり、人類とは別の知性的な
存在によるプログラムによるものだと
いう事なのですが、この声の主も何に
よってとは、いいませんが、確かに
人類が意図的にプログラムされている
という事をはっきりと言ってます。
そしてまたそのプログラムにより、
私たちの意識の思い込みまたは、
身体的な反応が実行されているという
事も、説明しています。

私たちが脳で投影したものを見ている
だけというのは、量子物理学の分野や
トランスパーソナル心理学などでは、
ほぼ共通した見解です。
事実私たちの脳のフィルターがなければ、
科学的な感知・観測によっても、ただ
あらゆる波動が一つに入り混じった世界
だという事がわかっています。
その中のとても狭い領域の波動が、私たち
の五感に感知され、神経を通して脳に
届けられ、思い込みの現実として解読して
いるというのが、真実なのです。
もっとも本来のこの無限の認識の絶対意識
領域では、波動さえも錯覚なのですが、
とにかく物理的に条件づけられた私たちの
感知・観測できるレベルを極めていけば
波動のみの世界で、私たちは一体である
という事がわかるわけです。

そして私たちが食べたり呼吸している事に
よってはじめて生きているように信じて
いるのも、プログラムによるものだという
事です。
確かに、食事をしなくても生きられると
いうのは、私も断食を経験もしているので
よくわかりますし、1ヶ月も断食を経験
した榎木孝明さんの例でもよくわかって
いただけると思いますが、呼吸もなん
だろうかと思ってしまいますよね💦
ですが、確かにあらゆる肉体の生存に
関する条件がプログラムである事を
考えれば、意識によってそれを変更
するのは可能なので、呼吸なしでも
大丈夫という事になります。
事実臨死体験で、末期ガンで死の直前の
状態、で、骨と皮だけになっていたような
アニータ女史が、絶対意識つまり無限なる
ものの意識を得て臨死体験から戻って、
とんでもない勢いでガンを全て消滅させ
完治させたのですから、何でも大丈夫の
ような気がします。

プログラムされたDNAは、言葉や
意識によっても変更可能だとは
DNAの驚異の力 その1改
でも説明しているので、またご覧
いただければいいかなと思います。

最後のは、驚くべき話のように思え
ます。つまり飛行機に乗ってあちこち
いかなくても、全て自分自身のある
場所だという事です。もちろんこれは、
無限の絶対意識の状態で見るとという
事なのです。
体外離脱体験者が、意識レベルをあげて
肉体から意識を離して分離し、あちこち
て、飛び回れるのも、全ての空間が
自分自身であるとすれば、自然な事
になります。

事実科学的な観測から、コンノケンイチ氏
がたどり着いた宇宙モデルも、全ての空間
が、宇宙の中心にもなっていて、どれだけ
中心から拡大していっても、最終的に
そのスタート時の中心に回帰するのが、
宇宙の真の姿だと述べられています。
これは私の
ビッグバンモデルは完全破綻!では
真の宇宙モデルとは一体どのようなものか?

という記事でも説明しています。

またマイケルタルボット氏が著書でも
その事について言及しています。
「私たちの一人ひとりが天界の全体を内包
しているのだ。
そればかりか、天界は一人ひとりの中に
その位置を占めているのである。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
       川瀬勝訳 春秋社刊”

この天界というのは、宇宙全体のことと
して置き換えていいです。つまり私たち
一人ひとりが、宇宙の全体を内包している
という事ですが、これは私たちの意識が、
宇宙大であるという事を言っているの
です。

だから、本来の無限の意識では、全ての
場所も自分の中に内包されているので、
移動しているのではなく、ただ自分の
意識の投影の場所を変えているだけで
自分の意識の中にあるものとして変わ
らず、存在しているだけだと言う事なの
です。
私たちは、常に三次元的な行動を重視する
ような感覚が主流ですが、意識のレベルが
高い状態では、それさえも意識の内に
ある事だという事です。
逆にいえば、行動も意識が決定している
のだから、まずは意識のレベルを高くする
事が先であって、行動が優先されるもの
ではないという事でもあると思います。
意識が高い状態になれば、自ずと行動も
また現実としての結果も変わってくる
という事なのでしょう。
また意識そのものの活動の方が、錯覚の
三次元に作用する行動よりもより高度
だという事なのです。
だから、単に座禅を組んで瞑想をして
いるブッダなどは、本来の意味では、
とても大きく行動をしていたという事に
なるわけです。

よく何よりもまずは行動が先という人
も多いですが、今回のような真理から
いえば、全ては意識に始まり意識に
終るという事です。それを自覚して
こそ行動に意味がある事になると
思います。

声の主からの言葉についてのまとめは
以上になりますが、このような
真理を大衆に理解させないように
支配層が腐心してきた事が、私自身の
13年ほどの観察によっても確信できた
事です。

我々にそのような錯覚をもたらす存在
については、声の主は明言していません
でしたが、それはまさに究極の絶対意識
からは盲点にあたる存在だからなのでは
ないかと思います。
ただし、人類を真理に対して盲目にして
きた仕掛けについては、説明していた
という事です。

私たちが、プログラムされた思い
込みで、現実を投影していて、それは
まるで誘導された夢を見ているような
ものだという事を説明しましたが、
この声の主が、それが人類に対する
プログラムだと言っている事で、つまり
は、人類以外の知性的な存在についても
示唆している事になります。
つまり絶対意識によっても、私の土星
月についての記事が裏付けられたという
事になります。

そこで今回は、その存在がいる事さえ
違和感のある人たちのために、私も
ヒントになるような事を書きたいと
思います。

その存在がたとえば宇宙人だったとして
も、ネットでも本でもありとあらゆる
種類の宇宙人の情報があり、とても
一つに絞りきれません、また太古から
そのような存在がいたとする説も
それこそ無数にあります。
また地下にはアルザル人がいて、日本人
と同じYAP遺伝子を持っているなど
とも聞きますが、どれが正しいとなか
なかいえないのも事実だと思います。
全て正しかったりする事もあるでしょうし
、また多くは事実に反する場合もある
でしょう。
私の研究では、話題として取り上げる
事はしても、人類以外の宇宙人や支配的
な存在、または友好な存在などを
明らかにするのは、中心的なテーマで
はありません。
それよりは、私たちがどのように操作
されたりして、どのようにすれば解決
していけるのかというところに一番
力を入れているという事です。
よくネットで、宇宙人からコンタクトが
あったという話をそれこそいくらでも
見かける事がありますが、私たちが
囚われている現実や、誘導されている
偽の知識に対して示唆してくれている
ようなコンタクトの内容は少ない
という感じがします。部分的
はあっても、逆に明らかに主流の
科学が伝えるような偽の知識(例えば
ビッグバン理論や進化論をそのまま
うのみにしたような世界観での
メッセージなどは、明らかに本人が
地上の洗脳レベルにある事を証明して
いるようなもの)をもとに
して語ったりもしているので、
「そりゃあんた地球人の声聞いて
ますよー」
というように、その存在は違うと思え
たりしているのです。

もちろん本当に宇宙人がコンタクトを
とってきているのもあるでしょうが、
私たちが解決しなければならない問題は
依然として、たくさんあるままです。
彼らが、そういう事には干渉できないと
いうなら、やはり私たち自身が、操作
された認識から、解放されるように
していかなければならないという事で
しょう。

私の研究で人類がプログラムされている
という事自体の理由と仕組みを、
これまで多くの記事で説明してきました。
そこで人類以外の知的な生命体または
存在が、とにかくいるという事について
は、説明した方がいいと思ったわけです。

アイク氏は、やはりそのような存在に
ついて、つまり、私たちの上に君臨
している支配層(人類とは違う高等な
知生体の遺伝子を持つ血族や財閥、
これらは、閨閥でほとんど密接に
つながっているという事です)について
言及していますが、私は彼らの意図だけ
をお伝えしたいので、「何が」という事
に関しては、略させていただいてます。
さて、ここで良いヒントになるかも
しれない事を書きますね。

人々の総意で、いや人類の政治家や
権力者の意志でこれだけ、危険な核兵器
や原子力発電所が、製造また建設されて
きたと思いますか?自分たちの命を一瞬
にして失い、地上に住めなくなるような
ものを?

ここで、これは国の経済のためだとか、
国防のためだとか、考えている方は、
見事に誘導されている人たちですが、
東日本大震災および福島原発事故以降、
目覚めた人は、現在本当に多いと思い
ます。原発は、私たちのためでなく、
少数の利権やその背後にいる権力者の
意図によって、推進されて建設され
稼働してきたものであるという事を
知ってる人は今では多いと思います。
少なくとも、私たちの総意では全く
ないし、マスコミの偏向報道から、
ケチな利権に絡む人程度の意図でもない
という事もわかっている人が多いと
思います。
でも世界のどの存在であれ、人類で
あれば、ひとたび大事故が起これば、
人類全体の生存にかかわるものを推進
するように意図する事なんて、果たして
あり得ますか?
という事なのです。

ここです今回私の言いたい事は、つまり
この意図が人類のような生命体でもなく、
たとえば地球からも逃れられるか、
または物理的な影響も受けない次元で、
存在できるような存在のものであれば、
全く問題ないですよね?
それでも人類が愚かだからこう
なったというみなさんの常識を信じ
続けますか?私は今の特権的な支配層
の多くが、人類以外の存在と深く関係して
いるとしか思えませんが。
また深く追求したことを書いていけば、
わかっていただけるとは思いますが、
このへんにしましょう。「誰が」
「どういう存在が」という事は、本来の
テーマでもないので。

さて前回にとばした、アイク氏の説明
する、そのような支配的な存在の意図に
ついてが以下です
~からは、その彼らの意図についての説明
です。

「」内が引用です。

「(引用注:彼らは)このマインドの
性質を理解し、我々の現実感覚を操り、
人間を支配下に置いたままにするために
利用している。彼らは、人々に何を見る
べきか、見ないべきかを指示し、人々は
それに従って見たり、見なかったりする。

(引用注:彼らが「指示している」
というのは、間違った現実感覚を
マスコミや教育、公式見解などで、
意図的に広めて、誘導しているという
言い方の方が適切だと思います。)

これが私がよく書いたり話したりして
いる「標準」(公式の「事実」)の
基本的な役割である。そしてこの「標準」
に楯突き、人々に別の観点を提示する
者がいれば、政府が必死になって、排除
しようとする理由もそこにある。」

出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

ふむふむ、人々に別の観点を提示するもの
があれば、排除されるだろう・・・か。
という事は私のような者も入りますね。
でも肉体的には排除されても、霊的もしく
はさらに高い領域で、逆に邪悪な奴らを
排除するつもりなので、大丈夫です。
アイク氏も、すでにそのような意識レベル
に達しているものは、やっかいだから手を
出せないといってます。
まあレベルに達していなければ、逆に霊界で
上がっていけるよーにがんばれば良いだけの
話です、私たちは永遠の意識であり、
不滅なのですから、存在そのものまで
消滅する事は絶対にないのです。

とにかく、人類とは違う生命体の誘導により
私たちは、極端に盲目にされている事は確か
だと思います。その意図を知ってからたぶん
10年以上は経つと思いますが、その事は、
日々の新聞、テレビ、雑誌や人気書籍、そ
そして思い込んでいる圧倒的多数の人々の
感覚や考え方を、ずーーっと観察してきて
確信どころか、これ以上の真実はないと
言い切れるくらいの理解を深めてきました。
なので、この意図的な誘導というのは、
本当です。

もう一つ言わせていただければ、その誘導に
ついて、私たちに何も教えられないような
情報は偽物である可能性が高いという事
です。
特に今回の声の主からのメッセージの記事の
前後編で語られていたような、五感や知覚の
根底にある仕組みと、その誘導について
理解していないようなメッセージであれば
まずは信用できないとみています。

つまり人類の意識が上がって、世界が変わる
などというような情報が、溢れかえって
いますが、人類のほとんどの人が、この
偽の現実からの誘導にまんまとひっかかり、
自由や富、権利を奪われてしまっている
現実が、全く変わらないどころか、
ますます彼らの意図通りに社会が誘導されて
いるからです。

要するに私たちが偽の現実感覚・狭い五感
の認識による知覚やプログラムされた
マインドの状態から解放されて初めて
意識が上がる事ができるのであって、
それなしには、意識レベルを上げて
世界を変える事などできはしないと思う
わけです。

これからどのように展開していくかは
わかりませんが、私たちの意識は永遠に
存在し、宇宙・時空・次元を全てを
内包するワンネスに回帰していく過程を
楽しむ旅を続けていく事になるのは
間違いないという事です。

ではまた(*^^*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

人間の真の偉大な力編

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永遠の命は神から与えられなくても、すでに我々のものだった!


私が、ブログでどうしても伝えたいと
思ってきた事が、私たちが永遠で
無限の意識として一体であり、決して
死なず、消え去る事もない存在だと
いう事です。

私たちの本来の実体というか、
本来の自分という存在は、五感で
捉える事のできない、非物質の
「意識」だという事です。

そして無限の意識でもあり、全ての
存在が実は一つであって、全宇宙、
全次元の時空で、全てを知り、
全てを可能にする事ができる
まるで全知全能の神のようなもの
だという事です。

ただし、それをこの五感の認識に
囚われた肉体の意識、つまり
ボディマインドで実感する事は
ほぼ不可能だという事です。

臨死体験や対外離脱、また深い瞑想、
超常体験や、特別なゾーン状態、
さらには五感の意識を麻痺させて
松果体の感覚を活性化させるような
アヤフアスカのような自然の向精神薬
などによるような、特別な意識状態に
ならない限り、その究極の意識を
感知する事は、とても困難です。

とはいっても、その究極の意識とは
私たちと分離して存在するものでは
なく、到達するという言葉もタイトル
画像にあるように、誤解を生む
表現です。
まさしく究極の意識は、我々の内なる
意識の領域と一体なので、それを
感知するのが困難なくらい、一部の
マトリックスのボディマインドの意識
状態に囚われているという事なのです。

ですが、その究極のワンネスの意識、
私が「絶対意識」と呼ぶような境地
に至った、アイクとアニータ女史
その他多くの覚醒者、古来の賢人
の言葉で、私たちは自分たちの本来
の究極の意識がどういうものである
かを知る事ができるという事なの
です。

私も特に幼少期にそういう感覚を
身に覚えていた実感はあります。
その時に得た、世の中の本質的な
知恵は、いったん物質世界で成長して
いく過程で、忘れかけていたのですが、
20代後半の時に、精神世界の探求と
学びを始めたのも、そういう幼少の時
の感覚があったからだと思います。

そして、古来からの賢人や覚醒
した人たちの言葉を学んでいくに
つれて、
これは幼少の時に自分が感覚で
得ていたものと本質的に同じものだと
わかったので興味を持って、探求を
進めて、
多くの驚くような発見の連続とともに
今にいたるわけです。

さて究極のワンネスである絶対意識
がどんなものか、具体的にわかり
やすく説明してくれたのが、デービッド
アイクとアニータ女史だったというわけ
です。

では今回はアイクの絶対意識状態の説明
を観てみましょう。

南米ブラジルでアヤフアスカを
服用して到達したアイクの究極の
絶対意識の内なる言葉について
ですが、あまりに多くの情報量なので
二回の記事に分けます。
わりと私の注釈が、わかりやすいと
思うので、それに注目していただき
たいです。


「私は、ブラジルの熱帯雨林で開催
されるイベントに講演者として招待
され、アヤフアスカという熱帯雨林
植物から製造した精神活性剤を飲む
ことになった。これは短くとも
数百年間、南米のシャーマンが五感
レベルの現実を超えた意識へと人々を
導くために利用してきたものである。
見えない領域を経験させてくれる
「教師の植物」と言われ、その経験
を通じて自分自身、生命、そして
現実とは何かについて多くを学ぶこと
ができる。

また「神々の植物」とも言われるが、
これは神話の神々が住んでいる次元
を見せてくれるからである。~
~アヤフアスカには、哺乳類や植物の
代謝で自然に分泌されるDMT
(ジメチルトリプタミン)のような
強力な幻覚を誘発する特性が多く
含まれている。DMTのことを
「精神の微粒子」という人もいる。
そのときまで私は精神活性剤を服用
した経験はなく、その後もブラジル
での体験の数週間後に微量の「魔法
のキノコ」を摂取したことがある
だけである。だがこの現実を超えた世界
を見てみたいという欲求のため、私は
どうしてもアヤフアスカを試してみた
かった。 

私は2003年1月にブラジル北部の
マナウスに到着し、熱帯雨林の現地へ
1時間かけて車で向かった。
アヤフアスカは、ブラジル各地で宗教
儀式に使われており、そうした状況で
利用することは極めて合法的である。
もちろん「西洋社会」では所持も服用も
違法である。
通常この薬があれば、五感を超えた現実
へと根源意識を目覚めさせることができる
からだ。

(引用注:これが私がこれまで、説明
してきた、支配層血族の都合という
ものです。彼らは私たちに覚醒して欲しく
ないという事です。そうなれば、都合
よく支配できなくなるからという事
でもあります。)

私は大きな木製の
「丸い家」の床に、暗闇の中、横た
わった。一緒にいたのは主催者の一人
で、あらゆる種類の薬物・配合に経験
豊かなゾーだけだった。

(引用注:つまりアヤフアスカを安全に
服用させるための、案内人のような存在
の事を総称してゾーと呼ぶようです。)

熱帯雨林にあるもので彼が飲んだり
吸ったりしたことのないものは、
ほとんどないはずだ。

植物が、あっちの世界やこっちの世界
に連れていってくれると話している
のを耳にしたが、私はそうは思わない。
私の考えでは、アヤフアスカは
チャンネルを開通させる(あるいは、
そのように思わせる。全ては心の中で
起きていることだから)ことにより、
意識の覚醒をもたらし、もともと我々
がいるところに連れていってくれる
だけである。

私は小さなグラスでアヤフアスカを
一杯飲んでみた。甘草に似た味がして、
すぐに効き目が現れてくるのを感じた。
吐き気がして、落ち着かない感じに
なった。そして長年にわたって鬱積
していた失望と挫折(フラストレー
ション)を吐き出し始めた。本当に
大声で叫び始めたのだ。大勢の人々から
嘲笑された時代にまでさかのぼる欲求
不満が、私自身存在を把握していな
かった感情の抑圧が、一気に暗闇の中
へと放出された。アヤフアスカの
効き目が出てきて変性意識状態になり、
目を閉じると、キラキラした色や形が
飛び交うのが見えた。目を開けると、
いつもとは少し違った感覚ではあるが、
五感の現実に戻った。この体感が強烈に
なるほど私は目を開けておきたいと思わ
なくなり、目を開けても、そのまま目を
開けておきたい気がしなかった。

(引用注:ここは特に重要です、視覚
は私たちが物質の次元にとらわれる
一番の元凶です、アイクが高次の意識
に移行しようとする時に、視覚が邪魔
なため、目を閉じたくなったという事
なのだと思います。瞑想をする時に自然
に目を閉じるのもそのためですね。
そしてまた百聞は一見に如かずなどと
いうことわざも、その視覚にとらわれた
人々によって伝えられてきたもので、
真理をついているどころか、人々が
五感にとらわれた歴史を繰り返してきた
事の証明になっているだけだという事
です、よくことわざだったら良い言葉
だと、短絡的に捉えられる事が多いと
思いますが、本質を考えれば、それほど
良い言葉ばかりではない事に気づくと
思います。

たとえば「長いものには巻かれろ」の
語源は、間違いなく、太古に天子で
あった龍が、ヘビのような長いもの
であったために、上の立場の者には従順
でいた方が無難などという、とても
支配層に都合の良い言葉である事が
わかります。
今従順な方々が、ワクチンを接種して
苦しんでおられるのに、この言葉を
肯定している場合ではないという事
ですね。)

仰向けになって真っ暗闇を見つめていると、
突然、腕が伸び、およそ45度の角度に
両腕が広がった状態になった。ペルーの
丘では、立った姿勢だったが、それと同じ
手の広げ方だった。

(引用注:アイクはこれより何年も前に
ペルーのある丘で、高次元とのアクセスが
できたクンダリーニ体験をしています。
その時の事は最近投稿しました。
DNAと人体の波動は同一だった!遠隔複製
されるDNAと月のマトリックスの関係
とは?

という記事で取り上げています。
その時にも同じ角度で自然と手を
広げたという事ですが、自分の潜在意識
の働きで自然にエネルギーを受ける形
になったのだと思われます)

そして私の口から、「デーヴィッド・
アイク」とはまったく違う声で、この
言葉がゆっくりと力強く出てきた。
「私は愛(ラヴ)である」
それから、こんな言葉を繰り返し発し
始めた。

(引用注:私もだいぶ小さな頃に、寝て
いて急に眼が醒めて(半分寝ている状態
だったようでもあります)、自分の口
からとてつもなく低い声で勝手に話し
はじめる声を聞いたことが何度もあり
ます。
もちろん声変わりもしていない時
だったので、とても変な感じがしま
した。ただ何といっていたのかは全く
わからず、それが良い存在からの
ものなのか、悪い存在からのものか
さえわかりませんが、自分の身体を
通して別の意識の存在の介入という
のは、そこで体験できてたので、今回
の事もわかりますね。そうそう霊媒も
そういう別の意識が入り込んでくる
というのが、基本的な仕組みだと思い
ます)

「私は全てであり、全ては私である。
私は無限の可能性である」

(引用注:究極の絶対意識であると
思われる声が告げたのは、「私は、
愛で全てであり、さらに無限の知性
であり可能性でもある」という事です。
この「可能性」という訳だと、
現実化する能力があるのかどうか
あいまいに思えるでしょうが、
原著のpossibilityという言葉は、
あらゆる全ての力つまり全能、全て
を実現する力とも訳せるので、つまりは、
この声は「全能の全存在そのもの」
だと言っているのだという事です。)

それとともに、私の胸の中央(ハート
のチャクラ)から途方もないエネルギー
が溢れ出し、そのエネルギーが部屋に
満ちているのを感じた。
(引用注:全てのチャクラの中でも
ハートチャクラが中心であるというの
はここからもわかりますね、高度な
意識を理解していたと思われる
ペルシャのスーフィたちも、胸の
ヒンマが、運命の鍵を握っていると
証言していますので、それを裏付け
ますね。
その事は
意識のイメージによる未来実現   
古代から伝わる視覚化という方法

という記事で詳しく説明しています

要するにこの時のアイクは、
ハートチャクラが開いて
究極のワンネスの意識とつながり
全能の声の主とつながれた事を
意味しているのです。
また次の日もアヤフアスカを服用
したアイクは、ワンネスが全知で
あるという事も知らされているので
要するに「全知・全能の全存在」
がワンネスであり、それが
私たちの本来の姿だというわけ
です。)

数分もすると3つの蛍光灯は完全に
点灯した。

(引用注:高次のレベルでのエネルギーは
電磁気エネルギーと密接につながっている
という事が、ここでもまた証明されて
います。
要するに高次の領域が、この五感の
現実世界に影響を及ぼす時は、
まず電磁気エネルギーとして変換
されるというわけです。)

私は周囲を見渡して、どうしてゾーが
照明をつけたのだろうかと訝(いぶか)
しんだが、彼がスイッチを入れたわけでは
なく、照明は全て切ってあった。

(引用注:これもプラズマエネルギーで
蛍光灯が点灯する事をすでに記事で説明
しています。プラズマの驚異の力 その1
です。
またアヤフアスカを服用すると
脳の中央部にある松果体自体が光る事
によって、その内側の光を目が感知して
瞳が光るようになるというのは、
実際にアヤフアスカを服用した
人々の目が光る様子を映した
いくつかの動画で確認しています。

複数の人々が同時にアヤフアスカを
服用して、全員目を光らせていた
動画があったのですが現在見つから
ないので、こちらの動画の35分
あたりで、アヤフアスカを服用して
横たわっている女性の目が光って
いるのは確認できると思います。

私もそれを経験していて、夜中に
目が光っていたのを、まばたきととも
に光の残像が壁で明滅していた事で
体感できていた事が何度かあるので
よくわかります。)

電気もなく自ずと点灯したのである。
少なくとも普通の状態ではなかった。
ハイファイ装置で音楽が流れていたが、
それもスイッチが切れては10秒ぐらい
で元に戻った。奇妙でありえないこと
だが、実際に起きたのだ。部屋に充満
していた電磁エネルギーが、照明と
音楽プレーヤーの電気回路に影響を
与えたのである。

私は、ハートのチャクラを通って溢れ
出すエネルギーが、頭部に向かって
アーク(弧状)を描いているのを
感じた。

(引用注:この心臓から頭部のエネルギー
の流れはそのままハートチャクラから
眉間のチャクラや頭頂のチャクラへの
流れに置き換えられます。つまり高次
の意識へのチャクラのゲートは心臓を
基点として頭部へ向かうという事を
示しています。)

私の口から出た言葉は、このエネルギー
の接続から発生しているようだった。
エネルギーが当たっている頭の部分は、
誰かに強い力で肌をつねられている
ような感覚だった。変性意識状態に
なった私は滑らかに話し始めたが、私
が自分で考えたものを言葉にまとめた
わけではなく、ただ単に私の口から
言葉が出て行くだけであり、初めて
知った言葉だった。そのときに話した
こと、その次の夜にさらに強烈な形で
私を襲ったものについて、これから
要訳する。』


変性意識状態になった私に告げられた
内容とは、存在するもの全ては一つの
無限なる意識であり、それは
「無限なるもの(インフィニット)」
「一つなるもの(ワンネス)」
「一(ワン)」
と表現されていた。
我々は操られた錯覚の現実の中で、
「一つ」であることの認識から切り
離されてしまった。
本当は全てつながっており、全ては
同一の無限なる意識として見るべき
ところを、何もかも分離して二元的に
見るようになった。

(引用注:これはアニータ・ムーアジャニ
女史も全く同じ事をいっていて、神で
さえも分離したものではなく、自分が
そのようなものでもあり一体なのだと
証言しています。太古からの多くの賢人
たちも同様に全てが一体であり一つで
あると口を揃えてます。

そして声の主によると無知な状態に
誘導されている我々は何もかも分離して
二元的に見るようになったとの事です。

実際善悪の二元論についても同様で
悪があるから善があるというのも、
全く一元的なワンネスの視点では
あり得ないレベルです。

全ては無限の調和であり愛である
ワンネスに対して、完全なる悪は
単なる盲点の存在でしかない
という事を、この声の主は、
後で錯覚と表現しています。

古代にキリスト教に弾圧された
歴史上から抹殺されたグノーシス
派も悪は、エラーから生まれたと
記し遺しています。

これは別の記事で詳しく取り
上げようと思います。

私たちも全てと一体で「全知・全能」
であるという事は、アニータさんも
臨死体験で得た答えです。

彼女が得た答えとは、全てはワンネス
であり、自分そのものでもあるので、
神でさえも分離したものではなく、
自分がそのようなものでもあり一体
なのだと証言しています。)

最初のアヤフアスカの体験では、我々が
日常的に経験している五感の「世界」は、
基本的に同じこと(細部に至るまでは
同じではないとしても、質的に同じこと)
を延々と反復するだけの「時間の環
(タイムループ)」であると聞かされた。
我々が未来と呼んでいるものは、結局の
ところ「過去」になり、何度も何度も
「現在」を繰り返すように回転している。
「時間の環」は、永久に回転する渦巻きの
中を回り続けており、その誘惑と錯覚に
捕獲された根源意識にとっては監獄と
なっている。

(引用注:私たちは、五感に囚われた意識
だと、これまでの記事で説明してきたこと
を、裏付けてくれていますが、
これはさらに質的に同じ行為や思考、習慣
などを繰り返しているという「時間の環」
に囚われているという事を言ってますが、
確かに、あらゆるサイクルで私たちは
「繰り返しの中」にいる事に思い当たり
ます。この訳をされている為清氏は、
無限の意識またワンネスの事を
根源意識と呼んでおられますが、
ワンネスの意識は、文字通り全ての
意識を包括しているので、根源だと
無限の意識の源にのみ集約されている
ので、最高の意識ではあるけれど、
全体の一部というイメージになって
しまうので、
私は「絶対意識」と訳しています。)

「時間の環」は、やはり無限なる一つとの
接触を失った「非物質レベル」の構造の
範囲内で稼働している。私に聞こえた「声」
は、この多重構造のことを「マトリックス」
と呼んでいた。

(引用注:このマトリックスというのは、
意識を捉えるための監獄の檻のような
もので、意識を逃さないようにわりと
頑丈にできている意識の壁のような
ものです。五感の認識などもその
マトリックスの一つだといえますね。

そしてまた映画マトリックスもとても良い
たとえになります。あの映画では、主人公
を初めとした人類がコンピューターに
与えられた偽の現実の世界の事を
マトリックスといってましたが、
まさに現在我々が囚われている
マトリックスも私たちに偽の現実感覚を
もたらす、意識の壁だという事ですね。

このマトリックスの輪でもある循環は
時間についてだけでなく、空間についても
言えます。

極大から極小まで、本質的に同じ
エネルギーで、その原初形態がスパイラル
を内包したトーラスです。
これは宇宙または自然界のフラクタル構造と
呼ばれています。

そしてこれは、ロシアの入れ子人形の
マトリョーショカに喩える事もできます。

つまり同じ形の繰り返しのフラクタルも
また、マトリックスの本質の一つだという
事です。

マトリョーショカという語感が、
マトリックスという言葉に似るのは
偶然でしょうか?

またタイムループは、占星術の本質でも
あります。

生まれ落ちた時点で、まわりの宇宙的環境
の一つの時点でのサイクルとして囚われた
という意味が本質で、それが表現されている
ホロスコープは、まさにその囚われた
サイクルの縮図であり、肉体に宿った
個人の性質とライフサイクルを示して
いるという事です。

つまりそれも一種のマトリックスで、
ワンネスや、そこまで解放されて
なくてもボディマインドを超えた
高次の領域の意識でいれば、その
占星術的マトリックスの影響も
受けなくなるという事です。
まあ逆に、その個人の性質を客観視
できるようになれば、それはそれで
楽しく有効にも利用できるという
事です。)

~最初の夜は、私の口から大声で言葉を
発したが、次の夜には、明瞭な女性の声
が聞こえ、さらに詳細な内容を付け加えた。
「彼女」の言葉は、私の心(マインド)
によって解読された思考フィールドで
あったため私には英語で聞こえた。
イタリア人やエジプト人であれば、
それぞれの言語に解読し、それぞれの
話し方に変換したことだろう。

(引用注:これは、次の日も同じように
アヤフアスカを服用したセッションを行い、
今度は別の声が聞こえたという事です。
しかし存在としては、同じ絶対意識の
ものなのだという事です。
また人によって届けられる言葉の内容は同じ
でも、それぞれの国で使用される言語として
解読するというのは、自分の思考フィールド
に届けられる声が思念であって言葉その
ものではないという事です。
それとアイク氏のマインドという言葉を
為清氏は心と翻訳されていますが、アイク氏
は他にもハート(心)という言葉も使用して
いるので、ここはマインドの本来の意味で
ある肉体的思考および感情
(ボディマインド)
という翻訳の方が適切だと思うのですが、
この引用ではそのままマインドを心と表記
する事にします。)

その情報を伝達してきた存在のことを「声」
(ヴォイス)と呼ぶことにする。
私は、その存在を女性と解釈したが、実際
には男女の二元性ではなく、一体性の現れ
だった。
次の夜にはアヤフアスカの分量を増やして
みた。横になって目を閉じると、再び色と
形の乱舞が見えてきた。一時的に、とても
中国風に見えることがあった。それから
非常に明瞭な声が聞こえ始めた。それは、
「私の言った通りでしょう」という
タイプのよそよそしい声ではなく、私が
聞いたこともないような力強い大きな声
だった。尊厳、確信、明晰を備えた声
だった。
「デーヴィッドよ、これからあなたの
出身地に案内しよう。そうすれば自分が
何者か思い出せるはずだ」と語った。
その言葉とともに、私は言葉ではとても
表現できない至福の境地へと連れて
いかれた。「時間」も「場所(空間)」
もなかった。全てはただ存在していた。
私には肉体はなく、ただ根源意識として
存在するのみで、私が全てだった。分離
はなく、対立極もなく、白も黒もなく、
彼我(ひが)の違いもなかった。私は無限
であったが、それと同時に、その全体の
中で、独自の観察視点を備えた「個」
として完全な自己意識もあった。
これこそが我々の本来の姿である。
独自の観察視点で無限なるものを見ている
意識である。

(引用注:ここでアイクが連れて
行かれた場所が、つまりは声のいる場所
そして、私たちの本来の場所であり、
私たち自身でもある絶対意識の領域
なのです。

この「時も空間もなかった」という
のは、それぞれを個として捉える
境界もなく切り取る瞬間もなく
全ての時空の元型として捉えていた
という事になります。

むしろその全ての時空の具現性を
意識する事ができたのが、アニータ
女史のワンネスでの境地でした。

観てみましょう。


その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私は全ての瞬間を同時に感じて
いたのです。
つまり過去、現在、未来の自分が関係する
あらゆることを、同時に認識していました。
さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げ
られているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろう
としていました。
その弟の本質は、(兄の)アヌープだと
わかりました。
ただし、その人生で、彼は私よりも若かった
のです。~
五感の制限により、私たちは時間の一つの
点に集中させられ、これらを一列に
つなげて直線的現実を創り上げている
ように思えました。
さらに、私たちの身体の制限された知覚
が、目で見え、耳で聞こえて、触ること
ができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲に
閉じ込めているのです。
でも身体的制限がなくなった私は、時間や
空間のあらゆる点と同時に関われるように
なりました。』

まさに我々の通常の時間の感覚が、根本的に
間違っていることが、この絶対意識では、
よくわかるということです。
時間は全て同時に存在し、またそれを同時
に体験できて、そしてまたパラレルワールド
も存在しているという事が、実感として
理解できたという事です。
私が、これまでの記事で説明してきた
通り、「無限の時間が同時に存在している
という事、そしてパラレルワールドも
無限に存在しているという事」の裏付けが
彼女の実体験でできた事になるわけです。

自分はこのことは約20年前に気づいて
いました。この時はまだ、いろんな情報に
出会う前だったので、仮説として書いて
おいたことですが、
時間に対しての自分の仮説は、六次元の
世界では、あらゆる無限の時間軸が、
同時に存在しているとはっきり書いて
いたのです。
おそらく自分の内なる声というより、
潜在意識にアクセスして得たものだと
思います。

ただこの時の六次元という捉え方も
今ではそんな数えられる次元の境界線
などどこにもなくただ意識のレベル
が上がればそのような
視点にいきつくという事だと理解
しています。

そしてこの領域では、自分は肉体では
なく意識としてのみ存在し、自分と分離
されたものはなかったという事です。
そして自分は無限の存在ではあるが、
独自の「個」として完全な自己意識も
あったという事なのです。つまり全体
でありながら部分として独立した視点
も持つ個としても存在するというのは、
トランスパーソナル心理学のグロフ氏
も同じ理解に達しておられます。

そのグロフ氏の言葉がこちらです。
それだけが、独立・分離してある
ような物質や物質的自我は意識のつくり
出す幻にすぎないことが自覚され、
時間も空間も絶対的なものではなく、
自己は五感を通さなくても、宇宙の
あらゆる場所に接近できる。
同じ一つの空間を同時に数多くの物が
占めることがありうる。
部分でありながら全体であることができる。
形態と無、存在と非存在は互換可能で
ある。

というものですが、まさにこの時のアイク
の境地と同じものであるといえますね。

またアイクと同様のこの絶対意識領域
に到達した、アニータ・ムーアジャニ女史
も同様に、自分が無限としての全体であり
ながら、同時に個人としての意識もあると
証言しています。
このように複数の人達の証言が、絶対意識
領域の性質を裏付けあっているものだと
思われます。)

人々がこの「一つであること」の至福を
経験することができれば、五感の世界
も変容していく。

(引用注:この後に続けて、アイクは
世界で最も影響力を持つ存在に
ついて語っていますが、それこそが
支配層血族であるという事です。)

だからこそ~恐怖、ストレス、憎悪、洗脳、
知識の抑圧、さらには電磁気的な汚染や
飲食物に化学添加をするなどありとあらゆる
方法で、我々を切り離された状態に留めて
おこうと必死なのである。

(引用注:これでフッ素や水銀などを摂取
させられるようになっていて、松果体が
石灰化してしまう原因になっている事も
納得がいくというものですね、
(もちろんこれだけでは、全くありません)
つまりは私たちに覚醒して欲しくないわけ
です。

支配層の言葉の内部暴露として、
記事に紹介してきた
「イルミナティー秘密の盟約」
にもその意図がはっきりと読み取れ
ます。
再掲しておきますね。


奴等が「何が起きているのか」に
決して気づかぬよう、
我々は持てる科学や技術の知識を
巧妙に使う

軟質金属、老化促進剤や鎮痛剤を
食物や水と空気に入れて利用する

奴等の行くところ すべてが毒に
覆われる

軟質金属はやつらを狂わせる。
我々の多くの前線が治療法を
みつけると
約束するが その実もっと多くの
毒を喰らわせてやるのだ

毒は奴等の皮膚や口から吸収され、
奴等の正気や生殖器官を破壊する

早くから、奴等の知性や精神が
若い頃から始め 奴等の子供が
大好きな
甘いものを使って狙うのだ

奴等の歯が腐ったら 奴等の頭を殺し、
未来を奪う金属を詰めてやろう

奴等の学習能力が侵されたら
それ用の しかし症状を悪化させ、
別の病気を発症する薬を作ってやり
その先にもまた薬を作ってやろう

我々は奴等を従順で脆弱にし
奴等は我々とその力に屈服する

教義や宗教を使って 奴等を
「一体であること」から引き離す

奴等の人生をあらゆる側面から
支配し、
何をどう考えるべきかを教えて
やるのだ

我々が奴等をそっと優しく
導きつつ
「自分自身で選んでいるのだ」
と思わせる』
“「さてはてメモ帳」様のサイト
<イルミナティ――秘密の盟約>
千早様訳
 より” 

このように本来エラーまたは錯覚
でしかない邪悪な意識に囚われた
支配層は、私たちに本来のそして
本物の意識であるワンネスの領域
とつながって欲しくないために、
あらゆる面で細工してきたという
事なのです。

なぜこのようにする必要が邪悪な
意識をベースにした支配層にあるか
というと、アイクやアニータ女史の
ような絶対意識の至福の意識になれば、
彼らの五感の世界をツールとした
人類の支配が、破綻するからという事
なのです。)

こうした物質には、我々を五感の監獄に
閉じこめる意図があり、精神活性剤を
悪魔扱いする主な理由もそこにある。
私が体験した至福の状態においては、
エネルギーは、形態や物体といった領域
において、振動するようには振動して
いなかった。それは静寂、あるいは、
ゆっくりと完璧に調和して動く海の波の
ように感じられた。

(引用注:このことからも、私がこれまで
の記事で説明してきた低振動または振動
ゼロの状態が高次元の意識につながって
いる事がよくわかりますね。ほとんど
振動しない領域が、この絶対意識領域
だという事で、高い波動、つまり振動数
の高い状態ではないという事なのです。)

「これが無限なるものだ、デーヴィッド。
あなたはここからやってきた。再びここに
帰ることになる」と声は告げた。

そして次の言葉が、私の心の中で何度
も流れ始めた。

「無限なる愛だけが、真実である。それ
       以外は、何もかも錯覚だ」

我々が本当に知らなければならないことは、
これに尽きるのだと、声の主は語った。
全てはそこから発していると。
私は、心の中で質問を用意し始めていた。
「本当に何もかもなのか?」と問いかけ
ようとしていた。
 だが、その思考がまとまる前に、
「無限なる愛だけが真実である。それ以外
は何もかも錯覚だ。例外はない。以上」
と声の主に制止された。
 愛という言葉は、しばしば弱々しいもの、
ウブなものという意味を含んで認識されて
いる。「愛だけじゃだめだ」と人々は言う。
愛という言葉の解釈は、人間の定義に
よって歪められてきた。多くの人にとって
愛とは、別の人に強く惹き付けられるら
れることを意味する。だが、ここで述べて
いる愛とは、その意味ではない。人間が
認知している「愛」は電気・科学的な
引力であり、「マインド(肉体的感情)の
愛」と言っても良い。

(引用注:このマインドの部分はアイクの
原著からの引用で訳させていただきました。
このムーンマトリックスの訳者の為清氏は、
マインドの事を心と訳されていますが、
ここで、マインドを心と訳してしまうと、
心の愛が、浅いレベルのものだと錯覚されて
しまいます。マインドとは、肉体的な反応
による感情で、日本人の心とは全く違う
言葉なのです。この場合、心はハート
という言葉が当てはまるし、またこの高次
の存在が語る愛とは、まさにそのハート
つまり心の愛の事だからです。

それとアイク氏の人々の用いる愛という
言葉の概念にしても、西洋の人の捉え方
と、日本人としての捉え方に少しずれ
があるように感じます。日本では愛を
もう少し広い意味で捉えたりもしますが
、このアイクさんのいう人々の捉えて
いる愛というのは、本能的な欲情など
の意味が強いのかも知れません。)

マインド・コントロールを経験した人から
聞いた話では、通常では決して親密になる
はずのない二人であっても、科学的に脳を
操作して刺激すれば、いとも簡単に熱狂的
な愛に落ちていくという。

(引用注:この愛は肉体的感情による
マインドの愛だという事です。)

無限の愛は、物質(肉体)的な引力(魅力)
を超えたものである。本当の意味の愛では、
愛に落ちる(入っていく)のではなく、
自分自身が愛そのものである。無限の
愛は、全てのバランス(調和)である。
無限なる一つのみが真実であり、それ以外
は全て錯覚である。無限の愛は、無限の
知性であり、無限の知識であり、無限の
全てである。あらゆる潜在能力、あらゆる
可能性である。」
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

声の主から伝えられる真実はまだまだ続き
ますが、今回はとても重要な真実を告げ
られました。全ては愛でそれだけが真実
だという事です。ですが、この愛という
言葉は、私たちが照れて面はゆいような感じ
で、使うようなものとは、全く違うよう
です。

声の主がいうように無限の愛とは、次の
ようなものだと言う事です。
もう一度確認しましょう。
「無限の愛は、無限の知性であり、無限の
知識であり、無限の全てである。あらゆる
潜在能力、あらゆる可能性である。」
これが無限の愛というなら、全知万能の
力が無限の愛である事になり、それは
感情的な愛ではもはやなく、私が
これまで絶対意識と呼んでいたものと
同じ意味の言葉だという事なのです。
ただつまり全知万能全存在の意識とは
つまりは絶対意識であり、さらに
いうなら、「絶対愛」だという事なの
だと言う事です。

(この愛が全知万能の力を持った
力強いものであるというのは、私たちが
再三マスコミなどで、刷り込まれてきた
「愛は無力」などという捉え方とは、
真逆であるという事がわかります。
逆の究極の力こそが、愛だと声の主が
告げている事になりますが、これは
宗教のように捉えると間違う事になり
ます。まさに本質を内なる声から聞いて
いると考えられるという事です。
先日音の波動についての記事
を書かせていただきましたが、そこでは
愛情の波動が、実際に内なる潜在能力を
引き出す源であるという物理的な証拠を
ご紹介しました。つまり愛は本質的な
そして究極の「力」であるという事を
示唆しています。)

本当の愛には力があるどころか、
完全無欠で無敵なのが本当の愛だと
いう事なのです。

そしてアイクと同じように絶対意識
に到達したアニータさんも全く同じ
事をいってます。もちろんこの二人は
互いを知らない立場にもかかわらず
という事です。

さてアニータさんの臨死体験での、
証言を引用してみましょう。

「臨死体験をしている時、全宇宙は
無条件の愛からなり、私はその一つの
表現なのだと実感しました。あらゆる
原子、分子、クォーク、テトラクォーク
も愛でできています。私は愛以外の
何ものにもなりえません。なぜなら、
それが私の本質であり、全宇宙の
性質だからです。ネガティブに見える
ものでさえ、無限で、無条件の愛の
スペクトルの一部なのです。宇宙の
生命エネルギーとは愛であり、私は、
宇宙エネルギーからなっているの
です。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

なるほど絶対意識に到達したもの同士、
アイク氏もアニータ氏も宇宙の本質が
絶対愛だという事に気づかされたという
事なのですね。
このアニータさんの説明はさらにわかり
やすいですね、宇宙エネルギーの本質が
愛だという事なのです。自分を愛する
という事が、そのまま宇宙をも愛する
という事につながるという事もこのあと
説明しておられますが、自分が宇宙
の全体と一体であれば、自分を愛する
事は、まわり全ての人や存在も同時に
愛するという事だという事です。
ただその場合、中心である自分を
ほったらかして、他人を愛するという
のは、本質から外れているとも言え
ます。
ただ全ての存在が自分だという本来の
ワンネスの境地であれば、身近で
親しい存在の人や最愛の人や身内なども
また自分自身という事になるわけで、
その場合肉体を持っているという錯覚の
自分ではなく
他者のように見える自分(最愛の人
など)を優先させても、全く絶対愛の
本質からそれているわけではない事も
また確かなのです。

とにかく無条件の愛、絶対的な愛は、
宇宙の根本的な力だという事です。

ここで実際に愛情の力というものが
具体的にどのようなものかを示す
事ができます。

超能力者の脳波は、8Hz(正確には
7.8Hz)である事が知られて
いますが、

温かい愛情を持つ時の脳波も同じく
8Hzで、なんと心臓の拍動率も
8Hzだという事が明らかになって
ます。

つまりあたたかい愛情は、超能力的な
パワーを持つ事ができるという事
でもあるのです。

そして究極の愛情においては、その力
は無限大だという事もできます。

まだまだ声の主からの言葉は続き
ますが、次回の記事にしたいと
思います。

とにかくアイクがアヤフアスカを
服用して、絶対意識であると思しき
声の主から聞いた言葉が、あらゆる
真理につながっているのが、わかって
いただけたでしょうか?
そしてその絶対意識こそ我々の本来
の意識であるという事もです。

次回もまたアイクが声の主から
受けとった叡知について観て
いこうと思います。

ではまた(*^^*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

人間の真の偉大な力編

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チベット死者の書の解読第五弾!臨死体験や対外離脱との共通点と違和感について


この記事は
チベット死者の書4「ちっぽけな自分」
という認識では解脱は不可能という事が、
臨死体験者の報告で確信できる!

の続編です。

これまでチベット死者の書を
ご紹介しながら解説してきましたが、
基本的にそれをうのみにするという
姿勢ではありません。

第一、いろんな仏が順番通りに
やってくるというのが、そもそも
ない事なのだろうなというのが
感想です。

ただし、死者の書にあったように
死者は死後しばらく聴覚は働き
続けている(それゆえラマ僧が
読経で死者に聞かせている
という事です)ので、催眠効果
と同じ作用が働いている可能性が
高いのです。

つまり死者の書を読経する
ラマ層の言葉を霊的領域で
聴けるという死者は、いわば催眠
効果で、そのイメージを取り込む
事もできるので、その場合
は、ラマ層のイメージするように
順番通りに仏尊体が、現れるのを
死者が目にする、またはイメージ
として捉えるという事はあり得る
と思います。

催眠効果についての記事から参考
になるものを取り上げて
おきましょう。

催眠術とは意識をジャック(乗っ取り)
して一体化するという事だった!

記事より


バーゲンシュティッヒア(引用注:ドイツ人
医師)は超常現象にまったく関心がなく、
催眠下で「透視能力」を発達させた患者の話
などいっさい信じていなかった。しかし、
これが偶然であり得るかどうかを調べるだけ
の度量は有していた。
驚いたことに、彼女(引用注:患者の一人
マリア・デ・ジェロルド)は疑いようの
ないサイキックをあらわした。
マリア・デ・ジェロルドは、催眠術をかけ
られた人間は術師の思考や感覚を共有できる
という、サー・ウィリアム・パレットや
ピエール・ジャネらの見解を裏付けた。
パレットはかつて、自分の手を炎の上に
かざすと催眠術にかけられた少女が顔を
しかめ、砂糖をなめると微笑することを発見
した。マリア・デ・ジェラルドは、次のよう
に断言している。「深いトランス状態に
はいっているあいだ、私の五感はすべて
閉ざされる。ただ閉ざされるだけでなく、
催眠術師のほうに転移される。私は彼の
耳が刺された痛みを感じ、彼の舌にのせら
れた塩や砂糖を味わい、彼の耳に近づけた
時計の音を聞くことができる。そして
彼の指にマッチが近づけられると、私も
火傷(やけど)をしそうに感じるのだ。」
 催眠状態で目を閉じている彼女には、
もちろん何も見ることができない。
しかし、バーゲンシュティッヒアが自分を
見るよう命じると、彼女はまず彼の立って
いるところに影のようなものを感知し、
それからごくふつうの映像を見た-しかも
それは、彼が彼女の背後に立っていようと
変わりがなかった。
    (中略)
奇妙なことに、マリアはバーゲンシュ
ティッヒアとの距離が遠いほど、強く彼を
感知した。
    (中略)
 さらに不思議なことに、彼女は、自分の体
と彼の体が発光性の「電気的」性質を帯びた
「紐」によってつながれていることに気づく
ようになった。シルヴァン・マルドゥーンも
投影されたアストラル体(引用注:霊体の
ようなもの)が同種の紐によって肉体と
つながれていたことを語っているし、
アストラル体投影を体験した者でこれに
言及している者も多い(全員ではない)。
つまりマリア・デ・ジェラルドのアストラル
体は、催眠下でパーゲンシュティッヒァの
のものと接続されていたのであろうか。

“出典:「サイキック」
       コリン・ウィルソン著
   荒俣宏監修・解説 梶元靖子訳
           三笠書房刊 ”

もちろんその通りです。彼女の見た催眠術
師と接続されている電気的性質を帯びた紐
は、プラズマの事です。このプラズマは、
生命のある間肉体に宿っているもので、
それが亡くなった患者から抜け出る白い
光る雲の事です。これは魂と呼んでもいい
と思います。
つまり彼女の見たレベルというのは、
プラズマのレベルで、催眠術師と自分が
一体になっているという事です。
もともと潜在意識のレベルでは意識は一体
なので、催眠術師とマリアの意識が連結
されるのは当然可能なのですが、トランス
状態にある彼女が、その連結をプラズマの
紐として感知できたのはとても興味深い
ですね。】

要するに催眠術というのは、被催眠者の
脳波が睡眠状態になる事で、左脳が
休止するので、五感で遮断される事
なく、肉体を超えた領域での知覚のみ
働いている状態です。
なので、体外離脱や臨死体験のような
状態になっているので、まわりの
ものとの一体感が得られる状態に
あるという事です。
その知覚に催眠術者が主体的に入り
込んでいくので、被催眠者は、
催眠術者の言う事を受け入れ、また
また催眠術者が体感するものまで
知覚するようになるという事なのです。

睡眠状態は、脳波が低くなる事によって
催眠術者の言っている事を受け入れ
ますが、死者の場合は、もちろん脳波が
ゼロになっているので、ラマ僧と、
より一体になる事ができて、その
読経の内容や、ラマ僧のイメージを
そのまま感じ取る事ができるように
なっているという事です。

なので、ラマ僧が唱えるように、仏尊体が
順番に表れるのを知覚する事ができる
可能性も高いという事です。

こうなるとやはりこの読経は、
死者に解脱を導くためのものではなく
例え来世に生まれ変わるとしても
仏教を信じる魂として生まれて
くるように仕向けるためのものである
と観る事ができてしまうという事です。
なんせ、解脱のための言葉とは、
毎日最初に仏尊体が現れた時に、
それが死者自身の内側から出て来た
ものだとわかるのであれば、解脱を
するというその、簡単な一言だけです。

ワンネスの理解のないような一般の
人にはなんの事やらわからないはずです。

で理解のない人にはただひたすら、
仏尊体にすがるように説いて
いる事で毎日の読経を終えているので、
次の日には、仏尊体にすがるように
言われた事だけ強く印象に残したまま
、ラマ僧の読経を聞く事になるわけ
です。

これは解脱に導くためのものではないと
読み込んでいけばわかるものですが、
素直にうのみにするような人達には
そう思えない人も多いのでしょうね。

ただ死者の書には死後、人がどのような
領域にあるか、解脱のためには、
どのように理解すれば良いかのヒント
があるので参考にしているわけです。

さて、死者の書は、14日目まで
寂静尊の神群と憤怒尊の神群が
次々に現れ、さきほどの説明通り
のパターンを繰り返すのですが、
それでも解脱できない場合は、
とうとう生まれ変わり、つまり
再生のコースに死者が行きかける
のを阻止するための読経が行われる
わけです。

それを胎の入り口を閉ざす方法
というのですが、胎とは受胎の
事で、母体に魂を宿らせるのを
阻止して輪廻転生を防ごうという
事です。

もちろんこの受胎は、人間で
あるとは限らず、畜生と呼ばれる
動物や様々な生物の可能性が
あるという事です。

まあもちろんこれも額面通りに
受けとる事はないと思います。

基本的に人の魂が、時間という
マトリックスに囚われたまま、
再生するとしても、たいていの
場合、人間として生まれ変わる
と思います。
というのも、死後の領域でも
人生の記憶が鮮明に残って
いるからです。

これは臨死体験で得られる
報告と臨死共有体験という
臨死状態にある人のそばに
いる人が、死に瀕した人の
そばで、その人の人生を
共に回顧するという報告の
ものがあります。

こちらが参考になるでしょう。


臨死共有体験には、死んだ人と
「人生回顧を共にする」「人生回顧を
共有する」という、目を見張る体験が
含まれることが多い。地上で歩んできた
全人生を、パノラマを見るように、共に
概観したり、とくに重要な場面を回顧
させられたりする。
近年の臨死体験研究協会の調査に
よれば、通常の臨死体験者たちの約23%
が人生回顧の場面を経験したとしている。
以下はみな、そうした人生回顧の典型的な
例である。

「私が病室で体外離脱すると、やがて私の
目の前に、自分の人生の回顧が始まりま
した。私は教育にたずさわり、多くの人を
教えるようになると告げられました。
そして今まさに私はその仕事をしてい
ます。」(スティーブ、62歳、
心筋梗塞患者)

「私はそのとき、自分の人生の良かった
点だけでなく、失敗や間違っていた点なども
見せられました。」(ジェンナ、56歳、
自動車事故)

「私は自分の人生のすべての重要な場面を
見せられました。私の誕生から、初めての
キスまで。両親との確執の場面もです。私は
自分がどんなに利己的だったのかがわかりま
した。
そしてどのようにすれば本当の自分を取り
戻し、変えられるかも知りました。」
(ドナ、19歳、自殺未遂)

これらは、通常の臨死体験中の人生回顧
だが、そうしたものと、臨死体験中の人生
回顧は異なる面を持っている。というのは、
、死にゆく人に付き添うなどしている
ときに人生回顧をした人々自身は、臨死
状態にないということである。
にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の
場面を共有する。
そうした臨死共有体験中の人生回顧を
言葉で言い表すならこんな感じになる。
「私は、亡くなったばかりの夫とともに、
大きなスクリーンのようなものの前に
立っていました。すると夫の過去の人生
がそこに映し出されたのです。幾つかの
場面は、私がそれまで全く知らないもの
でした。」
たとえば、かつてサン・ディエゴの
ある女性が、10代の息子の病床で
起こったことを私に話してくれたことが
ある。
息子は、糖尿病の合併症のために死に
かかっていた。息子が死んだとき、彼女
は、その病床の周囲に展開された息子の
人生の各場面を見た。
彼女によれば、映画のように展開さ
れるその各場面のただ中には、自分も
立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。
(中略)
「私の15歳になる息子が亡くなったとき、
私は病室で息子と共にいました。息子は
小さいときから糖尿病をわずらい、その
重荷を背負ってきました。その世話も
あって、私はいつも息子とともに生きて
きました。
息子が息を引き取ったとき、私はその手
をにぎっていました。そのとき命が息子
から出るのが感じられました。電気の
流れのようにと言ったらいいでしょうか、
あるいは脈打つ感じで出た、といった方
がいいかもしれません。
部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて
見えました。また一転してその病室に
強い光が満ちました。その光は、自分で
見たことのない人には到底想像もつかない
ような明るい光でした。
病床の周辺に、息子がその短い人生で
なした様々な事柄が、映像のようになって
現れました。息子はそれらの映像を見て
いました。喜びの表情を浮かべながら。
(中略)
光の中で、息子と私は人生回顧の映像に
接しました。細かな事柄に至るまでです。
わたしが長く忘れていたような場面や、
私が全く知らなかった場面も多くありま
した。
たとえば、息子が自分の部屋でひとり
『アパッチ砦ゲーム』を使って遊んで
いた姿や、息子が友人たちと電話で話し
ていたときのことなどです。
(中略)
その人生回顧は、閃光のように、ある
いは放電のような感じで次々に展開して
いきました。
それは言葉ではうまく表現できない、
言語に絶するものでした。
そのとき私は40歳でした。今は62
歳です。しかしあの体験以来、あたかも
すでに100年は生きたような感覚です。
それを悲しく思っているのではなく、知恵
の面で100年分は成長した感じなの
です。
(中略)
私が死ぬとき、また息子に再会するとき
には、きっともっと多くのことを知るように
なると思います。
それまでは、たとえわからないことが
あってもこの地上にいて、他者を愛し
仕えつつ、人生を歩むのが私の勤めで
あると思っています。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
ヒカルランド刊”

結局死後の領域でも、人としての鮮明な
記憶、しかも生きている時とは比べもの
にならいないほどリアルで、さらに
関わった人の心の中、その人たちの
視点や気持ちなども全て記録されて
いるというのです。

これで別の生命に転生するという
事は、たぶんないだろうと思います。

つまりこれも輪廻転生を恐れさせる
ための宗教色の強い脚色だと
思いますね。

なぜ恐れさせるかというと、その恐怖
から逃れるために、絶対的な仏に
対して、さらにすがろうという意識が
強まるからという事です。

さてチベット死者の書には、貴重な
知識が読み取れる事が多いのですが、
やはり死者が霊的領域に移行した時
に、生きている間よりも、超人的な
種々の能力を備えているという事。

これは数々の臨死体験者も異口同音
に報告している事です。

たとえばこちら
臨死体験者アニータさんの言葉
『私は身体の五感ではなく、まるで新しい
感覚を手に入れたように限界のない
知覚を使っていました。
それは通常の能力よりもはるかに鋭く、
360度が見渡せて、自分の周囲を完全に
認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に
感じられたのです。
もはや身体の中にいることのほうが、制限
された特殊な状態であるように感じられま
した。
その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私は全ての瞬間を同時に感じて
いたのです。
つまり過去、現在、未来の自分が関係する
あらゆることを、同時に認識していました。
さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げ
られているのを感じました。』
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

別の臨死体験者の言葉

・・・あらゆるものが最初から、私の
誕生も、祖先も、子供たちも、妻も、
すべてが同時に現れた。私のすべてが、
周りにいる全員のすべてがわかった。
彼らが今考えていることも、その当時
考えていたことも、以前起きていた
ことも、今起きていることも、
なにもかもがわかった。時間という
ものはなかった。連続した場面も
なかった。距離や時代や、時間や
場所による制約もなかった。私は
望みの場所のどこにでも、しかも
同時に居ることができた。』
“出典:「ハイジャックされた
地球を99%の人が知らない」
   デーヴィッド・アイク著
    本多 繁邦訳
       ヒカルランド刊”

で死者の書ですが、死後二週間以上も
経ってからようやく、大事な事を
諭していきます。


これまでに胎の入り口を閉ざすための
深遠な正しい教訓(おしえ)は
たくさん説かれてきた。これらの
お導きによって、能力の高い者・
中間の者・劣った者の区別はなくて
誰でも解脱できないことはないはず
である。なぜかといえば、バルドゥに
おいてはすべての者が生前よりも
次のように優れているからである。

まず第一に、バルドゥにおける意識
は、汚れてはいるが超能力(神通力)
があるからである。導師がなにを
言っても死者には聞こえてしまう。
(引用注:汚れているというのは
当然物質的な汚れではなく、解脱
レベルよりは、意識が低い状態に
ある事をいいます。
ただ死者にとっては、生前よりも
ずっと清廉な意識となっている
ので、自覚的には汚れてはいない
という事になります。)

第二に、生前において視覚や聴覚
に欠陥があっても、この死後の
時にあってはもろもろの感覚器官
は完全である。なにを言われても
理解できる。

(引用注:臨死体験者の報告に
よると自分自身も迎えにきた
親族も、生前の最も若々しい
姿をしているとの事です。)

第三に、常に恐怖とおののきに
打ち負かされ、《どうしたら
よいのだろう》と念じているために
気持ちが他に散ることがない。
そこで導師である私がなにを
言っても聞き、これを理解
することができる。

(引用注:これが大きな間違い
であろうことは、臨死体験者の
数々の報告が裏付けています。
基本的に身体にいる時には
存在していた、恐怖や苦痛、
苦悩などのネガティブな感情
とは無縁になっているうえに
気が散るどころか、あらゆる事を
同時想起できているので、導師
の言葉だけを聞いているわけ
ではありません。
これも宗教色の強い脚色部分
でしょう。
そして導師がなにを言っても
聞いて、理解できるというのなら
これまで二週間以上も解脱の意味
さえ理解できていない状態を
どう弁解するのでしょうね。
実際この胎の入り口を閉ざす方法
で、解脱の意味をようやく
丁寧に説明しはじめている
のですが、だったら最初にそれを
言えよという事です。
とにかくずっと、仏にすがれ
という事だけは、毎日丁寧に
言って聞かせていたわけです。
解脱をさせたいから説いている
と言いながら、解脱の理解の
ための説明が後回しというのは
どういう事なのでしょうかね。)

第四に、意識がよりどころとする
身体を持たないので、なにに対して
意識が集中された場合でも、直接に
そのものに到達することができる。
そこで意識が容易である。
記憶力が九倍も明晰になるので、
生前に愚鈍であっても、この時には
カルマン(業)の影響力によって
意識はだんだんに明晰度を増す。
なにを教えられてもそれをすべて
心に描くことができる能力(功徳)
がそなわっている。

以上のような点で、バルドゥに
おける死者の意識は生前よりも
優れた能力がある。』
“出典:
「原典訳 チベット死者の書」
      川崎信定 訳
  ちくま学芸文庫”

まず記憶力が九倍もというのは
単なる死者の書による着色
ですね。
まず測られていないのは明らか
です。
実際どのようにして測るか
想像してみてください。
無理でしょ?
要するに、歴史的な書物で、多く
の人に支持されているもの
だからとうのみにする必要は
ないということです。

ただ理解力がずば抜けているのは
間違いないので、解脱について
より詳しく説明すれば、容易に
解脱できるわけです。

なのに、二週間以上も経ってのちに
ようやく胎の入り口を閉ざす方法
として、解脱についての詳しい
説明がなされるというわけですが
次のようなものです。


「しかしそれによっても胎の入り口を
閉ざすことができずに汝が胎に入ろう
とするならば、さらに〈ものは実在せず
、幻のようなものである〉という教訓
(おしえ)によって胎の入り口を閉ざす
べきである。すなわち次のように念ず
べきである。
《ああ、これまで父母=御仏男女両尊・
黒い雨・大暴風・大音響や、それに
恐ろしく脅かす忿怒尊、その他さまざまな
姿が現れてきた。これらの存在はすべて
その本質が幻のようなものである。
どのように現れてこようとも実在しない
ものである。これらのすべてが実在
しない。虚妄であり、陽炎のような
ものである。常にあるものではない。
不変なものではない。こんなものに
愛着してなんになろうか。敵意を
もってなんになろう。無いものが有る
ように見えているのである。これらの
すべては、私自身の心が現れでたもの
なのである。心それ自体が幻のように
もともと存在しないのである。

(引用注:この場合の心とは、日本人
が思うような心ではなく、囚われた
ボディマインドのような認識または
知覚の事を言います。
日本人の心とは中心に愛を持つ時点で
究極のワンネスの意識につながるので
これは永遠不変に存在するものです。
それとこの場合の私自身とは、死者
本人の事です。導師が本人に念ず
べき事を語っているという事です。)

外からこれらのものが来るのだと
したら、どこから来るのだろうか。
どこにも存在するものではないので
ある。私は以前にはこのことを理解
できずに、無いものを有ると考えて
いた。実在しないものを実在すると
考えていた。幻のようなものを
実在だと執らわれていた。それで、
この時に至るまでの間、輪廻し
彷徨ってきたのである。今また
ここで、これらが幻であることを
覚らないならば、長い間さらに
輪廻し彷徨って、さまざまな
苦悩の泥沼にはまりこむことは
確実である。
 今こそこれらすべてが夢の
ようなものであると覚らなければ
ならない。幻のようなものであり、
反響(こだま)のようなもの
であり、ガンダルヴァ城(蜃気楼)
のようなものであり、陽炎のような
ものであり、鏡の面に映る月の
ようなものである(八喩・はちゆ)
と覚らなければならない。たとえ
ほんの僅かの時間でもこれらの
もの実在性があることはない》

(引用注:このように唱える
ように諭すのですが、まあ今まで
実在となっていたものが幻である
という丁寧な説明は良いとしても、
それで一般の人間がわかるもの
でしょうか?まあもちろん私の
記事による真空の説明も難解だと
言われる事もあるので、なかなか
解脱の理解をイメージさせるのは
難しいものです。ただこれまでの
二週間以上もの間、さらっと
これらのものは自分が投影させた
ものであると覚れるならば解脱
できるであろうなどとさらっと
言われた時よりかは、丁寧な
解脱のための説明だと思います。
期待したいのは、死後のこの
バルドゥつまり中有界においては
死者の理解力が、生前よりも
ずば抜けて高い事ですね。)

〈絶対に実在ではなく、虚妄な
ものである〉と、精神集中を
行って心に決めて動揺しない。
そのようにすれば、これらの
ものを実在であると執らわれる
考えは消えていくであろう。
このように心の内に確固とした
信念を持つならば、我があると
執らわれる考えは退いていく
であろう。このように、〈これら
のものは虚妄である〉と心の底
から覚るならば、かならず胎の
入り口は閉ざされるであろう。』
“出典:
「原典訳 チベット死者の書」
      川崎信定 訳
  ちくま学芸文庫”

二週間以上も、仏尊体へすがり
ついて祈るようにとばかり強調
されてのち
ようやく胎の入り口を閉ざす方法の
四番目として、解脱するための説明が
比較的丁寧に語られます。

ですが、それまで順番に仏尊体が、
あたかも実際に現れたかのように
説いておきながら、全ては幻でしたと
今さら言われても、すぐに納得できる
ものでしょうかね。

全て、本人の心の内から出てきた
幻影であるというのは、良いのですが
心さえも無いというので、余計に
混乱すると思います。

心が、囚われたマインドのような
ものだとしたら、幻影だとしても
良いと思いますが、ワンネスの愛に
通じる心は、日本人の解釈としては
究極の意識につながるもので、
それこそは実際に存在するものだと
言えます。

つまりワンネスの意識は、日本語の心
にも通じるし、どちらも幻などでは
なく、むしろ永久不変に存在するもの
だと言って良いのです。

このワンネスの意識の事を、仏教では
究極の仏だとしている
わけですので、
それと一体になる事、つまりワンネス
の意識そのものになる事こそが、解脱
だという事になるわけです。

解脱のための説明にしては、心(意識)
さえも幻というのでは、死者も理解
不能になる恐れがありますし、実際に
適切な説明ではないと思います。

全てが内側にあり、全てを創造・消滅
させ得る、究極のワンネスの意識は、
幻などではなく、唯一確かに実在する
ものだという事を知り、それが自分
自身でもあるという事を、悟れば
解脱して、ワンネスの意識そのものに
なれるという説明の方が、すっきり
納得しやすいのではないでしょうか。

いつもありがとうございます(*^_^*)

人間の真の偉大な力編

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現実自体を変えられるというイメージで会話した二人が、実際にそのような場面に遭遇する!


この記事は、
現実自体を変えられる驚異の超常能力!
驚きの世界を現出させた奇跡の
少女の実例

という記事の続編です。
まだお読みになっていない方は、
今日再投稿しましたその記事を
ご覧になってから、この記事をお読み
くださいね。

前回の現実自体を変えられる能力
という記事は、私たちが日々確実に
機能していると思い込んでいる
現実感覚がどれほど確かなものか
考えさせられる実例でした。
実際に私たちは、目の前にある
ものが、絶対的な現実であるといい
切れるのか?これまでご紹介した
超常現象や臨死体験事例などは、
私たちが、現実のほんの一部しか
捉えていない事を示唆してくれる
ものでした。
その私たちの現実感覚をまたしても
揺るがす事例をご紹介しましょう。
幼少の頃からポルターガイストなど
の神秘体験とともに育った、
マイケル・タルボット氏の著書から
引用させていただきます。
これは先日の記事でご紹介した
森を出現させる少女の実例の
あとに続いた部分です。

「一九七五年、ミシガン州立大学の
四年生だったとき、私もこれと同様の
、現実感を根底から揺るがすような
深遠な体験をしたことかある。
そのときわたしは、ある教授と
レストランで夕食をともにしながら、
カルロス・カスタネダのさまざまな
体験の哲学的な意味について語りあって
いた。特に話題になっていたのは、
『呪術師に成る』(二見書房、一九七四)
の中でカスタネダが述べていたある
出来事だった。
ドン・ファンとカスタネダは、ある精霊
を探し求め、夜の砂漠を行くのだが、
そこでふたりは仔牛のような外見であり
ながら、狼の耳と鳥のくちばしをもった
生き物に遭遇する。その生き物は体を
丸め、断末魔の苦しみにあえいでいるか
のような叫びをあげていた。
 最初はカスタネダも恐怖に駆られるが、
自分の目にしているものはとても現実
ではありえないと自分自身に言い聞かせる
と、彼の視覚は変化し、この死にやく
精霊が、実は地上に落ちた木の枝が風に
震えている姿であることを悟る。
カスタネダは勝ち誇ったようにこの生き物
の真の姿を指摘するのだが、いつものように
この年老いたヤキ・インディアンの
シャーマンはこれを頭ごなしにこきおろす
のだった。カスタネダに対し彼はこう
言った。
この木の枝は、力に満ちていたときには
実際に死にゆく精霊だったが、カスタネダが
その存在に疑いをもった瞬間、それは木の枝
に変容してしまったのだ、と。しかし、
ドン・ファンはこのどちらも現実であること
には変わりがないとも強調する。

教授との話の中で、私は二律背反的な現実が
どちらも現実として存在できるという
ドンファンの主張にはどこか惹かれるものが
あり、この考えによって多くの超常現象が
説明できるような気がしてならないと
言った。
この話をしたすぐ後に私たちはレストランを
出たのだが、晴れわたった夏の夜だった
ので、ちょっと散歩でもしようということに
なった。
話を続けながら、私は前を歩いている数人の
グループに気がついた。耳にしたことのない
外国語で話していて、騒がしく声を上げて
いたので、かなり酔っているように見えた。
また、そのなかの女性のひとりが緑色の傘を
もっていたが、雲ひとつない夜空だったし、
雨が降るとも聞いていなかったので、なにか
変な感じがした。
 私たちは、ぶつからないように歩くペース
を落としたのだが、そうしているうちに、
突然この女性は手にした傘をぶんぶんと
乱暴に振り回しはじめた。傘は空中に巨大な
円を描き、ぐるぐるまわるその先端は、
何度か私たちの鼻先をかすめそうになった。
私たちは、歩く速度をさらに落とした
ものの、このパフォーマンスは私たちの
注意をひくためのものであることが明らか
になってきた。そして、私たちの視線を
自分の行為にしっかりと釘付けにしたこと
がわかると、彼女は両手でこの傘をもち、
頭の上にかざすと、私たちの足もとに
投げつけてきたのである。
 いったいなぜそんなことをするのか
不思議に思いながら、私たちはふたりとも
あっけにとられてその傘を見つめていたが
、次の瞬間、目をみはるようなことが起き
はじめた。
この傘が、まるで消えかかっている
提灯の炎のように「明滅する」としか言い
表しようのない状態になったのだ。
そしてセロハンをくしゃくしゃにしたとき
に出るような、バリバリという音をたて
ながら、目を奪われるような色とりどりの
まばゆい光を発すると、先端が曲がりだし、
色が変化して、灰色がかった茶色の
ふしくれだった棒きれにその姿を変身
させてしまったのである。
私はただ呆然として、しばらくは口も聞け
なかった。教授のほうが先に口を開き、
明らかにショックを受けた静かな声で、
たしかにこれは傘だと思ったのに、と
言った。
何か尋常でないものを見ましたかと
聞くと、彼女(引用注:教授が女性
だという事です。)はうなずいた。
ふたりでそれぞれ何が起きたかを書き
とめてみたが、内容はぴたりと一致
していた。
違いらしい違いと言えば、教授の
ほうは、傘が棒きれに変容したとき、
「ジュージュー」という音がしたと
書いていたことだが、これもセロハン
をくしゃくしゃに丸めるときの音と
そうひどく異なっているとは言え
なかった。~
~教授も私も、傘の不思議な変身に
完璧に目を奪われてしまい、やっと
落ち着きを取り戻して何かたずねよう
としたときには、すでに彼女らの
姿はどこかに消え去っていた。
いったいなぜこのような事件が
起こったのかはわからないが、ただ
ひとつ言えるのは、カスタネダの
同様の体験を私たちが話し合って
いたことと関係があるのは明らか
だという点だけだろう。」

“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

これは現実自体を変えられる超常能力 の記事
でご紹介した事例に似た事例を、著者で
あるマイケル・タルボット氏自身が、
体験した事を紹介しているわけですが、
まさに幻覚のようにも見えますが、
本人達にとっては明らかな現実であった
というわけです。
これは催眠効果に似ていなくもないよう
に思われる方もいるかも知れませんが、
私たち自身が、一種の催眠効果で、現実
を捉えているともいえるわけです。
この事は、「五感にもレベルがあります」
シリーズの一連の記事をご覧になれば、
よくわかっていただけると思いますが、
要するに、とてつもなく狭い領域の
五感の感覚が、現実の全てのように錯覚
しているのは、我々自身が催眠状態に
あると言い換えてもかまわないからです。
つまり我々は、感覚のみで現実を把握して
いるので、現実だと感じられたという事
であれば、それもまたれっきとした現実
であるという事なのです。

我々は五感の現実を共有しているから、
やはり確固とした現実感覚を持って
いるのですが、それは、あくまでも狭い
五感の領域の範囲内での事です。
その感覚からして、これはあり得ない
と思えても、この事例もやはり複数の
人間のれっきとした共有感覚なのです。
つまりこのケースを現実だといっても、
共有感覚という意味では、確かなもの
だといえるわけなのです。
つまりわれわれが、前回と今回のような
超常現象的な現実を共有すれば、または
それを感じられるか理解できれば、
やはりれっきとした現実であるという
事になるというわけです。

今回の記事のような事例を見て、私たち
は、現実についてもっと感性を広げて
捉えるようにしなければならないという
事がいえると思います。
というのも、このマイケル・タルボット氏
と教授が、カルロス・カスタネダの幻覚の
ような現実の体験について、語り合って
いた後で、散歩をしている最中に似た
ような現実に直面したという事に大きな
意味があるのです。
しかも、そのマイケル・タルボット氏ら
二人の遭遇したものが、やはり最終的に
似たものに変容してしまったというところ
まで似ているのです。
カスタネダの体験では、化け物のような
姿をしていた獣が、木の枝に変容して
しまったのに対して、タルボット氏の
方は、まばゆい光を発していた傘が、
ふしくれ立つた棒きれに変容したと
いう事ですが、この木の枝とふしくれ
だつた棒きれは、あまりにも酷似して
いますよね。
つまりタルボット氏の会話を聞いている
はずもない通行人が、カスタネダの体験談
と同じ様な現象をしてみせるというのは、
単なるシンクロを越えたつながりがある
事も示しているのだろうという事なの
です。
まるで、高次の存在が、真実を
タルボット氏に教えるために、その
ような現実を創造してみせたようにも
見えるし、またタルボット氏と教授が
共有している大いなる一つの自分が、
カスタネダの体験談に見合う現実を
創りあげたのだという見方もできます。

私たちは、現実についてこのような
あらゆる事例をひもといていく事で、
固定観念や先入観をどんどん取り払って
いくべきなのだろうと思います。

またマイケル・タルボット氏自身、
このような超常現象に会いやすい人物
だという事を説明しておられますが、
それについては、また続きの記事に
書かせていただきます。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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現実自体を変えられる驚異の超常能力!驚きの世界を現出させた奇跡の少女の実例


これまで、ホログラフィックな現実の
仕組みや、古来から多くの賢人や術者に
よって未来を創造する「視覚化」という
能力に関する事など、貴重なヒントを
数多く与えてくれているマイケル・
タルボット氏がまた、驚くべき超常能力を
発揮できた少女の実例を、著書に書いて
おられるので、引用させていただきたい
と思います。
まずは、現実全体を変える超常能力と
いうものについてのタルボット氏の
鋭い見解からです。

「」内がすべて引用で、~は中略です

「 現実全体を根こそぎ変えてしまう

ある意味で、物質化現象は、現実に関して
私たちがもっている常識的な見方を最も
激しくゆさぶるものだと言える。という
のも、念力のような現象までなら現在の
私たちの世界観の中になんとか取り込め
ないことはないものの、何もない空間から
物体を創造するとなると、世界観の基盤
そのものをゆるがすことになるからだ。

ところが、精神ができることは、それだけ
にとどまらないのである。これまで見て
きたものは、奇跡といっても現実の
「一部分」に関わっているにすぎない。
たとえば、念力を使って物をあちこち移動
させる(物理的法則)、火に対する耐性を
もつ、物質化させる(血液、石、宝石、
灰、栄養素、涙)などである。
しかし現実が切れ目ない全体性である
とするなら、なぜ奇跡は現実の一部分に
しか関わっていないように見えるの
だろうか?
 奇跡が精神のもつ潜在能力を示す例で
あるなら、この問に対する答は、当然
つぎのようなものになる。

すなわち、私たちは世界を部分に分けて
見るように深いレベルでプログラム
されているから、ということだ。

(引用注:これこそが太古の昔に
月のマトリックスで我々のDNAに
プログラムされた事の一つです。
視覚はまさにその分離した世界を
現実全てのように見せるトリック
としても働いています。

そして今でもその分離・分割の
ための洗脳プログラムは、支配層に
よって実行され続けているのです。

彼らが戦後3S政策の一つスクリーン
で、我々を視覚的現実に誘導して
きた中に映画、テレビ最近では動画
などがあり、アイドルなども
そのために有効だという事に
なります。)

これはつまり、もしそのような
プログラムがそれほど強くなく、世界を
ちがった見方で見ることが可能ならば、
奇跡もまたちがったものになるという
ことを意味している。そうなると、
現実の一部分が変容するような奇跡の
例よりも、現実全体が変容する例を
もっと多く目にすることになるはず
なのだ。
実はそういった例もいくつか存在して
はいるが、それはまれであると同時に、
現実に対する私たちの常識的な見方に、
物質化現象よりもさらに深刻に挑戦
してくるものなのである。」

さすがに本人も、少年時代にポルター
ガイストなどさまざまな超常能力を
発現させたマイケル・タルボット氏は
、視点が非凡なのがわかりますね。
超常能力の発揮だけでも、私たちには
充分な奇跡に思えるものですが、

さらに高いレベルの見方を提示して
くれているという事です。
確かに、我々がよく目にし耳にする
超常能力のほとんどが、現実の一部分
にしか、関わらないものが多いです
よね、そこに目をつけたのが、
タルボット氏の見解というわけですが、
その理由が、とても納得のいくもの
でした。

私たちの意識は、確かに物事を部分
的に分割して見るように、習性づけ
られているといえます。そのため、
超常現象も部分的な影響力しか
持てないという事です。これは真理
だと思います。なぜなら私たちは、

まさに全意識が本来の姿なので、
可能性を限定させる力は自分の中に
こそあると理解できるからです。

そして五感の感覚は、物事を分割して
見る事にこそ適しているものです。
特に視覚が。
五感にもレベルがあります その2
視覚の死角について
という記事を
ご覧になれば、理解の助けになると
思います。

このように私たちは、生まれる時点で
物事を分割的にみるような意識に
制限されますが、その制限から解放され、
現実を全体として意識するようになれば
制限された能力も解放され、超常能力も
発揮できるようになるという事なの
です。
そして我々が現実を全体として見る
意識が、さらに高いレベルになれば、
現実そのものを変える超常能力も発揮
できるという事なのです。
そういう例を、タルボット氏が取り
上げてくれているという事なので、
見ていきましょう。

「ワトソンがそのような例を示して
いる。インドネシア滞在中に、彼は、
この種の力をもつもうひとりの若い
女性に出会っている。その女性の
名前はティアといったが、前述の
アリン(無意識のうちにポルター
ガイスト現象を引き起こした少女)
とは異なり、彼女の力は無意識
レベルのサイキックな才能の表れでは
ないようであった。それは意識的に
コントロールされており、ほとんどの
人の内部に眠っている「力」に、
ティアが生まれつきのつながりを
持っていたことから発しているもの
だった。
ティアはひとことでいうなら、
完成途上のシャーマンだったのだ。
ワトソンは彼女のこの特異な能力を
何回か目のあたりにした。奇跡的
治癒を行うのも目撃もしたし、一度は
~彼女が自分の精神の力を使って
モスクの尖塔を発火させるところさえ
目にしている。
 しかし、ティアの最も凄まじい
力を見せつけられたのは、ケナリの
林の木陰で、彼女がひとりの少女に
話しかけているところに偶然出くわ
したときのことだった。遠くから見て
いても、ティアのしぐさから、彼女が
なにか大事なことをこの子供に伝え
ようとしていることがワトソンにも
わかった。ふたりの会話は聞こえな
かったが、ティアがいらついている
様子だったことから、これがうまく
伝わっていないことが見てとれた。
やっと何か思いついたらしく彼女は
不気味な踊りを始めたる
 ワトソンは、彼女が木に向かって
手をさしのべるのを我を忘れてじっと
見つめていた。ほとんど動きらしい
動きをしていないように見えたが、
その微妙なしぐさにはなにか催眠的
なものがあった。それから彼女は、
ワトソンに強烈な衝撃を与え、狼狽
させることをしたのである。
彼女は、その林を一瞬のうちに全部
消滅させてしまったのだ。
(引用注:ここびっくりするとこ)
ワトソンが述べているように、
「ある瞬間ティアはケナリの林の木陰
で踊っていたのに、つぎの瞬間、彼女は
目を刺すような明るい陽射しの中に
ひとり立っていたのである」。
 数秒ののち、彼女はふたたび林を出現
させた。少女が跳びあがって木々に手を
触れながら走りまわっていた様子から、
ワトソンはこの子も同じ体験をしていた
ことはまちがいないと思った。だがティア
の魔術はまだ終わったわけではなかった。
こんどは、この林を数回にわたり消したり
出現させたりしてしまったのである。
ティアは少女とふたりでくすくす笑い
ながら、手に手をとって小躍りしてこの
神秘を楽しんでいた。
ワトソンはただその場を静かに去って
いったが、頭の中はぐるぐると回って
いた。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
      川瀬 勝 訳
         春秋社刊 ”

これは、まさかの超常能力ですね、
一体どのような力が働いたのか、
簡単に仕組みは説明しにくいで
しょうが、ティアという少女が、
現実全体を確かに根こそぎ変えた事
は事実でしょう。誰かに催眠効果を
もたらした結果などというケチな
ものではなく、遠くで覗いていた
だけのワトソン氏まで、はっきりと
林が消えたのが見てとれたのです
から、本物でしょう。しかも、林を
消したり出現させたりを数回に
わたり実現させてみせたのだから、
完全にお手上げですよね。

つまり、彼女には、全体として
一つである本来の世界と意識的に
つながることが先天的にできていた
ということなのでしょう。
もちろん我々も意識のレベルさえ
上がれば、同様の事ができるという
事でもありますが、まさか実例として
これだけ鮮明な現実の変え方があった
というのは、本当に驚くべきことです
よね。

そうだこれでも、ティアという少女が
かなり範囲の広い催眠効果をもたらした
のではないかという、懐疑的また否定的な
人がおられるかも知れませんね。
その方々のために、つけ加えておきま
しょう。

私たちの現実感覚こそ、五感に囚われた
集合意識による限定された「想像上
または脳内現象的な」ものだという事
なのです。それは確かな意識的な現実
だともいえますが、無限にある現実の中
のとてつもなく範囲の狭い、特殊な一部
だという事です。

だからそんな特殊な一部の現実を基準に
しなければ、ティアの出現させた現実も
また確かな現実のうちの一つだという事
なのです。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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人生よりリアル!?な過去生体験の全特徴と臨死体験の特徴は多くの点で一致する!


この記事は
神秘体験を科学する4
過去生体験で病が改善される理由とは?

の続編です。

これまで過去世の特徴をムーディー氏
の著書から引用して取り上げて
きましたが、
今回は、残りの二つを取り上げた
のちに、これまでの記事で紹介させて
いただいた、過去世体験の特徴を
全て列記して、また臨死体験などの
特徴と融合させてみます。

「」内が引用で、~が中略の意味です。

「特徴11
 退行は繰り返すことで、
        よりしやすくなる

一般的に言って、退行の努力を数多く
すればするほど、人はより深く過去世
経験へ入っていくことができる。
繰り返すことで退行は上達し、被験者
は過去世でより自然にふるまい、
くつろぐことができる。
現世でのストレスや、気をそらすような
要因等により、催眠状態になかなか
入れない人もいる。だが繰り返して
いくと、やがてたやすく退行催眠の状態に
入れるようになる。」

これは、自分の顕在意識が、退行催眠の
状態を受け入れやすくできるようになった
という事で、いわばその領域に意識を
移行するためのゲートができたという事
なのだと思います。
やはり、そういう経験を妨げているのは、
いかに日常意識、物質的な意識に囚われて
いるかが大きい事を示しています。
それが何度も経験を繰り返していくうちに
邪魔な日常意識が、逆にそのような領域
を現実のものとして、認めるようになり
むしろ退行催眠に入るのを助けるように
働き始めるという事だと思われます。

「特徴12
過去世のほとんどは平凡である
過去世へ退行した人は皆、自分がかつて
ナポレオンだったとかクレオパトラだった
とか言う、と多くの人は思っている。
しかし、私が催眠によって過去世へ退行
させた被験者の中に、自分がかつてその
ような歴史的有名人だったという人は
ほとんどいなかった。むしろ、そこに
現れた彼らの過去の人生は、その時代に
おける、ごくありきたりの平凡なもの
だった。~
~彼らは退行していった過去世で戦う
一兵士に過ぎなかったことを知って、
失望することが多いのである。」

これは、過去世体験という言葉に便乗した
人たちが、確かに前世での有名人を
どんどん乱発していった時代があって、
人々に前世にあらぬ希望を持たせて、
逆にイロモノ扱いされるような事態に
なったことがありましたから、よくぞ
真実を語ってくれましたといいたいですね。
そんなに世の中にたくさんクレオパトラが
前世の人がいては不自然ですからねー。
それに多くの輪廻転生は、魂のレベル向上
のために、前世でのネガティブな体験を
克服しようとして、やってくるので、
それほど良い人生ではない事の方が多いの
です。良いレベルに達した人は、人生より
も幸福なレベルの意識次元にいく事が、
多いのです。ですがもちろん人生を楽しみ
に戻ってきたり、ある使命感を持って転生
するような人がいる事も事実です。

さてこれで全部の過去世の特徴を引用させて
いただいた事になりますが、ではもう一度
列記させていただきましょう。
もちろんこれも抜粋の引用になります。

「特徴1.
過去世体験の多くは視覚的である

特徴2.
出来事を受け身的に経験する

特徴3.
光景になつかしさを覚える

特徴4.
どの人が自分かわかる

特徴5.
過去世の感情の中に置かれる

特徴6.
過去世の光景は、自分の両目からのものと
第三者的視点の両方になる

特徴7.
退行経験はときに現世の問題を反映する

特徴8.
退行経験により精神の安定が期待できる

特徴9.
退行経験により肉体の病が改善される
ことがある。

特徴10.
退行は時間的順序よりも、それが持つ意味に
従って進んでいく

特徴11.
退行は繰り返すことで、よりしやすくなる

特徴12.
過去世のほとんどは平凡である」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

やはりこの過去世体験というのは、実際に
自分の意識が霊的な領域に入り込む事で
臨死体験と同じ様に肉体から意識が離れて
いる事を示しています。
そして臨死体験が、自分の人生をもう一度
鮮明な画像で見直す「人生回顧」を
する時と同様に、過去世体験も鮮明な
画像で、過去世を見ているという事なの
です。
どちらにも共通していえるのは、とても
鮮明な映像で、しかも平面的でなく、
まるで自分がそこにいるかのような3Dの
立体映像のようなものであるといいます。
これは私たちの日常の記憶というような
あいまいなものではなく、霊的な領域では
確かな現実として、まだそのまま存在して
いるといえるものです。しかも肉体に
ある時のような目を通しての視点だけで
なく、第三者の視点で客観的に見る事も
できる場合も多いようです。
臨死体験もそれは同様で、
臨死体験の場合は360度の自由な視点を
獲得するという証言も多くあります。

またどちらも実際に体験しているかのよう
であるといいますし、過去世体験の場合は
苦痛や苦しみなどの肉体的または感情など
も、リアルに体験するようです。
臨死体験の場合は、自分の人生に出てくる
登場人物の立場での感情や意識を体験
できるという点では過去生体験と共通
していますが、体感として特に苦痛や
苦しみなどは、むしろ感じないという点で
違いがあります。
それは過去生体験が、まだ肉体に
意識がつながっている状態なのに
対して、臨死体験では肉体からいったん
意識が解放されるから、体感が
得にくくなるからだと思われます。

これらの事は、私たちの現在の人生よりも
いかに霊的な領域の方が確かで、さらに
現実的な体験であるのかを物語っても
います。
そしてまた過去世体験でも、人生回顧でも
同様に、自分の心の問題に関する事を
特にクローズアップして経験するようです。
それは、霊的な領域にある高次の意識の
存在(光の存在であったりもします)が、
本人の魂に対して、大事な事に気づかせて
くれているようでもあるのです。
その事が、臨死体験や過去世体験をした
のちに、本人が前向きに人生を生きる事が
できるようになる事が多くなる原因や
きっかけになるようです。
これらのように過去世体験と臨死体験には
共通する点が多くみられますが、上に
列記した過去世体験の特徴には、特有に
みられるものもあります。
たとえば、特徴3の光景になつかしさを
覚えるというものです。これは過去世
では、現在の人生と全く違う環境や役割
違う性別であるのにもかかわらず、これが
自分の人生であるという確信があり、
体験している光景になつかしさを覚える
ことが多いのです。
これは過去世体験が、自分の魂としての
実際の過去の人生経験だという事の証明
にもなります。
また特徴7の退行経験はときに現世の問題
を反映するというのも、魂が転生によって
意識をレベルアップさせようとしている事
を示唆しているものとして捉えれば納得の
いくものとなります。

このようにあらゆる超常体験はつなげて
理解していくと、真理を把握していくのに
おおいに役立つと思います。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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「至福の永遠」を感じ続ける右脳(心臓からの叡智)と、意識を肉体に閉じこめる左脳の違い


さて我々の感覚や思考は通常五感の信号
からくる現実認識を基準にする左脳に
偏っています。また、無意識に日常の
決まった行動をしている時は、ほぼ左脳
しか働いていません。左脳自体は五感の
認識による現実感覚全般を担っている
ので、日常生活や社会生活を送る上
で不可欠なものなのですが、しかし
左脳の活動だけに偏った生活をして
いると、とても厄介な事になります。

あまりにも左脳に偏った生活をして
いると、肉体を自分だと思い込み、
死に対する恐怖心や、日常のストレスに
そのままさらされ、人生を無味乾燥な
機械的なものとして捉えて、無感情、
無感動、そして愛情の希薄な、まるで
ロボットのような生き方になってしまい
ます。そうなるとやはり、暴力やいじめ
などのネガティブなエネルギーにつな
がる場合もありとても危険です。
(このロボットのような生き方になる事
については別の記事で書きます。)
現代の日本人にこの左脳タイプが多く
なっているのに、危機感を感じている
のは、私だけではありません。
つまり右脳の情緒が欠落しているのです。

逆に右脳は、ストレスのない、自由な
感性や発想に満ちあふれて、情感も
豊かで、天才的なひらめきや、能力を
無限に発揮できる潜在力を持っている
のです。
しかもこの右脳に叡智を送り込んで
いるのは、心臓なのです。
人体の中で神経が最も集中している
のが、心臓と脳を結ぶ経路で、
しかも心臓から脳への神経の方が
脳から心臓への神経よりも、
圧倒的に多いのです。
そして高次の次元からのゲートで
あるチャクラの中心も、生命
プラズマの中心も心臓あたりにある
ハートチャクラにあるので、叡智の
中心は心臓にあると言って良いの
です。
右脳は、つまり心臓の叡智を受けとる
事で、左脳よりも優れた潜在力を
有しているという事なのです。

さてまずは、その右脳の働きを知るのに
良い実例を取り上げます。
長いので2~3回に分けさせて
いただこうと思います。

『』内が引用で、~が中略です。

『ジル・ボルト・テイラーは語る
私は、小さい頃から脳を研究しようと
思っていました、なぜなら兄が脳障害
すなわち統合失調症だったからです。
妹としてまた後に科学者として、
なぜ私は夢をもつことができ、夢を
現実と結びつけることができ、夢を
実現できるのか・・・ そして兄の脳と
統合失調症は、なぜ普通に他人と共有
できる現実に結び付かないのか、
そして幻想になるのかを理解したいと
思っていました。

TEDで講演するジル・テイラー氏
こうして私は、重い精神病研究の道を
選びました。郷里のインデアナ州から
ボストンへ移り、そこでハーバード
精神医学部の フランシーヌ・ベーネ博士
の研究室で働いていました。研究室での
私たちの研究テーマは、正常な人たちの
脳は、 総合失調症や総合失調性感情障害
や双極性障害の人たちの脳と比べて、
生物学的に何が違うのかということ
でした。
それで私たちは、脳の集積回路の解析を
していました、どの細胞がどの細胞と
通信しているのか、それはどの化学物質で
またそれはどれだけの量なのか。
こうして私は、生活に大いに生きがいを
感じていました、~
しかし1996年12月10日の朝、私は起きると
自分の脳に障害があるのを発見しました。
私の左脳で、血管が破裂したのです。
その後の4時間の間に、私は自分の脳が、
すべての情報を処理する能力が、完全に
退化していくのを見ていました。脳出血の朝、
私は歩くことができず、話すことができず、
読むことができず、書くことができず、
また自分の人生の出来事を思い出すことが
できなくなったのです。私は母体のなかの
胎児のようでした。

脳は完全に左右に分かれている。
人間の脳を見れば分かるように、二つの半球は
互いに完全に分かれています。ここに本物の
人間の脳を持ってきました。 ~
(引用注:ここに脳の画像が入りますが
うまくリンクできないので、一応脳の他の
画像を持ってきました。

ElisaRivaによるPixabayからの画像
つまり右のクリエイティブと
あるのが右脳で、左のロジック
とあるのが左脳です。
下の説明のような脊髄とかはこの
画像にはありませんが、脳から背
につながる部位になります。)

そう、これが本物の人間の脳です。
ここが脳の前部、こちらが脳の
後部で、脊髄がぶら下がって
います。 こういう風に私の頭の
なかに納まっています。これを
見れば分かるでしょう、二つの
大脳皮質は互いに完全に分離
しています。 コンピュータが
分かる人には、右半球は
並列処理装置のように機能し、
 一方左脳は直列処理装置の
ように機能するといっていい
でしょう。 二つの半球は互いに、
3億の神経線維から成る脳梁
(のうりょう)を通じて通信
しています。しかしそれ以外では、
二つの半球は完全に分離して
います。なぜならそれぞれは
別々に情報を処理するし、別々に
ものごとを考えますし、 別々に
気配りしますし、あえて言えば、
それらは全く異なった人格です。~

私たちの右半球は、すべて現在の
この瞬間にかかわっています。まさに
今ここです。私たちの右半球は、
画像で考え、 体の動きを通じて
身体で学びます。情報は、エネルギー
の形をとって、われわれのすべての
感覚器官を通って、同時に流れ込んで
きます。 そしてそれは、この現在の
瞬間がどのように見えるか、その巨大な
コラージュとなって噴出します。さらに、
この現在の瞬間が どのように匂うか、
どんな味がするか、どのように感じて
いるか、どんな音がするか。私は、
右半球の意識を通じて、私を取り巻く
すべてのエネルギーと繋がった
エネルギー的存在です。私たちは、
一つの人間家族のように、右半球の意識を
通じて互いに繋がったエネルギー的存在
です。そしてまさに、今ここで、私たち
すべてはこの惑星上で兄弟姉妹であり、
世界をより良い処にするためにここに
います。この瞬間、私たちは完全です。
私たちは全体です。そして私たちは
美しい。

私たちの左半球は全く異なった場所です。
左半球は直線的に系統的に考えます。
左半球は過去を考え、未来を志向します。
左半球は現在の瞬間の巨大なコラージュを
もぎ取るように設計されています。そして
細部を摘み取り始めます、そしてさらなる
細部を、さらにもっと細部のさらなる細部を
摘み取ります。そしてそれらすべての情報を
分類し組織化します。私たちが学んだ過去の
すべてと関係づけ、未来のすべての可能性に
投げかけます。そして私たちの左半球は言葉
で考えます。この絶え間ない脳の動きが、
私と私の内的世界を、外なる世界に
繋げます。
それは小さな声で、このように私に
いいます。
「帰りにバナナを買っていかなきゃ、
朝食べるのに」それは、いつ洗濯しなければ
ならないかを私に思い出させる、
あの計算する知性です。しかし多分もっとも
重要なのは、私に「私は・・・私は・・・」
と語りかけるあの小さな声です。そして
左半球が「私は・・・」と語りかる瞬間に、
私は分離されるのです。私は私の周りの
エネルギーの流れから分離された一個の
実体的個人になり、そしてあなた方からも
分離されます。

これが、脳卒中の朝、私が失った脳の
部位です。』

“出典:「今月の言葉抄 2009年5月
より”

つまり脳科学博士である、ジル・ボルト・
テイラー女史が、ある朝突然の脳内の出血
により、左脳の機能が完全に停止して
しまったのです。
つまり残る右脳での体験を語ってくれて
いるわけです。
その体験については次回という事になり
ますが、
今回は、重要な左脳と右脳の違いに
ついて、
脳科学博士であるテイラー博士が説明
してくれています。

説明をよく読むと、つまり脳は二つの
人格を持っているという事です。
つまり私たちは、自身の中に二人の
人格がいるという事です。

そして右脳の人格は、全てを一つとして
捉え、すべてつながっているエネルギー
として理解します。そして今この瞬間に
すべてを感じようとするのです。
この右脳では、すべての人は家族で、
みんなつながっていて、一つである
と認識します。みんなつながった
一つのエネルギーとして捉えるのです。
つまりは、すべてをつなげる愛を理解
する脳だという事です。
また並列処理装置のように働くという
のは、すべて同時に処理するという事で、
順番もなにも関係なしに、一度に捉えよう
とするわけです。
そこに分離や因果関係も存在しません。
すべてが同時だという事です。

逆に左脳は直列処理装置のように
働きます。つまりすべてを連続する
ものとして捉えるわけです。つまり
因果関係は存在して、過去から未来へと
直線的につながる時間感覚を持って
います。
つまり瞬間を意識するというより、
過去や未来を常に意識してしまうと
いう事です。そして全体を見る力は
失われ、常に細部を分析するように
働きます。またそれを分類して組織化
します。
さらに言葉で理解していきますが、
常に「私」という事を意識して、脳内
で語りかけてくるので、自分が外界
から切り離された独立した存在だと
意識させられるという事です。

なるほど、私たちは、本来物理的にも
つながっている一つのエネルギーだと
いう事が、本当の現実なのですが、
左脳はあくまでも、個人どうし、物質
どうしがばらばらに存在しているように
捉えるという事ですね。

しかし本来の左脳は、そんなに真理に
対して盲目ではなかったという研究が
あるという事ですね。

何度も引用して恐縮ですが、またまた
太古の左脳の損傷についての記事の
再掲です。

“ライトは、15年かけて人間
(特に脳)の進化を研究しているが、
その発見は私自身が調べていることに
とって実に有益だった。
 その結論は、人間の脳は、「遠い昔の
いつか」に能力のピークを迎えており、
それ以来「退化」しているということ
だった。
おそらく何百万年もかけて脳の容量は
加速度的に急拡大したが、およそ20
万年前に突然進化が止まり、ピーク時に
約1440グラムあった脳の重量は、
その後、約1300グラムに減少した
という。

もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。
 ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。
そして、著者は、本当に我々は進化の頂点に
いるのだろうかと疑問を投げかけている。
明らかに違う。
   (中略)
ジンとライトは、約20万年前に始まった
左脳の「損傷」が、恐怖心を刺激し、支配欲
につながっていったと述べている。
   (中略)
『無明の闇に取り残されて』には、脳の故障
とバランスの欠如さえ修正されれば、人類は
素晴らしい可能性を秘めていると書いてある
が、まさにその通りだ。
この潜在的な力は、左脳の支配のために、
右脳に閉じ込められたままである。”
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦”

つまり左脳が損傷した事により、我々は
無知と恐怖・苦悩の世界に放り込まれて
しまったというわけです。

しかし、私たちの潜在能力を発揮する
ために、また私たちが未来へ可能性を
広げるためには、右脳の認識や、潜在力
を使う事と同時に劣化した左脳を元の
能力に戻す事が非常に大事
になって
くるのです。

それには、右脳が示す無限性と
潜在力を、とことん理解する事が
、左脳の劣化を修復するのに
最適
だという事です。

そしてさらにそのためには、右脳に
叡智を送り込む心臓(ハート)の働きが
最重要になってくるわけです。
ハートを活かすためには、愛情や
あたたかい心、豊かな情緒、
情熱やポジティブな心、楽しむ心
至福の状態、などのポジティブな
エネルギーが大事だという事に
なります。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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神秘体験を科学する4過去生体験で病が改善される理由とは?


この記事は
神秘体験を科学する3過去生では
第三者からの視点も別の場所からの
視点も得られる!

の続編です。

今回は過去生体験で、精神的な
安定や体質改善が得られるという
過去生体験の特徴を取り上げ
ますが、これまで観てきたように
過去生体験は、完全じゃないに
しても、ワンネスとしての
自己体験なので、通常の意識を
超えた能力がしばしば発揮
されます。

これまで何度も取り上げて
きた、アニータさんの究極の
ワンネス体験では、彼女が
重篤の末期癌であったにも
かかわらず、完治できると
意識して、実際跡形もなく癌
が消失してしまったという
実例があります。

つまりワンネスの意識レベル
は、究極のものでなくても
意識の浄化に役立ち、本人
の精神や身体を改善させる事
ができるのです。

過去生体験では、ワンネスの
意識に少しでも近づく事が
できている事の証明でもあります。

では今回もムーディ博士の著書より

「」内が引用で、~が中略です。
「」外は私の見解です。

「特徴8
退行経験により精神の安定が期待できる

長年のうっ積した感情から解放され、
気持ちが晴れ晴れとした状態に至る
ことを、精神医学用語で「カタルシス」
という。カタルシスに至った者は、
ストレスがやって来る場合にも新たな
見方をして乗り越え、つらい社会に
あっても必要な気分転換をはかれる
ようになることが多い。
 こうしたカタルシスが、過去世への
退行経験をした被験者によく起こる。
たとえばある青年は、弟に対する
苦々しい思いから離れられないで
いた。弟だけがいつも両親からかわい
がられ、いろいろ買ってもらっていた
からである。
この青年は催眠の中で、南米の
ジャングルに住む民族の老人だった
過去世の自分へと退行した。
 その生で、彼はある年上の女性に
出会った。青年によれば彼女は、過去世
における彼の弟だという。もちろんこの
女性の顔形は、現世における彼の弟には
全く似ていない。彼女が弟の過去世の姿
だと知ったのは青年の直感だった。 
その過去生で、じつは老人(のちの青年)
は、その女性(のちの弟)に頼りきって
生活していた。女性は全く献身的に老人
の世話に明け暮れていたのだ。それを見て
以降、青年は弟に対し新たな愛情を感じる
ことができるようになった。こうして
青年は、安定した心を取り戻すことが
できたのである。

過去世において弟は自分に対し、全く
献身的に奉仕してくれた。だから現世
では、今度は自分が弟に奉仕する番だ。
青年は過去世への退行経験ののち、弟に
自分の気持ちを伝えた。以来、彼ら兄弟は
仲良くなり、親しく新しい関係へ入った
のである。
 私の被験者たちは皆、退行経験の中で、
自分の現世の問題と交差するなんらかの
出来事や状況に接している。それは
ときに、他人にとってはドラマチック
なものではない。
しかし当人にとっては、「あの光景を
見て以来、私は大きく変わりました。」
と言えるような事柄なのである。」

占星術でもこのカタルシスというのは、
よく使われるコンセプトですね。
占星術のエネルギーの場合、その
カタルシス(浄化)を起こすために、
ネガティブなエネルギーとして現れる事
が多いように思います。それは、もしか
したら自分の魂の追体験のような
エネルギーなのかもしれません。
肉体に宿る時点で、魂は過去の自分の
体験を肉体に投影するので、それが天体
のサイクルのエネルギーとリンクした時
に現実として表現され、それが結果的
にこの過去世体験と同じ効果を生むの
ではないかと思います。
しかし、なぜネガティブなもので
なければならないかという疑問は残り
ますけどね。
しかし、このように効果的に過去世体験
により、現世での精神的問題が解決される
というのは、ある意義のある結論へと
導いてくれます。つまり過去世につながる
ような意識の状態では、自分を保護して
くれる存在かまたは自分自身の高いレベル
の意識が、その問題解決のために、意図的
にその解決となるシーンへと意識をいざ
なってくれるというものです。つまり
囚われた日常の意識には、その手をさし
のべるには、なにがしかの壁がある
と考えられるわけなのです。
そして意識が過去世レベルにいける
ような、魂の本来の意識に戻ったなら
ば、そのような存在または高度な自己
意識の助けを受ける事ができるという
事です。

「特徴9 退行経験により肉体の病が
        改善されることもある

 まれにだが、被験者は過去世への退行経験
により、肉体の病が劇的に改善されたという
ことがある。全く解消してしまった場合すら
ある。
 たとえば、私がリサと呼ぶ女性は、重い
頭痛によく悩まされていた。検査をしても
異常(たとえば腫瘍など)は見いだされ
なかった。彼女はまたもう何年も前に、
カフェインやアルコールを含む飲料を
一切断っていた。頻繁に起こる頭痛に対処
するには、毎日アスピリン錠を服用する
ほかなかった。
彼女は
「催眠療法をしてくれますか。どんなもの
か経験してみたいの」
と言って私のもとへやって来た。私が催眠
のトランス状態へ導くと、彼女は石造りの
古代都市での苦しい人生へと退行した。
以下は、催眠から覚めたのちに彼女が語った
ことである。

「私はその街に生活していましたが、街は
他国の軍隊によって侵略されようとして
いました。私はトランス状態の中で、彼ら
の軍隊が街に向かって山を下って来る光景
を見ました。強姦と略奪のためです。
 私たちは皆恐れおののきました。敵の
兵士が人々を追いかけ回し、どこを見ても
逃げ惑う人々ばかりでした。
刀剣を手に持った彼らは、人々を切り
裂いていました。
 私は自分自身も見ました。私は若い女性
で、白い服を着ていました。必死に
逃げようとしました。しかし、どこも
敵ばかりで、逃げようにも逃げられま
せん。突然、私は数人の敵につかまって
しまいました。一人が私の腕をつかまえ、
別の一人が私の頭を棍棒でなぐりました。
その痛さといったら信じられないほど
でした。何度かなぐったすえに、彼らは
私を地に投げ捨てました。脳は破裂
しそうで、私はゆっくり死の淵に落ちて
いきました。」

 彼女は現実にその痛みを感じ取って
いた。目を閉じた状態で彼女はソファに
座っていたが、その顔にも声にも痛みが
あふれていた。
あとでこの恐ろしい死の経験について
彼女と話すと、彼女にとってそれは
大きなカタルシスとなったようだ。
過去世での経験を語ることにより、現世
での大きな感情的解放を経験したので
ある。
 退行経験についていろいろ語る中で、
彼女の人生にはストレスや頭痛の種と
なるような、様々な問題があった事実が
明らかとなった。彼女が心の片隅に
追いやって見ないようにしてきた様々な
人生の問題も、退行経験を通して、
ほじくり出すことができた。そうやって
しだいに、彼女は心の問題を解消して
いくと共に、あのひどい頭痛をも解消
することができたのである。
 このような例は、心と体が深く
つながったものであることを、私たち
に再認識させてくれる。」

これは、またとてつもない悲劇を経験
した過去世の追体験のようですが、
その事自体よりも、自分が霊的な存在である
事を、退行経験により実感できた事で
浄化作用が起きたのだろうと思われます。
つまり、過去の人生で、どんな悲劇を
経験していても、それは霊的にはなんの
影響もないという意識レベルを獲得
できたという事なのだと思います。
(霊という存在は、肉体に囚われて転生を
繰り返す魂より高次の存在で、肉体レベル
での経験の影響をほぼ受けません。
ですが、これも自分自身だという事です。
この高次の意識の階層構造というのは、
古来より世界中で、様々な分け方がされて
いるので、また記事でまとめていこうと
思いますが、きっちりと壁で隔てられた
ようなものどうしというわけではなく、
意識レベルの差があるだけで、つながって
いるものとして捉えてさしつかえありま
せん。肉体があり生きている状態でも、
私たちは、魂であり、霊でもあるという
事なのです。)

頭痛があったのは、過去世の肉体レベル
での記憶が魂に刻まれていた事が原因
ですが、魂よりも高いレベルの意識(霊)
にとっては、それを現在の潜在意識が
気づいた時点で、解消するべきものを
言葉でないような方法で手にしたと
いう事なのです。そのような過去の悲劇
的な記憶のエネルギーを解消するために
現在の人生を生きる事になったという事で
その目的を、私たちの日常意識レベルで
なく潜在意識または魂のレベルで気づいた
時点で、そのレベルでの浄化をする事に
つながったという事なのです。
このプロセスには、私たちの日常の意識は
ほとんど関わっていません。全て霊的な
次元と潜在意識での作用だという事なの
です。

これで彼女の重い頭痛も、治ったという
事ですが、それは肉体レベルよりも
このような高い霊的レベルの自分に
アクセスできたからという事なのです。

さて次の特徴をみていきましょう。

「特徴10

退行は時間的順序よりも、それが持つ
意味に従って進んでいく

被験者が、催眠を通し一年間に様々な
過去世へ退行したというような場合
(引用注:ムーディー氏は治療のため
被験者に何度も退行催眠を繰り返す
事が多いというわけです)、その退行
の順番は時間的順序ではなく、むしろ
被験者の心に最も関連しているもの
からになる。
 たとえば、ある男性被験者が、現世
で女性に対する態度のことで幾つかの
経験をしているとしよう。すると退行
していく先の過去世は侵攻的な人生で
あったり、他者への依存的人生で
あったりする。
そういうものが幾つか続くのである。
 退行していった先の過去世の主な
特徴は、過去世での被験者の役割よりも、
むしろ被験者の精神的・霊的な発達に深く
かかわっている。それゆえに、過去世に
退行して被験者の心の問題を解決する
という過去世療法が有効になるので
ある。」

“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”

これも人生の心の問題の解決に大切な
要素のようですね。
ムーディー氏は心理療法士なので、
基本的に被験者・患者の治療という
目的のために退行催眠をしているという
事です。
しかも、これは非常に有効な方法である
という事がわかってきたという事ですね。
自分の心の問題を解決するのには、自分
の過去世を経験する事で、解決できる
ようになるという事です。
そして今回の特徴は、過去世体験が、
まさに心の問題を解決するための順序で
進んでいくという事なのですが、催眠
をかけられた本人の霊的なレベルは、
その解決のための最善の体験を、本人に
させようとしているのは明らかですね。
確かにくどくど説明されるより、解決の
ための効果的な体験をする方が、より
本人の実感として、大事なヒントが
得られるという事なのだと思われます。
しかもその経験は、現世での自分の役割
や個性とは違う人生で、自分が精神的
・霊的にレベルアップするために効果的
な人生となるという事なのです。
そしてまた本人にとって必要であれば、
その人生での他者の心なども経験する事
ができて、より心の問題解決に役立たせる
事ができるという事です。
当然これらの経験は、潜在意識への作用と
いう意味で、強く本人に影響を与えるもの
となるという事なのです。

退行催眠による過去世体験は、私たちが
どのような存在であるかについても、
非常に大きなヒントを与えてくれて
いるというわけですね。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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