この記事は
霊や憑依は怖いものではない!
いまわの際に残した魂の念が残った
意識の一部というだけ
の続編になります。
前回はとても礼儀正しくて、おだやかな
少年の魂による憑依を紹介しましたが、
今回は、かなり過酷な憑依体験をご紹介
します。
というより、高村英さんに憑依する魂は、
むしろ死の直前の恐怖感を鮮明に残した
ままさまよっていたケースが多く、今回の
ような過酷な憑依体験の方が多いようです。
詳しくは、後でそのエピソードを、取り上げ
ます。
高村英さんのような体質の方は、世界でも
広く霊媒として知られています。
高村英さんは、今回の東日本大震災で
亡くなられた方々の霊によって、
本来の霊に憑依されないための防御能力が
失われたため、過酷な死の直前の憑依体験
を多く経験する事になったわけですが、
霊媒体質の人が、憑依される場合、常に
そのような死の直前の追体験をしなければ
ならないケースは、むしろそれほど多くは
ないようです。
当ブログで何度も取り上げた、20世紀
最大の霊媒と評されたアイリーン・
ギャレット女史は、そういう死の直前の
ような憑依体験は、あまりなかった
ようでした。
彼女の場合は、霊媒というだけでなく
通常の人には、見えないあらゆるものが
見えて、しかもそれを制御する能力にも
恵まれていたようです。
その事はこちらの記事で紹介しています。
また死ぬ直前どころか、生き生きと
生きている状態のままで、ヴェノム
という少女に
継続的に憑依したメアリ・ロウ
という少女についての
記事も投稿してましたね。
それがこちらです。
これは記事の冒頭の解説が大事なので
再掲しておきますね。
『
科学的な意味でも、私が
記事にしてきたように、物質の世界
こそ、狭い五感の領域で捉える、
イメージの世界でしかなかったという
事が真実だったのです。
つまり私たちの、実体というのは、物質
ではなく、認識そのもの、意識そのもの
が、実体だというのが真実だという事
です。
その意識の状態を霊と呼んだり、魂と
呼んだり、認識と呼んだり、潜在意識
と呼んだりしますが、意識のレベルや
状態に違いはあっても、基本的な本質は
、ほぼ同じ、本当の実体であり存在だと
いう事なのです。
さてその現実さえわかっていただれば、
別の意識が、肉体に宿る魂に、自己を
投影させ、肉体とその意識の主導権を
握る憑依という、コンセプトもわかって
いただけると思います。』
そして今回取り上げさせていただいてる
高村英さんという霊媒体質の方の
霊に対する考え方というのがこちら。
『』内は全て、こちらの本からの引用
です。
〈「死者の告白
30人に憑依された女性の記録」
奥野修司著
講談社刊〉
『
高村英さんが「おにぎりを食べたい」
と言った男の子に憑依された体験を
語ったあと、何気なく言った言葉が
ずっと気になっていた。
「わたしは霊を信じていないんです。」
高村さんは、今まさに霊に憑依された
体験を語っているのだ。
彼女が霊を信じていないというのは
理解できなかった。
僕は思い切って「どういうことですか?」
と尋ねた。
いつものように数秒ほど沈黙したあと、
こう言った。
「霊という言葉に抵抗があるだけで、
存在を頭から否定しているわけでは
ないんです。
世間に広がっている霊のイメージに
抵抗があると言えばいいでしょうか。
たとえば、わたしは父を亡くして
いますが、あなたのお父さんは幽霊に
なっているよと言われるのは
あまりしっくりこないですよね」
その時、これまで高村さんが僕に
「亡くなった人」とは言っても、
決して「霊」とは言わなかった理由が
やっとわかった。
「憑依」という言葉も、僕が当たり前の
ように使うので仕方なく使っていたようだ。
「魂を否定してるわけではないんですね」
と僕は高村さんに尋ねた。
「もちろん否定はしていません」
「そうですか。僕の個人的な意見ですが、
『霊』は精神的な実体であって、タマ
とも読まれるように魂のことだと思って
います。
生きているものの本質とでもいいますか、
実体として存在するかどうかは別に、
なければ困ります。
・・・・幽霊譚は12世紀に成立した
『今昔物語集』にも出てくるのですが、
僕らがイメージする幽霊は、近世に入って
怪談が謡曲や歌舞伎などに取り上げられる
ようになってからつくられたフィクション、
つまりお化けだと思っています。
『幽霊』と『霊』を混同されている方が
いますが、僕は、『霊』をいわば
“死者の意識”と理解しています。
死者の魂です」
「だとしたら全然否定していません」
』
みなさんは霊という言葉をどのように
解釈されているでしょうか?
私の場合は、霊とは死者の魂である
というだけでなく、生きている間
から存在している本来の実体で、
肉体こそが、左脳での現実解釈による
幻想だと捉えています。
難しいでしょうか?
そうですよね。ただ生きている間も
死んだあとも、本来の個人としての
存在は、消滅せず、霊や魂として
残っているという理解で良いと思い
ます。
もちろん、今回の浄霊の儀式などの
ように光の世界に霊が行く事は、
霊が消えるのではなく、個人であった
霊という意識が、本来の全体としての
意識つまりワンネスに戻るだけだ
という事、つまり自分個人という意識が
レベルアップするだけだという事なの
です。
もちろんワンネスの中でも、個人
としての自分が消えるわけではなく、
むしろ全体と個人の意識を自在に
俯瞰・体験できるようになると
捉えています。
つまりワンネスの状態からでも、
好きなように個人の意識や
別の時空を体験するために変化
させる事ができるようになる
というわけですね。
というより万能で全知で全存在
というワンネスの意識だからこそ
可能だという事です。
この自由度がマックスになるワンネス
の領域の捉え方が、わりと多くの人に
なく、ただ光の世界にいくだけ、または
還るだけと考えている人が、ほぼ
一般的な感じがしています。
高村英さんは、とりわけ優れた霊媒体質
の方ですが、そのあたりの事は、
もちろん研究もされていなかった
ようで、憑依していた人を浄霊で
光の世界へ送り出す事を、「もう一度
殺す」手伝いをしていたと表現されて
いました。
そうではなくて、憑依していた魂や霊の
意識の状態が、レベルアップするだけ
というのが真相だと思っています。
今回の過酷な憑依体験を取り上げるまえに
その頃の高村さんの状況を観てみましょう。
『
この時分の高村さんに憑いた霊は、高校生
など数人を除き、そのほとんどが、
東日本大震災の津波に関係していた。
震災までは、誰かが彼女に憑依しよう
としても、彼女自身が自己流ながら、
それを拒絶するか体内に受け入れるか
コントロールではていたのに、震災後に
なると、それまでのようにコントロール
することができなくなったと言って
いたが、僕はなぜコントロールでき
なくなったのかと尋ねた。
彼女はしばらく考え、
「たぶん圧倒的な人数のせいです」
と言った。
数とは、2万2000人余といわれる
津波で亡くなった死者の数のことで
ある。
彼女はそれをこんな喩えで説明する。
「300人収容できるホールを想像して
ください。
わたしが舞台に立っているとします。
そして、亡くなった方たちが客席から
舞台のわたしをおとなしく見ています。
そこへ津波が起きて、いきなり
“生を奪われて苦しんでいる人(霊)たち”
が大勢ホールに押し掛けてきます。
舞台上のわたしを発見すると、おや、
もしかしたら、あいつの体の中に
入ったら救われるかもしれないぞ。
ワンチャン生き返れるかもしれないぞと、
一斉にわたしに近づいてくるんです。
藁ほも掴むという言葉がありますが、
掴んで助かるわけでもないのに
掴んでしまう。
その藁がわたしだったのです」
~
「どうして近づいてくるのですか?」と
僕が尋ねる。
「わたしは自分のことをよく『チューナー』
とか『中継器』に喩えています。
死者は魂のままだと何もできないのですが、
たまたまたこういう体質のわたしがいて、
すまく体の中に入り込んでチューニングを
合わせれば声を発することができます。
肉体を得ることもできます。
だから、みんなわたしの中に入って
来たがるんです。
あの時はとにかく人の声がすごかった。」
』
霊媒体質の人が自分の事を中継器とか
チューナーに喩えるのは、すごく
わかりやすいですね。
つまり彼女は体質的に、霊にチューニング
しやすかったため、霊視が小さい頃から
できていたわけですが、それは霊のレベル
からもチューニングしやすい、波長を
合わせやすかったという事なのでしょう。
さてそれでは今回の彼女の過酷な
憑依体験を観ていく事にしましょう。
『
その日のことを、彼女は日記にこう記して
いる。
〈今日は一日中、「水島」と頭の中で
名前を叫ばれていた。
それでも普通に過ごし、買い物に行き、
家事をしたりして過ごした。
名前を叫ぶ声を聞きながら。
家族が運転する車から降りようと
したら、突然自分の下半身がなくなり、
そのまま地面に顔から落ちそうに
なった。
何とか車のドアノブを掴んで事なきを得る。
ほうほうの体で駐車場からアパートまで
たどり着き、自分でもお経を唱えた。
消災妙吉祥陀羅尼(しょうさいきちじょう
だらに)を唱えて、唱えて、いつの間にか
涙でいっぱいになった。
わたしは精神病なのだろうか。
本当に自分でもわからない。
小さい頃からちゃんとコントロール
できていたのに。
こわい。
苦しい。
何でわたしがこんな目に遭うのだろう。
誰か1人でも良いから、病気だと言って、
わたしを病院にぶち込んでくれないかな。
そしたら本当はずっと楽なのに・・・。
今夜、何も起きませんように。
叫び声が止まりますように。〉
』
彼女の日記の切実な声が、少しでも
わかるような気がするのは、私も
たぶんみなさんも、死ぬほどつらい
経験を幾度かされているだろうから
ですね。
死ぬほどつらい経験をされていない方
もおられますかね?
とにかく、この時彼女が精神病院や
精神科、病院の内科・脳・神経科
などに行かなくて良かったと
思うのは、これまで説明してきた
通りの事が、すでに知識として
あるからですね。
ただこの時の彼女には、西洋医療の
闇など、全く頭になかったようです。
しかし憑依体験はここからが、やばい
状況になります。
なんと自分の下半身がなくなった
というのです。
『
災厄を祓うお経を必死に唱えた。
しかし高村さんの頭の中を駆け
めぐる叫び声はいつまでも消えない。
自分の声なのか、誰か違う人の声
なのかすらわからなかった。
気が気でなかったが、なんとか普通に
過ごそうと、家事を手伝ったり、
家族と一緒に買い物に出かけたり
したのだが、ちょうど車で自宅に
戻った時に、いきなり自分の下半身が
なくなったのに気づいたのである。
「ええ、下半身がなくなったぁ?」
僕は驚いて声を上げた。
高村さんは表情も変えずに言う。
「憑依という言葉を使わせていただくなら、
憑依には何段階かあって、ただ憑いている
だけ、中に入ろうとしている、片足を
突っ込んでいる、と段階があるんです。
この当時はコントロールできない状態
だったので、中に入られそうになるのを
必死に抵抗したんだけど、片足を
突っ込まれた状態になってしまって、
突然下半身の感覚がなくなって
しまったんです」
「買い物先かどこかで憑依されたんですか?」
「いえ、これはもともとわたしの実家に
いた人(霊)なんです。
高校生の時でしたが、上半身じゃなくて、
下半身の脚だけが我が家にいたんです」』
さらりと高村さんは、言ってますが、
高校生の時に、自分の家に下半身の脚
だけの霊が存在しているのが、日常的
風景だったという事です。
私たちにとって、これはかなり異常で
怖い光景ですよね。
『
ん?何を言っているのだろう。
下半身だけが家にいた?
冗談だろ?
~
「戦争映画で見るような軍人の靴を履いて
いました。
最初は妹の部屋にいたのですが、外ー
出さなきゃと思って出したのはいいけど、
今度はわたしの部屋に入ってきて・・・・。
でも何か悪さをされるということも
なかったし、わたしの体の中に入ろうと
することもなかったからそのままに
していました。
叫んでいたのはこの下半身の男でした」
僕は唖然としながら聞いていた。
~
上半身がぼんやりしていてよく
見えなかったので、最初は下半身
だけとは思わなかったそうだ。
今度はその上半身が彼女に憑依
したということらしい。
頭の中が混乱していた。
なんとか整理しながら
「あのぉ、昔、部屋に居座って
いたというのは下半身だけですか?」
と尋ねた。
すると彼女は平然と「そうです」と
言う。
自分の部屋に人間の下半身だけある
なんて、とても穏やかではいられないと
思うが、彼女は
「下半身だけじゃ悪さもできないでしょう
から」と淡々と語る。』
なるほど幼少期から、人の見えないものを
見続けてきた人には、下半身だけの霊
というのは、それほど異常に映らなかった
のだという事ですね。
『
不安でいっぱいだった。
そして「今夜は何も起きませんように」と
祈るような気持ちで夜を迎えた。
しかし、不安は現実になった。
息が上がり、呼吸が苦しくなった。
「苦しい。
なんでわたしがこんな目に遭うのだろう」と
思ったらまた涙がこぼれた。
もう限界だと悟った彼女は、家族が運転
する車に乗せてもらうと通大寺に駆け込んだ。
この時の彼女の感覚では、下半身がなく、
喉から肺にかけてが燃えるように熱くて、
内臓を引きずって歩いていたという。
彼女に憑依した男がそういう状態だった
のである。
~
事前に高村さんが通大寺へ電話した時、
金田住職に尋ねられるまま状況を
伝えていたので、この日は応接間に
入ることなく、寺の境内で車を降りると、
両脇を家族に抱えられるようにして
まっすぐ本堂に向かった。
1人では全く歩けない状態だった。
「下半身がなく内臓を引きずって
歩いている、というのは、憑依した
男が歩いているのを、高村さんが
見ているという状態なのですか?」
高村さんはしばらく考えていた。
こういう質問をされたことはなかった
そうだ。
「そうではなく・・・・・、わたしの
体の中に、わたしの魂と男性の魂が
一緒にあるので、2つの魂が離れていて
も共鳴しあうというか、つながって
いるんです。
そうすると、彼が内臓を引きずって
歩くと、それに同期するようにわたしも
感じるというか、追体験するというか
・・・・。
一卵性双生児が遠く離れていても、同じ
時間に同じことをするという不思議な
話がありますが、それに似ている
かもしれません」』
これは非常に大事な体感の理解ですね。
2つの異なる魂が、体の中で同期・つまり
同調しているので、この上半身だけの
男性の体感を、高村さん自身も体感
として味わう事になるという事です。
つまり見ているというより、体験して
いるという方が正確なのでしょう。
その事を高村さんがなんとか伝え
ようとしていたのがわかりますね。
『本堂に入ると、彼女はそのまま
顔から床に倒れ込んだ。
この時、彼女の記憶では、体を男性の
魂に乗っ取られ、彼女はどこか暗い
場所に追い出されたという。
「どういう男性なのですか?」
「軍服のようなものを着た男性で、
25歳でした。
下半身がなく、血まみれになって内臓が
飛び出しているんです。
口元からも血を吐き出しながら、大声で
叫んでいました。
あまりにもグロテスクで・・・・」
いきなり高村さんが、いや男性が、
血を吐きながら叫んだ。
「水島ぁぁぁぁ~!!」
金田住職が憑依した男性に声をかけた。
下半身のない漢は直立不動の姿勢で
話そうとしたが、言葉のかわりに
口から血が噴き出す。
もっとも血を吐いているのは金田住職
には見えない。
そしてようやく「わたしは〇〇所属の
島崎△△であります」
と名前を名乗った。』
高村さんに憑依する霊は、自分の名前を
忘れてしまっている例が多いようでしたが、
この場合は、死の直前の記憶があまりに
鮮明だったために、名前をはっきりと
覚えていたようです。
霊の状態になると自分の名前を、覚えて
いないケースが多いのは、実は肉体から
離れた霊の状態では、肉体にある時の
左脳での解釈にアクセスできないという
事なのだと思います。
つまり名前の記憶というのは、左脳の
解釈によるものだという事ですね。
ある臨死体験者の証言には、「あの世に
持っていけるものは「愛と知識」だけだ」
というものがありますが、その知識
というのは、生前右脳や松果体や
潜在意識に蓄えられた、本来または
本物の知識の事をいうのでしょう。
『
彼女にはこの男が軍人なのか造船所
で働く人なのかは判別できなかったが
、あとで見守っていた人に尋ねると、
旧日本兵の水兵だろうと言われた
そうだ。
「すまない、水島!俺のせいで、
貴様を死なせてしまった!」
空気が震えるような叫びだった。
帝国海軍の軍人で、広島県の呉軍港に
停泊していた艦に乗っていたらしい。
終戦の間際だったという。
「あなたが水島なのか?」
と住職が尋ねた。
「いや俺は違う。
俺は水島の背中に背負われていたんだ」
さらに「どうしてあなたたちは
亡くなったのか」と尋ねると、突然
彼女の視界に、暗い中で艦内作業を
している場面が見えた。
男が思い浮かべた映像は、高村さんにも
見えるのだという。』
ここが私たちが、特に学ばなければ
ならないポイントだと思います。
霊の状態で何十年も存在していた男性
が当時の映像をそのまま再現する事が
でて、それを現代に生きる高村さんが
時を超えて見る事ができたのです。
つまり何十年も前の時空は、この男性
の魂にしっかりと保存されていた
という事です。
これは、サイコメトリーで、遺跡から
何千年も前のシーンの中に入り込んで
体感的な体験をしてきたという
エピソードも、同様にその時代の
時空が、遺跡にしっかりと残って
いた事と共通するものがあります。
その事についてはこちらの記事で
取り上げていました。
たぶん終戦間際の壮絶なシーンを
高村さんは時空を超えて追体験して
いたという事になります。
私たちには学びとなり貴重な体験
ですが、本人にとっては、まさに
命懸けといえほど過酷なものだという
事です。
『
艦のあちこちから爆発音が聞こえてきた。
格納庫に積んでいた火薬が誘爆したらしく、
耳をつんざくような轟音ととともに床が
大きく揺れた。
一瞬のことで何が起こったのかわからない。
おそらくアメリカ軍による爆撃だろう。
男は絞り出すように語り始めた。
男はそのせいで負傷したが、親友で
1つ年下の水島上等兵は、そんな男を
背負って逃げてくれた。
ところが、次の爆撃で男の下半身が
吹っ飛んでしまった。
それでも水島は男を見捨てず、もう一度
背負い直して走ってくれたー。
そこまでしゃべった後、男は声を
詰まらせた。
負傷した男を背負って逃げていくうちに、
さらなる爆撃で2人とも吹き飛ばされた
のだという。
そのせいで、男の霊は死しても自分が
親友を死なせたと思い込んでいるの
だ。
この時島崎某を背負って逃げていた
水島上等兵の両足も吹き飛んで
しまった。
「彼には妻がいた、身重だと言って
たんだぁ!
だから俺をおいて逃げろと何度も
言ったのに・・・・、
すまない、俺のせいだ!俺のせいで
水島は死んだのだ!」』
高村さんの憑依体験で霊が残る
場合というのは、かなりの確率で
他人に対する情の強さから残る
ケースが多いようです。
このケースも、自分の命より、
親友を自分のせいで失った
悲しみの方が、より強く、霊を
この世にとどめていたようです。
親友思いの男性の魂だからこその
この世への執着なので、もちろん
良い魂なのでしょうが、後悔の念が
強すぎたという事なのでしょう。
次はすごく大切な親友との時も
ちゃんと男性の魂に、そのまま
残っていたという証拠です。
『
その瞬間、高村さんは語っている兵隊と
親友の水島が楽しそうに過ごしている
映像が見えたという。
水田が広がっている。
田舎らしい。
男の記憶だろう。
きっと2人は、故郷の幼なじみか、同じ
学校に通っていたに違いない。
「あなたは死んでいる。わかりますか?」
金田住職の尋ねる声が聞こえてくる。
「わかります」
男が毅然とそう言い切ると、突然、
高村さんの前に、男たちが乗った
艦船が爆撃を受けて燃え上がる映像が
広がったという。
男と、彼を背負った水島が死んだ場面
だろう
か。
彼女は悲しそうに言った。
「夜の海とは思えないほど明るくて、
熱かったです。
肌も痛いくらい。
空気が熱くて熱くて、息をすると
喉から肺にかけて焼けそうでした。
熱い理由がわかりました。
海が燃えていたんです。
重油が漏れて燃えているのか、海も
船も燃えていました。
兵隊さんが、膝くらいの浅瀬をバシャバシャ
と音を立てて歩いていました。
不思議な映像でした。
沈んでいく艦の甲板かもしれません。
親友の足が燃えているのが見えました。
あちこちに死体が浮かんでいて、どの死体
にも火がついて燃えているんです。
それがまた、夜の海を明るくしていました。
不気味でした。
あの油の臭い、人が焼ける臭い、今も
鼻腔の奥に残っています。
そして怒声、悲鳴、砕ける水の音・・・、
怖かった・・・・」』
高村さんは終戦間際の軍艦への
爆撃の惨状を男性の魂の体感と
同様に体験していたという事です。
しかもあまりにも鮮明で、肌のやける
ほどの熱さとか、人が焼ける臭いまで
感じてしまうものだから、たまったもの
ではなかったでしょうね。
ただこういうシーン自体が時を超えて
存在し続けているという事を、我々は
理解できるのがまた大事だとも思います。
それに戦争で自分の家族や自分自身を
このような戦場に送り込みたくないなら
政府の戦争準備のためとしか思われない
法整備や、またそのためでもある改憲
発議を止める気持ちを強く持って欲しい
とも思いますね。
次の著者の質問ですが、当時の映像を
高村さんが見ながらという部分は
むしろ当時の時空を高村さんが体験
しながらという方が正確だと思います。
『
兵隊の過去の映像を見ながら、住職
さんの声も聞こえるのですか?」
「肉体を失って魂だけの存在になっても、
声は聞こえます。だから兵隊さんが
しゃべっている声も住職さんの声も
聞こえていました。
ただこの時は住職さんの声は聞こえたり
聞こえなかったりでした。
きっとわたしの肉体の消耗が激しかった
からだと思います。
映像は、兵隊さんが追体験をすると、
わたしにも見えるんです。
本来、わたしの肉体にはわたしの魂が
定着しているのに、無理やり引き離されて
別の魂が入り込んだわけですね。
『あなたは死んでいる。わかりますか?』
と住職さんに尋ねられると、兵隊さんは、
自分がどういう状況をたどってきたのを
思い出すじゃないですか。
すると、爆撃を受けて燃え上がる海の映像を
思い浮かべたんです。
魂はつながつていますから、その映像を
わたしねも見ることができました。
つまり同時に追体験できるのです」
「過去と現在が同時進行なのですね」
「なるほど、そうも言えますね。
でも、わたしは意識したことがないです。
以前は見たい過去を選べたのですが、この頃
は強制的に過去を見させられる感じ
でした。』
霊的な領域では、本来の時間の領域に
なっていて、全ての時空が同時に存在
しているからこそ、可能な事なのでしょう。
一時的にその領域に意識・魂を移行させて
いた高村さんは、その過去と現在が同時に
存在する領域を体験できていたという事
のようです。
『
「高村さんがそれを知りたいと思ったから、
彼の過去が見えたのではないんですね。
内臓が吹き飛ぶような過去なんて見たく
ないと思うのが普通です。それが・・・
・・」
と僕が言いかけると高村さんが継いだ。
「それまでは見るか見ないかは、自分で
コントロールできていたんです。
見えてしまったのは、当時はコントロールが
できなかったせいだと思います。
だから記憶もあやふやで、強烈に感じた
部分だけしか残っていないんです。
兵隊さんのしゃべる言葉も難しくて
よくわかりませんでした。
それにわたしは死んでいるので、見える
映像もひどいんです。」
「え、死んでいるというのはどういう
ことですか?」
「兵隊さんの魂は、わたしの肉体を得て
います。
わたしは肉体を奪われて魂だけの存在
です。
肉体があれば、魂の自由度は比較的
高いのですが、肉体を失うと自由度は
一気に下がって、できることが限られて
きます。
彼の魂は肉体を得ていきを吹き返した
のに対し、わたしは肉体を失って
死んだ状態。
彷徨う霊になっていたんです。」
下半身のない兵隊が「あなたはどなた
ですか?」と金田住職に尋ねた。
「この寺の坊主です」と住職が答えると、
兵隊は「戦争はどうなりましたか?」と
言った。
「負けましたよ」と住職が静かに言う。
兵隊はひと言も発せず、「ううううっ~」
と唸る声だけが響いてきた。
「たくさんの日本人が死んで、敗戦に
なりました。
70年くらい前の話です」
それを聞いた兵隊が、口から血を噴き出す
のを高村さんは見た。
そして、「ああああぁぁ~」と
絞るような声を上げて泣いた。
「負けたのかぁぁ~。どうして?
なぜ!」
~
金田住職は兵隊の背中を撫で、といっても
実際は彼女の背中だが、
「誰も悪くない。
誰のせいでもない。
戦争が悪かった。
時代が悪かったんだ。
平和な国をつくるから、二度と戦争なんて
しない国をつくるから・・・」
と言うと、下半身のない兵隊は、何度も、
何度も「約束してください」とすがる
ように言った。
やがて金田住職の読経が始まる。
そして熱湯をかけられると、彼女は
下半身のない兵隊を導くように
「死者の行くべき場所」へと、光のある
方に向かった。
「不思議なんです」と彼女は言う。
「光に近づくと暖かくて、下半身のない人
も光の世界に近づくにつれて脚ができ、
自分の脚で歩くんです。
いや歩くというより、風に流されるように
・・・・」』
なんというか、これが一人の類まれな
霊媒体質の高村さんの体験した一つ
だとすると、あまりに一般的な人
(もちろんこれも千差万別でしょうが)
の人生体験とは、かけ離れたもので
五感の物質世界しか信じられない
左脳優先の多くの人達から見れば、
これは高村さんの頭脳が生み出した
幻想でしかないという事にされてしまう
のでしょう。
しかし、常識や固定された観念などを
一端脇に置いて、柔軟な感性を発揮できる人
なら誰でも、これがまぎれもない、霊的領域
の体験であり、時空を超えた体験を高村さん
がしていた事は、疑いようもない事だと確信
できるはずだと思います。
研究されーせていただいている身の
私としては、これは貴重な資料であり
これまで探求して得てきた見解の
多くを裏付けるものでした。
もちろん高村さんの身になってみれば、
あまりに過酷で、経験しないでいられたら
一番良かった事なのだろうと思いますが。
今回の体験で明らかになったいくつもの
重要な要素をまとめてみますね。
人は、生に対する執着のみで、この世に
死後に霊として存在し続けているとは
限らないという事。
今回の旧日本兵の方の霊のように、親友の
死に対する、悔恨の情が、霊的領域に
彼をこの霊的領域にとどまらせる原動力
となっていたという事。
霊的領域では、時空を超えて、旧日本兵の
方の人生体験が、何十年も詳細に残り続けて
いた事。
しかも霊的領域でまた、自分の肉体を介して
その旧日本兵とつながった高村さんは
その旧日本兵の魂・霊に保存されていた
人生体験をそのまま、ありのまま、
詳細に映像・音声・臭いや温度、痛み
など体感的なまた感覚的な全てで
再体験できたという事。
そしてまた高村さんの体に憑依した
旧日本兵の方の霊・魂は、時空を超えて
何十年もあとの時空で、現在(エピソード
当時)を、高村さんの体を介して
また体験する事ができたという事です。
研究する側にとっては、これは凄く
ありがたい資料となったわけです。
それにしても今回のエピソードから、
霊体験の過酷な一面と、戦争当時の
地獄のような体験などから、私たちは
現在、着々と戦争準備を進めている
日本政府に対して、絶対にそれを阻止
する決意を持つべきだとも思える
ようになりましたね。
ではまた(^^)/