臨死体験の人生回顧と催眠術とサイコメトリー(モノから過去のシーンを読み取る能力)が全てつながる脅威のホログラム情報記録とは?


この記事は、
催眠術と臨死体験に共通するワンネスの
真実とは?催眠術とは意識をジャック
(乗っ取り)して一体化するという事
だった!

の続編になりますが、この記事
から読んでいただいても、わかりやすい
内容となっています。

みなさんは、「催眠術」について
どのような解釈をしておられる
でしょうか?
個人差はあると思いますが、現代教育を
熱心に修得して来られて、公式の科学を
信じておられる人は、超常現象や超常能力
のようなものは、疑似科学として、証明
されていない、眉唾ものだと解釈して
おられる人が多いと思います。

私は、これまで公式の科学が、いかに
間違ったコンセプト(概念)のもとに
打ち立てられた、証明もされていない
仮説をベースにして成り立っているかを
看破・もしくは論破する記事を
いくつも記事にしてきました。

その事は、
宇宙の仕組み編隠された科学的真実編
などの一連の記事で、取り上げています
ので、ご覧になっていただければ
公式の科学がいかに、大衆・庶民を
真理・真実から遠ざけるように
誤誘導するものか、わかっていただける
と思います。

さてつまり、私たちは、見えない世界に
ついて、または五感で感知されない領域
について、あたかもそれが、存在しない
かのように、またそそこにはなんの
実質的なエネルギーも存在しないかの
ように誘導されてきました。
つまり、物質・モノこそ実体であり
エネルギーは、全てそこから生まれて
いるというように、思い込まされて
きたのです。
しかし実際には、空間にこそエネルギー
の主体があって、物質と呼ばれるもの
には、それに比較して本当に小さな
エネルギーしか存在していないという事
が、公式の科学に毒されていない科学者
たちによって明らかにされてきたのです。

たとえばモノに起因する力としての重力が
宇宙のエネルギーのベースとして
教育されてきたと思いますが、
実際には、重力は電磁気力(モノに頼らない
エネルギー・スカラー波やエーテル・
気・プラーナが感知観測できるレベルに
顕在化した原初のエネルギー)に比べて
10の38乗分の1程度の力しかない
という事が、
明らかになっていて、公式の科学でさえ
認めています。

そしてまた公式の科学に毒されていない
科学者によると
真空にはとてつもないエネルギー
がある事が確認されていますが、同じ
空間の中に無数の波長の波動が混在する
ことができる上に、その1つの波動だけ
で我々の想像を絶するエネルギーが存在
していることがわかっているのです。
ここは大事なところなので引用させて
いただきますね。

「物理的に1つの波動が持つことのでき
る最小のエネルギー量を計算してみた
ところ、わずか1立方センチの空間の
中に、現在の宇宙に存在することが
わかっているすべての物質のエネルギー
の総量よりもさらに多くのエネルギーが
存在していることがわかったのである」
(「投影された宇宙」春秋社刊
  マイケルタルボット著川瀬勝訳より)

要するに空間にある潜在的(観測不能
というだけ)なフリーエネルギーは
スカラー波(エーテル・プラズマ・気
・プラーナ)とも
呼ばれ、これは二コラ・テスラが、提唱し
実際にそれを利用するテスラ・コイル
という空間から無尽蔵にエネルギーを
取り込む装置の発明につなげました。

要するに、公式の科学の誤誘導に毒され
ない、本物の科学の世界では、空間に
こそエネルギーの主体があり、目に
見えない、または感知・観測されない
領域を知る事によって、超常現象や
超常能力の仕組みがわかってくる
という事を、私はブログで取り上げて
いるというわけなのです。

さてその一環として、催眠術をテーマ
にしているわけですが、催眠術というと
催眠術師に催眠をかけられた人が、
催眠術師の暗示通りに、思うままに
操られているというようなイメージ
で、それだったら「やらせ」でも
できるし、あなたは鳥になると
いわれて、手をバタバタと羽ばたく
ような動作を見せつけられて、
これは本物だと思い込む人の方が
少ないのではないかと思います。

現在でもやらせだと思えるような
演出のテレビ番組はあるようで、
こちらの記事で取り上げられて
います。


テレビなどで実演している、いかにも
胡散臭い催眠術ショー。

催眠術自体はきちんとした心理療法
なのですが、

テレビでは大袈裟にやり過ぎて
ヤラセ感しかないという方も
多いですよね。

「水曜日のダウンタウン」という
番組では亀になるという暗示を
かけられて走れなくなる、

クイズでどんな問題にも「トマト」
としか答えられなくなる、などウケを
狙った催眠術の演出が多かったり。

面白さはありますが、さすがに
嘘でしょうという意見もちらほら
あります。

「病は気から」という言葉がある
くらいですから、

無意識である潜在意識に働きかけることで
病気が良くなるということは実際にあります。

イギリスにおいても超能力をつかった
医療というものがあるそうです。

催眠術自体はれっきとした心理療法
であり、その効果も実証されています。


腕の良い催眠術の先生にはよく
テレビ番組のオファー(出演依頼)が
来るようです。

しかしテレビ番組の目的は視聴率を
稼ぐことであり、

番組には放送作家が書いたストーリー、
台本があります。

このため、放送作家の書いたシナリオ
どおりに話しているというのが
ほとんどです。

中にはアドリブもあるかも
しれませんが、昨今の厳しい
コンプライアンス(法令遵守)や

ポリティカル・コレクトネス
(政治的に正しい表現)を考えると

リスクマネジメントとして出演者の
発言や番組の進行は徹底管理されて
いる可能性が高いのです。

そのため、催眠術の先生もテレビ番組
では台本のあるインチキ催眠を
お願いされているかもしれないですね。

真っ当に催眠術を行なっている方は
プライドが傷つけられるので

テレビの出演依頼を全て断っている
という方もいます。

そういったことから、テレビで
見られる催眠術は視聴率稼ぎの
ための台本がある

ヤラセである可能性は高いです。


“出典:テレビで実演してる催眠術は全部嘘?
ヤラセ疑惑を徹底調査

記事では、本物の催眠術師もおられる
事を強調して全ての番組がやらせでは
ないだろうとしておられますが、
台本ありきの催眠術ショーの番組も
あるとなれば、催眠術について
胡散臭いと思う人々が多く出てくる
のは間違いないですね。
つまりそういう事があれば、人は、
催眠術のような、オカルト的な、
疑似科学と呼ばれるもの(公式の科学
こそ本物の科学だと思い込ませたいが
ための造語)は、結局偽物でしかないと
思い込むのが自然ですよね。
しかしこれこそがマスコミの
狙いだとしたら、どうでしょう?
実際、超国家権力者としいうものは、
大衆・庶民をそういう認識レベルに
閉じ込めておきたいものなのです。

しかし、本物の催眠術は、むしろ
本来の意味での科学的な説明が
可能なものなのです。

それは、催眠術をかけられる事によって
私たちの脳波は、睡眠の一歩手前の
状態(アルファー波・睡眠状態は
シータ波)
になり、左脳の活動が一部休止する事
によって、自分の五感の感覚が
働かなくなり、右脳や松果体の能力が
発揮されやすくなります。
左脳には、意志の力で五感の現実を
認識しコントロールする
という、重要な能力があるわけですが
催眠術をかけられた人は、その左脳が
一部休止している事で、自分の意志で
五感の左脳の現実を認識する事が
不可能になります。
ただし右脳などは働いているので
五感の制限を超えた認識が可能な状態
になっているという事です。
そういう状態の人に、コントロール機能の
左脳が働いている催眠術師が暗示を
かける事で
あたかもその暗示が、現実であるかの
ように催眠をかけたられた人は
体験できるという事なのです。
つまり右脳や松果体には、左脳の解読
する、五感の制限するような現実感覚は
なく、むしろ無限の潜在意識を解読する
能力が備わっているので、催眠術師の
暗示がなんであれ、現実であるように
解読・認識して、体験する事が可能と
なるわけです。

そしてまたここが大事なところですが、
右脳や松果体の捉える現実認識では
全てのものがつながっているという
ワンネスの状態に近くなっている
ので、実際に催眠術師とそれをかけられた
人がつながった状態で認識されて、しかも
その催眠術師の体験する現実をそのまま
催眠をかけられた人が、体験すると
いう事が可能なのです。

それは、前回の記事でも説明しましたが
その事をもう一度再掲しておきましょう。

「マリア・デ・ジェロルドは、催眠術をかけ
られた人間は術師の思考や感覚を共有できる
という、サー・ウィリアム・パレットや
ピエール・ジャネらの見解を裏付けた。
パレットはかつて、自分の手を炎の上に
かざすと催眠術にかけられた少女が顔を
しかめ、砂糖をなめると微笑することを発見
した。マリア・デ・ジェラルドは、次のよう
に断言している。「深いトランス状態に
はいっているあいだ、私の五感はすべて
閉ざされる。ただ閉ざされるだけでなく、
催眠術師のほうに転移される。私は彼の
耳が刺された痛みを感じ、彼の舌にのせら
れた塩や砂糖を味わい、彼の耳に近づけた
時計の音を聞くことができる。そして
彼の指にマッチが近づけられると、私も
火傷(やけど)をしそうに感じるのだ。」
 催眠状態で目を閉じている彼女には、
もちろん何も見ることができない。
しかし、バーゲンシュティッヒアが自分を
見るよう命じると、彼女はまず彼の立って
いるところに影のようなものを感知し、
それからごくふつうの映像を見た-しかも
それは、彼が彼女の背後に立っていようと
変わりがなかった。
    (中略)
奇妙なことに、マリアはバーゲンシュ
ティッヒアとの距離が遠いほど、強く彼を
感知した。
    (中略)
 さらに不思議なことに、彼女は、自分の体
と彼の体が発光性の「電気的」性質を帯びた
「紐」によってつながれていることに気づく
ようになった。シルヴァン・マルドゥーンも
投影されたアストラル体(引用注:霊体の
ようなもの)が同種の紐によって肉体と
つながれていたことを語っているし、
アストラル体投影を体験した者でこれに
言及している者も多い(全員ではない)。」
“出典:「サイキック」
       コリン・ウィルソン著
   荒俣宏監修・解説 梶元靖子訳
           三笠書房刊 ”

つまり深い催眠状態に入ったような
人物の認識では、確かに催眠術師
と自分がつながっている事を
視覚的に捉える事もできたという事です。

もちろんここまでの説明を読まれた方は
催眠術師とかけられた人
(被験者とこれからは表記します)
との間にあったと認識された
電気的性質を帯びた「紐」の正体が
ある種のエーテル・プラズマのような
ものだと理解していただけたと思います。

さてここでその深い催眠状態に入る事の
できた被験者のバーゲンシュティッヒア
のさらなる興味深い体験をご紹介して
それについて説明します。

“隕石の欠片を手渡されたとき、彼女は
文字通り隕石になった。
 
 私は空中高く漂っている。周囲には多くの
光があり、ふいに輝きをましたと思うとまた
消えてしまう。太陽がごく近く、おそろしい
大きさに見える・・・。地震がはじまった
みたいだ(この時点で彼女は小さく痙攣
しはじめた)。立っている場所からひき
はがされそうだ。渦をまいて、速度をまし
ながら、深淵へと落下していく。目を閉じて
いるあいだに、氷のように冷たい層と。暑い
層を交互に突き抜けていく。おそろしい。
助けて!・・・

彼女の手からいそいで、石がもぎとられた。
  (中略)
(ウォルター・フランクリン・プリンス
博士の実験でのこと)
プリンスは、ベラクルスの海岸で
「シービーン」(海の豆。通常、海岸に
打ち寄せられた熱帯植物の豆や種子。
軟体動物の石灰質のふたのこともある)
を拾った。家にも同じようなものが
あったので、彼はそれを海草の種だと
考えた。催眠状態にあるマリア・デ・
ジェラルドにそれをわたすと、彼女は
川辺の密林に生い茂る背の高い熱帯植物
について語った。プリンスは彼女が
間違ったのだと思い、
バーゲンシュティッヒアにそう報告した。
バーゲンシュティッヒアは、自分はマリア
の方を信じると言った。彼らはその種を
専門の植物学者ふたりに調べてもらった
。するとふたりともが、これは熱帯雨林に
成育する木の実で、海岸で見つかったのは、
川を流されてきたためだろうと語った
・・・。

  (中略)

この現象を解明するためのもっとも興味深い
手がかりは、物体を手にしたときの状態を
語った彼女自身の記述にある。
実験がはじまるとすぐに、彼女は
バーゲンシュティッヒア博士の体を知覚
する。
しかし物体に「精神集中」した瞬間、
バーゲンシュティッヒアとの共鳴は絶たれ、
物体との共鳴が生じる。物体が針でつつ
かれると、彼女は痛みを感じる。物体が
アルコールに浸されると、彼女の口の中
にもアルコールの味がひろがる。火を
つけたマッチを近づけると、彼女の指が
焼けるように熱くなる。”
“出典:「サイキック」
       コリン・ウィルソン著
   荒俣宏監修・解説 梶元靖子訳
           三笠書房刊 ”

これは、もちろんこれまでみてきたように、
催眠効果により、潜在意識領域にアクセス
できているマリアが、全てのものと一体に
なれる意識レベルに達している事を示して
いるわけです。
最初は催眠術をかけたバーゲンシュ
ティッヒア博士と一体感を味わった意識
だったのが、集中するポイントを物体に
移すと、やはりその物体と一体になれる
というわけです。
そもそも潜在意識領域というのは、全てが
一体となった領域なので、トランス状態に
入った彼女は、集中するどのポイントとも
一体感を味わえる状態になっている
ということですね。
これまでみてきたように、催眠状態では
脳波が低いレベルになっていて、当然
右脳も活性化している状態なので、全て
との一体感を実感できる状態になっている
という別の見方もできます。
つまり催眠状態も、右脳の働きも、脳波の
低いレベルも全て同様の状態を別の表現で
使っているだけで、結局同じものだという
ことですね。

そしてまた今回の事でわかる事が、ホログラム
的現実は、時空を越えた領域に永続的に存在
しており、物体レベルの「経験」も一体に
なる事で、自分の肉体の感覚として「翻訳」
して経験できるということなのです。
そしてそれを口の中や手など体の感じやすい
部分で実感したという事です。
決して、物体の舌部分に近づけたからとか
物体の口部分に近づけたからという意味
ではありません。
もちろん翻訳と言ったのは、物体に熱い
とか味を感じる神経はありませんので、
あくまでも物体と一体となったマリア
自身特有の感覚だという事です。

また全てのものに「意識」があるという
太古からの賢人たちの言葉を裏付けて
もいて、もちろん人間の意識とは違う
種類だけれども、一体になる事で、人間
の感覚として翻訳できるという事です。

さて被験者のバーゲンシュティッヒア
は、脳波の低い催眠状態で、制限された
左脳の五感の認識から解放され
モノと一体化する能力を発揮できた
わけですが、これはサイコメトリー
という超能力で、催眠状態に入らない
場合でもモノと一体化し、モノが
保存する記憶・または情報としての
記録を、あたかも現実的な現在での
体験として、読み取れるというもの
です。

そのような能力を持つ人物の事を
以前の記事で取り上げています。
観てみましょう。

『サイコメトリーという超常能力について
これはアメリカの心霊研究家、J・R
ブキャナンによって提唱された言葉で、
特定の人物の所有物に触れるだけで、
所有者に関する情報を読み取る超常能力
のことをいいます。また遺跡の発掘物など
からその時代の情報を読み取る能力のこと
なども同じくサイコメトリーと呼びます。
この超常能力を発揮するような人を
「サイコメトラー」、「サイコメトリスト」
と呼んだりもします。
そして、20世紀最高のサイコメトラーと
して知られる、ステファン・オソヴィエ
ツキーという人物について、またマイケル
・タルボット氏の著書から引用させて
いただきます。

“その男が目の前の空間をぼんやり見つめる
と、部屋はボーッとかすんで透明となり、
そこに遠い過去の一場面が現れてきた。
突然、彼は宮殿の中庭におり、目の前には
オリーブ色の肌をした若い美女がいた。
首のまわりや手首、足首を飾る黄金の
アクセサリー、白い半透明の服、編まれた
黒髪が四角い形の高い冠の下に気高く束ね
られているのが見える。そのうち、彼女に
ついての情報が頭の中にあふれてきた。
エジプト人であること、父親は王子では
あるがファラオ(王)ではないことが
わかった。また彼女は結婚もしていた。
夫は痩せており、細かく編んだ髪を顔の
両側にたらしている。
その男は場面を早送りすることもできた。
まるで映画のように、この女性の人生に
起きる出来事の数々を早いスピードで
見ることができたのである。
(筆者注:これは古代エジプト人の女性
の化石の一片を手に取った時、それだけ
で彼女の人生回顧をみることができた
ということです。)
彼女が出産の時になくなったことも
見えた。長い時間をかけ、込み入った
手順で取り行われる遺体のミイラ化の
作業、葬列、そして納棺の儀式を
じっくりとながめ、それが終わると
イメージは徐々に消えて、再び部屋が視界
に戻ってきた。
男の名は、ステファン・オソヴィエツキー。
ロシア生まれのポーランド人で、今世紀最大
の透視能力者のひとりであり、時は
一九三五年二月十四日のことであった。
この過去の場面は、彼が石質化した人間の
足の一片を手に取ったときに呼び起こされた
ものである。
発掘品の過去を見透すオソヴィエツキーの
すばらしい才能は、やがてワルシャワ大学
教授で、当時のポーランドでは最も有名
であったスタニスラフ・ポニアトフスキー
の知るところとなった。
ポニアトフスキーは、世界中の遺跡から
集めたさまざまな火打ち石や石器などを
使って、オソヴィエツキーをテストして
みた。「石製遺物(リシック)」とよば
れるこれらの発掘品のほとんどは、見かけ
からはその正体すらわからず、それが人
の手によって造られたものであること
など、予備知識のある者にしかわからない。
またこれらの品は、ポニアトフスキーの
ために、その年代や歴史的背景などが
専門家の手によって事前に調べられて確認
されており、この情報がオソヴィエツキー
の目に触れることがないようポニアトフ
スキーも細心の注意を払っていた。
だがそれも関係なかった。オソヴィエ
ツキーは、見る物を次から次へと正しく
言い当て、その年代、それを生み出した
文化、そしてそれが発見された場所を
正確に描写してみせたのである。
オソヴィエツキーが述べた場所がポニアト
フスキーのノートにある情報と食い違う
ことも何度かあったが、まちがっていた
のは、いつも彼のノートのほうで、
オソヴィエツキーの情報ではないこと
がのちに判明した。
 オソヴィエツキーのやり方はいつも
同じだった。彼はその物を手にとると、
意識を集中し、自分のいる部屋はおろか
自分の身体さえもその影が薄れて、ほとんど
その存在が感じられなくなるまでこれを
続ける。こうした意識の移行が起きると、
彼の目には過去の一場面の三次元映像が
見えはじめるのだ。そうなれば場面の中で
好きなところにいくこともできたし、
見たいものを見ることもできた。過去を
透視している間、オソヴィエツキーは
まるで自分が描写しているものが目の前で
物理的に存在しているかのように目を
あちこち動かすことさえあった。
付近に生えている植物から、人々の姿、
そし住んでいる住居までも彼には見る
ことができた。”
“出典:「投影された宇宙」
(ホログラフィックユニバースへの招待)
マイケル・タルボット著 川瀬勝訳
 春秋社刊”

つまりこのようなモノの体験してきた
記憶または記録を現在の現実の体験
として読み取れるというものが
サイコメトリーの能力なのですが、
催眠状態に入った
バーゲンシュティッヒアもこれと
同レベルの能力を発揮できた
という事なのです。
ただ映画の中にいるように体験した
サイコメトラーのオソヴィエツキー
と違って、催眠術をかけられた
バーゲンシュティッヒアは、モノと
一体になって体感したという点が
違っているというわけです。
ただ根底にあるのは、モノに保存
された体験の記憶・記録を、通常の
人間の制限された能力から解放
される事で、読み取れるという真実
なのです。

そしてまたモノだけではなく、人体
についても同様の事が言えます。
まあ人体もモノといえばモノですが
生命が宿っているという点での
違いがあるわけです。

そして人体に記憶・保存された
情報は、肉体から解放された
死後または臨死体験の状態で
読み取れるのです、これは
人生回顧と呼ばれるもので
こちらの記事で取り上げています。

記事より

ご紹介するのは、人生回顧を共にする
というものです。臨死体験では、多くの人
が、この人生回顧をしています。つまり
臨死状態にある時、これまでの人生を
もう1度追体験しているかのような映像を
みせられるというものです。
その時に出会った、高次の存在にそれを
見せられるという場合、この人生で良かった
かどうか聞かれることもあります。
その場合に、まだ子供がいるとか、やり残
した事があるなどと伝えれば(テレパシー
のようなものでという事です)もう1度
生き返らせてくれるというようなケースも
少なからずあります。
また映像は立体映画のようで、360度の
視点があり、時間を早送りしたり戻したり
を自由にできるとか、気になるところを
もう一度みられるなどということもできる
みたいです。
そしてまた、その当時にわかるはずも
なかった、相手の気持ちがわかったりとか、
自分の気持ちがどうだったかまで、理解
できるようになることもあるようです。
それはつまり我々の脳にではなく、我々
のオーラ場と呼べるようなところに、
ホログラム映像が消えずに残って
いて、それを生きている間は、不便な脳の
フィルターを通してみるため、とても不鮮明
であったり、取り出しにくくなっていたり
するのですが、肉体を離れれば直接オーラに
刻まれた時の映像が完全な形で残っていて
それを脳ではなく、次元の高くなった意識で
自由に見られるようになったという
ことなのです。
つまり保存されていた、オーラ場の映像には
相手の気持ちなども含まれているのですが、
それは我々が普段頭を通して、逆にわから
なくなっていたという事も意味します。
オーラ場は潜在意識の場でもありますが、
潜在意識では、我々は人の気持ちだけでなく、
あらゆる事を当時から感知することができ
ていて、それをオーラ場に保存していた
という事になります。
臨死共有体験は、臨終の人の意識に共鳴する
ことによって、やはり五感を越えた意識に
なることができるため、そのオーラ場に
刻み込まれた、亡くなろうとしている人の
人生全体のホログラム映像を五感や頭を
通してではなく、読み取れるようになった
ということなのです。

さてその臨死共有体験の実例を、また
レイモンド・ムーディ氏の著書から引用
させていただきます。

“また臨死共有体験には、死んだ人と
「人生回顧を共にする」「人生回顧を
共有する」という、目を見張る体験が
含まれることが多い。地上で歩んできた
全人生を、パノラマを見るように、共に
概観したり、とくに重要な場面を回顧
させられたりする。
近年の臨死体験研究協会の調査に
よれば、通常の臨死体験者たちの約23%
が人生回顧の場面を経験したとしている。
以下はみな、そうした人生回顧の典型的な
例である。

「私が病室で体外離脱すると、やがて私の
目の前に、自分の人生の回顧が始まりま
した。私は教育にたずさわり、多くの人を
教えるようになると告げられました。
そして今まさに私はその仕事をしてい
ます。」(スティーブ、62歳、
心筋梗塞患者)

「私はそのとき、自分の人生の良かった
点だけでなく、失敗や間違っていた点なども
見せられました。」(ジェンナ、56歳、
自動車事故)

「私は自分の人生のすべての重要な場面を
見せられました。私の誕生から、初めての
キスまで。両親との確執の場面もです。私は
自分がどんなに利己的だったのかがわかりま
した。
そしてどのようにすれば本当の自分を取り
戻し、変えられるかも知りました。」
(ドナ、19歳、自殺未遂)

これらは、通常の臨死体験中の人生回顧
だが、そうしたものと、臨死体験中の人生
回顧は異なる面を持っている。というのは、
、死にゆく人に付き添うなどしている
ときに人生回顧をした人々自身は、臨死
状態にないということである。
にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の
場面を共有する。
そうした臨死共有体験中の人生回顧を
言葉で言い表すならこんな感じになる。
「私は、亡くなったばかりの夫とともに、
大きなスクリーンのようなものの前に
立っていました。すると夫の過去の人生
がそこに映し出されたのです。幾つかの
場面は、私がそれまで全く知らないもの
でした。」
たとえば、かつてサン・ディエゴの
ある女性が、10代の息子の病床で
起こったことを私に話してくれたことが
ある。
息子は、糖尿病の合併症のために死に
かかっていた。息子が死んだとき、彼女
は、その病床の周囲に展開された息子の
人生の各場面を見た。
彼女によれば、映画のように展開さ
れるその各場面のただ中には、自分も
立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。
(中略)
「私の15歳になる息子が亡くなったとき、
私は病室で息子と共にいました。息子は
小さいときから糖尿病をわずらい、その
重荷を背負ってきました。その世話も
あって、私はいつも息子とともに生きて
きました。
息子が息を引き取ったとき、私はその手
をにぎっていました。そのとき命が息子
から出るのが感じられました。電気の
流れのようにと言ったらいいでしょうか、
あるいは脈打つ感じで出た、といった方
がいいかもしれません。
部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて
見えました。また一転してその病室に
強い光が満ちました。その光は、自分で
見たことのない人には到底想像もつかない
ような明るい光でした。
病床の周辺に、息子がその短い人生で
なした様々な事柄が、映像のようになって
現れました。息子はそれらの映像を見て
いました。喜びの表情を浮かべながら。
(中略)
光の中で、息子と私は人生回顧の映像に
接しました。細かな事柄に至るまでです。
わたしが長く忘れていたような場面や、
私が全く知らなかった場面も多くありま
した。
たとえば、息子が自分の部屋でひとり
『アパッチ砦ゲーム』を使って遊んで
いた姿や、息子が友人たちと電話で話し
ていたときのことなどです。
(中略)
その人生回顧は、閃光のように、ある
いは放電のような感じで次々に展開して
いきました。
それは言葉ではうまく表現できない、
言語に絶するものでした。
そのとき私は40歳でした。今は62
歳です。しかしあの体験以来、あたかも
すでに100年は生きたような感覚です。
それを悲しく思っているのではなく、知恵
の面で100年分は成長した感じなの
です。
(中略)
私が死ぬとき、また息子に再会するとき
には、きっともっと多くのことを知るように
なると思います。
それまでは、たとえわからないことが
あってもこの地上にいて、他者を愛し
仕えつつ、人生を歩むのが私の勤めで
あると思っています。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
ヒカルランド刊”

これがホログラム映像として、オーラ場に
刻み込まれた、人生回顧の共有体験です。
彼女は息子の意識に同調することによって、
その息子の一生分のホログラム映像を見る
ことができるようになったのです。
彼女がいうようにこういう事を知ることが
人生にとってとても重要で、100年も
200年も生きたような充実感も味わう
ことができるのです。
臨死体験者が、あの世に持って行けるもの
は愛と知識だけだと証言していますが、
その知識とは、このようなレベルの知識
のことです。

このように、臨死体験者だけでなく
臨死状態の人のそばにいた人も
その感覚を共有して、人生回顧を
体験する事ができたという
エピソードがあるわけですが、
これもやはり臨死状態にある人が
肉体の特に左脳の解読する現実の
制限から解放される事によって、
人体に記憶・記録された膨大な
そして鮮明な人生を生きている時
以上の詳細さで体験できたという
事なのです。

これも私たちの日常の現実体験を
認識する役割の左脳の制限から
解放されて、発揮される能力だと
いう事で、サイコメトリーのモノ
の記憶・記録の追体験に通じる
ものがあるという事なのです。

不世出の天才科学者でありながら
霊体験をなんと27年間も続けた
スゥェーデンボルグも同様の事を
語っています。

彼の驚くべき経歴とその能力に
ついてはこちらの記事で取り上げて
います。
長いので彼の経歴と人生回顧に関する
ところだけ抜粋しますね。

記事より

「一六八八年に生まれたスウェーデンボルグ
は、その時代のレオナルド・ダ・ヴィンチ
であった。

若い頃は科学を学ぶ。スウェーデンでも
指折りの数学者であり八カ国語を話し、
彫刻師、政治家、天文学者、そして事業家
でもあり、趣味で時計や顕微鏡を制作する
ほか、冶金学、色彩理論、商業、経済学、
物理学、化学、鉱業、解剖学などに関する
幅広い著作があり、そればかりか飛行機や
潜水艦の原型とも言えるものを発明すること
までしている。
こうした活動をしながらも、彼は毎日瞑想し
、中年となる頃には深いトランス状態に入る
術を習得した。瞑想状態の中で身体を離れた
彼は、天国と思われるような場所を訪れ、
「天使」や「精霊」と会話を交わしたのだ。
スウェーデンボルグがこのような旅の最中に
何か深遠なものを体験していたことに疑いの
余地はない。

~だが、スウェーデンボルグによる死後の
領域についての報告で最も驚くべきなのは、
それが現代の臨死体験者による描写と
いかに合致しているかということである。
たとえば、スウェーデンボルグもまた、暗い
トンネルを抜けていくこと、精霊に迎えら
れること、地球上のどこよりも美しく、
しかも時間と空間がもはや存在しない風景
のこと、愛を放つまばゆい光、そしてすべて
を包み込む平和と静穏に抱かれることなどに
ついて語っているのだ。また彼は新たに
亡くなった人が天国に到着するところを直接
見ることを許されたとも語り、彼が
「人生の書の開巻」と呼ぶ人生回想の
プロセスを彼らが受けるところも見させて
もらったという。このプロセスで、人は自分
の人生で「してきたこと、そしてどんな
人間だったかということすべて」を目の
当たりにするとも彼は語っているが、独自
の解釈も加えている。
スウェーデンボルグによると、人生の書の
開巻の際に出てくる情報は、その人の霊体
の神経系統に記録されている。したがって、
人生回想を喚起するためには、一人の
「天使」がその人の身体全体を調べる必要
があり、これを「手の指から始め、全身に
進めていく」のだという。

“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
       川瀬勝訳 春秋社刊”

つまり不世出の天才であり、霊能者
でもあったスウェーデンボルグも
やはり左脳の五感の制限を超えた
潜在能力を発揮する事ができて、
人体に保存された記憶・記録を
読み取る仕組みを知らされたという
事です。

さて今回のテーマは、催眠術を
かけられる事によって、左脳の
制限された日常的認識から解放
された事によって、モノと一体化
する能力が発揮されるという
事でしたが、それに通じる事が
サイコメトラーの能力や、
臨死体験者の人生回顧、そして
スウェーデンボルグの霊体験でも
示されていたという事につながる
という事なのです。

人体やモノに時空を超えて、莫大な
情報が記憶・記録されているのは
それが、継続的な循環する波動の
状態を維持しているからで、それが
宇宙のあらゆるモノや領域に普遍
して存在する「二重螺旋を軸とした
トーラス循環」にホログラムとして
記録されているというわけなのです。

ホログラムについての説明は
この記事になります。

記事より

ホログラムとは、光の干渉により浮かび
上がった立体的または現実的なものに
見える画像や映像の事です。

ホログラムは、最近3Dゲーム機などが
出て来て、馴染みのある人も多くなって
きたと思います。

しかし3Dの画像して送られて
くるものはやはり電磁気情報でしか
ないので、たとえば脳が視神経を通して
同じ電磁気情報を送られれば、やはり
同じ画像を私たちが観る事もできる
という事です。

つまり、3Dゲーム機の電磁気情報の変換
システムと、脳の電磁気情報の解読
システムは、基本的に同じ仕組みだと
言う事なのです。

とにかく光の波動の干渉で、物が立体に
見えるというのは、実は我々の視覚つまり目
も同じように、光の干渉を立体画像のように
解読するようなシステムになっていて、
それを脳が立体画像として認識するように
なっているだけなのです。つまり我々の
見ている物質世界、現実世界は、
「光の波動の干渉」でしかないということ
です。

“人間の脳がこれだけ小さなスペースに
どうやってあれだけ膨大な記憶を蓄積でき
るのかも、ホログラフィによって説明で
きる。ハンガリー生まれの優れた物理学者、
数学者であるジョン・フォン・ノイマンの
計算によると、平均的な人間が一生の間に
蓄積する情報量は、
2.8×10の20乗
(280,000,000,000,000,000,000)ビット
程度に達するとのことである。これは想像
を絶する情報量であり、脳の科学者たちは
この能力を説明できるメカニズムを求めて
長い間四苦八苦してきた。
 興味深いことに、ホログラムもまた、
なみはずれた情報蓄積能力を持つ。
二本のレーザー光線がフィルムに当たる
角度を変えることによって、同じ表面に
多くの違う画像を記録することが可能なの
である。
こうして記録された画像を取り出すには、
単に最初の二本の光線と同じ角度でレーザー
光線をフィルムにあてれば、よいだけで
ある。
この方法を使えば、1立方センチ(約6
平方センチ)のフィルムに、なんと聖書
50冊分に相当する情報を記録することが
可能だとの計算結果が出されているのだ。”
“出典:「投影された宇宙」
(ホログラフィックユニバースへの招待)
マイケル・タルボット著 川瀬勝訳
 春秋社刊”
これで、記憶が写真のように鮮明画像で思い
出せるのがよくわかっていただけますよね。
しかも動画で思い出せるわけで、我々の
記憶は研究データよりさらに多くの量を蓄積
できます。上の説明では二本のレーザー光線
だけでしたが、事実上その光の波動は無数に
あり、また可視光線の範囲にも制限されない
わけですから、さらに情報量は莫大になり
ます。
これが、記憶のからくりだと、我々は脳全体
の波動の干渉によって情報を蓄積すること
がわかります。実際、我々は脳の海馬という
部分に記憶が蓄積されているなどと、教えら
れますが、近年の研究でそのような記憶が
特定の場所にあるのではないと、とっくに
結論が出ています。
代わりに、脳全体の波動の干渉で、記憶も
蓄積されていることも、証明されました。
脳の活動についても同じように、波動の干渉
によって処理されています。
つまり年齢が高くなって記憶力が悪くなる
というのは、これまで常識として教え込まれ
てきた、「脳細胞が少なくなり、記憶容量が
減った」などという説明は、全くの間違い
で、私たちの意識自体が、その脳全体の波動
の場との接続がうまくいきにくくなって
いるからという事なのです。

ここで、不思議に思われる方もいる
でしょうか、私たちは、脳に意識があるの
ではなくて、脳で生み出されるわけでも
ありません。
脳は私たちの意識が、生命を持った身体で
現実を認識するための媒体でしかない
という事です。

意識と現実認識の事にまで話が
及んでますが、今回のテーマで
いうと、ホログラムの記録容量が
想像を絶するもので、人体や脳に
それが保存されている事を臨死体験
や臨死共有体験で、追体験
できるという事なのです。

話はつきませんが、本物の催眠術
というのは、脳波を低い状態
アルファ波に誘導する事によって
制限された左脳の認識・感覚から
解放させ、本来の無制限の現実認識
や体験を可能にするものだという
事です。
そしてその仕組みは、サイコメトリー
や人生回顧にも通じるという事で
それは現実がホログラム(この
ホログラムには映像だけでなく音声や
体感・また思考や感情の情報も含まれる)
としてモノや人体に時空を超えて保存
されているという事を証明するもの
でもあるという事です。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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