これまで、五感で捉えられない現実
という視点から、真実を探求する
というテーマで、いろいろ記事を
書いてきました。
そして死後の世界を理解するのに
臨死体験や前世記憶、そして
過去生体験の数々のエピソード
からも、いろんなヒントを得てきて
まとめの記事も書いてます。
そして今回チベット死者の書の原典訳本👇
「原典訳 チベット死者の書」
川崎信定 訳
ちくま学芸文庫
を読んで、これまで研究で得た知識が
間違っていなかった事を、確認できた
ので、それを一つ一つ記事にして
いこうと思ったわけです。
さてあの超心理学のユングが、座右の
書としていたというこの本について
紹介しているサイトから引用させて
いただきますね。
『』内が引用で、~が中略です。
私達は何処から来て何処に向かうの
でしょうか、死後の世界は
どうなっているのでしょうか、
その答えを出してくれる経典が
「チベット死者の書」なのです。
仏教の教えに精通して瞑想修行に
秀でている者であっても、
死の瞬間から始まる想像を絶する
体験が始まったら、あまりの
壮大な世界に恐れおののき、
日頃の修行成果も忘れて、
本来なら解脱に至れるチャンスも
逃し、人間界に転生する方法も忘れ、
三悪趣と言われる低い世界に堕ちて
しまうことがあるのです。
死者の書の由来
チベット密教の祖師である
パドマサンバヴァ(8世紀)が
霊的な啓示を受けて書き出した
「チベット死者の書」は正しくは
「深遠なるみ教え、寂静尊と
憤怒尊を瞑想することによる
おのずからの解脱」と言い、
弟子のイェシェツォギェルに
よってガムボタル山に
埋蔵したとされる「埋蔵経」
です。
埋蔵経とは末法の世になって
仏法が滅びても、仏法が必要な
時代になれば発掘されて
世に広まるという経典の
ことです。
現在でも枕経として詠まれる
チベットで死者が出ると今でも
死者の枕元で四十九日の間師僧
であるラマによって毎日詠まれる
チベット死者の書は、実用的な
経典として使われており、
死者を解脱に導く方法、或いは
解脱できなくても良い生まれ
変わりに導くための方法を
説いています。
死者は家族の居る場から離された
別室に安置され、ラマ僧に枕経の
儀式の全てを任せます。
死者は死後に五感である
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を
徐々に失くしてしまいますが、
その中でも耳から聞く聴覚は
死後も機能し続けるとされるので、
死後に枕経を続けるのです。
亡き人は死後も人の声を聞いて
いるということですが、
自分からは声を出せないのです。
家族の泣き叫ぶ姿や声は亡き人の
解脱を妨げますので、静かな部屋で
ラマ僧による儀式は厳粛に
行われます。
』
“出典:
「チベット死者の書-死後の
世界の詳細と解脱、転生法」”
チベット死者の書は、死者の霊魂
レベルの意識を解脱させるため
あるいはそれがかなわくても
良い生まれ変わりに導くための
答えとなる書という事です。
この記事では、この後も死者の書の
概要について説明が続きますが、
それは次回にご紹介します。
今回は死後、死者の五感は失われて
いくけれど、聴覚は働き続ける
という事について、注目して
いただきたいと思います。
死者は、聴覚が働き続けるために
ラマと呼ばれるチベットの僧侶が
死者の意識を解脱させるために
死者の書を49日の間、聴かせ
続けるという事です。
さて五感の中で、聴覚だけが
働き続けるという事は、肉体に
囚われるための五感のうち
霊的なレベルに最も近い感覚は
つまり聴覚だという事になり
ますね。
つまり五感の中で、聴覚が一番
レベルの高い感覚であるという
事になりますが、その事は
すでに以前に記事にしています。
なぜ聴覚が最もレベルが高いかと
言えば、感知する周波数が低い
領域だからなのです。
なんのことかわからない方も
多いと思うので、その記事を
再掲しますね。
わかりにくいところは修正・加筆して
おきます。
『
現在、スピリチュアルな世界では、ほとんど
全部といっていいくらい、高い波動が
高い意識につながるという事を、普遍的な
真実のように語られています。
しかし私は、長年の研究から、低い波動の
方が高い意識につながるという事を突き止め
て、その理由を記事にしてます。
アイク氏が、アヤフアスカを服用して、究極
の絶対意識領域に到達した時に、内なる声が
゛「振動するものは全て幻想」だと言うの
を聞いたと語っています。
つまり波動がゼロの状態こそが。最も高い
意識につながれるとしいう事になると
理解したわけです。
事実、脳波もゼロになり肉体も離脱した
意識状態である、臨死体験者の方の証言
の多くが、「覚醒した」とか「これまで
とは比べ物にならないくらい多くの事が
わかった」と証言しているのも、その波動
ゼロの状態が大きく関係していると思われ
ます。
(肉体を離れたという意味では、死者も
当然その状態になっていて、臨死体験者
の方々と同様、意識はほぼゼロの
波動の領域にある事になります。
ただし、臨死体験者の中には、地獄を
垣間見たとか、単に真っ暗な世界だった
という人達もいて、一様に覚醒体験を
しているわけではないという事も
わかっています。
そして臨死体験者の証言で、「あの世に
持っていけるものは心と知識だけ」と
いうものがありますが、結局
死者の書で解脱できずに、また
悪いカルマ(因縁または業)や
死んだ後の意識の生み出す怖れ
などによって、畜生界や地獄界に
生まれ変わる場合があるというのも
生前の心の状態や本来の意味での
知識次第だという事になるわけ
です。
そのような意識は、ゼロの波動と
ごくわずかな周波数の中間にある
というわけです。
これを「死者の書」では、生と生の間に
あるバルドゥ(中有界)に本人が
存在しているというわけです。
ただ中有界に意識がある間は、ほぼ
ゼロの波動に近いというだけで
肉体に意識がある状態より、はるかに
レベルが高い状態にはあるわけです。
ただし、生前悪い行いや悪い心で
満たされた意識にとっては、その
状態は、居心地が悪く、自ら意識
のレベルの低い状態の世界での
生まれ変わりになりやすいという
事になります。
居心地の悪い状態というのは
死者の書にありますが、中有界で
悪い因縁を持つ意識は、地獄から
の使者のような恐ろしい存在
次々に出遭う事になる事などを
言うわけです。)
~
つまり波動ゼロに近づく方が、意識が
高いという理解になり、より低い波動
が、高い意識となるという事を説明
しているわけです。
そしてまた今回の記事では五感の中では
最も低い波動を、幅広い範囲で捉える
聴覚が、五感の中では最も高いという
事を紹介しています。
超古代の真実編の記事でも
ご紹介していますが、古代日本語が世界の
共通言語だったという事がわかり、また
日本語が最も意識の高い日本人を
生み出すのに最適だという事をご紹介
しています。そしてまた、この意識の高い
日本語の周波数(波動)は、世界の言語の
中でやはり低いのです。
このことから波動の低い日本語が、世界で
最も意識の高い民族の一つである日本人の
ベースにあるのにも納得がいくというわけ
です。
この事は今回の記事の終盤に書かれて
います。
さてこのように高いレベルの聴覚ですが、
これもツイッターで重要な情報をどんどん
伝えてくれる鈴木たかさんの情報では、
現在11億人もの人たちが難聴になって
いる恐れがあるという統計結果をツイート
してくださってます。
これもまた「誘導」という面もある
でしょうが、人類を高い意識へ導くための
聴覚が現在危機的状況にある事は確かです。
できればヘッドホンでデジタルの音楽を
聴くよりは、生演奏か、レコードを
ステレオで聴くという方が、聴覚のため
には良いようですし、抑揚を大切にした
会話、そして自然の音に耳を傾けるなど
聴覚を大事にする習慣を身につけたいもの
ですよね。
~
さて低い波動の方が、意識のレベルが
高いというテーマに戻ります
脳波では、まさに低い波動、つまり低い
振動数の方が、意識レベルは高くなり
ます。
そしてまた視覚領域が恐ろしいほどに
高い波動のレベルなのに対して、聴覚の
領域は、視覚領域にくらべてかけ離れて
低いのですが、物に干渉して遮られる
のは、振動数の高い方なのだという事を
思い出していただきたいのです。
たとえば家の壁によって、家の中は見る
事ができませんが、家から流れる音楽は
壁をすり抜けて聞こえてきます。
つまり物質の干渉で遮られる事がない
のです。もちろん高い音の方が遮られる
ので、低い音がよく響いてきます。
これは振動数の低い音の方が、より壁
などの物体の干渉に遮られる事がないと
いう事を示しているのです。
つまり意識レベルが高いという事は、より
一体感が高まるという事ですが、物質に
より分離されているように捉えられるの
は視覚領域の方で、聴覚だと物質に遮られ
にくいため、より一体感を感じる事ができる
という事なのです。
まだピンとこない人のために放射線の例も
あげてみましょう。とてつもなく高い波動
(振動数)である放射線の中でもアルファ線
は、物に遮られやすく届く距離はとても短い
のですが、アルファ線よりずっと低い波動
(振動数)のガンマ線は、物に遮られ
にくく、かなり遠くの距離まで届く事に
なります。
つまり高い波動の方が、物質の干渉を受けて
狭い範囲にしか影響を及ぼさないという
事なのです。そして低い波動どころか、
波動(振動数)がゼロの真空が、宇宙の
ほとんどを占めていて、その領域は
宇宙全体にゆきわたっています。
つまり宇宙全体との一体感というのは、
波動が低い方がより、感じられるという
事なのです。
以上のような事ででも低い波動(振動数)の方
が意識レベルが高いという事がイメージ
できると思います。
さて視覚領域より極端に波動(振動数)の
低い聴覚領域についての元記事が以下になり
ます。
五感のレベル編その2
では、視覚というものがどれほど
いいかげんで、しかも世界のほとんどが
見えていない状態なのかを詳しく説明
しましたが、今回は聴覚について説明して
いきたいと思います。
何度も引用させていただいている下の
画像をご覧ください。
“出典:「Madstone Mystery Labs. Inc」
様”
このように視覚領域の範囲というのは、
とても高い振動数で単位が10の15乗
近辺にあるという事です。
その範囲を表すと400兆Hz~800
兆Hzなのでとても高い振動数だという
事がわかりますね。
(Tはテラという単位で兆という意味
です)
そして聴覚は10~20,000Hz
なので、これは視覚領域に比べて
はるかに低い振動数で、脳波の振動数
(眠らない状態で8~26Hz)
にとても近い領域である事がわかり
ます。
つまり思考や感情に近い振動数を感知
できるのが、この「聴覚」という事に
なります。
(しかも範囲は違っても視覚の範囲が
同じケタなのに対して、聴覚は4ケタ
にまたがっているので、視覚領域の
範囲がやたら狭い事もわかります)
なぜ振動数が高い視覚領域よりも、
振動数の低い聴覚領域や思考などの
方が、レベルが高いかというと、実は
宇宙全体の中で、振動する波動領域は
0.4%以下なのです。
あとは、ダークマターやダーク
エネルギーなど振動0の状態のものが
大半なので、宇宙全体の感覚に近いのが
当然振動0に近い、低い振動数の領域
というわけなのです。
宇宙は真空だとすでに最初の記事で説明
したように、根本的には振動=0が、
真実の世界で、意識はその領域にもちろん
あります。太古から賢人たちの教えに
あったように物質こそ幻想で、意識こそが
実体なのです。
ほとんど全てのスピリチュアリストや
意識の高さを説く人が、間違えているの
がこの部分です。
意識は振動しません。つまり高い波動
つまり(高い振動数)が高い意識レベル
というのは完全に真逆が正しいのです。
アイク氏も絶対意識領域で、内なる声に
よる「振動するものは幻覚」という
言葉を聞いたといいます。まさしく
高い波動ではなく、波動のない状態
が最高の意識であり、高いレベルの
意識は、より低い波動(低い振動数)
なのが正解だという事です。
だから低い脳波になればなるほど意識
レベルが高くなるわけです。
よく意識レベルの高い人のまわりに、
高い波動があると計測されるのは、意識
が高い状態であれば、振動0の真空から
無限のエネルギーを生み出せるので、
身体のまわりに、高い波動が創造される
わけです。しかし、意識は肉体にあるの
ではありません。
身体のまわりに高い波動を生み出す時の
意識は、身体より高次元のレベルにある
という事で、すでに物質の世界で感知
できない領域(これも単に狭い五感の
領域で感知できないというだけの事です)
にあるという事なのです。
このことは私の真理探究の成果の最も
核にあるもののうちの一つなので、
これから何度も、丁寧に説明させて
いただきたいと思います。
さてこれまでご説明してきたように高い
意識レベルは物質世界には囚われていま
せんし、全体が一つとして認識されます。
逆に視覚は、物質が存在し、それが世界
の構成物の主体のように錯覚し、全ての
見える対象を別々のものとして捉えます。
これを分離の感覚といいます。
つまり視覚は、高い意識レベルとは真逆
の意識に囚われてしまう感覚だという
事なのです。
そして今度は聴覚ですが、聴覚は視覚で
あれば壁に遮られるはずのもので
あっても、音は壁を通して伝わりますし、
外からは見えない家の中からでも人の
声やテレビの音、音楽などは、外でも
聞こえたりします。
つまり聴覚は物質の制約を受けにくい
ものであるといえるのです。
もちろん壁などの障害物のおかげで、
音量などは干渉を多少受けますが、
視覚のように物質に完全に遮断されたり
はしません。
波動が低くなればなるほど、物理的世界の
影響が少なくなるという事なのです。
だから意識や感情も物質である肉体から
離れた状態で、存在しているという事
なのです。
そして低い音の方が、遠くまで伝わります。
たとえば、家から音楽の音が聞こえてくる
とします。離れれば離れるほど、低い音
しか聞こえなくなるのがわかるはず
です。
たとえばカーステレオをガンガン鳴らし
ながら爆音を響かせて過ぎ去る、やんちゃ
そうな車から聞こえるのはメロディーでは
なく、低い音であるビートだけですよね。
いつもドンドンと音がなっているだけ
なので、ちっとも曲らしくなってません。
爆音も低い音のものほど遠くから聞こえて
きます。
つまり低い振動数である、低い音の方が
遠くまで伝わるという事なのです。
宇宙は一体で、振動0状態がほとんど
なのだから、低い振動の方が一体感を
味わえるし、さらに遠くまで伝わると
いう事なのです。
(ただし爆音やカーステから聞こえる
音は、ちっとも一体感を味わえ
ませんが、それは金属音や音楽の
音色に問題があるためです。)
このように聴覚や脳波の振動数に比べて
視覚の振動数を比べれば、その差が
歴然となって、真理への理解が深まる
という事なのですが、みなさんは、
振動数ではなくて、視覚領域は波長の
方で表示されるのを目にされて
いると思います。(波長は、振動数と
反比例する単位です)
もちろん視覚の振動数のケタがあまり
にも大きくなるので、波長の単位の方が、
わかりやすいからという考え方もあり
ますが、それでは振動数で表される
聴覚や脳波と比較検討できない事に
なってしまいます。
真理を深く追求するためには、それぞれ
を比較して理解を深めるのが当然なのに
大衆向けに提示される公式の科学や
教育は、そういう事には目を向け
させようとしていません。
こういう事も誘導の一つなのです。
しかし上の画像では、視覚領域と
聴覚領域の振動数を比較できるように
なっているので、ようやく理解できる
という事なのですが、なかなか見つける
事は容易ではありませんでした。
これで聴覚の捉える振動数の領域が
脳波に近い事で、高い意識レベルには
音楽がとても重要だという事もわかると
いうわけなのです。
実際、感動的な音楽はハートチャクラを
開き、高い意識次元を感知する能力が
高まります。
そしてまた言葉により、DNAが影響を
受けて書き換えられていくという事も
DNAの驚異の力編のまとめと再考
その1
で説明させていただきました。
つまりわれわれが高い意識レベルを発揮
させるためには、言葉による暗示も効果
的なのです。
私たち日本人の意識レベルというのは、
世界でもかなり高いという事で有名
ですが、その証拠の一つが以下にもあり
ます。
“出典:「eiken」様”
この図を見れば一目瞭然、日本語の方が
圧倒的に振動数が低いですよね。
つまり意識レベルが高いのは、日本語の
方だったという事なのです。
もちろん日本語での暗示の方が、高い
意識レベルに通じやすいという事なので
みなさん日本語を大事にしましょうね。
そういえば、いろんな国が「カン高い」
なー。やはり日本語よりもかなり振動数
高そうですね(^^)
もちろんそのおかげで、アピール力も
あるとは思うのですが、じゃあハートに
響く方は?となるとまた見方が変わる
とは思います。
またその高い意識レベルに通じやすい
聴覚に有効な音楽については、また別
の記事で詳しく書かせていただきます。
また五感については、視覚ももちろん
ですが、味覚や嗅覚や触覚も物質レベル
に囚われやすい感覚なのでやはり聴覚
よりもレベルが低くなります。
高い意識レベルになる臨死体験者は
視覚や聴覚は働いても、味覚や嗅覚
や触覚は全く働いていないという
報告が大半です。
』
さてとても長い記事を少し修正・加筆
などをさせていただいて、再掲させて
いただきましたが、聴覚が五感の中で
最もレベルが高いという事については
わかっていただけたと思います。
つまり肉体を離れて間もないつまり
最大49日の間は、死者の聴覚が
働き続けるので、チベットの僧侶
ラマが、死者を解脱に導くために
この死者の書を語って聴かせるという
わけです。
さてもちろん世界中の死者が、
チベット死者の書にあるような
中有界の体験をすると
解釈しなくても良いのです。
チベットの代々受け継がれた
信仰心は、大きな想念界を
築きあげていると想定できる
ので、死者の書が記された土地の
人々の死後の世界観が、やはり
死後の中有界にも反映される
からです。
解脱というのは、もはや肉体の
マトリックスに囚われる事なく
自在な意識を獲得し、時空を
超えた、本来のワンネスである
状態になるという事で、私が
ブログで再三最高の意識・境地と
位置づけてきた絶対意識
になるという事で間違いない
でしょう。
死者の書では、解脱をする事は、
仏になるという表現をしています
ので、仏とは仏教では、全知・万能
つまりワンネスの至福・大愛の存在
だという解釈なので、解脱とは
絶対意識となる事で、間違いないと
思います。
さてアニータさんが臨死体験中に
死者の書にあるようなパルドゥの
世界を、軽々と通過して、絶対意識
になる場合もあるという事です。
ただアニータさんが、戻れたのは
ほぼ仮死状態であった自分の身体に
生命の元型エネルギーがまだ
残っていたからだという事です。
この生命の元型エネルギーを
死者の書では、「生命の風(ルン)」
と呼びます。
このエネルギーは我々になじみの
あるエーテル体と同様だと考えて
良いと思います。
さて死者の書のような死後の
世界観を持った死者は、
死者の書にあるような想念界に
入るわけですが、その世界観を
持たない人々は、当然別の
想念界の領域に死後入るわけです。
真理を得るためには、あらゆる
死後の想念界に見られる
共通要素を解読していく事が
肝要だというわけなのです。
それを死者の書解読の記事
としてシリーズ化しようと
思っているのです。
さて今回は聴覚についてでした。
臨死体験を詳しく本にした
エベン・アレクサンダー氏は
地獄に近いような状態の
泥の中と思しき領域
から天界に、上昇する時に
聞いた事もない美しい旋律に
導かれたと語っています。
こちらですね。
「自分が何であれ、ここにいるわけには
いかない。ここを出ていかなくてはなら
ない。
出るといっても、どこへ?
その時だった、それを自問していると、
上方の暗がりから何かの姿が現れた。
冷たさのない、暗さとも死とも無縁の、
それらの正反対を表すもの。私が一生を
かけて説明しても、こちらへ近づいてきた
存在の美しさを表現することはかなわない
だろう。
だが、それを試みてみよう。~
~闇の中から何かの姿が現れた。ゆったりと
回転しながら、金色がかった絹糸のような
白い糸を燦々と放射している。
光に照らし出され、周りの闇が崩壊し
始めた。
初めて聞く旋律も聞こえてきた。それは
「生きた」音色だった。どんな音楽も
かなわないほど豊かで美しい、妙なる
調べ。純白にきらめく光が下へ降りて
くるにつれて、しらべはいっそう強くなり
、永劫にわたって聞き続けた気がするあの
単調で無機質な音がかき消されていった。
光はぐんぐんこちらへ迫ってくる。~
~やがて光の真ん中に、別の何かが出現
してきた。~
~そのことに気づいたとたんに私は上昇し
始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと
音を立てて開口部をくぐり抜けると、見た
こともない別世界が広がっていた」
~引用終了~
“「」内全て出典:「プルーフオブヘヴン」
エベン・アレグザンダー著
白川貴子訳
早川書房刊”
これは、泥のような世界から天界のような
高次元へ導かれる様子が描写されて
います。
やはりエベン氏も臨死体験でいったん
中有界のような領域に入り込んでいる
わけです。
この中有界で働く聴覚や視覚は、ラマが
死者に聴かせている時に働く聴覚とは
次元が異なります。
この中有界では、見えているものが
同時に聞こえているものでもある
ので、泥のような世界から抜け出す
のに、生きている光の旋律に
導かれたという事なのです。
とにかく豊かで美しい、聞いた事も
ないような生きた音色というのが
次元を上昇させるきっかけに
なっているわけで、いかに聴覚と
音楽が、大事な要素かわかって
いただけるかと思います。
また臨死体験や臨死共有体験
(死に行く人と看取る人達が
同時に意識の変容による異次元
の領域を体験する事)でも
共通要素として音楽を聴くという
ものがあります。
これも過去記事より引用しておきます。
「今回の臨死共有体験の共通要素は、
「音楽が聞こえる」というものです。
これは多くの臨死体験者にも共通する
事で、これも肉体から異次元に意識が
移行する時の特徴の一つだということ
です。
音楽というのは、五感で感じるものの
なかでは、最も高次元にあたるもので、
我々の多くは視覚に囚われがちですが、
それはむしろ、物質次元に囚われやすい
感覚なのです。
この点については、またじっくり説明
させていただきたいと思いますが、聴覚の
方が、高次元を察知しやすい感覚なのです。
ピタゴラスの紹介のところでも説明
させていただきましたが、彼は断食と呼吸法
の40日間の実践を経て、高次元の意識に
達し、ついにエジプトの学校に入ることを
許されました。そののち高次元の意識を
得ていたピタゴラスが、音階を発見し、
宇宙からの音楽である、「天球の音楽」を
聴いたというのだから、いかに高い意識が
音楽と密接に関係しているかわかって
いただけるかと思います。
では臨死共有体験の音楽が聞こえると
いうエピソードを、またムーディ氏の
著書から引用させていただきます。
“臨死共有体験にはまた、音楽を聞いた
という証言がよく聞かれる。死につつある
者も、またそばで付き添う者も、同時に
その音色を聞くことがある。
多くの人が音楽を聞いたという場合もある。
死の際に音楽が聞こえたというこの現象
には、幾つかの型がある。一つの型は、
かつて私がメリーランド州でインタビュー
した、ある女性の証言に見られるような
ものである。彼女は夫の臨終の場で音楽を
聞いたという。以下は彼女の言葉である。
「夫は昏睡状態で、人工呼吸器に
つながれていました。しかし私は、臨終の
時がそんなにも早く来るとは思っていま
せんでした。夫とともに私は病室で夜を
あかしたのですが、翌朝、私が目覚めた
5時30分に、夫は息を引き取りました。
それは夫の両親が病院に到着した直後
でした。
夫が息を引き取る少し前、私は病室の
隅で、いすに腰かけていました。疲れ
果てていました。すると突然、ベッドの
周囲にたくさんの人がいることに気づいた
のです。まるで部屋が大きなステージで
あるかのようでした。人々がたくさん
集まっています。
夫はベッドにいましたが、突然病室の
天井のあたりから、きらきらした光が
降りてきました。その時です、音楽が
聞こえたのは。
私は『静かにして!』といって、耳を
澄ませました。音量が大きくなるにつれ、
その光も大きくなり、夫の上のあたりに
来ました。その音楽は私がそれまでに
聴いたことのない、非常に美しい、
巧みなものでした。
またきらきらした光と連動していて、
私は音楽をあたかも目でみているよう
でした。音色の一つ一つが見えるかの
ようで、教会のハンドベル演奏を聴いた
ときのような感情を持ちました。
この上なく美しく、すばらしい音色でした。
そんなとき、看護師が部屋に入って来て、
私の腕にふれて言ったのです。
『ご主人は亡くなられました』と。
夫はあのきらきらした光に触れられたとき、
息を引き取ったのです。」
(このエピソードは、エベン氏の
臨死体験中と酷似していますね。
ただしこの夫は、エベン氏のような泥
の世界を通過する事なく高次の領域に
行けたようです。
つまり光の旋律に導かれて・・・)
つぎに19世紀の研究家ガーニー・
マイヤーズ、およびポッドモアが書いている
実例をみてみよう。彼らは、リリーという
少女の家族にインタビューした。家族は
みな、リリーの死の数日前から、その死後
にわたり音楽を耳にしたという。
リリーの父は、部屋に満ちたその音楽は、
「イオルス琴(風で鳴る琴)のやわらかい、
また野性的な調べのようだった。」と
述べている。また母はこう述べた。
「年配の看護婦と私のおばが、様子を
見に部屋に入って来ました。夫も一緒で、
みなリリーと部屋にいたのです。
私は台所に行っていました。・・・・・
そのとき同じイオルス琴のようなあの音楽
が聞こえました。部屋にいた3人全員が
聞き、また私も台所で聞いたのです。」”
“出典:「臨死共有体験」
レイモンド・ムーディー/ポール・ペリー著
ヒカルランド刊”
このような音楽体験はこの本にもある
ように、臨死共有体験だけでなく、臨死
体験にも多くみられるものです。
また取り上げますが、エヴェン・アレク
サンダー氏は、著書の中で、臨死体験中
になんども音楽を聴き、またそれは目で
見えるものでもあったといいます。
ここでの見える音楽というのは、視覚が
優れているという意味ではなく、高次の
意識では目の視覚は働いていません、
もちろん肉体の機能が停止している
アレクサンダー氏についても同様です、
それではなぜ音楽が見えていると証言
しているのかというと、高次の意識の
世界では、五感は全て一体のものに
なっているということなのです。
ただ、五感の中でも物質的感覚のより
強い嗅覚や味覚はほとんど働きません。
とにかく、今回は音楽が異次元世界へ
の移行の時に経験する重要な特徴である
ことを紹介しました。」
音楽と聴覚が非常に大事だという事が
いくつものエピソードで裏付けられて
いますね。
かの偉大なギリシャの哲学者プラトンは
「音楽は、あらゆる芸術と呼ばれるもの
の中で、最もレベルの高いものだ」と
言い遺しています。
まず今回は、チベット死者の書から
読み取れる大事な要素の一つとして
五感の中では聴覚が最も重要である
という事でした。
まだまだ貴重な要素がありますので
一つ一つ記事にしていこうと思い
ます。