サビアンシンボル徹底比較 その8

今回比較検討するサビアンシンボルは
双子座9度
「矢で満たされた矢筒」
です。
このシンボルを私はすでに毎日の
サビアンシンボルで 解釈を紹介
してますので、その抜粋だけ
引用してみます。

これは、昨日の「産業労働者のストライキ」
から、意味がつながっていますね、自身の
自我を主張する意識が、今度は攻撃的な意識
としてあらわれるようになっているのです。
しかし、このシンボルの意味は、防衛という
意味です。まだ矢は放たれておらず、昨日の
自我を守るためには、攻撃も辞さないという
覚悟があるということですね。
しかし、やはり行き過ぎた意識につながる
危険があるので気をつけたいですよね。

また今日のシンボル「矢に満たされた矢筒」
は、男性のエネルギーの象徴でもあります。

この時のアスペクトによる解釈では、
この双子座の男性エネルギーに対して
対称の180度のシンボルが
射手座9度
「階段で子供たちを連れている母親」
なので、女性エネルギー、母性エネルギー
を象徴していて、双子座の男性エネルギー、
創造的なエネルギーと対称的になっている
ということです。
アスペクトによる解釈としては、この私の
解釈がすっきりしていると思います。
双子座9度の解釈を
ご覧ください。

要するにこのシンボルに対して、自己防衛、
男性エネルギー、創造エネルギーという
暗示を読み取ったのが、私の解釈だと
いうわけです。

これに対して松村潔氏の解釈は

“鋭い意志と集中力で限界を突破する
ことに能力を発揮する人です。
鋭角的知性の持ち主で、目的を確実に
落とすということに強烈な力を発揮
するのですが、ほどほどを知らない
ことから神経を痛めます。

  (中略)
9度では、独自の意志の力と、その実践力を
手に入れようと言う挑戦を始めていくの
です。そもそも双子座は集団的な価値に帰依
することを拒否して、最後の最後まで個人の
可能性を追い求めるサインです。
この度数は、集団からやってくるあらゆる
意味と、そこから生じる欲望を打ち破ろう
とします。”
“出典:決定版!!サビアン占星術
          松村潔 著
        Gakken刊”

なるほど、松村氏の奥深い解釈に感銘を受け
ますね。私が自我の防衛による攻撃性と
解釈したのに対して、こちらは、鋭い意志
と集中力を発揮する個人という解釈をされて
います。
しかしどちらも創造的エネルギーという意味
では共通していますし、
行き過ぎに注意というのも、私の解釈とほぼ
同じ意味になります。

そして直居あきら氏の解釈は以下に
なります。

“ジェムナイ九度
「矢でいっぱいの矢筒」
シンボル課題
【問題の解決や障害の克服・援助者の必要】

このディグリーの人はこの人生で、数々の
問題に直面するテーマを選んで生まれて
きている。中には自分の力だけで解決
できず、信頼できる人に頼ったり、専門家
のアドバイスも必要なケースもある。
良き相談相手を持つか持たないかは、
この人の人生の重要な鍵である。
   (中略)
しかし現実には、この人には導いたり
アドバイスしてくれる有力な人が必ず
現れてくるのである。
どんなピンチも必ず乗り切れると信じて
生きよう。ハードルはジャンプ!すれば
よいのだ。その次は自己実現が待つ。”
“出典:「定本サビアン占星学」
          直居あきら著
      魔女の家®BOOKS刊”

直居あきら氏の解釈は、このシンボルに
関しては、いつもの奥深く重厚な感じの
ともすれば難解な解釈ではなく、わりと
さらりとリズムよく簡潔にまとめていた
だいてます。
このシンボルはしかし、障害が待ち受けて
いる人生だという解釈で、時には自分
一人の力で解決できず、良き相談者の
力を必要とするとあります。
この点、私や松村氏のように自力で状況を
打開するような力強さに対して、
エネルギー不足なのか、障害が強すぎるの
か自力不足という暗示になっています。
ただ攻撃的なエネルギーの行き過ぎを、
戒める私や松村氏の解釈に対して、
直居氏の場合の方がバランスがとれて
いるものともいえます。

今回も三者三様の解釈で、サビアンシンボル
を深く解釈するのに役立てたかと思います。

最後に、エリス女史に立ち合ったマーク・
エドモンド・ジョーンズ氏の、解釈の
キーワードを紹介します。
「PREPARATION」で「準備」または「用意」
という意味になります。
この暗示は、私のまだ攻撃されていない段階
での個人の覚悟に通じるものがあると思い
ますが、
松村氏の「意志と集中力」を実行に移す前の
準備ともとれますし、
また直居氏の、「障害に対するための他人の
援助を求める相談」という意味での用意にも
つながります。
つまりこのキーワードは、今日のシンボル
の解釈の三者全てに対応しているので、
とても適切なものだといえます。

サビアンシンボル比較一覧

あんみんのサビアン占星術

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臨死体験者の言葉その16      アニータさんの証言その4

このアニータさんの証言シリーズでは、
臨死体験の中でもまれな「絶対意識
領域」という意識レベルの最高状態に
到達した体験を詳細に分析していって
ます。
前回までで、アニータさんは囚われた
肉体やストレスから解放され、
本当の自由を得て、自分がどこに
でも行けて、どんな苦しみや痛みも
感じない至福の状態にまでなりました。
そしてそれが、テイラー博士の経験
した右脳の世界とも共通している事も
説明しました。
そして今回は、さらに次元が上昇して
時空を越えていく様子を語ってくれて
います。
以下は、アニータさんの著書からの
引用と、それについての私の考察という形
で進めていきます。

    ~以下引用~

「私は、どんどん外へと広がっていき、
周囲の物理的環境から引き離されていくのを
感じました。そこには、もはや時間や空間の
拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より
大きな意識と一つになっていくようでした。
    (中略)
それは、身体的にどこか別の場所にいった
というよりも、むしろ目覚めたような感覚
でした。
おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかも
知れません。私の魂は、その真のすばらしさ
をやっと悟ったのです。
それは次第に、私の身体や物質世界を越えて
遠くへと広がっていき、この世の存在だけで
なく、時間や空間を越えた別の領域までも
広がり、同時にその一部になりました。愛、
喜び、恍惚感、畏敬の念が私に注がれ、私の
中を流れ、私を飲み込みました。
そしてこれまで存在していることさえ
知らなかった大きな愛に包まれました。
これほど大きな自由や生きているという
実感を味わったのは初めてでした。
   (中略)
このような強烈な感覚は、この世のものとは
違い、それを正確に言い表すための言葉は
見つかりません。これほど完全で、純粋な
無条件の愛は、私がこれまで全く知ら
なかったものでした。
   ~引用終了~

これが絶対意識状態という事なのです。
時空を越えて広がり、同時にその一部にも
なって、しかもそこにあふれるほどの
ポジティブな感情が流れ込んできたという
事です。愛、喜び、恍惚感、畏敬の念
これらが自分を飲み込んだということです。
それだけの豊かな感情は、やはり絶対意識と
つながっているという事はとても大事な
事だと思いますので、覚えておくといいで
しょう。そしてきわめつけは、純粋な無条件
の愛に包まれたという事です。つまり絶対愛
です。これが絶対意識領域の中心にあると
いう事なのです。
我々は愛という言葉をなかなか照れて日常
では使えません。俳優がやたら愛という
言葉をドラマや歌、映画で連発しますが、
その愛はこの絶対愛とは、全く次元を異に
するもののようです。
よくドラマや歌で、愛は終わったとか、
一時的な愛とか、愛が色あせたなどという
表現が使われますが、これは全然愛では
ありません。絶対愛は、終わりも色あせも
しませんし、一時的なものでももちろん
ありません。
また誰か特定の人にだけ与えて、他の人に
与えないようなものでもないのです。
全てそのまま無条件の永遠のものという
事のようです。
執着や激情に駆られて、相手の身体を
求めるのは、狂おしいほどの「愛」では
なく「劣情」「情欲」「肉欲」という
ものです。
正しい表現を使いましょうね(^_^)v
まあいうてもこの私も全部あるなー
てへへ(^^)っていうか私の事は、
この場合よろしいですよね(^^)💦
とにかくこのときのアニータさんは、
そんな人間的な感情とはかけ離れた
豊かな愛情やポジティブな感情に
包まれていたという事になります。
テイラー博士と違うのは、時空を越えて
全てと一体になったという点です。
まだ左脳の機能が少し残っていた
テイラー博士の場合はまだ、時間とか
個人とかいう意識は残っていたわけです。
ただそのおかげで、命が助かったとも
いえます。
アニータさんの場合は、選択次第で、自分
の身体に残らなくてもいいというところ
まで到達していたので、少し意識レベル
が違うのは当然ですね。
それに多くの場合、アニータさんのような
レベルまで達したら、戻ってくる事は
ないようです。

さてのちに比較させていただくことになる
臨死体験をされて著書にまとめたエヴェン
アレグザンダー氏が体験できていない事で、
(なぜ体験できていないかはのちの記事
で詳しく書かせていただきます。)
もうすでに亡くなった父や親友に会う
事ができたのです。
このすでに無くなった親や親戚、友人、
知人に会うというのは、他の臨死体験の
報告にも数多くあります。

   ~以下引用~

「父やソニ(親友)の存在が優しく
抱きしめるように私を包み込んだ時、
ワクワクした高揚感に満たされ、心から
楽になったのです。彼らは私が気づく
ずっと前からそばにいてくれ、病気の
最中も見守っていてくれたのだとわかり
ました。
 さらに他の存在にも気づきました。
それが誰なのかわかりませんでしたが、
彼らが私のことをとても愛し、守って
くれていることがわかりました。
彼らはいつもそこにいて、私が気づいて
いない時でさえ、大きな愛で包んで
くれていたのです。
 ソニの本質と再びつながったことは、
私にとって大きなやすらぎでした。
彼女が亡くなってずっと寂しかったから
です。
私と彼女の間には無条件の愛しかありま
せんでした。
その次の瞬間、私の本質が、ソニの本質と
一つになり、私は彼女になりました。
私は、彼女がここにも、そこにも、
あらゆる場所に存在するとわかったの
です。彼女は、愛する人全員のために、
いつも、すべての場所にいることができ
ました。」

   ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

ここでとても大事な事を説明させて
いただこうと思います。
我々は肉体を離れれば、その時のレベル
に応じた意識に存在する事になります。
もちろん究極の意識は絶対意識として、
誰の本質にもありますが、すべての人が
肉体を離れて、その本質に意識そのものを
移行できるというわけではないのです。
肉体を離れても、もちろん肉体にある間も
ですが、我々は無限のレベルに意識がある
存在なのです。肉体にある時も当然その
絶対意識は自分のものとして存在している
というわけなのです。そこに肉体のある
うちに、ほぼアクセスできないのは、
肉体にある間の意識の囚われ方が、肉体を
離れた時の意識の状態よりも、かけ離れて
強烈なので、絶対意識より下のレベルの
高次の意識にもなれない事がほとんどなの
です。
つまり
「意識は同時にすべてのレベルで存在し続け
ている」です。
肉体にくっついているのが自分だという意識
は、単に三次元的な五感による物質としての
意識というだけで、それが魂のようなもの
またはプラズマ体のようなものとして、死ぬ
と肉体を離れていきますが、それは単に自分
の一部だというだけの事です。
(テイラー博士の右脳のレベルでの解釈
では、自分がクジラのような大きさだった
と、証言しています。もちろん意識レベルが
高くなれば、もっと拡大した領域が自分だと
いうことに気づくことになります。)
肉体にある間も死んでからも、あらゆる次元
に自分の意識は、あるという事なのです。
先にこれまでの私の研究成果の一つの真理を
申し上げておきました。

つまりアニータさんが出会った
ソニの本質はもちろん時空に囚われない、
絶対愛の状態だったので、共鳴し一つに
なれたわけですが、実は無限種類ある意識
のレベルでは、いまだに生きている間の
後悔の念や嫌悪感にさいなまれている
ソニの意識もちゃんと存在しているわけ
です。要するに自分がどの意識レベルに
いけるかどうか、肉体になれば自由度が
増すというだけで、生きていた時の
レベルに応じた意識と共鳴し、あらゆる
意識レベルを体験することになるわけ
です。
もちろん低い次元の意識に囚われても、
高い意識が自分の中にあれば、いつでも
そこから脱することができるというわけ
です。のちにご紹介するアレグザンダー氏
の体験は、その事に関してとても参考に
なります。
そしてまたこのような時に、この仕組み
を知って、生前を過ごしていたかどうか
が大事だということになります。
もし知っていれば、自分の意識のレベル
を劣化させるだけの邪悪な想念や、
卑しい感情や企み、そして執着の感情や
嫌悪感や憎悪から自分の意識を遠ざけよ
うとするのは自然なのです。
限られた人生で、意識を劣化させて、
究極の永遠の至福の意識レベルから無限に
遠ざかる事を選択しようとはしなくなる
でしょうから。
そしてまた劣化させた意識のレベルに
ある魂(その時点で自分が同調している
意識)も、それこそとてつもない数存在
するというのがよくわかる臨死体験者の
言葉は、シリーズその11
の記事で取り上げていますので参考に
なると思います。
またのちにご紹介するエヴェン・
アレグザンダー氏の臨死体験にも、
劣化した意識レベルの世界が出てき
ます。
絶対意識レベルに到達できる人は、
これまでの臨死体験者の証言では希な
部類なので、これは生きている間に、
どのくらいの意識レベルにあったかと
という事が問題になるのです。
我々のほとんどが、「自分の本質」から
大きく引き離されて、また自分の本質も
完全に忘れて、さらにそれより低いレベル
の高次元の意識さえ見失っているのです。
意識レベルの低い人は、肉体レベルの自分
を頑なに「信じて」死ぬことになるので、
霊界をさまようか、地獄のような場所や
あまり状態のよくない次元にいく事に
なり、また肉体として再び囚われた意識
としてやり直すことになるのです。
多くの場合の人がこれにあてはまる事が
多いようです。
またある程度柔軟な意識と感性、そして
愛情や誠実さなどを持ち合わせていれば
まだ少し良い人生につながります。
もちろん肉体に囚われているという意識
では同じレベルなので、人生の過ごし方
で意識レベルは、どちらの場合も大きく
変動します。もちろん人生の運もという
事ですね。
もちろん自ら、高い意識レベルで肉体に
宿る人も割合はわかりませんがいるよう
です。
もちろん輪廻転生しないで、さらに高次
の意識の次元に移行する場合もまた数多く
ありますし、転生もできずに地獄の
ようなところ、居心地の悪い次元に
囚われた意識もまた数多いという事
ですね。
輪廻転生については、また別の記事で
書いていくことになります。
どのような意識の状態も無限に「ある」
のが真実なのだという事です。

とにかくアニータさんは、ほぼまっすぐ
絶対意識に向けて、意識を拡大していった
ので、そのへんのレベルは、文字通り
眼中になかったというか、目に入ら
なかったという事なのです。

次回は、絶対意識領域に達したアニータ
さんが、気づいたとんでもなく高いレベル
の真理について、ご紹介します(^_^)v

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