この記事は、
意識が肉体にあるという感覚は
左脳にあります では右脳はどう感じるか?
の続編です。
今回も右脳での働きがとても重要だと
いう記事になります。
右脳では、すべてがつながっている
ので、ワンネスである一体の世界を
良く理解できるという事。
また、自分というものが、肉体に
閉じこめられたものではない事などが
今回のエピソードでよくわかる
ようになってます。
しかも右脳の世界は至福の世界のようで
私たちがネガティブな思考や感情に
おちいるのが普通なのは、左脳での
働きによるものだという事です。
確かに右脳を使ってる画家や音楽家
の人たちはとても幸せそうですよね。
しかしながら左脳の機能がないと、この
人生において、日常生活を送る事が、
非常に困難だという事もこのエピソード
でよくわかります。前回にも左脳の機能
がなくなったおかげで、テイラー博士は
こう語ってましたね。
「脳出血の朝、 私は歩くことができず、
話すことができず、読むことができず、
書くことができず、また自分の人生の
出来事を思い出すことが できなく
なったのです。」
つまりは、右脳を活性化させると
同時に左脳とのバランスがとれる
ようにしないといけないという事
ですね。
では前回に続いてのエピソードですが
今回は、アイク氏の著書からの引用です。
『』内が引用で~が中略です。
『アメリカの脳科学者で「神経解剖学者」
のジル・ボルト・テイラーが1969年
に経験したことは、この本で述べてきた
ことの多くを裏書きしてくれている。
ある朝、目を覚ましたジルは、あまり
気分が良くなかったが、身体を動かせば
すっきりするたろうと思い、エクササイズ
マシーンに向かった。そしてふとマシーン
を握っている自分の手を見ると、まるで
「原子動物の鉤爪」のようになっていた。
身体全体もまったく違うものに見え
始めた。まるで自分の意識が「ノーマル」
な現実を離れて別の知覚世界へシフトした
ような感じだったという。実は、このとき
のジルは左脳で出血が起こっていて、現実
を解読して自分の世界へ送ることが
できなくなっていたのだ。
ジルは、経験する立場から観察する立場
に変わった、と語っている。
自分の肉体と部屋との境界線もはっきり
しなくなって「腕の原子や分子と混じり
合った。感知できたのはそのエネルギー
だけだった」という。やがて、そんな
「脳のおしゃべり」が治まると、今度は
沈黙が訪れた。「まるで誰かがリモコン
のボタンを押したみたいだった」
これは重要なポイントだ。たいていの
人は、この手の「おしゃべり」やゴシップ
が、マインドのなかを駆け巡っている。
だがそうした絶え間ないおしゃべりの
大部分は、マインド-ボディのバイオ
コンピューターが勝手に騒いでいる
だけだ。
(重要な引用注:
マインドは、邦訳では、「精神」と
されていて、横にルビとして「マインド」
とあるのですが、
精神というと、心と勘違いされる方
も多いので、これはそのままマインド
としておきました。つまりこの部分
は原著からの引用になります。
マインドというのは、肉体の知覚を
もとにした思考や感覚、感情を
示し、顕在意識・日常意識として
知られているものです。
またマインド-ボディのバイオ
コンピューターというのは、私がボディ
マインドと略して称しているものと
同じです。
事実アイク氏もボディマインド
Body-Mindと表記する事も
あります。
そもそも肉体は、意識の投影でしかない、
実体のないものなのであくまでも、
物質的な知覚としてマインドがあるだけ
という意味です。)
少しでいいから立ち止まって、
そんなおしゃべりから心を切り離し、
じっと観察してみよう。そのときの
観察者こそが、あなただ。そのほかの
ものは、脳のおしゃべりも含めて、
すべて経験に過ぎない。
〈無限〉はすべてを知っていて、動かず、
音もない〈すべての可能性〉だ。
ジル・ボルト・テイラーは、新しい沈黙
の世界がすばらしいところだということ
に気づいた。
| たちまち、私は自分を取り囲む
エネルギーの壮大さの虜になった。
肉体の境界線がわからなくなった
おかげで、自分がとてつもなく大きく、
拡張していく感じがした。すべての
エネルギーと溶け合った感覚がして、
とても美しかった。・・・・・
・・・想像して欲しい、自分を外部世界
ヘとつないでいる脳のおしゃべりから
完全に切り離されたらどんな気分に
なるか。今のこの空間はそんなところで、
自分や仕事に関するストレスはすべて
消えてしまった。肉体も軽くなった気が
する。外の世界でのさまざまな人間関係も、
それに関連した多くのストレス要因も、
なにもかも消えてしまった。私は平和に
満たされた。・・・
・・・自分の肉体か空間のどこにあるか
わからない。大きく拡張して、まるで
瓶から出ることのできた精霊みたいな
気分だった。私の魂は高く舞い上がった。
静かな陶酔の海を泳ぐ大きな鯨のように。
まるでヒンドゥー教や仏教でいう涅槃
(ニルヴァーナ)のようだった。
そうだ、私はニルヴァーナを見つけた
のだ。これほど巨大になった自分を、
ちっぽけな肉体にもう一度押し込む
ことなどできないと思っていたことを
覚えている。| 』
“出典:
「ハイジャックされた地球を99%の
人が知らない」
デーヴィッド・アイク著
内海 聡【推薦・解説】
本多繁邦 【訳】
ヒカルランド刊
原著:
「Remember Who You
Are」
David Icke著
DavidIcke Books刊 ”
この右脳での世界の後、左脳の現実に
引き戻されるや、またまたパニックに
陥る事になるのですが、それは次回と
いう事になります。
今回は、大事なところがいくつもあり
ましたね。要するに左脳の機能が停止
したら、脳内のおしゃべりやあらゆる
ストレスがすべて一気になくなった
静寂の世界になったというのです。
つまり左脳は、脳内のおしゃべりだけ
でなく、ストレスを引き起こす主体
でもあったという事なのです。
だから、左脳の機能が停止した時、一気に
ストレスもなくなったというわけです。
私が以前、肉体には、ネガティブな
思考や感情が刷り込まれていると
書きましたが、それは
私たちが悩むのは、プログラムのせい!
だったら解除しましょう!
という記事でも説明しておきました。
つまりそのプログラムは、左脳に
施されたものだったという事です。
つまり真実の月編や土星の真実編の
一連の記事で説明しましたように、
私たちのボディ、つまり最小単位の
DNAに遠隔から、電磁気情報を
送り込み、もともとあった生体
プログラムを改ざんしたという事
なのです。
そのためにもともとあった右脳と左脳
の全脳システムのバランスが失われて
左脳主体の知覚に、私たちの意識は、
囚われるようになったという事です。
そしてその時同時に、脳波が7.8Hz
以下で活発化する右脳の働きを、「意識」
させないために、7.8Hz以下の
脳波では、睡眠をさせて意識を眠らせて
しまうプログラムも施しているわけです。
この「意識」と括弧でくくったのは、
睡眠の時に夢などを見たりする右脳に
対して、左脳の機能が休止しているので
コントロールができず、自覚もないから
です。
しかし、覚醒夢のようにコントロール
できる状態になれたら、それは
プログラムの制限を突破できたという
事なのです。
(もちろん右脳での夢などのビジョンも
もちろん意識ですし、大事な潜在意識
の方です。)
このことは
まだあります邪魔なプログラム
意識まで眠る睡眠について
という記事で詳しく説明しています。
またネガティブな感情や意識は、脳波を
高く維持するのに役立つために、やはり
同時にプログラムされているという事
です。右脳は、7.8Hz以下のとても
低い脳波の時により活発化するので、
右脳を活性化させないように、
あらかじめプログラムされているという
事です。
そしてまた右脳のみの世界を体験した時
肉体と外界との境界線がなくなったとも
語っていますよね。つまり左脳が私たちを
肉体として捉えて、その中に閉じこめて
おく役割をしているという事です。
「大きく拡張して、まるで
瓶から出ることのできた精霊みたいな
気分だった。私の魂は高く舞い上がった。
静かな陶酔の海を泳ぐ大きな鯨のように。」
とありますが、鯨ほどの大きな自分を
意識できるようになったという事で、
私たちがふだん意識する「ちっぽけで
か弱い、哀れな存在」という自分像は、
まさに左脳の錯覚だったという事です。
しかも臨死体験者の中でも最高の境地に
達したアニータ・ムーアジャニさんは
宇宙そのものの大きさに自分がなる
まで解放されていたのです。
つまりこのときのテイラー博士は、まだ
完全には、肉体から解放されては、
いなかったという事です。ただ右脳の
感覚だけでも、やはりとても大きい
サイズの自分を意識できて、もう一度
ちっぽけな肉体の中にとても入らない
という感覚を覚えたという事です。
本来の意味でも、やはり私たちは、外界
と完全につながっていて、電磁気と
しての波動などの干渉があるだけです。
原子の内部には広大な空間が広がり、
私たちの知覚するような肉体と空間の
境界線などどこにもないというのが、
現実の世界なのです。
なのに、私たちの五感は、物質として、
すべてがバラバラに分離して存在
しているように知覚させます。
つまりは、これが、DNAに施された
プログラムだからという事なのです。
ただ本来ならすべてと一体でつながって
いるという右脳の感覚を、本来なら
左脳で認識できるはずなのですが、それも
左脳の能力を劣化するように改ざん
されているという事なのです。
それでも劣化した左脳であっても、
私たちが、日常の生活・社会生活を
普通に営むために必要だという事を
次回のエピソードでご紹介します。
ではまた(^^)