右脳でコミュニケーションする大切さ   右脳的思考のすすめその2


前回、人それぞれってよく言うけど(^_^;)
という記事で、「人それぞれ」という言葉
を例にとって、話し合って、理解を深め
あったり、共感し合う大切さ、そして
また、そのために思考能力を鍛える事
の重要性などを書きました。

人とわかり合うために話し合う習慣が
なくなって来ている上に、スマホの
普及などで、ますます会話が減って
います。
さらに本も読まれなくなり、漫画から
映像や動画に娯楽が、変わっていったので
余計に、言葉が使われなくなりました。

だから電車で友達同士でいるのを見か
ける事が多いですが、ほとんどの人が
スマホ画面を見て、いろいろと操作して
います。
つまり隣にいる友達とは、ほとんど喋らず
ネットの向こうにいる存在との会話を
楽しんでいるのです。

つまりここでもわかり合うために話し合い
をするような空気が感じられません
でした。

つまりネットを通じてとか、テレビなど
で語られる事は、よく聞くけど、隣の
人とは、生で会話をする事が、なくなり
つつあるのです。
(ネットといってもツィッターやLINE
などで対等な立場で会話する事は貴重です。
つまり、ここでいうのは、多くの人が
同時に受けとるような言葉や意見について
の事です。)

極端にいえば、テレビなどで影響力のある
人の意見には従うけど、まわりの身近な
人の意見は聞かないという感覚という
ものが、相当広まっているという事
です。

前回にもいいましたが、であれば
マスコミやネットの世界に対して
影響力を持つ者がいれば、その者の
言う事に従うようになるという事なの
です。実はこれこそ狙いだったりする
のですが、そうなると私たちのための
未来をつくるための話し合いが行われ
なくなり、未来がその誘導した者達の
ものになってしまうという事につながる
のです。

テレビ番組の事をプログラムとも言い
ますが、その暗示するものについて
とても的を得た表現だなと感心する
事がよくあります。

もし私たちが、意図的に誘導するための
プログラムをうのみにしていれば、まさに
そのプログラム通りの考え方や情報を
そのまま実行するだけのロボットになり、
まさに思い通りに動かされてしまう
事になります。
(実に、その事について深く研究して
きたものからいわせてもらえば、まさに
そのプログラムは、ずーっと順調に
進行中なのです。)

だから私たちは、話し合い、わかり合う
ための能力を取り戻さなければならない
という事がいいたかったのです。

ですが、人と直接話し合うためには、言葉
のやりとりだけでなく、相手の話し方
表情、態度、言葉の強弱、またその間の
取り方もよく読み取って、さらに相手の
気持ちや性質まで読み取らないと、うまく
会話できない事に気付くはずです。
そしてまた自分の言葉の選び方、もちろん
表情、言葉の抑揚、態度を、相手が理解
しやすいように、また相手がわかり合い
たいと思えるように、選択していか
なければなりません。
何より大切なのは、相手の事を尊重し、
また理解し合いたいという気持ちが根底
になければ、単に自分が主張したいという
気持ちだけで、空回りする恐れがあります。

実はこのような会話の柔軟性や洞察力、
多様性の選択などは、左脳の働きでは
全くできません。
左脳は、単にプログラムされた事を実行
するたけですから、与えられた考え方や
言葉をそのまま繰り返すだけです。
つまり会話がうまくいくためには右脳の
働きがないといけないのです。
それは右脳的感性、また右脳的思考という
ものの働きなのです。

古来の日本人はとてもその事が上手くて、
相手の意をくみながら上手に会話をする
事ができていましたが、現代になり、
話す機会が減ってきた日本人はとても
その会話が不得手になってしまったのです。

それは当然意図的な教育やマスコミの誘導に
よるところが大きいのですが、むしろ
私たちがわかり合いたいという気持ちが
薄れてきているのが、最も大きな原因だと
思うのです。

その事を理解していただくためにさらに
言葉の使い方についても、説明して
いきたいと思います。

前回は、「人それぞれ」という言葉の
使い方について、紹介しましたが、今度は
「みんなおんなじだよ」という言葉を
例にして、説明したいと思います。

たとえば、「私ったらみんなに比べて
何をするにも遅いのよ、あーあ
私ったらだめよねー」
と落ち込む友人に、
「そんなのみんな同じだよ、みんなそれぞれ
不得意な事はあるんだから、早くする人は、
よく間違いをしたりするから、君みたいに
なんでもじっくりするのが、いい場合も
あるんだよ」
などという言い方は、とても良い使い方です
よね。
つまり悩む相手に共感して、さらに相手の
個性に自信を持たせるように使っている
わけです。

ところが、次のような場合。

「ねーねー聞いて、私ったら、こないだ
ピアノ教室で、あのショパンの曲上手く
弾けたみたいで、先生から褒められ
ちゃったー」
などと、喜んで話すのを聞いて、
「そんなのみんな同じだよ、あの先生
どの生徒でも褒めるのが、方針なの。
つまりどれだけ下手くそに弾いたって
ほめられるわよ」

などといえば、相手はきっと怒り出すか
すねるか、とにかく喜びが半減して
しまうのは目に見えてます。
そんな事をいう相手に親近感を持つ
でしょうか?わかり合いたいと思う
でしょうか?
つまりこの場合は
「みんなおんなじ」という言葉ではなくて
相手の事を褒めてあげる方がいいに決まって
ますよね。
「そうなの、凄いじゃない、あなたは才能
あるわきっと」
などといえば、相手は親近感を持って、
わかり合いたいと思うでしょう。

このような言葉の、使い分けができる
のが右脳の働きなんですが、それは
相手との共感や調和、そして自分の考え方
と、また倫理観や話の内容など全て、同時
に感じ取って最適の言葉や表現を選ぶ
というような働きなのです。
こういう同時にいくつもの条件を考慮に
入れて、臨機応変にまた柔軟に言葉を選ぶ
のは左脳にはできない芸当なのです。

ここで左脳の機能と右脳の機能について、
説明してくれているのが脳科学者の
テイラー博士です。
テイラー博士は、右脳は並列
プロセッサー(同時並行で演算処理する
コンピューターの機能の一つ)のように
働き、左脳は直列(単一の事を連続して
演算処理する機能)プロセッサーのように
働くと説明してくれました。
つまり右脳の方は、全てを同時処理でき
る能力を持っていて、時間の感覚は、
ありません。つまり臨死体験者や超能力者
が体験するように、過去も現在も未来も
一体となった、時空を越えた次元で活動
するという事ですね。
そして左脳の方は、一つの演算を連続した
時間で処理するので、時間の概念の中に
あります。完全な因果関係が成立して
いるわけで、我々の通常の現実感覚と
同じく、過去から未来へと一定方向に
進む時間軸で左脳は活動しているという事
です。
テイラー博士によると左脳と右脳は別
人格のように働くとの事です。

つまり左脳は与えられたプログラムを忠実に
その進行通り処理しているだけなので、
別の要素が入ると途端に処理不能になります。
そのときの相手の気持ちや状況に応じて、
臨機応変にまた柔軟に言葉の表現を変えたり
できないのです。
つまりそのような働きが右脳の機能だという
事で、それは同時にいくつもの要素を組み
合わせて総合的に何が最適な表現かを
選び出す事ができるものだという事なの
です。最近ではこの右脳の機能が、
コンピューターに取り入れられて、並列
プロセッサーの働きもできるようになって
きています。
日本人なら、以前は多くの人がその右脳の
働きをとても有効に使用していましたが、
最近はその割合がぐっと減ってきているの
です。
そのため言葉の表現のバリエーションも
どんどん乏しくなってきているのです。

それは右脳の働きを鍛えられないように教育
されたりしているからでもあります。

このことについての以前の記事を再掲します。
一度ご覧になられた方がもう一度お読みに
なってもいいと思います。

ウィリアム・アンド・メアリー大学
(バージニア州ウィリアムズバーグ)の
キュン・ヒー・キム教育心理学准教授は、
トーランス・テスト・オブ・クリエイ
ティブ・シンキングと呼ばれる標準的な
創造的思考テストの結果から、驚くべき
結論を導きだしたのです。
なんと学校での教育を受けた期間が長い
子供ほど、「感情表現が乏しくなり、
元気がなくなり、語彙力も乏しくなり、
話をしたがらなくなり、ユーモアが
なくなり、想像力が貧困になり、
型にはまった思考や言動、行動になり、
情熱的でもなくなり、いきいきしなく
なり、洞察力がなくなり、目的に無関係
のものには関心がなくなり、同調性が
なくなり、また別の角度、あらゆる角度
から見ようとしなくなる」という事なの
です。
確かに私たちは、暗記中心の教育で、知識
だけ詰め込まれて、卒業しますが、会話力や
想像力、ユーモアや洞察力など、全く
教えられずにいたような気がします。
これだと我々が確かに社会に出て、命令
された事をなんの疑いもなく実行するだけ
のロボット人間になりやすくなるのもよく
わかります。またサイコパスなどという
言葉もありますが、情感や共感能力そして
想像力の欠落した人間も、まさに今の
教育の成果のたまものだといっていいの
だと思います。
そして、この結論からみても、私たちが、
左脳に偏った能力だけ、教育で育てられて
きたことがよくわかります。
だから、左脳に偏った世界で苦労する私たち
は、万能の右脳を活性化させるために、上の
キム教授の結論とは、真逆の習慣をみに
つけるようにすれば、いいというわけです。

つまり右脳を活性化させるためには、まず
「豊かな感情表現をするようにして、元気
を出して、たくさん会話をしたり、好きな本
を読んで語彙力を増やして、表現力を豊か
にして、ユーモアを覚え、想像力を鍛え、
型にはまらない思考や言動、行動をする
ように心がけ、情熱的になっていきいきと
するようになり、洞察力を鍛え、あらゆる
ものに関心を持って、同調力を身につけたり
協調性を高めたり、あらゆる角度から物事
を、できれば同時にみれるようにしたり
する事」
を習慣づけるようにすればよい
という事です。もちろん右脳のための
トレーニングや、芸術に親しんだりする
事も、右脳を活性化させるのに効果的
です。
また、とても大事な点があります、右脳
は、脳波の低い状態でよく働くという
研究結果があります。右脳は眠りません。
つまり睡眠は左脳が行うもので、睡眠中は
右脳が三割もより活性化する事が明らかに
なっています。
そして、また重要な事に脳波が低い状態
で右脳がより働くという事は、ポジティブ
な感情や豊かな感性が働く時は、脳波が
低く、右脳も活性化しているという事
です。またその状態で、予知能力なども
働き、催眠術などによる超常能力も働く
というわけです。
逆に脳波が高い状態では、左脳が優先
になりますが、同時にいらいらしたり
怒りや嫌悪感、恐怖心などのネガティブ
な感情が優先になって、五感の限定された
範囲にしか、感覚が働かなくなります。
つまり我々が、意識的に超常能力をコント
ロールしようと思えば、完全に左脳が眠る
直前の低い脳波の限界点である、
7~8Hzが最適という事になるわけです。
私たちが、右脳を活性化させる事が、
どれだけメリットのあるものか、これで
よくわかっていただけますよね。

ではまた(^^)

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人それぞれってよく言うけど(^_^;)         右脳的思考のすすめその1

「そんなの人それぞれよ」
こんな言葉を聞いた事がない人は、
いないでしょう。
一見それぞれの人の考え方や感じ方
または生き方を尊重しているように
思えますが、それも時と場合による
という事です。

そこでたとえば多くの人が使っている
「そんなの人それぞれよ」という言葉
について考えてみましょう。

まずいい意味で使われる場合

「オレなんだか人より特殊な趣味してる
から、変な奴だと思われてるんやろなー」
に対して
「そんなの人それぞれよ、自分の個性なん
だから自信持って堂々としてればいいよ」
とか
「私、こないだ『彼氏に女は普通そんな事
しねーよ、おまえおかしいって』って
いわれたの」
に対して
「そんなの人それぞれよ、女性にも
いろいろタイプがあるというだけよ
気にしないで」
などという使い方はもちろんオッケーです
ね。
しかもこの場合、相手に真意が伝わるように
別の言葉を添えているというアレンジは
右脳の働きですが、とにかくこのように
使えば「人それぞれ」という言葉はとても
良い表現となります。

しかし「人それぞれ」という言葉は、この
ように適切に使われる事よりも、最近
何でもかんでもこの言葉が使われるように
なってきたようなのです。
そして、それが互いに理解しあえない表現
にもなっている事を、よく感じるように
なりました。
ネットでやはり、その事に気付いてくれた
人のサイトから引用させていただきますね。

「」内が引用、~は中略の意味です。

「僕が「人それぞれ」という思考停止した
         言葉が大嫌いな理由

まあ、人それぞれだよね

ああ、そうだね。でも、それを承知でこの
話題を議論してたんだよね?

なんでこの局面でその言葉を出した?

あなたはこういうやりとりでイライラ
したことはありませんか? 

最初から「こういう話は人それぞれだと
思うんで答えが出ない」って事を言っと
けば、そういう体で話すよね。

「あぁ、これは熱く話してはいけない場
面だな……」と。

人は議論をするにあたって、各々の個性を
知った上で一つの結論を出さなくては
いけません。それが議論の目的であり、
結論を出したいからこそ人は議論をするの
です。議論とは「お互いの意見を出し
合って理解を深め、物事を解決の方向に
導く手段」。

なのに、この「人それぞれ」という言葉は
意見を交わすことを放棄してる。つまり
「人それぞれ」が口癖の人は他人に対して
意見する資格がないということです。」

“出典:にちプチ様

この後も記事を展開されておられますが、
少し私の見解とずれているところもある
ためここまで引用させていただきます。

つまり話し合いをしてる途中で、
「人それぞれ」という言葉を出して話し
を終わらせるのは、理解し合う事を放棄
しているという事です。
それぞれが勝手に、思い思いの結論を
持っていればいいという事なのですね。

にちプチ様がいわれる通り、では
なぜ議論し始めた?
という事なのです。

お互いに納得できる結論に至りたかった
から、また物事を理解し合いたかった
からという事です。
ですが、最後に「まあ人それぞれだから」
と互いの意見を、そのままバラバラに
してしまえば、同じ結論を共有する事
も、お互いにわかり合う事も、理解を深め
合う事もみんな放棄してしまえるのです。

つまりみんながつながっているという
共感ではなく、個性の尊重または、個人の
自由を優先させているわけですが、これは
しかし、いつまでもみんながわかり合えない
「分離」の感覚をもたらすものなのです。

そしてまだあります、相手に対して、
とても納得のできる説明で、何か大事な
知識や情報や考え方を説明したとしても
「それについてはいろんな情報があるし
人それぞれだから」
というような答えが、返ってくる事も多い
ですよね。
結局その人には、説明は意味がなく、話を
聞いていなくても、その話題がくれば、
全てその言葉で片付ける事ができてしまい
ます。
つまり「話し合おう、理解し合おうという
意志そのものがないのです」

つまりみんなばらばらの情報を信じて、
バラバラの考え方をしていて良いという事
ですね。

もちろんそれが個性を尊重するためなら
いいですが、ここで聞きたいのは、全ての
意見や考え方は、それで全て同じ様なレベル
なのでしょうか?という事なのです。

やはりそれぞれの人の感性や経験、思考
能力や知識などによって、様々な意見や
考え方があり、それぞれは尊重される
べきではあると思いますが、それが
本人にとって本当に良いものかどうかは
それぞれによって違うはずですよね?

それこそ人と話し合って、お互い意見を
出し合わないと、本人が気付かない良い
視点や情報や知識、考え方などから、
もっと本人にとって良い結論が出る
可能性があるわけです。

つまり話し合いや議論などで、理解を
高め合う、わかり合うという事は、
互いの理解のためにも当然良いし、また
高め合って得られた結論を共有できる
可能性があるのです。
もちろん話し合ってわかり合えない事も
あるかも知れません。
ですが、別の事がわかり合えるかもしれ
ませんし、逆に互いを認め合えるかも
しれないのです。

わかり合えないから、もう会わないなど
とならないようなバランス感覚は当然
必要だとは思いますが、人とつながり
合うために、話し合うというのはとても
大事だと思うのです。
そしてまた話し合う事は、とても
思考能力も鍛えてくれるのです。

しかし学校では、ディベートの時間は
ありません、つまり話し合う事を学ばない
のです。
以前は、海外では盛んに行われていて、
日本では、みられないなどと言われる
事もありましたが、どうやら海外でも同じ
のようなのです。

何故でしょうか?

それは、大衆を従わせるために、大衆の
意見がまとまってしまう事を恐れている
からなのです。

それについては書き始めると長いので
やめておきますね。
このサイトではそのような事について
追求していくのが目的ではないので💦

ですが、みんな結構同じ様な考え方で、
また同じ様な意見をいいます。それは
何故か?実はそれってマスコミや教育で
インプットされた情報や知識を共有して
いるからなんですねー。

ですが、それはつまりインプットされた
ものをそのまま忠実に受け容れている
だけなので、思考能力はほとんど使用
されていません。
だから、ものを考えるくせがついていない
のです。
そしてやはりその教育やマスコミで、私
たちに共有して欲しい知識や情報を
インプットさせれば、大衆の知識や情報
は、その意図を持つ者に従ったものに
になるという事なのです。

そのような思考を働かせて、自分たちだけ
で、話し合い理解しあうためには、実は
とても右脳の働きが大事だという事なの
です。

そうです本当の意味での思考は、実は
右脳の働きなのです。

それについてはまた次回の記事にまわす
事にします。

クリックしていただいた方本当に
ありがとうございます(^^)
なんとまだ二位継続中です💦

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