時は流れない、それは積み重なる!永遠に存在する無限の現在とは?


今回は時間についてのお話になります。
時間って絶対的なものだと信じて
疑わない人は多いでしょうね。

ただいっぽうで、感覚的なものとして
は、柔軟に捉える事ができるという
のは、よくわかる人も多いと思います。

つまり、楽しい時間はあっと言う間に
過ぎ去るものだし、苦痛に思える
時間は、なかなか過ぎていってくれ
ないものですよね。

また集中が極まると時間が止まった
ようになるというのは、わりと多くの
人が経験あるのではないかと思い
ます。

そう、スポーツでゾーンに入った選手が
時間が止まったとか、相手の動きが
手に取るようにわかったとかいう時
には、やはり時間はゆっくり流れたり
また、時には未来のビションまで見えたり
するものです。

それと、先日投稿の
個人としての自分という意識は左脳の中
でだけの幻想のマトリックスだった!

という記事で、右脳と左脳についての
働きについて、ご説明しましたが、
左脳は、物質などを分離した別々のもの
として捉えたり、物事を連続したもの
として捉えて、因果関係と連続した
時間を意識していますが、
逆に右脳は、全てを一つとして捉え
時間という認識はなく、ただ「今」
があるだけと認識しています。

つまり左脳は過去と未来を意識する
けど、右脳は「ただ今」を意識する
という事でした。

なんとつまり右脳の認識では、
連続した「時間」はないものとして
扱い、「現在」のみを永遠に認識
するという事です。

ではどちらが正しいのでしょうか?

当然肉体での認識から解放された
臨死体験者たちが、口を揃えるように
時間という概念がなくなるという
方が正しいという事です。

時間がないというより、ただ
「無限の現在」があるという方が
正確だと思います。

太古からの賢人たちや覚醒した人
たちの証言にも、同じようなものが
あります。

さて時間が左脳の認識によって、解読
されただけの知覚だという事を説明
しておられるデービッド・アイク氏の
著書から、興味深い事例とともに紹介
したいと思います。
そうそう最初の「老化のプロセス」
(コンピュータサイクル)という
のは、月によってDNAに書き込まれた
生体プログラムだという事です。

『』内が引用で、~が中略です。

『わたしたちが経験する「世界」の
パラメーターを定義する上で、時間
と空間ほど明快なものはない。
わたしたちの人生は、老化のプロセス
(コンピュータサイクル)を体験する
中で、時間の経過によって-もう
こんな時間?もう時間だ、時間がない
-といった具合に定義される。
毎「日」の人間生活は時間によって
定義され、決定され、限定されて
いる。そう考えると、
時間は存在しない、ただ人間の精神
の中で解読された概念でしかない
というのは、とんだ新事実の発見
という事になる。
 時間という幻想は、脳が自分で
解読したイメージを、次々とつながる
ような形に組み立てることで生み
出される。

(引用注:この次々と組み立てる
作業が、当然左脳による解読・認識
パターンだという事です。)

これは静止画像がプロジェクタを
通り抜けることで、動いているような
幻想を与えるのに似ている。
人の脳は、毎秒1100万個の
刺激(スナップ写真)から40個を
選んでわたしたちが経験している現実
を構築しているのだから、情報を
配列することなど朝飯前だろう。
だがここでも、時間という幻想の構築
に重要な影響を与えるものがある。
そう知覚だ。人間は心と感情の状態に
従って「時間」を体験するのだ。
「時間」は観察者、解読者、そして
知覚にとって相対的なものだ。~

(引用注:つまり時間という幻想を
構築しているのは、知覚だという事
ですが、その知覚というのは、左脳の
解読による認識だという事です。
ここで、本当に私たちの時間が、左脳の
解読によって認識されたものでしか
ないという事がよくわかるための
エピソードが語られる事になります。)

脳の機能不全のいくつかは、人が映画の
1コマしか見ないことを意味している。
ポットから注がれるお茶ではなく、
1コマの静止画としてだけ見ようと
するのだ。理由は、うごきでさえも
脳が波形ないし電気情報から構築して
いるからだ。
これ以外にも、遠くに見えていた車が、
途中段階なしに、いきなり目の前に
現れたという人もいる。

(引用注:つまり左脳の連続処理
の解読機能が失われると、瞬間
映像だけのものとして捉えてしまった
という事です。このようなエピソードは、
私も和訳されていない英語の本で
詳しく記されているので、別の記事で
要訳させていただきます。)

時間というものはない。あるのは
現在だけだ。無限の「一瞬」に
すべてが存在している。過去や未来
という概念は、ただの概念に過ぎない。
過去を考える時、あなたはどこにいる
だろう-現在だ。未来を考える
ときは-現在だ。存在するのは現在
だけで、過去も未来も現在の中でだけ
経験される。仕方がない、現在
しかないのだから。
過去から現在そして未来と、私たち
が時間の経験として経験するものは
、すべて同じ現在の中で変化していく
知覚であり構築物だ。』

“出典:
「今知っておくべき重大なはかりごと➀」
       デービッド・アイク著
           本多繁邦 訳
          ヒカルランド刊”

つまり永遠の現在に、無限の未来も過去も
無限のパラレルワールドのタイムライン
もすべて、同時に存在しているのが真実
だという事です。

相対性理論の公式については、反証を
ご紹介したアインシュタインもこの
事については、真理を理解していたよう
です。

アイク氏の別の著書からの引用です。

『アルバート・アインシュタインは、
過去・現在・未来は、全て同時に
存在するという結論に達している。
「過去、現在、未来の区別は、実感
としては、とても明確であるが、
物理学者は錯覚に過ぎないと考えて
いる」と書いている。これは、
臨死体験者が身体の「外側」で
起きている現実を語った内容と
ぴったりと一致している。一例を引用
しておく。

| 私の誕生、先祖、子ども、妻と、
最初から何もかもが一緒になって
同時にやってきた。私に関する全て
を、私の周りの全員のことがわかった。
みんなが今なにを考えているか、
あのとき何を考えたのか、前に何が
起きていたのか、今何が起きている
のか、全てわかった。出来事の順番
もなく、距離もなく、期間もなく、
時間も、場所もなかった。私は望む
がままに、どこであろうと同時に
存在することができた。  | 

肉体から離脱するという事は、肉体の
解読システムから離脱することであり、
そうなると、劇的に違った経験や認知
をすることになる。「年齢を加えて
いる」という錯覚とともに生きている
のは、そのように肉体コンピュータの
ソフトウェアに記述されているから
であり、それに我々のマインドが
騙されているだけのことである。

(引用注:このコンピュータに記述
されたソフトウェアというのが、
月や土星により書き込まれたDNA
プログラムだということです。
生老病死もそのプログラムの一貫
なので、老いるという生命サイクルも
当然、プログラムとして書き込まれた
ものなのです。またホログラム
というのは、単なる光の波動の干渉
でしかないものを、五感の解読に
よって、物質世界・立体世界として
投影されたものだという事です。)

レーザー光線で干渉縞から投影された
ホログラムが老いることはありえ
ないが、同じホログラムである我々
の肉体は、生から死へと、若者から
年寄りへと、実に予測可能なサイクル
を辿っていく。その違いは、我々の
肉体のホログラムは老いるように
プログラムされているが、他の
ホログラムはそうではないという
ことだけのことだ。』

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

肉体の認識レベルから解放された
臨死体験者にとって時間がないという
のが、真実だという事です。これは
同じく肉体から解放された認識
だった右脳の働きと同じです。

つまり過去も未来もみんな同時に
存在しているという事の裏付けでも
あります。しかも、この認識領域
は、全てと一体であるワンネスの
状態でもあるので、全ての人の意識
も自分のものとして体験できた
という事です。
また出来事の順番もなく、時間も、
場所つまり空間もなかったという事
です。それと同時にあらゆる場所に
同時に存在することができたという
事です。

同時にというのは、当たり前で
ワンネスの意識領域では、自分が
全ての場所であり、無限の現在
に存在しているという事なの
です。

またアイク氏は、老いるという事も
プログラムだという事を説明して
ますが、これもまた、DNAに書き
込まれた生命プログラムの一つだと
いうわけです。つまり生老病死と
進行するプログラムですね。
私たちは、左脳の認識により投影
されたホログラムの世界を現実だと
思い込んでいますが、そのホログラムは、
物質世界と肉体などの立体映像として
認識されます。

しかし実際に存在しているのは、光
の波動の干渉したものでしかなく、
実体も幻覚でしかないのです。

それは、私の
宇宙は全てまさかの真空です
という記事や
ホログラムでフラクタルな宇宙とは?   
トーラスでつながる宇宙のすべて

という記事などを読んでいただければ
よくわかっていただけると思います。

確かに私たちの肉体も、光の波動の
干渉でしかないものなら、老いる
というプログラムがなければ永続
的に同じ状態のままです。

このように生老病死というプログラム
で、人々に死を恐れさせたり、自分
の能力の限界という錯覚を植え付け
たり、何よりも真実に気づく暇を
与えないで、寿命が来るという
ように仕組まれていたという事なの
です。

今回は、時間は左脳の連続した解読
による現実認識という事であると
紹介しましたが、左脳の機能の障害が
あると一コマだけの静止画像になったり
、間の時間の映像をすっとばした
映像を認識してしまったりする事から
やはり時間が流れているように
認識できるのは左脳の解読による
ものだという事なのです。

これと似たようなエピソードを
詳しく紹介してくれている未邦訳の
本から、要訳したものを記事に
しようと思います。

つまり脳の機能が損なわれた世界
では時間の認識が狂うので、超
スローモーションの時間となった
エピソードです。

つまり左脳の機能がとまると時間も
止まるという事ですね。

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人々が悩むのはプログラムマインドだった!もちろん書き換え可能!


この記事は、
元からある意識と書き換えられた
プログラムマインドとは?

の続編になります。

私がこのブログで、一貫して伝えようと
している事は、我々が普段捉えている
現実とは、五感の狭い領域で捉えて
いるだけの「仮想現実」である
という事です。
五感で捉えるというより、正確には、
左脳で解読しているという方が正確です。

つまり私たちがそう思い込んでいるだけ
の世界だという事ですね。

しかも、それもあらかじめDNAに書き
込まれたプログラムに従っていると
いう事ですね。
そのプログラムによって私たちは、狭い
五感の領域で現実を捉えるしかなく、
そして通常そうやって捉えたものを
本物の世界だと信じ込んで生きてきて
いるはずです。

ところがそのプログラムがなければ、私
たちは、もっと広くそして豊かな現実を
経験する事ができるとすれば、この
プログラム邪魔ですよね。
そうです、そこであらかじめDNAに
セットされたプログラムを書き換える
事で、そのプログラムを打ち消す事が
できるという事に気づいたのです。

そもそもこの五感の領域に私たちの
認識を閉じこめるプログラムは、
もともとの人類が有していた自在で
無限の可能性を秘めた生命プログラム
と違い、悪意のある高度な知的生命体に
よって干渉され書き換えられてしまった
という事を知るようになりました。

その高度な知生体は、太古から人類の
支配的な立場に自己の意識を投影して、
我々の五感で捉えられない領域から
人類の知覚をコントロールしてきた
という事です。
そのプログラムを発している場所は、
ほぼ特定できています。
それが月と土星(リング)なのです。

その理由や仕組みについては、
真実の月編土星の真実編
一連の記事をご覧いただければいいと
思います。

一応それらの記事で説明している事を
要約して説明しておきますね。

土星のリングや月にその知的な生命体
のテクノロジーが設置されており、
プログラムの情報(我々に理解可能な
表現であれば、電磁気情報になります)
を地球の人間を含む地上の生体プログラム
全体に向けて発信しているというわけ
です。

正確には土星のリングから発信されて
月で中継増幅された、電磁気情報が
地上に届けられる事になります。

そしてその電磁気情報を地上の生命の
DNAプログラムが受けとっている
という事になります。

つまり電磁気情報の送受信、また情報
変換および保存の役割を担う、私たちの
DNAに本来あるプログラムに干渉し
上書きをするための、信号を地上に届け
続けられているわけです。

つまりその干渉してきたプログラムを
書き換える事ができれば、本来の私たち
の能力が発揮できて、今よりはるかに
より良く生きる事ができるようになると
思われます。

しかし、どうやって?

そこですね、それは今のプログラムが
どんなものであるかを熟知していな
ければ、書き換える事ができない
という事なのです。
もちろんアニータ・ムーア・ジャニ
女史のように、適性のある人が臨死体験
をして、絶対意識領域にいく事が
できたように、意識レベルを高めて
いく事でも可能です。
ただ左脳に毒された日本の方の多くは、まず
認識レベルが、その干渉のプログラムに
どっぷりはまっているので、なかなか
そのように覚醒して、プログラムを解除
するのは、難しいように思うのです。
そのプログラムは、世界のあらゆる言語に
共通なパターンになっているようなので、
それによる思考形態そのものが、覚醒を
邪魔していると考えられて、同じ言語
パターンで、逆のプログラムに書き換えて
ある程度解除する必要があるという事なの
です。
これについては、DNAの驚異の力その1
DNAの驚異の力編 まとめと再考 その1
の二つの記事が、ご理解の助けになると
思われます。

そこで多くの人がわかりやすいように
どういう仕組みのプログラムを書き込まれた
か、またその性質や仕組みなどを知って
いく事で、確実にプログラムを書き換える
事ができるようになるのだと思われます。

その干渉プログラムがどういったものか、
今回一つそれを説明しましょう。

五感という狭い領域に私たちの認識が
閉じこめられているというのはお話し
しましたよね。でもプログラムは、
これだけではないのです、真実の月編の
記事でも書きましたが、必要以上に痛み
や苦悩をするようにもプログラムされて
いるというわけです。
つまり人は、ほっといたら悩み出すと
いわれているように、ネガティブな意識に
向かいやすいようにもプログラムされて
いるのです。
だから、あらゆる場所で、引き寄せや
癒やしの言葉などが、本になったり
ブログの記事になったり、ツィッター
でのつぶやきになったりしている
わけです。
人が先天的に「悩まない、落ち込まない」
ような楽天的な性質のものであれば、
これだけ多くの人が元気づける言葉を
発する事もないでしょう。

もちろん生来楽天的な人は、一定数おられ
ますが、割合が少ないという事です。

実は、肉体にプログラムされたDNA
は、ネガティブな意識を生みだしやすい
ように、プリセットされているという
事なのです。
これは、月のエネルギーの真実 その1
という記事で詳しく説明させていただいて
ますが、私たちの身体が必要以上に痛み
などの神経が発達しすぎているという事も
大きな影響を与えているという事です。
つまり感情そのものだけでなく、肉体
からのネガティブなエネルギーも、
同じくネガティブな感情を生み出し
やすいようになっているという
事なのです。

さてそれでも肉体のプログラムが、
ネガティブな感情を生み出しやすく
なっているという事について
まだピンとこない人たちのために、
その証拠があります。
臨死体験者は、ことごとく肉体を離れた
時の状態を表現する時必ず「かつてない
ような至福の状態、悩みも苦しみも不安
も恐怖の感情もいっさいない状態に
なった」と口を揃えるのです。
つまり肉体のプログラムから解放される
事によって、一切のネガティブな感情が
なくなったという事です。
そして逆にいえば、肉体のプログラムが
ネガティブな感情をもたらすものであった
という事が理解できるというわけなのです。

そのプログラムが意図的に書き込まれた
事の裏付けとなる研究が、実はあった
のです。

以前の記事からですが、再掲しておき
ましょう。


日常生活は、左脳のコントロールや
物質的感覚、言語によるコミュニケー
ション能力が必要不可欠ですが、それは
日常レベルに限ったことで、しかも
臨機応変な対応力や、創造力、想像力、
芸術的感覚や、機転の効いた言語能力、
多彩な表現力、全体を俯瞰する能力、
危険を察知する能力、また運を
引きつける感性などは右脳の働きな
しには、左脳だけでは全く発揮できない
ようになっています。
左脳はただインプットされた事をその
ままアウトプットするだけの、ぷっと
吹き出すくらいの不器用なレベルの
働きしかしません。なぜなのでしょう
か?

なんとその答えの一つとなるような研究
成果を発表してくれている人たちがいた
のです。
その事を紹介してくれている記事を、
いつものようにデーヴィッド・アイク氏
の著書から引用させていただきます。
グラハムジンとトニーライトの著書
「無明の闇に取り残されて」(未邦訳)
の記事を読んで書かれたものです。

“ジンとライトは、15年かけて人間
(特に脳)の進化を研究しているが、
その発見は私自身が調べていることに
とって実に有益だった。
 その結論は、人間の脳は、「遠い昔の
いつか」に能力のピークを迎えており、
それ以来「退化」しているということ
だった。
おそらく何百万年もかけて脳の容量は
加速度的に急拡大したが、およそ20
万年前に突然進化が止まり、ピーク時に
約1440グラムあった脳の重量は、
その後、約1300グラムに減少した
という。

(引用注:適者生存による、猿から
人類に進化したというような進化論は
すでに破綻しているというのが真実で、
世界の本物の知識を持つ人々によって
ビッグバン理論と同じく完全に反証
されています。ここでいう脳の進化は
進化論のような突然変異による種の
転換という意味ではなく、同じ人類の
脳の能力の進化という意味です。
20万年前に初めて人類がアフリカで
誕生したというのも、間違った推測で
はるかに遠い時代の地質から、進んだ
文明のオーパーツと呼ばれる遺跡が
数多く発掘されもしています。
公式の見解で、現在の人類が発祥した
としている20万年前が、皮肉にも
人類の脳が退化しはじめた時期と
重なるのは、その事を知っていたこと
による意図的な見解ではないかとも
思えます。)

   (中略)

もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。
 ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。

   (中略)
ジンとライトは、約20万年前に始まった
左脳の「損傷」が、恐怖心を刺激し、支配欲
につながっていったと述べている。
   (中略)
『無明の闇に取り残されて』には、脳の故障
とバランスの欠如さえ修正されれば、人類は
素晴らしい可能性を秘めていると書いてあるが、
まさにその通りだ。
この潜在的な力は、左脳の支配のために、
右脳に閉じ込められたままである。”
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

このジンとライトの研究によると、私たちの
脳は、20万年前に突如として退化に転換
して、損傷した支配的な左脳をつくってきた』

つまり20万年前に左脳が損傷した事
によって、鬱病が人類の生来的な
プログラムとして追加されてしまった
という事です。
わかりにくいですよね?
ここでよく想像してみてください、左脳の
損傷って、地上の人類が一斉に同じ場所に
ケガをするなんてあり得ませんよね?
これは、地上に対しての干渉する電磁気
情報で、DNAのマインドプログラムを
書き換えたからこそ可能なのです。

ちょうどこの20万年前というのは、
不自然にも、突然現在ある生命種の
90%が地上に出現したという確かな
研究があるのです。

また過去記事から再掲しておきましょう。


これは、アメリカの科学メディアに掲載
されていた記事をご紹介したいと思いますが、
この研究の方法もすさまじいものです
。かつてなかったもので、誰も想像さえ
しなかったものです。
それは、10万種以上の生物種の DNA と、
アメリカ政府の遺伝子データバンクにある
500万以上の DNA の断片を「徹底的に調査
した」というものなのです。
そこからいろいろとわかったのですが、最も
衝撃的だったのは、現在地球にいる大半の
生物(人間を含む)が地球上に登場した
のは、10万年〜20万年前の間だとわかった。
そして、

「中間種は存在しない」。

ことでした。
その部分を記事の翻訳から抜粋しますと、
次のようになります。
おそらく、この研究の最も驚くべき結果は、
人間を含む現在地球上に存在する生命種の
うちの 10種のうち 9種(引用注:これは
おそらく上の記述からいっても10万種の
うち9万種という事だと思われます)が
10万〜 20万年前に出現したことが明らかに
なったことだろう。

これはつまり、この地球の生物の 90%以上は
「それ以前への遺伝子的なつながりがない」
ということでもあり、もっといえば、
・地球のほとんどの生物は 20万年前以降に

「この世に現れた」

のです。

これがどういう意味かといいますと・・・。
たとえば・・・「現行の科学で言われている
人類誕生までの地球の歴史」というものは
下のようにされています。
46億年前から始まり、35億年前くらいの
最初の生物が誕生し、そこから「徐々に」
進化してきた……というものです。

地球と生命の歴史
しかし、今回の大調査の結果からわかる
ことは、

「徐々に」進化していない

ということなのです。
つまり、20万年より前の部分は、「現在の
地球の生物とほとんど関係ない」としか
言いようがないのです。

とにかく、ほぼすべての生物種が 10万年
から20万年前に地球に登場しているという
可能性が極めて強くなったのです。
今回の調査の方法論と、この結論については、
科学的に真っ向から反論することは難しいよ
うに思えるほど、ほぼ完ぺきなものに見え
ます。」

“出典:「In deep」様”

このあと、この驚愕の真実を明らかにして
いる元記事を翻訳しておられますが、当然
破綻のない研究結果のようです。』

要するに20万年前ちょうどではない
ですが、10万年~20万年前に
突如として地上に現在の生命種の
90%の生物種が出現した理由は、
地上に新たに電磁気情報が届けられて
それをDNAで受信した生命種が
表れるようになったという事です。

DNAは、遠隔からの電磁気情報を
受けとって、水などの媒介物さえ
あれば、電磁気情報だけで生成可能
なのです。
その事は、
DNAの驚異の力その2改最新2
生命がプログラムで創られる仕組み加筆分

を参考にしていただればご理解
いただけると思います。

つまりほぼ同じ時期の20万年前にも
人間のDNAに干渉する電磁気情報が
届けられて、突如左脳が損傷する
ようになったという事なのです。

このように太古の昔に、人類は
ネガティブなマインドプログラムを
書き込まれてしまったわけですが、
先ほども取り上げましたように、
臨死体験者など、肉体から意識が
解放された人は、同時に肉体の
プログラムからも解放されるので、
至福な意識状態に回帰できるという
事なのです。

また瞑想をして高い境地に至った人たちも、
ネガティブな感情がなくなって、至福の
状態になったと証言しています。

つまりは肉体のプログラムを解除する
という事は、ネガティブな感情が全て
排除されて至福の状態になるという事
なのです。

そうですこのように五感の狭い領域に
私たちの認識が閉じこめられるプログラム
をされただけでなく、ネガティブな感情も
恒常的に生み出してしまうような
プログラムも同時にされていたという事
なのです。

ここで、なぜそのようにプログラムされて
しまったのでしょう?プログラムする側の
知的な存在は、サディスティックな性質を
持っているのでしょうか?
事実その通りなのです。それらの存在が
なぜそのようなネガティブな感情を
を人類に生み出して欲しいかといいますと、
それは彼らの生存のために、必要だから
なのです。
このことについては、また別の記事で説明
させていだきますが、これまでにその
ような事が理解できるような記事を書いて
きました。
非人格的霊というもの         
悪霊の一つの形
なのですが、こちら
では太古からの悪魔とされてきたような
存在の性質について書かれています。
そして、この性質が、その私たちに
プログラムを書き込んだ知的生命体の
持つ性質であるという事です。

よくアニメなどで、とても悪いキャラが、
主人公などを倒せてしまうような
場面になっても
「もっと苦しめーーー、苦しみながら
死ぬのだーー」などといって、主人公が
苦しむ様を喜んでいるシーンがあり
ますよね。あれがつまりネガティブ
なエネルギーを喜んで摂取している
悪魔や悪霊そして、そのような支配的な
知的生命体の姿だと考えていただいたら
いいかと思います。
もちろんその間に主人公は勝機をつかんで
、結局悪のキャラを倒すわけですが、
まさに我々がしなければならなのはその
ような事です。
彼らが我々にもたらしたネガティブな
感情のプログラムを解除して、やり返す
番がやってきたという事です。

まだその解除されるべきプログラムの性質
は他にもありますが、それは次回の記事
で紹介させていただきたいと思います。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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元からある意識と書き換えられたプログラムマインドとは?


この記事は、
超意識を解明する心理学
トランスパーソナル心理学


超意識を科学する心理学 
トランスパーソナル心理学は本物だった!


古代の叡智と一致する心理学!  
ついに解明された究極の答え!


世界中の古代からの教えが
見抜いていた真理とは?

の続編になります。
このシリーズで、ご紹介してきた
トランスパーソナル心理学の創始者
スタニスラフ・グロフ氏をやはり
デービッド・アイク氏も紹介して
おられます。
今回はそのアイク氏の著書からの
引用をもとに、生命が自然に生まれた
のではなく、なんらかの高度な知性に
よって、意図的に創造されたという
事を、ご説明していきたいと思います。

またこの記事は、以前投稿した
12星座のサインの進行は、
人類の歴史の縮図だった!?

密接に関係している内容なので、合わせて
ご覧いだけると、よりよくご理解いただけ
るのではないかと思います。   

「」内が引用で、~が中略です。

「変性意識状態の経験は、我々が相手にして
いる策略を理解するのに役立つし、この観点
からLSDなどの薬物の効果を研究してきた
人々は、それによって現実とは何かを深く
学ぶことができたはずだ。
その一人が、『ホロトロピック・マインド』
〈邦訳『深層からの回復』青土社〉の著者
でジョンホプキンス大学医学部教授だった
スタニスラフ・グロフである。
彼は国際トランスパーソナル協会を設立し、
人々を変性意識状態にする「ホロトロピック
呼吸法」という手法を開発した。
 グロフは、医療への応用が可能かどうか
追求するため、1950年代にLSDの
作用を研究するようになるまでは、頑なな
物質主義者・無神論者だった。
(引用注:このあたりバリバリの脳科学者
だった、エヴェン・アレキサンダー氏が
臨死体験をしてから、がらりと非物質的
世界の存在を提唱するようになった事に
酷似していますね)

それから彼は何十年も研究を続けることに
なった。最初にLSDを経験したとき、彼
自らが「自分自身の潜在意識との衝撃的な
出会い」と表現する経験をした。そして
即座に、学校で教えられている、科学界の
権威の揺るぎない「真実」が空想に過ぎ
ないことに気付いた。

|既存の科学では、有機物と生命は、ただ
単に原子と分子がランダムに相互作用する
ことにより、原始の海から科学的に分泌
して成長したと考えている。同様に、
単なる偶然と「自然選択」により、物質が
生物細胞へと組成していき、細胞が中枢
神経をもつ複雑な多細胞生物へと組成して
いったと論じている。そしてこうした説明
とともに、脳で発生している物質的プロセス
の副産物として意識が生じたという仮説が、
西洋の世界観の最も重要な形而上的見解に
なっている。
(引用注:この形而上というのは、英語
でメタ・フィジックスつまり超自然的と
いう言葉で、日本人が物質以外の事に
意識を向かわせないように、わざと
わかりにくい言葉が使われているの
ですがそれはこの訳者のせいでは
ありません、日本語ではそういう言葉
に変換されるようになっているという
事です。)

(引用注:もう一つあります。脳で
意識が生じているという一般人の
常識が間違いであると、私は紹介
してきましたが、先の脳科学者で
あるエヴェン・アレキサンダー氏が、
臨死体験中に自らの脳波が0であった
にも関わらず、鮮明な意識があった
事で、現在では意識は脳とは別に
存在しているとはっきり主張されて
います。事実おびただしい臨死体験者
の証言もその事を裏付けるもので
あります。)

現代の科学では、創造的知性とあらゆる
レベルの現実との間に深い相互作用が
あることが明らかになっており、こうした
単純な宇宙のイメージは、いよいよ
受け容れがたくなっている。人間の意識や
無限なまでに複雑な宇宙が、生き物でも
ない、物質のランダムな相互作用によって
発生するという可能性は、竜巻がゴミ
捨て場を襲った結果、偶然にジャンボ
機747が組み立てられたというのに
等しい。|
出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

最後のゴミ捨て場は、巨大なサイズの
ゴミ捨て場という事で比喩ですが、
当然部品がやたらいろいろあったとしても、
機能を持ったジェット機として組み上がる
のは、全くの不可能だという事をたとえて
います。
つまりなんらかの自然界に対する意志の
介在がなければ、私たちのような複雑な
構造をする生命や生態系が現れるなど
という事は不可能だという事です。

これは
世界の学校教育で「進化論」排除の動き   
進化論があり得ない理由
という記事
でも詳しく説明しています。

事実私たちの生命の設計図は、高度な
知生体によって書き込まれたと科学者
は、言っています。
その事は以前の記事で紹介しています
ので転載します。

「他の科学者、コンピュータ・プログラマー、
数学者、そして他分野の科学者の援助を
えた緻密な分析の結果、チャン教授は、
「人間のジャンクDNA」は明らかに、
だれか「地球外のプログラマー」によって
作られたのではないかと考えた。」
“出典:「両生歩き」様
両生空間人間DNAの中のET遺伝子

こちらの元記事が以下です。
DNAは宇宙から?       
意外な真実とは改

つまり幅広いジャンルの知識人の緻密
な計算の結果、地球外のプログラマー
によって、私たちのDNAが書き込
まれたと考えるのが妥当という結論に
至ったという事なのです。

事実その事は多くの研究者たちによって
も支持されています。
アイク氏は、そのDNAの書き込みは、
土星や月などによるとしておられますが、
私もそれをまた支持しています。
それはアイク氏とは別の情報からも
裏付けられる事実を何重にも得ている
からでもあります。

そして月のプログラムが、はじまった
時点と思われる数十万年前に突如地上の
生命の90%以上の種類が出現したと
いう研究結果が出たので、まさに
これが意図的なプログラムによるもの
だと理解できるのです。
進化論のようなものでは、突如として
それだけの生命種が出現する事を説明
する事は完全に不可能で、意図的な
プログラムによるのであれば、妥当な
見解になるという事なのです。
そのことは
進化論の破綻と月とのつながり改という
記事をご覧になれば、よく理解して
いただけると思います。
また黄金比と五角形という記事
で説明しているように、地上の生命は
その意志の介在を証明するかのように
ほとんどの生命体が、数学的プログラム
に従っている事が証明されてもいる
のです。

つまり私たち生命体は、何らかの知性に
よって、書き込まれたプログラムに
従って生きているという事なのです。
もちろん自由な意思で、思考したり、
行動したり、感じたりする事に
関しては、自分の意思で生きています
が、生体プログラムや、ボディマインド
プログラムには、従っているという
事です。
もう少しわかりやすく説明すると
無意識(潜在意識の事ではない)に
繰り返している思考や感覚などは
ボディマインドプログラムだし、
また身体の生体反応に起因する
感情や感覚、思考もボディマインド
プログラムです。
たとえば食欲や性欲、睡眠欲、
飢えの感覚、とそれによる思考
などがそうです。
生体プログラムの方は、心臓が自動的
に拍動するとか、身体の異常に対して
免疫システムが働くとか、干渉して
書き込まれる以前からある生体
プログラムと、あとから書き込まれた
生体プログラムというのは、
年齢とともに老いるとか、時期が
来たら性的に成長していくとか、
痛覚や不快などの感覚などという
事になります。

とにかくふとから書き込まれた、特に
ボディマインドプログラムに従って
生きていると、
認識は大きく制限され、高次の知性か
らみれば、ほとんど無知の状態になって
しまいます。事実現在の人類のほとんど
がそのような状態なのです、そしてその
おかげで、私たちは個人としても全体と
してもネガティブな歴史や時間を経験
し続けているという事なのです。
ですから、その知性の意志による
プログラムから解放されて本来の認識や
能力を取り戻す事が大事だと思うわけ
です。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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意外にも知られていない本来の意識  集合意識とは自分の意識の事だった!


スピリチュアルな人も含めて意外に
意識されていないのが、この
集合意識というものです。
もともと西洋では、ユングがこの言葉を
最初に使用したと言われていますが、
太古より、いろんな賢人が似た事を
語っています。

全ての人の意識がつながっている事は
これまで、催眠術についての記事で、
トランス状態になった人が、催眠術師
の体感まで、完全に自分のものとして
しまえた事からも理解できると思い
ます。

驚異の催眠術 その3
にもそのエピソードを紹介して
いますが、もう一度掲載して
みましょう。

『マリア・デ・ジェロルドは、催眠術をかけ
られた人間は術師の思考や感覚を共有できる
という、サー・ウィリアム・パレットや
ピエール・ジャネらの見解を裏付けた。
パレットはかつて、自分の手を炎の上に
かざすと催眠術にかけられた少女が顔を
しかめ、砂糖をなめると微笑することを発見
した。マリア・デ・ジェラルドは、次のよう
に断言している。「深いトランス状態に
入っているあいだ、私の五感はすべて
閉ざされる。ただ閉ざされるだけでなく、
催眠術師のほうに転移される。私は彼の
耳が刺された痛みを感じ、彼の舌にのせら
れた塩や砂糖を味わい、彼の耳に近づけた
時計の音を聞くことができる。そして
彼の指にマッチが近づけられると、私も
火傷(やけど)をしそうに感じるのだ。」
 催眠状態で目を閉じている彼女には、
もちろん何も見ることができない。
しかし、バーゲンシュティッヒアが自分を
見るよう命じると、彼女はまず彼の立って
いるところに影のようなものを感知し、
それからごくふつうの映像を見た-しかも
それは、彼が彼女の背後に立っていようと
変わりがなかった。
    (中略)
奇妙なことに、マリアはバーゲンシュ
ティッヒアとの距離が遠いほど、強く彼を
感知した。
    (中略)
 さらに不思議なことに、彼女は、自分の体
と彼の体が発光性の「電気的」性質を帯びた
「紐」によってつながれていることに気づく
ようになった。シルヴァン・マルドゥーンも
投影されたアストラル体(引用注:霊体の
ようなもの)が同種の紐によって肉体と
つながれていたことを語っているし、
アストラル体投影を体験した者でこれに
言及している者も多い(全員ではない)。
つまりマリア・デ・ジェラルドのアストラル
体は、催眠下でパーゲンシュティッヒァの
のものと接続されていたのであろうか。』

“出典:「サイキック」
       コリン・ウィルソン著
   荒俣宏監修・解説 梶元靖子訳
           三笠書房刊 ”
まず最初に冒頭に書かれている当時の
神秘研究家たちの見解が、
「催眠術をかけられた人間は術師の
思考や感覚を共有できる」というもの
だったので、催眠術をかけられた状態
でなら、意識は共有されるというのは
もちろん間違いありませんが、もう
一つ上の理解が必要でもあります。

つまり私たちの意識は、その
五感の閉ざされた催眠またはトランス
状態の意識の領域でいえば、
全ての人の意識もつながっている
のです。
ただし、催眠術をかけられれば、
個人としての固有の意識どうしが
接続されるのであたかも、自分の
意識が、催眠術師に移行したように
錯覚してしまうだけなのです。
このジェラルド夫人がいうように、
五感の意識は邪魔でしかなく、五感
の意識が閉じられた事によって高次の
意識へ移行する事ができたという事
なのです。

その領域とは当然、我々の意識して
いる3次元の領域よりも高度な
次元の領域になります。
この次元では、私たちの次元と高次の
次元をつなぐプラズマ的なエネルギー
の世界という事で、霊体も感知できて、
そしてつながるプラズマである
電気的性質を帯びた発行体も感知
できるという事です。
体外離脱体験者も、抜け出た自分の
もう一つの身体が、発光していたと
いう発言が多くみられて、私も以前
体外離脱を体験した時、自分の身体が
発光しているのを確かにはっきり
と見ました。
「チベットの死者の書」にも霊体に
なった自分の身体についてこう書かれて
います。

「この人は、依然として自分に肉体が
備わっていることに気づく。これは
“光る”体と呼ばれている。しかし
この肉体は、物質からできているよう
には見えない。
だから、岩や壁はもちろん、山脈でさえ
、何の抵抗もなく通り抜ける事ができる。
移動はほぼ一瞬のうちに行われる。
思考力と知覚に対する制約は、ずっと
少なくなっている。知覚力は非常に
明晰になり、神聖なものにいっそう
近づいている。」

“「かいま見た死後の世界」
レイモンド・A・ムーディ・Jr著
        中山善之訳
        評論社 刊 ”

やはり霊体となった自分は発光している
と太古から知られていたようです。
そしてその発光はつまりはプラズマ
てある事の証拠でもあるのです。
つまり一段階上の高次の世界では霊体や
本来感知観測できないレベルのプラズマも
感知できるという事なのです。

そしてまたそのレベルでは、まだ個
としての意識も優位にありますが、
もう一つ上の次元にいくと、臨死体験者
たちがいうようにありとあらゆる人や
ものと意識がつながっているように
感じて、すべてのまわりの人の心が
自分の心のように感じる事ができると
いう事なのです。

絶対意識に到達したアニータさんの
証言を引用させていただきます。

「周囲の状況から感情が離れて
いくと、自分がすべての空間を満たす
ほど拡大し続けていることに気づき
ました。、
それは、私と他のすべてのものが
一つになるまで続きました。
私はあらゆるものを包み込み・・・
いえ、あらゆるもの、そしてあらゆる人に
なりました。家族と医師の間で交わされて
いる会話の一語一句がわかりました。
彼らが病室からずいぶん離れた場所に
いたにもかかわらず、わかったのです。
夫の顔からは恐怖感が見てとれ、まるで
その瞬間私が夫になったかのように、彼
の恐れが感じられました。」

“出典:「DYING TO BE ME」
アニータ・ムーアジャニ著 
           hay house 刊
邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

この時のアニータさんの意識が本来の
私たちの意識でもあるという事なのです。
つまり私たちは、本来の意識では一つに
つながっているという事なのです。

つまり私たちは、実際には、意識は
みんなつながっていて、一つのレベル
ではそれを集合意識と呼んでいると
いうわけです。

つまり、私たちは集合意識も
自分の意識の一部というか、本来の
自分の意識の内にあるという事を
言いたかったのです。

(ここからは共有する集合意識の様々な
レベルや種類についてです。)

ただし集合意識とひとくちに
いっても実に様々なレベルがあるのです。
みなさんは、日本人の集合意識とか、
キリスト教徒の集合意識というような使い方
ならなじみがあると思います。一つの思想や
文化で育った人たちは、共通する感性や感覚
思考パターン、概念があるからです。
このような集合意識でいうと、もちろん
前回私が述べたような全ての人類が
つながっている集合意識と、さきほどの
日本人の集合意識やキリスト教徒の
集合意識とは、レベルが違うという事
なのです。

すべてがつながっているのは、究極の
全てが一つである絶対意識領域のことで、
五感に囚われている通常の大多数の人は、
当然ピンとこないレベルです。
ですが、真実はつながっているという
理解が、いつか自分の意識が肉体を
離れて、五感に囚われない高い次元の領域
に移行した時、その次元のレベルを決定
するのに、非常に鍵となるコンセプト
だというわけです。

いい方がややこしいですね、いったん
死んで、肉体の次元から意識が離れても
意識のレベルによって、私たちは実に
様々な次元に移行する事になります。
生前に意識レベルが低かった人は、
苦しくつらい次元に移行し、当然
高い意識の人ほど、幸せな次元に
移行できるという事です。
もちろんそこで意識が上がれば、
高い次元にいく事も可能ですが、
低い次元の意識は、なかなか不幸な
次元から移行できません。
その場合も肉体に再び魂として宿る
事によってその低い意識を改善できる
というのが、一つの方法としてあり
ます。
ただしその低いレベルの意識では
人生を選ぶ事はできません。
知らないうちに生命に宿っていると
いう感じになります。
低いレベルの意識の循環は自由度の
低い状態だという事です。

またそれほど低くない意識でも多くの
人の魂がこのプロセスなので、カルマ
(低い意識の悪循環)
を前提としたインド占星術が、
当たったりする事も多いのです。
ただ逆にカルマとは無縁の高次の意識
が転生する場合も結構あります。
その中のタイプとして、ライトワーカー
とか、スターチャイルドなどが、存在
しています。この場合は、人生を選び
目的を持って転生する事になります。

もちろんそれほど高くない意識で
あっても、わりと高次の意識循環の
まま生命を得る人もいます。
その場合もある程度人生を選ぶ事が
できると思います。

とにかく大事なのは、私たちは、永遠を
生きる意識そのものなので、意識の
次元の高さが意識の幸福度と比例するので、
とてつもなく重要な事なのです。

さてしかし、前回その絶対意識での
集合意識で全ての人がつながっていて、
それが私たちの本来の姿であるという事は、
説明したので、今回は我々の簡単に認識
できる集合意識についてお話したいと
思います。

ここからは、私たちが日常意識として認識
できるレベルの集合意識についてお話し
します。つまりは三次元世界での
集合意識です。

何十億ともいう、世界の人口で、確かに
個人の固有の意識ももちろんありますから
いってみれば、個人の意識が何十億もある
事にはなります。ですが、さきほども
いったように集合意識でまとめていくと
かなり大きな集合意識で、どんどん人が
つながっていくのです。

集合意識が、とても重要になってくる
のは、個人の意識では、イメージが
具現化するために特別な意識改革や修練
または才能などを必要としますが、
つまりそれは個人の願望が実現するため
には、とても強くてレベルの高い
イメージ力確信力、集中力や持続性、
などさまざまな大事なスキルが必要に
なってくるのです。

しかし集合意識なら、それよりずっと
簡単に実現化したりするのです。
それは、私たちの集合意識は、個人の意識
よりも高い次元にあるからで、単純に
数の問題ではないという事です。

集合意識にはどんな種類とレベルがある
かというと、単純に人数が多いという点で
同じ国民としての意識、アジアの意識、
ヨーロッパの意識、キリスト教徒の意識、
イスラム教徒の意識、無神論者の意識、
おなじ文化を持つものどうしの意識、 
同じ職場の意識、同じ業界の意識、
平社員の意識、社長の意識、経営者たちの
意識、管理職の意識、営業の意識、主婦の
意識、20歳代前半の女性の意識、平成
世代の意識、子育ての経験者の意識、
同じ病気を持つ人どうしの意識、障害を
持つ人どうしの意識など、数えたら
もうきりがないくらい、人はかならず
なにかしらの集合意識に、意識的に
また無意識のうちに参加しています。
もちろん一人の人が、複数の意識を
多くの人達と共有しているのが普通で、
オレは孤独だよといってみたところで、
なんと孤独な人たちどうしの集合意識が
あるのだから、もはや誰一人として独立
した固有の意識であることなんて不可能
なのです。

ただ占術のうちの特に統計的な手法をとる
占星術や、算命学、四柱推命などでは、
人の性質は大別していくつかの意識の
元型に分けられるという概念があります。

つまりこんどは性質での集合意識という
ものもあるのです。
よく占星術の有名な方たちが、乙女座さん
の性質はーこうでー、魚座さんの性格は
こうだからーというのは、それぞれの星座
の人同士の性質での集合意識を示している
という事なのです。
占星術は生まれた時の宇宙的環境により
影響される性質の集合意識という事
です。
四柱推命や算命学にしても、性質や
運気ごとの集合意識の循環サイクル
を読み取る形なので、本質は似たものに
なります。

しかしこのとりあげた集合意識は、すべて
また一つの集合意識にまとまっていくの
です。
それは、人類の集合意識です。つまり人類の
全てが、ベースとして共有している
思考パターン、共有している認識レベル
共有している感性、感覚というものが
あって、それを人類という生物種自体の
集合意識と呼ぶのです。
実は、さきほどから取り上げている、
三次元世界での集合意識の中で最も人数
が多く、したがって最も具現化する
エネルギーの強いのもこの人類としての
集合意識なのです。

実はすでに真理のヒント編の記事で、その
集合意識について書かれている記事が
あります。

私たちが悩むのは、プログラムのせい! 
だったら解除しましょう!

まだあります邪魔なプログラム     
意識まで眠る睡眠について

根本的なプログラムを知れば、
今度は私たちが書き換える番です!

これらの記事がその人類の集合意識の事
について書かれたものなのですが、なぜ
プログラムとあるのかというと、私たち
人類のDNAにあらかじめ、そして
継続的に書き込まれている、意図的な
プログラムがその人類全体の集合意識の
中核を、担っているというわけなのです。

簡単にいえば、「私たちは老いる生命
である」とか「自然界は弱肉強食の
システムで成立している」とか
「食べないと生きていけない」とか
そういうものも共有している人類の
集合意識ではありますが、当然
これは、本物の知識を得れば、変化
改善していくレベルでもあります。

他の人類共通の集合意識についても
そうです。

最近は食べなくても生きていけることに
気付いた人々も多くなり、人類の
集合意識のレベルを越えて、意識を
引きあげている人が多くなっています。

私たちのDNAに意図的に書き込まれ
ているプログラムという、考え方を
するのは、とても奇妙であり得ない話と
考えられる方は多いでしょうが、私の
DNAの驚異の力編真実の月編
土星の真実編を読まれた方ならよく
わかっていただるものと思います。

つまり太古から存在する私たち一般の
大衆の人類とは、異質のレベルのもの
たちによる意図的なプログラムが、
人類種としての集合意識を形成してきた
という事が真実なのです。

そしてまた別の記事で、
この人類自体の集合意識に
ついて、ご説明します。ただし、
この人類種としての意識より高次の意識
も私たちの本来の意識として永遠に
存在しているという事も、ここで強調して
おきます。つまり私たちには大きく分けて
二重の意識があって、本来の永遠の意識と、
その表面上になかなか強固なフィルターの
プログラムされた意識とがあるという事
です。
そのフィルターを破って、一時的に永遠の
意識が、開かれる時に私たちは「覚醒」
したと表現するわけです。
つまりフィルターが、かかっている間、
本当の意味では、「眠っている状態」
だという事ですね。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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何度もワンネスを体験するシャムルワさんから学ぶ多くの事とは?


この記事は
日常の健常な状態でワンネスを体験した
シャムルワさんとは?

の続編になります。

さて前回のシャムルワさんの歓喜に
あふれたワンネス体験の続きです。

また本山よろず屋本舗様から転載
させていただきますね。

シャムルワ氏の体験の続きです。
ワンネス体験の核心に迫っていきます。

「」内が引用で、~は省略部分です

「 ・・・<『ワンネスの扉』、
p96~p102から抜粋開始>・・・

 ワンネスの体験

 当初、こうした体験をどう解釈して
いいかわからず、勝手な呼び名をつけて
いた。それは「宇宙の躍動を感じる体験」
から、「現実を一瞬かいま見る体験」に
まで発展していった。長いネーミング
だが、その体験に名前をつけるとしたら、
ほかに呼びようがなかった。
「現実を一瞬かいま見る体験」は「生」
「生きることの美しさ」から始まる。
その美しさは、大きな悲しみと大きな
喜びが一つになったような不思議な
美しさだ。悲しみと喜びが一つに統合
され、日常生活ではとうてい感じられ
ないほどの圧倒的な力強さで心に押し
寄せてくる。胸がとても苦しくなる。
苦しいのに、生きるとはなんと尊い
体験なのかと、あふれる思いに
感極まって涙がとまらなくなる。
そして「時間」と「私」が同時に
消滅し、目の前に広がる現実が心の
目で見えてくる。
 「私」がなくなった心でまわりを
見渡すと、そこには「愛」「美しさ」
「悲しみ」しか見えなかった。テーマは
「生」への愛。この愛は、「私」が
「生」を愛するのではない。
「愛=宇宙=わたし」だった。目の前を
歩く人たち、犬や猫、目に映る生きとし
生けるもののすべてが自分と別の「個」
ではなくなり、パリ、フランス、地球
など、ありとあらゆるものが自分の
ハートとなり、やがて宇宙と一体に
なっていく。喜びや楽しさばかり
ではなく、悲しみや痛みも同時に
感じる。でも、感じているハート
そのものが美しいのだ。

 この体験は繰り返し起こった。
週に一回が二回になり、毎日になって、
ついには一日に数回と、どんどん頻繁に
なっていった。場所や時間にかかわらず、
それは唐突に始まる。スーパーで買い物中
だったり、横断歩道を渡っている途中
だったり、家でレポートを書いていたり、
道を歩いたり地下鉄に乗っているとき、
突然なんの前触れもなく起こった。
 はじめの頃はそれほど心配しなかったが、
そのうち日に何度も起こりはじめると
日常生活に支障をきたすようになった。
いくら宇宙との一体感が素晴らしいとは
いえ、スーパーで買い物をしているときに
この感覚に圧倒され、涙が出てきてしまう
のには困った。まわりの人の目が気に
なった。
 いったいこれは何なのかと何度も
インターネットで調べてみたが、適切な
検索ワードすら見つからない。
「非常な喜び」とか「素晴らしい感覚」
などと入力してみても、この現象に
結びつくような記述はどこにも見当たら
なかった。僕が体験しているこの現象は
きっとほかにも誰か体験しているはずと
思っていたところへ、日本の友達から
メールが届いた。日本で
エドガー・ケイシーのリーディングを
広める会社を経営し、スピリチュアルな
生き方や健康に関するメルマガの配信も
している菜央子さんという女性から
だった。彼女とはある友人を介してその
年の9月にパリで知り合ったばかりで、
街を案内したりベジタリアンの
レストランを一緒に探したりしたが、
僕の体験についてはまだそれほど詳しく
話していなかった。
 ところがこのとき菜央子さんから
届いたメールには、彼女が書いた
メルマガと、おもにアメリカ人が体験
したスピリチュアルな現象の証言集が
添えられていた。読みはじめて驚いた。
それはまさしく、僕が体験している現象
と同じだった。

・地球の愛を感じる
・地球上のすべての人たちと一つに
なっている感覚
・「私」がなくなる感覚
(自己の消失)
・宇宙と一つになった感覚

 僕が体験したすべてがリストに
あった。とうとう同じ体験者の声が
開けた。安心感があふれてきた。
やはり僕は気がふれたわけじゃない、
よかった!
 なにより、この現象には名前があった。
「ワンネス」。ほかにも「宇宙との一体感」

「至高体験」、「覚醒体験」、
「自己超越体験」など、さまざまな
呼び名があることを知ったが、僕には
「ワンネス」が一番しっくりきた。
体験から見た場合、「宇宙との一体感」
には位置を優先するようなニュアンスが
ある。スピリチュアルな意味合いを含む
「ワンネス」のほうが体験から学べる
内容をはっきり表わしているので、
僕はこの呼び方が好きだ。
 菜央子さんからのメールを読んで、
僕はユーレカを感じた。ユーレカとは
エウレカともいい、アルキメデスが
「発見の喜びの瞬間」に叫んだとされる
言葉だ。きっそくそう返信したところ、
彼女によるとワンネスはふつう人生で
何度も起きない体験だそうだ。僕はほぼ
毎日二、三回か、週に数回という体験が
続いていたので、変だなと思った。
それを彼女に伝えると、こう聞かれた。
「ほんとう? ワンネス体験がもう何度も
起こったの?」と。「宇宙との一体感」
または「自己の消失」を体験しているのは
確かだと思うが……。でも、体験は何回
どころではなく頻繁にずっと起きている、
というのはなんだか気恥ずかしくて言い
出せなかった。

 ワンネス。僕が体験している現象に
やっと名前がついた。
 僕の「現実を一瞬かいま見る体験」
は「ワンネス体験」になった。
 ワンネス(One-ness)--すべて
と一体となっている状態。確かにこの
英語の名称はふさわしい。自分の
母国語、フランス語ではなんと
言えばよいのだろう。すべてが
一つになるという意味の
「unicie(ユニシテ)」だろうか。

 ワンネスは脳では体験できない。
ハートで感じる。ワンネスは「愛」に
満ちあふれている。無条件で無境界の愛
だ。愛を感じる相手は、家族や友達なのか
見ず知らずの他人なのか、性別や年齢、
文化や人種にはまったく無関係で、さらに
は人か動物か、昆虫か植物か、生物か
無生物かも関係ない。地球で生きている
もの、存在しているもの、そのすべてに
愛を感じる。そこに恐れや疑いは一切ない。
 やがてその愛は地球を超え、宇宙にまで
広がり、宇宙と一体となる。
「宇宙=愛=わたし」となり、自分と
他を分けているものが無くなる。一つ
ひとつを区別できなくなる。

 ワンネス体験のはじまりは、愛だ。
愛は感動を生みだす。胸がいっぱいで
涙を抑えられない。その愛はハートを
つらぬく。アンプを調節すると音楽の
周波数が飽和するみたいに、
人間である自分がこの愛で飽和状態に
なる。ハートが愛で満ちあふれる。
この愛が、人間である僕の殻を破り、
それを超える次元の体験をさせる。
 この愛から学んだ一番大切なことは、
「私はあなた、あなたは私」。他者との
区別はない。それは頭で理解する
コンセプトではなく、身体で感じる
体験だ。「私はあなた、あなたは私」
という感覚が身体に浸透すると、
見ず知らずの他人を見ても自分が見える。
人が体験している人生に深い感謝が湧いて
くる。皆が一つの生命体のように、互いの
体験を重ね合わせているのがわかる。
 相手はただ違う自分であり、相手が
言うことなすことは、自分が言い、
なすことだ。
 これはワンネス体験がもたらす境地
のひとつだ。相手の目の中に自分が見え、
相手の声の中に自分の思いが聞こえる。
それは一対一の関係だけでなく、
自分対何万人という単位でも起こる。
脳で考えることではなく魂で感じること
なので、数はまったく関係ない。何万人が
体験して感じていることを自分の感覚
として感じたとき、それはバラバラな
はずなのに一つのハーモニーとなり、
ただただ美しかった。

 ・・・<抜粋終了>・・・」

“出典:「本山よろず屋本舗」様
       よろず屋寸話
     『ワンネスの扉』より”

最初は、背景となる知識がなくて、
自分の体験に驚いているだけだった
シャムルワさんが、なんと日本人の
女性である菜央子さんと出会って、
それが、他にも体験されているもの
だと知って安心します。
やはりいろいろな呼び名があるという
事は私たちも知っている通りですね。
至高体験や、自己超越体験、覚醒体験
ともいえますが、それらに対する
意識レベルの範囲は非常に広く
例えば、覚醒体験でもピンからキリ
まであるといった具合ですが、私の
いう絶対意識体験は、このシャムルワ
さんのいうワンネスとほぼ同じレベル
だといっていいと思います。

前回にもちらっといいましたが、
ワンネスでは、自分が宇宙の愛そのもの
であり、無条件の無限の愛であると
いう事です。
これはアイクさんやアニータさんも
いっている事と全く同じですね。

シャムルワさんは、宇宙との一体感と
ワンネスは違い、ワンネスはハートや
魂とも一体になっているという事
ですが、私が宇宙との一体感という
時もそのように、スビリチュアルなもの
として捉えていてシャムルワさんの
いうような位置の感覚はなく、時空を
超えて一体という解釈なので、一体感
という言葉をよく使います。
つまりワンネスという意味に対して
意図する事は同じだという事ですね。
これは言葉の文化の違いからきて
いるのかも知れませんね。
私が使う宇宙というのは、物理的な
時空の宇宙だけに限定されず、精神的
意識的な次元も含めての事だという
事です。

しかし、絶対意識をあまりに頻繁に
体験できる、シャムルワさんの意識
レベルはとてつもなく高い状態を維持
できているのだと思います。
しかし、常に湧き上がる歓喜に満た
されるレベルなら私たちも是非そう
ありたいと思いますね。

そうそうアニータさんも絶対意識と
ともに臨死状態から復活して、今
でもその意識とともにあるというから、
少し似ているところがあるのかも
知れません。

さて今回のエピソードで私たちの本来
の意識というものがどういうものか、
どれだけふだん真理から遠ざかって
いるかをわかっていただければいい
と思います。
シャムルワさんの今回の言葉は、その
まま私がこのブログで伝えたい事の
大きなテーマの一つでもあります。

そうそう、シャムルワさんも、こういう事に
精通している菜央子さんもベジタリアンと
いう事が、上の事からもわかりますよねー。
つまりワンネスを体験するのには、おそらく
肉食は邪魔だという事です。
もちろん個人差があるとは思いますが💦
そうそうこれは、食事が食べ物の波動を
受け取り、特に家畜の屠殺される波動も
摂取するため、犠牲的な波動、弱肉強食の
波動、分離意識の波動も得てしまうという
事は、また別の記事に書かせていただき
ます。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験後も絶対意識とともにあるアニータさんが伝える無限の自己とは?


この記事は
臨死体験で死を超えたアニータさんが
真の「生」に目覚めた!

の続編になります。

やはりアニータさんが他の臨死体験者と
決定的に違うのは、絶対意識レベルと
いう究極の領域にいけただけでなく、
なんとそれとともに、戻ってきたという
事なのです。だから、他の臨死体験者の人
たちと違って、真理について詳しく語る
事ができるというわけなのです。

絶対意識かそれに近い領域に、つかの間
アクセスできた臨死体験者は割合は、
わかりませんが、わりと多くいるよう
です。
そういう人たちの証言は「臨死体験中で
わからない事は何もなかった、それ
どころか、自分が問いを発したら即
答えが返ってくるという感じだった」
というようなものが多く、そして身体に
戻ってくると、それがどんな内容だったか
すっかり忘れてしまったというものが多い
のです。
ですが、アニータさんは絶対意識そのもの
になってそのまま戻ってきたので、癌も
全てその無限の自己である意識によって
完治できるという事を確信していたし、
またその通りの事をしてのけたのです。

これは私たちの感覚でいえば、瞑想など
で、ようやくチャクラが開き高次の世界
の領域に入り込むのとは違い、チャクラが
もう常に開いたままの状態として戻って
きたという事を示しています。
まあなんとも凄い、私たちもそうありたい
ですね。

とにかく絶対意識とともにあるという
アニータさんなら、その言葉は真理、
そして本質を語る事ができるわけで、
まさにそれを、今回取り上げさせて
いただくという事です。

ではアニータさんの著書からありがたく
引用させていただくとしましょう。

「」内が引用で、~が中略です。

「私たちの中に、全宇宙が存在します。
私が求めている答えは、自分の中に存在
し、あなたの求める答えも、あなたの中
に存在します。外部で起こっている
ように見えるらゆることは、私たちの
中にあるスイッチを押して、自分を
拡大し、真の自分を思い出させるために
起こっているのです。

私は“ハイヤーセルフ”“魂”“スピリット”
のかわりに“無限の自己”という言葉を
よく使っています。もう少しはっきり
させるために言えば、それは私が
臨死体験中に、自分が身体だけの存在
ではないと気づき、あらゆる存在と一つ
であると感じたものを指しています。
私は、無限のすばらしい存在として
純粋な意識と一つになり、なぜこの
身体と生命を得たのかはっきり理解
したように感じました。~
~物質的な身体を去れば、私たち全員
の無限の自己はすべてつながっている
と、私は信じています。純粋な意識の
状態では、私たちはみんな一つなの
です。
多くの人が、このような一つである
という感覚を、強烈な神秘体験に
おいて、あるいは自然の中にいる時
に感じています。動物やペットといる
時に感じる事もあります。
あらゆる創造物と一つになった結果
として、シンクロニシティや
超感覚的知覚のような現象を体験
する事もあるでしょう。
けれど一つであることに気づいて
いない人が多いので、このような
体験は頻繁には起こらないのです。
 実のところ、私という存在は、
この身体でも、人種でも宗教でも
どんな信念でもありません。
同じ事が他のすべての人にも
言えます。
無限の自己は、人生の航海に必要な
ものをすべて備えています。
なぜなら、私たちは宇宙エネルギー
と一つだからです。
事実私たちは宇宙エネルギーその
ものなのです。

臨死体験の最中、私は宇宙エネルギー
と一つになっていたので、気づいて
いないものはありませんでした。
まるで自分が全体を包み込んでいるか
のように、すべてがはっきりと
わかったのです。
自分があらゆるものになり、あらゆる
ものの中に存在している感じでした。
 自分のすばらしさを知り、宇宙と自分
が一つで同じものであると理解したこと
が、私の病気を治してくれたのです。
自分から分離した外部の創造物など
存在しないと気づくようになりました。
この気づきのおかげで、今では、強さ
や愛や勇気を持って物質世界と関われて
います。
 このことを別の見方で説明しましょう。
私は“宇宙エネルギー”という言葉を使って
いますが、それは“チー” “プラーナ” 
“気”と同じものです。これらの言葉は、
それぞれ中国語、ヒンドゥー語、日本語で、
“生命エネルギー”という同じ意味です。
これは、太極拳や気功で言う“チー”であり
レイキの“気”です。ひとことで言えば、
それは生命の源で、あらゆる生き物の中を
流れています。全宇宙を満たしているので
宇宙と切り話せない関係にあります。
“気”は、判断せず、分け隔てもしません。
それは、高貴な指導者にもナマコにも、
同じように流れています。
“源” “神” “クリシュナ” “仏陀”の
ような難しい言葉でこのエネルギーを
表せば、名前に気をとられてしまい、
理解が難しくなるでしょう。これらの用語
は、人によって解釈が異なり、無限の存在に
無理やり形を与えているようにも思えます。
それぞれのラベルには特定の期待が隠れて
いて、その多くは、私たちを二元性の中に
閉じこめてしまいます。それゆえ、この
エネルギーを自分とは別のものだと見て
しまうのです。でも宇宙エネルギーは、
私たちの純粋な意識のように、無限で形
のない状態のままでいなければいけません。
その状態でのみ、宇宙エネルギーは私たち
と一つになり、ヒーリングや魔法や奇跡を
生み出せるのです。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

私たちはこの身体でも名前でも国籍でも
人種でも、宗教の信念でもないという事は
、同じく絶対意識状態に到達したデービッド
アイク氏も言ってます。やはり無限の全て
が自分自身であるという事を、何度も念を
押してくれているわけですが、
「私はデーヴィッド・アイクではない、
デーヴィッドアイクを経験している無限
なる意識である」という、わかりやすい
表現もしているわけです。
当然これは私たち全てにも当てはまる
という事ですね。

アイク氏もアニータさんも、絶対意識である
無限の自己、あるいは無限の意識の状態では
「神」や「仏陀」などの自分と分離した存在
はないとしていますが、ここはとても重要な
ポイントなのです。
今回の引用の後半がとてもわかりやすい説明
になっていますが、私たちは全宇宙の
エネルギーそのものであり、自分の中に全て
が存在するという事を言っているわけです。
その全宇宙のエネルギーとは、我々の観測
できる宇宙のという意味では、なく文字通り
全ての次元にわたったものである事は明らか
ですね。
そのエネルギーは形のないものという事
ですが、私が宇宙エネルギーの本質の一つ
として「真空」をあげていますが、ほぼ
同じ意味となります。形のないもの、
つまり素粒子さえない状態=真空という
事になるわけです。

そしてまたそれはアニータさんのいうように
宇宙エネルギーでもあり、気やレイキでも
あるという事です。そしてまた高次の意味
での意識もそれにあたります。

だからそのエネルギーと意識は同質のもので
あるという事をアイク氏も言っている
わけです。だからアニータさんの無限の自己
の代わりに無限の意識という表現をしている
といわけですね。

そしてまたアニータさんの「神」や
「クリシュナ」「仏陀」という存在は、自分
とは分離したものであるという錯覚を、
もたらす呼称で、二元性の中に自分を
閉じこめてしまう原因になっていると
説明していますが、まさにその通りで、
自分が全てと一体である無限の存在なのに
別に自分より格上の存在をつくって
しまったら、自分自身が無限の存在で
なくなるばかりでなく、単に神の前
では「無力でちっほけな自分」などの
ように、本来の自己像とかけはなれた
イメージを自分に持つようになってしまう
のです。もちろんそのような意識が、
アイク氏やアニータさんの絶対意識に
到達する事は不可能なのです。
神や仏陀を自分とは、別のものとして
捉えた場合、全てはその絶対的なものの
意志に従おうとするので、宗教で神の
代弁者のような神官などが、好きなよう
に「こんな事をしては神がお怒りです」
「そんな事を神は許しません」などと
いえばそれに従う、つまり「神と
神の代弁者」の奴隷になってしまう
という事なのです。無限の自己は誰かに
自分の行動を制限されたり、考え方や
感じ方の指導を受けなければならない
ものではありません。
全ての存在である自分が、全ての意識や
現象、行動の原点にあるという事なので
す。

ただこれはわがままというような
捉え方をすると間違う事になります。
無限の自己とは、無限の愛であると、
アイク氏もアニータさんもいってます。
全ての存在を愛するという意識、無条件の愛
こそが、無限の自己や無限の意識の本質
なので、そこからの意識や行動は愛に満ちた
ものになるという事なのです。

自分とは分離した、絶対的な存在があると
信じるか、それさえも自分自身そのもの
であるか、この違いはとてもなく大きい
のです。
これが最近もう一度投稿させていただいた
エベン・アレグザンダー氏が絶対意識に到達
できなかった、真の理由になっているという
事なのです。
事実、多くの臨死体験者たちは、光の存在
や絶対的な存在が、自分以外にいるという
捉え方をしています。
それはつまり輪廻転生をしていく時間の
マトリックスに囚われた意識と同じ質の
ものだといえます。
通常は、この分離と時間の感覚を持ったまま
の意識状態で、霊や魂として、絶対意識の
次元より低い状態で、何度も人生を経験する
ために肉体に宿る事になるわけです、
そしてまた自分のイメージがどれだけ
ポジティブなものかどうかで、また次の
人生での経験も変わってくるという事なの
です。
そのような輪廻転生のサイクルから脱却する
事を、仏教では解脱ともいいますね。
これは前回も使いましたが、要するに解脱
とは、無限の自己、無限の意識が自分で
あるという認識になる事だったという事
です。

ではまた(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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「五感の上には第六感がある」・・・待て!思考や感情はどこ行った?


五感のレベル編の記事でも説明させて
いただいたように、
五感はみんな一緒のレベルなんかでは
ありません。高い意識レベルと低い意識
レベルがあるようにちゃんと、レベルがある
のです。つまり高い意識に通じる感覚の方が
レベルが高いという事です。

その事よりもみなさんに、お聞きしたいのが、
私たちにあるのは五感だけだと思いますか?

「知ってるー、第六感ってやつでしょー?
そんなのあるかどうか、わかんないしー」

とまあ、大体の人がこんな感覚でしょう。
ていうか、第六感というのは、潜在意識から
の感性や感覚なので当然ありますが、その前
に、みなさん忘れちゃいませんかー?
思考と感情・感性という感覚です。

「だってそれは。感覚じゃないしー」

ええーい調子狂うなー!(^_^)💦
五感の次に第六感なんて言われて、はいそう
ですかと、うのみにする事自体おかしいの
です。
思考も感情・感性もれっきとした、我々の
感覚なんです。
だって五感で感じるものだけで、我々生活
してませんから。
たとえば記憶、イメージを、五感に頼らずに
脳内で思い浮かべる事が可能なのは、わかり
ますよね。それに対して思考や感情など
の感覚が働くのなら、それは五感って
いいません。
(記憶は五感によらない感情や思考、直感の
ものもありますし、もとは五感でも現在
感じているものでなければ、すでに記憶の
イメージとしてのみ残っているものです。)

つまり目の前で起こっている事また実体験
によらず、思考や感情は独立した感覚で
働けるのです。
つまり物理的な現実に囚われない感覚という
事ですね。
これがわかってくると、臨死体験で肉体から
離れた意識が存在している状態が理解でき
ます。(しかもこの状態での意識の
方がはるかに明晰で拡大した認識領域だと
いう報告が圧倒的なのです。)

感情も思考も脳波の範囲の波動なので、
良いという意味で、とても低い波動です。
これまでご説明してきたように、低い
波動が高い意識レベルに通じるという事
です。
(よくスピリチュアルで高い意識レベル
は、高い波動だといわれていますが、
これは真逆が正しいです。その事について
もまた別の記事で説明しますが、一つには
逆の誘導があるためと、意識が低い波動
だと逆に高い波動のエネルギーを生み出す
事ができるので、それを指している場合
もあります。
そして電磁波ゼロ(通常のプラズマ状態)
の真空の状態からは、莫大なエネルギーが
生み出されます。
たとえば太陽のように電磁波ゼロ
(プラズマの常態)の真空の宇宙空間から、
無尽蔵にエネルギーを取り出す仕組みは
トーラスですが、これが全ての物質が
存在する仕組みそのものだという事です。
真空とプラズマ、そして太陽については
以下の記事が参考になります。

真理の統合編その1    
真空とは無限の潜在エネルギーの事

真理の統合編その2
真空とプラズマは共存できる

太陽は燃えていない!正体は
プラズマのトーラス循環だった!

ただそういった説明なしに、高い
意識=高い波動だと説明されるのは、誤解
を生む表現ですね。)
しかし、五感は脳波よりかなり高い波動を
感知するようになっているので、脳波の
レベルにある思考や感情ほど、高い意識
レベルの感覚というわけではありません。
つまり高い意識レベルの感覚とは思考や感情
で、五感は単なるセンサーだという事です。
この五感の感知する波動領域については、
五感のレベル編一覧の一連の
記事をご覧ください。
この記事は、最初の記事と重なります
ので、その2以降の記事が、五感に
ついての参考の記事になります。

このようにレベルの高い思考や感情という
感覚があるのに、我々は超感覚である
第六感以外は、五感しかないように錯覚して
いる。というよりさせられているのです。
なぜなら、昔から、大衆が思考能力が
あったり、感性が豊かだったりすると、時の
権力者にとっては厄介な事ばかりになるから
なのです。
しかし、そのようにいうとまた陰謀論とか、
用意された言葉にすぐ結びつける人が多いの

注意深く、説明しているというわけです。
そのように結びつけるのも、誘導されて
いる事くらいは、わかっていただける人が
読んでいただいていると信じています。

日本では暗記教育だと昔から言われてます
よね?暗記や記憶というものは思考の中では
最も低いレベルの能力なのです。
なぜなら受け取った情報をそのまま
コピーする記憶には、複雑な脳内の電気活動
は必要ないからです。
次に低いのは計算能力です。
計算も、単にインプットされた情報に
従って、数字を決まった式にあてはめて答え
を出すだけなので、それほど複雑な電気活動
を必要としません。
理解力や想像力、表現力などや、別々の情報
を関連付けながら、新しい結論や意味などを
生み出す能力、イメージを浮かび上がらせ
て、そこに感情や意味、理解や想像力を
働かせる事などは、かなり高度な電気活動を
要します。
また感動できる音楽をイメージして、頭の
中で、演奏したり歌ったりしてみて、楽譜に
それを書き込む能力や、描きたい絵の
イメージをキャンバスに投影する事なども
高度で複雑な電気活動を必要とします。
また相手の気持ち、立場などを考えて、言葉
を選び、また言葉の調子、姿勢や態度を
加えてコミュニケーションする能力なども
またとても高度な脳内の電気活動なのです。
ただし最後の人との共感や調和、円満な人間
関係などの心が関わる、思考力や感性に
関しては、世界の中でも突出しているのが、
私たち日本人で、教わらなくても先天的に
日本人が優秀です。だからこそ(その理由
だけではありませんが)日本は教育を劣化
させられているというわけなのです。
もちろん世界の先進国でも、そのような
教育の悪影響がある事は、
右脳の驚異の力その3
でもご紹介したキム博士の調査でも明らか
ですが、特に日本の教育が、突出してレベル
が低いという事です。

振り返っていただきたいのですが、最後の
コミュニケーション能力などを授業で
学んできたでしょうか?
日本ではほとんどない事でしょう。
つまり我々はなんと教育では、脳を鍛えて
もらっていないという事になるのです。
クイズ番組で記憶力が問われるような場面
ばかり出てきますが、これこそ記憶力が
いい事だけが、頭がいい事だという
間違った認識を、刷り込まれている証拠
なのです。

しかし、これまでの影響で思考能力が、
あまり働かなくなっている人は、働かせる
事ができるようになればいいのです。
私の記事は、そういう意味で鍛えられる
と思いますよー(^_^)v
なぜ思考能力を鍛えなきゃいけないかって?
思考能力や感性のレベルがあがるという事
は、高い意識レベルに通じるので、現実を
思い通りにしたり、希望のイメージを現実
化したり、相手の気持ちがわかって、人間
関係がうまくいったりと、いろんなメリット
があるからです。
最大のメリットは、思考レベル・感性レベル
が上がり、意識レベルがあがると、それ自体
が至福の状態につながるという事ですね。
私もずいぶんと、そのような状態を味わう
ようになりました。(もちろん本人の
中でのレベルアップという意味です。)
事実いつも私は、「幸せそうですね」とか
「楽しそうですね」とか「めでたいやっちゃ」
「幸せなやっちゃなーお前は」などといわれて
ますから(^_^)ん?後半の二つは、もしや
バカにされているのでは?(;゚〇゚)

で、思考の話にもどりますが、複雑な電気
活動をしている時の脳波は、高いと思います
よね?実は低いのです。それは、右脳が働い
ているからなのです。
(右脳は脳波が低い状態でより活発になり
ます)
それは複雑な数学の問題を解こうとしている
時に、いらいらしたり、または興奮状態の
ベータ波だと、全く解けませんよね。
心を落ち着けて、脳波が低い状態になる
ような時に、複雑な解答への道筋が、
ひらめくのも、その脳波で右脳が働くから
なのです。
スポーツでも同じでナーバスになって
脳波がベータ波になっていると、ミスを
連発しますが、心が平静の状態で脳波が
アルファ波以下になっているような状態の
時にスーパープレイが生まれるものなの
です。いわゆるゾーンに入っている時の
脳波がこれにあたります。
自分自身が体そのものだと思っている人
にはわかりにくいかも知れませんが、
体が激しい動きをしながらでも、明鏡止水
といったような静かな脳波になる事は、
できるものです。
私は、よく道や階段を全速力の8割くらい
のスピードで走りますが、景色をながめ
ながら、ゆったりとした気分で走ります。
もちろん体は、ヒイヒイいって、最後には
息がきれてきますが、私の心と脳波は平静
そのものです。

右脳が最も働くのは、睡眠時つまり脳波が
7Hz以下になっている時ですね。
ただ、左脳が眠ってしまうので、思考を
意識的にはできません。
だから複雑な思考や深い感性を働かせる時
には、右脳を補佐する形での左脳の働きが
大事だという事なのです。
そしてその左脳が働くギリギリの脳波が
7~8Hzだという事です。
つまりその状態での瞑想や催眠術での左脳へ
の暗示効果が、右脳に効果的に投影される
という事なのです。

また7~8Hz以下の脳波では潜在意識
または、高次元からの信号をキャッチする
感覚や感性が、鋭敏になります。

(もちろん最近ご紹介している7.8Hz
の脳波でも、驚くべき感覚や感性、そして
潜在能力が発揮されています。)

まあ、これが第六感と呼ばれているもの
ですが、五感の上に知覚や感情・感性がある
以上、第六感というのは無理があるでしょう。
だからそれこそ超感覚という分類でいいん
じゃないかと思います。

超感覚っていっても、そりゃあいろいろ
レベルがありますからね。理解しやすい例
でいうと、予感や直感が当たったりする
時とか、相手の心が読めたりとか、そんな
ちよっとした事でも働きます。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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日常の健常な状態でワンネスを体験したシャムルワさんとは?


今回ご紹介するのは、ワンネス体験の
エピソードです。

「本山よろず屋本舗」様からの引用
になります。

ワンネス体験をしたフランス人男性
ジュリアン・シャムルワ氏の著書
『ワンネスの扉』
(ジュリアン・シャムルワ著、
ナチュラルスピリット)
を読まれての記事を引用させて
いただきます。

さて長いのでかなり省略しながらの
引用転載になると思いますが、とにかく
是非健全な肉体を持った人のワンネス
体験をご覧ください。

この引用の前の部分で本山さまの、
ハートチャクラが開いた体験を語られて
から後の部分になります。

「」内が引用で、~は省略部分です

「これから紹介するジュリアン・シャムルワ
氏の体験は、私のような身体の一部分と
いったものではなく、魂の体験といった
全体的なものです。
 シャムルワ氏はそれを克明に記していて、
ワンネス体験がどのようなものか垣間見る
ことができるようで、とても興味深いです。

 ・・・<『ワンネスの扉』、
p90~p96から抜粋開始>・・・

 かいま見た地球

 夏休みも終わりに近づいた9月、
僕はパリ市内にアパートを借りた。
 大学の授業が始まるのは10月だったの
で、それまで当分のあいだ平日は兄の家に
泊まってバイトを続け、週末だけパリの
アパートに帰ることにした。
 ”訪れ”は相変わらず続いていた。

 ある日、バイトの最中になんとも不思議な
体験をした。
 それは墓園の雑草を刈っていたときの
こと。
 コンクリートの台に足を乗せたとたん、
立っている足もとの地面から一瞬、地球
そのものを感じたのだ。足の下にその
コンクリート台だけではなく、墓園、
パリの街、フランス全体、地球が、
次々と感じられた。地球の重量さえ
わかった気がした。それはとても繊細で
美しい感覚だった。
 仕事中だったので、「今のは何?」と
一瞬立ち止まっただけだった。
 夜になって兄に話してみると、なんと
兄もその日、同じ体験をしたという。
 なんだろう。僕たちの感覚の範囲が拡大
しているのだろうか?
 毎日勉強や仕事に追われて忙しく過ごし
ていた僕らは、突然の奇妙な体験に少なから
ず驚いた。波動の影響で次のステップに
進んだのかとも思ったが、いずれにせよ、
何が起こったのか理解できなかった。

 その頃は毎日の体験が激しく変化して
いた。二人とも二日に一度くらいの頻度で、
わけもなくいきなり感動があふれて胸が
いっぱいになってしまう。たとえば車で
帰宅する途中、ぼんやり景色を眺めている
と、ふいに「人生って素晴らしい!」
という歓喜がこみ上げ、心に広がってくる。
それは得難い体験で、魂が震えるような
素晴らしい感覚だったが、兄も僕もなぜ
突然そんな気持ちになるのかわからなかった
。ただそう感じられた
ことに感謝するばかりだった。

躍動する宇宙

9月が終わり、僕はパリ市内に引っ越した。
パリのアパートで一人暮らしを始めてから
も、ときどき心が打ち震えるような感動が
わき上がることが続いた。ある日、地下鉄
から家に帰る途中、それまでのレベルを
はるかに超える体験をした。
 通りを歩いているとき、ふと頭の中で
誰かと会話していたことに気づいた。
いま誰と何を話していたんだろう? 
考えても思い当たらない。ただの気のせい
だと思った数分後、また頭の中の会話に
気づいた。今度は内容が聞こえてきた。
話しているのは僕で、誰だかわからない
相手に説明されたことを、僕が繰り返して
いた。

 そうなんだ! 過去と未来はただ僕たち
の頭がつくり出したもので、本当は存在
しない。存在しているのは今だけ、この
「現在」だけだ。つまり、躍動する
宇宙なんだ! 
(la dynamique de I’Univers!)

 そう言い終わった瞬間、僕の感覚と視覚が
別のものに変わった。いつもの街並みと同時
にもう三のフォーカスが現れ、銀河の螺旋が
渦巻いているダイナミックな宇宙の動きが
見えた。目に映る空の色が青から緑に
変わり、宇宙と自分が一体となった感覚に
呆然とした。空には無数の光る糸が、
まるで宇宙の毛細血管のように走っている
のが見えた。と同時に、僕の目線が身長より
高く上昇しはじめた。どうやって目線の
位置が上がったのかわからない。ちょうど
横断歩道を渡っている最中で、向こうから
一人の女性がこちらに歩いてくる。あ、
自分の身体が伸びはじめた、と本気で
思った。歩いている女性にそれを見られる、
と恐れたとたん体験が終わった。目線の
高さが通常に戻り、身体が伸びたわけでも
なかった。よかった。ホッとした。
 家に帰って、この体験を整理してみた。
 過去と未来は僕たちがつくり出したもの
にすぎず、本当は「今」という躍動する
宇宙しか存在していない。過去から未来へ
と流れる一直線の時間というものはなく、
あるのは「今」だけ。それが現実なんだ。
それを身体で感じた。壮大で、荘厳で、
どう言葉を費やしても足りないほど美しい
体験だった。宇宙は螺旋を描きながら
動いていた。その宇宙の躍動を感じる
ことができたなんて!
 でも、じつは知らないうちに自分が
正気を失ってきたのではないかという
心配も残った。いくら考えても頭では
この体験を理解できなかった。記憶を
呼び戻そうとしても、ぼんやりとしたもの
しか出てこない。一番鮮明な記憶は、
頭ではなく心の中に見つかった。その
「心」は波動を感じるのと同じ「心」だと
気づいた。身体を超えた次元のハートだ。
 そのとき、日々の現象を記録していた
日記帳がわりのノートに、僕はこう
書いた。

 *2004年10月6日
 今日、時間そのものは存在しないと
気づいた。「動的」な力があるのみ。
 このコンセプトに気づいたのは、
まず心で、そのあと頭で理解した。
これを知ることができてとても嬉しい。

 次の日にはこんな感想を書いている。

 *2004年10月7日
 そこにあるのはたった一つの力の
動き。躍動する宇宙。そう考えると
「私」「家族」「国」などという頭で
つくられたコンセプトの虚しさが明らか
になる。私たちは個々の存在ではなく、
目に見える次元でも見えない次元でも、
みなこの宇宙の力に統合されている。

その後、「躍動する宇宙」と名づけた
この現象を頻繁に体験するように
なった。この体験はさらに深い体験へ
と発展した。ノートにはこう記した。

 *2004年10月13日
 ときどき、「生」そのものである
躍動を感じる。この動き、この循環。
世界と、世界が全体となって動くとき
の活発な力。それは信じられないほど
美しく、精密に動くので、これを前に
すると、たちどころに涙がこみ上げる。
 そして完全に圧倒される。そのとき、
「私」はなくなり、この動きと一体化
する。その美しさに涙が出る。生きる
ことがこれほど美しいとは。

 ・・・<抜粋終了>・・・」

“出典:「本山よろず屋本舗」様
       よろず屋寸話
     『ワンネスの扉』より”

今回は、これだけでも、もう一杯
でしょう。
続きは次回にまた引用させていただき
ますが、この宇宙との一体感は、
まさにワンネス体験だといっていい
と思われます。
臨死体験もアヤフアスカの服用もなし
に、肉体を超えた次元、しかも
「ワンネス」の領域に、完全に意識が
同化した様子が、かなり具体的に
表現されています。
すでに絶対意識でのアニータさんや
アイクさんの体験を記事にしている
ので、それとの共通点が、ところ
どころに見受けられます。

簡単にいえばこの絶対意識レベルでは、
まず自分以外の存在がなくなり、全て
と一体である事。つまり
ワンネスを体感している状態であり、
宇宙そのもののエネルギーを、そのまま
自分のエネルギーとして感じられると
いう事です。
そしてまた時間の感覚がなくなり、全て
は躍動する「今」しかないというのも
アニータさんやアイクさんいってた
事と全く同じですね。
直線的な時間というものは、頭でつく
られた幻想でしかないという事です。
まさにこれは真理だと思います。
そしてさらに次回の引用部分からに
なりますが、宇宙は愛であり、また
愛は自分自身であり、宇宙と愛と
自分が一体であるといってます。
つまり自分は宇宙の愛そのものだと
いう事です。
そしてこれは、特にアニータさんの
絶対意識体験の時の言葉と全く同じだ
という事になります。

つまりこれらの共通事項と一致すれば
それは絶対意識レベルに到達したという
事ですね。

さて今回のジュリアン・シャムルワさん
(以降シャムルワさん)の体験について
少し見ていく事にしましょう。得意なのか
どうかはともかく、とにかく詳細に見た
がるのがクセでして💦

まず最初に地球を感じたのがコンクリート
の台にのつた時だというのだから非凡な
感じがします。地球とグラウンディング
またはアースという、エネルギーリンク
は、土などの自然物を介してというのが
通常なのですが、この方は人工物を通して
地球そのものを感じたという事です。
この時にもう一体になるための意識の
準備が始まっていたという事ですね。
次にやはり感情の豊かさというかあふれ
でる感情・感動を度々経験し、「人生は
素晴らしい」という歓喜がこみ上げて
くるといった経験をなんと兄とともに
するという事があったようです。
これは以前にも、記事で書かせて
いただいたと思うのですが、無感情と
いうのが左脳のみの世界、もっとも
意識レベルの低い状態で、意識レベル
が高くなるほど、感情が豊かになって
いくという事でしたが、このシャムルワ
さんは、めいっぱいの豊かな感情を
溢れさせてしまう事がたびたびであった
という事ですね。
つまりこのことからも、意識レベルが
相当高い領域にアクセス可能なレベルに
すでになっていたという事だと思い
ます。

そのあと引っ越して、一人暮らしをする
ようになってからのちにとうとう、
ワンネス体験をする事になります。

まず時間の感覚がなくなり、「過去も
未来もない現在だけしかない」という
事に気付いて、あるのは躍動する宇宙
のみという事に気付きます。
この躍動する宇宙というのは、高次元
の意識での宇宙そのものだと思います
ので、私たちのいう物理的な感覚と少し
ズレがあるようにも思います。
その証拠に五感で捉えられない、レベルの
領域も見えるようになっていて、空に
毛細血管のように光る無数の糸が見えた
という事ですが、これはプラズマ
エネルギーの事でもあると思います。
これはちょうど、
電磁界のゲートでもあるチャクラという
記事で参考になる画像があります。

とにかく頭でなく心で感じたという事
なので、五感で捉えられるようなもの
でもないという事のようです。

彼が日記に書いているように「時間
そのものは存在しなくてあるのは
動的な宇宙の力があるのみ」という
事ですが、その力の正体こそ究極の
絶対意識そのものだという事を私は
これまでの記事で説明してきたわけ
です。
つまり意識の力が宇宙そのもの全体
を動かしているものだという事ですね。
まあシャムルワはさんは、まだ意識が
宇宙を動かしているとは感じておられ
ないようですが、自分が宇宙その
ものであれば、当然それが可能なのは
わかっていただけるかとは思います。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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臨死体験で死を超えたアニータさんが真の「生」に目覚めた!


今回は、臨死体験中に絶対意識領域に
到達したアニータさんが、末期ガンから
完全回復してのち、自身の臨死体験で
気付いた事を説明しているものを
紹介しようと思います。
特に輪廻転生について、通常思われて
いる認識とは違う視点を紹介されている
ので、とても興味深いと思います。
それに特筆すべきは、他のほとんどの
臨死体験者たちが、せっかくおおいなる
叡知を獲得したように感じたのに、肉体
に戻るとそのほとんどを忘れてしまった
ような証言とは全く違い、アニータ女史
は、その絶対意識の叡知を自分の中に
永続させたまま肉体に戻ってきたと証言
しているのです。
これもやはり経験した認識レベルが群を
抜いて高かった事の裏付けになって
います。

「」内が引用で、~は中略です。

「臨死体験中、私はまるで、全宇宙とその中
に存在するあらゆるものとつながっている
感じがしていました。
宇宙は生きており、ダイナミックで意識を
持っているようでした。私は、身体を
通して表現しているすべての考え、感情、
行動が、宇宙全体に影響を与えるのだと
わかりました。
実際すべてが一つである領域では、全宇宙
が私の延長であるように感じられたのです。
もちろんこの理解によって、ものの見方は
劇的に変わりました。私たちは、自分の
感情や思考や行動によって、この世界や
その中にある私たちの生活を共に創造して
いるのです。~
~わたしは今、自分に必要なものはすべて、
すでに自分の中に存在しており、自分に
とって真実だと感じるものに心を開きさえ
すれば、それがすぐに手に入るとわかって
います。

臨死体験の前、おそらく私が生まれた文化的
背景によるものでしょうが、私の人生の目的
は、至福の境地に到達すること、すなわち
誕生や死という輪廻転生を超えて進化し、
二度と身体に戻ってこないように努力する
ことでした。もし私が欧米のような文化圏で
成長していたら、天国へ行けるように努力
していたでしょう。死後の幸せのために生き
ようとするのは、どんな文化でも一般的な
目的であるはずです。
(引用注:現在の日本人は、西洋科学の
教育での世界観により、肉体が離れた後
については、イメージすら持てない人が
多くなっているので、まさに物質的な
次元でしか自分を捉えられないように
なってきていると思われます。)

けれど、臨死体験のあと、私はまったく違う
ように感じています。今の人生が終わった
あとも生き続けると知っているので、肉体的
な死を恐れておらず、今自分がいる場所以外
のところへ行きたいという願望もなくなり
ました。もっと地に足をつけて、死後のこと
よりも、今この瞬間のすばらしさにすべての
注意を向けようと思っています。
 これは一つの生涯が終わり、次の生涯が
始まるという従来の輪廻転生の概念が、
臨死体験で私の経験したこととは異なって
いたという理由によるものです。私たちが
身体や思考というフィルターを用いない
かぎり、時間は直線的なものではないと
はっきりわかりました。
もはやこの世の感覚に縛られなくなると、
あらゆる瞬間が同時に存在するのです。

(引用注:この無限の時間が同時に存在
するという認識こそ、私が神秘研究をし
始めた頃に、勝手に自分の中に飛び込ん
できた、覚醒体験のような時の認識です。
このブログでもこの概念を説明して
いますが、臨死体験体験者でも最高の
境地に達したアニータ・ムーアジャニ
女史にそれをはっきりと裏付けていただ
けるとは、本当に心強い限りですね)

輪廻転生の概念は一つの解釈に過ぎず、
私たちの知性が、すべては同時に存在
していることを理解するための、一つ
の方法なのです。

(引用注:アニータ女史は輪廻転生で
過去生を見るというのは、単に同時に
存在する別の存在の意識にアクセス
できただけなのではないかと、言って
おられますが、これはアニータさんが、
全ての人が肉体を離れたら、そのまま
絶対意識レベルに到達できるという
前提のもとに説明しておられます。
これは絶対意識に到達したがゆえの
盲点でもあるのです、つまりそれより
下のレベルの意識の状態であれば、
死後もその直線的な時間のまま輪廻
転生を繰り返す意識も多くある事が
たぶん認識できていないからでしょう。
同様にアニータ女史の絶対意識レベル
とは対極にある究極の分離意識で
ある邪悪な意識というものは、全く
認識できないのです。つまり完全
調和の絶対意識には、邪悪なレベル
は存在しないというように認識できて
しまうのです。事実私たち肉体に
囚われた意識が、そのネガティブな
意識の影響を受けるのは、本来
存在しないはずのものを、存在する
ように認識するためにプログラム
されているからなのです。そして
その囚われた意識のまま輪廻転生する
意識も多くあるということなのです。
それが前世での肉体的な傷を受け
継いで生まれて来たり、その体験時
の恐怖や習慣などを身につけたまま
生まれてくるという事の理由です。)

私たちは、時間が過ぎると思って
いますが、臨死体験をしている時には、
時間はただ存在していて、自分が
時間の中を移動しているように感じ
られました。時間のあらゆる点が同時
に存在するだけでなく、向こう側の
世界では、私たちは、速く進んだり、
遅く進んだりすることができ、さらに
、うしろにも、横にも動けるのです。
 しかし物質的次元では感覚器官の
せいで制限が与えられます。私たち
の目は、この瞬間に見えたものだけ
に気づき、耳も同様です。思考は
一つの瞬間にしか存在できないので、
瞬間と瞬間をつなぎ合わせて、
直線的な一連の出来事を形成します。

(引用注:この場合の思考とは、私
たちが日常生活で使っている左脳の
思考で、右脳や松果体などを使っての
思考とは全く次元が違います。この
時点でのアニータさんには、左脳と
右脳の違いなどは頭になかったの
だと思われます。)

でも身体から自由になると、私たち
は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
を通してではなく、自分の気づき
だけで、すべての時間や空間の中を
動けるのです。
私たちは、純粋な意識そのものに
なります。

(引用注:これは身体から離れても
気づきをともなった意識があると
いっておられるわけです。これも
高度な思考の一種なのですが、左脳
のように答えを導き出す思考をする
必要はなく、すぐに答えが返って
くるようなものだという事で、通常の
思考とは違うものです)

臨死体験の中で、私はこのことを
体験しました。
兄が私に会うため飛行機に乗って
いることにも、医師が病室から
ずっと離れた廊下で話しているのにも
気づいていました。自分の将来に
ついてもたくさんのことを理解しま
した。もしこの世に戻らなかったら
どうなるか、戻ったらどうなるか、
すべて明らかでした。
時間も、空間も、物質も私たちが
通常考えているようには存在しないと
わかったのです。
臨死体験の中で、過去でも未来でも
どこにでもいける感じがしました。

(引用注:これは彼女が臨死体験中に
絶対意識に到達したという事を示して
いて、遠く離れた場所を感知できたの
は、全てと一体になっているからで、
当然あらゆる場所も自身の内にある
からです。また時空の全てを感知
できて、意識次第であらゆる時空を
感知できるのも絶対意識の特質です。
まあつまり全知・万能で全存在だと
いう事です)

そういうわけで、人々が゜“過去生”を
ちらりと見たというのは、実は、平行
もしくは同時に存在したものが見えた
ということだと信じるようになりま
した。
なぜなら、すべての時間は同時に存在
しているからです。
私たちはみんなつながっているので、
他人の現実が私たちの現在の瞬間に
少しずつ入り込み、それがまるで
自分の記憶であるかのように広がって
いくことも可能なのです。」

“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

最後の輪廻転生の事に対してのアニータ
さんの境地は貴重だと思います。
時間が全て同時に存在しているとしたら
、何度も生まれ変わっているというより、
過去生での経験は、自分が同調したもの
になるという事も理解できますね。
ですが、過去の人物の記憶と、またその
人生での傷やトラウマ、習慣などを
受け継いで生まれてくる場合はどう
でしょう?
アニータさんのいうような、過去生を
チラリと見たのと全く違って、完全に
過去生の記憶を持って生まれて
きた子供たちというのは、数千例にも
及ぶ疑いようのない事例があるので
明らかにそれを前世記憶と捉える
理解の仕方もあると思います。

これについては
前世記憶(転生)について その1
という記事など、いくつもの記事に
わたって
取り上げています。

二千例にも及ぶ過去生の記憶を持つ
子供たちの事例を、本当に正確な
調査方法として、調査してきた
という事を著書にまとめておられ
ますが、彼について、彼の調査ぶりを
一例だけ転載しておきましょう。


前世記憶つまり転生の裏付けとなる
事例に徹底して、厳しい調査を繰り返して
きた科学者で、最も有名で信頼されて
いるのが、イアン・スティーヴンソン教授
という人物です。
この人の凄いところは、徹底した研究の
仕方で、共同研究者たちとともに、その
前世記憶を持った子供(たいていのケース
では7歳頃までになくなるらしいです。
これって月の影響の年齢までという事
ですよね。実はこの事は別の重要な事と
つながります。また別に書かせていただ
きます。)を尋ねて現地までいき、その
証言の裏付けを徹底する事にあります。
なんとそのような事例を2000以上も
集めたというのです。
これは、まさに前世記憶が、れっきと
した真実であるという事を完全に裏付けて
いるではありませんか!
しかし、このイアン・スティーヴンソン氏
の凄いところは、これだけの証拠事例を
集めておきながら、前世記憶が転生を
裏付けるという事を主張してはいない
と明言しているという事です。
なんという謙虚さでしょう。例の
公式のアレとは比べ物になりません。
あちらは、「一見赤方偏移が遠ざかって
いる星の動きに想定できる」という
理由だけで、他の光の屈折などの可能性を
勝手に排除して、そこからの類推で
宇宙の起源とビッグバンをでっちあげて
完全な真実として、喧伝し続けて、
いつのまにか常識にしてしまうような
公式のアレとは比べ物になりません。
とにかくその謙虚で真摯な同氏の著書が
邦訳で出てましてそれが、
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”
です。これが今私の手もとにあるという
わけですね。
このシリーズではその徹底した研究ぶり
のいくつかを紹介させていただこうと
思いますが、最初はやはりこういった事例
に対して、懐疑的や否定的な人たちのために
物理的な証拠も合わせて見られる事例を
取り上げることにします。
例によって「」が引用で~から~までが
中略です。

「コーリス・チョトキン・ジュニアの事例

 アラスカに住むトリンギットの老漁師
ヴィクター・ヴィンセントが姪のコーリス・
チョトキン・シニアに向かって、自分が
死んだらおまえの息子として生まれ変わる
つもりだ、と語ったことが本例の発端に
なっている。

ヴィクター・ヴィンセントは姪に小さな
手術痕を二つ見せた。ひとつは鼻柱の
近くにあり、もうひとつは背中にあった。
その痕を見せながら姪に、このふたつの
痕跡と同じ場所にあざがあるから
(来世では)すぐ見分けがつくはずだ、
と語ったのである。
ヴィクター・ヴィンセントは、一九四六年に
死亡した。
その一年半ほど後
(一九四七年一二月一五日)、
チョトキン夫人は男児を出産した。その子は
、父親の名前を襲名し、コーリス・
チョトキン・ジュニアと名付けられた。
コーリス・チョトキン・ジュニアの体には
母斑がふたつあった。母親のチョトキン夫人
によれば、その母斑は、以前伯父の
ヴィクター・ヴィンセントが見せてくれた
手術痕と全く同じ部位にあったという。
私がこの母斑を見たのが一九六二年で
あったがチョトキン夫人の話では、生まれた
時にあった位置からはふたつとも既に離れて
しまっているとのことであった。
とはいえ、ふたつともまだかなり明瞭
であり、特に背中の母斑は印象的であった。
長さ三センチ、幅五ミリほどの大きさで、
周囲の皮膚に比べて黒ずんでおり、わずか
に盛り上がっていた。手術痕が癒えた時の
状況とよく似ており、大きな母斑の両側
の、手術で切開した皮膚を縫合する糸が
あるはずの位置に、小さな丸いあざが確かに
ついていたため、手術の痕に似ているという
印象をますます深めたのである。
 コーリスが一歳一ヶ月になったばかりの頃
、母親が名前を復唱させようとしたところ、
コーリスは腹立たしげに、「僕が誰だか
知っているよね。カーコディだよ」と
言った。これは、ヴィクター・ヴィンセント
の部族名であった。コーリスが自分のことを
カーコディだと言った話をチョトキン夫人が
ある叔母にしたところ、その叔母は、
コーリスが生まれる直前、ヴィクター・
ヴィンセントがチョトキン一家と暮らす
ようになる夢を見た話をしてくれた。
チョトキン夫人によれば、ヴィクター・
ヴィンセントが自分の息子に生まれ変わると
予言していた話をそれまでその叔母に一度も
したことがなかったのは確かだという。
 コーリスは、二、三歳の時に、ヴィクター
・ヴィンセントの未亡人を筆頭として、
ヴィクターが生前知っていた人物数名を独力
で見分けている。コーリスは、通常の手段
で知ったとは考えにくい、ヴィクター・
ヴィンセントの存命中に起こったふたつの
出来事についても言い当てているという。
また、コーリスはヴィクター・ヴィンセント
とよく似た行動特徴もいくつか示している。
たとえばコーリスは、髪の梳かし方が
ヴィクター・ヴィンセントと瓜ふたつで
あったし、ふたりとも吃音があり、船や海
の上にいることを非常に好み、きわめて
宗教心が強く、しかも左利きだったので
ある。コーリスはまた、小さい頃から発動機
に関心を示し、発動機を操作・修理する技術
も持っていた。母親の話では、コーリスは
船の発動機の操縦法を独学で習得したと
いう。コーリスが父親からこの技術を受け
継いだり学んだりした可能性はない。
父親には発動機に対する関心も発動機を
操作する技術もほとんどなかったから
である。」
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”

まあこれは間違いなく、過去の人生で
老漁師だったヴィクター・ヴィンセント
の霊または意識または魂が、このコーリス
・チョトキン・ジュニアという子に
宿ったといえる事例でしょう。』

私は、これは意識レベルの問題
だとおもうのです。つまり、肉体を離れた
あとも、絶対意識などに到達していない
場合、魂はまだ時間のマトリックスに
囚われたままなので、もう一度肉体に
ある前世での記憶や経験を持ったまま
宿る事になっているのだと思うのです。

ただしそれでもそれが転生である事を
意味している事に充分な条件を持っている
という事ではありません。

なぜなら、ひとたび人が生に意識を
宿らせる時には、当然親から引き継いだ
DNAの電磁気情報、そして宿った時点
での宇宙的環境の電磁気情報(生として
宿る時点での電磁気情報は、時間の
概念が関係がなく、生が宿っている
かどうかの状態だけに与えられる
電磁気情報なので、人生全般に影響を
受ける情報として影響を受け続けると
いうわけです。)そしてその生の宿る
時点に同調した思念・マインドも
ともに自分に備わるという事になる
ので、過去生のマインドが、その人物の
全ての意識として生を受けたというわけ
ではないという事です。

つまり結論をいえば、過去生の記憶は
ある場合があるけれど、それは本人の
意識の一部でしかなく、転生という
表現があてはまらないという事になる
というわけです。

つまり意識には様々な段階があり、
アニータさんのように、時空の全てを
意識できるような絶対意識に到達すれば、
もはや時間に囚われたマインドの輪廻
転生のサイクルの意識からも自由に
なれるという事ではないかという事です。
これは釈迦のいっていた「解脱」という
ものと同じではないでしょうか?

もちろん解脱したからといって、なんらか
の生に再び宿る事は可能です。
むしろあらゆる次元のあらゆる意識の
経験を試す幅が、無限になると捉えても
良いと思います。

では今回はこのへんで(^^)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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引き寄せの法則もイメージの現実化も全て電磁気エネルギーだった!


この記事は
人生が思考の産物なら
全て自分が創造できる?

の続編になります。

私たちの現実は、具体的にどのような
仕組みになっているかの重要な見方の
一つに私たちの目に見えている世界は
科学的な感知・観測結果として一つの
エネルギーに集約されます。
それはもちろん重力なんかではありま
せん、電磁気エネルギーです。
そのことは、
宇宙の根本的な力は重力じゃない!!
宇宙はプラズマという記事
をご覧いただければよくわかって
いただけると思いますが、私の神秘
メッセージのおびただしい数の記事の
多くにその裏付けとなる説明があります
ので、またよければご覧くださいね。

とにかく私たちの現実は、感知できる
レベルでは、電磁気エネルギーが
根本的エネルギーだという事です。
さらに神秘メッセージの一連の記事に
あったように、私たちの意識も、霊的
実体も、電磁気エネルギーにより成り
立っていて、超常現象も異次元への
ゲートも電磁界異常が大きな原因に
なっているのです。
その事も「超常現象と電磁界異常編」の
一連の記事を読んでいただければ、
わかっていただけるようになって
います。

主流の科学や教育は、本物の知識を
伝えてくれているわけではありません。
これも先日投稿した
体外離脱体験のエキスパートの言葉
という記事や
ビッグバン説と宇宙モデル編のまとめ
その1
という記事で詳しく説明
しています。

さてそんな電磁気がもとになっている
現実を、わかりやすく説明しておられる
デーヴィッド・アイク氏の著書から
引用させていただきます。

「」内が引用で、~が中略です。

「物質的次元を創り出しているのは、
自分自身の想像だ。あらゆるものは
電磁気的に振動しているただ一つしか
ないエネルギー場で、いつでもわれわれ
は自分自身の唯一のエネルギーパターン
を発信している。これらが、人々が
誰かがよいとか悪い“雰囲気”を持って
いると言うときの「霊的電波」だ。
 人間が発する霊的電波は、まわりの
エネルギー場に影響する。われわれが
「雰囲気」と言うとき、ある状況に
おけるエネルギー場、人々の思考と
霊的電波により形成されたエネルギー
場のことを言っているのだ。
 古戦場には、新たな思考パターンに
よって置き換えられるまで、戦闘に
よる苦痛と侵略と苦しみによって
作られた振動が依然としてそこに
のこっている。それで、古戦場には
事件が起こって数百年たっても
「ぞっとするような不気味さ」が依然
として残ることがある。
 かつて大きな論争があった部屋に
入ると、「あなたはナイフでこの雰囲気
を切ることができる」とわれわれはいわ
れる。(引用注:これは比喩的な言葉
というだけでなく、電磁気の残像
エネルギーは、金属であるナイフで
一時的に遮断することができるという
事でもあります。)
また、よいことがかつてあった家に入る
とき「素敵な雰囲気ね」あるいは
「幸せな家ね」という言葉が、口をついて
出る。
 このような例は、すべて磁気エネルギー
場に影響を及ぼしている人々によって
発信された振動、すなわち思考の結果だ。
これらの振動は、ある特定の瞬間における
その人の存在の状態と-最も重要なことな
ので覚えておいて欲しいのだが-われわれ
が与えるものが受け取るものだ、という
ことを正確に鏡のように映し出している。
人が磁気パターンで発信するものは、物質
的な現実として自分に返ってくる。~
~人の磁気パターンは、内面の自己の感覚を
反映している。そして、人の内面の現実は
その物質的な現実として現れる。なぜならば
、わたしたちの磁気パターンは自らに
向かってほかの磁気的思考場ーつまり、
人々、場所、人生の生き方、経験、それらは
わたしたちが発信しているパターンの正確な
鏡面増なのだが-それらを引きつけるからだ。
これがたとえば、人々がある場所に家を建て
たり、休日を過ごすように引きつけられる
理由だ。
この牽引力は視覚的なものではなく、振動的
なものだ。すなわち磁気的なものだ。人々は
、そこに引かれるように感じたり、あるいは
実際に「引かれる」。これはまた、わたし
たちがいかに「偶然の一致」を作りだして
いるかを示している。「あなたにここで
会えるとは」といった偶然の出会いのように
-。
 これらはバラバラに起こった偶然ではなく
、磁気エネルギー場が無意識に互いに
引き合って生み出された結果なのだ。

(引用注:これは原著を私が持っています
ので訂正させていただきます。無意識では
なく潜在意識の誤りです。ただ訳本を引用
のためそのまま無意識という言葉で引用
してます。原著ではsubconscious mind
でサブコンシャス マインドです。
この違いはとても大きいのです。引用では
そのままの言葉を使用しなればならない
ので)

それは「小さな世界」ではない、磁場の
相互作用は無意識をそのように表す
ことができるのだ!
振動する磁気作用のこの過程によって、
無意識の心は目の前に、出会う人々や
場所や人生の生き方や経験の中に、それ
自身の正確な複製物を創造する。
~あなたの目を通して見るとき、あなたは
あなたの内面を鏡で見ている。
あらゆるものは、あなたの重要な部分か、
あるいはあなたが学ぶか経験する必要が
あるものを反映しているだろう。
 内面の自己を変えれば、その物質的
複製物-あなたの人生-は変わる。今
経験している現実は、あなたがあなたを
どう考えたかという結果なのだ。
それは意識と無意識の心の中にある
あなた自身の想像物なのだ。
人は思考と経験によって、感情と感覚を
通じて、これらの想像物を想像する。
何を経験しても、それはあなたが発信
していることの結果だ」
“出典:「I am me I am 
free」
The Robot’s Guide to Freedom
超陰謀 [粉砕篇]
   デーヴィッド・アイク著
         石神 龍 訳
        徳間書店 刊」 ”

私はこの訳本の原著つまり
「I am me I am free
The Robot’s Guide to Freedom」
という本を持っていますので、注釈も
入れさせていただきましたが、
文中の無意識は、潜在意識と訳され
なければなりません。
原著ではsubconscious mind ですので、
やはり潜在意識です。日本での
間違った言葉の用法にこの無意識
というものがあります。
無意識は文字通り意識が無い状態の事
で、それは、ロボットのような機械的
な反応だったり、肉体の反応だったり、
単なる五感の信号に対する反応で
あったりするもので、意識が
全く働いていない状態です。
つまり無意識自体にはなんのエネルギー
もないので、当然現実を創り出す事も
ないのです。
(そのあたりを混同する日本人が
多いので、無意識にやったことだから
罪じゃないとか、無意識に出た言葉
だから許してなどという間違った
言い訳ができてしまうのです。
むしろ身体の欲のままに行動したり
して罪を犯したりというのも、感情に
ふりまわされて自分を見失って、
罪を犯したりというのも、無意識の
範疇に入ります。人の心が無いか
わからない人間をサイコパスなどと
いわれますが、それもまた無意識に
近い状態で生きている人だという事
です。つまりただ機械的に効率よく
生きるというロボットのような感覚が
無意識状態に近いという事でとても
危険です。身体の欲だけの感情や行動
はボディマインドという言い方を、
アイク氏はしています。この
ボディマインドをコントロールできる
のが、意識と潜在意識で、
ボディマインドのみになった状態が、
無意識だという事です。)

アイク氏も無意識という言葉を一切
使っておりませんので、お間違いなく。
潜在意識は、私たちが日常気づく事
ができない深層意識で、レベルが高く
なれば、より現実を創造できる次元の
意識につながります。

アイク氏のいう通り、人の出す電磁気
エネルギーは、通常オーラというような
表現もされますので、ほぼ同じイメージ
で捉えてもいいでしょう。ただより科学
的な見方でいうと電磁気エネルギーだと
いうことなのです。
そして想像するものが現実化している
というのは、当然潜在意識も含めての
事になります。というより現実を創造
する力は、その潜在意識の方だといって
もいいでしょう。
つまり我々が気づいていない、深層の
意識が現実をつくりあげているという
事ですね。
占星術やタロットなどの占術はその
深層意識を読み取り、その人が投影
する現実を、もちろん未来も含めて
読み取る事ができるという事です。
そしてまた、以前にも紹介しました
超常能力として、古来から世界中で
よく見られる現実創造の能力「視覚化」
というものも、その深層意識、潜在意識
の境地に至り、そのレベルで視覚
イメージを行う事で、現実をイメージ
通りに実現させる事ができるという事
なのです。
また我々が、意識や体から発散している
電磁気エネルギー(オーラ)が、運や人
など数々の偶然のように見える現実を
引き寄せているという事で、その
エネルギーレベルでいえば全て必然的
に起こっているという事なのです。
これはシンクロ(共時性)も同じしくみ
ですね。
またこれはまさに、引き寄せの法則に
通じている事だといえますね。

自分自身の深層意識で、現実の創造が
行われるから、日常の意識は何もでき
ないかといとそうではなく、きちんと
現実を創造しているのです。
ただし、日常の顕在意識が深層意識に
刷り込まれることによって、潜在意識
の投影として現実化するという事
です。
つまり日常の意識を潜在意識で拒否
すると実現化しないという事なのです。

まあ細かくいえばそういう事ですが、
とにかく私たちの現実は、意識によって
変わるのであって、むしろ物理的な
行動よりもずっと大きな変化をもたらす
ものであるという事なのです。
確かに行動は、自分のまわりの現実を
中心に動かす事ができますが、
潜在意識のイメージなどの力は、我々
の現実全体をダイナミックに動かす
事ができるというものなのです。
これは、潜在意識のレベルが本来
のエネルギー場である電磁気に直接
アクセスできるためで、全体として
つながって一つである電磁気
エネルギーが、全て連動して動くから
なのです。
これが以前書いた
言葉が伝わらない人の言い分
「口で言ってるだけではだめ!」

という記事の本来の理由なのです。
つまり行動しなければ何も変わら
ないというのは、全く真実ではなくて、
「意識が変わらなければ現実を変える
事はできない」
というのが、真実だったという事なの
です。

とにかく私たちが、内面の自己を変え
れば、そして本物の知識を取り入れて、
潜在意識のエネルギーをコントロール
する事を覚えれば、思い通りに現実を
変える事ができるという仕組みを説明
させていただいたというわけです。

ではまた(*´▽`*)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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