前世だけでなく、何度も繰り返す輪廻転生の証明か?退行催眠で体験する過去生とは?


これまで直前の人生という意味で
前世のテーマを取り上げて
きましたが、世界中の宗教や伝承に
伝えられている輪廻転生というものは、
人生は何度も繰り返すとあります
ので、その何回かの過去の人生を
振り返る事を可能にするという
退行催眠とはどんなものか、ご紹介
してみようと思います。

「退行催眠?なんじゃそら?」
などという人も多いでしょうね。
前世記憶では、まだ魂の記憶または、
霊的な領域に存在していた自分の
意識が幼少の頃に残っていて、前世
または霊的な存在での自分についての
記憶を自然に家族などに語り始める
という事が、一般的でした。
もちろんその証拠となる、身体のあざや
傷痕なども、多く事例があります。
それが、新しい人生での環境や経験に
より、前世の記憶が、少なくとも
7歳児くらいまでには、完全に無く
なってしまうというものでしたが、
それとは全く別の仕方で、成長した大人
などが、「退行催眠」をかけられる事に
より、過去世とおぼしき記憶を意識的
に「体験」するという事例が無数にある
という事を、数年前に知りました。
それは、臨死体験研究の第一人者
レイモンドムーティー氏などの著書に
よって、ですが調べていくと研究者の
間ではその退行催眠は一般的な
コンセプトとしてあるようなのです。
ではその退行催眠とは何か?について
レイモンドムーティー氏の著書から
引用させていただきます。

ちなみに前世の記憶でなくて、過去世と
言う表現は、直前の人生だけでなく、
さらに以前の人生のような記憶も思い
出しているように見受けられる事から
そのように呼ぶ場合も多いのです。

「」内は全て引用で、~は中略の意味
です。

「次の日に私は、心理学者のダイアナ・
デンホルムを訪ねたのである。
彼女は治療に催眠術を使っている人だ。
デンホルムは、当初催眠術を、禁煙
したい人やダイエットしたい人、
あるいは物忘れした人の記憶を取り戻す
ときなどに使っていた。
ところが奇妙なことが起き始めたと
いう。催眠術をかけられた人が、ときに
過去世のことを語り始めるのである。
それはとりわけ、患者の人生の
トラウマ(心的外傷)となっている
時期に、催眠術で退行しているときに
起きた。
 これは「退行催眠」として知られて
いるものだ。
(引用注:専門家の間で知られている
という意味です。ムーディ氏は医学博士
であり精神科医でもある専門家です)
この心理療法は、人生のある時期に
受けた心の傷をいやすためのもので
ある。
ちょうど考古学者が地層を掘り進む
ように、その人の記憶の層を過去へ
たどっていき、トラウマの原因を
見つけて、治療する。
 しかしこれをおこなうと、患者は
ときに自分の誕生日より前の過去へ
さかのぼり、はるか昔の過去世のことを
語り始める場合がある。あたかも、
今ここで起きていることのように語り
始めるのである。
 この現象は当初、デンホルムには理解
できなかった。
彼女は、催眠術の仕方をどこかで間違
えたのかと思った。あるい患者の奥に
ひそむ多重人格が現れたのか、と
思ったりもしたという。
 しかしこうした現象が幾度もおきる
ので、ともかくデンホルムは、患者の
トラウマの治療にこれをつかうことに
した。彼女がこうして「過去世治療法」
をし始めると、それが治療に大変効果的
であることがわかってきたという。
彼女は私に、
「あなたもあれこれ言う前に、やって
みたら?」
と言った。もっともだった私は、
ともかくもやってみることにした。
その午後、デンホルムは私に退行催眠を
かけてくれた。
彼女はリクライニング・シートに私を
深く座らせ、ゆっくりと、熟練した
やり方で、私を深い催眠状態へさそい
こんだ。
 あとで彼女が教えてくれたところでは、
私は1時間ほど催眠にかかっていたと
いう。もちろんその間、自分が
レイモンド・ムーディであることは
知っていたし、催眠療法士
(催眠セラピスト)のもとにあることも
自覚していた。
 しかし、同時に私は九つの過去世を
行き来し、昔を思い起こしていた。
どの人生も夢のようなものではなく、
むしろ現実と感じた。
また過去世へ戻ることは、あたかも映画
を見ているようだった。
 見える光景も色彩もリアルだった。
出来事も、起こるべくして起こった事柄
であって、なにかの私の内なる願望や
心の創作によるものではないと感じた。
そこに見たものが現実であることは
わかった。というのは、もし創作なら、
自分ならもっとましなものを創作する
だろうと思えたからである。
 九つの過去世のうち二つは、歴史的に
特定できる時代のものであり、両方とも
ローマ時代だった。
他の過去世は、先史時代のものか、
もしくはとくに時代特定できないもの
だった。
これは当時のことがよく思い出せ
なかったということではない。すべてが
私にとって、なつかしさを感じるもの
だった。」
“出典:「生きる/死ぬその境界は
           なかった」
     レイモンド・ムーデイ
      ポールペリー 共著
        矢作直樹 監修
         堀 天作 訳”
この退行催眠というのは、子供たちが
幼少時に記憶している前世記憶と、
アプローチは違うけれども、ほぼ
同じく過去世のものと考えてもいい
と思います。ですが、真理探究の成果
として、それだけが唯一の観点でも
ないのです。
前世であるけれども、その人固有のもの
とは限らず、他の人と共有している
ものでもあるという事でもあります。
以前にも書かせていただいたように、
全ての意識、つまり過去の意識や未来の
意識の全ての人々の意識も、無限にある
タイムラインにある無限の時空も全て
一体、そしてそれが全て自分自身と
いう事でもあるからです。
この事は臨死体験シリーズを読んで
いっていただければわかっていただける
と思います。
ただ、一つの観点として、レイモンド・
ムーディ氏の魂レベルでいえば、これは
過去世だと言ってもさしつかえありません。
それにしても、とても感応度の高い方の
ようで、退行催眠の例は、いくつも知る
事になりましたが、このように一どきに
9つもの過去世を体験した人は、今の
ところ他に知りません。
これは、レイモンド・ムーディー氏が、
臨死体験領域のエピソードを研究する
ようになったこと、また過去世も研究
するようになったことと深く関係が
あるような気がします。
高い次元の自分自身である、自身の
霊というものは、本人にとっての
道しるべとなるようなきっかけを
多く与えようとします。
しかもムーディー氏は、トランス状態
にあったわけで、そのような状態の
本人に、高い次元の霊は作用を及ぼし
やすいですからね。
そうですね、この高い次元の霊のこと
を、守護霊とも呼ぶ事もあります。
またその霊とほぼ同じ存在が、臨死体験
でよく出会うと報告される光の存在と
同じ存在であると、思っていただいても
いいと思います。
つまりレイモンドムーディー氏が、
過去世の研究を始めるように、過去世
を通常よりも多くみせるように誘導
したという事です。
この9つの過去世のうちのいくつかを、
このシリーズの次回でも取り上げよう
とは思います。
確かに彼が自分自身で語っているように、
心の願望からくる創作の幻覚でない事も
わかるのが、かなり大変ネガティブな
過去世が多くありました。
それと映画を見ているようだったという
のは、その過去世の意識が存在している
領域は、やはりホログラム的現実の
世界であるという事の裏付けでもあり
ます。
しかも多くの退行催眠による、過去世の
体験では、3D映画のように立体的で、
さらに360度の視点があり、それを
第3者の視点で眺めたり、当人になり
そのまま体感までしてしまう事も多い
ようです。
しかし、これも臨死体験者の人生回顧と
共通している点が多くあり、やはり
霊的な領域は、無限の鮮明なホログラム
の世界の側面もあるという事ですね。
側面といったのは、意識レベルによって
さまざまな現れ方が体験できるという事
だからです。
ただ確かに、ホログラム的現実は、我々
の日常の現実と、意識的に近いところに
存在しているという事がよくわかる
わけです。なぜなら、退行催眠一つで
それを体験できてしまえるからです。
実は今回引用に使わせていただいた本
以外にも、レイモンド・ムーディー氏
の著書はいくつも持っていて、まだ邦訳
されていない、原著で退行催眠を扱った
本も所有しております。
このシリーズでは、その本からの引用も
ご紹介してまいりたいと思います。
ではまた(^^)

いつもありがとうございます(*^_^*)

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投影される自己、転生と憑依は共通する!


今回は、最近取り上げているテーマ
でもある魂への人格の投影という
意味で、憑依する霊現象とともに
共通点があるのが、この転生
つまり前世記憶の事例という事に
なります。

もちろん時間さえもマトリックス
の固定観念で、真実は、全ての時間が
同時に存在しているというのが真実
なので、あくまでも時間の認識に
とらわれているレベルでの話だと
想定してくださいね。
絶対意識に到達して、全ての時空が
同時に存在しているという事が真実
だと断言しておられるアニータさんは、
転生は、誰かの意識に、別の人の
意識が入ってきた現象だと言って
ました。

そのレベルはともかく、時間の進行
とともにある私たちの感覚としては、
この転生という、前世の人格の意識が、
魂に投影されるというコンセプトは
理解の助けになります。

私たちの魂という個人の意識は、生命
に宿る時に三つの要素から成り立って
いると考えてます。

つまり親(現人生での体験も含む)と
先祖の全ての体験・記憶と形質の
遺伝子が投影される要素。

そして生命を受けた時の宇宙的天体の
配置も含めた環境による意識エネルギー
と、その時点で受けとった集合意識
という要素。

それと別の時空または前世にある人生
を生きた人格の意識と個人としての
主体的な意識との混成という要素。

これら三つの割合など知る由もない
ですが、やはり通常の方は、これら全て
の要素を魂に投影させて、生命を形成
していると考えられるのです。

とにかく、別の人生に生きた人格も
意識に投影されて生を受けたという
実例が前世記憶という事です。

その前世記憶つまり転生の裏付けとなる
事例に徹底して、厳しい調査を繰り返して
きた科学者で、最も有名で信頼されて
いるのが、イアン・スティーヴンソン教授
という人物です。
この人の凄いところは、徹底した研究の
仕方で、共同研究者たちとともに、その
前世記憶を持った子供(たいていのケース
では7歳頃までになくなるらしいです。
これって月の影響の年齢までという事
ですよね。実はこの事は別の重要な事と
つながります。また別に書かせていただ
きます。)を尋ねて現地までいき、その
証言の裏付けを徹底する事にあります。
なんとそのような事例を2000以上も
集めたというのです。
これは、まさに前世記憶が、れっきと
した真実であるという事を完全に裏付けて
いるではありませんか!
しかし、このイアン・スティーヴンソン氏
の凄いところは、これだけの証拠事例を
集めておきながら、前世記憶が転生を
裏付けるという事を主張してはいない
と明言しているという事です。
なんという謙虚さでしょう。例の
公式のアレとは比べ物になりません。
あちらは、「一見赤方偏移が遠ざかって
いる星の動きに想定できる」という
理由だけで、他の光の屈折などの可能性を
勝手に排除して、そこからの類推で
宇宙の起源とビッグバンをでっちあげて
完全な真実として、喧伝し続けて、
いつのまにか常識にしてしまうような
公式のアレとは比べ物になりません。
とにかくその謙虚で真摯な同氏の著書が
邦訳で出てましてそれが、
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”
です。これが今私の手もとにあるという
わけですね。
このシリーズではその徹底した研究ぶり
のいくつかを紹介させていただこうと
思いますが、最初はやはりこういった事例
に対して、懐疑的や否定的な人たちのために
物理的な証拠も合わせて見られる事例を
取り上げることにします。
例によって「」が引用で~から~までが
中略です。

「コーリス・チョトキン・ジュニアの事例

 アラスカに住むトリンギットの老漁師
ヴィクター・ヴィンセントが姪のコーリス・
チョトキン・シニアに向かって、自分が
死んだらおまえの息子として生まれ変わる
つもりだ、と語ったことが本例の発端に
なっている。

ヴィクター・ヴィンセントは姪に小さな
手術痕を二つ見せた。ひとつは鼻柱の
近くにあり、もうひとつは背中にあった。
その痕を見せながら姪に、このふたつの
痕跡と同じ場所にあざがあるから
(来世では)すぐ見分けがつくはずだ、
と語ったのである。
ヴィクター・ヴィンセントは、一九四六年に
死亡した。
その一年半ほど後
(一九四七年一二月一五日)、
チョトキン夫人は男児を出産した。その子は
、父親の名前を襲名し、コーリス・
チョトキン・ジュニアと名付けられた。
コーリス・チョトキン・ジュニアの体には
母斑がふたつあった。母親のチョトキン夫人
によれば、その母斑は、以前伯父の
ヴィクター・ヴィンセントが見せてくれた
手術痕と全く同じ部位にあったという。
私がこの母斑を見たのが一九六二年で
あったがチョトキン夫人の話では、生まれた
時にあった位置からはふたつとも既に離れて
しまっているとのことであった。
とはいえ、ふたつともまだかなり明瞭
であり、特に背中の母斑は印象的であった。
長さ三センチ、幅五ミリほどの大きさで、
周囲の皮膚に比べて黒ずんでおり、わずか
に盛り上がっていた。手術痕が癒えた時の
状況とよく似ており、大きな母斑の両側
の、手術で切開した皮膚を縫合する糸が
あるはずの位置に、小さな丸いあざが確かに
ついていたため、手術の痕に似ているという
印象をますます深めたのである。
 コーリスが一歳一ヶ月になったばかりの頃
、母親が名前を復唱させようとしたところ、
コーリスは腹立たしげに、「僕が誰だか
知っているよね。カーコディだよ」と
言った。これは、ヴィクター・ヴィンセント
の部族名であった。コーリスが自分のことを
カーコディだと言った話をチョトキン夫人が
ある叔母にしたところ、その叔母は、
コーリスが生まれる直前、ヴィクター・
ヴィンセントがチョトキン一家と暮らす
ようになる夢を見た話をしてくれた。
チョトキン夫人によれば、ヴィクター・
ヴィンセントが自分の息子に生まれ変わると
予言していた話をそれまでその叔母に一度も
したことがなかったのは確かだという。
 コーリスは、二、三歳の時に、ヴィクター
・ヴィンセントの未亡人を筆頭として、
ヴィクターが生前知っていた人物数名を独力
で見分けている。コーリスは、通常の手段
で知ったとは考えにくい、ヴィクター・
ヴィンセントの存命中に起こったふたつの
出来事についても言い当てているという。
また、コーリスはヴィクター・ヴィンセント
とよく似た行動特徴もいくつか示している。
たとえばコーリスは、髪の梳かし方が
ヴィクター・ヴィンセントと瓜ふたつで
あったし、ふたりとも吃音があり、船や海
の上にいることを非常に好み、きわめて
宗教心が強く、しかも左利きだったので
ある。コーリスはまた、小さい頃から発動機
に関心を示し、発動機を操作・修理する技術
も持っていた。母親の話では、コーリスは
船の発動機の操縦法を独学で習得したと
いう。コーリスが父親からこの技術を受け
継いだり学んだりした可能性はない。
父親には発動機に対する関心も発動機を
操作する技術もほとんどなかったから
である。」
“「前世を記憶する子どもたち」
    イアン・スティーヴンソン著
            笠原敏夫訳”

まあこれは間違いなく、過去の人生で
老漁師だったヴィクター・ヴィンセント
の霊または意識または魂が、このコーリス
・チョトキン・ジュニアという子に
宿ったといえる事例でしょう。
ただ懐疑派の人は、これは暗示効果だと
いう場合を指摘するかも知れませんね。
ヴィクター・ヴィンセントが、その子を
産むことになる姪に自分がその姪の息子
として生まれ変わるという事を聞いた
姪の潜在意識が、DNAに作用し、その
言葉の内容をその特有の言語として
書き込んだため、それが出産に影響した
という事だとする言い分がありますよね。
ですが、その子が、前世の知人の記憶を
持っていた事、ヴィクター・ヴィンセント
の体験の記憶や何より、性質や特技、
また身体的な癖や行動特性まで同じ
という事になれば、もはやDNAに
書き込まれたという説明だけでは、全く
筋が通らなくなる事になりますよね?
つまりやはりこの場合の結論は、霊や
魂や意識となったヴィクター・ヴィンセント
が、姪の息子の肉体に宿り、生まれ変わった
というものにしかならないと思います。
でも懐疑派なら、なんだかんだいってき
そうだなー。
たぶんそういう人は、「あり得ない」と
思い込んでいるから、むしろ妥当でない
可能性にもしがみつくのではないかと
思うのですか、いかがですかね。
また全ての人が必ず生まれ変わるという
わけではなく、この次元での転生を望んで
いたり、また肉体による生命だけが、現実
だと思っている意識または霊または魂が、
次の肉体によく宿る事になるという事
ですね。基本的にそういう人は、未来に
生まれ変わりますが、それは時間を連続
したものという認識で生きていた人に
限るので、もしそこを柔軟に捉えられる
人であれば、自分が死んだ時よりも、
過去に生まれ変わる場合もあります。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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愛すべき霊のあのJKが語った死後の世界と案内人の存在


この記事は、
確かな霊媒師が、演技やごまかしで
霊との会話をしていない実例とは?

の続編となります。
まだ読まれていない方には、わかりにくい
かも知れませんので、できたらそちらを
先にご覧くださいね。

前回はコリンウィルソンの知人でもあった
愛すべきキャラクターであるJKこと
ジャクソンナイトが、死後霊となって、
霊媒を通じて語りかけてきた言葉を
ご紹介しました。
また別の機会に、今度は弟の
ウィルソンナイトの出席した交霊会で、
また霊媒を通じて語りかけてきたJKの
言葉を、またコリンウィルソン氏の著書
から引用させていただきます。
「」内が引用で、~は中略、()内は
私の注釈です。

「ウィルソンナイトはこう書いている

 彼は流暢に語りかけ始めた。
「どうもありがとう!」が強く連発
された。と急に言葉を切って、いかにも
彼らしく
「いや、これは失礼、皆さんがたに挨拶
しなきゃいけないな。・・・」
といってから、私に
「フィフィ(霊界にいる霊の案内役、高次の霊)
が私(JK)に最初に喋る許可を与えてくれ
たんだ。なんて親切なことだろう。これは全く
すばらしい経験だよ」
といった。

あんたの生活がどんなものかと問われると、
彼は~(たとえがわかりにくいので
省略しました。)を想起させるような言葉で
答えた。
「そんなに違いはないが、ただいろいろな
ものがたぶん前よりも美しいように思う。花
だとか、樹だとか、動物だとかだ。
それがとても美しい。それに苦痛はないし、
醜さもない。」これにつけ加えて、
「その気になれば、暗い場所も見える。
私はまだ準備がすっかり整っていない。
私はきっと興味をそそられるだろう。人々が
自分でこしらえた〈地獄〉だ。」
[スウェーデンボルイも霊界のこの局面を
かなり詳細に描いている](スウェーデン
ボルイとはスウェーデンボルグの事です)
そして後刻、今度はこういった。
「私たちがいわれていたことは全く本当
なんだ。・・・それは誰もが知らなくちゃ
ならない大切なことだ。それは人びとを
今よりずっと幸福にするだろうし、また、
ずっと注意深くなるようにさせるだろう。」
彼は、人々に影響を与えるのは容易なこと
ではなかろうといった。「地球に達する
ためにしなくてはならない、いろいろな
こと、あらゆるメカニズムを考えて
みると・・・」」

“出典:「オカルト」
       コリン・ウィルソン 著
         中村保男 訳
           平河出版社刊”

このJKの霊界からの通信については、
まだ続きがありますが、今回は臨死体験者
の証言やスウェーデンボルグの霊界に
ついての説明と、共通点が多く、まさに
死後の生存の証拠になっていると思われ
ます。
慎重派のコリンウィルソン氏も続いての
動かしがたいという、裏付けのある実例を
取り上げたあと、死後の「生存」の証拠は
決定的に証明されたとみなしてさしつかえ
ないとしておられます。

霊界のJKは、臨死体験者のいうように
苦痛の全くない美しい天界にいる事を説明
してくれています。
つまり肉体のある我々は、余計な苦痛を
持って生きている事の証明でもあるわけ
なのです。
これは月のエネルギーの真実 その1でも
くわしく説明しています。
確かに生きるためにという意味では、
私たちの肉体は、余計な苦痛の多い
仕組みをしていると思います。
臨死体験者たちの多くが、肉体に自分
の意識がある間は、監獄に入っている
ようだったと証言しているのも、この事
を裏付けています。
これは、私たちの生命が、意図的な干渉を
受けている事によるという事を、真実の
月編や土星の真実編で説明してきた
というわけです。

またスウェーデンボルグ氏や、臨死体験者
の言葉通り、やはり地獄というレベルが
ある事は確実なようですね。
JKもその事を示唆していますが、それは
人間が自分でこしらえた地獄だともいって
ます。
確かに誘導はされていますが、結局地獄は
自分の中にある邪心や邪悪な心を表現
しようとした意識によってつくられるもの
のようで、生前そのような意識を持って
いたものたちが死後そこへ「自らの意識で」
向かう事になるという事でしょう。
死後は、意識のレベルにある程度囚われる
らしく、邪悪な心の人は、そのままの
レベルで、自分のつくる地獄へいき、
そこで苦しむことになるという事です。
霊の領域では、主体と客体の区別が無くなる
ので、生前誰かを苦しめたのなら、同じ事で
自分が苦しめられるようになるという事
です。
そりゃそうでなきゃ、愛する人たちを虐げ
るものたちを、そのまま許すような事が
あっては、愛が基本の霊界または高次の
領域で、愛に対するマイナスエネルギーで
ある邪悪を呼び込むことになります
からね。
日本人は、悪に対して寛容すぎるのは、
自分は嘆かわしい事だと思っています。
被害者の人たちに対しての思いやりが
あれば、決して邪悪なまたは冷酷な、また
残虐な行為は、許されるものではない
という事くらいわかりそうなものですが
ねー。みんな平等に愛してあげるのは、
みんなの中に、邪悪な心を持つ人がいなけ
ればという条件がつくという事を、覚えて
いただきたいものです。
JKの言葉で、霊界などの真理について
人々が、知るべき事を知れば、今より
ずっと幸福になるだろうといっている事
は、とても正しいのです。
だから、臨死体験者もいうように、あの世
では愛と知識だけが、唯一持って行ける
大事なものだという事だという事です。
ちょうど私の神秘メッセージは、そのような
本来の意味での「知らなければならない
真理」についての事がテーマになって
います。そういう真の知識について、
みなさんと一緒に高め合っていけたら
いいなと思っているわけです。

それとJKの霊界での案内役であるフィフィと
いう存在は、臨死体験者たちが出会う光の
存在と、ほぼ同じものではないかと思います。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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確かな霊媒師が、演技やごまかしで霊との会話をしていない実例とは?


これだけ超常体験、超常現象、非日常的
知識など、神秘的なことならなんでも
取り上げてきたのに、意外にこの霊媒を
通じての、霊との交信というのは、あまり
取り上げてきませんでしたね。
催眠術もそうですが、やはり偏見を集め
やすいカテゴリーのような感じもする
からでしょうね。
だって、霊媒がその人の霊だと偽って
生きている家族に会いたいとかいうの、
一見霊媒の演技でもできそうに思われる
事が多いからではないかと思います。
でも懐疑派のコリン・ウィルソン氏が
取り上げるなら話は別です。胡散臭いと
感じたら、徹底追求して真偽を確かめよう
とする方なので、信用できますね。
今回は、同氏が心霊術に対して、再び
関心を向けた実例について取り上げます。
それは、亡くなった人がウィルソン氏の
知り合いで、霊が彼かどうか、はっきり
わかるという事例です。

では引用させていただきますが、まずは
ウィルソン氏の知人であるJK
(ジャクソン・ナイト)という人物とは
どのような感じの人なのかわかるところ
からです。

「」内すべて引用、~は中略です。

「私は一九六〇年から一九六四年にJK
(ジャクソン・ナイトは一般にこう呼ば
れていた)が死ぬまで、何度かJKに
会っていた。彼は、人が忘れようとして
も容易に忘れられない人物で、おおいに
「傑作」であり、優しい神経質な
エネルギーで泡立っていた。ウィルソン・
ナイト(引用注:ジャクソン・ナイトの弟)
はJKの習慣を正確に記述している。
「・・・興奮したしゃべり方と繰り返し、
おかしみ、謝意と称賛の誇張した表現、
そしてさらには、定義することの不可能な
半ばコミックな考えの微妙なひねり」。
これを読むと私は、初めてJKと会ったとき
のことを想い出す。温かく神経質で、
ぎくしゃくした握手、どちらかというと
高い正確な声が熱狂的に「おう、これは、
これは!よくいらしてくださいました!
私にとっても、これはとても鼻の高いこと
です!さてと!まさかとは思っていたん
ですが・・・」
云々という。ついには、こっちがいっぱい
くわされているのではないかと思うように
なるまで、この調子で続けるのである。
だが彼は人をかつごうとしていたのでは
ない。これが彼の自然な態度だったのだ。
したがって、私がウィルソン・ナイトの
原稿の中で、次の転写-(一九六五年の
三月、JKが死んでから四ヶ月後に
エクスターのある降霊術会で)
(引用注:転写とは霊媒の口を使って
話した事を、その場にいた人が書き取った
ものという意味らしいです。この時は
ドロシー・パーキンスという霊媒を通じて
、JKが語りかけたというものです。)
~を読んだときには、たちまちJKの
肉声が次の言葉を喋っているのをこの耳
で聞くような気がした。」

これで霊となっているJKという人物が
どんな感じなのか、わかっていただけた
と思います。彼は、人当たりがよく
人に対するサービス精神旺盛で、大げさ
のように見える態度や言葉で、相手への
親近感を惜しみなく伝えようとする
いわゆる、とーってもいい奴という感じ
の人ですね。
今回転写という言葉も、珍しいですよね。
私もこれ読むまで知りませんでした。
転写というのは、霊媒を通じて霊が
語った言葉を書き取ったものという事
ですね。
このときは、JKの弟であり、
ウィルソン氏の友人であった、ウィルソン
ナイト氏が書き取った転写という事です。
さてなんとなく、思い浮かべられそうな、
霊となったJK氏の言葉からまた引用です。

「なんてすばらしいことだろう、こうして
皆さんに話しかけることができて、しかも
死んでいるということになっているのは、
なんて、まあ、胸のときめくような
ことだろう。私はこれまでに一度か二度
話を交わそうとしたが、通じなかった。
 フィフィ(霊の案内役)はとてもよく
私を助けてくれ、どうしたらいいかを
教えてれるんだが、私はまだうまく
やれない、が、気にすることはない、
そのうちにこつを覚えるだろう。でも、
すべては本当に真実だったんだ、本当に、
そうであることが信じられないくらいに、
だがやっぱりそうだったのだ。まことに
美しい。
初めて霊界にいくとき、私はとても興奮
していたので、私があっちにいるという
ことを知らせるために私自身の存在を
感じさせようとしたんだ。すまないが、
私がディック(弟のウィルソン・ナイト)
にもっと私を感じさせることができ
ないんだ。が、そんなことは気にしない
、そのうちにやれるようにになるだろう。
こつを覚えるだろうさ。なんて
すばらしい、なんて胸がときめくことか。
私はこれまでにそっちへ行ってやって
みたんだが、どうも難しかった、予想
していたより難しいんだ、が、それでも、
フィフィの指導を受けて、もっとうまく
やることができるようになるだろう。
ディックによろしくいっといてくれ、
このお膳立ては気に入ったと伝えてくれ。
申し訳ないんだが、心で思っている
いくつかのことを言い終えることが
できないんだ、が、彼はいい奴だから、
やってくれるだろう。それは分かって
いるんだ。何かを組織したりすることに
かけては彼はすばらしい-私なんかより
遙かにましだ。私の心はどっちかという
とだらしないんだが、彼はとてもきちんと
した心をもっている。・・・
とてもとても素晴らしい経験だよ、
こうしてやってきて、この部屋で喋れる
なんて!ここはよく私がやってきて、
他の人たちと話をしたところなんだ。
今はあんたたちと話している。
 
 誰でも彼を知っている者にとっては、
これは紛れもなくJKその人である。
自分を卑下するようなユーモアといい、
説論調の話し方といい、彼以外の者では
ありえない。」

“出典:「オカルト」
       コリン・ウィルソン 著
         中村保男 訳
           平河出版社刊”

このJKという人物の霊は、ドロシー・
パーキンズという霊媒を通して、語った
という事ですが、それをコリン・
ウィルソン氏の知人でありJKの弟でも
あるウィルソン・ナイトのために、
ミス・K・ニールという人が、速記で
書き取った転写が、上の言葉です。
これは、そのJKという人物だと、
私にもとてもよくわかります。わかり
すぎて笑いが涙まじりにもれてきま
した。愛すべき人物だし、彼は愛情
豊かな人物ですね。
またこれほど本人らしさがあらわれている
言葉もないでしょう。さらに私にも
似ているからわかるのです。本人で
なければ出せない味というものが
あって、私のくどい文章の書き方は
誰にも真似できないものであるように
(いや頼んでも真似してもらえない💦)
この彼の言葉も、絶対に他人では不可能
だという事がよくわかります。
また彼が、この霊媒の口を通して語れる
ようになるまで、フィフィの指導を
受けていたという事ですが、このフィフィ
というのは、霊界での彼の守護霊のような
存在だろうと思われます。
つまり、霊となったJKが、この世と交信
するためには、霊媒の力だけでなく、霊
である彼の方にも、なんらかのテクニック
が必要だということを示唆しているという
ことです。
またこのシリーズの次回で、彼がいる霊界が
、天界のようなところであるという事を
ご紹介しますが、このときも、美しい
という言葉で、自分の今の状態というか、
環境を伝えてくれています。
つまり、臨死体験者の経験するように、
霊界は、居心地がいいところのようです。
特に彼のような人物にとっては、という
意味で。
彼は自分の弟ウィルソンナイトを愛称で
あるディックと呼んでいます。
自分の弟のことを語り褒めているところは、
いかにも弟思いのいい人であるJKの性質が
よくあらわれていますよね。
コリン・ウィルソン氏が、自分も実感できる
JKの事例に出会って、また心霊術に興味を
持つようになったという事です。
JKが、伝えてくる霊界の様子などは、
とても貴重な知識となるので、その事を
JKが今度は弟のウィルソン・ナイトの
出席した交霊会にあらわれて語った
言葉から学べます。

それは次回にご紹介させていただくこと
にしますね(^^)/

いつもありがとうございます(*^_^*)

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時空を越えたビジョン最高の霊媒 ギャレット女史


みなさんは、霊媒や超常能力が、一部の
人々の間でだけ、確認されたような錯覚を
お持ちでしょうが、世界ではすでに、
それを多くの科学者たちが検証しているの
です。そして、それらが真実であるとして
認められると考えられているものが、
多いという事なのです。日本の多く人には、
そのような感覚はほとんどないですよね。
それに対して、この記事はひとつの参考に
なると思います。

今日ご紹介するのは、20世紀最大の
霊媒であり、世界で有数の超常能力者と
して知られる、アイリーン・ギャレットの
超常能力、超感覚的知覚についての記事
です。
このギャレット女史は、それこそ無数の
エピソードを残しています。なので、
今回はそのほんの一例という事になり
ます。
そのエピソードは、実験心理学者
ローレンス・ルシャン(一九二〇~?)
という科学者による実験ですが、彼は
もともと超感覚的知覚などあるはずが
ないと思っていたのですが、入念な
研究をするうちに、その考えを改めま
した。そこで出会ったのが、アイリーン・
ギャレットだったというわけです。
では、いつものようにコリン・ウィル
ソン氏の著書からの引用です。

“ルシャンは、霊媒アイリーン・ギャレット
(一八九三~一九七〇)が科学界で高く
評価されていると聞き及んで、彼女と
組むことにした。そして、心理学者として
はじめてギャレットと面会したルシャンは、
こいつは偽物ではないと確信する。
それまでの研究では、四角いボール紙の
色を当てさせる実験が行われていた。
そんな実験は単調で不毛だと思った
ルシャンは、もっと興味深いものに
しようと一工夫凝らすことにする。12歳
の愛娘ウェンディの髪の毛を一房刈った
うえで、隣人に飼いイヌの尻尾の毛を一房
くれと頼み、そして庭からバラの新しい
蕾を摘んできたのである。これを三つの
プラスチック製の空箱にいれたルシャン
は、それぞれの箱のなかに何があるのか、
実験開始にあたって霊媒に教えた。ついで
衝立の後ろに箱を引っ込めて、ギャレット
夫人の腕をせまい穴に深く差しこませた。
そしてルシャンは箱を一つ任意に取り出し
、彼女の手の届くところに置いた。すると
、ギャレット夫人はすぐ中味がウェンディ
の髪の入った箱だと正しく見きわめ、つづ
いて子どもについて信じがたいほど正確な
解説を行ったのである。
第一声は「ヒラリーって呼ぼうかな-
そんな感じ」というものだった。
実際ウェンディは四つのとき、ヒラリー
という少女が好きでたまらなくなり、
名前をヒラリーに変えて、と両親に
せがんだのだった。
だが、そんな出来事は忘れられておりー
長らくルシャン家でも話題にのぼった
ことすらなかった。
ギャレット夫人はさらに、ウェンディ
について気味わるいほど正確な解説-
たとえばウマが大好きだとか、最近は
思いのほか、アメリカ史に興味が芽生
えてきたことなど-を一渡り語った。
イヌに対する洞察も同じく見事なもので、
とりわけルシャンにはイヌ一般について
の知識がまったくないこと、そして
イヌの飼い主の隣人はまだ引っこして
きたばかりだといった。
ギャレット夫人によれば、そのイヌは
足をひどく痛めたことがあり、シーリ
ハムテリア種の仲間がいるようだと
いう。その動物は足をひどく傷つけた
ために、傷が化膿して六週間入院しなく
てはならなかったことや、生粋の
ウェールズ産テリアなのに、何か骨格に
かかわることが原因で、イヌの飼育家
からシーリハムテリアの特徴があるか
聞かれたこともあったと、隣人が立証
してくれた。(ルシャンはそもそも、
シーリハムテリアがどんなものかも
知らなかった)
ギャレット夫人はバラについて、順調
に育てるには土の酸度が強すぎる-
ルシャンは専門の庭師にもそう言われた-
と口にした。”

”出典:「超オカルト」
コリン・ウィルソン著 風間賢二+阿部
秀典・訳 ペヨトル工房刊”

ギャレット夫人が示したのは、サイコ
メトリーという超常能力の一種で、
以前にも超常現象とホログラムその2で、
ステファン・オソヴィエツキー
という最高のサイコメトリストを
ご紹介させていただきましたが、
彼は、手にした物の過去の一映像を
ありありと見ることができるという
ものでした。

しかし、アイリーンギャレットが
口にしたことというのは、その物に
関しての驚くほど詳細な事だった
のです。まるで、その物に関わるもの
全ての情報が、あらゆる角度から、
わかるかのようです。
たとえば、ルシャンの愛娘の髪の毛
から、4歳の時の記憶というか過去の
場面を引き出したのですが、その
髪の毛は、12歳のウェンディのもの
だったのです!つまりその4歳の時に
は生えてなかった髪の毛だという
事です。

ここで通常考えられるのは、
ウェンディの肉体に、その記憶が刻ま
れていたために、以後ウェンディから
生えてくる髪の毛は、それまでのあら
ゆる記憶とともに、4歳の時の場面も
保持しているというものですが、これ
までに、ホログラム的な現実を紹介
しているので、肉体というよりも、
ウェンディのオーラ場にまだ残って
いる過去の一場面を、その髪の毛を
媒体として、ギャレット夫人が読み
取れたと考えた方が、より深い理解に
なるのではないかと思います。

つまりギャレット夫人は、ウェン
ディのこれまでの過去の全てが収めら
れて現存しているホログラムのオーラ場
そのものを、自在に見れているということ
です。しかもそのオーラ場というのは、
臨死体験者が一生を振り返って見た
人生の全映像のように、その時の
自分の気持ち、また相手の気持ち、
さらに360度の視点などが、あり
ありと感じられるものなのです。
そうだとすれば、そのウェンディに
ついてのあらゆる情報が引き出せたの
も、とても理解しやすい事になるの
です。

それとイヌについてやバラについても
同様にあらゆる情報を引き出せたのも、
同じ理由だといえると思います。
我々の現実感覚と違い、真の現実の
世界というものは、アイリーン・
ギャレット夫人のような能力が示す
ような世界ではないでしょうか?
つまり過去は消えさらず、永遠に
残っていて、意識でそれを経験する
ことはいつでもできるという世界
や能力が現実だという事です。
またもちろんこれからも証明させて
いただくように、未来もすでに存在
していて、しかも無数のコースが
あるという事です。

いつもありがとうございます(*^_^*)

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意識のイメージによる未来実現 古代から世界各地で伝わる「視覚化」とは?


20世紀の量子物理学の登場以来、
五感で認識できないもの(古くは
エーテルとも呼ばれていました)や
超常現象についても、科学的な理解が
されていくようになりました。
といってもそれは中世からの西洋科学の
流れであって、もともと世界中では
どこにでもあった理解や考え方だったの
です。
量子物理学も示唆するようになった、
私たちの主観が現実を創りあげている
という概念も世界中で見られたものです。
また私たちがイメージで未来を創造すると
いうのは、本来の意味での科学だと
いってもいいと思います。

意識や魂や思考というのは、世界中で
太古の昔から普遍的な教えとして語り
継がれてきました。
しかし、ここ現代の日本では、教育課程に
ほとんどそういったものがみられません。
それは、また都合の問題もあるからですが
、それでは我々はこの世界で生きる意味
や意義そして真理に対して盲目になり、
生きる目的や幸福とは何かについてほと
んどゆっくり考える暇もないまま、生活に
追われて、そのまま人生を終えることに
なります。しかもそういう教育を受けた
人々の多くが、人生は死んだら全て終わり、
肉体とともに自分という存在も終わると
考えて、虚しく悲観的な利己主義になり
ますます社会が殺伐としてきます。
現にそのような社会になりはじめている
ではありませんか。
あんみんの真理探究の成果で、人は永遠の
存在であることを、科学的な観点からも
正しいことを裏付ける事実や証言を、
徹底して集めていて、もはや肉体は一時的
な借り宿のようなもので、我々はみな一様に
永遠の存在であるという結論に達しました。
今回は、その事をシリーズでお伝えする
「意識と魂と思考」の第二弾ということで、
古来から世界中で伝わる意識や思考、魂
の教えをひもといてみることにしました。

意識や魂や思考といテーマに対して、
科学的なアプローチをして、世界中の学者や
識者から絶賛される成果をあげてきた天才
神秘研究家マイケル・タルボット氏の著書
からの引用です。

“  思考がつくりあげるもの
これまでに見てきたさまざまな「発見」に
ついても言えることだが、私たちの無意識の
心の深い部分、あるいは霊的な部分は、
時間の境界を越えたところまで手を伸ばす
ことが可能であり、自分の運命を決めて
いるのもこの部分だという考えは、多くの
シャーマンの伝承やその他の文献にも見出
すことができる。
インドネシアのバタック族の人々によれば、
ある人間が体験することは、すべてその人
の魂(「トンディ」と呼ばれる)によって
決定され、それはひとつの身体からつぎの
身体へと生まれ変わっていくもので、
その人の過去世の行動ばかりか、肉体的な
特徴までも再生する力を持った媒体である
という。オジヴウェーインディアンも
人生は目に見えない霊、あるいは魂に
よってその筋書きが書かれており、成長と
発達を促すような形にそれが仕組まれて
いると考えている。必要な教訓をすべて
学ばないうちに死んだ場合、その人の霊体
はこの世に戻り、ふたたびまた別の肉体に
生まれ変わるのである。 
 カフナ(ハワイに昔から存在する、未来
予知、手かざしなどによる病気の治癒、
想念現実化などの能力を発揮する人たちの
総称)はこの目に見えない側面を
「アウマクア」すなわち「高次の自己」と
よぶ。ホイットンの超意識と同様に、
それは人の無意識の中でも、結晶化した未来
、あるいは「固まった」未来の一部を見る
ことができる部分だ。
わたしたちの運命を創造しているのもこの
部分だが、そのプロセスを単独で行って
いるわけではない。この本に登場した多く
の研究者たちと同様に、カフナたちは思考
には実体があり、彼らが「キノ・メア」
(影体)とよぶかすかなエネルギー物質で
できていると考えた。したがって、私たち
が持つ希望、恐れ、計画、心配、罪悪感、
夢、あるいは空想などは、心から去った
あとも消滅してしまうのではなく、想念
としてひとつの実体となり、これもまた
高次の自己が未来を織りなすための糸の
一部となるのだ。
 ほとんどの人は思考に責任を持ってい
ない、とカフナは言う。
高次の自己に対し、まったくコントロール
されていない、互いに矛盾しているさまざ
まな計画や望み、恐れなどを常に浴びせ
かけている。
これが高次の自己を混乱させるため、ほと
んどの人の人生は、これまたコントロール
のきかない偶然の産物と見えてしまうのだ。
強い力を持ち、高次の自己といつもつながり
をもっているカフナは、人の未来をつくり
変える手助けができると言われていた。
同様に生きて行く過程で、人々が頻繁に
立ち止まっては自分の人生について考える
時間をとり、自分の望みを具体的なかたちで
思い浮かべることが非常に大切だと考えら
れていた。そうすることによって、人は自分
の身にふりかかる出来事をもっと意識的に
コントロールできるようになり、自分の未来
を自分でつくっていくことができるとカフナ
は説いたのである。
ティラーやスティーブンソンによる、精妙な
中間体の概念(いわば魂のようなもの)を
思い起こさせる考えを用い、カフナはこの
「影体」物質もやはり肉体の型版をつくる
と考えていた。ここでもカフナの中で自分
の高次の自己と非常にうまく波長が合って
いる者は、人の影体物質の形をつくったり
変えたりすることができくると言われて
いた。
ということは、肉体にも同じようにできる
ことになる。奇跡的治癒が行われるのも
こうした仕組みによるものとされていた。
この見解が、思考やイメージがなぜ健康に
あれだけ強力なインパクトをもつのかに
ついて私たちが到達した結論と同様のもの
であることは興味深い。
 チベット密教の神秘主義者たちも、
この思考の「物質」を「ツァル」とよび、
すべての精神活動はこの神秘的なエネルギー
の波動を生み出すと言う。
彼らは、宇宙はすべて心の産物であり、
すべての存在のツァルの集合によって
それは創造され、生命を与えられていると
考えた。密教によると、ほとんどの人は
自分がこの力をもっていることに気づいて
いないが、それは普通の人間の精神が
「大海から隔絶された小さな水たまりの
如くにしか機能していないからだという。
精神の深いレベルに接触する技をもつ偉大
な行者だけが、このような力を意識的に
利用することができると言われており、
彼らがこの目標を達成するために行なった
のは、望むものが創造された姿を繰り返し
思い浮かべ視覚化(観想)することで
あった。チベット密教の文献には、この
目的で行なわれる「サーダナ」とよばれる
視覚化の訓練がたくさん書かれており、
カギュー派のような宗派では、自分の視覚
化能力を完成させるため、僧侶は最長七年間
も洞窟や閉ざされた部屋の中にひとりで
過ごすという。
 十二世紀のペルシアのスーフィたちも、
自己の運命を変えて新たなものをもたらす
のに視覚化が重要であることを強調して
おり、この思考のかすかな物質を「アラム・
アラミタル」とよんだ。多くの透視者と同様
に、彼らも人間にはチャクラのような気の
中心点によってコントロールされる「微体」
があると考えていた。また、世界は段階的に
精妙になっていく一連の存在次元(ハダラー
と呼ばれる)に分かれており、この世に隣接
した次元は一種の型版的世界とされる。
「アラム・アラミタル」はそこで想念の像と
なり、それがやがて最終的に人生の成り行き
を決定していくのである。スーフィたちは
独自の視点も加えている。彼らは、胸の
チャクラ(「ヒンマ」)がこのプロセスを
司っており、自己の胸のチャクラを制御
することが、自己の運命を制御するための
前提条件であると感じていた。”

“出典:「投影された宇宙」
マイケル・タルボット著
川瀬勝訳 春秋社刊”

()内一部あんみんの注釈です。
もうこれで、魂や思考や意識が実体のない
架空のもの、または物質の副産物などと
いう人はいないと思いますが、実際
宇宙は全てまさかの真空です
でご説明したように、物質こそが架空
のもので、実は思考や意識、そして魂
などが、実体と呼べるものだったのです。
それを理解してる人たちが、思考や意識を
現実化させ、病人を意識や思考で治し、
予知能力などを発揮するのだから、どちら
が正しいか、すでに明らかですよね。
唯物論などを信じている人たちは、その
ことを説明できず、「偶然」などと、
苦し紛れに叫ぶことしかできません。
理解できなければ、なんでも偶然
だとか奇跡で片付けるのは、もはや
だだをこねて泣いている赤ん坊と変わら
ないのではないでしょうか?
頭のいい人は、全てには理由があるはず
だと、原因や謎を解明しようとするもの
です。そして太古からの賢人たちは、
これまでみてきたような結論を導き出す
のに至ったというわけなのです。
また世界中のいたるところで、また時代
を違えて、思考や意識、魂に対する考え
が、驚くほど同一の事をいっている事
にも注目していただきたいのですが、
彼らは、インターネットの時代に生きても
いないのです。つじつまを合わせる、
必要すらありません。
その上でほぼ同じ結論を導き出して、
しかも超常能力と呼べるものを、意識
的にコントロールし、実践してきたの
だから、もはや疑う余地がないのでは
ないでしょうか。
カフナの高次の自己は「アウマクア」
そして思考は「キノ・メア」、チベット
密教の神秘主義者は、思考の物質を
「ツァル」と呼び、ペルシアのスーフィ
たちは、思考のかすかな物質を「アラム・
アルミタル」と呼んだ。
これは、全て同じ事を別の言葉で表現
したものにすぎません。
また思考を現実化するために必要だとされ
ている事が、カフナの具体的な形で思い
浮かべる事と、チベット密教の神秘主義者の
「サーダナ」という視覚化、ペルシアの
スーフィたちの胸のチャクラによる視覚化
と言うことで、みんな見事なまでの一致を
みるのです。
またこの本には、続いて超能力者たち、賢人
たちの太古からの教えにも同様の事が伝えら
れていると例をあげて書かれています。
ここまでの証拠をつきつけられて、まだ
思考が物質のような実体ではないと、考え
られる人は、救いようがないと思えますが、
これを読んで理解しておられる人たちも、
同感されますよね。

つまり意識も思考も五感で捉える領域では
ないというだけで、れっきとした実体である
という事なのです。

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江戸時代の識字率は世界ダントツ!知的社会を支えた寺子屋と算学滞納ブームとは?


決して重要な事では真実と
かけ離れた常識や知識を持つ
ように仕組まれた教育やマスコミ
等の情報により、私たち日本人は
自分たちが、いかに優秀な民族で
あったかを知らされないように
してきました。

もちろんそれが間違いである証拠
は、これまでも多くの記事で
紹介してきましたが、今回は
江戸時代です。

江戸時代当時の日本人の識字率は
世界でもダントツであり、庶民の
知識レベルの高さは他に類のない
ものでした。

それをささえたのが、全国に
張り巡らされた寺子屋制度、
そして寺社にクイズ形式の絵馬
として、誰でも自由に出題して
掲げる事のできる「算額泰納」
という知的クイズの算額ブーム
だという事です。

その寺子屋の風景も、「算額泰納」
の風景も含めた江戸の素敵なシーンを
あますところなく、映画のシーンで
際再現してみせてくれているのが
岡田淮一主演で、宮崎あおいヒロイン
の「天地明察」という映画です。

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では当時の江戸のその寺子屋や
「算額泰納」についての記事です。

知的レベルの一つの目安になるのが
識字率ですが、江戸時代の日本人の
識字率がどれほどのものだったか
説明されてるサイトを観て
みましょう。

『』内が引用で、~が中略です。



江戸時代においては多くの子どもが
学校に通い、「読み書きそろばん」と
言われる基本的な学力を身につけて
いました。

貧しい町人の子ですら文字が読め、
中国や朝鮮はもちろん、イギリスや
ロシアなどに比べても識字率では
大きく上回っていたのです。

幕末の頃の識字率はなんと7割~9割


文章の読み書きができなければ、
書物を使って学習することが
できません。それゆえ、就学率が
識字率の一定の判断材料と
なります。

江戸時代後期のわが国においては、
江戸の就学率は70%~86%程度
だったとされていますので、
少なくとも識字率はそれ以上
だったと考えられます。

▲江戸時代の教育

イギリスの大工業都市では
20%~25%にすぎなかった
同じ時代のイギリスでは、大都市
でも就学率は25%以下であり、
識字率は極めて低かったと
されます。

産業革命によって世界の工場と
呼ばれるようになり最盛期を
むかえた時代においてすら、
下層階級の子どもの多くは文字を
読むことができず、識字率は
1割程度だったと言われています。

フランスではほとんど学校に
通っていなかった!?
わが国が江戸時代だった頃、
1794年にフランスでは初等教育の
無料化が実施されました。

しかし、それでも10代の就学率は
わずか1.4%と極めて低く、識字率
も高まりませんでした。

もちろん、富裕層の子弟は学校に
通わず、家庭教師によって
教えられていたという事情も
あります。

しかし、そうした教育を受けられる
のはごく一部に過ぎず、国全体の
識字率はわが国とは比べ物に
ならないほどに低かったのです。

武士で文字の読み書きができない者
はいなかった
江戸時代の政治・行政の担い手で
あった武士階級は、現代でいえば
公務員にあたります。職務において
「書類」は欠かせません。

戦国時代から江戸時代初期までは
「武力」が重要視されましたが、
太平の世が長く続くと次第に「学力」
重視に変わっていきます。

必要な能力が学問によって得られる
ようになり、武士にとって学校に
通うことは剣術を磨くこと以上に
重要になっていったのです。

当然のことながら、江戸時代の
武士たちの識字率は100%でした。

ニコライ堂のニコライも驚いた!?
江戸時代の末期にわが国を訪れた
ロシア正教の宣教師ニコライは、
8年間の滞在後ロシアに戻り手記を
記しています。

その中で、国民全体に教育がいき
とどいていることや、孔子(論語)の
ような高度なものを、知識階級は暗唱
できるほどに、また身分の低い者
ですらかなり詳しく知っていることに
驚いています。

江戸時代のわが国においては、世界で
類を見ないほどに教育がいきとどき、
識字率においては、ダントツに世界一
だったと考えられます。

“出典:「江戸時代Campus」様
のサイト
江戸時代の識字率は世界でも断トツに
高かった!?
より”

ただ明治時代になって、西洋の軍事力
を目の当たりにしてから、西洋式の
近代教育を取り入れ、西洋式の軍備を
手にしようとしたため、江戸時代とは
別のタイプの教育に変わってしまった
という事です。

もう一つの意味は、明治政府に影響力を
持つ欧米の権力者の意図通りの教育
システムに切り替えさせられたという事
でもあるでしょう。それは現在でも
我々を苦しめる事になる、中央銀行
システムによる貨幣経済への移行と
同様だという事です。

以下は
『「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊』
を参考文献としています。

さて和算が世界最高水準だったのは、
確かな事実のようで、たとえば
皆さんもご存知の円周率の公式を
世界で初めて発見したのが、有名な
和算学者の関孝和の高弟の建部賢弘
という人物だということです。
後年スイスの数学者が同様の公式を
発見したけれども、それにさきがける
事15年だったという事です。
円周率は、なんとギリシャ時代の
アルキメデスがすでに3.14という
ところまでは、導きだしていたのです
からまたしてもギリシャのレベルの
高さを思い知る事になるわけですが、
江戸時代の和算も相当高いレベルで
あったようです。

江戸時代も中期にさしかかると各地で
「算額奉納」というものが流行した
らしいです。
算額は、数学の問題と解法を書いた
大きい絵馬のようなもので、おもに
神社に奉納されたという事です。
人目をひきやすいように派手に彩色
した図形問題が好んで選ばれ、
スペースが限られているため、簡潔な
式を答えとする問題が多かったよう
ですが、和算家はもとより、庶民も
こぞって算額を掲げ、難問が解けた
ことを神様に感謝し、自分の数学の
到達点を世間に向けて自慢した人。自作の
難問を算額で発表する人もいたようです。
いかに、江戸時代の庶民の知的水準が
高かったかわかるとともに、知的欲求も
相当貪欲であった事がわかります。

まあ現代でいえば、クイズやパズルの
ブームのようなものだと思いますが、
問題を考え出したりするところに
知性の高さを感じますね。

つまり算額の額とは大きい絵馬の事で
そこにいろいろと難問や図形や数式を
書き込んで神社に奉納といいながら、
世間に発表するブログのようなもの
だったという事です。

なんだか親近感が湧いてきますねー。

その算額を見た人が問題を書き写して
持ち帰り、一人で悶々と考えたり、
仲間と大騒ぎして解きあったり、
さらには解法を発見すると、それを
また算額にして発表する事もあった
という事です。

まさに和算での一つの同好会のような
ものが、神社の算額を中心に全国的に
流行したという事なのです。

しかもその算額には、ノーベル化学賞
を一九三七年にとったフレデリック
ソディーの「六球連鎖の定理」とほぼ
同様のものが、それより115年も
前の一八二二年に商人の入澤新太郎と
言う人物によって奉納されていたの
ですから驚きですよね。

和算は、地方に数学を教えてまわる
「遊歴算家」(ゆうれきさんか)
という人達がいて、やはり地方の
多くの勉学熱心な人々に歓迎された
という事です。

このようにして和算は全国津々浦々に
浸透し、ついには、自分がどれほど
算術好きか死後もアピールするために、
墓石に和算の問題と解答を彫らせる
者まで現れたらしいのですが、
「算題墓石」と呼ばれるこうした
お墓は、全国各地にいくつか残されて
いるそうです。

こうして江戸時代に全国に浸透して
いた和算が上に書いたような理由で
徐々にオモテ舞台から姿を消して
いったようです。

しかし、楽しみながら生活に密着した
数学が身につく和算の良さは、近年
見直されて、なんと小学校の教科書に
復活したり、算数や数学好きの現代の
子供たちが自作の問題を算額にして
神社などに滞納する事もあるらしい
です。全く知りませんでしたね。

また海外でも算額ファンが増えていて
2008年には、フランスで算額の
専門書まで刊行されたという事です。

以上の参考文献が
『「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊』

それにしても墓石に和算の問題と解答を
彫らせるとは、ある意味ロマンですねー
私は、伝統とかそれほど重要視しないで
生きてきましたが、ここで将来
自分が死ぬ前に、自分の墓石に、真理
探究の成果を彫って残しておきたい
と思いましたね。しかし文字数が
軽く10万は越えそうなので、彫って
もらうと天文学的なお値段になりそう
なので、自分で彫るしかないかー💦
しかし、技術を手に入れ、それだれけの
文字を彫るためのスペースを確保する
墓石も用意しなきゃいけないし、
うーん、そっか図形で一発で表現
できる真理ならいいわけだなー。

よーし、これを数千年後に見た未来人
が賞賛してくれるか、はたまたレベル
が低すぎて笑われる事になるか、どちら
にしても楽しみではあると思います。
みなさんも墓石でなくても、自分が
この世に残していくものがいろいろ
あった方が楽しいとは思いませんか?

もちろんいろんな方がおられると思い
ますが、墓石に刻むというのは、一つ
夢があると思いました。

さて江戸時代のこのような知的社会を
支えた

江戸時代に庶民に流行した算額・
和算ブームを支えたのは、寺子屋
の存在があったためという事です。

この全国に1万以上存在したと
いわれる寺子屋について今回徳川氏
の末裔の徳川宗英氏の著書から
ご紹介したいと思います。

『』内が引用で、~が中略になります。

『 究極の個人授業「寺子屋」
江戸の庶民は、なぜ、むずかしい和算
の問題が解けたのだろうか?
もともと日本人の知的水準は高かった
ようで、江戸初期に来日した宣教師たちは、
庶民の質問が非常にハイレベルで驚いた、
書き記している。それに加えて、庶民の
ための初等教育施設・寺子屋が、和算を
広める舞台として重要な役割を果たした。

「寺子屋」という名は、室町時代に武士
の子弟教育が寺院で行われたことに由来
するという。江戸時代には、おもに上方で
使われていた呼び名で、江戸では
「手習い指南所」とか「手跡指南」などと
呼ばれていた。
 寛永年間に各地の都市部におこった
寺子屋は、江戸中期になると農村や漁村
へも広がった。貨幣経済の浸透とともに、
農民や漁民も売買や銭の貸し借りの証文
(契約書)や手紙などに接する機会が増え
、「読み書きそろばん」のニーズが
高まったからだ。
寺子屋の師匠は、おもに武士・僧侶・
神官・医者などで、二、三十人ほどの
子供を自宅に集め、日常生活に必要な
文字の読み書き(手習い)や算術の基礎を
教えた。女性の師匠もかなりいたらしい。
いま、学校の成績でトップクラスを
占めるのはほとんど女性だというが、
勉強好きの女性はむかしからいたのだ。

~さて、寺子屋は、男女共学が多く、
だいたい数え年七、八歳で入門した。
これを「登山」といい、男子は十一歳ごろに
「下山」するのが一般的だった。
卒業が早いのは、家業を手伝ったり、奉公
に出たりするためだ。

 授業時間は午前八時ごろから午後二時半
ごろまでだったが、子供たちの年齢は
まちまちだし、家の手伝いもあるため、
遅刻・早退はおかまいなし。
服装や髪型の規則もなかった。
師匠の教え方や人柄が気に入らなければ、
何の手続きもせずに子供を“転校”させる
ことができたから、いいかげんな師匠の
とこには生徒が集まらず、自然淘汰
された。
 授業料は、各家庭の経済状況によって
師匠が考慮した。農村部では、野菜で
支払われることもあった。
教育は「サービス業」ではなく師匠たち
のボランティアに近かった。
幕府は寺子屋に対して経済的援助を
しなかったが、公権力の強制や統制も
さしてなかった。しいていえば、
道徳教育を重視するようお触れを出した
ことぐらいだ。指導法も師匠に任されて
いた。教育現場は、いまよりよほど
自由だった。~

~江戸時代を通じて、印刷された教科書
は七千種以上、手書きの教科書も含めれば
数万種におよんだという。教育熱心なこと
にかけては、世界一だったといえる。

(引用注:江戸時代の識字率が、欧米諸国
に比べても、比較にならないほど高く、
世界最初の数学的発見など、知的レベル
そのものが世界一であったという方が正確
でしょうが、それもこの寺子屋が背景に
あったためだという事ですね。)

幼い子には師匠が寄り添って「いろは」の
手ほどきをした。紙は貴重品だったので、
最初は薄い墨で字を書き、徐々に濃くして
いって、半紙が真っ黒になるまで練習した。
 教材は生徒一人ひとりの進度や稼業に
よって与えられ、自学自習を基本としたが、
ときどき師匠が習熟度をチェックした。
与えられた教材を完全に終えるまでは、
次の段階に進まない。この徹底した
個別指導が、世界でもまれな高い教育水準
を可能にしたのだった。』

“出典:「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊”

ここで注目したいのは、幕府が寺子屋に
経済援助をしないかわりに、教育内容の
強制や統制がなくて、師匠の自由に
任されていたという事です。
つまり国家にとって都合の良い国民に
なるように、教育を画一・強制している
現在とは比べ物にならないほど自由
だったという事です。
この現在の教育が、国家権力にとって
都合の良い国民を育てるためにある
という事に違和感のある人たちは、
私の「隠された歴史編」や
宇宙の仕組み編」などをご覧になれば、
いかに私たちが真実から遠ざけられて
いるかわかっていただけるように
なっています。

また自由のない、まるで軍隊にいる
ような現在の学校教育と違って、
髪型も服装も、授業時間も全部
自由で、なんと師匠まで選ぶ権利が
あるなんて、本当に自主性を重んじて
子供が、自発的に学べる環境が整って
いたようです。
また現在のように押しつけの学問では
なく、必要性やレベルに応じて教科書
が与えられ、自学自習が基本というのも
素晴らしい。基本的に自分で学ぼうと
すると、手取足取り教えてもらうより、
思考力や理解力、想像力が鍛えられ、
文字から自発的に意図を読み取ろう
とするので、確実に自分のものにして
いけるのです。そして間違えた解釈を
しているものであれば、個別にチェック
してくれる師匠が訂正してくれて、
軌道修正してくれるという事です。

なるほどこれなら、楽しんで、自分
から学びたいという気持ちになる
のも自然であると思います。

さてこのあとも寺子屋の事について
説明があるので、要訳させていただくと、
江戸時代には寺子屋は1万校を越えて
いて、現在で同じ年齢に相当する
小学校は、二万一千校くらいだといい
ます。しかし、江戸時代の人口が、
現在の五分の一だったという事を
合わせて考えると、圧倒的に江戸時代の
方が、教育機関が多かったという事です。
ここには、詳しく書かれていません
でしたが、さらに学問を究めようとする
生徒たちは、引き続き師匠たちに高度な
教えを受けていた事は間違いない
でしょう。

明治になって小学校が各地に開校される
と、国の統制もあり、寺子屋の数は
次第に減っていって、明治十年代には
ほとんど姿を消したようです。
で、嘘っぱちの歴史や科学を全国一斉に
教え込まれたわけだという事ですね。
寺子屋のような「超個別指導」とは真逆の
「一斉授業」に反発する親も多かった
ようです。

で当時の日本は、欧米諸国がおよそ一世紀
かけてようやく成し遂げた国家の近代化を、
わずか三十年ほどで達成したのですが、
その原動力は、やはり寺子屋があったから
だという事ですね。

いや近代化で、確かに欧米諸国に匹敵
するような軍事力も得られたといって、
私たちは、今それを喜べるでしょうか?
たとえ欧米諸国の誘導のままに一部の
支配階層が、大陸を攻める決定をした
にせよ、同じアジア人に対して、取り
返しのつかない過ちを犯しているのです。
爆弾落として、人を殺傷してもなんの
大義も得られません。
残るは罪と日本人に対する怨恨だけだ
という事です。
同じ事は、当然西欧の軍事介入にも
言える事です。
アメリカに攻められる以前のイラクは
とても豊かで、知的水準も高かったのに
現在は、とてもひどい状態になって
います。
ウソだと思うなら次の記事をご覧に
なるといいでしょう。

イラク戦争開戦から15年
「希望なんかどこにもない」
―続く苦難、見放された避難民たち

こういうニュースがほとんど私たち
の目にとまらないようにされて
いるため、未だに米国が守ってくれる
などというありもしない、幻想にすがる
人たちが圧倒的に多いのです。
すでにトランプ大統領が、安全保障上
最優先するリストから日本を外して
いますし、そもそも日米安保というのは、
日本を守るという意味ではなく、もし
日本に軍事的危機が訪れた場合、
いったん米国の国会で討議され、米国
の国益になると判断して初めて
米国が軍事介入をするという条約に
なっているのです。
この事も知らない人も多いでしょうが、
もはやこれは自分でお調べくださいね。

話を明治以降の日本に戻しましょう。
もちろん軍事力をつけなければ、欧米
に支配される運命にあったのかも知れ
ませんが、結局現在しっかりと米国の
いいなりになって、健康や富や自由や
権利をどんどん奪われている現状は、
とても近代化が成功した証とはいえない
と思います。

また鉄筋コンクリートの建物は人体に
とても悪影響を及ぼし、現在の洋風建築
に使われる資材にも、同様に身体に
有害なものが使われています。
昔の木造建築は、とても頑丈で耐久性も
よく、いつまでも長持ちするものが
多かったし、とても健康的でした。
さらに、重化学工業が発展した事により
大気汚染や河川・海洋・土壌汚染が進み
以前は潤沢だった、農作物がどんどん
減少していき、自然物に囲まれて、
身体に良い食事が出来た頃とは、雲泥の
差になっていったのです。

日本では、実は念入りな情報統制のため
あまり知られていませんが、米国で科学者
たちが、徹底的に世界の食事調査をして
健康に良い食品や食事方法を調べた
マクガバン・レポートというものがあり
米国の国会でも発表され、アメリカ国民
からは大絶賛の反響があったものですが、
肉・乳製品・小麦を主体とする欧米型の
食事は成人病になる危険が非常に高く、
それに対して、世界で健康的な食事を
調査していって、世界最高の健康的な
食事方法だとされたのが、なんと
「江戸時代」の日本の食事だったという
事なのです。

だから、放射能汚染で騒がれる以前は、
世界中で日本食ブームが起こっていった
というわけなのです。

また寺子屋に話を戻しますと、師弟関係
はとても濃密で、それを象徴するのが
「筆子塚」です。
当時、寺子屋の生徒は「筆子」と呼ばれ、
師匠が亡くなると、筆子たちが銭を出し
合って石碑を建て、遺徳をしのぶ習慣が
あったのだという事です。
なんという師弟愛でしょうか、親身に
なって教えてくれた師匠を生徒たちは
心より尊敬していたそうです。

また親や地域の人たちも教育熱心でした。
押しつけるという意味ではなくです。
親たちも師匠を尊敬して、裏長屋で
教えるような貧しい師匠でも、人柄や
教え方がすぐれていれば、銭を出し
合って、畳変えの費用や暖房費の炭代
を負担するなど、寺子屋経営を側面から
援助して、さらに地主や大家が広い教室
を提供することもあったというのです。

つまり子供たちが実学をしっかり
身につけて、自分の力で生きていける
ようにという真心により、寺子屋を
中心として、民が一体となって子供たち
を育てようとしてくれていたという事
なのです。

“参考文献:「江戸は世界最高の知的社会」
         徳川宗英著
         講談社+α新書刊”

私は、この寺子屋制度こそ、本当の教育
だと思いますが、みなさんいかが
でしょうか。
自由があまりなく、校則や規則に縛られて
いるのにもかかわらず、いじめが横行
たり学力格差も深刻になっていた
2019年まででも、この寺子屋制度とは
くらべものになりませんが、2020年
以降、子供たちの不健康なマスクを強いて
ソーシャルディスタンスや会話の禁止、
粗末な給食、そしてまさかの超危険な
ワクチン接種事業に積極的に参加する
などの悪夢のような教育現場の現在、
みんなが、自由に和気あいあいと学べて、
それぞれの個性を尊重していた寺子屋を
もう一度有志ででも取り戻していく事が
今子供たちのために絶対必要な事だと
思います。

しかもすでに一部でそういう動きも
出てきているようです。

ではまた(^^)/

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声の主が告げた「振動しているものは幻想」とは、物質世界の最大の秘密だった!


この記事は
永遠の命は神から与えられなくても、
すでに我々のものだった!

の続編です。

前回アイクが南米ブラジルの熱帯雨林の
イベントで、自然の向精神薬であり
五感の感覚を麻痺させ、本来の意識に
移行できるというアヤフアスカを
服用した時に、究極の意識と思しき
内なる声から告げられた、あらゆる
真理について前半部分をまとめていき
ました。

我々が時間の環に囚われている事や
本来の意識は、無限の知識、知性と
潜在能力と可能性を内在させた
ワンネスの絶対意識である事などが
伝えられ、私たちは全て、その全宇宙
全時空、全次元の意識そのものである
事がわかりました。

そしてアイクはさらなる真理を、
絶対意識の至福の領域で、声の主から
告げられる事になります。

以下「」内が引用で、~が中略になり
ます。

「そして、いかにして人類が、本来の
無限なる存在でなく、錯覚の「人格」を
自分と思うように操られてきたかに
ついて私は説明を受けた。これにより、
人類は分断された状態にある。~
~(引用注:このあとアイク氏が信じ
られないような至福と調和の場所を
経験したあと、声の主が語りかける
ところからです。そして以下は、私
たちが、人類とは別の存在から操作
されているという事も示唆してくれ
ていることになり、私が土星
ついて語ってきた事の裏付けにも
なっています。)~

~「この場所にいて、怒りや欲求不満を
感じたか?」と質問された。
いや、感じなかった。
そして、今いる場所で、恐怖や不安、
罪の意識を抱くことがあるか?」と。
いや、それもない。調和と、愛、至福が
あるのみだ。

「欲求不満、怒り、恐怖、罪、苦痛は、
錯覚に過ぎない。切り離されたマインド
(肉体的思考や感情)の産物である。
これらは、あなたの想像の中にしか
存在しない」と声は告げた。

(引用注:これは、私たちの本来の
意識の状態が至福の領域なので、
私たちが、分断された意識としてとら
われなければそれらのネガティブな
意識は生まれないと言っているわけ
です。全て私たちの分離意識が
もたらした幻覚であるという
事ですね。)

我々が宇宙と呼んでいるものは、ホログラム
の錯覚であり、プラネタリウムの天井に
投影された「星空」を見上げているのと
似たようなものだと教えられた。唯一の
違いは、宇宙はホログラムなので三次元に
思えるように投影されているだけだという。
この話はあとでもっと詳しく述べる。

(引用注:このホログラム的現実については
超常現象とホログラム編の一連の記事で
とても詳しく説明させていただいてます。
私たちの投影している現実はこの光の波動
の干渉であるホログラムの立体動画状態
であるという事です。これを量子物理学者の
父と呼ばれるデービッド・ボームは、
「ホロムーブメント」と呼んでいます。
この五感が投影するホログラム的現実と
フラットアース論者のいう宇宙観を
一緒にしてはならない事に注目です。

彼らが、空に映る太陽や月はホログラム
で映像を見せられているにすぎないと
いう主張は、本来の我々の知覚する
五感の投影としての太陽や月ではなく
空にホログラム映像として投影された
ブルービームプロジェクトの投影
としての太陽や月を取り上げて
いるにすぎないのです。
つまり彼らが観ているのは、五感の
投影としてのホログラム的仮想現実の
物質世界の中での、ホログラム映像
であるというだけです。
いわばホログラムの中のホログラム
という事です。

もちろんフラットアースは、矛盾
だらけで、間違いである事は、少し
思考を働かせるだけで、すぐに
わかります。
その事は、以下の記事で詳しく
説明しています。

フラットアースが真実かどうか
新しい視点を持ち込みながら検証!

宇宙は我々の条件付けされた想像の産物で
あり、我々がそうであると信じるから我々
の現実になっているだけであると声の主は
説明した。こうした観念に導かれたときは、
極めて単純な形態の情報で伝えられたが、
後になって「そうであると信じる」という
ことの意味をずっと深く具体的に理解する
ことになった。~

(引用注:これは私たちが自分の意識を
投影して現実を創造しているという真理を
説明しています。これが「現実が、私たち
の意識が投影したものでなく、客観的な
物質的現実として存在していて、自分達と
分離したものとして認識するように誘導され
てきた」事の大きな理由だということ
です。つまり私たちは、自分たちが意識で
あり、全ては意識の投影されただけのもの
という真実から目を逸らされてきたのだと
いう事なのです。)

~「時間の環」の中にあるもの全て、
多層化されたマトリックスの全域に
ついてそうであるが、地球はホログラム
の投影であり、地球の「表面」も錯覚
である。「今地球上にいるというのは、
自分でそう信じているからに過ぎない」
と声の主は言った。」
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

まずは最初の声の主の言葉にあった、
「欲求不満、怒り、恐怖、罪、苦痛は、
錯覚に過ぎない。切り離されたマインド
(肉体的思考や感情)の産物である。」
ですが、これは、私たちが太古の昔に
黄金時代から突き落とされた時に人類の
DNAが改ざんされた事から、左脳が
劣化し始めて、ネガティブな感情を
持つに至ったという証拠を以前記事で
取り上げていましたね。

転載してみましょう。

『およそ20万年前に突然進化が止まり、
ピーク時に約1440グラムあった脳の
重量は、その後、約1300グラムに
減少したという。
   (中略)
もちろん、世界中の伝承にも、楽園の
状態(黄金時代)から「人間の堕落」に
切り替わったという話が共通して見受け
られる。

ジンとライトは、我々は、現実感覚の
限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能
障害のため、知覚的にも生理的にも、
かつての人間の劣化版になっていると
正しくも述べている。
これは私が長年言ってきたことと同じ
である。
両名によると、「人間の脳には、構造的にも
機能的にも、大幅かつ長期的な衰退が
あった」形跡があり、「その障害は基本的に
支配的な側(左脳)に集中している。」そう
である。我々は、その状態で生まれ、年を
取るごとに進行していき、「損傷した左脳」
(左脳は現実の知覚で支配的である)を
作っていくという。
 その症状はさまざまであるが、特に鬱病
(うつびょう)、大幅に欠陥のある免疫
システム、歪んだ性行為があるとし、
知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、
意識の状態(あるいはそれに相当するもの)
に極めて深刻な障害が発生していると述べて
いる。』

“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

要するに20万年前に、一気にあらゆる
生命種が地上に出現した時に、同時に
黄金時代の人類の遺伝子も書き換えられて
しまった事から、左脳が劣化し始めて、
「鬱病(うつびょう)、大幅に欠陥のある
免疫システム、歪んだ性行為」に
つながったという事です。

つまりうつ病は、太古の昔、実に
20万年前からの人類にお馴染みの
精神的な病いだったという事なのです。」
とこういう事だったのですが、結局左脳の
劣化による鬱病が変化して、あらゆる
ネガティブな感情になっていったと
考えられるので、やはりこれが
太古の昔に仕掛けられたプログラム
であったと想定できるという事なのです。

また最後の「地球の上にいる」というのも
錯覚だというのは、とても感覚的に
すぐには納得できないものだと思いますが、
それは私たちが、間違った空間認識をもとに
理解しようとしているからだと思われます。
これまで説明させていただいてきたように、
私たちの五感による空間の認識は、本来の
意識からみれば、表裏逆転したものである
という事なのです。
ここで思い出していただきたいのは
超常現象と電磁界異常その6      
北極圏と南極圏その2
という記事で
北欧のヤンセン親子が、北極圏で時空の
ゲートに入り込んだ時、なんと空間が歪め
られ、水の壁の中を進んでいったという事
がありました。つまり空間が私たちの認識
とは全く違ったものになっていたという事
ですね。
そして彼らが入り込んだ地下世界とおぼしき
世界の空間は、なんと私たちでいう地表が、
地球の裏側にはりついて、中心に太陽がある
という世界だったのです。
(壁に人の住む場所が張り付いているという
のは、太陽は中心にはないけれど、あの
ガンダムのスペースコロニーみたいな感じ
ですね)
つまり完全に表裏が逆転した世界だったという
わけですね。
こちらが、真実に近い世界の方だとすると
私たちが、地球の表面にいるという現実
認識の方が錯覚であるという事になります。
いずれにしても、これらの現実は全て、
実体である意識の投影でしかないという
のが真理なので、空間の認識は実は
いかようにもなるという事が正解だと
思われます。また絶対意識領域では時空
の全てが、同時に存在していて、それらは
意識の投影により、あらゆる現実を映し
出す事ができるという事です。
わかりやすくいえば、無限の世界を
内包した意識の世界が絶対意識であり、
またそれが本来の私たちだという事です。

そして次が、今回一番注目していただき
たい究極の真理についてになります。

その真理の答えをすでに画像タイトルに
使用してます。

このタイトルにこそ究極の
真理が、込められているのです。

どういう事か、今回できるだけわかり
やすく説明していきますね。

まずは、そのために、声の主の言葉
から観ていきましょう。

前回で、アイクは、声の主から、本来の
現実世界は、五感で私たちが認識している
世界とは違うものだとはっきり告げられ
ました。
しかし、これは太古の昔からの賢人や
思想家、東洋哲学や宗教、世界中の思想
としても言われ続けてきた事です。
これに完全に逆の立場なのが、私たちが
教育で絶対的な真実のように教え込まれて
きた西洋科学、主流の科学界、いわゆる
アカデミズムというものです。
これは、五感で確認できるもの以外は、
「科学的ではない」という不動の概念
により成り立っています。
それが完全に幻想だという事を、声の主
が告げてくれた事になります。
そして、本当の現実を愛以外の言葉で、
説明してくれる事になります。
今回は、その時のやりとりからになり
ます。

『』内が引用で、~が中略になります。


「絶対に忘れてはいけない。無限なる愛
だけが真実である。それ以外は何もかも
が錯覚だ」
と声の主が告げた。それから何かとても
深い意味のある言葉を残した。

これについては、少し後になって、私が
このテーマに関係のある体験をしたとき
に、完全に意味が把握できたものである。

“振動するものは、錯覚である。無限
なるものは、振動しない。無限なるもの
は、全ての調和であり、一つである。
錯覚のみが振動する。マインドの
思い込み、想像が作り上げたものである。”

(引用注:この絶対意識領域での声が言う、
振動するものは錯覚であるという事こそ、
私が宇宙の真理編の一連の記事で、説明
してきた事であり、絶対意識領域は、
振動0の状態であり、波動のない状態
であるという事なのです。そしてまた
このことから、より低振動、また低い
波動の方が、高次元の意識に近い状態
であるという事もいえるというわけなの
です。)

前にも述べた通り、一つであること、無限
なる一体感の状態を経験していたとき、
そこには振動はなく、静寂あるのみで、
せいぜいゆっくりとした動きの波があった
だけだった。物理学の「法則」も錯覚で
あると告げられた。』

“出典:「ムーンマトリックス
〈覚醒編6〉」
デーヴィッド・アイク著
訳 為清 勝彦  ”

この振動するものは錯覚であるという
ところが、あまりにも重要な真理なの
です。

振動とは、波動の事で、スパイラルで
あるという事をまず説明させていただき
ましょう。

私たちがいかに、一面的な理解の仕方を
してきたか、よくわかっていただけると
思います。

まずは、私たちの自然界にある振動という
ものがどんなものか、360度の視点で
観ればよくわかります。
ここで言う波動とは、スピリチュアルで
いうところの、単に見えない意識レベル
としての波動とは違って、物理的な
意味での波動です。

自然界の波動というのは、正弦波
なので、以下のような図解と動画で
あらわす事ができます。

“正弦波
単振動
波をよく伝える媒質はばねの性質を持ち
ます。
ばねの性質が無いものは波をよく伝える
ことができません。ばねは、伸ばされれば
伸ばされるほど強い力で引き戻そうと
します。この力を復元力といいますが、
復元力を持つものは単振動という動きを
します。簡単に説明し
ます。

物体が円周上を一定の速さでまわり続ける
運動を等速円運動と呼びますが、この物体
に横から光を当てると壁に映った影は
周期的な往復運動をします。

この動きを単振動といいます。物理において
等速直線運動の次に基本となる重要な運動
です。


各点が隣の点を引っ張っり上げたり
引き下ろしたりしながら次々に伝わるのが
波です。波をよく伝える媒質はばねの性質を
持ち、各点がこの単振動という動きをして
います。目を凝らして1つの縦の線に注目
して見てください。
このときできる波の形はきれいに整って
いて、正弦波と呼びます。数学で習う
正弦曲線(サインカーブ)と同じ形なので
このように呼びます。”
“出典:「正弦波 わかりやすい
高校物理の部屋」

つまり私たちの現実世界の振動とは、
スパイラルの波動を一面的な角度で捉えた
ものだという事なのです。

つまり声の主が語った、振動は錯覚という
のは、私たちの現実の基本エネルギーの
スパイラルの波動が錯覚だと語って
いるという事なのです。

そしてまたそのスパイラルは、トーラス
の中心軸として、循環しています。

その事を説明した記事から転載して
みましょう。

文中の、ホログラムというのは、私
たちの視覚的現実が、光の電磁波の
干渉で、それがホログラム映像の
仕組みのように、全ての部分に、
全体の映像が反映しているという
意味の言葉になります。

「さて宇宙のホログラムのフラクタルの
性質がどんなものかもう1度確認
できるようにまた以前の画像をお借り
してきました。


“出典:「はーとふるユニバース」様”



“出典:「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究」様」”

これが宇宙の極大から極小にいたるまで
の、宇宙の同質のエネルギー形態です。
通常この外側のドーナツ部分だけを
とってトーラスと呼びますが、真ん中を
やはりスパイラルのエネルギーが、同時
に流れる事になるので、これはセット
で考えた方がいいです。
またここから想像できる方は、右脳が特に
発達されている優秀な方だと思いますが、
この中には、メビウスループ
(メビウスの輪)のエネルギーの循環も
含まれているのです。
これが、我々の視覚情報では捉えきれ
ていない、宇宙の真の性質であり、
全て極大から極小まで同じ性質だという
ことです。
そしてまたそれは、宇宙がホログラム
的映像である事も証明しているのです。」

つまり自然界に普遍的に観られる
波動は、スパイラルであり、そして
真逆のスパイラル波動が、二重螺旋
の携帯で、トーラスのエネルギー循環
となっているという事なのです。
そしてそれが私たちの視覚的現実の
正体だという事なのです。

そして先ほども図解で説明したように
振動とはスパイラルという事なので、
声の主のいう振動が錯覚というのは、
このスパイラル・トーラスが、錯覚で
それこそが、我々の意識が囚われて
いる五感的現実の認識だという事なの
です。

この事こそ、私がみなさんお伝えしたい
真理として理解の一つなのですが、
なかなか難解でしょうか?

今回のこのような現実の理解こそ、
現在のような支配層が、人類を無理矢理
管理支配されるような社会へ向かわ
されている現実を解決するための大きな
鍵だと思いのです。

なぜなら、彼らは今回説明したこのレベル
の現実をよくよくわかっているから
なのです。

さてアイク氏の絶対意識体験の続きを
観ていきましょう。

「物理法則は存在しない」と声は語った。
「科学者たちは、錯覚である宇宙を推し
測るために錯覚の法則を作り出した」。

(一見荒唐無稽なようで、信じにくい
かも知れませんが、量子物理学では、
この事は広く認識されている考え方の
一つであり、主観が現象を決定する
つまり科学者の思い込みや視点が、
実験結果を左右する事を、すでに何度
も実験で証明しているのです。

五感の認識に頼る時点から、その錯覚が
始まっているというのが真相だと
いう事なのです。ただほとんど全ての
人がその錯覚のプログラムに従っている
ので、共通の認識として物質的世界が
絶対的な現実としてあるように投影
されていくという事です。
これが「集合意識による現実の投影」
という事です。

ここで重要なヒントがあります。
私たちの潜在意識に現実化させる力が
あるというのは、知られるようになって
きましたが、物質的な現実は個人の
意識による投影というより、人類の
集合意識の投影なのです。
つまりほとんど全ての人が、DNAに
プログラムされた五感の狭い認識領域に
従っていて、集合的な潜在意識となって、
強固な物質的世界を現実化しているという
のが真実なのです。)

全てはただ存在するだけであり、いかなる
種類の法則もない。
「無限なるものが、自らを現出するための
法則を必要とすると思うか?」。
物質界・非物質界を「支配」すると言わ
れる物理学・数学などの法則は、マインド
(引用注:五感の認識という意味)の
産物である。科学者たちが、そうした
法則の存在を信じるならば、彼らは
そうした法則を経験することになる。
私は、これについても、後により深く
理解することになった。
こうした錯覚は、誰かがやってきて、
プログラム(信念、集合的現実)を書き
換えるまで、継続すると声は語った。
誰かが変更すれば、こうした法則は
働かなくなる。我々が「奇跡」と呼んで
いるものも、プログラムされたマインド
を克服したに過ぎない。
できるはずがないという思い込みを打ち
破り、通常とは異なる現実を生みだし、
経験しているわけだ。
プログラムの中にどっぷり浸かっている
人は「あり得ない」と思い、実際に
そうした認識状態では不可能に思える。
その結果、「ありうる限界」を超えた
ことを「奇跡」と呼ぶことになるが、
本当は「奇跡」ではない。
足も炎も錯覚に過ぎないと知っている
認識状態に入っていくだけのことである。
錯覚が錯覚に火傷を負わせることは、
そう信じていなければ、できない。
こんな話を初めて聞いた人にとっては、
奇妙なことに思えるだろうが、この後を
読み進めてもらえると極めて単純明快に
なるだろう。
不可能なことは何もない。
「できるはずがない」という思い込みに
よって、不可能なように思えるのである。

実験を行う科学者の思い込みが、実験結果
に影響を及ぼすことは、多くの例で示され
ている。
「法則」と言えるものがあるとしたら、
「あなたは、あなたが信じることを認知
する」ということだ。」

“出典:「ムーンマトリックス
〈覚醒編6〉」
デーヴィッド・アイク著
訳 為清 勝彦  ”

冒頭で説明させていただいたように
今回さらに具体的な真実として、振動する
ものは錯覚という、ありがたい真理を、声の
主からもらう事になりました。

つまり絶対意識の領域は、振動がなく
波動がゼロの状態だという事です。

まさにこれこそ、私が宇宙の真理編で提唱
し続けてきた事であり、それに関連して、
低い振動、低い波動の方がより高い次元の
意識につながると、説明してきたことの
裏付けとなってくれているのです。
まさに絶対意識の声に感謝ですね。
ただし、これも重要な事ですが、波動ゼロ
の絶対意識は、無限の波動を生み出す源
でもあるという事です。

だから高い意識の人の身体のまわり、
などは高い波動が放射されていて、これを
「オーラ」や「プラーナ」「気」「後光」
などと呼びますが、これは、波動ゼロに
近い意識が、生み出した、高い
波動エネルギーだという事です。
これが、誤解されて、意識の波動が高いと
スピリチュアルで繰り返されているという
のが、現状なのです。

そしてまた、物理法則も我々の五感を
もとにした錯覚の認識の上に成り立って
いて、思い込みがつくりだす幻影でしか
ないという事を、声の主が説明してい
ますが、現在量子物理学の分野で、
その事を裏付ける実験結果が多く提示
されており、「現実は主観がつくりあげる」
という認識も量子物理学では、広く
支持されている認識でもあるのです。

ここで取り上げられた奇跡についての
説明は、目からウロコの解釈でしたね、
私たちはかなり以前から「心頭を滅却
すれば火もまた涼し」という仏教の言葉
を、半信半疑で捉えたまま生きてまいり
ましたが、このアイクの説明で、まさに
意識の思い込みを捨て去る事が、奇跡の
ように思える現実を、実現させるという
事が理解できました。
そしてまたこの思い込みの意識を捨て去る
という事と、心頭滅却するという事は、意味
が全く同じである事に気づかされたのです。

つまりそのような思い込みを捨て去る事が
できた人たちが、物理的には説明の
つかない数々の奇跡を実現し、披露
してきたというわけなのです。

さてその五感の思い込みの世界に
ついても続きがあります。
観てみましょう。

「」内が引用で、~が中略です

「声の主は、どのようにして我々が
「固形」の世界と信じているものだけが
存在するのか(我々がそう信じるように
プログラムされたか)を説明してくれた。
「世界」は「外側」にあるのではなく、
「内側」(我々のマインドの中)にある。
科学の実験により、我々は目から入った
情報の半分以上を見ていないことが証明
されている。
視覚情報は、我々の条件付けされた思い
込みに基づいて脳の側頭葉で選別された上
で、実際に「見る」器官である皮質の
視覚中枢に到達する。
そのおかげで私たちの視覚が、錯覚だらけ
である事は、視覚という現実感覚
という記事で詳細に説明していますので、
またご覧くださいね。 

(引用注:この実際に「見る」器官という
言い方に、なんとなくわかりにくい方も
おられるでしょうから説明しておきますね。
私たちは「目で見る」と思っていますが、
正確には、目で捉えた信号を脳が解読
する事によって始めて、見る事ができる
のです。いわば目がテレビカメラで、
神経というコードを通って、脳という
テレビに映し出されたものを見ている
ので、そのテレビつまり脳で見ている
というのが正しいのです。そのテレビ
にあたるのが、脳の一部である皮質の
視覚中枢であるという事なのです。)

物事を見ているのは、目ではなく、脳
なのだ。目は電気的な情報を提供する
だけで、その情報をどう生かすかは
脳とマインド(引用注:囚われた精神)
が決める。脳とマインドが見るように
条件づけられていれば見るし、見ない
ように条件付けられいれば見ない
のである。
我々は意識のある状態で日常生活を
送っていると思っているが、実際には
睡眠中の夢とあらゆる意味で同じもの
を経験しているのだ。
日常の現実は、もう一つの夢にすぎ
ない。

(引用注:これもどういう事かといい
ますと、私たちが目覚めている日常の
現実もまた睡眠時の夢も、同じく
脳で解読して投影されたイメージで
しかないという事なのです。)

~我々の肉体はホログラムの錯覚であり、
実際には、我々が見たり経験したりして
いると思っているようには存在していない
と声の主は言った(これについてはさらに
詳しく述べるつもりだ)。人間の肉体の
本当の性質を理解すれば、、人間が操作・
抑圧されている仕組みを深く理解できる。
声の主は、我々が食べたり飲んだりしな
ければならないのも、もそうしないと
いけないと信じるように我々の肉体が
(条件付けとDNAにより)プログラム
されているからだと言った。

(引用注:ここでも声の主が、人類
を支配する、おそらく人類以外の
存在が、私たちのDNAや意識を
プログラムしている事を示唆してい
ます。これはもちろん土星や月に
ついてのこれまでの記事の裏付けに
なる事でもあります。このことに
ついては、次回のその8で書かせて
いただきたいと思います。)

呼吸をしなければならないのも同じ
理由である。確かに呼吸を止めれば、
我々は死んでしまう。だが、それは
死ななければならないからではない。
条件付けされた我々のマインドと
身体が、そのような結末になると
信じるようにプログラムされて
いるがために、本当にそうなるので
ある。

「無限なるものが、夕食を摂ると
思うか?」と声の主は尋ねた。
そして、「無限なるものが、呼吸
しなければならないと思うか?
呼吸しなければ死ぬだろうか?」と。
「では何故、時間の環の中にいる者
はそうしなければならないのだ?」
 
(引用注:この時間の環とは、私たち
が、DNAにプログラムされて囚われて
いる循環する時間の、見えない檻だと
いう事です。それくらい私たちは、
本質的には、ほぼ同じような意識と
行動を繰り返すように仕組まれて
いるという事です)

その答えは、時間の環の中にいる者は、
本当の自分自身(無限なる「一つ」)
ではなく、錯覚の「法則」に服従した
物質的な「人格」をもって自己と認識
し、何が可能かを感じ取っている
からだ。

 声の主は、認知された現実と無限
なる自己の間にある深い断絶の例を
話してくれた。

| どうして飛行機に乗って飛び回る
必要があるのだ?あなたは、A地点に
いるしB地点にいるし、その間の
どこにでも存在する。それなのに、
どうしてわざわざ飛行機に乗って、
自分自身の中を旅しないといけない
のだ?|      」

出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

今回の自分の意識が、この現実を創り
出しているという真実は、これまでの
記事で、再三繰り返してきたものでも
ありますね。
たとえば
人生は思考の産物-自分で創り上げた世界-
という記事でもその事について説明
しています。
これが、やはり、人類とは別の知性的な
存在によるプログラムによるものだと
いう事なのですが、この声の主も何に
よってとは、いいませんが、確かに
人類が意図的にプログラムされている
という事をはっきりと言ってます。
そしてまたそのプログラムにより、
私たちの意識の思い込みまたは、
身体的な反応が実行されているという
事も、説明しています。

私たちが脳で投影したものを見ている
だけというのは、量子物理学の分野や
トランスパーソナル心理学などでは、
ほぼ共通した見解です。
事実私たちの脳のフィルターがなければ、
科学的な感知・観測によっても、ただ
あらゆる波動が一つに入り混じった世界
だという事がわかっています。
その中のとても狭い領域の波動が、私たち
の五感に感知され、神経を通して脳に
届けられ、思い込みの現実として解読して
いるというのが、真実なのです。
もっとも本来のこの無限の認識の絶対意識
領域では、波動さえも錯覚なのですが、
とにかく物理的に条件づけられた私たちの
感知・観測できるレベルを極めていけば
波動のみの世界で、私たちは一体である
という事がわかるわけです。

そして私たちが食べたり呼吸している事に
よってはじめて生きているように信じて
いるのも、プログラムによるものだという
事です。
確かに、食事をしなくても生きられると
いうのは、私も断食を経験もしているので
よくわかりますし、1ヶ月も断食を経験
した榎木孝明さんの例でもよくわかって
いただけると思いますが、呼吸もなん
だろうかと思ってしまいますよね💦
ですが、確かにあらゆる肉体の生存に
関する条件がプログラムである事を
考えれば、意識によってそれを変更
するのは可能なので、呼吸なしでも
大丈夫という事になります。
事実臨死体験で、末期ガンで死の直前の
状態、で、骨と皮だけになっていたような
アニータ女史が、絶対意識つまり無限なる
ものの意識を得て臨死体験から戻って、
とんでもない勢いでガンを全て消滅させ
完治させたのですから、何でも大丈夫の
ような気がします。

プログラムされたDNAは、言葉や
意識によっても変更可能だとは
DNAの驚異の力 その1改
でも説明しているので、またご覧
いただければいいかなと思います。

最後のは、驚くべき話のように思え
ます。つまり飛行機に乗ってあちこち
いかなくても、全て自分自身のある
場所だという事です。もちろんこれは、
無限の絶対意識の状態で見るとという
事なのです。
体外離脱体験者が、意識レベルをあげて
肉体から意識を離して分離し、あちこち
て、飛び回れるのも、全ての空間が
自分自身であるとすれば、自然な事
になります。

事実科学的な観測から、コンノケンイチ氏
がたどり着いた宇宙モデルも、全ての空間
が、宇宙の中心にもなっていて、どれだけ
中心から拡大していっても、最終的に
そのスタート時の中心に回帰するのが、
宇宙の真の姿だと述べられています。
これは私の
ビッグバンモデルは完全破綻!では
真の宇宙モデルとは一体どのようなものか?

という記事でも説明しています。

またマイケルタルボット氏が著書でも
その事について言及しています。
「私たちの一人ひとりが天界の全体を内包
しているのだ。
そればかりか、天界は一人ひとりの中に
その位置を占めているのである。」
“出典:「投影された宇宙」
    マイケル・タルボット著
       川瀬勝訳 春秋社刊”

この天界というのは、宇宙全体のことと
して置き換えていいです。つまり私たち
一人ひとりが、宇宙の全体を内包している
という事ですが、これは私たちの意識が、
宇宙大であるという事を言っているの
です。

だから、本来の無限の意識では、全ての
場所も自分の中に内包されているので、
移動しているのではなく、ただ自分の
意識の投影の場所を変えているだけで
自分の意識の中にあるものとして変わ
らず、存在しているだけだと言う事なの
です。
私たちは、常に三次元的な行動を重視する
ような感覚が主流ですが、意識のレベルが
高い状態では、それさえも意識の内に
ある事だという事です。
逆にいえば、行動も意識が決定している
のだから、まずは意識のレベルを高くする
事が先であって、行動が優先されるもの
ではないという事でもあると思います。
意識が高い状態になれば、自ずと行動も
また現実としての結果も変わってくる
という事なのでしょう。
また意識そのものの活動の方が、錯覚の
三次元に作用する行動よりもより高度
だという事なのです。
だから、単に座禅を組んで瞑想をして
いるブッダなどは、本来の意味では、
とても大きく行動をしていたという事に
なるわけです。

よく何よりもまずは行動が先という人
も多いですが、今回のような真理から
いえば、全ては意識に始まり意識に
終るという事です。それを自覚して
こそ行動に意味がある事になると
思います。

声の主からの言葉についてのまとめは
以上になりますが、このような
真理を大衆に理解させないように
支配層が腐心してきた事が、私自身の
13年ほどの観察によっても確信できた
事です。

我々にそのような錯覚をもたらす存在
については、声の主は明言していません
でしたが、それはまさに究極の絶対意識
からは盲点にあたる存在だからなのでは
ないかと思います。
ただし、人類を真理に対して盲目にして
きた仕掛けについては、説明していた
という事です。

私たちが、プログラムされた思い
込みで、現実を投影していて、それは
まるで誘導された夢を見ているような
ものだという事を説明しましたが、
この声の主が、それが人類に対する
プログラムだと言っている事で、つまり
は、人類以外の知性的な存在についても
示唆している事になります。
つまり絶対意識によっても、私の土星
月についての記事が裏付けられたという
事になります。

そこで今回は、その存在がいる事さえ
違和感のある人たちのために、私も
ヒントになるような事を書きたいと
思います。

その存在がたとえば宇宙人だったとして
も、ネットでも本でもありとあらゆる
種類の宇宙人の情報があり、とても
一つに絞りきれません、また太古から
そのような存在がいたとする説も
それこそ無数にあります。
また地下にはアルザル人がいて、日本人
と同じYAP遺伝子を持っているなど
とも聞きますが、どれが正しいとなか
なかいえないのも事実だと思います。
全て正しかったりする事もあるでしょうし
、また多くは事実に反する場合もある
でしょう。
私の研究では、話題として取り上げる
事はしても、人類以外の宇宙人や支配的
な存在、または友好な存在などを
明らかにするのは、中心的なテーマで
はありません。
それよりは、私たちがどのように操作
されたりして、どのようにすれば解決
していけるのかというところに一番
力を入れているという事です。
よくネットで、宇宙人からコンタクトが
あったという話をそれこそいくらでも
見かける事がありますが、私たちが
囚われている現実や、誘導されている
偽の知識に対して示唆してくれている
ようなコンタクトの内容は少ない
という感じがします。部分的
はあっても、逆に明らかに主流の
科学が伝えるような偽の知識(例えば
ビッグバン理論や進化論をそのまま
うのみにしたような世界観での
メッセージなどは、明らかに本人が
地上の洗脳レベルにある事を証明して
いるようなもの)をもとに
して語ったりもしているので、
「そりゃあんた地球人の声聞いて
ますよー」
というように、その存在は違うと思え
たりしているのです。

もちろん本当に宇宙人がコンタクトを
とってきているのもあるでしょうが、
私たちが解決しなければならない問題は
依然として、たくさんあるままです。
彼らが、そういう事には干渉できないと
いうなら、やはり私たち自身が、操作
された認識から、解放されるように
していかなければならないという事で
しょう。

私の研究で人類がプログラムされている
という事自体の理由と仕組みを、
これまで多くの記事で説明してきました。
そこで人類以外の知的な生命体または
存在が、とにかくいるという事について
は、説明した方がいいと思ったわけです。

アイク氏は、やはりそのような存在に
ついて、つまり、私たちの上に君臨
している支配層(人類とは違う高等な
知生体の遺伝子を持つ血族や財閥、
これらは、閨閥でほとんど密接に
つながっているという事です)について
言及していますが、私は彼らの意図だけ
をお伝えしたいので、「何が」という事
に関しては、略させていただいてます。
さて、ここで良いヒントになるかも
しれない事を書きますね。

人々の総意で、いや人類の政治家や
権力者の意志でこれだけ、危険な核兵器
や原子力発電所が、製造また建設されて
きたと思いますか?自分たちの命を一瞬
にして失い、地上に住めなくなるような
ものを?

ここで、これは国の経済のためだとか、
国防のためだとか、考えている方は、
見事に誘導されている人たちですが、
東日本大震災および福島原発事故以降、
目覚めた人は、現在本当に多いと思い
ます。原発は、私たちのためでなく、
少数の利権やその背後にいる権力者の
意図によって、推進されて建設され
稼働してきたものであるという事を
知ってる人は今では多いと思います。
少なくとも、私たちの総意では全く
ないし、マスコミの偏向報道から、
ケチな利権に絡む人程度の意図でもない
という事もわかっている人が多いと
思います。
でも世界のどの存在であれ、人類で
あれば、ひとたび大事故が起これば、
人類全体の生存にかかわるものを推進
するように意図する事なんて、果たして
あり得ますか?
という事なのです。

ここです今回私の言いたい事は、つまり
この意図が人類のような生命体でもなく、
たとえば地球からも逃れられるか、
または物理的な影響も受けない次元で、
存在できるような存在のものであれば、
全く問題ないですよね?
それでも人類が愚かだからこう
なったというみなさんの常識を信じ
続けますか?私は今の特権的な支配層
の多くが、人類以外の存在と深く関係して
いるとしか思えませんが。
また深く追求したことを書いていけば、
わかっていただけるとは思いますが、
このへんにしましょう。「誰が」
「どういう存在が」という事は、本来の
テーマでもないので。

さて前回にとばした、アイク氏の説明
する、そのような支配的な存在の意図に
ついてが以下です
~からは、その彼らの意図についての説明
です。

「」内が引用です。

「(引用注:彼らは)このマインドの
性質を理解し、我々の現実感覚を操り、
人間を支配下に置いたままにするために
利用している。彼らは、人々に何を見る
べきか、見ないべきかを指示し、人々は
それに従って見たり、見なかったりする。

(引用注:彼らが「指示している」
というのは、間違った現実感覚を
マスコミや教育、公式見解などで、
意図的に広めて、誘導しているという
言い方の方が適切だと思います。)

これが私がよく書いたり話したりして
いる「標準」(公式の「事実」)の
基本的な役割である。そしてこの「標準」
に楯突き、人々に別の観点を提示する
者がいれば、政府が必死になって、排除
しようとする理由もそこにある。」

出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

ふむふむ、人々に別の観点を提示するもの
があれば、排除されるだろう・・・か。
という事は私のような者も入りますね。
でも肉体的には排除されても、霊的もしく
はさらに高い領域で、逆に邪悪な奴らを
排除するつもりなので、大丈夫です。
アイク氏も、すでにそのような意識レベル
に達しているものは、やっかいだから手を
出せないといってます。
まあレベルに達していなければ、逆に霊界で
上がっていけるよーにがんばれば良いだけの
話です、私たちは永遠の意識であり、
不滅なのですから、存在そのものまで
消滅する事は絶対にないのです。

とにかく、人類とは違う生命体の誘導により
私たちは、極端に盲目にされている事は確か
だと思います。その意図を知ってからたぶん
10年以上は経つと思いますが、その事は、
日々の新聞、テレビ、雑誌や人気書籍、そ
そして思い込んでいる圧倒的多数の人々の
感覚や考え方を、ずーーっと観察してきて
確信どころか、これ以上の真実はないと
言い切れるくらいの理解を深めてきました。
なので、この意図的な誘導というのは、
本当です。

もう一つ言わせていただければ、その誘導に
ついて、私たちに何も教えられないような
情報は偽物である可能性が高いという事
です。
特に今回の声の主からのメッセージの記事の
前後編で語られていたような、五感や知覚の
根底にある仕組みと、その誘導について
理解していないようなメッセージであれば
まずは信用できないとみています。

つまり人類の意識が上がって、世界が変わる
などというような情報が、溢れかえって
いますが、人類のほとんどの人が、この
偽の現実からの誘導にまんまとひっかかり、
自由や富、権利を奪われてしまっている
現実が、全く変わらないどころか、
ますます彼らの意図通りに社会が誘導されて
いるからです。

要するに私たちが偽の現実感覚・狭い五感
の認識による知覚やプログラムされた
マインドの状態から解放されて初めて
意識が上がる事ができるのであって、
それなしには、意識レベルを上げて
世界を変える事などできはしないと思う
わけです。

これからどのように展開していくかは
わかりませんが、私たちの意識は永遠に
存在し、宇宙・時空・次元を全てを
内包するワンネスに回帰していく過程を
楽しむ旅を続けていく事になるのは
間違いないという事です。

ではまた(*^^*)

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二元論ではなく一元論が真実!究極のワンネスの領域では絶対悪は単なる虚像

    この記事は
    永遠の命は神から与えられなくても、
    すでに我々のものだった!

    の続編ではありませんが、深く
    つながる事になります。

    また
    母性的性質のM音をベースにした
    日本人の一元論的な観念とは?

    ともつながっています。

    これまで何度も強調してきました
    ように、私たちの実体は、肉体では
    なく、永遠に失われない意識だと
    いう事です。

    そしてまたその意識は究極の存在
    でもありワンネスそのものだと
    いう事です。

    つまりその究極の存在としての自分は、
    意識そのものであって、無限の意識
    でもあるという事、そしてその意識は
    絶対的な愛でもあるという事です。

    宗教を信じる人たちが、陥りやすい罠
    として、自分は、絶対的に神とは別の
    存在で、神は絶対的なものだから、自分
    はそれに従わなければならないなどという
    考えがありますが、そしてそのように
    思う人があまりにも多いのですが、
    それこそ幻想で、自分は、まさにその神
    とも同様の存在だという事が真実
    だという事です。

    この理解については、これまでも
    スピリチュアルな世界に精通している人たち
    (中でもお花畑とも形容されるような人
    たちといった方が良いかも知れません。)
    と、共感しあえていた部分です。

    ただし私のこれまでの記事を理解して
    いただくには、その理解だけでは足りない
    のです。

    いつもその方々に問いたいと思っている
    事があるのです。

    ではなぜ本来の絶対愛の意識の私たちが
    一部の意識としての魂を宿した肉体として
    存在しているこの世では、残虐な犯罪や、
    凄惨な事件、武器などの兵器で儲ける
    ためにしかけられた戦争で多くの人たちが
    人生を強制的に奪われ、また医療産業の
    利権により、医療を頼る人たちの多くが
    より健康を悪化させたり、医療行為に
    よって、さらなる病気が引き出されたり、
    死亡したりしているのか、
    はたまた医療産業や軍需産業よりさらに
    上に位置する、世界寡頭金融資本たちの
    おかげで、私たちは搾取され続け、また
    命も自由も奪われていってるのか、
    理由はなんであろうかという事に
    見事に答えられない人が、
    そのスピリチュアルの世界にとても多い
    です。

    なぜならこの全てのものの本来の姿が、
    絶対的な愛であるなら、どうして同じく
    絶対的な愛であるはずの人々によって、
    こんな愛のないような残虐で悲惨な世界が
    展開している事の理由が、彼ら
    スピリチュアルな世界の人にはわから
    ないからです。

    一応の答えはあります。

    「人々が覚醒して、本物の愛にも目覚めず
    自分が無限の存在と理解していないから
    というものです」

    この答えは、合っているのです。
    しかし、ではなぜ絶対愛と同一でしかも
    万能であるはずの人々が、本物の愛にも
    目覚めず、自分が無限の存在とも理解
    できない人たちが、大多数なのは
    なぜでしょうか?

    絶対愛であるはずの自分が、わざわざ
    こんな人々が悲惨で苦しみに満ちた
    世の中を経験したいとは思わない
    はずですよね?

    全ての存在を愛しいと思うような
    万能で全知のはずの自分が、無知な
    ために、多くの人が愛のない世界で
    苦しんだり、命を落としたりするような
    シナリオを現実化しようと思うので
    しょうか。

    決して今私たちの現在の世の中の状況は、
    とてもじゃあないですけど、中心に
    絶対的な愛を持って、本来は、無限
    の存在であるの意識によって創られた
    ものではないはずです。

    そして、全ての存在が愛であるとしたら、
    絶対的な愛そのものである人類が、自分
    たちにとって、悲惨で困難で苦しみと
    哀しみに満ちた世界を現実化させよう
    とはしないでしょう。

    だから邪悪なシナリオを実行させよう
    とする存在がなければならない事に
    なるのですが、それが私たちの現実
    世界には存在するという事です。

    そうです、その邪悪なシナリオを実行
    させようとする存在こそマトリックス
    のプログラムを創り上げたものであり、
    その姿は、絶対的な無限の愛の意識からは
    、完全に盲点、つまり意識できない存在
    なのです。

    ただし、絶対意識の意識できない存在
    など本来あるはずもないのですが、
    それは意識できない事はないのだけれども
    そこにフォーカス、つまり焦点を
    合わせなければ、認識できないという事
    なのです。
    そりゃあ絶対愛の意識が、邪悪な意識
    などを、自ら好んで意識したりしない
    のは当然ですよね。
    このあたりが、スピリチュアルな世界
    に生きる人たちのつまりは盲点でも
    あるという事につながるのです。

    (この事を、頂天の支配層の背後に
    いる冷酷な超知的生命体もしっかりと
    理解しているという証拠が、彼ら
    自身の言葉の中にありました。

    「これは我々が現世と来世を
    生きるうえで従う秘密の盟約だ
    この現実が、幾世代もの人生を
    超えていくものだから

    この盟約は血によって、我々の
    血で封印されている
    我等、天国から地上に降り来た
    者によって

    この盟約は、決して 絶対にその
    存在を知られてはならぬ。決して
    書き留めたり、これについて話を
    してはならぬ。そこから生まれる
    意識が我々に対する創造主の激しい
    怒りを解き放ち、 我等がやって
    来たどん底へと落とされ、永遠の
    ときの最後まで 閉じ込められる
    であろうから 』

    “「さてはてメモ帳」様のサイト
    <イルミナティ――秘密の盟約>
    千早様訳
     より” 

    要するに創造主というのは、
    もとのワンネスの意識の分離
    意識で子意識にあたります。
    ワンネスの意識は激しい怒り
    などは持ち合わせていません。
    要するに分離意識の分離
    意識なので、自らを永遠に存在
    させたいために恐怖や苦痛・
    悲嘆などのエネルギーを得る
    ための仕組みを造り上げた
    という事なのです。

    閉じ込められるというのは、
    そのような邪悪な意識
    として存在できなくなる
    という事です。)

    そしてそのような邪悪な意図を持って
    いるものは、無限の自己は現実として
    創ろうとしていないものです。

    という事は、この邪悪な存在は
    幻覚・幻想なのですが、ではなぜ
    そのような幻覚でしかない意識が
    恒常的に存在できるようになった
    かというのが、とても重要な
    ポイントになるのです。

    これはこれは古代グノーシスの
    教えにもあった大切な知識なので、
    ここをよく理解していただきたいの
    です。

    まず、絶対的な意識は無限の自己
    なので、自らの意識は無限に
    広がっています。そしてどこまでも
    自由な意識なので、自分の分身を
    創ろうとするのです。
    これが私たち個人という存在が
    できた最初の意識という事に
    なります。
    その分身の意識に対しては、当然
    絶対的な意識は、存在を充分に認識
    できているのです。
    ただ愛を持って、全てその分身である
    分離意識の自由にさせようとするので
    いったん意識の焦点を外します。
    これが盲点の第一です。

    つまり私たちは、本来は、無限の自己
    とつながりながらも分身として存在する
    ようになったものが原初の意識で、それが
    太古に存在したムーやアトランティスの
    時代の人の意識であるという事です。

    この原初の意識はまた、仏陀や真の意味
    でのキリストと同一でもあると思います。

    だから結局いろんな経験を分離した意識
    でするので、満足するのですが、
    やがては、全ての経験を終えたと感じた
    時には、本来の全ての自己に回帰して
    いきます。

    分離した意識としての経験を全てしたの
    ですから満足したので当然ですよね。

    ただしそのような分離した意識の中で、
    ある者は、さらに自分を分離させて
    またその分離した自分を経験したいと思う
    ようになったのです。
    もちろん万能の自分を意識できている
    のだから、当然無限の本来の自己の能力
    を使えるわけですね。

    ただし、分離した自己から生まれた分離
    した意識は、おおもとの絶対的な意識の
    事は、意識しにくい状態になります。

    ここが大きなポイントなのです。

    つまりおおもとの絶対的な意識から、
    分離した分身である意識がさらに
    自分の分身を創った場合、分身で
    ある自分から生み出されたわけです
    から、その孫分身ともいうべき存在は
    そのもとである最初の分離した意識
    に同化しなければ、本当のもとで
    ある無限の分離意識には回帰できない
    という事になるのです。

    そうなるとその孫分身は、自分が
    本来は、無限で永遠である事を意識
    できないために、自分という存在が
    失われる事を怖がるようになるの
    です。

    つまりもとの絶対意識の子の分離意識
    に回帰したくないと、思うようになった
    という事です。

    これが全ての恐怖の出発点です。

    みなさんも実はその孫分身の系譜
    (ただし、人によって分身の分身
    そしてそのまた分身の場合がある
    というようにいくつものレベルが
    あって、それが魂として肉体に宿る
    時に引き寄せられる人生にも影響
    します。)
    なので、その恐怖があります。

    覚醒していない誰もが死を恐れる
    理由はそこにあります。

    そうです、その孫分身の中で、
    自分という存在がなくなる事を極端に
    恐れたために、どうしても自分が
    永遠に存在するための方法を
    探したのです。
    さすがにもともとは、無限の全知・
    万能の意識だけに、アイデアを思いつく
    のです。

    ここからがいちばん大事です。

    つまりこの自分が感じている恐怖を
    感じ続けていけば、また同様な
    ネガティブな意識を持続させ続けて
    いれば、自分という存在ならではの
    特殊な感情を持つ意識は、消えないで
    存在し続ける事ができるという事を
    思いついたのです。

    しかし、もとは無限の自己につながる
    意識から分離した意識からさらに
    分離した意識である孫意識は、当然
    すぐに完全に同化はできないままで
    いるので、おおもとの無限の絶対愛の
    感覚からは少し遠いけど、愛の意識を
    持っています。その愛の意識は、
    あらゆるものと同化したいという
    意識でもあるので、やはり孫意識の
    もとの子意識に戻ろうとしてしまうの
    です。

    これが私たちの意識でもある孫意識
    です。

    その中の孫意識の中で、極端に
    自分がなくなる事を恐れた意識が
    次のような事を考えたのです。

    その存在はもとの子意識に回帰すれば、
    かならず自分の中の恐怖が消えて、
    自分という個の存在が消えてしまうので、
    そういうもとの子意識に回帰するための
    同化をしたくないわけです。
    だからさらに
    愛の意識を感じない自分の分離意識
    生み出そうとするわけです。

    こうして全く愛のない孫意識が創った
    恐怖があるゆえの分離意識が、
    存在するようになったのが、俗に言う
    悪魔の正体なのです。

    つまりもとは孫意識が自分という個の
    存在が消えてしまわないようにしたい
    だけで創り上げた意識なので、おおもとの
    意識の感知できない意識でしかないので
    本来は存在していない、たんなる幻覚
    でしかない意識が存在するようになった
    という事です。

    ですがその幻覚は頑丈です。
    なぜなら恐怖を永遠に生み出し、
    または吸収して存在し続ける
    だけの意識ですから、他の存在と
    同化したいという愛の意識を持って
    いません。

    だから、永遠に邪悪な意識のまんま
    です。

    もちろん絶対的な意識またはその子意識が
    その存在に気づいてしまえば、すぐにでも
    そのような愛のない意識は、消滅させ
    られるでしょう。

    絶対的な無限の、愛そのものである意識
    に恐怖などというものは存在しないから
    です。

    ですから、邪悪な存在は隠れる事にした
    のです。

    自分と違って、恐怖だけでない孫意識に
    憑依してしまえば、わからないように
    存在しつづける事ができるように
    なると。

    そこで彼らが思いついたのは、その
    孫意識たとえば我々のような人類に
    恐怖心を生み出しやすい、そして
    また本来の永遠の意識を認識しにくく
    なるようなマトリックスプログラムを
    誕生時に施しておけば、人類は
    恒常的に恐怖心などのネガティブ
    エネルギーを持ち続け、とても狭い
    五感というような現実認識の中で、
    真実から遠ざけられる事で、彼ら
    のような邪悪な意識で成立する存在に
    コントロールされ続ける
    事になったというわけなのです。
    つまり彼ら自身はプログラムによる
    意識として私たち自身の中に隠れた
    というわけなのです。

    (引用注:これもとても重要な理解
    のヒントにあたります。
    私たちの生体プログラムに彼ら
    自身のマインド(恐怖心や苦痛・
    悲嘆)を仕込んでおいたという事は
    こちらの記事で詳しく説明しています。

    隠されていたマトリックス!支配層自身の
    性質をプログラムされていた!?

    それが孫意識である私たちの中に
    取り込まれたマトリックスの意識
    そのものなのです。

    だから私たちは、マトリックスの
    プログラムを解除して覚醒すれば、
    本来の無限の意識とも、または
    分離意識である子意識とも
    つながれるし、また一方でマトリックス
    のプログラムに従ったままだと
    自分が存在しなくなるかも知れない
    恐怖や様々なネガティブな意識も
    感じてしまう事にもなるのです。

    その本来の絶対意識の子の分離意識に
    あたるものが、黄金時代の人類で
    あったり、仏陀や世界中の覚醒者
    という事になります。

    ではなぜ私たちの現実世界で、恐怖の
    邪悪な意識に憑依されたものが、支配的
    な立場にいるのかというと、その支配的な
    立場の存在は、自身を永遠に存在させる
    ために、その邪悪な意識に完全に憑依
    させたのです。

    (引用注:その邪悪な意識は、非人類の
    超知的生命体に宿った意識の投影
    でもあるので、邪悪な意識のさらに
    分離意識に憑依させたという意味に
    なります。)

    それが私たちの現実世界を影から
    コントロールしている王族の血族
    (ロスチャイルドなどの黒い貴族
    も王族と同類です)たちだという事
    です。

    つまり彼らも、自分たちとは別の存在から
    恐怖を吸収し続けないと存在できない
    ので、他の存在に恐怖や苦しみなどの
    ネガティブエネルギーを生み出させ
    続けなければ、消滅してしまうのです。

    そのためには、彼らの恐怖のエネルギー
    の分離意識を、私たち孫意識に憑依
    させなければなりません。

    しかしもとはといえば無限の愛で
    無限の自己である意識である
    私たち孫意識に憑依するのは、
    非常に困難です。

    だから彼らは、知恵だけは無限の自己
    から持ち出しても差し支えなかったので
    悪知恵を働かせて、私たち孫意識に
    無知になって愛も認識しにくくなる
    という意識や認識の制限にもつながる
    ようなマトリックスをDNAにプログラム
    したのです。

    このプログラムは、とても狭い五感の
    認識に私たちの意識を閉じこめる
    ために多様な細工が施されています。

    仕掛けられた五感の認識の制限を
    超えるための機能を持つ右脳(松果体)
    の働きが活発化する睡眠時には、
    現実認識に必要な左脳が、働きを
    止めてしまうようにするものです。
    だから私たちは、右脳が働きやすい
    8Hz以下になると眠くなるのです。

    また彼らは、私たちが生まれ持って
    ネガティフな意識に囚われる
    ような恐怖や苦しみの感情まで
    プログラムもしているのです。

    それが強く発動する時には、この
    邪悪な存在を近づける事になり
    極まれば、憑依される事になる
    わけです。

    それが現在の私たち自身が宿る事に
    なった人類の肉体意識だという事
    です。

    だから私たちは孫意識でもあるので、
    覚醒する事ができて、肉体の
    マトリックスから脱しさえすれば、
    いつでも、おおもとの絶対意識か、
    またはそこから分離意識した子意識には
    つながれるのですが、マトリックスの
    プログラムが、つまり限定された認識の
    肉体的意識またはボディマインドを
    常に意識するように仕組まれたもの
    なので、あらゆる意味で、もとの
    絶対的な意識を意識するのがとても
    困難な状態にさせられているという事
    です。

    そのマトリックスを私たちにプログラム
    した存在の言葉というのがさきほども
    取り上げましたイルミナティ―の
    秘密の盟約という、世界の支配層の
    最奥にいる者の言葉です。

    ただこの場合の彼らは、正確に
    いえば、支配的な王族などの血族に
    憑依した、人類とは次元を異にする
    生命体という事です。

    さて今回の事がわかる彼らの言葉を
    さきほどの分も含めて振り返って
    みましょう。

    『』内が引用で、~が中略です。

    『教義や宗教を使って 奴等を
    「一体であること」から引き離す

    奴等の人生をあらゆる側面から
    支配し、
    何をどう考えるべきかを教えて
    やるのだ

    我々が奴等をそっと優しく
    導きつつ
    「自分自身で選んでいるのだ」
    と思わせる~

    奴等から「我等は皆 ひとつである」という
    神聖な真実を常に隠す
    奴等は決してこれを知ってはならない!

    色は錯覚であることも 奴等は決して
    知ってはならないし、奴等は常に
    「自分たちは同等の存在ではない」と
    思っていなければならない~

    しかし、もし奴等が我々と
    同等だと知ったら、
    そのとき我々は滅びてしまう
    だろう
    奴等はこれを、決して知って
    はならない

    もしも奴等が 力を合わせれば
    我々に打ち勝つことが出来る
    と知ったら 行動を起こすだろう

    我々がしてきたことを 奴等は
    決して知ってはならぬ。もし
    知れば、一旦ベールが剥がれ
    落ちれば、我々の正体は明らか
    になり、逃げる場所もない。
    我等の動きが我々が誰かを暴露し、
    奴等は我々を捜し出し、誰も
    かくまってはくれまい

    これは我々が現世と来世を
    生きるうえで従う秘密の盟約だ
    この現実が、幾世代もの人生を
    超えていくものだから

    この盟約は血によって、我々の
    血で封印されている
    我等、天国から地上に降り来た
    者によって

    この盟約は、決して 絶対にその
    存在を知られてはならぬ。決して
    書き留めたり、これについて話を
    してはならぬ。そこから生まれる
    意識が我々に対する創造主の激しい
    怒りを解き放ち、 我等がやって
    来たどん底へと落とされ、永遠の
    ときの最後まで 閉じ込められる
    であろうから 』

    “出典:「さてはてメモ帳」様のサイト
    <イルミナティ――秘密の盟約>
    千早様訳
     より” 

    この彼らによって与えられたプログラム
    がどのようにして私たちのDNAに
    施されているのかは
    DNAと人体の波動は同一だった!遠隔複製
    されるDNAと月のマトリックスの関係とは?


    細胞膜は液晶の半導体で、身体は精緻な
    バイオコンピューターだった!

    などの一連の記事で詳しく説明
    しています。

    さて今回私たちが絶対意識から
    意図的に分離された仕組みに
    ついて、またその仕組みを
    仕掛けた邪悪な意識という存在の
    成り立ちについて説明しましたが、
    このコンセプトは、原初のキリスト
    教の教本として、弾圧されるまで
    多くの人の支持を得ていた
    グノーシス派のナグハマディ文書
    に書かれているものと同様のもの
    でもあるのです。

    それを観てみましょう。


    1945年にエジプトのナグ・ハマディ
    という村で、初期のキリスト教の写本が
    みつかり、そこにグノーシス主義の
    思想が、多く記されていた事により、
    明るみに出る事になったのです。
    そもそもローマ皇帝により、キリスト教を
    国教とする過程で、それまでの知識を
    記した本や文書が大量に破棄され燃やされ
    てしまい、さらにキリスト教自体も都合
    良く編纂されてしまったのです。
    その時にわずかに難を逃れた文書があった
    という事です。
    つまりこのナグ・ハマディのキリスト教の
    写本は、キリスト教が編纂される以前の文書
    だという事です。
    つまりこの写本から、古代の知識を得る
    チャンスが生まれ、多くの研究家によって
    知られるところとなったという事です。
    そしてそこに書かれていたのが、
    グノーシスの教えだったという事なの
    です。

    さてそのグノーシスの教えとはどんな
    ものなのか、説明しておられるサイトから
    引用させていただきます。

    「」内が引用です。

    「グノーシス(gnosis)という言葉は、
    もともと古代ギリシア語で「知識」や
    「認識」のことを意味する言葉であり、
    より具体的には、人間が宇宙全体を
    俯瞰してその仕組みを理解すると同時に、
    自分自身の心の内を深く内観することに
    よって得られる神秘的な知識としての
    真理のことを意味する言葉ということ
    になります。
    グノーシス主義では、ミクロコスモス
    (小宇宙)である人間は、根源的には
    肉体と精神という二つの側面に分裂した
    存在として捉えられ、
    肉体がもたらす欲望が人間を悪しき道へ
    と引き込む悪しき存在であるのに対して、
    精神における知性の働きは人間を正しき道
    へと引き戻して真理へと導く善き存在
    であると捉えられることになります。

    それと同様に、
    マクロコスモスである宇宙についても、
    それは物質的存在から成る悪しき宇宙と、
    神的で精神的な存在から成る善き宇宙
    という二つのあり方に根源的に分裂した
    存在として捉えられることになります。
    そして、グノーシス主義においては、
    物質的存在から成る悪しき宇宙とその内
    にある悪しき肉体から離れ、自分自身の
    心の内にある人間の魂の神的な本性を
    自覚することによって魂の救済が
    得られると考えられることになるの
    ですが、こうした自分自身の魂と宇宙全体
    の真理に関する神秘的な認識のあり方こそ
    が、グノーシス主義におけるグノーシスと
    いう言葉が持つ具体的な意味の内実である
    と考えられることになるのです。
    ・・・

    以上のように、
    グノーシス主義におけるグノーシスと
    いう言葉は、もともと古代ギリシア語に
    おいて「知識」や「認識」のことを意味
    する言葉であり、
    それはより具体的には、自分自身の魂と
    宇宙全体の真理を探究することによって
    得られる神秘的な認識のあり方のことを
    意味する言葉であると考えられることに
    なります。」

    “出典:
    TATANの雑学と哲学の小部屋」様”

    このことから、私たちの五感で捉える
    物質宇宙は悪であり、肉体の欲望が人々を
    悪へと導くという事をいっているわけです。
    まあ肉体的な欲望全てを悪だというのは、
    私の見解とは違います。それは単なる
    肉体的プログラムで、それをコントロール
    する心さえあれば、人生の経験として
    尊重して良いと思います。ただここで
    注目していただきたいのは、その肉体的
    欲求も物質宇宙も同じく、悪のような存在
    ルシファーまたはサタンによってつくられた
    という事を、グノーシス派は説いている
    という事です。

    このことはデービッドアイク氏の著書
    「PERCEPTION 
        DECEPTION」
    と「PHANTOM SELF」
    に詳しく書かれていましたので、それを
    訳した内容をご紹介します。

    グノーシスでは、物質宇宙とその外側の
    境界には、土星があり、その向こうに
    悪の象徴があると説いています。
    単に当時土星が最も遠い天体として認知
    されていたからというだけにも思われる
    かも知れませんが、土星の内側の領域が
    コントロールされているという事は
    真理をついていると思います。

    またこの物質宇宙をつくったのが
    アルコン(Arcon)という存在で
    我々の支配者だという事なのです。
    しかもこのアルコンの綴り「arch」
    なのですが、英語の支配者に関する
    単語に多く使われているのです!
    列記しますと。

    monarch 君主

    hierarchy 王制

    archfiend 大悪魔

    archbishop 大司教

    archangel 大天使

    このように英語の支配者や悪魔などを
    示す単語に「arch」の綴りが
    使われているのは偶然ではなく、古代
    ではこのアルコンというのは、支配者を
    示している言葉だという事が広く
    知られていたという事なのでしょう。

    第一のアルコンは特にデミウルゴスと
    呼ばれて、正確にいうとこの存在が
    物質宇宙を創ったという事です。
    つまりカタリ派のいう「サタン」と同じ
    ような存在だという事ですね。

    アルコン(デミウルゴス)は、この世界
    を一から創ったのではなく、本来の宇宙
    をコピーして創った粗悪なコピーだ
    という事です。
    (ここはとても重要で、私たちが肉体を
    離れた臨死体験で、遭遇する天界は、
    私たちの世界とよく似ているけど
    まるで天国のように祝福された場所
    だというように証言されてますが、
    まさにこれが本来の宇宙だという事
    であれば、つじつまが合うわけですね)

    そしてこのアルコンは、人類から恐怖の
    エネルギーを吸収するために働く機械的な
    存在だという事です。
    (つまり彼らが一種のプログラムで、恐怖の
    エネルギーを吸収するコンピューター
    ウイルスのような存在だという事です)

    そして調和のエネルギーは、彼らにとって
    マイナスに働きます。

    彼らの吸収する恐怖エネルギーというのは、
    心配、憂鬱、競争、復讐、ストレス、嫌悪
    憤慨、争い、矛盾という派生エネルギーに
    分かれてもいます。

    また恐怖以外のエネルギーとして、死と苦痛
    不幸、また愛情のない性的エネルギーなど
    があるという事ですが、要するにあらゆる
    ネガティブエネルギーを吸収する事で、存在
    できるものだという事ですね。
    となるとグノーシス派がいうように物質世界
    との境界にある土星が、そのような
    エネルギーを生みだすプログラムを発信
    しているのであれば、またつじつまが合う
    という事ですが、まさに土星の占星術的な
    エネルギーは、今いったネガティブ
    エネルギーそのものなので、これまた
    アルコンにより、土星(リンク)から発信
    されるプログラムが作成されたという事を
    示唆していることになります。

    また太古からの神(偽の神アルコンの事)
    へのいけにえは、真の恐怖のエネルギー
    の供給として最も適しているという事
    ですが、まさに太古の神がアルコンの
    ような存在である事を裏付けてくれて
    いますよね。
    神様がいけにえを欲しがるなんて、どう
    考えてもおかしいですからね、まさに
    偽の神であるアルコンであれば、納得が
    いきます。

    バベルの塔以来、言葉は人間を分断させる
    ために神がつくったとされていますが、
    まさにその神はアルコンの事だといえます。

    LIVE(生命・肉体)は逆から綴ると

    EVIL(邪悪、不幸)となりますが、

    これはアナグラムといって、綴り順を
    変えた言葉に、意味を隠すという太古から
    支配者が好んで使った技法になります。

    (もちろんこれはアルコンが、そう意図
    したという事で、生命自体が不幸と
    いう意味ではありません。しかし、
    真実の月編の
    月のエネルギーの真実 
    その1我々の身体について
    )という
    記事でもご説明したように、私たちの
    肉体が、全て理に適っているとするには、
    あまりにも不自然であるという事も
    明らかです。しかも
    DNAと人体の波動は同一だった!
    遠隔複製されるDNAと月の
    マトリックスの関係とは?

    細胞膜は液晶の半導体で、身体は精緻な
    バイオコンピューターだった!

    という記事でご説明したように、私たちの
    肉体が自然にできあがったものではなく、
    意図的にプログラムされたという事で
    あれば、なおさらこのアルコンとの
    つながりを意識せざるを得ないという
    事なのです。)

    つまり我々生命体も、彼らのプログラムに
    よって操作されてできているという事が
    考えられるわけです。

    ただからくりさえ知れば私たちは、即
    自由になれるのです。

    デミウルゴスもその下のアルコンも
    「ゆがみ」という性質そのものらしくて
    「調和」または「愛」が対極にある
    という事です。
    つまり彼らは「調和」のエネルギーから
    離れる事によってのみ存在できるもの
    であって、私たちが調和や愛を意識の
    中心におけば、彼らは近づく事もできない
    という事なのです。
    つまりLIVE(生命)を真に自分たちの
    ものにできるという事ですね。

    ここで対極だからといって、二元論的な
    捉え方をするのではないという事に
    注意が必要です。
    本来の宇宙に存在しないゆがみを
    つくり出す事によってはじめて
    存在できるアルコン(デミウルゴス)は
    ゆがみを維持するための恐怖などの
    ネガティブエネルギーを吸収しなければ
    存在できなくなる(絶対調和の絶対意識に
    回帰して吸収される)という意味で、
    絶対調和の意識である本来の宇宙と
    一体であるワンネスの盲点としての
    意識でしかないという事です。

    今回は、物質宇宙のからくりを知るのに、
    とても説明になったのではないかと
    思います。

    人類の古来からの歴史が、なぜ戦争や
    虐殺など悲惨な事を繰り返してきたの
    かも、これでうなずけますね。
    これは、恐怖をはじめとした、ネガティブ
    エネルギーを吸収するために、意図的に
    誘導されたという事だったわけです。
    なぜならそのエネルギーこそが、アルコン
    のような邪悪な存在を維持するために
    必要なものだからというわけです。』

    要するに、現在の支配層の頂点血族に
    憑依する邪悪な意識というのが、この
    アルコンにあたるという事です。

    彼らは、この鏡の宇宙である、この物質
    的宇宙を、粗悪なコピーとして作った
    ため、私たちの五感では完全に反転
    した逆転宇宙が、現在の宇宙だという真実
    にもつながるのです。

    その事は、
    ビッグバンモデルは完全破綻!では真の
    宇宙モデルとは一体どのようなものか?


    仏教は五感が囚われている逆転した
    現実世界(宇宙)を見抜いていた

    などで、詳しく説明しています。

    私たちの物質的宇宙(粗悪なコピーの
    鏡の宇宙)の普遍的なエネルギー
    であるトーラスは、ちょうど完全調和
    として我々がイメージ球を、裏返し
    続けているエネルギーであるという
    事がイメージできれば、この
    鏡の宇宙の仕組みの真髄が伝わる
    かなと思います。

    また今の記事で、恐怖などのエネルギー
    を吸収しなければ存在を維持できない
    アルコン(デミウルゴス)のような
    邪悪な意識が、絶対調和の意識の
    盲点でしかなく、やがてその恐怖の
    エネルギーを吸収できなければ、
    絶対調和の絶対意識に回帰して同化
    してしまうという説明がありました。

    邪悪な意識が、絶対調和の意識に
    回帰するもので、あくまでも一元的な
    ワンネスの絶対意識こそが、本来の
    存在であり、善悪の二元論の捉え方は
    真実としては間違っている
    という事が
    よくわかる事例があります。
    それを観てみましょう。

    邪悪な意識が憑依するのは支配層血族
    にだけではなく、太古から地上の
    様々な生命に憑依しているのです。
    それは、いけにえを必要とする
    神として崇められてもきたという事が
    よくわかる事例を以前から取り上げて
    います。
    邪悪な意識は、ここでは非人格的霊
    として紹介されています。


    非人格的な霊の憑依という現象について、
    コリン・ウィルソン氏の著書から引用
    させていただきます。
    これはアダムクラブツリー氏の紹介する
    事例だという事です。

    「」内が引用で、~が中略です。

    「●「非人間的霊存在による憑依」

    アダムクラブツリーの『多重人格』にも、
    奇想天外な非人間的存在らしきものの
    「憑依」事例がある。クラブツリーは、
    あまりにも突飛なその話の収録を
    ためらった。
    「しかしながら、それが私の描写どおりに
    おこったこともまた事実なのだ。
    (むしろ私は、劇的なエピソードの記述
    をいくらか控え目にしたほどだ)」。
     マリアスは、大学で歴史を教える
    かたわら、政府諮問委員会でかなりの地位
    を占める人物である。結婚生活も裕福な
    ものだったが、ある日突然なんの理由も
    なく、妻を殺したいという衝動をおぼえる
    ようになった。「血を見たいという何か
    執拗な内的衝動」に動かされているよう
    なのだ。その衝動があまりにも強烈なため、
    マリアスはいつか自分が自制心を失い、
    妻を殺してしまうだろうと確信した。
     夢が手掛かりを与えてくれた。彼は
    夢の中で、毛皮をまとった穴居人とともに
    、肉片をぶらさげて乾燥させている粗末な
    小屋にうずくまっていた。頑丈な
    たくましい原始人が地下室からあがって
    くるという夢も見た。この夢を見て
    まもなく、コインのコレクションを調べて
    いると、ひとつのコインがなくなっていた。
    それは棚の上に見つかったが、そんな
    ところにコインをおいたおぼえはなかった。
    また修繕したはずのブラインドが破れて
    いたこともあったが、その理由もわから
    なかった。
     その後、頭の中で「声」が聞こえる
    ようになった。声は告げた。自分は
    おまえが夢で見た男だ、永遠におまえの
    中に住んでいる。それを証明するために、
    二度憑依し、コインを動かし、
    ブラインドを破ったのだ。自分は好きな
    ときにおまえに憑依できる-。
     マリアスは自分が〈熊〉(ベア)と
    呼ばれる奇妙な霊存在に「憑依」されて
    いると信じ、自分なりの除霊方法を考え
    出した。
    大きな焚き火の前に横たわり、熱気を
    吸収して力をたくわえ、ベアを出現
    させるのだ。
     実験のため、クラブツリーとマリアス
    は郊外の別荘におもむいた。マリアスが
    凶暴性を発揮したときにそなえて、
    屈強な五人の男も同行した。炉に大きな
    火が燃され、マリアスは上半身裸になって
    その前に横たわった。半時間後、彼は
    うなり声をあげ、床をひっかきはじめた。
     緊張が解けて常態にもどってから、彼は
    やっと〈ベア〉のことがわかったと告げた。
    それは一群の狩人にとらえられ、じわじわ
    となぶり殺しにされた巨大な洞窟熊だった。
    (明らかになんらかの儀式だろう)。
    その霊が狩人の一人にとりつき、子々孫々
    マリアスにまで伝えられたのだ。しかし、
    いまそれもマリアスから去っていった。
     しかしながら、マリアスを暴力に駆り
    立てる霊存在は、まだ彼の内に残っていた。
    マリアスによると、それは
    「宙にあいた丸い穴」で、凶暴性を吸収
    するのだという。それは熊が殺されたとき
    から存在し、マリアスの夢では、地下室
    から出現した巨大な原始人の姿をとって
    いた(その象徴的意味は明らかだ)。
     翌日、マリアスが完全な弛緩状態に
    はいると、その霊存在が彼を通じて
    話しはじめた。多くの質問といくつかの
    喧嘩越しの口論ののち、それはついに
    モーラックと名のり、遠い昔山羊と雄鹿
    として崇拝されたものだと語った。
     「それは崇拝者たちの生命とエネルギー
    を糧とし」、数千年のあいださまざまな
    形で崇拝されてきた。
    また、「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
    の雰囲気の中で成長する」。
    それはみずからを、宙の「ゆらめき」の
    ようなもの、「『ふち』らしきものを
    もった真っ黒な渦巻きのようなもの」
    と描写し、クラブツリーやその同僚が
    マリアスにむけている好意に嫌悪を
    示した。
     マリアスが疲労困憊すると(「霊存在」
    をあつかうときにはよくあることだ)、
    実験は翌日までもちこされた。
    マリアスは実験中の出来事をまったく
    記憶していなかった。
     トロントにもどってからも、この
    「霊存在」との奇妙な会話はつづいた。
    それはまだ軽蔑をあらわにしながらも、
    非協力的な態度をいくぶんあらためた。
    「町で多くの実験をおこなったのち、
    新しい局面がひらけた。霊存在が自身
    の過去を思い出しはじめたのだ。
    それは語った。自分は別の場所から
    やってきた。思い出すことはできないが、
    地上にあらわれるより以前から存在して
    いた」。~
     
    ~ある日、霊存在は、自分に関する事実
    をまたひとつ思い出した。自分はいつも
    考えていたような真っ黒な存在ではなく、
    「ふち」の部分はいくらか明るいようだ
    ー。そこから事態は急展開を示した。
     霊存在は、「白い光」を恐れる
    必要のないこと、遠い昔は自分も別の
    場所で「光」の中に住んでいたことを
    思い出した。つづいて、憑依している
    宿主からはなれなくてはならないことも
    認識した。はじめは餌(注釈:崇拝者
    たちの生命とエネルギー)となるものが
    なくなれば飢えるのではないかと心配
    したが、「光」から栄養を得られる
    ことを知ると、彼からはなれていった。

    クラブツリーの記録によると、以後
    十八ヶ月のあいだ、マリアスは霊の訪問
    をうけず、家庭生活も平常にもどった
    という。」
    “出典:「コリン・ウィルソンの
          『来世体験』」
           コリン・ウィルソン著
          荒俣宏 監修・解説
           梶元靖子訳
           三笠書房刊 ”

    とても長かったので要約しますと、マリアス
    という裕福な結婚生活をしている社会的に
    安定した地位にある男性が、妻を殺したい
    という、理由もわからない衝動をおぼえる
    ようになり、夢をきっかけに、その衝動が
    「ベア」と呼ばれる霊的な存在による
    ものだと気づかされました。
    そして除霊の方法を、自分で考え出して
    見事に「ベア」を追い出す事に成功しました。
    その「ベア」は太古の狩人たちの生け贄に
    されるためなのか、なぶり殺しにされた熊
    が霊になった姿だという事です。
    ベアになった時にその狩人の一人に取り
    憑いたのですが、それが、マリウスの先祖
    だったという事です。
    しかし、素人の除霊だったからなのか、
    「ベア」が去ったあとも邪悪な霊的存在
    は残ったままになっていて、それは
    どう考えてみても悪魔のような存在です。
    「崇拝者たちの生命とエネルギーを糧とし」
    、数千年の間崇拝されてきた上に、
    「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖の雰囲気
    の中で成長する」存在という事は、
    完全に生け贄の風習によって、あがめられ
    てきた、古来から世界中で崇拝されてきた
    神の事で、真実としては悪魔の事です。
    山羊というのは、悪の化身である山羊の
    頭部を持つバフォメットの事だと思われ
    ます。雄鹿の方はわかりませんが、片方
    だけで充分に悪の象徴だという事が、
    わかります。
    つまり狩人たちが崇拝していたのが、
    この悪魔の事で、生け贄を捧げること
    でなんらかの御利益を得たという事
    でしよう。
    そして、そのとき召喚された悪魔が、
    熊の霊と一体となって、マリアスの祖先
    の狩人に取り憑いていたということです。
    つまり素人の除霊により、熊の霊だけ
    去って、悪魔だけ霊として残ったという
    事ですね。
    みなさん悪魔って召喚されたこやつが
    全てだと勘違いされていませんよね。
    もちろん召喚されたのは単に悪魔の一部
    だという事です。
    つまり完全体でないという事なのです。
    つまり憑依していた熊の霊がなくなると、
    だんだんと自らのエネルギーを変容させて
    いくしかないわけです。もちろんマリアス
    とまわりの人々が、愛や情で結ばれて
    いなくて、マリアスに邪悪な心があれば、
    この悪魔は、そのままの邪悪さで、憑依
    できたでしょうが、マリアスに対する
    まわりのあたたかい感情とマリアス自身
    の心の善良さに、だんだんと自分自身も
    変容せざるを得なくなってきたという
    わけなのです。
    そうすると悪魔が、実は過去では悪その
    ものでなく、別の場所からやってきたと
    語り始めるのです。
    さらに、悪魔だけでなく他のすべての
    ものと同様自分も光の一部であった事を
    思い出し、マリアスの憑依を解いて、
    離れていったという事なのです。
    光というのは、絶対意識レベルへと
    つながる領域で、
    全てはそこから生まれるので、悪魔
    として分離した意識も、愛情などの
    あたたかい心に触れていると、もとの
    光である絶対意識(それにつながる
    子意識)に回帰する事を思い
    出すようになるという事なのです。

    これはとても多くの事を学べる事例
    だったと思います。
    人格的な霊だけでなく、動物の霊や
    悪魔の霊などもあって、人間に取り
    憑く場合があるという事もわかり
    ました。
    そして古来からある生け贄の風習と
    いうのは、やはり悪魔の食べ物だと
    いう事ですね。

    おかしいと思いませんでしたか?
    物質世界の制約も受けず、万能で
    永遠の慈悲深き神が、無垢な少女や
    熊などを生け贄にするなんて、絶対
    おかしいですよ。むしろそういう
    罪のない人や存在を守ろうとするの
    が神という定義なら、なぜ古代から
    世界中で生け贄の風習があったのか、

    おかしいとおもわなかったら、それは
    これまで、神という定義について、
    あまり考えずに、そう呼ばれてきた
    からという事だけでうのみにしてきた
    という事です。真理を知ろうとする事が
    とても大切だという事の好例です。

    今回の悪魔のように生け贄を必要と
    するものは、「愛情や慈悲を嫌い、
    暴力や恐怖の雰囲気の中で成長する」
    のです。これってまさしく正真正銘の
    悪魔と気づかなければうそですよね。

    今回はその悪魔がベアという熊の霊を
    媒介として、マリアスに残虐な行為を
    させ妻の生命のエネルギーと暴力や
    恐怖のネガティブエネルギーを糧と
    しようとしたという事だったのです。
    わかっていただけますよね(^^)』

    要するにマリアスを取り巻く人々の
    愛情や思いやりの意識のエネルギー
    で、この邪悪な霊は、変容して
    もといた本来の絶対調和の白い光
    の世界へと回帰していったという
    事です。

    つまり二元論的な善悪という
    捉え方は、マトリックスの誘導で
    本来の完全調和のワンネスの
    絶対意識が存在するだけの
    一元論的な捉え方が正しいという
    事なのです。
    ここでタイトルの言葉通りの答えに
    行き着きます。
    二元論ではなく一元論が真実!究極の
    ワンネスの領域では絶対悪は
    単なる虚像

    これが真理という事です。

    今回は、とても長かったですが、凄く
    重要な記事になったと思います。

    ではまた(*^^*)

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永遠の命は神から与えられなくても、すでに我々のものだった!


私が、ブログでどうしても伝えたいと
思ってきた事が、私たちが永遠で
無限の意識として一体であり、決して
死なず、消え去る事もない存在だと
いう事です。

私たちの本来の実体というか、
本来の自分という存在は、五感で
捉える事のできない、非物質の
「意識」だという事です。

そして無限の意識でもあり、全ての
存在が実は一つであって、全宇宙、
全次元の時空で、全てを知り、
全てを可能にする事ができる
まるで全知全能の神のようなもの
だという事です。

ただし、それをこの五感の認識に
囚われた肉体の意識、つまり
ボディマインドで実感する事は
ほぼ不可能だという事です。

臨死体験や対外離脱、また深い瞑想、
超常体験や、特別なゾーン状態、
さらには五感の意識を麻痺させて
松果体の感覚を活性化させるような
アヤフアスカのような自然の向精神薬
などによるような、特別な意識状態に
ならない限り、その究極の意識を
感知する事は、とても困難です。

とはいっても、その究極の意識とは
私たちと分離して存在するものでは
なく、到達するという言葉もタイトル
画像にあるように、誤解を生む
表現です。
まさしく究極の意識は、我々の内なる
意識の領域と一体なので、それを
感知するのが困難なくらい、一部の
マトリックスのボディマインドの意識
状態に囚われているという事なのです。

ですが、その究極のワンネスの意識、
私が「絶対意識」と呼ぶような境地
に至った、アイクとアニータ女史
その他多くの覚醒者、古来の賢人
の言葉で、私たちは自分たちの本来
の究極の意識がどういうものである
かを知る事ができるという事なの
です。

私も特に幼少期にそういう感覚を
身に覚えていた実感はあります。
その時に得た、世の中の本質的な
知恵は、いったん物質世界で成長して
いく過程で、忘れかけていたのですが、
20代後半の時に、精神世界の探求と
学びを始めたのも、そういう幼少の時
の感覚があったからだと思います。

そして、古来からの賢人や覚醒
した人たちの言葉を学んでいくに
つれて、
これは幼少の時に自分が感覚で
得ていたものと本質的に同じものだと
わかったので興味を持って、探求を
進めて、
多くの驚くような発見の連続とともに
今にいたるわけです。

さて究極のワンネスである絶対意識
がどんなものか、具体的にわかり
やすく説明してくれたのが、デービッド
アイクとアニータ女史だったというわけ
です。

では今回はアイクの絶対意識状態の説明
を観てみましょう。

南米ブラジルでアヤフアスカを
服用して到達したアイクの究極の
絶対意識の内なる言葉について
ですが、あまりに多くの情報量なので
二回の記事に分けます。
わりと私の注釈が、わかりやすいと
思うので、それに注目していただき
たいです。


「私は、ブラジルの熱帯雨林で開催
されるイベントに講演者として招待
され、アヤフアスカという熱帯雨林
植物から製造した精神活性剤を飲む
ことになった。これは短くとも
数百年間、南米のシャーマンが五感
レベルの現実を超えた意識へと人々を
導くために利用してきたものである。
見えない領域を経験させてくれる
「教師の植物」と言われ、その経験
を通じて自分自身、生命、そして
現実とは何かについて多くを学ぶこと
ができる。

また「神々の植物」とも言われるが、
これは神話の神々が住んでいる次元
を見せてくれるからである。~
~アヤフアスカには、哺乳類や植物の
代謝で自然に分泌されるDMT
(ジメチルトリプタミン)のような
強力な幻覚を誘発する特性が多く
含まれている。DMTのことを
「精神の微粒子」という人もいる。
そのときまで私は精神活性剤を服用
した経験はなく、その後もブラジル
での体験の数週間後に微量の「魔法
のキノコ」を摂取したことがある
だけである。だがこの現実を超えた世界
を見てみたいという欲求のため、私は
どうしてもアヤフアスカを試してみた
かった。 

私は2003年1月にブラジル北部の
マナウスに到着し、熱帯雨林の現地へ
1時間かけて車で向かった。
アヤフアスカは、ブラジル各地で宗教
儀式に使われており、そうした状況で
利用することは極めて合法的である。
もちろん「西洋社会」では所持も服用も
違法である。
通常この薬があれば、五感を超えた現実
へと根源意識を目覚めさせることができる
からだ。

(引用注:これが私がこれまで、説明
してきた、支配層血族の都合という
ものです。彼らは私たちに覚醒して欲しく
ないという事です。そうなれば、都合
よく支配できなくなるからという事
でもあります。)

私は大きな木製の
「丸い家」の床に、暗闇の中、横た
わった。一緒にいたのは主催者の一人
で、あらゆる種類の薬物・配合に経験
豊かなゾーだけだった。

(引用注:つまりアヤフアスカを安全に
服用させるための、案内人のような存在
の事を総称してゾーと呼ぶようです。)

熱帯雨林にあるもので彼が飲んだり
吸ったりしたことのないものは、
ほとんどないはずだ。

植物が、あっちの世界やこっちの世界
に連れていってくれると話している
のを耳にしたが、私はそうは思わない。
私の考えでは、アヤフアスカは
チャンネルを開通させる(あるいは、
そのように思わせる。全ては心の中で
起きていることだから)ことにより、
意識の覚醒をもたらし、もともと我々
がいるところに連れていってくれる
だけである。

私は小さなグラスでアヤフアスカを
一杯飲んでみた。甘草に似た味がして、
すぐに効き目が現れてくるのを感じた。
吐き気がして、落ち着かない感じに
なった。そして長年にわたって鬱積
していた失望と挫折(フラストレー
ション)を吐き出し始めた。本当に
大声で叫び始めたのだ。大勢の人々から
嘲笑された時代にまでさかのぼる欲求
不満が、私自身存在を把握していな
かった感情の抑圧が、一気に暗闇の中
へと放出された。アヤフアスカの
効き目が出てきて変性意識状態になり、
目を閉じると、キラキラした色や形が
飛び交うのが見えた。目を開けると、
いつもとは少し違った感覚ではあるが、
五感の現実に戻った。この体感が強烈に
なるほど私は目を開けておきたいと思わ
なくなり、目を開けても、そのまま目を
開けておきたい気がしなかった。

(引用注:ここは特に重要です、視覚
は私たちが物質の次元にとらわれる
一番の元凶です、アイクが高次の意識
に移行しようとする時に、視覚が邪魔
なため、目を閉じたくなったという事
なのだと思います。瞑想をする時に自然
に目を閉じるのもそのためですね。
そしてまた百聞は一見に如かずなどと
いうことわざも、その視覚にとらわれた
人々によって伝えられてきたもので、
真理をついているどころか、人々が
五感にとらわれた歴史を繰り返してきた
事の証明になっているだけだという事
です、よくことわざだったら良い言葉
だと、短絡的に捉えられる事が多いと
思いますが、本質を考えれば、それほど
良い言葉ばかりではない事に気づくと
思います。

たとえば「長いものには巻かれろ」の
語源は、間違いなく、太古に天子で
あった龍が、ヘビのような長いもの
であったために、上の立場の者には従順
でいた方が無難などという、とても
支配層に都合の良い言葉である事が
わかります。
今従順な方々が、ワクチンを接種して
苦しんでおられるのに、この言葉を
肯定している場合ではないという事
ですね。)

仰向けになって真っ暗闇を見つめていると、
突然、腕が伸び、およそ45度の角度に
両腕が広がった状態になった。ペルーの
丘では、立った姿勢だったが、それと同じ
手の広げ方だった。

(引用注:アイクはこれより何年も前に
ペルーのある丘で、高次元とのアクセスが
できたクンダリーニ体験をしています。
その時の事は最近投稿しました。
DNAと人体の波動は同一だった!遠隔複製
されるDNAと月のマトリックスの関係
とは?

という記事で取り上げています。
その時にも同じ角度で自然と手を
広げたという事ですが、自分の潜在意識
の働きで自然にエネルギーを受ける形
になったのだと思われます)

そして私の口から、「デーヴィッド・
アイク」とはまったく違う声で、この
言葉がゆっくりと力強く出てきた。
「私は愛(ラヴ)である」
それから、こんな言葉を繰り返し発し
始めた。

(引用注:私もだいぶ小さな頃に、寝て
いて急に眼が醒めて(半分寝ている状態
だったようでもあります)、自分の口
からとてつもなく低い声で勝手に話し
はじめる声を聞いたことが何度もあり
ます。
もちろん声変わりもしていない時
だったので、とても変な感じがしま
した。ただ何といっていたのかは全く
わからず、それが良い存在からの
ものなのか、悪い存在からのものか
さえわかりませんが、自分の身体を
通して別の意識の存在の介入という
のは、そこで体験できてたので、今回
の事もわかりますね。そうそう霊媒も
そういう別の意識が入り込んでくる
というのが、基本的な仕組みだと思い
ます)

「私は全てであり、全ては私である。
私は無限の可能性である」

(引用注:究極の絶対意識であると
思われる声が告げたのは、「私は、
愛で全てであり、さらに無限の知性
であり可能性でもある」という事です。
この「可能性」という訳だと、
現実化する能力があるのかどうか
あいまいに思えるでしょうが、
原著のpossibilityという言葉は、
あらゆる全ての力つまり全能、全て
を実現する力とも訳せるので、つまりは、
この声は「全能の全存在そのもの」
だと言っているのだという事です。)

それとともに、私の胸の中央(ハート
のチャクラ)から途方もないエネルギー
が溢れ出し、そのエネルギーが部屋に
満ちているのを感じた。
(引用注:全てのチャクラの中でも
ハートチャクラが中心であるというの
はここからもわかりますね、高度な
意識を理解していたと思われる
ペルシャのスーフィたちも、胸の
ヒンマが、運命の鍵を握っていると
証言していますので、それを裏付け
ますね。
その事は
意識のイメージによる未来実現   
古代から伝わる視覚化という方法

という記事で詳しく説明しています

要するにこの時のアイクは、
ハートチャクラが開いて
究極のワンネスの意識とつながり
全能の声の主とつながれた事を
意味しているのです。
また次の日もアヤフアスカを服用
したアイクは、ワンネスが全知で
あるという事も知らされているので
要するに「全知・全能の全存在」
がワンネスであり、それが
私たちの本来の姿だというわけ
です。)

数分もすると3つの蛍光灯は完全に
点灯した。

(引用注:高次のレベルでのエネルギーは
電磁気エネルギーと密接につながっている
という事が、ここでもまた証明されて
います。
要するに高次の領域が、この五感の
現実世界に影響を及ぼす時は、
まず電磁気エネルギーとして変換
されるというわけです。)

私は周囲を見渡して、どうしてゾーが
照明をつけたのだろうかと訝(いぶか)
しんだが、彼がスイッチを入れたわけでは
なく、照明は全て切ってあった。

(引用注:これもプラズマエネルギーで
蛍光灯が点灯する事をすでに記事で説明
しています。プラズマの驚異の力 その1
です。
またアヤフアスカを服用すると
脳の中央部にある松果体自体が光る事
によって、その内側の光を目が感知して
瞳が光るようになるというのは、
実際にアヤフアスカを服用した
人々の目が光る様子を映した
いくつかの動画で確認しています。

複数の人々が同時にアヤフアスカを
服用して、全員目を光らせていた
動画があったのですが現在見つから
ないので、こちらの動画の35分
あたりで、アヤフアスカを服用して
横たわっている女性の目が光って
いるのは確認できると思います。

私もそれを経験していて、夜中に
目が光っていたのを、まばたきととも
に光の残像が壁で明滅していた事で
体感できていた事が何度かあるので
よくわかります。)

電気もなく自ずと点灯したのである。
少なくとも普通の状態ではなかった。
ハイファイ装置で音楽が流れていたが、
それもスイッチが切れては10秒ぐらい
で元に戻った。奇妙でありえないこと
だが、実際に起きたのだ。部屋に充満
していた電磁エネルギーが、照明と
音楽プレーヤーの電気回路に影響を
与えたのである。

私は、ハートのチャクラを通って溢れ
出すエネルギーが、頭部に向かって
アーク(弧状)を描いているのを
感じた。

(引用注:この心臓から頭部のエネルギー
の流れはそのままハートチャクラから
眉間のチャクラや頭頂のチャクラへの
流れに置き換えられます。つまり高次
の意識へのチャクラのゲートは心臓を
基点として頭部へ向かうという事を
示しています。)

私の口から出た言葉は、このエネルギー
の接続から発生しているようだった。
エネルギーが当たっている頭の部分は、
誰かに強い力で肌をつねられている
ような感覚だった。変性意識状態に
なった私は滑らかに話し始めたが、私
が自分で考えたものを言葉にまとめた
わけではなく、ただ単に私の口から
言葉が出て行くだけであり、初めて
知った言葉だった。そのときに話した
こと、その次の夜にさらに強烈な形で
私を襲ったものについて、これから
要訳する。』


変性意識状態になった私に告げられた
内容とは、存在するもの全ては一つの
無限なる意識であり、それは
「無限なるもの(インフィニット)」
「一つなるもの(ワンネス)」
「一(ワン)」
と表現されていた。
我々は操られた錯覚の現実の中で、
「一つ」であることの認識から切り
離されてしまった。
本当は全てつながっており、全ては
同一の無限なる意識として見るべき
ところを、何もかも分離して二元的に
見るようになった。

(引用注:これはアニータ・ムーアジャニ
女史も全く同じ事をいっていて、神で
さえも分離したものではなく、自分が
そのようなものでもあり一体なのだと
証言しています。太古からの多くの賢人
たちも同様に全てが一体であり一つで
あると口を揃えてます。

そして声の主によると無知な状態に
誘導されている我々は何もかも分離して
二元的に見るようになったとの事です。

実際善悪の二元論についても同様で
悪があるから善があるというのも、
全く一元的なワンネスの視点では
あり得ないレベルです。

全ては無限の調和であり愛である
ワンネスに対して、完全なる悪は
単なる盲点の存在でしかない
という事を、この声の主は、
後で錯覚と表現しています。

古代にキリスト教に弾圧された
歴史上から抹殺されたグノーシス
派も悪は、エラーから生まれたと
記し遺しています。

これは別の記事で詳しく取り
上げようと思います。

私たちも全てと一体で「全知・全能」
であるという事は、アニータさんも
臨死体験で得た答えです。

彼女が得た答えとは、全てはワンネス
であり、自分そのものでもあるので、
神でさえも分離したものではなく、
自分がそのようなものでもあり一体
なのだと証言しています。)

最初のアヤフアスカの体験では、我々が
日常的に経験している五感の「世界」は、
基本的に同じこと(細部に至るまでは
同じではないとしても、質的に同じこと)
を延々と反復するだけの「時間の環
(タイムループ)」であると聞かされた。
我々が未来と呼んでいるものは、結局の
ところ「過去」になり、何度も何度も
「現在」を繰り返すように回転している。
「時間の環」は、永久に回転する渦巻きの
中を回り続けており、その誘惑と錯覚に
捕獲された根源意識にとっては監獄と
なっている。

(引用注:私たちは、五感に囚われた意識
だと、これまでの記事で説明してきたこと
を、裏付けてくれていますが、
これはさらに質的に同じ行為や思考、習慣
などを繰り返しているという「時間の環」
に囚われているという事を言ってますが、
確かに、あらゆるサイクルで私たちは
「繰り返しの中」にいる事に思い当たり
ます。この訳をされている為清氏は、
無限の意識またワンネスの事を
根源意識と呼んでおられますが、
ワンネスの意識は、文字通り全ての
意識を包括しているので、根源だと
無限の意識の源にのみ集約されている
ので、最高の意識ではあるけれど、
全体の一部というイメージになって
しまうので、
私は「絶対意識」と訳しています。)

「時間の環」は、やはり無限なる一つとの
接触を失った「非物質レベル」の構造の
範囲内で稼働している。私に聞こえた「声」
は、この多重構造のことを「マトリックス」
と呼んでいた。

(引用注:このマトリックスというのは、
意識を捉えるための監獄の檻のような
もので、意識を逃さないようにわりと
頑丈にできている意識の壁のような
ものです。五感の認識などもその
マトリックスの一つだといえますね。

そしてまた映画マトリックスもとても良い
たとえになります。あの映画では、主人公
を初めとした人類がコンピューターに
与えられた偽の現実の世界の事を
マトリックスといってましたが、
まさに現在我々が囚われている
マトリックスも私たちに偽の現実感覚を
もたらす、意識の壁だという事ですね。

このマトリックスの輪でもある循環は
時間についてだけでなく、空間についても
言えます。

極大から極小まで、本質的に同じ
エネルギーで、その原初形態がスパイラル
を内包したトーラスです。
これは宇宙または自然界のフラクタル構造と
呼ばれています。

そしてこれは、ロシアの入れ子人形の
マトリョーショカに喩える事もできます。

つまり同じ形の繰り返しのフラクタルも
また、マトリックスの本質の一つだという
事です。

マトリョーショカという語感が、
マトリックスという言葉に似るのは
偶然でしょうか?

またタイムループは、占星術の本質でも
あります。

生まれ落ちた時点で、まわりの宇宙的環境
の一つの時点でのサイクルとして囚われた
という意味が本質で、それが表現されている
ホロスコープは、まさにその囚われた
サイクルの縮図であり、肉体に宿った
個人の性質とライフサイクルを示して
いるという事です。

つまりそれも一種のマトリックスで、
ワンネスや、そこまで解放されて
なくてもボディマインドを超えた
高次の領域の意識でいれば、その
占星術的マトリックスの影響も
受けなくなるという事です。
まあ逆に、その個人の性質を客観視
できるようになれば、それはそれで
楽しく有効にも利用できるという
事です。)

~最初の夜は、私の口から大声で言葉を
発したが、次の夜には、明瞭な女性の声
が聞こえ、さらに詳細な内容を付け加えた。
「彼女」の言葉は、私の心(マインド)
によって解読された思考フィールドで
あったため私には英語で聞こえた。
イタリア人やエジプト人であれば、
それぞれの言語に解読し、それぞれの
話し方に変換したことだろう。

(引用注:これは、次の日も同じように
アヤフアスカを服用したセッションを行い、
今度は別の声が聞こえたという事です。
しかし存在としては、同じ絶対意識の
ものなのだという事です。
また人によって届けられる言葉の内容は同じ
でも、それぞれの国で使用される言語として
解読するというのは、自分の思考フィールド
に届けられる声が思念であって言葉その
ものではないという事です。
それとアイク氏のマインドという言葉を
為清氏は心と翻訳されていますが、アイク氏
は他にもハート(心)という言葉も使用して
いるので、ここはマインドの本来の意味で
ある肉体的思考および感情
(ボディマインド)
という翻訳の方が適切だと思うのですが、
この引用ではそのままマインドを心と表記
する事にします。)

その情報を伝達してきた存在のことを「声」
(ヴォイス)と呼ぶことにする。
私は、その存在を女性と解釈したが、実際
には男女の二元性ではなく、一体性の現れ
だった。
次の夜にはアヤフアスカの分量を増やして
みた。横になって目を閉じると、再び色と
形の乱舞が見えてきた。一時的に、とても
中国風に見えることがあった。それから
非常に明瞭な声が聞こえ始めた。それは、
「私の言った通りでしょう」という
タイプのよそよそしい声ではなく、私が
聞いたこともないような力強い大きな声
だった。尊厳、確信、明晰を備えた声
だった。
「デーヴィッドよ、これからあなたの
出身地に案内しよう。そうすれば自分が
何者か思い出せるはずだ」と語った。
その言葉とともに、私は言葉ではとても
表現できない至福の境地へと連れて
いかれた。「時間」も「場所(空間)」
もなかった。全てはただ存在していた。
私には肉体はなく、ただ根源意識として
存在するのみで、私が全てだった。分離
はなく、対立極もなく、白も黒もなく、
彼我(ひが)の違いもなかった。私は無限
であったが、それと同時に、その全体の
中で、独自の観察視点を備えた「個」
として完全な自己意識もあった。
これこそが我々の本来の姿である。
独自の観察視点で無限なるものを見ている
意識である。

(引用注:ここでアイクが連れて
行かれた場所が、つまりは声のいる場所
そして、私たちの本来の場所であり、
私たち自身でもある絶対意識の領域
なのです。

この「時も空間もなかった」という
のは、それぞれを個として捉える
境界もなく切り取る瞬間もなく
全ての時空の元型として捉えていた
という事になります。

むしろその全ての時空の具現性を
意識する事ができたのが、アニータ
女史のワンネスでの境地でした。

観てみましょう。


その世界では、時間も違うものに感じられ
ました。私は全ての瞬間を同時に感じて
いたのです。
つまり過去、現在、未来の自分が関係する
あらゆることを、同時に認識していました。
さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げ
られているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろう
としていました。
その弟の本質は、(兄の)アヌープだと
わかりました。
ただし、その人生で、彼は私よりも若かった
のです。~
五感の制限により、私たちは時間の一つの
点に集中させられ、これらを一列に
つなげて直線的現実を創り上げている
ように思えました。
さらに、私たちの身体の制限された知覚
が、目で見え、耳で聞こえて、触ること
ができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲に
閉じ込めているのです。
でも身体的制限がなくなった私は、時間や
空間のあらゆる点と同時に関われるように
なりました。』

まさに我々の通常の時間の感覚が、根本的に
間違っていることが、この絶対意識では、
よくわかるということです。
時間は全て同時に存在し、またそれを同時
に体験できて、そしてまたパラレルワールド
も存在しているという事が、実感として
理解できたという事です。
私が、これまでの記事で説明してきた
通り、「無限の時間が同時に存在している
という事、そしてパラレルワールドも
無限に存在しているという事」の裏付けが
彼女の実体験でできた事になるわけです。

自分はこのことは約20年前に気づいて
いました。この時はまだ、いろんな情報に
出会う前だったので、仮説として書いて
おいたことですが、
時間に対しての自分の仮説は、六次元の
世界では、あらゆる無限の時間軸が、
同時に存在しているとはっきり書いて
いたのです。
おそらく自分の内なる声というより、
潜在意識にアクセスして得たものだと
思います。

ただこの時の六次元という捉え方も
今ではそんな数えられる次元の境界線
などどこにもなくただ意識のレベル
が上がればそのような
視点にいきつくという事だと理解
しています。

そしてこの領域では、自分は肉体では
なく意識としてのみ存在し、自分と分離
されたものはなかったという事です。
そして自分は無限の存在ではあるが、
独自の「個」として完全な自己意識も
あったという事なのです。つまり全体
でありながら部分として独立した視点
も持つ個としても存在するというのは、
トランスパーソナル心理学のグロフ氏
も同じ理解に達しておられます。

そのグロフ氏の言葉がこちらです。
それだけが、独立・分離してある
ような物質や物質的自我は意識のつくり
出す幻にすぎないことが自覚され、
時間も空間も絶対的なものではなく、
自己は五感を通さなくても、宇宙の
あらゆる場所に接近できる。
同じ一つの空間を同時に数多くの物が
占めることがありうる。
部分でありながら全体であることができる。
形態と無、存在と非存在は互換可能で
ある。

というものですが、まさにこの時のアイク
の境地と同じものであるといえますね。

またアイクと同様のこの絶対意識領域
に到達した、アニータ・ムーアジャニ女史
も同様に、自分が無限としての全体であり
ながら、同時に個人としての意識もあると
証言しています。
このように複数の人達の証言が、絶対意識
領域の性質を裏付けあっているものだと
思われます。)

人々がこの「一つであること」の至福を
経験することができれば、五感の世界
も変容していく。

(引用注:この後に続けて、アイクは
世界で最も影響力を持つ存在に
ついて語っていますが、それこそが
支配層血族であるという事です。)

だからこそ~恐怖、ストレス、憎悪、洗脳、
知識の抑圧、さらには電磁気的な汚染や
飲食物に化学添加をするなどありとあらゆる
方法で、我々を切り離された状態に留めて
おこうと必死なのである。

(引用注:これでフッ素や水銀などを摂取
させられるようになっていて、松果体が
石灰化してしまう原因になっている事も
納得がいくというものですね、
(もちろんこれだけでは、全くありません)
つまりは私たちに覚醒して欲しくないわけ
です。

支配層の言葉の内部暴露として、
記事に紹介してきた
「イルミナティー秘密の盟約」
にもその意図がはっきりと読み取れ
ます。
再掲しておきますね。


奴等が「何が起きているのか」に
決して気づかぬよう、
我々は持てる科学や技術の知識を
巧妙に使う

軟質金属、老化促進剤や鎮痛剤を
食物や水と空気に入れて利用する

奴等の行くところ すべてが毒に
覆われる

軟質金属はやつらを狂わせる。
我々の多くの前線が治療法を
みつけると
約束するが その実もっと多くの
毒を喰らわせてやるのだ

毒は奴等の皮膚や口から吸収され、
奴等の正気や生殖器官を破壊する

早くから、奴等の知性や精神が
若い頃から始め 奴等の子供が
大好きな
甘いものを使って狙うのだ

奴等の歯が腐ったら 奴等の頭を殺し、
未来を奪う金属を詰めてやろう

奴等の学習能力が侵されたら
それ用の しかし症状を悪化させ、
別の病気を発症する薬を作ってやり
その先にもまた薬を作ってやろう

我々は奴等を従順で脆弱にし
奴等は我々とその力に屈服する

教義や宗教を使って 奴等を
「一体であること」から引き離す

奴等の人生をあらゆる側面から
支配し、
何をどう考えるべきかを教えて
やるのだ

我々が奴等をそっと優しく
導きつつ
「自分自身で選んでいるのだ」
と思わせる』
“「さてはてメモ帳」様のサイト
<イルミナティ――秘密の盟約>
千早様訳
 より” 

このように本来エラーまたは錯覚
でしかない邪悪な意識に囚われた
支配層は、私たちに本来のそして
本物の意識であるワンネスの領域
とつながって欲しくないために、
あらゆる面で細工してきたという
事なのです。

なぜこのようにする必要が邪悪な
意識をベースにした支配層にあるか
というと、アイクやアニータ女史の
ような絶対意識の至福の意識になれば、
彼らの五感の世界をツールとした
人類の支配が、破綻するからという事
なのです。)

こうした物質には、我々を五感の監獄に
閉じこめる意図があり、精神活性剤を
悪魔扱いする主な理由もそこにある。
私が体験した至福の状態においては、
エネルギーは、形態や物体といった領域
において、振動するようには振動して
いなかった。それは静寂、あるいは、
ゆっくりと完璧に調和して動く海の波の
ように感じられた。

(引用注:このことからも、私がこれまで
の記事で説明してきた低振動または振動
ゼロの状態が高次元の意識につながって
いる事がよくわかりますね。ほとんど
振動しない領域が、この絶対意識領域
だという事で、高い波動、つまり振動数
の高い状態ではないという事なのです。)

「これが無限なるものだ、デーヴィッド。
あなたはここからやってきた。再びここに
帰ることになる」と声は告げた。

そして次の言葉が、私の心の中で何度
も流れ始めた。

「無限なる愛だけが、真実である。それ
       以外は、何もかも錯覚だ」

我々が本当に知らなければならないことは、
これに尽きるのだと、声の主は語った。
全てはそこから発していると。
私は、心の中で質問を用意し始めていた。
「本当に何もかもなのか?」と問いかけ
ようとしていた。
 だが、その思考がまとまる前に、
「無限なる愛だけが真実である。それ以外
は何もかも錯覚だ。例外はない。以上」
と声の主に制止された。
 愛という言葉は、しばしば弱々しいもの、
ウブなものという意味を含んで認識されて
いる。「愛だけじゃだめだ」と人々は言う。
愛という言葉の解釈は、人間の定義に
よって歪められてきた。多くの人にとって
愛とは、別の人に強く惹き付けられるら
れることを意味する。だが、ここで述べて
いる愛とは、その意味ではない。人間が
認知している「愛」は電気・科学的な
引力であり、「マインド(肉体的感情)の
愛」と言っても良い。

(引用注:このマインドの部分はアイクの
原著からの引用で訳させていただきました。
このムーンマトリックスの訳者の為清氏は、
マインドの事を心と訳されていますが、
ここで、マインドを心と訳してしまうと、
心の愛が、浅いレベルのものだと錯覚されて
しまいます。マインドとは、肉体的な反応
による感情で、日本人の心とは全く違う
言葉なのです。この場合、心はハート
という言葉が当てはまるし、またこの高次
の存在が語る愛とは、まさにそのハート
つまり心の愛の事だからです。

それとアイク氏の人々の用いる愛という
言葉の概念にしても、西洋の人の捉え方
と、日本人としての捉え方に少しずれ
があるように感じます。日本では愛を
もう少し広い意味で捉えたりもしますが
、このアイクさんのいう人々の捉えて
いる愛というのは、本能的な欲情など
の意味が強いのかも知れません。)

マインド・コントロールを経験した人から
聞いた話では、通常では決して親密になる
はずのない二人であっても、科学的に脳を
操作して刺激すれば、いとも簡単に熱狂的
な愛に落ちていくという。

(引用注:この愛は肉体的感情による
マインドの愛だという事です。)

無限の愛は、物質(肉体)的な引力(魅力)
を超えたものである。本当の意味の愛では、
愛に落ちる(入っていく)のではなく、
自分自身が愛そのものである。無限の
愛は、全てのバランス(調和)である。
無限なる一つのみが真実であり、それ以外
は全て錯覚である。無限の愛は、無限の
知性であり、無限の知識であり、無限の
全てである。あらゆる潜在能力、あらゆる
可能性である。」
“出典:「ムーンマトリックス
        〈覚醒編6〉」
     デーヴィッド・アイク著
       訳 為清 勝彦  ”

声の主から伝えられる真実はまだまだ続き
ますが、今回はとても重要な真実を告げ
られました。全ては愛でそれだけが真実
だという事です。ですが、この愛という
言葉は、私たちが照れて面はゆいような感じ
で、使うようなものとは、全く違うよう
です。

声の主がいうように無限の愛とは、次の
ようなものだと言う事です。
もう一度確認しましょう。
「無限の愛は、無限の知性であり、無限の
知識であり、無限の全てである。あらゆる
潜在能力、あらゆる可能性である。」
これが無限の愛というなら、全知万能の
力が無限の愛である事になり、それは
感情的な愛ではもはやなく、私が
これまで絶対意識と呼んでいたものと
同じ意味の言葉だという事なのです。
ただつまり全知万能全存在の意識とは
つまりは絶対意識であり、さらに
いうなら、「絶対愛」だという事なの
だと言う事です。

(この愛が全知万能の力を持った
力強いものであるというのは、私たちが
再三マスコミなどで、刷り込まれてきた
「愛は無力」などという捉え方とは、
真逆であるという事がわかります。
逆の究極の力こそが、愛だと声の主が
告げている事になりますが、これは
宗教のように捉えると間違う事になり
ます。まさに本質を内なる声から聞いて
いると考えられるという事です。
先日音の波動についての記事
を書かせていただきましたが、そこでは
愛情の波動が、実際に内なる潜在能力を
引き出す源であるという物理的な証拠を
ご紹介しました。つまり愛は本質的な
そして究極の「力」であるという事を
示唆しています。)

本当の愛には力があるどころか、
完全無欠で無敵なのが本当の愛だと
いう事なのです。

そしてアイクと同じように絶対意識
に到達したアニータさんも全く同じ
事をいってます。もちろんこの二人は
互いを知らない立場にもかかわらず
という事です。

さてアニータさんの臨死体験での、
証言を引用してみましょう。

「臨死体験をしている時、全宇宙は
無条件の愛からなり、私はその一つの
表現なのだと実感しました。あらゆる
原子、分子、クォーク、テトラクォーク
も愛でできています。私は愛以外の
何ものにもなりえません。なぜなら、
それが私の本質であり、全宇宙の
性質だからです。ネガティブに見える
ものでさえ、無限で、無条件の愛の
スペクトルの一部なのです。宇宙の
生命エネルギーとは愛であり、私は、
宇宙エネルギーからなっているの
です。」
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

なるほど絶対意識に到達したもの同士、
アイク氏もアニータ氏も宇宙の本質が
絶対愛だという事に気づかされたという
事なのですね。
このアニータさんの説明はさらにわかり
やすいですね、宇宙エネルギーの本質が
愛だという事なのです。自分を愛する
という事が、そのまま宇宙をも愛する
という事につながるという事もこのあと
説明しておられますが、自分が宇宙
の全体と一体であれば、自分を愛する
事は、まわり全ての人や存在も同時に
愛するという事だという事です。
ただその場合、中心である自分を
ほったらかして、他人を愛するという
のは、本質から外れているとも言え
ます。
ただ全ての存在が自分だという本来の
ワンネスの境地であれば、身近で
親しい存在の人や最愛の人や身内なども
また自分自身という事になるわけで、
その場合肉体を持っているという錯覚の
自分ではなく
他者のように見える自分(最愛の人
など)を優先させても、全く絶対愛の
本質からそれているわけではない事も
また確かなのです。

とにかく無条件の愛、絶対的な愛は、
宇宙の根本的な力だという事です。

ここで実際に愛情の力というものが
具体的にどのようなものかを示す
事ができます。

超能力者の脳波は、8Hz(正確には
7.8Hz)である事が知られて
いますが、

温かい愛情を持つ時の脳波も同じく
8Hzで、なんと心臓の拍動率も
8Hzだという事が明らかになって
ます。

つまりあたたかい愛情は、超能力的な
パワーを持つ事ができるという事
でもあるのです。

そして究極の愛情においては、その力
は無限大だという事もできます。

まだまだ声の主からの言葉は続き
ますが、次回の記事にしたいと
思います。

とにかくアイクがアヤフアスカを
服用して、絶対意識であると思しき
声の主から聞いた言葉が、あらゆる
真理につながっているのが、わかって
いただけたでしょうか?
そしてその絶対意識こそ我々の本来
の意識であるという事もです。

次回もまたアイクが声の主から
受けとった叡知について観て
いこうと思います。

ではまた(*^^*)

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